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1973-03-28 第71回国会 参議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第5号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十八年三月二十八日(水曜日)    午前十時九分開会     —————————————   出席者は左のとおり。     委員長         星野 重次君     理 事                 岩動 道行君                 黒住 忠行君                 鈴木美枝子君                 三木 忠雄君     委 員                 岩本 政一君                 河口 陽一君                 楠  正俊君                 柴立 芳文君                 高橋雄之助君                 町村 金五君                 秋山 長造君                 佐々木静子君                 喜屋武眞榮君    国務大臣        国 務 大 臣        (総理府総務長        官)        (沖繩開発庁長        官)       坪川 信三君    政府委員        防衛施設庁労務        部長       松崎鎮一郎君        沖繩開発庁総務        局長       岡田 純夫君        沖繩開発庁総務        局経理課長    和田 善一君        沖繩開発庁振興        局長       渥美 謙二君        通商産業省企業        局参事官     三枝 英夫君        労働省職業安定        局審議官     中原  晁君    事務局側        常任委員会専門        員        伊藤  保君    説明員        防衛施設庁施設        部連絡調整官   奈良 義説君        大蔵省理財局国        有財産第二課長  川崎 昭典君        農林省食品流通        局砂糖類課長   田中 宏尚君        運輸省海運局定        期船課長     深川  弘君     —————————————   本日の会議に付した案件 ○沖繩及び北方問題に関しての対策樹立に関する  調査  (沖繩振興開発に伴う諸問題に関する件)  (沖繩国際海洋博覧会に関する件)  (沖繩における米軍雇用員等の労働問題に関す  る件)  (沖繩米軍基地における土地問題等に関する  件)     —————————————
  2. 星野重次

    委員長星野重次君) ただいまから沖繩及び北方問題に関する特別委員会を開会いたします。  沖繩及び北方問題に関しての対策樹立に関する調査を議題とし、質疑を行ないます。質疑のある方は順次御発言を願います。
  3. 柴立芳文

    柴立芳文君 私は、坪川長官にまずお伺いをいたしたいと思いますが、先般の委員会岩動委員を初めとして、各党皆さん方から質問がありまして、大体了承をいたしておりますが、しかし、どうしてももう少し突っこんだ質問をしなきゃならぬという点が二、三ございますので、申し上げておきたいと思います。いま、委員長からお話になりましたように、時間が制限されておりますので、どうかよろしく、簡潔に御答弁願うようにお願いいたします。  いわゆる所信表明では、沖繩振興開発計画基本的方針として、社会資本整備をはじめとして六つの問題が出されておりますが、いずれも私ども現地を知っているものからいたしますと、抽象的な感じを受けておりますので、二、二の問題について質問をいたします。  なお、沖繩県はもう御承知のとおりでありまして、戦後、特殊な社会体制の中に置かれておったわけでありますが、復帰が実現した今日は、自立経済体制のワンステップという意味において、復帰第二年目を迎えておるという大事な年であるというふうに考えております。  そこで、何と申しましても沖繩県自立経済自立という点が大切だと思うんでありますが、それは、行政の面におきましては非常に働きやすい環境とか、あるいは行政でなければできない仕事、十分私は織り込まれているというふうに見ております。問題は、やはり、第五番目に申し述べられておりますけれども、どのような産業と申しますか、どのような、十年計画の中で、たとえば農林水産業とか、鉱工業、観光などをあげられておられるわけであります。目玉としてどういうふうな、まあ沖繩の場合は基地関係もありますし、外交的な問題もありますけれども、そういうものを含めた上で、目玉としてはどういうふうな産業に力を入れていくんだという熱意、そういうふうなものがどうも欠けているように私は見受けるのであります。十年後の指標として、人口九十五万から百万にして、そして現在の三千一百億を一兆円程度の所得にしたいといわれた。三十三万円は九十九万あるいは百万にしたいという目標だということはよくわかるんでありますが、そういうところに到達するまでの、いわゆる大まかに言うと、十年のうちでこういうものはこういう形にしていきたいというビジョンと申しますか、プランというものが欠けているんじゃないか、こういうふうに私は見るのであります。したがって、これを達成するために、特殊な沖繩振興をどういうふうにはかるかということについて、大臣所信お願いをいたします。幸いにして長官は、今度現地担当大臣として初めて行かれたということを承っておりますが、いま非常になまの感じだろうと、こういうふうに考えております。現地要望ということも聞かれてきたでしょう。あるいは、あなたの胸で直感されてきたでしょう。あなたの所信表明ほんとうに実現されるという自信を持って帰られたか、あるいはこれは相当なもんだというふうな感じでお帰りになったかどうか、そういうものもあわせてお答え願いたい。
  4. 坪川信三

    国務大臣坪川信三君) 幸いにいたしまして、参議院の各党の皆さまから御理解をいただきましたので、二十四日から三日間沖繩をこの目で見、この耳で聞いてまいりまして、おとといの晩、帰京いたした次第でございますが、いま御指摘、また御質疑賜わりました沖繩産業振興開発としての現況、また、これからの見通し等について、私がいままで三回参りまして、今度で四回目でございますが、復帰後第二回目として、また責任者として参りまして、つくづく考えましたことは、十年間の時限立法でありますところ沖繩振興開発計画というものを考えましたときに、ちょうど海洋博関連事業、あるいはいろいろの、海洋博等問題等もあります関係から、私は、何といいましてもこの十カ年の沖繩開発基本計画を微動だにもせない体制で推し進める必要があると、海洋博事業推進によって沖繩開発振興計画しわ寄せを受けましたり、それの犠牲になったりしてはいけないということをつくづく痛感いたしまして、関連事業関連事業としての海洋博の成功をいたさなければなりませんけれども、十カ年の振興計画基本計画をばやはり進めなければならぬと、それも一切の犠牲しわ寄せをさせてはいけないということを痛感いたしましたのが第一でございます。  第二といたしまして考えましたことは、やはり第一次産業、第二次産業といいますか、第三次産業といいますか、一つのこうした産業計画をやはり進めなければなりませんが、ことに重要なる問題は、いわゆる沖繩の持つ特異性というものをやはり生かさなければならぬなということでございます。いわゆる亜熱帯地帯におけるところの、いわゆる何といいますか、東洋にもめずらしいところの何かあの美しい海、あの自然美、これを中心としたいわゆるリゾートゾーンといいますか、保養地帯といいますか、これを生かしましての観光、こういうものを中心とした産業開発観光開発、また地域福祉環境開発をいたすということが、私は第三次産業として最も重要な考えである。それですから、いわゆる海洋博がこれへの跳躍台にならなければならぬということを感じましたことが第一でございます。  第二番目といたしましては、いわゆる第二次産業として考えなければならないところ沖繩のいわゆる繊維産業あるいは軽金属、こうしたものに対するところ開発計画をやらなければならぬということ、こうした点につきましては、いわゆる沖繩紡績等の問題が非常に問題視されており、地域住民から非常に要望されている点も、十分現地の様子を聞きまして、沖繩紡績の問題をどう、政府としても資金援助をいたしまして、あの不況の打開をどうすべきであるかということも感じてまいりました次第であります。第一次産業におきましては、やはり農業中心とした、あのサトウキビあるいはパイナップル、そういうような沖繩独自産業、いわゆる農業、しかもこの海洋博推進されることによって、労務あるいはそうした資材農業しわ寄せされてくるんじゃないかという農民の不安感が強まっておる。これをやはり解除をし、解消いたしまして、農業にこれらのしわ寄せがなしような基盤整備、あるいは補助整備事業を急がなければならぬということを痛感いたしたような次第であります。したがいまして、いま、ごもっともな御質問であります第一次、第二次、第三次産業のこれからのあり方、また、沖繩開発基本計画というものに対する私の見通し、また、それに対するところ施策の万全を期さなければならぬということを痛感しておかげで帰ってまいったような次第であります。
  5. 柴立芳文

    柴立芳文君 いま、大臣のほうから多少具体的に現地を見られて、私もそうだろうというふうな気がいたしておりますが、これをどういうふうにして実現していくということが今後の課題である、かように私も考えております。  そこで沖繩一つドル影響というのが非常に大きかった。過去においてもいろいろな施策がなされたわけですね、円対策の一環として。そこで、今回の円の変動相場制が行なわれた影響というものが沖繩に出ているのかどうか、そういう点についてはどういうふうに御認識を得て帰られたかどうかということであります。いわゆる現状は、そうあまり影響はないようであるかもしれない。しかし、ドル圏というのが、まあ内地よりも非常に、三〇%ぐらいの基地経済依存度を持っているというふうなこともありますので、特に中小企業、今後いわゆる円に関連する仕事をしている中小企業影響が出るのかどうかというふうなことについて、お尋ねをいたします。  さらに、いま復帰のときにいろんな工場を誘致したいというふうなことで、具体的にもいろいろ工場名も出たこともございますし、また、計画も示されたと思うのでありますが、そういうふうな工場誘致計画はどういうふうになっているのか、特にフリーゾーン問題等も当時出たわけでありますが、これらの計画プランは全然出てないんだが、そういうふうな点について、事務当局からでもいいですから、お示し願いたいと思います。
  6. 坪川信三

