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公述人(井手文雄君) ただいま御紹介にあずかりました横浜国大の井手でございます。
ただいまお二人の
公述人から非常に造詣の深い御陳述がございましたが、私は実は交通論を専門といたしておりませんので、一人の市民あるいは
国民といたしまして、これまでいろいろ国会討論その他を通じまして伺ったことについてまあ疑問もございますので、そういう角度から
意見を申し上げたいと存じます。大体この二つの法案については基本的には
反対の
立場から申し上げたいと存じます。
私は
国鉄運賃の
値上げに対しまして、何が何でも
反対だと、こういうわけではございません。ただ時期の問題タイミングの問題あるいはその程度、それから納得のいくような
値上げの
理由が
国民に説明されているかどうか、まあこういうことがひっかかっているわけでございます。
現在の消費者
物価の騰貴はおそるべきものがございまして、政府はそれこそ蛮勇をふるってこの趨勢を阻止しなければならない、まあそういう時期にあると存じます。福祉
政策の根本は
物価あるいは貨幣価値の安定でございます。政府は公共事業の繰り延べ等々インフレ抑制に努力をされておられ、その点は評価いたしますが、そういう際に
公共料金の引き上げをなさいますことは矛盾するのではないかと、こういうふうに存じます。
政府は、
旅客運賃の
値上げの消費者
物価への影響はたしか〇・三四%、あるいは
貨物運賃値上げの影響が〇・〇九%でございますか、合わせまして〇・四三%ぐらいであると、まあこういうようなことを申されたかと記憶しておりますが、しかし私鉄あるいは一般
企業、
国民心理への波及効果というものは非常に大きいわけでございます。特にこの時点におきましては。こういう算術的な試算だけで済むとは思われません。この
公共料金の
値上げというものがインフレムードを激化することは必至であろうと存じます。せっかく
物価抑制のために非常な努力をされております——金融、
財政政策両面にかけましてですね、そういうときに、わざわざこういう
物価値上げに拍車とかけるような
公共料金の
値上げ、
公共料金の中の中核たるべき
国鉄運賃の
値上げを提案されるということは、タイミングとしてよろしくないと、こういうふうに
国民として私は考えております。
それから次に、それでもなおかつ
国鉄運賃の
値上げをやるということであれば、
国民を納得させるだけの
理由の明快な説明がなければならないと、こういうふうに存じます。ところが、
国民に
とりましてよくわからない、
国民に
とりましてというか、むしろ私に
とりましてよくわからない点がございます。もちろん私の勉強不足という点もございましょうが、その点はおくみ取りいただいてけっこうでございますが、
貨物輸送部門は
赤字、
旅客輸送部門は黒字と、こういうふうになっております。この点についてはまたあとで申し上げますが、一応こういうようなかっこうになっております。このようにして生じました
国鉄の
赤字を
旅客運賃値上げで補てんするということが納得できないわけでございます。これと関連しまして、
国鉄の
運賃体系のあり方が問題となります。
旅客運賃よりも
貨物運賃のほうが割り安となっているのではなかろうか、同じ
貨物運賃でも主として大
企業の製造品についてはいろいろの
割引政策がとられておりますが、
国民の生活に必要な
物資の
運賃に対してはそういう恩典はなくなっているのではないか。政府の
政策を大
企業優先の
政策だと一がいにきめつけるわけではございませんけれども、
国鉄の
運賃体系を見ますというと、われわれしろうとの目から見まして、やはりそういうように映るわけでございます。大
企業優先的な
運賃体系になっているように見えるわけでございます。このため
貨物運賃部門が
赤字になっている。しかし、
貨物運賃を大幅に引き上げると
貨物輸送での
国鉄のシェアが低下すると、これは好ましくないから
貨物運賃はあまり上げられない、それで
旅客運賃も相当引き上げねばならないというような御説明を政府はされているようでございますが、この
旅客運賃の引き上げは平均で二三・二%、
貨物運賃の引き上げは平均で二四・一%ということに聞いておりますが、特に
