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1973-04-13 第71回国会 衆議院 法務委員会 第18号
公式Web版
会議録情報
0
昭和
四十八年四月十三日(金曜日) 午前十時六分
開議
出席委員
委員長
中垣
國男君
理事
大竹
太郎
君
理事
小島 徹三君
理事
谷川
和穗
君
理事
福永 健司君
理事
稲葉 誠一君
理事
横山
利秋
君
理事
青柳 盛雄君
井出一太郎
君
植木庚
子郎君 住 栄作君 千葉 三郎君 早川 崇君 三池 信君 日野 吉夫君 正森 成二君 沖本 泰幸君 山田
太郎
君
出席政府委員
法務大臣官房長
香川 保一君
法務省刑事局長
安原 美穂君
委員外
の
出席者
参 考 人 (
一橋大学名誉
教授
)
田上
穰治
君 参 考 人 (弁 護 士)
田邨
正義君 参 考 人 (作 家)
佐野
洋君
法務委員会調査
室長 松本
卓矣君
————————————— 本日の
会議
に付した案件
刑事補償法
の一部を
改正
する
法律案
(
内閣提出
第八二号)
刑事補償法
及び
刑事訴訟法
の一部を
改正
する法
律案
(
横山利秋
君外六名
提出
、
衆法
第二号) ————◇—————
中垣國男
1
○
中垣委員長
これより
会議
を開きます。
内閣提出
、
刑事補償法
の一部を
改正
する
法律案
及び
横山利秋
君外六名
提出
、
刑事補償法
及び
刑事訴訟法
の一部を
改正
する
法律案
の両案を議題といたします。 本日は、
参考人
として
一橋大学名誉教授田上穰治
君、
弁護士田邨正義
君、
作家佐野洋
君に御
出席
を願っております。 この際、一言ごあいさつを申し上げます。
参考人各位
には、御多用中のところ御
出席
をいただき、まことにありがとうございます。 当
委員会
におきましては、両案につき慎重な審議を行なっているのでありますが、
参考人各位
の御
意見
を承れますことは、当
委員会
の審査に多大の
参考
になることと思っております。何とぞ
参考人各位
には忌憚のない御
意見
をお述べいただくようお願いいたします。 それでは、まず
参考人各位
に十五分間
程度
御
意見
をお述べいただき、その後
委員
の質疑にお答えいただくことをお願いいたします。 それでは、
田上参考人
にお願いいたします。
田上穰治
2
○
田上参考人
本日は、
刑事補償法
の
改正
につきまして、
政府案
とそして
社会党
の方が出されました
議員提出
の
法案
につきまして、簡単に、
考え
ておりますことを申し上げたいと存じます。 初めに、
憲法
十七条と四十条の事柄でございますが、十七条は
国家賠償
に関する
規定
でありまして、四十条が本日の
刑事補償
に関する
規定
でございます。この二カ条は、ともに
法律
の定めるところによって
刑事補償
あるいは
国家賠償
の
請求権
を認めるという
規定
でございまして、
法律
によってどのような
内容
、
権利
になるかということがきまり、
憲法
は直接には
国会
の
立法権
にゆだねているのでございます。そういう
意味
において、これは
立法政策
によって
決定
されることであり、
国会
が
法律
でおきめになれば、それに対しては
原則
として
裁判
所が
憲法違反
とすることができない。私
ども法律学者
としまして、この御
提出
になっております
法律案
につきまして、
憲法違反
という答えはほとんど出す
余地
がないのでございます。要するに
法案
につきましては、適当かどうか、
立法政策
的に見てその
程度
の違いを論ずることができるのにすぎないのでございまして、こういう点は
治安立法
であるとかその他の
各種
の多くの
法律案
に見られるような、
人権侵害
というふうな問題の
余地
がほとんどないのでございます。 特にこの四十条の
刑事補償
の
請求権
は、
憲法学
の通説によりましても、いわゆる
人権
の保障の
規定
ではない。これはそういう
人類普遍
の
原理
というふうな明確な、超実証的な
性格
を持つ
規定
ではなくて、むしろそのときどき、国々の
憲法
の
規定
によって
国民
に与えられた
権利
である。こういうことでございまして、
基本権
、
国民
の
憲法
上の
権利
ではありますけれ
ども
、その
内容
について実定法を超越する普遍的な
原理
がないのでございます。 さらに、この点でやや比較して異なるのは、
憲法
二十九条第三項の
補償
でございます。
土地収用
のような
私有財産
を
公共
のために用いる場合には正当な
補償
を要する。この場合は
法律
にゆだねていないのでございますから、学界では
異論
がございますけれ
ども
、
憲法
上直接に
補償請求権
が約束されている。ところがこの
刑事補償
につきましてはそのような明確な
結論
が出せないのでございまして、大体は
法律
によって
決定
されるというふうに
考え
ております。ただ、それならば
法律
で
補償額
を非常に少なくしてよろしいかあるいは極端にふやしてよろしいか、全く適当不適当という
政策
の問題であるかと申しますと、必ずしもそうはいえないのでございます。むろんこの
補償額
を著しく減らすことは、
無罪
の
判決
を
言い渡し
を受けた者にとって
かなり
精神
的あるいは
財産
的に
苦痛
、
損失
が残るわけでございますから、そういう
意味
において
人権
を
最大限度
に尊重する今日の
憲法
の
精神
に適しない。だが反対に、今度は
補償額
を幾らでもふやしてよろしいかと申しますと、
過大補償
、多過ぎる
補償とい
う問題がございます。これはしばしば見落とされることでございますが、私
ども
は
一般
の
損失補償
につきまして、たとえば用地の買収のような場合に早く金を出して、たくさん出して話をつけて工事を進めよう、こういうことが案外
関係当局
のほうの気持ちの中に見受けられるのでございます。そういう
意味
で、
補償額
が極端につり上げられる危険がございます。そういう場合に私
ども
がよく持ち出しますことは、
補償金
というのは国の資産、
財産
であるけれ
ども
、もとをただせば
国民
の
税金
に依存しておるものである。したがって、
国民
の
税金
を使う場合には有意義な効率的な使い方があるわけであって、必要以上に
税金
を使うということは財政
政策
的ということになりますか、われわれで申しますと
民主主義
の
立場
からいって好ましくない、こういうことから、この三十六、七年ころに
公共事業
の
補償
につきまして
補償
の
一般
的な
基準
をきめまして、これは閣議の
決定
になって実施されております。最近これをさらに
検討
する
段階
になっておりまして、建設省においてこの新しい
考え
を入れて
補償額
を手直しを
考え
ているのでございますが、そういうことを
考え
ますと、
刑事補償
についても無論お
考え
になっているように
物価指数
、
生計費
の
指数
とかそういうふうなものとスライドして数年前に改定されました
補償金額上限
あるいは
下限
、こういうものにつきまして、さらに本年度、最近のそういう
経済情勢
に応じて
相当程度
に
増額
するということは当然でございます。私は本日、特に
法務省
のほうから
政府案
として出ておりますたとえば
上限
を
拘束日数
に応じまして一日千三百円を二千二百円に改めるとかあるいは
社会党
の方の出されております
議員提出
の案におきましても、これを
上限
を三千円に、
下限
を一千円というふうに
改正
する御案がありますが、こういう問題につきましては以上の
程度
におきまして一応妥当であり、またいずれが特にまさっておるかということも必ずしも
法律学者
として申し上げる特別な
意見
はございません。いずれにしましても、極端に
補償額
をふやすということも
考え
られますが、それはやはり
限度
がある、
立法政策
と申しましても
限度
があるということを申し上げたいのでございます。 そこで、もう少し立ち入りまして、特に
社会党
の案のほうには、そのほかに非
拘束
の
日数
についても
補償
すべきであるとかあるいは
刑事訴訟法
の
改正
によりまして
訴訟費用
につきまして
かなり
根本的な
考え方
を出されておりますので、その点で
刑事補償
の
性格
につきまして二、三、時間の許す
範囲
で申し上げまして、なお足りないところは御
質問
を受けましてお答え申し上げたいと思うのでございます。 まず第一に、根本の
考え方
としまして、
補償
と
賠償
との比較でございます。先ほど申し上げました
憲法
十七条は
公務員
の
不法行為
によって
損害
を受けた者が国または
公共団体
に対して
賠償
の
請求
をする
権利
があるという
規定
でございます。十七条のほうでは
不法行為
による
損害賠償
の
請求権
、四十条はこれに反しまして
不法行為
という
ことば
を使っておりませんし、結局そうなりますと、
適法
な
行為
によって
損害
を受けた者に対して
補償
する。
補償とい
う文字が出ております。そこにこの
性格
、性質の違いがあるのではないか。これも
法律学
ではほとんど
議論
の
余地
のない常識的な問題で恐縮でございますが、
賠償
は
憲法
の
規定
によりましても
不法行為
を
原因
とする
損害
に対するものでございまして、
不法行為
が
民法
と同じかどうかは、
憲法
の解釈としては
議論
の
余地
はございます。必ずしも
民法
の
不法行為
の概念にとらわれないという見方もございますが、一応われわれが
不法行為
と
考え
ますと、それは
原因
となる
行為
が違法なものである。そしてもう
一つ
が
故意
、
過失
という、つまり
加害者
の側に
責任
が問われるという、そういう
意味
において反
社会性
を持った
行為
による
損害
ということになるのでございます。そしてこの
不法行為
の特色としては、
民法
の
不法行為
の通則的な
規定
がございまして、これが
民法
は私法でございますから、
公法関係
の
不法行為
に当然適用されるかどうかということは、これもまた
議論
の
余地
がございますが、一応
民法
を
一般法
として
考え
ますと、そういう普遍的な
原則
がすでに
法律
によって、
憲法
ではございませんけれ
ども
、明らかにされております。そこで
憲法
十七条に基づいて
損害賠償
の
規定
を設けるといたしますと、どうしても
民法
の適用を計算に入れなければならない。これが今日の
国家賠償法
の第一条その他の
規定
でございます。
かなり損害賠償
の
内容
は明確にされると思うのでございます。ところが四十条のほうは、
憲法
は
補償とい
うふうになっておりまして、これは私
ども
必ずしも違法ではない、
適法行為
による
損害
だというふうには断定いたしませんけれ
ども
、しかし少なくとも
請求
をする側から申しますと、
訴訟
におきましても
加害行為
が違法であるということを主張し、立証する
責任
はない。また
加害者
の側に
故意
または
過失
があるということを主張し、立証する
責任
もないということは明白でございます。客観的に違法である、あるいは
故意
、
過失
があるとしても、それは
訴訟
の手続上これを主張し、立証する必要がないということにおいて、
損害賠償
と著しく異なるのでございます。実際にもしばしばいわれますように、
国家賠償法
の
規定
によって
無罪
の
判決
を受けた者が国を相手に
被告
として
故意
、
過失
あるいは
違法性
を立証するということはきわめて困難であり、そういう
意味
において、しかし
刑事補償
の
請求
ならば容易である、そのような
立証責任
もございませんから、容易に
請求
することができる。しかし言うまでもなく
刑事補償
のほうでありますと、
法律
によって
金額
、特に
最高限
、
上限
がきまっておりますから、それ以上の
損害
について
補償
を
請求
することはできない。
損害賠償
であると、その点は実際の
被害
に応じて
請求
することができるのでありまして、その点もまた違っております。 さてかように見てまいりますと、もう
一つ
申し上げたいのは、
刑事補償
の場合には、
刑罰権
の
発動
、しかもその
発動
は一応
訴訟法
にのっとって
適法
に行なわれる、
検察官
が
起訴
する、あるいは
捜査
の
段階
におきましても、
警察
あるいは
検察当局
において
訴訟法
の
規定
に従って
適法
に
捜査
が行なわれる、その結果としてあるいは
拘引
なり勾留されることもある、しかし、
拘引
、勾留につきましては、御
承知
のように、
裁判官
が令状を発付するのでございます。そういう
意味
において
裁判官
の一応
責任範囲
にも属するわけでございますが、少なくとも
警察
あるいは
検察当局
の
行為
については、客観的に違法であるという
責任
を問うことのできるような
行為
ではないのでありまして、その
意味
で私は
損害賠償
とは
かなり
質の違ったものであると思うのでございます。もちろん、
起訴
されて
無罪
の
判決
があった者を
考え
ますと、まことにお気の毒であり、
無罪
の
理由
にもよりますが、ほんとうに
犯罪
が成立しない場合もございましょうし、その場合が特に問題でございますが、そのほか証拠不十分であって
無罪
の
判決
を言い渡される、この場合はやや事情が違ってまいります。が、いずれにいたしましても、そういう
損害
をこうむった
原因
としての
行為
はまことに
適法
なものでありまして、その
適法
な
行為
について、それを
損害賠償
のような
考え
で国に対して
損失
の
補てん
を
請求
できるかというと、これは
かなり
疑問があると思うのでございます。もちろん、
公務
の
執行
、
適法
な職権を行なうことによって生じた
損害
は、すべて
適法
であるから
補償
の必要なしというふうなことを申し上げるわけではございません。
一般
に
公法学
のほうの通説的なものによりますと、
公務
の
執行
、
検察官
でありますと、
公訴
を提起するということから必然的に、特別な
注意
を払ってもなお防ぐことの——当然生ずる
損失
というものにつきましは、
職務
を
規定
した根拠となる
法律
の中に、すでに
関係者
の
損害
をこうむることが予想されている、つまり
損害
をこうむる
被害
の事実についても
法律
がこれを容認しているということになりますから、この場合は私は
補償
