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矢口最高裁判所長官代理者 司法修習の二年間と申しますのは、
法曹として育っていくために非常に重要な修養の
期間でございます。私
どもはその二年間というものは決して長過ぎるとは
考えていないわけでございます。むしろ短過ぎるくらいではないかとすら思っているわけでございます。しかしいろいろな制約もございますし、その二年間の間に
裁判官、
検察官あるいは
在野法曹としてりっぱに任務を果たせるような方を何とかして養成いたしていきたいというのが
修習制度の眼目、念願でございます。そのことのために
相当の施設と
相当の人員と
国家予算をさきまして努力をいたしておるような次第でございます。
修習は御
承知のように
研修所でまとめてごめんどうを見ておりますけれ
ども、その中身ということになりますと
前期後期、
前期の四カ月間といたしましては、これはどちらかと申しますと
研修所でいろいろの手引きをするということでございますし、それから終わりの四カ月間というのは、現地でいろいろと
修習をしてきましたものをもう一度おさらいをしまして、まあでこぼこの調整をする、
最後の
仕上げをするというような
観点で行なわれておるものでございます。その中間の
期間と申しますのは、これは御
承知のようにそれぞれの
裁判所、検察庁、
弁護士会に配属されまして、なまの
事件を
先輩諸氏からなまの形でいろいろと教えていただく、身をもって
法曹のあり方、それから
法曹としての
必要最小限度の
技術といったようなものを身につけていくということをいたしておるわけでございます。
二回
試験とか
考試とかいろいろ
沖本委員から
お話がございましたけれ
ども、確かにそういったものが
最後の
仕上げ、
最後の
判定の
一つの手段として使われておることは事実でございます。しかし、そこで私
どもが
判定されることを期待しておりますのは、決して
末梢のテクニックといったものではないわけでございまして、その前に二年間いろいろと体得いたしました
実務の
修習というものが、どの
程度身についておるかどうかといったようなことを率直に知ろうという
観点から行なわれるものであるわけでございます。ただ五百人にも及びます多数の
修習生の方に対して、一応平均的な
能力のテストと申しますか、そういったことをやろうということになりますと、それは勢い限られた時間で限られた
方法というものができてくるわけでございます。それが先ほど御
指摘の一日六時間半あるいは七時間といったものの間に、
一つの
試験記録に基づきましてそれを
起案するというような
方向で
考試が行なわれるということになるわけでございます。
確かにそういう
方向で
考試を行なうということになりますと、それは
それなりに、
沖本委員御
指摘のようないろいろの問題が出てくるということも、私
どもにはわからないわけではございません。しかしもともと
考試と申しますのが、いま申しましたように、二年間
実務の
修習をあらゆる
角度から行ないまして、そうして徐々に身についてきた、そういった
能力というものをありのままに出してもらえればそれで十分であるはずのものをテストするというものでございますので、私
どもはそういった
考試の
やり方が必ずしも非常に欠陥の多いものとは思っていないわけでございます。
これまで二回
試験のこのような
方法は、戦後の一、二期の場合を除きまして、ずっと戦後も行なわれたものでございますし、また戦前にさかのぼりましても、もうかなり古い歴史を持って行なわれておるものでございます。
考試の
やり方とかそういったものは、確かに個々の細部については
検討をいたさなければいけない点があろうかと思います。こまかなふうに問題を設定して、その問題を
一つ一つ尋ねるという
やり方もございますのでしょうし、もっともっと大きな問いを出し大きな
答えを要求するというような
やり方もあろうかと思います。また
筆記と
口述と二つございますけれ
ども、どちらに
重点を置くかということで、現在は時間的その他から
筆記のほうに
重点を置いておりますけれ
ども、これをたとえば
口述のほうに
重点を置くというような
やり方も
考えて
考えられないことではなかろうかというふうに思います。
そういった点につきましては、私
ども不断に
検討を重ねておるわけでございますが、しかし何と申しましても伝統ある、歴史的に
相当長い
期間やってきて
それなりの成果をおさめておる
考試方法でもございますので、いま直ちにそういう
方向をあまり大幅に変えていくことも、また
安定性を害するというような
意味においていかがであろうかということで、いまのような
やり方を続けておる次第でございます。
それが、そのような
やり方をいたしますと、
技術の
末梢に走り、あるいは
一つの定められた公式的な
やり方というものを
採用せざるを得ないではないかというような御
指摘があったかと思いますけれ
ども、いま申し上げましたような
考試でございますので、決して
一つの
結論にみなを合わせようというような
意味でやっておるものではございません。基礎的なしっかりした
法律知識とそして
教養が身についておりますれば、その
考え方あるいは
結論というものはどのようになりましょうとも、私
ども考え方あるいはその推論の筋道というものが筋が通っておりますれば、
結論としてけっこうな
答案、けっこうな
答えであるというふうに
考えるわけでございまして、決してその
結論を合わせるために、そういうようなことでよしあしをきめておるわけではないわけでございます。
ただ、
判決書を書く、あるいは
起訴状を書く、いろいろなことになりますともちろん
一定限度の
技術的なものが要求されることは事実でございます。
お金を貸したという事案で、
お金を渡したということを書き忘れるというようなことになれば、やはりこれは初歩的な
ミスということになるわけでございまして、そこに
一定の、
最低限度の
技術的な
素養というものが要求されることはもちろんでございますけれ
ども、私
ども、そういったものは二年間の
実務修習、ことに
司法試験という
相当程度の高い
試験を受かってきた
方々が二年間
修習されれば、そういったものはもう当然身についておる。決してそのことのために余分な、むだな時間が要るというようなものではないというふうに
考えておるわけでございます。したがいまして、二回
試験ということで、こういうものがあれば確かに気になることは事実でございます。しかしそれは決してそう気になるような
試験ではなくて、まじめに二年間の
修習をやった方は当然受かるような
意味での問題を出しておるというものでございます。まあ逆説的な言い方をいたすわけで恐縮でございますけれ
ども、長年やりましてそう多くの
落第者が出ていないということからも、決してその
試験はそうむちゃな
試験ではないということはおわかりいただけるのではなかろうかというふうに
考えるわけでございます。しかし先ほ
ども申し上げましたように、二回
試験の
やり方というようなものは、これはやはり日々改善ということについて
考えていかなければいけない問題であることは
沖本委員御
指摘のとおりであろうと思います。
なお次に、
修習生大会等でいろいろな
要望がなされておることは私も
承知いたしております。で、先般当
委員会でも申し上げたわけでございますけれ
ども、
思想、
信条あるいは
特定団体加入といったようなことで採否の
差別をするということは、これはあり得ないことでございます。まあ重ねての御
質問でございますので重ねて申し上げますけれ
ども、そのようなことは決していたすつもりはないわけでございます。ただ
採用、不
採用という問題になりますと、これもたびたび申し上げておるところでございますが、
国民に対してその
権利義務の存否ということに関しまして
国家にかわって
判断を下すという
作用はきわめて重要な
作用でございますので、そういった
判断を下すに適した、ふさわしい人と認められない限りは、ただ
修習を終了されたということだけで全員を
採用するというわけにはいかない場合もあり得る。これはやむを得ないことかと思いますし、そういった場合に
理由をお示しするというのは、
人事のこういった問題について
理由をお示しするのが好ましくないのと全く同様の
事由をもちまして、御
本人に不
採用の
事由等を申し上げるということまでは現在のところは
考えていない、そういうことでございます。