貨物運賃のうち自動車、機械というようなものか七%——六・八%くらいてございますか。米麦、生鮮野菜などが三〇%ぐらい、二九・六%でございますか、大体三〇%ぐらいの引き上げと、こういう引き上げのしかたを見ましても、まあ大
企業優先主義という面があらわれておるわけでございまして、
国民生活についての深い配慮が欠けているように思われます。
ところで、
国鉄のシェアが低下するということは好ましくない、むしろこれを引き上げねばならないというのは、適正な総合
交通体系の確立という観点からであろうと存じます。そういうわけで、あまり
貨物のほうを引き上げることはできないんだと、こういうことだろうと思いますが、そういう御説明があったと思いますが、それならば、
貨物運賃を大幅に引き上げないために
赤字か解消しないとすれば、その
赤字は税金によって補てんすべきではなかろうかと存じます。適正な総合
交通体系の確立ということは
国民全体にとって有益だというわけだからでございます。有益だと思えばこそ、この総合
交通体系の確立のために
貨物運賃を大幅に引き上げないんだろう論理だと思うのでございますからして、これは適正な総合
交通体系の確立は
国民全体にとって有益であるということになります。
したがいまして、そういうことであれば、そのために
貨物運賃の引き上げを大幅にできないならば、それは
国民全体にとって有利なことのためにそうでありますから、それは税金という形で、それによって生ずる
赤字、補てんできない
赤字というものは税金という形で補てんしなければならぬ、これが筋ではなかろうかと思います。もちろん、ただしその前提といたしましては、現在の大
企業優先といわれておりますところの税制の改革ということが前提にはなっております。こういう現在の税制では問題があるわけで、前提として税制の改革ということ、福祉優先の税制の改革、これが前提で、そういう税制のもとにおける
赤字の補てん、
貨物運賃の引き上げが小幅であるということは、短絡的に
旅客運賃の引き上げで埋めるということではなくて、それは税金でなければいかぬ、こういう論理が一つ考えられるのじゃないかという疑問が出てまいります。
貨物運賃の
割引をして需要を多くしたり、
貨物運賃の
値上げを小幅にとどめてシェアの縮小を阻止しようとしたりするということは、
貨物の
国鉄輸送の
価格弾力性が大きいことを前提といたしております。
企業は
貨物運賃が引き上げられれば、相対的に
運賃の低い他の
輸送機関、たとえば
トラックというようなものに移っていきまして、
運賃という
コストの上昇を免れることができる、こういうことが前提になっております。
貨物運賃の引き上げを大幅にしないで
旅客運賃を引き上げるということであれば、やはり
国鉄のシェアは
旅客輸送の面において縮小しないのかどうか。おそらく幾らかは縮小するでありましょうが、これが一つ。しかし、おそらく縮小するであろうけれども、その程度はそんなに大きくはないだろうということも考えられます。
国鉄輸送は
国民にとって必需品に近いものでございますので、その
価格弾力性は小さいはずだからでございます。そうすると、
旅客の
運賃値上げは直ちに
国民の生活を圧迫することになります。しかるに
貨物運賃の
値上げは必ずしも
企業経営を圧迫しない。にもかかわらず
貨物運賃の
値上げを小幅にして、黒字を出しておる
旅客運賃の
値上げで補てんする、こういうことが一
国民といたしましてよくわからない点でございます。
旅客運賃の
値上げをやめて
貨物運賃の
値上げのみとして、それがあまり大幅では困るというなら、
値上げ不足分をさっき申しましたように、税金をもって補てんするほうが
国民を納得させるのではございませんでしょうか。こういう感じがいたします。
次に三番目といたしまして、
国鉄の
独立採算制に疑問を持っております。たとえば
国鉄は
赤字線をかかえる必要があります。ただし
赤字線に二種類ありまして、一つは申し上げにくいことでございますけれども、たとえば政党や個人の票田確保あるいは開発のためのもので、
国民経済的に見て無価値なもの、そういう
赤字線というものでございます。この種の
赤字線は一日も早く全廃しなければなりません。もう一つの
赤字線は、国土開発のための先行
