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1973-06-08 第71回国会 衆議院 文教委員会 第20号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十八年六月八日(金曜日)     午後一時五十一分開議  出席委員    委員長 田中 正巳君    理事 内海 英男君 理事 塩崎  潤君    理事 西岡 武夫君 理事 松永  光君    理事 森  喜朗君       有田 喜一君    今井  勇君       上田 茂行君    加藤 紘一君       片岡 清一君    坂田 道太君       染谷  誠君    床次 徳二君       中尾  宏君    林  大幹君       深谷 隆司君    藤波 孝生君       三塚  博君    宮崎 茂一君       山崎  拓君  出席国務大臣         文 部 大 臣 奥野 誠亮君  出席政府委員         文部政務次官  河野 洋平君         文部大臣官房長 井内慶二郎君         文部省大学学術         局長      木田  宏君  委員外出席者         文部省大学学術         局大学課長   大崎  仁君         文教委員会調査         室長      石田 幸男君     ————————————— 委員の異動 六月八日  辞任         補欠選任   高見 三郎君     片岡 清一君   床次 徳二君     宮崎 茂一君   林  大幹君     今井  勇君   三塚  博君     加藤 紘一君 同日  辞任         補欠選任   今井  勇君     林  大幹君   加藤 紘一君     三塚  博君   片岡 清一君     高見 三郎君   宮崎 茂一君     床次 徳二君     ————————————— 六月六日  国立学校設置法等の一部を改正する法律案撤回  に関する請願岩垂寿喜男紹介)(第六〇四  七号)  同(江田三郎紹介)(第六〇四八号)  同(大柴滋夫紹介)(第六〇四九号)  同外一件(北山愛郎紹介)(第六〇五〇号)  同外一件(上坂昇紹介)(第六〇五一号)  同(嶋崎譲紹介)(第六〇五二号)  同(多賀谷真稔紹介)(第六〇五三号)  同(竹村幸雄紹介)(第六〇五四号)  同(辻原弘市君紹介)(第六〇五五号)  同(野坂浩賢紹介)(第六〇五六号)  同(原茂紹介)(第六〇五七号)  同(日野吉夫紹介)(第六〇五八号)  同(武藤山治紹介)(第六〇五九号)  同(村上弘紹介)(第六〇六〇号)  同(村山富市紹介)(第六〇六一号)  同(八木昇紹介)(第六〇六二号)  同(矢野絢也君紹介)(第六〇六三号)  同(山口鶴男紹介)(第六〇六四号)  同(栗田翠紹介)(第六一三一号)  同(福岡義登紹介)(第六一三二号)  同(山原健二郎紹介)(第六一三三号)  同外一件(矢野絢也君紹介)(第六一三四号)  同(稲葉誠一紹介)(第六二一〇号)  同(上原康助紹介)(第六二一一号)  同(木島喜兵衞紹介)(第六二一二号)  同(長谷川正三紹介)(第六二一三号)  同(山口鶴男紹介)(第六二一四号)  同(山中吾郎紹介)(第六二一五号)  同(山原健二郎紹介)(第六二一六号)  学校教育の水準の維持向上のための義務教育諸  学校教育職員人材確保に関する特別措置法  案撤回に関する請願大柴滋夫紹介)(第六  〇六五号)  同(佐藤敬治紹介)(第六〇六六号)  同(佐野進紹介)(第六〇六七号)  同(嶋崎譲紹介)(第六〇六八号)  同(島本虎三紹介)(第六〇六九号)  同(竹内猛紹介)(第六〇七〇号)  同(塚田庄平紹介)(第六〇七一号)  同(辻原弘市君紹介)(第六〇七二号)  同外二件(土井たか子紹介)(第六〇七三  号)  同(芳賀貢紹介)(第六〇七四号)  同(長谷川正三紹介)(第六〇七五号)  同(山口鶴男紹介)(第六〇七六号)  同(小川省吾紹介)(第六一二六号)  同(金子満広紹介)(第六一二七号)  同(久保田鶴松紹介)(第六一二八号)  同(小林進紹介)(第六一二九号)  同(田中武夫紹介)(第六一三〇号)  同(稲葉誠一紹介)(第六二一七号)  同(栗田翠紹介)(第六二一八号)  同(小林信一紹介)(第六二一九号)  同(佐藤敬治紹介)(第六二二〇号)  同(坂本恭一紹介)(第六二二一号)  私学に対する公費助成増額等に関する請願(林  孝矩紹介)(第六二〇八号)  女子教職員育児休暇法制定に関する請願(林  大幹君紹介)(第六二〇九号) は本委員会に付託された。     ————————————— 本日の会議に付した案件  国立学校設置法等の一部を改正する法律案(内  閣提出第五〇号)      ————◇—————
  2. 田中正巳

    田中委員長 これより会議を開きます。  この際、暫時休憩いたします。    午後一時五十二分休憩      ————◇—————    午後三時五十五分開議
  3. 田中正巳

    田中委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。  国立学校設置法等の一部を改正する法律案議題といたします。  質疑の申し出がありますので、これを許します。松永光君。
  4. 松永光

    松永委員 ただいま議題となっております法律案の中で、私は筑波大学に関連する部分について、大臣並びに局長に一、二質問をいたしたいと思います。  いわゆる筑波大学の最も大きな特色は、これまでの大学学部学科にかわる新しい教育研究に関する仕組みとして、学群学系という新しい組織を置くことにしたことにあるようであります。そうすると、どういう理由で学部学科のかわりに学群学系という新しい組織ないし仕組みを置くことにしたのか、いままでの大学学部学科というのは、教育あるいは研究上、あるいは大学管理運営上、どういう欠陥があったのか、そういう点について具体的に詳細にお答え願いたいと思います。
  5. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 四十三、四年ごろ一番大学紛争が激しかったと思います。そういう際におきましても、最も問題になっておりましたのは教育研究あり方でございました。したがいまして、その後各大学大学改革に取り組んでまいりました場合に、この教育研究あり方をどうするかということが一番中心課題であったわけでございまして、このことにつきまして東京教育大学一つ改革案を提示したというのが、今度の筑波大学であるわけであります。  御承知のように、教育研究とを一体として学部単位において扱っていく、そういうことを通じて学問の自由というものを大いに発展さしていきたい、こういう願いがあるわけでございまして、それなり役割りを果たしてきた、かように考えるわけです。しかしながら、社会の発展に伴いまして、研究という面について見てまいりますと、専門がどんどん分化しながら、分化したものがさらに深く深くなってまいってきているわけでございます。同時にまた、学部学部との間に広がりも見せてまいってきているわけでございます。一面には深くなり、一面には広くなってきておる。これをそのまま教育に持ってこられた場合に、一面には深く深くなったものをそのまま教育として受けまして社会に出ていろいろな変化に対応できるだろうかということでございまして、教育という面から考えますと、広く学識を養っていかなければならない。大学に入ってみたけれども、自分の希望するような教育は受けられないということになってしまうわけでございます。  同時にまた、先生自身が部分的には嘆いておられるわけでございますけれども、先生立場になりますと、社会に認められるためには、自分の業績を公表して、幾つか論文をつくってこれを公にしていく、自然こういうことには熱が入るけれども、必ずしもよき研究者がよき教育者たる役割りを果たしていない、結果的に学生はたいへんそれに不満を抱くというような姿にもなっておったようでございまして、そうしますと、教育という立場からどのような先生にどのような部門を担当してもらうか、それはそれなりに深く考えていかなければならぬのじゃないか、こういうことになるわけでございまして、そういう意味研究教育とを分離すべきだという考え方筑波大学で出てまいったわけでございます。そうすることによって、研究も十分その目的を達することができるし、教育もまたそれなりに十分その目的を達することができるのだということになってまいったわけでございます。  研究という意味においては学系という組織をとる。筑波大学の場合には二十六ぐらいの学系を考えておられるようでございます。従来の学部間のいわゆる境界領域に属する学問につきましても、プロジェクトチームをつくりまして大規模にその研究に取り組む体制も立てることができるわけでございます。  教育の面につきましては、それぞれの学系から学群に出向いてもらう、そして人を育てるにふさわしいようなカリキュラムを編成していくことができるということになってまいるわけでございまして、そういうことから自然、人事組織をどうするとか、いろんな問題が出てまいるわけでございまして、従来は教育研究学部一体として扱っておりますから、人事学部教授会できめられる、こういうことになるわけでございますが、それがございませんので、教育機関であります学群のほうから教員を出してもらう、また研究機関であります学系から教員を出してもらう、両者合わせて人事委員会というものを構成して、そこで人事を運営していくということになるわけでございます。従来のような姿でございますと、学部学科講座、そこで人事が、教授がやめない限りにおいては助教授教授になれない、助教授がやめない限りは助手が助教授になれないというようなこともしばしばいわれてまいった、いわゆる閉鎖的な姿、学部教授会が何もかも処理してまいりますので、全体的にきわめて閉鎖的な色彩を強めてきたということが多分にあると思うのでございます。そういうことも打ち破っていきたい。そして先生がかりに退官せられました場合には、学群教育組織あるいは学系研究組織、両者が寄り集まって後任の適材をさがしていくというような方向で絶えず各方面から人材を集めていきたい、こういう願い筑波大学では持っておられるようでございまして、その点が中心であろうか、かように考えております。
  6. 松永光

    松永委員 かつての大学紛争の当時、まあ現在でも幾つかの大学——というよりも、多数の大学大学紛争が続いているようでありますが、その大学紛争が起こった場合に、いままでの大学はいわゆる学部中心学部自治ということが中心になっておる関係上、全学的な大学意思がなかなか構成されずに、そのために大学紛争に対する対処のしかたがまことになっていない、そういう欠陥があると聞いているのですが、具体的にそういう事例があったかどうか。どういう組織の、あるいはまた、どういうやり方がこの大学紛争等における大学対処のしかたとしてまずかったのか、そういう点を局長から明確にひとつお答え願いたいと思います。
  7. 木田宏

