運営者 Bitlet 姉妹サービス
使い方 FAQ このサイトについて | login

1973-06-28 第71回国会 衆議院 文教委員会 第26号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十八年六月二十八日(木曜日)     午前十時四十一分開議  出席委員    委員長 田中 正巳君    理事 内海 英男君 理事 塩崎  潤君    理事 西岡 武夫君 理事 松永  光君    理事 森  喜朗君 理事 木島喜兵衞君    理事 長谷川正三君 理事 山原健二郎君       有田 喜一君    上田 茂行君       大村 襄治君    坂田 道太君       染谷  誠君    中尾  宏君       丹羽 兵助君    野田  毅君       林  大幹君    三塚  博君       森  美秀君    山崎  拓君       勝澤 芳雄君    小林 信一君       嶋崎  譲君    山口 鶴男君       山中 吾郎君    栗田  翠君       有島 重武君    高橋  繁君       安里積千代君    受田 新吉君  出席国務大臣         文 部 大 臣 奥野 誠亮君  出席政府委員         人事院総裁   佐藤 達夫君         人事院事務総局         任用局長    渡辺 哲利君         人事院事務総局         給与局長    尾崎 朝夷君         文部政務次官  河野 洋平君         文部大臣官房長 井内慶次郎君         文部省大学学術         局長      木田  宏君  委員外出席者         文部省大学学術         局大学課長   大崎  仁君         文教委員会調査会         室長      石田 幸男君     ――――――――――――― 委員の異動 六月二十八日  辞任         補欠選任   高見 三郎君     森  美秀君   床次 徳二君     丹羽 兵助君   深谷 隆司君     野田  毅君   藤波 孝生君     大村 襄治君   安里積千代君     受田 新吉君 同日  辞任         補欠選任   大村 襄治君     藤波 孝生君   丹羽 兵助君     床次 徳二君   野田  毅君     深谷 隆司君   森  美秀君     高見 三郎君   受田 新吉君     安里積千代君     ――――――――――――― 本日の会議に付した案件  国立学校設置法等の一部を改正する法律案に関  する件      ――――◇―――――
  2. 田中正巳

    田中委員長 これより会議を開きます。  前回に引き続き国立学校設置法等の一部を改正する法律案について発言を求められておりますので、順次これを許します。木島喜兵衞君。(拍手
  3. 木島喜兵衞

    木島委員 せっかく自民党からの拍手でありますけれども、この間の強行採決でもって何をやるのかまで忘れてしまいました。強行採決後の質問というものはまさにせんの抜けたビールみたいなものでありますが、私に与えられた時間はわずかでありますから、まさに本格的な議論ができないのでありますけれども、少なくとも疑問に思われる点は解明できないまでも、やはり問題点問題点として浮き彫りにしておく必要があろうと思いますので、一点だけにしぼって御質問申し上げます。  先般東京教育大学参考人を呼んだときに、私は、福田理学部長医療担当学長人事についてお尋ねいたしました。その焦点については福田さんは否定をなさいました。もしこれが事実であっても、否定なさるのは当然だろうと思うのであります。なぜなら、そのような事実があったとすれば、この法案が疑われておるもの、世間から心配されておるものが、まさに事実となったということでありましょうから、それは否定なさるのは当然でありましょう。しかし、いささかも疑念が晴れないのであります。  そこで、まずお伺いいたします。医学関係だけについて申しますけれども、秋田大学以来、戦後国立大学医学部を設置するようになりましたけれども、それを新しくつくる場合においては、たとえば今回の旭川においても、来年の宮崎においても、これは無から出発するのでありますから、当然準備が必要であります。そのために、その前年においてその調査費が盛られておって、そこで俗称でありましょうけれども世話校なりあるいは協力校というものがつくられて、そしてその準備によって、構想なりカリキュラムなりあるいは人事なりというものも、一定のものができていくということは、いままでの経過上明らかと思うのでありますが、いかがでございましょうか。
  4. 木田宏

    木田政府委員 いま御意見の中にございましたように、国立医科大学をつくります場合に、創設準備費事前にお認めいただきまして、それによって関係者に集まっていただいて、事前準備をしていくという経緯が一般の場合の経緯でございます。
  5. 木島喜兵衞

    木島委員 したがって、今回の筑波は、母体である東京教育大学医学部がなかったのでありますから、東京医科歯科大学世話校とすることを文部省依頼をした。そして、東京医科歯科大学医学部長であった落合京一郎教授がその創設準備会医学部会主査となって準備を進めてこられました。その間において副学長選考というものの必要性も議題となり、医科歯科大学のほかに、東京大学、千葉大学、群馬大学、そして信州大学の五大学医学部長会を、これもまた俗称協力校といっておりますけれども、このことを文部省依頼をしたということは誤りございませんか。
  6. 木田宏

    木田政府委員 筑波大学医学学群をつくることにつきましては、多少経緯がございますので、その経緯手順を御説明申し上げておいたほうがいいかと思うのでございますが、昭和四十二年の九月に筑波地区への移転予定機関といたしまして三十六機関を閣議できめました場合に、東京教育大学移転とともに、東京医科歯科大学医学部付属病院霞ケ浦分院等移転ということで、そのことを含めて入れました。自来、教育大学筑波への移転考え、また医科歯科大学は、この筑波地区におきます医学研究センターの整備という構想をまとめてまいったものでございます。  創設準備会におきましては、筑波の新大学医学関係を加えることが望ましいという教育大学意見がありました関係上、文部省創設準備会に、筑波大学医学考えるとした場合にどういう体制準備するかという関係から、この関係の深い医科歯科大学学長落合教授等に御参加をいただいて、御指摘がありましたように、落合教授創設準備会医学部門主査お願いして審議をしてまいりました。   〔委員長退席内海(英)委員長代理着席〕  そのことと、それから筑波医学群具体的なスタッフィングをどう整えるかということとは、  一応別のことでございます。いまお尋ねがございましたが、東京医科歯科大学学長並びに関東にございます国立大学医学部長等参加を得て、具体医学部の内容をどうするかという準備をいたしております。二つ別々の姿で準備をしておるということは事実でございますが、落合先生主査になっております創設準備会医学部門と、それから関東の五学部長が集まって協力してくださっているのは、一応別のことであるということだけは御理解をいただきたいと思います。
  7. 木島喜兵衞

    木島委員 そこで、五大学医学部長会落合さんも入っていらっしゃるわけですよね。会議には大体出ていらっしゃる、それは清水学長要請によりましょうけれども。そこで、医療専門学群の副学長という基幹人事がまずされないと構想が進まないということもあって、文部省もその点は了承をしたといいましょうか、相談をして、五大学医学部長は副学長人事選考に入った。  その結果、いろいろの経過はありましょうけれども落合教授にすることが最も好ましいという結論になった。そのことが清水学長の名において東京教育大学準備室文書をもって報告されておりますし、同時にそのことは、文部省が知らないわけがないと思うのですが、その事実は文部省は知っていらっしゃいますか。
  8. 木田宏

    木田政府委員 筑波大学創設準備の予算が正式に四十七年度認められましてから、四十七年の秋のころでございますが、筑波医学部門準備をどう進めるかという具体相談東京医科歯科大学長並びに東京教育大学長両者中心になりまして、関係医学部長の御参加を得て準備が進んだということ、私どももそういう準備を進めていただくようにというお願い教育大学長、医科歯科大学両方にいたしまして、その関係者のお考え関東の五学部長の御参加をいただいた。落合教授はたまたま文部省につくられております創設準備会医学部門主査でございまして、筑波医学構想をまとめられた方でございますから、その方に協力者会議に来ていただいて筑波構想をいろいろと意見を聞いたということは私ども承知をいたしております。  なお、その会議でだんだんと筑波医学部門カリキュラムあるいは病院の施設その他のあり方を固めていきますにつきましては、できることならば中心となるべき医療担当の副学長、また病院長あるいは医学専門学群責任者、こういう中心になるべき人が事実上関係者の間できまりますならば、その人を中心に自後の準備を進めていくというのが大方の場合の手順でございますから、そういう段取りになりまして事柄の論議が進んだ。そして医科歯科大学清水学長のほうからは、関係者の意向として、落合教授医療担当の副学長候補考えたいという意見がまとまったという趣旨のことを、教育大学の三輪準備室長あて報告をされた、そのこと自体は、私ども承知をいたしております。
  9. 木島喜兵衞

    木島委員 文部省依頼をして、そして五大学医学部長会が副学長選考をした、それがどうして文部省には報告されなかったのですか。当然報告されたから御存じになったというわけですね。簡単でいいですよ。
  10. 木田宏

    木田政府委員 もともと筑波大学創設準備仕事は、東京教育大学に設けられております筑波大学創設準備室というのが実質的には主体になるべきところでございまして、その準備室体制が整います前から医学関係準備が進んでおりました。先ほど御説明いたしました医学関係者会合進行の途中におきまして、教育大学には創設準備室というのもでき上がったわけでございます。私どもお願いをいたしましたのは、東京教育大学長と、医科歯科大学長と、両方一緒になって筑波準備を進めていただきたいというお願いをいたしたわけでございます。で、会議進行の間に、これは東京教育大学長も入った会議でございましたけれども医学専門学群の人選については、しばらく医学関係者相談をするからという途中の経緯があったようでございまして、そのために医学関係者の集まりとしてこういうふうに考えたいという返事を東京教育大学長のほうに持っていった。その際に、東京教育大学には筑波創設準備室というものが設けられて三輪先生室長に就任しておられるので、清水学長からは三輪先生にそういう御報告がいった、こういう経緯かと考えております。
  11. 木島喜兵衞

    木島委員 あなたがいまおっしゃったように、あなたのほうから宮島学長なり清水学長にそういう依頼をして、そこで選考して落合さんになった。第一回にやはり宮島学長がこの五大学医学部長会に出て、そして副学長についてはよろしく頼むという発言をしていらっしゃる。そして落合さんにきまった。文部省東京教育大学長にも医科歯科大学長にも頼んで、そして宮島学長も入って、最初によろしく頼むと言って、そして得た結論落合教授が副学長に適当であるということになった。  ところが、その直後の四月二十日に、五大学医学部長会に、東京教育大学長の名でもって、全部は言いませんけれども、「広く意見を聞くために、本「医学部長会」に今後とも協力を願いたいが、この会に人事選考を全面的に委任することはできない。以上の趣旨から、東京教育大学長および準備室長は、本「医学部長会」へは今後参画しないが、必要に応じて本学の連絡員が陪席するのはよいと思う。」こういう文書が出されておる。二十日に五大学医学部長会に出されておるこの文書は、御存じでございますか。
  12. 木田宏

    木田政府委員 その事実も承知をいたしております。
  13. 木島喜兵衞

    木島委員 さっき言いましたね、経過と、そして突如としてこういう文書が、五大学医学部長会に出た。会議の終わりころだったから、みんなはこれをもらったけれども、後日検討しましょうということで、もらっただけでもってそのまま今日に至っておる。こういう経過、突如このようなものが出た。先般この委員会に、落合教授参考人として呼んでほしいという要請をいたしましたけれども自民党反対のためにできませんでしたので、二十一日にわれわれ野党だけでもって、国会に、議員会館室でありましたけれども落合教授に来ていただいて、その真相を聞きました。落合さんは、この文書を見たときの感じを、たいへん失礼なものを出したな、怒りを感じたとさえ言っていらっしゃいます。この辺がどう見ても解せない。先ほどから言いますように、文部省は新設の場合には、新しくつくるのだから専門家意見を聞かなきゃならないから、世話校なりあるいは協力校なりというようなものを頼んで、そういうものでやってきておる。この場合もそれに該当するわけでありますから、そういうことを進めてきた、そして五大学医学部長会に、この文書を出したところの宮島学長も出て、よろしく頼むと言っておるし、その選考の中には宮島さんも入っておる、そういう経過をたどりながら――私は時間に限りがあるからこまかいことは言いませんよ。だのになぜこれが突如出たのか、この辺が私はたいへんに疑問に思うのです。  ここで聞いておきますけれども、こういういままでの経過と、この文書が出たという中でもって、少なくとも文部省とすれば、いままでの経過は尊重するし、東京教育大学には経過を尊重することを期待するという考え方がまずあるかないかということ、この経過からすると、文部省は非常に変なんですよね。こういう点でお聞きいたしたいと思うのです。
  14. 木田宏

    木田政府委員 私もそういう書面が配られたということを伺いましたときに、非常に奇異に感じました。そうして東京教育大学関係者にその真意もただし、私は事柄として、これはお考え直しをいただくべきことではなかろうかというふうに申し上げました。その後、東京教育大学長もお考え直しをされたと私も聞いております。そして、筑波医学部門をつくりますにつきましては、当初からの経緯で進んでおりますように、東京教育大学長医科歯科大学長とが協力をして仕事を進めなければならない、しかも、それになお他の医学関係者協力も得て、いい医科大学をつくるという方向でぜひ仕事を進めていただきたいということを再三お願いをいたし、両学長にも機会を得て何度か意見の交換をいたしまして、東京教育大学長は、前回会合で、そうした文書をお渡ししたことについての非礼も認めて反省もしておられますから、今後の会議進め方につきましては、東京教育大学長が、その書面に述べられたようなことを、また重ねて発言されるということはなかろうというふうに考えております。
  15. 木島喜兵衞

    木島委員 あなたの御努力でもって文部省のメンツが立ちつつあるようでありますけれども考え直し非礼をおわびし、反省もしていらっしゃるとするならば、この文書は撤回なさるというところにまでいっているのですか。
  16. 木田宏

    木田政府委員 今後の進め方について、新たな合意が両学長の間でできておるようでございますから、その文書は近い機会会合であらためて撤回されることになろうと期待しております。
  17. 木島喜兵衞

    木島委員 この文書については、実はこまかくいろいろと聞きたいことがたくさんあるのでありますけれども、これは避けます。  そこで、先ほど申しましたように、先般野党だけでもって落合教授においで願った。率直に申しますと、落合教授は新構想医学専門学群をつくるという意味では、福田さんとも連絡をとり、皆さんとも十分連絡をとっている方であります。でありますから、野党がいまこの法案反対していることは御存じ落合さんが、野党だけのところに出てくるのにはたいへん抵抗をお感じになったのです。なぜなら、野党がいまこの法案反対しておるのに、その自分が進めた道に反対している者に何か加担をすることは、当然落合教授とすれば好まないところでありました。しかし、それを乗り越えて落合さんが出席なさったものは何かというと、これは自分が副学長に擬せられた、受けるか受けないかは自分のこれからの自由であるけれども、少なくとも人事というものは、大学自治中心であります。明治以来、日本の大学人事の問題で大学自治を築き上げてきたと言っても過言ではないでありましょう。そういう人事にもし不当な支配があったならば、これから新構想が多分に出てくるであろうと落合さんは考え、その出発にあたって、もし大学自治が失われることがあったならば、これは自分の問題ではない、あるいは与野党の問題ではない、新構想というその中に、大学自治をどうしても確立せねばならぬという落合さんの気持が出席をせしめたのであります。先般言いましたように、私がこの委員会落合教授証人として呼んでいただきたいと言ったときに、自民党の方々は、これは人事の問題である、いわば人事のどろ仕合いの中であるというごとき印象でもって、ここに呼ぶというのは好ましくないという御反対でございましたけれども、そういうものを乗り越えた、人事のどろ仕合いでなくて、それを乗り越えたもっと高い次元の立場から、落合さんはこの問題で野党の中に出てくださったのであります。  もう時間がありませんから、いまその議事録等はこまかくやりませんが、少なくともその中でおっしゃったことは、この三月の中旬ごろ、福田東京教育大学理学部長落合さんに電話をされて、自民党が、副学長にある人がどうかと言ってきておる。そのことで困っておる。五大学医学部長会の決定はたな上げにしてほしい。このことは奥野文部大臣も知っておるという発言です。落合さんはたいへん驚かれて、あなたは一体どんな立場でもって私に電話をなさっているのですかと言ったら、宮島さんから全権を一任されておる、いわばキッシンジャーであるという。このことは新聞は短く書いてあるのです。電話はもう少し長かったけれども、このことについては、要約すれば、間違いはない。  そして福田さんは二十二日に、清水学長落合さんも同席した中でもって同様のことを言っていらっしゃる。ここまできては自民党の推しているところのA氏を断わることはむずかしい情勢にきておる。何百億円もの金を出すのは政府自民党だから、意見を入れないと新大学も無理でしょうということを言っておることを、これまた認めていらっしゃいます。  私はもしもこのようなことがあるとするならば、先ほど申したとおり、落合さんの心配がここにあらわれたと思うし、いかに副学長参与会人事委員会でもって、きのうも山原先生ずいぶんと御追及なさっておりますけれども、国民全体の中に、あるいは学者や文化人の中に、そういう心配がたくさんあるから、いろいろな意見反対や批判が出ておる。そのことを、もし事実であれば裏づけするものになるだろうと思うのです。いま私は奥野文部大臣に聞いても、きっと奥野さんはそれは知らない、そんな事実はないとおっしゃるでありましょう。言われたらたいへんだからであります。しかし、こういう場合に、否定なさる者と肯定なさる者とのどちらをわれわれは信頼できるんだろうか。お互いに福田さんも落合さんも、一緒に新構想の計画をつくってこられた、構想を築き上げてこられた仲間の二人であります。そういう仲でありながら、落合さんがそのことを、そういう事実を認めたということは、さっき言いましたところの大学自治を守りたいという信念、それ以外にありません。それでもし福田さんなり文部大臣がこれを肯定すれば、この法律はふっ飛んでしまう。だから、事実があってもそう言えないでしょう。しかし、一般的にこういう場合に、ここまでくればどちらの証言というものを信頼できるんだろうか。だからこそ私は、この前の委員会でもって、偽証罪のあるところの証人喚問すらお願いをしたところでありますけれども、できませんでした。奥野大臣答弁の予想もついておりますけれども奥野大臣の御答弁をいただきたいと思います。
  18. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 先日、新聞にこの関係の記事が載ったことがございますが、その前日に新聞社の方から私お尋ねを受けたわけでございました。学長選考も始めていないのに、副学長選考を始めることはあり得ないじゃありませんがと、こうお答えを申し上げたわけでございます。ただ、いまも大学学術局長がお話ししておりますように、お世話をいただいている関係者の間ではいろいろな話がかわされている、これはあってしかるべきだと思います。ただ、私の周辺に関しまする限りは、学長選考も話をしていないわけでございますから、いわんや副学長の問題に取り組むことはあり得ないわけでございます。そう申し上げましたら、それはもうもっともですねと新聞記者の方も理解してくれたわけでございます。そのとおりでございまして、いずれにいたしましても人事の問題は、あらゆる問題を円滑に進めていく上において非常に大切なことでございますので、やはり自然にさからわないで、従来と特段に変わった進め方をするというようなことはしないほうがいいだろう、こう思っておるわけでございます。
  19. 木島喜兵衞

    木島委員 いまおっしゃったあなたの談話によると、落合教授が副学長の一候補にのぼっていることは知っていたとおっしゃったのでありましょうから、その事実は知っていらっしゃったわけでしょうね。
  20. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 落合先生は、筑波大学医学専門学群をつくるにつきまして、たいへんお世話をしてくださっている方でございます。文部省事務当局も、全面的に信頼を寄せているようでございます。私が文部大臣に就任しました直後から、落合先生の名前を伺っているわけでございまして、その落合先生埼玉医科大学長をお受けになったということについて、しばしば事務当局が、困りました、困りましたということを私に話しておりますので、落合先生が、そういう面について中心的な地位に立たれるはずの方であったということは、そういう意味承知しているわけでございます。副学長であるとか何であるかというポストは知りませんが、そういう方であることは、就任当初からよく承知しているわけでございます。
  21. 木島喜兵衞

    木島委員 文部省が頼んだといいますか、文部省相談をして、そして宮島東京教育大学学長及び清水東京医科歯科大学学長がこの選考に入ったのですから、あなたが、副学長になるということを知らないなんということは、これは言わなければ別ですがね。文部大臣はたまたまそのことまでは、局長どまりであなたは知らなかったといえば別ですけれども、あなた、新聞では、副学長候補にのぼっていることは知っていたとおっしゃっていらっしゃるのですよ。それは知っていたのか、どうですか。
  22. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 副学長という特定のポストじゃございませんで、要するに医学専門学群長であるとか、副学長であるとか、いろいろなことがございます。そういう責任ある地位につく予定を当初は考えられておった。それが、埼玉医科大学が昨年創設されて、そこの学長を引き受けてしまわれた。そうなりますと、埼玉医科大学というのは創設してまだ間もないのに、それから、国のほうで必要だからというてそこに迷惑をかけるわけにいかない、そんな話が私が就任しましたときから出ておったわけでございます。そういう意味で、承知しておりますと、こう申し上げたわけでございます。
  23. 木島喜兵衞

    木島委員 落合さんが埼玉に移られたのは、四十七年の四月ですね。副学長は最近ですよ、副学長に五大学医学部長が推薦したのは。逆ですよ。この面でいく限り、文部省からすれば――あなたはどこまで聞いておるか。まあ、いいでしょう。いいけれども文部省からいえばお願いをして、五大学医学部長会落合さんをきめたときには、すでに埼玉医科大学学長だったのです。それは、埼玉医科大学学長を持ってくることはいいかどうかは別、その判断は別個、ですけれども、事実はそうなんです。その推薦を頼んだのは文部省。話し合いをしてやったのです。大臣、正式に依頼したとか、何か清水学長文部省の間に話し合いをして、さっきも局長が言うとおり、そして、宮島学長も入っておるその会で落合さんがきまったのです。それは埼玉医科大学学長落合さんなんです。それをあなたが、学長になっておるものを副学長に持ってくるのはどうかと思うと言うあたりは、文部省とすればたいへん一貫しておらない。   〔内海(英)委員長代理退席、森(喜)委員長代理着席〕 さっき局長は、そういう経過は尊重してほしいと考えておるし、それだけに、さっきの文章について、宮島さんや清水学長に話して、非礼はわびる、反省もする、将来この文章は破棄されるであろうというところまできている。そういう中でもってあなたは、埼玉医科大学学長が副学長になるのはどうかと思うと言うことは、どういうことなんですか。
  24. 木田宏

    木田政府委員 いま、人の問題につきましていろいろ準備中のことではございますが、せっかくお尋ねがあるわけでございますので、私ども、大臣も申し上げましたように、落合教授、いま学長になっておられますが、この方に全面的に御信頼を申し上げて筑波大学医学構想を進めてきた、そういう方でありますから、関係者が、特に医学関係者が、将来の筑波医学部門中心的な方として落合教授お願いするのが一番よかろうという御意見が出るということは、これまたうなずけることなんでございます。しかしながら、これは先ほども御説明申し上げましたように、医学関係者だけで相談をして、医科歯科のほうから教育大学両方準備をするわけでございますから、教育大学のほうに、こういう相談でどうかというような意見を持っていった段階で、教育大学の側からは、また教育大学につきまして別の意見もあり、別の考え方もあって、そのことがその状態でとまっておるというのが、今日の姿なんでございますが、そのとまっておる一つの姿の理由といたしましては、大臣が申し上げておりますように、落合教授が四十七年の四月に埼玉医科大学長に御就任になって、これが発足したばかりの大学でございまして、四十七年から一年生を迎えた新設大学なんでございます。私どもは、大学を新設いたしました際に、新設の当初だけ教官が就任をしてあと動くというのは非常に困るものでございますから、そういう事情を、具体の人選として固定していくならば、もう一つ別に考えなければならぬという要素は東京教育大学のほうにもございます。  そこで、この事前準備段階で落合教授の名前が信望を得て出ておるということは十分承知しておるわけでございますが、それをそのまま確定しがたい事情もまた両者の間にあるわけでございまして、もう一度その点を考え直しをしていただきたいということで、私どもも、ことしに入りましてから――落合教授の推薦を医科歯科から東京教育大学にしたのは昨年の暮れでございます。ことしに入りましてから、この副学長の問題ということだけを焦点にしたきめ方でなくて、もう少し幅広い人選ということをお願いできないものかという意見をいたしまして、それがことしになってからのまた再度の御相談というふうに進んできておる次第でございます。
  25. 木島喜兵衞

    木島委員 このA氏の名前は――われわれがあえてA氏と言っていることは、この人がさも悪い人のような印象を与えるといけないから、あえてA氏と言っているのでありますが、このA氏の名前は、宮島さんも入っておる五大学医学部長会では出ておった、そういう中で落合さんに副学長がきまったのであります。したがって、そういう中ではいろいろな候補者もあがりましたね。五大学の中でいろいろあがりました。いま時間がありませんからこういうことを言いませんよ。あがった中で、そういうことも含めて落合さんにきまっておる。すると、いまお聞きすると、文部省は、埼玉医科大学学長であるから副学長にするのはいかがなものか、いわばこの文章の、東京教育大学は副学長についてはたな上げせざるを得ない、「先般、本五学部長会から副学長候補の推薦があったが、諸般の事情で、副学長については棚上げせざるを得なくなった。」ということは、文部省もまたたな上げを要請した、埼玉医科大学学長であるから落合さんは困るということで、文部省もそれでは一あなたはさっき、この文章を撤回させる方向に進んでおるとおっしゃっている。その中で私が言いたい一番中心は、その副学長に五大学医学部長会落合さんを推薦した、その副学長については、たな上げせざるを得なくなったということと文部省考え方は、それじゃ一致しておると見ていいのですか。
  26. 木田宏

    木田政府委員 私ども、十二月の状況からその両大学の間で起こっておる事実については聞いておるわけでございます。そして新年に入りまして法案準備その他を進めてまいりました。いま落合教授が一番適切な方だというふうに多くの方の御意見があったということは申し上げたとおりでございます。他のいろいろな事情がなければ、これは一般的に当然考えられることだとも思うのでございます。ただ、その場合にも、新大学学長との関係はどうだといったような御意見も出ておったことも聞いておりますが、法案を最終的に確定いたします段階で、いま御審議いただいておりますように、新大学学長、副学長の最初の任命につきましては、東京教育大学長意見を聞いて文部省が任命するというような手順も最終的には固めさしていただきました。そして、実は落合教授の名前だけ出ておりますが、副学長だけ選考が進んだのではないのでございまして、ほかの病院長その他の人事も同時に御相談をいただいておるところでございますから、いまこの問題につきましては、副学長だけを両大学でこだわるということでなくて、事前準備を進めるために、もう少し副学長のことは副学長のこととして、さておくとしても、他の人事を進める相談をやっていただけないかというお願いを、私どももしておるところでございます。
  27. 木島喜兵衞

    木島委員 いま私が質問しておるのは、副学長問題だけ。  そこで、副学長、なぜいま私がそこにしぼるかというと、文部省相談をしてやったところの五大学医学部長会が、経過はともあれ、落合さんになった。それはもうすでに埼玉医科大学学長である。そのことも承知の上でなった。ところが、あなたがさっき、宮島さんがたいへん非礼であり、反省しておると言ったこの文章の中には、「本五学部長会から副学長候補の推薦があったが、――これは落合さんのことね――諸般の事情で、副学長については棚上げせざるを得なくなった。」というこの文章、それでは、さっきあなた、学長が早くかわることは困るから、これは考え直してくれと言ったということは、このことに関する限り、この副学長に関する限りは、この文章の宮島東京教育大学学長文部省の態度は同じということになるのかと聞いておるのです。
  28. 木田宏

    木田政府委員 お答えも申し上げましたとおり、ことしに入りまして、法案準備その他を固め、そうして副学長をこの段階で事実上固めてしまうということが適切でないという感じもいたしましたものでございますから、そこで副学長の問題はさておくとして、他の準備を進めていただきたいという点は、私はお願いを申し上げました。両大学長とも、その点は了承をしてくだすっております。でございますから、その副学長の問題を先にきめなければという御意見に両大学ともなっていないことは、事実でございます。
  29. 木島喜兵衞

    木島委員 本来医学部の、医学専門学群構想の中でもって、やはり中心になるところの基幹人事が必要であるというところから、副学長選考に入った。そのことはあなたも先ほど認められた。そして、いまさら待ってくれということはたいへん筋道が通らない。そして、いまあなたがおっしゃったことで、法案準備をしているから――確かに附則第四は、最初の学長、副学長は、文部大臣東京教育大学学長意見を聞いてきめるということになっておりますね。任命することになっておりますね。すると、文部大臣東京教育大学意見を聞く。すると、ずっと文部省依頼をしてき、相談をしてきた。そして、先ほど木田局長経過を尊重してほしいと言ったその経過、副学長選考する順序、そしてしてきたそのものと、その結論と、そして東京教育大学学長意見を聞いて、副学長をきめるという――副学長だけに限定すればですよ。といって、この附則四の、大臣のとられる処置はどうなさるんですか。
  30. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 文部大臣が、東京教育大学学長意見を聞いてきめるわけでございますけれども、その間に多くの方々が大学をつくるについてはお世話をやいていただき、またいろいろな考えを出していただくわけでございますので、相談するにあたりましては、全体のそういう考え方から、また同時に、学長、副学長協力できる体制でなければなりませんので、そういうことについても配慮をいただいて、そして、お出しいただいた結論に従って学長意見を聞いてきめるという手順に持っていくべきものだろう、こう思っております。
  31. 木島喜兵衞

    木島委員 東京教育大学には医学部がなかったから、そこで、専門家意見が必要であるということでもって、東京医科歯科大学学長中心にして、世話校にし、さらに副学長を選ぶことも含めて五大学協力を得たわけでしょう。そういう結論が出たわけです。その会には、第一回から宮島東京教育大学学長も出て、それではよろしく頼むと言い、宮島さんは他の候補者もあげたけれども、その会議ではそうなっているわけです。落合さんになったわけでしょう。したがって、筋からいえば、それが学長意見として文部大臣は任命する、きのうの拒否権があるかないかという問題も含めて。当然でしょう。なるわけですね。ところが、東京教育大学はこれをたな上げするという。いま木田さんは、文部省もまたこれをたな上げせざるを得ないと言っている。すると奥野さんはどうするんですかと聞いているんです。
  32. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 それぞれ部門別にやはり世話役の方々がお進めいただかなければならないだろうと思うのですが、最後の段階では、やはり学長さんをまずきめて、それと協力していける、そういう体制で副学長をきめてもらう、そういう段取りに、いずれは法案進行、成立を待って進めるべきものではないだろうか、こう考えておるわけでございます。ばらばらにそれぞれのところで副学長まで全部決定してしまうのだということでなしに、やはりそういう進め方を私は否定をしませんけれども学長をまずきめる。そしてそれと並行的に副学長をきめる、そういうのは皆さん方のお知恵を働かしていただかなければいけないじゃないかな、こういう感じを持っているわけでございます。
  33. 木島喜兵衞

    木島委員 だからどうあれ、あなたがいま言ったこの副学長問題については、医療担当学長の問題については、宮島さんがこういう文章を出しておる。これを出しておらなければ、当然専門家意見を聞いて文部省依頼をして、頼んできめたところのものを、教育大学学長があなたに意見を述べるでしょう。あなたは拒否権がないからそのとおりやるでしょう。ところが、そういう形をとってきたものを東京教育大学は否定をしておる。あなたはそのどちらをとるのですかと言っているのです。
  34. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 まだその段階にまで私はきていないと思うのです。同時に、五学部長落合先生を推薦しておられる文書も、新聞にあの記事が出ました後に報告を受けて知ったわけでございます。そういうものでございますので、こういう問題はやはり総合的に考えなければなりませんので、部分的にも進めていってけっこうでしょうけれども、やはり最後は総合的にきめなければなりませんので、そういう段階で皆さんとよく御相談をいただけばいいのじゃないだろうか、こう思っているわけでございます。
  35. 木島喜兵衞

    木島委員 悪意に考えれば、だから落合教授が、野党だけであるけれども、文教委員の中でもって証言されたところの、福田理学部長電話でもって、自民党からA氏が推されて困っておる、これ以上どうにもならない、金を出すのは自民党だ、政府だ、それは奥野文部大臣も知っておると言われたことがあるから、私はいまそのような聞き方をしておるのです。あなたにまっ正面からぶつかれば、そんなことは知らぬとおっしゃるに違いない。さっき言ったとおり。知っていても、知っていると言ったらこの法案は流れます。吹っ飛びます。言わないでしょう。けれども、いま私があえてそういう聞き方をしたのは何かというと、やはり筋道がきちっと通っておる方法があるにもかかわらず、それをいまあなたが肯定しないところに、私は何か、人が悪いかもしれませんけれども、疑いの目をもって見ざるを得ないですが、あなたは、A氏が自民党から推されておる、あなたがそのことも知っておるという、福田さんの電話落合さんにあったという、落合さんはそのことを証言しておるが、その事実についてあなたの御認識をお聞かせいただきたい。
  36. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 いま申し上げましたように、新聞に出てから後に、二月に五学部長から出されておりました副学長の問題の書類を見たわけでございます。したがいまして、副学長問題は私は全然議論もしていないわけでございますから、他から私がそういう話を受けていることもないわけでございます。私がうそを言う人間であるかどうかは、ひとつ平素の私を見て御信用いただきたいと思います。
  37. 木島喜兵衞

    木島委員 あなたを信頼するかしないか、これは。  いま言うとおり、あなたがこれを肯定なさるわけはないから、しかし世間一般でいえば、あなたは別としても、さっきも言いましたように、一緒に新構想大学をつくってきた、いわば同じ陣営の人の福田さんと落合さん、その間の電話あるいは清水学長も含めた中の話、そして福田さんは、あなたもそんなことは知らない、ないとおっしゃる。おっしゃったら、その構想をつくったものからすれば、この構想は吹っ飛ぶのだから、何としても言えない。もっと言うならば、大学自治全体が破壊されるということになれば、これは完全にたいへんなことになりますから、おっしゃらない。しかし、それを乗り越えて落合さんが証言をなさる。どちらが正しいだろうかということを考えれば、落合さんの証言されることが正しいと思うのは常識ではありませんか。一般的にあなたは、こういう場合にはどういう判断をされますか、常識人として。
  38. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 人事というものにはいろいろな話がつきまとうものだなということを、この場合においてもまた思い知らされたような感じがするだけでございまして、私はほんとに真相はよくわかりません。
  39. 木島喜兵衞

    木島委員 一般論として、福田さんも落合さんも同じ仕事をしてきている人、同じ新構想をつくっている人、そうでしょう。福田さんはマスタープランの委員長であったり、文部省準備会の医学部会主査であって、いろいろな新しい構想を打ち出してきました。そういう中の人でもって、そのからむところの基幹人事の問題でもって両方反対のことをおっしゃった。一方、こちらの方が言えばこの新構想も吹っ飛ぶ。その点ではこの人も心配しておる。落合さんも心配されておる。しかし、大学自治を守るためにこちらが証言する。こういう場合には、どちらが信憑性があると常識人としての文部大臣は、一般論として、お考えになりますかと聞いておるのです。
  40. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 常識的にこの際どちらにということは、かえって適当でないのではないか、こういう感じもします。その立場はよく御理解願いたいと思います。
  41. 木島喜兵衞

    木島委員 そうなんですね。そういうような中に、われわれはたいへんに疑問を持つのです。もしこのことが事実であれば、きのう山中先生が、人事の拒否権があるかどうかということを、大臣と法制局長官にいろいろとお聞きになりました。学長の出す意見に拒否権はなくても、出すまでに政府自民党や大臣が干渉をし、きめるというならば、これはこの間、東大の高柳信一先生もおっしゃったように、大学自治人事だけではなしに、むしろ教育財政の中から侵されているという御証言がございましたけれども、そういう中で、そういう力を持つ教育財政的な中でもって学問研究の方向もきめ得る、そういう教育財政の権力を持つ文部省の意向というものは、当然人事にも介入しやすい、しているというのではありません、しやすい状態にある。だから、もしそういうことを通して、人事に介入するならば、もはや拒否権などというものは議論の外に出てしまう。拒否権があるかないかという問題以外の問題になってくる。そういう点では、きのういろいろと御質問ありましたところの、人事委員会やあるいは副学長参与会等の、きのう山原先生の御質問にありましたように、たいへんわれわれは心配を深めているわけであります。  時間が来ましたから、最後に大臣にお聞きします。  この新構想という大学をいま推進していらっしゃいますけれども、新構想というものは、大学自治人事自治というものを、その大学にとって絶対のもの、かけがえのないものという前提に立っておつくりになっていらっしゃると考えてよろしゅうございますか。
  42. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 大学自治につきましては、従来から国立大学についてとってまいりました考え方は、当然筑波大学についても踏襲すべきでございますし、法の内容もそうなっておる、かように考えております。
  43. 木島喜兵衞

    木島委員 したがって、人事については、政党や政府はいささかの干渉もしないと理解してよろしゅうございますか。
  44. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 そうあるべきだと思います。
  45. 木島喜兵衞

    木島委員 すると、さっきの質問にもう一回返りますけれども文部省東京教育大学には医学部はないから専門家意見を聞かねばならぬ。これはいままでの経過でも新しい大学をつくるときに常にそうしてきた。そういういままでの慣行どおりに筑波大学におけるところの医学専門学群構想なり、あるいは基幹人事をきめてくる、そのことは文部省依頼をし、文部省相談して落合さんをきめた。大学はそれをたな上げにしようとする。文部省も、このことは埼玉医科大学学長であるからという理由をもって考え直してくれという。しかし、きまったときにはすでに落合さんは、先ほど言ったとおり学長であった。この辺どちらを――あなたは学長意見を聞いて任命するときに――さっきあなたは時間は急かぬでいいとかなんとかいうけれども、そんなものじゃなくて筋道として、ものごとの考え方として、どちらを尊重せねばならぬとお考えになりますか。
  46. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 単科大学でございませんで、総合大学なものでございますので、いずれ適当なときには、総合的にお考えをいただくというような機会を持ってもらおう、こう思います。
  47. 木島喜兵衞

    木島委員 そんなことだったら、あなた、これは医学専門学群だけの学長であるから、そして東京教育大学医学部はないから、文部省依頼準備費を使ってやってきたのに、総合的だからあとで考えるというのでは、いままで文部省は何をやってきたのですか。
  48. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 先ほど来たびたび申し上げておりますように、現在まだ法案の御審議をいただいておる過程でございます。同時に、医科大学をつくりますときには、医科大学をつくるに協力していただくような学長さんたちで世話役をつくっていただき、全部おまとめいただいておるわけでございます。今度は総合大学なものですから、学長さんをそれぞればらばらにきめていただくわけにはいかない。同時にまた、学長さんと副学長さん、これは力を合わせていただかなければならない。でありますので、学長、副学長というような人事につきまして、いずれ関係の皆さん方から積極的に御意見を出していただくような機会を持たなければならないのではないか、こう思っているわけでございます。  同時に、文部省は最終につきましては責任を持っているわけでございますので、いろいろな問題があります場合には、その問題につきましても意見を言うということは、当然責任があるのではないか、こう考えておるわけでございまして、いずれにいたしましても、従来とってまいりました方針と、今回変わった方針をとるという気持ちはさらさらございませんので、自然に従って人事がきまってくるように持っていきたいものだ、こう念願しているわけであります。
  49. 木島喜兵衞

