運営者 Bitlet 姉妹サービス
使い方 FAQ このサイトについて | login

1973-04-18 第71回国会 衆議院 文教委員会 第13号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十八年四月十八日(水曜日)     午前十時三十二分開議  出席委員    委員長 田中 正巳君    理事 内海 英男君 理事 塩崎  潤君    理事 西岡 武夫君 理事 松永  光君    理事 森  喜朗君 理事 木島喜兵衞君    理事 長谷川正三君 理事 山原健二郎君       上田 茂行君    坂田 道太君       染谷  誠君    高見 三郎君       床次 徳二君    中尾  宏君       野中 英二君    林  大幹君       深谷 隆司君    三塚  博君       安田 貴六君    山崎  拓君       小林 信一君    山中 吾郎君       栗田  翠君    有島 重武君       高橋  繁君  出席国務大臣         文 部 大 臣 奥野 誠亮君  出席政府委員         文部政務次官  河野 洋平君         文部大臣官房長 井内慶次郎君         文部大臣官房審         議官      奥田 真丈君         文部省初等中等         教育局長    岩間英太郎君         文部省大学学術         局長      木田  宏君         文部省体育局長 澁谷 敬三君         文部省管理局長 安嶋  彌君         日本ユネスコ国         内委員会事務総         長       西田亀久夫君         文化庁長官   安達 健二君  委員外出席者         文部省大学学術         局教職員養成課         長       阿部 充夫君         厚生省児童家庭         局母子衛生課長 島田  晋君         文教委員会調査         室長      石田 幸男君     ————————————— 委員の異動 四月十七日  辞任         補欠選任   山口 鶴男君     野坂 浩賢君 同日  辞任         補欠選任   野坂 浩賢君     山口 鶴男君     ————————————— 四月十六日  養護教諭全校必置に関する請願金子みつ君  紹介)(第二七三六号)  女子教職員育児休暇法制定に関する請願(長  谷川正三紹介)(第二七三七号)  同(金子みつ紹介)(第二八五一号)  同外一件(長谷川正三紹介)(第二九〇〇  号)  同(山口鶴男紹介)(第二九〇一号)  私学に対する公費助成増額等に関する請願(庄  司幸助紹介)(第二七三八号)  同(庄司幸助紹介)(第二七六八号)  同(庄司幸助紹介)(第二八一一号)  国立学校設置法等の一部を改正する法律案撤回  に関する請願有島重武君紹介)(第二八〇六  号)  学校教育の水準の維持向上のための義務教育諸  学校教育職員人材確保に関する特別措置法  案撤回に関する請願有島重武君紹介)(第二  八〇七号)  大学教職員の増員及び研究、教育条件改善に関  する請願有島重武君紹介)(第二八〇八号)  同(高橋繁紹介)(第二八〇九号)  同(横路孝弘紹介)(第二八一〇号) は本委員会に付託された。     ————————————— 本日の会議に付した案件  教育職員免許法等の一部を改正する法律案(内  閣提出第六七号)  文教行政基本施策に関する件      ————◇—————
  2. 田中正巳

    田中委員長 これより会議を開きます。  教育職員免許法等の一部を改正する法律案を議題といたします。  質疑の申し出がありますので、順次これを許します。小林信一君。
  3. 小林信一

    小林(信)委員 この改正案は、先ほど来お話を聞いておりまして、有能な人材教育界に招致するというような、そういう思いやりもあるし、あるいは教員の不足するものを補うようなそういう意味もあるし、まだ見解をお聞きしていないような状態でありますが、とにかく先生をふやすというようなことが主になっておるような気がいたします。私どもは、従来教員定数をもっとあらゆる角度からふやしていくべきであるということを主張してきた立場から、少し初中局のほうからお伺いをしてまいりたいと思います。  ことに僻地中学校には、免許のない先生が、免許が全然ないわけではなくて、持ってはおりますけれども先生が不足するから、自分の免許外授業をやるような方が非常に多かったように聞いておりますが、その点は解消をしておりますか、まだ十分でないですか。そこからお聞きしてまいりたいと思います。
  4. 岩間英太郎

    岩間政府委員 御案内のとおり、私ども教員定数確保につきまして、過去三回にわたりまして五カ年計画を立てて、充実をはかってきたということでございます。その間に、特に最近の五カ年計画では、僻地学校、小規模の学校につきまして、教員配置を厚くする、そういう方向でまいっているわけでございます。ただいま先生指摘のとおり、なおたとえば小規模学校におきまして、七人くらいの先生配置をいたしましても、必ずしも免許どおりの、一人一人それぞれの免許に応じた授業を担当するというわけにはまいらない場合がございますから、臨時免許といったふうな便法をもちまして、一人の先生が三教科、あるいは多い方になりますと四教科御担任になるというふうな事実がございます。私どもは、たびたび国会でも問題をお取り上げいただきまして、その問題につきましては、これはできるだけ解消していくべきだというふうな方向で進んでまいったことは御承知のとおりでございます。
  5. 小林信一

    小林(信)委員 そういう努力をされておることはわれわれもよく知っておりますが、私の県は山梨県でありますが、たまたま神奈川県と東京都、そして山梨県と隣接するところがあります。そういうところにあります学校等は、文部省のそういう御苦労はありましても十分でない。同じ僻地にありましても、神奈川県や東京都は教員数充足しているが、山梨県は二科目以上の免許を無理してとって、そして教育を可能にしておる、そういう山梨のような県と、十分そういうものを補った県あるいは都があります。そういうところにおりますと、どうしてこういう矛盾があるのかというような、必ずしも教育の機会均等でない情勢を見まして、私どもにたびたび訴えることがあるのです。やはりそういう点は、これは行政責任として一日も早く解消していかなければならない問題だと思いますが、さらに県単とかあるいは町村単という先生がございますね。こういうものはどういうふうに文部省では把握しておるか。その数とか増減の傾向とか、その理由とかというものを、この際、大臣なんかはあるいは御存じないかもしれませんが、ひとつできるだけ詳細にお知らせ願いたいと思います。
  6. 岩間英太郎