    木田政府委員 御指摘のように、最近の大学が、学部の数では、大きいところが十学部、十一学部というような大きな学部数をかかえるような大学にまでなってまいりました。また、そのほかにも研究所をたくさん持っておるような大学も出てまいりまして、大学構成単位が非常に数多くなってくる。そのために、全学の意思を調整しながらまとめていくということがたいへんむずかしいことになっておるのでございます。いままで幾つかの大学で、たとえば大学移転というような問題を取り上げようといたします場合に、学部ごと意見が対立してしまいまして、なかなかやりにくいというような事例幾つか出てまいりまして、私の記憶をいたしておりますのでも、東北大学青葉山移転する、そして新しい大学としていいキャンパスをつくろうということを論じました際にも、学部間の意見の調整がなかなかうまくまいりませんで、特に農学部が具体的には移転反対という態度をとりましたために、全学的な青葉山整備計画は、全学的な計画のように進まないでとんざを来たしたというようなケースもございます。  また、数多くの大学紛争過程その他たくさん経験をいたしたわけでございますが、学部単位教官取り扱いあるいは学生取り扱い等を論議いたします結果、同じ事案につきまして、学生処分問題等学部によって取り扱いが区々になってしまう、そのために、大学全体としては、何もしない学部に足を引っぱられてしまいまして、結局対処すべき処置も何らとらないでしまうといったような事例は、これは枚挙にいとまがないのでございます。  当東京教育大学におきましても、筑波移転にからみまして、先回も御質問がございましたように、文学部が早くから反対の意向を表明して、大学としての会議にも参加をしないというような拒否の態度をとり続けられる。そのために、昭和三十七年以来全学的に新しいキャンパスを求めていい大学になろうというふうな論議が続いておりますのに、常に不協和音が起こってしまうというような問題、これなども、やはり大学として全学的な問題を、全学的な意思の結集をはかるプロセスというものを、学部中心でだけ考えておったのではどうにもならぬのではないかという事例でございまして、こうした例は、一々を記憶しておるわけでもございませんが、紛争過程を通じましてほとんどどの大学も大なり小なりその問題点に悩んだ次第でございます。  なお、これは学生の問題だけではございませんで、一般教育取り扱いをどうするかという学生教育上の基本問題につきましてこの関係者が当初から悩んでおります問題点もあるわけでございます。学部ごと縦割りになっております学生教育システムとしてどのように取り扱っていくがいいかというような問題は、全学的に十分議を尽くして、いい教育システムを立てていかなければならぬわけでございますが、学部ごと縦割りになっております関係上、同じ専門分野の近い領域を勉強いたします学生も、たまたま農学部に所属する農業経済であるということのために、経済学部学生と非常に教育システムが違ってしまうというようなことなども、教育上の問題点として早くから指摘されております。それらのことが、いろいろな専門領域にわたりまして学部縦割りのために、教育としてもう少し総合的な措置がとれないであろうかという悩みの問題として、新大学発足以来続いてきた課題でございまして、そういう大学基本教育システム及び学生教育指導システムとして、いままでの学部中心だけでは大学教育として適切な指導ができにくいということが、紛争過程を通じて関係者のひとしく認識したところ、このように考えておる次第でございます。
  8. 松永光

    松永委員 激しい大学騒動などが起こった大学事例を見ますと、その大学学生ではなくして、よその大学生が、あるいは大学生でない人も相当いたのかもしれませんが、そういう者たち大学の中に入り込んできて、そうしてその者たち中心になって大学騒動というものをより大きくしておる、より激しくしておるというふうなことがあったと聞いておりますし、また現にそういう事例がまだあるようでございますけれども、そういう事柄はどうして起こっておるのだろうか。その大学教授中心にした教官たちが無責任であるがためにそうなっておるのか、あるいはそれとも、いままでの大学組織なり管理運営なりが欠陥があるから、そのために、言うなれば外人部隊みたいなものにその大学が占領されるというふうな状態になっておるのか、そこらあたりの点はどうなんでございましょうか、局長にお尋ねいたします。
  9. 木田宏

    木田政府委員 大学紛争は、どちらかと申しますと、これは日本だけでもございませんけれども、ある意味で最も充実した大きい大学に、あるいはいい大学といわれるところに起こっております。アメリカの事例を見ましてもそうでございます。なぜいい大学ほど逆にいって紛争が多いかということでございますが、一つには、今日の大学には、昔のように一部のエリートあるいは社会階層として上層の人だけが入るというようなことではなくて、幅広く青年層が入ってくる。そのために、大学生の層が社会青年層と似た形のものになってくるという面がございます。そういうことで、優秀な人が優秀な大きい大学に集まる、規模も非常に大きい、学生数も大きうございますから、そのために、学生構成されます大学キャンパス内が一般社会と同じような問題意識を持つということが一つにはあげられるかと思うのでございます。よって、世の中の政治的な問題がそのままキャンパスの中の学生の、しかもエリートと称される人たち問題意識としてこれがキャンパスの中でふき出してくる。そこへまた大学自体あり方を考えますと、以前のように少数エリート学生中心にして、こじんまりした大学であり、教官学生との関係が非常に緊密に進んでいった時代と、非常にたくさんの学生が入ってきて、その学生の中に学生でない者がおってもわからないような今日の段階になってまいりました。その大学管理に対して、以前と同じように、非常に緊密な少数の間で、親しみ深く、あまりむずかしいことを言わないでも処理できた時代学生指導考え方のままに処理をしようといたしますと、どうしても大きな大学社会というものを経営していく、あるいは管理していくのに適さない。大学学部学科講座ごと単位になっておりまして、しかも小さい単位は小さいコミュニティーのような形で、非常に顔のよく通じた人たちだけで、むずかしいことが規則としてきめられなくても円滑に動いておった時代と違って、そういうルールのままで非常に大きな学生層を扱い、非常に大きな教官層を扱い、そして学生層が多様化し、教官層も多様化して、世の中の問題がなまのままで大学キャンパスの中で取り上げられ、しかも一番自由に論議されるというような大学の性格から、大学の中で始末のつかないような紛争が起こってきたんではなかろうか。やはり世の中の政治的な問題意識等不満が、一番爆発しやすい形で、自由な雰囲気の大学の中で火をふいた、こう考えられる一面があるのではないかと思うのでございます。管理体制がそれに伴わないということが、それを許していった大きな基本的原因だと考えております。
  10. 松永光

    松永委員 先ほどのお答えによっても明らかでありますように、この筑波大学仕組みというものは、東京教育大学先生方が、新しい大学あり方はどうあるべきかということを自主的に研究されて、その結論として出てきた仕組みであり制度であるということでございます。  そこでお尋ねしたいのでありますが、ほかの大学で、自分大学をよりよいものにしたい、現在の新しい時代に適合するようにしたいという考え方で、いままでの大学仕組みである学部学科その他の組織とは別ではあるけれども、またこの筑波大学とは違ったやり方仕組みというものをまとめられて、そしてそういう案がある大学でできた場合においては、その大学でできた案というものを採用して、そして新しい仕組み組織大学として文部省としては認めていく用意があるのかどうか、そこらの点についての考え方を承っておきたいと思います。
  11. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 社会がこれだけ複雑、高度化してまいってきておりますのに、国立大学につきましては学部組織以外の組織は認めていないわけでございます。きわめて固定化させて、弾力的にいろんなことに対応できない。それがやはり問題になっておる。そこで筑波大学提案を今度いれるわけでございますが、さらに各大学がいろんな具対案提案をしていただく、提案をしていただきましたならば、必要に応じてそれを法律の上で明確にして、その方式をとれるようにしてあげなければならない、こう考えておるわけでございます。いずれにいたしましても、大学組織として一つしか認めていなかったといういままでの対応のしかたにも問題があった、こう考えておりますので、お話しのとおり、いろいろな改革案が生まれてくることをむしろ期待しておるわけでございまして、生まれてきた場合には、これをやはり法律改正で国会の議に付していきたい、こう思っております。
  12. 松永光

    松永委員 このいわゆる筑波大学に関する制度改正というものは、法律案を見ればまことに明瞭でありますように、筑波大学にだけ適用される制度なんであります。ところが、この制度がほかの国立大学にもそのうち適用されるんだというふうなことを言って、たいへんだというふうに騒いでいるというか、そういう人たちがたくさんおるようであります。法律案を見れば、もうそういうことはないんであって、との制度はいわゆる筑波大学についてだけの制度であって、ほかの大学には全く関係ないということは、法律案で明らかであります。そういうふうに説明しますと、また反対する人たちは、法律はそうなっておるけれども、そのうち文部省筑波大学にだけたいへんな予算をつけてやったり、あるいはまた、筑波大学方式またはそれに類似した方式でやりますというふうな意見を述べる大学にはよけい予算をつけてやる、現在の制度について改めようとしないといいますか、いままでの制度をそのままやっていこうというふうな大学にはあまり予算をつけないというふうな形で、予算の面からなしくずし的に筑波大学方式を全国の国立大学に及ぼしていく下心が文部省にはあるというふうに言っておる人もおるようであります。  そこで、そういう気持ちがあるのかどうか。先ほどから文部大臣が言われておりますように、大学改革はどういうふうにやるかということは、それぞれの大学で自主的にやってもらいたい、筑波大学方式あるいはそれに類似した方式をやるかどうかということは決して強制はしない、予算の上でも全くそういうことはしないというふうなことであるのかどうか、そこらの点についての文部省の見解をはっきり承っておきたいと思うのでございます。
  13. 木田宏

    木田政府委員 大臣もお答え申し上げましたように、大学一つ一つがそれぞれ個性特色を備えておりまして、一つの型を画一的に適用すればいいというものではないと考えております。また大学改革も、それぞれの大学個性と事情を踏まえた上で、個々の大学の発意と、それを受けた私どもの施策とがマッチいたしまして進んでいくわけでございます。具体的にどう大学改革するかということは、あくまでも各大学の判断によることでございますが、ただ、筑波大学が新構想によって解決しようとした問題は、各大学が共通に悩んでいる問題でもありますから、解決のために努力しておる各大学筑波大学と同じような解答を出す場合もあろうかと思います。  たとえば、これは東京大学の、最終案ではございませんけれども、大学改革準備調査会が、一九六九年でございますけれども、昭和何年になりますか、その七月三日にまとめた報告書によりますと、同じようなことが書いてあるのでありまして、「今日の大学に課せられている研究教育課題に十分にこたえるためには、研究者の集団である教官団組織学生教育のための組織とは、互いに密接な関係は保ちながらも、制度上は別個のものとして構成されねばならない。したがって、研究教育管理の三機能を同時に遂行し、教育組織でもあり教官組織でもある現在の学部研究所は、すべて解体する。」これは東大研究教育組織改革問題点を議論した大学改革準備調査会組織問題専門委員会の出しておる報告でございます。  この考え方は、筑波で指摘しておるまさにそのことをやはり大学人として指摘しておるわけでございますから、今後各大学が真剣にこうした問題に取り組んでこられたときに、同じ問題点を指摘されるということはあろうかと思います。しかし、この東大報告は、東京教育大学筑波のビジョンと問題点を同じく指摘し、学部研究所すべて解体するといっておられますが、その構成のしかたは、かなり似通ったところがあり、また多少違うところもある。それぞれの個性があるわけでございまして、これらがせっかく御努力になっております大学改革案として生きるように文部省としては対処していきたい、こう考えておる次第でございます。
  14. 松永光