    国務大臣坪川信三君) 御指摘になりましたドル相場ドルショック、すべてを含めましての沖繩に対する影響というものの実態というものがどうあるかということを、現地のこうした中小企業、あるいは経済団体の各位からもいろいろと話し合う機会を得たし、また、要望も聞いてまいった次第でございます。やはり、想像いたしましたとおり、これらの変動に伴う影響というものは、かなり深刻であるということもよく理解もいたしました。それに対しまして、いわゆる何といいますか、ドルから円に切りかえた後の動揺から、漸次安定の道をたどっておるということも把握されたような次第でございますので、こうした点を踏まえまして、いわゆる三月に閣議決定いたしましたところ緊急中小企業対策のあの線に沿って、いま沖繩に対する最善の準備もいたしておるような次第であります。ことに、零細産業といいますか、零細中小企業に対するところのあたたかい、きめこまやかな手を打つことが必要でございますので、いわゆる五人以下のほんとうに零細な中小企業者方々に対しまして、いわゆる無担保、無保証で百万以下の貸し付けをするというような手もいまとっておるというようなことでありますとともに、やはり昔の基地経済に依存いたしましてくるこれらのいろいろの業者動向等も見てまいって、また、それらの方々の非常な苦境などもよく理解をいたしておりますので、何と申しましてもやはり中小企業零細産業を育成いたさなければならぬ。それから沖繩公庫貸し付け状況等も、公庫責任者を呼んで、実態を調べてまいりましたが、順調な足どりをたどっておるし、公庫に対する期待感も非常に持っておるというような状態でございますとともに、こうした自由経済への実態というものに対して、地域住民関係業者方々もだんだんとなれてまいられて、そしてわれわれのいま申し上げましたような措置に対しまして、まあ信頼といいますか、期待感も持っていただいておるようなところもいろいろの面で見られますので、私はさらにこうした面にやはり融資、貸し付けその他の配慮を十分いたさなければならぬ、こう考えておるような次第であります。
  7. 柴立芳文

    柴立芳文君 たいへん時間が制約されておりますから、工業の誘致等についてはお答えがないんでありますけれども、あとからまたひとつ御返事願いたいと思います。  事務当局でけっこうでございますが、四十七年度の予算執行残、これは大体もう三月末でありますから、沖繩の大まかな執行残、いわゆる金額、パーセンテージについてお知らせ願いたいと思います。
  8. 渥美謙二

    政府委員渥美謙二君) 私ども開発庁で計上いたしましております予算は、まず、関係の各省庁に移しかえをいたしておりますが、これら移しかえ済みのものが、大体一月末で九〇%くらいは移しかえ済みでございます。それを受けまして、今度各省庁から県のほうに直轄事業でない補助事業のものと、それから直轄でやるものとあるわけでございますけれども公共事業について申し上げますと、二月末で直轄事業で約六五%、それから補助事業につきましては四七%程度執行状況ということになっております。
  9. 柴立芳文

    柴立芳文君 沖繩開発庁皆さんは、実は各省予算はあることはわかっておりますけれども、これは常に集計をとっていただきまして、見込み何%ぐらいになろうということは、やっぱり国会の質問に対しては明らかにしていただいたほうがいいというふうに申し上げておきたいと思います。  たいへんおくれているわけでありますが、次に、時間がありませんので、海洋博について一点だけお伺いをしたいと思います。  通産省の方にお願いをいたしますが、いまのような現況、ローテーションの中で、非常に私心配をして申し上げるんですが、このことはさきの委員会でもいろいろ解明されまして、いろんな意見も出ました。しかし、どうしても私も心配でありますので、りっぱに海洋博準備ができて、りっぱにやっていけるという確信がありますか。もう詳しいことは要りませんから。
  10. 三枝英夫

    政府委員三枝英夫君) 幾多困難は確かに御指摘のようにあると思いますが、われわれといたしましては、確信をもってこの実現にあたりたいと思っております。
  11. 柴立芳文

    柴立芳文君 まあ二年足らずの日程ということですね。いわゆる政府のほうの御発表によりますというと、海洋博推進対策本部長を置かれるというふうなことや、あるいは部会を置いていろいろ推進していくというふうなことを言われておるわけであります。どうもこの内容を見てみますと、直接事業関連公共事業あるいはその他の関連事業、合計して総額二千から二千五百億、これはしょっちゅう言われているのでありますが、そのうちに国費が千五百六十億ということになっております。これを簡単な試算でいきますというと、二年間でこの関連事業だけで一日に三億ぐらいは使わなければならぬという計算になるわけです。もちろん資材費もあるでしょう、そういう点は十分わかるわけでありますが、ただしかし、この国費通産省沖繩開発庁、建設省、郵政省、水産庁と多岐にわたっていることは、もう私も承知をいたしておりますが、どうもお話を伺っている中で、こういうふうな準備とかあるいは切りかえ後の総括的な行政的責任通産大臣が負われる、こういうふうに理解をしておりますけれども、その中には、沖繩開発庁が非常に中に入ってやらなければならぬという事情もわかります。そこで、どうもりっぱな事務局を別におつくりになってやっていかなければいかぬのじゃないかというふうな印象を私は受けるのであります。責任体制というふうなこと、どうも各省のほうは、お役所というところは、やはり自分のところの問題はある程度責任を持たれますけれども、全体的な問題については多少私は不安があるわけであります。そういうふうな制度的な問題、まあ今度長官沖繩に行かれまして記者会見をされておる。その中で、沖繩振興起爆剤として海洋博を成功させたいというふうなことの中で、資材とか労働力不足が深刻になっているが、東京オリンピック大阪万博のときと同じように、万全の対策を立てて建設の時期、地域、職種、不足数を掌握して、今度各県に供給を割り当てる、これは労力の問題でしょう、資材需要量をつかんだ上で関係官公庁、業界が一括購入して製品を確保して配分したい、こういうふうにおっしゃっております。なるほどそのとおりでしょう。ところが、どうもおっしゃることはそのとおりなんですけれども、なかなか実行はむずかしい問題が多いわけです。  そこで、沖繩開発庁は、こういうふうな海洋博にとのような位置づけ——位置づけというとおかしいわけですが、役割り長官をはじめとして対処されていくのかというのがやっぱり残ってくるんです。通産省その他の省の関係もありまして。そういうふうなことがどうしてもぴんとこないんですが、そういう点はどういうふうにお考えになっておるか。これはもう私は時間がありませんから、私の考えていることを申し上げますと、統一された指揮命令、そういうものがこの海洋博にはないとたいへんなことが起こるというふうに私は見ておるんです。そこで、この四つネックだろうと思っておるんですが、どういうふうにお考えになりますか。  まず、労働力の問題。これはこの前の委員会でいろいろ御答弁の中で明らかになりましたが、三、四万人の労働者が足りないということ。それで、私はあの隣県鹿児島県ですから、どうしても協力したいというので、土木部長を招致しましていろいろ相談してみた。実際に、沖繩に来いといって、援助しろとおっしゃるならばある程度援助はできるということを言っておりますけれども、しかし各県とも公共事業大きいんです、四十八年度は。だからなかなか手が回らないですよという前提のもとに、私は隣県として一生懸命やりたいと思うということを言っております。そういうふうなことですが、従来、この沖繩というところは、キビとかパインとかいうふうな収穫時期には三千人程度といわれておりますけれども、台湾の方が見えたりしておる。そしてそういうふうな歴史があるわけです。もともと資源がない沖繩としては、男の方は県外に出てお働きになっている人が多いわけですよ。そういうふうな客観情勢が違うところなんです。だからそういうふうな面と、物価高あるいは賃金の問題そういう面が一つ一つ資材の問題です。これはセメントにいたしましては、これは通産省局長を呼んで私ども聞いたんですが、どうも見通しが悪いんです。セメントは、一袋三百五十円ぐらいするものが、いまでも一千円になっておるというふうなことから、四十八年度の一般公共事業でもすでに二〇%かさ上げをしなければやっていけないんじゃないかというふうにいわれておるんですよ。そういうふうな状態。そういうふうなことだから、あるいは二カ年にわたる海洋博予算にいたしましても、このまま実行されるとするならば相当な予算を出さなければならないだろうということがすでに起こってきている。第三点。開催予定地本部地区の、これは岩動委員からもお話になりました不発弾の処理の問題。それから一番最後に、これは一部沖繩県民の間には、政府のいわれる起爆剤的要素に対して、先日は拒否反応ということばで示されたのでありますが、悲観的な感情と申しますか、非常に危惧されている、心配されて不安を持っておられるという点が言われました。これは重大であり、また大臣も、その点についてはさっき農業面に及ぼす影響という形で言われたのであります。こういうふうな、政府やり方いかんでは確かに言われるようなことが起こってくるというふうに私は考えているわけです。そういう四つネック、これを取り除かなければ、どうしてもりっぱな海洋博はできないんじゃないか。いわゆる海洋博はパリのBIEという国際的なものの承認を得て——このことは国際信義の上からもまことに私は重大だと思っておりますので、二カ年という準備期間の制約もありますから、一日も早くこれらのネックの解決をしなければならない。それには組織の問題、そしてどうしても熱意を持ってこの問題に取り組まないというと、いろいろな方から解明された問題は、私はほんとうのものとして実現するんではないかというふうに憂えるわけであります。そういう点について、どうしても納得がいかない点がありますので、お答え願いたいと思います。  そこで最後に、空と海の交通ネットワークの確保、あるいは私の鹿児島県に属している奄美大島の存在の活用という点、こういう点も、あそこにはいま十七万という人が住んでおる。こういう人々をどういうふうに活用していくかという大きな問題、そういう問題を忘れてはならないと私は思っております。大臣は、万博オリンピックを例に引いて記者会見をされておりますが、これはその前に横たわる大きな問題がある。それはなぜかというと、あの時代の万博オリンピックは、金を積めばできたんです。ところが、今度は非常に大きな、遠隔のところにあるということ、そうして一つの別世界を形成しておるというふうなこと、まあ島嶼性といいますか、そういうふうなものも加えまして、従来のそういう二つの大きな事業とは根本的に前提にある条件が違う、そのことをよく理解しておられるかどうかということを私は憂えるわけであります。したがいまして、あの島の中で労働力の問題、資材の問題、運搬の問題そしてあれだけの大きな予算を消化する問題そうしてそれは海洋博のために農業、そういうものに破壊的な要素を持っていくんじゃないかという御心配も、それは一笑に付するわけにはいかない。とにかくそういう心配があるということをここで申し上げておきたいと思います。その点について御見解を願います。
  12. 坪川信三

