○
参考人(
浜田稔君) 私に課せられました問題は、おもに
建物の倒壊とか火災とか関連した避難の問題であったかと思います。限られました時間に有効にと、まあ
自分なりに考えまして、お手元に要旨をお渡ししてあるかと思いますが、これらの問題のうち火災というのは、大震火災の
対策といたしまして、過去の事例から見ましても一番大事だというようにみんな受けとめまして、多くの大
地震対策のうちでは一番早くから着手したものでございます。だんだんに御説明申し上げます。なお、今日それが続行されておるわけでありますけれ
ども、さりとて今日もうだいじょうぶな
状態になっているというわけでは決してございません。
そこで、
お話ししたいと思いましたのは、関東
地震から私
どもはどういう示唆を受けたかということ、それから当時の東京と現在の東京とで一般にどういう点がどう違ってきたかというような
現状の分析と、それから、しからば今度くるであろう東京の
地震を中心にいたしまして
被害をどういうふうに見ておるかという、そういう
被害想定の問題と、それから、それらに対しまして、先ほど申しましたように、他の
対策よりはわりあいに早くから少なくとも着手だけはしたわけでございますね、そこで
現状の避難計画というのがどうなっているかということ、それから、それの問題点、次いでその
現状の避難計画というものが決して満足できるものでもありませんので、今後どういう方針で増強していったらいいのかということを申し上げて、火災避難の問題は一応終わりにしたいと思いますが、なお、その中に木造家屋の倒壊について出てまいりますけれ
ども、耐火
建物、このごろの高層ビルを含めまして、そういうものの倒壊及び火災につきまして最後にまとめて
お話し申し上げたいと、以上のようなことでございますが、
あとでまた、これかなり多岐にわたりますので、それぞれそう詳しくもいきますまいが、お聞きくださいますれば幸いでございます。
まず第一に、このプリントで順番に見ておいていただきたいと思いますが、一番は「大正十二年関東
地震からの
参考事項」というところでございます。これはいろんな教訓がたくさんにございますけれ
ども、特にそのうちから重要なものを抽出いたしまして、今後の
対策にこういう点は大事だというような点をそこに三つだけ書いてございますが、まあこのほかにたくさんこまかいディテールにわたりましてはございましょうが省略いたしまして、まず第一は焼死者というものは家屋の倒壊による圧死者に比べまして圧倒的に多いということ、これはもう言うまでもないので皆さん方とくと御存じのことと思いますが、数で見てみますと、旧東京市は圧死及び焼死を合わせて六万百人と記録されておりますが、そのうち圧死者だけの数というのは、これ的確にはなかなかわかりにくうございます。というのは、倒れた下敷きになって死んだのか続いて起こった火災によって焼け死んだのかという区分がはっきりしておりませんのでありますが、まあ当時いろんな
調査がございました。そのうちからわりあいに信頼の置けるようなものを見てみますと、倒壊家屋が二万三千百戸棟数で一万三千棟というような数字がありまして、これから類推してみます。
方法は過去の大
地震で、各地の
地震で家が何軒ぐらい倒れたら何人ぐらい圧死者が出るかというようなことがございます。そういう統計から類推しますと、東京市の場合には圧死者は約二千人ぐらいであったんではなかろうかと、これはまあ推定でございます。それに火災が上乗せされますというと六万百人にはね上がってしまいますので、何と申しましても、その横に棒が引いてありますように火災
対策というのは非常に重要だと、最も重要だというふうに認識しております。
それから焼死者、火災はつきものだと申しますけれ
ども、また、そのとおりでもありましょうけれ
ども、焼死者という、死ぬということになりますというと市街地の広さが非常に問題でございまして、火に追われて逃げる、比較的小さな中小都市におきましては、死者の数というのは勢い逃げられやすいものでございますから少ない。そこに居住しておる住民の数ももちろん少のうございますが、それらのことで少ない。ちょっと例を見ますと、これはまあ中都市の
地震の例でございますが、新宮のときには千三百六十二人の死者でありましたし、福井のときには三千七百六十九人というようなことでございまして、東京の六万百人というのはずば抜けて多うございます。これは大都市の宿命であったと思うんでございますが。
それから次は、火が出ますから、その火は何とか市民が各自の力で消してもらいたい、いわゆる初期消火でございまして、その
重要性につきましてはもう至るところでいわれており、国民もそういうふうに認識しておると思いますが、当時の東京市の出火数は百三十四ありまして、そのうち市火が
自分で消しましたのがありまして、消し終えないで延焼していった火災数が七十七、ですから百三十四から七十七を引きまして、
もとの百三十四で割りますと市民の消火率、市民がどれだけの率で消火したかという数になりますが、それが四二・五%ございます。そこで、あのどさくさに市民がとにかく四〇%あまり火を消したということは非常にまあえらかったと思うんでございますが、そういうことでございますので、横の線のように、初期の消火というものが
地震のときでも相当可能性があるということ、ただし、これに限界があるということも、こういういろんなことを計画する上にはよく心得ておかなければならないのではなかろうかと思います。なお現在では、大体これを六〇%は火を消してくれるものであろうと期待していろんな
対策が進められております。東京
地震のときが四二・五%、今度の
地震に対して六〇%といたしました理由は、平素の火災でもだんだんと初期消火の
重要性が国民に浸透いたしまして、過去からずっと毎年毎年上がっておりますので、そういうようなことを勘案いたしまして六〇%というふうな数を使っております。なお、関東