    木島委員 あなた、附則の四ですね、総合的であるから学長がきまってから相談したい。しかし、最初の副学長東京教育大学学長意見を聞いてやるのです。あなた混同していますよ。いま出しておるこのあなたの法律趣旨に反しておるでしょう。まず学長をきめて、そして学長意見を聞いて総合的に判断する。しかし、あなたは副学長をきめるのは附則によって東京教育大学学長意見を聞く。その東京教育大学学長は、五大学学部長に頼むと言い、彼もまた入って、そしてきめたのです。東京教育大学宮島学長も入ってきめたのですよ。だから、その経過をあなたは尊重するのかしないのか。これは具体的な人事でなくて、それはこれからまたなお経過が積み重ねられるかもしれません。しかし、いずれにしても文部省が予算で通ったその金を使ってやったところのこの経過というものを、先ほど木田さんは尊重するし、東京教育大学は尊重することを期待するとおっしゃった。あなたは、いまいささかもそういうことはない。文部大臣のその辺の筋道を聞きたいと言っているのです。
  50. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 法律に示しておりますように、筑波大学学長及び副学長創設にあたりましては特別な機関がございませんので、文部大臣東京教育大学学長意見を聞いてきめる、こうなっておるわけでございます。副学長を先にきめるわけじゃなしに、学長、副学長一体のものじゃないだろうか、こう考えておるわけでございます。  なお、五大学学部長さんが出しておられる書類、先ほども申し上げましたように、先日新聞にあの記事が載りましてから拝見したわけでございまして、落合先生、りっぱな方だと思いますけれども埼玉医科大学長を昨年お引き受けになったばかり、それを国の都合でそこの事情もわきまえずに引っこ抜いてしまう。これは私はやはりすべきことではない。埼玉医科大学長として昨年御就任になったばかりでございますし、創設されたばかりでございますので、そこにやはり無理がある。また落合先生もそんな気持ち、さらさらないかもしれません。ですから、それなりにそういうことにつきまして御相談もいただいていいんじゃないだろうか、こう考えておるわけでございますだけに、私がいずれ総合的に御相談をいただくような機会を持つべきじゃなかろうか、こう思いますと、こう申し上げておるわけでございます。
  51. 木島喜兵衞

    木島委員 落合さんもお引き受けになるかならないか、たいへん疑問でしょう。落合さんそのものにじゃなくて、そういう経過を、どちらを尊重するのですかと、固有名詞じゃありません。それを聞いているのです。
  52. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 先ほど来申し上げてますように、従来の姿をことさら今回違えるという意思は持っていない。ただ単科大学じゃなしに総合大学であるということは、やはり頭に置いておかなければならないだろう、こう申し上げておるわけでございます。  医科大学の場合には、学長先生から全部組みかえていただいておるわけであります。今度の場合に、医学専門学群お世話をしていただいているグループの方々がいらっしゃるわけでございますが、同時に筑波大学全体として、円滑に運営される配慮もやはり必要じゃないか、こう思いますので、そういうトップ人事になってまいりますと、いま申し上げましたような配慮も必要じゃないか、こう思っているだけでございます。たいへん軽い意味で申し上げているわけでございます。
  53. 木島喜兵衞

    木島委員 もう時間がきましたのでやめます。私はいま大臣の御答弁を聞きながら、ますます疑いを深くいたしました。   〔森(喜)委員長代理退席、委員長着席〕 これほど私は筋道を立てて、あまり枝葉に分かれないように、この問題だけにしぼってお聞きをしてきたのでありますけれども、大臣の御答弁を聞いている間に、ますます私は何かそこにある、何か裏にある、そしてさっき言ったように、落合さんの証言が、だんだんと信用されてくる。しかし、このことは、ことば以外の証拠がないのでありますから、そして一方が肯定し、一方が否定しているのでありますから、これは何らかの別の機会でなければならぬでありましょう。きょうここで決着がつくものじゃありません。しかしさっき言ったとおり、この場合にどちらに信憑性があるのだろうかとすれば、私は常識的に落合さんの証言のほうが、より信憑性があると思う。そしてそのことが、いまここであなたが否定なさっても、私が心配するのは、そのことがもし事実だとするならば、新構想という大学は、その出発にあたって、大学自治というものを否定する新構想なのか。世間が批判し、おそれており、心配しておることが、実は事実なのではないか、そういうことが財政的に権力を持つところの政府としてありがちなことであり、ややもすればそういうことが何か常識的になりつつあることをおそれるのであります。  そういう点を申し上げて、このようなうわさの立つようなことは厳に慎んでもらいたいということを要望しまして、私の時間がきましたので質問を終わります。どうも失礼しました。
  54. 田中正巳

  55. 山原健二郎

    ○山原委員 ただいま木島先生のほうから、きわめて大事な問題が提起をされているわけです。この人事の問題がいかに大事かということは、この前の参考人の方、筑波大学に賛成しておる方までそのことに触れられおります。ところがこういう、うわさとはいえ相当信憑性を持ったものが出てきて、すでに筑波大学の最高幹部の人事が、そういう状態で暗躍あるいはいろいろなうわさが飛ぶということは、まさに筑波大学の前途に暗い影を投げかけているということを私ははっきり申したいのです。この間私は、落合教授に対しまして、新聞に出ておることを全部はお聞きしませんでしたけれども福田理学部長から、キッシンジャーということばが電話の中で出ましたかといいますと、はっきり、出ましたとお答えになったわけです。キッシンジャーかラスプーチンか何か知りませんけれども、そういうものが最高人事の問題で、ごそごそ動いているなんということは、想像もできないわけですよ。  それから、ただいま木島委員の質問に対して文部大臣答弁、ちょっとおかしいと思うのですが、あなたが副学長の人選が行なわれているということを知ったのは、この間新聞が出てからだとおっしゃいましたが、そういうことですか。
  56. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 五学部長から、落合先生が適当だということを書いた文書がございました。それは新聞を後に事務当局から持ってきてもらいまして拝見をいたした、それが初めてでございます。
  57. 山原健二郎

    ○山原委員 新聞に出ましたのは、おそらく東京タイムズだと思いますけれども、六月ですよ。ほんのこの間のことです。昨年の十二月の二十二日に東京医科歯科大学学長、清水教授から、いわゆる五医学部長会議の報告書が文部省東京教育大学準備室の三輪知雄氏に対して送られております。昨年十二月の二十二日のことなんです。それには副学長選考にあたっての経過がずっと書かれている。しかも、最適任者は落合京一郎教授であるということが出され、しかも、それには、現に落合教授埼玉医科大学学長をしておるから、その点については配慮していただきたい。そのことも含めて落合京一郎教授が最適任だという文書が、文部省に出されているわけです。それから半年間文部省事務当局は、文部大臣に対して提出されたこの文書を、奥野文部大臣に見せなかったのですか。
  58. 木田宏

    木田政府委員 ただいまおあげになりました文書は、医科歯科大学長が東京教育大学の三輪準備室長に出された文書でございまして、その写しは私は拝見をいたしました。しかし、文部大臣あての報告ではございません。文部大臣あての報告は、まだその段階では準備ができてないように私は了承をいたしております。  先ほども木島委員お尋ねにお答え申し上げましたとおり、東京教育大学長と、それから医科歯科大学長とが協力をして、この医学体制準備を進めていただきたい。いままでの経緯もあることだから、医科歯科大学長が中心になってお世話を願うようにしたい。そういうお願いを両大学長お願いいたしまして、そうして東京教育大学長医科歯科大学長とのほかに、五学部長が集まった会で御相談があった。その間、医学関係者だけで集まって意見の交換もしたいからというので、集まられましたその報告を、東京教育大学のほうに持っていかれたわけでございますから、両大学の間での御相談というのはまとまってない段階でございます。私どもは、その途中の経過を聞かせていただいておるということでございまして、大臣には、文部省あての文書としてお見せをするということはいたしてございませんでした。
  59. 山原健二郎

    ○山原委員 その文書の提出を求めます。これは非常に重大でございますから、木田大学局長がそういう重要な文書を、半年間も写しを持っておって、大臣にも見せないということですね。この副学長選考にあたっては、最初六名の方が候補者として出ています。それから三人の方が出ています。その間において、この五医学部長会議におきましては、まだ学長もきまってないのだから、副学長選考は一時見合わせようではないかということで中止をしているのです。それがさらに文部省要請に基づいて昨年の十一月一日に室長三輪知雄氏が就任をして、三輪知雄氏とそして宮島学長とが同行しまして、そして五医学部長会議に出まして、あらためて早く選考してもらいたい、こういう要請があって、その結果昨年の十二月の二十日でございますか、落合京一郎教授に満場一致で決定をしておる、こういう経過を踏んでいるわけですね。  だから、この間半年間、文部省が何一つこれに対して関係をしていないなどということは、考えられません。密接な関係を持って、東京教育大学とマスタープランその他についても行なってきたと主張し続けてきた文部省ではないですか。それがこういう重要な十二月二十二日のこの報告書、それをいただいて――私は文部大臣あてに来ておると思っております。だから、その文書を見せていただきたいと思いますけれども、かりに写しとしても、あなたが見たならば、なぜ文部大臣に対してこういうことがあるのですよということを報告しないのですか。しかも、新聞に六月、ほんの最近になって出ましてから、初めて文部大臣に見せるなどという、そういう文部省内のやり方が今日まで行なわれているわけですか。
  60. 木田宏

    木田政府委員 先ほども申し上げましたように、東京教育大学長医科歯科大学長とを中心にいたしました準備の段階で御相談中のことなんでございます。医科歯科大学長のほうから、東京教育大学の三輪準備室長に対する、こういう経過でございますという文書を確かに私も写しとして見せていただきました。しかし、それは先ほどもお答え申し上げましたとおり、落合先生を一般の方がいままでの経緯から見て一番適任であるというふうにお考えになるのも当然のことではございまするけれども、しかし、このことにつきましては、通例でございますと、私ども大学の設置審議会等にはかりました場合に、とうてい御了承を得られないというような性質の要素を持っております。ですから、落合先生のことにつきまして、それを受け取られた東京教育大学のほうも、今後の準備を進めるにつきましては、なおよく考えなければならぬという状態でございます。よって、その当時御論議がありましたのは、副学長予定者と病院長予定者ということでの御論議があって、その御論議が詰まらないままに準備仕事が進んでおりませんものですから、そこだけで準備が進まないというのは困るので、進められる準備をもう少し進めていただきたいということを再三私からお願いを申し上げておりました。  先ほど大臣もお答えいたしましたように、実際に事前準備でございますから、いろいろなことを、準備の進むところから進めていくということでやっていかなければなりません。一つのことだけにこだわってしまって、両大学関係相談が進まないということは、私としてもたいへん準備を進める立場で困るわけでございます。でございますから、いまの落合教授の問題等につきましては、三輪室長のほうからの御意見もございましたけれども、そのことだけをいまどちらかにきめなければならぬということじゃなくて、もう少しほかの準備を進めていただきたいという御相談を重ねてまいりまして、経過がたった次第でございます。
  61. 山原健二郎

    ○山原委員 再三、一同、五医学部長会議が学長もきまらないのだからやめましょう、これは良識ある態度ですよね。そうしたら再び東京教育大学宮島学長、三輪知雄室長から再度の要請があって、早くきめてもらいたい。こういう経過があるわけでしょう。   〔委員長退席、森(喜)委員長代理着席〕 だから、そういう中で、しかもそういう経過を経て満場一致で出てきたものを、さらに半年間文部大臣にもあなたは知らさないで、そこに今度は、この五医学部長会というのは関東甲信越の医学部長が集まっている。まさに専門家なんですね。東京教育大学というのは、木島先生も言われたように医学部を持っていないのです。専門家はいないのです。ここに來雑物が入ってきておるのです。そして同時に福田さんという理学部長、これは実権を持っておる方だといわれておるわけでございまするけれども、この間参考人としておいでいただいたわけでございますが、そういう実力者がこの中に介在をしていく。   〔森(喜)委員長代理退席、塩崎委員長代理着席〕 そうしてその中に――自民党も被害者ですよ、あっさり言えば。自民党筋からこういう人が推薦されておるので、これはたな上げせざるを得ない。もし自民党が言っていないとするならば、自民党も被害者なんですよ、こういうことを言われておるのは。だから私は、自民党の方たちも、その真相を究明するために福田理学部長をお呼びになってもいいくらいの問題だと思うのです。そういう政治的介入まで、これを利用して、たとえば電話でおどしをかける、たな上げせざるを得ないという、この個人がいわば暗躍しておる状態、これに筑波大学の今度の参与会その他を含む学外者の問題とも関連してくるという、この点を私たちは心配をしているわけでございます。  それで、この福田さんという方はみずからキッシンジャーと名のっておられるわけでございますけれども、どういう権限が与えられておるものか、私はわかりません。しかし、この方がこの間参考人として、東京教育大学関係者として当委員会においでになったわけでございます。あのときに福田さんは、東京タイムズのこの記事については厳重に抗議をする、取り消しを要求すると言われました。現在お聞きしますと、そういうことも行なっておりません。この委員会において証言をされた、参考人として言われたこと自体も行なっていない方なんです。  それからまた、昨日出ましたところの自由新報、これに福田さんと思われる方が「現代の虚構」という論文を載せています。これは明らかに、文教委員会参考人として呼ばれた。そしてその中の二人は、とっくに東京教育大学から転職したり退職した二人の元教授と、反対派の教授であった。私も出たと言っておるのですね。あのときは四人呼ばれたのですから、反対派として来られておったのは、東京教育大学関係のお二人の方とお一人の方、三名の方で反対した。だから、明らかにこの文章を書いておる方は福田さんです。Fというかしら文字を使っておりますけれども、これはどうなに考えましても、この文章から見るならば福田信之理学部長でございます。  その方が、これは全く当委員会において参考人を呼びました会議を侮辱しているのです。どういう書き方をしておるかというと、「筆者は先日衆議院文教委員会参考人として呼ばれ、審議のやり方を直接知る機会が与えられた。」そういうことから、全く筑波構想の本質に触れなかったというようなことが書かれているのです。しかも私どもの党にとりましても重要な問題として、「とくに大学民青と日教組あげての反対運動は狂気のさたといっても過言ではない。」という言い方もしております。さらにまた「学内に公然と党組織をつくって大学自治をおびやかしているのは、現在のところ日共だけである。」「筑波大学は極左勢力の攻撃から大学自治を守り、教官と学生が自由に学問に従事できることを、最高の目標としている。」これが筑波構想に対して一番協力してきた人の発言なんですよ。筑波大学はこういう目的をもってつくられているのですか。また、いま大学の中に政党の組織を持っておるのは共産党だけではありません。どの政党だって持つのは憲法上当然のことなんです。ここに自由民主党の出されておる年報がございますけれども、その中にも「東京都学生部。東京都内各大学に支部を結成したところは七大学である。目下、有力大学内に研究会ないし支部結成の準備中である。」一部分でありますけれども、こういうふうに出ております。これもまた、自由民主党として大学の中に、学生の中に、党の支部をつくるのは当然のことなんです。  そういう状態であるにかかわらず、まさに反共、反日教組、こういう立場でしか、ものごとを考えられない人物が、この筑波大学の中枢部におる。しかも、副学長という最も大事な管理機構の要員の人事について、まさに暗躍をしている。そして、事実かどうかわかりませんが、自由民主党の名前を利用して、この副学長人事はたな上げせざるを得ないという電話をかけておる。そして、お世話役として東京教育大学も、また文部省も認めたところの東京医科歯科大学学長に対しても面談をして、そのことを言っている。どんなに福田理学部長が今日になって否定しようとも、証人としてそれを裏書きしておる方は落合教授であり、また東京医科歯科大学学長清水教授であります。どちらが信憑性があるかということは明白なところ、こういうことが行なわれているということになりますと、筑波大学は重大な問題をかかえておる、私はそのことを指摘をしなければならないと思うわけでございますが、もし文部大臣の言われるとおり、学長はきまっていないのに、副学長、そういう選考をやるのはおかしいというのであるならば、あなたは六月の段階で知ったというのですから、知ったならば、そのことはおやめなさいと言うべきでしょう。いままで何カ月も選考させて、そして満場一致で決定したものが出てくると、これにちょっかいがかかっていく。今度はどういう言いのがれをするかというと、東京教育大学との間にまだ意思が疎通していないので、だからこれが停滞したままだという言いのがれをする。これらの一連の、木島先生がいままでずっと経過を追って言われたことから判断をしますと、何か暗いものがこの筑波大学の背後で動いておるということなのです。こんなことを国民に印象づけられたら、これはたいへんなことでございます。そういう点については態度を明確にしておかなければ、人事の公正を失った大学などというものは、大学自治などというものは守れるはずはありません。文部省の姿勢を明確にしておかなければならぬ問題です。その点について、文部大臣の決意をここで伺っておきたいのであります。
  62. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 東京教育大学が発展的に解消して筑波大学が生まれるものでございますので、東京教育大学関係者人事の問題につきましても関心を持つ、これは当然のことじゃないだろうかというふうに考えるわけでございます。ただ、学長とか副学長とかいうような問題は、文部大臣が、東京教育大学学長意見を聞いて任命をすることになっておりますし、またその選考に取りかかるということもないわけでございますので、文部省がそういう人事についてかれこれいま話をしているということはない、こう申し上げているわけでございます。いずれにいたしましても、従来から新しく大学をつくります場合には、つくる大学学長等の人事につきましては、お世話役をつくりまして、おぜん立てをしていただくというしきたりになっていますので、そういうようなしきたりは十分わきまえて、特に変わった運営をしようという気持ちはない、かように申し上げているわけでございます。いろいろな争いがあったりしていますこと、まことに私も残念な感じがいたします。しかし、個々にいろいろ人事などにつきましても御心配になること、そのことを私は否定すべきではない、いろいろなことがあってもいいのじゃないかと思います。ただ、それが黒いうわさ的な感じになってまいりますこと、これはたいへん遺憾なことでありますので、そういうことのありませんように、文部省といたしましても特段の配慮をしていくべきものだろう、かように存じております。
  63. 山原健二郎

    ○山原委員 特に福田さんの発言の中に、お金を出すのは政府であり自民党であるから、その言うことを聞かざるを得まいなどという発言があるということは、これはもってのほかでございまして、そんなことがもしあるとすれば、これはたいへんなことだ。利用したのかどうか、事実あったのか、私どもその真実を見きわめることはいまできませんけれども、こういうことがあるとこれはたいへんなことでございますから、だから私どもが言っておりますのは、学長の問題は、これは大学が新設される場合には、これは文部大臣が任命をするという形態をとられるのはやむを得ないと思うのです。しかし、大学が構成されて後における副学長問題は、大学の自主的な決定という民主的な手続をとることが、こういうことをなくする最大の道であるというふうに私たちは考えて、昨日もそのことを強く強調したわけでございます。そのことをきょう申し上げるつもりはありませんけれども、ここらの制度上の問題があるということを私ははっきりさせておく必要があるのではないかと思うのです。  それからもう一つは、現在、東京教育大学準備室ですね、室長一名、室員二名ということがもうとうに決定をされておりますけれども、依然として室員ができないというのはどこに原因があるか、これも私は伺っておきたいのです。東京教育大学がスムーズにいっておるとするならば、その室員などはもうとうから決定をされて、もっと体制の整った形で筑波大学が前進をしていくわけだろうと思うのですけれども、そこの根元のところがまだもたもたしておる。それらの原因もどこにあるのか、これらも伺っておきたいことなのであります。
  64. 木田宏

    木田政府委員 御指摘のように、東京教育大学創設準備室は、三輪準備室長が昨年の秋、十一月のころにきまりまして以降、私どもとしては鋭意その人選が早く進むことを期待しておるのでございますが、学内の意見がまだまとまりませんで、室員二名が欠けておる、御指摘のとおりでございます。これはやはり学内の論議が詰まらない、相談が円滑に進んでいないというふうに私ども理解をしております。
  65. 山原健二郎

    ○山原委員 私は、東京教育大学筑波移転の問題はじめ、マスタープランの問題はじめ、評議会の問題をはじめといたしまして、文学部の問題が出てまいります。一方は文学部に対するきわめてきびしい批判的な態度をとっておられる。しかし、ほんとうに大学の発展ということを考えるならば、その困難な中でなおかつ話し合いが進められていくというそういう態勢、またそれに対する文部省としての、くちばしを入れるのではなくして、その話し合いを激励する、支援していく、そういうことをやっていく、このことが私は大事だろうと思うのです。文学部が非常に不当な決定だということで出席をされない、それを放置されたまま、やむを得ないのだから多数決でいくのだというような姿勢とか、そういうものが積み重なってきておる。これが東京教育大学の残念ないまの姿です。だから、それが室員の問題にしてもいまだに決定をしないというところにもあらわれてきておると思うのです。  それからまた、学長である宮島さんに対して、評議会議長としての不信任案が出る。これなどもあの学則を評議会議長である学長がかってに変えなければ、不信任の案が出る直接的な動機はなかったと思うのです。だから、そのときに、ほんとうに学則の問題について法案との関係でどうするのか、現在の学生の修学年限をいつまでに持っていくのか、かってに自分の頭でここだというふうに決定をして、せっかく学生を募集するときの募集要項として、受験生に対して、親に対しても示しておるものを、いきなり学長の権限でこれを縮めるというようなことが行なわれる、いわば独断専行、そういうものがあるわけです。それを民主的に話し合って、法案がまさに通ろうとしている、あるいは法案がいまかかっているこの際に、ここで修学年限をどうこうしなければならぬのだが、どうだろうという話し合いがなされるならば、ああいう事態は起こらなかったと思うのです。いま東京教育大学は、依然として二月以来評議会が開けないのでしょう。評議会を開いて議長である学長出席要請しても、学長は出てこない。最近何か、臨時委員会か何か持たれたそうでありますけれども、それも決して正常な評議会ではありませんから、要するに二月以来不正常な形が続いているのです。東京教育大学の意思に基づいて基づいてと、しばしば言われるけれども、その東京教育大学たるや、まさにそういう残念な状態にある。また、学生諸君も職員の方も全く知らない、何ら相談も受けない状態で中枢機構が先行していくという、こういうところに問題があるわけです。そういうがた馬車を引っぱって、新しくできる筑波大学がよくなると思ったら大間違いです。東京教育大学の民主的な運営というものを確立をしていく、そのために教職員の皆さんあるいは学生の意向も十分反映させていく、そういう体制、体質というものをつくり上げてこそ初めて新構想筑波大学というものが新たな前進をしていくわけです。そこらはもう麻の乱れたような状態にしておいて、何でもかんでも決定したのだからやっていけという形で出てきたのが今度の法案審議の中での文部省答弁ではなかろうかと私は思うのです。そこらのことを相当腹をきめて民主的に整理をしていく必要があると私は考えております。  だからこそ筑波大学には職員の問題は全然出てきておらない。「第一次まとめ」でも、職員がどうなるんですか。現在東京教育大学におられる職員の方たちは、希望する者は全員筑波へ移るんですか。家庭の事情やその他で筑波へ移れない方は、どうするんですか。あるいは筑波大学における事務職員の配置はどうなっているんですか。八百何十何名というのが本部へ集中していることになっていますけれども、そうなってくると、学系や学群には事務職員がいないというような状態が出てくる。現在の東京大学の事務機能よりもさらに大きな集団が、筑波大学の本部に集中するというような計画になっておるようでありますが、それもまだ私どもにはわかりません。私の聞いたところではそういうことになっていますが、この職員の問題なんかについては、筑波大学ではどういうふうにお考えになっておるか、簡単にちゃんと整理された案を持っておるかどうか、持っておるならばここへ出していただきたい。  いま資料要求として、一つは、昨年の十二月二十二日の五医学部長会議が三輪知雄室長に出した副学長人選についての文書、それからただいま申しました職員の方たちをどのようにするかというその計画があるならば見せていただきたい。現在のところ職員の方たちや学生の諸君の問題について私たちは審議する資料がないわけです、何もないわけです。そういうような中で審議をしておりますので……。  ただ、学生のことについては、この間参考人を呼びましたときに、東京教育大学の大島さんでしたか、あの方がいろいろ読み上げられました。あれ、何だろうと思って、初めてびっくりしたわけです。学生を三十人単位で何とかかんとかするというふうなことをずらずら読み上げられて、あんなものが文部省の中にあるのか、一体どこにあるのか、われわれはこの法案審議にあたって、大学を構成する、しかも大学の教職員の半分以上を構成する職員、あるいは学生がどうなるのか、そういうことも知らないままこの法案を審議しているのですが、これについての説明と同時に、その資料を直ちに出していただくように要求をいたします。
  66. 木田宏

    木田政府委員 法案提出の前後から、東京教育大学の中で不安定な事情がありますことは、私どもも遺憾に思っておりまして、できるだけすみやかに体制が整いますことを期待をいたしておる次第でござます。  お尋ねのございました資料でございますが、第一の東京医科歯科大学長が三輪室長に対しまして提出をいたしました文書は、私どもが直接の当事者になっておりませんので、また関係学部長もおられることでございますから、御依頼の趣意を伝えまして、関係者の同意が得られますならば御提示をするというお世話をしたいと思います。  第二点の事務局の関係でございますが、事務要員は本部で一括して体制を整えて、新たな体制に即応できるような配置を有機的に考えたいという次第でございます。いままでのように、部局に何名ずつ割りつけるという考え方でなくて、全体的な事務職員の有機的な配置ということを考えたいという趣意で、非常に包括した事務局という姿をいまのところ創設準備の段階でも構想をいたしておる次第でございます。また職員等、これは事務職員も当然でございますが、東京教育大学関係者筑波大学に発展的に移行する大学でございますから、そのことを希望される方が筑波大学のほうに移るというのは当然のことかと思います。それを希望されない事務職員、または、そのことが事実個人的に不可能だという職員については、個別に御相談をしていくつもりでございます。
  67. 山原健二郎

    ○山原委員 結局事務職員の配置にしましても、中枢管理部門に集中して包括的に握って、そしてそれから各学系、学群あるいは学類、そのほうへ配置するということだろうと思うのですけれども、その配置計画などおそらくまだできていないと思うのです。だから、学生に対する取り扱い、これは非常に重大な問題ですし、それから職員の方々に対する移転その他を含むところの計画、これを出していただかないと、私ども、ほんとうに筑波大学移転にあたってのそういう人たちの身分の問題なども、これは国会で当然論議しなければならない国家公務員の問題でありますから、そういうことがまだ煮詰まっていないとするならば、現在考えられておる案については、せめて文教委員全員に配付をしていただきたい。  同時に、今度の大学におきましては、いままでのような学部割拠制というものがなくなるというお話ですけれども、しかし、やはり学類もあるわけですね。その人員の配置をどうするかという案等だって出てくるわけで、必ずしも筑波大学が研究と教育の組織に分かれたから、すべてがうまくいくなどという甘い観測ではだめですよ。ほんとうに学類においてもそれぞれ人員の配置、予算の配分というものを含めたいろいろの問題があるわけですからね。いままでの大学だって、民主的に学部教授会の運営が改善されていくならば、相当改善できる問題――組織を変えたからすべて問題が解消するなどという、甘い観測でPR資料を出しておりますけれども、それは必ず蹉跌を生ずるということを考えます。私はそういう意味でこの資料の提出を要請をしまして、本会議も始まりますので、午前の質問を終わります。
  68. 塩崎潤

    ○塩崎委員長代理 午後三時に再開することとし、この際、休憩いたします。    午後零時十七分休憩      ――――◇―――――    午後三時十一分開議
  69. 田中正巳

    田中委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。  国立学校設置法等の一部を改正する法律案について、順次発言を許します。受田新吉君。
  70. 受田新吉

    受田委員 私、今回提案され、目下審査が進められておりますこの国立学校設置法等の一部改正、なかんずくいわゆる筑波大学法案と称せられるポイントについてお尋ねをいたします。  文部省は、いま日本の大学教育がどういう形で行なわれておるのか、近代国家の優秀な人材育成の場における高等教育の拠点としての大学教育の理想像というものは、どこへねらいを置いておられるか、基本的な問題として御質問をしたいと思うのです。  ばく然とした質問でありますが、中身に触れさせていただくならば、いま日本の青年層で、現に大学に学んでおる学生数と、一般国民当該年齢の人々との比率、それから過去における戦前の大学教育のそうした形における姿等を比較してお答えを願いたい。
  71. 木田宏

    木田政府委員 申し上げるまでもございませんが、戦前の大学というのは国家枢要の人材を養成するエリートのための教育機関というふうに考えられておりました。これも明治、大正、昭和と下るに従いまして大学の規模が拡大し、その学生数もふえてきたことは事実でございますが、大ざっぱな数字で恐縮でございますけれども昭和の十年代まで、十年のころまでは、大学に学ぶ学生数は、いわゆる正規の大学と申しますと一、二%、同年齢人口の一、二%程度であったかと思うのでございます。その当時の高等専門学校まで加えまして三、四%というのが昭和十年ころまでの姿であったかと思います。戦時中にいろいろと拡大もいたしました。戦後御案内のような新しい学校制度をとりまして、高等教育への進学の比率は逐次高まりを見せてまいりました。しかし、それがふえ始めましたのは、実は昭和三十年代の後半から急激にふえ始めたというように私ども考えております。これは一つには、戦後の六・三制の改革によりまして、初等中等教育が六・三・三というふうに一貫した教育制度になりましたために、高等学校への進学率が昭和二十四、五年の四〇%台から昭和四十年代に七十数%に高まる、今日におきましては八七、八%にまで高まるという高等学校教育の普及と対応しておるものでございますが、これらの高等学校への教育の普及に伴いまして、昭和三十年代の後半からわが国の大学教育への進学者の層が逐次厚くなってまいりました。昭和三十五年と四十年の段階で大学生の数をとってみますと、大体三十五年から四十五年の十年間に学生数は約四倍にふえておるという状況に相なっております。  今日、昭和四十七年度にわが国の大学、短期大学へ進学いたしております青年層は、全国平均で同年齢人口の二八%を数えるに至りました。これは戦前の中等教育よりもはるかに大きい数字に相なっておるのでございます。また、地域別にはこの進学率は非常な隔たりがございまして、東京のように同年齢人口の五割の青年たちが大学へ進学しておるところもございますし、青森のように――一番低いのが青森県でございますが、同年齢人口の一四%というような非常に比率に大きな隔たりはございますが、最近五年間にこの進学率が一二%も高まったという状況でございまして、世界ともにいわれております大学の大衆化現象というのが、昭和四十年代に入りましてからわが国にも急速に広がってきた、こういうふうに考えておるところでございます。
  72. 受田新吉

    受田委員 その点は一応あたりまえのことでありますが、私が問わんとしているのは、いまのような情勢の中で、大学教育というものは、かつての大学が学のうんのうをきわめるという時点に行なわれておったわけである。しかし、学校教育法はそれを「学術の中心として」云々という新しい構想に切りかえた。しかし、これだけではなくして、もっと社会に奉仕し、もっと一般国民に役に立つ人材をつくるという意味の新しい大学像というものを一応考えておるのではないかという、文部省大学教育における新しい夢を私は伺いたいと思っておるわけです。
  73. 木田宏

    木田政府委員 ただいま申し上げましたように、大学が非常に広い青年層を対象にした教育の場になりつつある。それに対応いたしまして、これからの大学考えてまいります場合には、幅広い一般的な教育、そしてまた大学だけで勉強したらすべてが完成するということではございませんから、社会に出た人々もまた大学に立ち返ってきて勉強できるような大学大学が地域社会の知的創造活動のセンターとなり得るような大学、これを将来の大学の姿として考えてまいりたい。すべての国民に年齢、場所あるいは時を選ばずに学び得るような大学という方向を考えてしかるべきではないかと思っておるところでございます。
  74. 受田新吉

    受田委員 学校教育法には、学術を中心として、知的、道徳的、応用能力を大学では養成するという趣旨が書いてあるのです。学のうんのうだけではない。知識人としても、道徳人としても、また社会人としての応用能力を持つ意味からも、そういう各面に豊かな人材を、全人的な陶冶の上に教育するというのが大学教育であると私は思っておる。  しかし同時に、いま局長が指摘されたような、かつてのエリート人材を養成する時代と違い、少数の人材を育成する時代とは違って、あなたがいま指摘しただけでも、現在二八%同一年齢の者が大学に学んでおる。さらにこれは、だんだんと、年とともにその比率は高まると思うのです。そうすると、大学というのはもうこれは大衆のための大学だ、一部エリートの大学ではないのだ、庶民の大学だという意識を持つべきであると私は思うのですね。そういう構想がいま局長には一向うかがわれない。地域社会に奉仕するという意味でなくして、大学の性格が、すでに国民の同一年齢層の半分にも達する人が大学に学ぶという時代になった現在、古いタイプの大学教育考えておられるような文部省では時代おくれになる。文部官僚の皆さまはそういうエリート時代に養成された人々であって、古い頭で、石頭でこれからの大学教育考えようとされてはいかぬということを私御注意しようと思ったのですが、文部大臣、あなたはそういう意味では自治省にも長くおられた高級官僚のお育ちでありますし、腹を立てない、常に笑顔をもって接するという、福徳円満の相を持っておられるようでありますので……。これをいいかげんに流していくような問題ではない。これからの大学教育のしんはどこへ置いていったらいいかというくらいの文部大臣としての構想が要ると思うのです。日本の大学というもの、特に大学の自主性、管理体制というものは、ドイツのほうから学びとって、そして日独の第二次世界大戦への原動力になった人材は、そうした大学教育でつちかわれた人々であるといわれるほどの、ヨーロッパのドイツ教育をまねた日本の教育が批判されておる今日でありますので、これからの大学教育は、いま申し上げたような大衆性を持った大学、開かれた大学――開かれた大学ということは、真の開かれた意味大学ということであるならば、私は大いに共鳴する。かけ声だけでなく、ある特殊の目的を持ったものでなく、真の意味の開かれた大学というようなものへ大学教育を置くべきではないかと、私はいまお尋ねしたつもりでございますので、その趣旨に沿った御答弁を願いたい。
  75. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 ただいま大学学術局長がお答えをいたしましたのも、受田先生がおっしゃっているのも、私同じような基本的な考え方であったのではないかと、こう思っております。先ほども政府委員答弁いたしましたように、戦前の大学は国家枢要の人材を育成するのだというふうに示されておったわけでございました。仰せのように少数のエリートを育成するのだ、指導者を育成するのだというような考え方に立っておったと考えるわけでございます。今日はむしろ国家社会の形成の中核者、そういうものになってもらう。少なくとも一般的には大学を卒業したと同じような素養をみんなが身につけるのだということになっていくのじゃなかろうか、こう考えておるわけでございまして、そういう考え方のもとに大学の整備を進めていかなければならない。だからまた、六〇年代には四〇%の人たちを大学に迎え入れられるように大学の施設を整備していこうというような計画を持っておるわけでございます。  同時にまた、社会がどんどん変化いたしてまいりますし、同時に社会に開かれた大学としてそのあり方をくふうしていかなければならないわけでございますだけに、大学当局が常にそうした面におきまして積極的に対応策を打ち出していく。講座の開設でありますとか、あるいは学科の編成でありますとか、あるいは大学院のあり方、すべてそういうような見地においてくふうをしていただかなければならない。学術の研究を続けますと同時に、そういうような社会に開かれた大学としてのあり方を積極的に掘り下げて研究してもらい、また対応策を立てていってもらうということはたいへん必要なことだ、かように考えております。
  76. 受田新吉

    受田委員 大臣も大学学術局長も、お人柄として、気持ちが悪いほど笑顔をもってわれわれに当たっておられるわけですね。ちょっと気持ちが悪いほどです。しかし、しんは持たなければいかぬ。これは微笑外交ということでなくして、真剣に祖国を愛し、そして日本国民を愛する、その意味教育の府として文部省は奮励努力してもらわなければいけない。  そこで、そうした大衆のための大学というものの夢を描かなければならぬ段階で、いわゆる筑波大学法案が出てまいりました。しかし、野党の皆さんの質問を通じてみてもわかるのですが、この根底は中央教育審議会の答申に基づく夢が、さっそく文部省で取り上げられたといっておられるわけです。中央教育審議会の答申をすなおに受けとめて、それをほとんど金科玉条と考えた提案であるかどうか、御答弁を願いたい。
  77. 木田宏

    木田政府委員 すでに御答弁申し上げましたように、この筑波大学は、東京教育大学が十年前から用意をしながら、移転、発展を考えてきたその構想の中から生まれたものでございます。その際に、東京教育大学自体が、今日の自分大学の問題を解決するための方途として考えました新しい方向は、昭和四十六年に文部省がちょうだいいたしました中央教育審議会の大学改革の考え方の中にも同じように入っておる、同じような問題意識があるということは、御指摘があったとおりでございます。しかし、だからといって、これは中央教育審議会の答申を受けて筑波大学を私どものほうからつくっていった、こういう性質のものでないことだけは、経過とともに御理解を願いたいと思います。
  78. 受田新吉

    受田委員 くしくもその教育大学を発展、強化させるための筑波大学構想と、中教審の答申とが一致したようになった。これはまた考え方によれば、双方に文部省が指導的な役割りを果たした  ことが、結果として一体となってあらわれたという見方が一方で成り立つんではないかと思うのです。文部省は、この筑波大学構想には、東京教育大学だけにまかせて一切ノータッチであったか、また中央教育審議会の原案作成等について、常に何らかの資料提供等で中央教育審議会をリードしてきた傾向はないかという点で御答弁を願いたい。
  79. 木田宏

