○
成瀬幡治君 私は、
構造基準なるものがあっていろいろとあるようですが、そこであまりこまかいようないろいろなことは
建設委員会で当然おやりになることだからと思っておりますが、たとえば、いまから何年かほど前に私の郷里の豊田市というところで幼稚園の
子供が待っていた。そうしましたらそこへトラックがぶち込みまして、そうしてたいへんなことだというので、
歩道と
車道の
区別ができました。しかし、その
歩道はどうなっておったかと申しますと、側溝の上にこういうコンクリートのものがこう並べてありまして、全く一人の生徒が、一人一列にこうじょうずに歩いていかないとはみ出すというような、全く申しわけ的な
歩道なんです。それから、
主要県道といえば、次には二級
国道に格上げされるような、そういう私は
道路だと思うのです。ある時が来れば。それに対してのあなたのほうの
設計を見ますと、
片方だけ
歩道が一・五メーターくらいついている、
片方にはないというような
道路構造の
設計をやってお
みえになる。
そこで言いたいことは、今度の
列島改造なんかとからんで、
道路は全く必要なもので、過疎過密なんかのことから考えてもたいへんな問題だと思っております。ですが、何でもいいで
道路さえ通せばいいじゃないか、どうもつくるほうが何でもいいでつくっておけばいい、そのことが先になっちゃって、
安全対策と申しましょうか、あるいは歩く人の安全というようなものが守られないような
方向にあるじゃないか。せっかくいままでも
ガソリン税から
自動車の従量税まで税に回す、たいへんなことをやって
道路財源というものは出てきているわけです。
一般会計からももちろん出ておる。ところがその
道路が、いま申しましたように少し先取りすると申しますか、六〇年代にあなたのほうの
指摘されるように、一人について、一
世帯について一台の
自動車の割合になるとするならば、やはりそれに合った、
あとから拡幅するとかいうことは容易じゃないですよ。
道路は一ぺんできてしまうと、隣に、もうすぐ全面に家ができてしまうのです。ですから、やるならば、私は余裕を持って
設計というものはやっていただけぬものか。そうすることが、何より大切じゃないだろうか。そうじゃないと、いまあなたがおっしゃるように、
市街地は大体
道路、
歩道等のものができてくるという話で、たいへんけっこうなことだと思うのです、
歩道と
車道の
区別ができるということは。しかし、まだ他はできないということになっている。そうすると、先ほ
ども触れましたように、
国家賠償法の
請求事故というものが起きやしないだろうか
——なものを
設計するというのは全くいけないことじゃないか、それは。私は、ここに新聞の切り抜きがこれだけございますが、これはみんなどういうことを
——これは
世論と見て差しつかえございません。
世論はどういうことを言っておるかというと、
道路を何でもいいで通せばいいのだ
——歩行者とか
安全性というものを無視した
産業優先主義じゃないだろうか、こういうことをみんな
指摘する。各社の論説あるいは
記者の諸君のいろいろなもの、あるいは
記者の
人たちがそこで有識者と申しましょうか、触れた人の
意見を聞いてこれは書いておる。そういうものを見ると、みんなそうなっておるわけです。ですから、いわゆる発想の転換というものが少なくとも行なわれて、七〇年代の後半に引き継いでいく、
道路の
構造設計というものがそういうふうであらねばならぬじゃないか、そういう
立場に立つものなんです。ですから、いまここで
一つ一つ例をとってどうだなんということをやるほど私も勉強をしておりませんですよ。ですが、そういう
方向に大局を持っていくんですよ。努力をしますよということを私
たちもしばしば聞いておりますが、
実施段階を見るとやはり
歩道のない
道路ができてしまったり、
歩道と
車道の
区別のない
道路が
改良復旧の予算として出てしまうところに私は問題があると思っております。ですからその辺のところをどういうふうに対処されようとするのか、これは
大臣から決意と申しましょうか、
自分はこうやるんだと、もうなまはんかなことは許しませんよという姿勢があるのかどうか、また現にそうやるのかというような点はひとつ明確にしておいてもらいたい。