の必要がないと思うのでございます。しかし、
公務
を
執行
することにおきましても、ある
程度
注意
をすれば
損害
の発生を
公務員
の側で防ぐことができると思われるような場合、必ずその
公務
の
執行
から何らかの
損害
が生ずるとは限らない、そういう場合におきましては、これは主観的に
当局
の
不法行為
としての
責任
を問うことではありませんけれ
ども
、客観的に
被害者
を救済する、救済という
ことば
はちょっと悪うございますが、むろん
被害者
の
権利
として
損失
の
補てん
を
請求
することを
法律
で認める必要があろうかと思うのでございます。 問題は、
起訴
ということによって当然
有罪
の
判決
が期待できるのか、あるいは
無罪
の
裁判
に至るような場合には、あらかじめ
注意
を払って
起訴
しないようにするということが可能であるかどうか、こういう点で
刑事補償
を認めるかどうかという
範囲
がきまってくると思うのでございます。 同じことは、
検祭官
が一方的に
上訴
する場合の結果
無罪
になったという場合について、あるいは
上訴
が棄却される、あるいは
上訴
の取り下げのような、
刑事訴訟法
に
規定
がございますが、こういう場合の
補償
についても同じような
判断
を加えることができると思うのでございます。その場合に、むろん
起訴
された者は
無罪
の
推定
を受けるということが
一般
にいわれております。特に旧
憲法時代
の
訴訟法
と違いまして、今日の
刑事訴訟
におきましては、
被告人
について
無罪
の
推定
ということは
かなり
強く打ち出されているのでございますが、この点私は、だからといって
補償
が必要ないとは思わないのでございまして、それは法的には一応
無罪
として扱われるとしましても、少なくとも心理的に見ると
起訴
された者は非常に痛手でございまして、非常な
苦痛
を味わう、あるいは不名誉という点もございましょうし、家族にとりましてもそういう
精神
的な
損害
は無視することができない、つまり
法律
的には
無罪
の
推定
があっても、事実上は
起訴
されると、犯人ではないか、逆に
有罪
であるかのように
社会
の人あるいは本人が受け取る
可能性
がございます。そういう
意味
で、
適法
な
行為
であるけれ
ども
、結果として
無罪
であったという場合には、その
損失
を公平の
原則
によって
補償
する必要があると思うのでございます。 ただ、その場合に、もう少し公法的に申しますと、もう一度申し上げますが、
法律
的に
通常公務
の
執行
に伴う予想される
損害
、
無罪
ということ、これはそういう
可能性
も十分にあるのであって、
起訴
されましても
有罪
か
無罪
かということは最終的には
裁判官
の
判断
によるのでございますから、あるいは客観的に見て
有罪
であるとしても、それを
裁判官
が
無罪
にすることもあり得るし、逆に客観的に、これは問題でしょうけれ
ども
、
無罪
の場合を誤って
有罪
と
判断
することもあり得るわけでございまして、
検察官
がどのように
注意
を払いましても、なお
判決
の結果は簡単に予測できない。そういう
意味
で、
有罪
、
無罪両方
の
可能性
があるということを
考え
ますと、当然
無罪
の
判決
を受けた者に対して
補償
をしなければならないという
結論
にはならないのでございます。 しかし、それは
一つ
の理屈でございまして、
憲法
四十条では、一応明文の
規定
で
抑留
または
拘禁
された後、
無罪
の
裁判
を受けたときには国の
補償
しなければならないとございますから、
無罪
の
判決
に対しては一応
法律
におきましても
補償
の
請求権
を与えるべきである。むろんこれも先ほど
立法政策
ということを申し上げたので、必ず
法律
でそのようにきめなければならないとは思いませんけれ
ども
、
現行法
のように、
無罪
の
判決
、
無罪
の
理由
が、あるいは
刑事
の
責任能力
がないという場合に、そういう
理由
で
無罪
の
裁判
があった場合でありましても、一応
無罪
となればそこで
補償
の
請求権
を認める、これが
憲法
の
精神
でないかと思うのでございます。
犯罪
の証明が十分でない場合の
理由
で
無罪
となった場合でありましても
補償
を認めるべきである。しかし、ややこまかいことになりますが、
刑事補償法
などで、
免訴
の
言い渡し
を受けた、
公訴棄却
の
裁判
があった場合に、さらに
法律
では、
無罪
の
裁判
を本来は受けるべき十分な事由がある、かように認められる場合には、
免訴
だけでは
無罪
かどうかわかりませんけれ
ども
、その場合は
補償
をする。しかし、もう
一つ
の、これまで御
議論
になっているところでは、
付審判
の
請求
が却下される、不
起訴処分
になるというふうな場合に、直ちに
無罪
と同じように
考え
て、
拘束期間
、
日数
に対して
補償
をすべきかどうか、こういう点は若干疑問の
余地
があると思いますが、
現行
は御
承知
のように
法務省
の訓令によってまかなっておりまして、これは今日の
法案
でも特別に問題になってはいないようでございます。 しかし、もう
一つ
申し上げますと、
抑留
、
拘禁
に対しまして、
法案
によりますと、非
拘束
の
日数
についても
補償
すべきであるということになっておりますが、
抑留
、
拘禁
ということは、いわゆる有形的な
損害
であって、近ごろの公害などでよく
議論
になりますニューサンスであるとかイミシオンというような無形の
損害
とは
かなり
違ったものである。ところで、非
拘束
の
日数
における
補償とい
うことになりますと、これは有形の
損害
とばかりはいえない。特に慰謝料的な、
精神
的な
苦痛
に対する
補償
になりますと、
かなり
明確を欠くのでございまして、そういう
意味
において
補償
すべきかどうかについては、私は若干の疑問を持っております。 だいぶ言い落としましたが、時間が参りましたようですから、あとで御
質問
を受けましてお答え申し上げたいと思います。 以上でございます。
中垣國男
3
○
中垣委員長
ありがとうございました。 次に、
田邨参考人
にお願いいたします。
田邨正義
4
○
田邨参考人
私は、つい最近まで
日本弁護士連合会調査室
におりまして、同
連合会
の
意思決定
に若干なりとも関与してまいりましたので、その
立場
から
意見
を述べさせていただきたいと思います。 まず、
政府提案
の
補償金額
の
増額
の点でございますが、もとより
補償金額
の
基準
を
増額
することには、基本的に
異論
はございません。ただし、
具体的金額
の点では、若干まだ不十分ではなかろうかと
考え
ます。 御
参考
までに申し添えますと、
自賠責保険
では、すでに事故による
休業補償
の
最高限
を一日当たり三千円という
扱い
にいたしております。さらに、死者の場合の
保険金額
を、現在五百万円でございますが、これを間もなく一千万円に引き上げるという案が
関係方面
で
目下検討
中でございます。また、
日本弁護士連合会
といたしましても、近々一千万に
増額
の要望を出すという
準備
中でございます。 従来
刑事補償金額
の引き上げの
経過
を拝見いたしますと、あるいは偶然かもしれませんが、
自賠責保険金額
の増加と符節を合わせておられる傾向も見受けられるやに思われます。したがいまして、いま申し上げましたような点は十分御考慮あってしかるべきかと思います。 なお、
日本弁護士連合会
では、すでに
昭和
四十三年の改定の機会に、
刑事補償金額
を一日二千円以上、三千円以下とすることを要望していることを申し添えます。 次に、
議員提出
の
刑事補償法
及び
刑事訴訟法
の一部を
改正
する
法律案
についてでございますが、この
法律案
は、
日本弁護士連合会
が
昭和
四十年十一月十三日の
理事会
におきまして
決議
をいたしまして、
関係
各
方面
に
提出
をいたしました
改正案
と趣旨において同一でございます。そこで、
日本弁護士連合会
において
決議
に至りました
経過
を簡単に申し述べておきたいと思います。 第一に、
抑留
または
拘禁
を受けなかった
期間
の
補償
の
必要性
の問題であります。 まず、
刑事訴追
を受けたことによります名誉、信用の失墜は、これは
拘束
、不
拘束
の別を問わず、全く同じでございます。
法律
上は、
無罪
の
推定
があるとされておりますが、わが国の
社会
の
実情
においては、決してそうではございません。地方の小都市あるいは
農村部
などでは、
刑事訴追
を受けたいというだけで、その郷里にいたたまれない、そして上京してくるというような
ケース
も往々にしてございます。また、御
承知
のように、新聞などでは、
被疑者
という
扱い
をされたとたんに一切報道において敬称をつけない
取り扱い
をしておるわけでございます。
被告
の座に置かれた者は、少なくともその間は
社会
的に葬り去られるというのが
実情
だと言って過言でないと存じます。 次に、経済的な
損失
という点でございますが、これも不
拘束
の場合でありましても、
刑事訴追
を受けることによる
経済的打撃
はきわめて大きいと申さなければなりません。少なくとも、
公訴提起
前、生業といいますか、まともな職業についていた者については、おそらく
刑事訴追
を受けることによりまして、その大半は職を追われているのではないかというふうに推則をされます。 また、
職場そのもの
を失わないまでも、
公務員
あるいは
公共企業体
、主要な
民間企業
などでは、
就業規則
などに
刑事休職
の
規定
を置いておりまして、
刑事訴追
を受ければ、自動的に
休職扱い
になる。
日本弁護士連合会
がこの
改正案提出
当時調査しました結果では、この
休職
の場合に全く
無給扱い
をするところもございます。大多数は給与を四割とか五割大幅に減額をする
取り扱い
が
一般
でございます。つまり、
拘束
されていなければその間働いて
収入
を得られたはずであると言われるかもしれませんが、
実情
は決してそうではないのでございまして、多大の
収入面
の減少を味わっている
被告
が大多数であるということを申し上げておきたいと思います。 次に、
収入
が得られなくなるというだけではなくて、現実の
裁判
のための支出も
かなり
の額に達するのが
通常
でございます。
刑事訴訟法
で申します
訴訟費用
に含まれません
各種
の出費があるわけでございます。ことに
無罪
を主張して
被告人
の嫌疑を晴らすというためには、
公判活動
やその
準備
のためにたいへんな努力が要ることは、
弁護士
であればだれしもひとしく経験をいたしているところでございます。少なくとも
証拠書類
とか
公判
の記録を
謄写
をいたしまして、それを事前に詳細に
検討
を加えた上で
公判
に臨むというような作業が必ずついて回ります。こうした
謄写
とか
調査費
だけでも、実費だけで
一つ
の事件が終わるまでに百万円近く要する
ケース
というのも、今日では決してまれではないのでございます。 以上、申し述べましたように、
拘束
、不
拘束
の別なく、
刑事訴追
を受けたことによる
被告人
の
損害
というものははかり知れないという事実につきましては、
日本弁護士連合会
に所属します
弁護士
が日常その
職務
を通じて痛切に感じているところでございます。したがいまして、不
拘束
の
期間
に対しても
補償
すべき高度の
必要性
があるという点につきましては、
連合会
におきましてこの問題に関与いたしました
理事者全員
のひとしく一致した
意見
でございます。
補償
の
必要性
があるといたしまして、具体的に
補償
の
金額
についてどういう
決定方法
をとるかということについては、
連合会
においても若干の
議論
がございました。しかしながら、やはり
補償とい
うことでありまして、必ずしも
公務員
の側の
過失
を前提としないという点を考慮いたしまして、並びに
拘禁
中の
被告人
に対する
補償金額
とのバランスなどを考慮いたしまして、おおむね
拘禁
中の
被告人
に対する
補償
の半額の
範囲
内で
裁判
所の裁量によって
金額
を定めるべきであろうという
意見
に落ちついたわけでございます。
無罪
につきましても確かにいろいろなニュアンスの違いがあることは事実でございますが、これは
裁判
所が一切の事情を考慮して具体的な
補償金額
をきめるということによりまして、事案に即した妥当な解決がはかられる、過剰な
補償
を与えるというような懸念はないと
考え
ております。 次に、
刑事訴訟法
の費用
補償
規定
の
改正
の点についてでございますが、民事
訴訟
におきましても
訴訟費用
は敗訴者負担が
原則
になっておりますのは御
承知
のとおりでございます。
刑事訴訟
におきましても、刑の
言い渡し
を受ける、つまり
被告人
側が敗訴をしたときは、当該事件の審理に要しました証人の旅費、日当、国選弁護人の報酬などは、国が立てかえました費用については
被告人
負担という
判決
、
裁判
がなされるわけでございます。 逆に
無罪
になった場合、つまり国側が敗訴した場合には、そうだとすれば、本人が立てかえました費用、たとえば本人自身の旅費、日当、あるいは本人が依頼した場合の私選弁護人の費用などについて国側が負担するのが公平の
原則
上当然ではないかと
考え
られるわけでございます。刑訴三百六十八条以下が
検察官
の
上訴
が、結果的に誤りであった場合において、
上訴
審に要した費用について
補償
の
規定
を置いているわけでございますが、この
考え方
をもとにいたしますが、
検察官
の
公訴提起
自体が誤りであったという場合には、
公訴
によって生じた全審級を通じての費用を国に負担せしめてしかるべきではないか、少なくとも公平上かかる措置をとるのが当然であろうというのが、
日本弁護士連合会
の
意見
でございます。 なお、
刑事補償
の
請求
の実際の運営なり
実情
を見てみますと、どうも年々出ます
無罪
人員に比較いたしまして、
刑事補償
の
請求
をする件数が最近では四分の一、五分の一に近いように思われます。これもやはり非
拘禁
中の
期間
に対する
補償
がないために、
補償金額
が一件当たりきわめて微々たるものである。このために、手数倒れに終わることをおそれて
刑事補償
の
請求
が少なくなっているのではないかというような懸念もございます。この