    国務大臣坪川信三君) 先生のまことに適切な御指摘、御質疑でございます。ほんとうにいい御忠告だと思うのでございますが、何と申しましても、私は、きのうの閣議でも各省庁大臣に要請いたしたのでございますが、沖繩の特別な立場考えるその点に、基地整理縮小ということがいかに重大であるかという問題とともに、この物価の高騰をどう押えなければならないかということ、また、土地の値上がりによる規制あるいは利用計画というものをどう進めなければならぬかという問題、その次は労務資材をどう確保せなければならないかという問題これについては中曾根通産大臣担当責任大臣でありますけれども、いわゆる総理府沖繩開発庁といたしましては、責任の所在は明らかになっておりますけれども、実際の立場でこれらの多岐にわたるところの各省庁間の関連事業をば、私のほうの開発庁においてそれぞれ効率的に調整して、これを具体的に進める役割りを果たさなければならぬということを非常に痛感いたしておるような次第でございますので、御指摘になりましたそれを執行する体制というものに、非常に私も不安感といいますか、もっと考える余地があるんじゃないかと。御承知のとおりに、沖繩海洋博事務当局がございます。大浜先生が会長さんで、そうして通産省から来ておられます方が局長で、いわゆる事務総長といいますか、そういう体制でおられると。大阪万博とは、ちょっとそうした事務局の内容などを検討すると、とても微弱なものであるというふうなこと。それとともにもう一つ、やっぱり御指摘になりました点は、私も万博やらオリンピックを比較いたしておりますが、全くわが国の南の果てでございます。私も現地まで二時間有余かかって参りましたけれども、もうほんとの南の果ての海岸でございますから、沖繩の那覇から現地海洋博まで行くのにも二時間半かかるというようなことを考えるときに、いわゆる大阪万博などとはもう全然違ってきておるということとともに、大阪あるいは東京で行なわれた国際的大行事などは、やはりバイタリティのある日本の中枢部でございますが、それともう一つは、やはり沖繩にはまだ一三%の基地があるというふうなこと、こういうふうな悪条件というものを考えたときに、二年有余の時期に際してこれを推し進めるには、ほんとうに国も、また県も、自治体も一体となって、これをひとつ推し進めるだけのものを持たなければならぬということをきのう私は閣議で強調したわけでございます。幸い、田中総理もそれに対されて非常に心配されて、各省に対して指示もされたことは新聞にも報じられております。そういうふうなことを基本的に踏まえまして、やはり考えさせられる問題は、いわゆるいまの四つにわたる問題、労働力の問題、ことに台湾からの季節労働が入ってこないというようなことから、農村のそうした収穫その他を控えて非常に労働力が不足になっていく、そういうようなことから来る値上がり、また、現地労働力の賃金の問題と内地から送る労働力の賃金との調整をどうせなけりゃならぬかというような問題点などもいろいろとありました。  それで、労働力労務あるいは資材、あるいはそうした問題に関連いたしまして、東京の本部にありますところのいわゆる労務対策本部、あるいは施設部会、あるいは物価部会等を私が立つ前に開きますとともに、労務対策につきましては、近日中にまた開くということになって、私が参りましたそのときには、現地の県当局、それから事務局、また開発庁当局、これらの関係者を集めまして、現地でいわゆる施設部会あるいは物価部会を開きまして、そして縦横の調整を私が指導いたしまして、一応の具体的な体制を整えてまいったようなわけでございます。それにはやはり、何といいましても、中央の労働省と連絡をいたしまして、中央の各県にお願いをいたしまして割り当てもせなけりゃなりませんし、あるいは大事な資材の問題でございますが、やはり砕石とかセメントとかくぎとか、こういうようなものの資材が値上がりをしておるというようなことから来るとともに、現地のこうした関連業者不安感を与えておることを思うときに、あくまでも現地の零細なる関連産業、企業者に協力を求めて、これを最優先いたしながらこれを推進するんだということを、各種団体の業者にお集まりを願って私は指示もいたしてまいっておるような次第でございます。  また、御心配いただきました不発弾の処理にいたしましても、五十二発ほどまだあるというような状態でございますので、これなどに対する処理についてもいろいろと方法を、相談もいたしてまいっておるような次第であります。  その次に、やはりさきに申しましたように、何といいますか、これがほんとう起爆剤となり、跳躍台になるんだということから来る官民一体の意欲といいますか、態勢といいますか、すべてを整えてこの意義ある海洋博を成功せしめるためにひとつ万全の策を講ずべく、中曾根担当大臣にきのうも閣議で申し上げて、ひとつ国会の御理解をいただいたときにすみやかに行って、そして現地で体験した一つの基礎をもって、ひとつ本部の体制を再整備いたしてほしいということを助言もお願いもいたしておるような次第でありますとともに、最後に御指摘になりました運航体制、あるいはこれに対するところの港湾の整備、いわゆる資材を置く桟橋の整備どもいたさなければならぬ。あるいはモノレールの問題、あるいは高速道路の問題、各道路の開発の問題も、建設省、運輸省その他を通じてひとつやっていきたい。  以上、こういうようなことに対して、非常にありがたい御指摘についてお答えいたしたわけでございます。
  13. 柴立芳文

