○国務大臣(三木
武夫君) 御
指摘のように九日と十日、二日間にわたって水俣の現地を視察いたしたわけでございます。いろいろな
報告は受けておりましたけれ
ども、私の目で現地の患者の人々にも会い、また
地元の人の意見も聞き、そういう現地の知識を得てこの
対策に万全を期したいということで水俣をたずねたわけでございます。
最初に患者の人々、四軒でありましたけれ
ども、その四軒の家に、患者の人たちがグループに分かれておりますから、そういうことで代表的な人々がみな集まって、患者の人々にも直接接しあるいはまた話も聞きまして、非常に感じましたことは、企業の責任はもとより、政治、行政に携る者として二度と再びこんな悲惨な人災を起こしてはならぬ。このために企業は、企業経営における安全性の確保に対しては非常な注意を払うことが今日の企業者の責任であるし、また政治、行政に携る者も、やはり将来どういう深刻な事態になるかということを見通しをして、そして厳重な
環境の管理をしなければいかぬという、非常に責任感といいますか、自己の良心と責任感にむちを打たれる思いがいたしたわけでございます。
そして患者の訴えを聞きまして、
一つの問題は、水俣病というものに対する治療の方法が確立してないということであります。しかし患者自身とすれば、なかなかいい治療の方法がないということはこれは救いのないことでありますから、熊本大学にも立ち寄りまして医学部の人々とも懇談をするし、また、水俣の現地においては水俣病院あるいは開業医の人々とも懇談をする機会があったわけですが、やはりみなの意見の中でわれわれが傾聴すべきだと思ったのは、治療すれば悪くなっていくのを食い止めることが可能である、また、ある
程度の訓練を加えれば、自分の用事は自分で足せるようなところまでは
回復の可能性を持っておるということを言っております。
そういう声をじかに聞きまして、
研究・治療、社会復帰のためのリハビリテーションといいますか、そういう
施設をできるだけ整備充実をしまして、何とか患者の苦痛を少しでも軽減するための
努力をしなければならぬということを強く感じて、現地においても
研究・治療あるいはリハビリテーション、こういうものを総合的に運営できるようなセンターというものをつくることが必要だと思うので、それを具体化するためにいろいろな経験を持っておる人たちの意見を聞くような
委員会をつくって検討してみたいということを申したわけでございます。
もう
一つの問題は、私も直接に水俣湾を船で視察をしたのですが、漁業組合の人たちもあるいは水俣市の代表的な人も船に同乗しまして、やはり
ヘドロを除去しないと、いますぐは
汚染が起こっておるというような現象はありませんけれ
ども、しかし永久に不安である、禍根が断たれないわけです。これを
処理してもらいたいということを強く訴えておりました。
これはもっともなことであります。そういうことを
考えて、運輸省の港湾局からも参事官を私は同道したのでございます。そして熊本県側の港湾
関係の人たちも、むろん沢田知事もずっと私と行を共にしたわけですが、そういう港湾
関係の人たちも
一緒に来てもらって、船の上でいろいろいままでの
研究段階というものの
報告を聞いたわけです。
県は県として、A案、B案というような
ヘドロ処理に対する
研究、
埋め立てるということですが、
埋め立てに対する案を持っておるようでありますが、しかし技術的には、県の技術陣営というのは弱体ですから、どうしても運輸省が技術的
指導をしなければならぬので、私は、運輸省の港湾
局長というものはこれは一番の責任者にする、実際の
計画は県が立てるにしても、技術的
指導というものは港湾
局長が行なって、そして今年度の会計年度の終わりごろ、年明けてということになりますが、それぐらいの時期には
埋め立て工事に着手ができるような、そういう
目標でひとつ県と運輸省とでこの
計画というものをまとめてもらいたいということを強く要請して、その
目標でやってみましょうということであります。
ただしかし、そのときにわれわれが気をつけなければならぬのは、しゅんせつとか
埋め立て等によって再びまた不知火海に対しての第二次
汚染を起こししては、これはもう意味をなさなくなるわけでありますから、第二次
汚染を起こさないような工法で、しかも工事中は厳重な監視体制のもとに、被害を与えないような監視のもとにやらなければならぬ。これは十分な前提になるわけですが、そういうことで
ヘドロの
処理に当たることが必要である。
地元も強くそれを要望しておった。
最後に、私は、患者の人たちも市民の人たち、市会議員の代表者も来ておったわけですから、どうも水俣は、いままでは患者の人たちと市民全体との間に何か感情のもつれみたいなものがあるんですね、チッソというものが圧倒的に大きな、明治四十年から根を張っておったわけですから。だから、チッソのための水俣であってはいけない、水俣のためのチッソでなければならぬわけですから、そこが、あまりにも長期にわたってチッソの持っておった、市民の中でも大部分はチッソの間接直接のいろいろな影響を受けているのでしょうから、だから水俣というものが再出発するためには、市民の人たちも何か患者の人たちを冷たい目で見るようなことがあったのでは水俣市は再建できないのじゃないか、あたたかくだきかかえて、患者と市民との間にある何か冷たい感情というものはこの際払拭して、患者も市民も一体になって新しい水俣の再出発をするということでなければ、これはもう水俣というものは、
公害の水俣というイメージは払拭することはできない。だから、どうかそういう点でいままでのような水俣から、患者も市民も
一緒になって水俣の再建をはかろうということに、ひとつ
考え方をみなが切りかえてやろうではないか、これに対してはできるだけわれわれ、
環境に
関係することばかりでなしに協力をしたいということを申したのでありますが、そういう
考え方はもっともだということで、市会議員の代表者も、そういう
考え方で水俣は再出発しようという、そういう機運を市民の間にできるだけ浸透さすような
努力をするからといって、非常に誓われておったわけであります。
こういうことが、簡単ではございますが、私が現地を見、また、これから現地を見た上に立って水俣に対してとろうとする政策でございます。