投資的な意義のあるものなどでございまして、こういう
赤字線の運営こそ
国鉄の私鉄と異なる任務であるというべきであると存じます。黒字線のみとするなら国は
鉄道事業を経営する必要はなくて、全部私鉄にまかせるべきではないかと、しろうとの私はそういうような気がいたします。このような
意味の
赤字線つまり
国民経済的に見て望ましい
赤字線、これをかかえるということは
独立採算制を困難にいたします。また輸送という政府
サービスは
公共財の一種でございまして、最も本来的な
公共財の効用は
国民に均等不可分的に供給されるわけでございます。たとえば社会秩序を維持することによりまして、
国民の生命財産を守ってやるというような
サービスは最も本来的な
公共財でございます。その財源は受益者
負担の
原則によっては調達することは困難でございまして、租税によってするしかございません。その場合の租税は応能
原則によって公平に徴収、徴税されるべきでございます。
しかし政府の供給する
公共財の中には、その効用が
国民に対して可分的なものもございます。その財源調達の方法として受益者
負担の
原則、受益者
負担の
原則と
利用者負担の
原則とは必ずしも同一ではございません。しかし、ここでは便宜受益者
負担の
原則を
利用者負担の
原則と同様に解して、簡略化のために解してお話をいたします。受益者
負担の
原則の導入される余地か、こういう
国民に対して効用が可分的な
公共財の場合はございます。受益者
負担の
原則の導入の余地がございます。
国鉄の
サービスはこれに当たります。しかし
公共財は、いかに効用が可分的といっても、そうじゃない部分、つまり
国民全体に不可分均等に与えられる効用部分がございます。効用可分のものについては受益者
負担の
原則に基づいて料金により財源を調達し、効用不可分の部分については税金によって財源を調達すべきでございます。
公共財の公共性を高く評価し過ぎると料金による
割合が過小となり税
負担が過大となります。効用可分性を高く評価すると料金主義になり、個々の
利用者の
負担が重くなって家計を圧迫する、こういうふうになります。
国鉄の
赤字補てんの問題は上のような問題、つまり料金主義が租税主義かの問題を含むわけでございまして、いずれにしても、
国鉄の財源は租税を含むべきで、この点からも独立採算を固執するのは間違っていると存じます。しかし料金、つまり
運賃収入と税金と、どの
割合にすべきか、これはむずかしい問題でございますが、政府としてはこの費用
負担の
原則についてもっと突っ込んだ検討をなさる必要があるのではないか、こういうふうに存じます。こういう研究をやった上で、
国民を納得させるような論拠に従って、
運賃を上げるなら上げる、税金でどれだけ埋める、そういう説明をしていただきたい。その上で実行していただきたい、こういうふうに一
国民として考えている次第でございます。
この料金の部分と租税の部分との問題は御検討いただくとして、むずかしいことでございますが、私としてもその辺はどういう、じゃあ
割合にしたらいいかということは、はっきりここで答弁する能力を持っておりませんけれども、一案といたしましては、線路というような設備
投資は政府
負担、税金によるという方法が一つの例として考えられます。
道路建設は一般会計の公共事業費として税金
負担で行なわれております。有料道路というのもございますけれども、有料道路のことはしがらくおきまして、一般の道路について申しますと、税金で行なわれている。道路の効用は
国民全体に均等に及ぶという考え方にこれは基づいているわけでございます。
鉄道の線路を道路とみなせば税金によるべきこととなります。
国鉄の
独立採算制を守るために
財政資金、つまり税金の投入をしないで
運賃収入に依存するという考え方は改める必要があるのではないか、こういうふうに考えます。
最近、先ほど最初のほうで申しましたように、
国鉄が
旅客部門、これは四十六年度経営実績といたしまして、
旅客部門で十億円の黒字、
貨物部門二千百五十三億円の
赤字になっているというふうに発表をいたしました。これは
国鉄のほうで発表なさったものでございます。これまで線路別の収支は出されておりましたけれども、今回初めて
旅客、
貨物の部門別集計が明らかにされたということでございます。四十六年度
