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大橋和孝君 そういうふうに聞けばなるほどむずかしいとは思いますよ。だけれど、結果において、むずかしいむずかしいといってあっちでもこっちでも、そういう
事故が起こって何名か死んでいくということになれば、これは
道路を管理している側からいけば、一ぺん考え直さなければならぬことですね。ですから、私はここで受けとめ方を、それはむずかしいから当然起こってもしようがない、こういうふうな考え方でいけば、これからの取り組み方もゆるくなるですわね。私はやっぱりこれはミスだったと、起こってからミスだったというふうにとって、これからそういうミスをおかさないために、
道路管理をどうするかという、そういう基本姿勢を持ってもらわないと、それはむずかしいですよ、むずかしいですよと言うただけでもって、責任を回避できるという程度のものだということになることが、私は非常にこわいと思うんですね。ですから、私はそういう点では、さっきから何べんも書っておりますけれども、こういう問題が起こって、結果的に、やっぱり落ちてこなかったらけがしないんです、死なないんですからね。ですから、それを落としたということに対しては、やっぱりやっていて、すぐ百メートル違ったところにも、そういうことも言われておる、そこは危険なところだと。こうなっているところで、結果をもっとやっぱりそう受けとめて、その結果を体して、もとよりどうするということもできないわけですが、やっぱりミスだということを受けとめて、これからミスを起こさないようにするためにはどうするか、そういう基本姿勢を持ってもらうことが、私は大事だと思うんですがね。そんなことはむずかしい、やり方にもいろいろある、それはよく承知しておりますけれども、その受けとめ方、これからに対する対処のしかた、これが私は
災害防止の上においては非常に絶大なあれがあるんじゃないかと思います。ですから、私はそこのところを十分強調したいと思いますから、どうかそういう点は公団におきましても、
道路管理者側の
道路局長のほうにおきましても、この問題をひとつ真剣にそのところを見つめて、そうしてこれからそういうことのないようにしないと、こんなことまだ次々きますよ。飛騨川でもあったし、またずっと調べてみれば高知あたりでも訴訟になっているところがありますね。公団あたりが責任じゃないというものだから、最高裁までいっているじゃないですか。そしてこれはやはり
最後は国の責任ということになったわけですけれども、こういう判例なんかもずっと調べてみますと、いまさら、それはむずかしいからむずかしくないからで言える問題と問題が違うと思うんですね、
災害防止の
観点からいえば。この
災害が起こったために死んでいるんですよ、これ何名かが実際。あるいはまた大ぜいの人がやっている会社もつぶれかかっているわけですね。そういう状態が起こっているときに、それは不可抗力かもしれないというようなぼやかし方の問題の歯どめのしかたであれば、今後それに対する処置をどうするかということで、つい重みが違ってくるわけですよ。私はそういうことが非常にこわいんだ。もう徹底的にこれはひとつぴしゃっと、ミスならミス、あるいはまたどういうところが悪かったなら悪かったということを十分に反省をして、そこを見きわめて、今後
道路行政の中で生かしてもらうということが私は絶対必要だと思うんですけどね。それをしつこいほど私は要求し、皆さん方に理解してもらいたい、こういうふうに思うわけです。
その次もまた、建設省の
道路局の
調査によりますと、全線で、先ほどから言ったように、百三十カ所ぐらいが落石などの
危険地帯である、修理だとか、改修だとか、保護のさくなんかも取りつけるなどの指摘をしておられるところですね。それで、その現場の管
理事務所もこのためには巡回などの
監視体制をとっておられるわけでありますが、しかし実際には、その山はだと路上の落下物を車の中から見ただけでは、私は、いま先ほどから申したように、十分でけぬじゃないかと申し上げているが、山の上を、ほんとうは私は定期的にね、ある程度一定の期間には調べてみる、あるいはまた地質の
調査もしてみる、こういうことをやらなかったらね、これはパトロールをしてますということにならぬわけです、第一番目に。どうしてその危険を察知するかといったって、そんな、自動車で何べん回ってみたところで、そんなのはわからないわけですね。特に、しかし今度のこの場合は、その巡視員が、現場の区間の巡視員が休暇をとって休んでおった、こういうときにこの
事故が起こっているわけですね。それは、そういうことをいえば、その当てにならない。パトロールですら、もうそれが欠員になったままになったときにこの
事故が起こっているといえば、私は、これはまた、公団側に対しては、過失をよけい裏づけるものになるんじゃないかというふうに思うわけです。ですから、そういうことなんか考えてみますと、やはりもうパトロールやるそのものに対しても熱意がないということになるんじゃないかと私は思うんですが、どうですか。