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説明員(磯崎叡君) 以下、私が申し述べることは私自身の
責任を回避する
意味でもないし、また決して弁解をする気持ちでもございません。率直にひとつ……。
まず第一に、先生が冒頭に御指摘になったこれだけの
財政を
再建しながら、しかも現在の資産の三倍に当たる
投資をするということ、すなわち
投資をしながら
財政再建をするということ、これは非常に困難なことであるということは事実でございます。例を民間にとりましても、たとえば石炭の合理化を見ましても、これはほとんど
財政再建だけでございます。スクラップ化を中心とした
財政再建でございます。また、その前の海運合理化、私よく知りませんが、あの場合も
財政再建をしながら、船という非常に能率のいい、
投資効率のいいものをつくっていくということでもって、これは
政府のやったことが結果的に非常にうまくいった。
投資とそれから
経営の改善、両方を非常にうまくなすったことだと思いますが、鉄道と違いますのは鉄道の
投資が利益を生むまでに非常に時間がかかるということ、その点は船と本質的に違っていると思います。そういう海運の合理化あるいは石炭の合理化等の経過を見ながら、私のほうの今後の十カ年の将来の
計画、これは一言に申しまして、非常に私はむずかしいと思います。決してなまやさしいもので、あぐらをかいててできるものだと思いません。非常に困難であるけれ
ども、私は昨年の暮れに、この案が
政府案としてできましたときに、一昼夜おひまをいただきました。何とかしてもう一ぺん
考えさせてくれということで一昼夜
考えあぐねた末、とにかくこれでやってみますということでお引き受けしたんです。現時点におきましては、私はこの十カ年
計画は何とかして
国鉄としてやっていくということを申し上げる段階でございます。
しかし率直に申しますと、しからば過去の経過がどうなっているかという、先ほどの先生のいままでの累積の問題を若干分析しなければいけないというふうに思います。ちなみに
昭和三十
年度末の累積
債務は千七百億、それから四十
年度末が一兆一千億、四十七
年度末がいまおっしゃった三兆八千億、すなわち三十
年度から四十
年度までの間に一千七百億が一兆一千億にふえた。それから四十
年度から四十七
年度までの間に一兆一千億が三兆八千億にふえた、こういう急激な累積
債務のふえ方でございます。
これは決してむだに食ってしまったんじゃなしに、これは全部物に変わっているわけでございますが、この膨大な累積
債務、
設備投資をする際にほとんど資本はふえていないということが一番私は問題だと思います。もし
企業体として
経営をしていく以上、もうこういう場合には増資をするのが当然でございます。増資なくして
設備投資をするということは、全部
借り入れ金である、全部利子がつく、こういうことになるわけでございますので、ことしの利子が二千二百億というふうな相当
経営を圧迫する膨大な
数字になっている。したがいまして、私
どもとしましては
昭和四十二、三年ごろに、
政府に少なくとも通勤
投資についての、非常に能率の悪い通勤
投資についての援助を願いたいということをいろいろお願いをいたしました。しかし不幸にして実現いたしませんでした。実現しなかったのは私
どもの力の足りなかったことと思っておりますが、少なくとも私
どもといたしましては、四十年の初期においては、どうしても資本をふやさない限り、こうやって借金だけで
設備投資をする、しかもその
設備投資が生きて動くには十年以上かかる、こういうような非常に懐妊期間の長い
設備投資を借金でやるということは、これはほとんど企業原理に反するという
意味で、ぜひ増資をしてほしいということを申し上げました。
国鉄の資本金は、御
承知のとおり、当時八十九億でございました。現在は七百七億になっておりますが、その
国鉄の資本金は
政府以外には出せないことになっております。したがって私のほうは、株券を発行して、そうして民間から資本金を集めることは
法律上禁止されております。したがって
政府以外には株主がないという、これは鉄則でございます。
したがいまして、もしこれだけの
