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説明員(
磯崎叡君) 昨日の
東海道線の
事故につきまして御
報告申し上げます。実は
資料がまだ間に合いません。もう五分か十分したら参ると思いますが、とりあえず口頭で御
報告申し上げます。
昨日、八月二十七日午前九時十八分、
東海道線の
鶴見――
横浜間の
貨物線におきまして
貨物列車が脱線いたしました。その
状況を簡単に申し上げます。
第八三六一
列車、これは
新鶴見発の
東静岡行きでございますが、
新鶴見操車場を定時に発車いたしまして、六十キロの
速度でもって
運転中に
列車の後方から
ブレーキがかかりましたので、直ちに
緊急ブレーキをとりまして
列車をとめまして、すぐ
調査いたしましたところ、
貨車七両が脱線いたしておりました。そのうち二両が転覆いたしておりました。その他
電車線を、いわゆる
架線をつっております柱四基、それから
コンクリートポールの柱二基並びに
線路の上にずっと
架線をつっております
ビーム、これが約四基落ちて
東海道線の六線全部支障いたしました。急遽
東京南鉄道管理局長を
中心といたしまして、
事故復旧本部を設けました。
復旧は非常に長時間要しましたが、一応
京浜東北線は昨夜の二十一時におおむね全通いたしました。なお
東海道線は、
下り線は昨夜の二十一時、
上り線が
けさ二時四十七分に
復旧いたしました。本朝はおおむね順調に動いております。
事故の
原因につきましては、直ちに本社から副
技師長を
中心といたしまして、
関係者を
現地に当たらせまして、
けさまで徹宵して
事故の
原因を調べております。まだ正確にはわかりませんが、いわゆる
競合脱線というものではなくて、ちょうど脱線いたしました
現場付近を
線路の
工事を深夜やっておりました。それの
あと始末の仕事をしておったようでございます。その
線路保守に異常がなかったかどうか、並びに脱線いたしました
貨車、これは
ワムの六〇〇〇〇
型式という
貨車でございますが、この
貨車にはたして異常がなかったかどうか、これを現在取り調べ中でございます。
競合脱線の
一つの要素といわれる
列車のスピードには異常ございません。
記録速度計によりますと六十キロでもって、
制限速度以内でございます。
ただいまお手元にお配りいたしました
資料の二枚目に簡単な
略図をつけております。この
略図の左側が
東京方、
右側が
横浜方でございます。ここではちょうど
京浜東北の
通勤電車が
東海道の
列車線を横断している
場所並びに
新鶴見から参ります
貨物列車がここへ入ってまいります。そして六線になっているところでございます。すなわち左のほうから申しますと上が
東海道の
下り、二番目が
東海道の
上り、それから途中でまたいで、
線路を越しておりますのが
通勤電車の南行きと
北行き、それから
貨物列車の
下りと
上りと六本ございます。これは
略図でございますが、
貨物列車はこの
乗り越しの少し左のほうからずっと、この
図面で申しますれば下のほうへ入って
新鶴見の
操車場へ入るようになっております。そうして、いま申し上げますとおり、八三六一
列車、これが一番下から二番目の
線路を走っておりますが、これが左のほうの
新鶴見から参りまして、そしてちょうどバツのついておりますところに
滝坂踏切というのがございます。その
滝坂踏切を越しまして二十四キロ百十二
メーターのところで
線路に乗り上がった痕跡がございます。そこでたぶん乗り上がりまして、そして
列車は、先ほど申しましたように急停車いたしましたが、八三六一
列車はその図のとおり、
上り本線に一両、これは十三両目の
貨車、それから
下り本線近くに一両、これは十四両目の
貨車、このほか、これは
図面には書いてございませんが五両脱線いたしております。したがって十三両目の
貨車が
東海道線の
上り本線を支障いたしましたので、もちろん
電車が通れなくなる。と同時に、この
付近に六線をまたいでおります、
架線をつくっております
ビームが四基、先ほど申しましたとおりはずれましたので、全部
電車をとめざるを得なかった。ちなみに
昭和三十八年の
鶴見事故、これは二十三キロ八百で起きております。この
図面の
乗り越しをくぐって
東海道の
列車線がまっすぐになった「上4」と書いた
信号機がございます。そのずっと下のあたりの二十三キロ八百で
鶴見事故が起きたわけでございます。
前回の