    松永委員 そうすると、大学改革をどういうふうに進めていくかということは、各大学が全く自主的に研究をして、そしてその結果出てきた結論、それを尊重してやっていくということであって、文部省が積極的に誘い水を出すとか、あるいはまた、予算の配分等を通じて筑波大学方式ないしはそれに近い方式でやるようにということを誘導するとか、そういうことはない、あくまでも各大学が自主的に、よりよい大学組織になるように、仕組みになるようにと考えて、そして成案を得てもらいたい、こういうふうなことなんですね。重ねてひとつ確認しておきたいと思うのですが、大臣にお願いします。
  15. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 お話しのとおりに考えております。国立学校に関します限りは、法律改正の手続をとりませんと、学部以外の組織を採用することができないわけでございます。したがいまして、強制するつもりはさらさら持っておりませんけれども、かりに持っていたとしても、法律改正を国会に提出してまいらなければならないわけでございます。  同時にまた、私、文部省に参りまして、文部省の事務当局も、大学それぞれの自治をより尊重していく、予算の配分にあたりましても、その他につきましても、私たちが歯がゆいと感ずるくらいに尊重している、たいへんいいことだと思いますけれども、そういう慣行が積み上げられております。
  16. 松永光

    松永委員 ありがとうございました。
  17. 田中正巳

    田中委員長 山崎拓君。
  18. 山崎拓

    ○山崎(拓)委員 ただいま審議をされております国立学校設置法等の一部を改正する法律案につきまして、若干の質問をさしていただきたいと思います。  まず、質問に入ります前に、この委員会委員の一人として特に発言をしておきたいことがあります。それは、この法律案の審議にあたりまして、今日まで故意にこの審議が延引されてきた経緯というものを私なりに感じておるわけでございまして、特に医学部並びに医科大学の設置に関する部分について切り離しをしろという提案がなされたわけでありますが、しかし、私は逆に、この部分が含まれておるということを理由に、この部分についてのみの質疑に今日まで終始して故意に審議を延ばしてきたという、いわゆる逆のタクティックスについて、私は国会の場で真剣にこれを反省して、むしろ、大学紛争が行なわれてから初めて具体的なこのような大学改革案が出されたのでありますから、もっと真剣にこの場で討議をして、この法案の中身について国民の前につまびらかにすべきであったということを真剣に反省もし、また委員諸君に同じく反省を促したい、このように考えておるわけであります。  そこで質問に入りますが、先日初めて社会党の嶋崎委員からこの法案の中身についての質疑が行なわれました。しかし、この質疑を私拝聴いたしておりまして、これは法案の中身あるいは筑波大学そのものの中身というよりは、この筑波大学構想が練られてきた過程について、ほんとうに民主的であったかどうかということについての質疑でございまして、十分な中身の質疑であったということはとうてい申せないと思うのであります。しかし、嶋崎委員がせっかくこの点についてただしたのでございますので、私も、この筑波大学の中身に入ります前にその点について確認をしておきたい、このように思います。  そこで、嶋崎委員は、この東京教育大学移転に伴い教育大学の学内でいろいろと今日まで討議を積み重ねてきた過程で、文学部が途中で参加を拒否したという点を指摘しておったわけでございますが、それだからといって、むしろこのような建設的なあるいは重大な構想について参加を拒否すること自体に非常に大きな問題があるわけでございますが、この間の経緯と、それからそのことがはたして東京教育大学の総意に非常に欠ける点になっておるかどうかについて、局長より御意見を聞きたいと思います。
  19. 木田宏

    木田政府委員 東京教育大学は、昭和三十七年九月に評議会におきまして「五学部を同一地区に収容しうる適地があれば全学あげて移転する」ということを決定いたしました。そして適地をさがしておったわけでございますが、昭和三十八年の九月の評議会におきまして、首都圏整備委員会が提示いたしました学園都市構想というものを念頭に置いて筑波山ろくへの移転について各学部教授会意見を徴する、そういう移転問題への取り組みを始めたわけでございます。  そういたしまして、三十八年の十月に評議会で大学移転問題特別委員会を設置いたしまして、これに取り組むことになりました。この大学移転問題特別委員会を設置したあと、昭和三十九年の七月になりまして、評議会で大学の将来計画委員会の設置をきめました。大学移転問題特別委員会をこれに改組したのでございます。  その検討が進みました段階で昭和四十二年六月でございますが「総合大学として発展することを期し、条件つきで筑波に土地を希望する」という評議会決定が行なわれました。この評議会決定をするにあたりまして、文学部教授会は、文学部関係者も評議会の席に連なったわけでございますが、文学部はこの評議会決定につきまして修正案を持っておりまして、この修正案を提示したのでございますが、それがいれられることにならずに、ただいま申し上げましたような、東京教育大学は「総合大学として発展することを期し、条件つきで筑波に土地を希望する」という決定をいたしました。文学部教授会はこの評議会決定を不満といたしまして、学部長、評議員を更迭をさせ、しかも以後この問題に関する審議に学部としては一切参加しないという、参加拒否の態度をとったわけでございます。したがいまして、その後評議会でマスタープラン委員会の設置をきめて検討を始めましたが、文学部からはだれも入ってはいかぬ、また文学部教授会の同意なくして、この構成員になってはいかぬという態度をとりまして、文学部関係者の参加がないままにこのマスタープラン委員会は審議を進めたのでございます。  昭和四十三年の秋からだったかと思いますが、学園の紛争問題が激しくなりまして、四十四年一応紛争が小康状態に入りましたに伴って、四十四年の六月に休止していたマスタープラン委員会の審議を再開することになりました。この時期までに学内では、文学部その他紛争関係者をめぐって、大学幾つかの紛議が起こったわけでございますが、一応その紛議の過程を経た上で、新たなマスタープラン委員会には、文学部移転賛成派の有志の人たちも論議に加わるようになりました。そして筑波におけるビジョンというものを取りまとめるということになった次第でございます。四十四年の七月、評議会におきまして「筑波における新大学のビジョンの実現を期して筑波移転する」という決定を見るに至りました。  その後学内でこれを進めていきますための関係者会議を続けまして、昭和四十六年六月に筑波大学に関する基本計画を練り上げたのでございますが、この間、筑波問題に関係いたしました学内関係者は非常に多数にのぼっておりまして、組織的には文学部教授会の不参加という状態で推移をいたしておりますけれども、学内で多くの教官関係者がこの討議に参加をして意思の結集をはかるべくつとめてこられた、この経緯は、一部に反対がございましても、やはり大学をあげてこの問題に取り組んでいくという努力がその間にあるというふうに、私どもは十分うかがうのでございます。
  20. 山崎拓

    ○山崎(拓)委員 四十四年の七月二十四日に東京教育大学意思決定が行なわれたという過程は、あくまでも民主的であったということを国民の前にもう少し明らかにしておきませんと、一部の者が、五学部のうち文学部はこれに参加しないというような喧伝をいたしておりますので、その点について要望をしておく次第であります。  さらに、これは嶋崎委員からもこの点について質問が行なわれておったことでございますが、本年の二月二十三日、評議会において宮島学長に不信任の意向が表明されて以来、評議会の開催ができない。このことは、移転を支持する人々の間でも、この筑波大学の創設をめぐってなお意思の疎通を欠く証拠であるというような議論がなされたわけであります。これについて、そのときも御答弁がございましたが、重ねて明確なる御見解を承りたいと思います。
  21. 木田宏

    木田政府委員 御指摘になりました評議会の席での学長に対する不信任の動きでございますが、ちょうど二月一日に二つの件につきまして臨時評議会開催請求の文書が学長に提出されました。  一つは、国立学校設置法等の一部を改正する法律案が政府としてまとまりかけたころのことでございまして、この案文の中に規定をいたします東京教育大学に関する経過措置に関して、学長が二月一日付で受験生あてに配付をいたしましたお知らせに関する問題でございます。  もう一つは、新大学の創設準備室の室員選考に関する評議会議長の取り扱い不満といたしまして、その選考を促進しようとする趣旨の請求でございました。  前者の件につきましては、文学部教育学部農学部、体育学部の評議員十一名がこれに連署をいたし、あとの課題、準備室の室員選考に関する課題につきましては、教育学部農学部、体育学部の評議員七名が連署をしたものでございます。  学長は、二月二十三日に月例の評議会も開かれることであるから、臨時評議会をあえて開く必要はなかろう、学内も入試その他で忙しい時期でもありますから、請求もありましたけれども、二月二十三日の月例評議会でこの問題を議したいというお考えのようでございました。  その二月二十三日の評議会の席で、学長の評議会運営あるいは臨時評議会を開催しなかったこと等を念頭におきました学長の取り扱い不満とする不信任の意向表明が提出されたわけでございます。これは文学部の評議員三名からのものと、それ以外の農学部教育学部、体育学部学部の評議員からのものと別々に不信任の意向の用意がなされたようでございまして、評議会の席でこの点は討議されないまま評議会の開催を終わっておるということでございます。  その間、移転の準備その他につきまして、また問題になっておりました室員の人事その他につきまして、関係者の間にどのような意見の食い違いがあったか、詳細は知らないわけでありますけれども、いずれにしても、筑波への移転準備と東京教育大学のそれに伴う経過措置につきまして、関係者の間に意思のそごがありまして、学長の評議会の開催に対する取り扱い等をめぐって、学長に対する不信の意向が表明されたという次第でございます。  しかし、その直後にまた、私どものほうに対しまして、学長、準備室長から書面で、意見の相違にかかわらず、筑波大学の創設を推進する方針は何ら変更がなく、同大学のための施設整備は遅滞なく進められたいという、これは全大学関係者——文学部は除きますが、それ以外の不信任を提示されました関係学部の方々も、この趣旨には御賛同があったようでございまして、個々の取り扱いにつきまして意見の対立があり、学長に対する不信の意思は表明したけれども、筑波の地に新しい大学をつくるということ自体には、われわれとしても反対するものでないという学内の意向表明が重ねて行なわれ、文部大臣へもそういう説明が書面で出された次第でございます。
  22. 山崎拓

