○米内山
分科員 私は、昨年の九月に閣議口頭了解ということになっております青森県のむつ
小川原
開発、これにかかわる環境問題について
長官にお尋ねと申しますか、それよりはむしろお訴えするという気持ちで、きょう御
説明申し上げたいと思っております。
すでに閣議で口頭了解ということでありまして、一部
開発が、土地買収という部分だけが目下進んでおるわけであります。しかし、いまのような
考え方で
開発というものが進められると、重大な結果を来たすと実は私ども
考えているわけです。そういうわけで、私自身は住民の皆さんとともに、この
開発は一応白紙撤回を求めよう、こういうふうな戦いを通して今度の総選挙もやりましたし、その結果、三年ぶりで
国会の議席を回復してまいったものであります。
きょうの趣旨というものは、この
開発を進める前に、むつ
小川原の
自然環境というものについて十分
調査を尽くされ、客観的にあの
自然環境というものを評価していただきたいということであります。
この訴えは、単に
公害があるから、心配だからということではありません。こういうふうな形で国土が乱
開発されていくならば、自然が破壊されるだけじゃなく、
国民全体が破壊されるような気がしてならぬわけです。これは単にこの
地域の問題じゃなくて、国家的な民族的な問題だ、私はそう
考えております。したがって、
開発を白紙に戻せということは、決して農本主義的な——私は農民運動家ですが、農本主義じゃありません。農村、漁村に工業は不要だという立場に立つものじゃないのですが、少なくとも、いまのような
考え方ややり方で
開発がゴリ押しに進められていくとすれば、国が
考えている
開発も失敗に終わらざるを得ない。その結果として
地域住民は悲惨な目にあうことははっきりしている、こう確信するからであります。
経過を御
説明する必要があると思いますから、簡単に申し上げますが、このむつ
小川原
開発というものは、新全総が
策定されたころから起きてきました。青森県知事がこの新全総というものに飛び乗りしたわけです。新全総の評価も定まらないうちにまっ先に名乗りをあげまして、これを上回る
構想を県民に吹聴したわけです。
その理由もないわけではありません。青森県は、これまで重大な
地域開発の問題として期待をかけたのがむつ製鉄の問題でした。あるいはあの
地域の畑作振興のために取り上げられたサトウダイコン、ビートの
事業でありましたが、この二つは壊滅した。その次には、二万二千ヘクタールの開田をやろうということに県民は期待をかけた。これもその後の米の事情で壊滅した。そこで、いまの県知事は、三選目の目玉商品として、新全総に便乗した巨大
開発を政策にしたわけです。
最初はこういうことでした。向こう百年間は特に手を加えなくとも世界の経済競争にうちかっことのできるような近代的な工業
開発、
内容としては石油、鉄、電力、アルミニウム、非鉄金属、さらには造船まで加えて、工業出荷額五兆円、つまり現在の愛知県並みの工業出荷額を想定した工業立地をしよう、こういうことでした。
ところが、それには県民の反発が起きるのはあたりまえであります。工業に三万ヘクタールの土地を提供して、
地域の住民の四千戸を地区外に立ちのきしてもらいたいというふれ込みなんです。これは鹿島と比べたって、どこと比べてみたところで、比較するものはない。世界にもないのです。そういうことから住民運動が起きてきまして、そして、現在閣議の了解事項の
対象になっておるのは、石油二百万バーレルです。石油化学四百万トン、火力発電一千万キロワットという第一次基本計画というものを
政府に閣議了解を求めたわけです。しかし、これとても、二百万バーレルというのは、年に換算しますと、およそ一億キロリットルになる。四日市の五倍です。石油化学の四百万トンというのは、いまさら申し上げるまでもございませんが、
日本の現在の総生産量を上回るのです。こうして
公害がない、これが現在進められている
開発の
内容なんです。そして、そのための用地五千五百ヘクタールについていま買収が始まっているわけですが、こういうふうな乱暴きわまりない
開発構想を進めていくならば、どういうことが起きるか。
まず、そのために住民の犠牲というものは避けがたいものがあります。同時に六ケ所村というのは、三十二キロもある長い、大きな、人口の希薄な村ですけれども、この中心部に五千五百ヘクタールという線引きをかってにやったわけです。そうして、この
地域は立ちのき
