運営者 Bitlet 姉妹サービス
使い方 FAQ このサイトについて | login

1973-07-13 第71回国会 参議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第9号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十八年七月十三日(金曜日)    午後一時九分開会     —————————————    委員異動  六月二十一日     辞任         補欠選任      秋山 長造君     宮之原貞光君  六月二十二日     辞任         補欠選任      宮之原貞光君     松永 忠二君     —————————————   出席者は左のとおり。     委員長         星野 重次君     理 事                 岩動 道行君                 黒住 忠行君                 鈴木美枝子君                 三木 忠雄君     委 員                 今泉 正二君                 河口 陽一君                 柴立 芳文君                 高橋雄之助君                 町村 金五君                 田  英夫君                 藤原 房雄君                 松下 正寿君                 春日 正一君                 喜屋武眞榮君    国務大臣        外 務 大 臣  大平 正芳君    政府委員        総理府総務副長        官       小宮山重四郎君        外務省欧亜局長  大和田 渉君        外務省条約局長  高島 益郎君    事務局側        常任委員会専門        員        伊藤  保君        常任委員会専門        員        服部比左治君    参考人        社団法人千島歯        舞諸島居住者連        盟専務理事    梅原  衛君        青山学院大学教        授        大平 善梧君        社団法人北方領        土復帰期成同盟        理事       原  忠雄君        慶応義塾大学名        誉教授      前原 光雄君     —————————————   本日の会議に付した案件 ○沖繩及び北方問題に関しての対策樹立に関する  調査  (北方領土問題等に関する件)     —————————————
  2. 星野重次

    委員長星野重次君) ただいまから沖繩及び北方問題に関する特別委員会を開会いたします。  まず、委員異動について御報告いたします。  去る六月二十一日、秋山長造君が委員辞任され、その補欠として宮之原貞光君が選任されました。また同月二十二日、宮之原貞光君が辞任されまして、その補欠として松永忠二君が選任されました。     —————————————
  3. 星野重次

    委員長星野重次君) 沖繩及び北方問題に関しての対策樹立に関する調査を議題といたします。  本日は、北方領土問題等に関する件について、四名の参考人方々から御意見を伺います。  参考人方々には、本日お忙しいところを御出席いただきまして、まことにありがとうございます。これより参考人方々の御意見を伺うのでありますが、初めにお一人十五分程度でお述べをいただきたく、続いて委員質問にお答えを願うことといたしておりますので、御了承を願います。  それでは、大平参考人に、まずお願いをいたします。
  4. 大平善梧

    参考人大平善梧君) 北方領土問題は、まず、国際法の問題でありますが、樺太千島その他の領土問題につきまして、いろいろな国際条約がございますが、そういう国際条約解釈というのが、まず、われわれの問題となるわけでございます。と同時に、国際政治の問題であります。サンフランシスコの対日平和条約関係国の問題であるばかりでなく、いな、むしろ、今日におきましては主として日本ソ連との間の外交問題でございます。外交問題でありますれば、もちろん、日本立場を大綱としてあらかじめ決定しておく必要があり、もうすでに日本立場というものは、政府、与党の立場というものを中心にしてかたまりつつあるわけでございます。  それで、その後、ソ連との間の懸案事項につきまして日本立場は明らかになっておるところでございます。日本立場というのは、歯舞色丹におきましては、間違って終戦当時ソ連が、たまたまそこに日本の軍隊が駐とんしておったという理由で、北海道の一部を占領したということでございます。したがいまして、その誤りは早くからアメリカ側において理解されておりましたものですから、サンフランシスコ平和条約におきましても、歯舞色丹日本領土であるという立場が貫かれておりまして、それがソ連側においても大体認められておるところであります。  問題になるのは、千島の一部である、南千島である国後択捉二つの大きな島の帰属であります。この点につきましては、国際条約というものの解釈といたしましては、ヤルタ協定というものは、千島日本から取ると、まあそういうことを参戦の条件としてきめておるんで、その間に千島についての何らの地理的区分はない、また、サンフランシスコ平和条約の二条(C)項においても、千島ということだけであって、そこで何ら限定がないではないか、こういうことを理由にいたしておるわけでございます。日本といたしましても、確かにクーリール・アイランズと、英語で言えば原文になりますが、そういうものを放棄したということについては、サンフランシスコ平和条約においての立場上はそれは当然でございますけれども、その地理的限界というものについては、日本固有領土であるこの二つの大きな島については、今日日本はどうしてもそれを返す、これが日の外交交渉の最大の難点となって、平和条約が今日までソ連との間に締結されずして残っておるわけであります。したがいまして、今日あらためて平和条約を締結して日ソの間の国交をさらによりよく進めるという場合におきましては、この二つの島をどうするかということが問題になろうかと思うのであります。で、日本といたしましては、中千島、北千島及び樺太帰属問題については国際会議において処理するという立場を一応とっておるのでありますけれども、今日、日本のために国際会議が開かれるという可能性はまずないと考えれば、結局は、ソ連との間でその問題も決定してよろしいかと考えられる状態でありまして、もし南千島国後択捉日本に、かりに成功して戻ってくると、こういったときに、平和条約を締結して、そして樺太中千島、北千島ソ連帰属せしめるという条文をつくることができるかできないか。こういうことは、外交論といたしまして私はできるということで、まあそれをソ連側に対するみやげにするということは、いまの段階になれば、もうやれるんではないかというふうに考えるものであります。で、結局、ソ連との間の外交交渉というものは、いままでの状態をこのまま持続して、いわばあまり騒がない、で、日ソの間の友好関係を続けるということに主力を注ぐと、そういうような考えもあろうかと思います。また、平和条約国後択捉の島が返るまでは締結しないというならば、このままになろうかと思うのであります。  で、中間的なものとしては、有償の方法とか、あるいはリースとか、いろいろな型があり得るかと思われるのでありますが、これは日本政府外交交渉の手をしばることになりまするので、特に日本世論がどういうふうにまで一つになるかということをここで申し上げるよりは、むしろ、日本政府外交権というものを自由に発動させまして、そして今後日本がきめ得るとすれば、そのきめた条約を国会において吟味する、こういう立場がよろしいかと考えるわけでございます。  で、日本国論北方領土の問題につきまして一致していないというような批評もあるのでありまして、たとえば読売の東京会議というもので、北方領土問題につきましてどういう態度で臨むかというようなのが九つほどありまして、いろいろな案が出ておりますが、有識者階級意見と学生の意見なども入っておりますが、大体三〇%ぐらいの考えがまとまっているようなものしかございませんで、過半数の意見というものはきまってないように思われるのであります。これは、沖繩の場合よりははるかにいろいろ世論が分かれているというふうに考えるのでございます。しかしながら、すでに沖繩が返ってきた今日、あるいは多極化の時代に入り、中国との国交も調整され、さらにソ連との平和共存というような関係が深まってくるといたしますれば、何とか日本国論が統一いたしまして、懸案、そういうものがうまくいって平和条約が締結されるということが好ましいのであります。  私の話はそれで終わりますが、一つだけここで加えておきたいのであります。それは、四月の四日、私はロンドンにおりました。ヨーロッパにちょっと旅行をいたしまして、そしてロンドン戦略研究所の所長、レシェーヌという人と、小一時間北方領土問題に関して話をしてまいったのでございます。その簡単なインタビューの御報告をしたいのであります。これは、第三国である、ヤルタ会談におきましては当時国でありますが、今日になりますると第三国立場にあるヨーロッパ情報通の、その研究所においてこういう意見もあるということをお知りを願いたいのであります。  向こうの大体の空気を申し上げますと、私は、ヨーロッパにおいて領土問題がだんだん固定化している、これが両独基本条約状態でございますが、それが北方領土問題への影響はどうであろうか、こういう質問をしたのであります。ところが、それに対して、ドイツの領土問題は、ツー・ステート・イン・ワン・ネーション、一つの民族のうちにおいて二つの国家ないし二つ政府というものができる問題である、東独も事実上の地位を承認されていままで来たところもあるのであって、日ソ独立国間の問題であるところの北方領土問題では構造が違う、したがって、欧州の基本条約締結そのもの北方領土問題に対して直接の影響を与えることはないだろう、その逆もまた真である、北方領土問題の進展がドイツ領土問題に直接の影響を与えることはまずないと、こういうふうに答えておるのであります。  それで、第二は、北方領土問題を日本原則論立場からこのまま押していっても早急に解決することは不可能ではなかろうか、手段としては、長期的、漸進的、実際的に交渉を進めるならば解決はむしろ可能ではなかろうか。もちろん、交渉のむずかしいとか、やさしいというようなことは、ひとえに日本政府やり方いかんにかかっていると言えよう。この点において、試案として伝えられている国後択捉二つの島を日本がまずリースする、貸与するという考え方問題解決の実際的なステップとして興味深いと思う。この場合、両島主権、ソバレンティーというものはオープンにして、触れておかない、触れない。ただ、九十年とか百年とか、そういうような長期間リースするというふうに考えるのであります。それで、法律上の格言といたしまして、ポゼッション.イズ・ナイン・ポインツ・オブ・ザ・ロー、占有は九割の権利であるといわれているので、実際に両島占有した国のほうが立場が強い、時がたてばたつほどますます強くなるであろう。北方領土問題解決のためには、日本は当面形式は何であろうと、両島ポゼッション占有を実現すべきであろう。  それから第三として、日本が今後外交としてソ連中国に対して等距離外交とかいうような手段に出ていこうとすることは、こういう懸案がそのままであっては、むしろきわめて困難なことになりはしないか。この際北方領土問題を解決しておくということは日本の手を自由にする、フリーダム・オブ・マヌーバーを古固めるということを言っておりました。  これは参考までにつけ加えておきます。これで終わります。(拍手
  5. 星野重次

    委員長星野重次君) どうもありがとうございました。  次に、前原参考人お願いをいたします。
  6. 前原光雄

    参考人前原光雄君) ただいま大平先生からいろいろと政策的あるいは外交的、政治的な面からのお話がございましたが、私は、そういうことを論ずる資格がありませんので、ただもっぱら法的な面からこの問題について私の意見を申し述べさしていただきたいと思います。  北方領土についての決定的なものは、条文としましては、御承知サンフランシスコ条約第二条(C)項の規定であります。これは、御承知のように、この規定ができるいきさつにつきましてはいろいろの歴史的な経過がございますが、結局のところ、サンフランシスコ会議でこの二条(C)項が北方領土の問題につきまして条文となってあらわれたわけであります。これは、申し上げるまでもありませんが、「日本国は、千島列島並びに日本国が千九百五年九月五日のポーツマス条約の結果として主権を獲得した樺太の一部及びこれに近接する諸島に対するすべての権利権原及び請求権を放棄する。」、こういう、御承知のとおりの規定になっておりますが、この「すべての権利権原及び請求権を放棄する。」という形で表現するのは、領域権を放棄する際の一つの型と言えるわけで、この規定を設けますと、結局、千島列島並びに樺太の南部、それに近接する島々の日本領域権というものはこれによって失われてしまったというふうに私は解釈いたします。まあ見方によりましていろいろの説がありまして、条約効果というのは相対的なものであるから、この平和条約にはソ連は参加してない、だからソ連に対する関係においては日本はその領域権を放棄したのではない、その条約に参加した、平和条約に参加した国に対してだけ日本日本北方領土領域権を放棄したんだと、こういう解釈をとられる方もありますけれども、私は、この意見には賛成できないのでありまして、まあ条約効果が相対的であるということは、これは争えないわけでありますけれども、しかし、条約の中で領域権を放棄するというような規定を設けますと、これは条約に参加した国に対してだけ効力を持つものではなくて、世界のすべての国に対して領域放棄効果は発生するものだと見なければならないと思います。四十何カ国という連合国相手にした条約でなくても、たとえ日本がある特定国の間にこういう条約を結びましても、それによって日本領域権というものは失なわれる、こういうふうな解釈が私は妥当であると思います。国際法におきましても、あるものは絶対的な、あるいは対世的な効力を発生するものがあるのでありまして、条約の中で、ただ相対的な効力しかないという見方には賛成できないわけであります。領域放棄なんかはその典型的なものでありまして、この規定でいろいろ問題点がありますが、いま述べましたソ連に対してはやはり北方領土日本領域だという意見、これは私は賛成できないし、多くの国際法学者もこの意見には賛成しないと思います。まあ世界の一般的な解釈として、これは領域権放棄の形なんで、これを出した以上は、やっぱり領域権というものは完全に失なわれたんであると、こういうふうに解釈するのが妥当であると私は信じております。  そこで、まあそういう解釈をとるにしましても、二条(C)項で北方領土領域権日本は放棄したと、その放棄した領域権が今度はどこへ行ったんだという問題が起こるわけですが、これは、御承知のように、領域権を放棄する場合に、ベルサイユ条約やなにかの規定のように、何々のために放棄するという規定を設ければ、条約締約国相手方にその領域権帰属をまかせるとか、あるいは相手国特定国をあげればその国に領域権帰属するとか、そういうことになるんですが、このサンフランシスコ条約の場合はそういう規定を持っておりません。だから、一つ問題がそこに起こるわけでして、一体その日本が放棄した北方領土領域権はどこへいくんだということが一つの問題になるわけであります。  それからもう一つは、樺太については問題ありませんけれども、千島列島というのは一体どこだと、これがはっきりしなければ、千島列島に関する領域権を放棄するといっても、千島列島とはどこだという問題が一つあると思うんですね。これはまた、いろいろと日本立場からは、国後択捉北海道の一部だと、千島列島に属するものではないという、これは吉田さんがサンフランシスコ会議で述べられるし、それからアメリカの代表も、国後択捉千島列島のうちに属するのではないと、こういう意見を述べられておりますけれども、しかし、それでは国後択捉を取った残りは千島列島であるかどうか、はたしてそう解釈していいのかどうかという点についても、またいろいろ問題があるのではないかと思います。まあ千島列島が何をさすのかということは、千島列島という地理学的な名称でありますから、一つ地理学者の見解というものがその基準——基準と申しますよりも、参考になると思うんですが、その点は、私はそういう方面は暗いので、世界地理学者の代表的あるいは共通の意見として千島列島はどこをさすかということをここで申し上げられないのがまことに残念でございますが、そういう点も一つ問題として残ると思います。これがはっきりすれば、それだけでこの北方領土の問題がもちろん解決するわけじゃございませんけれども、少なくとも一つ日本の主張の有力な根拠にはなると思うんですね。日本千島列島を放棄したんで、千島列島に属しないところを放棄したんじゃないという、これはまあ非常に有力な根拠になると思うんです。それを調べてまいります余裕がなかったことはまことに申しわけないと思いますけれども、そういう点が一つ問題になると思います。それから、国後択捉というものが千島列島に属しないものであると、まあ日本立場はそういう立場で貫かれておりますが、これは一つの法的な、有力な根拠としてソ連に対しても主張し得ると私は考えます。  それから、北方領土につきましては、日本平和条約二条(C)項で、要するに日本領域権を放棄したんだと、だから、北方領土というものは無主のものになったんだ、無主のものに対しては先占、いわゆる国際法上の先占法理によって、これを占有した国が、自分領域とする意思を持ってそれを占有した国が、先占法理領域権を取得する、こういう学説も、外国学者の中にもこういう見方をする人がございますが、無主物無主領域先占するという見方がはたしてこの場合に適当であるかどうかということにつきましても私は疑問を持っております。というのは、平和会議連合国相手として日本がこういう規定を設けて、その場合に、これはどういう意味を持つかということは、結局、その平和条約締結当事国の間の意思というものが非常に重要な解釈上の要素になるのでありまして、それを無視して、日本領域権を放棄したんだから、北方領土はもうどこの国の領域でもないんだ、先にこれを占領した国の領域になるんだというこの見方は、ちょっと私は、絶海の無人島を先占で取得するというようなことは考えられますけれども、これだけソ連軍が現に占領しておる、その地域帰属平和条約で決定する、平和条約二条(C)項の規定があらわれてきた、その場合に日本領域権を放棄したんだから、これは無主地域だという見方には、私はどうも賛成できないのであります。つまり、その無主領域であるということの根拠がちょっと薄いように考える。条約解釈というものは、当事国意思を究明する、真意を発見するという立場をとりますならば、そういう点から申しましても、北方領土無主になったんだという、こういう見方をしますと、無主地域ですから、ソ連がもうすでに占有しているんですから、それはもうソ連領土として北方領土帰属するという結論はもうはっきりと出てくるわけでありますが、無主領域先占するんだと、先占によってソ連が得たんだという見方は、いま申しましたような理由で、私はちょっと賛成しかねるわけであります。  それからまた、ある見方によりますと、日本領域権を放棄したけれども、あとで日本ソ連との条約で、もし日本ソ連に対してその所属を認めるならばその領域ソ連帰属するのであるという、まあ一つの予約のような形で、日本がもしソ連との間に合意を行なうならばそれによってその領域相手の国に帰属するという見方ですが、これも私はどうも合理的でないと思います。つまり、日本が放棄した領域について日本外国協定するとか合意するとかというような資格はないですね、日本から離れているものなんですから。自分の持たないものに対して、そのもの帰属についてどっかの国と話し合うというような資格はないと思います。ですから、こういう見方にも賛成できませんので、どうしても私は、その二条(C)項というのは、それによって日本領域から離れたんだけれども、その離れた領域帰属がどうなるかということは、やはり相手の国の、つまり連合国意思にゆだねておるんだというのが一番法的な解釈としては合理的ではないかと思います。  そこで、それでは、連合国会議を開いてその所属について合意をするか、その場合に、ソ連としましては、ヤルタ協定という有力な条約がありますが、その条約は、連合国の中で最も重要な国のソ連あるいはアメリカイギリス、そういう連合国間の条約でありますから、これは日本を拘束しないということは当然でありますけれども、米英ソの三つの国の間の協定であって、これは少なくともこの三国を拘束するということは言えると思います。ヤルタ協定効力についてはアメリカなんかでもいろいろと問題になっておるようでありますが、日本が結局北方領土を放棄した、その北方領土の放棄したものはどこに帰属するかと、こういう問題になりますと、やはり放棄した相手方条約を締結した国でありますから、その国でもってその帰属を決定するということが一つ条約理論上の帰結になると思いますけれども、それの帰属を決定する連合国としましては、条約加入国ではありませんけれども——アメリカイギリスというような国は、この強国はヤルタ協定というものによっての拘束をやはりまぬがれないという結果が起こってくるのじゃないかと思います。これは日本は知らなくても、もう日本から離れた領域ですから、それを決定するについて連合国会議を開くということになれば、連合国というこの中には、ソ連もこの場合にはヤルタ協定をたてまえとして、これに参加してくると思います。そうしますと、なかなかソ連からそれを奪うという結論は出しにくいと、そういうふうに私は解釈しております。  それから、日本——国後、択捉という南千島帰属についてでありますが、これはもう日本は、途中で歯舞色丹のみならず南千島も古来日本固有領土であるからという理由でソビエトとの間に交渉を重ね、しかもその意思を表明しておるということは御承知のとおりでありますが、なかなかそれはソ連が承諾しなければできないことでありますし、平和条約解釈から申しますと、南千島千島でないということはなかなか通りにくい、主張しにくいというふうに私は考えておるのであります。そういうわけでありまして、どうも純粋な法的な立場から考えてみますと、国後択捉というこの南千島二つの島は、日本としては非常に私はほしい島であるということは認めますけれども、法律論でこれを千島列島からはずすということがはたしてできるかどうかという点について私は非常に危惧しております。  まあ、そういうわけで、あまりお役に立つ意見ではなかったかと思いますけれども、私のつたない法律的な考え方を申し上げまして、何らかの御参考になれば幸いだと思います。どうも失礼いたしました。(拍手
  7. 星野重次