    岩間政府委員 ちょっと詳細な資料は手元に持っておりませんので、いま取り寄せまして後ほどお答えいたしたいと思いますけれども、私どものほうは、市町村先生の給与を負担するということは、これは絶対いけないことであるということで、これは解消していく方向でまいっております。現在はほとんどおらないんじゃないかと思いますけれども、御指摘のような事実がございますれば、一日も早く解消するようにしてまいりたいというふうに考えております。  それから県の単独教員負担でございますけれども、私どもが聞いております範囲では、県の単独負担しているものの大部分は教育困難地域、これにつきましては特別に私ども定数上の配慮をいたしておりますけれども、そういうふうな地域におきまして、特に要望があって、県で単独負担をするということが一番大きな原因ではないかというふうに考えております。  それからもう一つは、先生案内のとおり、いま過疎現象が進んでおります。教員定数法上の定数以上の新規採用をその地元事情その他でしなければならない、あるいは勧奨退職の進行がまだ十分でないというような場合があったときに、県で単独で御負担されるというふうな問題がございます。  教育困難地域等につきましては、私どもは正面から何とか取り組んでいかなければならない問題だというふうに考えますけれども、その県のそのときどきの事情と申しますか、そういう問題につきましては、これは県で一時的に単独負担されるということもやむを得ない場合があるのじゃないか。たとえばことしはひのえうまで子供が一時的に減るというような実情の中で、県単独で御負担されるということは、これは県の教育行政円滑化ということから申しますと、私は、私どもから申し上げるのはちょっとどうかと思いますけれども、これは妥当な措置ではないかというふうに考えています。しかしながら、県で単独負担される事情が、これは国のほうで配慮すべき事柄に属している場合には、私どもはそれに対して手当てするという方向で臨みたいという考えでございます。
  7. 小林信一

    小林(信)委員 前のほうは、これは両方とも過疎の問題でありますが、特に国のほうの責任になる問題ですが、県単とかあるいは町村単がないとおっしゃいましたけれども、私の県では現に持っております。これは定数法にのっとれば当然あってはならない数でありますが、しかし、父兄は複々式とか複式というものには必ずしも喜ばないものがあるわけで、何とかして、せめて小学校の一、二年などは複式にしないでそれぞれ独立してやってもらいたいという父兄の切なる要望がある。ところが、県は、教員の数をふやすためには、定数法という制約を受ける。そこで県単というものが生まれてくると思います。これは、国は、そういう法律があるんだから、法律に従っていかなければならないんでということで、やるならやりなさいということでほうってもおけると思いますけれども、しかし、県の立場からすれば、父兄のそうした心情というものを考えれば、やはり県単も置かなければならないということで、順次県単というものがふえていっておるような感が私はするわけです。過疎状態というものが深刻になればなるほど、この県単はふえるし、町村負担教員も出てくるということになると思うのです。私は、そういう事情考えて、金がないじゃない、金はあるといういまの日本の国柄でありますから、もっと教育を重視することは、これは総理大臣文部大臣も国民にりっぱに誓約をしておるのですから、もっと財政的な面に努力をして解消をしていくべきではないか。したがって、定数法改正するような形で、積極的に教員をふやしていく方法を講じなければならぬと思うのです。  そこで、学校統合をいま盛んに奨励をし努力をしておるように私は思いますが、しかし、これも私はある限度へきておると思います。大きい学校で、子供たち条件のいい中で勉強させるという面では、確かに学校統合はいいと思います。しかし、学校統合はかえって過疎事情を深刻化させるようなことにもなり、それから、父兄の最近の経済事情等から考えて、大ぜいの中で教育をされるよりも、その地域特殊事情とかあるいは伝統、文化の中で教育をすることがいいではないか、必ずしも過疎になったからといって学校統合をしなくてもいいんだ、こういうような考え方も、これは一つ教育的理解から私は生まれてきておるような気がいたしますが、そういう事情考えて、私はもっと教員をふやすようにしなければいけない。県単とかあるいは無免許の問題からしても、かねがねそういう点は文部省にも要求をしておったんですが、こういう法案が出るに際しまして、もう一度大臣も御認識を願いたいような気がいたします。  いつかも申し上げたと思うのですが、北海道へ参りまして文教委員会として調査視察をしたことがありますが、新十津川という町へ参りましたときに、学校統合という問題をめぐってそこの町長さんが、もっと別の角度から学校統合問題を考えておられたのに出会いました。これは文教行政をする者も一応は、この町長さんの考え方等を十分検討する必要があったんじゃないかと思ったのですが、簡単に学校統合を、一番繁華な中心地へ持っていって中学校を建てるというようなこと、あるいは小学校をつくるというようなことは、軽率にすべきじゃないので、さもなくても、北海道あたり集落というのがうんと分散しておるのですよ。分散して生業に励んでおるために広い土地を利用することができるわけなんです。したがって、単なる文部省の画一的な指令に従う学校統合じゃなくて、集落の再編成をして、これはどうしても集落をここへ置かなければいけない、そういう形でもってそこに小学校を置く、そして全体の統合した中学校を置くという、集落の再編成町長さんが考えながら文部省学校統合に従っておるという事情を聞きました。だから、したがって学校統合というふうなものも、一つ都市計画とかあるいは過疎の問題を解決をするとかというようなことで考えていかなければならないと思うのですが、残念ながら、いままでの学校統合というものは、何でもいいから学校数を減らせ、先生の数をあまりふやさずに教育効果を上げるというような一方的な考え方できたような気がいたします。そういう点を指摘したり、あるいはいままで日本教育というのはどっちかというと、貧困なるがゆえにそういう慣習というものがわれわれのからだにしみているのですが、最低限度のもので何とか教育を成り立たせようというさもしいものがあったと思うのですけれども、やはり財政的に多少でも豊かになったというならば、こういう文化面にもっと積極的に金を使う意味からして、たとえば特殊学級というものがございますね、一人の先生があればいい、もうこれでいままでやってまいりましたが、その先生がもし事情があって欠席をするような場合には、特殊学級というものはほかの人ではかえることができないわけですよね。だから、たとえ七人でも八人でも特殊学級があって、それを十分に教育しようとするならば、特殊学級を担当する先生というものを複数にしていかなければならない。そういうことは事務職員にもあるいは養護教員にも私は言えると思うのです。せんころ施設の問題で、私そういう意見を申し上げようと思ったのですが、理科の実験室一つあればいい、音楽教室一つあればいい、私はそんなことでは完全な教育をする条件にはならないと思うのですね。生徒数が多ければ、学級数が多ければ、音楽教室が二つとか三つなければ教育が可能でないという場合がたくさんあると思うのですが、そういうふうにもっと発展をした段階教員充足とか施設の整備というものを考えていく段階ではないか。そういう事情考えれば、きょうのこの法律改正は何か逆の方向へ行くような気がしてもおるわけです。  そこで、いまの問題と加えて、かつての文部大臣は、週休二日制を実現いたしますと確かに公約をしたことがあります。あるいは今度の海外視察員ですね。総理大臣は十万人と言って、それから稻葉文部大臣は二万人と言って、だんだん減らされて一万人になった。その場合に私は稻葉文部大臣に言いました。けっこうだ。けっこうだけれども、その先生方が留守にした場合にいかに先生を補充するかということが問題なんで、一万人の海外視察を行なおうとするならば、少なくともその半分ぐらいの先生というものはよけいにふやして、そして視察をしておっても教育には支障がない、そういうことが可能でなければならぬと言ったことがあります。これはちょうど、そんなことを大臣が発表するところに居合わしたものですから、そういうことを言ったのですが、しかし、そういうことも今度の予算を見ますとあまり考慮されておらない。きわめて形式的な補充で行なっていくようであります。あるいはもっと授業効果をあげるために、先生方のいま担当しておる一週何時間という数を、もっと減らして教育効果というものをあげていく必要があるのではないかという現場の先生方の声もあります。そういう面からすれば、この法律よりも先に定数法改正して教員充足をはかるということが急務ではないか、こう思うのですが、初中局長のお考え方と、いま私どもが話し合いをしたことから、文部大臣はどういうふうに受け取っておいでになるか、お聞きしたいと思います。
  8. 岩間英太郎

