○安原政府
委員 ただいま大臣仰せのとおり、
小林先生の御意見を伺いまして、軍法
会議の判決の効力に対して何らかの法制上の措置をとって、いわゆる名誉の回復をする道があるかどうかということを事務当局で検討いたしましたその経緯を御説明申し上げます。
まず、いま大臣が申されましたように、軍法
会議が存在して、軍法
会議が有罪の裁判を言い渡したという歴史的事実は何人も消すことができない、これはもうそのとおりであると思います。ところでその次に、しからば事実は消せないが、そういう軍法
会議の判決の効力をいわば原始的に遡及して当初からなかったものにする、いわば無効の
状態にするという立法ができないかということになるのであろうと思います。それは場合によっては理論的には
考え得ることであろうかと思います。しかしながら、御案内のとおり、軍法
会議につきましてはいろいろ
批判はございましたけれ
ども、新
憲法の施行になります
昭和二十二年の五月二日、前夜までは軍法
会議は有効に存在しておったのであります。特に戦地におきます臨時軍法
会議は有効であって、そして軍刑法も、陸、海軍刑法も五月三日以降はともかくとして、それ以前は有効にわが国の法令として存在しておったということはこれを認めざるを得ないわけでございます。したがいまして、軍法
会議が適法に存在し、そして軍刑法が有効に存在しておった、その軍刑法あるいは一般の刑法を適用して軍法
会議が言い渡した判決というものは、それはそれなりに一応有効とせざるを得ないわけであります。
そこで、その有効に成立した裁判を、いまの時点からさかのぼってなきものとするというようなことが理論的にはともかくとして、立法政策として相当であるのか、あるいは現
憲法下においてそういうことができるのかということがその次に問題になるわけであります。そこで
考えまするに、なるほどわが国は戦争に負けました。新
憲法ができました。しかしわが国はわが国として、別の国になったわけではない、国家としては同一性を継続して今日に至っておるのでございます。同一の国におけるかつて有効であった裁判を、さかのぼってなかったものにするというような立法は、それは立法の政策としても相当ではない。のみならず、三権分立を認めております場合に、一律に有効にした裁判を、
司法権の作用を、立法権ないしは行政権でもってさかのぼって無効にするというようなことは
憲法上も疑問がある。私
どもは現段階においてはできないのではないかというふうに
考えておるのであります。したがいまして、最初のテーマであります軍法
会議、有効に成立した軍法
会議の裁判をさかのぼって無効にするという立法措置はとるべきではないし、とれないのではないかというふうに
考えておる次第でございます。
そこでその次に、それと同時に
小林先生の御案内のとおり、一律になきにすると申しましても、軍法
会議の裁判を受けた者の中には、気の毒な者もございますが、戦地で略奪をしたり強姦をしたり、上官を殺したりという犯罪もあるわけでございます。そういうものを一律に過去にさかのぼってなくするというようなことは実体的にもいかがかと思われるのでございまして、そうなれば気の毒な者をどうやって救済するかということがその次に問題になってくるのであります。つまり、一般的に効力をなくするのじゃなくて、具体的な事案に即して個別に有罪の裁判の効力を否定する法的措置としては何があるかということになりますと、御
承知と思いますが、制度としては非常上告または再審の制度でございます。しかしながら非常上告の制度は、重大な法令の違反がある場合における法令の解釈の適用統一をはかることを主たる目的とするのでありますから、いまの先生の御期待されるようなこととは縁遠いことでありまして、非常上告はこの際名誉回復の措置としては問題にはならない。次に再審の制度ということでございますが、これも戦後の
昭和二十七年の平和条約発効まで軍法
会議の裁判に対する再審の道は開かれておったわけであります。しかしながら再審の制度は、御案内と思いますけれ
ども、その裁判についての無罪にするための新たな証拠が発見されるということでなければならぬわけであります。そういうことで個々に救済する道は開かれておったのでありますけれ
ども、これもまた具体的なケース、ケースでございまして、そのケースによって再審によって無罪にするということはおそらく御希望の処置とは縁遠いものであろうというふうに思われるのであります。特に
昭和二十七年四月二十八日までさような再審の道を軍法
会議の判決において開いておりましたが、幸か不幸か一件も再審の申し立てはございませんでした。そこで過去にさかのぼって軍法
会議の判決を無効にするということは、私
ども検討の段階におきましては、ないということに相なるものと思うのであります。また世界の立法を見ましてもそういう例はないというふうに思います。
そこで将来に向かってどうするか、将来に向かってこれら有罪の判決を受けた人についての名誉回復の措置として何かあるかということになりますと、それはまさに恩赦という制度であるというふうに思われます。恩赦の目的にはいろいろございまするが、その時期におけるある行為がその時期においてはぜひ刑罰を必要としたけれ
ども、その後の政治的、
思想的、経済的、社会的な変動などを経た後の時期においてはそれを処罰する必要がないというようなこともあり得るわけであります。つまり社会情勢、価値観念の変化とともに、かつて有効に成立した判決を将来に向かってその効力をなくするのが恩赦、特に大赦の制度でございます。そう
考えますと、私
どもの検討の段階では、軍法
会議の判決を受けた人で、その後の社会情勢の変化とともにその効力を維持しておく必要がない場合があるということで、恩赦という制度によってその人たちの名誉を回復するのが最も妥当な方法であるというふうに
考えられるのでありまして、この点につきましてはすでに戦後三回にわたりまして恩赦が行なわれておりまして、いわゆる
先ほどの略奪とか強姦とか殺人等の罪を除きましては、軍法
会議によって有罪の判決を受けた人は、軍刑法に関するものの限りはすべて大赦ということで、つまり国家が戦争を反省してそれを許すという大赦という行為を行なっておるのであります。これによって刑に処せられた者の名誉は回復されておるというふうに
考えるべきではないかと思うのでございます。
以上が検討の結果でございまして、なお去る二月二十七日の予算
委員会で
小林先生から御
指摘のありました西郷隆盛につきましては、明治二十二年二月十一日、いわゆる明治
憲法の発令の日に大赦令の発布がございまして同時に西郷隆盛は特旨をもって正三位を追贈されております。つまりこれは一つの恩赦の措置であります。逆賊であった西郷さんの汚名をそそぐということで大赦のときに、西郷さんは判決を受けたわけではございませんので、一種の行政措置として正三位という逆賊と言われて死んだときの正三位の位をその日から将来に向かって贈られておるのであります。いわゆる恩赦と同じ将来に向かっての措置でございます。
それからもう一つ、江藤新平については、明治二十二年勅令第十二号、いま申しました西郷さんと同じときの大赦令によりまして、赦免をされました。この方も反逆罪で梟首、さらし首の刑を受けて死んでおりまするけれ
ども、二十二年の明治
憲法のときに赦免されまして、大赦ということで、大正元年の九月二十日に大審院検事総長が遺族の願い出に応じてその旨を証明しておるという事実がございます。
以上が今日までの検討の結果でございます。