    柴立芳文君 いいですか——どうもすいません。ちょっと長く御答弁があるものだから、私の発言が少ないんですよ。  そこで、いま大臣おっしゃいましたように、通産省は、いま激変の経済の中ですから、たいへん私は仕事が多いと思うんですよ。だから、開発庁長官がもう責任者になって、ほんとうにやってもらわないと、腰を据えてやってもらわないと困るということですよ。とってもむずかしい問題だというふうに現時点では私は考えておる。だから、その点を御指摘申し上げて、組織とかいろいろな問題をもう少し熱意をもってやってもらわなければ、世界に示すわけでしょう、だからこれは日本としてはもう面目にかけた問題ですから申し上げておきたいと私は考えるわけです。  次に、運輸省の方お見えになっていると思いますけれども、運輸省の方も農林省のサトウキビも一ぺんに質問を申し上げます。  沖繩の運航の空と海、結局飛行機と船ということは御承知のとおりであります。そこで、私は昭和四十六年の暮れのときに、沖繩復帰委員会で丹羽運輸相が私に対して、この沖繩の航路に対しては特別なことをしなければいけないということを明確に言っておられる。ところが現在では、ほとんど特別な処置はないと私は見ておるんですが、その点はどうかということ。まあ考え方も一緒に申し上げますけれども、いま日本の内地、国内におきましては、新幹線とか高速道路、北海道、四国、九州、おのおのトンネルを通す、橋をかけるというふうに公共投資が多いわけですよね。そういう中で、この沖繩が返ってきた。しかし沖繩は一県一島、これは御承知のとおりであります。したがって、こういう地理的な特殊性というものと、沖繩が置かれていた環境というものから脱却する交通ネットワークの問題、これは船舶は大衆のものです。飛行機はだいぶありますけれども、これはまあ——だからきょうは海運についてお尋ねをいたします。そういうような経緯もありまして、私はこれは海の新幹線、海の国道というもので、いまは阪神と鹿児局から船が行っている、これも御承知のとおりだ。内容についても、もう私が言わぬでもおわかりだと思いますので申し上げませんが、そういうふうな中で、結局、いま私の県の奄美大島の航路の中で三〇%の運賃値上げの申請がなされておる。そのことは、これは沖繩と一体的なものなんです。鹿児島奄美大島沖繩と、こういうふうな航路なんです。したがって、こういうふうなことに対して特別な、民営に対して——まあ言えば北海道に対する、北海道も国営である、あるいは四国も国営である、九州はもうすでにトンネルが通っているというふうなこともありまして、沖繩の場合は、広い意味の船舶運営ということについては、いままでの法律に基づいてやる方法では解決ができないんじゃないか。もう少しこの問題については特別助成の考え、特に船会社を国営にするという案もありますけれども、民営にするならばどうしても補助とか融資とかというふうなことで、運賃をこれ以上に上げないというお約束ができますか。前の特別委員会におきましては、丹羽運輸大臣はそのことについては十分なる御答弁をされているんですけれども、どうにもならないというふうに私は考えているのであります。したがって、こういう海の国道的な意味を、ひとつこれは総務長官もお聞きいただきまして、海洋博もあることだし、どうしてもこの問題は——沖繩というところ沖繩だけで生きていけないんですよ、どうしてもこれは外からの連絡ということです。それにはやはり何と言っても船が一番大きな問題なんです。それについての運賃とか利便とかというものは、特別の配慮を払うべきである、こういうふうに私は考えておりますので、特に私のところ奄美大島というところもそのような経緯をたどってきておるわけです。非常に高い運賃の申請がされているということ等も勘案して御一考を願いたい。それに対する御見解を伺いたい。  次にサトウキビの問題について申し上げます。  サトウキビは、私の言うことに間違いがあったら訂正してくださいよ、私は奄美大島のことはよく知っている。沖繩も十数回行って、ずっといなかまで歩いておる。だからいま、この前いろいろな方から御開陳がありましたけれども、サトウキビというのは大体内地の米に匹敵するものだということ、そういう基幹作物である。それが反当約六トンぐらいしかとれないでしょう。七千円にしてみなさい。四万二千円でしょう。五反つくっていて二十万という金額が出るわけですよ。いまは海洋博影響農業にないようにと言われましたがね、六千円、七千円の労働賃金。一方のほうはトン当たり七千円という買い上げ価格、それで計算すればすぐわかるのですよ。おそらくいまのままでいくならば、サトウキビ産業というのは、短期間ではあろうけれども、壊滅の、非常に困った状況が起こるということを私は重んじておる。だから、これは糖価安定事業団とか、砂糖の総需要量から、北海道のビートとか、あるいは南西諸島のサトウキビという国内産の自給率、そういうものもありますよ。二〇数%であり、輸入もしておる。輸入の面におきましては、いろいろ、もう御承知のとおり、関税とか消費税というものを取っておられる。これはまあ考え方なんですけれども、そこで従来の制度は最低生産者価格というものをきめて、国内産糖合理化目標価格というものをきめておる。これは私が言わぬでも御承知だと思う、課長は。そこで、こういう考えでは、沖繩の現在の経済情勢、そういうものからはどうにもならないということをお感じになってますか。だから私は、その抜本的な対策考えなければならぬ時期だと見ておる。特にことしは、まあいままで臨糖ですか、臨時の融資の補助ですか、これは要するに工場が運営できないから補助をしてきましたと、四十二年度からだったと思うんです、四十数億。それでも沖繩の製糖工場は五億くらい赤字でしょう。奄美大島は十七億赤字です。もしこの会社が「私はもうやめました」と言うならば、どうしますか。これは社会問題です。だから、どうしても抜本的に対策を立てる時期に来たと私は見ておる。そうしないと、いまの最低生産者価格とか、あるいは国内産糖合理化目標価格というものを固持されていては、これはほんとうに社会問題が起こるということを指摘しておきます。そういう状態だと私は見ておるんだが、農林省のほうではそういう意見についてどういうふうに理解され、そして、これは法の一部改正どころではなくて全面改正をして、ほんとうになま殺しじゃなくて農業を保護する、あすこの農民を何とかするというならば、ほんとうに別な観点からこれを考えていく時期だと私は見ておる。そしていま、沖繩奄美大島と二本立て、というふうな国内の一つの法律に基づく問題でも違っておるのですね。だから、これは離島における企業を生かさなければ困るという臨時糖業助成費であるならば、これは奄美大島と一体的になってやっていくという考え方、これが必要だと私は見るのです。だから、詳しいことは時間がありませんから申し上げませんけれども、そういう意味においてどういうふうに理解し、そしてこの問題を上司と相談して、来年からは絶対に、いま最盛期ですから、ことしまではいいですが、来年の植えつけから来年の操業までの間には絶対にこれをやらないと、大きな社会問題が起こってくるだろう。というのは、一つは農民の心理、一つは企業家としての、会社がこれ以上はどうにもならないというところに追い詰められるという現実を私は見詰めていただきたい、こういうふうに考えておりますが、船舶の問題とサトウキビの問題についてお答えをいただきたいと思います。
  14. 深川弘

    説明員(深川弘君) 沖繩が一県あげて全部離島であり、その交通が本土との間、あるいは沖繩県内各島間の交通、大衆の足としての船舶の役割りがきわめて重要であり不可欠であるということにつきましては、先生指摘のとおり、いまさら論をまたないところでございまして、これにつきましては、現在、本土−沖繩航路については三航路に八隻の船舶が就航しており、さらに沖繩島内の航路につきましては四十航路余が就航されているわけでございますが、こういった航路の維持改善のためにつきましては、復帰後、私どもといたしましては、その経営上航路の維持をはかることが困難な航路につきましては、本土と同様、離島航路整備法に基づく航路運営補助金を交付することにいたしておりまして、その額につきましては、四十七年度は、復帰後の四・五カ月分でございますが、約二千七百万円、これは復帰前に琉球政府時代に五万ドル——日本政府援助費から含めまして五万ドル交付されたものに比べまして約四倍の交付となってございます。それからさらに四十八年度につきましては、これは一年分でもございますし、前年より大幅に予算の措置に努力いたしてございまして、一億近い補助金を交付すべく考えでございます。一方、沖繩島内に就航いたしております船舶といいますものは、事業者がきわめて零細でございますし、したがってまた、資金的な能力等も乏しゅうございまして、船舶も老朽なものが多いわけでございますので、こういった船舶の代替建造に必要な資金の問題につきましても、沖繩振興開発金融公庫を通じまして、本土の場合にもこれはもちろん船舶整備公団という機関によりましての措置がございますが、それを上回る有利な措置によりまして財政資金の手当てをいたしておる等、努力いたしておるところでございますが、先生指摘のように、決してこれでもって十分と私ども考えておるわけではございませんので、さらにこういった航路の維持改善をはかるための措置につきましては、なお十二分に今後とも努力してまいりたいと考えております。  なお、先ほど先生指摘の奄美を含めましての運賃値上げの問題でございますけれども、一応これは旅客定期航路事業は道路とか港湾あるいは飛行場を建設するといったものをつくる場合と違いまして、事業として航路を維持するものでございますので、当然これは海上運送法に基づきまして免許を受けて事業をやっておるわけでございまして、事業である以上、当然これは原価を償うことが必要で、それでなければ維持が困難になってまいるわけでございまして、もちろんこの運賃につきましては、利用者の負担能力等も考えまして、先ほど申し上げましたそれを上回るような経費がかかる航路につきましては、離島航路補助金を交付するという措置等も考えておるわけでございますので、奄美を含めました沖繩航路につきましては、全国的に比較いたしまして、現状では必ずしも高いものとは考えておりませんけれども、なお利用される方にとりましては少しでも安いほうが望ましいわけでございますし、企業の合理化、あるいは利用の増進ということをはかりつつ、できるだけこういった運賃改定につきましても厳正な態度で臨んでまいりたい、かように考えておるわけでございます。
  15. 田中宏尚

    説明員(田中宏尚君) 先生指摘のとおり、沖縄の社会経済事情の変遷につれましてサトウキビ作なりカンシャ糖業が容易ならざる事態に立ち至っておるという点につきましては、われわれ農林省といたしましても同様な認識を持っておるわけでございまして、従来のような、価格政策なり生産対策という、従来手法の単純的な延長線上の考え方だけではなかなかこれに対して対処し得ない。したがいまして、今後沖繩のキビ作なりカンシャ糖業につきましても、価格あるいは価格にかわります何らかの措置をするなり、さらには生産対策というものを含めて全体的にどうするか、手法は別にいたしまして、四十八年作の価格決定の時期までには今後どう基本的に持っていくかということを、省をあげて検討するスケジュールになっております。
  16. 柴立芳文

    柴立芳文君 沖繩開発庁長官、お聞きのとおりだ。船舶の問題にしましても、特殊な、沖繩県という特別なところ、そうしてそれは内地の各県と違う。非常に南の島なんです。それを何とかしてあなたはりっぱなユートピアにしたいとおっしゃるわけだから、それには船舶の問題は特別な法律をおつくりになるとか、そういうことをしなければ、いま事務当局では従来の法律でできるだけのことをしたいという御意思ですよ。それではいまの運賃を上げないという保証にはならないでしょう。だから、どうしてもカーフェリーにするとか、あるいは多少のものはいまの離島の補助というものを特別な法律で助成していくとか、そういうことをしていただく。それからサトウキビは、これは内地の米ですから、それに対して、まあ五反つくって二十万以下というんじゃ、農業は、ことばの上ではいろいろ言われますけれども、現実にこれはどうにもならない。だからこれは、いままでの方式をあらためていくということを沖繩開発の意味におきましてこれをひとつやってほしいということ、これを非常に強く私は長官お願い申し上げておきます。そうしないと、先般御意見が出ましたような、重大な、起爆力でなくて破壊のほうに回るんじゃないかという意見が出るんです。そこにあるわけですから、どうかひとつそういうことを身をもって開発庁は、沖繩だけのことじゃない、沖繩を取り巻く情勢から判断をして、どうすべきであるかを判断していただくように特に要請をし、そしてまた海洋博については熱意を持ってひとつやってほしいということを強く要請をして、私の質問を終わります。ありがとうございました。
  17. 喜屋武眞榮