    岩間政府委員 私どもも、小規模学校定数につきましては、国会でいろいろ意見がございまして、そういう方向定数充足をはかるように、ただいまやっておるような次第でございます。また今後、国会でもいろいろ御示唆がございました場合には、そういう問題を検討しながら新しい定数の問題と取り組んでまいりたいというふうに考えております。  しかし現在、御指摘になりましたように、週休二日制の問題なども出ております。そういう場合には、当然先生にも週休二日ということが適用になると考えられるわけでございます。そういう場合には、先生方担当授業時数も減ってまいることになると思います。しかしこれは、六日のうちの一日、授業がなくなるわけでございますから、かなり多くの先生人数が必要になろうかと思います。そういう意味から考えますと、こういうものを無視して定数の問題を考えるということはたいへんむずかしい問題でありますので、そういうものを全般的に考えながら、今後定数問題につきましてはその充実をはかってまいりたいと考えておるわけでございます。  なお、特殊学級につきましては現在一学級十三人、実質的には七人半ぐらいのものになっておるようでございます。一人の先生が休んだらどうするのかという御指摘もございましたけれども、そういうかわりになるような先生も養成しておきまして、不時の場合に充てられるような方向考えてまいりたいと考えております。  それからさらに、学校統合等の問題がございましたけれども地元のお考え、先ほどいい例を先生お引きいただきまして、私どももたいへん感心したわけでございますが、そういうふうに地元でもしっかり考えていただきまして、やるべきものはやっていただくし、やる必要のないものはやらない。あくまでも私どもは、市町村のお考えというものを尊重しながらやっていく必要がある。文部省のほうでこれを押しつけるというふうなことは考えておらないわけでございます。今後ともそういう方向でまいりたいと思います。
  9. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 たいへん重要な御意見をいろいろお聞かせいただいたと感じております。  県単教員がなお残っているというようなお話当該学校事情からいうと、国で定めた教員配置計画では不十分だということで、そういう事態になっているのだろうと思います。教員充実をはかっていくために、教員配置計画定数というものを毎年改善いたしてきておるわけでございますけれども県単教員を置いているような事情を私どもはつまびらかにしながら、国全体の教員定数考え方について参考にし改善をはかっていく、そういう必要のないような努力をしていかなければならない、かように考えるわけでございます。でありますだけに、県単教員を置いているそれぞれの事情を、私たちは常に十分把握していかなければ、教員計画が現実に即したものにならないのではないだろうかということを深く教えられたように思います。初中局長から教育困難なところが中心だというお話がありましたし、私もそういう点は承知しているわけでございますけれども小林さんのお話を伺っておりますと、過疎地域の問題が多いようでございまして、そういうこともよく調査をさせていただきたい、かように思います。  同時に、学校統合の場合に集落統合とあわせて行なっていく、御承知のように、過疎対策特別措置法でございましたか、集落統合に対しまして国の援助の道も講じているわけでございますので、いろいろなことを総合的に処理する中で学校統合の問題もきめていくという姿勢が非常に大切だ、全く同感でございまして、府県の教育委員会についてもそういう考え方を十分理解させていかなければならない、かように思うわけでございます。  同時に、週休二日制の問題、だんだんそういう方向に行くと思うのでございますが、行く場合に教員も例外にすべきではない。としますと、それなりの対応策をとっていかなければならないと思います。  同時にまた、研修充実というような問題もございまして、今回、代替教員といいましょうか、非常勤講師といいましょうか、そういうものを予算でちょっと芽を出させていただいたわけでございますけれども、私は、これを将来かなり利用させていただきたい。そしていろんな問題に対応できるような準備をある程度やっていかなければいけないのではないだろうかな、こんな気持ちを持っているのでございます。しかし同時に、今回提案しておりますような免許法改正を通じまして、さらにいろいろな方面の先生方充足もできるような配慮をいまから心がけていかなければならないということも考えておるわけであります。  なお、海外研修に出かけます先生人数について、いろいろ御指摘がございましたが、四十八年度の人数をどうするかということにつきましては、率直に申し上げますと、総理は一万人ということを強く言っておられました。私は、一万人一ぺんに出して円滑な研修をやってもらえるだろうかということを疑問に思っておりまして、初年度五千人、そう私は総理に申し上げたわけでございます。大蔵省も五千人と査定してきたわけでございますけれども、ただ海外に出すのではなしに、やはり実りのある視察をしてもらわなければいけませんので、五千人ぐらいから始めていきたいということでございまして、計画充実するにつれましてこの人数はふやしていきたいものだ、かように考えているわけでございます。
  10. 岩間英太郎

