○嶋崎
委員 去る六月二十三日、本
委員会で
自民党は、一方的な非民主的な方法で、いわゆる
筑波法案を
強行採決いたしました。この暴挙は、本
委員会における審議の内容が深まり、多くの矛盾や
問題点が明らかになることをおそれたためにとられた強硬措置であろうが、私はあらためて、この暴挙に抗議するものであります。
また、本来なら、順調に審議が進むならば、第一条
関係のみの修正案を提出し、われわれの態度を表明する
予定であったのに、
強行採決のため、その
機会を失ったことに対しても、あわせて抗議の意思を表明するものであります。
さて、私は、過ぐる三月二十九日の本
会議で、
国立学校設置法等の一部を改正する
法律案の
趣旨説明に対し、日本社会党を代表して、本
法案に強く
反対する
立場から、総理並びに
関係閣僚に質疑をさせていただきました。その際、提出した本
法案の
問題点を、本
委員会でさらに詳細に、より
具体的に追及してまいりました。しかし、大臣並びに
文部省の
答弁は、説得力に欠けているのみならず、本
委員会での審議の過程では、かえって
法案に、日本の将来の
大学のあり方、学問の自由と
大学自治にとって危険な意図が隠されていることを、あらためて確認するに至りました。
そこで私は、日本社会党を代表し、本
法案に
反対する理由を明らかにしたいと思います。
第一には、
法案は第一条の旭川
医科大学の設置、山形、愛媛
大学の
医学部増設など、直ちに国民的合意が成立するものと、第二条以下のいわゆる
筑波大学法案に示された
筑波大学の創設を通じて、学校
教育法、
国立学校設置法、
教育公務員特例法など三つを相互に関連づけて改正し、これを
機会に、学問の自由、
大学自治を侵すおそれのある
大学管理政策を方向づけようとするものとが、抱き合わされて提出されている点についてであります。
野党側のたび重なる分離提案にもかかわらず、それを否決した
政府・与党の意図は、次の二つに要約できるように思われます。その一つは、戦後数次にわたる
大学管理
法案の挫折にかんがみ、事務手続的な外観をとることによってこの
法案の重大性をおおい隠し、国会運営を容易ならしめようとする意図であり、いま一つは、旭川
医科大学の設置など、緊急でしかも地元の強い要求にささえられた世論を背景に、
反対運動を分断しようとする意図であります。したがって、われわれは、本
法案の提出のしかたそのものに強く
反対せざるを得ないのであります。
第二の理由は、
筑波大学構想があたかも
東京教育大学の自主的な
大学意思の決定に基づくものであるかのごとき装いをこらして、言いかえれば、
大学の
自治の上に
構想されたごとく説明することによって、それが
文部省・
政府主導型の
大学改革
構想であるという事実を、ごまかそうとしている点についてであります。
東京教育大学の
参考人の証言で明らかなように、
昭和四十四年七月の東京
教育大の評議会の
筑波における新
大学のビジョンを目ざしでの
移転決定は、文学部、
教育学部、体育学部など、最終的な意思決定でなかったこと、さらには全学の教官の四割強の
反対の中できめられたものであったのです。さらに
東京教育大学のマスタープラン
委員会が、たび重なる
大学側の自主的改革案を提示しながらも、
文部省側の意向でそれが封じ込められ、自主的改革案として
構想されなかったことも明らかにされたとおりであります。
そればかりか、あいまいな評議会の決定であったにもかかわらず、東京
教育大は
昭和四十五年四月教官
選考に関する申し合わせなる評議会決定を行ない、その決定に向けて、さらにその決定後、多くの教官の教授会の議に基づく承認
人事をストップさせ、現行法制に違反し、無数の
大学自治の侵害が行なわれたという事実が明るみに出されました。
筑波におけるビジョンと
移転を踏み絵にし、
学長とそのブレーンによる専制
体制のもとで
筑波構想が
具体化されていったという点に注目しておく必要があります。
筑波大学構想は、
東京教育大学の
大学自治の無数の侵害の上に咲いたあだ花なのです。
このような事実評価に対して、
政府・
文部省は、東京
教育大に
