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大原分科員 運輸大臣、きょうは
総裁見えぬのだけれ
ども、やはり
国鉄は
人間を新陳代謝をする、外郭団体に出していく、そうしながら
合理化の帳づらを合わしていく。そのときに、私はマル生運動と同じだと思うのですけれ
ども、非常に非近代的であると思うのは、五十五歳から公共企業体の年金はあるわけです。公務員も一緒ですが、これはいつもこういうかっこうではないのです。というのは、厚生年金をかけておりますけれ
ども、六十歳になってからです。厚生年金は五十五歳から私
どもはもらえるようにいたします、そういう案をつくっておりますが、六十歳なんです。外郭団体だったら六十歳まで、働く能力があればそこで収入があるわけです。五十五歳で勧奨しているような、そういうところはないですよ。そこで一番いびつなことは、年金を当てにしておいて賃金を下げてやるわけですよ。そういたしますと、この年金には、最近二、三年、若干の改正はありますけれ
ども、スライド制がないものだから、やめたらうんと格差ができるわけです。年金と所得水準、生活水準の格差ができるわけですよ。これじゃ、とてもじゃないが生活できない。少々物価のスライドをやったって追っつかないですよ、一五%以上賃金が上がっているわけですから。ですから、定年を延長して、職場を安定させながら、将来年金で食えるような年金制度をつくっていけるような近代的な構想なしに、こういういびつな
合理化をやるのはマル生運動と同じことをやっている。私はそういう面から見ましたけれ
ども、そういう帳づらを合わせるようなことはあまり意味がないのじゃないか。そこで、ある
程度人件費云々で頭の数があるのだろうけれ
ども、フロントからずっと一貫した荷物を扱っておいてやらないと、それを助役さんとか管理者だけが監督しているだけではむだなことではないか。現実では二重の仕事をしなければならぬ場合がある。こういうことを言っているのです。だから、小さいところ、いなかのほうで荷物もばらばらというふうなときには、ある
程度そういうことについて民間委託ということがあるかもしれない。私の常識的な
考え方を言うと間違っておるかもしれぬが、あるかもしれないと思うけれ
ども、大きなところで、そういう旅客と
貨物についてはサービスをするという
国鉄の使命からいって、こういうことを簡単にやるというふうな頭の構造が私は知りたいのです、
国鉄の頭の構造を。私はマル生運動をやっているのと同じことだと思う。たとえば年金
一つとってみても、
国鉄は年金が成り立たないようになっているのですよ。何かといったら十何万人も首を切ってしまって、定数を減らす。そうすると保険料を払う人は少なくなってくるのです。それで五十五歳からもらうのですから、いまの政府の績み立て方式的な
考え方でやるならば、それは保険料は高くなるわ、年金の給付は値切らにゃいかんわ、こういうことになってしまう。
国鉄のほうから年金を出していく。自分
たちのほうはタコの足を食べるようなかっこうでそこに働く。それは賃金の面においては若干、定数の帳づらでは何か問題は整理されているように見えるかもしれないけれ
ども、そんな
合理化はいまの
近代化とはおおよそ
方向違いではないか。そうでしょう。五十五歳でやめてそこに行って働く。賃金を下げて年金を出していく。そうしたら
国鉄当局も年金の分担金をここから払わなければいかぬことになる。賃金では払わないけれ
ども年金で払う。いまのような年金は、五十五歳から出せるようにするけれ
ども、六十歳から完全に出していく。六十五歳からはさらによくしていくとか、そういうふうに年をとるに従って所得水準に合わせるような傾向になりつつある。ですから、雇用と年金との
関係を
考えないで、定年を五十五歳で
——六十五歳にしようと労働省は言っているが、五十五歳で切っている。
国鉄の経営がきびしいからといって、五十五歳で切っておいて、そして働く労働者の生活安定ができるかどうか。そんなことはとんでもないことだ。きょう大蔵省の主計官その他が出席していると思いますけれ
ども、そういうことで
国鉄の
合理化を進めたら、これは前近代的なマル生運動と同じことだ。
時間もきましたから私は協力いたしますが、こういう問題については
地域の
住民の意見も十分聞く。近くに商店がずらっとあり、中小メーカーその他もあるわけですから、これを利用している乗客ももちろんありますけれ
ども、手小荷物というのは
国鉄の残した
一つのサービスなんだから、これについての
考え方は、そう機械的に、外郭団体ができたからこれからひとつかせげるようなところをつくってやるということだけでやると、非常に問題になる。たとえば
国鉄のスト権の問題があるけれ
ども、経営体が違って労働者の組織も違ってくればちぐはぐになることがある、こっちはストライキ権があるからここだけストライキをやるということになると。全部がずっと通しているということになればまだいい。だから、労働問題というものは経営上の便宜だけを
考えてやってはいけないという問題も出てきて、利用者にとんでもない不便をかけるだけではなくて、今度は
国鉄の労働者にその問題が転嫁される、こういうことにもなるわけですから。一貫した仕事についてやるようなときには、一方的に三月一日からやるとか四月一日からやるというふうなことはいけない、そういう
考え方でやるのだったら。この再建
計画等についてもそういう結果を踏まえてやっているわけです。五十五歳でやめさせるところが一体どこにありますか、どこの職場にありますか。将来もそうするのですか。そんなことはあり得ないですよ。そんなことをやっていたら
日本の年金制度自体もパンクしてしまう。そうすると、ほんとに個人個人の
立場に立って見たならば、一生不安におとしいれることになる。一番働く力の出るときに
国鉄に働いて、そして五十五歳でおっぽり出される。そういうことはあり得ない。そういう感覚でいまの問題を火がついたようなかっこうでばたばたやるということはいけない。私は別の観点でこの問題に頭を突っ込んでみて、これは
国鉄の
考え方は非常に間違っておるということを痛感をいたしました。
運輸大臣、私の質問を聞かれましてあなたの御感想を聞いておきたい。