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参考人(石坂直行君) 本日はお招きいただきましてありがとうございました。
私は、自分自身身体障害者ではございますが、外国の身体障害者の日常生活など、実情を
調査研究することをやっておるものでございます。一昨年になりますが、いま、ごらんいただいております車いすに乗ったまま、ヨーロッパの十ヵ国を一人で旅行いたしまして、自分の身障者の目でもって、彼らの、向こうの身障者の日常生活をとらえてまいりました。その実情を中心にこれからお話したいと思います。そして最後に締めくくりといたしまして、若干のまとめといいますか、提案の形で申し上げたいと思います。資料といたしましては、お手元にございますぴらぴらの「いずみ」といいましたか、あの一枚めくっていただいたところに、私の書いたものがちょっとございます。
その前に、私の立場を申し上げさしていただきます。私は、御案内のとおり、現在銀行に勤務しております。五年ほど前に交通
事故で車いすに乗るようになりました。通勤の途中、自分の車がとまっているところにうしろからわき見のダンプが追突しまして、それ以来、こういうことになりました。現在もまだ自動車の運転は可能でございますので、自分で運転いたしまして銀行まで参りまして、銀行につきますと、車いすに乗りかえて一日仕事をしております。そういうわけでございますので、私は身体障害者でありながら、これまで、現在もいわゆる非身障と申しますか、産業経済の社会の中にまあ足の一本は突っ込んでいるわけでございます。もちろんもう一本の足は身障者の世界に突っ込んでいるわけでございます。そういう立場でございますので、いまお二方のお話しになりましたような、身体障害者の特殊な
事情というものもよく理解できます。それと同時に、皆さんのような産業経済界の方のお考えや、なさっていることも理解できます。ところが、これは裏返して言いますと、まあたいへんお二方の前で申しわけないんでございますが、これまでの日本の身体障害者の生き方というものには、私個人として批判がございます。それと同時に、こうやって身体障害問題に御関心を寄せてくださるんでございますが、産業経済界の方のそういう問題に対する姿勢にも批判がございます。そういう立場でございますので、そういう目で私が見た話を、旅行の話をすると御了解いただきたいと思います。
旅行の動機は、いま申し上げましたように、車いすに乗るようになりまして、何もかもできなくなって、どこにもいかれなくなったんですが、たいへん困りました。いまお話があったとおりでございます。ところが、外国の人は、非常に明るくて活発にやっていると、なぜだろうと、それをまあ知りたかったわけでございます。それで、何も外国まで行かなくても、たとえば私、東大のリハビリテーションセンターであるとか、国立の身障センター、都立のセンター、先生方ずいぶん存じ上げている方がおりますので、伺ったんですが、どうしてだかこまかいことは御存じないんですね。結局、身障者がなぜそれが可能かということは、やっぱり身障者でなくちゃわからないことだということがわかりましたもんですから、自分でまあ全くプライベートに行ったわけでございます。
ところが、行く決心はいたしましたけれ
ども、日本航空だとか交通公社だとか、そういうところが全部切符を売ってくれないということが起こりまして、一時はもうだめかと思いました。結局、ある小さなグループに私自身、だますようにしてもぐり込んで行ったんでございますが、その前に外国の身障者に、今度そちらに行くからあなたに会いたいと、日常生活を見せてくれという手紙を出しまして、返事をもらったりいたしました。出発までに私が自分で出した手紙が約百通をこえたと思います。このあとのこともあるので申し上げておきますが、私は銀行の外国部に二十年おりまして、外人相手に仕事をしておりましたので、外国語でもって外人とまあコミュニケーションをするといいますか、そういうことはたいへんなれておりまして、抵抗がなかったもんでございますから、そういうこともまあ思いついたといいますか、やってきたということになります。
それから訪問先国は、北欧のデンマークから入りまして、スウェーデン、フィンランドと、それからずうっと下りまして、オランダから、イギリス、フランス、ドイツと大体おきまりのコースでございますが、南下しまして、スイス、イタリアあたりから、ギリシアを通って戻ってまいりました。その各地で、私と同じような、実際は私よりも軽い人はおりませんでしたけれ
ども、私と同じような身体障害者の人の家庭なり、住んでいるところにもぐり込んで、場合によっては、その人の家に一晩も二晩も三晩もとめてもらいまして、
一緒にぞろぞろその人のあとをくっついて歩いて、トイレのしかたであるとか、顔の洗い方であるとか、着物の脱ぎ着であるとか、食事のしかたであるとか、そういったことを
一緒にさせてもらいながら、ながめさせてもらったわけでございます。
感想を先に申し上げますと、どういうわけでございましょうか、私
ども日本の身体障害者に関する限り、回りにあるべき
情報というものがまるでなかった。ということは、これまでの皆さんがお進めくださいました行政なり、そういう