大学自治や学問の自由の侵害に目をおおい、そのような事実はないという評価に立って、
筑波構想を美化し続けてまいりました。そこに欺瞞があるのです。
筑波大学の中核となるにない手は、
東京教育大学の教官集団であり、特にその管理者たちがその推進者であります。東京
教育大の
学長を先頭とする
大学管理者たちが、
大学自治の原則をみずから踏みにじってきたとすれば、
筑波大学の将来を危惧せざるを得ません。制度や組織は、そのにない手である人間の行動様式と切り離して
考えることができないからであります。ましてや、以下に述べる研究、
教育、管理の機能的分離を目ざし、集権的な制度にこそ
筑波大学の組織、制度上の特徴があるとすれば、
筑波大学の
大学自治、学問の自由は、危険きわまりないものと断ぜざるを得ません。
この点を押し隠し、
政府・
文部省が
筑波構想を美化するのであれば、この
法案の意図が危険なものであるだけに、それだけ強く
反対せざるを得ないのであります。
第三の
反対理由は、
筑波大学における研究と
教育の分離の思想と組織についてであります。
筑波大学にいう研究と
教育の分離の
考え方は、中教審の答申と軌を一にしております。中教審の答申は、
大学改革の必然性を、科学技術の目ざましい発展と高等
教育の大衆化という事実に見ています。一方における科学技術の目ざましい発展は、高い水準の研究
教育を必要とするし、他方高等
教育の大衆化は、学問の精髄をきわめるのでなく、就職の手段として企業の
要請にこたえる程度の
教育であればよい。急速に膨張した
大学の現状では、
大学も教師も学生も、高い水準の研究者ではない。だから、学生の側からも、教師の側からも、もはや研究と
教育とは分離せざるを得ない、としています。
この
考え方に立って、
法案では、
大学には学部以外の研究
教育の組織を置くことができるとし、
筑波大学では学部のかわりに、
学群と学系とが置かれることになっています。また
大学院も、博士課程と修士課程のコースを分離し、前者を研究、後者を
教育中心の制度として位置づけようとしています。
したがって、
筑波大学は、これまでの
大学が学部を基本として、それを研究
教育を一体としてとらえた伝統的な
大学観とは異なる新しい
文部省の
大学観に立ち、今後
大学政策を根底から変えていく政策意図を体現するものであると判断できます。
研究と
教育の分離は、一部の
大学を除いて、多くの
大学では、学力低下に合わせた水準の、職業、技術、教養
中心の
教育をやればよいということを
意味し、そこでは
教育を、学問の体系に従ってではなく、社会的な企業の
要請にこたえて行なえばよいということになります。
しかし、これはもはや
大学ではないのであります。戦後の
大学改革は、
大学の大衆化をもたらすと同時に、それにあわせて、従来の
教育水準をいかに維持するかにねらいがあったのです。したがって、
大学が大衆化し、学力が低下しているからこそ、従来とは比較にならないけた違いの国家投資をしなければならない段階に来ているし、それが国民の
教育要求にこたえることだと
考えます。それを怠り、人的、物的な条件の整備が進まないままに、学生が急増しているからこそ、
大学教育は崩壊の一途をたどっているのであります。
したがって、
筑波における
教育制度で崩壊を食いとめられるものではないのです。
筑波大学にいう
学群は、アメリカのアンダーグラデュエートの段階の
教育を意図したものだろうが、現行
大学の教養課程を
大学の大衆化に合わせて四年制にし、
カリキュラムの編成を変えたものにすぎないのであって、何も新しい改革ではないのであります。現行の
大学でも、東大、
埼玉大の教養学部のような経験を生かして、改革可能な道なのです。そればかりか、教官を学系、学類に機能分化することによって、教官と学生とのコミュニケーションはいまよりも悪くなり、
大学紛争の経験も生かされてはおりません。
そればかりか、
学群、学類の組織を、アメリカのカリフォルニア
大学のサンジエゴ分校にまねて、クラスター・カレッジ・システムという
考え方を適用したまではよかったが、その過程で、