地震のときは消防隊が消した数というのは、最終的にこの火点の火災は消し終えたというのは不幸にしてゼロというふうになっております。当時は東京市に三十何台しかポンプがなかったんですね、いまは六百台ございますから、いまの
状態に引き直したことはまた
あとで述べさしていただきたいと思います。
それから三番は、当時避難計画というものは全然なかったんですね、市民の流動にまかせたというようなことでございまして、そこの避難計画がなかったということが大量の焼死の直接の原因であったというふうに考えます。それで計画的な避難というものが非常に重要であるというふうに思う次第でございます。それの説明は、まあ何と申しましても木造都市であるということが、この焼死の多かった根本の理由ではありますけれ
ども、直接的には、木造都市で燃えるならばせめて避難計画というものがあってほしかったと、避難計画がなかったからあんなことになったんだというふうに思うんですが、なお、その理由を見てみますと、いまの江東、墨田区のほうですね、当時の深川、本所区ですね、隅田川から。市と南葛飾郡の境、そこまで約二・五キロの距離でございます。でありますから、かりに隅田川ほとりの深川、本所区民が早くから東のほうへ向かって、つまり郡部のほうへ向かって逃げておったといたしますれば、これ約一時間の行程でございますので、ああいう大量の死者は起こらなかったのではなかろうかというふうに見られるのでございます。
それからまたその次の、
地震後火事がたくさん起こったと申しますけれ
ども、約二時間の間は点々とあちこちで出火があった。それが島状にそれぞれ燃えておりまして、その隣接する火災の間を十分に通過できたのですね、ということが、その燃え広がりの事後の
調査で何時間日にはどこまで燃えておったというようなマップがございますが、そういうものから十分に察知ができます。こういうようなことから、とにかく本所、深川両区の住民がもし適時に東へ向かって避難をしておれば焼死の大
部分は助かっていたと見るのでございますが、この事実が、私
どもこの避難
対策が重要だ、そしてそれをやらなくちゃいかぬと強く主張いたしましたのですが、それの一つの動機になっております。これを現在の東京に拡大しながらこう対応させまして、そして、さて今日の東京ではどうだというふうに考えなければならないのではないかと思いますが、だんだんと説明を
あとにまた申し上げます。
それから次は、大震火災の
対策という点から見ました現在の東京の区部の
状況をもう一ぺん振り返ってみようと思いますが、その第一は現在と関東
地震との対比でございます。現在の二十三区と旧市との比数——現在の二十三区の値を分子に置きまして、それから旧市の値を分母に置きまして、その比率でございますが、面積では七・一倍にも膨張している、人口でも三・五六倍というふうに膨張している。人口密度ということになりますと、つまり一平方キロに何人の人がいるかというような見方でいきますと、〇・五というふうに幸いにこれは減っております。それから木造の棟数で見ますと四・六三倍というふうにふえておりますけれ
ども、その棟数をまた面積で割った木造の密度というふうにこれを見ていきますと、〇・六五というふうにこれは減っております。これは現在の二十三区全域とそれから旧東京市の全域とを比較したものでありますけれ
ども、最もひどいと思われる江東
方面についてのみ比較してみますと一ここでは現在の江東区と旧深川区の比数を書いてみます。現在の江東区からは
埋め立て地の空地を除いてございます。面積で二・七八倍というふうに、二倍何がしというふうに膨張しておりますが、人口も一・七六倍とふえておりますが、人口密度はやはり〇・六三というふうに減っておりまして、木造の棟数は二・三一二倍、木造の密度は〇・八四倍、まあ減り方が少のうございますけれ
ども、とにかく密度は減っているというわけでございます。それでこういうふうに、とにかく密度なんかから見ると一応いいようでございますけれ
ども、何といっても面積と人口が巨大化しておる。これが当時に比べまして震災
対策を困難にしている根本的な一番大事な点である。つまり巨大都市の宿命でございましょうか、そういう巨大化ということが
対策の上に非常に大事なポイントになっておると思います。これは大きな目で見ればいろいろな事柄からもみないわれておりますように、やはり東京の地方分散というようなことが必要になってくるのであろうかと思いますが、ここらは皆さま方のほうがどちらかというと御
専門でございますから、その程度にいたします。
それから、二ページ目にまいりまして、それじゃ現在の東京では危険の
もとをなすものは何か、何といっても木造の
建物でございますので、木造家屋が年々どういうふうに増減しているかというおおよそのところをつかまえてみたいと思います。これは東京の例をとりましたけれ
ども、各都市とも大体似たような傾向を示しております。これは二十三区につきまして、
昭和四十五年を
もとにして、
昭和四十五年当時から十年後を推算した結果でございますが、都心にある、千代田、中央、港なんという区が減少——これはパーセンテージですね。副都心の新宿とか渋谷とかというところ
もとにかく減っていくでしょう。それから中間の文京、品川、目黒、豊島なんというところもそうです。それから下町は危険危険と申しますけれ
ども、やはり年々木造の数は減っていっております。それから周辺でも、大田区、板橋区は減っておるように算定されてまいりますけれ
ども、これは九七%とか九四%というふうに、まあ大きな目で見れば
現状とそう変わらぬという
状況でありましょうか。それに対しまして今後とも増加を続ける、
木造の