    ○山崎(拓)委員 答弁を承りますと、宮島学長不信任の問題は、事務的な取り扱いに対する問題であって、この新構想大学のビジョンに対する本質的な異論が発生したということではないようでございます。そのようなことをもってこの東京教育大学の評議会の決定が非民主的であったのではないかという疑問は、私としては成立しないものであるという感じを持つわけでございます。  そこで、この大学の中身につきましていろいろとお伺いをしてみたいと思うのであります。  今日までこの筑波大学構想をめぐりまして、賛否両論が各方面で戦われたわけでございます。私個人のところにもたくさんの関係者が見えまして、それぞれの御意見があったわけでありますが、その中で主たる問題点と申しますか、論議されますところは、研究教育の分離の問題、それと管理運営体制の問題、この二点が主たる論議の集中するところとなっておるように思うわけであります。  そこで、文部大臣にお伺いしたいのでございますが、研究教育の分離に関することでございますが、この研究教育の分離に反対する議論といたしまして、学校教育法を貫く大学の理念というのは研究教育との組織的な統合というものが含まれておる、したがって、本大学研究教育の分離という構想は、今日までの大学の理念と非常に異なった理念が採用されておるのではないか、こういう議論があるわけでございます。この点につきまして文部大臣の所見を承りたいと思います。
  23. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 教育研究一体として行なう、その特色というもの、これは私も評価しているわけでございます。現在は学部内で一体として扱うということでございまして、大学の中に幾つ学部がございますので、学部間の連絡というものは自然かなりできにくくなるわけであります。教育研究学部の中では離しますけれども、同じ大学の中では一体として行なうのであります。それをことさら、教育研究と切り離す、そのことが学問の自由を妨げる、こうおっしゃるわけでありますが、私から言いますと、幾つ学部があるものだから、学部の障壁にはばまれて、必ずしも教育研究もそれぞれ十分な機能を果たし得ていない面が起きているじゃないか。これはまた分離論であります。分離しますけれども、学内においてはいずれも一体として運営をしていくわけでございますから、それはむしろそのことにおけるよさが指摘されてこういう仕組みになってきているということの御理解を賜わりたい、こういうふうに思うわけでございます。
  24. 山崎拓

    ○山崎(拓)委員 もう一つの議論の立て方といたしまして、学群学系と分けるということはすなわち研究教育と切り離すということであるから、研究から切り離された教育というものは、学問体系と無関係の低水準の教育になる、こういう議論の立て方があるわけでございます。この点に  つきましていかがでございましょう。
  25. 木田宏

    木田政府委員 研究教育を、大学内における機能の扱い方として分離するということでございます。大学としては、研究教育一体的に考える、また個々の教官は同じく研究教育もするわけでございます。しかし、個々の教官研究していることと学生に教えることとは、完全にイコールではない。むしい教官研究分野が、先ほど大臣からも御答弁がありましたように、専門分化すればするほど、学生に対する教育システムは、別の角度からもっと教育システムとして考えて教えなければならない。ですから、この東大の「研究教育組織改革問題点」におきましても、はっきりとそのことを指摘しておるわけでございます。「大学一般課程の教育を、専門分野ごとの学部に分割されない総合的なカレッジにおいて行なうことによって、知的創造性と自主的かつ総合的判断力のある人格の形成という大学一般課程の教育中心的な課題に、積極的に」こたえようとするという改革案を考える、これは結局教官研究組織とは別のものにならざるを得ないということでございます。しかし、それは決して教育を低下させるものではなくて、学生によりよい教育を与えるための教育のカリキュラムをつくるということでございます。教官研究は、研究の要請から、どういうふうにチームをつくって研究を進めたらいいか、どういう分野を取り扱えばいいかということでございまして、やはり教育研究というものが、どうしてもよりよく教育を考え、よりよい研究を考える場合に分化しなければならないという必然性を持っておると思います。  同じく引用いたしますが、「教官組織の分類は学生の所属の分類とは必ずしも一対一に対応しないので、実際上も大学一般課程の教育組織教官組織と一応別個に構成される必要が生ずる。」大学のいまかかえているいろんな教育問題を真剣にお取り組みになれば、どこの大学でも同じように出てくる課題だ、東大改革案はまさにそのことをいっている。よりいい教育をするために教育システムを考えて、より充実した研究をするために研究システムを考える。ですから、機能としては分離をいたしますが、大学としては全体、教育研究一体であり、また個々の教官研究をみずから行ない、みずから教育を行なうということで、決して別々のものではないわけでございます。その点の誤解はぜひ解いていただきたいというふうに考える次第でございます。
  26. 山崎拓

    ○山崎(拓)委員 ただいま局長の答弁の中で指摘されました教育システムの問題あるいはカリキュラムの問題でございますが、大学教員教育の内容を決定する権限を持たなければならない。そのことが大学自治の一つの重要な要素であるということがいわれておりますが、そこで、この研究教育の分離ということと、それからカリキュラムの編成の問題は、どういうふうな関連がございますか。
  27. 木田宏

    木田政府委員 筑波におきましては、第一学群におきまして、これは基礎学群と仮称をしておるわけでございますが、人文、社会、自然の三系列にわたってそれぞれ専攻を立てながら、全体としての幅広い教育が可能なように学群構成しておるわけでございます。このカリキュラムを関係者といま盛んに詰めに入っている段階でございますけれども、それぞれの専門教官が、専門分野別に所属しております学生、この講義を聞く必要な学生数に対応いたしまして、また教官の各学群に対する講義の分担というものがきまってくるわけでございます。  学群には一応予定されました教官が配置されて、それらの教官がこの波筑大学の趣旨に即したカリキュラムを組み上げ、そのカリキュラムに即してまた具体的な個々の教官の科目別の担当というものをきめていく。したがいまして人文、社会、自然のそれぞれの学類におきまして、教育システムとして十分カリキュラムの脈絡のある体系をつくり上げて、その理解を各教官全員に得ながら、それぞれの部分を一番適切な専門教官に担当してもらう、こういう仕組みでカリキュラムを考えていきたいというふうに考える次第でございます。  また、研究の問題は、別途系列別の教官会議あるいは大きな研究課題中心にいたしました各専門分野からの教官の集まりによって論議する、こういうやり方になっておる次第でございます。
  28. 山崎拓

    ○山崎(拓)委員 次に、管理運営体制の重要な改革点につきまして少しずつ承ってまいりたいと思います。  まず、副学長の制度でございますが、今日まで教授会を中心といたしますいわゆる学部の自治が、学問の自由を守るとりでになってきたんだということを言う人があるわけでございますが、この副学長の制度というものは、それに逆行するのではないか、それを妨げるものではないかという議論につきまして、どうお考えになりましょうか。
  29. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 今日大学は、たいへん巨大なものになっております。その巨大な大学をまとめていくのに、学長一人ではとてもまとめ切れるものではないと思うわけでございます。現在はしいて求めれば、学部の長が学長を補佐している、こう考えるわけでございますけれども、学部の長はまた学部教授会で足を引っぱられてしまっておるわけでございますので、全学的な立場において学長を補佐することはきわめて困難な立場に置かれておる、こう考えるわけでございます。  そうしますと、やはり大学人全体の意思に基づいて、学部に足をとられないで学長を補佐するような機関をつくるべきじゃないか、こう考えられるわけでございます。それが副学長であると思います。したがいまして、副学長は評議会の定める基準によって学長が選ぶわけでございます。それぞれの先生方の意向が評議会の定める基準、その中には入っている、こう考えるわけでございまして、学長が専断をするわけではない。しかし、その副学長は、いままでのような学部長とは違って、全学的な立場で学長を補佐できるようにはなっていなければならない、こう考えるわけでございます。
  30. 山崎拓

    ○山崎(拓)委員 この副学長の選任の問題でございますが、これは学長が副学長を任命するのではなくして、学長の推薦により文部大臣が任命するということになっておると思うのでありますが、この任命の方法が非常に不明確ではないかという議論がございますので、この副学長の任命の方法につきましてちょっと御説明いただきたいと思います。
  31. 木田宏

    木田政府委員 副学長の任命は、御提案申し上げておりますこの法律案によりまして評議会が選考基準をきめまして、評議会の定めた選考基準に基づいて学長が選考をいたしまして文部大臣に上申をする。文部大臣は学長の申し出に基づいて発令をする。こういう手順になっておる次第でございます。
  32. 山崎拓

    ○山崎(拓)委員 ただいまの点でございますが、文部大臣が学長の申し出に基づいて任命するのではなくて、申し出を受けて高い識見を有する者を任命するという点が問題だという議論をする人があるわけでありまして、この点について正確なお答えをいただきたい。  すなわち、学長の申し出に基づいてではなく、申し出を受けてというところがはたして問題なのかどうか。それから高い識見を持っておるかどうかということについて、はたしてだれが判定するのかというような点について、文部省の御所見を伺います。
  33. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 副学長も学長も、いずれも申し出に基づきまして文部大臣が任命するわけであります。学長の選任は筑波大学につきましてもほかの大学も全く同じでございます。副学長もまた同じ仕組みをとっておるわけであります。申し出に基づいてでございますので、大学設置の趣旨に反するような特段のことがない限りは、そのまま適不適の判断を加えないで任命してまいりましたし、またそうすべきだと考えているわけであります。「申出を受けて」、こう書いてありますのは、参与会の委員、参与についてでございます。これは、学長や副学長は大学の申し出どおりするのですよという性格をより明らかにするためには、参与の場合には若干ニュアンスを変えたほうがいいだろうという考え方に基づくだけのことでございまして、これにつきましても大学の申し出を受けてそのまま命じていけばよろしいという心組みでおるわけでございます。学長や副学長の権威を高からしめるという意味において参与のほうの表現を変えている、こう御理解いただきたい、かように考えるわけでございます。  いずれにいたしましても学長、副学長、これは評議会の定める基準でございますから、評議会がどういうような範囲についてどの程度の員数、それをどういうところから選べというようなことが、大学意思できまってくるわけでございますので、大学意思を離れて文部省が独断をそこに加えていく、あるいはそれを強制するという余地はないわけでございます。
  34. 山崎拓