    岩間政府委員 先ほどお尋ねのございました市町村支弁教員、それから県単独教員でございますけれども、これはちょっと資料が古くて恐縮でありますが、四十六年の調査によりますと、市町村支弁が三百九十八名、それから県単独のものが七千七百十七名でございまして、そのうちで、東京が二千三百十九名、それから大阪が二千五百五十二名ということでございまして、両方で大体五千名ぐらいになるわけでございます。したがいまして、政令県を除きました普通の県では二千百八十二名でございまして、この四十六年度当初の調査によりますと、山梨県では県単独のものはございません。ことしあたり、先ほど御指摘になりましたように、複式になるというような事情がございまして、あるいはそうなっているかもしれませんけれども、その点はまだ調査が私どもとしては整っておりません。
  11. 小林信一

    小林(信)委員 この問題は、私は、もっと積極的な面から教員の数をふやすべきであるということを御参考に申し上げておるわけであって、これを深くまた広げると時間がかかりますから広げませんが、いま全国の数を——それはおととし以前だと思います。山梨県でも去年、知事と、そういう父兄あるいは先生たち立場で相当な激しい折衝の中で七人か八人県単をふやし、ことしはさらにふやしたと思うのです。それが単なる七人や八人の数という問題ではないと思うのですよ。去年でございますが、小学校生徒国会を見学に参りまして、僻地生徒でありますから十何人でした。それと同数のお母さん方がついてきまして、本会議場を説明しておるときに、私は、この本会議のことで何か御質問があったらしてください、お話ししますからと言ったら、お母さんが手をあげて聞くことが、国会の本会議場の問題でなく、複式学級生徒の制限がございます、それをもっと減らしてください。私は、それはどういうわけですかというふうにそのお母さんたちの心境を聞いたわけですが、やはり一年、二年というふうな低学年では、たとえそれが十二、三人であっても複式でない状態で手をとり足をとって御指導願いたいというたっての要望だったわけです。そういう切実な声を盛り上げて、県とすれば定数法がかくかくでございますから先生をふやすわけにはまいりませんという折衝の中でつくり上げられた七人か八人の数であります。だから、それは財政の十分でない県が少ない数で押えられておって、七千何百名というたくさんな県単先生たちの大部分を富裕県の東京や大阪で占めておって、ほかの県が少ないような印象が出てまいりますが、その少ない県が、私がいま申し上げましたような事例の中で県単というものが出ておるわけなんで、これを文部当局が、もちろん黙って見ているわけじゃありませんが、もっとほかの閣僚等に呼びかけて、そして文教予算確保する中でそういう父兄の希望というものを満足させるように努力をしなければならない段階だと私は思うのです。県単とか、町村単が三百何十名もあるなんということは、日本教育がいかに高い水準にあるかとあなた方は謳歌いたしますけれども、どういう力の中で日本教育水準が高められているかということをもう一ぺん検討し直さなければならないときだと思うのです。大体そういう貧弱な町村で四百人近い、三百九十七人なんという町村単先生があるということは、私は日本教育の不名誉だと思うのですよ。一日も早く解消するような努力を私は大臣にこの際要望をいたします。  それから週休二日制の問題も、前の文部大臣が、やります、こう言っていたのですが、いま文部大臣のお答えでは、あるかもしらぬというふうなまことにばく然としたものでありますが、こういうものは大臣とすれば、そういう事態が出たらそれに即応するのか、あるいは週休二日制を大臣自体としても実現をするように努力をするのか、こういうことも承っておきたいと思いますし、それから、海外視察が行なわれるとするならば、五千人だったら五千人の補充の先生を臨時教員とかあるいはもっと資格の低い先生で補充するなんというそんなけちくさいことでなくて、正規の先生が、これは海外視察先生の補充ということなら、そういうものはいつでも用意されている、そういうことが教育条件を整備することになるような気がするわけですが、いまの県単町村負担教員、これを漸次減らしていくのではなくて、いまのようなものから生まれているとするならば、大臣ここで即答はむずかしいかもしれませんけれども、何か大臣としてのお約束を私は承りたいと思うのです。
  12. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 教員定数改善五カ年計画を立てて進めてまいりましたのが一応四十八年度で終わるわけでございます。四十九年度から新しい計画をもって臨んでいきたい、こう考えておるわけでございます。そういう際には、御指摘のありましたようなものを重点的に取り上げるべきじゃなかろうか、私はかように考えております。  それから週休二日制の問題は、時期の問題だと考えているわけです。週休二日制は必ず実現をする。その際には教員も当然一緒に行なわなければならない、そういう考え方でおります。こういうことを申し上げたのでございまして、なるのかならないのかわからぬというような言い方は申し上げておりません。総理の施政方針演説の中でもこの問題を取り上げて所信を申しておるわけでございますし、閣内におきましてもこの問題いろいろ協議をしておるところでございます。  それから海外視察に行くからその穴埋めの教員考えておるということじゃございませんで、一年も海外に旅行に出かるわけじゃございませんのでそういう必要はない、こう思っておるわけであります。教員研修でありますとか、いろいろな問題でどうしても相当期間にわたって先生の補充をしなければならない、こういう場合がございますので、一学期間補充をする、あるいは一年補充をする、そういうことを考え代替教員、能力のある方々にもう一ぺん教壇に戻ってくれませんか、こういう方もいらっしゃるのではないか、こう考えておるわけでございまして、そういう意味代替教員という仕組みを取り上げだしたのだ、こう申し上げておるわけでございます。
  13. 小林信一