地域だ、ここには掘り込み港湾をつくるということが、何らの対話もなしに、天下り的に発表されました。
一体、どんな大きい村でも、村の中心部に五千ヘクタール以上の工業地帯をつくられますと、まず第一に、その村の自治機能に重大な変革が生じます。鯨でも、こんなでかい穴をあけられると、これは死ぬだろうと思うわけですが、まずこういうふうに、
開発というものは、自然破壊の前に、民主主義の破壊、人間の破壊から始まるわけです。
しかも、住民の弱点をねらって攻撃を加えてきております。住民は無知です。無知だから、大きいことならばいいことだ、世界にもないような規模の工業
開発ということに、住民の中でも、その町村の中でも、半数近い人は賛成だという。半数の人は、これは損得の問題じゃなくて死に生きの問題だという反対の意思表示をしておる。その町村を包む周辺は、金になるからいいじゃないか、六ケ所さんには気の毒だが、こういうふうな、他人くたばれ、われ繁盛というような思想が、この
開発を包んでいます。
一体、敵対的な関係にある場合には、敵の弱点をつくということはあるいは正攻法かもしれない。
日本の国の政治家が、あるいはその
地域の県知事が、自分を選んだ住民の弱点をねらって攻撃するということは、これはあり得ることですか。これを民主主義といえるものでしょうか。私は、こういう形で
開発というものが進められるとするならば、自然が破壊されるのは当然だと思う。人間をも粗末にするような政治が、どうして自然や鳥獣を保護できるでしょう。こういうふうな進め方であります。
私は「
日本列島改造論」というものを読んでみましたが、これを書いた人の相場はいまや米ドルよりも値下がりをしておるわけでして、これは問題にしません。だが、この内閣の中において政治家であると私が
考えるのは、副総理である
三木環境庁長官ただ一人だと言っても間違いないと思う。私はきょう、昔あった
田中正造翁のような心境でお訴えするわけです。
この
開発に賛成、反対ということは申し上げる時期ではございませんが、この環境というものは、単に私が生まれ育った、われわれが生まれ育ったから大事だというものじゃなくて、
日本の
国民のために大事な環境であるということをお訴えするわけです。年一億キロリットルという油を運び込めば、太平洋といえどもあの海域が
汚染されることはもう明白でしょう。しかも、この六ケ所村の正面の海岸というものは、サバとイカの沿岸近海漁業の
日本最大の宝庫であります。これがどうそこなわれるか。さらに陸奥湾というものは、すでに
東京湾も瀬戸内海も伊勢湾も、
日本の内湾における漁業というものは壊滅し、魚族は住めない状態になっておるときに、数年前からホタテの人工的培養に成功しまして、この沿岸の全漁民は生まれてからないような喜びを感じながら、近いうちには生産額が百億になるという夢を抱いております。
それから、
小川原湖を中心とする湖沼群です。こういうふうな湖沼群というものは、
日本の地図の上にもございません。あったとしても、霞ヶ浦、北浦の湖沼群というものは、すでに
都市開発、あるいは印旛沼の干拓、あるいは北浦のああいう鹿島
開発の
関連によって死の湖になりつつあります。こういう中で、自然がそのままに保存されている湖沼群というものは、あれ
一つしかございません。これはどう
考えてみても、単なるたん白質の供給源としての、漁場としての湖水だけではなくて、
国民的に大事な保養資源だと思います。
富士五湖のあたりへ行ってみましても、高速道路が通ったから便利だろうと思って行ってみましたが、日曜に行ってみると、行き来がならない。新宿まで二時間、座席指定という高速バスに乗ったら、
自動車がふん詰まりして四時間もかかるしまつですし、河口湖なんというのも、モーターボートの廃油で湖の表面が全部被覆されている。ああいう状態では魚だって生きられないし、こういうふうに
日本の自然というものが破壊されている。
しかし、いま週二日休まなければならぬというような情勢下、さらには高速道路も通る、新幹線も通るというときは、東京と青森の距離というものは、昔の芦ノ湖と東京の距離にしかすぎない。こういうのは、観光
事業とかいうような
考えよりも、
国民保養の場として大事にする必要があるのではなかろうか。
ところが、青森県は、
開発について
自然保護という意見もないわけではないが、この
開発ではそれはとりませんと、こう明言したことがあります。その理由はなぜかというと、観光
事業なんというのは旅の資本家が旅の人を喜ばせてもうける産業だから、これがそのときの青森県官僚の