刑事補償
制度自体を実効あらしめるためにも、
拘禁
されていない
期間
に対する
補償
を考慮する必要がぜひあるというふうに
考え
る次第でございます。
中垣國男
5
○
中垣委員長
次に、
佐野
参考人
にお願いいたします。
佐野洋
6
○
佐野
参考人
佐野
でございます。 私は、御存じの方もあるかと思いますが、推理小説を書いておりますもので、
法律
の専門家でも、また
法律
を学んだものでもございません。たまたま私がある月刊雑誌に発表しましたものがどなたかのお目にとまりまして、
意見
を聞きたいということになったのだろうと思います。非常にしろうとの
立場
から、つまり
一般
国民
の
立場
から、この
刑事補償
の問題を、ちょっと
考え
ているところをお話ししたいと思います。 推理小説におきまして、
かなり
昔の推理小説といいますのは、本職の探偵あるいは
刑事
、そういうものが出てくる形が多かった。それが最近では、やはり読者に喜ばれるのは、巻き込まれ型と申しまして、
一般
の人があるちょっとしたことから犯人に間違えられる、あるいはその家族、自分の肉親が犯人とされ、それの
無罪
を明らかにするために動くというような形のものが読者には喜ばれる、そういう傾向がございます。 これはどういうことかと申しますと、
一般
の
国民
の中に、いつ自分が
刑事
事件に巻き込まれるかもしれない、あるいは自分の親類の者がそういう事件に何もないのに罪になるのじゃないか、そういうおそれというものを現在の
社会
においてはみんなが
かなり
持っているのじゃないか。そういう
立場
から
考え
ますと、この
刑事補償
の問題も、
法律
論以前に、
一般
の感情からも
考え
てみたいと思うのです。 そうした場合、ただいまの
刑事補償
の
規定
と申しますのは、理論的には非常に合理的だともいえます。理論的にという
意味
は、つまり開かれた
社会
においてはこれでいい。私の言う開かれた
社会
というのは、先ほど両
参考人
の先生がおっしゃったように、
刑事訴追
を受けた者が
原則
として
無罪
の
推定
を受ける、そういうことを全
国民
あるいは
社会
が完全に受け入れている
社会
においては、それだけ、つまり
抑留
された、自由を
拘束
された
期間
というものに対する
補償
だけで十分成り立つと思います。ところが、現代の
社会
においては、遺憾ながらそこまではいっていません。つまり、
抑留
、
抑留
されないにかかわらず、両方とも
刑事訴追
を受けたということだけで、非常に
社会
から差別を受ける、具体的な
被害
も受けるという状態であるということは、一応言えると思います。そういう
社会
においては、
抑留
だけの
期間
補償
するということがはたして妥当であるかどうか。そういう
意味
から申しますと、私は、
起訴
以後
抑留
期間
以外についての
補償とい
うことも、やはり
考え
ていただきたいと思います。 そしてまた、
抑留
期間
だけの
補償とい
うようなこと、あるいは
刑事補償
の額が少ないような場合にはこれがかえって真実発見の障害になるということもあり得るのじゃないか。これは推理作家としての
考え
なんですけれ
ども
、たとえば十日間
抑留
されて
裁判
になりました。そうしまして、途中でほかの犯人が見つかりまして、
検察官
が
公訴
を取り下げた。その場合、十日間の分について
補償
がされます。この場合には、犯人が発見されたということで新聞な
ども
大きく書いてくれるでしょう。この場合は十日分の
補償
がされる。ところが逆に、今度は同じ十日間
抑留
されまして、そしてその人が一審で
有罪
の
判決
を受け、二審でも
有罪
というような形になって、最後になって
無罪
が確定した場合、この場合もやはり同じ額だ。これはぼくなりに
考え
まして非常に不公平な感じがいたします。 それから、こういうこともあるのじゃないか。一審で、
有罪
でありますが
執行
猶予の
判決
を受けました。これで二審を争って
無罪
にして、はたしてどれだけの得になるかというふうに
考え
た場合に、何年かかって
刑事補償
を受けますその額と、いまここで、
有罪
ではあるけれ
ども
、
執行
猶予をもらったから、ここのところでそれを承認してしまえというような、損得を
考え
た場合に、また自分の家族の生活を
考え
た場合に、あくまでがんばるよりも、ここで一応
執行
猶予でおとなしく引っ込んで、ほかの仕事でもさがしたほうが家族や子供のためにはいいのじゃないかというふうにしてあきらめる人もいるのじゃないか。こういうふうに
考え
ますと、
抑留
期間
だけで、あるいは
刑事補償
というものを純理論的だけでやっていって、はたしていいのか。むしろ、いつ自分たちが
被疑者
になるかもしれないという
考え
を持っている
立場
から
考え
ますと、そういう分についても十分に
補償
されるのがほんとうではないか、そういうふうな気がいたします。 それから、これははっきり私は研究してないし、また聞いてもいないのですけれ
ども
、何でも未決の
抑留
期間
というのを
刑事補償法
でいわれているのは、逮捕され、
被疑者
としていわゆる判事勾留されたり何かしている部分について含まれないという話をちょっと聞いたのですが、もしそうだとすれば、これは少し不合理で、これもやっぱり含むべきじゃないかというふうに
考え
ております。 まとまりございませんでしたが、あとで御
質問
のときにでもまた私の
考え
を述べたいと思います。
中垣國男
7
○
中垣委員長
これにて
参考人
の
意見
の開陳は終わりました。 —————————————
中垣國男
8
○
中垣委員長
引き続き質疑に入ります。 申し出がありますので、順次これを許します。大竹
太郎
君。
大竹太郎
9
○大竹
委員
まず
田上参考人
にお伺いをいたしたいと思います。 この問題になっております
刑事補償法
は、
憲法
四十条の
規定
に基づくことは申し上げるまでもございませんが、一方、日本の
憲法
は十七条という
規定
を持っていることもまた御
承知
のとおりでございます。そういうようなところから
考え
てみまして、これは私不勉強で申しわけないのでありますが、外国のいわゆる先進国といわれておる国の
憲法
でも、
国家賠償法
と
刑事補償法
の二つを
憲法
の中で分けて
規定
している
憲法
というものはごくまれだというふうに聞いておるわけでありますが、その点についての御見解をまずお聞きをいたしたい。 いま
一つ
、時間がございませんから、
質問
を全部一諸にさせていただきたいと思いますが、さっきちょっとお触れになりました
被疑者
補償
規程の問題でありますが、
憲法
四十条というもののたてまえからいたしまして、
被疑者
補償
規程というものは
法律
的な効果はないわけでありますので、これも利事
補償
法の中に取り入れて、
憲法
のたてまえからしてよろしいかどうか、この二つの点をお聞きいたしたいと思います。
田上穰治
10
○
田上参考人
御指摘のように、第一点の外国の
憲法
は私も正確に調べてまいったわけではございませんが、非常に少ないというふうに聞いております。ただ先ほど申し上げましたことに関連いたしますが、四十条の
刑事補償
並びに十七条の
国家賠償
の根拠
規定
になるものはいずれも基本的
人権
の保障とは
関係
がないというのが
憲法学
のほうの通説でございまして、これは
人類普遍
の
原理
であり、いかなる時代、いかなる国家においても本来認めらるべきものというのが
人権
の
考え方
でございますが、過去においては、どうもそれは空想に近いかと思いますけれ
ども
、少なくとも将来においてはこれを人類から奪うことのできない
権利
であるというふうに普通
人権
を解釈しているのでございますが、そうではなくて、
刑事補償
の
請求
は
国家賠償
の
請求
と同じように
かなり
立法権
によって左右される性質のものである。でありますから、かりに
憲法
を
改正
して、この
規定
を削除してしまうと、これらの
権利
は消滅する。
人権
の保障の
規定
でありますとこれはいわば宣言的な
規定
でございますから、
憲法
改正
によって
規定
を削除してもなお実体は残る、その
意味
で
改正
ができないというのが普通の
一般
の学者の
考え
ておるところでございます。 そういう
意味
におきまして、一々名前は申しませんけれ
ども
、ほとんど大多数の学者がそのように認めているのでございまして、その
意味
で
刑事補償
と
国家賠償
の
規定
はその点で関連しておりますが、これは普通の
法律
をもってもその本質を変えることのできないような厳格な
国民
の
憲法
上の
権利
とは
考え
られないということを申したいのでございます。お答えになるかどうかわかりませんが。 それからもう一点の
被疑者
補償
の規程でございますが、これは確かに法務大臣の訓令でございますから、訓令は法的な、法規としての
拘束
力はない。でありますから、実際にはやや恩恵的な
補償とい
うことになると思うのでございまして、私もよく聞いておりませんけれ
ども
、不
起訴処分
になった者が
補償
を求める場合には、一応
法務省
に伺いを立てるというと変でございますが、
法務省
に申し出て、そして
法務省
のほうから、あなたは不
起訴処分
になったけれ
ども
、これはいわば証拠不十分であって、ほんとうは
無罪
ということでは必ずしもないけれ
ども
、一応
起訴
するに当たらないというふうな
意味
で処理したのだということになると
補償
が認められない。けれ
ども
そうでなくて、本来この
犯罪
は成立しないのだという
意味
の
法務省
の回答がありますと
補償
されるというようなことの
扱い
のように聞いておりますが、実例は非常に少ないそうでありますけれ
ども
。そういうことであれば私は、
法律
にするかしないかはもちろん
国会
のお
考え
できまることで、私がしてはならないというふうなことを申し上げるわけでございませんが、しかしもっと周知させる必要があるのではないか。そういの
請求
の件数が少ないといたしますと、近ごろは行政事件
訴訟法
でも教示の制度が入りましたように、不
起訴処分
になったときには
検察当局
のほうからそういう
補償
を申し出ることが可能であるという手続について教えてやるというくらいのことはしないと徹底しない、せっかくの親切というか、そういう制度が活用されないうらみがございますので、そういう点では
当局
のほうにひとつ将来はそういう
意味
において告知というか、あるいは教示のようなことを
考え
ていただいたらどうか、かように
考え
ております。 以上でございます。
大竹太郎
11
○大竹
委員
次に
田邨参考人
にお聞きいたしたいのでありますが、先ほど、不
拘束
の場合にも
損害
があるし、それをある
程度
賠償
すべきであるという御
意見
ごもっともだと拝聴いたしたわけでございますが、
弁護士
さんの
立場
として、そのほかにもいわゆる国家の
行為
によって相当の
損害
を受ける場合があるわけでありますが、そういう面について
弁護士
会として御討論、御研究になったことがありますか。ありましたらひとつお聞かせいただきたいと思います。
田邨正義
12
○
田邨参考人
刑事補償
以外の、おそらく収用その他を除きました
補償
の問題という御趣旨だと思いますが、私の記憶では、
日本弁護士連合会
におきまして、その他の分野について、特に国側の
過失
なしに
補償
を認めるべきであるということで
改正案
等につきまして
検討
を加えました具体的な事例についてはいま直ちには思い浮かばないわけでございます。ただ
刑事補償
と若干関連いたしますが、これは
有罪
無罪
とは別に、たとえば違法な押収、差し押え、捜索、このような手続がとられた場合に、これに対する
補償
はやはり当然
考え
るべきではないかということが、この
刑事補償法
の
改正案
につきまして
検討
した機会に
意見
が出ております。さらに
国家賠償法
そのものにつきまして無
過失
責任
にすべきだという
意見
は、
日本弁護士連合会
の内部でも決してないわけではございません。ただ、現在のところは公の営造物等の瑕疵に基づく
損害
につきまして無
過失
責任
が
規定
されておりますので、さらにそれを越えてということになりますと具体的な
結論
等は出ておりません。
大竹太郎
13
○大竹
委員
次に、
佐野
参考人
にお聞きしたいのでありますが、推理小説の作家としての
刑事
事件に関してだけの御
意見
をお伺いしたいのでありますが、いま
田邨参考人
にお聞きいたしましたと同様、国家の
行為
によりまして、
国民
としてほかにも
被害
を受ける場合も相当あると私は思うのでありますが、そういう場合もやはり国家としては
賠償
すべきである、もちろん
故意
、
過失
がない場合においてもやる
責任
がある、やったほうがいいというふうにお
考え
になりますか。
佐野洋
14
○
佐野
参考人
私先ほ
ども
申しましたように、
被害者
の
立場
から申し上げますと、たとえば私がある週刊誌に連載をいたしております、そのときに
警察
側につかまりあるいは
刑事訴追
を受けるようなことになります、そうしますと当然編集部のほうでは、
抑留
中はもちろん書けませんし、それが終わって保釈になりましても、とにかくそれじゃこの
刑事
事件がはっきりするまではということで、連載はおそらく打ち切りになると思いますし、私のほうでも辞退するというふうな形になるのじゃないかと思います。それでその刑が
無罪
になりました、この場合に、あとずっとはたして書けるかどうかわかりませんし、こういった場合に受けた
損害
というものは非常にたいへんなものだと思うのですけれ
ども
、そういう
意味
におきまして私
横山
先生ほかの御
提出
になった、内閣案に比べてやはり高い
補償
をうたっていらっしゃいますけれ
ども
、
上限
はあるいはここに制限しなくてもいいのじゃないか。それは
裁判
長の
判断
にまかすこともできるのじゃないかというふうに
考え
ております。 それから、その場合国家の
過失
あるいは国家の重大なる
過失
あるいは
故意
がなかった場合、これについてもそれではどこがあれするのか。それは当然出版社との民事の問題になるかもしれませんけれ
ども
、そういうふうなことを
考え
ました場合に、国のほうでも
過失
がないからといって黙っているというのは感情としてやはりおかしいのではないかという、非常に感情論で申しわけございませんけれ