建物がふえていくという区が周辺にずっとございまして、世田谷、中野、杉並、北、練馬、足立、葛飾、江戸川、これはいずれも周辺の区でございますね——まあ中野は周辺とは申せぬかもしれませんが。大体こういうところはみな一〇〇%を上回っておりますから、まだ危険を蓄積していっている区であるというふうに見られます。総合いたしまして東京都全体では一〇八%だが、区部だけでいうと九九%、つまり当分横ばいだというようなふうに見られるのでございます。でございますので、
あとで
対策として出てまいりますけれ
ども、周辺区に対する危険増の回避ということですね、その行政措置が非常に重要であり必要であろうかと思うのでございます。
それからその次、二行飛ばしまして、「なお」というところですね。関東
地震のときには、木造は純木造と呼んでおりますが、これは昔の壁、外壁を木の下見板なんかで張りましたほんとうに延焼の早い木造でございますが、今日ではこれに対しまして大体モルタル塗りにした、いわゆる防火木造をかなり定着させることができまして、あれは木造でございますから、しょせん焼えるといたしましても、延焼の速度なんかでいうと約七割ぐらいに——純木造の市街地に対しまして、防火木造の現在の市街地では約七割ぐらいに減ってくるんでありますが、さらに木造から耐火造へというふうに質的な向上ございます。日本の耐火造は
昭和二十五年ぐらいまでは、もう私
どもの先輩の時代からいろんな施策がありましたけれ
ども、ちっともふえていかなかったと言ってもいいぐらいであったんですが、
昭和二十五年から幸いにどんどんどんどんふえていったんですが、今日その過程にあるわけでございますが、大体その次にありますように、関東
地震のときに比べまして東京の市街地は、全体としては延焼速度は約七四%と見ております。見ておりますというのは、これは
昭和五十五年になったらこうなるということですね。七四%というふうに減るには減りますけれ
ども、これではやはりいろんなことを検討してまいりますと不十分でございます。というようなことを考えると、耐火造はどんどんふえてまいりますけれ
ども、なお市街地一般につきましての不燃化の促進というようなことは必要であるということは言うまでもないかと思います。
それで、次は、現在と関東
地震時との火災及び避難に
関係する要因を比較したものでございます。いろんな要因がございます。いずれもできれば定量的に比較していって、そして初めて
被害の想定でありますとか、それから
対策の的確性を求めることができるんでありましょうけれ
ども、大体いろんな
研究が昨今この
方面でもかなり急速に進歩してまいりまして、だんだんとみんなこれ定量的になっていきつつありますけれ
ども、非常に繁雑でございますので、いまはここにはただ定性的に書いたものでありますが、このバッ点のついているのは現在のほうが悪いのです。マルのついているのは現在のほうがいいのです。広さは広くなったからバッ点だと、人口も非常にふえたからこれもバッ点であります。
構造物の質といたしましては、
建物は以前から比べるとこれは全体としてマルだと、土木施設もこれは以前と比べたら全体として大づかみに言うならばマルだと。それから消防力は、これは人口千人当たりの消防力でございますが、ポンプの数は格段とふえましたからマルだと、水利もマルだと。避難は、計画があるということで大きくマルでありますが、歩行の負担、避難者が歩いていかなきゃならない、その歩行の負担ということになりますと、市街地が広くなっただけにこれはバッ点だと。誘導の
方法は、携帯ラジオとか、場合によりますとヘリコプターなんかによる誘導もできましょうから、これはマルだと。それから歩いていくんですから経路があるわけですが、その経路の安全性ということになりますと、これはまあ第一遠いもんですから、いろんな燃え込みとか、経路に危険物があるとかいうようなことでバッ点と。それからなおその次に、危険物というのに着目いたしますと、これは確かに以前よりはふえておりますのでバッ点だと。ガス、水道、電気につきましては、これはまあ大体同じ程度と。その他、
道路は十分に広くなりふえもいたしましたが、車がそれに増してふえましたから、交通事情はバッ点だと。情報伝達はマルだとか、浸水の危険はバッ点だとかいうようなことでありまして、要するに、これを書きました趣旨は、よくなっていること、悪くなっていることが非常に錯綜しております。で、大事なことは、
地震のことはみな身近な問題といたしまして各自みんないろんな
意見を申されるのでありますが、計画の任に当たりましては要因別に適正な判断が必要である、大事なことに重点を置いて、そしてやっていくというような姿勢が必要であると思います。
また一方、単に危機感をあおる、あるいは危機感にかられっぱなしというようなことはおろかなことであろうかと思います。ことし震災から五十周年ということで、この九月一日の前後に報道陣が非常にいろんな点から報道してくれました。あれを見ておりますと、大体危機感をあおるということに重点があるんですね。私は何人かの記者に雑談でいろいろ話しましたけれ
ども、なぜあなたたちは危機感ばかりあおるんだと、いまはもうそういう危機感よりは
対策をどうするかということの時代なんだと、それで現在進行中の
対策に対する批判であるとか、あるいは提言であるとか、そういうような報道はどうなんですかと言うて聞くと、いや、いまは危機感さえあおっていればそれでいいんだと、日本という国は案外ポテンシャルがあって、危機感さえあおっておれは何とかそのうちなるんだと、報道の使命は第一に危機感だというようなことですね。ほとんどの人が異口同音にそういうことを言われましたので、まあそれなりに効果があったと思いますが、かなりの人が、いままで無関心であった人が
地震にはどうだというようなことを考えてくれておるようでありますので、まあ効果はもちろんあったんでありましょうが、しかし、こういうことを計画し、指導する
立場から見ますならば、今後はもう
対策の時代だというふうに強く感じるのでございます。