    木田政府委員 教育大学筑波の新ビジョンをまとめられまして、それを受けて、文部省でその構想をどういうふうに実現するかということを検討いたしますための準備調査会を設け、また創設準備会文部省として設けてまいりました。それに関係された方は、お一人だけ中央教育審議会に属しておられる方がございます。中央教育審議会での大学論の討議は、それ自体別個に進められたわけでございまして、同じような問題意識が指摘されてはおりますが、同時にまた、いろいろ違った中央教育審議会としての改革意見ももちろんあるわけでございますから、すべてが一緒というわけではございません。また同じ委員が一人入っていらっしゃることは事実でございますが、文部省が意図を持ってそういう方の御意見を左右したというつもりは毛頭ございませんので、それぞれの場でまとめ上げられました御意見を、われわれとしては尊重したいと考えておる次第でございます。
  80. 受田新吉

    受田委員 中央教育審議会の委員の顔ぶれが、産学協同体制のそしりがあるとか、いろいろとまた声も出ているわけでございますが、委員の選任にあたって、開かれた大学、大衆のための大学という新しい構想を持つ時代が来たこの時点で、その高等教育のあり方についても審査してくださる中央教育審議会の委員に、もっと開放的に庶民性を持った人々から代表者を選んで、そうして委員会の構成が、開かれた中央教育審議会という、名実ともによい成果があげられるような配慮を文部省としては持つべきではないか。われわれが拝見した中でも、人材がそろっておられることはよく承知しております。しかしそれは、何々の長という少なくともそのグループの一番権威ある最高責任者などを並べ過ぎている。最近やっと教員の中からも代表者を選び、労働界からも代表者を選ぶかっこうになってきておりますが、これをもっと広げて、エリート教育大学時代から開かれた大学、ほんとうの真の開かれた大学への発想転換の段階においては、中央教育審議会の委員厚生を、もう少し人数がふえてもいい、新しく加えられる委員は、地域社会から、庶民の中から、東京に集中しないで地方にもどんどん人材がある。大臣自身は自治省におられたのですから、旅費を出して委員会に出ていただくのに便利が悪いからなどという、そんな配慮でなくして、大所高所から人材を広い面において発掘しながら、中央教育審議会を構成されるという努力をなぜされないのか。委員の顔ぶれを見ると大半が東京及び東京周辺であるという、これははっきり私は言えると思うのです。これに対する御見解をお伺いいたします。
  81. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 現在の委員の方々、それぞれおっしゃるとおりりっぱな方々と考えておるわけでございます。同時に、審議会の運営の便宜もあって、あまり遠隔の方々に積極的に委員会に多数参加してもらうということは困難になっているのじゃないかと思います。しかし、いま受田さんがおっしゃいましたような考え方で委員会を構成することは当然でございますので、今後ともそういう考え方を十分取り入れながらお願いをしてまいりたいと思います。
  82. 受田新吉

    受田委員 中央教育審議会の各種の答申を拝見しましても、われわれとしては大いに共鳴する点もあるわけです。したがって、これを別に敵視するわけではない。しかし、結論としては、やはり日本の教育をささえていらっしゃる文部省としては、法案をお出しになるときには、文部省という狭い世界でなくしてもっと広いところで、また自民党という一党の独裁的なにおいを払拭して、広く他の党の立場考えて、日本国家的な、日本国民的な規模で文部省の御提案なさる法律は作成さるべきだと私は思っておるのです。あなたは文部省の最高責任者であると同時に、自民党員である。したがって、とかく自民党の党議に縛られて、日本の教育の中立性、党派を越えた次代の人材養成という使命感がおろそかにされることがちょいちょいあると思うのです。  先般、衆議院の本会議場であなたは例の法案を説明されたときに、自民党の党議で先にきまっておった、それを私が自民党文部大臣として強引にこれをやるのだと、意気軒高としてお叫びになりましたね。御記憶だと思うのです、自民党の党議できまってそれを推進するのが私の使命だと、私はあなたに、自民党文部大臣ではあるが、同時に日本国民全体の文部大臣になってもらいたいのです。その御配慮があれば、本会議場で、自民党の党議によってきまったこの法案を、強引に押し進めようという言質が出ることはない。私は、日本国民全部の文部大臣であるという意気込みと責任を持っておやりになるならば、われわれはあなたに双手をあげて御提案されることに共鳴できると思うのです。その心組みをお伺い申し上げます。
  83. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 いまお話を伺っていますと、なるほど誤解を与えることばであるなという感じがいたします。私そのときにどういう経緯からああいう説明のしかたをしたのか、ちょっといま記憶していないのですけれども、誤解を招くことばであると私も思います。教育問題につきましては不幸にして必ずしも各党の合意を得られない場合が多いようでございまして、ぜひ、どうすれば各党の合意が得られるような教育政策に持っていけるかお教えもいただき、私もまた深く掘り下げて考えてまいりたい、かように思います。
  84. 受田新吉

    受田委員 すなおに誤解を招いたおことばを訂正されたのでありますから、私はあえて追及しませんが、あなたのお気持ちの中に、自民党の意識が常に動いている。文教を支配しようとするならば、不当な支配は背景が自民党であるということにもなる危険があるわけです。これは教育基本法第十条の違反にもなる。私はその点で、あなたのような円満な人柄が、自民党文部大臣をなさる間に、ほんとうはあなたに自民党の党籍を離脱していただいて、自民党内閣であるが教育は中立性を確保していかなければならぬ、ほかの政策と違って人づくりの根源は一党一派の強引な政策遂行者という意味ではなくして、国民のための政策を遂行するという、そういうお気持ちが要ると思いまするし、前尾議長が党籍を離脱して衆議院議長になられておるがごとくに、よし自民党の党に属する内閣であっても、文部大臣は、一応文部大臣在任中は党籍を離脱して、教育の中立確保のために取り組みたい、そういう意気込みのある文部大臣であるならば、国民が大いに共鳴してあなたの政策遂行にお手伝いができると思うのでございますが、(「自民党じゃなくちゃだめだよ」と呼ぶ者あり)その私のすなおな気持ちは、あなたの気特ちの中に共鳴する点があるかないか、お答え願いたいのです。
  85. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 実質的に受田さんがおっしゃったような気持ちで文部大臣として努力していきたい。そしてできる限り各党の合意を文教政策の上に反映させるようにしていきたいものだと、かように存じます。
  86. 受田新吉

    受田委員 かつて天野貞祐文部大臣は、自民党内閣の閣僚であって、同時に自民党の党籍を持たない閣僚でありました。こういう先知を学び取って、こうした大事な時点においては国家国民のための教育の殿堂のあるじとして、あなたはお気持ちの上では私に共鳴しておるというそういうおことばがあったわけですから、気持ちの上では共鳴するが、実際は置かれている苦しい立場があって党籍には残らしてもらうという意味であろうと思うのですが、それでいいですかね。
  87. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 いつかのときにもお尋ねを受けてお答えをしたわけでございますけれども文部省教育の諸条件を整備していかなければなりませんので、教育諸条件を整備するにつきまして責任政党、いまは自民党が政権を担当しているわけでございますけれども、その力にまたなければなりませんので、そういう意味では私はやはり自民党の党員であり文部大臣であること、これは別に不穏当でもないし、そのほうがやりやすいと思うのですと、こう答えてまいりました。しかしながら、いまも申し上げましたように文教政策の上に各党の合意が持たれるということ、きわめて大切なことでございまして、そういう意味におきましては、受田さんのおっしゃったような気持ちで私は文部大臣として積極的に努力をしていきたい、こう申し上げておるわけであります。
  88. 受田新吉

    受田委員 この問題については自民党の議員席からも、自民党の党員である文部大臣のほうがよいという御発言もあるようでございますが、自民党の方々も国家百年の大計のもとにおける文教のあり方を真剣に考えるときに、文部大臣は党の拘束を受けないで、広い意味で国家百年の人材育成のための教育責任者にしてあげるという配慮が、あなた方にあっていいと思うのです。私は、そういう意味でこの機会文部大臣に強く要請したわけですが、いよいよ本論に入らしてもらいます。  この御提案されている国立学校設置法の改正、それには幾つかの他の法律一緒に並べられてあるわけですが、これは自民党の先輩の方々も御存じのとおり、終戦直後の幾つかのこうした試練を受けた過程において、この一つの法律に同じような重みを持った法律改正が幾つも並べられた法律案は当初なかったのです。それぞれみな単独法できた。それが十数年前ごろから一括して片づけられるようになって、一つの法案で、特に総理府関係などにはもう他省にわたるやつがずらっと並んで、まあ法案の審査の便宜上、法律の提案にあまりたくさんの名前が並んでいると数が多過ぎてというような不安があるのかもしれませんが、性格を異にする法案が同じような法律の中へ出てくるという懸念が最近において大いに発生しておる。これは一つ一つ独立した法案としてここで一緒に審議してもいいわけです。そのほうが審査をするのにも扱いがしやすいという形にもなります。また国家行政組織法の根拠に基づいて総定員法が出た。これは私はある程度意味があったと思うのです。昔は文部省設置法で一名の定員をふやすだけでも法律改正が出た。そういうようなことで、もう人間をふやすことだけで各省が全部法案を出さなければいかぬというわずらわしさがあったわけです。これらは統一した形で筋が通る。そういう意味で取捨選択は十分政府がお考えになられて、一括国立学校設置法の改正にその他の法律一緒にひっつけて出されるというのは、時と場合によってはこれが非常に複雑多岐になる懸念がある。むしろ分離して、これを明白にして両方を審査していく。その過程で一方を通していって、どうしても一方を通さなければいかぬときには、結果は一括して両方を採決すればいいのですからね。そういうことで、提案のしかたにもつと筋を通したやり方をされるべきではなかったかなと思います。これはすなおな気持ちで私お尋ねしておるわけです。まあすでに議論されたことであるようですが、私は二十数年間の経験を持っておりますだけに、過去の法律提案そのものは、文部省設置法あるいはそれぞれの文部省が出される関係法案というのは、独立した法案がほとんどだったのです、従来は。最近になって一括して出てくるというような傾向に各省ともなってきたのですね。この傾向は、複雑多岐になってきた法案提出を整理する意味においては、まことに妙味を発揮するとお考えであるかもしれませんが、一つ一つ法律意味考えていくと、やはり分離してやるほうが筋が通る。学校教育法は学校教育法でお出しになる。教育公務員特例法は教育公務員特例法でお出しになる。そしてここで一緒に審査するというたてまえが筋論では正しいのではないかと思います。これは文部大臣でもいいし、大学学術局長でもけっこうです。
  89. 木田宏

    木田政府委員 論理的に分けられる点もございますが、実態的には相互にみな関連しておるものでございまして、昨日も法制局長官が御答弁されましたように、御審議の便ということを考えまして、また立法技術上の整理ということも考えまして、このような立案形式にさしていただいた次第でございます。
  90. 受田新吉

    受田委員 この論議はこれ以上進めますまい。  私、この法案の中身に入っていきたいと思うのですけれども筑波大学東京教育大学を発展解消する目的でございますか。どうですか。
  91. 木田宏

    木田政府委員 御指摘のように考えております。
  92. 受田新吉

    受田委員 そうしますと、東京教育大学が持っておった従来のよさというものを、十分生かしていくという配慮があるかどうかです。
  93. 木田宏

    木田政府委員 東京教育大学のいままでの教育研究の体制を母体にいたしまして、それが生かしていけるような配慮をいたしたつもりでございます。
  94. 受田新吉

    受田委員 東京教育大学は、広島の高等師範学校、文理科大学ともどもに、かつて東京高等師範、東京文理科大学と称せられて、日本の教育中心になる人物を育成した大学の歴史がある。その歴史はどういうふうに生かされるわけでございますか。
  95. 木田宏

    木田政府委員 東京教育大学になりました際に、東京教育大学教育学を中心にした充実した総合大学になるということで昭和二十四年に発足を見たものでございます。  今回の筑波大学におきましては、東京教育大学が持っておりましたこの教育の領域は、新たな第二学群で文化・生物学群といたしまして、人間、生物、自然、文化等を合わせた総合的な教育領域というものを一つ考えておるのでございます。  そのほかに、東京教育大学が従来中等教員を養成してきた経緯等、教育につきまして格別の歴史を持っておるわけでございますから、従来とは違いました新しい修士課程の考え方の中で、教育の修士課程の明確に位置づけ、また体育、芸術につきましても、従来東京教育大学が持っておりました要素を発展充実させまして、大学院のレベルで、より充実した教育研究の体制がとれる、またすべての領域にわたりまして充実した博士課程の専攻を整備する、こういう考え方でございます。そのために学問系列におきましても、心身障害学といったような、東京教育大学でなければ入り得ないような系列も含めまして、その特色をそれぞれ生かしていきたいと思っております。
  96. 受田新吉

    受田委員 東京教育大学は、戦後文理科大学という名称を残すか、教育大学という名称に変えるか、論争があった歴史があるわけです。私もその当時陳情を聞いて、双方の先生ががみがみとわれわれに要望されたことをよく記憶しております。しかし結果は、一応教育大学と名称がついた。教育大学ということは、教育中心考えて、そこから育成された人材が教育の任に当たっていくのが主目的であるという考え方と私は了解しておるわけです。したがって、今度の筑波大学は、ここを卒業した人々が、たとえ修士課程を経た人にいたしましても、広く中等教員、高等教員、中、小と、全国にまたがって教育の任に携わろうという意欲を持った人が大半集中されるような形のものになるという形であるならば、私は東京教育大学の生命は新しい段階で止揚された意味で大きく実を結ぶと感じておるのですが、その特色は筑波大学に存在しますか。
  97. 木田宏

    木田政府委員 筑波大学は、今日の東京教育大学もそうでございますが、狭い意味での教員養成大学というふうには考えられておりません。むしろ広い意味で、教育学を中心にした充実した大学ということが、当初受田委員も御指摘がございましたように、設立の際の関係者の御論議であったかと思います。筑波に、より充実した総合大学として医学系も加え、芸術系も加える。芸術系は実質的に独立して強化するという考え方でございますけれども、それらを加えまして総合大学になるということでございますから、大学全体として、狭い意味での教員養成ということではございませんけれども、私どものこの構想を進めてまいります過程の中では、いま御指摘のように、体育の領域におきましても、芸術の領域におきましても、あるいは第一、第二学群の領域におきましても、従来の伝統ある教育研究の体制をより充実させるという考え方で、ここの卒業生が狭い意味での教育界だけでなくて、より幅広く各層の指導者になるということも考えながら整備をはかったつもりでございます。
  98. 受田新吉

    受田委員 各地方国立大学には、それぞれ教育学部が存在している。また東京、福岡等には、学芸大学国立でできておる。そういうところの卒業生は、教育という重い使命を帯びてその世界に生きたいという人が主目的として入学していると私は存じております。東京教育大学も、そういう意味で従来は人材が養成されたと心得ております。ところが、筑波大学は教員養成を目的とする意味の色どりが非常に薄れて、広く各界各層の指導者をという新構想になっている。東京教育大学の面目は、私が常に指摘している身障者のための――かつて東京教育大学が功績を残した、こういう問題をいまあなたが指摘された、あるいは体育、芸術というところにちょっと色どりがある程度で、性格としては教育という文字が消えて、広い意味の一般大学というにおいが濃厚になっておると判断するが、ひが目であるかどうかです。
  99. 木田宏

    木田政府委員 筑波大学は、先ほどおあげになりました、各府県に置かれております国立大学教育学部と同じような意味での教員養成大学というわけではございません。今日の東京教育大学も、また各県の教育学部と同じような教員養成の大学ではなくて、より広い観点から教育というものを考えていく大学であったというふうに承知をいたしております。その意味で、それらの東京教育大学の今日までの実績、伝統を踏まえながら、この特色を生かし、それを総合的な大学の中に持ち込んだという考え方をとるのでございます。必ずやこの大学のいままでの歴史と伝統の中につちかわれてまいりました気風というのは、実質的には教育大学筑波大学移転発展するわけでございますから、引き継がれまして、今日におきましても、教育の卒業生は一般の大学の卒業生よりはより多く広い意味での教育界に関係する職についております。そういう点から考えまして、こうした教育の伝統というものは、いままで育ててきた教育の組織あるいは研究の組織というものを、より充実発展させる筑波大学でありますだけに、必ず引き継がれるもの、こう考えておる次第でございます。
  100. 受田新吉

    受田委員 教育学部あるいは学芸大学、また従来の東京教育大学には、それぞれ付属高等学校、付属特殊学校、付属盲学校あるいは中学校、小学校という付属学校がついておる。付属学校の意義はどこにあるか、御答弁願いたい。
  101. 木田宏

    木田政府委員 教員養成を考えました場合の教育と研究のための施設でございまして、一面では教育実習の場にもなり、一面では教育学の研究の施設としての機能を果たしておるわけでございます。  東京教育大学は中等教員養成の伝統を持っておりまして、付属の高等学校、小中学校等を持っております。これは教育学の研究を東京教育大学の使命として歴史的に持ち、今日もそういう研究分野がございますので、その意味で、重要な研究の場として東京教育大学に付属学校ができておるわけでございます。  なお、心身障害学等の学系を持っておりますが、そういう特殊教育の付属学校を持っておるという点でも、東京教育大学は特色のある教育学の殿堂だと考えております。
  102. 受田新吉

    受田委員 筑波大学の付属学校構想を承りたい。
  103. 木田宏

    木田政府委員 筑波の地に、現在の付属の学校は移転することを考えておりません。これは地元の学校との関係等も考慮いたしまして、今日までの付属学校は東京の地におきまして、付属学校部として充実強化をはかるということが適切であろう。そして東京と筑波との関係、そう遠いことでもございませんから、その間の連携をより強化するという体制考えまして、付属学校は現地におきまして充実強化するという考え方でございます。
  104. 受田新吉

    受田委員 筑波大学に置かれる付属学校の数、そしてその位置、位置は現地ということでございますが、それをお示し願いたい。
  105. 木田宏

    木田政府委員 今日東京教育大学は、十校の付属学校を持っておるわけでございます。その所在地は幾つかに分かれておりますが、現在位置のままで、組織上これを付属学校部としてまとめて運営できる運営体制の強化をはかってまいりたいと思っております。その学校の名前は、申し上げたほうがよろしゅうございますか。――付属高等学校は大塚にございます。それから付属駒場高等学校は駒場にございます。付属坂戸高等学校、これは埼玉県の坂戸にございます。それから付属中学校は大塚にございます。付属駒場中学校、これは駒場に付属高校と同じ場所にございます。付属小学校は大塚にございます。それから盲ろう合わせまして市川の国府台に置かれてございますが、一部分校を持っております。大塚に養護学校が一つあり、桐が丘に養護学校がございます。この十校でございます。
  106. 受田新吉

    受田委員 筑波大学は、この付属学校を引き続き継承するのかどうかです。
  107. 木田宏

    木田政府委員 そのとおりでございまして、付属学校部という組織にまとめまして、大学との連携を緊密にしたいと考えております。
  108. 受田新吉

    受田委員 筑波研究学園都市に付属学校を置く意思はないのでございますか。
  109. 木田宏

    木田政府委員 現在筑波学園都市に付属学校を持ち込む、移転させるという考え方は持っておりません。
  110. 受田新吉

    受田委員 教育研究の実習の場としては、学園の近くに付属学校があることが筋が通るわけです。東京にそのまま付属学校を残して、教育実習に東京へ出かけてくるという、その大きなむだを排除する心がけがもう忘れられておる。結局、東京教育大学と、発展解消という意味ではなくて、ほとんど性格的には分離した形の新構想筑波大学というような結果に、いまのお話を伺っておるとなると私は思うのです。そうした教育者を養成する場面の要素が残っておるとするならば、なぜ研究学園都市の近くへ教育実習の場をつくらないのでございますか。全く性格の変わった大学ができたという印象を世間に与えておる。御答弁
  111. 木田宏

    木田政府委員 今日でも、付属学校の所在地は大学の学生がおります学部の所在地とは必ずしも一緒のものになっておりません。それぞれ歴史的な経緯もあることでございますが、所在地はたとえば付属の盲ろう学校のように、市川の国府台にあるというふうに、かなり離れた場所にもございます。研究の場、学生の実習ということももちろん考えるわけでございますが、教育研究の体制としては研究鶴の連携組織というものを、付属学校と大学のそれぞれの研究分野との連携をとっていくということにおきまして、多少距離的に今日よりも延びることはございましても、その実態はほぼ大差ないものというふうに考えております。また、今日いろいろな付属学校と学部の学生との教育の間に、これは一般の教育学部についてもそうでございますが、新たな視聴覚的な技術を通じまして、その教室の教育の中に、付属の教育の実習その他の状況が持ち込めるような配慮もあちらこちらでも加えておりますから、学生の教育研究の上にさしたる不便はないようにしたいと考えております。
  112. 受田新吉

    受田委員 付属学校は、あなたのおっしゃるように、大学のある地域から離れておるのが原則ではありません。東京教育大学も東京都の中に付属が大半あるわけだ。そして地方の教育学部の付属も、その地元に必ず一つはある。研究学園都市に移転して、付属学校がそばに一つもない、みな東京及び周辺に帰ってくるというような形態で、東京教育大学のよさというものがどうして温存できますか。問題です。当然研究学園都市に、一つや二つの付属学校を設置していいと私は思うのです。
  113. 木田宏

    木田政府委員 付属学校のあり方につきましては、今後いろいろ考えなければならぬ点もございますが、筑波学園都市には、筑波学園都市に居住します研究者あるいはその他一般の市民のための一般学校も整備してまいらなければなりません。東京教育大学は、筑波へ参りましても、当然教育学の中心的な研究の府といたしまして、そうした地域の学校とも緊密な連携をとっていかなければならないことは当然なのでございます。筑波学園都市を構想いたします際に、一部の方々からは、東京教育大学が、筑波筑波大学として付属の小中高等学校を持ってほしいという希望等も出ておりますのですが、現地の市町村当局との意見の交換もいたしまして、現地には一般の学校を筑波学園都市の学校として整備していくということのほうがよろしいというふうに関係者との間で大学当局も判断をいたし、そうして今日まで歴史的な長いつながりがあるわけでございますが、付属学校は現在の所在地に置きますけれども筑波大学との連携を密にするための組織強化をはかる、こういう考え方に立っておる次第でございます。
  114. 受田新吉

    受田委員 人事院総裁が来ておられるので、総裁に対する質問と文部省当局に対する質問を先に片づける点があります。総裁はきょうは大事なお仕事があるのでございますから、私が総裁に御質問申し上げたらすぐ御退散相なってよろしいということを御了解の上で御答弁願いたい。  筑波大学は、学長は国家公務員の俸給表の中の、また特に行政職の俸給表の中の指定職の甲にするのか、乙にするのか、御答弁を願いたい。これは文部省中心でどういう要請かしてあるのか、大学のランクづけの関係があるから、筑波大学をどの程度の大学に見ようとするのか。  一つ例示します。文部省ははなはだけげんな法案を十年前に出されておる。昭和三十八年、ちょうど十年前だ。国立大学総長の任免給与等の特例に関する法律国立大学の総長を東大と京大だけを認証官にする。そして当時で十八万、その他の旧帝大が十六万、その他の大学は、その他大ぜいで全く問題にされないという、大学の格差を明確にする法案をお出しになった。御記憶のことと思うのです。  その当時、人事院総裁は、はなはだ不愉快な現象であると国会でも意思表示をされておったわけです。つまり、はっきり申し上げるが、人事院総裁は、あとからまとめて御答弁を願いたいのですが、文部省、国家公務員法という法律には、人事院の機能をこう書いてある。三条に、「内閣の所轄の下に人事院を置く。人事院は、この法律に定める基準に従って、内閣に報告しなければならない。」「人事院は、法律の定めるところに従い、給与その他の勤務条件の改善及び人事行政の改善に関する勧告、職階制、試験及び任免、給与、研修、分限、懲戒、苦情の処理その他職員に関する人事行政の公正の確保及び職員の利益の保護等に関する事務をつかさどる。」と書いてある。「内閣の所轄の下に人事院を置く。」として、他の行政機関とは独特の意義がこの国家公務員法に規定してある。つまり、内閣総理大臣の指揮、命令、監督によって、自由にあごで使うような立場人事院ではない形になっておる。そしていま申し上げたような給与その他の勤務条件の改善等については、人事院の所管事項になっておる。それを文部省が横のほうから、突然、国家公務員で、しかも一般職の公務員に、こういう法律をお出しになる。そしてまだ審査には入っていないが、これは関連するから基本的な問題として申し上げる、いわゆる人材確保法案には人事院にこういうことを勧告せよという命令を法律にうたっておられる。人事院の存在意義ははたしてどこにあるかということです。  いま人事院の法律の根拠を明示したわけでございまするが、そうした基本的な問題を処理する人事院を抜きに、それぞれの役所がかってなことをして、文部省が勧告をどんどんやってくれたら、勧告権というのは人事院が持っておるのだ。そいつを逆に人事院に勧告するというような、一行政府の横暴なる措置というものが近代国家にあるかと思うと、これははなはだ私は不愉快なんだ、これはとんでもないことなんだ。それをあえて文部省はなさっている。これはおそろしい役所です。私、文部省というものは文教の府ですから、こういう策を弄してはならぬ。しかも、国家公務員法の第一章の総則のところに、「この法律の目的及び効力」と書いてある。そこに「何人も、故意に、この法律又はこの法律に基づく命令に違反し、又は違反を企て若しくは共謀してはならない。」つまり法律事項を、ここに書いてあるその法律の規定を、横のほうから別に法律でこれをやろうとするんですね。やっぱり法律のたてまえは、文部省守ってくれなければいかぬね。文部省、国家公務員法という、しかも、政府機関ではあるが、独立性を豊かに持っておる人事院を、あまりいじめるようにしてもらいたくないのです。文部省は文教の府ですから、道義を重んじて、国民の先頭に立って、高い道義国家の役所として、道を踏みはずさないようにやってもらいたい。どの役所よりもその使命は重いのです。この点、文部大臣、非常に重大な過誤を文部省はおかし続けられておる。これは人事院総裁がお人柄よいから耐え忍んで、耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍んで今日に来ておられる。かわいそうですよ。人事院の機能は十分生かして、せめても、これに書いてあるとおり、「給与その他の勤務条件の改善」、こういうことについては、人事院の立場を尊重して、人事院に事前に要望して、人事院から勧告によって処遇改善、東大の総長、京大の総長をどうするというようなことを筋を通してもらいたいのです。筋論からいって、道義の根源である文部省という重い役所の使命からいって、このあやまちを今回また繰り返しなさろうとしているところの魂胆が何にひそんでいるか、御答弁を聞きたい。
  115. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 教育ということは、次代をになう人たちを育ててくれる非常に重要な問題でございますだけに、この教育の振興をはかっていく。それには何といいましても人材を教育界に招いてこなければならない。そのための政策として、教育公務員の給与については、特に一般の公務員に比較して優遇されなければならない、これは基本的な大きな政策であるわけでございます。国権の最高機関であります国会におきまして、教育なりあるいは教育公務員なりについての考え方を明確に示していただく、その大きな政策の範囲内におきまして、人事院が、人事院の持っております自主的な勧告権限、それを使って勧告をしていただく、これは私は何らおかしくない。やはり国としていろんな政策を打ち出すわけでございますけれども、これはまさに日本の基本的な政策に属する問題だと思います。その基本的な政策を、国権の最高機関である国会において明らかにしてもらう。それを受けて人事院が、その持っておられる自主的な勧告権限を使っていただく、私は別に何らふしぎなことではない、かように考えておるものでございます。
  116. 受田新吉

    受田委員 いや、このお考えが、つまり人事院に勧告を強要するわけですよね。そういう形ですよ。つまり政府関係機関の中の特殊の使命を持った、いわば政府関係機関では独立機関だ。それにこうせよと政策をきめて押しつける。大体そういう原則は人事院がやるんだから、人事院に、法律をもってきめなくても、人事院に文部省から強い要望、これは教員の場合もあれば、お医者さんの場合もある、看護婦の場合もある、そういうものは人事院がそれを十分こなして、大所高所から判断して、人事院の機能による勧告というものが、これが筋が通るのです。それを横のほうから突然ぽっかりと原爆みたいなのを人事院に打ち込んでいったのでは、人事院というものの存在はありません。各省がかってなことをいえば、人事院はもう言うとおりに動かなければならぬとなれば、これは人事院の機能など発揮できないじゃないですか。人事院の機能を発揮させるためには、法律をもって要求するのでなくして、人事院の勧告をりっぱにさせるように、個々の折衝によってそしてこれを勧告案として出させ、国会で法律をつくる。その正規のルールを私は踏みはずさしてもらいたくないのです。特に、国立大学の総長の認証官などというのは、とうとう国会で流れた、あまりにおかしいから。国会の良識が文部省の横暴を粉砕したのです。今度は、これをまだ審査してないが、ほんとうは、教員の一〇%なら、高等学校から幼稚園までを含めた勧告案として文部省から出してもらえばいいのです。そういうことを要求すればいいのです。総裁だって、その点は十分文部省の主張を受け入れて、勧告で、今度は八月に勧告があるのです、いまのように国会で騒がぬでも、勧告でみんな一〇%でも二〇%でもいいのですよ。もっと出してもいいです、教員を大事にするという意味では。それは、文部大臣以上に人事院総裁考えてくれると思うのですが、こういう一ぺんは十年前に流れた、流れたいまわしい記録がここにあるのです。これは一体どういうことか。総裁、十年前のと今日のとを比較して、十年前は流れてよかったが、今度は通るかもしれぬというお気持ち、特に今度はきびしい、人事院の権限まで法律でおかされるようなかっこうになっておる。人事院総裁政府の一般行政機関の長として、自民党政府の手先になった答弁であるならば、私は聞きたくない。しかし、筋論として、筋論としては一体どうか、筋はどっちが原則であるか。そして筋を守るべきであるというお考えがあれば、これを中心に私は御答弁を願いたいのです。
  117. 佐藤達夫

    ○佐藤(達)政府委員 筋論でお答え申し上げたいと思います。  問題点は二つあると思いますが、いまのおことばの中で、勧告の義務づけが法案の中に厳格な形で書かれておる。これはどうだということですけれども、これは筋論としては間違っておらぬと思います。すなわち、私ども人事院という役所の存在そのもの、あるいはもちろん、勧告権の根拠、これは国会のおつくりになった国家公務員法なり何なり、法律に基本を置いているものでございます。法律が親で、法律から勧告権をちょうだいしておるということになれば、国会が法律の形で勧告を義務づけられるということは、これは国権の最高機関としては普通のことでございまして、また、そういう法案の条文が成立すれば、われわれとしてはもちろんそれに従わなければならぬ。現在の国家公務員法ですか、二十八条には、五%以上給与を上げ下げする必要があるときには、人事院は勧告をしなければならないというような規定が法律の中にあるわけでございます。理論的にはそれと同じ性格のものであろうと思います。  ところが、今度はその法案の制定の手続については、われわれとしては、いま御指摘のように、勧告権をれっきとしたものとして国家公務員法で与えられておりますから、勧告権に基づいてイニシアチブをとって問題を提起していくという形が、われわれとしては望ましいと思いますけれども、しかし、すべての場合にそればかりで貫くべきものかどうか、法律がそれを強制しているかどうかということになりますと、これは政府側も、憲法に基づいて法律案の提案権というものはちゃんとお持ちになっておるわけですから、政府側から、その憲法に基づく提案権を行使して国会に法律案をお出しになることは、それはわれわれとしていかぬというわけにはいきません。ただ、先ほど申し上げましたように、本来国家公務員法では、われわれの勧告権というものを非常に重く扱っておられる。したがって、政府から法案をお出しになるのはいいけれども、われわれの意見も聞かずに、それを抜きにして、とんとんと国会に法案をお出しになるようなことは、これはわれわれとしては、たいへん筋をはずれたことだと思います。幸いにして、いまお話しありましたような例の認証官問題、このときの法案もそうだったと思いますが、今度の場合もやはり文部大臣から、こういう法案を提案したいということで、人事院の意見を正式に聞いておられますから、それに対してわれわれとしてはお答えをして、あとはこういう今度は法案としての御審議の場がありますから、できるだけわれわれもお呼び出しいただいて、そうして人事院の意の存するところをひとつお聞き取り願いたい、それがまた人事院の勧告権を尊重していただけるゆえんだろうというわけで、きょうも喜び勇んで参っておるわけでございます。
  118. 受田新吉

    受田委員 非常に苦しい御答弁であることがよくわかるのでございますが、やはりたてまえを尊重していくように、文部省人事院の置かれている立場を尊重して、実際には人事院の勧告でこれを成功させるような形をとらすように、文部省が配慮してあげなければいかぬ。もう法律ができれは当然この法律に従わざるを得ないのです。その法律そのものを、人事院勧告の本筋で実行ができるようにしてあげるということが、私必要であると思うのですが、これは人事院総裁も、いまのように文部省と十分打ち合わせをして一応了承したということでありますから、人事院の機能が漸次縮小されていくことに、私非常に、残念な気持ちを持っておる。そこで一応またあらためてその機会があるでしょう、私は原則論だけできょうはとめておきます。  そこで、今度の筑波大学学長は、一体文部省からどういう要請人事院にあったのか。そうして副学長は、法律では部局長地位にある者ですね。部局長地位にあると同じような立場の者であるが、それが一体どのくらいのランクづけにされておるのか。学群、学系の責任者は一体どういうふうなランクにしてあるのか、その俸給のつまり格づけの位置づけをここでお示しを願いたい。
  119. 木田宏

    木田政府委員 筑波大学をつくるにつきまして、学長につきましては指定職甲、副学長につきましては指定職乙をもって予算の要求をいたし、予算上はそのように扱わしていただいておるわけでございます。あとその中でどのような措置が行なわれますかは、現実にこの法案が制定されましたあと、人事院のほうで規則をもって御指定になること、こう考えております。
  120. 受田新吉

    受田委員 指定職の甲の第何号であるか。それから副学長は指定職乙の第何号であるか。大学局長から御答弁を願いたい。
  121. 木田宏

    木田政府委員 私ども現在の段階では、まだ予算上の措置をしておるだけでございまして、予算上の措置といたしまして、学長につきましては指定職の甲という予算上の措置をし……(受田委員「甲の何号」と呼ぶ)その何号であるかどうかは、人事院の人事院規則によります指定によってきまってくるわけでございまして、今日の段階では、まだ内定も何もいたしてございません。
  122. 受田新吉

    受田委員 予算は幾らと示したのですか。金額でその何号がわかるはずです。金額を要求した以上は、その金額は何号に当たるかが明白になるわけです。
  123. 木田宏

    木田政府委員 学長は指定職甲で、現実にはいろいろな指定がございますが、国立大学学長全体を通じまして、指定職甲の平均単価で要求をしてございます。でございますから、筑波大学学長の予算単価ということでの要求にはなってございません。
  124. 受田新吉

    受田委員 文部省は、筑波大学を東京大学及び京都大学その他旧帝大の五校、それに続く十一校、そういうもののどの辺へ置きたいと御意図されておるか。
  125. 木田宏

    木田政府委員 筑波大学が、東京大学に匹敵するような新たな総合大学になるということを、私どもとしては将来の姿として期待をいたしております。その大学の組織運営は、東大のあとを追うものではございませんけれども、今日東日本には大きい総合大学が必ずしも数多くあるわけではございませんので、いま御指摘になりましたような、充実した内容のものに持っていきたいというふうに考えております。
  126. 受田新吉

    受田委員 そうすると、筑波大学の位置は、東京大学に次ぐ、京都大学の上と判断してよろしいか。
  127. 木田宏

    木田政府委員 今日までのところ、学長の俸給指定につきましては、東京と京都の二つを一番上位に人事院のほうで御指定になっておるわけでございます。一気にそこまで持っていけるわけではなかろうと思いますが、これからの整備は、第三学群等の整備等予定しておるわけでございますから、将来の希望といたしましては、東京、京都にすぐ並ばないまでも、北大その他それに準じます大学、そういう位置づけのものとして充実をはかっていきたいものだというふうに私どもは希望いたしておるところでございます。
  128. 受田新吉

    受田委員 そうしますと、いまの局長のお話しの東京大学に次ぐというのは、東京大学と、あなたの卒業された京都大学の、その次という意味ですか。京都大学ということを言われないから、ちょっと明確に……。この筑波大学の位置づけが学長の位置によってきまるわけでございますから、私はあえてこれをお尋ねしておるわけでございます。
  129. 木田宏

    木田政府委員 現在、学長の給与の上での指定といたしましては、東京教育大学は、指定職の、イ、ロ、ハと区分がありますうち、ハに入っておるわけでございます。しかし、今日よりは少なくとも高いものを私どもとしては期待をいたしたいというふうに考えておるところでございます。
  130. 受田新吉

    受田委員 今度は人事院でけっこうです。二大学、五大学、その次、五大学学長の号俸の格づけ、それと他の国立大学学長は一体指定職のどういうところにあるか、それをちょっとお示し願いたい。一番ビリの大学まで。
  131. 尾崎朝夷

    ○尾崎政府委員 東大及び京大につきましては甲の七号俸、最高号俸でございます。それから旧五帝大がその次の六号俸、それから東京教育大等旧十一官大、これがその次の甲五号俸、それから群馬大学医学部を持ちます新九大学でございますか、甲四号俸、その他の大学はすべて甲二号俸ということになっております。
  132. 受田新吉

    受田委員 そうしますと、大学に五段階、国立大学学長の待遇は五階級あるわけですね。つまり一等大学、二等大学から五等大学まである。同じ国立大学学長に待遇差をこう明確につけているということは、地方の国立大学に非常にさびしい思いをさせてくる。そこで結局大学間の格差というものが出てくる。そして東京や京都へ集中的に志願者が集まってくるというような弊害がここに生まれてくる。国家がもう少し規模というよりも、人材を中心に待遇を考えていくというような、長い間の教育界の功労等を中心にいくべきで、こういう五等級の分け方というのは一体どうしたところに――これは文部省か申請したのか、あるいは人事院が独特でやったのか、双方からそれぞれ御答弁いただきます。
  133. 尾崎朝夷

    ○尾崎政府委員 この五段階の格づけにつきましては、ずいぶん前からの沿革的な形を持っておりまして、戦前からの格づけも参照、踏襲して格づけしてきているというふうに考えております。  なお、文部省からは、この段階をもう少し、三段階くらいに簡素にいたしたいという御要望がございますけれども、なお検討をしておるところでございます。
  134. 受田新吉

    受田委員 人事院は、非常に貫禄を示しておるようでございますが、文部省、三段階にしたいという希望を、人事院に申し出ているだけでもけなげな一つであると私は思っておりますが、私はこうした大学間の格差を、そうした階級的に分類するという行き方は、適当でないと思う。  そこで人事院、今度筑波大学学長は甲の七へ入れるのか六へ入れるのか、いずれと計算しておるのですか。こっちがおわかりにならぬそうですから、もうじき大学ができるとするなら、人事院でその準備ができておらなければならない。
  135. 尾崎朝夷

