○青柳委員 それではこの問題の経緯についてしばらく
お尋ねをいたしたいと言います。ここのP・Sクラブという事務所の存在を共産党として知るに至りましたのは、ある婦人共産党員が星野なる人物から
連絡を受けまして、いろいろと共産党の情報などについて提供方を要請されたということから、そのP・Sクラブ、星野という人物が何者であるかを調べることになったわけでございます。それは昨年のあまりおそくない時期であったと思いますけれども、夏ころかもしれませんが、星野なる人物がたまたまその婦人党員に手渡しました名刺が私どもの手に入っております。
その名刺にはどういうような記載があるかと申しますと、肩書きにPSクラブ・話の教室、司会者長良会々員星野中男事務所と書いて、東京都文京区本郷三の一五、三洋ビル、電話(八一四)二六〇七番、こういうふうなものでございます。
そこで、一体このP・Sクラブなるものはどういう仕事をやるところかというので、この事務所の番地のところに行って確かめましたところが、それはどうもビルディングではなくて、三洋電機という株式会社の倉庫になっている。そこで、その近くに三洋ビルというようなものがあるかどうかを
調査いたしましたところ、本郷一丁目の五番地十七号に三洋ビル別館という建物がございました。そこの入り口に表示されている案内板を見ますと、四階の四十六号というところにP・Sクラブという表示が出ております。まさにこれがそのP・Sクラブの所在地であることがわかりました。そこで、一体これはどういう仕事をやるところかをビルの管理人に尋ねてみますと、これは
昭和四十二年の一月三十一日に契約になっておる。新聞広告及びサービスというのが事業目的である。それから契約書の賃貸人は、世田谷区成城三百九番地。その後、二丁目十八番五号というふうに変更になったようでありますが、岡崎武夫という人であるということがわかりました。それから電話番号は四八二の三四五〇であるということがわかりました。そこで、この岡崎武夫という人物はどういう商売をしている人かということで、その所番地を尋ねましたところが、そこにはある会社の役員の住まいがあるだけであって、岡崎武夫という表札を出しているような人物は一人も見当たらないということがわかりました。また電話番号の四八二の三四五〇に照会をいたしましたところ、それは岡崎という人とは何の
関係もない歯科医の自宅であった。こういうことがわかったわけでございます。そうしますと管理人は非常に驚いているわけでございまして、そういう架空な人物でこの契約をしたということになれば、はたしてこれからも家賃がきちんきちんともらえるものかどうかもわからないし、契約解除をして敷金を返してあげるにしても、にせものが来たのではちょっと困る。岡崎武夫という人の印鑑証明でも持ってきてもらわねばということを言っておったそうでありますが、いずれにしても怪しげな存在であることだけは明白でございます。
そこで、ここに出入りする人物を尋ねているうちに、たまたま千葉県の千葉市あやめ台団地というところに住んでおられる関東公安
調査局の
調査官樋口憲一郎という人、これは正真正銘の関東公安
調査官が、出入りをしているということがわかったわけでございます。先ほど名前の出た星野中男という人物も出入りしているかどうかというところまでは、その
段階では確認はしていなかったわけでありますけれども、いずれにしても樋口という方がいることは明白でございました。
そこで、これは一ぺん訪問をして樋口氏に会うなりそこにいる人に会って、共産党の情報を収集するためのアジトに使っているのではないかどうか、それを確認しようといたしまして、昨年の十月十一日に共産党の東京都
委員会の和田利弘常任委員ほか六名の者がこの部屋にノックして入ったわけです。そうしますとそこに二人の人物がおりました。その二人の人物は、その際写真をとりましたのでここに持ってきておりますけれども、一名は玉井という名前を名のっておられる方であります。こういう写真の人物です。この人は公安
調査庁の役人ではないのかという
質問に対して、とんでもない、自分はちょっと頼まれて毎週水曜日に一回だけ電話番に来ているんだということで、公安
調査庁とは何の
関係もないと言って否定されたのでありますけれども、たまたまその部屋に黒板がありまして、黒板に「八月度出張予定」というのが横書きにしてあって、縦書きに上のほうから下に向かって「中、福山、玉井、樋口、三門、原」こう六人の名前がある。要するに八月度の出張予定をその黒板で書くようになっておって、それは消されたけれども、名前の部分などは残っていたわけですね。そこで玉井という人が三番目にあるわけですから、どうも水曜日に頼まれて電話番に来るだけの人が出張予定というところに麗々しく名前が載っているのはおかしいじゃないかということになって、この人は何とも弁明のしようがなくなった。それからもう一人の人物は、やはり写真をとってあります。この方でありますけれども、これは最初は名前も何も言わずに、時事通信の記者であると言っていたわけでありますけれども、その後ついに名前を名のらざるを得なくなって、三門という名前であるということも認めたわけであります。いずれにしても、責任者はだれだと言って尋ねましたが、自分