それから、その次には、いま申しましたような多数の多様な要因を総合いたしまして
被害想定というのは今度の
地震にはどういうふうになっているかと申しますと、大体この大震火災の
被害想定というのが東京でできましたのは、東京消防庁に火災予防
対策委員会——これ、いまは審議会に格上げされて、拡大改組されましたが——がありまして、外部の
地震や火災の
専門家を相当入れまして、
委員会で
研究し、で、この
被害想定が三十六年に初めてできました。これ、いまから十二年前になりますですね。そして四十二年に市街地の
状況がだいぶん変わったからというのでこれを改訂し、現在また、これはまあ六年もうすでに今日たちますから、目下また見直し中ではありますが、大体こういうものが
もとにありまして、それで東京都の防災会議もこれを踏襲いたしましたし、それからさらに自治省の消防庁は、これを南関東全域に拡大いたしまして、大体の考え方は同じようなことでございましたが、現在では東京都のほかに神奈川県においても相当活用されておりまして、
対策へこれが漸次移行しておるという過程にございます。なお、関西
方面におきましてもこういうのを非常に
参考にされまして、また向こうにも
専門家がおりますから、そういう方の
意見なんかも加わって進行しておるように見受けております。
それから、じゃそういった
被害想定によりますというと、東京の区部については関東
地震と比べてどんなことになるかという比較をしてみますと、想定しました
地震の強さは関東
地震の強さとかりに同じといたしまして、これ以外にちょっと仮定のしようもございませんので、そこは同じといたしまして、木造家屋の倒壊数を比較し、かつ季節、時刻、風速などをかりに関東
地震と同じ、つまり夏の正午、風は十二メートルパーセックぐらい吹いておりました、そういう条件を同じとして、今度は火災も比較してみます。そういたしますと、倒壊のほうでいいますと、まず棟数は現在の二十三区で想定
地震で一万九千八百六十六、これは一定の方式で計算しておりますために、こんな一位まで出ておりますが、大体二万棟というふうに読んだらいいのではないかと思いますが、倒れる。旧東京市では、これは関東
地震のときですが、一万三千ぐらいの家が倒れた、これは実績でございますね。それからこれは全域でございますが、ひどいといわれる下町の代表として現在の江東区と当時の深川区とを比較いたしますと、今度は三千八百五十七倒れるのに以前は二千六十四でございました。倒壊の棟数率、つまり全体の木造の棟数に対していま述べました倒壊の棟数の比率ですね、倒壊棟数率というものを勘定しますと、今度の全域では一・二%、関東
地震では三・六%、これは何といっても下町が多うございましたが、いまは山手を含んでおります。それから、木造といえ
ども耐震的な手法がかなり定着いたしておりますので、そういうものを評価してこういうふうに倒壊率としては減ってきております。江東区はさすがに想定
地震でも、今度でも六%、関東
地震のときが七・五%というような高率の倒壊率を示しております。それから火災が、出火数は大体全域では三百四に対して関東
地震のときには百三十四。市民が消して残りの延焼火災数というのが百二十八と七十七。それを密度に直すと、つまり一平方キロに対してみますというと、想定
地震では〇・二三、関東
地震でも〇・九七でございます。一番ひどいという江東区——深川区では、五十一出火がある、以前は十一であった。延焼火災数は今度は二十一ぐらいであろう、以前は八であった。それを密度でいうと〇・九八、関東
地震のときには一・〇四。この延焼火災を東京消防庁の消防ポンプで消すわけです。で、図上の作戦検討をいたしまして、消し終えるものがどれだけあるかというようなことをして引き算し、いよいよ野放しでお手あげな拡大火災数というのが、想定
地震で五十七、関東
地震で七十七。関東
地震の延焼火災数七十七、拡大火災数七十七でございますから、消したのが一つもなかったわけでございますね。
部分的に延焼を阻止したという記録はたくさんございます。江東区——深川区ではそれぞれ十七、八というようなことになってまいりますですね。そこで、この数字の中の延焼火災数の密度というのがいろんな
対策にかなり
関係してまいります。これ夏の正午のことでありますけれ
ども、一平方キロに対して一つぐらいであるということですね。案外火災密度というものが少なかった、今度も少ないであろうと、案外少ないということですね。この
対策よろしきを得れば今度の
地震にも対応されていくんではないかというふうに、ちょっとばくとそんな感じも持たせる数字でございます。
ところで、これは実は出火数ということになりますと、いろんな攪乱要因がございます。まず第一に、冬の夕食時でありますというと二倍以上に出火率がはね上がるんですね、そこにちょっと書いておきましたが。それから個々の出火源について石油ストーブというのが非常に問題でございまして、これは非常に火の
もとといたしまして、冬は非常に普及している、多くの家でこれを持っている、しかも出火危険が大きいというような意味で、これ問題が大きいんですね。それで十勝沖の
地震のときに、これをかなり詳しく調べられまして、そのときこれだけストーブを使っていた、それから火の出たのはこれだけだと、ついては出火のパーセンテージはこれだけだというような勘定をまずして、それを東京の現在の冬の石油ストーブの数にかけたりして、東京ならどれだけになるかというような、そういう推定をやってみますというと、実にこれが三万件というような答えが出てまいります。三万件なんということになりますと、どんな
対策やってもちょっとやそっとじゃこれはできないと、これは別途、三万件はゼロにする、そういう抱負で別の
対策を立てなければならないということにみなの
意見が一致しまして、ついては、
地震がきたら
自分で火が消える自動消火式の石油ストーブを開発しようということになりまして、このことは消防