    ○尾崎政府委員 実際に成立いたしまして、動き出しましてから格づけをするわけでございますけれども、実態を見て格づけをいたしたい。文部省ともよく御相談して格づけをしたいと思いますけれども、現在のところ、学長につきましては、事務的な考え方でございますけれども東京教育大学学長と同程度かというふうに考えております。
  136. 受田新吉

    受田委員 そうすると、五号俸へ当てよう、東京大学に次ぐ地位になっていないということですね。で、東京教育大並み。  そして今度は、副学長を五人予定されておる。その五人は、全部乙で同列か、あるいは違うのか。
  137. 尾崎朝夷

    ○尾崎政府委員 副学長につきましては、新しいケースでございますので、実態を見ましてから格づけをいたしたいと考えておりますけれども、もちろん指定職にいたしたいというようにいま考えております。
  138. 受田新吉

    受田委員 いま木田局長は指定職の乙ということは人事院に言うてあるそうです。甲にはならぬですね、給与局長。指定職に指定されておるが、はっきり甲か乙か。
  139. 尾崎朝夷

    ○尾崎政府委員 実際に実態をよく拝見さしていただいてきめたいというふうに思っております。
  140. 受田新吉

    受田委員 そこで文部省、あなたのほうは乙と言われたが、人事院は乙とは明言されない。実態を見る。こういうことになるとすると、国立大学の中で、一番ビリではあっても指定職の二号俸をもらっているのです。そうすると、たとえば国立大学学長が副学長に任命されたときに、現に甲の二をもらっている人があるとするならば、人事院はその三にしますか。――人事院、その打ち合わせはできておらぬいまの間に御答弁願いたい。すなおにお答え願いたい。人事院の側からの御答弁国立大学学長が副学長になった場合……。
  141. 尾崎朝夷

    ○尾崎政府委員 国立大学学長から副学長にいらした場合には、やはりポストが変わるわけでございますから、新しいポストにおいて格づけをするというふうにいたしたいと考えます。
  142. 受田新吉

    受田委員 給与局長、私はっきりしていただきたいのですが、副学長は甲になるかもしれない、乙になるかもしれないというあいまいもことしたお答えでは、私は釈然とせぬのです。文部省は副学長を乙とする。甲とするという要求はしていない。これが甲に該当するポストとなれば、たまたま国立大学学長が副学長になる場合があったとしたときに、甲になる資格は十分あるわけですね。そのときは実態を見るというんだから。いまからどのような人を副学長に選ぶか見ようということのようでございますが、すでに世上には、国立大学あるいは私立大学学長という人が副学長になるのではないかといううわさやら、また実際にそういうことが新聞報道、御本人の口などから出ておるというようなことになってくると、これはややこしい問題なんで、副学長は格づけを指定職の甲にする場合もあると了解してよいのかどうかを、もう一ぺん給与局長から御答弁をいただきたい。
  143. 尾崎朝夷

    ○尾崎政府委員 先ほど申し上げましたように、指定職にいたしたいというふうに考えておるわけでございますが、実際にその仕事の実態及びどういう方がなられるかということもよく伺って、そうしてきめたいというふうに思っております。
  144. 受田新吉

    受田委員 文部省としては、副学長に、文部省お世話なさる結果に結局なると判断しておるようでありますが、そのときに、指定職の甲に該当する場合はないとあなたはいま言われて、乙にしたいと言われた。甲にする場合があるかもしれぬという人事院の御答弁です。指定職には二つあるんだから、その一方であると言われないのですから、そういう場合が起こるという可能性を示した御答弁です。あなたのほうと御答弁が違っておるのです。お答えを願いたい。
  145. 木田宏

    木田政府委員 先ほどお答え申し上げましたのは、私ども予算上の措置といたしまして、学長につきましては指定職甲の学長の計算をし、副学長につきましては指定職乙の平均単価で積算をさしていただいたということでございまして、先ほど給与局長から御答弁がございましたように、副学長につきましては個々具体のケースによって御判断がある。その場合に、あるいは御答弁に出ましたように、指定職の甲に人によって格づけがあるということも起こり得るかと思う次第でございます。これは属人的な給与の問題でございまするから、予算の要求としては学長を甲とし副学長を乙とするということで要求をさしていただいておる、こういう次第でございます。
  146. 受田新吉

    受田委員 いま国立大学に事実上副学長とおぼしき者がおりますか、どうですか。
  147. 木田宏

    木田政府委員 実態的には、学長の職務を助ける人がある必要があるということから、東大におきましても学長補佐というような学内の、まあ通称でございましょうか、そういうことで置かれておる例は私ども聞いておるところでございます。しかし、制度上はまだ一つもございません。
  148. 受田新吉

    受田委員 制度上は、今回の法律改正で生まれるわけです。そこで、いま事実上の副学長学長補佐というのが置かれていると漏れ承っているところですが、その東大の副学長、つまりいまは学長補佐は、待遇はどこへ置いてありますか。
  149. 木田宏

    木田政府委員 これは事実上の措置でございまして、制度上の官職としての措置ができてございませんから、処遇上は何にも措置ができない次第でございます。ですから、私どももそうした学長の補佐職というようなものを制度上も明確にいたしまして、現実にそのようにお骨折りいただいている方々に適切な処遇が与えられるようにしたい、こう考えておるところでございます。
  150. 受田新吉

    受田委員 そうしますと、このたび副学長を置く筑波大学、その学長は甲、副学長は乙ということでありまするが、東大その他のほうへは副学長を置かれるわけですか。
  151. 木田宏

    木田政府委員 これは、今回の法律がきまりましたあと、各大学から御要請が出てまいりましたならば、それによって私どもも予算上の用意をいたしたいと考える次第でございます。
  152. 受田新吉

    受田委員 そうしますと、文部省筑波大学の副学長制を根拠に他の公立大学にもそれぞれ副学長を置く、順次要請に基づいて置くということに方針をきめのようでございますが、国立大学のうちの東大、京大にまず副学長が置かれる、その次に残りの旧帝大五校に置かれるというふうなことが予想されると了解してよろしゅうございますか。
  153. 木田宏

    木田政府委員 個々の大学からどのような御要求が上がってくるか、ただいまのところ見当がつかない次第でございますが、大きい大学から順番にというような考え方は持っておりません。
  154. 受田新吉

    受田委員 副学長制は、事実上筑波大学だけでなくして、他の国立大学にも当然波及するという御言明がいまあったと了解して、つまり要請があれば引き続きみなやっていく。まあ大きいのからでなくて小さいのにもいくということになってくる。そして、それに伴う予算要求をしたい。この法律案によって筑波大学にモデルをつくっていく。そのモデルが、さっそく副学長では他の大学にそれぞれ波及するという答えが一つ出たと思うのです。これは非常に大事な問題でございますが、国立大学の副学長を置く大学はここで生まれる。その次の要請があるというときは、別に法律を改正せずして、学校教育法の改正の分で、要請があれば、他へみなもう文部省は自由にやれると了解してよろしゅうございますか。
  155. 木田宏

    木田政府委員 御指摘のとおりでございまして、今回学校教育法で副学長を置くことができるというふうに一般的な許容規定を御提案申し上げておるわけでございますから、それを受けまして、個々の大学からの御要請がありましたならば、予算上の措置を整えた上で、学校教育法、国立学校設置法の施行規則で個々の設置を明確にいたしていきたいというふうに考えます。
  156. 受田新吉

    受田委員 私、これは……(「いままでの言い方と違うじゃないの。筑波法を改正したって、筑波だけだと言ってきたんじゃないか」と呼ぶ者あり)まあ、待ってください。  それで、ひとつ私の質問を続けてやっていきますが、私、今回の筑波大学はモデルであって、このモデルの様子を見て、そしてこれが非常にいい調子にいけば、また他の大学にもいくということであると了解をしておったわけです。つまりモデル大学、実験学校、私はその意味では開かれた大学という、わが党の大学基本法案の中にも織り込まれたような、大衆化された大学の中で、ひとつそういう実験学校のようなものが、真のいい意味の実験学校であれば、これはいいことじゃないかというわれわれの一つの判断があるわけです。ところが、この筑波大学で規定されたものが、実験の効果があるかないかわからぬうちに、他から要請があればみな副学長を置くというような、副学長に例をとりましても、もうすでにその方針を文部省はおきめになっておるということになると、モデル大学の成果のいかんにかかわらず、他の大学から要請があれば相次いで副学長を置くということになると、実験の結果を見ないで、すぐ手当たり次第に、この実績を積んでいくということになる危険があると思うので、しばらく学長、副学長制度のよさを十分見きわめた時点において、私は他の大学にも副学長考えていくという、その間に間隔があっていいと私は思うのです。それがいまのように、要請があれば相次いでやりますという、すぐにでもこれをやられるような、実績のいかんを問わずその方針であることをいま明示されたのでございますが、筑波大学法案の成立を見ると同時に、他の大学にこの制度の特色を生かしていくということになると、たとえばいまの研究と教育の部面の分離を、他の国立大学から要求されるようになると、またやってみるというようなことで、相次いでこれへ波及する、こういうことになるのでございますか、どうですか。
  157. 木田宏

    木田政府委員 制度論といたしまして、先ほどお答え申し上げましたように、副学長は学校教育法の改正をして、国公私立を通じての設置が可能になるというような制度を開いていただいておるわけでございますから、これを受けまして、個々の大学からの要請があれば、それを受けて文部省として検討する、措置し得る立場に立つわけでございます。その際御注意のありましたようなことなどは、何も副学長だけということでございませで、これは大学全体の問題でございますから、私どもも大きい大学から順番に置くということを考えているわけでもございませんと申し上げました。個々の大学の運営とそのお考えを聞きながら、十分に検討しなければならぬという点は、御意見のとおりに私ども考える次第でございます。
  158. 受田新吉

    受田委員 そうしますと、副学長だけでなく、研究と教育の分離も、他の大学から要請があれば相次いでこれを実行せしめる、こういうことですね。
  159. 木田宏

    木田政府委員 学部制をとらない、現在の学部の教育研究体制とは異なった体制をとろうという場合には、国立学校の場合にはあらためて法律で御審議をいただかなければなりません。これらの点は、今日までも幾つかの大学で、それぞれ御研究も進んできております。まだ具体的に実ったものを聞いておりませんけれども具体的に実った案が出てまいりましたならば、やはり御相談があるのであろうと思います。  これらはそれぞれ筑波の方式を踏襲されるのか、あるいは独自の他の方式を踏襲されるのか、案が出てまいりました際に私どももそれによって相談に応じ、検討さしていただきたいと思っております。
  160. 受田新吉

    受田委員 学部以外の機関を設けることは、法律に規定しなければならないようにこの法律はなっておる、それは了解します。しかし、それぞれの大学から、筑波大学方式の、研究と教育の分離をしていく筑波構想を採用したいと申し出があれば、また来年あるいは再来年と、相次いで法律改正をお出しになる用意があると了解してよろしゅうございますか。
  161. 木田宏

    木田政府委員 やはり個々の大学のお考えをよく検討いたしまして……。一つの大学の改革というのはそれなりに相当の準備と用意が要ることでございますから、来たらすぐというような簡単な対応のことには必ずしもならぬのではないかというふうに思います。それぞれの大学で慎重に御検討があると思いますし、私どももその御意見を聞きながら、その大学の全体的な流れというものをよく考えながら判断をしなければならぬというふうに思います。
  162. 受田新吉

    受田委員 私たちの大学基本法案の中にも、研究と教育の分離課程の実験を、一応試みてもいいじゃないかという構想が一つあるわけです。あるわけですが、これは教員を養成するという大きな目標のもとに、そういう構想を一つ考えていったらどうか、教師、特に大学における大学大学の制度として、そういう面を検討すべきではないかという提案が一つしてあるわけです。したがって、これは一つの実験段階、ある特殊の目的のための研究と教育の分離、たとえば教員養成の目的のために、そういう制度を考えていくとかいう意味でなくて、今度はもう総合的な大学における総合的な研究と教育の分離という形態がとられておるわけでございますから、その実験の成果が、たとえば研究部門と教育部門の分離によって、教育部門の、つまり人間関係、教師対学生の間の密接なつながりの長所が失われるようなことのない措置をとりながら、この研究と教育の分離を考えていくというわれわれの強い要求が一つあるわけですね。それは申し上げているとおりです。そういうものの成果があがらないうちに、要請があればすぐやっていくというようなお考えであると、筑波大学方式は、他の大学にもそう遠くない間に、一面的に広がっていくという心がまえを、文部省は持っておられるような危惧を私は抱くわけです。少なくとも筑波大学はできた、それによって何年間か研究をしてみた、なかなかいい結果がある、悪いところが出た、悪いところが出ればひとつこれを直していけばいいのです、そういう意味筑波大学方式と私は了解したのであるが、これはモデル実験学校は、できれば文部省は、要請があればその方向で他の大学へ波及さしていきたいという一応の熱意のほどをいま伺ったわけでございますので、そういうことについて、私のいま了解したような形として受けとめてよいかどうかをもう一ぺん確認をさしていただきます。
  163. 木田宏

    木田政府委員 大学の改革は、それぞれの大学の課題であり、大きな検討問題でございまするから、それぞれの大学から御意見のあがりましたものにつきまして、私どもも十分それに対応して検討し、もし進めてしかるべき改革でございますならば、それらを実現できるように用意をさせていただく、こういう心がまえでおる次第でございます。
  164. 受田新吉

    受田委員 人事院のおいでになる間に、早くお答えいただきたいことがあります。  文部省は、ここへ出されておられるこの筑波大学創設準備会の資料、これを中心に私が判断してよいかどうか、まず御了解願っておきたいのです。
  165. 木田宏

    木田政府委員 いまお持ちの資料は、私どもも今日までの検討段階として用意を詰めてきたものでございますから、それでお尋ねをいただいてけっこうでございます。
  166. 受田新吉

    受田委員 教職員数につきましてお尋ねをいたします。  合計三千五百五十人、この中には定員外と称せられるいわゆる非常勤職員というものが入っておりませんね。そこで、今度筑波大学へ行くときは、東京教育大学に現におる職員の中で、定員へ入れる予定者があるのかどうかをお答え願いたいのです。
  167. 木田宏

    木田政府委員 これは現実の個々の職員の人事の問題でございますから、人によりまして、またポストが適応した場合に、そういう方が出てくることは当然だと思います。
  168. 受田新吉

    受田委員 文部省にはばかに定員外職員が多い。定員外職員の性格にはいろいろある。常勤的性格を持つものもあれば、日々雇用形式によっていくものもある。単なる臨時雇用の性格のものもある。しかし、常勤的性格を持って長期にわたって勤続した職員、ほとんど正規職員と異ならない勤務形態にある人、そういう人々がいまどのくらいおるのか。東京教育大学、東京大学、その二つを例示していただきましてお答えを願いたいと思います。
  169. 木田宏

    木田政府委員 常勤的な形態をとっております非常勤職員は、文部省国立学校を通じまして現在ほぼ一万人をちょっと上回る数がございます。確かに数としては非常に多い数がございますが、東京大学東京教育大学の内訳につきましては、後刻関係者からデータを求めてお答えを申し上げたいと思います。
  170. 受田新吉

    受田委員 その答弁は、それじゃ後ほど示してもらうこととして、質問を続けます。  文部省だけで常勤的性格を持っていわば定員内職員と同じ勤務形態にある、いまのような日々雇用とか、あるいは臨時的性格を持つ非常勤職員でない常勤職員、そういう職員の数が一万人というのは、これはたいへんな数字です。国立大学の中に特にこれが多いわけでございまして、私指摘したいのは、大学の大衆化とともに、いま局長御自身も同一年齢の大学入学者の数が四十%を占める日もそう遠くないめどを示しておられるのでございまするが、そういう段階で国家行政組織法上の問題としても、総定員法のワク内で文部省が教職員の数を押えることが、非常にむずかしい時期に来ておると私は思うのです。そして文部省大学先生だけは、だんだん数がふえていくような情勢にあると私は思うのです。これは押えるに押えきれない情勢、これはいかに総定員法でワクが締められてあっても、文部省としては強い要求がこの大学の拡大強化とともに要請されてくると思います。  ことしの予算で、文部省は、定員職員として要求したものが一体大蔵省で何人削られたか、そのことをちょっと教えていただきたい。
  171. 木田宏

    木田政府委員 いまのお尋ねに御答弁申し上げます前に、先ほどの東京大学の数と東京教育大学の数をお答え申し上げておきます。東京大学は八百七十四名、東京教育大学は百三十九名でございます。  なお、ただいまのお尋ねでございますが、四十八年度の国立学校の定員といたしまして、文部省におきましては五千五百三十五名の定員要求をいたしました。   〔委員長退席、松永委員長代理着席〕 大蔵省と相談の結果、予算案として確定いたしました増加数が二千七百五十七名でございました。
  172. 受田新吉

    受田委員 文部省は、予算要求の半分以下に定員を押えられた。大学教育がますます拡大強化されようという段階で、教職員を少数で食いとめなければならない悲劇を受けておられるようです。しかも、一万人という常勤職員をかかえて、その職員は定員内職員とほとんど同じような勤務形態を持っておる。国家公務員退職手当法の適用を受けるのにも大きな差別を受けておる。こういう形になっておる。一体、この一万人という常勤職員というのはどこから経費が出ておるのでございますか。研究費ですか、事業費ですか。
  173. 木田宏

    木田政府委員 この一万人の職員は、臨時的、季節的な業務、あるいは業務量に繁閑のある業務に従事する、そのゆえをもって正規の定員職員とは違った定員外の職員という扱いになっておるわけでございます。これらの者のうち一部は、病院の看護婦等にもございますが、賃金支弁という形で用意した職員がございます。しかし、教育研究の補助等をいたしております人たちは、いわゆる学校の校費として配分いたしております学校の一般的経費の中からその処遇が行なわれておるものでございます。
  174. 受田新吉

    受田委員 一般的経費というたら物件費のようなものの対象になるのもありますから、どうですか。
  175. 木田宏

    木田政府委員 大学に配分をいたしております予算の中で、校費と称しますものにつきましては、行政官庁の庁費よりはもっと幅広い領域に使えるという予算の御了解をちょうだいしておりまして、俸給とか旅費には回せませんが、それ以外のものにつきましては、物件費も、賃金その他も含めまして、いろいろに支出が可能というような性格の経費でございます。
  176. 受田新吉

    受田委員 大学に勤務する教職員が、物件費と同列に扱われておるという悲劇は、教育の府であるだけに私、慨嘆にたえないわけです。物と人間を同じワクの中で処理されておるという、これは私、国立学校の経費の特別会計の中で、人件費として処理すべきものは当然きちっとした費目を設けて支出すべきで、臨時職員給与費あるいは研究費というようなワクである、物件費、人件費がごっちゃまぜで物が余ったら人間の経費に回そうというような、これは文部大臣、ちょっと大学としては悲劇ですよ。物と人間を一緒に扱っておる。大学の府であるだけに私、さびしいと思いますが、お考えいかがですか。
  177. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 定員が十分得られませんので、経常的に働いてもらう方々に対しまして賃金職員としての扱いがなされている。もとより適当なことではない、こう考えるわけでございまして、あとう限り定員の増加につとめていくべきだと、かように思っております。
  178. 受田新吉

    受田委員 大学がこの際一万人の常勤職員をかかえておるということは、必要であるからかかえておる。しかし、思いつきでその人間を使っておるというような状態なら私たち反対です。もうやむを得ない人員が要るのだ、勤務上必要な人員が要るのだとするならば、当然要る定員がおさめられていいはずですね。不要の人間をかかえておるのなら私はあえて言いません。一万人の、勤務形態がほとんど同じ職員をかかえて、そうしてその待遇たるや、大きな開きを持っているというような状態を、文教の府がかかえておられるということは、私は許されないことだと思う。臨時的雇用の立場の皆さんのほうは一応さておいて、勤務形態が同じようなかっこうにある一万人の皆さんの定員化というものは、現実にそれが必要で起こった以上は、当然これに入れるべきではないですかね。特に、国民の半分近い同一年齢の者が大学に入ろうかというときに、それであるがゆえに、私はこの大事な問題の解決を急いでもらいたい。急ぎますか。――これは文部省は弱い役所だね。五千五百人を要求して二千七百人しか査定をしてもらわぬというのでは、弱い役所で困ったものだ。いま大学教育へこれだけあなた方が夢を持っている。われわれも教育という世界には惜しみなく金を使うべきだという夢を持っている。与党も野党も、そういう夢を持っている。党派を越えた結論が出ておる。そういうときに、これができないということはどうしたことかね。これは残念ですね。
  179. 木田宏

    木田政府委員 国立学校に置かれます定員につきまして、これは正規の常時勤務を要する定員の職といたしまして、私どもは学生数の拡大であるとか、あるいは研究体制の拡大であるとか要求をしてまいるのでございますが、そのほかに、国立学校にはやはり臨時的、季節的な、あるいは業務量に変動のあります職種というのが必然的にある程度起こってくるわけでございます。これは教育研究あるいは看護等、その具体の個々の仕事の性質に応じまして、弾力的に補助を得なければならぬという性質のものでございますから、その意味で、研究を進めるために、また教育体制をとりますために、弾力的に定員外職員を入れるということがあるわけでございます。  ただ、遺憾ながら、この一万人のうち一割前後の職員数につきましては、勤務数のかなり長くなっておるものがございます。その長い勤務をしなければならぬ職員につきましては、定常的な職に移しかえるといったような、人事管理上の配慮を個別に講ずべきものであるというふうに私ども思うのでございますが、職の性質といたしましては、どうしても教育研究の性質上、断続的、臨時的なものというものが必要になってくる。その意味で、毎年毎年臨時的なものが必要になっておりながら、そこに入る人は、勤務としては正規の定員の勤務とは違った勤務形態の人があるということも避けられない現実でございます。  それと一方、いま御注意をいただきましたように、国立大学の拡充整備に伴って、必要な常勤の定員のポストをふやしていく、これは私ども御鞭撻をいただいて、もっともっと努力をしなければならぬことは申し上げるまでもございません。今後、高等教育の普及拡大に伴いまして、一そう大学の新増設も考えなければならぬところでございますから、御支援を腸わりたいと思う次第でございます。
  180. 受田新吉

    受田委員 筑波大学には、定員内職員だけを配置するのか、定員外職員も一緒に連れていくのか。新しくできる大学ですから、出発の時点では、定員内職員でスタートするという心がまえが私はしかるべきだと思うのですけれども、いかがですか。
  181. 木田宏

    木田政府委員 大学が恒常的な職務に従事する定員をもって、基本的に運営さるべきことは、言うまでもございません。しかしながら、教育研究の性格上、臨時的、季節的な補助職員が、筑波大学におきましてある部分は必要になってくるということは起こり得ることであろうと思います。
  182. 受田新吉

    受田委員 そういう職員を何人用意しておるのですか。私は、大学のスタートのときには、せめて定員でスタートして、そして漸次必要に応じてそういう人が起こってくる、それをやがて定員化するというのが筋と思うのだが、スタートのときからもう定員内職員では間に合わないから、そういう定員外の職員をかかえていくのだという心得は、これは心得違いだと思うのですね。
  183. 木田宏

    木田政府委員 恒常的な職員として本来定員でまかなうべきものにつきましては、もう当然定員でまかなわなければならぬのでございます。しかしながら、大学におる職員がすべて常時勤務を要する職員だけということには必ずしもなりません。部分によりまして研究の領域、研究の態様によりましては、臨時的に応援を必要とするという性質のことがございまするから、それらは、教官に配分されております研究費等の校費の中から支出される面がある、こういうことを申し上げておるわけでございます。
  184. 受田新吉

    受田委員 スタートから非常に残念な現象が起こっておるようです。筑波大学へ移行する東京教育大学の職員は、向こうへ連れていかれる人と連れていかれない人がある。そういうようなものについて、非常に不安もあると思うのです。向こうへ引っ越しても住宅が十分ない、教育機関も整備されていない、そういう人々、それから正規職員でないかっこうで連れていかれるんだというような人々、そういう不安を解消するための努力はされておるのですか。つまり安んじて任におもむくという形がとられておるのか。そしてそういう全職員との話ができておるのかどうか。思想的に、信条的に間違っておる者は連れていかぬで、言うことを聞く者だけ連れていきますというようになっておるのじゃないかというような不安、そういうような不安は一切なくて、公正に、現在の東京教育大の教職員を、広く一人一人の希望を聞きながら配慮して向こうへ引っ越していく、残るのはだれという、そういう円滑な運営ができる見通しが立っているのかどうか、お答え願います。
  185. 木田宏

    木田政府委員 筑波大学は、職員の定員につきましても、現在の東京教育大学よりは大きな定員規模を予定いたしておるわけでございます。したがいまして、東京教育大学関係者筑波大学への勤務を希望いたしますならば、全員それを受け入れる余地が十分にあるわけでございまして、筑波への勤務を希望する職員に対して、これを断わるというような考え方は毛頭持っておりません。
  186. 受田新吉

    受田委員 こうしたいわば画期的な事業をなさるときに常にそうしたごたごたが絶え間がないわけです。いわんや筑波大学設置について強力な推進派と、強力な反対派があって、これが混乱のうちに法律が成立して実現したという場合のことを――まだこれはあした本会議があって、いくのですから、まだ成立する見通しがあるかどうかわからぬし、参議院もまだわからぬわけですから、そういうときにちゃんとした体制ができておって、そして全職員にせめて、移転のできる立場の人と、どうしても引っ越しのできない人というようなものの個々の事情なども、最大公約数で片づけていくというような配慮を常にやっておかなければいかぬ。これは十分御注意を申し上げておきます。  人事院総裁、これを御答弁いただけば御退席を得たいのですが、定員内職員については、これはあなたのほうで、等級別定数というのをつくられる、人事院指令で。したがって、これだけでこの大学がこなせるかどうかというようなことでなくて、総ワクがきまったから、その中で等級をこういうふうにしたらいいなというような機械的な配分があなたのほうでされるだけですかね。
  187. 佐藤達夫

    ○佐藤(達)政府委員 私どもとしては、申すまでもなく教育の内容、そのあり方というようなことに対して、専門家でもありませんし、責任を持ち得ないことでありますので、したがいまして、その定員をどのように盛り込まれるかどうかというような、大体の、教授が何人で助教授が何人というようなことですな、それはやはり文部省なり何なり、専門家のほうのお知恵にまかしておいて、そうしてさらにそれを今度等級別に分けるときに、われわれはそれをながめながら適正なる判断を加えて等級別の定数をきめていく。順序はそういうことになると思います。
  188. 受田新吉

    受田委員 文部省文部省ではこの教職員の定数を、教員の場合は教授、助教授、講師、助手という分け方で教員を配分することにしてありますか。助手が一体何人で、その人数はわかっておりますね。三千五百五十人の内訳を申していただきたい。
  189. 木田宏

    木田政府委員 三千五百人というのは、いまの概数でございますが、これの具体的な内訳は四十九年度の予算で確定をすることになるわけでございます。カリキュラムその他、精密に詰めました上で要求を出すことになっておりますので、今日の段階では、全体についての職種別の数まではまだ考えておりません。  助手につきましては、関係者の間で、いままでの実態から、従来のような助手の位置づけと数については考え直したほうがいいという意見もございますので、私どもそれらは新しい教育研究の体制が、少し細部に至りますまで確定した段階で、大蔵省その他と相談をしたいというふうに考えております。
  190. 受田新吉

    受田委員 いま助手は、新構想で何か考えたいというお気持ちがあるのですか。私いまちょっと変わった御意見が出たもので、大学ですから助手、講師、助教授、教授という、そういう経路をたどっていくものと思ったら、助手というものはちょっと考えたいということでございますが、助手のいない大学が今度はあるわけですか。
  191. 木田宏

    木田政府委員 助手をなくするというわけではございませんで、助手の役割り、機能等にかんがみまして、その数のあり方その他を、いままでどおり講座ごとに教授一、助教授一、助手一というふうな簡単な計算にならない、むしろ全体として、学系ごとに、どういうふうな教官をどういうふうに整備したらいいかということを相談をしておるものでございますから、いままでのような単純な教授一、助教授一、助手一と、こういうふうな系列で各職種の数を計算するところまで至っていないわけでございます。全体として考え直す必要があろうかという意味で申し上げた次第でございます。
  192. 受田新吉

    受田委員 局長さんは、この助手というものは、ちょっと考えたいというおことばが出たものだからね。講師、助教授、教授はいま触れなくて、助手の問題だけをいま発言されたと思うのですが、これはどうだったのですかね。私の耳が間違っていたか。
  193. 木田宏

    木田政府委員 ことばが足りなかったかもしれませんが、助手の位置づけについて考え直す必要があるという御意見でございます。そのことは、助手をなくしてしまうという意味ではございませんで、助手の配置のあり方その他について、もう一度検討してみたい、こういうことでございます。
  194. 受田新吉

    受田委員 助手という制度を廃止するのじゃないのですね。位置づけというのは、どういう位置づけですか。それは文部省で、大体あなた方の構想どおりにものがなるのですから、ちょっとお答え願いたいのです。
  195. 木田宏

    木田政府委員 いままでは講座ごとに教授一、助教授一、助手一、あるいは自然科学系でございますと助手二というような組み合わせになっておりました。この比率の数でいいというふうには皆さんが考えていらっしゃらないものでございますから、その意味で特に助手だけ申し上げたような結果になりましたけれども、全体の職員の職種別のあり方というのは、教育研究の体制をもう少し具体に詰めた段階で考えてみたい、こういうことを申し上げた次第でございます。   〔松永委員長代理退席、委員長着席〕
  196. 受田新吉

    受田委員 研究実験学校として助手制度を廃止して、講師あるいは助教授、教授という新型の道を歩むという考え方はありませんか。たとえば助手という名称については、何だか国家公務員が助手というのはちょっとあまりさびしい名前だ、少なくとも大学先生の中に、手を助けるというような程度のものではいけぬ。これは講師として、助手、講師期間を通算したかっこうで、講師の初、中、上、こういうかっこうでいくというような新しい構想をお持ちであるなら納得しますよ。そういう構想であって助手も置く、講師も置く、ただその人数をどうするかというようなことを考えるというのではなくして、助手は筑波大学では、この実験学校で助手という名称は適切でない。もう講師から始まったほうがいいのじゃないかというような構想があるなら、すなおに私承っておきたいと思うのです。もう一ぺん……。
  197. 木田宏

    木田政府委員 いま受田委員の御指摘になりましたような意見があるわけでございます。しかし、これも分野によっていろいろと一律にいかない点もございますので、それらの意見を組み入れながら、今後の具体の職種別の数を考えたい、こういう次第でございます。
  198. 受田新吉

    受田委員 それでは人事院総裁、このお尋ねでよろしゅうございますが、御苦労かけたのですが、私、国家公務員である以上は、非常勤であろうと、その処遇を考えていただくのが人事院ですね。したがって、非常勤でいまのような常勤勤務をしておる諸君が、一万もおるような文部省などでは、この非常勤職員の待遇改善はよほど強く考えてあげなくてはいけないと思うのです。したがって、退職手当法などは総理府のお仕事ではあっても、しかし、その実態調査はおたくでやっておられるわけだから、退職時には国家公務員退職手当法の四条、五条という特別の規定の適用を受けるような配慮をしていくとかいうような、これは総理府の仕事だとおっしゃればそれまでですけれども、実態調査に基づいて、この膨大な一万人以上をかかえている文教の府に勤務される人々の非常勤職員の待遇、定員の中に入らなくとも、その現実の待遇を一歩でも前進せしめるというような配慮、これはやはり人事院総裁の御所管だと思うのですが、どうでしょう。
  199. 佐藤達夫

    ○佐藤(達)政府委員 まさに、おっしゃるとおりでございます。私どもは、その面についてはまたそれぞれ従来常に検討をし、改善の道を考えてきておりますけれども、大体現在のところでは、ここに私ども一覧表をちゃんとつくって、常勤職員と非常勤との待遇の違いを表につくってながめながら常に検討しておるわけですけれども、大体もう一息やったら完全に常勤と同じになってしまう。それじゃ、常勤と非常勤の区別がなくなってしまうわけですから、もうとことんのところまで非常勤職員の方々に対する待遇面は、ここで考えて差し上げているという気持ちを持っております。したがいまして、あと残る問題は、いわゆる定員化の問題とか、本物の常勤に採用されればいいじゃないですかというような話のほうにむしろそれがつながっていくことだというふうに考えます。
  200. 受田新吉

    受田委員 どうぞお帰りくださいませ。  では、文部省に対して、最後に、大事な基本問題をこれから一時間近くの間に、できるだけ早く片づけますから……。  これから私が提案しますことは、非常に簡単に御答弁願いたい。私、時間を縮めますから……。
  201. 田中正巳

    田中委員長 ちょっと速記をとめて。   〔速記中止〕
  202. 田中正巳

    田中委員長 速記を始めて。
  203. 受田新吉

    受田委員 では、私の党の修正点などに対する見解等もまだ伺わなければならぬものが残っているわけですから、もう少しがまんをしていただきたいのですが、非常に建設的な意見を述べさせていただくので、決してあなた方を敵として見ておるわけではない。友だちとして見ておる立場で御質問をするわけです。  どうですか、文部大臣。今度の法案の中に、医科大学、これが、筑波大学にも医学の研究部門、専門部があるわけでございますから、当然医師の養成というものは、文部省はどれを適正な数字として、医師の養成をされるか。今度でも旭川の医科大学その他の法案も出ているわけでございますが、医学部の学生を筑波大学でも養成をされようとするのは、一体総ワクをどこへ目ざして、旭川医科の各大学医学部の設置と合わせて、何人を目標にして医学部学生の教育をしようとされるのか、その一環が今度筑波大学に出たのだと判断されるのか御答弁を願いたい。
  204. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 現在、四十九年度以降に創設することを考えておりますものも含めまして国会に提案しておりますもので、一般にいわれております人口十万に対する医師百五十人の目標は達成できるわけでございます。しかし、将来のことを考えてまいりますと、なお医師の養成を多くする必要があるのじゃないか、こう考えておるわけでございまして、無医大県を解消する目途で国公立の医科大学をなお増設していきたい、こういう考え方でおるわけでございます。
  205. 受田新吉

    受田委員 国公立医科大学の増設計画百五十人は、何年までに百五十人を満たそうとされるのか、年次計画をお示し願いたい。
  206. 木田宏

    木田政府委員 厚生省の御要請もございまして、昭和六十年までに人口十万人対百五十人の数がほしいという御要請でございまして、今日までのところ、それを十分に達成し得るだけのものになっておるわけでございます。
  207. 受田新吉

    受田委員 昭和六十年までに人口十万人に対して百五十人、いまのところは百二十人ですから、三十人の割合はふえるという計算のようですが、これには、防衛医科大学がきょう本会議で衆議院を通ったわけですが、学校教育法による医科大学での養成、つまり国公私立を通じての養成のほかに、先般の自治医科大学や、防衛医科大学の計算は、どういうことになっておるのですか。
  208. 木田宏

    木田政府委員 学校教育法上の医学部医科大学による計算で先ほどの数字になっておる次第でございます。自治医科大学は、学校教育法上の私立の医科大学でございますから、入ってございますが、防衛医科大学校は別でございます。
  209. 受田新吉

    受田委員 私、文部省としても学校教育法に規定しないある職域だけの医師を養成するというような、こうした防衛医科大学などの設置は、御認定にならぬほうがよかったと思うのです。やはり学校教育法というきちっとした法律の基礎のもとに、きちっとした体系で教育をする、そういうところで医師が養成される、これがたてまえであって、ある職域の二十万ばかりの職員のために、特別の、最終的には国家試験を受ける資格を与えるような大学をつくるということについては、文部省は一体どういう考えで御承認になったのか。学校教育法のワク外の医師養成というものについて、どんなお気持ちであったのか。きょう衆議院を通過したばかりでありますが、文部省の側の意見をいままで聞く機会がなかった。非常に必要な問題として、あえて学校教育法のワクをはずすこういう系列の大学校という特別の存存があらわれるということは、文部省としては悲しむべき現象と思うかどうかということです。
  210. 木田宏

    木田政府委員 防衛医科大学校は、防衛庁の職員でございます医官の養成を目的とするものでございまして、いわば防衛庁の職員の教育訓練機関でございます。でございますから、特定の職域の中でそういう養成が必要であるということにつきまして、文部省としてこれを拒む立場にはなかろうかと考えております。一般的に申し上げますならば、正規の学校教育で養成されました人たちが、あらゆる職域に十分に迎えられて、あらゆる職域の要請を満たし得ることが望ましいわけでございますが、特定の職域につきまして、職員の不足があって、それをその職域内部の教育訓練機関として養成するという御要請に対しましては、やむを得ないことというふうに考えておる次第でございます。
  211. 受田新吉

    受田委員 そういう筋の通らぬ、やむを得ないというようなことは、これはほかの社会にも影響する危険があるわけなんで、やはり学校教育法の体系を乱さないかっこうで、学校教育を守り抜く文部省の信念が要るわけです。もし、防衛庁の職員のために必要なら、防衛庁職員の医師の給与をうんと高くして、そこで医師を求めればいいのであって、ある特別の任務を持った職域というようなことを文部省がお認めになるといういまのお話、非常に残念なおことばだと思うのです。ひとつ学校教育法を守って、学校体系をくずさないという信念で、今後あなた方はがんばっていただきたいと思うのです。  次に、これから短い質問と、短い答弁でお答え願いたいのですが、あなた方の大学構想の中に、開かれた大学への一つの夢として、一般社会人に筑波大学で学ぶ機会を与えるという、いわば社会に開放された大学の性格をうたっておられるのです。御説明書を見てもそれがわかる。しかし、それは法律の中には出ておらぬ。そこで、われわれの党でも指摘した、つまり大衆化した大学という意味から、学生の、せめて十分の一ぐらいは一般社会人の中から、ある特定の科目の研修のために筑波大学に学びたい、そういうときには、大学が一カ月なり二カ月なり門戸を開放して、そういう社会人の教養を高めるための大学開放という政策を、具体的に私は要求してあるわけです。われわれの党からもこれは強く要求してある。この要求に対してのお答えを願いたい。
  212. 木田宏

    木田政府委員 大学当局も、いま御意見にございましたような、大学の開放を考えておるところでございますから、今後そうした御意見が生きますように、予算上も考えてまいりたいというふうに思います。
  213. 受田新吉