対策なりというものの中に、そういう意味の国際感覚というものは全然なかったように見受けられる。私自身は、まるでわれわれ身体障害者には明治維新はなかったんではないかと、まるで鎖国のままの状態のまま置かれたんではないかということを、ヨーロッパのあるところでふと考えました。よくものの本には、日本の身体障害者は欧米に比べてその環境が百年おくれていると書いてございます。現にそういう職業に従事しておられる
専門家の方も、事もなげに百年とおっしゃいます。私は実際にそういう身体障害者の
人たちが日常使っている道具のようなものを見るだけでも、なるほどこれは五十年ではなくて百年であるということがよくわかりました。短い旅行でございましたけれ
ども、私はたいへん安楽に、たいへんエンジョイいたしまして、あっという間に済んでしまったんですが、ヨーロッパを立って日本に戻りますときに、もうこのままヨーロッパのどっかに住みたいと、日本へ帰りたくないという気がいたしました。まあそういうことを言うとしかられるかもわかりませんが、それが実際の感じでございます。こういったことは、まあこれは私の想像でございますが、いつかは外国からも事実として知られるんではないかと。私が行く先々で、彼らの実際の話を引き出すためにはまず私
どもの実情を話さねばなりません。まるで私は日本の悪口をまず触れて歩くようなかっこうになりましたけれ
ども、彼らはなかなかそれを理解してくれません。まさかそんなことがあるわけはないと、どうしても信じてくれませんでした。まあしまいには信じてもらいましたけれ
ども、日本が身体障害者についてこれほどひどい国であるということは、まだおそらく外国の人は知らないと思います。ですから、こういうことはいずれ知られてくると思います。そのときには、いろんな国際会議であるとか、そういう場面において話題に取り上げられるようになるだろうと思います。
それから、感想の各論に入りますが、一つ感じましたことは、日本と外国とは、少なくとも現在の外国は身体障害者というものに対する考え方がまるで違うということでございます。一つの例は、「身体障害者」ということばが外国には、ないと言ったほうが正確に近いと思います。あることばは何かと申しますと、「ハンディキャップト・パーソンズ」、「ザ・ハンディキャップド」、要するにからだの上でハンディキャップがある人という意味でございます。ところが、ハンディキャップがあるのはわれわれ身体障害者
——お医者さんが診断して位づけをしてくださる身体障害者だけではないわけでございます。たいへん失礼でございますが皆さんにハンディキャップがおありで私にハンディキャップのないものがございます。それはめがねでございます。私は目だけは人並み以上によくて、昔ライフル射撃の選手をしておりましたから、いまでも鉄砲を持たせて相対するならばどなたとでもおそれませんが、自分の撃ったライフルのたまが的のどこに当たったか見えます。でございますから、目が不自由になったらさぞ不便であろうと思いますが、皆さんはめがねというたいへんいい道具が安直に得られるおかげでもって、ちっとも不自由がっておられない。これは私から見れば非常にふしぎなことでございますが、私の乗っております車いすは皆さんのめがねと同じでございます。皆さんがめがねというものをいまの時点からお使いにならないで、私が車いすを使わないで生活すれば、お互いにその不自由はイコールでございます。
ちょっと脱線いたしましたが、そういうわけで、日本における身体障害者というものは
厚生省の統計によれば、詳しいことは存じませんが、百三十万とかなんとか書いてあるそうでございます。これは全く事実無根で、うそでございます。しかし、
厚生省の言ってることはうそじゃございません。よく読みますと、日本の身体障害者のうち、身体障害者
福祉法ですか、
福祉法の対象にしている者が百三十万人であると書いてございますね。たいへん正直で、正確でございます。これは人口の約一%に
当たります。ところが外国では、こういう印刷物を見ますと、どこの国でも人口の少なくとも一〇%以上、たぶん一五%以上は「からだにハンディキャップのある人」であるというとらえ方をいたします。これが行政でも民衆レベルでも常識でございます。そのからだの不自由な人、ハンディキャップのある人の中には、そうでございますね、われわれいわれるところのプロパーな身体障害者のほかに、老齢によってからだが不自由になられた恒久的身障者と、そういう方も含まれます。それから内科疾患による方も含まれます。それから、これはまたちょっと話が飛びますけれ
ども、行政レベルで、いわゆるサービスを提供する側からおっしゃいます場合は、これは向こうの公文書にそういうふうに書いてありますのですが、たとえば、旅行をする上でハンディキャップのある人はそのハンディキャップを消すように配慮しなければそういう
人たちは一人で安楽な旅行ができないから云々というような表現をいたします。そういうことになりますと、いまの一〇%、一五%という数字のほかにハンディキャップのある人がございます。
〔写真掲示〕
それは、ここにいまうば車の写真が出ておりますが、身体障害者の話をするのにうば車の話から始めるのはまことに妙な話でございますが、こういううば車を押しておるおかあさんは行動面においてハンディキャップがございますですね。ですから、こういう人が自由に一人で町の中を用足しができて歩き回れるようになっていなければその人はハンディキャップのある人であるわけでございます。
