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辻一彦君 じゃ、私、最後に公聴会の問題を、もう
一つだけ申し上げておきます。
四月の七日には、長官は
分科会で、公聴会は今度は新しい
原子炉の申請があればやると、こういう御趣旨の答弁であったのですね。時間がないのでこの問題については十分触れることができなかったので、若干私はここに取り上げたいと思うのです。
私は若干のいきさつを、経過を申し上げておきたいのですが、四十六年の十二月に、大飯の
原子力発電所百十七万キロ二基が
審査中、国会で、われわれは国会の附帯決議に基づいて公聴会を開けと、こういう論議をして要求をしました。そのときには、当時の木内長官は、国会決議は公聴会等の手続を経てとあるから、「等」だからやれとは書いてない、こういうことで、まあ最終的には、法律に書いてないのだから、
あとは行政府の長の裁量であると言って逃げ切られたのですね。
それから四十七年の三月六日に大飯の
原子力発電所について
安全審査の結論が出た。三月六日であります。三月八日は衆議院、十日は参議院において、同じく
委員会で公聴会を開けという要求が強くなされた。そのときは、再度、法律に書いてないからこれ以上のことは長官の裁量であると、こういうことですね、答弁。これは
委員会が何回もストップをして、何回も理事会も理事懇談会も、二カ月にわたってやったんですが、こういう論議だった。
第三に、四十七年三月二十四日に、有沢
委員長代行が、この公聴会については
審査会の結論が出る前にやるべきなんで、出てしまったのでどうも困る、だからこの次は出る前にやりたい、出る前にやるべきだと、こういうことだったですね。
そして第四に、四月になって、昨年の四月ですが、五度ぐらい理事会と理事懇談会を開きました。
委員長は当時の
委員長でありますから、もうここの委員の皆さんも御存じのとおりであります。そして、この論議をいろいろとやりました。そのとき、井上
官房長、
成田原子力局長は再三この理事会や懇談会に出られたのですね。そこの論議の中で、この
審査会の結論が出た
あとでは行政的にどうもむずかしいと、で、公聴会は今後やるから、今回は大飯は
説明会に何とかしてとどめさしてほしいと、こういうことですね。これは、
委員会の決定、それから理事会、理事懇を開いて再三、与野党を問わず、公聴会を開くべきであるという一致した理事会の意向にやはり反して、こういう形で並行線をたどったわけなんですね。
五つ目に、そのときに私は、若狭湾のような
原子力は、ここの
発電所は九つできて、六百万キロワットをこえるという大型化と集中化が行なわれる、こういう中でいま公聴会をやらずして一体いつどこでやるのか、こう言って、いろんな形で追及をしました。そのときに、この福島が——若狭湾だけじゃない、いや福島がありますと、福島には、大型
原子炉が集中化するのは一局部からいうと若狭湾以上ですと、福島がありますと、これは
原子力局長、あなたが私に言われたことばだし、
委員長みなお覚えだろうと思いますが、このことはあなた忘れておられないと思いますが、覚えていらっしゃいますか。どうですか。