    受田委員 具体的に予算の措置だけでなくして、その施設の問題等もあるわけですが、それから同時に、大学生、教職員、それからそうした特殊の特別学生、それから一般知識人、そういう人々が大学へ集まって、一緒にそこで楽しく会合を持ち語り合う、そうした大学の会館、こういうものの建設、そういうものを五十一年に何らか多少考えておられるようですが、もうすぐにでもこれに着手して――大衆の大学らしい性格のものがすぐにでも要ると思うのですが、これはすぐにもそういうものに着手しようとするのかどうか。これも御答弁を願いたい。
  214. 木田宏

    木田政府委員 すでに体育施設等は、市民にも広く使っていただけるということを念頭に置きながら、配置上の考慮、また運営上の考慮も進めてきております。大学の他の施設につきましても、御意見のように、学生のみならず、市民あるいは他の地域からの研究者等が集まって、学問の府としての成果を十分にあげ得るような措置を、大学当局と相談の上で、すみやかに整備をしていきたいというふうに考えます。
  215. 受田新吉

    受田委員 いまのお話のところ、大学当局と話をするということですけれども、これは法律事項と、それから行政措置と二つあるわけでございまするから、法律の中にはうたってないことの中では、やはり文部省が――大学当局でなくして、一応開かれた大学らしい、開放された庶民へのそうした勉学の機会というようなものは、それは文部省自身がむしろ構想を持っておらなければいかぬと思うのです。その構想は、地域社会あるいは特別の研修目的の職域グループ、そういうような人々の要請にこたえられるような性格を持ち、またそれに対しては、特別学生としての終了証書を渡し、また大学に将来学ぶ場合には、その科目の免除をするというような、そういう制度も考えられるのかどうかです。
  216. 木田宏

    木田政府委員 御意見のようなことは、実現できるように私どもも今後進めたいと思います。
  217. 受田新吉

    受田委員 さっきあなたからも答弁があったんですが、身障者のための教育施設というものは、私たちは、東京教育大学が、従来その一角を守ってくれたことに非常に感謝しておったのですが、これは大幅にその対象を広げて、大学教育施設に金はかかってもいいから、大学まで学べる人の人数がずんずんふえるような措置を、せめて筑波大学構想の中にお持ちなのかどうか。あれをもう少し具体的に御説明願いたいのです。
  218. 大崎仁

    ○大崎説明員 お答え申し上げます。  心身障害関係の組織といたしまして、現在計画をされておりますものとしましては、学問上の組織としまして、学系に心身障害学系というものを設けることといたしておりますと同時に、学群のほうでは、第二学群に、人間学類の中に心身障害学関係の専攻を位置づけたいという計画になっております。さらに大学院の新しい独立の修士課程におきまして、指導的な教育者の養成のための修士課程が設けられることが計画されておりますが、その中に心身障害関係の課程を重視をしたいという計画になっておる次第でございます。  なお、以上申し上げましたことは、心身障害関係教育研究の仕組みでございますが、それと並びまして、教育大学におきましては、従来から心身障害者の方の教育という点で、各種の付属学校を設置しておられますし、また理療科教員養成施設等も設けておられるわけでございますし、大学教育学部等では、心身障害者の方の受け入れも積極的にはかっておられますので、それらのあり方を充実した形で受け継いでいきたいという計画になっておりまして、私どもといたしましても、ぜひそのようにいたしてまいりたいということで取り組んでおるわけでございます。
  219. 受田新吉

    受田委員 必要経費として、一応予算化されている身障者施設に対するワクというものはありますか。
  220. 大崎仁

    ○大崎説明員 現段階では、各分野ごとの定員経費というものをまだ計算をいたしてない段階でございますので、ちょっといま申し上げかねます。
  221. 受田新吉

    受田委員 すみやかにこの具体的な――こういうところへこそ力を入れて、庶民に開かれた大学の本質を発揮するという心がまえを持ってもらいたいと私は思うのです。   〔委員長退席内海(英)委員長代理着席〕 そういうものをもっといまの段階で、その準備が進められておらなければならぬと思っておるわけですが、その端緒をいま示してもらったので、その奥行きをこれからぐんぐん掘り下げるという計画を私は、要求するものです。  なお、われわれすでに大学の構成組織として、教職員と学生、特に学生の場合は、すでにほとんど七割以上が成年に達しておるという側から、学生の自治というものへ配慮をすべきだということで要求したのでございまするが、修正案はついにこれは否決された。この大学自治、学生の自治、学問の自由、この関係の中で、学問の自由が大前提であって、その中に大学自治があり、学生の自治がある。その学生の自治の裏づけとして、学生協議会というものが、また一つの機関として生まれてきておる。それが大学への貢献をする、こういう筋であろうと私は思うのです。そういう意味から、学生自身の自治、その中から生まれる機構的な協議会、それはほんとうに学生の全員が参加する自治であり、全員が参加する協議会、こういう形のものであらねばならない。この間、ここで大島参考人のお話を聞いていると、筑波大学構想の中に学生協議会なるものがあるということでございました。その内容を拝見しました。しかし、これは大学の自主的なものにまかすという意味でなくして、文部省自身が学生協議会構想というものを、やっぱり持っておらなければいけないと思うのです。つまり、大学自治にまかす、大学で協議会をつくりたければつくってくださいというよりは、大学の構成員としての学生はかくあってほしいという、学生の参加という問題を、文部省自身が構想をお持ちでなければいけないと思う。きょうはそれを、特に具体的に時間をかけないで説明――つまり、文部省の持つ学生協議会、文部省自身の持つ学生参加、それは各大学に好ましい姿で、かかるものがほしいのだというものを、要点を申していただきたいのです。局長からでけっこうです。大臣からは基本的なものを伺いたい。
  222. 木田宏

    木田政府委員 御指摘のように、学生自治というのが大学教育研究の内容として適切に行なわれるということが、望ましいことでございます。その場合に、全員参加ということも、できますならばやはり望ましいことだと考える次第でございます。  文部省は、従来、学生自治会のあり方につきまして、いろいろと大学当局とも相談もし、また意見も申し、学生自治会の指導ということにつとめてまいったのでございますが、遺憾ながら今日までの段階では、その学生自治会の実態がなかなかつかみがたい状態になってしまっておる。正直に申しまして、今後どういうふうにこれをもっていったら、正常な状態に戻るかという点につきまして、苦慮しておる段階でございます。学生の問題はやはり教育研究の、特に教育の内容になる部分でございますから、私ども大学関係者教育上のお骨折りということを主眼にしながら、この問題は今後とも努力してまいりたいというふうに思っております。   〔内海(英)委員長代理退席、委員長着席〕
  223. 受田新吉

    受田委員 局長さん、私は、学生の中からお互いが大学へ貢献するのだ、学生が構成員であるという自覚のもとに、一握りの学生の扇動という意味でなくして、建設的な前向きの学生の大学への参加という方式を、法律事項としてうたってほしいという修正案を出したわけです。しかし、この間これが否決された。けれども、これはあくまでも立法措置として、われわれは要求したい。ことしいけなければ、来年はぜひ結んでいきたいというような熱情を持っている。そこまで――もう新しい時代の大学ですから、古い時代の学生とはもう立場が違う。文部省自身も、この数年間学生の暴動等をとうとう押え切ることができなかった。それは自治を与えない、そういう協議会組織という機構を与えないというようなところからも――逆にこういうものを与えることで、その学生のそうした暴力というものは、学生の中でお互い押えられているというふうになると思うのです。そういう意味で、大学というものの機関の中に、学生の組織体として協議会方式というものを、ぜひ法律事項としてほしいという熱願を持っておるわけです。  こういう問題はできるだけみんなで相談して、それぞれの党が修正案を出し、そしてそこで歩み寄りをして、実を結ぶという方式がとられるならば、これは一番好ましいことだと私思うのですけれども文部省としては、出した原案は一歩も譲れないというような偏狭なお気持ちでなくして、広く他の党の見解も、できれば共通部分があればこれを取り上げて、そしてメンツにとらわれることなく、開かれた大学らしい新構想を、もっと国民的規模で実を結ぶというような配慮がほしかったと思うのです。  そして、同時に大学教育の目的には、学校教育法に書いているところに抜けていることがある。お互いが社会に奉仕する使命を持っておるのだという使命感を、もう一項ぐらい学校教育法の中へ書き足す必要はないですかね。いかがでしょうか。
  224. 木田宏

    木田政府委員 学生のあり方につきまして、受田委員のお気持ちは、私の胸にもいろいろと響くところがございます。また、学校教育法の中に、大学がもっと社会に奉仕するものであるという位置づけを与えるべきだという御意見につきましても、私ども賛意を表したいと思うのでございます。  ただ、現実の問題といたしまして、学生協議会という組織を、今日の事態でどのように大学当局がこなし得るかという点につきまして、正直のところ、私ども危惧がございます。今日、学生自治会、ルールがきまっておるわけでございますけれども、学内におきますそのきまったルールについて、その運営を進めていきます中に、御案内のような、学生間のいろいろな紛議その他も起こってまいります。法律でワク取りをしたら、これが適正にいくという点につきましては、受田委員のお気持ちは私どももありがたいぐらいわかるのでございますけれども、現実のこなし方として、そこにはなかなかむずかしい問題があるのではなかろうかというふうに思っておる次第でございます。  御趣意の点につきましては、今後の大学のあり方につきまして、貴重な御熱情と御示唆があるわけでございますから、われわれもこれは今後の学生指導の問題として、大学関係者ともどもに検討を進めて、よき実践を重ねるということにいたしたいと考える次第でございます。
  225. 受田新吉

    受田委員 時間も迫ったので、私、委員長のあせる気持ちもわかるわけですが、これで終わりますから。いつの間に時間がこんなにたったのかな。答弁が長たらしいからです。  大臣、私初めから最後までちょっと気にかかることがあるのは、こうした新構想大学に、法律にはうたっていないけれども、副学長を五人も置くという。あえてとらわれます。この中には研究担当と教育担当がおるのです。研究や教育の担当に副学長は要りませんよ、これは。自由な研究を、自由な教育をさせる部門で、監督的な地位の者は要らない。だから、せめてまあ三人に、できれば二人あるいは一人ぐらいでスタートされるべきじゃなかったのか。ちゃんとおぜん立てができて、研究、教育部門まで含めて、五人おる。研究とか教育とかいうのは、これこそ頭にそういうでかい監督者がおってやるよりは、自由な研究、自由な教育というところに味があると思うのですね。その意味で、研究と教育のほうの副学長はやめる。そして、あとの三つの系列的な立場のものに置く。できれば一人か二人かにするとかいうような配慮をスタートのときにはすべきではなかったか。こういうことになると、また他の大学も――いまさっき副学長を置くという、もうすぐ置くようなお話でしたから、やはり一人でなくして、二人、三人と、どの大学も置くというような危険が起こる。私はスタートのときには、その人数を極力制限していく。管理監督的地位の存在をできるだけ少なくして、大学自治、学問の自由に管理権の乱用を避ける配慮をやはりしておく必要がある。学長のある程度の権限の強化は、従来大学自身が自治をよう完成しなかったという点において、学長の権限がほとんどなかったという点の欠陥がある意味で、ある意味学長の権限が新しく付与されることは、これはやむを得ないと思います。しかし、屋上屋を重ねるような、副学長が五人もずらり並んでいる。しかも、どこかの国立大学から来て指定職の甲にもなる可能性のあるようなのがあらわれてきたりしたら、それは頭が二つあるような大学になって、それに気がねをして、教育や研究はそっちのけになって、戦々恐々たる人も中には出るという危険もあるから、私は副学長の人数は、せめてスタートのときには少数にしておかれてしかるべきであった、かように思うわけです。そして、その人選は、結果的には、文部省はノータッチとおっしゃるけれども宮島――ちょっと、宮島東京教育大学長は、交代することはない、最後まで宮島先生になるのですか。途中でかわりますか、どうですか。ちょっとそれを先に聞いておきたい。
  226. 木田宏

    木田政府委員 現在の東京教育大学長の任期は、来年の二月までだというふうに承知をしております。
  227. 受田新吉

    受田委員 それで、宮島先生自身で、そういうことの、副学長をだれにしたらいいかわからぬですよ、これは。やはり文部省は、そういうところに副学長構想なるものは、お二人とも胸に入れておられると思うのです。その中には文部省の息のかかった人が結果的にあらわれたと見られることがないような、自然の形でこれが選ばれるならいいが、どこか名ざしで、どうかという交渉をされるのは、文部省に私はなると思う。そういうことは一切文部省にならぬかどうか。一切ノータッチかどうかです。つまり学長から言うてこられたのを、文部省は最後によかろうか、いけないということをするのであって、副学長選考には、一切文部省はタッチしないといえるのかどうか。  それから、いまの人数の問題、もう一ぺん再検討して、いまからでも修正は間に合う。
  228. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 副学長の員数の問題は東京教育大学の新しい構想に基づくものでございまして、そういう構想が変われば変わったに従って対応してしかるべきだ、こう思います。  それから副学長の選任は、法律に書いておりますように、評議会の定むる基準により学長の申し出に基づいて文部大臣がきめるわけでございまして、申し出のとおり任命をするということでございます。適、不適という意味における拒否権はないということをたびたびお答えを申し上げているわけでございます。
  229. 受田新吉

    受田委員 私のお尋ねしたことの中で忘れておるのがある。文部省がノータッチかどうかです。
  230. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 文部省のほうから押しつけるという考え方は毛頭持ってはおりません。
  231. 受田新吉

    受田委員 きわめて明白にお答えになっておられたけれども、これは大学の自主性を尊重するという意味から、それからその自主性を尊重し過ぎたばかりに五人という構想も出たようでございまするが、その中に宮島先生の御意図の中に、文部省のどこかのお使いが行って、キッシンジャーのようなのが行って、ちゃんちゃんとおぜん立てをするようなことはない、キッシンジャーは文部省におらぬといえるかどうかを御答弁願いたいのです。
  232. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 先ほどもだいぶその問題は議論になったわけでございまして、従来のしきたりに従いまして円滑に運営をしていきたい。よこしまな運営は絶対にしないようにするつもりでございます。
  233. 受田新吉

    受田委員 わかりました。いまこちらで自民党から行くと話が出たようで、キッシンジャーは自民党から行くというお話のようでございますが、自民党の皆さんも良識の人々がそろっておるのだから、せめて筑波大学がいよいよスタートするという段階になったときには、ひとつ公正な人事と公正な誕生ができるようなかっこうにしないといかぬ、自民党の諸君も心してやっていただきたいものですよ。  以上、ごく簡単に質問したのでございまするが、こうした大事な教育関係法案の誕生にあたっては、もっとより高いところから、国家的規模で、全国民的規模でお互いができるだけ話し合い、できるだけ歩み寄り、そしてよい結果が生まれるように、心から私、熱願をしてやまないものでございます。  失礼しました。
  234. 田中正巳

  235. 木島喜兵衞

    木島委員 先ほどの受田委員の御質問の答弁の中で、法律的にはそうなんでありますけれども、副学長は、法律によらずして他の大学においてもこの法律によって希望するならばできるということを御発言になりました。ただ、いままでの中で、文部大臣はたびたび、そういう他の大学に及ぼさないのだ、このことは筑波大学だけのことなんだということを言っていらっしゃるのであります。短時間でありましたからいま全部を調べるわけにまいりませんけれども、たとえば六月十三日の嶋崎さんの質問に答えて「基本的な部分は筑波大学のみに関するところのものでございます。」これは嶋崎さんが、「学校教育法や、それからそういう法案の改正をなさるけれども、これはよその大学と一般的なつながりはないんですね、」ということに対してお答えになっていらっしゃる。このことば先ほどの答弁と食い違ってきておるし、あるいは副学長が基本的な部分でないとするならば、これまた認識上たいへん問題であります。その点は、基本的な部分は筑波大学のみに関することである、副学長は基本的な問題ではないのだという認識ではないだろうと思う。したがって、あなたがいままで総合的にあるいは包括的におっしゃったことは、この法案全体は筑波大学だけに関してで、他の大学に及ぼさないのだということを中心に言っていらっしゃったけれども法律の中身はそうでございません。先ほどの局長答弁どおりであるはずであります。けれども、大臣の答弁はそういう意味答弁をなさってきていらっしゃる。いまここで読み上げたとおり、基本的な部分は筑波大学のみに関するものだ。副学長は基本的な問題だとわれわれ認識する。またそうでなかったらたいへんだと思う。その辺のところは、今後の審議の問題もありますので、ここでもってもう一回大臣から、この辺についての御答弁をいただきたいのであります。
  236. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 いま御引用になりました点、多少その点だけお話しになりますと不十分で、誤解を招くように私も思います。何度か私は参与会人事委員会、これは筑波大学だけのものでございます、副学長は全体に関係する問題でございますということを申し上げてまいってきております。いまお読みになりましたところは、それだけをお話しになりますと不十分だ、私もそう思うわけでございます。筑波大学固有の組織、参与会人事委員会学群、学系につきましては、一律に他に及ぼすことは考えておりません。副学長については、国公私立を通ずるものとして各大学の自主的判断により設置できるよう、法律上の職として今回設けようとするものでございます。今後十分この点を留意して、審議に誤解のないようにいたしてまいります。
  237. 木島喜兵衞

    木島委員 これ以上追及しません。ただ、たとえば放送でも、そういう印象をあなたは至るところで言ってこられたのです。そういうように誤った印象を国民に与えないような十分な留意を望んでやみません。  以上です。
  238. 田中正巳

    田中委員長 嶋崎譲君。
  239. 嶋崎譲

    ○嶋崎委員 代議士会で、私がえらく長い時間やったという話があったそうですけれども、まだほんとうは大学の管理運営について逐条審議をやりたかったのですけれども、時間がだんだん制約されまして、私に与えられた時間はたいへん短いし、あとにまた公明党のレギュラーのメンバーが、長い質問の時間が必要でしょうから……。  最初に私が委員会発言をしたときに、東京教育大学の問題をめぐって、文部省側と私との間に事実の評価並びに考え方で意見の相違がございました。その後、教育大学参考人の方々に来ていただきまして、いろいろ証言をいただきました。それに基づいて、きょうは第一番目には、東京教育大学筑波大学構想したというふうに大臣がきのうも何度も言っておられますが、その経過について再度事実評価の相違、おそらく意見が違いっぱなしでしょうから、その相違だけを明らかにしておきたい、これが第一点です。  第二番目は、研究と教育という問題に関連して、いままでの質疑を聞いておりましたが、研究と教育の分離ということの意味が非常に多様な解釈が出ております。大臣と局長がそれぞれ一面ずつを、たとえば組織を言ってみたり、カリキュラムを言ってみたり、いろいろありますから、研究と教育の分離ということの意味を整理して、今後の大学のあり方にこれがいいかどうか、これを第二番目の問題にして少し詰めて質問さしていただきたいと思います。  三番目に、大学の管理運営という問題について逐条審議したいところですけれども、時間もありませんから、今度の筑波大学にあらわれている管理運営についての組織ないし制度の思想と考え方ですね。その考え方を、大学の場合にとっていいかどうかという原理的な問題について二、三質問さしていただきたいと思います。  そこで、第一の問題点ですが、第一回目の委員会でいろいろ議論をした際に、確かに、昭和四十四年の七月二十四日の東京教育大学の評議会の決定に基づいて、教育大学の決定を受けて、文部省筑波大学を創設していくという考え方を具体化し始めた、こういうふうに評価し、考えてこられたと思うのです。この間の参考人の証言の中でも明らかだったと思いますが、昭和四十四年の七月段階では、文学部教授会は、全体として問題ですが、教育学部の教授会並びに体育学部の教授会まで含めて、最終決定をしていない状況の中で、評議会決定が行なわれたということが、いろいろ参考人の方々から証言がありました。そういうことで、昭和四十四年の七月段階で、形式的には評議会の決定の上に教育大学筑波大学構想具体化しようとしたと言えるけれども、今日の大学の教授会、評議会という現状の中で、現行法制の中で、大学意思の決定と言い得るかどうかという点について、参考人意見をお聞きになった大臣並びに局長はどう評価されたか。一つも考え方が変わらないのか、その点について御意見をまずお伺いしたいと思います。
  240. 木田宏

    木田政府委員 昭和四十四年の七月二十四日の評議会決定につきまして、いま御指摘がありました教育学部、体育学部等からは、この考え方につきましてのいわば今後の条件と申しますか、こういうことが実現できるようにという趣意の条件が述べられたということは、参考人もおっしゃるとおりだと思います。また、私どももそういう希望を各学部でお持ちであった、評議会で議論されたということは承知をいたしております。しかし、それらのことをお述べになったあとで、評議会としては、これをその学部関係者も御承認になっておるという点は、やはり間違いなかろうと思うのでございます。
  241. 嶋崎譲

    ○嶋崎委員 再度こまかな議論はする意思はありませんが、この文部省のもろもろのパンフレットの中に、昭和四十四年七月という、たいへん明確な形で、東京教育大学の意思の決定がコンクリートになされて、それを受けて文部省筑波大学構想具体化したということが、非常に明確な形でうたわれているだけに、はたしてその大学における意思の決定が、形式的な意思の決定と、実体としての大学自治の状況、ないしは大学全体の意思の決定として妥当であったかどうかについては、たいへん疑問があるというのが私の判断であります。前回申し上げましたように、このビジョンが出る前に、教官の四割強の反対声明があり、決定のあとに職員も含めて四割強の反対声明が出ている、そういう状況の中の決定でありますから、大学の意思決定にしては、手続的には十分に教授会内部の審議が行なわれないまま決定された経過をたどっているのではないか、こういうふうに私のほうは判断するわけであります。その点は意見が違うということをひとつ確認をしておくことにいたしましょう。  二番目に、あくる年の昭和四十五年に、文部省の調査会が中間報告をお出しになりましたですね。その中間報告が出ているときに、当時教育大学のマスタープラン委員会が、その文部省の中間報告に向けて東京教育大学筑波構想なるものの自主性を訴えている文書があるわけであります。  この間私は、参考人のときに例をあげましたが、昭和四十五年の十一月十六日付の「筑波大学ニュース」によりますと、ここに「筑波大学のあり方について」という中間発表に関する見解が載った上で、「中間発表についての要望」という文書が載っております。その文書によりますと、ここではこまかにその要望の項目を申し上げませんけれども、いっている内容は、文部省が出した中間報告は、東京教育大学の意向を十分反映し、学内の委員会の意向を十分に反映したというふうには受け取れない。だから、今後東京教育大学内部の意向を十分反映するように御努力を願いたいという趣旨の要望書が、この間参考人に見えた福田信之、大島清、浅川正一、三名の教授の方から出ているわけであります。  それに関連して、この間の参考人の中に、マスタープラン委員会の副委員長であられた、たしか木村教授であったと思いますが、その教授が、終始マスタープラン委員会で提案をし、考えてきたものを、文部省に持っていって意見を述べたときに、常に文部省のほうからワクがはめられる、ないしは要望が封じ込められているという経過をたどっているという趣旨発言がありました。この要望という四十五年の十一月に出ているMPの資料と、この間いらっしゃった参考人の方の御意見を総合してみて、筑波大学構想というのは、一方では教育大学の自主的な改革構想と見せかけながらも、実際はそれを文部省が指導していく、ないしは文部省の設置した専門委員会が、それを一定程度指導していくという形で構想具体化したのではないか、こういうふうに私は判断をせざるを得ないわけでありますが、この点についての評価を再度お聞きしたいと思います。
  242. 木田宏

    木田政府委員 筑波大学創設準備調査会におきまして、教育大学の御関係の方々から、中間発表のあとかと思うのでございますが、この会議の席で御要請があったということは、私どもも記録によって承知をいたしております。中間発表の内容について、今後これにこだわらず、十分に検討してほしいというような意味の御要請がございました。その中身につきまして、教育大学の意向とのズレが少しでも少なくなるように、また、この準備調査会の意向が学内でも受け取られやすいように、今後の審議会にお骨折りをいただきたいという御要請がございました。これは、東京教育大学からこの準備調査会の委員としてお入りになっておられる方々から御要請があったということは、記録によって私ども承知をいたしております。  それで、この準備調査会によるいろいろな検討、さらにはそれが終わりまして、その後の創設準備会におきます検討等で、教育大学の御関係の方々から御要請がありまして、それを他の立場からお加わりいただいております学識経験者の方々の御意見によって、手直しをするということは、起こり得ることだと思うのでございます。基本的には学群、学系の考え方等を曲げておるつもりはございません。しかし、その御要請の内容が、現実性ということを考えた場合に、あるいはこの辺までが妥当ではなかろうかという他の委員からの御意見によって調整をされるということは、調査会を設けております私どもの趣意からして当然あり得ることでございます。学系の数その他につきましての意見の調整もございました。すべてについて、東京教育大学意見のとおりになっていないという点は、御指摘のとおりだと思いますけれども、しかし、この筑波大学の基本的な構想考え方、理念、そしてその構想のワク組み、骨格につきまして、東京教育大学の御意図は十分に実現できている、このように考えております。
  243. 嶋崎譲

    ○嶋崎委員 形式的、抽象的な説明としてはそうだと思うのですよ。ですけれども、実際に四十四年七月の段階のビジョンの決定をめぐって、大学の内部で相当な反対意見があったということ、それからまたその後のMPが自主性を一方で強調している、こういう状況の中で、その後の文部省との相互関係の中で、東京教育大学構想に変化が起きてくるということが、大学内部の、筑波大学に対して期待する、ないしは筑波大学を願望する人たちに逆に作用して、大学内部の世論を積極的に統合する際に、マイナスの作用をしているということが十分考えられると思うのです。  そこで、それに関連してですが、当時の東京教育大学学長並びに評議会の中枢メンバーが中心になって指導したと思われる昭和四十五年四月十七日の、「教官選考基準に関する申し合わせ」、評議会決定、これがそういう背景から出てきたと私は考えるのですが、その点は、この前の参考人意見をお聞きになって、局長はいかが思われますか。
  244. 木田宏

    木田政府委員 いま御指摘になりましたのは、教官選考の評議会決定だと思いますが、これは東京教育大学の紛争の過程の中から出てきた産物ではないかというふうに考えております。
  245. 嶋崎譲

    ○嶋崎委員 そこは私と完全に事実評価が違います。つまり、紛争中に確かに四十三年から四十四年にかけて、筑波大学のビジョンに関して、MPが十分に活動したかどうかは別としても、マスタープランの中で一定のビジョンの検討は行なわれてきたと思います。それは紛争への一つの思想的な反射とでもいいましょうか、そういう側面を持っていたと思います。  ところが、四十四年から四十五年の段階になりますと、一応大学が正常化してきて、そして文部省創設準備会ができて、相互に交流しながら、この筑波大学構想具体化していっている過程であります。ですから、この過程で、この評議会における決定というものの持つ意味が、実は、ことばは少し乱暴な言い方ですけれども、当時の教育大学学長中心とした専決体制の中できめられた一つの方針のように私は思うのです。東京教育大学のたくさんの人事問題に、それが基準になって影響してきている、こういうふうに判断をするのです。つまり東京教育大学の中では、四十四年に評議会決定はあったけれども、学内に非常に反対の世論がある。片一方では教育大学構想文部省を通して動き出している。そこで、東京教育大学で、評議会で決定した人たちと文部省とが結びつきながら、新しい構想具体化してこれを実現しようとすると、学内の反対の世論を何らかの形で統合していくという課題が出てきたと思うのです。その統合する課題として、教官の選考に関する基準の申し合わせというのが意味を持ち、そしてその後の東京教育大学人事問題に機能していっているという点が非常に重要だと私は思うのです。その点の判断は、この前だいぶ議論をしましたから詰めませんけれども、再度、参考人の方々の意見をお聞きになった上で、いかが考えられますか。
  246. 木田宏

    木田政府委員 いま嶋崎委員の御指摘のような評価もあるいはあろうかと思うのでございますか、私、参考人の御意見を聞きながらも――これは前々からの紛争の過程等を通じた流れを私なりに考えておるからかもしれません。大学紛争の過程の中で、大学の意思決定がなかなかうまくこなせない。特に文学部の教官たちが賛成、反対に分かれまして、また紛争後の教育の回復につきましてもいろいろなトラブルがあった。その後、宮島学長学長代理から正規の学長として選ばれて体制が整ってきたということはあろうかと思いますが、学内世論の帰一をはかりたいという意味で、あのような評議会の人事取り扱いの基準というのが生まれたのではないかというふうに考えております。参考人の御意見等を伺いながら、これと格別違うような点、私も考え及びませんでしたので、相変わらず同じような御答弁になっているかと思いますけれども、そのように考えております。
  247. 嶋崎譲

    ○嶋崎委員 それならば、一つだけ具体的な問題をお聞きして、それについて文部省は、今後東京教育大学の内部に指導、助言といいますか、そういう意味筑波大学をになっていく東京教育大学の教官集団が――そういういつまでもごたごたが続いているという事態を一刻も早く解消しなければ、われわれはこの法案のにない手たちがとんでもないことをやっているということを常に危惧するわけです。  そこで、この教官選考基準が出る前に、文学部教授会で、一人は、私の知っている限りではローマ史の日本の学界の大家ですが、そういう助教授の方が教授になるということが議決されているのに、それが上申されないまま文部省に伝わっていない。そういう事実があることについては、この間参考人が説明されましたが、御存じですか。
  248. 木田宏

    木田政府委員 教官の選考が滞っておるという点につきましては、私も前中嶋学部長並びに評議員の方と両三度お目にかかって、先方からも苦衷を訴えられ、私もいろいろと御意見を申し上げた経緯もございます。いずれにいたしましても、双方それぞれの言い分はございましょうが、固執したままで、実際に必要な教官の人選が進まないということは困ったことでございます。私どもも、大学の教官の選考のことでございますから、ものの言い方の限度は用心をしなければならぬと思うのでございますけれども関係者に、この状態はできるだけ早く正常化するように、これまでも何度か話をいたしてまいりました。今後もまたこのことは、学生のおることでもございまするので、できるだけ両者の間の意思の疎通をやわらげるように心がけていきたいというふうに考えます。
  249. 嶋崎譲

    ○嶋崎委員 その問題いまの私の言ったのは非常に具体的に、東京教育大学が教官選考の申し合わせをきめる前の人事なんですね。申し合わせ以降について、それでもその東京教育大学の文学部の人事については、その評議会の決定に従うことの一札を入れれば、人事をプロモートしていくというような形式は整うのだということを、おそらく大学側はいっているのじゃないかと思います。大体大学の上申するときにけちが起きますと、形式的な文書を届けますと、文部省は大体発令しますな。井上教授の場合だって、書きさえすれば発令したのでしょうし、それから北海道の場合でも、そういう書類をつけさえすれば発令するのですから、全く一種の官僚の無責任なやり方だと私は思うのですけれども、そういうのが現に教育大学の中にも私はあり得ると思うのです。ですから、少なくともいまの現行法制のもとで、教授会で決定した人事について、筑波大学に賛成かどうかというようなことを踏み絵にして、そのいわば決定を評議会でチェックしていくというようなことは、いまの教育公務員特例法の考え方からすると、私は違反だと考えております。この点は局長は、評議会が人事に関する一般的な規則をきめることができるということを一つたてにとれば、別に違法ではない。そういう解釈も成り立つと思うのです。ですけれども、事、教育大学筑波大学のビジョンという問題をめぐって、思想並びに教育研究にかかわる重大な問題についての意見の相違があるということですが、現実には教育大学は動いていて、そして現に学生を、入学試験をやって教育をしているという現状のもとでは、そういう賛成、反対でもって踏み絵にしていくというようないわば評議会決定のあり方というものは、大学自治の今日の論理からすれば、違反していると私は考えるわけであります。それだけに、そういう無数の、私からいえば無数の大学自治の侵害が、その後の教育大学人事の中にある。指定職を見ましても、昭和四十六年の指定職を私は調べさせていただいたところでも、名誉教授の問題でも、やはり筑波大学に賛成しているかどうかということとか、紛争とどのようにかかわり合いを持ったかというようなことが踏み絵になって、差別人事的なものが行なわれている。これはもういなめない事実だと思います。ですから、そういう状況を今日のままに放置して、来年の三月に、かりに法案が通って大学を発足するとして、そういう教官内部の意思の統合ができないまま、東京大学、京都大学に匹敵するようなりっぱな大学文部省は願望しているようでありますが、そういうにない手たちの思想や行動では、いい大学はできやしないというふうに断定せざるを得ないわけであります。それだけに、早急にそういう問題について意見の相違は相違として明らかにさせた中で、大学内部の世論の統合のために御努力を願いたいということをまず申し上げておきたいと思います。  時間もあまりありませんから、第二番目の柱についてちょっとお聞きします。  研究と教育の分離ということの中身をどう規定されているのですか。
  250. 木田宏

    木田政府委員 いままでの大学が、学部、学科、講座という単位で、研究と教育を一体的に処理する単位として考えられてきた。それに対しまして、学生の教育に携わる学群という組織、それから教官の専門分野別の組織として学系という組織を設けていく。その機能をそれぞれ円滑に実施していこうとする組織をとっておるという点から、研究と教育の機能を分離しておる、こう申し上げておるわけでございます。
  251. 嶋崎譲

    ○嶋崎委員 それも研究と教育の機能の一つの側面ですね。別の側面はありますね。カリキュラムの面から見た側面がありますね。それは、もう時間がありませんから私のほうで整理しますと、だから研究と教育の分離という今度の考え方の中には、学系、学群という教師の組織並びに学生集団の組織のいわば分離という意味での分離と、同時に、専門的な教科の問題に関する学系の、いわば研究内容やカリキュラムの問題と、それから学群における大衆化されたこの大学の中で、アンダーグラデュエートの段階の四年制のいわばカレッジを考えて、それに合わせたカリキュラムの編成ということを含めて教育と研究の分離と、つまり教育の内容と組織という両面を含んでいるわけですね。同時に、大学院の場合にも博士課程ということとマスターコースを分離したということの中には、博士課程が研究のコースであって、マスターコースは教育の課程だというふうに分離している。これもまた同時に教育の内容、カリキュラムの編成等々に関連しての分離、それも含んでいる。  そういう意味で、筑波大学における研究と教育の分離は、組織並びに教育内容を含めての機能的分離、そういうふうに判断してよろしいんですね。
  252. 木田宏

    木田政府委員 そのように考えております。
  253. 嶋崎譲

    ○嶋崎委員 そこでお聞きしますが、では、学群に派遣される教師は、大体任期は何年ぐらいですか。
  254. 木田宏

    木田政府委員 これは今後の学内の御相談だと思いますが、現在の段階で何年という任期を固定して考えるということではございません。しかし、一応両三年の間ということを考えていくほうが適切であろうという御意見が、一般的には出ておるわけでございますが、すべての人に一律にいえるものであるかどうかも問題でございまするから、今後の具体の問題として御検討いただいたほうがよろしいかと思います。
  255. 嶋崎譲

    ○嶋崎委員 ですからそこで、この間の議論でも問題になりましたように、学系、学群を分離して、そして教官が主として学系におって、学系もたいへん細分化された学系ですね。それで教官会議というものは、おそらく学系代表者会議によってほとんどが運営されて、全体の教員の学系の教員会議というものは非常に回数が少なかろうということが予測されます。同時にまた、学群の場合も全体会議というのは、いままでの教授会のように週に一ぺんということはありっこないだろうと思う。ですからかなり教官内部も、いままでのような学部に見られるような団結といいますか、内部的な意思の統一を欠きやすい状態にあるのではないかというふうに予測されるわけです。   〔委員長退席内海(英)委員長代理着席〕 そこへもってきて、学系から学群に教官が派遣されて、文部省の何か具体構想によりますと、大体二年といっていますね。大体二年ぐらいで交流していく、しかも、その二年で教科のいわばクラス担任みたいになる先生、それから、並びにカリキュラムを担当する先生、そういうものが二年交代ぐらいで大体交代していく、一つのサイクルで動いていくというようなことが述べられているように思うのだけれども、だとすると、今日の大学でやっているような、学部ないしは教養部でやっているような教官と学生との間のコミュニケーションが、今度の学系、学群の機能的分離の中には、私は、より悪くなるというように判断するが、いかがですか。
  256. 木田宏

    木田政府委員 結論的には、私は御意見と違うのでございます。クラス担任の教官という意味で二カ年間の、学生と接触をする教官を、二カ年を限って単位として考えてみようという御意見が出ておりますが、これと教育を担当する教官がすべて二年という意味ではございませんので、教育自分の専門の教育を担当し、またクラスとして教科を越えて学生のめんどうを見る教官が、二カ年間は学生と一緒に接触をする、こういう構想をとっております。学系もこまかく分かれておりますが、学系の教官会議その他は、今日の学部教授会よりももっとひんぱんに開かれることになるのではなかろうかと思ったりいたしておりまして、これは今後のことでございまするから、すべてがうまくいくということは言いかねます。いろいろと試行錯誤で問題も残ると思いまするけれども、やはり関係者の努力によってよき成果も生み得るものだというふうに考えておる次第でございます。
  257. 嶋崎譲