    小林(信)委員 それでは免許法の内容についてお伺いをいたしますが、十六条の二の二項「教員資格認定試験の受験資格、実施の方法その他試験に関し必要な事項は、文部省令で定める。」こう書いてありまして、前回も質疑の中でこれに触れたこともあったわけでありますが、一番ここが大事なところだと思います。「文部省令で定める。」とありますが、どういう方法で、どういう内容で定められるのか、その点をまずお伺いしてまいりたいと思います。
  14. 木田宏

    ○木田政府委員 教員資格認定試験につきましては、現在教員資格認定試験を実施しております高等学校につきまして、高等学校教員資格試験規程というのを設けております。その中には受験資格といたしまして、高等学校を卒業した者であるとか、あるいは高専第三年次終了者以上というような受験資格でありますとか、あるいは試験の種目を現在の段階では柔道、剣道、計算実務というふうに限ってございますし、また試験の方法といたしまして人物、学力、実技について筆記試験、口述試験または実地試験等の方法によって行なう。あと受験の手続、手数料等のことが書いてあるわけでございます。今回この十六条の二という規定を新たに設けまして、各免許種目につきまして資格認定試験の実施ができるようになりましたならば、それぞれの資格認定試験につきまして、その受験資格、試験の実施方法その他を規定してまいりたいというふうに考えております。そして、前回も御答弁申し上げたかと思いますけれども小学校教員資格認定試験につきましては、短大卒業程度の水準において実施することを考えたいと思いますし、高等学校資格認定試験につきましては、大学卒程度の水準において実施する等のことを考えておりまして、試験の実施方法といたしましては、一次試験と二次試験とに分けて実施をしたい、そういう手順につきましても規定をしてまいりたいというふうに考えておるところでございます。
  15. 小林信一

    小林(信)委員 いまのその御説明は、文部省当局がもちろんお考えになるわけでしょうが、この「教員資格認定制度の拡充・改善について」という教員検定制度の拡充・改善に関する調査・研究協力者会議からの答申というようなものを参考にされてつくられるという前回のお話でございました。もちろん、それだけでなく、一般教職員の声も聞いてというふうなお話でございましたが、まだそれはごく未完成のものですか、ある程度確定されたものですか。
  16. 木田宏

    ○木田政府委員 いまおあげになりました教員資格認定制度の拡充につきまして中間的な報告をちょうだいしたわけでございますが、これにつきましては、さしあたり急を要すると考え予算上の措置も整えました小学校と、高等学校の職業関係の教科、そうしてまた今回新たに措置を加えたいと考えております特殊教育教員資格認定試験につきまして、わけても養護訓練でございますが、これらの試験の進め方につきましては、この中間報告でかなり詳細な御検討をいただきました。先ほど申し上げましたように、小学校教員資格試験につきましては、第一次試験で一般教養科目、教職専門科目、教科の専門科目等の筆記試験を行ない、第二次試験で教科の専門科目についての論文試験と、それから図画工作、体育等にかかわります実技試験を二教科程度実施すべきであるという御意見をちょうだいしておりますので、この御意見に沿って規定を定めたいというふうに考えております。
  17. 小林信一

    小林(信)委員 だんだんこまかくなりましたが、何かこの審議の中でお聞きしておって、ここが一番大事なところなんですが、まだ固まっておらないような気がいたしますので特に私はお伺いしたのですが、まず第一番の、合格者に要求するものは、少なくともきめられておる大学を卒業した者と同等以上の水準を持っておるかどうかが、これが適否のかぎになっておる。要するに同等以上の力を持った者ということになるわけでしょうが、私は、これがほんとうに教員確保するための法律であるか。大臣は盛んにおっしゃっておられた。大学へ行かなくても、実力のある者に教員になる道を開いてやるためにはこういう法律がいい法律じゃないか、盛んにこの前おっしゃっておいでになりました。しかし、大かたが検定試験というものは大学で勉強する、そして卒業をして資格を取ったという者よりも、相当実際においては上の力でなければ合格できないというのが、いままでのあらゆる検定制度の実態だと思うのですよ。だから、こういう道を開いてもそういう人材が得られないというくらいに考えてもいいと思うのです。高等学校を卒業をしなくて高等学校を卒業したと同等な検定試験を受けるなんということは、これは普通の実際高等学校を卒業した者の何倍かの力を持たなければ合格できない、そういうことをあらかじめ文部省考えておられるのか、これは実際問題ですよ。私立大学を卒業して、そして幾つか単位を取ります。そして実習をやります。残念ながら、この人たちの学力というものは私はそんなりっぱなものじゃないと思うのですよ。しかし、それ以上の実際、力を持っておっても、いままで世の中にありますいろいろな検定制度と同じものをもしここに持ってくるとするならば、それではただ制度をつくっただけで、人間は私は得られないと思うのですが、そういう点はどういうふうにお考えになっておるのですか。
  18. 木田宏