次に、外国と日本とかなり違うと思われますことは、日本では非常に例外的などうしようもない人であるから、しかし、哀れであるから、かわいそうだからせめて何とかしてやらねばいかぬではないかというようにお考えであるように私は感じます。しかし、外国では、何とかしてこの人を自立させることはできないか、自立ということは介助しなくて一人で行動をしたり生活したりすることでございますね、何とか自立させることはできないかというふうに考えます。自立した状態がインディペンデントでございます。人間は人間でなぜあるかと言いますと、それはインディペンデントであるから人間であるわけでございます。介助されている人間は外国人の最もきらうところのインディペンデントな人間ではないというふうに考えます。でございますから、その介助にかわる自立させる
方法といたしまして非常に道具というものが発達して普及しております。身障者の自立に必要な道具は何でもすべてやってよろしいと向こうの納税者は考えているようでございます。その一つが自動車でございます。ちょっと道具という話から自動車に飛ぶのは飛躍がございますが、歩く自由を失った身体障害者が再び歩いて走る道具が自動車でございます。ここにいま出ておりますのは、これはロンドンで見かけます
——たぶん皆さまもごらんになったことがあると思いますが、彼らはトライクと呼んでおります三輪車でございますが
——三輪自動車でございます。これは歩行障害者のために英国で特にわざわざ設計された特殊な自動車でございます。非常に古くからございますので見かけはたいへんクラシックでございますが、たいへん性能がよくて全然歩けない身体障害者がこれに乗りまして一人でもって自分の折りたたんだ車いすを出し入れして積みおろしして動き回ることができます。電気自動車とガソリン自動車と両方ございます。色はライトブルーに塗られておりましていろいろな特権が認められております。
これも道具でございますが、これはデンマークの私と同じような立場の御婦人が家庭で乗っておられるものでございます。ごらんのとおり、下にちょっと機械がついております。これは電動式の車いすと申します。この方はたいへん明るくて元気そうに見えますが赤ん坊のときから筋ジストロフィーの方でございまして手にも足にも全然力がございません。さっきのお話のように自分の力では車いすをこぐ力がないわけでございます。それで、この方はこういうふうに電動式の車いすを使いまして一この電動式と言いますのはここにあります小さなスイッチ、操縦かんでございますね、これを前に倒すなれば前に進みます、うしろに倒すなればうしろに進みます、左に倒せば左に向きますし、もう自由自在です、倒す角度によって早くなったりおそくなったりいたします。この人は一人で何の付き添いもなく自分の家に住んでおりまして、この方は未亡人だものですから一人で住んでおりますが、そうして一人で買いものをして掃除をして近所に出かけていく。たいへん明るく暮らしております。私
ども行きましたときに、たいへん手の込んだディナーをつくってごちそうしてくださいました。
それから、道具のほかに身障者を一人で自立させるのにもう一つの
方法がございます。それは社会のほうの受け入れでございます。言うならば、その一つは町づくりでございます。町が身体障害者でも一人で歩けるようにつくられてあるならば、その
人たちは介助を要せずに一人で動き回れる。町をそういうふうにつくろうではないか、これが彼らの考えでございます。その結果、まず公共建造物というものは重度の身体障害者が一人で自由に安楽に出入りできるように、その入った中でそのビルの中のファンクションを全部一人で動かせるようになっていなければならないという原則がございます。
これは昔々つくられました足の立たない人が車いすで自分の自動車の運転席まで参りまして、そしてあの見えておりますブランコのような、あれは自動車の中から取り出したクレーンでございますが、これで自分のからだをつり上げて、運転席に移してそして自分で運転していくと、他に介助する人は一人も要らないわけでございます。
これは言うまでもなくトイレでございますが、これが公園の公衆便所のトイレであると申し上げなければ、おそらく何かホテルかなんかのけっこうなトイレというふうにごらんになると思います。ごらんのとおり、トイレのボールが非常に高くて、車イスのシートに合わしてございます。車いすの乗り移りに楽でございますね。それから、手すりがございます。ただし手すりはごらんのとおり壁ぎわにございます。よく日本で身障者用のトイレをつくると、手すりを前のほうに持ってきます。そうすると、われわれ車いすの者はそこから先に近づけませんから使えないわけです。中には十分スペースがございまして、車いすで自分の好む方向からボールに密着することができます。
これはごらんのとおりバスですね、ミニバスバンでございます。このうしろにごらんのとおり簡便な電動式のエレベーターがついております。そして本人でもやれますが、ああいうふうに女の人一人でもって安全確実に乗せたりおろしたりすることができます。