ども
、やはりこれは公害が無
過失
でも
補償
しなければならないと同じように、無
過失
でも
補償
していただきたいというふうに
考え
ております。
大竹太郎
15
○大竹
委員
そうするとこの
憲法
十七条の
国家賠償
の
規定
、いわゆる十七条は
故意
または
過失
による
損害
について
賠償
するということになっておりますが、これを
故意
、
過失
を取ってしまって無
過失
にするべきだという御
意見
とお伺いしてよろしゅうございますか。
佐野洋
16
○
佐野
参考人
無
過失
という場合の
過失
の
考え方
にもよるのですけれ
ども
、重大なる
過失
でなく何らかの形の
意味
の
過失
があった。あるからこそそういうことになったんじゃないかというふうに見た場合にはやはり
過失
があったとも解釈できるのではないか。完全なる無
過失
、その辺が私
法律
的に、無
過失
という場合と重大なる
過失
がないという場合の区別がちょっとつきかねるのですけれ
ども
。そのくらいの含みにおいて無
過失
でもというお答えでございます。
大竹太郎
17
○大竹
委員
終わります。
田邨正義
18
○
田邨参考人
ちょっと大竹
委員
の御
質問
に答え足りなかった点があるので……。 日弁連で無
過失
賠償
責任
との
関係
につきましても若干
議論
をいたしましたので、それを若干答えにつけ加えさせていただきたいと思いますが、そもそも
刑事補償法
そのものが一種の無過矢
賠償
といいますか、あるいは
補償とい
うのが正しいかは別といたしまして、国家機関の側に
過失
がなくても
補償
をするというたてまえをとっているわけでございます。したがいまして、
日本弁護士連合会
の
考え方
としましても、問題はすでに
憲法
なりあるいは
現行法
によりまして無
過失
にもかかわらず、
補償
するという
考え方
は樹立されておる。問題はその
補償
の
範囲
をどこまで広げるべきかという観点から問題を
検討
すべきだと
考え
たわけでございます。それが
一つ
でございます。 それから、世界各国の
憲法
を見ましても、これは全部調べたわけではございませんが、わが国の
憲法
四十条のような
規定
を持っているところはまずないか、あったとしてもきわめて少ないと存じます。しかしながら、
憲法
には
規定
がなくても、わが国の
刑事補償法
と同様の
法律
を持っている国は先進諸国の中できわめて多いわけでございます。その
意味
でやはり国家権力の行使の最も極限にあるものとしての司法権の行使が誤った場合については
過失
の有無を問わず一定の
補償
は
考え
るのが当然であるというような
考え方
が世界的なレベルにおいても確立をされているというふうに
考え
てよろしかろうというのが私
ども
の
結論
であったわけでございます。
大竹太郎
19
○大竹
委員
いまのお答えについて簡単に再
質問
させていただきます。 いま外国でも
憲法
にはなくともいわゆる
国家賠償
の
規定
を持っている先進国が多いというお話でありますが、その中で不
拘束
でもいわゆる
賠償
をしている法制を持っている国がございましたらひとつ教えていただきたいと思います。
田邨正義
20
○
田邨参考人
これは七、八年前に調べましたことでございますので、今日の時点において正確であるかどうかは留保いたしますが、私の記憶いたしますところでは、フランスにおきましては再審で
無罪
になった
ケース
につきましては、不
拘禁
の場合でも
補償
がなし得るように読めます
規定
が少なくとも存在はいたしております。その他の地域につきましては不
拘束
の場合について
補償
する明示の
規定
を設けているところは私
ども
の調査では見当たらなかったと思います。
中垣國男
21
○
中垣委員長
次に
横山利秋
君。
横山利秋
22
○
横山
委員
三人の
参考人
の皆さんには御苦労さまです。私が
横山
でございまして、
法案
提起者でございます。よろしくお願いしたいと思います。 私は実は
弁護士
でもございませんし、専門家でもございませんので、たいへんしろうとじみた
考え
でありますが、
佐野
さんの御提起なさいました
一つ
の例、たとえば、
拘束
はA、Bとも十日であった。しかしAさんは一審ですぐ
無罪
になった。Bさんは一審、二審で
有罪
で最高裁で、
無罪
になった、こういう提起をなさいました。それで
補償
が一緒ではどうしても割り切れないではないかという問題提起につきまして、
田上
先生はどうお
考え
でございましょうか。
田上穰治
23
○
田上参考人
私は、いまの具体的な御
質問
に対しましては、確かにBさんといいますか、最高
裁判
所で
無罪
になったその
被告人
につきまして、
補償
がAと同じであるということは、少しバランスがとれないような感じもするのでございますが、しかし
結論
は、非常にむずかしくなりますけれ
ども
、初めに具体的には、だから
金額
どうこうということもございますが、私の
補償
についての見方を若干先ほど申し上げたわけでございまして、
一つ
は、
精神
的な
損害
という、
苦痛
ということが、——だけではございませんでしょうが、非常に
裁判官
の裁量によって
補償額
をきめるということになると、非常に主観が入ってきめにくいのではないかという点が
一つ
ございます。しかし、そのことよりもむしろ
刑事補償
というものが、たとえば公害なんかについて言われますように、
被害者
の生活を保障するというふうなそういう
意味
の
社会
国家的な
原理
、これは現在の
憲法
の重要なものとされておりますが、そのことと結びつくのではないというふうに
考え
ているのでございます。つまり
憲法
二十五条の生存権であるとか、あるいは労働者の
基本権
、二十八条とか二十七条のようなものでありますと、おわかりのように資本主義経済を修正するという
意味
におきまして、特に使用者ではなく、労働者のほう、いわゆる経済的に弱いほうの
国民
を特に
憲法
は保護していくという
原理
を新しく打ち出しているのでございます。これは
社会
権の
規定
という、あるいは生存権的
基本権
というふうに申しますが、ただこの
刑事
補償請求権
、
憲法
四十条はそれとは種類が違いまして、普通の
意味
の従来から認められている。つまり
国民
の経済的な格差を計算に入れないで、富める者も、貧しい者もひとしく適用される条文、
権利
というふうに種類分けをしているのでございます。ほかにはいまの
国家賠償
請求権
もありましょうし、あるいは種類が違いますが、請願権とか
裁判
を受ける
権利
のようなものも、みな積極的に国家の作為あるいは給付を
請求
する
権利
ということでありまして、しかもそれは特に弱者の階級、比較的経済的に恵まれない者のための、保護するという
社会
国家の
原理
とは一応切り離しているのでございます。そういう
意味
で公害の
訴訟
なんかでは、将来の生活を保障せよというふうな、そういう生活保障という
考え方
が次第に出てきておりますが、それはやや
刑事補償
の場合とは違うのではないかということを、先ほど不完全でございますが申し上げました。そういうことでありますから、多々ますます弁ずというか、
補償
は手厚いほどよろしいという
考え方
が一方でございますし、むろん、これは先ほどの
立法政策
でございますから、
国会
が
法律
でおきめになれば私は決して反対ではございませんけれ
ども
、しかしその立法がさて
憲法
上妥当であるかどうか——違憲ということはちょっと
考え
られませんが、適当か不適当かという問題になりますと、
憲法
の保障した
権利
の種類によりまして相当な違いが出てくるのではないか。いまの生活の保障というふうな
考え方
は、むろんこれも一家の働き手である人が長く
拘束
されまして、あるいは
拘束
されないでも
起訴
によって非常な不利益を受け、あるいは先ほ
ども
佐野
参考人
がおっしゃったように職業を放棄しなければならないようなことも
考え
られます。あるいはつとめのある者は
休職
になると
収入
が減ってしまう。そういうことにおいて生活を保障せよというような
考え方
もあると思いますが、
刑事補償
の場合にはそこまでは
考え
ていないのでございます。しかし、これもそのことから直ちにそこまで
補償
することが
憲法違反
という
意味
ではございません。 なお、もう一言申させていただきますと、これは先ほどお話の途中にあったようでございますが、
横山
議員の御
提出
になりました
法案
でありますと、民事
訴訟
の場合の原告が敗訴に終わった、つまり
被告人
が
無罪
になるということは
被告
が勝ったのと同じだというふうに見ますと、その敗訴になった原告のほうが
訴訟費用
を負担するという
考え方
も確かにあると思うのでございますが、これなんかも、
刑事訴訟
というものと民事
訴訟
との
性格
が幾ぶん違っている。
刑事訴訟
の場合には、ほんとうに実質的な
訴訟
というか、
権利
義務の争いではなくて、形式的に、手続上
裁判官
の
判断
を正確にするために検事と
裁判官
とを区別して対立させているというふうに
考え
ますと、実質的な
訴訟
ではなく形式的な
訴訟
という
意味
において、つまり普通の
意味
の当事者としての民事
訴訟
の場合と、
刑事訴訟
の場合の国家とかあるいは
検察官
によって代表される国家というものの地位は
かなり
違っているのではないか。公益と私益という区別をしてもよろしいと思いますが、民事の当事者の場合と若干違うということもございます。 あとは、ちょっと御
質問
の
範囲
外になりましたのでこの
程度
にして、また御
意見
を伺いましてお答えしたいと思います。
横山利秋
24
○
横山
委員
お断わりいたしましたように、私はほんとうに
法律
の専門家でもございませんので、庶民にわかりやすく簡単にお答えを願いたいのであります。 要するに、A、Bさんとも十日の勾留を受けた、Aさんが一審で
無罪
、Bさんが一審、二審で
有罪
、最高裁で
無罪
になった、それにもかかわらず
補償
は両方とも十日分というのはおかしいじゃないかという私の
質問
なんでありますが、先生のお話を速記録で十分に読ませていただきますけれ
ども
、いまうかがい知るところでは庶民的にはなかなか納得できない、すなおに頭に入っていかない論理ではなかろうか、そう思います。 もう
一つ
お尋ねしますが、おまえはどろぼうだ、おまえは人殺しだと新聞やテレビで騒がれて、そして
裁判
で
無罪
になった。その
被告人
に
裁判
の費用を払えと国がいうのは私はどうにも納得できないのでございますが、この点は庶民的にどういうふうに説明したらよろしゅうございましょうか。
田上穰治
25
○
田上参考人
私がそれをうっかり申してしまいましたのでたいへん失礼になったと思いますが、私が先ほど申し上げましたように、民事
訴訟
の場合でありますと、原告が勝てば
被告
が
訴訟費用
を負担する、
被告
が勝つといいますか、原告が敗訴になれば今度は原告のほうで
訴訟費用
を負担するという形のものがございます。 これを
刑事訴訟
のほうに当てはめてみますと、確かに
無罪
になったということは国、
検察官
側が負けたということでありまして、そういう
意味
では、
検察官
が、
起訴
したほうが原告だといたしますと、原告が負けたのだから原告が
訴訟費用
を持つべきであるということになりまして、それがただいまの御
質問
のお気持ちというか
理由
だろうと思うのでございます。しかし、先ほど申し上げたように、私は明快にそれが正しいとか正しくないとかという答えはちょっと申し上げられないのでございますが、一応
刑事訴訟
と民事
訴訟
との比較をいたしますと、
刑事訴訟
の場合の当事者である
検察官
というのは国を代表する者であって、公益を代表する者である。そうなりますと、負けるとかあるいは
有罪
でなかったということの
意味
が、普通の
訴訟
で負けたのとはやや違うのではないか。と申しますのは、結局令状の問題でも、
被疑者
の
犯罪
の嫌疑がかりに五〇%である、しかしまた犯人でないと思われるような節も五〇%ある、こういう場合に
起訴
すべきかどうか、あるいは四分六分の場合にどうかというふうに
考え
てまいりますと、実務は私もよく存じませんが、九〇%黒であるというところまでくれば常識的に見て
起訴
は当然だというふうな感じもするのでございます。しかしこの
判断
が非常にむずかしいので、
検察官
のほうで
有罪
であると、八〇%あるいはそれ以上の証拠が十分だと
考え
ましても、しかし
裁判
で
無罪
になるかもしれない。こういう心配を
考え
ますと
起訴
に踏み切れない。 ところが
一般
の
国民
の
立場
から見ますと、御
質問
もございましたが微妙でございまして、おそるべき
犯罪
のようなものが発生いたしますと、すみやかに犯人を検挙し処罰してもらいたいという気持ちも一方でございます。むろんそれが犯人でない者をつかまえて罰したらたいへんなことでございますが、しかし犯人がいつまでも出ないということは非常に不安であり、
犯罪
の性質にもよりますが、いわゆるまくらを高くして
一般
庶民は夜休むことができないという場合もあり得ると思うのでございます。 そういう場合に、どの
程度
まで黒であるということになったら
起訴
できるか非常にむずかしいわけでございまして、逮捕のような場合でありますと普通ならば
裁判官
の令状によってきめる、
起訴
は
裁判官
にそこまで確かめないで踏み切るのでございますが、そういう
意味
で
裁判官
が令状を出せば当然逮捕できるし、そしていかに
警察
なり
検察当局
が黒であると
考え
ても、令状を出さなければ逮捕できない。大体
憲法
の
一つ
の答えは
裁判官
によってきめてもらうということ、つまり逮捕される者の不利益を
考え
てできるだけ逮捕すべきでない、身柄を
拘束
すべきでないという
原理
が一方であり、他方では、しかしほんとうに罰すべき者はすみやかに罰しなければならないという逆の
原理
もございます。これは
被害者
の個人的な感情ではなくて、
一般
の
社会
の秩序を維持するという上から申しまして、すみやかにほんとうの犯人を見つけ出して逮捕し罰すべきである。この両方の矛盾した
原理
を調整し具体的にきめるのは、結局
裁判官
の良識、
判断
を
憲法
は持ち出しまして、それによって解決をする。 ところが、逮捕あるいは家宅捜索などの場合については令状ということになりますが、
