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花園参考人 ただいま
小林進委員から御要請を受けましたが、私が本日呼ばれましたのは、いわゆる
軍法会議問題の発端になりました
吉池軍曹事件
——私はいわゆる職業軍人ではございませんで、兵役法の規定によって現役入営し、
現地召集のまま六年間を軍隊に従事したわけでございまして、その後半の三年間
ブーゲンビル島におった。そうして
軍法会議法の改定に伴いまして、一般将校の中から
法務官を任命するということになりまして、私は二十年の三月以降ちょうど
戦争が終わりますまで
軍法会議の
法務官職務を取り扱っておりました。その
関係で
吉池軍曹事件は私が
裁判官たる
法務官として関与した事件でございますので、その面からお呼び出しをいただいたわけでございます。
ソロモンの実況を申しますと、一番痛切に感じますのは、そういった飢餓の状態に追い込まれたソロモンといった島の中で、そういった軍規犯罪を犯しました諸君が、一般市民としてはおそらくは立ち小便をするにしても巡査のほうを気にするというくらいな善良な市民でございます。おそらく
戦争などに引っぱり出されなければ、一生警察とか
裁判というものには
関係なしに済んだであろうと思われる純情な人々が、ああいった島で非常に悲惨な飢餓の状態に追い込まれて、それで食糧を持って
敵前逃亡する、私は職務上そういったものを、起訴されて法廷に出てまいりますにつれまして一々これを裁き、判決を手伝ったわけでございますけれども、その間非常に痛切に感じましたのは、この情勢に追い込んだのはだれなんだ、これは実は一カ月ほど前に、当時の
ブーゲンビル島の師団長であり後に軍
司令官に昇進されました神田中将とも会見いたし、神田さんとは私は六師団以来四年半六師団司令部の部員としてつき合ったわけでございますが、神田さん自身が、あれは君、大本営の責任だよ、あのとおりの飢餓の状態に軍を置いて
戦争しろというのは大本営の責任なんだ、おれも
厚生省がもう少し何か計らってやってもらえぬものかと思うのだけれども、官僚というやつは度しがたいと言って苦笑いしておられたんですが、あわせて、私に言わせますと、そういった飢餓の状態の中でなぜむちゃな
作戦をしたんですか
——相手が八十を過ぎた御老人ですから、あまり言うとからだにこたえると思って言いませんけれども、やはりこれは統帥の失敗であり、
現地の最高
指揮官の責任である。しかし、軍律というのはそういうものではございませんで、やはり一つの
陸軍刑法上の罪を犯しますと、法廷に連れてこられる。これはやはり条文どおりに
処刑せざるを得ませんし、当時の非常に苛烈な状態の中でも大多数の下士官、兵がまじめに働いて戦っておるわけでございますから、その意味でこれは落後者でございまして、これはやはり厳重に
処罰せざるを得ない。したがいまして、
軍刑法というのは一般に重いものでございまして、その
処刑は非常に重刑を科さざるを得なかったわけでございますが、しかし、そういった状態の中で責任をしょうべき最高
指揮官というのは、戦後もきわめてのんきに、優雅に暮らしておられる。神田さんにはちょっと気の毒な言い方でございますけれども、りっぱな方でございましたから
——。
そういったことを感じますと同時に、私が執行しておりまして非常に痛感いたしましたのは、そういった一般状況の中で起きます犯罪、いろいろございますけれども、階級差があり過ぎるということです。ただいま、当時
陸軍省の法務局におられた
菅野さんからの御説明がございましたが、
軍法会議を常に軍の高等司令は携行しておった、またそこにおいては
指揮官がどうあろうとも、軍法の立場から厳重、厳正に行なわれた、もちろん
作戦目的を遂行するために
現地指揮官の意向というものは相当尊重されたのだ、これは当然でございましょう。そういうことを言っておられますが、私が痛感いたしましたのは、階級差がはっきりしておる。
軍法会議というものは、あくまで軍の統帥指揮のためには下のほうにかなりきついものになるのは当然でございますが、日本の