    ○木田政府委員 今日まで実施してまいりました高等学校の一部の領域でございますが、柔道、剣道、計算実務という限られた領域ではございましたけれども、その資格認定試験の実情を見ておりまして、昭和三十九年に一番最初に発足いたしましたときには、大ぜいの志願者の中から一割にも満たない少数の方を厳選したというような結果になっておるわけであります。今日におきましては、大体四人に一人くらいの合格率ということで実務試験が行なわれております。いま御指摘がございましたように、運用のしかたによりますと、かえって非常に窮屈なものになりはしないかという御指摘も確かに考えなければなりませんが、いままでの応募者、そして免許証を授与をしてまいりました一部の領域の運営等から見まして、今後もその資格試験の運営につきましては、ある程度自信を持って処理をすることができる。また非常に窮屈なものにするということが趣旨ではございませんので、その試験の認定の方法その他におきまして実情との勘案を考えていく。これは試験委員等にも十分その辺を考えていただいて御判定を願うようにするということで御心配の点は防げるんではなかろうかというふうに、過去の経験に徴しても考えておる次第でございます。
  19. 小林信一

    小林(信)委員 検定であるという以上、それは卒業する人たちの持っておる力ということよりも、その大学が掲げております理想、それを十分に消化することのできる者こそほんとうに人材であって、それを合格の対象にしていかなければならぬというのが検定制度だと思うのですが、ただ前々からこの審議の中でお聞きしておりますように、過密地帯の教員確保がなかなか困難であるとか、せっかく大学は卒業したけれども、在学中に単位をとっておかなかったとかというふうな者を救済をするというふうなことをおっしゃるのですが、私は、それでは決して法律というものはおっしゃることに適用されないぐらいに思って見ておったわけです。いま何かそこに考慮されるようなものがあるような気がしますが、だからといって資格を低くすることは、これは絶対に許されないものだと思うのです。  そこで、答申の中にこういうことばがあります。「受験者の事前の学習について指導するような措置を講ずることも考慮すべきであろう。」私は、これが、何か実際優秀な者を、有能な者を、この教員不足を補充するものにしたいという何かあらわれではないかと思うのですが、これは文部省はどういうふうに解釈されておりますか。
  20. 木田宏

    ○木田政府委員 教職員の免許資格を持ってない者といいますと、大学在学中、あるいは大学まで行かなかった方にとってはなおさらでございますが、教職関係の勉強を積んでないということなどが一番大きいものとして考えられるわけでございます。したがいまして、教職の勉強をするにつきましては、適切な参考書その他をあげて、事前にこういう勉強が必要なんだということを周知させておくことが必要ではなかろうかという御論議がございまして、いまのような注意規定がこの中に入った次第でございます。
  21. 小林信一

    小林(信)委員 これは答申でございますが、文部省としては、そういうことを考慮するつもりでございますか。
  22. 木田宏

    ○木田政府委員 さようでございます。
  23. 小林信一

    小林(信)委員 それから、「教員資格認定試験の一部科目の合格等によって受験科目の一部を免除する措置などを、この試験の段階で講ずる必要がある。」その内容と、さらにこれに対して文部省はどういう意見であるかお聞かせ願いたいと思います。
  24. 木田宏

    ○木田政府委員 この資格認定試験をいたします場合に、先ほども御説明申し上げましたように、一般教養科目、教職科目、専門科目等について、大学で勉強したと同等の認定をしたいということでございます。しかし、受験者の中には大学程度の勉強を全然していないという方もございますが、一部には、前回にも例が出ましたように、ある特定の領域につきまして、たとえば工業等の計算機の関係でございますとか、インテリア等、非常に高い専門の勉強はしたけれども、教職課程をとっていないために免許資格がないという方もおられますので、その大学等におきまして勉強した専門課程を筆記試験の必要科目数から差っ引くというような現実的な措置を講じなければなるまい。また、今度新たにつけ加えようといたしております看護の免許状でございますが、この場合に、看護婦の資格等を持っている人についてはその専門の教科単位の試験を免除するというようなことを考えることが適切であろうというような御指摘がございまして、各免許種目によって、それぞれ受験者の履修した内容との関連で免除科目等を書きあげていく必要があろうという御意見でございます。そういう点を省令等でこまかく明示したいというふうに考えておる次第でございます。
  25. 小林信一

    小林(信)委員 先ほど申しましたように、いままでの検定制度というものは、おそらく普通の者では受からないという性格のものだったと思うのですよ。それがまた先ほどの局長の、第一次試験をやります、第二次試験をやります、そして、答申の中では口述もさせるとか、あるいは実技もさせるとか、そういう点からしますと、これはもうあってなきにひとしい制度というくらいにまでわれわれは印象づけられたのです。そうやって内容を聞いてまいりますと、相当余裕はあるようでありますが、私はあまり便宜をはかり過ぎて、そしてほんとうの資格を失ってしまうようなことであってはなるまいと思うのです。もちろんその点は考慮されると思いますが、先日、山中さんから、潜水の技術を持っておる人が商船学校に必要であるというような場合に、ほかの学問は全然ないけれども潜水の技術についてはもう無類な人である、そういう人間をどうするかというお話があったのですけれども、やはりそういう人を確保することは必要だと思います。確保するためには、あんまり公式的に、一次試験もやります、二次試験もやります、口述もさせます、あるいは実技もさせます、それじゃ事実と反するんじゃないかと私は思ったのです。  それから、これもおそらく文部省令で定められるのでしょうが、試験をする場所、これはどういうふうに予定をしておりますか。
  26. 木田宏

    ○木田政府委員 現在までの資格認定試験におきましては、一次試験を全国四会場で実施をいたしまして、二次試験を東京で実施をする、こういうやり方でやってまいりました。今回御提案申し上げておりますものは、大学に委託をしたほうがいい場合は、大学でその試験を担当していただきたいというふうに考えております。ことに小学校につきましては、大学で正規の教員養成をやっていらっしゃることでございますから、ブロック程度に考えまして、中心になる大学でお世話を願いたいというふうに思っております。なお、高等学校の特殊な領域とか養護訓練等特別なものにつきましては、受験者の数その他との勘案もございますので、従来やってまいりましたような、一次試験、二次試験に分けてその受験者の便をはかる、このような方法を文部省が実施いたします場合にも考えていきたいというふうに思っております。
  27. 小林信一