関係者のほうで非常によく
研究してくれました。で、
研究というのがなかなか実際に反映するまでに時間がかかるんでありますけれ
ども、この石油ストーブの
研究は非常に早かった。それで、そういう点では非常に実も伴ってできましたが、非常に高く評価していいんではないかというふうに思っておるんでございますが、ところで、それが行政的にはどういうふうになっているかと申しますと、火災予防条例によりまして、ことしの七月から、移動式の石油ストーブは
地震動によって作動する安全消火装置をつけなければ使ってはいかぬというようなふうに規定されております。それが石油ストーブのメーカーにもかなり浸透しまして、いまではほとんどこういうもの以外はつくっておらない実情にあると聞いております。したがって、売っておるものもみんなこういうものになっておると。ところが、いま現在持っているものがあるわけですね。石油ストーブの寿命というのが、耐用年数が五、六年のものであると聞いておりまするので、五十二年の六月まで、現在持っているものだけはしかたがないというので猶予期間がありますが、たまたまこの
地震の六十九年の周期説によりますと五十四年というのが危険の入り口になりますので、五十二年の六月ごろまでにこれが全部買いかえられて、そのころになったら全部こういうことになるのであるならば、一応いまではいいんではないかというようなことになっておるのでございますが、そこらはどんなものでございましょうか。
それから都市ガス——御家庭で使っているガスをはじめ都市ガスですね、これも各家庭に浸透しておりまして、火
もととしては非常に多い。冬の出火に対しては非常に心配だ。それで、このガスの問題点は、ロサンゼルスの
地震のときなんかにもそうでありましたが、
道路の下に埋設してある地下埋設管ですね、あれが
破壊して爆発するという、そういう可能性があるということが一つ、それから末端の使用中のガスコンロからの火災と、こう二つあるわけですね。それで、これの
対策はちょっとおくれております。いまはどういう段階かと申しますと、地下埋設管が網の目のようになっておりますが、それの要所要所に自動閉止弁をつけるということにして、その弁はどういうものだなんというようなところは大体煮詰まってきておりますが、どことどこにそれじゃそういうものをつけるかというような詰めがちょっとおくれております。が、これは一年あるいは二年もかかれば——少なくとも方針だけは一年以内に立てたいと思っておりますが、そんなことで東京ガスの会社におきましても大体の方針は合意になっておる事項でございます。だから、この都市ガスなんかもこういうことは皆無にしなければいけないんですね。「その他、危険物」と書きましたのも、こういうものの出火は、これからの出火は、とにかく現在の
対策の基本の姿勢としてはこういうものはゼロにするということで、それで一番初めに申し上げました予想
地震における出火数これこれというのがありましたですね、あれの数にようやくなって、あれに対しては以下述べますように何とかなっていくというようなことでございます。なお、ガソリンスタンドは地下の貯油式でありますので、一般にいわれているように危険なものではないと思います。
これが
被害想定なんですが、その次に四番、
現状の避難計画はどうなっているかと。で、これは地上の物件の焼失はやむないといたしましても、人だけは死なせたくないというような、そういう方針で避難計画というものを立てたわけでございまして、その
現状の避難計画というのは、東京区内に避難場所が百二十一ございます。これは二十三区を百六十七の
地区に分けまして避難場所へ割り当ててあるわけでございます。それで定員というのは、避難場所が
現状の避難場所でございますから、現在ある空地その他を利用しての話なので、おのずから安全だということをたてまえにすれば定員があるわけでございます。それで一人一平米というんで、これが最低というようなことを原則としながらやっております。一人一平米というのはいかにも過密でございますけれ
ども、ここに避難してほんとに苦しいのは——まあほんとに苦しいとなったら一時間とか、それに次ぐ相当苦しいなんていうのまで入れてもまあ二時間というような程度であろうかと思いますので、それを過ぎればずっと楽になりますので、まあ一人一平米ということでやっておるんでございますが、横浜、逗子、小田原、府中、立川、武蔵野というようなところで
方法だけこれに右へならえしまして、そしてずっとやっておりますが、ここらはやっぱり相当広いところがたくさんありますので、一人二平米で計画ができております。ただ、これ原則なんで、これを割り込んでいるようなところも
あとに出ております。それからもう一つは避難発令を、発信を原則として一時間以内にやってもらいたいと。で、大体みんなこういうことでいま現在やっておりますが、これも一時間、何しろ震災
対策本部ができて、それから避難発令というようなことになりますので、まあこのくらいの時間がかかろうかというんでありますけれ
ども、これは役所側でできるだけ短縮させるべきなんですね。それで
地区によりましては、これを、一時間をもっと早期にしなきゃならぬようなところもありますし、いろんなところがございますが、
あとに若干述べます。要するに、この計画は
現状として最善と考えておりますけれ
ども、何ぶんにも
現状を基盤としておりますので、かなり窮屈なんですね、いろんな点で。
そこで、その次の問題としてどんな点が問題があるのかと申しますと、一つは、歩行距離が遠いところがあると。これ東京区部の場合でありますけれ