軍法会議というものの実態は、上級将校に非常に甘くできておった。たいへん
菅野さんに申しわけないのでありますが、それを実感したわけでございます。
その第一は、一番いけない
——いけないというのは語弊がございますが、
軍法会議の起訴提起命令権と不起訴処分命令権が長官にございます。長官というのは
軍法会議開廷命令権を持っておる方でございますが、そうなりますと、下のほうはむぞうさに検察官の上申どおりに起訴されるわけでございますけれども、あいにく上のほうはその段階においてほとんどつぶされてしまう。私は
裁判官でございますから、起訴以前の事件にタッチすることは当然できません。したがいまして、ひどいものだと思っておっても、やはり出てきた事件を裁くだけが
裁判官たる
法務官でございますから、これは逃げるわけではございませんが、まことにやむを得ないのでございますけれども、私が見ておりますと、
菅野さんを横に置いておりますと非常に言いにくいのでございますが、どうもやはりいわゆる現役軍人と申しますか、そういった軍閥グループに対する一つのなれ合い的な相互保護があるという感じを露骨に感じました。
ブーゲンビル一つの例をもって全般を推すことは非常に危険だと思いますが、しかしながら、ある意味では共通点があるかどうかは皆さんの御
判断におまかせしなければならぬ問題でございますけれども、たとえば二十三連隊長の辱職抗命、騎兵六連隊長の凌虐致死、また四十五連隊長の連続殺人、これはそれぞれ私はっきり承知しておるわけでございますけれども、そういった事件は全部全然出てこない。これはなぜかと申しますと、一つは憲
兵隊が警務をやるわけでございますけれども、憲
兵隊自身がそのような上級官職についておられる方については手を出し得ない。一方にはこれは指揮
統帥権の保護がございます。保護といいますのは、指揮上必要なんだということばで一切葬られるわけでございますが、そういったあり方の中でで、下士官、兵だけが非常にきつく処理される。階級的な
差別が露骨に出た。はっきり言いますと、大隊長クラスで内山というのは、士官学校出の方ですけれども、非常に憶病な方で、しょっちゅう逃げてしまうんです。師団参謀長の江島さんが、大佐でしたが、あれはもうお前のほうに回すからなとおっしゃるから、それはけっこうなことだ、せっかく軍律維持上
軍法会議をおやりになるなら階級
差別だけはやめてもらいたい、階級を問わずおやりになるのはたいへんけっこうだ、いまのままでは下士官、兵いじめにしかなりませんからねと言ったら、ちょっと苦い顔をされたんですが、これは来るなと思ったら、これも来ない。
私実は、
陸軍省法務局の方をそばに置いてたいへん言いにくいのでございますけれども、高等司令部におりました
関係上、
陸軍省から送付されますいろんな書類は一々見ておりますけれども、法務局では毎年犯罪統計をつくっておられる。それによると、
兵隊の犯罪率が一番高い。それから下士官がそれに次ぐ。その中でも召集のほうが現役下士官より高い。その上に将校の犯罪率がさらに低い。こういうことになっております。しかし、その将校の中でも
陸軍士官学校卒業は、最もりっぱで犯罪率が低いことになっておりましたけれども、私が見るところでは、これが一番高い、逆でございます。とにかく佐官クラスを例にとりますと、
ブーゲンビル島第六師団の佐官クラスの犯罪率は一〇%でございます。これはおそろしく高いものでございます。そういった実況でございますが、現実に
軍法会議に引っぱり出されるのは、そのほうはゼロでございます。これは階級
差別があまりにも露骨である。これは当時の
昭和軍人の軍人グループというものが、明らかに
軍法会議を私兵視といいますか、要するに
兵隊を統御していくための一つの材料にお使いになった、こう思わざるを得ないのでございます。
それからもう一つ、ただいま必ず
軍法会議を
作戦軍は携行しておったという
菅野さんのおことばがございましたが、これもいささか実態とは違っておりまして、