設備投資を普通の民間でするんならば、たぶんこの借金のうちの半分か半分以上は、これは当然増資でまかなっていたと私は思います。すなわち利子が要らないわけでございます。そういう
意味で、この過去十年間を顧みますと、非常に急激な借金がふえた。その借金の利払いというものが非常に
財政上の大きな圧迫になっている。これは事実でございます。ただ最近になりまして、いろいろ利子補給をしていただきまして、現在全部トータルいたしますと、支払い利子の約四〇%ぐらいは
政府からいただいているという勘定になります。これは非常にマクロ的な見方でございます。まだ半額には満ちませんが、大体平均いたしまして七分数厘で借りている金が大体三分ちょっとになりますので、過去のもの現在のもの全部平均いたしますと、約三分前後ということになりますので、大体これは四〇%ぐらいを
政府から払っていただいているということになります。
その
意味で、若干利子負担が少なくなったとは申せ、過去の
債務はそのまま残っております。しかも、これは私
ども返す能力がございませんので全部借りかえます。借りかえますので、そのまた借りかえ分の利子が要るということになりまして、借金は非常にふえてまいりますし、残念ながら昨年ことしの
運賃のおくれたことを金部かりに借金でカバーするとしますれば、それは全部利子がつきます。したがって、この
国会の御
審議で
運賃改定の時期がおくれる、これは私
どもいかんともしがたいことでございまして、その分についても、やはり四十七
年度は、
あと始末は借金でいたしまして、したがって、その分だけ利子がふえていく。そういう
意味で、私
どもの
経営外の
要素というものがこの
国鉄の
経営には相当強いということは、率直に申し上げざるを得ないと思います。
それが
設備投資の面でございますが、今度営業
収支の面から申しますと、確かに四十
年度になりまして
赤字に転落いたしまして以来収入の伸びが悪い。これはわれわれのほうの落ち度も相当ございます。私自身も
責任を感じております。これはモータリゼーションに対する見方の甘さ、あるいは努力の不足、いろいろ
原因があると思います。
いずれにいたしましても、収入の伸び悩み、支出の異常な膨張、その中に、ことに先ほど申しました利子の膨大化ということなどが相当大きく響いておりますが、ただ営業
収支の悪化、これ自身は、
運賃を四十一
年度、四十四
年度二度上げていただきましたけれ
ども、やはり現在の
情勢で申しますれば、いまの
運賃値上げは大体三年から四年しかもたないというのが偽らざる
現状でございます。一般の民間ならば、利子の増大あるいは
人件費のアップは収入増加で見合っているわけでございますが、収入がそう急激な大きな増加が期待できないとなれば、やはりどうしてもその分だけ
経営状態が悪くなるというふうに申さざるを得ないと思いますが、ただそれが一般の私鉄その他でございますれば、ほかの
事業でもって穴埋めをすることが認められている。私のほうは一切ほかの
事業はできないというふうなことで、
赤字の始末は全く鉄道の営業
収支だけでほとんどカバーしているというところに、ほかの私鉄との違いがあるというふうに存じます。
以上のようなことで、
収支面から申しましても、これは私
ども自身の努力に待つところが大きいと思いますが、
設備投資の面におきましては、こういう公共
事業であり、しかも非常に懐妊期間の長い
事業である以上、今後とも——今度一兆五千億の出資をお願いすることになっておりますけれ
ども、やはり
設備投資につきましては、もし
国鉄が
設備投資をしなければならないということが前提だとすれば、これはぜひめんどうを今後とも見ていただかなくちゃいけないというふうに思います。
さらにもう
一つ、先ほどの
収支のところで申し落としましたが、全体のいまの
交通関係の需要から申しまして、
国鉄全体の中で企業
経営として成り立ち得る面と、どうしても成り立たない面がございます。これはいかに努力をし、いかに現場の職員がさか立ちして働きましてもお客さんがない、あるいは荷物がないということになりますと、いかに合理化をし、人を減らしましても、
収支が成り立たない面があるわけでございます。これが現在二百六十線区の中でわずか八線区しか
黒字になってない。
あとの二百数十線区は全部