これは地下鉄のエレベーターでございます。これはデンマークの郊外でございまして、ごらんのとおり日本と同じように地下でなくて高架になっている部分でございますが、私がいまエレベーターからプラットホームに出たところでございます。私が車いすに乗るようになりまして地下鉄というものをデンマークで初めて見ました。ごらんのとおり、向こうでは車いすの人が自由自在に一人で町を歩いて地下鉄の駅に入って、そして一人で地下鉄を使って通勤しているわけでございます。
次のは、これはオランダの市電でございますが、ちょっとわかりにくうございますが、入口のすぐそばの席に、これはほんとはまつ黄色で非常に目立つのですが、この席は身障者用の席であるということが書いてございます。ですから、普段身障者でない方はすわらずにあけておくわけでございます。こういうものがちゃんとある段階、日本のようにない段階、これ北欧に参りますと、こういうものは、ないことはありませんけれ
どもほとんど目につきません。昔は大きかったんだろうと思いますけれ
ども、いまはさがさないとないくらい。しかし、子供も知っておりましてその席にはすわりません。ですからこういうように、バスであるとか市電であるとか地下鉄であるとか、そういうものは全部入口のわきに身障者用の席というものがリザーブされております。
これはさっきの公共建造物が身障者に出入り可能だという話の一例でございますが、これは実はストックホルムの市役所の一部でございますが、私はアポイントメントでここへ行きましたら、階段があるじゃありませんか。これは話が違うと、ちょっとむくれかけたところですが、ごらんのとおり掲示がございます。これは身障者に対する掲示でございます。そのまん中にヒスと、こうスエーデン語で書いてございます。これはエレベーターのことです。下に矢じるしがございます。身障者の方はエレベーターがこの向こうにあるから矢じるしのほうに行きなさいというわけです。それで行きますと横の入口にちゃんと階段のない入口がございまして、その前にエレベーターが来ております。そういうふうに公共建造物、
——さっきの公園の公衆便所もそうでございますが、公共的なもの、公衆の使うものは一つ残らず車いすの身体障害者が一人で使えるようになっていなければならない、そうなっていないものは公共的なものでもないし、公衆のものでもないという常識がございます。そういう環境の中におきまして、外国の身障者はどうしているかといいますと、たとえば私のように、身体障害者になりますとリハビリテーションを終えまして、すぐ再教育を受けさせられます。すぐに再教育を提供する場が、日本でいいますと成人学校のようなものがございます。そうして、たとえば従来やっていた仕事が継続できなければ、現在のあなたの残存
能力からすればこういう仕事が選択可能であると、あなたはどれが向いているかというようなことで再教育を受けるわけでございます。そうしてそのコースを終えますと、ちゃんとりっぱな職業につくわけでございます。でございますから、職業は何らハンディキャップのない、落度のない、りっぱな職業を得られるわけです。たとえば私がスウェーデンで三日間泊めてもらいました身障者アパートの住人の例を申し上げますと、この人は電報局の配達夫をやっておりました。自転車に乗って電報配達。ところがポリオのために両足もだめになって両腕だめになりました。わずかに残ったものは、頭と左の手がちょっと動くだけでございますね。それでこの人は何をしたかといいますと、再教育を受けてコンピューターのプログラマーになりました。その結果おもしろいことが起こりました。この人は電報配達やっていたころは、平均的給料の月給約十万、向こうで十万でございますから、日本でいえば七、八万ですか、であったのですが、身障者になったばっかりに月給が倍増いたしまして、三十万近い給料を取るようになった。コンピューターというのは御存じない方もあろうと思いますが、その方がやっておられるように、鉛筆と紙があればできる仕事なんです。コンピューターというのはものすごい機械ですが、それを動かすのは一種の手紙でございます。その手紙は、普通の字で書いたのではコンピューターばかですから読めませんから、コンピューターの読めることばでさらさらと書くわけです。それをコンピューターに食べさせると、向こうが一生懸命仕事をするわけです。そのさらさらと書く手紙、一種の外国語と考えていただけばいいんですが、それがプログラムでございます。ですから頭と、その字を書く、鉛筆で字を書ける
能力と紙があればできるわけでございます。事実身体障害者にはコンピューターの仕事はできないかしらというふうに、だれもがまず考えます。一番向いているからです。アメリカなんぞでは大学とコンピューター
会社とがタイアップしましてそういう教育を施します。卒業と同時に、その学生はそのコンピューター
会社の
社員として、しかし自宅から一歩も出ずに、自宅で仕事をいたします。それによって本人はもちろん収入を得ますが、コンピューター
会社もたいへん利益を得ます。そういうふうに、私