ども、上に歩行距離〇——これキロです。四、六、八とあって、一番遠いところは八・九七キロ、約九キロ歩かなければそこへ到達しないというようなことになっている。これは豊島区の一部なんですが、そんなふうになっていて、それぞれの区分に相当する避難人口がそこに何万人という単位で書いてございますが、そうすると東京は広いですからあんまり欲ばったってしようがないから、しかしせめて四キロ歩いたらそこへ到達するようにしてやりたいと思っておりますが、四キロこえる人口が、四キロから六キロを歩かなくちゃならないのが百十三万人もおるでしょう。六キロから八キロ歩くのが三十八万とか、八キロ以上はさすがに少なくて三・三万人ですが、だんだんとこういうことは市民みんな関心を持ってまいりましたので、遠いところの人はほとんどこれを、そんな八キロも九キロも歩けぬじゃないかと、こういうふうに言っているのも、これもっともだと思いますが、全体の数から見ますと、わりあい少ないようでありますけれ
ども、とにかく四キロ以上ということになると相当に多いですね。それの一番ひどいところの例をちょっと、どこらがそうなっているのかというのを書いてございますが、おもなところは、墨田、江東の一部、それから案外山手
方面にもありまして、品川、目黒、大田の区境のところ、それから練馬、板橋、中野、豊島各区のうちグランドハイツに割り当ててある
地区、そういうところがある。これは歩くのもたいへんだし、遠いと延焼の危険で途中を通過しにくいというようなことも起こり得ますので、これは何とか詰めなきゃならぬということでございます。それから定員が、さっき一人一平米と申しましたが、それを超過しているところが二十九ございます。最も密なのは上野公園でありまして、これが一人当たり〇・八三平米ぐらいにしか当たっておりません。これは台東区の人が上野公園に期待度が非常に強いんですね、だから、こちらのほうがいいですよと言っても聞かないんですね。死んでもいいから上野公園を割当てておいてくれというようなことから、それで上野公園が過密になっておるんでございますが、こういうところを何とか解消しなくちゃいけない。それから一つの避難地の周辺は原則として木造でございます。で、それが燃えましても内部はだいじょうぶのように一応算定してすべてこのシステムはできておりますけれ
ども、何といってもあんまりひどいところだけは何とかしてやりたいというようなこと、それが十六ほどございます。避難地の数で。これは総数百二十一のうちですね。それから同時にぱっと避難発令いたしますと、
道路で渋滞する、入り口で渋滞するというのがそれぞれ三十一カ所とか、二十とかございます。これはやりようによっては、先ほどの避難発令を早期に発令するとか、あるいは一つの避難地に入ってくる、割り当ててある
地区の発令を時差発令するというようなことで対処できるのでございまして、渋滞するからすぐに
道路を広げろというような、非常にむずかしい施策に出なくてもできるように思いますんで、まあま
あと思っておりますんですが。それから、その下の避難地の面積維持、これは非常に大事でございまして、市街地化が急速に進行中の避難場所が二十四もございます。で、これは
対策がおくれますというと、みんなだんだんにだめになっていくんですね。その下のは、内部に木造が点在する避難地というのが五十九ありますが、これもまあまあなんですが、そんなところですね。
そこで、そんなような問題点がありますので、それの増強に対して、一応御考慮願いたいと思うような事項を六ページにまとめて書いておきましたが、中小都市では一般に大震火災に対して避難計画さえあれば、初めにも申しましたようなわけで、焼死者というのはそう出ませんから、避難計画さえあれば
現状でも一応対応できるかと思われるんですが、東京区部のように巨大化してまいりますと、
現状避難計画は強力な増強が必要であろうかと思われます。そこで増強の方針なんですが、東京というところは、江戸開幕以来約四百年弱、防災上の有効な施策がないままに、近年の経済の高度成長によりまして急膨張したわけですね。この東京をつかまえてすぐに来たるべき大
地震に対処させようといたしましても、これきわめて難事業でありましょう。すなわち、火災
対策にいたしましても、
現状の避難計画にいたしましても、増強すべき問題点はきわめて多様であります。しかも、このタイムリミットがあるということ、一応五十四年と見ておるのでございますが、何とかここまでにしてあげたいということでございます。そこで、現下の
対策としては真に必要な
対策を厳選して、このタイムリミット以内に一応実現させるということが肝要であろうかと思います。
そこで、国の段階でこれこれの事項だけはぜひ何とかしてもらいたいというような問題、つまり、先ほどから申しておりますように、ほかの何か対案があって、それで対応できそうなものは本日はみんな抜いてございますが、以下の述べておることだけはどうも根本的なことで、なかなかむずかしいと思うようなことばかりでございます。まず第一は、避難場所を新設するということ。これは歩行距離が遠い
地区ですね、他の施策では
方法がない、とにかくそれだけ歩かなければならぬ話でございますから、もっと手短なところに避難場所をつくってもらいたい。これに該当するところが、先ほど申しました江東六拠点のほかに山手、それから城南
地区にもあるわけでございます。そうたくさんはありませんけれ
ども、何しろこれ非常に難事業でございます。それから避難場所周辺の防火強化、これも先ほど申しましたようなことなんでございますが、この防火強化というのは具体的にはどういうことかというと、建築基準法の準防火地域を全区内に直ちにかぶせてもらう、この準防火地域といった指定が、私
どもから見たら非常に誤った親心のような気がいたしますが、指定がおくれておりまして、やや空地の多いところはもう準防でなくてもよろしいなんていうような施策がここずっと続いてきたんですね。それのしわ寄せが今日出ておりまして、今後もまたその危険が続行すると思いますので、準防火地域の全区内の適用とか、先ほど申しました
