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田中一君 先ほども申し上げたように、
地域によっては水は要らないんだという
地域もあるんです、過疎地帯には。これらのものを積極的に流域変更をして必要な川に落とし込む。これはいままでもずいぶん歴史的に問題がありましたけれども、いまはもう常識になっております。水はだれのものでもないです。水は無私物であり、かつまた
民族全部の生存のために必要なものです。したがって必要な地点にまで水を落とし込むということはできると思うのです。かつては発電が先行するとか
農業が先行するというような形がありました、いままでは。いまでは、これは
日本ばかりでございません、世界的なものだと思うんです。水が必要でない場所にも流れておる。むろんこれには、必要でないと言っても、いわゆる
生活用水として必要でない余裕があるところです。こういう
地域もあるわけなんです。この水を、たとえ費用がかかろうと、あるいは技術的にどんな困難があろうとも、必要な
河川に流し込む、落とし込むということはいまこそ必要だと思うんです。したがって、全国的に、どの線の水はどう、雨量はどう、何はどう、雪がどうとかいうことはわかっていると思うんです。高度成長政策、こいつが熱源、エネルギーというものを中心にして開発された時代がございました。しかし、いまはそうでないことは明らかなんです。口じゃ
人間尊重と言う。しかしながらまだわれわれは、
日本の
民族は天から与えられるところのこの水をたかだか一〇%、一割しかほんとうに生かして使っておらぬという現状は、これはもうどの統計を見ても明らかです。したがって余裕のある水は、ホンフアッフしようと何しようと、これを必要な
河川に流域を変えていくということこそ今日の緊急な課題であります。ただ単に水は水源地から低いほうに流れて海に流れ込むのだという過程における
利用だけでなくして、積極的な姿勢で水量というものを調べ、それをプールすることです。これは四国にもその他にも例がございます。青森県の赤石川にしても、ほかにも例はたくさんございます。こういう開発、流用といいますか、むだに海に流し込むという水を、余裕水を必要なところに持っていくという仕事が現在水を解決しようというまず
最初のとば口であります。いたずらに水源池ばかり荒し回るのじゃなくして、自然流量というもの、これを余裕あるものはどちらからでも、少数のものでもかまいません、集めて、集水して、必要なところに山越しで送っていいわけなんです。ことに北陸方面は御
承知のように年間を通じて隆雨量が非常に大きいのです。そこに住んでいる方は
生活用水としてどこまで使っているか、この検討もしてないんではないかと思うんです。こういう場合には、山越しで太平洋へ落ち込む
河川のほうに送り込むということを考えていただきたいのです。これは流域変更です。かつては血の雨を降らしたところの農民がおれの
地域の水はおれたちの農民のものだ、この水はおれたちのものだと、これは今日
法律的にも慣行
水利権として定着しております。しかしながら、もはや水の
行政、水の根本的な解決というものは流域変更にあるのだ、農民のかつてのような水に対するところの執着は減っております。水は必要な場合に必要なところに持ち込むことが一番正しいのです。たれ流しの水だけに、おれのものだと言っている思想はもうなくなりました。したがって、この
時点こそ、人類の生存のためにも、公平な、豊かな
生活を守るためにも必要であろうと思うんですが、下河辺君、ひとつこれに対する考え方、これを定着させるように努力していただきたいのです。と同時にこれに対する君の答弁を聞いて、それから
建設大臣、今後の水の
行政というものは余裕水は必ず不足している
河川に落とし込む、それが農民諸君のために存在するんだという私の意見に対する御批判をひとつ願いたいと思います。