どもと比べまして、彼らは個人的には最大限にしあわせであるというのがよくわかります。さきのめがねの話でございますが、めがねをかけているから一生ふしあわせだと思い続ける人もないでございましょう。車いすになったからといって毎日車いすをかこつ人もないわけでございます。実際に自分は人に負けない有能な仕事をして、それにふさわしいりっぱな給料を得て、社会から大事にされて、尊敬されて、友達からも敬愛される、そういうことになれば個人的には最大限にしあわせでございます。その結果、若い人でございますと何らからだにハンディキャップのないきれいなお嬢さんから熱をあげられまして、恋愛されて結婚しておるわけでございます。そのお嬢さんはよりによって身体障害者を自分のパートナーとして選ぶわけでございます。これが現在は普通の姿でございます。そういうわけで、社会人としては、動き回るにしても何をするにしても何もハンディがない、どこにでも自由に行ける、そういう保障はもうすでにできているわけです。ですから、外国人の私がぽんと行きましても、どこにでも行きたいところにすぐ行けるわけでございます。タクシーでもバスでも、何でもかんでも自由自在に一人で乗れるわけでございますね。タクシーやバスの運転手は、自分の仕事の一部であると心得て、すぐに飛びおりて私を乗せて、私の車いすを積み込む仕事をいたします。目的地に着いたらさっと飛びおりて、車いすをおろしてきてセットして私を乗せる、それが当然のサービスでございます。さっきの、うば車のことを申し上げましたが、うば車、ごらんになったとおり、非常に大きくてりっぱですね。あのうば車に赤ん坊を乗せたおかあさんが、市内のバスを使って動き回るということはちっともおかしくない、あたりまえでございます。そのように、身体障害者を自立させる手段として、最初に申し上げました道具、二番目に申し上げました社会的な受け入れ
——町づくりであるとか、建築であるとか。しかしそれで補えないものもございます。それは、それを補っているものは何かといいますと、あたたかい町の人の気持ちでございます。
私は、
専門家でございませんので、どこの国よりもどこの国がどうであったというようなことを言うことを非常にきらいますが、あえて申し上げれば、北欧のほうは、そういうものによる受け入れば非常に発達しておりますが、南欧のほうは、やや日本に近いといいますか、そういうことはあまりとんじゃくしなくて、ということは、あまり必要がなくて、町の人がそればそれは親切でございます。でございますから、道具が要らないとも言えるんですが、これはローマのそばにありますバチカンのサンピエトロという名所でございます。ものすごい何十段という階段がございます。ここに行きましたときも、これは私の、現地の友人でございますが、もうごらんのとおり、ぱっと回りの人がかけ寄ってきて、わっしょいわっしょいと持ち上げるわけです。もうホテルの前に戻ってきて、このホテル、階段がある、弱ったなあと思う間もなく、そこらにいる人が、しめたとは言いませんが、まるでそういうふうに感じられるように集まってきて手を出そうとします。もういち早く手を出すことがまるでプライドであるかのように手を出します。でございますから、物による受け入れ
体制のないところでも、身障者は何ら不自由なく、明るく、元気に動き回れるわけでございます。
まあ、あとで申し上げる機会があるかどうかわかりませんが、たとえば自動車のことを申し上げましたけれ
ども、日本で身障者一般が行政から露骨な差別を受けていると感じている典型的な例は、身障者の自動車運転からの締め出しでございます。私
どもは、幾ら何といっても普通の免許証はもらえません。どこかで、特殊な自動車で練習をして、警察の試験場で試験を受けると、そうすると三六〇CCであるというような、非常に限定された、特殊な免許をもらうわけでございます。でございますから、現在、免許人口二人に一人が免許証を持っておるといわれております今日、身障者で免許証を持っている人は、千人に一人でございます。
その点、たとえばスウェーデンなどでございますと、もちろん自動車はただでくれます。身障者の自立に必要なものは何でもくれるわけですから、自動車によって自立する人は、自動車をただでくれるわけでございます。それから感心しましたのは、日本のタクシーのカー無線みたいなラジオがついております。これは何するんだと聞きましたら、これは、ことづける用事が起こったときこれで電話をするんだというんです。それで、ちょっと用事ができたから何分おくれるということをすぐ言えるわけでございます。これは非常に私、うらやましいと思いましたのは、私
どもは、途中で故障しても、何かあっても車から出て公衆電話まで行くとか、公衆電話のボックスの中に入って電話をかけるということはできません。そういうことを考えると、もう車に乗って出ること自体が非常に不安でございます。そういう点で、たいへんうらやましいと思いました。この話をイタリアでいたしましたら笑われました。そんなものは要らないよと、とまったら手をあげて人に言えばいいんではないかと、とまればみんなわっとやってくるよと、そんなものは要らないと言われました。このどちらも日本にはございません。そういうふうな点、日本人はどういうわけでございますか、私
どもに対する非常に遠慮なさっている気持ちがあると思う。これはなぜであろうかと、私、考えましたけれ
ども、結局、欧米の人は、一般の教育が違います。日本の身体障害者は、たとえば子供の障害児でありますと、障害児であるということだけでもって普通の学校には、もちろん入れません。特殊学校、特殊学級、養護学校というようなところに向けられるわけでございます。そこがまた、非常に入れものが小さくて、ごく軽い扱いの簡単な、一部の人しか入れてくれないわけでございます。これは、欧米的な言い方を言いますと、昔の隔離教育でございます。こういうやり方は、実は欧米でも昔は、もちろんあったわけでございます。日本のこういう文明開化的なことはみんな欧米から来たわけでございますから、昔はあったわけでございます。しかし、あれは誤りであったと、昔のあのやり方は非常に安直な