    委員長星野重次君) どうもありがとうございました。  次に、梅原参考人お願いいたします。
  8. 梅原衛

    参考人梅原衛君) 北方地域六カ村と、もう一つ、本土に本村を持つ歯舞離島、この地域の元住民関係者をもって結成しております千島舞諸島居住者連盟、略称千島連盟と申しますが、そこの常務理事をしております梅原でございます。  私事を差しはさんで、はなはだ恐縮に存じますが、終戦当時の色丹の村長でありましたので、敗戦の結果とは申しながら、色丹島を含めて北方領土を私の在任当時に失ったことに大きな責任を痛感しておるものでございます。不徳のいたすところで、反ソ分子、スパイ容疑で実は二十年の刑を科せられてシベリアの強制労働の刑を受け、日ソ共同宣言の妥結によって、あと五日で三十二年になるという時期に日本に帰って参りました島民の一人でございます。  共同宣言以来十七年、日ソ間の関係改善となる平和条約の締結に、ただ一つ残されている領土問題の解決が、この秋首相訪ソによって最高首脳会談が公式に行なわれる重要なこの時点にあたって、国政のきわめて御多端な特別委員の先生方におかれましては、私どもつたない島民団体の意見をお聞き取りくださいますことを、私はもとより、千島連盟としてまことに光栄に存ずるわけでございます。深く感謝申し上げます。  北方地域の終戦当時の住民は約三千百世帯で、人口は一万六千七百余人でございましたが、全員強制引き揚げを余儀なくされ、北海道に八五%、本州に約一五%が散在しており、現在千島連盟の会勢は二千九百六十五世帯という現況でございます。  千島連盟の結成の動機とも申しますのは、日ソ交渉開始の前後、ソ連に対して領土要求の範囲等について世論が騒然たる昭和二十九年の末ごろから始まったわけでございますが、その目的としては、郷土北方地域の復帰解決の推進と帰島までの元居住者の援護対策の推進など、島民団体の意思の発言機関たることであったのであります。  私ども北方地域の引き揚げには、ソ連の力の政策の強行と領土帰属の不明確なためによる幾つかの特別な災いを背負わされて異常な状態にあったのでございます。すなわち、三年ないし四年の抑留によって、あの一日を争う日本経済の混乱期に一切の財貨を没収されて、一人の携行品がわずかに十キロの制限を受け、正当な労働によって得たルーブル、日本貨幣はもちろんでございますが、そのほか預貯金等も全部没収されて、樺太経由で一カ月余り、すぐ目と鼻の先にあるあの水晶の島からも樺太経由で帰されたのであります。在島当時は七三%の漁業者が、現在はわずかに一三%に没落し、本来の生業である漁業に復帰することができずして、約六〇%はあすの安定のない自由労務者に転落したことが、いまなお引き揚げの後遺症として生活に苦しんでおる現状なのであります。その日の生活にも事欠くみじめさが、われわれ島民団体の結成の立ちおくれた一つの原因でもあったのであります。なお、戸籍の異常な取り扱いなども実害の一面かと存じます。また、沖繩、小笠原島民には、日米両政府による救護の措置も行なわれたところでありますが、北方にはそれがなく、ことに本土の漁民には、漁政改革に際して旧漁業権の買い上げによる補償措置が行なわれたわけでありますが、北方にはそれすら除外されている現状にあるのであります。  時間の関係がありますので、当面の問題であります日ソ平和条約の締結に関する事項外一件について、実はお手元に差し上げてございます要望書を通じてごらんをいただきたいと存じますが、このことは、去る五月二十五日の千島連盟の通常総会において満場一致の決議によるものでありますので、よろしく御高配を賜わりますよう要請申し上げます。なお、このような趣旨の決議を従来千島連盟は繰り返し関係方面に要望してまいりました。  特にくどくどと申し上げますことははなはだ恐縮とは存じますが、日ソ平和条約の締結に際しては、国際法日本に正当なる要求権があると確信いたします択捉以南の四島の同時完全復帰を平和条約の締結の最大要項とせられたいことでございます。この実現のない平和条約の締結はかたく留保すべきだということでございます。このことは、ソ連共産党ブレジネフ書記長が強調するアジアの集団安全保障条約の締結についても同じ意味であります。  国内においても、歯舞色丹の二島説、択捉以南の四島説、全千島説等、いま交渉に臨んで必ずしも国論の一致していないことは、対ソ交渉の最大の欠陥でなかろうかと信ずるものであります。われわれ国民は、対ソ交渉世論を結集して国益を守ることが連帯の責務かと存じます。面積比にして、歯舞色丹は百分の七、国後択捉が百分の九十三であります。歯舞色丹は海藻類が主産でありますが、択捉国後は、サケ、マス、ホタテ、クジラ等の比較的金目のものが生産されており、民生百万の安定も私は不可能ではないと思うのであります。年々先細りになる北洋の漁業交渉も、南北三百五十キロに延びている国後択捉両島があってこそ将来の漁業権、漁獲割り当てに対する発言権が残ることであり、これらの二島を失いますならば、北方海域における将来の漁業は壊滅に瀕することではなかろうかと危惧するものでございます。それだけではありません。現状のままでは、北海道の安全を脅かす重圧を感ずるのは私一人ではないと考えます。北方地域が復帰しても非武装地帯とすることにやぶさかでないと容認しているわが国に対し、世界六分の一の広大な領域を持つといわれる大国ソ連が、択捉国後の二島になぜこだわるのか、これがブレジネフ政権すなわちソ連政府の平和政策の真偽を問われる点ではないでしょうか。先月の二十七日の新聞によりますと、日本の対外政策をさぐるとして、領土問題の項で領有権か外交の利益かとのアンケートがつのられてあったのであります。私は強いショックを受けたのであります。領土は民族の母胎、民生安定の最大要素と理解しております。領土を切り売りして繁栄を求めても、それが国家将来のための恒久的な利益になるのかと、はなはだしく悲嘆した次第でございます。  千島連盟にも、歯舞色丹の元住民が四〇%、国後択捉が六〇%の割合になります。個人的には、あるいはまた地域的利害関係からすれば、いつ戻るかわからない国後択捉を道連れにして、ソ連が戻すという歯舞色丹の復帰をたな上げにするのかとの島民の仲間割れの懸念をお持ちになる方もあろうかと存じますが、しかし、私たち島民は、千島連盟は国家利益を最優先に考え、結成以来四島完全復帰を主張して、終始一貫その考えを変えたことは一度もないことを明言してお誓いするものであります。  戦争による領土問題は平和条約によって解決される国際通念からするならば、もしいかなる正当な理由をかざそうとも、四島のうちいずれの島かが平和条約に取り残されるとするならば、現状承認ということで、その後の要求の根拠を失う結果となることを島民は深く憂慮して、国家千年の不幸として強くおそれるものであります。西独ブラント政権との調印、あるいはアメリカとの提携に自信を強めたブレジネフ書記長としては、わが国が食指を伸ばしているシベリアの経済提携をえさにすることにより平和友好条約の締結が可能として、これまでの不法占拠の罪名を一気にして平和条約の締結によって合法化しようというような意図をしておるのかもしれないと思います。国連中心主議のわが日本国としては、ウルップ以北の島々については放棄させられた事実は否定できないだろうと思います。これらの返還要請は、帰属決定権を持つ連合国を対象とすべきであろうと存じますが、現実にソ連が占拠しているといっても、ソ連単独の交渉解決すべきであるかどうかということは、われわれには理解に苦しむところであります。  どうぞよろしく御高配を賜わりますよう強く要請申し上げまして、私の説明といたしたいと存じます。御清聴まことにありがとうございました。(拍手
  9. 星野重次

    委員長星野重次君) どうもありがとうございました。  最後に、原参考人お願いをいたします。
  10. 原忠雄

    参考人(原忠雄君) 私は、北方領土返還期成同盟の理事をしております渡島支部の支部長の原忠雄でございます。  北方領土の期成同盟は、先ほど来お二人の先生方並びに梅原さんからお話がございましたので省略をいたしますが、北海道の道内におきまする返還運動の経過を申し上げますが、最初に、終戦直後、昭和二十年の十二月に、根室の町長さんでございました安藤石典さんという方が、あの四島から引き揚げた方々の混乱を見るに忍びなくて、マッカーサー司令部に返還の懇請、要請の会をつくったのが始まりでございます。安藤さんは、すでにただいまは、もうなき人になっておられますが、この方の功績は私どもは長く忘れられないと思っておりますが、下りまして、道内におきましても、また国内におきましても、北方領土に対しまする見解がいろいろございまして、やや不統一の観を呈したのでございますが、昭和三十六年に政府が、時の池田内閣の当時に、千島の範囲に一つの決定をみたわけでございます。いわゆる四島というものは固有領土であるということを、政府の統一見解を国会で示され、なお続いて三十七年には、第四十国会におきまして日本固有北方領土の回復の決議をいただいたので、道民としましては非常な力を得まして、私どもの同盟も、昭和四十年に外務省の許可の社団法人北方領土返還期成同盟というものをつくったわけでございます。  で、ただいまお話ししました梅原さんのほうは、現地から引き揚げた方が、これは総理府の許可で、社団法人で引き揚げ者のみの会でございますが、北方同盟には全部の方、引き揚げ者の方及び島において漁業を営んだ者、あらゆる方々、いわゆる一万六千人という方ばかりでなくて、従来関係のあった方々にも入っていただいたわけでございます。それで、発足以来、札幌をはじめとしまして、東京、大阪、広島というようなぐあいに、全国十カ所ぐらいに毎年この領土復帰の大会をやっておるわけでございまして、ただいままでは、本部は札幌にございますが、本部の会員は大体四百五十名くらいでございます。それから各、道内に十四の支部がございまして、根室を中心としまして函館——まあ、引き揚げの方か多いところでございますし、従来の四島の漁業というものに直接関係のあったのは——私のおりまする函館は、幕府当時、高田屋嘉兵衛以来の根拠地でございますので、非常に関係者が多数おります。また、引き揚げ者の方も大体三百世帯ぐらいおりまして、根室に次ぐ関係の深いところでございますので、私は函館に居住をしておりますので、函館を中心とした渡島の国のいわゆる渡島支部というところの責任になっておるわけでございまして、十四の支部は大体北海道の道庁の下にありまする支庁の分割でございます。で、ただいまは会員が、支部の会員合わせまして三千五百名ぐらいでございます。で、そのほかに、支部の下に推進委員というものを置きまして、予算その他の関係がございますので、一支部に数名の推進委員でございますが、この方が世論の推進に当たっておるわけでございます。で、毎年支部の大会をやったり宣伝をやるのでございまして、大体八月の観光客の多い月に一斉に各支部で返還の運動を行なうわけでございます。  予算の措置としましては、四十年の創立以来、私どもの北方領土返還期成同盟のほうには外務省から一千万円、一カ年いただいております。それから道費としましては、本年は三千四十万いただいております。それからあとは、同盟の、先ほど申しました四百三十人くらいの本部会員の方の会費または北海道の市長会、町村会あたりからの寄付金などございまして、大体自己の資金としましては一千百万円くらいでございまして、今年は五千百万円ぐらいの総予算で四月から運動をしておりまして、八月は、ことに強調週間ということでいま張り切っておるわけでございます。  で、先ほどから歴史的、地理的、また法的のお話を両先生からも伺いましたが、私どもは、また一般の期成同盟の者は、やはり函館などでは、高田屋以来のあそこの島を開いたという非常に古い考えもございますし、固有領土ということで、政府の統一見解、国会の決議というものを非常に力にして、きょうまでまいっておるわけでございます。  なお、先ほど梅原さんからお話がございましたように、ここ三年ばかり前に、法務省のほうから、四島の島の不動産登記事項に対しては根室登記所が昔から管轄でございますから、親の死亡したというような者に対しては町村長の証明によって不動産の名義変更の手続をやっております。それから政府のほうから地方交付税として、やはり二、三年前、同じ時期から政府のほうからいただいて、島の面積と人口によっていただいておるということも承っておりますので、私どもはやはり固有領土だということを深く信じて、きょうまで運動をしてまいったのでございまして、学術的には先ほどから両先生からいろいろのお話がございましたが、私ども民の者、民間におる者としましては、梅原さん同様に、戦後二十何年、政府の統一見解が出て十年以上、国会の決議をいただいても十年以上になっておりますから、今度の田中首相の訪ソに対しましては、全国民のパックの上に四島の返還をお願いしたいと思っておる次第でございまして、どうかよろしくお力添えをお願いしたいと思います。
  11. 星野重次

    委員長星野重次君) どうもありがとうございました。  参考人方々の御意見陳述はこれにて一応終了いたしました。  これより参考人に対する質疑を行ないます。  質疑のある方は順次御発言を願います。
  12. 岩動道行

    岩動道行君 ただいまお四方の参考意見、たいへん貴重に拝聴をいたしたわけでございますが、特に旧北方領土におきまする住民の方々の生活の困窮さ、あるいは御苦労、こういったようなことを考えますると、まことにこの問題は早急に領土問題を中心とした解決をはかっていかなければならないという気持ちを強く一そういたしたわけでございまするが、この機会に大平先生にひとつお伺いしたいのは、北方領土について、そのリースの方式を一つ参考の方法として御紹介があったわけでございまするが、この問題については、占有ということが所有の九〇%ぐらいになるんで非常に大きな意味があるんだと、そこに着目した一つの妥協的な案だろうと思うんですが、そういう場合においての国土の防衛であるとか、あるいは安保の問題とか、こういうことについては、どのような条件と申しまするか、占有についての条件といったような基本的な問題についての何か意見がおありだったのかどうかということ。  それから前原先生に伺いたいんでありますが、国際法上の固有領土ということは、一体どういうふうに考えるべきか。そして、先ほどお話によりますと、千島列島の範囲というものがはっきりしないというお話がございましたし、また、法律論として、南千島をはずせるかどうかということがございましたが、これは固有領土というものとの関係において非常に重要な関連があると思いますので、これらの国際法固有領土というものはどういうものを基準として考え、そして国際法上どのような主張が認められるかというようなことをひとつお聞かせいただければ幸いです。
  13. 大平善梧