起訴
の場合には、それは
裁判官
の
判断
ではなくてもっぱら
検察当局
の
判断
によって
起訴
、不
起訴
が
決定
される。こうなりますと、もちろん常識的に
検察官
はできるだけ慎重な態度をとるべきであり、いまの五分五分というような場合にはもちろん
起訴
すべきでないと私は
考え
るのでございますが、いかしそういう
意味
において
検察官
が
有罪
だと信じて
起訴
いたしましても結果が
無罪
になることもある。その
無罪
もまた、第一審の
裁判官
は
有罪
であると良心的に
考え
て
判決
をしたと思いますが、それが実は上級審においてくつがえされるということもあり得るわけでございます。それによって御指摘のように
被告人
の非常な
損失
というか
苦痛
の
程度
も違ってくる。そういうことで私は一方ではむろんそれを
補償
すべきだという御
意見
もごもっともだと思うのでございますが、しかしまた、反対に
補償
しなければならないということにも受け取れないのでございまして、そういう
意味
でまあ不幸なことでありますが、われわれはそういう公の権力からこうむる危険をある
程度
は忍ばなければならないという気がするのでございます。権力には、常にそういう権力の行使に伴って人民の側には何らかの
権利
侵害、
損失
が伴うのであって、たとえば
検察官
の
刑事訴追
のみならず
一般
の
警察
権あるいは課税権のようなものを
考え
ますと、必ずそこに
警察
権ならば人身の自由の
拘束
あるいは課税権ならば
財産
権の侵害ということが出てくるわけでございます。ですからよほど慎重にいたしませんともろ刃の剣であって、そういう
意味
で人民のほうでは
損害
をこうむることをある
程度
覚悟しなければならぬ。しかし問題は、どこまでが忍ぶべきであるか、受忍の
限度
というところが問題でございまして、受忍の
限度
を越えれば、抽象的に申しまして
補償
しなければならないという
結論
になるのでございますが、その受忍の
限度
を判定する場合に、いま御指摘の場合は生活とかということではなくて、
期間
が長い、
拘束
されている
期間
は同じであっても非
拘束
の
期間
が長いという御趣旨であろうと思います、そういうことが受忍の
限度
を越えて
補償
すべきかどうかということは、結局
一つ
は
裁判官
の裁量というか、
法案
でありますと結局は
法律
をつくる
国会
の立法上の裁量という問題になると思いますが、私はそういう
意味
において、繰り返し申しますが、明快な答え、違憲とか合憲という答えは出せませんけれ
ども
、しかしどちらが
法律
として、
立法政策
として適当であるかという
意味
において申しますと、
憲法
は生活の保障までは
刑事補償
については
考え
ていない、こう思うのでございます。 それからまた
刑事
の場合には民事
訴訟
とやや違って、国という
検察官
によって代表される当事者が負けたとしましても、民事の原告なり
被告
が負けて
訴訟費用
を当然に負担するという
議論
とはやや違ったものがあるんではないか。これも
程度
問題でございますが……。そしてまたいまの
裁判官
の
判断
は、そういうあいまいな問題については、
憲法
はきめ手になる令状の
規定
で認めておるんですが、
起訴
、不
起訴
の場合についてはその令状主義をむろん使えないわけでございますから、そうなると勢い
検察官
のほうでそこまで
責任
をとることができないと、当然理論的に国が
補償
すべきであるという
結論
にはならない。しかしそういう
結論
にならなくても
法律
でおきめになることに対しては私は
異論
を唱えておるわけではございません。
法案
が二つ出てどちらが適当かという話になると、そこまで
補償
しなくても当面はよろしいんではないかという
意見
でございます。
横山利秋
26
○
横山
委員
ありがとうございました。 先生とはだいぶ私
意見
が違うのでございますけれ
ども
、時間がございませんので次の
質問
に移りたいと思います。
田邨
さんにお伺いをいたします。先ほど
被疑者
補償
規程の問題でちょっと質疑が行なわれました。この
委員会
に出ておりますのは
刑事訴訟法
、
刑事補償法
なんでありますが、先ほど
田上
さんから御
意見
がございましたように、
被疑者
補償
規程というのは恩恵的なものである。しかも
警察
官が
被疑者
に対してそれを告知しておるかどうかもはっきりしない。そして実績もきわめて少ない。ほんとうに少ないのです。これは告知をする義務、つまり
法律
に基づいて行なうべきである。
国民
の
税金
が、おまわりさんが適当に、おまえは人殺しだ、おまえは火つけだというて引っぱっておいて、ああ白だった、さようなら、おまえにちょっと銭やるというようなかってな自由裁量は許されない、こう私は思うのでありますが、もし
田邨
さんがこの種の問題について御体験がありましたならばその御体験を含めて
被疑者
補償
規程の本来あるべき姿について御
意見
を伺いたいと思います。
田邨正義
27
○
田邨参考人
私が具体的に体験しておりますのは、
被疑者
が不
起訴
ということで
公訴提起
なり略式
起訴
なりを受けないで終わる
ケース
というのは幾つも経験をしたわけでございます。その場合に、不
起訴
になったということはおおむねわかるわけでございますが、さらにその不
起訴
の
理由
が単なる
起訴
猶予であるのか嫌疑不十分であるのかということになりますと、
検察官
のほうから進んで
被疑者
なり弁護人に告知をしてくださることは私の経験ではまずございません。こちらから問い合わせた場合には
起訴
猶予であるというようなお答えをいただくことはございますけれ
ども
、積極的にその
内容
区分を
検察官
からおっしゃっていただいたことはないわけでございます。で、
被疑者
補償
規程の場合でございますと、嫌疑不十分、まあ
裁判
でいえば証拠不十分という場合でないと適用がないということになりますが、これがはたして、特に弁護人などが
捜査
段階
でついてない
被疑者
に対して、あなたは嫌疑不十分で不
起訴
になったのだということを
検察官
のほうから積極的におっしゃっていただいているかどうかということになりますとたいへん疑問を持っているわけでございます。その点、
法律
上の義務づけその他の処置によりまして必ずその
結論
の
内容
の告知を義務づけて、さらに
補償
の手続について教示するような明確な義務づけ
規定
を置かれることが望ましいというふうには
考え
ている次第でございます。
横山利秋
28
○
横山
委員
佐野
さんに伺います。 私、たまたまこの「オール読物」を汽車の中で買いまして、
佐野
さんの「
有罪
と
無罪
の間」という「読ませる話」をずっと熟読いたしまして、まことに本
委員会
の審議についてタイムリーなものだと、私みんな万年筆で
佐野
さんがお書きになったところをチェックをしたわけでありますが、この中で同僚諸君にもひとつあなたのお
考え
を聞いてもらいたいと思いますのは、こういうことが書いてあります。「そのときに、日本の
刑事訴訟法
というのは非常に立派なものだと思いましたね。少なくとも、条文自体は、
被疑者
なり、
被告
の
人権
を守ることに関して、非常に行き届いているんですね、
裁判
の手続きでも物的証拠がない限り、
有罪
にできないようになっているわけだし、逮捕などいわゆる強制
捜査
も、令状がなければできないとか、非常に制限が加えられ、
人権
が守られるようになっている。それは事実なのです。しかし、条文は、そんなに立派でも、実際にはそれがその通り行なわれていないということも、そのころ知ったのでした。」という
ことば
がございます。以下その例示が出ておるのでありますけれ
ども
、もう少し簡潔に、恐縮でございますが、なぜそういうことをお
考え
になったのか、御体験になったのか。新聞記者時代の御体験のようでありますけれ
ども
、御体験をひとつなまでお伺いをいたしたい。
佐野洋
29
○
佐野
参考人
ただいまおほめをいただきまして恐縮でございます。ただ、私きょうここに参りますのに
刑事補償
の問題だと申しますので、当時のメモなど持ってきておりませんので、具体的なあれがどの
程度
申し上げられるかちょっと疑問なんでございますが、たとえばいま
刑事訴訟法
というものの運用において、非常に
人権
無視、あるいはこれでほんとうに
刑事訴訟法
の
精神
が生かされているのかと思うような
一つ
の例として思い浮かべたのがございます。それは、当時私北海道の記者をやっておりましたけれ
ども
、ある事件で
被疑者
が逮捕されまして、二十日間のいわゆる判事勾留というのも終わりましてどうなるかと思いましたら、きょう釈放されるというので、釈放されるところをぼくらは待っていたわけです。そのお父さんが長野県にいて、長野県から釈放されるというので、お父さんが着物などを持って拘置所の門のところで待っていました。そうしたら、やがて
被疑者
が釈放されまして、その門を出たのです。そうしたら、お父さんから荷物をもらう直前になったら、別の容疑で逮捕された。いわゆる再逮捕というものがありました。こういうふうに、ある事件を調べるために別件で逮捕して、その別件逮捕のときに、別件についてはほとんど形式的に聞くだけで、ほかの事件についてどんどん
質問
していく。それで、二十日の勾留
期間
でも調べがつかない。しようがないから、
法律
上のあれによって釈放する。しかしもう
一つ
小さい別件をもってきて、また別件逮捕する、こういうことが実際に行なわれておりました。本来別件でそういう逮捕するぐらいのものがあるならば、その二十日間においてもそれをやればいいわけです。それもやらずに、ちゃんときめられた二十日間の期限を何回か延長していくという形が現実に行なわれていたわけでございまして、こういうのはやはり運用が
刑事訴訟法
の
精神
に合っていないのではないかというふうに思わざるを得なかった。あまり長くなるといけせまんので、一応この
程度
でよろしゅうございましょうか。
横山利秋
30
○
横山
委員
もう
一つ
佐野
さんにお伺いしますけれ
ども
、最後に取り上げていらっしゃる愛知県の風天会事件、私も愛知県でございますので、当時記憶になまなましいことでありますが、
警察
署で
警察
官が殺された。それで風天会の構成員たちが追及をされて、それが自白をした。そして
警察
は一応解決したというわけであったが、凶器を捨てたところに、しゅんせつ船やしゅんせつ機をもって
刑事
たちがどろやヘドロにまみれてたいへんな作業をして、テレビも——私もそのテレビを見たのですけれ
ども
、凶器が発見されなかった。そして一カ月以上たって
捜査
が打ち切りになってしまい、凶器がないままに
起訴
しようと思ったら、真犯人が、十七歳の少年が名乗り出たということにつきましては、愛知県の
警察
本部長も私のところへ参りまして、たいへん申しわけない、疑うに足る十分な
理由
があったんだ、けれ
ども
結局はシロはシロであってたいへん申しわけない、こういう釈明をしたのであります。しかしこの問題は、愛知県の
警察
本部としてはもう全くミスもミス、たいへんなマイナスでありました。
佐野
さんがこの風天会事件をお取り上げになりまして、いろいろと書いていらしゃいますけれ
ども
、風天会事件を
考え
てみて、
警察
が
故意
であったかということになりますと、私は必ずしもそうではないと思うのでありますけれ
ども
、要するに、
警察
官が
警察
署で殺された、
社会
からごうごうたる非難が出る、したがって
警察
としては全力をあげて自分の職にかけて、あるいはまたそのメンツにかられてあらゆる努力をする、それがそういう結果になったんだ。先ほど
田上
さんは
社会
的なそういう世論というものに対する
立場
ということも
考え
て、
国民
は受忍義務があるのだ。その受忍の限界を越えてはいけないけれ
ども
、ある
程度
受忍義務があるのだという説をなされたわけでありますけれ
ども
、この風天会事件を
考え
てみて、
佐野
さんはいわゆる受忍義務とかいうことについてどうお
考え
でございましょう。
佐野洋
31
○
佐野
参考人
私、先ほど受忍義務があるという
田上
先生のお説を聞きまして、初めてそういうものがあるのかというふうに感じたわけでございます。そうしますと、
考え
てみると確かにある
程度
の受忍義務というのはあるのかもしれない。少なくとも現実にはそういうものを感じながら生活していたらしいなということをちょっと感じたわけでございます。ただ、風天会の事件につきましては、
警察
の調べ方あるいはそういうものについて
警察
の調書のつくられる
段階
までも知りませんので、はたしてそちらに
過失
があったかどうかわかりませんですけれ
ども
、彼らが逃げたとかそういう面で疑うに足る十分な
理由
があったと言われてしまえばそれまでで、そのときにやはり彼らに受忍義務があったかどうかちょっと
判断
しかねるのであります。 ただ、要するに
犯罪
学のほうには
被害者
学というのがありまして、
被害者
になるにはやはり
被害者
になる要素があるというようなことがございます。そうしますと、今度は
被疑者
学みたいなものがありまして、
被疑者
になるにはやはり
被疑者
になるような者がいるんじゃないか。そういうふうになってきますと、たとえば私もあるとき
警察
にポン引きと間違えられたことがございまして、そういうふうにそういう面から
被疑者
的な
立場
からものを
考え
るほうなんでございますが、やはり受忍義務というふうに言われてしまうと割り切れないという感じでございます。
横山利秋
32
○
横山
委員
私も卒直に申しますと、
田上
先生がたいへん重要な問題提起をされた。いまおまえは人殺しだ、おまえはどろぼうだ、火つけだと言われて、それで長い間
裁判
をやってシロになった。おまえは国家権力が真犯人をつかまえるために、おまえにもそういうことを受忍する義務があったのだという説がもし出たとすると、これは私はたいへんなことではないかという感じがするのでありますけれ
ども
、それはそうといたしまして、もう
一つ
田上
さんと
田邨
さんにお伺いしたいのであります。 私は問題を三つに分けます。
一つ
は
裁判
で
無罪
になったもの、もう
一つ
は
被疑者
補償
規程の
発動
されるもの、もう
一つ
は
被疑者
ではないけれ
ども
、
警察
が間違ってちょっと来てくれというて任意同行という
立場
で
警察