赤字であるということにあらわれておるわけでございますが、この
国鉄の企業
経営の面の中で、いまやっております二万キロの鉄道の中で鉄道として当然
収支の償わなければならない面、私鉄であろうと、あるいはだれがやろうとも、当然ある
程度の——先ほど大蔵省がおっしゃいましたように、
赤字を出してはいけない面と、それからいかにさか立ちしても
赤字が出ざるを得ない面と、この二つがはっきりいたしております。これは
昭和三十八、九年までは一応内部
補助でもって、
黒字の面でもって
赤字を十分カバーできたわけでございますが、四十
年度以降になりまして、結局過疎が進んだことによる
赤字地域の
輸送量の激減、それから幹線筋におけるモータリゼーションによる幹線
輸送力の
収支の悪化、この二つのために内部
補助が思うにまかせず、結局
赤字の面につきましては、これは
輸送力の少ない面につきましてはどうしても
赤字を露呈してしまう。しかし、これをじゃやめてしまったらいいかということで、これは去年ずいぶん御論議がありましたけれ
ども、これはなかなかソシアルミニマムの維持ということで簡単にやめるわけにいかないし、私
ども数年間努力いたしましたけれ
ども、二百キロ足らずのものしかやめられない。これ以上やめることはなかなか困難だ。
そういう
意味で、どうしても道路と同じように
社会生活の最低限を維持するために必要なものを
国鉄がやるならば、その面と、
収支の合う幹線の面とは少なくとも
経営上分けて
考えるというふうな
考え方を認めていただきたいというふうに私は思っております。これは
予算案のときにも
政府によく私は申し上げております。ただ私がそう申しますと、一昨年非常に誤解を招きましたのは、
国鉄は悪いほうをやめてしまいたいのだろう、そうしていいほうだけでぬくぬくといきたいのだろう、こういう非常に誤解を招きましたので、実はここ一、二年それを申してはおりませんが、そういう
意味ではなくて、経理上はっきりしておく。これは商売として成り立たなければいけない面、これは成り立たなくてもしかたない面、こういうことをはっきりいたしております。その結果あるいは
赤字になる場合もあれば、あるいは
黒字になることもあるかもしれませんが、その際に
あとのほうの、どうしても
収支が成り立たない面については、これをどうしても維持しなければならないとすれば、ひとつ別の
考え方が当然あるべきじゃないかというふうに思うわけでございます。
これは私、今後の問題として
政府に一応お願いいたしておりますが、やはり二万キロの鉄道をどんぶり勘定で一本に
考えることは非常にむずかしい。やはり企業
経営として成り立たさなければいけない面と、幾らやっても成り立たない面と、これは分けておきませんと——たとえば先般監査報告書が出ましたとき、また
国鉄は
赤字か。——やはり私
ども四十万の職員に対する影響はたいへんなものでございます、これは。幾ら働いたっておれたちは
赤字なんだ、世の中からばかなようにいわれる、
総裁以下全部だらしないといわれる。これではなかなか部内の士気の高揚にはなりません。
したがって、私
どもからいたしますれば、二万キロの中でこの分は
赤字でもしかたないのだ、しかし一生懸命やれと、この分は
赤字じゃいけないのだからおまえたち働けと、こういうふうにいたしませんと、どんぶり勘定でとにかく四十何万いて三千億の
赤字を出している。これではあまりにも部下の職員には私は気の毒だと思います。ですから、
ほんとうに働かなくて
赤字が出た面と、幾ら働いても
赤字が出る面と、これはやはり区別してやりませんと非常にその士気に関する。いろいろ
世間から御批判も受けておりますけれ
ども、そういうことが、全然もう表現できないような深刻さでもって現場の末端職員まで響いているということは事実でございます。先般の監査報告書の三千四百億という
赤字を見ただけで、やはり末端の職員までがっかりしてしまうということは、非常に私
ども責任者として情けない次第でございます。これはもう少しわかりやすく、しかも世の中から誤解を招かないような姿でもって、もっと部内部外にも
お話をしなければならないというふうに思っております。
以上、たいへんお聞き苦しかったろうと思いますが、私の率直な
考えを申し上げました。