    ○嶋崎委員 時間もあまりありませんから、この間も、だいぶ議事録に残してありますから、これ以上議論はいたしませんが、私はたとえば学生集団の場合を考えてみましても、いままでの大学ですと、先輩が後輩を指導するという関係があるわけですよ。たとえばマスターコースの学生諸君が、学部の学生と交流している。ドクターの学生諸君とマスターも交流する。そしてまた、一年生と二年生の間に先輩、後輩の交流があるわけです。ですから学生は、一年に入ったときに、たとえば講義がたいへんつまらなくとも、そういう先輩から読書の手ほどきを学び、それから学生生活の経験というものを学びながら成長していくという、そういう側面がいまの教養部、学部、それから大学院というコースの中には、いい点としてあるわけです。今度の学系、学群になりますと、おそらくマスター、ドクターと、群の学生との間のコミュニケーションがなくなるでしょう。おそらくはくはなくなると思います。同時に、学群の学生は、四年間通しですから、いわゆる先輩、後輩というような関係じゃなくて、単位を取得して動いて歩く集団になりますから、おそらくそこにいる学生集団の先輩、後輩のコミュニケーションというものは非常に違った形をとるだろうと思います。ですから、いままでの大学でやられている学制の教育的側面を単に教官と学生という側面だけでなくて、学生の置かれている位置という観点から見ても、はたして学系、学群の機能的分離が、いままでの大学教育の中にあるいい側面が継承されるのかどうか。私はこれはたいへん疑問だと思います。そこへ持ってきて、学系に所属した教官が、非常勤講師のようなタイプで学群に配置されるということになると、そこにはいまの教養部の先生と学生との間にあるようなコミュニケーションよりも、さらに悪くなりはしないかという不安を持つわけであります。ですから、学系、学群の機能的な分離という、この研究と教育の分離の考え方というのは、一見何か新しい教育課程を再現していく、再編していくように見えるけれども、いまのたとえば教養部と学部にあるような矛盾を克服しさえすれば解決できるような問題なのであって、今日のような群というよう形で設置しなくても克服できるのではないか、そういうふうに私は判断するわけであります。  この点は、もうこの前議論していますから、私の主張だけ述べさしていただいて、それで最後の大学の管理運営という問題について、原理的な問題について質疑をさしていただきたいと思います。きのう、共産党の山原委員の質問に対して、局長文部省側は、たいへん歯切れの悪い回答をしていたとぼくは思うのです。それは、経験主義的にものを立てるから問題がはっきりしないのだとぼくは思うのです。というのは、文部省局長と次官がおる、それぞれ機関としては別だが、審議している内容はダブったって、機能分離しているということじゃないですかという説明を局長していたと思う。つまり、筑波大学の今度の大学の管理運営という考え方は、いままでの管理運営、運営と研究と教育というものを一体に考えてきた学部に対して、まず研究と教育を分離し、研究と教育に、さらに管理を分離していくという形の、そういう特徴を持っているのではないかと思うのです。現にこの筑波大学創設準備会かできてからの過程をずっと見ますと、文章を読んでいきますと、最初は管理と研究教育の分離なんです。ところが、後のほうにきますと、いよいよ基本計画になりますと教育と研究の分離が出てくるのです。そしていまのような管理、研究、教育という、そういう三位一体の大学のいまのあり方を機能的に分離していくという、ここに一つの特徴があると思うのですが、その点いかがですか。
  258. 木田宏

    木田政府委員 私は管理の分離が先にあってという発想には立っておらないのでございます。研究機能、教育機能を、いままでと違った形で何とか改善できないかという、この発想を実現させるための管理運営のシステムが、筑波の管理運営のシステムになっておる。研究と教育の機能を途中で、中間で分けて、大学として再統合しようというこのシステムを生かす管理制度、これが筑波の管理制度だ、こう理解をしておる次第でございます。
  259. 嶋崎譲

    ○嶋崎委員 しかし、研究と教育を分離したときに問題になったのは、いままでの学校教育法でいっている教授会という大学の母体が研究、教育、管理一体として来たものを、ある意味で機能分散するというところに特徴があるわけでしょう。その機能を分離しますと、人事権はどこかで、委員会で処理しなければならないから、人事委員会が出てくるわけですよ。それから教育カリキュラムを問題にしようとすると、教育審議会が問題になるわけですよ。研究の問題を処理しようとすると、研究審議会が問題になるわけですよ。財政を取り扱うということになると、分けているからこそ、今度は財政委員会が出てくるわけですよ。ですから、研究と教育を分離するということの中には、当然管理がコミティーシステムというものを適用することによって、いままで教授会で何もかも議論した、評議会で何もかも議論したものを、委員会でより専門的に議論しながら、それを評議会にあとでかけていく、議論にかけていくというふうに処理することによっていまの大学の行政というものを、より能率的にしようということがねらいだと思うが、いかがですか。
  260. 木田宏

    木田政府委員 管理という作用は、申し上げるまでもないことでございますけれども、研究、教育、それぞれを成り立たせるための必要な機能でございます。ですから、学群にも学系にも、その仕事をするための管理作用というのが出てくる。ですから、それを分離し、再統合するためのシステムを考えますと、そこに管理機能が出てくる、こういう次第でございます。昨日もお答え申し上げたかと思いますけれども学群、学系それぞれの仕事を、それぞれの場できめていかなければならぬ部分がございます。学生の教育カリキュラムその他は、学群できめなければならない。研究の問題は、専門を同じくする学系を中心にして議論がきまっていく部分がある。それぞれに管理のシステムというものは伴っていくわけでございまして、それを全学的に調整しようというところが、全学的な教育審議会になったり研究審議会になるということを申し上げておる次第でございます。
  261. 嶋崎譲

    ○嶋崎委員 ですから、結局筑波大学における大学行政の考え方が教授会というものの機能を研究と教育に分離して、そしてそれを統合していくために、人事人事委員会に統合されていくし、同時にいろいろなコミティーシステムで統合されていくわけですね。しかし、学校教育法では、評議会というものと教授会というものを前提にしていますから、その教授会以外に別の組織を置くことができるといって、学系、学群を置いただけなんですね。しかし、評議会は解体しているわけじゃないわけでしょう。しかるに、それにもかかわらず評議会の持っているもろもろの権限を、全部何もかも評議会で調整するのではなくて、教育審議会で調整したり、それから研究審議会で調整したり、財政委員会で調整したり、また人事については人事委員会で全学的調整をやるという形で、全学的なこの委員会制度によって、いわばもろもろの大学行政というものを能率的に運用していくというのが、私はねらいだと思うのです。その上に、学長と副学長というものを持ってくることによって、トップマネージメントでもって全体の体制というものを合理的に統合していくというのが、今度のいわば筑波大学における、大学行政の基本的な理念じゃございませんか。
  262. 木田宏

    木田政府委員 組織が大きくなりました場合には、組織の運営をいたしますのに、機能別に分化していくということが、これは能率を考えましても、組織全体の管理運営を適切にするためにも必要な要素ではなかろうかというふうに考えます。その点では、教育研究の機能を、より能率的に行なうための管理組織になっている、こう申し上げられると思います。
  263. 嶋崎譲

    ○嶋崎委員 ですから、私流に、きのう局長はたいへん歯切れの悪い答弁をしているから、山原さんに対する回答が通じなかったのだと思うのですけれども、つまり筑波大学における大学の管理制度の特徴は、いままでの学部を中心にした分権主義的な大学の構造じゃなくて、セントラリズムで全体を中央集権的に統合していく。その統合に際して、もろもろのコミティーシステムを媒介にすることによって、時間のかかる学部というものをより能率的に運用していく、評議会がなかなか意見がまとまらないものを、専門委員会において処理していく、つまりそういう考え方に立って、したがって、集権化しながらエフィシェンシーを考えて、効率化ということを考えて、そして大学全体の行政の合理化をはかっていこう。ここにねらいがあるのだというふうに理解すれば、たとえば任命権が文部大臣にあったって、そういう学内の体制の中で、大学学長を選んだり副学長を選んだりすれば、文部大臣はそれにいままでどおりにめくら判を押していくということになれば、大学自治の侵害にならない、こういうことだと思うのです。  そこで、お聞きしますが、そういうことがもし了解できるとすれば、国立学校設置法という法律の中に、今度は筑波大学大学の運営組織というものが第二章の二として入った。これは異質だと思いませんか。
  264. 木田宏

    木田政府委員 国立学校の設置でございますから、国立学校の設置につきましての組織を必要に応じてまた細分化して規定していく。文部省設置法にいろいろな部局の細分がきめられる。同じような意味で、筑波大学につきましては、従来の学部と違った設置区分をとるということを規定いたしておりますが、これは従来の設置法を変えるものではないと考えます。
  265. 嶋崎譲

    ○嶋崎委員 そこなんですよ、局長。そこがつまり筑波大学の特徴なんじゃないですか。国立学校設置法という法律は、名称と位置と学部しか書かなかったのです、いままでは。そうですね。国立学校設置法の中に、大学の管理運営についての組織と、それから権能を規定したようなことはないでしょう。
  266. 木田宏

    木田政府委員 国立学校設置法におきましては、第四章に国立学校のいろいろな職という規定も置かれておりまして、それらのことが文部省令に委任されておるわけでございます。また、その他国立学校の組織運営につきまして本来書くべきことがあれば書くわけでございますが、その細目は文部省令で定めるというふうに委任をされておるわけでございます。この委任に基づきまして、評議会の規定その他の文部省令をつくったわけでございますが、これを今度筑波大学の場合に重要な組織として法律の上に持ち込んだわけでございますが、いままで省令に委任しておったものを、一部分法律に上げたということでございまして、本来の趣旨を変えたものでない、こう申し上げるわけでございます。
  267. 嶋崎譲

    ○嶋崎委員 つまり私は、国立学校設置法という法律趣旨は、通常の国家行政組織法や、その他の行政組織の法とは違うというところが、設置法の特徴だと思うのです。つまり他の国家行政組織法やそういうものは、同時に機関と権能というものを書くのが常識ですね。ところが、国立学校設置法という法律は、主として大学の位置と名称と学部というものを書いて、それ以外に大学の組織や運営や権能というものを書かなかった。大学内部における管理運営の問題は、学校教育法という法律に基づいて教授会中心にして考えていく。片一方は教特法の読みかえ規定で評議会との関係というものを考えていく。つまり法律に基づいて、片一方では学校教育法や教育公務員特例法でいいながら、国立学校設置法というのは、そういう意味大学の内部の組織や権能、運営という問題については大学の自主性にまかせるという考え方、これが実は普通の国家行政組織法なんかにいわれるところのいわば設置法と違う特徴だと私は思うのですが、いかがですか。
  268. 木田宏

    木田政府委員 国立学校設置法にも、大学の学部以外に学科とか課程とかあるいは講座等の規定を設け、また研究所の場合には、研究所が大学院の教育協力するといったような運営上の規定も設けておるわけでございます。ですから、先ほども申し上げましたように、組織運営の細目については命令に委任するということは、やはり国立学校設置法が組織運営について一番基本となる法律であって、その細部は省令にゆだねられる、組織運営まで含めた全体の基本法だと考えるわけでございます。  人事につきましては、国家公務員法があり、教育公務員法がある。これは筑波の場合も同じでございまして、変わりはございません。
  269. 嶋崎譲

    ○嶋崎委員 つまり国立学校設置法という法律は――昔は勅令に基づいて大学というものがいろいろできてきた。ところが、戦後は教育立法の民主性という観点から、ないしは法律主義という考え方に立って、国民主権の立場から、法の支配のもとに大学というものを設置することを考えた。そういう考え方に基いて、国立学校設置法に基いて大学は出てくるわけですね。  ところが、その大学については、国立学校設置法では主として名称と場所と学部、学科程度の規定であって、大学の組織、権能、運営という問題は触れてなかったのがいままでの特徴だということを申し上げているのです。  ところが、今度の国立学校設置法の一部改正案、つまり第三条以下に相当するものは国立学校設置法にいままでなかった筑波大学というものを設けて、その中に参与会の問題から、それから人事委員会から、その一連のそういう大学の管理運営にかかわる機関を明示し、そしてその権能を書いたという意味では、いままでの国立学校設置法の法の趣旨からすると、そういう異質な部分が入り込んだ法の体系になっていはしませんかということを申し上げたいのです。  そのことは、なぜかというと、先ほどの質問と関連するわけです。つまり、大学の管理運営というものが、普通のいわば行政組織における管理運営と違って、単なる能率主義や、単にセントラリズムで考えるのではなくて、あくまで大学の慣行と、それから大学自治の運営という慣習的なものを尊重する、そういう考え方に立つから、国立学校設置法の中にはそういう権能や、それからその権限みたいなもの、機関や権能などを規定しなかったのではないか。  ところが、今度の筑波大学の改正案の中には、いままで国立学校設置法の中になかった異質なものを持ってきて、そして、これは筑波大学特有なんですよといいながらも、そこには大学の管理機関の規定をやって権限と運用について規定をしている。ここには従来の国立学校設置法、つまり憲法、教育基本法、学校教育法、それから国立学校設置法という既存の法の体系の中から考えると、本来入らないものが、異質な部分が、国立学校設置法の中に入っているというように読めないだろうか。そのことは、実は大学の管理運営というものをいままでのいわば学部中心にした分権的なものではなくて、普通の行政組織にいわれるような能率というものを頭に置いたそういう管理運営が頭にあるから、そういうものが入っても別に矛盾だと感じないのではないですか、こういう質問なのです。
  270. 木田宏

    木田政府委員 御意見を全く否定しようとは思いません。ただ、今度の筑波大学の場合に学部という制度をとらなかったことから、学群、学系という制度を法律にとらしていただいたことから人事委員会という組織が必要になった。そのことが、教育公務員特例法におきまして、学部教授会というものの位置づけをいたしております関係上、法律上の問題として人事委員会ということを触れておく必要があるというふうに考えた次第でございます。  評議会、参与会等の筑波大学に独得のもの、あるいは評議会のように一般的なもの、評議会のごときは他の大学でも省令できめておるわけですから、筑波大学の場合も省令できめていい、参与会のようなものも、山原委員の御質問にもあったかと思いますけれども、これも大学にゆだねておいてもいいではないかというお考えも、それはそれなりにあり得ることだと私は思います。大学の運営は大学にゆだねておけばいいというお考え、私のほうもできるだけいままでそういう基本線に立ちまして、法律に書いてありますもののほかは評議会を除きまして他のこまかい組織は省令では規定してございません。しかし、今回筑波大学が新たな構想の新たな理念のものということで構想されまして、それを御説明する、そのために必要な人事委員会等を法律上の位置づけを与えておく必要がある。これは教育公務員特例法との関係で必要になってまいります。よって、評議会につきましてもいままで省令で書いておりますものを、筑波に限って法律で書かしていただく、参与会もまたそれに並ぶ筑波大学の、ある意味で新しい考え方を示した学内組織として、法律で書かしていただく、このほうが筑波大学趣旨を御理解いただくのによかろうという意味で制定したものでございます。
  271. 嶋崎譲

    ○嶋崎委員 ですから、事務的に処理をしていくという発想が、その国立学校設置法という法の立法趣旨を頭に置いた上で、入れるのは異質だけれどもやむを得ないというような考え方じゃなくて、国立学校設置法という法の立法趣旨というものを十分に検討した上で、これが異質だけれども、今日はこういう形で処理せざるを得ないというのならばまだ理屈は通るのですよ。ところが、実は憲法や学校教育法や国立学校設置法という今日の教育法の体系というものを、われわれがほんとうに前提にして、その国立学校設置法の一部にそういう機関の問題や権能の問題を入れたことが、実は関連を検討されて入れているのだろうかということをたいへん疑問に感ずるのです。それはつまり、大学の管理運営という考え方が、いままでのような学部自治や慣行というものじゃなくて、今度は集権化され、この前も京都の産業大学先生が、たいへん得意になっておっしゃられたファンクショナリズムなんですよ。ファンクショナリズムというのは、非常に能率がいいかもしれないけれども、そこには非常に非人間的な一つの集団のいわば組織運営が行なわれる思想だと私は思うのです。ですから、一面だけを見て、よさと言うけれども、実際には今度のような筑波大学の、大学の管理運営の考え方を持ち込んだ場合に、大学社会というものになじむのだろうかという点をたいへん危惧するわけです。  そこで、お聞きしますが、人事委員会には副学長参加するわけですね。
  272. 木田宏

    木田政府委員 御意見のとおり、人事委員会には副学長が入ることになっております。
  273. 嶋崎譲

    ○嶋崎委員 いままでの大学人事に、管理者が入ってきめたことがありますか。たとえば学部長並びにその学部の長が選考委員になったり選考の手続に関連して、管理者がそういうプロモーターの役割りをするようなことがあったでしょうか。
  274. 木田宏

    木田政府委員 一々の大学の実情をつまびらかにいたしておりませんけれども、現在でも学部の場合には、学部教授会によりまして、また部局長等の選考につきましては学長がそれぞれ、まあ大学によってルールがきまっておりますけれども、場合によれば、他の部局長等の意見を聞きながら、図書館長の選考をする、あるいは学生部長の選任等につきまして、重要なスタッフと相談しながら学生部長の選考をする、こういうことは行なわれておる次第でございます。
  275. 嶋崎譲

    ○嶋崎委員 大学人事というのは、憲法二十三条の学問の自由の要請に基づいておりますから、大学内部の権力からの自由という問題も、大学人事選考過程では非常にシビアにとらえる問題だと思うのです。それだけに、いままでたとえば選考委員会を設ける場合でも、選考委員会には管理者が入らない。これが普通の大学の常識であります。ところが、今度の筑波大学は、最後の決定権を持っている人事委員会に副学長参加するということは、人事の決定に管理者が、平教授の選考に際して決定権に参加するということを意味するのです。そういう意味では、いままでの大学で行なわれたいわば学問の自由という要請に基づいた人事の決定のしかたに比べて、非常に危険な階層制が持ち込まれる。その階層制が持ち込まれるということが、大学人事にとって危険性を帯びていないかという点をたいへん危惧するわけです。  そこで、お聞きましますが、副学長は任期は何年ですか。
  276. 木田宏

    木田政府委員 副学長の任期は、評議会できめることになっております。  なお、人事選考に副学長等が入ることについての御懸念がいま御意見の中にございました。しかし、これはイギリスやアメリカの大学、フランスの大学、幅広く考えてまいりまして、学内の人だけでなくて、学外の人も入って人事選考をし、決定をしておるという大学はたくさんあるわけでございまして、決してこれだけが異質なものでないというふうに考えます。
  277. 嶋崎譲

    ○嶋崎委員 学長は、任期は大体二年ないし延びても四年ですね。ところが、副学長の場合は二年交代ということはありっこないです、大学の行政の専門的なベテランなんですから、これからは。したがって、副学長というものは相当年限のベテラン、期限を持った、二年が更新されて、さらに更新されて、そういう、つまり大学内部の行政専門家として、かなり定着をした人間がなり得るということが予測されるわけであります。しかも、副学長になる人は、おそらく現役の若手の教授じゃなくて、ロートル教授でしょう。ロートル教授か、もしくはかなり年配の人でしょう。そういう人たちが、次第に大学内部の行政専門家として定着して、トップマネージメントの機能を果たすようになると、ここには一つの権力的な機能というものを果たしていく可能性というものを、どこの官僚組織にもあるように考えられませんか。
  278. 木田宏

    木田政府委員 日本の学長の任期が、四年ないし三年である。で、筑波の場合に、副学長の任期をどうするかということは、筑波大学自体がきめなければならぬことでございますが、教育大学のいままでの御意見の中では四年、学長と任期をそろえるというようなお考えがあるようでございます。管理的なポストにすわる人が長く重任するのがいいかどうか、いろいろと御意見はあろうかと思います。私ども一般的に長いほうがいいとか、短いほうがいいとか申し上げるわけにはまいりません。しかし、諸外国の学長その他の任期が非常に長い大学があることを考えたりいたしますと、日本の中にも、そういう大学もあってもいいんではないかというふうに思う点もあるわけでございます。これらは、やはり個々の大学関係者のお考えに、ゆだねておくほかはなかろうかと思います。
  279. 嶋崎譲

    ○嶋崎委員 そこで、お聞きしますが、今度は人事委員会の前に専門委員会ができますね。それで、専門委員会選考に基づいて人事委員会があとで総会で決定する、その専門委員会候補者は、教授の候補者は一名ですか、数名になると思いますか。
  280. 木田宏

    木田政府委員 ある特定の専門委員会の構成は、やはり相当数の複数、数名といいますか、十名をこえることになるのかどうかわかりませんが、今日各大学で行なわれております選考委員会と似たような姿ではなかろうかと思います。
  281. 嶋崎譲

    ○嶋崎委員 そこが問題なんですよ。たとえばいま伝統的な大学の場合には、教授会に最後しぼっていくときには、一人に落としていくようなかっこうでしぼらざるを得ないのです、専門家選考委員会でやってですよ。私の言っているのは、専門委員会候補者を選ぶのですよ。数じゃなくて。その候補者を選ぶときに、人事委員会に出るときに、複数で出るか、単数で出るかは、たいへん人事委員会の権能がこれにかかわり合いを持ってくるわけですよ。これは今後大学内部の管理運営の中で、自主的に判断していくことでありましょう。しかし、人事委員会というものが最後の決定権を持っておれば、必ず複数の候補者でもって、数名の人たちが候補者として人事委員会にかかることはほぼ確実だと思います。そうした場合に、副学長参加する、管理者が参加している人事委員会で、たとえば一つの例です。原子物理学者としては非常にすぐれている。しかし、日本の原子力発電所は安全性があぶないということを発言している科学者が、物理学者が三人並んだときに、その人事委員会の中で、物理学的にすぐれた業績があるからといってきまるかどうかが疑問な場合があり得ると思うのです。それがつまり人事委員会というものが、本来ならば人事というものの八、九〇%まではそんなことはありません。また、二年に一ぺんぐらいしかないかもしれない。しかし、二年に一ぺんであれ、かりにそれが一%や一〇%であれ、そういう人事選考過程で人事委員会というものが、学問的な業績以外の思想、信条にかかわる問題を、いわば検討の基準にするということがあり得るということを私は考えるのです。  ですから、そういう意味で特に大学における人事委員会というものは管理者を含まない。つまり専門の教官並びに教授会といわれるような機関、つまり学系の教官会議でもいいのですよ。学類の教官会議でもいいのです。そういうところで最終的にきめるという手続をとることが、いまの憲法二十三条にいうところの学問の自由に基づく大学における人事権のいわば自主性ですね。それを私は示すことになると思うが、いかがですか。
  282. 木田宏

    木田政府委員 先ほどのお尋ね、ちょっと勘違いをいたしておりまして、候補者の数につきましては、これは大学関係者がどういうふうにお運びになるか、私いま端的に御説明申し上げるのもどうかという感じがするのでございますが、おそらくはいままでの場合と同じように、専門の方々が寄って、この人が一番いいという適任者を一人御推薦になるということが多いのではなかろうかと思います。しかし、人事委員会の制度は、東京教育大学がいままでの閉鎖的な、といいますか、局部的な人事になりがちな点を改めようという意図でやっていられることでございますから、その趣旨が実現されるような運営ということを、教育大学関係者筑波に行かれて運ばれるのじゃないか、こう思います。
  283. 嶋崎譲

    ○嶋崎委員 そこで、最初の教育大学の問題にかかわってくるのですよ。いまの教育大学学長中心にした評議会の人たちが、大学内部の人事の問題について、筑波を認めるか認めないかということが踏み絵になって、実際に教授人事がプロモートされなかったりしている実態があるわけです。そういう教官集団が筑波に行くのですよ。そしてその教官集団の上に、副学長という一つの大学のトップマネージメントのいわば会議ができるのですよ、副学長会議というもの。その副学長会議人事委員会の重要な構成メンバーになってくるという場合に、私がいま懸念したようなことが起きないという保証はないと言わざるを得ないと思うのです。だから、東京教育大学の問題が解決できないような現状ならば、筑波でいまのような人事委員会の制度を持ってきたら、とんでもないことが起きやしませんかということをおそれるわけであります。それと同じことが参与会の場合にある。  そこで、副学長についてお聞きしますが、学系、学群並びにその他の副学長は、たとえばどういう年限の研究者であり、どの程度の年齢の人であり、どういう条件だったらいいというふうに考えられますか。少し具体的に基準を考えていただきたい。
  284. 木田宏

    木田政府委員 これも、副学長選考基準を、一応大学にゆだねておるわけでございますが、一般的には、やはり教育研究について信望の得られる人でなければならぬ。そうでなければ、そういう副学長を置いてみましても、学内がうまくいくはずございません。ですから、研究の実績におきましても、パーソナリティーにおきましても、やはり全学の信頼を得られるような人を人選すべきものだというふうに考えます。
  285. 嶋崎譲

    ○嶋崎委員 厚生担当とか総務は、教授でなくてもいいでしょう。
  286. 木田宏

    木田政府委員 副学長は副学長でございますから、教育、研究担当の方も、教授で副学長ということではなくて、副学長そのものとして考えておる次第でございます。
  287. 嶋崎譲

    ○嶋崎委員 いままでの東京大学やその他の副学長は、大学の現職の教授ですね。筑波大学の副学長は、外から学外者を選ぶこともできる。学内からも現職の教授を選ぶこともできる。ところが、たとえば厚生補導の副学長は、学生の厚生補導の議長であります。ところが、厚生補導では、学生のもろもろの行動についていろいろ調査をいたします、片一方で企画調査室と連絡をとりながら。その場合に、その副学長が、もし教官ないしは教育者の経験を持たない人間がなったら、学生の補導の問題や今日特に大学の学生自治会を中心にしたこういうもろもろの運動に対して、対処し得るやいなやということは、非常に疑問になってきます。ですから、副学長というものは単に外から来れるというように、大学は外に開いているのですよということの一つの側面として、メリットだけを言うのではなくて、現実の日本の大学にあらわれてくる学生集団や学生自治会というものを頭に置いて、そしてその副学長がデメリットの機能を果たすということも、また副学長選考の重要な基準になると思うのです。  ところが、いままでの国立学校設置法や学校教育法の、この法改正の考え方の中には、ただ開かれた大学ということをいって、外から学外者が入り得る可能性を開いているということが強調されているだけであって、一番重要なその厚生補導に関する副学長が、教授でなければ私はだめだと思うんですよ。これがつまり管理と教育というものが切り離しがたいものの理由だとぼくは思うのです。つまり学生に対する対処は、教育者でなければ管理ができないのですよ。行政官が対処したら、とんでもないことになる。これがアメリカの大学にあらわれた大紛争じゃありませんか。したがって、副学長というものは、あくまでそういう意味でのいわば現職の教授、ないしは教育の経験者でなければならないと私は思うのです。  そうなってきますと、ここでもとに返りますが、つまり管理と教育というものを切り離す考え方ですね。たとえば参与会というものも、これは学外者が入ることができる。この具体構想によりますと、同窓会の人でもいいというんでしょう、あり得ると。地域のボスでもいいというんでしょう、私はあえてボスと言いますが。それからまた学識経験者もいいというんですね。アメリカの大学理事会というのは労使双方対等に出るんですよ。ところが、日本の今日の大学参与会で、決して労使双方のような参与の構成に絶対ならない。それは地域社会の保守的な勢力と結びつきやすい。結ぶと言っているんじゃなくて、結びつきやすい。そういう参与が大学の重要な事項を審議できますか、管理運営について。評議会の学則改正等々まで含めて、相当な重要な権限を持っている。とすると、アメリカやイギリスにある理事会と、日本に持ってきた参与会が、アメリカではだいじょうぶだ、イギリスではだいじょうぶだから、日本では大学自治を侵害しませんということが言い得るかどうか。  特にわれわれは、法律というものを皆さんが一緒考えるときに大事なことは、法律というのはささえる人間の行動様式によってきまるということです。ですから、東京教育大学のような、大学自治がまともにいかないような構造で筑波大学をささえたって、大学自治は守れっこない。私はそう思うわけです。同じように、参与のメンバーがほんとうに大学自治や学問の自由というものについて、憲法の要請や、というものについて、一定の経験と常識を持っていなかったら、いま日本の私立大学理事会見てごらんなさい、理事会と学長が対立している大学、一ぱいあるじゃありませんか。理事会が学部を廃止した例が、一ぱいあるじゃありませんか。教官の人事にくちばしをいれている例が、一ぱいあるじゃありませんか。無数に私は例をあげることができます。  ですから、そういういまの参与会というものが、法の上では確かにいい人が選ばれるでありましょう。そうしてまた、大学自治や学問の自由を侵害しない人になるであろうという期待はあっても、それをになう人間が、ないしは日本の政治的なカルチュアというものが、それをになったときに、はたして、いまの大学自治や学問の自由を、真剣に考えられるような機関として機能するかどうか、私は非常に疑問だと思う。それだけに参与会というものを今度は国家の――これは国家公務員的な性格でしょう、非常勤職員的なものでしょう、手当が出るか出ぬのか知りませんけれども。ですから、そういうふうに位置づけていく場合に、諸外国にあるからというような単なる経験の模写で、日本の現実の大学にその制度が適用できるかどうか、私は非常に疑問だと思う。この点いかがですか。
  288. 木田宏

    木田政府委員 大学の管理運営に当たります者が、学問研究ということに深い理解を持つ人でなければならぬという点は、私も御意見のように考えます。   〔内海(英)委員長代理退席、委員長着席〕 しかし、たとえば厚生担当の副学長でございますが、今日の学生部長の職も、すべての大学が全部教授というわけではございません。そうでなくて、やはりそれぞれ適任の人を得て、いい仕事をしておられる方もございます。ですから、大学の管理運営について教育研究に理解の深い方を人選するということが大事だと思いますが、その人は前歴がどこかの教官でなければならぬ、その大学の中の人でなければならぬ、こうワクづけする必要はないことであろうと思うのでございます。  参与会につきましての御意見がございました。これも大学が地域社会の意見を幅広く取り入れよう、聞こうというふうに、大学側から耳を伸ばすという性質のものでございます。でございますから、そういう意図を持って大学を運営したいという東京教育大学構想を取り入れまして運営してみるということには、私はそれだけの意味があるであろうと思うのでございます。諸外国でうまくいっておりまして、日本でうまくいかないかもしらぬ、いかないかもしれないという点もあろうかと思いますけれども、またやってみれば、うまくいくという可能性もあり得るのではないかというふうに考えるのでございます。でございますから、やはり大学構想を受け入れて、こうした試みをしてみるというよさは十分あり得る、こう私ども考えております。
  289. 嶋崎譲

    ○嶋崎委員 もうたいへん時間もとりましたから、まだまだ、逐条でほんとうは審議すると、問題点山ほどあるのですけれども、時間の余裕ありません。それで、私の最後の意見を述べさせていただきますけれども大学の管理運営について、私は筑波の方式はこう思います。  筑波のいわば大学の行政組織をささえる思想は、これは組織論としては集権主義、そして機能を重視するからファンクショナリズム的にこれを処理してしていく。しかもそれは、大学の管理運営が、非常に効率的でなければならないというエフィシェンシーを考えている。だから、普通の行政組織の持っている今日の効率化といういわば考え方を、大学の行政制度に適用した一つの試みである、こういうふうにまず一般的な原理としてとらえられると思います。  ところが、この原理が、いまやアメリカの大学では、紛争を境にして反省が行なわれているわけです。この間参考人として見えた東大の高柳信一教授が紹介されましたカリフォルニア大学のバークレーの一九六八年の報告は、いままで管理というものは雑務だと考えた。専門的な行政官に全体の大学を能率的に運用してもらって、教官は勉強する、ないしは教育に専念しているほうが大学のためだというふうに考えてきた。ところが、一たび大学紛争が起きたときに、学生の対象にしたものは何か、副学長が対象であったり、理事会が対象になった。教官と学生の間のコミュニケーションがそういう問題で全然ない。だから、大学内部では、紛争に対処できる大学意思の統一ができなかった。それがみだりにこの紛争が大混乱におちいった原因なのだ。だから、これから大学というのは、アメリカで考えてきたこの集権主義、ファンクショナリズム、エフィシェンシーという大学行政の効率化の考え方ではなくて、教授団に大学自治というものをどう認める方向に持っていくのか、ないしは学生自治会にどのように大学参加の条件を保証していくのか。そういういわばいままでの集権主義を分権化していくという以外に、いまの大学教育と研究というものを発展させていく行政のあり方はないのだ、こういう反省が出ているわけです。これはカリフォルニアのレポートですから、よその大学には違ったレポートがあるかもしれません。しかし、このレポートが象徴していることは、いまこの筑波大学にいっているところの能率と機能主義と、それから集権主義という、典型的なアメリカ型の大学行政制度というものを採用することによって、いままで全国に起きてきた大学紛争のようなものが筑波に起きたらおそらくぼくは対処できないと思います。だから、筑波大学はそういう紛争が起きたときには、たいへんな紛争校になるか、もしくは起きないとしたら自由のない大学になるか、どちらかの道を歩まざるを得ないというのが、今度の大学管理制度の筑波方式の持っている特徴だと私は思う。これは私の意見なのです。ですからそういう意味で、そういうつまりトップマネージメントに全部関連づけて人事委員会ができる、それから教育審議会、それから研究審議会、財務委員会、副学長参与会、そしてトップに学長というものが立つ。この学長の今度の制度でも、見てごらんなさい。リコール制なんて書いてあるけれども、絶対に成立せぬリコール制じゃありませんか、評議会の三分の二以上のあれがなければリコールが成立しない制度をこしらえているのですから。三分の一までは管理職でしょう。ですから、あのリコール制というのは形だけであって、実際には民主的な手続なんか踏めない制度ですよ。ただ、かっこうだけ、あたかも大学の管理運営の中に民主的なかっこうだけはつけているけれども、実際には発動できないような制度でもってごまかしている。そうして、やろうとしていることは、研究と教育を分離して、教授会を解体して、すべての機能をいわば集権化していく。こういう大学のあり方は、いままでの国立学校設置法の立法精神や、憲法や、学校教育法の立法精神にはなじまない大学の制度だと私は思うのです。ですから、そういう意味で今後筑波大学を私は見守ってまいります。同時に、筑波大学の予算のつくり方、一切の問題について、他大学と比較しながらこれを見守っていこうと思う。  私は、この間参考人の村松喬さんが言ったことばをここで申し上げておきたいと思う。筑波大学は、教官が造反し、学生が抵抗するというような形をもってあらわれるか、さもなくば自由のない、そういう傾向を持った危険性のある大学になる。いずれかの道を歩むことになるのじゃないかと私は思うのです。その点十分配慮の上、今度の法案具体化して大学をつくっていくにあたっては、この大学管理制度のあり方を他大学に援用してはならない。当分はテストケースだ。現に文部大臣は私の答弁に、大学管理法的なものではございませんとおっしゃいました。私は確認をいたしました。ところが、さっきの発言の中に、大学改革の動きが出てきたらそれに合わせて副学長認めますよとか、教育と研究の分離を時間をかげながら認めますよということは、やはりこの法案大学管理法的機能を果たすということを一面持っていると思います。それだけに大臣がわれわれに約束したように、この法案が他大学に新管理法的な形で機能しないように、十分その発言で対処していただきたいということを要望いたしまして、私の質問を終わります。
  290. 田中正巳

    田中委員長 有島重武君。
  291. 有島重武

    ○有島委員 去る二十二日、突然の審議打ち切りに続いて強行採決があった。当法案に関しては、審議拒否のような形になったわけでありまして、国会に対して国民が大きな疑惑を持ちましたでしょうし、たいへんこれは遺憾な残念な暴挙であったと思います。いま議長の裁定に従いまして審査を進めるわけですけれども、非常に制限されたわずかな時間で膨大な重要法案を質疑しなければならない立場に置かれているわけでありまして、はなはだ不本意なんですけれども、なるべく私、細目を避けまして、論点をごく基本的な問題にしぼって御質問いたしますので、率直なお答えをいただきたいと思います。  最初に大学局長に伺いたいのですけれども大学教授をはじめ、大学関係者教育関係者の多くの人々が、筑波大学法案反対の意思表示をしておいでになる。文部省は、どのくらいこの反対表示を受理しておられるのか、それをまず聞いておきたい。
  292. 大崎仁

    ○大崎説明員 きょう現在で、私ども承知をいたしております状況を申し上げますと、教授会という名称で批判的な見解を表明されております学部が、国立三十七、私立十、合わせまして四十七学部でございます。それから教官有志という形で批判的な見解を表明しておられます大学もしくは学部が十六ということでございます。その他団体等の名前で批判的な見解を表明しておられるものが、これは多少漏れもあろうかと存じますが、六十前後の団体が表明をしておられるというふうに承知をいたしております。
  293. 有島重武

    ○有島委員 それらの反対のおもな内容というのは要約できますか。
  294. 大崎仁

    ○大崎説明員 ただいま申し上げました中には、かなり強い反対の意向を表明しておられるものから、慎重な取り扱いを要望されておられるものまで、かなりニュアンスの相違がございますが、一応まとめてその御心配の点を列挙いたしますと、一つは、いわゆる政府が主導する上からの大学改革の押しつけということではないかという御懸念を表明されておられるもの、それから単に筑波大学にとどまらず、広く一般の大学筑波大学の方式というものを押しつけるという内容のものではないかという観点のもの、それから研究と教育というものはやはり不可分一体のもので、これを分離することは大学として好ましくないのではないかという観点からのもの、それから管理機関等が学部教授会中心体制から、いわば集権的な形になるということになって、それが大学の管理になじまなくなるのではないかという観点からの御意見、それから参与会あるいは副学長というようなものを通じて、学外者の意見大学の中に入り込んでくるのではないか、大別しますと、以上のような観点からの御意見ではなかろうかと思っております。
  295. 有島重武

    ○有島委員 大臣は、それらに目を通されましたね。そうした反対声明をどのように判断、評価されておられるか。
  296. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 率直に申し上げまして、全部見ておるわけじゃございませんけれども、どうも私にはなかなか理解しにくいものが多うございます。
  297. 有島重武

    ○有島委員 きわめて基本的なことを承りたいと思うのですけれども、憲法第二十三条の学問の自由を保障する、こうした規定は、旧帝国憲法にはない規定でございますが、どうして憲法の中に、特に学問の自由を明記しなければならないのか、その辺についての大臣の御所見を承りたいと思います。
  298. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 学問研究の自由を保障することによりまして、より豊かな未来を開いていこうという精神であろうと思います。
  299. 有島重武

    ○有島委員 どうしてそのことを書かなければならなかったのですか。そのことを承りたい。
  300. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 わが国は、自由な社会をつくり上げていきたいという基本的な考え方からでございます。
  301. 有島重武

    ○有島委員 そういう考えを持たない国柄というのはほとんどないと思うのです。特に、わが国の憲法が、学問の自由ということを一カ条別にして明記したその経緯ということについて、大臣は、政治家としてもほんとうに先輩でいらっしゃるから、そういったことを承っておきたい。
  302. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 そういうことばは、それぞれの国において使っていると思いますけれども、左翼独裁の国も、右翼独裁の国も、私はないと思います。わが国は中道を歩んでいきたい。戦前においていろいろな迫害が、右翼からむしろ左翼に向けられたことが多かったと思うのでございますけれども、そういう経験にかんがみて、特にこういう規定が入ったものだ、こう理解しています。
  303. 有島重武