    小林(信)委員 私は、その場合、文部省が一番考慮しなければならぬのは公平を期することだと思うのです。東京でやれば、東京周辺の者はこれを利用するかもしれませんけれども人材を開拓するというならば、全地域にわたって公平にこれが措置されるようにはからなければならぬと思うのです。いま局長のお答えの中で、大体それらしい御意思は承ったわけですが、やはり問題は、公平を期する、あらゆる人たちが平等にその恩恵を受けられる、そういう試験をするところとか、あるいは一年に何回やるとか、ことしはこういう科目についてやるけれども、来年はどういう科目についてやるとか、そういう考慮というものがなされる必要があると思うのです。とにかくそういう点は公平を期する、これが局長の口から出るか出ぬか、私は待っておったのですが、どうもそういう点はいつも片寄っておる文部省でございますから当然かもしれませんけれども、公平を期するということが大事だと私は思うのです。富裕府県は、さっきの初中局長お話でもわかりますように、県単あるいは府単で教員確保して、教員充実をはかっておる。ところが貧乏県では、過疎地帯が多いのに教員確保することができないのと同じように、そういう不公平が文部省の常套手段でございますので、これにも同じようなものが適用されてはいけない。どこにおられましょうとも、大臣がせっかくおっしゃっているように、ほんとうに人材があったら、その人材確保しなければいけない、教職に志す以上はその人の便宜をはかってやらなければいけないというならば、公平にする、平等にするということが主眼で場所とか日とかいうものを決定しなければいけないと思って申し上げたわけです。  それから、この答申には協議機関というものをつくるということが出ておりますが、これは文部省はどういうふうに把握をされ、これに対してどういう見解を持っておるか、お聞きをしたいと思うのです。
  28. 木田宏

    ○木田政府委員 教職員の資格認定等を実施いたします場合に、教員の任命権者側、採用者側の意見というものが、現実の課題として十分反映されるようにしなければならぬというふうに考えます。したがいまして、大学に委嘱をしてそういう資格試験等を実施いたします場合にも、その運営にあたっては、大学が地域教育委員会関係者、学校関係者の意見を十分に受け入れながらその資格認定試験が実施できる、こういう運びを考えたいと思っております。また、文部省で実施をいたします場合につきましても、それぞれの専門家の意見が試験の実施に反映できるように、いままでも心がけてきたつもりでございますが、今後も、そこに示してありますような心組みで、現実に関係者の意見を徴しながら、この資格試験というものが適正に運ばれるように注意をしてまいりたいというふうに考えております。
  29. 小林信一

    小林(信)委員 この答申は、その資格検定試験をますます拡大をしろという方針のように承るわけでありますので、これは三十六年にそういう制度を設けて、さらに今回また拡大をするわけで、今後順次拡大をされていくのではないかと思います。そういう場合、もしこういう機関が文部省でも必要であると考え、これを答申のように設置をするというお考えならば、その場合に私が最も必要だと思うことは、民主的であるということ。これが片寄ったら、検定制度は、文部省のいつも批判の的になっておりますいわゆる教育の統制の一翼をになうものであるということになるわけでありまして、問題は民主的な性格を持った協議機関でなければならぬと思うわけでありますが、いまここに出ておるようなものからすれば、文部省の好ましい非民主的な人々によって構成されるような気配も感ぜられるのでありまして、私はその点をあなたから、局長から聞きたかったのですが、民主的なんということばはおよそ縁の遠いことばかのように無視されておったのですが、民主的なものでなければいけない、こう思うのです。  その次にお伺いしたいのは、教育実習の問題です。教育実習は、資格条件を持つ上にどういうふうに大事に文部省はお考えになっておいでになるか。というのは、国立などで教育学部があるところでは、付属の学校を持ち、教育実習というのは相当期間もかけ、方法もかなり合理的にやっているわけです。ところが、普通の私立大学等で資格をくれるところでは、教育実習というものは、私ども考えたんでは少し遺憾な点があるような気がいたします。こういうものを、教育実習とは資格を持つ者としてどういうように必要であるか、どういうふうにあらねばならぬか、それが今度の検定の問題ではどういうふうに考慮されるか、まとめて、私はここは最も大事に、大切なところだと考えておりますので、ひとつ御説明願いたいと思います。
  30. 木田宏

    ○木田政府委員 現在教育実習は、教職関係の必要な単位数として小学校の場合四単位、中学校の場合二単位ぜひ事前に取っておかなければならぬというふうな定めにいたしておるわけであります。実際に教壇に立ちます教職員のことでございますから、その免許資格を与えますにつきまして、教育実習を事前に十分身につけておくということは非常に大事なことだと考えます。しかしその実際の運営が、いま御指摘にもございましたように、一部の学校につきましては非常に名目的になってしまっている。また、かなり教員の資格を取ろうとする学生が多いために、現実のこなし方も、実習を引き受けてくれる学校との関係その他でなかなかうまくいかぬというような点もございまして、いままで教員養成制度の改善の場合に、この教育実習の扱いというのが、一面では単位数をふやさなければならぬという声と同時に、一面ではむしろ教員としてのある資格を与えた後に、実際に採用したあと一年間の試補制度等の期間を置いて、現実の経験を積ませるほうがいいというような、任用上の採用後の過程で、試補期間で実習等の意味を十分に発揮できるようにしたらどうだというような意見等も出されております。今回法律を御提案申し上げますまでに、いまその基本の点についての論議が十分に私ども関係者の間でまとまっておりませんので、今日までのところ、教育実習についての必要単位数の引き上げとかあるいはこれを別の方式に切りかえるというようなことは、御提案を申し上げていないわけでございます。今回その教員の資格認定試験という制度を取り入れます際に、いまお手元の文章でもごらんいただいたと思いますけれども教育実習のあり方について相当論議をいたしました。しかし、個々の職場にあるいはいろんなところにいる方々に対して、だれが責任をもってどういうふうに実習が可能であるかという方法論をいろいろ考えました結果、どうもこれは試験後に採用者の側で指導していただくという以外には、まとめてこれを取り扱う方法が困難である、現在の高等学校の資格認定試験の場合にも、試験の合格と同時に免許証を出しておりますので、この制度は今回の場合にも一応踏襲をさしていただきたい、それ以外に現実の方法がとり得ないという結論に至りまして、教育実習は重要でございますけれども、この資格認定試験につきましては、認定試験に合格してさらに採用するという段階になりまして、そのことを採用者側が十分配慮してほしい、こういうことで運営をしたいと考える次第でございます。
  31. 小林信一