    ○山崎(拓)委員 参与会の問題でございますが、この参与会につきましては、これは開かれた大学一つの機能となるわけでございましょうが、ためにする議論によりますと、実質的には大資本の利益を代弁する者が選任されるであろう、こういうことでございまして、この参与会のメンバーの選任にあたりまして、文部省はどういう基準をもってなされるか、その点について御意見を伺いたいと思います。
  35. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 「参考会は、参与若干人で組織し、参与は、筑波大学の職員以外の者で、大学に関し広くかつ高い識見を有する者のうちから、学長の申出を受けて文部大臣が任命する。」こう示しておるわけでございまして、あくまでも学長の申し出を受けて任命するというように考えておるわけでございます。  この参与会を設けたいという東京教育大学の構想の中には、やはり社会の動向を大学人として無視すべきものではない、そういう動向を察知しやすいような仕組み、それが必要だということで、こういうことを考えておられるわけでございます。その場合には地元の代表者、これも参与に受け入れようじゃないか、そして大学の体育施設なりあるいは学生会館なり、そういうものを地元の使用にもひとつゆだねようじゃないか、そして地元と一体になって大学の運営をはかっていく、そういう仕組みが必要だ、こんな考え方も持っておられるようでございます。あるいはまた同窓会の代表を加えたり、卒業生が社会に出てから自分大学を見直してみる、やはりこう改めるべきだ、こういうことをすべきだという意見もあるだろう、こういう気持ちのようでございます。あるいは他の大学関係者も迎え入れようじゃないか、そういうことによって、いろいろな批判も受けやすい、こういう気持ちなどもあるようでございます。私はたいへんけっこうな考え方だと思いますし、そういうようなことで大学から、学長から申し出ていただけば、これをそのまま任命していくのだ、こう考えておるわけでございます。
  36. 山崎拓

    ○山崎(拓)委員 この参与会の構想は非常に大切な構想でございまして、今日までの大学大学内部の方々の考え、あるいは知識、感覚等によってのみ運営されてきたというところに大きな問題点があるわけでございまして、そういう閉鎖性というものが、まあ象牙の塔という表現によってあらわされてきておったわけでございますので、非常に期待される仕組みであると思うのであります。でありますからこそ、この参与会のメンバーの選任につきましては、十分御注意、御留意をいただきまして、この参与会から一部の人が言うような体制批判的な研究を締め出すような圧力が加えられるのだというようなことは決してないのだということを、実証していただきますように、御配慮をしていただきたいと思うわけであります。  次に、人事委員会制度でございますが、教員人事につきまして、当該分野の教員自身の手から教員人事権を奪ってしまうということは、学問の自由を根本から破壊することにつながる、こういうこの人事委員会制度に対する批判があるわけでございますが、この点につきましていかがでございましょうか。
  37. 木田宏

    木田政府委員 先ほど来御説明申し上げましたように、大学基本的な組織教育組織研究組織というふうにそれぞれ分かれてまいります。従来のように学部学科という単位での縦に並んだ組織になっておりません。したがいまして、教官の新たな補充、採用等を考えます場合に、いずれにいたしましても学群の系列からの要請、それから学系研究上の系列からの要請というものがそれぞれの立場から起こってくるわけでございます。その際に、人事委員会には、それぞれ要請のあります教官専門分野につきまして、専門委員会構成をいたします。その専門委員会によって学群の要請、学系の要請等を勘案いたしながら、いい教官を選考していただくということになります。でございますから、その専門教官を選考をするグループはやはり一番専門に明るい人たち構成される。しかも、全学的に構成されるということになるわけでございまして、現在行なわれておりますシステムと実質的にそれほど大きな違いが起ころうとは思いません。現在でも学部教官人事をきめるといいましても、学部も広いわけでございまするから、学科講座の欠員につきましては、その専門領域教官が当たるわけでございます。ただ、現在では学部というワクがありますために、専門領域が他の学部に近い人たちがおられましても、参画することが少ない。むしろ今回の場合には、全学的に専門のことに明るい人たち人事委員会専門委員会として設けられることによって、より適切な人事の選考が行なわれるというふうに考えておる次第でございますから、現在のやっておることをよりよく行なうための人事委員会システムである、このように考える次第でございまして、教官の選考の自主性というものを専門人たちの手で進めていくという基本線においては一つも違うところはない次第でございます。
  38. 山崎拓

    ○山崎(拓)委員 この管理運営の問題の中で非常に大きく取り上げられておりますのが、学生大学自治に対する参加の問題でございます。この今度の構想の中では、学生自治会の位置づけというものはないように思われるわけでございますが、正当な自治会活動を認められるのか認められないのか、その点についてお答えを願いたいと思います。
  39. 木田宏

    木田政府委員 筑波大学におきましても、学生の自主的な活動というものが当然行なわれ得るべきものであり、またそうした学生意見というものを、学生教育の面で、あるいはまた学生の生活の面で、十分に受け入れていくということは当然のことと考える次第でございます。
  40. 山崎拓

    ○山崎(拓)委員 学生大学の財政について、あるいは人事等の決定について参加をすることが妥当であるかどうか、私は妥当でないと考えておる者の一人でございますが、文部省の御意見をお伺いしたいと思うのです。
  41. 木田宏

    木田政府委員 学生は、やはり何と申しましても大学学問研究の被教育者というとおかしゅうございますが、みずから勉強するにいたしましても、未熟な者として教えてもらう立場でございます。でございますから、この教えてもらう立場のいわば知識経験の未成熟な人が、しかもまた、大学に長期に責任をもって滞在するという立場ではございません、やはり大学の提供いたします教育研究の場の恩典にあずかると申しますか、そういう立場自分が研さんをしておる修業中の人たちでございますから、その両面から考えてみましても、これを大学基本となる構成あるいはその運営に責任をもって参画をするということは、適当ではないというふうに考える次第でございます。  また、中央教育審議会その他の御答申におきましても、明確にその方向は示唆されております。諸外国におきまして、一部、学生が評議会、理事会等に参画をするという例もないわけではございません。ないわけではございませんが、それらの大学におきましては社会的な基盤がかなり違っておりまして、学生参加の前に一般の市民参加ということが評議会、理事会に幅広く行なわれておるわけでございます。そういう市民参加の一部として取り入れられた学生参加の事例もございますけれども、最近の学生紛争過程でそのような動きが一部に出てきておりますが、その成果はやはり今後注意して見守っておかなければならないのであって、いまにわかにまねすべきものではない、このように考える次第でございます。
  42. 山崎拓

    ○山崎(拓)委員 市民参加のお話が出ましたので、開かれた大学という観点に戻りますが、筑波大学が持つ開かれた大学としての特性は、参与会において学外の方が参加をして意見を具申することができるというところにだけあるのかどうか。たとえば筑波研究学園都市との関連あるいは学問、と研究上の交流その他についてどういう特性があるのか、教えていただきたいと思います。   〔委員長退席、西岡委員長代理着席〕
  43. 木田宏

    木田政府委員 筑波大学におきましては、教育研究の活動の中に広く参加を求めるという考え方を持っていきたいというのが関係者考え方でございます。  教育につきましては、大学院の課程、修士の課程を、いままでと違った意味で、市民社会の中におきます指導役割りを持っておる人たち、あるいはすでに専門領域についての経験を持っておる方々が、それをさらに高めるための課程として修士の課程を考えてみたい。そこには学部学生からまっすぐ上がってくる学生だけでなくて、社会の中の人を迎え入れる、そして意義の高い教育を修士の課程で考えてみたい、こういう考え方もあるわけでございます。  また、キャンパスの施設を、体育の施設等も、ちょうどあの筑波地区の住宅団地に一番近いところに設けておきまして、大学の施設が市民の体育施設としても使えるようなくふうというものを、配置上も考えておりますし、運営上も考えていきたいというふうに思っております。   〔西岡委員長代理退席、委員長着席〕  また同時に、こうした市民が参加できるような大学開放活動と申しますか、社会教育的な大学開放講座等も活発に持つという試みを持っておる次第でございます。そして研究の面におきましては、幸いにも筑波研究機関が四十数機関集まるわけでございます。こういう研究機関との必要な研究上のタイアップということも当然考えていく心づもりをしているわけでございまして、研究面におきます研究機関との協力、教育面におきます地域社会に対するサービス的な活動、あるいは大学院の教育の中におきますそうした開放ということを筑波の地では考える。さらに国際的にも、学問研究あるいは学生の交流の場になるようにということを考えて、必要な施設その他を整備してまいりたいというのが関係者の強い希望でございますから、教育研究の全面にわたりまして、開かれた大学という趣旨を実現するように考えてまいりたいと思っておるところでございます。
  44. 山崎拓

    ○山崎(拓)委員 波筑大学が従来の大学と違いまして、大学の環境自体が非常によくなるんだということが期待されるわけでございますが、たとえば大学教官の生活の環境、あるいは大学研究の施設あるいは環境、そういったものがやはり著しく改善を見るということが、こういった新しい大学の構想が打ち出される際に一つの必要な条件になってくると私は思うのでありますが、その点についてはどういう配慮がなされておりますか。
  45. 木田宏

    木田政府委員 二百四十五ヘクタールという広大な地域と、またそれを取り巻く筑波の恵まれた自然環境の中に、一番その環境を生かした教育研究の施設をつくりたいということで、関係者が数年来知恵を集めて仕事を進めておるわけでございますが、それだけに学生教官の生活環境につきましても、十分に留意をしてまいりたいというふうに思っております。  生活基盤が十分に整いませんことには、あの御案内のような土地に大学の施設だけができましても、教育研究活動が円滑に行なわれることにはなりません。まず生活基盤の充実ということを第一に考えまして、学生につきましては、学生数の六割を目途に学生の宿舎を整備してまいりたいというふうに考えます。またおいおい都市も形成されることでございましょうけれども、単なる宿舎だけでなくて、生活関連施設というものを整備していくという計画でいま仕事を進めておるわけでございます。教官の住宅等につきましても、いままで公務員宿舎の建て方その他につきまして一部御批判があるような点もございますが、これらは今後そうした御指摘を受けてさらに改善、いいものをつくっていく、こういう考え方関係者が取り組んでおる次第でございます。
  46. 山崎拓

    ○山崎(拓)委員 先ほど松永委員から御質問が出ておったところでございますが、この筑波大学改正法案の中に、学校教育法等の一般的規定の改正が含まれておるわけでございまして、学部にかわる研究教育組織、副学長制、医学教育の六年一貫化、こういった大学制度の弾力化が今度の改正点になっておる。したがって、このことによってこの筑波大学方式を他の大学に誘導する道を開いておるのではないかということで、これについては各大学の自主性を重んずべきではないかという先ほどの松永委員の御質問であったと思うのであります。  私それに関連してお伺いしたいのですが、この筑波大学が誕生いたしまして、その成果を妥当に評価できる時間というのは、大体どのくらいの年月を考えておったらいいかという点でございますが、いかがでございましょう。
  47. 木田宏