    ○有島委員 引用いたしますけれども、「昭和初期から終戦におよぶ日本ファシズムの支配期間は、思想・良心・学問の受難史でつづられている。その最も典型的な事例は、学園と学者たちを襲った気違いじみた弾圧であろう。大正八年の森戸事件、昭和三年の東大経済学部のレッド・パージ、同八年の滝川事件、一〇年の天皇機関説事件、一二年の矢内原事件、一三年の労農派グループの検挙など、相つづく大学への攻撃は、じつに多数の有能な学者・研究者を学園から放逐することになった。」こういうような経緯があったという説がございますね。こうしたことがやがて「真実を求める人々の思想と良心と学問に打撃を加えた軍部・右翼・天皇制官僚の黒い手は、一切の批判を封殺した揚句、国民を戦火の泥沼に引きずり込んだのである。こうした精神の自由への弾圧が、そのまま惨たんたる戦争と敗戦につながっていたことは、同じようなナチスの歴史と東西呼応して、私たちに痛烈な教訓を残している。」こうした経験を踏まえて、この経験の反省から、特に二十三条の規定が生まれていたのだという説がございますが、大臣はどのようにお考えになりますか。
  304. 木田宏

    木田政府委員 たまたま手元に憲法議会における金森国務大臣の答弁がございますので……。これは佐々木惣一議員から二十三条の趣旨についての御質問がありまして、金森国務大臣はこのような答弁をしておられます。「斯様な規定を設けました目的が何であるかと云ふことは、政府としてはっきり決ったものを申し上げると言ふ訳には適しないと思って居ります。しかし私のこれに対しまして考へて居りまするのは、大体この憲法の狙ひ所の一つは、この人間の完成と云ふ所に狙ひを持って居ります。学問を止めて人類の完成と云ふものがどうして出来るであろうか。総ての我々の生活を厳密に批判を致しまして、そうして有らゆる点に活動して行きまする根源となる種が、外にもありまするけれども、学問と云ふものがその一つの重大なるものではなからうか、それの芽を摘むやうなことは、縦令一時の国家の方便から行って宜くても悪くても、そこに手を付けてはいかぬ、巳むを得ぬ場合には例の公益の枠が出て来るかも知れませぬが、それは容易にはないことでありまして、先づ茲に大原則を以て保障しよう、斯う云ふ考から出て来て居るのであります。」という御答弁が出ておる次第でございます。
  305. 有島重武

    ○有島委員 大臣、先ほど私、伺いましたけれども、権力を持っている者が、学問が自分たちの利益になって都合のいいときにはこれを利用するけれども、学問が自分たちのからくりを暴露したり政策を批判したりしてじゃまになるときには、これを弾圧しやすい、そういったことが古今東西あるから、それで特にこの二十三条の規定があるのだという、こうした筋道ですね。このことについては大臣の御所見を特に承っておきたい。
  306. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 先ほども申し上げましたように、たいへん大切な規定だ、こう思っておるわけでございます。豊かな未来を築き上げていくためにはこういう態度が非常に大切だ、こう申し上げたとおりでございます。
  307. 有島重武

    ○有島委員 大切、大切でないということをいま伺っているのではなく、どうして大切なのかです。それで、大臣はおもに未来のことを言っておいでになります。過去の苦い経験に照らして、そのようなことにならないようにという反省のもとにこれが規定されたのではないかという説があるようでございます。そういったことについて、大臣は、そういう過去のことは関知しない、もっぱら未来を指向していくのだというお立場に、いままでのお答えではそのように聞こえますけれども、やはり過去の苦い反省ということを踏まえているという説については、大臣は、それでは反対なんですか賛成なんですか。
  308. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 私はいろいろ考えられると思うのでございまして、有島さんのお考えを私は一つも否定する気持ちはございません。しかし、この憲法が占領下において生まれてきた経緯は、よく御承知だろうと思うのでございます。そういう経緯のもとに生まれてきたものでございましょうし、また自由社会では、こういう考え方が非常に大切にされている考え方だろう、こう私も考えているわけでございます。別に、決して有島さんのお述べになっていることを否定する気持ちはさらさらございません。
  309. 有島重武

    ○有島委員 そういたしますと、これは押しつけられた憲法というようなことばもあるようでございますけれども、大臣は、そちらのほうのお考えに近いように聞こえるのでございますが、それから、私の意見に必ずしも反対するものではないといいましても、これは私の意見というよりも、憲法学者の数人の方々の、これは代表的なものであろうかと思って、いま申し上げたわけなんですけれども、そうした立場を、批判なさるなら批判していただきたいし、それはそのとおり承認なさるなら承認していただきたいし、どういう立場に立っていらっしゃるか、それを伺っておきたいのです。
  310. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 私は、いまこの規定を考えます場合に、いろいろな考え方が出てくると思うのです。有島さんのお考えになっているようなことも一つでございましょうし、いま大学学術局長が読み上げたことも一つでございましょう。私が経緯と申し上げるのは、率直に申し上げまして、原案をもらって日本文に訳して、それを基礎にして、みんなでいろいろ日本に適するように議論し合って、制定されてきた経緯を申し上げたわけでございます。したがいまして、あの条項は、もとをたどれば英文で来ていることは事実でございますので、そういう意味で申し上げただけのことでございます。私は決してこれを押しつけられた憲法だという意味で申し上げているわけでございません。ただ、どういう経過で入ったか知っているか、こう言われますと、そう申し上げざるを得ない。しかし、戦前のいろいろな苦い体験もしておりますし、何も日本だけじゃなしに、国際社会みないろいろな体験を繰り返しているわけでございまして、その中から、自由社会で、こういうことは非常に大切なことだというふうに意識を持ってきている、それがまた日本の憲法にも明文をもって規定されるに至っているということではなかろうか、こう考えているわけでございます。
  311. 有島重武

    ○有島委員 経緯と申しましたのは、憲法の法文そのものがどのような過程を踏んで出てきたのかというような、技術的な問題をいま言っているのではないわけですね。そのことは、御理解いただけるでしょう。そのようにおとりになりましたですか。もっと歴史的な経緯を踏んまえて、その反省の上に出てきたのではないかと申し上げたわけなんです。大臣は、もっと小さく、時間的にも、幅をおとりになってのお答えだと思うのですけれども……。  それからまた、先ほどのお答えの、まあいろいろな考えがあるでしょうけれども云々とおっしゃった、私は、そのいろいろな考えの中で大臣のお考えは何かということを承わりたいわけなんです。
  312. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 私は、最初から答えておりますように、豊かな未来を築いていくためには学問研究の自由を保障していく、これは非常に大切なことだ、こう考えております。
  313. 有島重武

    ○有島委員 私が承ったのは、もう一つございましたね。過去の歴史の反省の上にという学説が多いようであるけれども、大臣は、いままでのお話し合いの経過では、そのことを避けよう避けようとしていらっしゃるようにお見受けしますけれども、そういったことはあまり認めたくないというお考えですね。
  314. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 どうも私は、有島さんの考えを私に押しつけられているように思う。私はやはり、経過的に考えたらそういう考え方も大切だと思います、こう申し上げているわけでございます。ただ、おまえ自身基本的にどう考えるかと言われるから、私はこういうふうに思っております、こう申し上げたわけでございます。過去の歴史を反省した、いま有島さんがおっしゃっていることも大切なことでございますし、また、そういうことにこの憲法条文も役に立つだろう、重要な役割りを果たすだろう、これも否定しません。私もそう思っております。
  315. 有島重武

    ○有島委員 次の質問にいきます。  学長以下の任命等につきましては、これは国家公務員でありますから、大臣が任命なさるわけでありますけれども、特に教育公務員特例法にいろいろな規定が出ている。ここで、教育公務員、特にいま問題になっております大学学長以下の人事について、いろいろな規定があるのは、それは何のためにそうした複雑な規定があるのか、その辺を大臣はどのようにお考えになりますか。
  316. 木田宏

    木田政府委員 大学は学問研究の場として大事でございますから、その大学の特質を生かそうという趣旨だと考えております。
  317. 有島重武

    ○有島委員 大学の特質を生かそうとするということでございますけれども、その特質の中で、人事の問題が、特に憲法第二十三条の学問の自由ということの大きなささえになっているのではないかと私は考える。また、そのような説が多いようでございますけれども、大臣はどうお考えになっていらっしゃいますか。
  318. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 学問研究の自由を保障する、そのために、大学につきましては人事等につきまして、できる限り大学自治、これを保障していかなければならない、こういう考え方に立っているわけでございますから、したがってまた、大学人事に関しまする諸法制、そういうことをわきまえて規定せられている、こう考えております。
  319. 有島重武

    ○有島委員 大学局長大学の種々の特性を生かすとおっしゃいましたけれども、その内容をもう少し砕いて言ってください。
  320. 木田宏

    木田政府委員 憲法の学問の自由は、これはすべての国民に対して保障されたものでございまして、あに大学だけの問題ではございませんが、大学は学問の場といたしまして、この学問の自由が最もよく守られる場でなければならぬ。そのためには、学問研究者が、学問研究者以外の人によってこの教育研究の活動に支障を加えられることのないようにしたい、そういう趣旨から、大学におきます教官の人事につきましては、教育者、研究者の手によってこのことを進めていく、こういう保障を教育公務員特例法がいたしたもの、こう考えておるわけでございます。
  321. 有島重武

    ○有島委員 そこで、教特法を今度改正ということになっているわけでございますけれども、改正する場合には、そうした趣旨に沿ってのみこれは改正するべきであって、もしその趣旨に反するようなおそれがあるときには、これは許されるべきではない、これはあたりまえのことだと思うのですけれども、いかがでしょうか。
  322. 木田宏

    木田政府委員 今回の御提案も、その趣旨に沿って御提案をしておるつもりでございます。
  323. 有島重武

    ○有島委員 学問の自由の保障を強める方向と、それから弱める方向と、そういうことが考えられると思うのですね。それで、いままで数多くの論議が展開されました。不十分ではありますけれども、いろいろこまかい点についてまでもございました。あるいは多くの声明文がありました。大体、みんな心配しております点は、その点にかかわっているのじゃないかと思うのですね。  そこで、その危険性が、学問の自由をそこなうような危険性、すなわち、いま局長からも答えがありましたけれども、研究者の活動に対して、研究教育以外の理由、ないしは真理探求以外の理由によって、ほかから干渉が加えられるようなことがないようにという配慮ですね。そうした配慮を進めていく方向、これはすべての国民に望ましいわけでございますね。ところが、その逆に、外部からの干渉、学外者からの干渉がふえる方向性。学問に対して、大学に対して、学外者の干渉がふえる危険性がある、可能性がある。そうした場合に、これをでき得る限りその歯どめをしていくのが立法者の責任でもあり、為政者の態度ではないかと私は思いますけれども、これは大臣に承りましょう。あたりまえのことだと思いますけれども……。
  324. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 私は、学問研究の自由を保障する、そのために大学自治、これを尊重していかなければならない。しかし、それとかかわりのないことにつきまして大学が独善的な態度をとってよいものではない。そういう面につきまして、学外者の意見がいろいろ大学当局に入ってくる。これが入っていくことは干渉だというようにとってはいけない、こう思っております。
  325. 有島重武

    ○有島委員 学外者の意見が学内に取り入れられるということは、これはプラス面とマイナス面とがあるかもしれない。いまは私自身といたしましても、学外者のいろいろな意見大学の中に取り入れられていくということは、むしろ望ましいことではないかというふうに思われる場合がたくさんございます。ただし、最悪の危険性として、万が一にもその学外者の、教育研究とは違う何か要素の力が、学内に及んでいくという可能性が、このたびの筑波大学法案の中に全くないか。全くその痕跡もないか。あるいは弾力的に運用していくわけでありますから、そのように言われれば少しはあるか、この辺のことは、どのようにお考えになっていらっしゃいますか、大臣。
  326. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 私は、この筑波大学構想は、東京教育大学のお立てになった構想だと考えております。それを実現させてあげることが大学自治を守る基本的な政府の姿勢だ、こうたびたび申し上げてまいってきているわけでございます。
  327. 有島重武

    ○有島委員 さっきの問題もう一ぺんあとでやりますけれども、先にいきまして、いまのお答えにつきまして、本法案は、申すまでもなく内閣提出の法案でございますね。一々の条文、文言、句々は、すべて内閣が責任を持っていらっしゃるんじゃないでしょうかね。それですから、そうした内閣を代表してのお立場としてのお答えが、ここであるんだろうと思うのです。その経緯については、こういった経緯でもってきたんだというお話は、あってもけっこうでございますけれども、法改正のいろいろな根拠について、これがあまり明確でない場合、その不明確さの理由をほかに転嫁して、それで東京教育大学がこういうふうに望んでおるからこうしたんだというふうなことは、これはお答えとしては、本筋のお答えではないように思うのですけれども、これは経過の説明としてはよろしゅうございますけれども、この法律は、どうしてこういうふうにしてあるのか、そうした場合には、これはだれがどういう経緯で持ってこようとも、内閣で決定したことなんですから、その場合には、大臣の責任としてこれを受けとめていらっしゃるのが至当ではないかと私は存じますけれども、いかがでございますか。
  328. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 おっしゃっているようなおそれがないと考えている。それをさらに先まで考えますと、東京教育大学が、みずからの自治を侵すような案をお立てになるはずはないじゃありませんか、こういう気持ちを込めて申し上げたわけでございまして、少しおわかりにくく申し上げたようでございまして恐縮でございます。
  329. 有島重武

    ○有島委員 東京教育大学といいますと、これは大学でありますから、学者の集まりでありますから、みずから自治を守っていこうという心がけの方々ばかりであろう。そういう方々が全部集まってお考えになったことであるから、だからその方向に沿ったことは学問の自由を守る方向になるのだ、こういう筋道でございますか。
  330. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 そのとおりであります。
  331. 有島重武

    ○有島委員 そのとおりでありますと、少しこれは問題なんですね。どのくらい問題であるかということは、この間も参考人の方々がたくさんおいでになっていろいろお話がございました。そしてきょう防衛二法案が衆議院を通過したわけでありますけれども、もしこれが防衛二法案のような法案の審議の中で、このことについてはせっかく自衛隊がこういっておるのだから、だからこうしましたということは言わないと思うのですね。そういうことは言わない。やはり内閣が、これは国民の立場からどうしてもこうでなくてはならないと判断するから、だからこのようにきめたのだということになっていくと思うのですね。  それで、いま私が質問いたしました前半のところは、大臣やっぱりまた答えていただけなかったわけなんですけれども、これは内閣提出の法案なんだから、質疑の際には、これは東京教育大学がこういうふうに考えてきたのだから、その線に沿ってこういうふうにしたのですというようなことは、ここでやっている法律論の質疑の中での正式な回答にはならないのじゃないかと私は申し上げたいわけなんだけれども、その点についてはいかがなんですか。
  332. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 政府が提案をいたしておりますので、政府が学問の研究の自由を阻害するようなことをしないように法案を提出する、そういう責任は当然負っておるわけでございます。具体的におっしゃっていただいたほうがもっとお答えしやすいのではないかと思います。
  333. 有島重武

    ○有島委員 たとえば、きのうもずっと議論になっておりました、きょうも議論になりましたけれども参与会を設けるということになったのだ、これは教育大学がそういうことを言い出したからこれをやったということではなしに、教育大学を離れても――法律にしたのですから、法律にするということは、これは筑波大学に限らず、将来はほかの大学にも影響を及ぼしていくことになりますから、これは確固たる学問の自由を守ること、そして教育研究を進めていく、そうした観点からの御判断である、だれが言い出そうとも、それはいまの政府の判断であるということにならなければならないと思いますがね。それはいかがですか。
  334. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 参与会を置きますこと、これは諮問機関でございますから、大学自治を破壊するとかあるいは学問の研究の自由を阻害するとかいう問題とは関係はない、こう思います。
  335. 有島重武

    ○有島委員 そういうことを聞いているんじゃないのですよ。たとえば参与会を置くということについては、これは教育大学が言い出したから、これをなるべくいれてこういたしましたというようなお答えがいままでございました。あるいは学群、学系を置いたことについては、東京教育大学がこういうふうにいってきたから、その意向をいれてこのようにしたんだというようなことを、委員会でもってたびたび発言があったようでございます。そうしたことは、正式な回答ではなしに、その経緯を言ったにすぎない。経緯を言ったのと理由を言ったのとは、だいぶ違うんじゃないか。その辺のところが、いままでの質疑の中で、だいぶ混乱があったように私は聞いたものですから、私はこのことを念を押しておきたいわけなんです。
  336. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 経緯を申し上げておるわけでございますし、政府が提案をいたしておりますので、政府も責任を持っておるわけでございます。したがって、どういう理由で参与会を置いているかというお尋ねでございますれば、またそれに対しまして、政府はこう考えているんですということは、当然お答えを申し上げます。
  337. 有島重武

    ○有島委員 それじゃ、いまの問題で伺いましょうか。どうして参与会を置かなければならないのか。しかも、こまかいことはもういままで議論がたくさん出ましたから略しますけれども、これを法律として位置づけなければならないのか。そして大臣の任命にしなければならないのか。これはどうしてなんですか。それをお答えいただくんでしたら、大臣に伺いましょう。
  338. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 実は、たびたび繰り返して申し上げてまいったわけでございますが、東京教育大学が、したがってまた筑波大学が、社会に開かれた大学でありたいという考え方が基本であったと思います。  参与会の構成、これは東京教育大学考えられていることでございますけれども、また私、あるいは政府として参与会の構成を考えます場合も、同じようなことになろう、こう思うわけでございます。  一つには、地域の代表者に参与になってもらおう。そのことを通じて、筑波大学のいろんな施設を地域の人たちに利用してもらう。大学そのものが地域社会に奉仕できるような大学でありたいということのようでございます。  あるいはまた、高等学校長の代表に参与になってもらおう。そのことを通じて、大学が行なう入学試験のあり方についてもいろいろ意見を受け入れていきたい。同時にまた、高等学校で教育してきた人たちを大学に送っているわけでございますから、高等学校の教育大学教育との関連について、高等学校側からいろいろな意見があるだろうし、それを謙虚に受け入れて努力をしていきたい、こういう気持ちもあるようでございます。  あるいはまた、東京教育大学の同窓の代表に参与になってもらおう。そのことを通じて、先輩が母校をながめた場合に母校はこうあってほしい、昔はこうあったとか、こうあるべきであるとか、いろんな意見があるだろう。そういうことにも謙虚に耳を傾けていきたい。  あるいは他大学関係者にも参与になってもらおう。そのことを通じて、他大学のよいところも積極的に取り入れたいし、他大学から見た場合には筑波大学についていろんな欠陥も指摘されるだろう。そういうことについての反省もしていきたい。  その他、社会で活躍されているいろんな人の意見も参与になってもらうことによって聞きやすくなる。そういうことを通じて、あるいは公開講座はどういうものが一番適当であるかとか、あるいは学科についてどういうものを取り入れていきたいとか、いろいろなこともあるわけでございまして、そういうことを通じまして、社会に開かれた大学の姿勢をもっと強めていきたいということだと思います。  同時にまた、参与の人事につきましては、学長の申し出を受けて文部大臣が任命することになっているわけでございます。すべて文部大臣が任命することになっている公務員、その一連のものでございますけれども、評議会の評議員、これも文部大臣の任命でございます。そういうこととはずを合わせまして、大学の中における参与会地位というものを確固たるものにしていく、そのことが筑波大学の持っております性格というものを、より強く将来にわたって続けていく力になっていくんじゃないだろうか、こうも考えているわけでございます。
  339. 有島重武

    ○有島委員 そういう目的である、開かれた大学の姿勢を強めていきたいということをいま言われました。それできのう、いろいろ押し問答のようになっておりましたけれども、そういう目的を果たすということだけであるならば、何もこのような法改正までしなくてもいいじゃないかということが一つあったようです。それは御記憶ございますですね。  それから、これは最初の話に戻りますけれども、いまおっしゃったその地域の代表の方、それから高校の代表の方、同窓の方、他大学の方、そしてその他というのが出てきたわけです。それで、そのその他の中に、戦前の権力主義的な、真理探求とは別な要素ですね。そういう力でもって大学に一つの干渉を加えていくというような方々もこの中にお入りになる可能性がある。可能性ですよ。可能性があるんじゃなかろうかということでみんな心配しているわけですね。大臣、この審議を通じてみんながそういうことを心配しているんだということは、御認識はあるでしょう。御認識がないんですか。これだけみんな言っているんですよ。言われて耳には入っているけれども、そういうことはあり得ないというふうにお思いになっている、それは私わかります。大臣のお立場として、そういうことはあり得ないであろうという確信を持っていらっしゃることは、わかるんですよ。だけども、その点を心配している人が大ぜいいるんだということは、これは御認識はいただけるのですか。全然御認識もいただけないのですか。
  340. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 参与は、学長の申し出を受けて任命するわけでございます。学長が申し出るものであるということの御理解をいただきたい。もう一つは、また参与会は諮問機関でございます。助言、勧告の機関でございまして、決定機関じゃございません。したがいまして、いま有島さんがおっしゃったようなことを言う人のあることは知っておりますけれども、その言う人のことばを私はどうしても理解できないのでございます。
  341. 有島重武

    ○有島委員 言う人が大ぜいあるんだということを認識していただけば、これでだいぶ進歩だと思うんですよ。私は、こうやって話しておりますけれども野党全部いまのところそのような心配をしております。それで、選挙の票によりますれば、野党は五五%なんですよ。そういうこともあるわけですよ、実際には。だから、それは御認識いただかないと、あんまりがんこな文部大臣だということになろうかと思うのですよ。その認識はあるけれども、そのようなことはあり得ないであろう。そのあり得ないといういまの根拠は、これは学長から申し出て、それで大臣が任命するのだということになっているわけであります。  ところが、その辺のこともいままでの審議でたくさん問題になりまして、このたびの法案によりますと、新しい大学学長さんは、非常にいままでの大学と違って、権限が集中しているということがある。これも一々言わなくても、たくさんいままでお話がございましたですね。権限が集中されている。  それから、評議会というのがございますけれども、評議会とほぼ同じような仕事内容を参与会がするのだということも明らかでございますね。(「参与会と評議会は全く違うよ。」と呼ぶ者あり)じゃ、一々これは読みますか。それはさんざんやった話だから……。そういう質問がいままであったんじゃないですか。みんなお忘れになってしまったのですか。  それでは、いま首を横に振っていらっしゃるようでございますから、先ほど嶋崎委員の質問の中で、今度筑波大学法案を大きくいうと、いままでの地方分権型の大学の運営の方式から、中央集権的な運営のしかたに移行した、そういうお話がございました。このことについては大臣はどのようにお考えになりますか。
  342. 木田宏

    木田政府委員 先ほど嶋崎委員からも御指摘がございましたが、私どもは、筑波大学が機能的に、そして職務を分担しながら、教育研究の効果を高めたいという考え方は持っておりますが、大学における学長の権限は、他の大学における学長の権限と同じでございまして、格別学長の権限が強まったわけでもございません。また文部省大学との関係におきましても、他の一般の大学と全く同じでございまして、その間何らの変化もないものでございます。いままでの大学が分権で、今度の大学は集権だという考え方はとっておりません。いままでの大学が学部ごとの運営になっておりまして、そのために全学的な調整がとりにくいという点の反省はいたしておりますけれども、これは大学が、全学一体としての教育研究の機能を発揮すべきものというふうに考えておりますから、それが機能的に、円滑に実施できるように考えておるのでございまして、別の意味では教育研究それぞれの機能ごとに分権化をはかっていく、こういう趣意でございます。
  343. 有島重武

    ○有島委員 いま私は、人事の問題に大体限って話をずっと始めていったわけなのです。人事の点については、従来の学部内できめてきた人事、これは政府のいままでの御見解でございますと、あまりにも独善的、閉鎖的であった。これを全学的な人事の審議ができるようにしましょうという話でございますね。これは地方分権的な状態から、中央集権的な状態になった、日本語としては普通そう使うのじゃないでしょうか。いかがですか。
  344. 木田宏

    木田政府委員 筑波大学も、これまでの大学のように、学部の閉鎖的な人事になってはいかぬという反省があります。これは分権的な人事ということではないと思うのでございます。人事はやはり大学の教官として発令さるべきものでございますから、大学として全体的な立場で教官の人選を進めていく、これは集権とも分権とも言うのは当たらないんじゃないかと思っております。むしろ閉鎖的な、局部的な人事というものを是正していくという趣意でございます。
  345. 有島重武

    ○有島委員 局部的なものから全体的なものに移った、そう申し上げてもけっこう、そしてそこにやはり人事権というものがつきまとうわけでございますから、局部権から全体権に移ったということでもけっこうです、そういったことばにこだわればですよ。そして学長さんの意向が、いままでよりもずっと人事の上でも、発言権といいますか、決定権は強まった、というとまた何か言われるかもしれぬ。私は強まったと言いたい。広がったと言ってもいいでしょう。そういった状態になったことは間違いありませんね。
  346. 木田宏

    木田政府委員 学長の教官人事に対する立場は、他の一般大学と全く同様でございまして、全然変更はございません。
  347. 有島重武

    ○有島委員 そういうふうなことを言われると、またずっとさかのぼらなければならないので、私は時間を節約したいと思っているのですけれどもね。  先ほどの参与会が一体何をするかという話、もとへ戻りましょう。予算概算の方針。教育研究組織の新設、それから改廃。それから学生定員。学生の厚生補導。人事の基準。学則その他重要な規則の制定、改廃。その他大学の運営に関する重要事項。以上七項目にわたって、学長の諮問に応じて審議する、そうして学長に対して助言、勧告する、そういうことになっているんじゃないですか。そういたしますと、これは評議会がもし機能しなくなった場合でも、評議会とほぼ同様ないしは評議会以上の力を持つ、権限を持つという状態になるおそれは全然ないのかということです。
  348. 木田宏

    木田政府委員 評議会は、学内の全体的な意見を取りまとめる重要な審議機関でございます。これが大学におきましては一番重要な学長の審議機関であるということは変わりがございません。参与会は、その大学意見を決定するにつきまして、広く学外の関係者意見を求め、協力を得、激励を得たい、こういう趣意のものでございますから、機能としてはそれぞれ別々のことでございます。
  349. 有島重武

    ○有島委員 機能として別々だといまおっしゃるけれども、やっている仕事の内容、それからまたその持っている力の強さ、そういうことからいいますと、学長が評議会の中でもって平たくいえば相談してきた、そういうことと、それから参与会での勧告、助言、こういうこととの強さのバランスが、これが全然別な仕事をしているのならまたあれでしょうけれども、評議会とほおんどダブっている問題がたくさんございまして、特に第七番目のその他大学の運営に関する重要事項というようなことになりますと、これは全部をカバーすることができるわけですね。特に重要な事項は、いままで話したように、人事ということは一番重要なことでございますね。そういうような性格が参考会の中にあるということ。いままでもこれはしばしば指摘されてきたわけだ。論議されてきたのだろうと思うのですね。  それで、そうした参与会が大きな権限を持って、しかもさっきその構成メンバーの中にその他というようなことがあった。そしてそれがいまの大臣の御確信にも反して、そしてこれが学外からの大学自治への干渉になる、そうしたおそれが全然ないという根処があるならば、ここでお示しをいただきたいのですよ。全然ないかどうかということですね。それはぼくは大臣から伺いたいのだ。全然ないというのだったらその根拠を聞きたいのだ、ほんとうに。
  350. 木田宏

    木田政府委員 大学が、みずから自主的に学外の方の意見を聞くということは、全く大学自治を侵すことにはならないと考えるのでございます。大学の自主的な立場に立って学外者の意見を取り入れるということは、自治の侵害とは別のことでございます。
  351. 有島重武

    ○有島委員 大学が、とおっしゃいますけれども、その大学自体の中に、今度は副学長というやはり外部からの方もお入りになる可能性があるということも、これもたびたび論議が出ておりました。こういうことを積み重ねていって、そしてこの可能性が全くないということ、いままでの大学と比較して、その可能性が。いままでだってそういった可能性は、外部からのいろいろな干渉が加わってくるということはあり得たわけです。それがこのたびこの筑波大学に関しては、ますますこれが、露骨にそうした外部からの介入の可能性が強まっている方向だ、そういうふうに私たちは認識する。またいままでの論議の積み重ねの中で、そういうことがずいぶん明らかになってきた。そういった外部からの干渉が絶対に行なわれないのだという根拠は、大学なんだから、外部の意見を聞いても、そうした干渉を受けることはないはずだというその一つだけなんですか。
  352. 木田宏

    木田政府委員 他の例を申し上げるようで恐縮でございますが、アメリカのコロンビア大学がたいへんな紛争に巻き込まれましたときに、学外の、当時ハーバード大学の教授でありましたコックス教授を連れてきて委員長とした紛争の調査委員会を設けたわけでございます。このコックスさんはいまウオーターゲート事件の調査委員会委員長をしておられますが、こういう方をコロンビア大学が、学外の教官でございますけれども、連れてきて自分大学の紛争の問題をつぶさに調べて、いろいろと意見と注意を受ける。これは全く大学自治を干渉することにはならぬ。そういう方の御意見によってコロンビア大学反省をされるということは、大学自治とは関係ないことだ、自主的な活動だと思います。
  353. 有島重武

    ○有島委員 コックスさんが連れてこられて、そして大ぜいの方々と対話をなさって、大きな調書をつくられたという話はございました。だからといって、それがいま言っているこの法案の中で参与会法律によって位置づけた、そしてこれが将来学外者からの干渉ということが全く、全然ないか、そのおそれは全くないか、可能性は全くないかということに関して、全くないんだ。全くない、というその理由がいま二つあがったわけですよ。   〔委員長退席、塩崎委員長代理着席〕 一つは大学が聞くんだからそのはずがない。アメリカのコロンビアの場合には、コックスさんを呼んできてやったけれども、だいじょうぶだった。それだけですか。それだけで、そんなことで納得できないと思うのですね。
  354. 木田宏

    木田政府委員 いま御指摘のような御心配は、参与会を置く置かないということとは別のことだと思うのでございます。参与会を置いたらそうなる、置かなかったらそうならぬということではございません。でございますから、大学が積極的に学外の意見を聞くために、自分参与会の構成をして、みずからその意見を聞くということは、大学自治を何ら侵害することでない、大学の活動をより広く関係者意見によって充実さしていくことだ、こう考える次第でございます。
  355. 有島重武

    ○有島委員 こちらの質問とまた離れていっちゃうわけなんだけれども、いまの話によれば、置いたからそうなる、置かないからそうならぬということは関係ないとおっしゃるのだけれども、では参与会を置かないで、それでいつも、コロンビアがコックスさんを呼んだみたいに、そのつどそのつど、必要な方を参与として求めて、そして運んでいくことと、それから制度化してしまうこととは、どっちが危険な可能性を持つであろうかということを私は考えるわけです。そしてぼくが参与会を持ち出したのは、大臣が具体的にやれとおっしゃったから一例として言っているのですよ。一番最初からの話なんですよ。たとえばこの参与会法律の上でもって制度化してしまう、このことが将来権力介入の、あるいは産業界からの学問への介入、この一つの大きな窓口になろうという、そのおそれが全くないわけではない。いまのお答えでは、少なくともそうなってしまいますよ。ただ、大学だからそういうことはないだろう、そんなことは答えにならないわけですよ。外国ではこうだった、それはまた少し話が違う話になるわけですから、私が聞いていることについてはまだお答えいただいていないのですよ。
  356. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 同じことをお答えしてたいへん恐縮でございますが、参与会は諮問機関でございまして、大学の意思を拘束するものではございません。大学関係者は、大学自治の干渉にわたるものだという場合には、決然とはねつけられたらいいことではないか、またそういう決意なくして私は大学自治を守れるものではない、こう考えるわけでございます。制度的には諮問機関でございまして、拘束する機関にはなっておりません、こう申し上げたわけでございます。  同時にまた、いろいろ御心配いただくことはありがたいことでございますけれども、いまの大学がとかく象牙の塔にこもっている、これはやはり独善的でそういう態度は改めたほうがいいということについても御理解いただけると思うのでございまして、そういうような反省に立って、東京教育大学がこういう参与会構想を打ち出しておられるわけでございます。学長の申し出に基づいて任命するわけでございますので、大学自治の干渉を試みるような者は、かりに任命されても、そういうものは任期のあることでもございますので、次からは排除するというようなこともとれるわけでございましょうし、またそれ以上に、大学の人たちが、大学自治を守るための強い決意をもって臨まれれば、そういう力には屈服するはずのものでもない、こうも考えておるわけでございます。
  357. 有島重武

    ○有島委員 しかし、いま大学人さえしっかりしていれば、そういうような可能性が多少あっても、それが大学の中身にまで干渉されることはないはずである、そういうお答えだったと思うのですけれども、ということは、いまここではその人の運営によるということから離れて、法律がいま出されているわけですから、この法律だけでもっていきますと、これは外部からの介入に対しての歯止めというものが一つ取りはずされているということが、この法律のできぐあいから見るとどうしても避けられないのです。いまの体系から申しますと、確かに学部が独立しておって、そうして閉鎖的な、独善的なといまおっしゃいましたけれども、そういうようなところもこれは大学自身が反省していらっしゃるところであると思うのです。にもかかわらず、そういう話と――それは私も認めますよ。そういう話と、それから今度の法改正が、いままでよりも多く学問の自由を侵害するおそれ、可能性が秘められているということは、これはどうにもずうっと調べてきて、まるで連立方程式みたいな文になっていて、非常に巧みにできていると私も感心するのですけれども、そうした可能性は十分ある。だから、私はここで行く行くは、その運用をしっかり見守っていきなさい。そういうふうな言い方ができないわけなんです。法律をいまやろうかやるまいかというところでございますから。できるならば、法律のこの改正の上で危険な芽があるならば、その危険な芽はいま取り去るべきであると気がついているに、それをそのまま放置するということは、これは私たちとしても無責任のそしりを受けるのではないか、そういうふうに思い詰めているわけです。私は新しい大学を広いところにつくっていくということについては、これはいいと思うのです。ただし、そういった危険な芽を秘めている、そのように私も思いますし、大ぜいの学者の方々がいっておられる、野党の諸君はみなそういったような見方をしておられる。その中でもって、あえてなぜ急がなければならないのか、そのことも非常に不審なんですね。  それから、もう一つ言っておきますけれども学群、学系の話になりますけれども、これはどうして学群、学系というものがここに出てきたのか。これもいままでのお答えでは、東京教育大学がこのようなことを考えられたのでということは、必ずそういった経過になって出てくるのですね。そういう経過的なことはいいのですけれども、いま文部省として学群、学系というようなものがどうしても必要だという御判断を自主的に持っていらっしゃるのかどうか、このことを伺っておきたいわけなんです。  それで、「当該大学教育研究上の目的を達成するため有益かつ適切である場合においては、学部以外の教育研究上の基本となる組織を置くことができる。」そういうことになっております。学部以外の基本組織ということになっているわけです。それでは、学部というのは、法律上はどういうのが学部でなければいけないのか。そのことが非常に明らかでないと思うのです。  具体的に申しますと、今度の学群、第一学群、第二学群、第三学群とありますけれども、これをかりに第一学部、第二学部、第三学部と、そのように書いたらば、これは法律上絶対にまかり通れないようなことがあるのかどうかこの点承りたい。   〔塩崎委員長代理退席、委員長着席〕
  358. 木田宏

    木田政府委員 学部といいますのは、明治の初めに大学が日本にできましてからの伝統によってつくりあげられたものでございますが、御案内のように、ドイツの学部の考え方をとりました。よって、学問の専門分野別に、文学、法学、経済学等の学問の領域別にある適当な規模の組織というものを持ったものでございますし、「専攻により教育研究上から組織されるもの」というふうに大学設置基準でもうたっておるわけでございます。  その内容は、御案内のように、学科、講座という組織の積み重ねという形になったものでございます。伝統的には、この学科、講座というのが、教育と研究の単位機能として作用しておる。それをある規模にまとめたものが、学部というものでございます。  この学部という形で学生の教育を適正に行なうということに、今日ある限界が見えている。それは学部が、教育研究上の専門領域別に縦割りにつくられております関係上、この境界領域を越えて幅広い教育のシステムを、学生の教育のために考え直さなければならないという要請が起こってきておる。また研究につきましても、新たな研究領域をこまかく突き詰めていくとか、あるいは総合的な研究体制を、いままでの学部、学科の組織を越えて組まなければならぬ、こういう要請がありますので、従来の伝統的につくり上げられてまいりました学部というもののほかに、教育機能、研究機能、それぞれを別々に考えてみたい。こういうことで、この分離の御提案を申し上げておる次第でございます。
  359. 田中正巳

    田中委員長 ちょっと速記をとめて。   〔速記中止〕
  360. 田中正巳

    田中委員長 速記を始めて。
  361. 有島重武

    ○有島委員 学部という名前、その学部という名前のもとに、いま大学局長も言われた内容をそこに込めても、法律上は少しも差しつかえないわけです。何か法律上差しつかえが起こりますか。これは法律上は、私が調べた範囲では、いま局長が言われた、いままでの質疑の中でもってさまざま述べられてきた、学群にしたいという御要請ですね。それが同じ学部という名前のもとに、運用面でそれだけの内容を込められたとしても、全然法律上は抵触しないのではないか。そういった学部というのは、法律上は非常にあいまいな概念であるにもかかわらず、学部以外の基本組織、こう出ておりますね。これも法律上としてはいささか不適当といいますか、かえってあいまいにものをわかりにくくしてしまうことになるんじゃないか。あるいはそれが国民こぞって賛成ならば、それでもよろしいわけなんです。けれども、非常にいろんな議論がいま出ているわけですね。ですから、法改正などをしなくても、今度は筑波大学はこのように運用していくんだ、そのことだけでも、これは筑波大学の運営は十分できるんじゃないかというふうに私は思うわけです。  先ほどからの御意見を聞いていますと、開かれた大学の姿勢を強める、そのことを大いに内外に宣揚するために参与会を置くんだというようなニュアンスに私は受け取れました。それから、学部、学系についても、従来も学部という名前のもとに、研究はほとんどしないけれども教育をもっぱらにしているような学部という形態もあったわけであります。それからまた、学生さん方の修学という見地から見ますと、学部間の単位の取得についての互換性ということも、その道が開かれているわけであります。ですから必ずしもこうした法律の改正を行なわなくても、新しい大学の行き方、こうしたことを踏み出すことができるはずだ。どうしてもできないことが、いまの学部と、学群、学類ですか、こうした間にもあるのかどうか、その点はいかがですか。
  362. 木田宏