    参考人大平善梧君) 北方領土につきましてソ連日本交渉いたしておりますが、最終的にどうなるかわかりませんけれども、向こうが占有している、軍事占領であるか、その後、戦争が終わったから終わったままで普通の占有になっておるのか、その辺のところはわからぬにしても、とにかく英語でいうポゼションであるということはそのとおりでございます。  このリース論は、ロンドンへ行って私が聞いたことでございまして、また、どういうふうな交渉日本側からソ連側にあったのか、あるいはソ連側にどの程度の可能性があるのかということは打診をしておりませんので、単なるロンドンの一角にそういう意見があったということだけで、きょうはかんべんしていただきたいと思うのであります。  ただ、国際法学者といたしましては、所有権と占有権、二つに分ける考え方というものは、それほど確立いたしておりませんです。したがいまして、民法理論、あるいはローマ法理論の類推的に、法律上の格言をナインポインツ・オブ・ザ・ローというふうに戦略研究所の所長が言ったということで、それを——事実上の力であるはかりでなく、それがやがて法律上の力になるという自然的な勢いでございますね。これを無視するわけにいかない。もう二十年、三十年とたって、がんばっておったけれども、こっちは何も持ってない、その古い証文だけで解決するかどうかという点については、やはりローマ法以来の考え方、特に英法においてもそういう格言があるわけでございますんで、それをやはり無視するわけにはいかない。  ただし、私はへーグで、ワルドック判事、これはオックスフォードの国際法の教授であったんですが、たまたまポゼション・イズ・ナインポインツ・オブ・ザ・ローということをロンドンで聞いたけれども、そういうことは国際法上言えるのかと、ぼくは冗談に聞いたんですが、彼、笑って、そんなことは国際法上あり得ないと、こういうふうに言っておるんでありまして、あり得ないということはですね、国際法上としてそういう規制はないということでありますが、しかし、事実上のやや法律に近い力というものは持っているということを無視するわけにいかない。われわれががんばって臥薪嘗胆をしても、向こうにそのものがとどまっておるんであります。これは日本国民として相当にやはり考える、特に政治に当たる方は考えられる必要があるということでございます。  それで、リースにいたしまして、一体有償なのか無償なのか、あるいは九十九年にするのか百年にするのか、また五十年にするか、そういうようなのは、もし交渉の段階に入りましてもそういうのはわからないわけです、具体的にそうきまらなければ。したがいまして、安保問題、あるいは防衛の問題はどうなるかということでございますが、これは私は、日本主権帰属するというような形で返還した場合でも、やはり安保条約の適用範囲外にする、いわゆる中立化をするということをソ連に約束しなければ返ってこないと思います。これは歯舞色丹の場合でもそうだろうと思うんです。ましてや、国後択捉が返ってくるというような場合につきましては、相当きびしい条件が加わると思うんでございます。したがって、リースの場合でも、やはり安全保障、防衛というようなものについての具体的な取りきめはあるかと思うのであります。しかし、私は個人的に、このリース論について、日本に幸いにして返還できると、してもらう、リースの理由によって返還できるというならば返還してもらって、そして本権の問題はオープンなんですから、その権利のほうはオープンでありまするから、その終了のときにそれを議論するということによって、まだ延ばされるばかりじゃなく、権利がより強くなるという、時が今度は日本のほうに有利になるということも考えられる。そういうようなプラクチカルな考え方イギリス人にも考え得るということを申し上げたわけであります。
  14. 前原光雄

    参考人前原光雄君) 固有領土ということについての御質問でありますが、固有領土ということばは、国際法の術語ではございませんですね。この意味はわからないわけではございませんが、つまり、相当以前から、どこの国との戦争で奪ったものでもなければ、平穏公然に日本領土として相当長い間これは続いてきているというようなものが固有領土だと私は思うんです。そういう意味に解釈いたしますならば、国後択捉だけじゃないですね。千島全島が、私は、そういう意味では固有領土と言えると思うんですね。まあ千島なんかは、交換条約で十八の島と樺太と交換した事実はございますので、交換にしましても、これは相手方合意によってこちらが得たんですから、別に暴力を用いたわけでも何でもないので、正当な日本領域であったということは疑いないと思います。まあ、しいて申しますならば、樺太の場合は、御承知の日露戦争の結果得たものであるから、日本があとで力で獲得したというようなことも言えますけれども、全体で固有領土というのは何かということの国際法上の術語としての定義はございませんですね。ですから、私は、国後択捉は、もちろん、そういう意味で固有領土だと、千島樺太交換条約でも交換したものは択捉以外の十八の島と樺太と交換した。それ以前は、国後択捉日本領域であると、ですから、そういう意味で固有ということばを使うといたしますと、これはもう固有領土であると、こういうことは言えると思いますね。——それでよろしゅうございますか、お答えになっているかどうかわかりませんですが、固有領土ということばは。  それで次に、今度は千島列島の範囲について御質問がございましたですが、この範囲ということは、固有領土と離れて、千島列島という地理的な表現は一体何をあらわすかということで私はお話ししたわけでありますが、この千島列島ということばの範囲の中から、国後択捉を除いた残りが千島列島だという、そういう理論を一般の、ことにソ連あるいは外国に納得させるということは非常にむずかしいんじゃないかと思うんですね。ですから、私は、国後択捉というのはもちろん日本にとって非常に重要な島であるし、北海道からお見えになったお二方の御意見には全面的に賛成で、まことにお気の毒だと思っておるのでありますから、私は、法理論というのは形式的なものでありまして、実質的にやはり国後択捉を返してもらうということは、結局外交的、政治的な問題として日本が努力をせられる、そういうことでその結果を起こすようにするということが一番の実際的な方法じゃないかというふうに私は思っておるわけです。法理論として、どうも相手を屈服さして、納得さして、これは国後択捉はもう千島列島、クーリールアイランドというものの中には入らないのだ、こういうことからソ連を少なくとも納得させるということは、私ちょっと無理じゃないか、こういうふうに考えておるわけなんです。そういう意味で、返ってくることは私はほんとうに心から賛成なんですけれども、そのためにはどういう理論、法律論があるかといいますと、ちょっと私はお答えできないわけなんです。そういう意味でございます。
  15. 春日正一

    ○春日正一君 私、共産党の春日ですけれども、念のために、私の立場をはっきりさしておきますけれども、私どもも、国後択捉はもちろん、占守島までの千島全部が本来日本のものなんだし、あれをソ連が取ったということは不当だし、返してもらわなければならぬ、こういう立場をとっておる。ただ、どういう手続でという点でいろいろ政府なんかとも違っている面があります。  その点をはっきりさしておいて前原さんにひとつお聞きしたいんですけれども、法理論の上からいって、サンフランシスコ条約二条(C)項で放棄の決議をしたりしておるし、それからまた日本の国会でも、これが審議されたときの条約局長の説明で、千島という中には南も北も入っているというような説明をしてしまっているというような形で、そこへもってきて、いまさら国後択捉だけが固有領土だからという論でいくというのは国際的にはなかなか通用しにくいというあなたの御説明のとおりだと思うんですがね。これをひっくり返せるものは、やはりポツダム宣言とカイロ宣言ですね。われわれ受諾したのはポツダム宣言ですから、あれには、日本外国から略取した、そういう領土は取り上げるということになっているけれども、固有のものはとらぬということになっておる。だから、これをよりどころにして、だからサンフランシスコ条約の二条(C)項というのが本来不当なんだ、だからこれは破棄するということから議論を出発しなければ、法理論としては通らないのじゃないか、私は一つこう思います。この点、ひとつ聞かしていただきたい。  それから、もう一つ大平さんのほうですけれども、返還という問題、非常にむずかしい、国後択捉の。ということで、さっきのリース論の話も出ましたけれども、そういうふうな見通しに立つなら、やはり日ソ共同宣言によって平和条約を結んで、せめて歯舞色丹は返してもらっておいて、先ほど私が言ったように、そもそもと、ポツダム宣言ではこう言っておったじゃないかということで、国後択捉から千島全体を返せというような議論に進めていったほうが順当なんじゃないかというような考えもするんですけれども、この二つの点についてお二方からお答え願いたいのですが。
  16. 前原光雄

    参考人前原光雄君) 最初に、御質問のカイロ宣言では、暴力及びどん慾によって略取したということをあげておりますね。そのカイロ宣言をポツダム宣言で「カイロ宣言ノ条項ハ履行セラルベク」と受けているわけですね。それから、そのポツダム宣言の中の第八項に「カイロ宣言ノ条項ハ履行セラルベク又日本国主権ハ本州、北海道、九州及四国並二吾等ノ決定スル諸小島二局限セラルベシ」とございますね。このカイロ宣言を受けたポツダム宣言で「吾等ノ決定スル」、連合国で決定する島に限定する、こういうことを言いまして、これが降伏条項で、また日本が受諾しておりますね。それで、いまおっしゃるようなあれがちょっと私としてはむずかしいのではないかという考えがするんですが、もし固有領域をとるというのはけしからぬということであるならば、私は、大西洋憲章並びに連合国宣言、これは両方とも——共同宣言にはもちろんソ連が入っておるのですが、領土の不拡大方針をとっているんですね。不拡大方針をとりながら外国固有領域を併合するのはけしからぬじゃないかというほうが、理論的には私はそちらのほうが通るように思えるのですね。そのカイロ宣言というものをポツダム宣言で書き直すと申しますか、さらにこまかに書いて、そしてその中で、連合国が指定するもろもろの小さい島に日本主権が限定されるということを言っていて、それを日本が降伏条項で受諾しているんですからね。どうもそこのところがちょっと違うようなんですがね、どうでございますか。  それからもう一つ、平和条項を破棄するということですね。これはどうも破棄した場合にはどういうことが起こるかということをあらかじめよく検討しないと、うっかり破棄できないと思うのでございますがね。そういう非常に大ざっぱな考え方ですけれども、持っております。
  17. 大平善梧

    参考人大平善梧君) 北方領土問題の解決というのが非常に困難である、そういうふうに予想していることは、私も実際そう思っておるから、イギリス人らしい考え方としてリース論を御紹介申したわけでございます。私はリース論をとれというわけではないのでありまして、ただ、そういう中間的なものも考えるべきではないか、その中間的なものというのをそのままに歯舞色丹——これ、ある条件をあとからソ連側が一方的につけたようなところがあります。安保改定をいたしましたときに、外国の軍隊が日本から引き揚げるまでは歯舞色丹も返さないというようなことをつけたこともありますが、これは私、今日になりますと、こんな条件はほとんど意味をなさない、一方的にただつけたというだけでございますから。結局、歯舞色丹を返してもらう、それによって平和条約を締結する、それと同時に返ってくるということは、いま考えられることじゃないか。ただし、それじゃ、いままで何のために日ソ共同宣言をつくって一生懸命いろいろ苦労して——その当時のやり方としてはまあ最高のものだと考えた、あとに延ばしたという、いろいろな障害があるからあとに延ばしたということかもしれませんけれども、なぜいままで二十年近くがんばってきたかわからないじゃないかという、そういう点があるわけです。しかしながら、春日さんの御指摘のように、そうすればそれは平和条約は締結できて歯舞色丹は返るだろう、国後択捉は半永久的に全千島列島及び樺太と同じような運命になるおそれがある。それで平和条約を締結すれば、これからあらためて領土の返還交渉をやるのだということを一項目入れて、具体的にそういう項目を入れまして、これから千島及び樺太についての領土交渉は再びやるのだというようなことでは、ソ連は、私は、平和条約、講和条約を締結しないと思うんですね。だから、結局、何かそういうことにしましょうというようなことの空気で、何だか東洋的な——ロシア人は東洋人であるかどうかわかりませんけれども、そういうようなことしか残らないんじゃないか。それ以上のことを日本外交官に期待しても無理じゃないか。やっぱりほんとうは、お嫁さんにくれるときに、結納金とかいろいろなことをきめるべきである。ところが、実際上結婚させてしまった、だけれども籍を入れてない、この籍を入れるというのが平和条約なんでありますから、平和条約を締結するときに具体的にはっきりしたものでなければ私はまずいと思うんですね。これは私の常識的な観察でございまして、はたしてソ連は、東欧諸国について、自分のほうとの親善関係というものができた、同じような政権ができておるにかかわらず、領土問題については非常に厳然たる態度をとっておる。日本だけが千島問題について再び交渉をすればうまく入ってくるのだというのも、これも私は、中国人あるいは共産圏人、そういうものを含めまして、全共産党の体質をあらためて考えてみないとわからぬとお答えします。
  18. 町村金五

    ○町村金五君 私はちょっとおくれてきたので、たいへん失礼をいたしましたが、前原先生のお話の中途に入ってきたのですが、ソ連が現在千島列島を領有しておる根拠ヤルタ協定があるということもちょっとお触れになったように伺ったのですが、一体、国際法的に見て、当事者が全く関係しないうちに第三国によって領土権の移転がきめられるというようなことは、国際法上これは当然許されることなんでございましょうかということが一点と、それからもう一つは、大体私が聞いたところによると、千島列島ソ連軍が入ってきたのは日本がポツダム宣言の受諾をしてからだいぶあとなので、何か、択捉へ入ってきたのは八月二十何日、国後はもうすでに九月になってから、歯舞色丹に至ってはもっとおそいということなので、一体あれが戦事占領だということなら、戦争が済んでから入ったものについて戦事占領なんかというようなことが一体言えるものなんでございましょうかということがもう一つと、それから、先ほど来のお話で、いま日本の国内には、いわゆる北千島も、それから樺太も当然ソ連に対して返還を要求することができるのだ、要求すべきだ、この議論がございますね。それに対して、いま自民党の政府は、御承知のように、歯舞色丹国後択捉の四島だけに局限をしておることは、どうも国民感情にたいへんそぐわない。まことに、何といいましょうか、消極的な要求で、けしからぬという、一部にはそういう御意見があるわけでございますね。それに対して自民党のほうの考え方としては、先ほどお話の出ておりましたサンフランシスコ平和条約において、日本は少なくとも固有領土については領土権の放棄をしていなかった。だから、放棄していなかったものが、現在不法に占拠されておるのだから、それだけは少なくとも返してもらわなきゃならぬというのが自民党の主張する理由だと私は思うんでございますが、この点について、なんでございましょうか、南千島を要求するということと、北なり中部なり、あるいは樺太を要求するということとは、一体同じ、何といいましょうか、質の要求でございましょうか。私どもは非常に違うと、こういうふうに判断しておるのでございますが、その点、いかがでございますか。
  19. 前原光雄

    参考人前原光雄君) 先ほどお答えしました固有領土かどうかという問題でございますね。固有領土というのは、法律上の根拠があって、そうしてしかも平穏公然にその領域を取得した、しかもそれが相当長期にわたって領域として認められておるというようなのが固有領土であるということであれば、最後のほうに申し上げましたように、千島全体もそうだ、こういうことが言えると思うんでございますね。南千島に限らない全体、南千島のあとの十八の島も、交換条約で交換した、別に暴力で奪ったことじゃないんですから、そういう意味で日本がそういう主張をされるということができると思いますけれども、はたしてそれが通用する主張かどうかということを考えますと、なかなか私はむずかしいと思うんでございますね。というのは、条約でちゃんと千島列島という名前をあげて、そうして領域権を放棄しておりますからね。その千島列島というのは、私は範囲が問題だということを申し上げたんです。その範囲に国後択捉は入らないという議論が成立すれば、これは非常に強力な根拠になると私は思うんでございますがね。ちょっと私は、その点が自分では合理的な理論的な根拠が薄いのじゃないかというふうに考えておるわけでございます。  それからヤルタ協定は、これは御承知のように、日本の参加した協定じゃありませんから、それはもう、条約協定を結んだ国の間においてだけ効力がある。その解釈についても、御承知のように、アメリカ解釈と、それからソ連なんかの解釈とは食い違っているようでございますが、いずれにいたしましても、協約を結んだ国に対して効力を持つので、日本に対しては効力を持たないということが言えると思うんでございますね。ですから、ヤルタ協定というものによってソ連北方領土を得たんだということは言えないと思うんでございますね。それは、いま申しましたように、段階があるので、サンフランシスコ条約日本北方領土領土権を放棄した、そうすると、その放棄したものはどこへ帰属するかということは、結局相手方連合国でこれを決定すべきものである、こういうふうに考えているんですよ。ところが、実際において連合国会議を開いてそういうことを決定したという事実はございませんですね。だけれども、ソ連が、九月一日ですか、九月一日以前から九月一日までに千島列島の占領を完了したというわけですね。そういう事実があるのでして、そういうソ連から言わすと、ヤルタ協定があるからソ連が占領したんだということを主張するんだろうと思いますけれども、それに対してこれに反対するということは、やっぱりヤルタ協定当事国がぜひやってもらいたいですね。日本はその協定には参加していないんですけれども、主張されるように、よその国の領域を、知らないものがかってに分けることを約束しても、それは結局その領域国に対しては効力がないということは、もう当然のことだと思うんですね。  それから、終戦後に、つまり北方領域及び千島の占領というのは九月一日に完了したわけですから、というふうに書かれておりますが、それにしても停戦以後ですね。講和条約が結ばれなければ戦争状態はそれまで続くんだという見方がありますがね。そういう見方をとればもちろん戦時占領になりますね。停戦と同時に平和状態が回復するんで戦時占領じゃないというのも、ちょっと私は無理じゃないかと思うんです。そうしますと、これはやはり戦時占領になるんですね。ですから、私は、やっぱり前述べましたような理由で、どうも法理論として、返してくれという根拠がなかなか——私も、もうそれを見つけられれば非常にありがたいと思っているんですけれども、どうも私の考えでは見つけにくいと思っているわけであります。
  20. 町村金五