    喜屋武眞榮君 開発庁長官沖繩担当長官としてこのたび御来島下さったこと、御苦労さんでございました。  そこで長官、就任のごあいさつをいま思い出すんですが、沖繩県民復帰を心から喜んでもらえるように全力を尽くす、こういうごあいさつがあったことを私は忘れません。ところが現実の沖繩は、復帰は喜びへの行進曲ではなくて、苦悩の始まりであるという、沖繩の現状はそういうきびしい状況が一ぱいあることも十分お感じになってこられたと私は想像するわけです。お察しするわけです。  そこで、いまさっきから述べられた、沖繩を見て感じてこられたことを、基本的な問題を話されましたが、おっしゃった沖繩振興開発計画があのとおりに、計画どおりにスムーズにいくためには、何としても障害になるのは、基地の問題です。基地整理縮小撤廃なくしてはあの振興開発構想も、結論的に申し上げますならば、絵にかいたもちにしか過ぎないと、こう断じてもあえて過言ではないと、こう思いますが、いかがでしょうか。
  18. 坪川信三

    国務大臣坪川信三君) このたび現地に参りまして思いましたことは、つい三週間ほど前に、ある有力な新聞が沖繩の世論調査を発表されました。それを読んだときに復帰が喜ばしく、うれしく思っているというのが五二%、その五二%の復帰を喜んでおられる方々はなぜ喜んでいるかということに対して、日本人としての権利を回復したという喜び、これが五二%、そうするといわゆる四八%の各位の気持ちを思うときに、やはり日本人としての憲法で保証されている基本人権を回復いたしながら、日本人としてのしあわせを、本土の日本人と同様の喜びを回復するということがまだほど遠いということを私は強く感じ、使命感も深くいたしたような次第であります。それを踏まえまして、現地に行って去年の復帰の直後を見た目、あるいは二年、あるいは五年前に行ったときの記憶をたどりながら思うときに、全くいま先生おっしゃるとおりのいわゆる基地というもの、一三%以上に及んでおる基地というものからくる不幸というものが、いかに深いものがあるかということを考えた次第でございますので、帰りまして、きのうの閣議においても、基地整理縮小ということが非常に優先に考えなきゃならぬ重大な問題であるということも指摘いたしたような次第でありますので、政府といたしまして、また開発庁長官といたしまして、こうした点を一番に踏まえて、ひとつ今後国務大臣という立場から推進をしてまいりたいと、こう考えております。
  19. 喜屋武眞榮

    喜屋武眞榮君 心情的には、確かに世論調査の結果も復帰してよかったと、こういうデータも出ておるわけなんです。しかし、これは当然のことであります。ところが、現実的には、現実のきびしい沖繩の状況というものは、まさにもう深刻そのものである。何のために復帰したかわからぬという、これがいま現実の沖繩の姿でありますね。そういったうらはらな、いわば極楽と地獄とが抱き合わせの沖繩で、どうわれわれは復帰してよかったという喜べる沖繩をつくり上げていくかということに、為政者としてもまた沖繩県民としても苦悩があり、努力点がなければならない、こう思うわけなんです。  そこで、先ほど述べられた海洋博を成功させるためにはいろいろな要因がある。ところがそれの今度は予期しないデメリットの面がいろいろと錯綜してあらわれてきておることもよく御存じになったと思う。そこで私、この前の沖特委で、成功させるための要因の幾つかの問題について要望を申し上げましたが、それがいま現時点でどう進められているか、その経過をお聞きしたいと思います。
  20. 坪川信三

    国務大臣坪川信三君) 先ほど申し上げましたとおりに、いわゆる基地からくるところのいろいろの問題点を解明いたす場合において、それを具体的にどう取り組んでいくかということでございますが、御承知のとおりに、那覇を中心とするところの、あの基地から来るいわゆる国道三百三十一号線の交通の渋滞等を考えるときに、これのいわゆる問題に、政府といたしましても、またわれわれ関係者も非常に努力をいたしまして、大体七月ごろには三百三十一号の使用も取り戻すことができると、私も、三百三十一号のあの基地の中の道路まで現地を見てまいりまして、そしてあの交通の渋滞から、これが回復されることによって沖繩の交通、那覇の交通に大きな影響を与えてくることを、実感を強く持ったわけでございます。それとともに、やはり海洋博に関連いたしましての、空港から来るあの国道の問題、これを何とか避けなければ、空港に着いて、そして那覇の中心に入るのに一時間もかかるような渋滞を見ますときに、この打開をどうすべきかということに対して、県並びに開発庁事務当局等にもひとつ検討を命じ、お願いしてまいったようなわけでございます。あるいは御案内のごとく、与儀小学校のいわゆるガソリンスタンドのあと地の問題等におきましても、御承知のとおりに、学校教育の上から多年の要望であるこれにつきましても、幸いにいたしまして大蔵省との話し合いもつきまして、そして別に、公園用地を別なところに設けまして、そしてあのガソリンスタンドのあとの用地を小学校に回すという話し合いもつきつつあるというようなことをいたしまして、私は、やはり一つ一つの問題点を誠心誠意取り組んで、それの妥結と解決に向かって地域住民のしあわせに持っていかなければならぬ。また、大切な国道あるいは街路などを見ますときに、どこが歩道か、どこが道なのかわからぬようなところがあるところを見ますときに、どうしても私はあの那覇市内の様子を見るときに、一つの歩道、それからこれを行なう場合に私は優先して考えてもらいたいことは、いわゆる御案内のとおりの下水、これをやはり優先してひとつ来年度からの公共事業として考えてくれないかということを指示いたしまして、いわゆる道路の側溝というようなことに取り組む方針を指示してまいったような次第でありますとともに、やはり亜熱帯地への常夏の国の魅力というものは、きれいな美しいあの海に対する陸地の緑を取り返さなきゃならぬと、そう思うときに、どうしてもこの都市公園というものの整備が不足であると、この都市公園の不足は何から原因しているかというと、基地からきているというようなことを見ますと、基地の回復に伴うあと地利用などの問題と関連いたしながら都市公園というものについてのひとつ今後の推進考えてもらわなきゃ、かわいい子供さんががらくた公園一つもなければ、ほんとうに楽しく遊ぶ一つの運動公園もない。そして美しい海に対応する陸地の緑と常夏の国らしい、亜熱帯地帯の那覇らしい、沖繩らしい私は県土づくりが必要である、こういうようなこと一つ一つを私は取り組んでいくべきであると、こう考えております。
  21. 喜屋武眞榮

    喜屋武眞榮君 なお具体的にお聞きします。  三百三十一号線の開放はいつのめどなんですか、いつできるんですか。それから与儀小学校のガソリンタンクあとの開放はいつになるんですか。そういった進められつつあるということは、これはもうたびたびお聞きしておりますが、いつ開放になるのかということ。次には、この前私が申し上げた労務の問題——海洋万博に関連した労務の問題、それから資材関係の問題の調査を私要望いたしておりましたが、それが現時点ではどういう段階になっておるか、それを聞きたいんです。
  22. 坪川信三

    国務大臣坪川信三君) 三百三十一号の使用につきましては、幸いにいたしまして、私といたしましては大体七月と、こう考えておりますが、早ければ私は六月にこれが回復できると、決定いたすと、こういう見通しを立てております。  与儀小学校の問題については、大体四月の新学期を控える年度初にひとつこれを実行いたしたいという時限的な予想を責任を持ってお答えしておきたいと思います。  それから労務資材の確保等に対する問題でございますが、それはそれぞれの工程、あるいはそれぞれの資材の需要供給の見込みというものを早く具体化せなければならぬと、それを私は各関連官庁と各関連業者とにそれぞれ一つの実施計画と目標計画を立てさせまして、そしてそれを一つの基礎にいたしまして、私はやはり月次対策をひとつ具体化したいと、こう考えております。
  23. 喜屋武眞榮

    喜屋武眞榮君 まことに残念であります。三百三十一号線の開放はこれは差し迫っております復帰国体、この国体に関連のある道路でありますが、それまでに開放できぬと、これはまことに遺憾であります。六月と言わず七月と言わず、ぜひそれに間に合うように努力してもらいたい。  次に、この与儀小学校の問題、これも四月一日に間に合わすということは、もう実は四月一日までにでもおそいくらいなんです。もうすでに準備体制を整えてその許可を、開放の時期を待っておる、手ぐすね引いて待っておる、こういうことからして、四月一日というのはその新学期のスタートでありまして、それから敷地決定じゃもうおそいわけでありますから、これもまことに遺憾に思います。  次に、あの海洋万博に関連した資材あるいは労務調査は四月の中旬までにというこの前の回答でありましたので、ぜひひとつその目標で、全力を傾注して調査を進めてもらうことを要望いたしまして、いま現実に起こっておる、長官のいままでのお話し合いの中から出なかったけれども、まことにいま差し迫った深刻な問題について、私はまず軍雇用員の給料の遅払いの問題、このことを長官の口からお聞きできなかったことはまことに残念に思います。これは軍雇用員の給料遅払いの問題については、たいへんこれは深刻な、重要な問題でありますが、この問題について尋ねます。  一つ、本土の軍雇用員の支給日は何日になっておりますか。
  24. 坪川信三