    木田政府委員 事柄にもよりけりではないかというふうに考えるものでございます。実は四十八年度の予算であったかと思いますが、長崎大学の水産学部が、従来四学科構成でございましたものを水産学科学科ということに変えたのでございます。そのことによりまして学部内の教育研究取り扱いがかなり違って、そして水産学部としてねらっておったことがやりやすくなったというようなお話も耳にすでにしておるものでございますから、事柄によりましては関係者が運営上利便を感ずるということはかなり早く出てくる面もあろうかと思います。しかし、また事柄によりましては、学生も四カ年充実し、さらに大学院の関係も整備して、その間やはり年月とともに、運営の間に新しい方法が積み上げられていくということであろうかと思いまするから、やはり一般的には相当期間見た上でなければほんとうの成果というものは出てこないのではなかろうかというふうにも考えておる次第でございます。
  48. 山崎拓

    ○山崎(拓)委員 質疑を重ねてまいりまして、私といたしましてはこの法案につきまして十分理解を深めたわけでございますので、これをもって質疑を終わりますが、大学紛争が非常に盛んであった時期からすでに数年を経て、まあ何ら——といってはあれでございますが、大学改革というものはまだ手がつけられてない状態である。いわゆる昭和四十四年八月の大学立法は対症療法にすぎなかったわけでございまして、対因療法というものはいまだ行なわれていないわけでございます。そういうわけでございますから、私の地元の九州大学におきましても、大学移転の問題が真剣に検討されておるわけでございますが、そういう個々の大学につきまして、今後ともこの移転というような物理的な改革の時点をとらえて、大学あり方についてなお別途の方式を検討されるというような構想がおありかどうか、最後に承りたい。
  49. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 筑波大学方式法律の上で確定いたしますと、多くの大学に対しまして一つの刺激になっていくのじゃないか、こう思うわけでございます。先般、広島大学移転の問題があるわけでございますけれども、移転に際してりっぱな大学運営が行なわれるように真剣に改革案を考えていきたいというようなことを言っておられました。私たちは、やはりそういうような機運を心から期待いたしておるわけでございまして、大学がみずからの責任を感じていただく。いまの姿、あれで責任を持ってもらっておるのだろうかという疑問を感ずるようなこともしばしばございます。責任を持ってもらえるような体制にもっと強く進めていきたい、これが一つの機縁になるのではないか、こんな期待を深く抱いておるものでございます。
  50. 田中正巳

    田中委員長 藤波孝生君。
  51. 藤波孝生

    ○藤波委員 筑波大学法案について二、三お伺いをいたしたいと思いますが、できる限り時間をかけて慎重に審議を進め、かつすみやかに可決成立をはかりたいというのが私の気持ちでございます。そういう意味で慎重に審議を進めますために、私なりに二、三お伺いをいたしたいと思うわけでございます。  最初に、今回の国立学校設置法等の一部改正の、いわゆる筑波大学法案がまとまりますまでに、東京教育大学がどのような役割りを果たしてこの最終の法案まとめに携わってきたか、事務的でけっこうでございますから、局長からお答えをいただきたいと思います。
  52. 木田宏

    木田政府委員 もともとの発端は、昭和三十七年九月に東京教育大学が適地を得て移転したいということをきめたところから今回の問題が進み始めたのでございますが、その間四十二年の六月になりまして、筑波に土地を希望し、総合大学として発展することを期したいという考え方をその時点で持ったわけでございます。東京教育大学は、その後総合大学としての構想をマスタープラン委員会を持って検討を進められてまいりました。その内容が昭和四十四年の七月に評議会の決定として出たわけでございまして、「筑波における新大学のビジョンの実現を期して筑波移転する」という評議会決定にこのビジョンの内容が出てきたわけであります。  その内容はかなり思い切った大学改革の構想でございまして、文部省もその東京教育大学の新たなビジョンを実現いたしますためには東京教育大学関係者だけでなくて、幅広く新大学の問題を関係者で検討してもらう必要があろうというところから、昭和四十四年の十一月でございますが、文部省筑波大学創設準備調査会を設置いたしまして、文部省としてもまた検討を開始したのでございます。東京教育大学はその後引き続き検討を進められまして、四十六年の六月に評議会で「筑波大学に関する基本計画案」を策定されました。文部省におきましてはまたそれを受けまして、筑波大学創設準備調査会がその東京教育大学意見を勘案の上で、「筑波大学あり方について」という報告書文部大臣に提出されたのでございます。  その後、文部省におきましては、東京教育大学のこの新大学計画というものを実現いたしますために、あらためて筑波大学創設準備会を設けまして、さらに東京教育大学関係者と緊密な連携のもとにその意図を達成させるための準備、検討を進めまして今日に至ったわけでございまして、発足の経緯から約十年余にわたりますけれども、東京教育大学が新たな地に移転し、その発展を期したいという中身が、十年間の過程で御提案申し上げているような中身のものにまとまってきた、こういう次第でございます。
  53. 藤波孝生

    ○藤波委員 最初に、いまお話しの、最初に東京教育大学筑波における大学のビジョン、あり方の原案をまとめられて以来、非常に長い歳月を経てきているわけでありますが、途中から文部省筑波大学の準備室をつくって東京教育大学意見を聞きながら最終の案がまとめられた、こんなふうに私理解するわけでありますが、ほとんど骨子は初めの東京教育大学自身が御提示になったビジョンと今日の案と変わっていないか、変わっているところがあるとすればどういうところであったか、お伺いをいたしたい。
  54. 大崎仁

    ○大崎説明員 四十四年のビジョンと申しますものは、基本的には現在御審議をいただいておりますものの原型が出ておるわけでございますが、こまかい点につきまして若干の相違がございます。  まず、名称でございますが、当時、現在学群と申しておりますものにつきまして、これをカレッジ制をとるというような表現をいたしておりまして、十二のカレッジをつくるというような表現でございます。それから現在学系としておりますものについては、大学院の課程の中の細分ということで、大学院の課程の細分に教員がすべて所属をする。その上で研究に従事し、あるいはそのカレッジの教育に従事するというような考え方をとっておったというのが違っております一つの点でございます。その他、参与会の構想につきましては、理事会という形で設けたい。それでそこに市民、卒業生それから評議員から選ばれた者というような構成で参りたいというような点がございます。それから人事委員会につきましては、評議会の下部組織として置きたいというようなことで、細部をあげますと、その後の審議の結果改められた点が幾つかございますが、基本的な考え方でございます学部段階の教育と、それから研究上の組織を分けるという考え方、それから副学長を置いて学長を補佐するという考え方、あるいは人事委員会というもので教官人事を行なうというような考え方基本的な考え方はすべてそのビジョンの段階で出ておると申してよろしいのではないかと思います。
  55. 藤波孝生

    ○藤波委員 念を押して申し上げると、今回の筑波大学法案なるものは、東京教育大学が自主的にビジョンを打ち出して、それを事務的に文部省が受け取って、さらに各界の意見を求めて法案としてまとめた、このように考えていいですね。
  56. 木田宏

    木田政府委員 そのとおりでございます。
  57. 藤波孝生

    ○藤波委員 いまの段階で東京教育大学の教職員のうち、この筑波大学法案に賛成をしておる者、反対をしておる者のパーセンテージはどのように把握をしておりますか。
  58. 木田宏

    木田政府委員 現在の段階では終始文学部が不参加で反対ということでございまして、それ以外の学部研究所はこの内容をもり立ててきたということでございます。  教官一人一人に分解してどのくらいの割合になるかという点につきましては、最近のそうしたことについて材料も聞いておりませんのでお答えをいたしかねますが、文学部以外の学部におきましても、若干それは御反対の御意見をお持ちの教官がおられることはおられるだろうというふうに思います。しかし、学部全体としてこの筑波大学のビジョンのもとに、先ほども申し上げましたが、マスタープラン委員会に参画した教官は、文学部の賛成の教官の方も含めまして延べ六百五十人にものぼっておりますし、教官の大半、実員で二百四十名の方々がこの作業に携わり、約千回にのぼる会議を重ねてこられたわけでございますから、基本的には東京教育大学教官の大多数がこの案をもり立ててこられた、こう考えてよろしいのではないかと思います。
  59. 藤波孝生

    ○藤波委員 東京教育大学自身が自主的に正式に評議会で決定をし、ビジョンを打ち出し、各界の非常な協力を求めて今日の段階を迎えておるわけでありますから、最終的に筑波大学が完了いたしますまでに、すべての教職員が今回の企てに快く賛成ができるような、さらに一そうの努力を文部省は払うべきである、このように考えますので、ぜひお願いをいたしておきたいと思います。  それから、学園紛争中心になって、大学あり方仕組み等に、従来の閉鎖的な学部だけを柱としてやってきたあり方に反省が加えられておる、こういうことについては、いろいろ審議が重ねられてきておる過程で明らかにせられてきたわけでございます。  一九六〇年代後半に、世界の国々が大学紛争の洗礼を受けて、単に日本だけではなしに、世界の国々で大学改革のいろいろな計画が打ち出され、実行されてきておるわけでございます。特に、新構想の大学が次々と建設をせられ、すでに発足をいたしております。  昭和四十四年であったと記憶をいたしますが、なくなられた八木徹雄先生を団長にして、私ども自由民主党からも新構想大学の調査団がアメリカ、イギリスに渡って、今日政務次官として活躍をしております河野君やあるいは西岡理事等と一緒に、私も各大学を見て回ってきたことを非常に楽しく経験してきておりますが、その中で特にアメリカのクラスター制度にその当時非常に関心を持ちまして、ぜひこれを日本の大学に取り入れたい、こう考えて、私どもいろいろな検討を重ねてきたわけでございます。それを実は今度の筑波大学法案とどのように重なり合わせたらいいのか、そういった検討をまだ私どもようしないでおりますけれども、クラスター制度と比較をいたしまして、今度の筑波大学仕組みを御説明をいただけたらたいへんありがたいと思いますので、お願いをいたします。
  60. 木田宏