    ○町村金五君 もう一言。  さっき固有領土のお話が出たんでございますが、確かに先生のおっしゃるように、そんな事実もあるんですが、私ども聞いたところでは、安政何年かに日魯通好条約ですか、というようなものができて、それでウルップから以北というものはソ連領土にするということを、あのときにきめているわけですね。それで、明治八年の例の千島樺太交換条約に至って、初めて今度は、ロシアから日本がもらったという、あれは経過をたどっているんで、そこがわれわれの言う、択捉以南とウルップ以北とは歴史的に事情が全く違う。したがって、私は、千島全体を固有領土なりとしてこれを主張する理由には非常に乏しいのじゃないか、千島全体というものは。やっぱり、択捉以南についてはいまだかつてそういうことがないから、これはわれわれとしてははっきりと要求する権利があるけれども、どうも、昔からの固有領土なりとして千島列島全体を要求することは少し無理じゃないかと思うんですが、その点はどうですか。
  21. 前原光雄

    参考人前原光雄君) おっしゃるように、違いますね。つまり、国境を一度確定していますからね、一八五〇何年ですか。その国境確定条約で、国後択捉より北の島、ウルップ島ですか、あそこで、日本とロシアとの国境はそこだということをきめましたですね。そのあとで交換条約が結ばれたわけですから、そういう点で違いますですね、その二つのものは。  ですから、固有領土という意味をどういうように解釈をするか。固有領土というのが、もう昔から、人の記憶できないような昔から日本自分の国の領土として、やはり国後択捉、それから歯舞色丹という、そういうものはもう日本領域として存在したんだと、だからこれは固有領土だというふうに解釈すれば、それは確かに固有領土ですね。その固有という意味の解釈によると思うんですが。ですから、じゃ、固有領土だから要求できるかということになると、法律的には私はむずかしいということを申し上げたんです。だから、外交的あるいは政治的、そういう面からひとつうまく働いていただいて、そして純粋な法理論でなくて、事実上それを返してもらうというような方向に持っていくのが一番可能性があるのではないかというのが私の考えなんです。
  22. 星野重次

  23. 梅原衛

    参考人梅原衛君) お許しをいただきまして、おそれ入ります。  先ほど申し上げた島民団体、現地の者としては、四島の返還を要求という意見を申し上げましたが、私ども、法理論については不明なものでありますけれども、私は、いわゆる放棄した正文の「クーリール・アイランズ」と「千島列島」というものは同質のものでないように考えるわけであります。私ども教わった当時は、やはり全千島ということは地域的総称であって、これには国後択捉も含むかもしれません。ただ、対日平和条約でクーリール・アイランズの定義が下されていないということで、したがって、それがどこの地域かということは、これはあくまでも法解釈によるわけだと思いますけれども、かつて国際的に法律用語として使われたクーリール・アイランズは、いわゆるウルップ島以北をさしておるわけでございます。したがいまして、私ども、放棄した区域に択捉国後は含んでいないという解釈を島民どもはとっておるわけでございます。  それからもう一つ、太平洋戦争で四年半、あの苛烈な、大量の物資を投入し、兵力を費やして負けて取られた沖繩が話し合いで返ってきておるのに、北方は、一方的宣戦布告によって、わずか六日間の戦闘の代償として領土を割愛しなければならぬということは、これは、国際道義的にも全く責任がない、ソ連のいわゆる拡張主義の力の政策だと、かように考えておるわけでございます。したがいまして、四島はぜひわが国の主張として回復をはかっていただきたいということでございますが、先ほど申し上げました点にことば足らずのところがありましたので、ふえんして申し上げたいと思います。
  24. 藤原房雄

    ○藤原房雄君 いま固有領土ということを、クーリール・アイランズをどう見るかということにつきまして、法的な問題についてはいまいろいろお話がございました。これをこれ以上ただそうとしましても、地理学的な、またいろいろな問題があるだろうと思いますので、私はちょっとその問題は別にしまして、いま復帰運動が盛んになっておるわけでありますが、事を思い起こせば、先ほどお話もございましたように、昭和二十年、安藤根室町長がマッカーサーに運動したということから始まっているわけでありますが、沖繩が返還されて、沖繩の次はいよいよ国民の悲願たる北方領土ということで、非常に形の上では北方領土返還の運動というものは高まっているかに見えますけれども、実質的には、沖繩と違って、現実そこに人が住んでいないということもあります。まあいろんな条件が異なっておりますので、運動のあり方そのものにも差異は出てくるだろうと思いますが、私ども、当委員会を通じまして、しばしば政府に対しまして、この運動について国がもっと力を入れなければ、戦後二十八年たった今日、一向に進んでいないし、先ほど大平先生のお話にございましたけれども、有識者の三〇%ですか、この問題についてよく理解する人がいないという、また、島にいらっしゃった一万五千人の方々もだんだん老齢化していらっしゃる、こういうことを考えますと、早くに返還されるということは望ましいことではありますが、相手もあることでありますので、きょうあすというわけにはいきません。やはり息の長い運動が展開されなければならないと思います。まあこういうことで、梅原さん、また、原さんにつきましては、たいへんに御努力をいただいておるわけであります。このお二方、それぞれの立場で、この活動、運動を進めていらっしゃって、今後に対して、それぞれの立場から、より広範な、そしてまた根の深い活動のできるようにするためにはどうあるべきかということについてはいろいろ御検討もなさっていらっしゃると思います。私どもは私どもの立場で、もちろん強力に進めてまいりたいと思うんでありますが、きょうは、与えられた時間内のことでございますから、十分に今後の活動の面についてはお触れになりませんでしたけれども、その点についてお考えがあればお聞きしたいと思います。  それから、私も総務長官に以前に強く言ったことがあるんですが、先ほど大平先生のお話がございましたが、ロンドンで、レシェーヌという方ですか、お会いになったお話を聞かしていただきましたが、法学的にいろんな問題があることは私ども十分承知しておりますが、この日本の主張というものを強く世界の法学者方々に御理解いただくという、そうしてまた世界世論というものを強く巻き起こすという、こういうことからいたしまして、単に日本の国内での復帰運動ということではなくして、そういう世界世論にも訴えていくということから、日本立場というものを十分に理解させる運動、そういう資料の提供とか、こういうことを強く進めるべきじゃないかというふうに考えておるわけでありますが、きょうは、たまたまイギリス的な考え方といいますか、こういう考えがあるんだというお話を聞かしていただきまして、たいへん参考になったわけでありますが、大平参考人はあっちこっちお回りになられていらっしゃると思いますが、お回りになられて、北方領土に対してのわれわれが日本国民として抱く復帰に対する強い熱意と、諸外国における法学者といわれる方々が理解している認識の程度というもの、これらのものとの大きな違いのあるのは当然だと思いますけれども、今後そういう世界世論に訴えていく、そういう運動というものをもっともっと強烈に進めるべきじゃないかと私は思うわけですが、その点について何かお考えになったり、また、お感じになったことがありましたら、原さんと、それから梅原さん、おのおのの立場でお聞かせいただきたいと思うんですが。
  25. 原忠雄

    参考人(原忠雄君) 返還運動は、先ほども申しましたように、同盟ができまして十年になりますが、本年は、田中総理大臣の訪ソというようなことが昨年から伝えられておりますので、こん身の力を込めてやっておるわけでございますし、また、八月の強調週間のほうも力を強くやるつもりでございますが、ただ、先ほどからもお話がございましたとおり、道内におきましても、従来、沖繩の返還運動ほどの熱が北方領土の運動には終戦後からも出ないわけですよ。で、それは、北海道が最も近いところにあってどうだろうと言えば、やはり、国内の世論と申しますか、政党のうちにもいろいろ意見があるように、一本になっていなかった、沖繩のように一本になっていなかったというようなことが大きな原因じゃなかったかと、こう思っております。  固有領土の問題は、これは皆さんから先ほどお話しのとおり、だれ一人として固有領土でないと言う人はないのでございますが、町村さんからもお話しのとおり、北千島までもというのも——戦争において取ったんじゃない、平和裏に交換したんだという意見もあって、北千島までが固有領土だという意見も持っておる人もありますけれども、しかし、そういうことは抜きにして、動きとしましては、各都市におきましても村におきましても、沖繩ほどの力が出ないということは、私は、やはりサンフランシスコ平和条約、また鳩山さんの共同宣言の、この二回の機会は、これはやはり私は相当の機会であったと思いますけれども、まあ、われわれの思うようにはいかなかった。したがって、国民の方も多少のあきらめがあるんじゃないかと。ようよう三十六年になって、先ほども申しましたように、政府の統一見解が出たわけであります。千島の範囲というものに対する統一見解は四島ということが三十六年に出て、三十七年の第四十国会において決議が成立したというようなわけで、国全体としまして、われわれ民間ばかりじゃなくて、政府及び国会においてさえ三十六年以後でございますから、私はまあ、ある点、これはやむを得なかったんじゃないか、それだけ敗戦というような大きな荷物をしょっての、サンフランシスコの講和条約から鳩山さんのモスクワの共同宣言までかかったんじゃないかと、こう思っております。  ただいま、北方領土を、若い連中が、キタカタ領土というのはどこですかというようなことを聞く青年がおるんですよ。北方領土というのを、キタカタ領土というのはどこでございますかと言って、私ども街頭に立ったり講演会に行ったりしますと、私は二度ばかり聞かれました。二十前後の青年がキタカタ領土とはどこですかと言うから、それは君北方領土ですよと、北方領土ですか、千島ですかというようなことで、北方領土という読み方すちもキタカタ領土と読む青年が北海道の道内におるということは、これはだれが悪いというわけじゃない、やはり、講和条約以来いろいろの重荷をしょっておった結末だと、だれも恨むこともないと思っております。ここまで来て、私ども、先ほどから根室の方々は二十数年の苦労を重ねてきまして、函館もそうでございますが、ようよう総理大臣が北方領土を前提としてという意気込みで、国際法法律の上、またいろいろの意見はございましょうけれども、国民としましては、総理大臣がひっさげて平和条約は両方でやろうという前提に北方領土が出たというのですから、この機会を逃がしてはいけないというので張り切っておるわけでございます。
  26. 梅原衛

    参考人梅原衛君) ただいま原さんから述べられたのと全く同感でございます。ただ、最も大所高所に大事なものは、いわゆる国論の結集ということだと思うんであります。これは領土の問題でありますので、国民連帯の立場において国の主張を一本化すべきだと私は考えるわけであります。したがいまして、今後一そう国内の領土問題の浸透に力を入れ努力しなければならないと考えております。なお、海外に対しても、やはり人類の望んでおる世界平和という見地から北方領土の真相を海外に普及していくことが北方領土解決の道になると、かように考えて、この方面も、私ども微弱な団体でどうにもなりませんけれども、政府等におかれましても、そういう方面に御配慮を願いたいと、かように考えるわけであります。  以上であります。
  27. 星野重次

    委員長星野重次君) それでは最後に大平参考へ。
  28. 大平善梧

    参考人大平善梧君) 国際的な、日本立場を理解してもらうために努力をすべきであるという御指摘、まことにごもっともでございますが、その点につきまして、先ほどのレシェーヌ氏が、日本は、どうも離れておるせいもあるだろうが、ときどきパッパッと花火線香のように要求を突きつけるというような、立場を鮮明にしないという欠点があるように思われるんで、自分立場をはっきりとさしておいてそれから具体的にこうやればいいけれども、何か、なぐられたり衝動を感じたときに立ち上がって言い出してくるという、そういうふうにどうも理解されるようだと。それから私が個人的に考えますが、たとえば、英文でNorthern Territorial Issueという、そういうパンフレットを外地で見ましても、これはキタカタ領土問題と回しで、全然わからないわけです、向こうで。やっぱりKurile Island PrgramとかJapanese Territorial questionとかなんとかせんければどうもぐあいが悪いと思うんです。それからその次に、千島というものクーリールとは違うんだという議論は、これは日本では通用するけれども、外国には通用しないと思うんです。これは、外国人に訴えるためには別な方法を考えなきゃいかぬ。たとえば、明治八年に樺太千島日本は交換したんだと、今度はポーツマス条約のかわりに樺太ソ連が取ったんだ、だから、千島日本に返るべきなんだ、しかし日本は胃袋は大きくない、だからわずかに国後択捉の二島を要求するんだと、こういうふうなユーモアたっぷりな説明をすればぼくはわかってくれるんじゃないかと、こういうふうに考えるんです。だから、日本人の論理というものを向こうに訴えるための論理としては、国内向けの放送では絶対だめだと、こういうふうに私は考えます。  たとえば、ことしの三月に、田中総理の親書とかいうブレジネフ氏との往復書簡があるわけですが、この書簡が国際的に問題になったということは、私はロンドンへ行ってわかったわけです、いろいろな切り抜きを見まして。しかし、そこで問題にしているのは何かというと、チュメニ油田に対してパイプを日本は提供するかしないかということが重要な問題なんですね。ところが、日本の情報文化局長の外人記者に対するインタビューというものは、これはインデペンデント、セパレートなものだ、なぜセパレートなものをたまたま一緒にするのか、盛んにそれを腹芸で英語を……。いかに情文局長というのはむずかしいかということがわかった。ぼくはロンドンでその文章を読みまして非常に困ったのです。外人にはむしろ、くっついたほうが、事実上くっつけるんだと、このほうがわかりいいんです。ところが、国内でそういうふうに言うと、自分のものにどうしてくっつけるのか——その議論をまたもう一回考えりゃいいんです。いたずらっ子が自分の時計を持っていったならば、黙っていればこわされてしまう。チョコレートか何かを与えなければ自分のものでも返ってこないんだと、こういう議論をすれば、これは外人にもわかるわけなんです。現にぼくはレシェーヌにその話をしたんです、チョコレートが必要だと。そうしたら、向こうは、ジャイアントがそういう時計を持っていったらどうするか、まさにジャイアントを相手にして日本はやるべきである——そのときぼくは、ぼくの英語で答えたんですが、アキレス腱という英語を知らなかったんです。アキレス・テンダンと言うんですが、しかし、万国共通のことばで、足を上にあげて「アキレス腱」と言ったんです。ソ連にもアキレス腱があるんだ、そのアキレス腱というものは何かというと、平和条約をまだ締結してないということが第一。それから、彼らの樺太、それから他の千島に対するタイトルが、少なくとも日本立場においては確立してないということなんですね。それ以外にもアキレス腱はあり得る、アキレス・テンダンということはあり得る、そういうふうな外人にわかるような考え方で、しかし日本国内で満足できるかできないか、これが日本のむずかしい外交の国内的な側面であろうかと思うのであります。  たいへん失礼いたしました。
  29. 星野重次

    委員長星野重次君) これにて参考人に対する質疑を終了いたします。  参考人方々に一言ごあいさつを申し上げます。  本日は非常に御多忙のところをわざわざ御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。本件調査のため貴重な御意見をお伺いすることができましたことを厚く御礼を申し上げます。皆さま方の御意見参考といたしまして、今後十分に検討をいたしたいと存じます。本日はまことにありがとうございました。(拍手)  引き続き、本件につきまして、外務大臣及び北方対策本部長がお見えになっておりますので、質疑を行ないます。  質疑のある方は順次御発言を願います。
  30. 岩動道行

    岩動道行君 私は、政府に対して、北方領土の問題、それから時間の許す限りにおきまして墓参、あるいは安全操業、抑留の問題について質問をしたいと思います。  まず第一に、北方領土関係でございますが、近く田中総理、大平外務大臣は、訪米、そしてヨーロッパをたずね、そののちソ連をたずねるような予定になっておるわけでございまするが、私どもは、このソ連関係においては、特に国民の長年の悲願でありまする北方領土の返還について政府の所見をこの機会に明らかにしていただきたいと思うのでございます。  まず、北方領土、これは私どもがかねてから歯舞色丹のほかに国後択捉の四島をもって固有領土として当然返還してもらうべきものであるという主張を持っておるわけでございまするが、この北方領土四島の返還のない間は、私は依然としてわが国にとっては戦後は終わっていない。前佐藤総理は一沖繩返還なければ戦後は終わらないという、きわめて国民にアピールする表現をされたのでありまするが、私どもはこの機会に、北方領土が返還されないうちは依然として日本の戦後は終わらないと、このような認識をもって国民にも訴えていただきたい。先般、田中総理もそのような表現をされたようでございまするが、どうか沖繩だけで戦後は終わったということのないように、そういう国民へのアピールをお願いしたいと思うのであります。  昨年、グロムイコ外務大臣がわが国を訪問いたしまして、そうして平和条約の締結についての話し合いが進んだわけでございます。このような機運が盛り上がってきたことは、日ソ両国にとって、あるいは世界の平和にとってまことに喜ぶべきことでございまするが、領土問題が解決をしなければ依然として平和条約は日の目を見ないというふうに私どもは認識をいたしておるわけでございます。しかも、これは不可能な問題ではない。時間はかかるかもしれないけれども決して不可能な問題ではない。従来きわめて熱心に、そしてあらゆる角度からの深い返還に対するアプローチ、交渉が行なわれてきたことであると思いまするが、この機会に、私は二、三の点について特に政府の見解を伺いたいと思います。  第一は、わが国の北方領土の問題は、もしもこれを日本に返還するとなるならば、ヨーロッパにおける第二次大戦後の新しい領土の変化がそのまま固定化している、そのことに対して大きな影響があるというようなこともあると存じまするが、ソ連としては領土問題は解決済みであるという非常に一方的な態度であり、かつまた、ヨーロッパ関係から言いましても、なかなかてこでも動かないような状況であろうかと思いまするが、この欧州の領土問題と、そしてわが国の北方領土問題についての差異と申しまするか、そのような関連があるのかないのか、この点について、まず外務大臣の見解を承りたいと思います。
  31. 高島益郎