    国務大臣坪川信三君) 具体的な正確を期する意味において、防衛施設庁の政府委員から答弁させます。
  25. 松崎鎮一郎

    政府委員松崎鎮一郎君) お答えいたします。沖繩の米軍の従業員の給与の支払い……。
  26. 喜屋武眞榮

    喜屋武眞榮君 ちょっと待ってください。私の質問は、本土の軍雇用員の支給日は何日になっているかということを、それを答えてもらえばいいんです。
  27. 松崎鎮一郎

    政府委員松崎鎮一郎君) 本土の関係の米軍の従業員の給与の支給日につきましては、おおむね翌月の十日ごろ、大体標準として十日ごろになっております。ただし、ことしに入ってからのことを申し上げますと、一月などは大体十二日になっております。これはお正月の休み等の関係があるために、特別に一月とか五月の連休のあるときとか、それから十二月のいろいろ手当の関係とかございます月とか、そういう月はそういうことになっております。
  28. 喜屋武眞榮

    喜屋武眞榮君 沖繩では、この支給日がいま不定になっておりますが、その遅払いの理由はどこにありますか。
  29. 松崎鎮一郎

    政府委員松崎鎮一郎君) 沖繩の従業員の給与の支払いが本土に比べておそいということは、遺憾ながらそうでございまして、私ども非常にこういう初歩的なことがなかなか改善できないということはたいへん遺憾でございます。いま、現状といたしましては、復帰当初の時期は実はいろいろ給与にかかわりませず、ほかのものも制度が全部基本的に変わりましたので、本土の従業員の場合と全く同じといいますか、そういう形に基本的に変わりましたので、たとえば新しく復帰前には払っていなかった手当等——扶養手当とか調整手当とか、いろいろ八つばかりございますが、そういったものが新しくふえた、そういうことで認定事務がおくれた。それから復帰前に長期のストライキがあったとか、アメリカ側の部隊の編成が変わったとか、いろいろございまして、混乱がございまして、暫定払いがございました。八月ごろまで暫定払いが残念ながら続いたわけですが、それの精算を十一月、十二月までに一応終わりまして、一月は先ほど申し上げましたように、本土のたとえば神奈川、東京都と同じような、十二日に払えるようになったわけでございますが、その後また二月、三月と、十四日でございましたか、十四日になっております。したがいまして、これの改善のために十二月から特に沖繩県の場合には人手も足りなかろうということを考えまして、アルバイトを雇う予算等も組みました。それで、いま現在四十人、労務管理事務所で使っているはずでございます。それから他府県の練達の——従来、なれた職員、それの応援派遣、それから施設庁本庁のほうからの指導応援のための長期出張、他府県の場合は延べ昨年——今年度と申しますか、今年度で延べ五、六百人になっていると思いますが、そういったことを行なっております。それから現地の米軍、それから県庁の間でよく事務的にどういうことにとどこおりがあるのか、改善検討会をやると、そのときに、防衛施設庁の出先もございますので、国も入って、三者で再検討するということをやっておりまして、早急にこれを改善するべく総力をあげている現状でございます。
  30. 喜屋武眞榮

    喜屋武眞榮君 これは、復帰直後の混乱という、こういうことは一応予想されないわけでもない。ところがもう復帰後一カ年にもなろうとしておる今日、なお支払いが不定で、しかも遅払いがある。だから沖繩の軍雇用者がそれこそ本土並みに同じように支給せいと、こう求めることは、これはしごく当然なことである。その当然なことがなされていないというところに問題があるわけなんです。それに対してはどういう対策を持っておられるかということについては、なお本土の状態がどうなっておるかということとも比較検討してみる必要があると思うのです。単に努力しておると、いまも一部報告がありましたけれども、抜本的にこの際対策をしてもらわなければいけない、こう思いますが、神奈川県の例はどうなっておりますか。
  31. 松崎鎮一郎

    政府委員松崎鎮一郎君) 神奈川県の場合という意味は、先ほど申し上げましたように、給与の支払い日は通常の月は翌月の十日、それから特別な月が、一月なり五月なり十二月というようなときには特別の日ということになっております。それで補足いたしますと、神奈川県にはいま現在約一万四千名の従業員がおります。それを神奈川県が国の事務委任を受けまして労務管理をやっているわけでございますが、その実際の機構といたしましては、四つの渉外労務管理事務所を設けております。座間とか横須賀ですね。それで沖繩の場合、一万九千人足らずの従業員がおります。それに対して、復帰当初設けられました、いま現在動いておりますのは二つの労務管理事務所がございます。コザと那覇にございます。それでこれについてはもう一カ所増設する必要が少なくともあるのじゃないかということで、私どもは大蔵省と協議いたしまして、その予算を一応得ることができましたので、沖繩県において、いまその事務所の増設の時期とか、どこにつくるとか、そういったことが昨年から検討されておりまして、まだその結果はきまっておりません。それであと、こまかいことでございますが、たとえばコザの労務管理事務所等は急設いたしましたので、借り上げ庁舎と申しますか、そういったものになっております。したがって、これを新築いたします費用といったものを四十八年予算に計上して、いま国会で御審議願っております。  それで、なお付け加えますと、神奈川県の場合には——神奈川県に限りませんが、こちらのほかの府県の場合は、大体給与の支払い事務は、手計算と申しますかそろばんなり卓上計算機でやっておるわけでございますが、沖繩の場合には、そういう非常に基本的な変革があり、たくさんの従業員がおりますので、いろいろ事務のふなれ等もあろうということで、コンピューターを使えるようにやっております。
  32. 喜屋武眞榮

    喜屋武眞榮君 私が神奈川を例に出したのは、神奈川はいまおっしゃるとおり一万四千人と聞いております。沖繩が一万九千人。そうすると、一万四千人の神奈川には四カ所の渉外労務管理事務所ですか、が置かれておるが、沖繩にはコザと那覇、二カ所しか置いてない。こういった受け入れ態勢の整備という面から、この事務所の面、あるいは人員の面、こういう点に強化すべき面があるのではないか。もちろん人の面ではコンピューターがあるということは知っておりますけれども。そういう点、十分検討してもらって、本土の軍雇用労働者と同じ立場で遇されていかないというと、沖繩なるがゆえにそういうものがおくれてもいい、差別してもいいということではないと思いますがね、そうあってはいけない。けれども、事実においてそのようなことがもう一カ年近くも続いてきておるということなんですね。これをひとつ一そう責任感じてもらわなければいけない、こう要望しまして、早く軌道に乗してもらいたい。  次に、長官基地整理縮小政府の基本方針であることはいまさら申し上げるまでもない。ところが、沖繩でいま新規接収がなされようとしております。恩納村における米軍の新規水域の接収がなされようとしておりまするが、そのことについて御存じですか。また、それに対してどういういま態度をとっておられるか、お聞かせ願いたいと思います。
  33. 坪川信三

    国務大臣坪川信三君) この要求につきましては、昨年の十月ごろから米側から要求されておるものと私も承っております。具体的なこれに対する対応策については、関係政府委員から答弁させます。
  34. 奈良義説

    説明員(奈良義説君) いま先生指摘になりました恩納の水域と申しますのは、恩納通信所というのが現在ございまして、そこの前面海域のことだと思います。これは現在五十メートルは陸地に属した水域としてあるわけでございますが、現在あそこを使っております第三海兵師団第三偵察大隊というのが沖合い五百メートルまで広げてほしいと、こういう要望を昨年の十月施設委員会に提案してまいりました。現在地元の方に御相談を申し上げている段階でございます。
  35. 喜屋武眞榮

    喜屋武眞榮君 どうもいま非常に心細い答弁で、まことに情けなく思っておりますが、この新規接収がなされようとする、それ自体にも問題がある。さらにこの場所がどういう場所であるかということを私ははっきり言ってもらいたかった。単なる新規接収の場所でも、新親接収そのものも問題ですよ。この恩納村海岸はここですよ、万座毛がここ。この四角です。この海岸。この恩納海岸は、沖繩で五十八号線に沿うた最も景勝地である、すぐれた観光地である。そして海洋博の遊覧予定地になっておる。こういう場所に、いまアメリカが水陸両用の上陸訓練をするところのその場所に接収しようとしておるということなんですね。それを一体どの程度にショックを受けておられるか、深刻に考えておるか、そういったことが実は聞きたかったんですが、長官、どうでしょう、海洋博との関連もあります。
  36. 坪川信三

    国務大臣坪川信三君) いま御指摘になりましたとおりに、地元民にとっては、まことに重大な問題でもあります。したがいまして、いま先生おっしゃったように、日本側といたしましては、地域住民の意向を十分そんたくいたしまして、それらに対しまして、ひとつ全努力を払えるように、私といたしましても、また防衛庁からもお願いをいたしておるような次第でございますので、いま政府委員のほうからそのままのことばで申し上げた点は御理解いただ.きたいと、こう思います。
  37. 喜屋武眞榮

    喜屋武眞榮君 さらにつけ加えて強調いたしておきます。この場所は、この恩納村がいま接収されようとしている場所は、沖繩海岸国定公園に指定されておりますよ。この地域の自然の保護のための許可基準というのもきびしくいま知事の責任においてなされておることは御承知だと思いますが、それ御承知でしょうか。
  38. 奈良義説

