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青島幸男君 そういう趣旨の質問をしたつもりではなかったのですけれどもね。たとえば、私鉄の
あり方ですと、A点からB点へ鉄道を敷きました、しかし、その企業は同時に不動産部門も持っておれば、レジャー施設も持っておれば、あるいはホテル、商店その他も持っておる。総合して利益が上がれば、多少トランスポーテーションによる
運賃収入によって相償わなくとも、同系列の資本にもたらす効果は大きい、だからそれで相償うのだというかっこうでやっているところもあるかと思います。ほとんどの私鉄の利益の
実態というのは私はその辺にあると思います。
それで
国鉄不動産というものがもしあって、この辺をあらかじめ買っておいて、それから
国鉄レジャーセンターなり、ボーリング場なりができて、多角的な運営ができれば、企業
採算としては十分にできるはずだと思います。しかし、それはできません。そういうことで、鉄道が一本敷けたということによって生ずるであろうところのあらゆる付加価値がそのまま流出してしまうかっこうで
国鉄は対処していかなきゃならないし、ましてや付加価値が何にもないであろうと思われるところの線までも保持していかなきゃならないという宿命を持っているわけですね。
ですから、私どもよく見ますけれども、広告なんかにこれが顕者にあらわれていると思うのですね。ディスカバー・ジャパンなんて、たいへん美しいポスターが出ておりまして、どこか遠くへ行こうとか、旅の雰囲気を誘うような、ただばく然とどこかへ行こうよというポスターですね。そのことによって収益が上がるであろう、周遊クーポン券とか、あるいはトランスポーテーションによって生ずる
運賃収入、どこの線にだれがどう乗るかよくわからない、非常に明確でないですね。それがどの程度に効力があるのかというと、おそらく鉄道の皆さんだってわかっていらっしゃらないのじゃないかと思うわけです。そういうふうに、これが公共事業体であるという性格を非常に大事になさっていらっしゃる。そのことは決して悪いとは申しませんけれども、そのことが収益に結びつかなくなっているわけです。
たとえば
青島鉄道というのがあれば、同じポスターにしても違います。
青島鉄道を御利用ください、
青島レジャーランドがあります、ボーリングセンターがあります、ゴルフ場があります、場合によっては分譲住宅地もございます。——そういう多角
経営のもとにおいて相償わない部分をあがなってあまりある。まあ老化してしまって、ついには
採算がとれなくなった。——ほうり出してしまうことも可能ですし、私企業でしたら。しかしほうり出した線は結局どうなるかといいますと、
国鉄が吸収合併しなきゃならないような事態にだって立ち至るかもしれませんね。そうなりますと、全く企業体として、得るところなく、することだけしいられているわけですね。それをもって、独立
採算をして、みずからあがなっていけという
考え方をお持ちになることが、私は実は間違いではなかろうかという気がします。
とにかく、現在提出されました法案を見ましても、まあ
企業努力もしていこう、国庫の
補助も受けよう、そのかわり御利用いただく皆さんにも多少のがまんはしていただこう、御協力いただこうと、三方一両損というようなかっこうで、厳密には五・五・八ですか、その割合でいくわけでしょうけれども、この辺のところが、まあ平均的で、どなたにも御理解いただける線ではなかろうかというような潜在的な
考え方がおありになって、この案をつくられたように拝察いたします。これは、では十年後の五十七年になって、この予定にありますように
収支相償うような形で
国鉄が存在し得るかどうか、はなはだ私は疑問に思います。これだけの諸条件の中でですね。しかも私鉄は、これはここに線を敷いてあることは他
関連事業に利益をもたらす、だからこれは安くていいのだという線と
国鉄の線が並んでいなきやならぬわけですね。そうして
運賃で競争しなきゃならないという、こういうハンディキャップを負わされて、損なことばかり
国鉄がやって、利益になる何
一つないという状態の中で、相償っていけるわけがないじゃないかという常識的な
考え方を持つのです。ですから、やがては五十七年には相償うように、他の公社と同じように相償っていくであろうと、ですからこそ
再建計画とこれは呼ばれているのだろうと思いますが、そういうふうになるであろうということを想定なさるのがそもそも間違いで、こういう
公共企業体的性格のものは
赤字が出るのが当然であるという認識に基づいて、発案なされたのと基本的には私は考えを異にするわけですよ。その辺のところを、大臣並びに
総裁の御意見を承りたいと思います。