    政府委員(高島益郎君) ただいま先生の御質問で、欧州におけるソ連の国境と、それから北方領土との関係において何か差異があるかというお話でございまするが、ヨーロッパにおきましては、ソ連とポーランド、フィンランド及びルーマニアとの間で平和条約を締結いたしまして、正式に領土を確定いたしております。また、ドイツとの国境につきましては、一九四五年のポツダム協定で確定いたしまして、さらにそれを今回の一九七〇年の独ソ条約によって再確認いたしております。  このようにヨーロッパにおきましては国際法上、法的に領土が確定いたしております。ただ、北方領土につきましては、ソ連根拠といたしておりますのは、いわゆるヤルタ協定、これは日本と全く関係のない、米、英、ソ連との間の秘密の取りきめでございまするが、こういうものを対日参戦の条件としましてきめまして、それを根拠に戦後ソ連が占領しているわけでございまして、この状態がいまだに続いている。なるほど、わが国は桑港条約によりまして千島列島及び樺太を放棄いたしました。しかし、私どもの立場といたしまして、国後択捉はクーリール・アイランズといわれている千島列島の中には入らないということでございまして、いずれにいたしましても、北方領土である国後択捉については何ら法的には根拠なしにソ連が占領しているという状況でございまして、そういう点におきましてヨーロッパの情勢とは全く違っておるというのが現状でございます。
  32. 岩動道行

    岩動道行君 経過からいいまして、欧州の領土問題とわが国の北方領土問題とは全くその性格が異なるものである、したがって、ソ連の主張に対しては、われわれは、根拠のないものである、こういう認識で今後も進むべきであると思いまするが、この点については、ただいまの御答弁で、今後もそのようなヨーロッパとの関係のない立場交渉を続けるべきであるということを特に要望をいたしたいと存じます。  第二点は、ブレジネフ党書記長が一九六九年にアジア集団安保構想というものを発表いたしました。その後も、機会あるごとにその構想の実現をわが国にも要請をしてきているように伺っておるわけでございまするが、このアジア集団安保構想それ自体は、私どもその内容は必ずしも明確にするような状況にないわけでございまするが、全欧安保会議等を見ましても、第二次大戦後のただいま触れました欧州の領土問題が固定化をするという方向で来ておるわけでありますが、アジア集団安保構想においても、やはり現状の領土関係をそのまま固定化していくという基本的な考え方がそこにあるのではないか、もしもそうであるとするならば、簡単にアジア集団安保構想というものの話に乗っていくわけにもいかぬのではないか、かようにも考えられます。したがって、領土問題を含めて、このアジア集団安保構想に対する基本的な政府の態度というものをこの機会に伺っておきたいと思います。
  33. 大和田渉

    政府委員(大和田渉君) ただいま先生御指摘になりましたとおり、いわゆるアジア集団安保構想というものについては、まだその具体的な内容あるいはどういうメカニズムで彼らは考えているかということについてわれわれは承知しておりません。したがいまして、具体的なコメントをいまするということはできないと言わざるを得ないと思います。ただ、お説のとおり、ソ連の提唱したこの構想の中には、ヨーロッパの集団安全保障構想と連なる思想があるのではなかろうか、その意味は現状を固定するという考え方が入っているんじゃなかろうかというふうに想像をされる次第でございます。そういたしますと、日本ソ連との間にはいわゆる未解決領土問題がある、したがいまして、この構想をわれわれが検討します際に非常に慎重な態度にならざるを得ない、こういう態度でございます。
  34. 岩動道行

    岩動道行君 領土問題を含めて、アジア安保集団構想というものはまさに慎重でなければならぬと思うわけであります。これはまた外務委員会の所管にもなりますので深くこの点についての質疑は行なわないことにいたしますが、いずれにいたしましても、そのような意図があるかのごとく、そしてまたヨーロッパにおける現実の姿というものを考えた場合には、十分に慎重な態度でアジア集団安保体制というものは検討すべきものである、うかつにその話を進めるべきではないということを重ねて申し上げておきたいと思います。  第三に申し上げたい点は、北方領土の返還に関して国論の統一が必要ではないかという点でございます。この点は、北方領土の返還については国民をあげての要望でございまするが、必ずしも各政党の間で領土の範囲に関して見解が同一でない、若干異なっているのではないかと思われる点もあるわけでございます。この点については政府から答弁を求める考えはございませんので私が申し上げたいと思いますが、間違っておれば御訂正いただきたいと思いまするが、千島列島樺太までも含めた領土の返還をすべきだという立場、これは社会党さん、そして共産党さんのお立場であるやに伺っておりまするが、もし、間違っておればその点は訂正をいたしたいと思います。いずれにいたしましても、対外折衝で特に重要な領土の問題でございますので、国論の統一、これはその範囲はもちろんのこと、さらにその方法等につきましても十分なコンセンサスが必要ではないか、かように考えるわけでございまするが、この点についての従来の政府が看取しておられることはどのようなものであるか、お聞かせをいただきたいと思います。
  35. 大和田渉

    政府委員(大和田渉君) いわゆる北方領土問題についての意見が党によって若干異なるということは私どもも承知しております。ただ、われわれとしては、そのために国論が統一されるということは最も望ましい姿でございます。ただ、政府といたしましては、社会党あるいは共産党といま名前が言及されましたが、各党を通じまして四島がすべて日本固有領土であるという点では見解が一致しているのではないかというふうに考えておるわけでございます。いずれにいたしましても、国論が統一され、その統一された国論をバックにして交渉に当たるというのが最も望ましい姿であろう、こう考えております。
  36. 岩動道行

    岩動道行君 政府、自民党で考えておりますのは固有領土として四島でございますが、これについては各党とも一致しておる、これは私どもも評価いたしたいと思いますが、どうか、何か異なった意見等が政府に出てまいりましたときには、できる限り統一された姿勢をもって交渉に当たっていただきたいということをこの機会に重ねて申し上げておきたいと思います。私どもがいろいろな関係者と接触をいたしておる限りにおいては、日本の中においてはなかなか意見が一致していないじゃないかといって若干ひやかし半分の態度で話をするような機会もあったわけでありまして、はなはだ私はその点については遺憾に思っておるわけであります。どうか、そういうような意味におきまして、政府においてはできるだけあらゆる面においての基本的な点についての国論の一致ということに努力をしていただきたいと思いまするが、特にこの点については折衝の中心であります外務大臣御自身から御所見をこの機会にお聞かせをいただきたいと思います。
  37. 大平正芳

    ○国務大臣(大平正芳君) 仰せの方向で極力善処してまいりたいと思います。
  38. 今泉正二

    ○今泉正二君 岩動先生の北方領土返還に関係いたしまして一言私見を述べまして、お聞きを願いたいと思います。  私は、諸先輩のお話を先ほどから聞いておりますが、もうおっしゃるとおりで、北方領土四島、歯舞色丹国後択捉は絶対われわれのほうで正論をもって立ち向かうことは、これ、当然でございます。しかし、相手はなかなかくせ者でございますから、われわれ、もと芸能界におりましたときもそういうことばがありましたが、いわゆる相当悪達者な国でございますから、役者でも悪役と善役とありまするが、相当個性の強い国でございますし、日本の六十倍以上、六十六倍ぐらいの大きさといわれております国が、まあ千葉県全体ぐらいの大きさの島を返さないということの裏には全部わけありで、向こうは承知しております。日本の言うことに対して一言も反論ができないぐらい、日本で言っておりますことは正論だと思いますけれども、国威を通じまして、ほかの国との牽制状態外交上の地位を占めるその軍事基地、あるいは北方資源、地下資源、そういうものを全部手放したら、日本の言っていることをそのままうのみにして、そのとおりだといって手放したら、もうこれは機会がないということで、向こうは何でも無理難題を承知で圧迫してきていると思います。  そして、私は、日本外交問題を外務大臣の前でお話しするほど私は勉強いたしておりませんけれども、頂上会談が少し多過ぎるような気がいたしまして、やはり上は上として大事でございますが、中間から下は困りますが、中間から逆に上のほうへ向かっていくような方たち——私は昨年ソ連へ行ってまいりまして、まあ受け売りも含めまして、聞いてまいりますと、極東専門の情報少将でございます、六十何歳かにおなりになるコワレンコフさん、岡田嘉子さんが越境いたしましたときにつかまえた守備隊の隊長だったそうでございますが、その日本語ぺらぺらのコワレソコフさんあたりに、ブレジネフさんでもコスイギンさんでも、一々、どうだ日本の様子は、いやいやまだたいしたことありませんよとかなんとか、そういうような、わりと御下問があって、ここらあたりが全部主導権を握っていて作成した文案で、上の一番のおえら方というのが、いろんな話がほかへ喧伝されながら、まるうく包み込んでしまうというような気がいたします。ですから、今度田中総理、大平外務大臣、両巨頭が向こうへ伺ったときには、ぜひ私も一議員として、コワレンコフさん、通訳は要りませんので、日本語ぺらぺらで巻き舌だそうでございますから、そういう、私よりも日本語のうまいような方と十分に、お前のほうでこうすればこうなるというようなテクニックを交えて、利害関係、相当軍事的に——向こうは、そんなことはわかっているけれども日本の言うことを一々聞いて戻していてたまるかというようなのがあると思いますので、アメリカばかりが好きじゃないんだ、ソ連だってたまには気に入ったところがあるんだぐらいのところで、相当やりとりを……。雑な話し方でございますけれども、そこら辺が一番大事なことじゃないかと思います。正論でいったからといって必ず通る問題じゃないような気がいたします。  私は、そういう下世話なような話でございますが、かみそりと言われた陸奥宗光、小村寿太郎以来の名外務大臣といわれております大平先生に、そういうなめらかな、はだ合いのこまかい外交を、いつもの御答弁のようなそっけなくないような、裏のめりのございます、ことば少なくして実りの多い大平先生に、特に私、そういうコスイギンさんあるいはブレジネフさんばかりでなく、コワレンコフさんあたりをひとつお相手に、デザートとしてひとつ外交問題を取り組んでいただきたい。そうでないと、北方問題はなかなか——きたない話はしたくないんですが、うらはきたないものですから、いまのままでは戻らない気がいたします。これは、安政何年に日本に来たとか、ヤルタ協定なんて言ったって、スターリンも死んでしまっておりますし、そういう粛清以前の話をいまさら持ち出しても、これは文部省の教科書を作成しているわけではありませんから、歴史問題探究会じゃありませんから、現実は返したくないというのが向こうの本音ですから、返したくなるような話を別のほうから、からめ手から——釈迦に説法でまことに恐縮でございますが、私はそういうほうも外交でお入れいただきたい。おえらい方が二人行って戻ってきて成果を聞くというような型どおりでないことを、岩動大先輩のあと、なまいきなことを申し上げましたが、御意見を外務大臣から一言伺ってやめます。お願いをいたします。
  39. 大平正芳

    ○国務大臣(大平正芳君) 最近頂上会談が多過ぎるじゃないかというような御意見でございますが、私は若干見解を異にするので、いまの外交は、交通、通信がこのように便利になってまいりまして、地球がたいへん狭くなった今日、いわば首都外交、大使館外交からだんだん首都外交になっておると思います。首都外交からさらに首脳外交、当然の道行きとしてそういう姿になっておりますので、最高首脳の方々、たいへん御多忙でございますけれども、できるだけひんぱんに接解を保っていただく必要があるのではないかと思うのでありまして、今回も田中総理に重い腰を上げていただいて各国を御歴訪いただくようにお願いをいたしたわけでございます。しかしながら、総理、最高首脳だけで外交ができるわけのものでございませんで、広く政府、外務省、あるいは、このごろもう外交のすそ野が広くなりまして、外務省ばかりでなく、政府各省庁、国際的な関連が多くなってきております。国会レベル、政党レベルあるいは財界、報道界その他学界、いろんなレベルにおきましての接触が国民外交という実態を形成しておるのではないかと思うのでございまして、そのことが大事でないとは決して思っていないばかりでなく、非常に大事だと考えておるわけでございます。  日ソ関係について見ますと、国交が再開いたしまして十七年になるわけでございますが、その間、私は、振り返って見まして非常に堅実な歩みをしているように思います。貿易、経済協力等の面において着実な前進が見られておるばかりでなく、人の交流が各界にわたりましてひんぱんになってまいりまして、いま御指摘になりましたように、国民と国民とのはだの接触が多くなり、会話もしげくかわされるようになってきておるわけでございまして、このことはたいへんありがたいことと思っておるのでありまして、できるだけそういう機会を豊富に多彩につくり上げてまいることは外交によって非常に大事だと考えておるのでございまして、今後ともそういうことに努力をいたさなければならぬと考えております。  それから、私どもの立場におるものも、首脳ばかりでなく、多くの方々と接触を持てというおさとしでございまして、私もできるだけそれにつとめなければならぬと考えております。
  40. 岩動道行

    岩動道行君 次に、私は墓参の問題について簡単に伺っておきたいと思います。  政府関係の計画をいたしております、また、ソ連政府に対しても要請しております、四十八年の墓参の計画とその見通し、これについて簡単に政府側の御答弁を、まずいただきたいと思います。
  41. 小宮山重四郎

    政府委員小宮山重四郎君) ソ連の墓参については、昭和三十九年初めてソ連が認めてまいりました。本年度のことについては、強い要請をいたしたにもかかわらず、ソ連側の許可が出ておりません。で、これは五月十日に新関大使を通しましてソ連側に強く要請いたしておりますけれども、私たちのほうでは八月十日から八月三十一日までの間、遺族代表団四十五名を添えて準備はしております。
  42. 岩動道行

    岩動道行君 三十九年から継続的に墓参が認められてきたのはたいへん喜ばしいことでありますが、しかし、なかなか希望の場所を全部というわけにいかないということで十九カ所のソ連政府からの通知の場所に対してまだ十四カ所程度しか済んでいないということで、昨年は三カ所ソ連本土に対して要望したけれども、それが実現できなかったというようなこと。したがって、ことしはそれを繰り返して要請をしている。あるいは北方四島、領土問題に関係のあるこの四島に対しては、四十六年も四十七年も要請したけれども実現ができなかったと、こういうようなことを振り返ってみますると、なかなか容易ではないし、これは強くソ連政府にも実現方を要請していただきたいと思うわけであります。  ことに、この墓参の問題は人道問題でございます。従来とも政府はその人道問題の根本に立ってこの墓参を実行に移してきておられると思うんでありまするが、今後とも、そのような基本的なヒューマニズム、これを踏まえて、そしてやっていただきたい。そうするならば、ソ連は私は十分にそれにこたえてくれるものであるということを期待をいたしております。  昨年、岡田嘉子さんが日本に一時帰国を許されました。これは、なくなった御主人であります瀧口新太郎さんの遺骨を持って日本に里帰りをした。そしてお墓をつくりたい、こういう要望がございました。そして、当時の佐藤総理と、グロムイコ外務大臣が来日された際に、この問題を話題として取り上げていただいた。その結果、ヒューマニズムの問題、そして日ソ親善友好のためと、こういう立場から、グロムイコさんは前向きに検討するという約束をして帰られた。その結果、昨年の十一月、岡田さんは日本国民の大きな歓迎の中にきわめて印象的な帰国をされたわけであります。このようなことを考えますと、私は、戦争でなくなった方々のお墓にお参りをするという感情というものは、世界人類に通ずるものであり、ソ連政府といえども十分にわかるところであろうと。もちろん、残された地域外国人の立ち入り禁止地区である、あるいはウラジオストックというような軍事基地であると、こういったようなところにも墓地があるそうでありまするが、これらの地域についての要望もいたしておると伺っておりますが、ぜひこのような人道主義的な立場からひとつ最大の努力を払っていただきたい、このことを特にお願いを申し上げたいと思いまするが、特にこの折衝に当たられる外務省の御所見を伺っておきたいと思います。
  43. 大和田渉

    政府委員(大和田渉君) 墓参ということ自身がきわめて人道的なものであり、また、われわれはそれ以外のことは考えないという趣旨で先方と毎年折衝しているのが実情でございます。いま御指摘になりましたとおり、過去におきまして認められた北方諸島に対する墓参というものは、四十三年、四十六年、四十七年というものは先方から断わられております。われわれといたしましては、あくまで人道的なものなので、ほかのことは考えずに、とにかく許してもらいたい、認めてもらいたいという要請をいたしております。本年度につきましても、先ほど総理府のほうから御答弁ございましたとおり、五月十日に申し入れておりますのですが、現在まで何ら返事がなく、催促いたしましたけれども、まだ返事がないという実情にございます。もちろん、われわれとしては、あきらめることなく、今後とも同じような趣旨で先方に要請したいと、こう考えております。
  44. 岩動道行

    岩動道行君 これで終わりますが、この機会に、やはり政治の立場から、外務大臣から一言、本問題の推進についての所信をお答えいただきたいと思います。
  45. 大平正芳