方法であったけれ
ども、あれは欠陥が多くてまずかったということが強く反省されまして、いまではやっておりません。でございますから、日本で身体障害者と皆さんが想像なさる程度の方は、つまり寝たつきりでない人はみんな普通の学校に入れられます。学校は、もちろん、建築的にはそういう
人たちを受け入れられるようになっております。それから小学校や中学校の先生は、身体障害児の取り扱い方ということをちゃんと必須教育で受けておりますから、ちっとも驚きません。そうやって
一緒に遊び、
一緒に教育を受けるわけでございますから、お互いに十分理解し合っているわけでございますね。いずれ、社会に出たら
一緒に生活して、
一緒に働いて、
一緒に暮らすんだから、その理解と
協力は絶対に必要だと、身障者と身障でない人が理解し合う場所は学校よりもいいところがあるか、ない。だから、学校を別にすることはすべての差別の始まりであったというようなことがいわれまして、いまでは無差別教育と申しますね、インテグレーテッド教育、そういうことになっておりますので、日本のような隔離教育は行なわれません。職業面で、その後、差別や隔離をしないということは、すでに申し上げましたが、住居面でもたとえば身障者だけが生活するなどということは考えただけでもぞっとすると、そういうところを望む身障者は、身障者の側にも一人もいないということが明らかになりまして、普通のコミュニティーに
一緒に住んでもらいたい。それで、それが個人の住宅でございますと、便利なように車いすで何もかもできるように改造すると、そういう
方法はすでに示されております。そういう改造の費用は、全部、国と地方公共団体で負担いたしますから、本人は負担はございません。それから日本ではよく
福祉をやろうではないかというと、それでは予算を倍にしてコロニーをつくれ、コロニーをつくってくれということを事実、言う人があります。そういう収容
施設を一日も早くつくって、どうかうちの子供を家庭から引き取ってもらいたいということをおかあさんはよく涙ながらに申されます。しかし、欧米ではこれもやりません。そういう身障者だけ住む
施設などというものは、これはもうこの世の地獄であると、そういうものはつくらない。そして、できるだけ一般のコミュニティーの中で生活してもらうというふうに切りかえております。これが私の見ました限り、彼らの実際の姿でございます。
こういうことが行なわれますといいますのは、本日この会のように、やはりディシジョン・メーキングの立場にある
方々が、身障者のなまの声というものをお聞きになって、それを判断しておやりになった。そういう行政の姿勢があるからでございます。そして前にも申し上げましたように、向こうの身障者というものは、身障でない人以上に教育を受けさせられておりますし、非常に視野が広くて、よく勉強しておりますし、人格、識見どこから突いてもびくともしないりっぱな人でございますから、そういう人の提案というものは非常にりっぱなものでございまして、行政
当局もそれを非常に尊重しております。言うならば、そういう身障者
福祉行政の中心にあるわけでございます。これは私もかねがねそう思っておりますが、身障者のために何かしてくださろうなどとおっしゃる方が身障者の方を御存じないということは、たいへんこっけいなことでございます。日本には、自分は
福祉の
専門家であるとか、身障者を扱う職業の人であるとおっしゃる方がかなりにおられますが、そういう方ですら、残念ながら、あまりわれわれのことは御存じではありません。やっぱり身体障害者の問題は、身体障害者とともに生きている、それから一日も離れることのできない身体障害者をおいて、それにまさる
専門家というものは一人もあり得ないわけでございます。身体障害問題に関する限り、身体障害者は、どこの大学の教授にも、どこのリハビリテーションのベテランにも譲ることのない
専門家であると私も思いますし、欧米ではそういうふうに扱われております。日本のそういう身体障害者を扱う立場の方の無知なために、善意であるにしろ無知なために、非常にまずいことをたくさんやってくださっているというのが実情であると私は申し上げたいと思います。こういう旅行のことにつきましては、若干コマーシャルをさせていただきますと、非常に赤裸々に出発の日から帰国の日まで、毎日日記をつけまして、それをそのままに本にいたしました。来月NHKから単行本として出版されますので、もし御関心のおありの方は、それを読んでいただけば、もうちょっと資料的にわかっていただけると思います。
それからいままで申し上げたことの繰り返しにもなりますが、まとめる意味で、もう一回同じことを申し上げさせていただきますが、これは私個人といたしましての提案ととっていただいてもけっこうでございます。約十項目ございます。
その一番は、考え方と目標の転換ということでございます。身体障害者というカテゴリーによる考え方、扱い方というものをやめていただいて、からだにハンディキャップのある人というふうにお考えいただきたいと思います。
