○田中(伊)国務大臣
裁判所もいらっしゃる前でございますし、たいへんこれは答えがしにくい、むずかしい問題でございます。むずかしい問題でございますが、
国家の重大な問題ですから、意見を述べよと言われると申し上げなければなりませんが、私はこういうふうに理論的に思っておる。
司法権の独立という
意味で、
憲法の大
精神にのっとりまして、
判断事項に対して外部が論及することはいけないというのでございますが、これには例外がある。たとえばどんな例外があるのかというと、新聞、ラジオ、学者、弁護士、こういう立場に立つ人は大いに
裁判所の
判断事項を論駁してよろしい、しっかりやっているんだ。
やっちゃならぬものがあるんだ。
裁判所の御
判断事項に言及して、あんなことを言うておるがこうだなんということを言っちゃならぬものがある。それは、三権分立の思想の
根拠から申しまして、立法府、私たちのような、議長をはじめ全国
会議員、これが国会の席において
判断事項を論駁するということはよくない。また、答える者も間違いだ、聞く者も間違いだということで、これは厳格にやっていかなければならぬ。それからもう
一つは行政府でございます。内閣総理大臣以下行政府に連なる者は
裁判所の
裁判事項に対して論及をしてはならぬ、こういうことでございます。ただし、これはほめるほうはよい、国会においても。この間の二百条の
判断はまことに名
判決であると私も答弁をしておるように、論及しております。ほめるほうはいい。非難論駁するほうはぐあいが悪い。立法、行政の両部門におります者が
判断事項に対して論及する、これを非難論駁することはいけないんだ、こういう制約があるものである。
もう
一つ制約があると私は思う。これは少し私の
考えが行き過ぎておるかもしれませんが、思い切って申し上げますと、民事の問題で申しますと原告、被告両当事者、刑事
事件で申しますというと
国家公益を代表する検事、つまり訴訟当事者。訴訟当事者は、事後であっても事前であっても、
裁判の最中であっても、私は、大いに
裁判官の
判断事項というものを、こう
判断なさるべきです、こう
判断なさることは誤りですということを論駁することは一向差しつかえがない。法廷が開かれると、法廷に立って、訴訟当事者は
裁判官を前に置いて論及、論駁をするのですから、それが
裁判官の御前を離れてやっちゃいかぬということはおかしい。訴訟当事者はやっていい。したがって、その検事が、訴訟当事者としての立場を持っております検事であるならば、
判断事項に関して、この
判決は間違いなんだ、おれは控訴してみせる、控訴したらつぶれるんだということを大いに論じてよいとまで言うていいのかどうかわからぬが、私は、そういうことを信念を吐露することは一向差しつかえがない。そういうことは公判廷で
裁判長の面前で言ってよい、言ってよいんじゃない、言わなければならぬ義務を持っておるものなんでありますから、これは言うてよいのではなかろうか。
判断事項に言及することまかりならぬということには、以上申し上げたような数個の例外がある、こういうふうに私は
考えておるのであります。また御意見を承りたいと存じますが、そう思っております。