    ○国務大臣(大平正芳君) 昨年訪ソいたしました際にも、この問題を、先方の首脳に配慮方を求めましたし、今月に入りましてソビエトの大使にも再度配慮を求めておるわけでございまして、今後も精力的に続けてまいるつもりでおります。
  46. 田英夫

    ○田英夫君 私は、今度田中総理大臣が訪ソをされるということを控えまして、北方領土問題がようやく本格的に話し合われる、こういう情勢を控えまして、従来からこの北方領土問題につきましては、さまざまな意見が出され、また、自民党政府の続いてまいりました中でも、吉田内閣以来、サンフランシスコ平和条約を結ばれた時点から出発いたしまして、実は北方領土についての解釈というのは、かなり変転をしてきたというふうに言っていいと思います。そこで、いよいよ本格的に話し合われるというこの状況の中で、田中内閣として、大平外務大臣として、どういう態度で、姿勢で、どういう解釈で臨まれるのかということをひとつ確認をしておきたい、こういう意味から御質問をしたいと思うんですが、まず最初に、今度の総理の訪ソで、ほんとうに北方領土の問題が話し合われるのかどうかという、この問題からひとつ伺いたいと思うんですが、実は、松前重義さんを通じてソ連のほうから、ソ連のほうは領土問題というようなことよりも、もっとグローバルな問題について、アジア安全保障体制というような問題を中心にして話し合いたいんだと、こういうふうに伝えられてきたという報道があります。現に、外務大臣ももうすでに松前さんとはお会いになっておると思いますが、このソ連の態度というのは、実は松前さんを通じて初めて出てきたことではなくて、以前から私ども聞いていたことでありますけれども、そういうソ連の態度に対して、総理訪ソということである以上、日本の国民感情としては、当然、北方領土問題は話し合われるだろう、こう考えるわけですが、この辺のところはどういうふうにお考えになっているか、まず伺いたいと思います。
  47. 大平正芳

    ○国務大臣(大平正芳君) 田中総理の訪ソにつきましては、まだ本ぎまりしていないのでありまして、いま両政府の間で打ち合わせをいたしておるわけでございますので、日程について打ち合わせをしているわけでございますので、まあどういう議題にするかというようなことにつきましても、まだ実はそういう相談に入っていないわけでございますので、そういう前提で、いまの御質問にお答えしたいと思います。  領土問題が話し合われることになるかならぬかという問題でございますが、いま申しましたように、議題をきめておるわけではないので、必ず話し合われるとか話し合われないとか言えないと思うんでございますけれども、いま日ソ間にありまする最大の問題は、やっぱり平和条約問題だと思うのでございます。平和条約の締結問題というものをバイパスしてまいるわけには私いかぬだろうと思うんでございますが、平和条約の締結というのは、平和条約というのは、当然のこととして領土条項というものを含むわけでございますので、この問題は議題にうたおうとうたうまいと、当然この話の筋道の中では出てくる問題ではないかと思うんでございます。しかし、まあ総理の訪ソということに関連して、国民の願いは、やっぱりこういう問題についてとっくり話をして、できることなら手がかりでもというような希望があることはわれわれも否定できないと思うんでございますので、こういう問題は話題に当然なるべきものと私は期待をいたしております。
  48. 田英夫

    ○田英夫君 当然、いま大臣からお話がありましたように、平和条約を話し合えば領土問題が出てくる。つまり、北方領土の問題が出てくる。こういうふうに私も考えるわけですが、そうなりますと、先ほども参考人方々から特に国際法に関連をした御意見を聞いたわけですけれども、この北方領土のことを考えたときに、一体日本側はどういう根拠に立って主張をするのかというところが実は非常にむずかしい問題だと思うんです。  そこで、まず伺いたいのは、一部に、沖繩は返った、次は北方領土だというスローガンを掲げた方があるわけですけれども、自民党もそうおっしゃったのかもしれませんが、これをそういうふうに言っていいかどうかということなんですね。これは国民、特に、きょうも参考人でおいでになった北海道、さらには当該の島の御出身の方々に対しては、非常に誤った解釈を与えるおそれがあるのではないかという気がするわけです。沖繩に比べて、北方領土の返還というのは、そう同列に考えられないのではないか、それは条約的に、国際法的にです。ここのところをまず伺いたいと思うんですが、沖繩の場合は、サンフランシスコ平和条約の第三条、それから国連憲章というからみの中で、これはアメリカがむしろ領有をしていることが不当である、こういうふうに言って差しつかえないんじゃないか。特に、条約局長おいでになりますから、サンフランシスコ平和条約の三条の規定から関連をして、信託統治というものが出てくるわけですけれども、それからすると、国連憲章のたとえば七十八条を一つとってみても、信託統治は国連加盟国となった地域には適用しないという条項がある。日本は国連加盟国ですから、その日本領土の一部である沖繩に信託統治ができるはずがないんで、信託統治をすることを前提としてアメリカはあそこに沖繩主権を持ったわけです。そういう状況からすると、その根底が失われている。沖繩の場合には返すのがむしろ国際法的に当然であったと、こういうことが言えるのに対して、北方領土の場合は、これは条約的には非常に問題があると思いますが、その辺はひとつ、まずその解釈を、沖繩北方条約的、国際法解釈を伺いたいと思います。
  49. 高島益郎

    政府委員(高島益郎君) 沖繩北方領土との条約上の差いかんということで、たいへん大きな問題かと私は思いますが、いま田先生が御指摘になった部分に限りまして、とりあえずお答えいたします。  まず、沖繩につきましては、これはアメリカ日本は当然桑港条約の当時国でございますので、そういう関係サンフランシスコ平和条約においてお互いに拘束される立場にあったという点において、北方領土については日本ソ連との間に何ら法的な関係がないという点で、全く違うということを言えようかと思います。  それから、第二点といたしまして、平和条約第三条の規定そのものが国連憲章違反ではないかというお話でございまするけれども、これは、いままで桑港条約の御審議をいただいた国会での討議の過程、その後国会でいろいろ政府側から答弁いたしました同じ問題がございまするけれども、これは国連憲章第七十七条にございまするとおり、「第二次世界戦争の結果として敵国から分離される地域」という項目もございまして、このもとで信託統治に置かれる可能性、つまり理論的な可能性はなかったわけではないということで、第三条そのものが国連憲章の規定に違反する取りきめであるというふうに私ども解釈いたしておりません。  それから、また、国連加盟国となった後にどうかというお話でございましたけれども、国連加盟国になった国そのものが信託統治になるということは全く論理的な矛盾でございますので、これは絶対にありようはずがありませんけれども、国連加盟国の領域の一部が信託統治になるという可能性が全然ないわけではないということも、いままでたしか国会で政府側がお答えしたことの中にあったのではないかと私思います。  いずれにしましても、日本全域が信託統治になるということは全くお話にならない理論的な矛盾でございまするけれども、日本領域の一部がそのような可能性のもとに置かれるということは、論理的には必ずしも不可能ではなかったということでございます。  いずれにいたしましても、平和条約第三条の規定に基づいて米国は施政を行なったわけでございまするが、アメリカは、沖繩の返還の時期が近づくに従いまして、この信託統治にするという可能性は全く放棄いたしまして、むしろ桑港条約締結当時に明らかにいたしました潜在主権日本が潜在主権を持っているという立場を表明いたしまして、その潜在主権がいずれかは顕在化するのである、つまり返還するのであるという立場を漸次明らかにいたしまして、サンフランシスコ条約第三条そのものが実施されない、結果においては実施されないような、そういう方針をとるに至ってまいっております。そういう意味におきまして、沖繩につきましては桑港条約のワクのもとで法律的に解決がついたわけでございまするが、北方領土につきましては何ぶんにもソ連が桑港条約の当時国でない。しかも、日本千島樺太とともに一方的に放棄したという事実があるだけでございまして、それ以上日ソ間については何らの法的な関係はないという点は、基本的に違う状況であろうかと思います。
  50. 田英夫

    ○田英夫君 いま、条約局長が言われたとおりですね。沖繩北方はその基盤が違うと。法律的、国際的な。この点は政府もお認めにならざるを得ないと思います。それを安易に一部の中から、沖繩が帰った、今度は北方領土だ——これは私は非常に危険なものであって、この態度はぜひやめていただきたいと思いますが、いま条約局長の言われた沖繩の問題については、私はもう、日本が国連に参加をした状態のときに第三条というのは無効になった、違反というより無効になったと、こういうふうに解釈をすべきではないかと思いますし、それは譲っても、アメリカの主張をそのまま受け入れたとしても、潜在主権というものをアメリカも認めたわけですから、この点は北方領土とは全く状況が違う。北方領土の場合は非常にそこにむずかしい条約的な背景かあって、条約的な窓口から入っていって、国際法的な窓口から入っていって、これを日本側の主張を押し通していこうということはきわめて困難である。これは本日の参考人もそういうことを言っておられるわけです。私もそのとおりだと思わざるを得ないのです。  そうなってくると、政治的な解決をせざるを得ない、こういうことなんですけれども、これは、こまかい条約根拠その他は申し上げませんけれども、もう専門の立場から御検討になった上で条約局長からお答えいただいて、その上で外務大臣からぜひお聞かせいただきたいんですが、そういう状況の中で今度の平和条約にからむ領土問題について、日本政府としては一体どういう立場から、いま私が申し上げたような意味で、法律的に押していくということが不可能ならば、国際法的に押していくことが不可能ならば、政治的ということになる。政治的ということになれば一体どういう態度で臨まれるのか。非常に抽象的な質問かもしれませんけれども、そこのところをちょっとお聞かせいただきたいと思います。
  51. 高島益郎

    政府委員(高島益郎君) たいへんむずかしい問題であろうかと思いますが、私ども日ソ共同宣言の締結交渉当時から一貫した対ソ主張というのがございまして、今回も特別にこれと変わった、これからもそれと変わった主張をいたすわけにはもちろんまいりませんし、するつもりもございませんが、大ざっぱに申しまして、日ソ共同宣言、つまり、当時平和条約を意図した交渉の過程において領土問題についてのわがほうの主張は、これまで政府がしばしば国会で明らかにいたしておりますとおり、国後択捉という両島日ソ間のいままでの条約上の取りきめでは千島という中に入っておりませんで、一八七五年の千島樺太交換条約では、ウルップ島以北の十八島、これを千島列島、クーリール・アィランズということばでもって日ソ間で取りきめたのが唯一の先例でございまして、いまだかつてソ連領土になったこともありませんし、ソ連その他の条約上の対象になったこともない、つまり日本の国有の領土である、したがって、これはわが国が桑港条約第二条によって放棄をしたいわゆるクーリール・アイランズという中には入らないものであるという立場で、従来ソ連に対して主張いたしてまいりました。このことにつきましては、もちろんソ連は非常に反対の立場をとっておりますし、ソ連ソ連としてのまた法的根拠ソ連なりに示しておりますが、その中心は、やはりヤルタ協定によってそういうことはもうきまったんだ、ポツダム宣言によってきまったんだという、いろんなことを申しておりまするけれども、これは私たちの立場からいたしますと、戦争をやってその結果領土を得たり失ったりするという取りきめは、あくまでも戦争中の密約とか約束とかいうことではなくて、戦後の正式な平和条約によって初めて決定すると、その平和条約はいわゆるサンフランシスコ平和条約でございまして、その中では千島列島ソ連領土になるということは書いておりませんので、ただ日本千島列島を放棄するということを約束しました、その千島列島の中には国後択捉を含みます四島は入らないという立場で、そういう意味ではわれわれもソ連に対して法的な主張をいたしておるわけであります。でございまするので、一般的に北方領土を含みまして領土問題についての主張というのは法的な主張なしに行ない得るものではございません。政治的にただ返せというだけでは、とても問題にならないと私たち思っております。もちろん、政治的な色彩は非常に濃厚でございまするけれども、その根拠としては、やはり法的なわがほうの立場というものが基礎になければならないということで、一九五六年、当時わがほうの代表団はそういう立場でもってソ連に対し主張し、その結果、歯舞色丹につきましては将来平和条約締結の際に日本に引き渡すという約束をいたしましたけれども、国後択捉については引き続き平和条約の締結交渉の一部とするということで終わっているわけでございます。
  52. 大平正芳

    ○国務大臣(大平正芳君) いま条約局長の御答弁で尽きていると思いますが、一口に言うと、歴代の政府がそういう立場で対ソ交渉に当たってきたわけでございまして、田中内閣といたしましても、圧倒的多数の国民がその旗をおろせと言わない限りはおろすわけにはまいりません。
  53. 田英夫

    ○田英夫君 そうすると、今度の交渉も、今度の会談でも、いわゆる返還を求めるのは歯舞色丹国後択捉という四島を対象にするというふうに考えてよろしゅうございますか。
  54. 大平正芳

    ○国務大臣(大平正芳君) そのとおりでございます。
  55. 田英夫

    ○田英夫君 さっき岩動委員は、社会党、共産党は樺太まで返還を求めるというようなことを言われました。これはもちろんたいへんまあ間違いでありますけれども、そうなってくると、いま四島を対象にするとおっしゃいましたけれども、条約局長はまた法的な根拠を踏まえた上で交渉する、こういうふうに言われた。となると、いわゆる国後択捉というものは千島には入らない、サンフランシスコ平和条約二条(C)項で放棄した千島には入らないと、こういう解釈だと思わざるを得ないわけですけれども、ところが、同じ条約局長の答弁で——これはもうこ存じのとおりてす。昭和二十六年の十月十九日、第十二国会で西村条約局長か、南千島は——南千島ということは当然常識としては国後択捉を含むのだと解釈せざるを得ないのですが、第二条で放棄した千島列島南千島を含むと、こういう答弁をしているわけですが、これはどう理解したらいいのか、これは変更と考えなければならないのか、この辺はいかがですか。
  56. 高島益郎

    政府委員(高島益郎君) 私ども、平和条約を御審議願った国会で、当時の条約局長の西村元条約局長が、いま田先生の御指摘のような御答弁をされたということはよく承知いたしております。しかし、先ほど来私が申しておりますとおり、一九五六年における日ソ平和条約交渉において政府が定めました基本的態度は私が申しましたとおりでございまして、自来その態度を一貫しておるわけでございまして、その点につきまして西村条約局長の答弁と引き比べてどのようにお考えになるかということは御自由でございまするけれども、私どもの現在の態度は先ほど来申しておるとおりでございます。
  57. 田英夫

    ○田英夫君 ですから、私は、この北方領土の問題というのは、戦後吉田内閣の時代から変転を重ねてきたというふうに申し上げた。池田内閣当時から四島というところにどうやら変わってきているようですけれども、ところが、同じ自民党の保守党の内閣である鳩山内閣が、実は日ソ共同宣言を一九五六年十月にやっているわけです。この日ソ共同宣言ではサンフランシスコ平和条約の条項を引き継いで……。ところが、ここで一つ返還問題が具体的に出てきているわけですけれども、御存じのとおり、歯舞色丹日本に渡す、ただしこれは平和条約を結んだあとという、こういう問題がここに出てくる。しかも、これは日ソ共同宣言ですから、当然、日本政府が調印をして、受け入れてきているわけです。となると、どう考えても、これは相手のあることですから、相手立場に立ってみなければいかぬのですが、ソ連の側からすれば、歯舞色丹考えるということを日本政府も受け入れているじゃないか、国後択捉というところまではこっちは言ってないぞと、こういうことになるんですが、このところをどういうふうに法的に、あるいは政治的に向こうに言われるのか、今度の交渉で。この辺はどうですか。
  58. 高島益郎

    政府委員(高島益郎君) ただいま田先生の御指摘の点は、日ソ共同宣言の第九項で領土問題に触れた部分についての御解釈かと思いますけれども、われわれ、当時の交渉の結果、歯舞色丹についてはソ連が将来平和条約の際に日本に引き渡すということに同意いたしましたけれども、私たちの主張であります国後択捉については同意しなかった。その結果、結局平和条約というものを結び得ませんので、共同宣言という名前による実質的な平和条約を締結することに賛成せざるを得なかったという経緯がございます。したがって、この点についてはソ連立場は、国後択捉ソ連領土であるという立場でございます、現在。わがほうはそれと全く相対立する立場でございまして、その点が係争点になっているというのが現状でございます。
  59. 田英夫