学群というアメリカではカレッジに相当するものを、実体を伴わない機能概念として使われているアメリカのクラスターと称し、間違えて適用するに至っては、軽率のそしりを免れない。やたらにしゃれたことばを使って、研究と
教育の分離を理論化してみたが、何も新しくないのであります。新しい装いをこらしただけであります。ただ新しいのは、教授会が解体され、学系、
学群に教官が分散され、アメリカ式の
大学管理制度を持ち込んできたところだけのようであります。
筑波大学における研究と
教育の分離というその思想と組織は、
大学研究の水準を引き上げることにはならない、一つのモデルにすぎないという
意味で、
筑波大学のこの
構想には強く
反対せざるを得ないのであります。
第四の理由は、
筑波大学では、管理と研究
教育との機能を分離するという
考え方が持ち込まれ、研究と
教育を新しい管理制度のもとに支配することによって、
大学自治と学問の自由を脅かすおそれがあるという点についてであります。
筑波大学では、従来までの研究と
教育と管理とを一体としてとらえた
大学自治の
考え方を否定し、その根幹であった教授会を解体し、研究と
教育と管理とを機能的に分離することによって、
大学の管理運営に効率化、エフィシェンシーを持ち込もうとした点に新しい特徴があります。このような
考え方が出てきた背景は、いわゆる
大学紛争の経験であります。
大学紛争の中で教授会
中心の
大学内の割拠主義が
大学内の意思決定を困難ならしめたという経験、また科学、技術の発展が従来の学部の壁を越えて共同の研究ないしは新しい研究領域の学問を
要請しているのに、従来の学部、講座制がその
要請にこたえられないという現実、要するに学部、講座制の閉鎖性を打破するためには、教授会
中心の
大学自治のあり方を解体、再編成しょうというのであります。そのために現行法制下の教授会とそれを中核とする評議会の機能を分散化し、それを多くの
委員会制度にゆだねて組織化し、同時に効率化をはかるために、
大学管理の専門的行政官を強化することによって、
大学の管理運営を集権化しようというのであります。
大学紛争への機敏な対応、
大学改革の効率化を意図した
大学行政の合理化と呼んでよいと思います。ところが、この
考え方と制度の運用は、結果として
教育と研究をサポートすべき
大学行政が、逆に
教育と研究とを上から管理し、研究と
教育の自由を窒息させることになることは必至であります。アメリカにおける
大学紛争の経験を総括したカリフォルニア
大学の一九六八年のバークレー
報告が、紛争に対応できなかった理由として、管理と研究
教育の分離にあるとし、学生と教官のコミュニケーションの欠如にあったこと、
大学の管理と
教育の一体化の
必要性及びその権限の分権化、教授団
自治の
必要性を強調していることを
考えるなら、
筑波大学はむしろその
考え方に逆行し、ひいては紛争が激化するか、自由のない
大学になるかのいずれかの道を歩むことになると思います。
そのことは、
国立大学設置法の改正を通じて、設置法の精神に反する規定を設けたことに示されています。この部分は、
法案改正の
中心であります。
国立学校設置法は、言うまでもなく、
国立学校の設置に法的根拠を与えるための
法律であります。旧憲法下において
教育に関する事項がすべて勅令で定められていたのに対し、現行憲法及び
教育基本法の精神に沿って
教育を国民のものとして、国会の制定する
法律によって
国立学校を規制しようとするのが
法律の
趣旨であります。学校
教育法、教特法もそのあらわれでありましょう。
国立学校設置法は、一見して明らかなように、
国立大学の名称、位置及び学部などのきわめて形式的な事項のみを定めており、設置法という名称にもかかわらず、
国立大学等の管理運営組織及びその、権能について何ら規律していないのであります。この点が通常の行政組織法、行政
機関の設置法とは異っているのであります。それらは設置さるべき
機関の名称のほかに、その内部組織、権限を定めるのが通例であります。とすれば、
国立学校設置法にその種の規定が置かれていないのはなぜなのかを正しく理解すべきであります。
