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宮澤委員 それじゃ、これはお答えをいただかなくてもよろしいのでございますけれ
ども、昨年の九月にそうやってホノルルで、何か幾らかでも積むものはないだろうかとたいへんに御苦労をなすっていらっしゃいましたときに、私はふと自分の頭に浮かんだのでございますけれ
ども、例のガリオアというものがございました。これは
政府が今回協定の残りの残額を一括してできるだけ早く払ってしまおう。これはたいへんけっこうなことでございますが、私の思いましたのは、多少とっぴでございますけれ
ども、その協定の額ではなくて、実は
昭和二十六年から何とかかんとか幾らかでも値切って、と言うと悪うございますが、協定の額まで持ってくるのに長い年月とたいへんな苦労がございました。私もささやかですが、少しそれに
関係をいたしました。いまわが国にとって十億ドル払うということは、実は別段そんなに苦痛なことではございません、円の問題さえなければ。で、
日本人というのはそういう
国民であったのかと
世界に思ってもらえるなら、一ぺんは値切ったけれ
ども、これだけ力もできてということのようなことができれば——これは反米とか親米とかいうことではありませんで、借りたものは借りたものでございますから、ということができたらなあということをあのときにふと実は
考えました。これは
国会の御
審議の要ることでございますから、とうてい簡単にできそうなことではございません。ございませんから、私のひとり言という程度にお聞き取りをいただまして、これはお答えは必要でございません。
外交の問題に対しまして、いままでいわゆる不安と
期待の交錯というようなことについて申し上げたのでございますけれ
ども、私は同じことは内政の問題についても、いま
国民の
気持ちの中で言えるのではないかと思います。
戦後、
国民の
努力によりまして、これだけ
経済成長が行なわれて、いま
国民の一人当たりの所得は二千六百ドルに達しようとしている。
演説でも言われましたように、イギリスのそれに近くなってきているわけであります。またそれにも増して、わが国の歴史上で初めて失業者がなくなったということ、働く意思があってからだがじょうぶならだれも飢えないで済む、自分で職につくことができるということは、ことに高校なり中学を卒業した者は金の卵だというようなことがいわれるようになりましたけれ
ども、このことは、われわれが十数年推し進めてまいりました成長
政策に、たとえどんな批判がありましょうとも、この失業のない
社会がとにかくできたということは、これは私
どもが戦後の
政治上の功績のやはり最大なものの一つだとみずから誇っていいことではないかと私は
考えております。
そういう反面に、しかし、いまの
お互い国民一般はそうやって得た所得あるいは時間というものを今度はどうやって活用すればいいのか。飢えと貧困に苦しんでいたときにはそういう問題はなかったわけでございます。そういう選択の問題はなかったわけでございますけれ
ども、いまそういう選択にある
意味で悩まなければならない。また人間の物質欲というものは際限がございませんから、もうちょっとたくさん所得があったらいいというようなことは絶えず、だれも
考えますから、欲求
不満のようなことにもなってまいります。多少語弊がございますけれ
ども、働かなければ食えない
時代、まあわれわれの先祖はそうでありましたし、私
ども自身が戦後しばらくの間そうでございましたが、そういう、いわば貧に処する道徳というものは、
総理もまた私自身もやはり教わってまいりました。
しかし、年とともに
国民生活が、豊かと言ってはいろいろ語弊もございましょうけれ
ども、戦後の貧乏
時代を知っている者からいえば、確かに豊かになってまいって、そういうときの道徳は何かということは、まだはっきりつかめていないということではないかと思うのでございます。かえって、初めて獲得したそういう金であるとかあるいは余暇というものが、あやまって犯罪の原因になってみたり、あるいは国外においてひんしゅくの的になったりしているような昨今ではないかと思います。おそらくそういう時間に余裕ができ、あるいは所得に幾らかでも余裕ができれば、そのようなものはわれわれ民族でなければできない文化的な創造といったようなものに使われるのが、私は本来であろうと思いますけれ
ども、そういうような
政治上の指導理念もはっきりはございませんし、民族のコンセンサスというのもまだ生まれていないように
考えるわけでございます。
そういう状況の中で地価が高騰する、あるいは株価や商品市場に見られるような投機的な傾向が目につく。これは一般庶民から申しますと手の届かない無縁なものでございますから、いかにもそういうものを見ていると焦燥感に当然かられます。そうして自由
経済の本質は、ひょっとしたらこれは悪ではないだろうかというような見方が一部には私は出ておるように思います。それから
生活環境が悪化したこともございまして、
経済成長というのは、何か反市民的なものではないのかというようなことをいわれる方もある。また、もし財政が大型化して金融が非常に緩和をしたというようなことになると、それは即インフレであって
国民の蓄積が損耗されるというような、多少論理に飛躍がありますけれ
ども、そういう傾向のものの
考え方をされる方もあるわけだと思います。
そこで、今度の予算を拝見しておりますと、
国民の所得の水準がここまで来た、それから保有外貨の天井というものをかつてのように気にする必要がなくなったといういまのような段階で、財政は当然にこれは資源再配分の機能を果たすべきだと思います。そういう
意味で、今回の予算が
社会資本の充実あるいは
社会保障の拡大を中心に組まれたことは、私は心から賛意を表しますし、適当なことであると思っております。
今度の予算案を拝見いたしますと、確かに財政の伸びは相当大きいわけでございますけれ
ども、その多くの部分が福祉
政策優先の原則に従って振替所得の増大のほうに充てられておりますから、その残った
政府の財貨サービス購入というのは、大蔵
大臣が言われましたようにGNPの伸びと同じくらいの伸びでしかない、したがって、財政からインフレを刺激することはないんだ、こう言われることは、私は
政府の御説明が納得ができます。
そこで、これは二、三お尋ねを申し上げるのでございますが、大づかみのことはどうぞ
総理からお答えいただきたいと思いますが、
政府の
経済見通しを一見いたしまして私が感じておりますことは、二つございます。
その第一は、民間設備投資の伸びを一四%と見ておられる点であります。これは前年度対比でございますので、
昭和四十七年度はどのような年であったかといえば、御
承知のように設備投資意欲が非常に低うございました。製造業の設備投資はおそらく年間で一%くらいの上昇しかなかったのではないかと見られますから、それとの対比でもって、
昭和四十八年度の伸びを一四%と見ることは、私は見通しとしてはかなり過小なのではないだろうかという気がいたします。今回の財政
経済政策の斉合性がもし破れるとすると、ここが私は一番あぶないのではないかという感じがしております。
総理は
施政方針演説の中で、したがってこれは御存じでございますかと思いますが、「民間の設備投資主導による
経済成長を改め、」云々と言っておられますが、そのために、現在企業の手元にあるいわゆる過剰流動性というもの、これを取り上げるとともに、今後の推移いかんでは、金融面でやはりかなりの手を打っていかなければならない。
そこで、これはこれからの推移によることでありますけれ
ども、推移いかんによって、たとえば預金準備率の再引き上げであるとか、あるいは日銀の金利操作であるとかといったようなことが、普通のときでございますと当然
考えられることでございますが、一般論として
総理のお
考えを伺えれば幸いでございます。