    ○田英夫君 そこで、非常にはっきりした政治的な解決の道を選ばざるを得ないのではないかということが、さっき私が申し上げたことが浮き彫りになってくると思うんです。つまり、一九五六年の鳩山さんが病苦を押してわざわざモスクワまで行かれたという、あの時点から今日に至るまで、さっぱり状況が変わっていない。鳩山さんは、とにかく歯舞色丹ということで共同宣言を合意してきたにもかかわらず、その後こっちは国後択捉までふやすという状況になってきている中で、北方領土問題というのは一歩も前進をしないということになってきてしまうわけで、ここのところに非常に問題が出てくるのじゃないか。ですから、はっきり申し上げて、社会党はまず平和条約を締結して、歯舞色丹についての解決をはかって、その平和条約の中で、はっきりと全千島の返還について引き続き話し合うということを確約をさせたらいいではないか、こういうことを申し上げているわけです、党として。つまり、ここに行き詰まっている状況を打開するために、しかも沖繩のような返還するのが当然という国際法的な根拠のない問題として——それはもちろん、不当に占領したとかという、いろいろな根拠はあるでしょうけれども、実際問題として、さっき条約局長も言われたように、ソ連が入ってきて、九月一日という状況の段階の中では実際軍事的な占領をして、それが既成事実になって今日に至っているというこの状況の中で、少しでも日本国民の望んでいる方向に前進をしていくためには、ソ連も認めている歯舞色丹の返還ということで平和条約を結んで、その上で全千島の返還ということを条約の上で交渉することを約束させる、こういう段階を踏んでいくのが政治的な解決ではないかというのを私どもは主張し、提案をしているわけです。ところが、自民党、そしていまの政府のお考えは、いやそうじゃないと、国後択捉までが固有領土だから、そこから北の千島は別だと、こういうふうにおっしゃるので非常に解決しにくくなっている。むしろ、われわれのほうが非常に現実的な提案をしているわけです。同時に、われわれも、むしろ逆に、全千島固有領土であるということを私どもは申し上げている、こういうことだと思います。  そこで伺いたいのですが、この社会党の提案をどう思うかということはあとでもう少し詰めてお伺いすることにして、まず伺いたいのは、なぜ国後択捉のところで線が引かれてしまうのか、ここのところが、つまり、択捉とウルップの間に線を引くというのは、例の日魯条約というのが一八五五年ですね、日魯条約一つ根拠になっているようですけれども、これを政府根拠にしておられるのかどうか。ウルップと択捉のところに線を引いて、国後択捉まで四島だとおっしゃる根拠をひとつ伺いたい。
  60. 高島益郎

    政府委員(高島益郎君) わがほうは、国後択捉千島列島の一部じゃなくて日本固有領土であるという主張をいたしておりますのは、一八七五年の樺太千島交換条約においてウルップ島以北十八島のみが交換の対象になった千島列島である、このことはソ連もよく了解しておりまして、ソ連日本との間で千島列島ということばが使われる場合にはウルップ島以北の島しか使われていなかったという点が一つの大きな根拠でございます。そのほかにも、もちろん、戦争中の大西洋憲章、つまり領土不拡大の連合国の方針、またカイロ宣言、ポツダム宣言、そういったいろいろの経緯を経て平和条約が締結されて、日本がそれに基づいて千島列島を放棄せしめられたという、そういう一般の経緯からいたしまして、国後択捉はいかように解釈しても千島列島の一部と解釈することはできないというのがわがほうの立場でございます。
  61. 田英夫

    ○田英夫君 ここで重要なことは、千島列島を放棄したということなんですね。これは吉田内閣の当時に、残念ながら、そういうことをやられたわけですけれども、これは結果的にはヤルタ協定を認めたことになる。こういう、ひとの領土をその持ち主に何の話もなくきめてしまうということを実際認めてしまったところにそもそもの根源があって、それをこの期に及んで政府も非常に御苦労をされざるを得ない。同じ自民党内閣なわけですけれども、非常な苦労をされているわけです。しかし、それにしても、放棄した千島のうちでどうして国後択捉というところまでを、非常に何かこう、強硬に主張されるのか。固有領土という解釈というのは、歴史的なもの、あるいは地理的なもの、そういう根拠に基づかざるを得ないわけですし、あるいは歴史的なものの中には、国際法的といいますか、日魯条約というような、そういうものも含むわけでしょうけれども、いまの条約局長のお話を聞くと、どうもその辺が釈然としないと思いますね。一八七五年、これは明治の初めですが、樺太千島交換条約という、これが一つ根拠だと、こうおっしゃるわけですけれども、しかし、その前のその交換条約のもとになるのは、一八五五年の日魯条約ということになるわけですから、一番さかのぼると、そこまで条約的にはいくわけでしょうが、そこで、ではなぜ一八五五年に日魯条約が結ばれて、そこで択捉とウルップの間に線が引かれて、ウルップから北がソ連のものだ、こういうふうになったのかという、そこのところの線の引き方、これは当時すでに千島をめぐって日魯間で種々の紛争があって、どっかにはっきりした線を引かなければいかぬということで引かれたのであって、それが歴史的、地理的に国後択捉が——以北が千島だ、こういう根拠に基づいてあそこに線が引かれたのだという資料は、少なくとも私どもが得る限りでは一つもありません。これ、何の根拠であそこに引かれたのかと言えば、きわめて政治的に紛争がある中で一つの線を引いた、こういうふうに私どもは解釈せざるを得ないんですけれども、何かそこに歴史的な根拠をお持ちなのかどうか。あそこに、国後とウルップのところに線を引くということについて、何か歴史的な根拠をお持ちなのかどうか、その点を伺いたい。
  62. 大和田渉

    政府委員(大和田渉君) 一八五五年の日魯通好条約、その結んだ時点で、なぜウルップと択捉の間に線を引いたかという御質問承知いたしますが、これは、日本ソ連双方ともその時点において特に法律的な根拠があったわけではなくて、事実上は日本人及びソ連人がまじって生活していた。いろいろなトラブルがあった。そのトラブルを避けるために双方が合意してそういう線の引き方をしたということだと承知しております。
  63. 田英夫

    ○田英夫君 私どもも、大和田局長の言われたとおり、当時の状況では、日ソといいますか、日魯ですね、両国の人たちがあの辺は入り組んで生活をしていて、そういう中で漁業問題などでいろいろ紛争があるという中で線が引かれた、こう私どもも解釈をしているわけです。したがって、歴史的、地理的にウルップと択捉の間に、ここが千島の境目だと、こういうものがあってそういう線が引かれたのではない、こう解釈するのが私は正しいと思うし、それに反論をされる資料があるならばお出しいただきたいのですけれども、いまのお答えでも、どうもないようですね。そうなりますと、なぜこういう現実の政治情勢、日ソ関係の中で、そしてもっと大きく言えば現在の世界情勢の中で、日ソ間に平和条約を結ぶということが、これは非常に好ましいという国民的な願望であるというふうに言ってもいい、こういう状況の中で、あるいはいまの国際情勢ということを踏んまえた中でそれが非常に重要だと、そういうことの中で、いま自民党政府が出しておられるやり方というのは、その程度の根拠のないものであるにもかかわらず、国後択捉まで入れて四島だと、こう主張する。そのことによって日ソ平和条約も結べない結果になる。歯舞色丹ということにしておけば——これは社会党か弱くて言っているんじゃありませんよ。きわめて国益に沿って具体的に解決をはかって、その上で本来の主張である千島全部の問題について話し合いをしようじゃないかという、そういう方向を取りつけていくために、まず現実の問題として一歩前進しようじゃないか、こういうことを申し上げているわけなんですけれども、大平さん、この点はどういうふうにお考えになりますか、社会党の提起している具体案についてですね。あるいは、それはだめなんだと、国後択捉についてはこういう非常に大きな根拠があるのだと——これはもう地元の方の要望というのも一つ大きな私は根拠だと、こう思います、確かに。ですから、われわれも、もちろんあそこを放棄すべきだと言っているわけじゃない。ここまでかなり大胆に、私どもとしては大胆に、地元の皆さんのお気持ちなどを考えたときには非常に大胆にそれを言っているわけです。これ、いかがですか。
  64. 大平正芳

    ○国務大臣(大平正芳君) 日ソ両国は永遠の隣邦でございまして、どう考えてみましても理解と信頼を持ちまして平和的に互恵関係を続けていくべきものだと思うのであります。それで、そういう関係をより安定した基礎に置くために平和条約というきずなをつくろうということは、日ソ両国とも共通の土俵でございます。で、平和条約となると、領土条項というのが、先ほど申しましたように、問題になってくるわけでございまして、ソ連側では、おそらくあなたの主張されているように、二島の処理をすれば、二島の処理をして平和条約を結ぶことによって、北方領土問題の解決という姿を考えられておるのではないかと思うのでございます。で、私どものほうは、先ほどからも御論議をいただいておりますように、四つの島ということを主張いたしておるわけでございます。両方とも、領土問題を解決したい、それで平和条約を締結して両国関係を安定した基礎の上に置こうという願望においては一致しておるわけでございまして、そして、その交渉をやろうということもあわせてまた合意いたしまして、去年第一回の交渉をやったわけでございます。本年第二回の交渉をやろうと、ああいう手はずになり、これも双方合意いたしておるわけでございますので、私どもといたしましては、当方の主張するところをきわめてフランクに十分お話を申し上げて理解を求める、先方の御主張も十分承るということをずっと詰めてやってみる必要があるんではないかと、いま考えておるのでございますが、いま私の頭にあるのは、精一ぱいそういうやりとりを相互信頼の中でフランクに精力的にやってみようということでございまして、いま結果を予想するという余裕はまだございません。
  65. 田英夫

    ○田英夫君 これは、かつて一九五六年、鳩山さんが日ソ共同宣言を締結をされて国交樹立というところまで日ソ関係を前進をされたこの時点に比べると、現在はもう国内の状況も、あるいは日本を取り巻くさらに世界全体の状況も非常に違うと思うのですね。で、ちょうど鳩山さんがあのいわゆる国交回復をされた段階では、はっきり申し上げて、時の総理大臣でありながら、その話し合いを始めることを自民党内にさえ隠しておられなければならなかったという状況があったことを、私も外務省の霞クラブにおりましたので、つぶさに知っております。むしろ、私どもが、いま参議院におられる杉原荒太さんなどを通じてそういう話をしなければあの端緒さえできなかったと、こういう当時の状況、これに比べて現在の国内の状況は全く違う。そして国際的にも、日本立場も変わりましたし、同時に、アメリカソ連中国という、こういった状況が大きく変わっている。ここで、いまこの時点で平和条約ソ連と結ぶということは、さっきも申し上げたように、ただ国民的願望であるというだけでなくて、日本外交として、国益としてきわめて重要である、この時点で結ぶということは。そう思わざるを得ないんで、そのタイミングをはずさずに田中さんが訪ソをされようということに私はむしろ敬意を表します。となると、せっかくそういう状況の中にあって行かれるにもかかわらず、しかも鳩山さんが自民党——保守党内閣である鳩山さんが、すでにもういまからいえば十何年前かに取りつけられた、歯舞色丹というその問題をまず解決すれば平和条約が、少なくとも領土問題についてはまず問題なく前進をするという、そういう状況にありながら、なぜ日本の側から難問を突きつけるのか、これは私は外交として非常に理解に苦しむわけです。何もこういう問題は、そこで終止符を打つわけじゃありませんから、引き続きこの千島の問題について日ソ間で話し合うということさえきちんと取りつければ、さらに将来の問題として残されるわけであります。そして同時に、安全操業の問題というようなものを一つの大きなポイントとして話し合われる、こういうことになれば、私は、平和条約並びに日ソ間の関係改善という上で大きな前進になると思うのですが、なぜそこにこちらから、むしろ日本の側から、日本政府の側から問題をこじらせるような難問を突きつけられるのか、非常に理解に苦しむんですが、重ねてそこのところをお伺いいたします。
  66. 大平正芳

    ○国務大臣(大平正芳君) 田さんの御意見一つの高道な御見識として承りました。ただ、私が御理解を得たいのは、去年の秋第一回の平和条約締結交渉を始めたわけでございまして、まあ第二回をことしやろうということでございまして、この種の問題、この交渉、数時間の交渉でさらりと解決できるという性質のものでもございませんで、まあしばらく、これ——交渉にならぬというわけでもございませんで、交渉をやろうということでいま始めておるわけでございますので、しばらくやらしてみていただきたいと思います。
  67. 田英夫

    ○田英夫君 あんまり時間がなくなりましたので、この問題はひとつ、そこのところに問題点が集約されるといいますか、しぼられる感じがいたしますので、北方領土という限りにおいては、やはりすでに自民党内閣である鳩山——自民党内閣と言っていいかどうか、保守党内閣である鳩山さんの手によって筋がつけられている歯舞色丹という問題をまず解決をして、その上でさらに話を進められたら、平和条約というものの締結が円滑にいくではないかという、これに対するお考えがあまりはっきり聞かせていただけませんけれども、この点は、私は、現実的に何が一番大事なことか、日本の国民にとって、日本の進む方向をきめていく外交にとって、何が一番大切かという、いまの状況というものをよく御検討いただきたいと思いますが、そういう中で、もう一つ具体的な問題として、さっき申し上げた安全操業の問題に関連しますが、先日も外務委員会でも、領海の問題について、やはり十二海里という、いま国際的に常識化しつつあるこの方向に転換をする、こういうのがどうも政府の御方針だというふうに承るわけですが、現在の三海里から十二海里ということになりますと、特にこの水域では非常に問題になると思いますけれども、この辺はどういうふうにお考えですか。
  68. 大和田渉

    政府委員(大和田渉君) 来たるべき海洋法会議でどのように領海の幅員が定められるかはまだ未定でございますけれども、現在の安全操業問題と申しますのは、具体的には、御承知のとおり、北方領土を中心として、日本の平和な産業、つまり漁業に従事している漁夫諸君が拿捕されるということに問題があるのでございまして、われわれとしては、確かに北方諸島についての双方の基本的な立場、主張は違うということはわかっているけれども、事実上漁夫がつかまるということがあるので、こういう事態を何とか人道上の見地から避けたいということで提案をしているわけでございます。したがいまして、将来領海の幅員の十二海里になりましたときにどうなるか、その時点におきましても領土帰属の問題について依然として主張が離れているという事態においては、似たような事態が起こり得るのではないかというふうに考えております。   〔委員長退席、理事岩動道行君着席〕
  69. 田英夫

    ○田英夫君 時間がありませんので、最後に一言だけ。  いまの大和田局長のお話のとおり、非常に心配をするわけです。どうやら日本も十二海里という方向に国際的に同意せざるを得ないと、こういうことになってくると、この北方領土の問題の解決というのはやはり急がなくちゃいかぬ、こういうこと。この問題からも。これだけがあれじゃありませんけれども。そうなってくると、今回の田中訪ソという問題の中で平和条約締結への大きな前進が、さっきの領土の問題で私の提案いたしました方向なども一つの方法として、これ、前進すればたいへんけっこうだと思いますが、同時に、安全操業の問題についても当然お話し合いがあるだろうと思います。で、この問題もぜひ早急に解決をしなければならない問題で、特にあの海域の漁民の皆さん、いままでたいへん苦労をしてこられたわけです。私も現地を見たことがありますけれども、非常に苦労をしておられるので、そういう状況をひとつ踏んまえた上で解決していただきたいのですが、きょうは時間がありませんでしたので、条約的な問題についての根拠を伺うにとどめましたけれども、繰り返して申し上げたいのは、ぜひ、何が一番当面大切なことかということを踏んまえた上で交渉を進めていただきたい。国後択捉をいまのこの時点で固執される理由が全く私どもには理解できない。この点を申し上げて質問を終わります。
  70. 藤原房雄

    ○藤原房雄君 きょうは参考人の方からいろいろな御意見もいただきまして、また、いま同僚委員からも質問があったわけでありますが、最初にお聞きしたいことは、やはりいま一番問題になっております、十月に田中総理が訪ソをするということについて、現在この北方領土及び安全操業、何とかこれの打開の道をという国民のひとしく願うその道が少しでも明るい方向にいくのかどうかという、これは一番関心のあることだと思うのであります。先ほど大臣から、日程、正式な決定はまだないようなお話でございましたが、昨日、きょうあたりの新聞には、十月の八、九ですか、日程もきまったようにも報道されておりますし、また昨日、一昨日ですか、参議院の本会議におきまして漁業白書の質問に対しましても、安全操業のことにつきましては、日ソ共通の利害関係としまして首脳会談の席上で十分に協議したいという、こういうことを田中総理自身もはっきり言っておるわけであります。こういうことからいたしまして、私どもはまず第一に考えますことは、田中総理がこのたびソ連を訪問する、これはヨーロッパ訪問の途中寄られるというようなこともいわれておりますけれども、まず最初にお聞きしたいことは、ソ連に行かれるその目的ですね。そして、またそこで、当然一国を代表して総理が行かれるわけでありますから、それ相応の目的と、また話の内容というものについても十分な検討がなされなければならない。これはこれからいろいろな検討をなさるのかもしれませんけれども、当面の問題としまして、先ほどから同僚議員のお話がありましたように、ソ連に対しては私どもは大きな問題をかかえておるわけでありますので、それらのことにつきまして、どういう課題を背負ってこのたびいらっしゃるのか、さらにまた、平和条約につきまして去年から第一回の交渉が始まりました。ことしは第二回ということでありますが、大平外務大臣がいらっしゃるそのときには第二回目の話し合いということになるのかどうか、その間のことについてお伺いしたいと思います。
  71. 大平正芳

