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北野参考人 お答えいたします。
最初の問題は、
企業会計原則をめぐる問題でありますが、これは
税法上は法人
税法の二十二条をめぐる問題になってくるのであります。日本の法人
税法では御承知のように一般に認められた
企業会計の考え方と違ったことを特に
税法に
規定する必要がある場合に特段の
規定を設けるということになっておりまして、法人
税法二十三条以下の
規定であるとかあるいは
措置法上の
規定というのはそういうものとして理解されているのであります。そうしますと、
税法に特に
規定がなければ、法人
税法上の所得の概念というのは一般に認められた
企業会計の考え方に従ってきまってくるということになりまして、そのことを法人
税法二十二条四項が確認しておるということになってくるわけであります。一応たなおろし資産であるとか固定資産の問題につきましては、御承知のように
会計処理の方法について変更する場合にはあらかじめ税務署長の
承認を受けよという
規定がございますけれ
ども、どういう基準で
承認を与えるかということについては
規定がない、そういう形でなっておりますので、現実には、しかも
わが国では
企業会計の慣行というものがほとんど成熟するひまがないくらいでありまして、何が
企業会計の慣行なのか、何が一般に認められた
企業会計処理の基準なのかというようなことがわからないわけであります。結局、税務行政の実際におきましては、国税庁の通達の見解が現実には
企業会計の慣行であるとかあるいは成文化されました例の小さな「
企業会計原則」という文書あるいは今回出ておりまするような「
修正案」というものがやがて確定しますと、それが
企業会計の慣行であるという形になっておそらく
実務が運用されると思いますけれ
ども、そうなりますと御指摘のように
税法に特に
規定がなければということになっておりますので、特に
規定があれば別ですが、なければ結局は
企業会計原則の
修正案のようなああいうところでいっておるような事柄が税務上も入ってくる。税務行政の実際におきましてそういうものが尊重されるという結果になっていきます。そうなりますと、
継続性の
原則などがゆがめられていきますと、
企業の利益操作、法人税の課税物件というのは各
事業年度の所得が課税物件でありますけれ
ども、ですからある所得がいつの
事業年度の所得であるかということが非常に重要な問題になってきますが、その法人税の期間課税としての課税物件をめぐる一連の考え方というものは今回の
企業会計原則の修正の動きであるとか、あるいは
商法の公正な
会計慣行という文言の
導入によりまして、大きくくずれてくるのでありまして、結局
大蔵省主税局をはじめとする税
法律案当局がよほどしっかりしなければ、そういう
経済界あるいは
企業会計原則の修正あるいはそういった方面の動向いかんというものが税金の
あり方に
影響を与えるということになりまして、結局その
企業の利益操作的な形で行なわれますいろいろな
会計処理を課税の面でも
承認せざるを得なくなってくるということになってきますので、われわれとしましてはよほど警戒をする必要があると思いますけれ
ども、いずれにしましてもおっしゃるような懸念があるということは否定できないのでありまして、今回の
商法改正の盲点であろうと私は考えておるのであります。
それから、第二番目の問題でありますけれ
ども、
企業はどういう性格のものであるかということでありますが、これはおっしゃるように今日の
企業は特に巨大
企業は公的な
社会的な
存在であるということで、国家に準ずるものとして考えられるべきである。そのことはもちろん
商法の
基本法の
規定の上ではっきりと
規定するということが必要であります。そしてその一環としまして、私が先ほど申しましたように
監査役というものはまさにそういった
企業の公的な
存在を担保するバックボーンと申しますかケルンでありますので、よほど
監査役の
身分保障を考え、
監査役であるというだけで最高
裁判所の判事に匹敵するくらいの
社会的尊敬を受けるという、そこまでやはり育成をすべきでありまして、そのためには
取締役会に対抗するような
監査役会をつくりまして、その
監査役会のもとに専属の
監査機構を設ける。その機構の中に
公認会計士が入ってくる。私は