法務官の皆さんというのは、いわば半分文官、私も主計でございましたから、その意味では、いわば非戦闘員側でございますけれども、そういった文官的な素質が非常におありになる。したがって、あまりこわそうなところにはおいでにならない。だから
軍法会議が事実上開けない。これが二十年の春の
法律改正で一般将校から
法務官を任用できるというたてまえができましてから、
ブーゲンビルにも
軍法会議が事実上置けるようになりました。また私がやったわけでございますけれども、その間は
軍法会議が合法的な開廷はできませんでした。そういった状況における第一線というのは、私、苛烈なところにおったわけでございますけれども、どうしても
部隊の任意処理になる。そうなりますと、各
部隊は
部隊長権限と申しますが、ちょっとこういう権限はあるとは思わないのでありますが、かってに虐待して殺してしまうわけです。もちろん、かっこうの上では適当に自決なり、または戦病死なり戦死なり、または決死隊に出て事実上戦死させて名誉を保たせる場合もございますけれども、そういったくふうがなされる。そうなりますと、私、
終戦当時に非常に痛感しましたのは、結局刑名を残してしまったのは文字どおり一握りであった。しかし同じような犯罪行為が非常に多発しておったが、それは隠されておる。そうなりますと、いわゆる刑名をしょっておる一握りの人というのは、実はちょっと語弊がございますけれども、ほんとうに氷山の一角みたいなもの。この
方々だけが、実は相変わらず、ただいま
小林先生が言われましたとおりに
汚名に泣く。これは非常に不公平ではないか。法を守っておられる法務省の方、または旧陸海軍省を引き継がれた
厚生省援護局の方は、そういったそれぞれのお立場から、それでもしようがないじゃないかという御
意見もおありのようでございますけれども、そこで基本的にもう一ぺん考え直してみますと、この
戦争の基本的な
戦争責任というものとの関連で考えざるを得ない。
一つは、
戦争責任というものは、一般に非常に混淆して用いられておるのですけれども、対外的な
戦争責任というものは、いわゆる極東
軍事裁判その他で戦勝国が裁いたわけでございますけれども、私が特に国民として考えなければならぬ問題は対内責任ではないのか。要するに
戦争の是非はなかなかむずかしい問題でございましょうけれども、少なくともそういった
戦争によって日本人を、戦闘員はもちろん、非戦闘員にまで、一般市民にまで非常な大きな犠牲を生じたということ。これは、いわゆる国の指揮階層の高級階層、上級階層の責任問題ではなかったか。そうなりますと、やはりその責任ははっきりされなければならなかったはずです。これは、たまたま占領されておった期間が七年も続きましたので、その間に、日本人はそういったものに弱いようでございますから、何となく手をつけられずにずるずるときたわけでございましょうけれども、この間の国内責任の追及という面ではなかったと言うべきではなかったか。同時に、そういった責任者が、戦後においてはむしろ優雅に暮らしておるというのは、非常に語弊がございますけれども、一々それを
——いつか
小林さんが言われましたように、やれ東條大将の
遺族が百万円もらっておるそうだ、そういうことはずいぶんけしからぬ話だということにしても、それを一々取り上げるということもおとなげないわけでございますけれども、しかし一方で
戦時中のそういう犯罪で泣いておる。それを、やれ
敵前逃亡は許してやるの、戦地強姦はいかぬのといったこまかい法技術的な視野からの
差別とか
恩赦の適用の是非とかいうものとは違って、このような
戦争で事実上
——何も好きこのんであんな蛮地まで行く人はいないのですから、そういった
人たちをなぜそういう境遇に落とし込んでおくのか。その面から何らかの政治
判断に基づく、まさに立法府のお役目だと思いますが、措置ができないものか。行政なり司法なりの
関係で法規を守っておられる官庁の責任としてはなかなかできにくいことでございましょうけれども、やはりこれは国
会議員の皆さんのなさるべきことではないか、かように存じておる次第でございます。