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神沢浄君 ただいまの御
説明については、その
説明の範囲においてはやっぱり理路が通っているわけでしょうけれ
ども、ただ、
現実の問題として、私
どもは、さっき申し上げた、
むち法に当たるこの
農地への
宅地並み課税というものには本来反対をしている立場なんですが、まあ私
どもにしましても、たとえばA、
B農地だと言われておるような個所の中には、これはもう実際問題として
農地でなくなってしまっておる、もう
農地として別に取り上げて考えなきゃならないような
条件はもうなくなってしまった、こういうようなものまで
——課税の
適正化という
ことばが当たるのかどうか別にしましても、実態に即した
課税の方針がとられていくというようなことについては、私
ども決して異論のあるところじゃないわけであります。ただ、しかし、この
あめ法が出てくるまでの経緯というようなものを考えてみますと、四十四年ですか、
農地の
宅地並み課税という
制度についてはすでに定められてきていたわけでしょうけれ
ども、なかなかこの
実施に踏み切れなかったというものには、これはもうそれなりのやっぱり要素や
要因というものがあったからだろうと思うんです。一部に言われておるように、やっぱりこれは
農家は、たとえば
与党自民党にとっても大
票田でございますから、
票田からの、
農民からの突き上げというようなものの前にはたいへんこれは弱かったというようなこともあるかもしれませんしいたしますけれ
ども、しかし、そのくらいのことでもってその
宅地並み課税という
考え方が、実際に推移していくであろう
社会情勢というものにマッチしておるものであるならば、私はそんなに容易に
実施に踏み切れないようなことではなかっただろう。それがなかなか
実施に踏み切れないから、
法律の取り扱いとしても、各政党間で、与野党間でもって
話し合いのような
経過をたどってきていたようでありますけれ
ども、特に、
特定圏域の
首都圏、
中部圏、
近畿圏においてのA、
B農地については、私
どもの知る限りにおいては、
田中総理のお
声がかりでもってこれが
実施をされたと、こういう
経過がたどられているようですけれ
ども、私はやっぱりそこにちょっと無理があったのじゃないかというような感がしてなりません。踏み切れないような
情勢と
要因というものが現にあるからこそ踏み切れなかった中で、やっぱりA、
B農地についてのみであろうともそれをあえて
実施をしたというのは、私は若干
政治の流れの上においては
勇み足だったのじゃないかというような感がするわけであります。というのは、私も
衆議院の
会議録などを見てみましたけれ
ども、たとえば
C農地については、これは五十年までに考えようというようなことでございまして、何かあの応酬の中から看取されるニュアンスとしましては、やっぱりもう
C農地というものは手をつけていかないような
方向にやりとりがされているようであります。そうすると、A、
B農地だけをこういう特殊な扱いをしたというようなことにこれはなりかねないでしょうし、そこに私は
勇み足的な
感じを受け取らざるを得ないわけであります。というのは、四十四年
——四十六年ですか、当時の
段階においては、
政府の
考え方というのは、とにかく
宅地化を進めるために、
住宅供給の
目的のために、あいておるのはその
農地なんだから、したがって、その
農地の
宅地化を進めるということに私は
考え方というものがこれは
傾斜をしてしまっていたのであって、その後に及んで、やっぱり
一つの
都市政策というものを、これを真剣にとらえなきゃならないような、たとえば公害の問題に刺激をされまして、住みよい
都市——この間の
都会議員の選挙などを見ましても、各党ともそういうことを言っております。
自民党だって、
東京ふるさと計画というようなことを盛んに言っていたようでありますが、そうすると、やはりこれはもう
緑地の問題というようなものは、これは重大な問題として提起をされてきておる。それから、A、
B農地が必ずしもそれに当たるわけではありませんけれ
ども、しかし、
農地というものに対する
一つの
政策上の
考え方として、その後、世界の
食糧事情なんかの
変化によって、この
食糧政策の問題、ひいては
農業政策の問題というようなものが、別の
意味、
価値観を持って出てきておる。こういうふうな
情勢の
変化の前に、
農地をひとつ
宅地化していこうというようなことだけに
集中傾斜をした当時の
考え方というようなものは、かなりの、その部面において根本的に崩壊をしてきていた、こういう
情勢がありましたから、これはやはりただ単に
農民側の突き上げなどというような皮相的な
理由だけ、原因だけではなくて、この
農地の
宅地並み課税というものは、結局は踏み切り得ないような
情勢に進んでいっていたではないかと、こう考えられるわけであります。そういう中でもって、たとえA、
B農地のみであったとしても、これを
適正化と称する
宅地並み課税に
実施をしていったということは、私は、やはり
情勢とは合わない、いわば
政策上の
勇み足のようなものをやってしまったんではないか。やってしまった
あとで、これはどうもやっぱり
手直しの必要が考えられる、こういうふうなことから、むちばかりでは済まないからということでもってこの
法案が用意をされた。そこに、期せずして、だれ言い出すともない、私は実にうまい
言い方だと思うわけですけれ
ども、
あめ法案というような
言い方というものが生じてきたのではないか。これは簡単に
あめ法案と言いますけれ
ども、私はその
あめ法案という語感の中身というものは、かなり、いま私なりに申し上げてきましたような
情勢や
政治的な
意味や、こういうものを含んでいるではないか、こんなふうに私はとらえているわけなんです。そこで、大体当局、
政府側としては、
あめ法案という
ことばをどんなように受けとめておられるかという点を、ひとつ
お尋ねをしてみたいと思うんですが。