    説明員(奈良義説君) 存じております。
  39. 喜屋武眞榮

    喜屋武眞榮君 そういう既定の、沖繩海岸国定公園に指定されておる、その地域内における、たとえば海面の埋め立てだとか、あるいは工作物だとか建築物、それから建造物、こういうことに対してもきびしい条件がつけられておるということは御承知のはずであります。もうこれは聞いただけでもショックを受けるわけですが、いままでのお答えからすると、非常に冷ややかな御返事としか私は受けとめられません。これぜひひとつ、この米軍の要望に対しては取り消してもらうように、その接収をいかなることがあっても、いかなる理由があるにせよ、この接収は許されない。もしこれが許されると事がたいへんなことになりますよということを私は警告を発しておきたい。それに対してもう一ぺん長官の御答弁を願います。
  40. 坪川信三

    国務大臣坪川信三君) 御指摘になりました点は、最善のひとつ配意と努力をいたしたいと思っております。
  41. 喜屋武眞榮

    喜屋武眞榮君 さらにこれは、私がこうして強調するだけでなく、恩納村当局においても、議会においても、また関係字民、区域民、騒然となって立ち上がっておるのです。そして議会でも決議をして訴えてもおります。そういった動きが底辺にあるということを十分知っていただきたいということを申し上げておきたいと思います。  次に軍港湾労働者の解雇について、まことにまた深刻なものがあることは、おそらく長官御溝在中にその深刻な訴えがあったのではないかと思いますが、先ほどその問題が御報告の中でも一言も出なかったのはまことに残念に思うわけでありますが、那覇軍港港湾労働者の全員解雇の問題ですね、いわゆる第四種雇用員のあの解雇の問題、それに対して報告を受けておられますかどうか、まずお聞きしたい。
  42. 坪川信三

    国務大臣坪川信三君) 現地へ参りましたとき、当事者あるいは関係者の皆さんからいまの問題に対する御指摘あるいは御要望は、私の記憶違いかもわかりませんけれども、受けていないことは事実でございます。
  43. 喜屋武眞榮

    喜屋武眞榮君 この那覇軍港に勤務しておる労働者が千八十四名、三月末で解雇予告を受けておる。ところが契約は九月末になっておると聞いております。契約期間九月末。それを三月末で解雇する。しかもその理由が、もう軍の仕事が少なくなったから三月でやめてくれと、こういう全く切り捨てごめんの、なま首を切るような、こういうことが許されていいかということなんです。それに対して一体政府はどう受けとめておるか、それに対してどう対処しておられるか、それをお聞きしたい。
  44. 坪川信三

    国務大臣坪川信三君) 政府委員から答弁いたさせます。
  45. 中原晁

    政府委員(中原晁君) ただいま先生指摘の問題につきましては、先生指摘のとおり千八十四名、那覇港におきまして八百九十二名、天願港におきまして百九十二名という内訳になっておりますが、そういう多数の人の職を失う問題ともからみますので、私どもとしては非常に重要な問題だと思います。  先般この問題も含めまして、労働省からも現地調査に行きました。十日間ほどいろいろ調べてまいりました。現在労使の間で鋭意話し合いが進められる予定になっております。しかしもう三月末、目前に差し迫っておるわけでございます。私どもとしましては、何ぶんにも問題が労使のことでございますので、その問題に政府が直接介入するというようなことはいかがかと思いますけれども、労使の話し合いが適切に進みまして、問題が処理されるように期待しておるわけでございます。  なお、万一離職者が発生した場合には、必要によりまして沖繩振興開発法で特別の手帳を交付して、特に手厚い保護を講ずることに法律上なっておりますので、万全の備えをいたしまして、そういう方々の再就職その他に万全を期したいと思っております。
  46. 喜屋武眞榮

    喜屋武眞榮君 ちょっとあいまいになっておるいままでのいきさつがあるわけですが、すなわち、第四種の労働者は、復帰に向けて一般軍雇用者と同じ身分を認めよということは、もうずうっと長い年月かけての要望であったわけですが、それがあいまいに持ち越したまま復帰してしまったわけですね。復帰後は、これの所管は一体どこになるのですか。
  47. 中原晁

    政府委員(中原晁君) 所管につきましては、それぞれの問題につきまして所管省が担当することになろうと思いますが、いずれにしましても、駐留軍の離職者、それからこのような四種の方々の離職問題につきましては、労働省が担当しております。まあ関係省と申しますと、外務省、防衛施設庁、労働省、まあその他の各省もございますが、特にこういう関係省、それからもちろん沖繩開発庁等万全の連携をして、それぞれの問題の解決をはかってまいる、こういうことに相なっております。
  48. 星野重次

    委員長星野重次君) この際、先ほど坪川長官が与儀のガソリンタンクについて答弁をしましたが、岡田総務局長から補足説明したいとのことですので、これを許します。岡田総務局長
  49. 岡田純夫

    政府委員(岡田純夫君) 先ほど大臣から、与儀のガソリンタンクあと地につきまして、小学校、つまり与儀の小学校に活用すると申しますか、分校用地に充てられるように話が大体ついた。そういう方向ですみやかに進めるということをおっしゃいました。ただ、事務的に御了解を得ておきたいと思って補足さしていただくんでございますけれども沖繩振興開発特別措置法の政令改正の手続をいたしまして、譲渡——無償譲渡といたしました場合には、無償譲渡の手続をいたさなきやなりませんので、そういう政令改正の手続で文部、大蔵等と相談いたします。それから所有権の、当然行政財産として移転の手続等がございます。そういうふうな手続を経ましたところで、なるべくすみやかにはかるということで、そういう点ございますので、御了解を得ておきまして、四十八年度なるべくすみやかにということで御了解を得たいと思います。
  50. 喜屋武眞榮

    喜屋武眞榮君 この問題は、事の起こりは三月十日に雇用者である国場組から三月末で解雇すると、こういう——さっきのはあれでいい、よろしゅうございますから、この際もとに返します。  それで、結局あいまいもこのままに復帰して、それで復帰したところへ身分もさだかにならないままに今度解雇があって、一体雇用者、労働者はどう保証されていくのか、こういういま現実に起こっておる問題なんですね。それで、まず一つの問題は、仕事が少なくなったからもう要らないということで、そんなかってになま首を切っていいかということにも許されない問題があるわけです。なお前向きで積極的で行くならば、軍の仕事が少ない場合には民間の業務も、港湾業務も協力できると、働らけると、こういう両刀つかいの方向に持っていく、こういうことができないかどうか、お聞きしたい。
  51. 中原晁

    政府委員(中原晁君) 先ほど先生からお話がありましたとおり、就労者に対しましては二月の十六日付をもって解雇予告が出ておるわけで、さらに三月の十日にそれを確認する再確認の通知がなされまして、法的には一応何といいますか、違法のあれはないわけでございますが、何ぶんにも多数の方が、しかも本土よりも雇用、失業情勢のよくない沖繩におきまして離職するということは非常に重要なことだということで関心を持って見ております。それで、先生いま御指摘のように、ほかの仕事云々と、こういうお話ございましたけれども、私のほうといたしましては、先ほど坪川長官からもいろいろお話がありましたような海洋博の問題、これにつきましては、相当人手が足りないということで、本土からも応援に行かなきゃならぬというようなことになっておりますので、いろいろ適性、能力、地域等の問題もございますが、こういう方々につきましては、そういう海洋博関連事業その他の公共事業等に行ける方は行っていただくというようなことになろうかと思いますが、いずれにいたしましても、振興開発法で特別な保護、援助措置が規定されております。そういうものの総合的な施策を機動的に活用いたしまして、絶対にそういう——万一離職したような場合にも困るようなことはないように考えておるわけでございます。
  52. 喜屋武眞榮

    喜屋武眞榮君 それで、この問題処理にあたって、さらに今後のまた問題に発展さして、私は次のことをいま申し上げて御見解をお聞きしたいんです。  まず、雇用期日が、二月の十六日に解雇予告が出たとおっしゃるんですね。で、三月十日に……。いまその点はわかりましたが、いま労使双方の間でやっさもっさしておるんですが、なかなか進展しない。そこで、一つは、防衛施設庁として、県と一体となって、業者の国場組に対して、労務問題の処理を完全に果たすために、三カ月間の暫定継続期間を置いて、そしてその間にいまの三者で円満調整をしていくための指導助言をしてもらいたいと思いますが、どうでしょうか。
  53. 松崎鎮一郎

    政府委員松崎鎮一郎君) ただいま防衛施設庁のほうでという先生お話でございますが、遺憾ながら私どものほうの設置法の関係では、米軍の労務需要と申しますか、そういったものを直接調達する——いわば間接雇用形態ということでございますから、そういうものだけが任務になっておりますので、残念ながらいまの国場組の関係お話はタッチしかねるわけでございます。
  54. 喜屋武眞榮

    喜屋武眞榮君 その問題も、これ前向きで検討してもらわぬと、残念ながらとか投げやりでなく。この問題は、これは重大な問題ですから、何とか前向きで、一緒になって打開していくという、指導助言をしてもらうように私は要望しておきますが、さらに米軍、政府、それから県、組合の間での解決策を見出すように指導助言をぜひしてもらいたいが、さらに施設庁が直ちに米軍当局に交渉を申し入れてもらいたいと、こう私は要望しますが、いかがですか。
  55. 松崎鎮一郎