    ○国務大臣(大平正芳君) 最初にお断わりしておきたいのでございますが、総理の訪ソ日程がきまったわけじゃございません。たいへん片意地なことを言うようでございますけれども、一たんきまりまして、それが変わるということになることは事重大でございます。この種の問題でいついつにきまったという報道、きまるような報道が出て、実際それが違っておったというようなことになりますと、決して何ら利益はないばかりか、相互の不信になりかねませんので、片意地な、かた苦しいことばを申し上げて恐縮でございますけれども、まだきまっていないということだけ、いま先方とお話し合い中である、お話し合いが始まったばかりでございますので、その点をひとつ御了承していただいておきたいと思います。  しかし、総理大臣が訪ソの希望を持たれておるということは事実でございます。これは隣邦でございまして、先方の最高首脳の御招待もございまして、直接お目にかかってフランクなお話し合いもしておく必要を感じておるからでございまして、特定の成果を是が非でも得なければならぬというようなかた苦しいものではなくて、隣邦のよしみといたしまして当然なすべきことをなすという気持ちでございます。   〔理事岩動道行君退席、委員長着席〕  しかし、日ソの間には共通の関心を持った問題もございまするし、この地域ばかりでなく、世界全体が大きく揺れ動いておる今日でございますので、ソ連という偉大なる隣邦の最高首脳と隔意ない懇談を遂げ、意思の疎通をはかるということは、わが国の今後の外交の展開にとりましても、とりわけ日ソ関係の調整にとりましても有益なことになるのではないかという願いを込めて考えておるわけでございます。  それから第二点の、これも私どもの希望でございまして、まだきまったわけではございませんけれども、第二回の平和条約締結交渉を先方の外務大臣と当方の外務大臣との間で行なうことが予定されておりますが、総理訪ソと並行いたしまして行ないたいという希望を日本は持っております。
  72. 藤原房雄

    ○藤原房雄君 日程のことについては、時間もありませんから、よけいなことを言ってもしようがないのですが、こちらから意向を述べてまだ向こうから正式な招待といいますか、返事がないということだろうと思うのでありますが、いずれにしましても、ことしの秋十月、いらっしゃることはいらっしゃることになるだろうと思うのでありますが、確かに、隣邦として友好を深め、そこで話し合うことは、現時点においてはこれは重要なことだと思いますけれども、ただ友好を深める、また、隣邦だからということだけでなくして、先ほど来同僚議員からいろいろお話がありましたように、現在日ソ間におきましてはあまりにも問題がたくさん山積している。それだけに私ども国民もまたそれを一つでも解決することに対する強い願いがある。このように考えざるを得ないと思うのであります。  時間もありませんので次にまいりますが、これは、先ほどもお話があったかと思うのでありますが、確認の意味でお聞きしたいと思いますが、北方領土領土問題——平和条約を結ぶ交渉であろうと、また、それとは別にいたしましても、日ソ間の問題で領土の話を素通りしては通れないだろうと思います。政府の現在の態度といたしましては、四島の完全返還ということをあくまでも貫いていくということであって、その中間的な考え方は、現在、現時点ではないという、このように先ほどの答弁から理解してよろしゅうございますか。
  73. 大平正芳

    ○国務大臣(大平正芳君) そのように御理解をいただきたいと思います。
  74. 藤原房雄

    ○藤原房雄君 それから、参考人のお話の中にもありましたのですが、国民的な合意というものを取りつけるという、また世界世論を喚起するということ、このあまりにも大きな問題であるだけに、幅広い活動が必要だろうと思います。そういうやさきに、この八月ですか、日ソ友好議員連盟の国会議員の方々がいらっしゃる。これは各党の方が入っているわけでありますが、これは政府とは別に、日ソ友好議員連盟の方々が訪ソなさるわけでありますが、やはり政府外交交渉をするにあたりましては、それ相応の国民の合意というものの上に立って、ものごとに当たるということは、何といっても大事なことだろうと思うのであります。そういうことからいたしまして、いますぐにということや、また時期的なことや、いろんなことがあろうかと思いますが、やはり合意を取りつけるということのために政府が何らかの形で働きかけなければならないのじゃないか。また、何らかの話し合いというものがなければならぬのじゃないか、そういうことから一つの糸口をつかむ上において、この日ソ友好議員連盟という国会議員の方々の間の話し合い、そういうものを一つの突破口をつくっていくことにはなるのではないか。時期はいつでどうするかということはいろいろ問題があろうかと思いますけれども、いずれにしても国民的合意を取りつけるということに対して政府も何らかの考えがあるんではないかと思うのでありますけれども、この合意を得るためにどういうお考えをもっていらっしゃるか。  それから、先ほど参考人にもいろいろお聞きしたのでありますが、国際的な世論を形成するという上においても世界的な国際法学者に対しまして日本立場というものを、はっきりとした日本立場というものを、それぞれ文章なりまたいろいろな資料、そういうものでPRするといいますか、そういう幅広い活動というものも必要ではないか。それから、そういう国内的な問題また国際的な問題につきまして、より積極的な活動というものがどうしてもなければ、このたびのこの交渉にあたりましても、あまりにも問題が大きいだけに、そしてまた年数がたって一向に進展しない。私どもこの数年の様子を見ますと、非常にソ連が柔軟な姿勢を示した、また最近はかたくなったと、こういうソ連の姿勢を見て一喜一憂するような今日のこういう状況ではなくして、やはり何かを積み上げていく運動、活動というものが必要ではないかと、このように考えるわけでありますが、その間についてどのようにお考えになっていらっしゃるか、お伺いしたいと思います。
  75. 大平正芳

    ○国務大臣(大平正芳君) 先ほども御答弁申し上げましたように、外交はいろいろなレベルにおきまして多彩にかつ精力的に展開してまいることが大事だと思います。いま国会におかれまして訪ソ議員団を結成され、派遣されるということは伺っておるわけでございまして、私どもとしてはそれが結成されて、そういうことになることを期待いたしております。で、御結成に相なりまして、代表者その他がきまりましたら、政府といたしましても、政府のこれまでの経緯、ただいまの考え方等につきましては十分申し上げて、御参考にしなければならぬと考えております。  それから第二の、広く国内外の世論の形成について、これまた行き届いた、かつ精力的なことをやらなければならぬじゃないかという御指摘でございまして、仰せのとおり思っておりまして、われわれ今日までやってまいったことは必ずしも十分とは考えていないわけでございまして、今後ともそういう方面に周到な配慮を加えてまいらなければならぬと考えております。
  76. 藤原房雄

    ○藤原房雄君 アジア安保のことやまた政経分離によりますチュメニ油田の開発のこと等、いろいろ問題は山積しておりますが、私二十分しか時間がありませんので一つ一つお伺いできませんが、何といいましても、先ほど参考人の方のお話にもありましたが、北方領土には何十年お住まいになっていらっしゃった方々が、現在そこに住めないで、本土に来ておられるわけでありますが、しかも、世界の唯一の漁場であるということでこの島に当然起こります安全操業の問題、これは先ほどもいろいろ質問があったわけでありますが、昨日の田中総理の漁業白書に対する質疑におきましても、相当強い決意で北洋漁業の安全操業及び資源確保については日ソ共通の利害関係に立っておるので、首脳会談では十分に話し合いたいというお話があったわけであります。それをまた地元の方々も望んでおることであります。もともとは自分たちの父祖の住んでおったところに魚もとりに行けないということでありますから、これは十分な話し合いをし、少しでも有利な姿になるように進めなければならない、これは言うまでもないことであります。それで、年々漁業交渉におきましては漁獲量が狭められておる。それで、交渉にあたっていろいろな問題が提起されるようでありますが、科学者同士の話し合いにおいても資源論についてはいろいろな意見の分かれるところのようであります。まあそれだけにこのたびの田中総理の訪ソにあたりまして、この安全操業に対して政治的な立場から、科学的な根拠、その資源の問題こういうことだけでは解決できない諸問題がたくさんあるようでありまして、どうしても総理の訪ソにあたりまして、そういう問題解決のためにやはり十分な話し合いと政治的な立場でこの解決をしてもらわなければならない問題があるようであります。特に、最近の漁獲高をどんどん制限されておるということからいたしまして、やはりきめこまかな漁業の漁獲量のきめ方といいますか、魚の種類とか季節とかによりまして操業をする、そういうきめこまかな話し合いというものがなければ、やがては向こうの北方地域から日本の漁民が魚をとれなくなるのじゃないか。そういうことで資源のこと、科学的なデータ、いろいろな問題についても相手に対して納得させるだけのものがなければなりませんし、さらにまた魚の種類や操業の季節云々についても、よりきめこまかな地元との話し合いによりますこちらの体制というものも十分につくらなければならない。こういうことで、この安全操業問題につきましても、このたび訪ソされるという機会に、何らかの形で少しでも突破口が開かれるように、いままでの何となし暗い、毎年毎年漁獲量が減らされていくという、こういう空気を払拭をする方向に少しでも進めるという話し合いをぜひ進めてもらいたいというのが地元の意向のようであります。このことにつきましては、どうかひとつ安全操業、そしてまた今後の漁民が安心して漁業に携わることのできるような十分なる話し合いを進めてもらいたい。  それからナホトカと横浜との定期航路ができたわけでありますが、樺太と稚内は目と鼻の先、天気のいい日は見えるわけでありますが、ここにも定期航路が開かれるような希望というものは地元には十分あるわけであります。六月に第一回の不定期航路の開通がなされたようでありますが、友好親善を深めるという上からいきましても、こういう身近なことが一つ一つ着実に進められることが大事ではないかと思うのでありますが、こういうことにつきましても十分なひとつ御検討をいただき、お話をし、そしてまた突破口を開いていくという、このように進めていただきたい、このように思うんでありますが、これらのことについて御返答をいただきたいと思います。
  77. 大和田渉

    政府委員(大和田渉君) 御指摘の第一点、漁業の問題でございますが、いわゆる漁業についての問題は、安全操業の問題と、例年行なわれます日ソ間の漁業交渉二つに分かれると思います。そのいずれにつきましても、われわれとしては、安全操業につきましては、人道上の見地からぜひこれを平和条約のできるまでの暫定的な措置として合意したいという希望を有しております。また、例年行なわれます漁業交渉につきましても、これは漁業条約に基づく漁業委員会という形で行なわれておりますサケ・マスの交渉と、それとは別にカニ、ツブ貝の交渉とございますが、われわれは常に現地の方々の陳情も受けておりますし、かなり実情も承知しておりますので、今後とも精力的により合理的な解決に至るように努力したいと、こう考えております。  それから稚内と樺太との航路の問題でございますが、われわれとしては原則的に何ら反対する理由はないので、そういうことが実現されればけっこうであると、そういうふうに考えております。
  78. 藤原房雄

    ○藤原房雄君 先ほども墓参のことについてお話がありましたが、五月十日ですか、交渉したということでありますが、これは墓参そのものについて全然返答がないということですか。こちらのほうとしまして、具体的に墓参の個所、どこどこに行きたいという個所を明示したそのものに対して全然返答がない、まだ向こうの出方を、返答を待っているということなのかどうか。これは田中さんがいらっしゃるとなれば、八月ということですから、墓参というのは大体八月、九月ということになります。十月に田中さんがいらっしゃるということですと、それからの話ということになりますと、今年は望み薄ということになります。御存じのように、四十六年、四十七年択捉には全然行っていないと、こういうことからいたしまして、本年には相当強い希望があったわけであります。そういうことで、この墓参のことにつきましては人道上、先ほど同僚委員からもお話あったわけでありますけれども、墓参の個所等につきましても具体的に提示し、それらのことについて何ら返事がないのかどうか、その点だけちょっとお伺いしたいと思います。
  79. 星野重次

    委員長星野重次君) 簡単にお答え願います。
  80. 大和田渉

    政府委員(大和田渉君) 墓参につきましては、五月十日に先方に具体的な個所を明示いたしまして申し入れておりますが、いまだに返事がございません。途中わがほうからさらに催促もいたしておりますけれども、返事がございません。
  81. 春日正一

    ○春日正一君 初めに、先ほど岩動委員のほうから、共産党、社会党は樺太まで要求しているんじゃないかというような発言がありましたけれども、共産党は樺太は要求しておりませんから、この際訂正しておきます。  そこで、千島の問題ですけれども、先ほど来の質疑で総理が行けば当然平和条約の話が出るだろうし、平和条約ということになれば領土問題も出るだろうという話だったのですけれども、大体いままでの政府の姿勢は、四つの島を固有領土であるという立場から、これを返すということを平和条約の前提にしておいでになるわけですけれども、しかし、事情からいえば、サンフランシスコ条約の二条(C)項で、千島を放棄するということを約束し、そうして、その後日ソ共同宣言で、歯舞色丹平和条約を締結したら返還を求めることができるというようになってきたわけですね。ここで政府が、四島を固有領土だからこの線でいくと、先ほど大臣も言われたんですけれども、そうすると、結局鳩山さんが行ってつくってきた日ソ共同宣言というものは、現在はもう死んでしまっておると、こういうことですか。
  82. 高島益郎

    政府委員(高島益郎君) 日ソ共同宣言は、いまでも日ソ間の基本関係を律する条約でございます。内容は、実際上平和条約で処理すべきような内容のことをこの共同宣言の中にもうたってございまして、そういう意味ではきわめて重要な日ソ間の条約というふうに考えております。
  83. 春日正一

    ○春日正一君 生きているとしたら、やはりこれを使うことを考えたらどうかと、私はそう思うんですよ。というのは、問題は、私どもずっと以前にも直接ソ連に行って、ソ連共産党の指導部と接触してこの問題の話をしたことありますけれども、やはり問題は、日米軍事同盟と、先ほどのサンフランシスコ条約、これが引っかかっておるわけですから、だからあくまで四島固有領土論で、それが解決の前提だ、平和条約の前提だということになれば、平和条約の締結というものは相当おくれる、そういうことになるんじゃないかと、先ほど見えた証人なんかもそういうようなことを言って、だから事実方式とったらどうだというような私見も述べておられたけれども、そういうふうなことで、非常におそくなるということになると、政府はそれを覚悟して、何年かかっても、とにかくこの四島という問題が片づくまでは平和条約絶対結ばぬと、こういうことですか。
  84. 大平正芳

    ○国務大臣(大平正芳君) 先ほども御答弁申し上げましたように、第一回の平和条約締結交渉を始めておりまして、ことしは第二回やろうという合意ができているわけでございまして、しばらくこれで、ひとつやらしていただきたいと思います。
  85. 春日正一

    ○春日正一君 この問題、私、時間がないし、そういうことでそれを了承するという意味ではありませんけれども、この議論はこれで打ち切っておきますけれども、そうするとここから出てくるもう一つの問題は、この問題が解決つかないために、千島から引き揚げられた人たち、漁業に従事している人が多いようですけれども、それから北海道の沿岸の漁民の人たちが非常に大きな損害をこうむっておるわけですね。だからそういう者に対して、じゃその期間をどうするか、これは当然政府の責任としてやらにゃならぬ問題だと思うのですよ、安全操業というような問題。現地の人たちに言わせれば、安全操業ということは魚のおるところへ行って魚を安全にとって、安全に運んで帰ってくるということなんだというふうに、きわめて明快に言っているんですけれども、それが実際上、やられておる部分もあるんですけれども、ほとんど民間の努力ですね。たとえば貝殻島の周辺のコンブの安全操業、あれは高碕達之助さんがおやりになった。それから、あの北海道の本島と国後の間の、あすこの距岸三海里というふうな操業ですね、あれも現地の話でやれるようになった。それから歯舞色丹国後の間の、あすこの無害航行の問題ですね、あれも現地の海上保安庁の所長とか現地の住民の努力でそれができるようになったというようなことで、国の政府外交交渉としてやったということになってないわけですわ。前に愛知さんのときに一度安全操業の問題出されて、これもしぼんじゃって、それから赤城さんのときに歯舞色丹に限っての安全操業の問題出されてしぼんじゃったということになっているのですね。政府がこの方針貫いていくことのいい悪いの議論は私いまここでやらぬから、抜きにしておいても、その結果として、いまこうむっており、今後いつまでこうむるかわからぬこの北海道漁民の被害に対して、やはり政府としてしかるべき責任を負って解決してやらなきやならぬ。そういう責任があると思うんですよ。だからそういう意味では、やはり安全操業の問題は外交交渉の問題として全面的に解決するというような努力をする必要があるだろうし、特にあの無害航行の問題なんというのは、私は地図借りてみて驚いたのですが、(地図を示す)これが北海道で、歯舞色丹で、国後ですね、この間に公海があるわけですよ、細い公海が。これをこう回って行ってとって、こう帰ってきたらたいへんなことになるんです。だからここのところを通過さしてくれと言って、これは通過していいと、まん中だけ通れということで通過していいということになっているんだけれども、この周辺でこういうふうに拿捕されているのですね。まん中通れと言ったって、まん中にも幅があるということを現地の人は言っておるようですけれども、そういうふうな問題について当然あの辺にできるようなことを外交の責任としておやりになる必要があるだろうし、今度総理が行って、総理が直接その話ばっかりやっておるわけにもいかぬだろうと思うけれども、一緒にたくさん、全員スタッフ行くはずですからね、この機会にせめて無害航行の問題、安全操業の問題は片をつけてくるというぐらいな気組みでやってほしいと思うんですけれども、その辺の決意を聞かしてほしいと思うんです。
  86. 大平正芳

    ○国務大臣(大平正芳君) 精一ぱい努力してみたいと思います。
  87. 春日正一

    ○春日正一君 じゃ、いいです。
  88. 星野重次

    委員長星野重次君) 本件に対する本日の質疑はこの程度にとどめ、これにて散会いたします。    午後五時三分散会      —————・—————