公認会計士というものは先ほどから出ておりますように、
自由職業として
制度的には成り立たないというふうに考えております。特に日本では成り立たないというふうに考えておりますので、横山先生御指摘のような疑問が素朴な疑問として
国民にあるわけでありますので、どんなに優秀な
公認会計士でありましても、人からお金をもらって悪口を言わざるを得ない。しかもどんなに調べても新日鉄のような大きな
会社の実態はわかるはずはありません。おそらくわかるはずはないわけで、税務官庁もわからないのでありまして、あれほど膨大な権力を持っておる税務官庁ですら何十日
調査してもわからないというような実態でありまして、いわんや一
公認会計士がいかに優秀であってもわかるはずがないというふうに私は考えるのでありまして、これはもう常識だと思いますけれ
ども。
ですから、そういうことを考えますと、やはり巨大
企業につきましては民間の会計検査院、今日日本の会計検査院はあまり信用できませんが、しかし、ないよりましでありますけれ
ども、巨大
企業に対しましては、
社会的な公的な
存在でありますので、
国民的なコンセンサスのもとで何と申しますか民間の会計検査院というものをつくり、そこへ
公認会計士の方が入っていく。
公認会計士は一種の
特殊法人のメンバーである。
社会的には判事と同じ、あるいは判事に準ずるようなそういう地位を与える。決して国家だけから金をもらってやるんではなくて、被
監査会社からも
特殊法人であるその会がもらいまして、その上でやっていく。
自由職業として認めない。一種の公的な準公務員と申しますか、そういう地位において
公認会計士の方がその専門的な知識を活用する、そこまでいかなければ
企業の、特に巨大
企業の
社会的な公的な
存在に対して
国民にこたえることはできないのではないかと考えるのであります。
なお本
委員会におきまして先回の記録をちょっと見ておりましたら、盛んに法人擬制説であるとか、法人実在説という議論が出ております。あれは税制にも非常に
関係があるのですけれ
ども、この
機会に申し上げておきますが、ああいう議論は今日ナンセンスでありまして、ナンセンスと申しますのは、だれも新日鉄のようなものは
株主と同じであるとは考えてないのでありまして、
企業というものは
社会的な独自の
存在であることは自明であります。
なお税制の面で法人擬制説ということばをよくいいますけれ
ども、これは
大蔵省の主税局の翻訳が誤りでありまして、
大蔵省主税局ですが、
昭和二十四年に戦後の混乱期でまだ学問の発達してなかった時代でやむを得ないとは思いますけれ
ども、シャウプ勧告のインパーソナルエンティティということばを擬制説の擬人ということばで公式訳をした
関係上、
法律学を専門にやった
大蔵省の方々は法人擬制説であるというふうにとりまして、自来そういったことばの使い方が
わが国の税制の研究の面で使われておりますけれ
ども、ことばは約束の問題でありますけれ
ども、決してシャウプは民法の法人の本質論で議論されるような、そういう法人擬制説ということで言ったのではなくて、課税理論上、所得課税におきまして、インカムタックスにおきまして法人というものを
株主とは別個の課税単位として認めるべきであるかどうかという
観点から議論をしたのでありまして、そういう
意味で法人というのは本来的な課税単位にならないんだということで言ったのでありまして、シャウプの言っておるインパーソナルエンティティということはあたりまえのことで、パーソナルというのは個人という
意味でありますから、インは否定でありますから、インパーソナルエンティティというのは非個人的な
存在である、非人格的
存在であるというあたりまえのことを言ったのでありまして、決して
法律学で論議しておりますような法人擬制説ということで言ったのではないということをこの
機会に申し上げておきます。そういう
意味からいきましても、あまりこういった議論は
意味がない。私が申し上げたいのは、横山さんと同じような
意見でありまして、やはり巨大
企業の今日の
責任を痛感した場合には、このような
商法改正をやってもその
責任が果たせない。むしろもっと強力なコントロールを加えるような、
国民が巨大
企業を監視するという、そのための
制度的な
保障をするということが
現代商法に課された課題ではないかと考えるのでありまして、このような小手先の立法では何ものも解決しないと考えるのであります。