説明だったのです。
また、この
地域でわれわれは生まれてからいい空気ばかり吸うてきたが、ちっともしあわせにならぬ、少しぐらい空気がよごれてもしあわせになりたいという町村長もいるわけです。しかし、これは
考えてみると、金持ちのむすこは金の大事さを知らないと同じように、恵まれた
自然環境にあるからこういうばかなことを言うのでありまして、これは
地方のそういう幼稚な町村長の見解で事を処理すべき筋合いのものでないということも明白でございます。
こういうふうなことで、
小川原湖の持っている自然というものは、単に破壊されていないから大事だというだけではないのでありまして、非常に雄大な
自然環境があって、たくさんの人がそこに保養のために集まっても、交通渋帯などを起こさないような広い環境があるということも重要視していただきたいと思いますし、また、最近のことでありますが、この地層の下には広範にわたって地下水があります。七百メートル掘りますと、おおよその場所では大量の温泉が噴出し出しております。こういうふうな
日本の
国民、特に勤労
国民にとっては宝庫ともいえる自然を包んでおるのがここです。
だが、おそらく「
日本列島改造論」を書くような人の土建屋的発想の中には、こういうことは無視されるだろうと思います。私はそのことが心配でなりません。がゆえにこそ、私は
三木大臣に、副総理に、ぜひともあの環境というものを客観的に評価していただきたい。しかる上に、この環境と調和のとれる工業
開発と申しますか、なかなかむずかしいことでしょう、だが
原則を明確にすれば決して危険がないわけです。いま確かに農業や漁業だけに依存していますから、
所得から見た状態は貧しいといえるでしょう。だが、人間の幸、不幸というものは名目的な賃金だけであるかどうかというと、私は村にいて暮らしてきた、東京へ来て暮らす、イワシ一匹買ったって食欲がとまるような値段なんです。住民だって、この村は青森県で高校の進学率が一番低いといわれたって、昔と比べて
考えるとしあわせだと思っています。県知事は私らを貧乏から救うというけれども、おらだって電気がまで飯をたくようにもなったし、電気冷蔵庫でさえとうちゃんの出かせぎで持っていると、こういうふうなんです。
こういうことを官僚などがかってに
考えて進めようとしているのが、この
開発の最も根本的な誤りです。県庁などはこう言います。この
地域で稲をつくっても、一ヘクタール耕して
経費を差し引いた残りは一ヘクタールで三十二万円にすぎない、だが、いまは高校新卒者でさえ月給三万円の時代なんだから、こういう
地域に住む人々にぼちぼち農業から足を洗ったらどうか、こうおすすめしても不調法ではない時代に入った、という認識なんです。
そもそも商売から足を洗うということは、やくざなどがばくち打ちをやめるということと同じような差別感でこの
開発を進めているのが、今日の自民党の政治だと私は思うのです。これは重大な問題です。こういうふうな連中が自然を保護しようとしたって、私はこれはうそだと思う。私は、したがって、
公害の問題がおそろしいから
開発がおそろしいと言うんじゃないんです。
公害というものは技術の問題でしょう。経済の問題でしょう。環境を守るということは、
環境保全と
開発を両立させるということは政治の課題でしょう。生きるか死ぬかの問題といえば極端ですが、人生の問題であり、民族の問題であり、哲学の問題だと私は思うのです。この観点がないことが今日取り返しのつかない
日本の破壊を、自然破壊、環境破壊をもたらした根底だと思う。技術論争も大事です。だが、その根底をなすものは、政治家がこの問題に対する哲学観を明白にしてやることだと思うのです。
承っておりますと、対話が必要だと申しますが、うそを前提にして対話というものはできないんです。ごまかしを前提にして対話というものはできないんです。不可能なんです。
こういうふうな、
地方の役人までがエコノミックアニマルの犬に成り下がっている事態に、ただこれを、
開発はいいものだといって中央
政府が一方的に指示するならば、部分的な
公害の問題があるいは処理できても、国土の破壊というものは防げない。
だから私は、国家的観点に立ってこの戦いを、実は自分の生命をかけて戦って
国会に再び戻ってきた者ですが、したがって、私は
三木さんに、副総理に議論をしかける気持ちは毛頭ない。ただ、以上きわめて簡単なことですが、経過と実情を御
説明してお訴えするわけであります。何とか
長官の御見解の御表明をお願いしたいと思います。