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横山委員 きわめて珍しいと人ごとみたいに言ってよろしいのかどうかというのが私の
質問の焦点なんです。千二百五十円として、発行
価格が
法律に基づいて目論見書が
大蔵省に
提出された、そのときに担当者が歴戦の士でありますから、常識的に、これはさて発売になった場合にはとてもこのく
らいになるという見通しができなかったものか、それから七三%の親
引けが異常である、どうしてそういう感覚が起こらなかったものか、まことに私はふしぎに思うのであります。したがってそれは単に、あなたが言うように、その
岡村個人の裁量権にゆだねられるものでないとするならば、課長だって局長だって、千二百五十円が妥当であるか、七三%の
親引け株が妥当であるか、どうしてそういう疑問が生じないのであるか。もしもそれを、担当者を信用してそうだというなら、千二百五十円が異常なほどの値上がりをするということが予知、予見できたとするならば、もうすでにそこにばく大な
親引け株の配付による
利益が予想できる、予見できる。これらの
上場の各種の例をいろいろ調べてみますと、あいさつにあちらへ持っていったりこちらへ持っていったり、それは確実に株をはけるためにひとつ引き受けてくれという場合が普通であるけれ
ども、この場合においては全く
利益を予見できる、あまりにも予見できる
利益をあちらこちら持っていった。だからこの
証券局の御本人も一万株を自分から要求するということは、容易にこれがばく大な
利益が生ずるということを予見しておった。本人が予見しておるのに、どうして本人は千二百五十円という発行
価格で了承を与えるのか。まことに七三%という
親引け株はあまりにも株価操作が自由に、しかもそれをもらった人たちはばく大な
利益が受け得られるということが明白な事実ではなかったのか。そういう点についてまことに私はふかしぎ千万なことである。
大蔵省にしたって、東証にしたって、その
関係者が、しろうとでもわかるようなこれらの客観的事態というものを見抜けなかったはずはない。見抜いておったからこそ、伝えるところによれば
殖産の本社で要求して一万株を受けたという、こういう点について一体どういうふうにこれから是正さるべきものか、
審査にあたってこれらを除去するためにはどうあるべきか、証取法を改正するとするならば、あるいは
上場基準を改正するとするならば、発行目論見書の基準を改正するとするならば、あるいはまた
証券局の坂野旧局長の言うのによれば、
関係業者と個人的なつき合いはするな、これはまあ普通のことである。もう
一つ、公開株に手を出すなという内規があったそうである。ところがそれはこういうようにこの
殖産株ばかりでなく他の株にも手を出しておる。まことに情報が的確に把握できる
監査官が株に手を出すとするならば、全部が全部もうかるとは思いませんけれ
ども、しかしまことに有利な地位にある。もしそういうことが許されるならば、建設省の都市計画、道路計画をやる担当者は土地を買うであろう。運輸省で新幹線が
引けられるならば、総理
大臣以下――そういうことを言うとちょっとまた語弊があって懲罰にひっかかるかもしれませんが、みんなそういう担当者が自分の地位を利用するならば同じことができるではないか。一体今回のこの
殖産住宅の経験はどういうふうに今後生かすべきであるか。
商法の改正に対しても証取法の改正に対しても、またこの
上場基準や目論見書やあるいは庁内におけるあり方についてどういうことが考えられるのか、
政府は今後どうしようとするのか、その点について
法務省と
大蔵省の御意見を伺いたい。