転換ということのもう一つの面を見ますと、従来のそういう
福祉対策というものが、職業を与えるというようなことで、まあ税金を使ってもいいというようなことがあります。これは非常に古いイギリスの救貧法的な思想だと思いますけれ
ども、そういう経済問題さえ解決すればいいんだという従来の日本人の考えが、今日どれだけ日本人というものを荒廃させているかということは、皆さんのほうがよく御存じであろうと思います。でございますから、そういう職業さえやれば、金さえやれば、経済面さえ支持してやればというようなお考えはやめていただきたいと私は思います。それにかわる、そういうリハビリテーションといいますか、身障
福祉の目標は、やはり人道的なものでなければならないと思います。別のことばで言えば、人権ということでございます。身障者も人間であると先ほでからほかの方がおっしゃっておられますが、身障者も精一ぱい生きる権利があるんだという人権というものをお考えいただきたいと思います。
それから二番目に、
方法といたしまして隔離教育というものは、一日も早く皆さんの御努力でおやめいただきたい、廃止していただきたいと思います。現在隔離教育を受けさせられておるような身体障害者の方は、一人残らず普通の学校に収容が可能であると思います。でございますから、そういう方は一人残らず普通の学校に無差別に受け入れて教育をしていただきたい、そうしてあいた入れものに、
ほんとうに例外的な寝たきりに近いような方を受け入れていただきたいと思います。
それから公共建造物の改造でございますが、この議会から何からしてそうでございますが、これは欧米的な常識からいいますと、まことにけしからぬことでございまして、およそ税金を使って建てる建物、建てた建物、あるいは税金を補助金にもらっているような団体などの建物、そういうものは、もう強制的に改造なさるべきでございます。
その
方法といたしまして四番目に、公共建築基準というものがなくちゃならぬと思います。さっきもちょっと申し上げましたけれ
ども、私
どもの回りにおられる
専門家というものは、実は御存じないことがたくさんございます。その一例は建築家でございます。そういう身障者が自分の家を改造したいとか、あるいは身障者の訴えによってある市長さんがもっともだと、じゃ市役所、図書館をそういうふうに改造してあげますと約束なさる、そうして、そういうことをりっぱな設計事務所や大工務店でオーダーなさる、
承知しましたとでき上がったものが、われわれには使えないものであるわけです。これはなぜかと申しますと、そうそうたる建築家や設計家は、そういう知識を全然お持ちでない。なぜかといいますと、大学の建築学科では、そういうことを教えないからでございます。十階建て、二十階建てのビルは建てられる方は一ぱいおりますが、身障者にぐあいのいい家を建てられる方は日本には一人もおりません。そうして、そういう建築基準というものを制定いたしまして、当面はガイドラインでもけっこうでございますが、それはやがてはやはり強制力を持つべきだと思います、欧米のように。どういう形の強制かといいますと、新築・改築のときに、そういう基準を満たしていなければ新築・改築を許可しないということでございます。ちょっと先日も読んだ雑誌にございますが、アメリカのミネソタ州などでは、二月建ちの個人住宅以外のあらゆる建造物は、車いすの身障者が一人で自由に出入りして云々というふうになっていなければ、新築・改築を許可にしないというふうになっております。その基準というものが、ここに私のほんの一部持ってまいりましたけれ
ども、これはアメリカのものでございます。これはカナダのものでございます。これがオーストラリアのものでございます。もうおよそちょっとした文明国ではみんなこれがございます。そうしてどういう表題かと申しますと、「ハンディキャップのある人が出入りできるような建物を設計するには」と、こういったものが条文でできておりますばかりでなくて、たとえば、スロープのつくり方はどう、車いすが通れる通路とはどう、車いすで利用できるトイレとは幅が何センチでどうなっていなければいかぬとか、ドアが外開きでなければならぬとか、そういうことが図をもって示されております。こういったものが日本にはございませんので、一日も早くこういうものをおつくりになって、そうして当面はガイドラインとしてでも、やがてはそういう強制力を持たせるべきであると思います。前に申し上げました税金でもってつくられた公共建造物は、即刻強制的に改造せらるべきだと思います。
そうして、身障者に出入りできるようになったものには、どういうことになるかと申しますと、こういうマークがございます。これはアクセスシンボルと申します。アクセスといいますのは、出入りできるということでございます。アクセスシンボル。これはたいへんけしからぬことでございますが、昔々国際会議で、日本の代表もちゃんと賛成だといって採択したものでございます。私が欧米から戻ってまいりますまで、日本にこういうものがございませんでした。私は
説明にたいへん困難を感じまして、一枚持っておりました現物を見本にしまして、百枚つくりまして、
全国にばらまきました。いまではこれに近いものが、ですからあちこちに見られるようになっております。身体障害者専用というような文字を使いません、専用というものはございませんから。ですから、この参議院の玄関にこれが張ってあれば、この建物は車いすで一人でだいじょうぶだという意味でございます。