この点は、まず学問の自由を保障する憲法二十三条及び
教育行政の限界をきめた
教育基本法第十条の精神に戻らなければならないのであります。すなわち、学校
教育法、
教育公務員特例法と関連して、
国立学校設置法は
国立の
大学の管理運営を
大学の自主的慣行にゆだねようとしており、そのことが右の精神に最も適合していると判断しているためであります。
ところが、本
法案で追加された第二章の二は、さしあたっては
筑波大学だけであるが、同
大学の管理運営組織について
具体的な規定を設けようとしています。このことは、
国立大学設置法の精神を著しくそこなうものというべきであり、本
法案は戦後の一連の
大学管理
法案の一部を
国立学校設置法の改正によって先取りしようとするものだといわなければなりません。
しかもこの改正の思想は、
大学行政と通常の行政とを同一視しているという点で、
大学の
自治、研究、
教育を主とする
大学行政の本旨に反するものといわなければなりません。
筑波大学では、
大学行政の集権化、能率化及び開かれた
大学という美名のもとに、副
学長制と
参与会制度が置かれます。
政府や
文部省の
答弁では、これらの制度は
大学自治や自由を侵すおそれなしと主張してやみませんでした。しかし、副
学長、
参与会が学外者によっても構成される道を開いたこと、副
学長の任期もさだかでなく、副
学長は執行
機関であると同時に審議
機関であるということ、副
学長会議が強大なトップマネージメントの役割りを演じ、
大学管理に大きな力を持つに至ること、しかも、
人事に介入できることになっているなどの危険性は何ら解明されていないのであります。また、学外者で構成される
参与会も、
学長と
文部大臣が望ましい者しか任命されず、そればかりか、従来の評議会で審議した
大学運営の重要事項について助言または勧告できることにしているという点も重大であります。もともとアメリカの
理事会制度を念頭に置いて生まれた制度であるだけに、今日、私立
大学における
理事会と
学長との対立、教授会と
理事会との対立に見られるような
大学自治の侵害が起こるおそれを多分に危惧するものであります。そもそも制度はそれをささえる人間の行動様式によって規定されるからであります。
法案でのさらに重要な点は、教員
人事が学部教授会から
人事委員会にその権限を移している点であります。しかも、
人事委員会には副
学長も加わることになっています。
大学の
人事に管理者が加わることは学問の自由、研究の自由への侵害になるという
意味で、管理者は
大学人事に介入しない慣行ができてきているのに、この制度はその
考え方に逆行しているといわなければなりません。
大学の教官
人事が学部教授会にあるとした従来までの
趣旨は、学問の自由という憲法上の
要請と高度な専門性を要するとする
要請に基づいていたのであります。ところが、
筑波大学では、かりに専門
委員会で
人事の
選考が行なわれても、最終的には
人事委員会が決議
機関であるとされていることによって、それが拒否権を持つことになるから教官の学問、思想、信条の自由の侵害となるおそれは十分にあると判断せざるを得ないのであります。
最後に、本
法案は、学校
教育法を今後形式的に改正しなくとも、実質的には教授会の権限を著しく制限できる道を開いたということ、この
法案が通れば
国立学校設置法を手直しさえすればすべての
大学に
筑波大学と同じ方式を適用し、多くの
筑波大学を創設する道を開いたという
意味で、
法案は新
大学管理法と断定することができると思います。
以上、四つの理由から、本
法案は
大学をどのように
考えるかという
大学観の根本にかかわる問題を含むと同時に、他方、憲法、
教育基本法の精神をどうとらえるか、さらには
大学自治、
教育権の主体をどう
考えるかという
教育の根本問題にかかわっているのであります。一片の技術的な法改正では済まされない重大な問題性をはらんでいるのであります。
しかも本
法案がその精神において
大学自治、学問の自由を侵害するおそれがあるという
意味で、あらためて強く
反対の
意見を表明するものであります。