へ連れていってそこでシロであったものあるいはまた、この間名古屋大学で学生がデモに間違われて、本人は連行というのでありますが、
警察
は任意同行というのでありますが、そういうもので愛知県は議会におきまして四十四万円の
補償
をいたしました。
無罪
になって
補償
されるもの、
被疑者
補償
規程によって
補償
されるもの、そして愛知県のように議会の議決をもって、
警察
もシロでありますといって四十四万円
補償
されるもの、三つのクラスがあるわけであります。
法律
は
裁判
で
無罪
になったものだけを
補償
します。
被疑者
補償
規程は
警察
が恩恵的にやります。そして一番最後の
警察
官が酔っぱらって人をひいたとかあるいは間違って任意同行をして信用を傷つけた、新聞にも載った、テレビにも出たというような問題を全体的に見直さなければならぬと私は思うのであります。私は、
警察
官が決して全体を律しているわけではなくて、
警察
官も場合によっては、中には悪質な
警察
官もないとはいいませんし、間違いもないとはいいません。そういう国家権力が末端において
発動
されるのが、実は
裁判
で
無罪
になる人よりも圧倒的に多いのであります。庶民の世界においては圧倒的に多いのであります。そういうものが、
裁判
で
無罪
になるこの本件の問題よりももっともっと庶民的であろうと思うのです。そういうことを私
ども
は実はなおざりにしてはならぬのだと思います。したがって、私の
意見
としては、本来ならば
被疑者
補償
規程は立法によって
国民
の
税金
できちんと
補償
すべきである、告知をすべきであると
考え
る。それから
被疑者
補償
規程の適用されない
警察
官の
一般
的な被疑
行為
だとか間違った
行為
につきましても何らかの形で
補償
さるべきである。その三つのクラスを相対的にとらえてやらなければいかぬのではないか、こう
考え
ますが、お二人の御
意見
をそれぞれ伺いたいと思います。
田上穰治
33
○
田上参考人
三つの場合分けておっしゃいましたが、まず
無罪
の場合、
裁判官
が
無罪
の
判決
をした場合でありますというと、これは、私は御
提出
になっております
法案
のように、非
拘束
の
期間
についての
補償
に反対ではございません。ただ問題は、そうなりますと、やはりちょっと、条件ということなんでございますが、たとえば
被告人
の側で不当に
訴訟
を遅延させたような場合はどうか。最近は必ずしもこれは
被告人
というわけではなくて、あるいは弁護人ということではなくて、
裁判
所のほうの不手ぎわということもございましょうが、
かなり
訴訟
の長引いておるものがございます。それが、もちろんその何割かということはわかりませんが、その中には、場合によりまして
裁判
所のほうの
責任
ではなくて、あるいは当事者の側の
理由
によってあるいは出廷しないとかいろんな場合もごごいましょうが、そういうことで
裁判
が非常におくれるような場合、そういう場合に、もし非
拘束
ということになるとそれだけ
補償額
がふえる。その
金額
はたいしたことはないと思いますけれ
ども
、公平の
原則
からいうと、若干疑問がある。そこで、もし非
拘束
一般
について
無罪
の
判決
の場合に
補償
せよということになりますと、そういう点を十分立法の上で考慮していただく必要があるのではないかということだけを申し上げておきます。 肝心なのは第二点、第三点の御
質問
だろうと思いますが、次に不
起訴処分
のような場合、
起訴
猶予の場合について
考え
ますと、私は
法律
に直していただくことはけっこうであり、決して反対ではございません。そのほうが、何というか、教示あるいは告知というふうなことを書くだけ、あるいは書かないで実際に行なうようにということよりははるかに徹底するからでございます。しかし、御
承知
のように、不
起訴処分
について、たとえば当然検察庁のほうから教えてやって、
補償
手続を
請求
をさせるということになりますと、そこに先ほど申し上げたように、常に
補償
の
請求
を認めるかどうか、これは
無罪
の
判決
とは違うわけでございまして、
裁判官
が
無罪
だという
判断
を下したわけではないのでございますから、
検察官
の
判断
がまた誤っているかもしれない。ですから、
検察官
のほうで慎重に
考え
て、たとえば証拠不十分の場合と、それから
犯罪
が成立しないという場合との区別を明確にするとかいうふうなことを、つまり現在もこれは訓令でやっておるはずでございますが、そういう一応審査を厳格にしなければならないと思うのでございます。実際は、これが
かなり
めんどうであるから
一つ
は法制化されてないようにも聞いておりますが、なおこの点は、
憲法
の
規定
からはややはずれるわけでございまして、
憲法
が直接適用がある場合とは違いますけれ
ども
、むろんこれも
法律
でおつくりになるならば私は
異論
がございません。 なお、第三点でちょっとお触れになりましたが、
警察
官が任意同行というふうなことで職権を乱用した場合はどうかということでございまして、私ははなはだ形式的なお答えになりますが、厳密な
意味
の、ほんとうの
意味
の任意同行ならば問題はないし、また
補償
の必要はないと思うのでありますが、どうも伺っておりますと、また世間の
実情
の中には、任意同行といいながら実際には強制的に引致するというふうな場合も
考え
られるのでございます。これは、そういう点で明確になればむろん職権乱用でございますから、先ほど私がちょっと不適当な
ことば
を申しましたが、しいて言えば受忍義務というものは認められない。受忍義務と申しましたのは、
適法
な職権の行使に対しては、
公務
の
執行
という場合にはわれわれはそれに抵抗はできない、従う義務がある、抵抗すれば
公務
執行
妨害罪に問われるという
意味
でございまして、普通の私人であれば、当然単純な暴行なりあるいは不法な監禁、逮捕ということで刑法の
犯罪
になる場合であっても、職権の行使ならば、それは
犯罪
とはならない。つまり刑法三十五条で
犯罪
にはならないという正当な業務ということでございますが、そういう
意味
で受忍義務ということを、あるいはちょっと不適当な響きを持つかと思いますが、申し上たのでございます。むろんそういうふうに職権乱用であれば、一方では当該
警察
官は本来刑罰を科せらるべきものであり、同時に、
損害賠償
の
請求
もできるわけでございまして、これは
刑事補償
というよりむしろまともな、先ほどの
憲法
十七条の
国家賠償法
のほうの事件になると思うのでございます。 なお、補足させていただきますと、先ほど私がいろいろ申し上げた中に、
故意
、
過失
というふうなことを私は
刑事補償
の要件とはしていないのでございまして、
過失
があればむろんこれは
損害賠償
のほうになると
考え
ております。その場合は、もちろん
補償
の
法律
できめられた
上限
、
下限
というふうな制限はないわけでございまして、実際の
損害
に応じて
賠償
の
請求
ができる、これはまあおわかりと思いますが、当然のことでございます。したがいまして、
故意
、
過失
を、特に私は
補償
においては
考え
てはいないということを申し上げたいのでございます。 受忍義務は、つまり
公務
としての実力の行使には相手方は抵抗できないという
意味
の受忍義務でございまして、いろいろございますが、火事のときに消防が破壊消防でわれわれの家をたたきこわしましても、それには抵抗できない、受忍しなければならないというような
意味
でございます。決して何でも公の権力に対しては
国民
は従えというふうな乱暴なことを申したわけでないのでございますが、
ことば
が足りませんでたいへん申しわけなかったと思います。 以上でございます。
田邨正義
34
○
田邨参考人
いま
横山
委員
があげられました三つの場合、共通して基本的にどう
考え
るかということが
一つ
あると思うのでございますが、つまり、
警察
権の行使にしろ、あるいは
検察官
の
公訴
権の行使にしろ、あるいは
裁判官
のなす司法権の行使にいたしましても、これは
社会
の秩序を維持していく上で必要な
行為
でございます。したがいまして、またしかも、そのにない手が人間である以上は、一〇〇%誤りなきを期すということもこれはできないわけでございます。そこで、やはり若干なりとも誤りのある事態が出てくることは許容せざるを得ないだろう、ただ、その場合、その誤りがあったことによる
損害
、
被害
というものを、それが
社会
に必要だからということで個人にしわ寄せしていいのか、それはやむを得ないのか、それともそれは個人にしわ寄せすべきではなくて、
国民
全体に必要な制度の運営でございますから、
国民
全体として負担すべきなのかという基本的な
考え方
があるだろうと思います。私は、今後の方向としては極力
国民
全体で、もう少し端的には
税金
ということになりますが、負担して、個人にしわ寄せするという方向は次第に取り除いていくべきではないかというふうに
考え
るわけでございます。ただ、そうしますと、個人の負担にしわ寄せしないということになりますと、一定の
補償
を与えるということになるわけでありますが、その場合に、
補償
の
金額
とそれから認定の機関をどうするかという問題があろうかと思います。 まず、
補償
の
金額
の点でございますが、これはいろいろ
考え方
があろうかと思いますが、やはり
公務員
のほうに違法
行為
があったという場合と、必ずしも違法
行為
であったというふうには証明できない場合と、同一でいいという
考え方
もあろうかと思いますし、やはり前者と後者で額は違ってもやむを得ないという
考え方
はあろうかと思います。 それから、認定の機関の問題でございますが、
刑事補償
で問題になっておりますような
裁判
で
無罪
が確定した場合ですと、これはすでに
裁判
によって
結論
が明白でございますから、あまり認定の問題は起こらないだろうと思います。それがもう一歩下がりまして、
検察官
の
捜査
権の
発動
の適否ということになりますと、どうも
検察官
御自身がそれを
判断
するというのは若干問題があろうか、そこではどういう機構にするかは別として、第三者機関の設置ということも
考え
なければならないのではないかというふうに
考え
ます。また、
警察
権の行使になりますと、一そうその問題は出てまいるわけであります。従来の
考え方
ですと、
警察
官のほうに
故意
、
過失
があったということを証明しないと
国家賠償
が得られない。これをもう
一つ
無
過失
責任
に近づけていくということになりますと、やはり具体的な
補償金額
の
決定
や、あるいは
補償
を与えるかどうかなどということについての具体的な認定機関を
裁判
所とは別に
考え
なければいけないかなという気もいたしているわけでございます。 具体的な成案はございませんが、基本的な
考え方
としてはそういうような問題点があろうかと思います。
横山利秋
35
○
横山
委員
時間がありませんので終わります。どうもありがとうございました。
中垣國男
36
○
中垣委員長
青柳盛雄君。
青柳盛雄
37
○青柳
委員
あと正森
委員
からも少し
質問
がありますので、私は簡単に……。
田上
先生にはたくさんお尋ねしたいのですけれ
ども
、御返事が非常に長いものですから、時間がそれで食われてしまいますから、最後にいたしまして、最初に
佐野
さんにお尋ねいたしたいのですが、昨年の十二月一日にいわゆる辰野事件というのが控訴審で
無罪
判決
が出ました。あなたは、辰野事件の
被告
から、この事件のことを調べてくれということで、いろいろ依頼を受けたというようないきさつもあって、現地などへもお越しになって、いろいろと調書もお調べになったというふうに聞いておりますが、この
判決
を受けたときの御感想を、読売新聞の十二月一日の夕刊に
佐野
洋記ということで、御自身でお書きになったように受け取れる文章が掲載されておりますが、それによりますと、あなたはこの
判決
を聞いたときに、「私は深い怒りを感ぜずにはいられない。たしかに、
被告
団は
無罪
になり、“勝った”ことになる。しかし、本当に“勝った”のだろうか。何もしていない人たちが、
無罪
になるのは当たり前であり、ただ二十年前の振り出しに戻ったというに過ぎないではないか。」
無罪
になってもこの人たちの失った二十年は絶対に帰ってこないのである。また、
被告
たちが
無罪
の
判決
を得るまでには、二十年の歳月、たいへんな苦労を重ねねばならなかった、その点がおそろしいと思うというふうに、これはちょっと抜き読みをしただけでございますけれ
ども
、あなたが深いいかりを感ぜられたというのはいろいろおありになると思いますけれ
ども
、これに関連して、
刑事補償
という制度に何か御疑問をお持ちになっていらっしゃるのじゃないかというふうに
考え
ますので、いろいろとお話を承りたいと思います。
佐野洋
38
○
佐野
参考人
ただいま青柳先生からお話のありました辰野事件でございますが、辰野事件
関係
で
被告
団全員が
刑事補償
を受けましたが、全員、最高額の千三百円でございますが、そのあれで受けた。合計が千七百四十七日で二百二十七万だったと聞いております。そうしますと、十三人
被告
団がおりまして、一人当たり二十万足らずなわけでございます。二十年間で二十万足らず、つまり一年間で一万足らずということになりまして、これはいまの
刑事補償
の
考え方
が
抑留
日数
だけのせいかもしれませんけれ
ども
、しかも
被告
団の方はあちらこちら活動なさったり、あるいはカンパを集めたりしても、なお
かなり
自分たちで働いた分が——結局働いたというのは生活を維持するためでなくて、
無罪
の
判決
を得るために、その
被告
も、
被告
の家族も働いたようなわけでございまして、そうしますと、わずか二十万だということがやはり納得がいかない。新聞には二十年前の振り出しに戻ったのではないかと書きましたけれ
ども
、借金が残ったとなると、振り出しに戻ったどころではなくて、もっとマイナスになってしまったわけでございます。こういう面から見まして、また、当時、その少し前にありましたメーデー事件の
被告
もやはり千三百円を受けておりますけれ
ども
、結局これは
規定
で、千三百円という
規定
があるから
裁判
所のほうでもこれしか出さないわけで、本来
裁判官
もこれでは非常に少ないということはお感じになっておるからこそ、わりに早い
期間