    政府委員松崎鎮一郎君) 先ほど申し上げましたように、私どもは、間接雇用の分が仕事でございますので、実は、そのお話については関係省庁のほうに、お話を受けました際は伝達しているわけでございます。
  56. 喜屋武眞榮

    喜屋武眞榮君 沖繩の問題は現地だけでは解決できない問題が一ぱいある。どうしても現地における労働者と、それから県当局、あるいは軍との関係、さらに日本政府との関連、こういったつながりにおいていろいろ検討して、努力して指導し助言していかなければいけないいろんな問題が錯綜しておるわけなんですから、そういう点、これはあっちだ、これはこっちだといった投げやりじゃなく、前向きでひとつ抱き取って検討してもらうように、こういうことでなければ、これは基本的には何としても、沖繩の問題というのは基地あるがゆえに起こっている問題です。それで、その基地あるがゆえにということは、結局国の犠牲の中から生まれたことでありますから、四半世紀もあのような情勢に置かれて、その中から生まれ出たうみであることを思いますときに、共通の責任感じてもらわなければいけないということを私は強く指摘して、問題は幾らでもありますので、次に移りたいと、こう思います。  次に、これは衆議院で、もうたびたび問題に出ておる旧日本軍に接収された土地の地代未払いの問題について、すでにこの問題についても国会でも問題になっておりますので御存じと思いますが、この問題について、戦争直前の、第二次世界大戦直前のどさくさで、旧日本軍に接収された土地の始末について非常にあいまいもこの、たとえば地代の問題、そしてその後、米軍施政下に置かれた間におけるその土地の所有の問題、それと地料の問題、こういったいろんな問題がからみ合ったままに今日まで持ち越されてきておるわけなんですが、いまそれが一つ一つまた問題化しておるわけですが、そのことについて、私は、四十八年の二月六日付の私の質問主意書の回答で、その実情をよく把握することにつとめる、こういう回答がなされておるんですが、その後、政府の実情把握の状況は一体どうなっておるのであるか、まずそのことをお聞きしたい。
  57. 岡田純夫

    政府委員(岡田純夫君) 先般御質問に対しましてお答え申し上げまして、その実情を把握することにつとめることといたしたい、こう政府として御回答申し上げております。沖繩開発庁におきましても、関係方面から過去の実情なり何なりというものを聞いて承知しつつございますけれども、本日大蔵省から理財局の国有第二課長が来ておられるはずでございますので、直接お話をお聞きいただければと考えます。
  58. 川崎昭典

    説明員(川崎昭典君) 御質問土地調査の件につきまして御説明したいと思います。御承知のように、沖繩総合事務局のほうに財務部というのがございまして、そこでいわゆる旧陸海軍省の財産を引き継いでおるわけでございます。私ども大蔵省のほうに引き継がれました財産、これは普通財産と呼んでおりますけれども、これが約千七百万平米ほどございます。これらはすべて書類の上で引き継がれましたものでございますから、この千七百万平米の普通財産のいわゆる実態調査ということをやらなければなりませんので、復帰後直ちに実態調査を実施しまして、それを一々国有財産台帳に登録していくという作業を始めたわけでございますが、一応この作業を三カ年計画で組んでおります。しかしながら、御承知のように、米軍管理から移されました国有財産を一カ年間は従前と同一の扱いで貸し付けるという措置がございまして、その貸し付けに切りかえるという事務がまた非常に多くございましたものでございますから、実態調査のほうは三カ年計画でようやく着手したばかりでございます。したがいまして、この旧軍で地代が未払いになっておったという主張がいろいろなされておることは十分知っておりますけれども、その具体的な事案についての調査はまだ着手できない状況でございまして、四十八年度から着手すると、したがいまして、実態調査三年計画のうちにともかくその調査は終了したいということで、目下考えております。
  59. 喜屋武眞榮

    喜屋武眞榮君 この問題については、もういつまでもほおかぶりするわけにはいかない。どうしても解明して筋を通して処理しなければいけない、こう思いますが、すでに沖繩の軍用地問題を解決していくための土地連合会、土地連というのがございますね。その土地連でも調査をして、各市町村ごとに出ておりますが、ここに、私の手元に来ておる嘉手納村の村長からも、私信を添えて、それから軍用地主協会の会長からも来ておるわけですが、たいへん困難な問題ではあるとしても、どうしてもこれを避けて通るわけにはいかない、こう思うわけですが、このような問題のケースは本土にもあると思いますが、どうでしょうか。
  60. 川崎昭典

    説明員(川崎昭典君) 本土におきましては、地代を支払っていないというケースは見当たらないように考えております。ただ、最近になりまして、三十年ほど前に軍に買収されたけれども地代をもらっていないということを主張される方が一名出られたようでございますけれども、それ以外に私どもは本土においてはそういう事案はないというふうに聞いております。
  61. 喜屋武眞榮

    喜屋武眞榮君 現在は見当たらぬが、そういうケースで、たとえば私の知る限りにおいては福岡県の板付飛行場の経過は、そういう経過はありませんですか。
  62. 川崎昭典

    説明員(川崎昭典君) 福岡県の板付飛行場の場合は、軍が金を払っていないということで、したがいまして買収が成立しておらず、所有権も移転していない。それをたまたま工事に着工しておったというような状況が終戦直前にあったと思います。したがいまして、終戦直後の八月の十八日でございますか、すべてもとの地主にお返し申したというふうに聞いております。
  63. 喜屋武眞榮

    喜屋武眞榮君 特に私が嘉手納村をいま具体的に申し上げたのは、村長や嘉手納の土地連からも、協会からもあるし、また沖繩土地連の調査もあるわけですが、嘉手納の場合、約四十八万九千平方メートル、それから地主百二十四人の土地が嘉手納飛行場内の国有地に組み入れられておる。近くそのことを防衛施設庁に対して、二十八年間にわたる地料約二億八千万円、これを請求するのだ。もしそれを受け入れぬとするならば、法廷闘争も辞せない、こういう強い決意で村当局、それから地主、こうしていま固まりつつある、立ち上がりつつある、こういうことを、私は情報をキャッチしておるわけなんですが、この請求を起こすことに対して、正式に提案された場合に、防衛施設庁としては、あるいは関係省庁はどうそれに対して対処されるという、こういう決意があるのかどうか、お聞きしたい。
  64. 川崎昭典

    説明員(川崎昭典君) 嘉手納飛行場の中の国有地のお話につきましては、新聞にも報道されたようでございまして、私どももうかがい知っておるわけであります。大蔵省が国有地として管理しておりますのは、いわゆる所有権証明という手続のあるものを管理しておるわけでございます。宮古、八重山のほうにつきましては、登記簿が残っておりますから、国有地であることが登記簿上明瞭になっております。沖繩本島では、登記簿が残っておりませんので、いわゆる所有権証明という手続によって国有地となされたものを国有地として管理しておるわけでございます。したがいまして、先ほども申し上げましたように、実態調査をいたしまして、実情をよく調査いたしたいと思うのでございますが、その実情と申しますのは、旧軍が買収した当時の経緯、これは非常に調査困難かと思いますが、そういった経緯と所有権証明が出された経緯でございます。正当に所有権証明が国に出されたものでございましたら、いろいろな御要求がありましても、それは認めることができないというふうに考えられるわけであります。したがいまして、所有権証明が国になくて個人にあるといったような事例の場合は、直ちに個人の土地であることを確認いたしまして、それがもし提供財産として必要がないということであればお返しするし、また、必要があれば借り上げるといった措置をとらなければならないというふうに考えております。
  65. 喜屋武眞榮

    喜屋武眞榮君 この問題にはいろいろ問題が錯綜しておるわけなんです。まず一つは所有権の問題ですね。その地主所有を認めよという、今度それを前提として地代を払えという、それを前提として今度二十八年間の地料を支払え、こういった問題に分類されるわけなんですということをはっきりさしていただいて、そうして調査する、調査するという、こういうことじゃなしに、ほんとうに具体的に、これは非常に困難な問題だということは承知いたしますよ。しかし、困難だからといってもう避けて通るわけにはいかない。どうしても納得のいく方向に作業を進めてもらわなければならない、処理をしてもらわなければいけない、こう思うからであります。これも沖繩の八重山、宮古、あるいは伊江島とか、この全島に、全県にまたがっていろいろ問題、ケースはあるわけですが、特にいま私は、嘉手納の、この地主の要望中心として、いま強調いたしたわけでありますが、ぜひひとつ、この問題を抜本的に解明してもらう方向にみこしを上げていただきたい。こういうことを強く要望しまして、それに対する関係当局の決意を承りまして、私の質問を終わりたいと思います。
  66. 川崎昭典

    説明員(川崎昭典君) 先ほど申し上げましたように、四十八年度から調査に着手するわけでございますが、調査自体が現時点で提供財産であるといったようなことで、非常にむずかしい面もございますが、何とか防衛施設庁のほうに御協力をお願いして、実態調査の中でぜひその実情を明らかにして、国が間違って所有しておって御迷惑をかけておるのじゃないということを納得いくような調査をしたいというふうに考えております。
  67. 星野重次

    委員長星野重次君) 本件の調査はこの程度にとどめ、本日はこれにて散会いたします。    午後零時二分散会