災害防止帯の早期指定とか、それから避難場所内の木造の禁止、撤去あるいは耐火建築への改築とかいう、こういうことがほしいんですね。
そこで、この一番と二番を円滑にやるためには、どうしても防災上の特別立法が必要なんではないだろうかと思うんでございます。これは大
地震で、かつ大都市を対象とすることにいたしまして、その一行あけてある下のところ、「一般に、」というところ、その考え方は、一般に不燃化というこの施策は、公的な資金で個人の財産をふやすという点でずっと——
道路は公共投資であるけれ
ども、
建物はそうではないというようなことでずっときているんですけれ
ども、ここで申しております避難場所の新設とか避難場所周辺の防火強化というようなことになりますと、これはまさに公共的な色彩が非常に濃厚だと思うんですね。でございますので、過去にも耐火建築の助成というふうな問題は何度かありましたけれ
ども、過去の事例にとらわれずに、補助率はもっと高くほしいし、現在の居住者の有利な再入居条件等を踏まえまして、かつ、これを一定期間内に、どうしてもおれは立ちのくのはいやだというような人も、何とかこれに同調してくれぬと困りますので、そういう意味では、防災上の特別立法がほしいというふうに要望いたします次第なんでございます。それから四番目の「避難空地の将来への維持」というようなことも、これは周辺区や
埋め立て地内にある
現状の避難場所は、いまかなり広いところ、広過ぎるようなところもございますので、必要な面積に縮小してもよろしいからこれを確実に維持してもらいたい、内部の私有地を公有化していくとか、木造を禁止するとかの行政措置が必要なんでございますが、この必要性は、東京の場合には四十二年に初めてこういう答申をしたんですが、そのときにもこういうことが書き上げてあったんですけれ
ども、それ以降一向に進まないんですね。どんどんどんどんその避難地がだめになっていくので、何とかしなければ、これ、そのうち、江東区はよくなったけれ
ども周辺のところは非常に悪くなったなんというようなことがもう目に見えておるんですね。これにも特別立法なんということがやはり必要なんではなかろうかと思うんでございます。それから五番目は「主要河川敷の避難場所への利用」、これは国有の
敷地がたくさんございますから、それを避難場所にひとつ同調してもらいたいというような、そういうこと。
それから「自動車
対策」、これは、自動車は非常時の交通障害と、それ自身の出火が心配になるわけでございますね。で、交通障害につきましては、交差点の信号が消えますから、いたずらに走り回るという、そういう危険は、これは考えられないんですね。どこかでだんごになってふん詰まりになっておりますから。少なくとも、この交差点のだんごになった車は、これを排除しなければ消防自動車も通れぬし避難民も通れぬということですね。これを排除するためには、警察官と消防官だけでは人数が足りませんから、各
地区の住民を防災用に組織化いたしまして、そしてその
人たちの協力でこれを整理する。幸いに避難発令まで発震後これすぐだんごになるわけですね、それで避難発令までの時間がございますから、その時間を利用いたしまして、そういう排除をするように提案したいのでございます。それから路上の自動車の火災につきましては、発震と同時に車から出火するという可能性は、これはかなり少ないと実は考えております。何か猛烈な衝突で起こるという場合ももちろんありましょうけれ
ども、衝突したからすぐに全部が出火するわけでもありませんから、数としてはわりあい少ないと考えております。それから地域火災になってきた場合に、路上にとまっている車は当然燃えるでしょう。しかし、その時点では避難者が通過し終わっているように、この避難計画がいろいろできておりますので、一応は一般に考えるほど、こういう点については実は心配しておらないのでございます。しかし、この問題につきましては、なお細部にいろんな問題がありまして、なお
研究が続行しておりまして、ここ一年ぐらいいたしますと、それらがなおはっきりしてくるだろうと思います。
それから最後に、以上で火災と避難とのことを終わりにいたしまして、今度は見方を変えて、耐火
建物の倒壊及び火災について申し上げます。倒壊ですね。耐火
建物、これは高層
建物も含めまして、どういう
被害を受けるか。まず内装、外装、それから諸設備の損傷というのは、これは相当ひどいと覚悟しなければならないと思います。こういうものを一々、たとえば窓ガラスが割れないように、あるいはタイル張りのタイルが落ちないようにというようなことを昨今若干考えた設計もありますけれ
ども、大
部分のものはそうなっておりませんので、これは相当にひどい。しかし、構造体——と申しますのは柱、はりなんかでございますが、そういうものが壊滅してしまうというような根本的な被壊というのは原則としてはないと考えております。しかし、例外がある。その例外——例外と言っていいのかどうか、とにかくこれだけ耐火造の
建物がたくさんあるんでございますから、中にはやられるやつも相当にあると思うんでございます。土木構築物についても他の
参考人からあるいはお聞きになったかどうかは存じませんが、やっぱり似たような問題があるんですね。で、
建物につきましては、
新潟の
地震、十勝沖の
地震の例に見るように、現在の技術水準——まあこれはそれぞれの当時の技術水準ではのほうが正確でしょうね——では不測の原因、そこまで考えが及んでおらなかったという、そういうために起こる問題があります。さっきのあの、
クイックサンドにより
新潟地震のとき
建物が傾いたり沈んだりずいぶんしたんですね、そういう問題です。それからもう一つは、棟数が非常にふえたために、
建物のうちには、大小、設計上あるいは施工上不備なものがやっぱりあると考えるのが、少なくとも自然なんですね。そういうばらつきによってやられる。それから建設年次の古いものは、経年の老朽化と、現行の規定よりは低水準な技術で建っておる