鶴見事故は今日に至るまで、いわゆる純粋の
競合脱線としてはっきりいたしませんでしたが、今回はこの
滝坂踏切の
工事をしておったということが、二十七日の晩から二十八日の朝にかけて明白になっております。これはいずれ
東海道線の
通勤輸送改善のために、この
貨物線を将来
旅客線に使うという意味で、いま全面的な補強をしている最中でございますが、その
工事の一端でございます。約六十ミリ
滝坂踏切を上げるという
工事をいたしております。それがちょうど
列車の通過の
直前まで、深夜やりました
工事の若干の手直しをやっておったようでございますが、それが
原因の
一つじゃないかというふうに思われております。
また、さっき申しました
貨車、
ワムの六〇〇〇〇
型式は、いま調べておりますが、その車両にも異常があったかどうか、これも
調査中でございます。幸いに
併発事故が起きませんで、これは
鶴見事故の直後、当
委員会におきましても種々御指摘をいただきました
対策をとりまして、その
対策が幸いに一応全部働いております。
こまかいことは省略いたしますが、その具体的な例といたしまして、下にちょうどその当時この
付近を走っておりました四個
列車についてどういう理由でとまったかということを簡単に書いてございます。一番初めの
京浜東北線南行七四一C、これはこの
図面の右の一番上に、新
子安駅というところにある
電車、これはもう
現場を過ぎておりますから
関係ございません。しかしこの
電車は
出発信号機が直ちに消えたということを確認いたしております。また
ATSが
指示したということも確認いたしております。これは新
子安を
出発直後でございます。
現場には直接
関係ございませんが、ここにいわゆる
非常停止の
指示がいっております。それからその次の
北行八一〇
B電車、これは新
子安の駅にちょうどとまっておりまして、客扱いの最中に、
出発直前でございましたが、
出発信号機が消灯いたしまして、そして停電いたしまして、同時に
ATSの警報が鳴ったということで、そのまま停止いたしております。それから
東海道線の
旅客列車の
下り線八四三S、これは左の上のほうにございます。これは
現地に差しかかる
手前の
電車でございます。これは
踏切警手が押しました
非常ボタンによりまして、そこにございます
特殊信号発光機というものが明滅いたしまして、同時に
信号機が
停止信号を現示いたしまして、ここで
ブレーキをかけ、さらに
貨物線の八三六一
列車の
最前部にございます
信号炎管が点火しているのを見てこの
場所でとまっております。また最後の六一〇二
列車銀河五五号、これはこの
図面の
右側にある
列車でございまして、これは最先端、二十四キロ六百四十
メーターでとまっております。これはその
手前に、二十四キロ九百のところに
信号機に対する、何と申しますか、装置がございまして、それを踏んで、その
信号機の赤によりまして当然とまる。と同時に、これは
運転手が
前方を注視いたしておりまして、
前方に土煙が上がったこと、並びに八三六一
列車の
信号炎管が発火していること、それから非常に
架線がゆれているということ、三つを発見いたしまして、自分で
緊急停車をとりましたけれ
ども、すでに
ATSが表示されておりました。
以上によりまして、一応
鶴見事故当時いろいろ問題になりました問題は、この点では、幸いにいずれも
関係職員の努力によりまして具体化し、功を奏しておりましたけれ
ども、なお今後、こういう問題のないように――非常に幸いであったというふうに思います、私は。しかし今後こういう点のないように、十分、ことに
工事の
施行等につきましては、十分注意しなければならないということを深く肝に銘じております。
なお、
復旧がたいへんおくれまして、多数の
方々に御迷惑をおかけいたしましたが、昨夜は、
下りの
湘南方面の
お客さんは全部新幹線にお乗せいたしまして、小田原その他のところから戻っていただく、あるいは
横浜から
京浜電車に乗っていただく、私鉄のほうにも非常に御迷惑をおかけをいたしました。いずれにいたしましても、非常に大きな
事故を招きまして、非常に申しわけないと存じますが、前の
鶴見事故の
原因とは若干性格が違いまして、たまたま
場所は近くでございましたが、
原因はおおむね明白になるというふうに思っております。
以上、たいへん、いま
会議中から飛んで参りましたので、まだ正確な結果は申し上げられませんが、中間的な御
報告を申し上げたわけでございます。