に千三百円がぽんぽんと出てしまったのではないかと思うのです。現実の現在の
法律
では、どうしてもこれっぽっちしか出ないというのが
実情
で、これはやはり
法律
的に不備といっては失礼ですけれ
ども
、もう少し
考え
る
余地
があるのじゃないかというふうに
考え
ております。
青柳盛雄
39
○青柳
委員
ありがとうございました。特に
佐野
さんはすぐれた推理作家として記録などをごらんになって、この辰野事件はフレームアップ、しかも幼稚な証拠や証言でフレームアップをやったから、結局はぼろが出て、二十年ぶりとはいいながら失敗したんだ、こういうフレームアップが権力によってつくられているというところにもまた憤りを感じていらっしゃるのではないかと私は推察をするわけなんですが、メーデー事件もその点ではあまり変わりはない、むしろ同質だと思うのですが、それが偶然昨年、一月の間に立て続けに控訴審で
無罪
になり、しかもいずれも
検察当局
は上告する
権利
を放棄した。当然のことだと思うのです。そして確定してこうなった。
一般
の無実の、冤罪事件というのもございますけれ
ども
、こういう思想的なものが入ってまいりますと、治安
当局
が、しまいは
無罪
になっても、とにかく当面弾圧をしてやろうというようなことで、それで一定の政治的効果は達成できるというようなことでやる場合が往々にしてあるのじゃないかと私も思うのです。松川事件では、
刑事補償
だけではとうてい満足ができないということで、また膨大な努力と費用とをかけまして
国家賠償法
で
裁判
をやって、勝訴をし、一億円ばかりの
賠償
を取ったわけでありますけれ
ども
、そういうような場合でも、当の
責任
者たちは行政的にも政治的にも、また財政的にも何らの制裁を受けない。そしてむしろ逆に出世をするというような例がこれらの事件にあるわけですね。こういうことまで
考え
てきますと、一体
刑事補償
という制度を設けられたのは何なのかということについて、あるいはまた
国家賠償法
という制度が設けられたのは何なのかということについてたいへんな疑問を——疑問というか、その原点に戻って
考え
なければならぬということをわれわれは痛感するわけなんですけれ
ども
、この点についてお三人の方々にそれぞれ御
意見
を承りたいと思います。
田上穰治
40
○
田上参考人
なるべく簡単にという御指摘でございますし、私も率直に申しますと、ただいまの
裁判
が非常におくれた、私は、これは
刑事
事件に限らない、民事、行政事件についても同様の問題があると思うのであります。これは全体として重大問題であって、もし
裁判
を受ける
権利
が
憲法
で保障されておりましても、実際に
裁判
が確定するまでに非常な
期間
がかかるということになりますと、
憲法
三十二条の
権利
もほとんど無
意味
なものになってしまうのみならず、これは
人権
の
一般
の保障の致命傷となると思うのでございます。でありますから、ひとり
刑事
——特に
刑事
の場合には影響も大きいわけでございますが、行政事件、民事事件を問わず、
裁判
の迅速な進行、処理ということについては、私は
憲法
問題としても重大な関心を持っておりまして、それを具体的にどう解決するかということは、
一つ
は、いまの
刑事補償
のほうの制度を改善していくということもございましょうが、全体として肝心なのは、金で済むだけではなくて、一歩進めて早く
判決
が確定するということでございます。これがまたあまりお粗末な、審理を尽くさないで
判決
されても困るのですけれ
ども
、そういうことのないようにして、しかも迅速な事件の処理を——直接は
裁判
所になりますが、
裁判
所だけというわけにもいかないし、御指摘になったかと思いますが、あるいは行政
当局
の出世というふうなお話がございましたが、特に
責任
が重大だというふうに伺うのでございますけれ
ども
、全体として
裁判
の
関係者
、行政、司法問わずこれが協力して、すみやかに
裁判
が確定するようにということを希望するのであります。 さて、方法になるといろいろ問題がございまして、
裁判
制度の機構改革にも入ってまいりますが、いろいろ伺ってみましても、まだ私としては明確な解決策があるというふうにもちょっと言えないのでございますが、同時に最高
裁判
所の機構改革も含めまして努力すべきではないかという点で、全く御
質問
の
意味
に同感でございます。 お答えになったかどうかわかりませんけれ
ども
……。
田邨正義
41
○
田邨参考人
私は、特に
国家賠償法
が
被疑者
、
被告人
の救済に対してどの
程度
機能しておるのだろうかという観点から若干お答えさしていただきたいと思うのですが、確かに、
国家賠償法
によりまして
検察官
なり
警察
官に
不法行為
があれば
損害賠償
の
責任
ができるということになっております。しかしながら、実際に疑疑者なり
被告人
がその
権利
を行使するということはたいへん困難を伴うのが
実情
でございます。
一つ
はやはり
検察官
等の
故意
、
過失
——
故意
ということはほとんどないと思いますが、
過失
を証明するということがなかなか容易なことではない。私はここ数年の例を調べましたが、三件ぐらい見当たりまして、そのうち一件が原告敗訴になりまして、二件が勝訴になっておりますが、起こしたからといって必ず常に
国家賠償法
によって
賠償
が取れるという保障はないのでございます。 それから二番目に、
裁判
にたいへん時間がかかる。御指摘のように
刑事
事件で
無罪
になるまで十年、二十年かかり、さらにそれから
国家賠償
を
請求
して民事の
賠償
の
判決
をとる、これにまた三年も四年もかかる。これは
通常
の人であればもうくたびれ果ててあきらめてしまうおそれが非常に大きいのではないか。したがいまして、
国家賠償法
があるから
被疑者
、
被告人
の
権利
は守られているとは一がいにいえないのでありまして、その点を補完するものとしてやはり
刑事補償法
の機能というのが、重要であろうかというふうに
考え
る次第でございます。
佐野洋
42
○
佐野
参考人
私、辰野事件の
被告
団に即して申し上げますと、ちょうど東京高検が上告を放棄したというふうに発表した日に、私、
裁判
所のクラブにほかの用で参っておりまして、そのときにちょうど
被告
団長がいらっしゃいまして、そこで会ったわけです。そのときに、大体
刑事補償
はどのくらいになるか、これこれになる、それじゃどうにもならないじゃないか、
国家賠償
を
請求
したらどうかというような話が出たのでございます。そうしましたら、それはほかの
被告
の者とも話し合わなければならないけれ
ども
、
被告
団の気持ちとしては、二十年間こうやって戦ってきて、もうたくさんだという気持ちが非常に強い。これからまた
国家賠償
を
請求
しても、
検察官
のあるいは
警察
官の
故意
または重大なる
過失
というものを立証するのは非常に骨が折れることだし、いままでの
裁判
の過程を見てみても、
警察
官は偽証はするし、自分に不利なことは忘れてしまう、そういうふうな状態で立証することはほとんど不可能に近い。それよりもそのことはもう忘れてほかの活動をしたいというふうな話をしておりました。そして二十年間こうやってがんばり続けてきた彼らでさえもうたくさんだという気持ちになる。そのくらい
国家賠償
で
賠償
を得るということはむずかしいことらしいのでございます。そうしますと、
国家賠償
があるから
刑事補償
については
抑留
期間
だけでいいではないか、あるいは
抑留
期間
でもこのくらいでいいのではないかというふうな
考え方
はできないと思いますし、
過失
を立証するということは実際に困難なんですから、
故意
、
過失
があった場合にはこっちがあるんだから、そういうものがなかった場合にはこの
程度
でいいというふうに
刑事補償
のほうをある
程度
制限しておくというのはどうか。もちろん理想的にはそういうものは
国家賠償
で、そうじゃないのは
刑事補償
でという方法が理論的にはいいのかもしれませんけれ
ども
、現実にはそういうことができない現実であれば、やはりそれを救済する方法を
刑事補償
のほうに持っていただいたほうがいいのではないか、そういうふうに
考え
ております。
青柳盛雄
43
○青柳
委員
あと一点だけ
田上
先生にお尋ねしたいのですけれ
ども
、先ほどからのお話を聞いておりますと、
憲法
十七条のほうは
違法性
と
責任
が必要になってくるけれ
ども
、四十条のほうは
故意
過失
を問わない、それがたてまえだというお話でございまして、私もそれなら
一つ
の区別がつくんじゃないかと思ったのです。
刑事補償法
を読んでみますと、第四条第二項に「
裁判
所は、前項の
補償金
の額を定めるには、
拘束
の種類及びその
期間
の長短、本人が受けた
財産
上の
損失
、得るはずであった利益の喪失、
精神
上の
苦痛
及び身体上の損傷並びに」これからが問題です。「
警察
、検察及び
裁判
の各機関の
故意
過失
の有無その他一切の事情を考感しなければならない。」これは先生の御説からいうとおかしなことをこの
補償
法の四条二項はきめたことで、少なくともこの「
警察
、検察及び
裁判
の各機関の
故意
過失
の有無」というのは、この額をきめる上に
参考
にすると一貫してないような気がするが、いかがでございましょう。
田上穰治
44
○
田上参考人
私もその点はそのように
考え
ます。ただ、これはまた長くなって恐縮ですが、その
補償請求権
は
故意
過失
を問わず認められる、こういうことを
考え
ているのでございますが、いまのお話でありますと、
裁判官
が具体的に
補償金額
をきめるときの裁量として
一つ
の
判断
の
参考
にする、
参考
というか、
基準
の
一つ
に数えているということでありますと、ちょっとこれは
補償
を
請求
すること自体とはまた別の次元ではないかと思うのですけれ
ども
、私はそのいまの御指摘の条文は削ることには
異論
がないのでございます。 それから、先ほどから
国家賠償法
との
関係
がちょっと問題になったようでございますが、私は
国家賠償法
については若干の
異論
を持っておるのでございまして、これまた時間の都合で、御
質問
がありましたらお答えしたいと思います。
青柳盛雄
45
○青柳
委員
ありがとうございました。
中垣國男
46
○
中垣委員長
次は正森成二君。
正森成二
47
○正森
委員
田上参考人
に伺いたいと思いますが、ただいまの御
意見
の中で、
刑事補償
というのは生活の保障までは
考え
ていないという
意味
のことをおっしゃったと思うのです。さよう伺ってよろしゅうございますか。
田上穰治
48
○
田上参考人
そういうことを申し上げました。その
意味
は、繰り返しになりますが、つまり
憲法
四十条というものの
性格
が、そういう中で、
社会
生活保障のような生存権的な
基本権
でないという
判断
でお答えを申し上げたのでございます。
正森成二
49
○正森
委員
まあ、いまそういう御釈明がございましたが、
刑事補償
が生活の保障まで
考え
ていないというように御発言されると、
刑事補償法
の第四条の三項を見ますと、死刑がかりにあやまって
執行
された場合には三百万円以内で
補償額
を交付するこうなっております。「但し、本人の死亡によって生じた
財産
上の
損失
額が証明された場合には、
補償金
の額は、その
損失
額に三百万円を加算した額の
範囲
内とする。」と、明白にこう
規定
されております。したがって三百万円というのは
精神
的な
損害
であり、それ以上に死刑の場合には
財産
上、あるいは
ことば
を言いかえると生活上の
損害
があれば、これは当然
補償
するというように
法律
上のたてまえはなっております。したがって先生のように、
刑事補償
は生活の保障は
考え
ていないんだというように言い過ぎると、これは言い過ぎになるのではないか。 また、いま青柳
委員
もお読みになりましたが、第四条の二項では「本人が受けた
財産
上の
損失
、得るはずであった利益の喪失」こういう事情を考感してきめろ、こうなっているわけですね。したがって
精神
的な慰謝料だけでなしに、
財産
上の
損失
についても考慮することを前提にしておるというようにやはり
刑事補償
は
考え
ていいんじゃないかと思うのですが、そうではございませんか。
田上穰治
50
○
田上参考人
御指摘のとおりでございますが、私が生活の保障の
意味
でないと申し上げたのは、直接の違法な
行為
によって、
加害行為
によって
損害
を受けたその
損失
の
補てん
というだけでなくて、生活となりますと、直接の
損害
は少なくても将来その人がまともに
社会
生活を営むために必要な費用、それがちょうど生活保護のような含みがございまして、そういうものまで
補償
するかどうかという点で、そこまでは
考え
ないということを申し上げたわけでございます。 御指摘の
財産
上の
損害
についてはむろん単なる慰謝料とかなんとかいうことでなくて
補償
の対象になると
考え
ております。おっしゃるとおりだと思います。
正森成二
51
○正森
委員
田上
先生の御
意見
では、自由権的
権利
あるいは生存権的
社会
的
権利
といろいろ
憲法
上説がございますが、四十条は普遍的な
原理
とはいえないので、実定法上の問題である。
補償
しても違憲ではないのだ、こういう
規定
があるから。
補償
しても違憲ではないのだ、そういう表現を最初になさったと思うのですね。しかし私
ども
の感覚としては、
補償
しても違憲ではないなどというのはおよそ
国民
主権のたてまえからいえば発想として浮かんでこないので、むしろ
補償
しないほうが著しく
憲法
の
人権
保障の
精神
から反するというように
考え
るべきじゃないかと思うのですね。わが国の
憲法
が三十一条から四十条まで
刑事訴訟
関係
の
規定
を設けておりますが、これは世界の
憲法
のたてまえからしてきわめて異例のことなんですね。
憲法
のわずか百条ぐらいのところに十条も
刑事訴訟
手続
関係
のことをきめて人身の不当な
拘束
を禁じておる。これはなぜかといえば戦前に治安維持法あるいは治安
警察
法、違警罪即決例その他等々でわが国の人民の
権利
が不当に侵害された。政府の
行為
により、
警察
によりそういう侵害をこうむった反省の上に立って、
憲法
というような基本法にこういうことを
規定
するのは本来からいえばおかしいのだけれ
ども