建物——古いほどそういうことになっておりますので、これらをひっくるめて、構造的に相当な
被害を受けるものがやっぱり、比較的少数でありましょうけれ
ども、あり得るということに考えております。これはたとえば建築
専門の者は、こういう耐火造の安全性というものについては大体かばいたてするような
立場にあるわけですね。でございますから、以前は、いや耐火造の
建物はだいじょうぶですよって、まあ一言で言えばそういう言い方をしておりましたけれ
ども、このごろだんだんと、こういう細部にわたって、いろんな
委員会で、こういうのはどうだ、ああいうのはどんだなんてやっていっておりますと、そこらはちょっと怪しいなというようなことから、それでサンプリング
調査をこの三年ぐらい前からやっております。これはサンプリング
調査ですからそう数はありませんけれ
ども、その中で、やはりいまここへ書きましたような原因によるものが、非常に大きな
被害を受けるものがあり得るというような答えが出てまいりました。
それから今度は、その耐火造
建物の火災でございますが、ビル火災というものは惨事を起こしやすいということは、近年のいろんなたくさんの事例がございますから、すでに皆さま方もう非常にお気づきのことだと思います。詳しくは省略してまいりました。で、ああいうふうにビルが燃えるということは、震災のときに火が入ったらやっぱり同じようなことが起こるんでありますけれ
ども、そういうふうに燃えやすいということの原因は、これいろいろありますけれ
ども、一つには、大体建築基準法の技術水準でビルは建っていっております。現行の基準法の水準というのはかなり納得のいくものでございますけれ
ども、何度かこれは改正に改正を重ねてきておるのですね。以前のものほど水準は低いわけです。それで、現在建っておる、国土の上にある耐火造というものは、どっちかというと前に建ったものがかなり多いわけですね。どれほど多いのかという数字をそこに書いたわけでございますが、法令改正の実施の年月日、
昭和二十五年、これは建築基準法が初めてできた年ですが、一番最近の四十六年の一月一日まで数次の大きな改定だけでございますが、その各改正前の水準の耐火
建物がずっとあるわけですね。それを推算してみますというと、カッコ内に書いてあるのがそのパーセンテージですが、現時点を、かりにことしの九月一日を一〇〇として見ますと、たとえば三十四年十二月二十三日の改定、これは
建物の内部に
建築材料としてやたらに燃えるものを使っちゃいかぬと、そういうものなんですが、そうなっていない、それ以前に建ったものが一四・七%ほどありますし、それから、このごろ煙であぶないと申しますでしょう、煙なんかの規定は四十六年、最後の改正で相当はっきりした問題なんですが、そういうふうになっていないものが八三%もあるわけなんでございますね。だから、もっと法規が——法規というのは、あれはいやがられまして、きびしいとかなんだとかというわけでございましょう。だから、前からこういうものは予見できる問題がかなりあったわけなんですね。ですから、誤った親心ですよなんというようなことで警告していたこともたびたびあるのですけれ
ども、不幸にしてこんなことになっておるのですね。それからなお防火管理の不徹底というのは、これはもう言うまでもなくそういう問題があります。
それから一番最後に書きましたのは、これだけビルがたくさんあって、木造と同居しているわけですね。丸の内みたいになってしまえば別なんですけれ
ども、一般の市街地は、木造の中に耐火造が介在しているというような
状況、ぐるりの木造が焼けた場合に、その中にあるビルは焼けビルになるわけですね。そこで、ぐるりがどんなふうに焼けても、相当きびしい条件で焼けても焼けないビルは一体どれだけのパーセンテージあるのかということを推算してみたのですが、これは東京の区部と横浜市と京都市についてやったのですが、こんなふうにわりあい少ないのですね。非常に少ないのです。だから、ビルは今度
地震みたいなああいうふうに地域的に焼ける場合になりますと、せっかく当初不燃化に協力して先覚者のつもりでビルを建ててくれましたけれ
ども、あの
人たちはほんとうは気の毒な人なんです。今度焼けなければいいがというようなことなんですね。
まあちょっといろいろな問題がありまして、お聞きづらかったと思いますけれ
ども、以上のようなことなんでございます。一言結びとして申しますならば、八ページにございますが、以上、要するに、来たるべき大
地震に対する施策というものは多岐多様にわたっております。その内容は、都市の大小あるいは地域によって、どこの地域どこの地域という、そういう地域によっても異なるとともに、国・都道府県・市町村・個人各層別にそれぞれ問題があろうかと思います。で、危険が迫るとともに、こういうことに対して一般に非常に
意見が活発に出てくる。まあ、それだけ意識が高まるんですからけっこうなことに違いありませんけれ
ども……。そこで指導層では、この多様な問題のうちから真に必要な事項を的確に抽出しまして、そして、タイムリミットを考慮して施策を誤らないようにしていただきたい。そうしておいて強力に推進するということでないとおさまりがつかないだろうと思います。だから、たとえば都市を安全都市にするという百年の計もけっこうでありましょうけれ
ども、一応は今度くる
地震にピントを合わせた施策ということを重点にしてもらいたい。それにしても、いろいろな、こうしてもらいたいああしてもらいたいということがありますから、きょうは、そのうちでも特に重要だと思うことだけを先ほど
対策の提言として申し上げたつもりなんでございますが、少なくとも南関東におきましては、ここ数年間が最も大事なこの
対策の実施時期であろうかと思うんでございます。どうも、少し超過いたしましたんですが、たいへん失礼申し上げましたが、これで一応……。