たちは責任者じゃないというようなことで、もちろん公安
調査庁の役人であることを否認されますし、責任者はだれかわからないと言う。ここにがんばっているのにわからないというのはおかしいではないかというようなことで、数日後にはだれかに会えるから責任者に
連絡をとるようにする、
連絡がとれたら知らせるというので、こちらの電話番号なども教えて帰ってきた、こういうわけでございます。
いずれにいたしましても、この
程度のことで私どもは公安
調査庁と何のゆかりもないというふうに見るわけにいかない具体的な根拠がございます。それは、先ほど申しました婦人党員が星野という人物と
連絡をとるようになったいきさつというものからして、並々ならぬ
事態があるわけでございますので、そこでこれは公安
調査庁のいわゆるスパイグループのアジトであるということを断定するに至りまして、先ほど申しましたように川口長官に抗議に行くわけでございますが、その婦人党員というのは、
昭和二十七年にある
事件で拘置所に入られたことがございます。そのときにたまたまいままで面識のない人ではあるけれども、館三郎という名前を使っている人物から手紙が参りまして、たいへんに慰問、激励するような手紙であって、アドレスも書いてあるものですから文通が始まる。そしてその後、保釈になった後のことでございますけれども、お互いにある場所で会うというようなことになって、男女の仲でございますのでつい深い仲になったようでございます。
しかしこの館三郎なる人物は、おれは警察に追われているから、ちょっと住所は転々とするのであって、はっきり教えるわけにいかない、しかし必ず適当な方法で
連絡してお会いしましょうというようなことで、三十五年ころまでそういう
関係が続いたようでございます。
ところが、三十五年からぷっつり
連絡が切れてしまったのですが、四十五年になっていろいろの方法によって、館三郎という人が茨城県の茨城郡友部町で町
会議員をやっている荻津昭という人である、館三郎はその変名であるということが判明をしたわけです。
ところが、この荻津なる人物は、
昭和三十一年に共産党の公認で友部町の町
会議員に当選をした。共産党に入ったのは
昭和二十二年の五月、地元の友部ではなくて水戸市で共産党に入った。その後郷里へ帰って、共産党の町
会議員に当選をし、共産党の活動家になっておったのでありますが、あにはからんや、この人物は
昭和二十二年入党する少し前ごろには、婦女暴行、山林窃盗の疑いで笠間警察署に取り調べを受けたという事実があり、そのときの署長は関守之介という人で、後に茨城県公安
調査局へ転勤をいたしまして、地元の有力党員に対し公然とスパイ工作をしていたという方であります。それからその人の二男の関昭三郎という人は、現在、茨城公安
調査局の
調査官という公安一家のやり手ということになっている。
このようなひもがつけられて荻津は茨城県警の警備第一課第一係長の井坂武という方に情報を売っておったことが四十年に判明いたしまして、共産党から追放された。
そうとも知らずにこの婦人党員はこの人を信用してつき合いを続けようとしたわけでありますが、たまたまその四十五年、つき合いを始めるに至ったころに、星野なる人物があらわれてきたわけであります。これはもちろん荻津との
関連においてあらわれてきた。東京駅などで喫茶店へ入ったりしていろいろと情報提供を求めるわけでありますが、その情報提供を今度は大っぴらに求めるのですが、公安
調査庁の役人だということはさすがすぐは言わない。先ほど言いましたような名刺を出して、何かこういう仕事をやっているような偽装をこらしているわけです。その際に、婦人党員を自分の協力者にする一つの手段とも
考えたのか、それとも共産党の内部を撹乱するということももちろん目的としたのかもしれませんが、現在の代々木共産党はいわゆる宮本修正主義であって、革命などをできるようなものじゃない。革命というのは暴力革命でなければならない。しかるにもかかわらず、宮本修主義は議会制民主主義のもとでも政権が樹立できるんだというようなことをいっておって、自分は意見が違うものだから除名をされたんだ。こういうふうにしてまことしやかに彼女をあざむき、情報提供を要求し続けてきたという事実が判明をいたしたわけであります。これはおもに彼女の共産党に対する供述によってわかったわけでございます。
以上申し述べたような経過から見まして、私どもはこのP・Sクラブなるものは公安
調査庁と全く無
関係のものであるとは
考えられませんので、先ほど申し述べたように、川口長官にお会いいたしまして、そのものずばり
お尋ねをいたしましたら、玉井あるいは三門、これはもう公安
調査庁の役人であること間違いない。それから本名のあらわれている樋口憲一郎氏も当然そうだということでございました。
そこでまず
お尋ねいたしますが、このP・Sクラブというのに出入りをいたしましたことの明白な玉井という人はどういう本名でどういう仕事をやっている人か、また三門という人はこれが本名なのか、本名が別にあるのならばその本名は何で、そしてどういう仕事をしておられるか
お尋ねをいたしたい。