    木田政府委員 御存じのように、大学規模の拡大に走りました結果、学生教育指導が適切に行なえないというようなことから、アメリカにおきましては、ある一定規模のかたまりに、学生二千数百名程度が適当な規模だという考え方があるようでございますけれども、幾つかの専門分野学生を受け入れて、それを教育一つのかたまりにして、そのかたまりをふさのように集めてまいりまして、大学教育運営の全体を適切ならしめるというのがクラスターカレッジの考え方だと思います。  同時にまた、あまりこまかい専門分野専門のことだけ教育するのではなくて、一つのクラスターの中では違った専門学生たちが寄り集まって一つ学群、群をなす、そうした考え方を——実はこの学群ということばの中に関係者はその気持ちを実現しようと考えたのでございまして、今回筑波大学で第一学群、第二学群、第三学群と申しております、あるいは医学専門学群、体育専門学群というふうに申しておりますが、これは一つ一つをやはり教育システムとしてあるまとまったかたまりにして、その中で適切な指導が行なわれるような、そういう教育制度として考えられるわけでございますから、クラスターカレッジで考えております教育の理念というものを筑波で実現しようというふうに御理解いただいて間違いではないのではないかというふうに思う次第でございます。  学群といっておりますのは、一つ学群の中に幾つかの専門分野が群として集まって、教育システムとして総合的な一つのものになっておる、これがやはりアメリカで考えられたクラスターと似た考え方であるという次第でございます。専門学群はその意味ではそれぞれの専門ということを持っておりますために、学群というような趣旨では多少違うわけでございますけれども、しかし、それらを教育システムとしては適切な規模で固めていく。筑波の場合に第一学群が一学年四百名でございますから、千六百名の学生教育システムというものを一つのかたまりにして、そして教育上の体制を、施設の面でもあるいは教室の面でもそこでまとまりがつくような構成にしたい、これはやはりいま御指摘がございましたクラスターカレッジのいいところを取り入れようという趣意でございます。
  61. 藤波孝生

    ○藤波委員 考え方はいま承って、クラスター制度のいいところを筑波大学の中に取り入れる、こういう御説明でございましたが、アメリカやイギリスの新しい大学、新構想の大学のねらいとしておるものは、非常に大きな規模キャンパス、特にそれが自然環境に恵まれた大きなキャンパスの中に、学生あるいは教官が生活をしっかりそこに根ざして、教官住宅があり、そのそばに学生の寄宿舎があり、そのまん中に大学の会館があり、売店があり、あるいは音楽堂があり運動場がある、そういうふうに、やはり単に概念的にブドウのふさになるのではなしに、そこで生活をする、その生活の中で新しい学問を築き上げていく、開いていくというかまえがあると思うのですね。  それと比較をしますと、筑波大学の場合は、概念的には学群という形の中にクラスター制度が取り入れられておるようでありますけれども、どうもいま私どもがこう承っておる感じでは、大きな大学会館がまん中にあって、それはいいですけれども、何か学群ごとのブドウのふさではなしに、全体を概念的にそういうふうにとらえるだけで、どうも生活というのがそこに根ざさないのではないかというような感じ、設計書を見ながら話をすれば一番わかると思うのですけれども、そういうものが何かもう一つ学生なり教官なりを落ちつかないものにするのではないかということを心配をいたしますけれども、どうせこれだけのものをやるなら、気がねなしに、そこまでぴしっと新しいものを打ち出していって、筑波へ行ったらもう全部全国の学生教官が、この方式でなければならぬのだと言うような理想的なものをつくってもらうのが、これからの日本の教育改革の先がけとしての筑波大学をつくっていく上で非常に大事なのではないか、こんなふうに考えるのでございますが、どうも中途はんぱになるのではないかという心配を持ってお伺いをいたしておりますので、さらに親切な御説明をいただきたいと思います。
  62. 木田宏

    木田政府委員 いま御指摘のように、アメリカのクラスターは、クラスターの中に学生の生活自体があるではないかという御指摘がございまして、それと対比いたしますと、筑波につくっております第一学群、第二学群は、教育の施設としては第一学群でまとまりがあり、それに研究の施設も学系の施設も第一学群関係の深い研究施設を第一学群の近くに配置するというような、教育研究の上でのクラスターというものが一応基本になっておりますが、生活そのものを各学群の施設の中に持ち込んでおるというところまではいっておりません。しかしながら、この二百四十五ヘクタールの大きな地域でございまするから、学生の生活施設もこの中で主として三地域に分けまして配置を予定いたしております。また、これは今後日本の学生大学における生活意識がどう定着するかということも関連するものでございますから、全員をこの敷地内の学寮に収容するという考え方はとっておりませんけれども、いままでの大学と違いまして、地域の居住施設も必ずしも十分というわけではございませんから、六割を目途にこの三カ所の学寮、生活関係施設というものをつくろうというふうに思っております。大学会館はその中心的なところに共通の生活施設として持っていくという考え方でございまして、在来の大学考え方からいたしますと、かなり学生の生活と教育面というものが近づいた形で建設されることになっておりますし、私どももそれで進めてまいりたいというふうに思う次第でございます。  しかし、一面長い間の日本の学生のものの考え方、下宿のほうがいいという学生も出てまいりましょうし、それから日本のいままでの学寮のあり方等の経験からしまして全部をという考え方はこの際必ずしも適切でないというようなことから、地域の都市の発展と見合ってでございますが、今後の生活問題をキャンパスの中だけでなくて、外との地域の関連で考えていくという計画の立て方になっておる次第でございまして、御指摘の点は、今後の運営上の実績を見た上で、さらに改善、くふうを加えたい、こう思う次第でございます。
  63. 藤波孝生

    ○藤波委員 くしくも衆議院の本会議大臣提案理由説明に対する同僚森君の質問の中にもありましたように、まさに教官が、きょうはすき焼きをするから夜遊びに来いよという雰囲気がアメリカの新構想大学にはある、イギリスにはある。それはもう学生教官でなしに、研究者学生でなしに、こん然一体となって一緒に生活をして、そして新しい学問の世界を開拓をしていくという空気がみなぎっておると私どもは見てきたわけでございます。ぜひひとつそういうふうな形をつくっていただく。同時に、仏をつくって魂も入れていただいて、そういったものこそ新しい構想の大学の一番大事な姿なんだということをぜひひとつ今後積極的に文部省が御指導いただくようにお願いを申し上げておきたいと思います。  いま日本の国に、日本の国始まって初めて意図的に一つの都市ができようとしておるわけでございます。これはまさに日本の国始まって初めてと言っていいと思います。一つ目的のために新しい都市が生まれるという、人口二十万を数える筑波研究学園都市が生まれようとしておるわけでございます。筑波大学は、その中心的な役割りを果たすという一つの大きな意味を持って東京教育大学移転をしていくわけでございます。その中で、できる限り二十万市民といいますか、四十をこえる研究所研究員などをもいろいろな形で吸い込んでいくことができるような、まさに開かれた大学あり方というものを打ち出していただきたいと思うのであります。これはそこのところを御説明願いたいと言ってもいろいろな角度からとらえ方はあると思いますけれども、まさに開かれた大学としての二十万都市の中での大学役割りといいますか、それをぜひひとつ御説明いただきたいと思うのでございます。
  64. 木田宏

    木田政府委員 筑波の地が、四十数機関にのぼります研究機関中心にした学園都市でございますから、波筑大学がその研究体制を進めます場合に、これらの研究機関と緊密な連携を考えていくということは運営上どうしても心がけておかなければならないことかと思います。また、大学研究者にとりましても、こうした研究機関がたくさん身近にあるということは、大学研究のためにも非常に有意義なことでございますから、その方向で今後の運営というものを考えていく必要があるということは当然でございまして、御指摘の点は今後われわれもつとめてまいりたいと思っております。  また、教育の面におきましては、ちょうど筑波大学筑波学園都市の中心からやや北の部分に膨大な敷地を占めておるわけでありますが、その一番居住地域に近いところに医学の専門学群とそれから体育の専門学群及び広大な体育施設等を配置いたしました。これはやはり筑波の学園都市の市民の人たちが使いやすいということを考えての配置を念頭に置いたわけでありますから、これまた運営上医療機関としての役割りを果たすことはもちろんでありますが、体育の施設もこの地域の関係者に利用できるような運営上のくふうをしていかなければならぬ。関係者も準備の段階でそのことを念頭に置いた論議を進めておられる次第でございます。  もう一つ大学の開放活動でございまして、大学の開放講座等といたしまして、これらの地域の方々が、研究者も市民も大学の必要な講義あるいはエクステンションの特別の講義に参加できるような事業を進めていかなければならない。大学にはそのための体制を置く必要があるということで、これまた計画の中に入れておるわけでございます。  これらの試みは、大学の整備は逐次進めていくという必要があろうかと思っておりますし、もう一つは、これが日本の学園都市としてほんとうにユニークなものでありますだけに、国際的にもつながりのあるような場を、また必要な施設をこの中に将来取り入れるということはぜひ考えてまいりたいというふうに思う次第でございます。
  65. 藤波孝生

    ○藤波委員 学群があり学系がありますけれども、あるいは学群の下に学類があるわけですが、やはり基本講座なのでしょうか。教授といいますか、教官といいますか、教員といいますか、基本講座ということになるのでしょうか。ちょっとおわかりいただけぬでしょうか。単位と言ってもいいかと思います。
  66. 木田宏

    木田政府委員 いままでのいわゆる講座という考え方はとらないことにしようというのが筑波大学考え方でございます。いままでの講座のような、教授一、その下に助教授一、それから専門によって違うわけでございますが、助手が一とか二とかいう縦に一つずつ専攻分野ごとに柱が立ちまして、それでその一講座単位として、いろいろなものごとを考えていくという考え方をとらない。むしろ今日のように教授研究しておることと助教授研究しておることというのが必ずしも縦につながっているというわけではございませんから、それらを改めまして教官組織は幅広い専攻領域を二十六ほどまとめて学系、こう称しておるわけでございます。ここにたとえば社会学系、臨床医学系とか、あるいは物理工学系、物質工学系、化学系、物理学系というその領域に属する教官は、全部そこに大世帯として一緒に所属するという考え方をとります。教育のほうは、教育の専攻がおのずから哲学、史学、考古学というふうにきまってまいりますが、その専攻に進みます過程にやはりいままでよりはやや広い基礎の中で人文系の学生教育システムを組み上げ、学生がその中から専門、専攻というものを自分で修めていくということになるわけでございますから、これに必要な教官をどう配置するかというのは、教授助教授を組みにした考え方ではなくて、必要な教官教育の授業時間とか担当する学生数、そういうものに応じて配置していくという考え方にいたしたいと思う次第でございます。  したがって、講座ごとに壁があって、隣の講座と張り合うとか、講座ごとに同じようなものを重複して研究施設、教育設備等を買うとか、こういうふうなむだな、重複した、無用な競争というものはなくすことができるのではないかというふうに考える次第でございます。
  67. 藤波孝生