、わざわざこれを
規定
して
国民
の
人権
を守るということであったとわれわれは大学以来一貫して習っておるわけですね。そいうたてまえから見ますと、これはやはりわが国の
憲法
のそういう
考え方
から見て、
補償
については十分に
考え
ていくべきであって、
補償
しても違憲ではないというようなそういう発想方法というのは根本的に誤っているのではないかというように思いますがいかがですか。 なお、この点については
田邨
弁護士
さん、私と同業でございますが、お伺いしたいと思います。
田上穰治
52
○
田上参考人
私のお答え方が少し
ことば
が足りなかったと思いまして、その点はおわびいたします。 私が申しましたのは、
憲法
に書いてある
抑留
または
拘禁
を受けた者がその後に
無罪
の
裁判
を受けたときには
補償
を
請求
することができるという、その
限度
においてはむろん
憲法
の要求でございまして、なぜ世界にあまり例のない
規定
が
憲法
に入ったかといえば、御指摘のように過去の経験から
考え
られるわけでございます。 つまり、過去においてそういう
刑事補償
の必要が御指摘のようにあるのに
補償
しなかった。そしてむろん
憲法
になくても、
法律
をつくって
補償
の制度を認めることはできますが、過去においては
国会
においてもなかなかいろいろな事情があって、
刑事補償
の立法には踏み切れなかった。
法律
はございましたけれ
ども
、御
承知
のようにきわめて不完全なものしがなかったということで、一歩進めて将来立法に対して
憲法
が注文をつけたというふうに
考え
ております。ですからその
意味
で、
憲法
が直接要求する
限度
においては
国会
は
法律
をつくらなければならないのであって、つくっても差しつかえないというふうにもし私が申し上げたとすれば、それは訂正しなければならないと思うのでございます。 ただしかし私が先ほど申し上げたのは、そういう
憲法
直接の要求、
抑留
または
拘禁
を受けた者というふうになっておりますが、
無罪
の
裁判
ということもございますが、そうでなくて、その
補償
の
範囲
をもっと広げることはどうかということで——これも御
議論
があると思いますが、非
拘束
の
期間
ということになると
抑留
または
拘禁
を受けた者、まあそれを全然受けない、初めから何ら
拘束
を受けない者という
意味
でないかもしれませんが、しかし
憲法
の読み方としまして、
抑留
または
拘禁
について
補償とい
うふうに私
ども
読みますというと、
憲法
の直接の要求はそこまでであって、それ以上にこれにプラスして非
拘束
の
期間
の
補償
を入れるとすればそれはどうかということになりますと、私の解釈では
憲法
が直接命じていないと思いますけれ
ども
、しかしそれをお入れになることには、
立法政策
として別に
異論
はないという
意味
で申し上げたので、つくってもつくらなくてもよろしいという、
ことば
が少し不適当であったかと思いますが、同様に
無罪
の
裁判
を受けたときにというのでございますから、
無罪
でなくて、先ほど申し上げました不
起訴処分
というふうな場合、これは直接の
結論
としては必ず
補償
しなければならない。
補償
を認めないことは、
現行
の
刑事補償法
はその
意味
において
憲法違反
であるというふうには
考え
ない、こういう
意味
で先ほど申し上げたのでございますが、しかしさらに
補償
の
範囲
を広げることが
憲法
に反するという
意味
では決してないわけでございまして、そこは立法府の裁量によって自主的な御
判断
で
決定
されることが正しい、当然であると思うのでございます。 ちょっと
ことば
が足りないことをおわびいたします。
田邨正義
53
○
田邨参考人
憲法
四十条そのものの解釈につきましては、
田上
先生の述べられたこととたいして違いません。ただ、単なるプログラム
規定
であるのか、あるいは立法を待たずに、直接
請求
を可能とせしめる
意味
まで四十条が含んでいるかというような点については、若干
議論
の
余地
があろうかと思います。 ただ、
憲法
の
関係
から申しますと、やはり
憲法
十三条が「生命、自由及び幸福追求に対する
国民
の
権利
については、」「立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」という趣旨の
規定
を設けているわけでございます。確かに四十条としては、
拘禁
中の
補償
のみすれば最低
補償
は足りるとしている趣旨だろうと思いますが、
憲法
十三条との
関係
から申しますと、やはりその最低
補償
以上のものに国が努力をするということが望ましいという指針は
憲法
の中に示されているのではないかというふうに
考え
るわけでございます。
正森成二
54
○正森
委員
田上
先生に伺いますが、先ほど
横山
委員
の
質問
で、若干訂正されたようでございますけれ
ども
、
国民
は公の権力からの危険を忍ばなければならない、こうおっしゃったんですね。若干速記は違うかもしれませんけれ
ども
。しかし私は、こういう発想というのは新
憲法
になじまないのではないかというように思います。これは江戸時代の、お上の権力の行使には
国民
はしんぼうしなければいけない、もし何らかの保障があるとすれば、大岡
裁判
のこれは恩恵であるという
考え
じゃないかと思うのです。
憲法
の前文には「そもそも国政は、
国民
の厳粛な信託によるものであって、その権威は
国民
に由来し、その権力は
国民
の代表者がこれを行使し、その福利は
国民
がこれを享受する。これは
人類普遍
の
原理
であり、この
憲法
は、かかる
原理
に基くものである。われらは、これに反する一切の
憲法
、法令及び詔勅を排除する。」こう書いてあります。
憲法
の
教授
で長らくおられました
田上
さんにこういうことを申し上げるのは失礼ですけれ
ども
、
国民
は公の権力からの危険を忍ばなければならないというようなことは一切ないのです。
税金
を納めるということでも、租税
法律
主義で、
国会
できめた
法律
の
範囲
内だけで納めればいい。それに対しても、生活費にまで侵害するというものについては、これは反対運動を起こし、
法律
の
改正
を求めるということもできるわけですね。まして
人権
に関するようなことについて、これは権力からの危険にある
程度
忍ばなければならないということはないので、万が一自分が罪も犯していないのに逮捕される、自分が罪を犯していないのに
起訴
される、まして
有罪
になるというようなことになれば、その権力の非違に対してこれは弾劾し、当然の
補償
を求めるというのは
国民
の奪うことのできない
権利
だというように思うのですね。そしてさらに先生が、この点を補足されて、
公務員
の
適法
な
行為
による実力行使には抵抗できない、こういう
意味
のことをおっしゃいました。しかし、これもはなはだおかしなことで、たとえ
公務員
であっても、その権力の行使が外形上
適法
であっても、実質的に不
適法
な場合には、
国民
には断固として抵抗する
権利
がある。判例でもそれを認めております。 たとえば尼崎の国労事件などでは、鉄道公安官が国鉄労働者の行なったピケットに対して不当にこれを排除しようとし実力行使したのに対して、これに抵抗した。そのために鉄道公安官に傷害が生じた事件について、これは違法な公権力の行使であるから
公務
執行
とはいえない、したがって
無罪
である、こういうことに
裁判
所も認めております。それは当然のことであって、外形上
適法
な
行為
であれば、それに対して
国民
が実力をもって反撃することができないなんということはないので、刑法第三十六条も正当防衛の
権利
を認めております。 したがって、先生のように、一がいに公の権力からの危険は忍ばなければならない、
公務員
による実力行使には抵抗できないというようなことを言うのは、
国民
に対して、お上の言うことは何でも従わなければならないということを求めるものではないか。それは
憲法
の
精神
から著しく反するものではないかというように思いますが、いかがです。
田上穰治
55
○
田上参考人
これも私の
ことば
の足りないことをおわびいたしますが、
結論
はいま御
質問
になったとおりで、私も同じ
意見
でございます。つまりもう一度、訂正になるかどうかわかりませんが、私の先ほど申しましたのは、普通の民間人、私人の
行為
であれば、われわれがそれを
犯罪
として抵抗することができる場合であっても、
公務員
の
公務
の
適法
な
執行
であれば、つまりそれに対しては抵抗できない。端的に申しますと、刑法の九十五条、
公務
執行
妨害罪は合憲であるという
程度
の
意味
でございまして、もちろん御指摘になったようなところは、
公務員
が形の上では
適法
な
公務
の
執行
のようであっても、実際には
法律
に反しておるということであれば、
法律
の定める手続によらないで自由を奪いあるいは刑罰を科するという
意味
ですでに
憲法
に触れるわけでございますから、御
質問
になりましたような場合は、私もむろん
異論
はないのでございまして、そういう違法な
行為
にわれわれが受忍義務があるというふうには
考え
ていないのでございます。 私が先ほど申し上げたのは、
一般
の私人の場合には
公務
の
執行
でないから、その
意味
において相手方が抵抗しましても、直ちにそういう特別な
犯罪
を構成しないという
意味
で申したのでございまして、その点が私人の民間の
行為
と
公務員
の
行為
との違い、こんなことは申し上げる必要はないのでございますが、
一般
にはよく混同される点もあるかと思いまして申し上げたにすぎないのでございます。
ことば
の足りないところはおわびいたします。
正森成二
56
○正森
委員
時間がございませんので、最後に
一つ
だけ伺います。
田上参考人
は、
刑事補償
をする場合がいろいろある。
検察官
がときには五分五分の場合あるいは七、三の場合、九、一の場合というように、
有罪
であるという
考え方
について
程度
の差がある場合でも、これは
起訴
せざるを得ない場合があるのだという
意味
のことをおっしゃって、その
理由
は、
国民
はすみやかに凶悪犯などの場合には犯人を逮捕してほしい。そうでなければまくらを高くして寝られないという
国民
感情を考慮しなければならないのだという
意味
のことをおっしゃったと思うのですね。 これは私はある
意味
ではほんとうでございますけれ
ども
、しかしこれはもろ刃の剣になる。
国民
はすべて自分が
被害者
になって、
財産
や生命を侵害されることがあると同時に、すべての
国民
は自分が
被疑者
になる、そういう
可能性
を持っておるので、そういうことにならないために、なった場合にどうするかという、そういう
国民
の
権利
を
憲法
はきめているのですね。自由というのは国家からの自由だ、フライ・フォン・シュタートということはわれわれが習っておるところでございます。 そういう
意味
からいいますと、たとえば松川
裁判
のときには、あの
判決
の前後を見ますと、田中最高裁長官は、これだけ長くかかった事件だから、もうここらでそろそろ終止符を打つのがいいと思うという
意味
のことを言ったということは、
法律
雑誌にも載っておるところです。そういうこんなに長くなったんだからそろそろ
裁判
に終止符を打ったらいいんじゃないかというようなことで、田中
裁判官
は
有罪
に一票を投じておる。こういう
裁判官
ばかりだとすれば、松川事件の何人かはもうすでに死刑になっておる。したがってわれわれは事が
国民
の生命、身体に
関係
することでは、すみやかに犯人を逮捕してほしいということは当然として、そのことのためにいやしくも無実の者が、あるいは十分に合理的な疑いを残さない
程度
に
犯罪
を立証されない者が
被害
をこうむることがあってはならないし、そういうたてまえで法は運用されなきゃならない。そして
無罪
になった場合には十分にこれを
補償
するというのが法のたてまえだと思うのですね。それで、私は、いま先生がおっしゃったことも、私がいま
質問
しているような趣旨を排除するものではないというように善意に伺いたいと思いますが、それでよろしゅうございますか。
田上穰治
57
○
田上参考人
そのとおりでございます。つまりそういう
意味
におきましては、最後の、だれが犯人であるかというふうなことは、実は人間として正確に
判断
する自信はだれも持っていないと思うのでございますが、それでは答えになりませんので、
憲法
の答えは、御
承知
のように、
裁判官
が
訴訟
の審理を尽くした上で
判決
をすれば、それが、再審というような問題もございますけれ
ども
、それでもまだ誤判、誤った
判決
もあり得ると思いますが、しかし、一応われわれ
国民
としてはそれに従うということになるのではないか。これが先ほどから申している
意味
でございまして、ですから、御指摘のような問題について
裁判官
がもう終止符を打つというので長引いた事件を
有罪
の
判決
をするというふうなそういう態度は、私は反対でございます。その
意味
で御指摘のとおりと思います。
正森成二
58
○正森
委員
それじゃ
質問
を終わりますが、最後に、
法律
のしろうとといったら失礼でございますが、しかし、
国民
の声を非常に反映しておると思われる
佐野
先生に、私の
質問
を聞かれて、それについての御
意見
がもしおありでございましたら、伺って、
質問
を終わります。
佐野洋
59
○
佐野
参考人
正森先生の御活躍は新聞などでもよく拝見しておるのでございますが、先ほどから申し上げましたように、
法律
のしろうとの
立場
で言いたいと思っていたことを、いま
法律
の専門家の用語として——こんなことを言うと変でございますが、かわりに言ってくださったような感じがしております。
正森成二
60
○正森
委員
終わります。
中垣國男
61
○
中垣委員長
これにて、
参考人
に対する質疑は終わりました。 一言ごあいさつ申し上げます。
参考人各位
には、長時間にわたり、貴重な御
意見
をお述べいただき、まことにありがとうございました。厚く御礼申し上げます。 次回は、来たる十七日火曜日午前十時
理事会
、午前十時十五分
委員会
を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。 午後零時三十三分散会