    木田政府委員 先ほども申し上げましたように、学部というのは、ある意味で伝統的に内容の固まってきたものでございまして、その中身は教育と研究活動を一体的に行なう組織である。また教職員、学生の帰属、教育研究上の諸問題の意思決定等、大学の管理運営の基礎単位になっておる。そして、ある大きさ、ある固まりというものを関係者が一応了解したものが学部でございます。  で、この歴史的な伝統的な考え方と違った教育研究の組織を考えたい、教官の帰属も学生の帰属と一緒でない、教官の所属単位と学生の所属単位とを別々に考えて、学生に必要な教育のシステムを考え、教官に必要な研究教育体制を別にとりたい、こういうことになりますと、やはり学部ということばとは違った、教育研究のシステムをつくり上げていくということが必要になってくるわけでございます。でございますから、御指摘のように、同じことばであっても、ことばの中身を変えて運営すればいいではないかという御意見も、御意見としてはわかるわけでございますけれども、その歴史的な実態を変えるためには、やはり考え方の異なった新たな用語でもって取り組むことが必要だ、こう考えている次第でございます。
  363. 有島重武

    ○有島委員 いまも局長が言われましたように、やろうと思えばできることである。しかし、このほうがよりわかりやすいし、考え方が鮮明になっていくというようなことかと思いますけれども、これも、これだけの反対意見がいろいろ出ている中で、そのことを無理やりに押し切っていくということは、これはずいぶんまずいことじゃないか、私は非常に残念に思うわけなんですね。  それから、もう一つ落としていることは、学部と学群とがまさに非常に違う点というのは、その運営において、教育の面ではなしに、むしろ人事面なんですね。それで、いままでの学部内部でもって人事が決定されていたのが、今度学群においてはそれができないというようなことになっております。その点が一番違ってくるのじゃないか。むしろ学生にとっては、私は学生を主体に考えていきますけれども、学生にとっては、そうした学部であろうが学群であろうが、新しい学校運営のやり方をやってもらえばそれでいいんだ、ここにあるのはむしろ文部当局の皆さん方が、先ほどから言っていた危険な方向の目を恣意的にそこにはめ込んでいって、それで学問以外の統制を強めていく方向、そこにどうしても固執しておられる。それ以外に、新しい法改正をしていくという理由を私はどうしても認められない。  こうした数々の問題がたくさんありますから、これはなお慎重に審議を続けるべきだ、急ぐべきではない、そういうように思うのです。そしてそれに、この法案を出された形式が、第一条の旭川の医科大学以下の新しい設置にかかっているわけでございますけれども、こうしたこととはやはり分離して、そうしてこれは時間をかけてなおこれをよく検討していくべきだということを私は申し上げまして、時間が一ぱいになってしまいましたから、不本意でありますけれども、これでもって私の質問は終わります。     ―――――――――――――
  364. 田中正巳

    田中委員長 この際、染谷誠君、嶋崎譲君、山原健二郎君、高橋繁君、受田新吉君から、発言を求められておりますので、順次これを許します。染谷誠君。
  365. 染谷誠

    ○染谷委員 私は、自由民主党を代表いたしまして、今回の国立学校設置法等の一部を改正する法律案に強く賛成する立場から、所見を述べるものであります。  現在、茨城県の筑波山麓の恵まれた自然環境の中で、わが国最初の研究学園都市の建設が進められつつあることは御承知のとおりであります。  この新しい都市は、わが国に、これまでに見られなかった高水準の研究と教育活動のための拠点づくりをめざすものであります。地元の関係者はもとより、広く学界、有識者から注目を浴びておるところであります。  象牙の塔にこもり、十九世紀のアカデミズムに浸ってまいりましたこれまでの大学を改革し、いわゆる開かれた大学とすることの必要性は、広く国民各層が痛感しているところのものであります。これは教育水準の向上に伴う大学の大衆化、学問領域の広がりを必要とする多面的な研究に対応するための当然のことであります。筑波大学の一刻も早い創設が望まれるゆえんでございます。  こうした考えに立ちまして、この筑波大学が、これまでの大学制度にとらわれない新しい構想による大学づくりを目ざしておることは、まことに心強く、その構想に対し強く賛意を表するものであります。  昭和四十三、四年ごろのあの激しかった大学紛争を通じて、これまでの大学の持つさまざまな問題点が明らかにされたのであります。大学が真に国民の大学として国家社会の期待にこたえ、世界的なレベルにおける教育研究を推進していくために、これまでの大学のあり方について、思い切った改革を加えることを国民は強く期待し、大学自身もまた自主的な大学改革を積極的に進めることを主張されてきたはずであります。  ところが、以来数年を経た今日まで、大学自身の手による改革に、何ら見るべきものがないことはまことに遺憾であり、大学自身の改革への意欲すらも疑われるような状態に立ち至っておるのでございます。  このような時期におきまして、このたび東京教育大学関係者中心とする有識者の多年にわたる努力の成果として、画期的な筑波大学構想が取りまとめられ、その実現の一歩を踏み出そうとしていることは、まことに欣快の至りであります。  筑波大学構想につきましては、これまでの本委員会における長時間にわたる審議において明らかにされたとおり、従来の学部、学科制に見られがちであったもろもろの弊害を改め、学群、学系制という斬新な柔軟な教育研究体制を整えるとともに、学長、副学長をはじめ、各審議機関の有機的な連携、協力による新しい大学自治の確立を目ざし、さらに、社会に開かれた大学として参与会を設け、社会各層の良識ある意見に耳を傾ける積極的な姿勢を明らかにしていることなど、いずれも待望久しい大学改革の構想を明快に示しており、その成果に対する国民の期待はまことに大きいものがございます。  また、筑波大学については、長年にわたりその建設促進に多大の協力を重ねられました地元関係者の、この学園都市の一刻も早い実現に対する期待とその心中は、察して余りあるところでありますが、本法案で提案されている筑波大学こそは、この新しい都市の中核をなす存在であり、この大学なしには新しい町づくりは、まことに、仏をつくって魂入れずということになるといっても決して言い過ぎではないと思うのであります。  しかも、この法案におきましては、単に筑波大学のみに新しい構想の実現を求めるものではなく、大学制度一般についても、それぞれの大学の自主的な改革を進めやすくするための制度の弾力化を、あわせて行なうことにしております。  学部以外の教育研究の基本となる組織を設けることができるようにすること、医学部における一貫教育の道を開くこと、副学長を置くことができるようにすることなど、いずれも大学関係者からこれまでその実現を強く要望されておりましたことであり、これらの処置によって、大学の自主的な改革への熱意が一そう盛り上がることを強く期待するものであります。  さらに、本法案において、以上のほか、旭川医科大学を創設し、また山形、愛媛両大学医学部を設置することにより、近年における医療需要の増大に対処し、医師養成の拡充を進めるなど、国民の期待にこたえる国立学校の整備充実のための措置を、あわせ規定することとされております。  これらの措置は、いずれも国民の教育機会を拡大し、わが国学術の一そうの発展をはかるものとして、まことに時宜を得たものと考えるのであります。  以上、このたびの国立学校設置法等の一部を改正する法律案の内容に賛意を表し、その一刻も早い成立を希望いたしまして終わりといたします。
  366. 田中正巳

    田中委員長 嶋崎譲君。
  367. 嶋崎譲

    ○嶋崎委員 去る六月二十三日、本委員会自民党は、一方的な非民主的な方法で、いわゆる筑波法案強行採決いたしました。この暴挙は、本委員会における審議の内容が深まり、多くの矛盾や問題点が明らかになることをおそれたためにとられた強硬措置であろうが、私はあらためて、この暴挙に抗議するものであります。  また、本来なら、順調に審議が進むならば、第一条関係のみの修正案を提出し、われわれの態度を表明する予定であったのに、強行採決のため、その機会を失ったことに対しても、あわせて抗議の意思を表明するものであります。  さて、私は、過ぐる三月二十九日の本会議で、国立学校設置法等の一部を改正する法律案趣旨説明に対し、日本社会党を代表して、本法案に強く反対する立場から、総理並びに関係閣僚に質疑をさせていただきました。その際、提出した本法案問題点を、本委員会でさらに詳細に、より具体的に追及してまいりました。しかし、大臣並びに文部省答弁は、説得力に欠けているのみならず、本委員会での審議の過程では、かえって法案に、日本の将来の大学のあり方、学問の自由と大学自治にとって危険な意図が隠されていることを、あらためて確認するに至りました。  そこで私は、日本社会党を代表し、本法案反対する理由を明らかにしたいと思います。  第一には、法案は第一条の旭川医科大学の設置、山形、愛媛大学医学部増設など、直ちに国民的合意が成立するものと、第二条以下のいわゆる筑波大学法案に示された筑波大学の創設を通じて、学校教育法、国立学校設置法、教育公務員特例法など三つを相互に関連づけて改正し、これを機会に、学問の自由、大学自治を侵すおそれのある大学管理政策を方向づけようとするものとが、抱き合わされて提出されている点についてであります。  野党側のたび重なる分離提案にもかかわらず、それを否決した政府・与党の意図は、次の二つに要約できるように思われます。その一つは、戦後数次にわたる大学管理法案の挫折にかんがみ、事務手続的な外観をとることによってこの法案の重大性をおおい隠し、国会運営を容易ならしめようとする意図であり、いま一つは、旭川医科大学の設置など、緊急でしかも地元の強い要求にささえられた世論を背景に、反対運動を分断しようとする意図であります。したがって、われわれは、本法案の提出のしかたそのものに強く反対せざるを得ないのであります。  第二の理由は、筑波大学構想があたかも東京教育大学の自主的な大学意思の決定に基づくものであるかのごとき装いをこらして、言いかえれば、大学自治の上に構想されたごとく説明することによって、それが文部省政府主導型の大学改革構想であるという事実を、ごまかそうとしている点についてであります。  東京教育大学参考人の証言で明らかなように、昭和四十四年七月の東京教育大の評議会の筑波における新大学のビジョンを目ざしでの移転決定は、文学部、教育学部、体育学部など、最終的な意思決定でなかったこと、さらには全学の教官の四割強の反対の中できめられたものであったのです。さらに東京教育大学のマスタープラン委員会が、たび重なる大学側の自主的改革案を提示しながらも、文部省側の意向でそれが封じ込められ、自主的改革案として構想されなかったことも明らかにされたとおりであります。  そればかりか、あいまいな評議会の決定であったにもかかわらず、東京教育大は昭和四十五年四月教官選考に関する申し合わせなる評議会決定を行ない、その決定に向けて、さらにその決定後、多くの教官の教授会の議に基づく承認人事をストップさせ、現行法制に違反し、無数の大学自治の侵害が行なわれたという事実が明るみに出されました。筑波におけるビジョンと移転を踏み絵にし、学長とそのブレーンによる専制体制のもとで筑波構想具体化されていったという点に注目しておく必要があります。筑波大学構想は、東京教育大学大学自治の無数の侵害の上に咲いたあだ花なのです。  このような事実評価に対して、政府文部省は、東京教育大に大学自治や学問の自由の侵害に目をおおい、そのような事実はないという評価に立って、筑波構想を美化し続けてまいりました。そこに欺瞞があるのです。  筑波大学の中核となるにない手は、東京教育大学の教官集団であり、特にその管理者たちがその推進者であります。東京教育大の学長を先頭とする大学管理者たちが、大学自治の原則をみずから踏みにじってきたとすれば、筑波大学の将来を危惧せざるを得ません。制度や組織は、そのにない手である人間の行動様式と切り離して考えることができないからであります。ましてや、以下に述べる研究、教育、管理の機能的分離を目ざし、集権的な制度にこそ筑波大学の組織、制度上の特徴があるとすれば、筑波大学大学自治、学問の自由は、危険きわまりないものと断ぜざるを得ません。  この点を押し隠し、政府文部省筑波構想を美化するのであれば、この法案の意図が危険なものであるだけに、それだけ強く反対せざるを得ないのであります。  第三の反対理由は、筑波大学における研究と教育の分離の思想と組織についてであります。  筑波大学にいう研究と教育の分離の考え方は、中教審の答申と軌を一にしております。中教審の答申は、大学改革の必然性を、科学技術の目ざましい発展と高等教育の大衆化という事実に見ています。一方における科学技術の目ざましい発展は、高い水準の研究教育を必要とするし、他方高等教育の大衆化は、学問の精髄をきわめるのでなく、就職の手段として企業の要請にこたえる程度の教育であればよい。急速に膨張した大学の現状では、大学も教師も学生も、高い水準の研究者ではない。だから、学生の側からも、教師の側からも、もはや研究と教育とは分離せざるを得ない、としています。  この考え方に立って、法案では、大学には学部以外の研究教育の組織を置くことができるとし、筑波大学では学部のかわりに、学群と学系とが置かれることになっています。また大学院も、博士課程と修士課程のコースを分離し、前者を研究、後者を教育中心の制度として位置づけようとしています。  したがって、筑波大学は、これまでの大学が学部を基本として、それを研究教育を一体としてとらえた伝統的な大学観とは異なる新しい文部省大学観に立ち、今後大学政策を根底から変えていく政策意図を体現するものであると判断できます。  研究と教育の分離は、一部の大学を除いて、多くの大学では、学力低下に合わせた水準の、職業、技術、教養中心教育をやればよいということを意味し、そこでは教育を、学問の体系に従ってではなく、社会的な企業の要請にこたえて行なえばよいということになります。  しかし、これはもはや大学ではないのであります。戦後の大学改革は、大学の大衆化をもたらすと同時に、それにあわせて、従来の教育水準をいかに維持するかにねらいがあったのです。したがって、大学が大衆化し、学力が低下しているからこそ、従来とは比較にならないけた違いの国家投資をしなければならない段階に来ているし、それが国民の教育要求にこたえることだと考えます。それを怠り、人的、物的な条件の整備が進まないままに、学生が急増しているからこそ、大学教育は崩壊の一途をたどっているのであります。  したがって、筑波における教育制度で崩壊を食いとめられるものではないのです。筑波大学にいう学群は、アメリカのアンダーグラデュエートの段階の教育を意図したものだろうが、現行大学の教養課程を大学の大衆化に合わせて四年制にし、カリキュラムの編成を変えたものにすぎないのであって、何も新しい改革ではないのであります。現行の大学でも、東大、埼玉大の教養学部のような経験を生かして、改革可能な道なのです。そればかりか、教官を学系、学類に機能分化することによって、教官と学生とのコミュニケーションはいまよりも悪くなり、大学紛争の経験も生かされてはおりません。  そればかりか、学群、学類の組織を、アメリカのカリフォルニア大学のサンジエゴ分校にまねて、クラスター・カレッジ・システムという考え方を適用したまではよかったが、その過程で、学群というアメリカではカレッジに相当するものを、実体を伴わない機能概念として使われているアメリカのクラスターと称し、間違えて適用するに至っては、軽率のそしりを免れない。やたらにしゃれたことばを使って、研究と教育の分離を理論化してみたが、何も新しくないのであります。新しい装いをこらしただけであります。ただ新しいのは、教授会が解体され、学系、学群に教官が分散され、アメリカ式の大学管理制度を持ち込んできたところだけのようであります。  筑波大学における研究と教育の分離というその思想と組織は、大学研究の水準を引き上げることにはならない、一つのモデルにすぎないという意味で、筑波大学のこの構想には強く反対せざるを得ないのであります。  第四の理由は、筑波大学では、管理と研究教育との機能を分離するという考え方が持ち込まれ、研究と教育を新しい管理制度のもとに支配することによって、大学自治と学問の自由を脅かすおそれがあるという点についてであります。  筑波大学では、従来までの研究と教育と管理とを一体としてとらえた大学自治考え方を否定し、その根幹であった教授会を解体し、研究と教育と管理とを機能的に分離することによって、大学の管理運営に効率化、エフィシェンシーを持ち込もうとした点に新しい特徴があります。このような考え方が出てきた背景は、いわゆる大学紛争の経験であります。大学紛争の中で教授会中心大学内の割拠主義が大学内の意思決定を困難ならしめたという経験、また科学、技術の発展が従来の学部の壁を越えて共同の研究ないしは新しい研究領域の学問を要請しているのに、従来の学部、講座制がその要請にこたえられないという現実、要するに学部、講座制の閉鎖性を打破するためには、教授会中心大学自治のあり方を解体、再編成しょうというのであります。そのために現行法制下の教授会とそれを中核とする評議会の機能を分散化し、それを多くの委員会制度にゆだねて組織化し、同時に効率化をはかるために、大学管理の専門的行政官を強化することによって、大学の管理運営を集権化しようというのであります。  大学紛争への機敏な対応、大学改革の効率化を意図した大学行政の合理化と呼んでよいと思います。ところが、この考え方と制度の運用は、結果として教育と研究をサポートすべき大学行政が、逆に教育と研究とを上から管理し、研究と教育の自由を窒息させることになることは必至であります。アメリカにおける大学紛争の経験を総括したカリフォルニア大学の一九六八年のバークレー報告が、紛争に対応できなかった理由として、管理と研究教育の分離にあるとし、学生と教官のコミュニケーションの欠如にあったこと、大学の管理と教育の一体化の必要性及びその権限の分権化、教授団自治必要性を強調していることを考えるなら、筑波大学はむしろその考え方に逆行し、ひいては紛争が激化するか、自由のない大学になるかのいずれかの道を歩むことになると思います。  そのことは、国立大学設置法の改正を通じて、設置法の精神に反する規定を設けたことに示されています。この部分は、法案改正の中心であります。  国立学校設置法は、言うまでもなく、国立学校の設置に法的根拠を与えるための法律であります。旧憲法下において教育に関する事項がすべて勅令で定められていたのに対し、現行憲法及び教育基本法の精神に沿って教育を国民のものとして、国会の制定する法律によって国立学校を規制しようとするのが法律趣旨であります。学校教育法、教特法もそのあらわれでありましょう。国立学校設置法は、一見して明らかなように、国立大学の名称、位置及び学部などのきわめて形式的な事項のみを定めており、設置法という名称にもかかわらず、国立大学等の管理運営組織及びその、権能について何ら規律していないのであります。この点が通常の行政組織法、行政機関の設置法とは異っているのであります。それらは設置さるべき機関の名称のほかに、その内部組織、権限を定めるのが通例であります。とすれば、国立学校設置法にその種の規定が置かれていないのはなぜなのかを正しく理解すべきであります。  この点は、まず学問の自由を保障する憲法二十三条及び教育行政の限界をきめた教育基本法第十条の精神に戻らなければならないのであります。すなわち、学校教育法、教育公務員特例法と関連して、国立学校設置法は国立大学の管理運営を大学の自主的慣行にゆだねようとしており、そのことが右の精神に最も適合していると判断しているためであります。  ところが、本法案で追加された第二章の二は、さしあたっては筑波大学だけであるが、同大学の管理運営組織について具体的な規定を設けようとしています。このことは、国立大学設置法の精神を著しくそこなうものというべきであり、本法案は戦後の一連の大学管理法案の一部を国立学校設置法の改正によって先取りしようとするものだといわなければなりません。  しかもこの改正の思想は、大学行政と通常の行政とを同一視しているという点で、大学自治、研究、教育を主とする大学行政の本旨に反するものといわなければなりません。  筑波大学では、大学行政の集権化、能率化及び開かれた大学という美名のもとに、副学長制と参与会制度が置かれます。政府文部省答弁では、これらの制度は大学自治や自由を侵すおそれなしと主張してやみませんでした。しかし、副学長参与会が学外者によっても構成される道を開いたこと、副学長の任期もさだかでなく、副学長は執行機関であると同時に審議機関であるということ、副学長会議が強大なトップマネージメントの役割りを演じ、大学管理に大きな力を持つに至ること、しかも、人事に介入できることになっているなどの危険性は何ら解明されていないのであります。また、学外者で構成される参与会も、学長文部大臣が望ましい者しか任命されず、そればかりか、従来の評議会で審議した大学運営の重要事項について助言または勧告できることにしているという点も重大であります。もともとアメリカの理事会制度を念頭に置いて生まれた制度であるだけに、今日、私立大学における理事会と学長との対立、教授会と理事会との対立に見られるような大学自治の侵害が起こるおそれを多分に危惧するものであります。そもそも制度はそれをささえる人間の行動様式によって規定されるからであります。  法案でのさらに重要な点は、教員人事が学部教授会から人事委員会にその権限を移している点であります。しかも、人事委員会には副学長も加わることになっています。大学人事に管理者が加わることは学問の自由、研究の自由への侵害になるという意味で、管理者は大学人事に介入しない慣行ができてきているのに、この制度はその考え方に逆行しているといわなければなりません。  大学の教官人事が学部教授会にあるとした従来までの趣旨は、学問の自由という憲法上の要請と高度な専門性を要するとする要請に基づいていたのであります。ところが、筑波大学では、かりに専門委員会人事選考が行なわれても、最終的には人事委員会が決議機関であるとされていることによって、それが拒否権を持つことになるから教官の学問、思想、信条の自由の侵害となるおそれは十分にあると判断せざるを得ないのであります。  最後に、本法案は、学校教育法を今後形式的に改正しなくとも、実質的には教授会の権限を著しく制限できる道を開いたということ、この法案が通れば国立学校設置法を手直しさえすればすべての大学筑波大学と同じ方式を適用し、多くの筑波大学を創設する道を開いたという意味で、法案は新大学管理法と断定することができると思います。  以上、四つの理由から、本法案大学をどのように考えるかという大学観の根本にかかわる問題を含むと同時に、他方、憲法、教育基本法の精神をどうとらえるか、さらには大学自治教育権の主体をどう考えるかという教育の根本問題にかかわっているのであります。一片の技術的な法改正では済まされない重大な問題性をはらんでいるのであります。  しかも本法案がその精神において大学自治、学問の自由を侵害するおそれがあるという意味で、あらためて強く反対意見を表明するものであります。
  368. 田中正巳

  369. 山原健二郎

    ○山原委員 私は、日本共産党・革新共同を代表しまして、国立学校設置法等の一部を改正する法律案に対し反対いたします。  厳密にいえば、私は本法案の第一条部分、すなわち旭川に医科大学を、山形と愛媛に医学部を、また養護学校、大学院等を設置する国立学校の設置については賛成であり、第二条以下の筑波大学関係法案については反対であります。この二つは当然分離して論議、採決されるべきものでありますが、野党四党の分離案が否決されていますので、法案全体について反対立場をとらざるを得ないのはまことに遺憾千万であります。  反対の第一の理由について申します。  戦後大学の理念は、幾百万青年を戦場にかり立てた戦前の教育の深刻な反省の上に立って築かれたものであります。このことは、学問の自由、大学自治が限りなく貴重なものであるという認識に立って、憲法にも教育基本法にも明示されておるところであります。そして大学の目的を実現し、大学自治を守るために大学の基本組織として学部を置き、研究、教育の統一的把握と、学部教授会を構成してきたのであります。   〔委員長退席、西岡委員長代理着席〕 今日、学部教授会に多少のぎくしゃくや、割拠性があるとしても、それは大学全体と教授会運営の民主化等により改善されないものではありませんし、何よりも文部省自身が押しつけてきた政令による講座制、学科制等の規定を撤廃し、格差をなくし、教職員の身分制を改善するならば、大幅に弊害をなくすることができるもので、各大学はこのような措置をこそ求めているのであります。  筑波大学はこの学部を解体し、教授会の持つ教育、研究、人事等の権限を剥奪し、今日まで幾多の論議の行なわれてきた学外者の強力な参加を許容する等の、根本的な大学の改悪を企図しています。しかも、文部省が口をきわめて言ってきた一般法の改正も、他大学に波及拡大するものではないという言明も虚構にすぎず、まさに筑波構想の全大学への適用の道を開いたものであることは、本委員会の質疑の過程で明確になってまいりました。  これらは、賛否はともかく、全国民的な合意を必要とするものであります。国大協、学術会議、各大学教育関係者反対の意向、批判的声明、さまざまな危惧、控え目な不安などが存在するのは当然であります。私は寡聞にして全面賛成者集団をむしろ知らないのであります。  しかも問題は、政府当局がこれらの意見を聞こうとせず、他大学にけちをつけるより勉強せよとか、堂々たる大学反対せず、劣等感のある大学が声明を出しているとか、暴言をほしいままにしていることであります。   〔西岡委員長代理退席、委員長着席〕 この独善性と偏狭性こそは、教育行政当局者としての不適格性を暴露したものであります。  筑波大学は、文部省東京教育大学のわずかなある部分による中教審路線に立った合作であり、文部省直轄大学、中教審大学のそしりを免れることはできません。  反対の第二の理由について申します。  私どもも、大学の改革は必要であり、不必要とは考えていません。しかし、それはあくまでも大学において自主的に行なわれるべきものであります。大学においては、一部の暴力集団に対して全大学がき然たる態度をとり、大学を構成する教員、職員、学生の全構成員参加による民主的で節度を持った改革が必要でありますし、現に各大学において、懸命の努力が行なわれているところであります。これを勇気づけ、激励し、さらに教職員定員の不足、施設、設備の改善等に万全の策をとることがむしろ緊急の文部省の役割りであり、全国の大学もこれを強く求めているところであります。文部省はこれとは逆に、屋上に屋を重ねる二重、三重の管理体制を強大化し、少数中枢部門に権限を集中する大学の非民主的管理を意図し、その上に国家権力と財界の介入をはかろうとしています。この背景には、専門家である教員の集団、教授会に対する敵視観があります。木田大学局長はかつて、教授会を村民の全員集会と呼びました。村山次官は、教授会の現状は、校舎の補修問題まで持ち込み、長談義ばかりしてちっともまとまらないという機能麻痺におちいっているなど発言、文章に書くなど、大学の財政貧困に起因する教授会の苦悩に対してまで攻撃を加えています。  かくて生まれ出んとする筑波大学構想は、政府が幾たびか試み、国民の反撃にあい、成立しなかった大学管理法の変形としての性格を持っていることは重大であります。このようなたくらみを、大学人、国民は決して許さないでありましょう。  最後に、教育は百年の計であり、拙速は百年の悔いを残しかねません。日本の未来にかかわる大学の改革については、十分なる国民的合意を得るまで粘り強い討議が行なわれるべきであります。今日、その合意がほとんどないまま出てまいりましたこの法案について、私は断固として反対し、私の討論を終わります。
  370. 田中正巳

    田中委員長 高橋繁君。
  371. 高橋繁

    ○高橋(繁)委員 私は、公明党を代表いたしまして、国立学校設置法等の一部を改正する法律案のうち、筑波大学関係法案反対するものであります。  もちろん、第一条については賛成でありますが、分離提案をいたすことのできなかったことはまことに残念であります。  この法案改正の当面の目的は、東京教育大学筑波研究学園都市に移転し、これを機会に同大学を改組して、現在の大学組織とは異なった構想に基づく国立筑波大学を設置することにある。  大学自治の単位であった学部を解体して、従来、学部自治のもとで運営されてきた教育研究組織である学部教授会を廃止し、これにかわって学系と学群とに二分した体制をつくり、一方管理運営の強化をはかるため、学長のもとに新たに五人の副学長文部大臣任命の学外者で構成される参与会を置き、副学長と、評議会で選ばれた教員で構成される人事委員会を設置する。  これらの新たな管理運営機関の設置は、従来の各学部ごとに教育研究及び管理運営を行なってきた大学自治方式にかえて、それぞれの機能分離をはかり、学長、副学長にその権限のすべてを集中させ、参与会によってコントロールをはかろうとする中教審答申を具体化したものであることは、委員会審査の過程で明らかになったとおりであります。結果として、学問の自由を根底から破壊するものであります。  憲法二十三条の学問の自由は、大学自治により保障され、大学紛争以来、学部の自治の内容が学生側から批判され、一般世間には、大学の閉鎖性の一面が大きくクローズアップされたが、これに乗じて、文部省は開かれた大学と称し、学生の望んでいる新しい自由な学問の進展の方向に開かれた大学ではなく、政治介入の方向に開かれた大学へと改組することをねらったものであります。学長、副学長大学の管理運営のすべてを集中し、集中された学長の大きな権限が、そのまま行政権力によって左右される。さらに実質的には学問の統制に通ずるものであると断ぜざるを得ないのであります。  学問とは、もともと自由な雰囲気の中で育つものである。大学からもしその自由が失なわれたら、そこはもう学園とは無縁な世界になるのであります。  また、参与会をトンネルにして、政府の意図が学園に直結する構造になっているのであります。参与会は、学長の助言、勧告機関として、文部大臣の任命者で構成される。その構成に基づき外部の人によって組織化されることは、政界、財界、産業界に開かれた大学として、危険な教育路線を進める大学になることは明らかであります。  大学の改革の主体は大学人であります。政府大学人の改革意欲を独断的に否定しているのである。大学における管理機能とは、その自由を守るためにあることを忘れてはならない。学外者の意見を聞くはずの参与会が、人選いかんによっては、学外の力で大学が振り回されることになりかねないのであります。大学に管理あって学問なしということだけは、どうしても避けねばならない。  また、東京教育大学移転問題が、いつの間にか筑波大学の新設問題に変わってしまい、しかも移転問題のほうは廃学問題になってしまったのである。移転はどこまでも移転であり、廃学はどこまでも廃学である。両者は全く別個のものであり、これを同一と見るのは全く詭弁であります。  また、筑波大学構想国立大学一般の未来像にしようとする政府のねらいがありありと感じ取られるのであります。それは行政指導や予算による誘導が試みられるところに予想されるところであります。  宮城県の人口と同じく、日本の大学在学生百八十万人を有することを考えるとき、大学問題は文字どおり国民的課題であり、大学の未来は国民の教育の未来像と不可分のものとなっておる。  学問と教育を権力の介入から防ぐため、筑波大学関連諸法案に絶対に反対するものであります。  筑波大学法案については、単に短期間のうちに論議されてはならない。今後の大学はどうあらねばならないのか、大学教育はいかにあるべきかについて、広く根本的に論議し、そのビジョンを明らかにし、十分時間を費やして討議を重ね、国民的合意が成立するまで、筑波大学は、東京教育大学移転や廃校問題と、決定的に切り離して、白紙還元をされて、あらためて合意の上に構想されるべきであります。多くの疑惑や反対をかかえたまま発足することは、まことに遺憾であり、国民にとって不幸であり、関連諸法案の改正を含めての設置の強行は、わが国の教育、特に大学教育の未来に分裂と混乱を持ち込み、ぬぐいがたい禍根を残すことになります。  東京教育大学の内部にも多くの問題を残し、賛成反対入り乱れてまさしく混乱と混迷を続け、全国各地より反対の陳情、請願の声は高まりつつある。いわゆる大学人の多くの方々が反対をし続ける状況を見るとき、新大学を急いで設置することのメリットを上回るこうしたデメリットが予測される現在、あえてそれを強行しようとすることは、関連法案の改正を突破口として、大学制度と大学教育に対する政府の管理と統制の強化をもくろむ政治的意図が隠されていると疑われてもやむを得ないと思うのであります。  大学は一国の文化の母体であり、民族の精神文化の結晶でなければならない。大学こそ高い理念を持ったすぐれた人格者と、豊かな個性を持ち、技術、学術を使いこなしていける創造的な人間を養成するところであります。  すべての国民が、国家目的に吸収されるだけでなく、真理を探求し、真理に奉仕し、人類のために尽くすという崇高な精神、人類の平和と発展の中にのみ国家の平和と発展があることに深く思いをいたし、国家を支配し、国民を国家という名目のもとに、自分たち権力者の支配者に利用するという考えは、断じて排除しなければなりません。  よって、筑波大学法案反対するものであります。  以上をもって、反対の討論を終わります。
  372. 田中正巳

  373. 受田新吉

    受田委員 私は、民社党を代表いたしまして、この法案に対する意見を開陳したいと思います。  まず、この法案の基本をなす自民党政府の文教政治に対する考え方について、私たちは、強くこれを正さなければならないと思って、質疑も重ねてまいりました。  特に文教行政は、国家百年の大計のもとに、次代を背負う青少年の育成という重い使命を持っております。政治家は次の世代を考え、政治屋は次の選挙を考えるといわれて、われわれにきびしい教訓を与えております。  私は、その意味におきまして、文教行政なるものは、常に高度の判断と次の世代への期待を持つべきであると考えております。しかるがゆえに、一党一派の文教行政でなく、国家、国民のための文教行政であらねばならない。しかるがゆえに、文教行政の責任者自身も、一党一派の走狗のごとき形でなく、国民的規模における代表者としての重い使命に生きなければならない、質疑を通じて繰り返した点でございました。しかしながら、これに対して、自民党の方々の反応はまことに遺憾であります。  文部大臣は、党派を越えた行政の責任者として、党籍離脱という形をとってはどうかもただしました。また、政権がいつ交代しても、次の政権の段階においても、文教行政はその中立性を確保しなければならない。政党政派の犠牲に文教行政をしてはならない。文部大臣は伴食大臣であってはならない。常に閣内の重要ポストという意味で、文教行政の重い使命を果たさなければならない。  しかるがゆえに、国会の劈頭、今国会、第七十一特別国会においても、経済的な担当者と、人間づくり、人間尊重の担当者が、それぞれ総理のあとに続いて施政演説をすべきであるにかかわらず、総理大臣のあとには、外交演説、財政演説、経済演説と、エコノミックアニマルのような経済閣僚が二人まで演説をするのに、文部大臣は演説をすることもできないというほど、人間づくりと文教行政、人間尊重の政治が欠けておる。自由民主党はここにその施政演説においてすら、この人間づくりの使命を果たしてないというところに、自民党政治や与党の欠陥があることを私は指摘したい。  しかるがゆえに、この機会に与党の諸君もここに前文部大臣のお二人がおられる、どうぞ諸君もこぞって、総理の施政演説のあとには、経済演説について経済企画庁長官、大蔵大臣の二人は要らぬ、一人をやめさせて文部大臣の文教演説をやらすように協力してほしいと思ったのであります。  同時に、政府・与党の諸君は、常に教育の中立性を確保するために、その制度的な検討を続けてもらわなければならない。私は、文部大臣は文教担当国務大臣の形をとるべきであり、そして中央教育委員会を設けて、国会で承認を得た数人の構成員によって常に教育の中立性が保たれる機関を設け、それに財政的な裏づけを十分する担当国務大臣がおるというような形も当然検討してしかるべきではないか、そういうことによって、政権の交代によっても常に文教行政は中立性を確保するということを、諸君も御理解を願えると思うのであります。そういう検討を常に続けた上で文教行政を進めるならば、党派を越えた協力が得られて、今回の法案についても、このきびしい対立でなくして、各派の円満な話し合いによって実を結んだと私は思うのであります。  また、教育の問題につきまして、特によい教師をつくるという伝統を持ってきた東京高等師範学校、東京文理科大学、そして東京教育大学は、今回の一片の法案によって、その存在が消えるという悲劇を持っている。事実上これは抹殺されるということを私は残念であると質問をしたのでございますが、現実によい教師を育成した歴史と伝統は、抹殺されることに法案の上で決定されようとするのであります。こういうところにも、よい教師によってよい教育がされるという重い使命を感ずる自民党の意思がどこにも存在しないということを慨嘆せざるを得ないのであります。  特にまた今回の法案につきましては、私の党も、私自身も、開かれた大学、時代は転換した、新しい時代で大量の学生が入ってくる今日、大衆とともにある社会性を持った大学構想には、基本的には賛成をしております。しかし、その構想の中身に、できるだけ多くの支持を得るところの修正点を取り上げて、これを修正することによって、より広い国民的規模の共鳴が得られるならばという強い配慮をいたしまして、終始奮励努力をしたのでございますが、その修正点のおもなるものを、特に行政措置で修正が可能なもの、法律案として修正可能なものをそれぞれ指摘して、政府に迫ったのでございまするが、それらのうちで、行政措置は一応われわれの要望を八割程度果たす回答を得ました。しかし、法律事項として特別に規定しなければならない、大学の構成員である学生の人格とその存在意義を、十分認識させるための学生協議会の機能の存在を明記する規定には、ついに御賛成を得られなかった。  フランスにおいて、ドイツにおいて、学生協議会は法律をもって明記してあります。国際政治の流れはとうとうと学生の参加方式が採用されている中に、教育立国を目ざされる日本国の政府が、一握りの暴動学生に杞憂して、その大半の力でりっぱな協議会をつくろうというわれわれの建設的な要請すらもしりぞけたということは、国家、国民、そして国家百年の大計のためにまことに無念に存ずる次第であります。  私は、この修正要求をいたしまして、国民とともに、できるだけこの文教委員会は話し合いによって法案を成立せしめるべきである、教育の中立性を守るためには、後世にりっぱな法案を残すべきである、それぞれの党の思いつきで法律を強行してはならないという非常な配慮をもって努力をしたにかかわらず、修正案は、一応提案理由とその案文を提出することはできましたが、しかし、この案を出すと同時に、直ちに強行採決という、この修正案に対する質問を受けることもできずして、これが葬り去られたということは、まことに残念でございまして、委員会の運営の上においても、この修正案を十分論議して、国民にその修正点の理解を十分徹底させる配慮の欠けたということについても、この法案を強硬になし遂げられようとした自民党の皆さん及び政府に強力な反省を要求するものであります。  最後に、中庸の中に、まことに味おうべきことばがある。誠は天の道なり。之を誠にするは、人の道なり。真実、正義、これこそ文教政治の中核でなければいかぬ。お互いが疑い合い、お互いが恨み合い、憎しみ合うという形でなくして、誠は天の道である。これを実行するのが人の道である。真実を持ってお互いがりっぱな文教政治の遂行をはからなければならないと思っておるのであります。  文部大臣、どうぞ伴食の地位から堂々たる閣僚の地位に、重い使命を感ぜられるとともに、文教行政の本質ができるだけ国民の合意を得て、後世にゆるぎなき基盤をつちかうべきであることを強く御反省を願うとともに、この法案があっという間に強行された経緯に対して、遺憾しごくの意思を表明申し上げまして、討論ではなくして、意見表明を終わります。
  374. 田中正巳

    田中委員長 これにて発言は終わりました。  この際、念のため確認をいたします。  まず、安里積千代君提出の国立学校設置法等の一部を改正する法律案に対する修正案に賛成の諸君の起立を求めます。   〔賛成者起立〕
  375. 田中正巳

    田中委員長 起立少数。  次に、国立学校設置法等の一部を改正する法律案に賛成の諸君の起立を求めます。   〔賛成者起立〕
  376. 田中正巳

    田中委員長 起立多数。  次に、委員会報告書の作成につきましては、委員長に御一任願いたいと存じますが、これに賛成の諸君の起立を求めます。   〔賛成者起立〕
  377. 田中正巳

    田中委員長 起立総員。  よって、安里積千代君提出の修正案は少数で否決、国立学校設置法等の一部を改正する法律案は多数で可決され、委員会報告書の作成は委員長に一任されたことが明確になりました。  次回は二十九日開会することとし、本日はこれにて散会いたします。    午後九時二十一分散会