    ○藤波委員 六日の衆議院科学技術特別委員会で、環境科学技術に関する参考人を招致していろいろ意見を聞いたときに、横浜国立大学の宮脇教授と東京都の公害を担当しておる副主幹の菱田さんというお二人の参考人が、くしくも同じことを言われた。それは、従来の教育あり方、従来の学問あり方、そのいわゆる部分的な合理主義をどれだけ積み上げてみてもだめだ。もう地球はだんだん汚染をしていくし、環境がこんなによごれていくのに、学問というか、科学技術というか、それは全然対応できなくなっている。これはよほど学問の世界のあり方を変えないとこの危機を救うことはできない。それから人間の頭の中も、考え方も、そういった意味でよほど転換をしていかぬとこの危機は救えない。何か、くしくも専門家の二人からそういうお話が出て、私は非常に感銘を受けたのでありますが、世界の各国の大学で、だんだんと社会の要請にこたえて、いわゆるプロジェクトチームをつくって、大規模なというか、特別なというか、研究、非常に大きなテーマの研究、これに取り組むような形になってきておりますね。日本の場合も確かにあるのですね。大学によっては、大学をあげて一つのテーマに取り組んでおる大学もあるし、それから中央官庁などの呼びかけ、行政機関からの要請にこたえて、たとえば瀬戸内海一帯の環境汚染状況の調査ということになると、いろいろな大学の学者が集まってきて、一つプロジェクトチームをつくってやるとか、いろいろな実際の研究のほうではそういった事例は出てきておると思いますけれども、特に教育、またさっき申し上げたクラスターの仕組みの中で、教官学生一体になって、教える者、教えられる者、学生大学の運営に参加するとか、そんなみみっちい話じゃなくて、ほんとうに一体になって新しい学問を開いていく、新しい研究を開いていくという中で、学生がいろいろなことを学び取っていくのであって、みずからも研究に参加するとともに、みずから学び取っていく、そういう生き生きとしたダイナミックな学問あり方というものをこれからの大学はどうしてもつくっていかなければならぬ。それでなければ日本の社会、国家はもたないとさえ私は思います。  そういう意味でぜひプロジェクトチームに相当主眼を置いた筑波大学の運営というものを考えていただきたいと思うのでありますが、さっき私が申し上げた講座単位かと申し上げた意味は、学群、学類、学系というものがあって、それが適当にコンビネートしさえすれば何か機能が生き生きと生きていくだろうなんという安易なものでなしに、国家、社会の要請にこたえて、思い切って大きなテーマに取り組んでいただきたいというような念願を持っておるのですけれども、その辺はどのようにお考えか。  それからもう一つは、そういう際には今度の筑波大学が新しい大学あり方を示すためにも、全国のそれぞれの専門の学者を招聘して、世界の国々からも、森君の質問にもありましたように、まさにノーベル賞受賞の学者をそういうチームの中にどんどん入ってもらって、世界の国々から日本に呼んできて、新しい大きなテーマをめぐって新しい研究を進める、新しい教育を進める、ぜひそういったあり方を示していっていただきたいと思うのでありますが、その辺についての文部省考え方を承らせていただきたいと思います。
  68. 木田宏

    木田政府委員 学問研究が固定化しては、今日の流動的な、いろいろな問題が起こってくる社会研究体制としても適切でないということから、筑波大学におきましては東京教育大学関係者が、現在あります光学研究所という固定の研究所をむしろ廃止をいたしまして、研究は弾力的、流動的に、また総合的な研究は大きなプロジェクトとして五年、あるいはどんなに長くても十年くらいの単位で考えて、また別の問題に取り組めるように、こういう構想で全体の論議をしております。そうして今日筑波におきましては、特別の大規模なプロジェクト研究といたしましては、「加速ビームによる核物性研究」、それから「自然環境と文化に関する研究」、これを幅広く総合的に、いままさに御指摘がございましたような当大学研究者に全国の研究者あるいは海外からの研究者も加えて、充実した研究ができるようにという考え方でおるわけであります。  もう一つ、「国民体力に関する研究」という大型の研究にも取り組むことにしてございまして、前の二つは五十一年度から、「国民体力に関する研究」は五十年度からチームを発足させるようにしたいと考えておる次第でございます。  教育のほうはいま御指摘がございましたが、これからのいろいろな世の中課題というものに対応できる学生というものを考えますと、むしろ大学を卒業後、新たな課題に対応できるポテンシャルを在学中に身につける、基礎的な学問分野の教養を総合的に学ぶ、これが必要であるということから、学群という制度で、第一学群、第二学群、第三学群という幅の広い総合的な教育システムを考えた次第でございます。教育につきましては、学部段階の教育のように、できるだけ最初からこまかい専門で、専門のことだけを知って卒業するというのではなくて、幅広い基礎を学び得るように、もちろん専門学群の体育、芸術、医学は、それぞれの目標をはっきりした教育システムになるわけでございますが、ほかの第一、第二、第三につきましては、対応力を養うような基礎的な教養というものをつちかう、そして大学院に進み、また社会のいろいろな専門領域に進んで、新たな課題に常に対応できるという教育システムをとりたい、こういう考え方でございまして、御指摘の点を筑波大学でぜひ実現するように努力してまいりたいと思っておる次第でございます。
  69. 藤波孝生

    ○藤波委員 最後に、簡単でけっこうでございますが、世界の各国とも、やはり大学というのは、学部中心として管理運営をし、教育研究を進めてきたと思うのですね。大学の問題は、今日、世界の国々では、日本と同じように大学紛争の洗礼を受けて、いろいろな大学改革を進めておりますけれども、学部の姿はどういうことになっておるか。簡単でけっこうでございますから、ちょっと各国の実情を教えていただければ……。
  70. 木田宏

    木田政府委員 学部組織、日本の学部はドイツの大学の流れをくみまして、それぞれ専門領域ごとに学部というものをつくってまいりました。法学、経済等、医学、工学と、御案内のとおりでございます。  ところが、たとえばイギリスにおきまして、ニューセブンといわれますような新しい大学は・そういう従来の専門領域によりますものとは違って、比較研究とか、社会研究とか、幅広い物理化学だとか、あるいはヨーロッパ地域学であるとか、アジア地域の研究学部であるとか、そのような別の観点からの総合的な教育システムというものを取り上げていくということが起こってまいりまして、在来の学部とは別に、いわゆる教育システムとしてのスクールあるいはボード・オブ・スタディーズというような、日本の今回の試みでいえば学群に当たりますようなものを考えておるわけでございます。学生教育システム教官専門分野別の研究体制が、おのずから分かれてくるということになるわけでございます。  また、フランスは、従来の学部講座制が極度に閉鎖的でございまして、これがフランスの大学紛争過程及び一九六八年の高等教育基本法によりまして、大幅な変革を見ることになりました。従来、二十三の大学で約百の学部ということになっておったわけでございますが、これをもう少し学部を小さいものにいたしまして、七百四十三のユニテというものに変える。ユニテは一つ構成単位の中にできるだけ複合的なものを考えたいという意図があるのでございますが、すべてが複合的な教育領域ではございませんで、むしろ、どちらかというと、学科に近いような単位のユニテもたくさんございますが、学部という形ではなくて、もう少し小さい単位に割っていく。ユニテ自体は、教育研究のある程度総合的な単位として考えるという構想をとっておるわけでございます。  ドイツは、ボッフム等の新しい大学におきまして、新しい意味学科あるいは専門学群というものをつくろうとしております。アプタイルングというような呼称で、大学構成をつくりかえて、組織しておる。どの程度今回の筑波に近いかという点になりますと、これはやはり在来のドイツ式のものに近いのではないかという感じはいたしますけれども、しかし、いずれにいたしましても、いままでの大学構成単位を何とか新しい単位に切りかえて、そしておのずからその中に新しい教育研究のしかたを入れ、またそれに基づく管理運営というものを考えていこうという努力は、各大学で行なっております。  アメリカでは、スクール・オブ・エデュケーションとか、カレッジということばがございますように、教育システムとしての必要な単位が比較的早くからつくられておりまして、その教育システムとして、クラスターカレッジ制度というようなものが最近取り上げられて、適正規模で全体的につかまえるということでございますが、結局、要は管理運営だけが出てくるのではなくて、教育研究システムを、どのように今日の時代に適合するものに変えていくかという教育研究の改善の過程が、大学改革の各国の課題だ。その新しい教育システム、新しい研究システムに対応できるような管理体制をどうすればいいかというのが、その研究教育をささえるために出てくる議論かと思うのでございます。  いずれの国におきましても、十九世紀以来続いてまいりましたこの専門分野別の教育研究体制というものを、今日の総合的に一面取り上げなければならない社会環境の中で、新しい大学として改組脱皮の努力をしておるというふうに申し上げられるかと思います。
  71. 藤波孝生

    ○藤波委員 東京教育大学が自主的に機関決定をし、自主的にビジョンを打ち出して、今日の筑波大学法案の骨子を示してからすでに四年の歳月を経てきておるわけでありますが、ビジョンが打ち出されてからでも、それだけの歳月が加わってきておるのです。その間に各界において、筑波方式についてのいろいろな問題が検討され、議論が積み上げられてきたわけでございます。ある日突然、筑波大学法案が出てきたわけではありません。また世界に先がけた方式のようなおっしゃり方をする向きもありますし、それはそんなにあわてなくてもいいじゃないかというような意味で、批判をする意味でおっしゃる向きもありますけれども、すでに世界の国々においては、大学改革の作業は急ピッチで進められておる今日、筑波の新大学方式は、決して新しいものではない。私どもは、そんなふうに理解をいたしておるわけでございます。  この国会で、もしもこの法案が通らないというようなことになったら、日本の教育改革の将来は一体どうなるのであろうか、暗たんたる気持ちで、私どもはこの法案の行くえを見詰めておるわけでございます。どうか、ひとつ委員長におかれましては、積極的に野党の諸君にお働きかけもいただいて、定例日などと言わないで、ひとつ審議の時間を積み上げて、そして一日も早くこの法案が日の目を見て、筑波の一角に新しい日本の教育改革の先がけの仕事が始まる、こういう日のぜひひとつ予定どおり進みますことを念願をいたしまして、私の質問を終わります。
  72. 田中正巳

    田中委員長 この際、暫時休憩いたします。    午後六時十九分休憩      ————◇—————   〔休憩後は会議を開くに至らなかった〕