国鉄赤字は二千三百四十二億円、
鉄道部門の
赤字は二千二百十七億円となっておりますが、この二千二百十七億円の
赤字は、
貨物輸送部門の
赤字に大部分よっている、こういうような発表でございます。
この事実が
旅客運賃値上げ反対の論拠とされるに至ったわけでございますけれども、そうしますというと、今度はこの
旅客部門と
貨物部門の黒字、
赤字の区別は明確にしにくい。たとえばレールや
鉄道保安施設などは、
旅客、
貨物ともに共通する費用、どっちもレール、保安施設というようなものは、
貨物の場合も
旅客の場合も使いますので、その費用の振り分けぐあいによっては、
旅客のほうが
赤字になる、あるいは
貨物のほうな
赤字になる、どうなるかわからないと、こういうような説明がまたなされてきました。それならば、なぜあのような
貨物部門は
赤字で
旅客部門は黒字だというような発表が可能となったのか、この辺のところが
国民の疑惑を深めているのではないかと、こういうふうに考えます。路線別
原価主義は可能でも、部門別
原価主義は不可能であるのか、
赤字線切り捨て論、この
赤字線というのは上述のような
意味におきまして、
国民経済的に有用な
赤字線を含んでおるわけでございますが、
赤字線切り捨て論は路線別
原価主義によっているわけでございます。部門別では
総合原価主義を
とりながら路線別には個別的な
原価主義をとっている、こういうことになるわけです。
赤字線切り捨てのためには個別
原価主義、それから
貨物運賃、特に大
企業のための
貨物輸送擁護といいますか、そのためには
総合原価主義を利用すると、こういうような便宜主義がとられているようにも思われます。この辺が、やはり私どもの疑惑を招くといいますか、納得しがたい点でございます。路線別
原価主義は可能でも部門別
原価主義はほんとうに可能ではないのかどうか。部門別
原価主義も可能ではないか、そして路線別、部門別の
原価主義がともに可能としても、
総合原価主義をとるべき領域では採用すると、たとえば有用な
赤字線の維持のためにというような場合にですね、採用するということが必要なのではないかと、こういう気がいたします。
赤字線だから高い
運賃、黒字線だから安い
運賃という方法はとられてはいないわけでして、現在、黒字線、
赤字線は
総合原価主義になっているのではないでしょうか。これは具体的には、路線別では個別
原価主義が可能であっても
総合原価主義で
赤字線が抱き込まれておるわけです。そうして、
総合原価主義によって
赤字線を抱き込みながら、今度は
独立採算制のために
赤字線を切り捨てなければならぬというときには路線別の
原価主義でいくと、こういうように、この
総合原価主義と個別
原価主義というものが非常に恣意的に利用されているという気がいたします。
一体、
運賃決定の
原則といたしまして、
総合原価主義と個別
原価主義というものを、どういうふうに
国鉄当局ではお考えになっておるのか、この点が
国民といたしまして、非常にあいまいで納得がいかないと、こういう点かございます。
いろいろ申し上げましたが、以上のように
国民にとってすっきりしない点が非常に多い。国会の論議を通して注意深く拝見をいたしておりましても、政府の御説明の中に、われわれを十分に納得させるものがないわけでございます。そういう段階において、特に
旅客運賃の
値上げをやっていくと、今後十年間に四回もまたやっていくというようなプランができておると、こういうことがどうも賛同できないということ。それと、一番最初に申し上げましたように、現時点において、政府は何をおいても蛮勇をふるって
物価騰貴、インフレというものを押えなければならない。
所得政策すらも考えなきゃならない。これは
所得政策の問題はそう簡単に言えませんけれども、そういうことさえも問題になっておる。そうして政府はやっておられる、現に。公定歩合、金融
政策の面でも、
財政政策の面でも努力はされておる。そのときにこういう
公共料金の
値上げという、
国鉄運賃の
値上げというものを出されるということは、政府の
政策の斉合性を欠くものであると、こういうことを最初に申し上げましたが、あらためてここに、終わりに臨んで申し上げまして、今回の
国鉄料金の
値上げについては
反対だということを申し上げます。