それから次に六番目に、交通機関の
改善というものがございます。公共交通機関というのは、先ほど申し上げました公共と名がつくのであれば、やはり身障者が使えるようになっていなければ公共ではありません。
ちょっと変にお思いになる方があろうと思われますので申し上げますが、おまえはさっきから車いすの人のことばかり言っておるではないか。マークも車いす、これも車いす、全部車いす、おまえは車いすの人のことしか言わないのか、外国の車いすの話だけしているのであろうと仰せられるかもわかりませんが、そうじゃありません。身体障害者には松葉づえの人も、つえの人もあるいは、つえも何もつかないんだけれ
ども心臓病で階段が上がれないとかいろいろございます、からだの不自由な人には。しかし、車いすが通れるように道をあけておけば、それ以前の人は全部通れる。だから、その目標は車いすでございます。だから、その目標を達成したという意味で車いすがシンボル、これは車いすの人のためのマークではありません。オール身体障害者のためのものでございます。
交通機関も、そういうふうに身体障害者が安心して自由に利用できるようになっていなければならぬと思います。たとえば、アメリカのテキサス州などでは
法律がございまして、テキサス州内のいかなる交通機関といえ
ども、身体障害者の利用を事実において拒否した場合は、刑罰に処するということがございます。そういうふうに行なわれております。
それから時間の関係で先へはしょりますが、
福祉のビジョンというものを、ひとつ考える必要があるんじゃないか、
福祉であるとかリハビリテーションということは非常にわかりにくい、ある意味においては非常に都合のいいばく然としたことばでございます。みんな自分に都合のいいように解釈しております。でございますから、ひとつ
福祉のビジョンというものを明確にする必要があろうと思われます。
次に、八番目といたしまして、そういうことをそれではしかたがないからやろうかいなということになりましたら、どうか従来のようないわゆる一握りの学識経験者に御
相談になって
相談した
相談したとおっしゃらずに、実際の身体障害者を中心メンバーといたしまして、同じ高さのテーブルにつけて、そういう
人たちの意見をお聞きになりながら、あるいは反論されながらデザインを描いていかれるべきだと思います。身体障害者を中心メンバーとする総合研究チームの編成ということなくしては何もかも役に立たないものができるおそれがございます。それから、そういうものはたまたまはやってきたから、ここらで流行だからやろうかというような思いつきではなくて、やはり長期のシステムをつくってやるべきだと思います。経済の方面でございますと、私
どもお願いしませんのに所得倍増であるとか、まして軍事の何年計画とかどうとかこうとかといって先生方は戦っておられますが、そういう方面には五年も六年も先の計画がございますのに、身体障害者のことをおっしゃりながら長期計画がございません。やはり長期計画をまずつくって、それを一年一年消化していくというようなことでなければ事はでき上がらないと思います。
それから、最後になりますが、九番目に、身体障害者の人権の確認宣言ということはどうでございましょうか。身体障害者にも実は人権はあるんだということを皆さん一回でいいからおっしゃっていただきたいと思います。身体障害者の人権の確認の宣言、それから、それに伴うのでございますが、身体障害者を自立させる、その援助のためにばすべての公的なサービスを優先的に適用するということを一回おっしゃっていただいてはどうでございましょうか。いろんなその末端な行政面だとか、学校だとか、そういう面にいろんな実際の身障者とそれを受ける側とでトラブルがございます。それをさばく哲学として身障者の自立にプラスするのであれば、優先的にそれをやってやるという原則を一回宣言していただいてはどうでございましょうか。たいへんやっかいなたいへん勇気の要ることでございますが、
ほんとうにおやりになる気持ちがもしおありでしたら、うそでもいいから一回おっしゃっていただきたいと思います。
宣言のサンプルでございますが、さっきテキサス州のことをちょっと申し上げましたけれ
ども、テキサス州の民法にはこういうことが書いてございます。読み上げます。「盲人及びその他の身体にハンディキャップのある人が日常生活上及び社会生活上で人の介助にかわる最大限の個人的自立を可能とさせ、よい環境で雇用され、州内のすべての公的建造物を完全にエンジョイし利用できるようにすることで、ハンディキャップのある人を励ますことは、テキサス州の根本方針である。」と書いてございます。
最後に一言、ちょっと抽象的なことになりますが、アメリカのケネディがあるところで演説した一くだりを読み上げさせていただきます。「われわれが、」
——「われわれ」というのはアメリカの
政府でございます。「われわれが、心身にハンディキャップのある人に関心を寄せるのは、単なる政治の指標のためではないし、国家の利益や人的資源の保護のためでもない。それはアメリカの未来を拓く鍵だからである。」
——どうか皆さん、どこかで一回こういうことを大きい声でおっしゃっていただきたいと思います。
私のお話を終わります。(拍手)