    小林(信)委員 これは大学局の管轄の中に入るわけでありますね。教育実習の意義というふうなものは十分その大学局でこなしておらなければならないのですが、どうも局長の御答弁では十分この意義が承れない。したがって、簡単に、教育実習は検定試験を受けた者についてはその事後に行なうというような便宜的な方法が講ぜられるわけでありますが、初中局のほうでこの問題についてお考えになっておられるようなことがありましたら、要するにその教育実習の意義ですね、お答え願いたいと思うのです。
  32. 岩間英太郎

    岩間政府委員 私どものほうでは、教育実習というのは非常に大事だと申しますか、そういう教え方というのを十分身につけてやはり教壇に立っていただきたいという気持ちがあるわけでございます。今度の検定試験の場合に、どういう人たちが受けるんだろうというふうなことを予想いたしますと、たとえば現在学校におりますいわゆる助教諭の方々、これはまだかなりの数でございますけれども、そういう方々が正規の教員になる場合に、そういう場合には教壇の御経験があるわけでございます。またそれから、民間あるいは公の機関におきましての各種学校的なもの、たとえば職業訓練所でございますけれども、そういうものもあるわけでございます。そういうところでは、実際にお子さん方を扱うその経験がある。また、たとえば保育所等で保母などをしておられる、そういう方々が幼稚園の教諭になられる、そういうことだってあると思いますけれども、そういうふうに世の中ではだいぶ具体的に子供さん方を扱う、あるいは成年を扱うというふうなことも行なわれているわけでございまして、それも一つのそういう経験と申しますか、その中に含めてもよろしいのじゃないかという気もするわけでございます。そういう意味では、ある程度そういう方々を優先的に検定という制度で救うような道があれば、これは教職経験に準ずる経験がある、そういうものを生かすという方法にもなるのじゃなかろうか、そういうふうにも考えております。
  33. 小林信一

    小林(信)委員 教育実習ということは、これは資格を得る大事な条件だと私は思います。単に教壇に立って教えるまねをすればいいということでなく、大体どこの教育学部でも、この教育実習を行なう場合には、ただ付属の中小学校あるいは高等学校に行って先生のやっておるのを見ておるとか、自分が勉強していって教壇に立つとかいうことでなくて、学校経営から、あるいは教材研究から、あるいは自分たち同士の仲間の研修、こういうものを少なくとも相当期間経験をして初めて教育実習という資格を得て、それがそのほかの単位と一緒になって教員の資格が得られると思うのですよ。だから、そういう課程を経ておりますから、教育大を出たらこれは先生免許は持っておるわけですが、最近は、採用試験という、また別の選考する機関が出ましたから、それを通らなければ一人前の先生でないように見られておりますが、私は、先生の資格というものは、そういう課程を経てきたものであれば十分あるわけなんだから、あまり、選考試験で資格を与えるような印象をいま世間では与えつつありますが、これは相当考慮する必要があると思うのです。  しかし、その教育実習の問題も、この答申では、最後にこう書いてありますね。「その取り扱いをさらに検討する必要があろう。」要するに、全体の取り扱いについて検討する必要があると思うのですが、私は、理論よりも、この実習の課程というものが一番の資格の条件になると考えております。  そこで、いまの普通の大学での資格をくれるところの教育実習というものは一体どういうふうに行なわれておるか、文部省はどういうようにつかんでおられるか。それでいいと思っているのか、不十分と思っておるのか、お聞きしたいと思います。
  34. 木田宏

    ○木田政府委員 現在、正規の教員養成大学にありましては付属の小中学校を持っておりまして、その付属の学校で所定の期間充実した教育実習が行なわれておる、こういうふうに考えております。しかし、そこにおきましてもなお、その指導の取り組み方その他について若干問題がないわけではございませんし、また、すべての学生にその付属学校だけで全部の指導ができるということでない場合も間々起こってまいりますので、一般の公私立の学校教育実習の場を求めるという問題も現にありまして、その実習の運営につきましては、関係者がいろいろと努力もし、苦労もいたしております。多くのそれ以外の、課程認定を受けました大学で教育実習をいたしております点につきましては、一般的に申しまして、この実習を引き受けてくださる学校確保すること、そしてその実習の進め方について十分な関係者の理解を得ること等につきましてかなりの努力と困難があるように承知をしております。また、どうしてもある短期間にかなりの数の学生を引き受けてもらわなければならぬということから、十分な個別指導等にいっていないようなお話も聞くことがございます。これは今後の教員養成制度全般を通じて、何とかもっと取り組まなければならない大切な課題だというふうに考えております。
  35. 小林信一

    小林(信)委員 いまの局長の答弁は、これはもうほんとうに文部省的な答弁で、何にも知っていないじゃないか、そういう酷評をしたくなるのです。大体、普通の大学で資格をくれる場合の実習というのは、大学は一学期は、早く終わりますよ、もう六月が終われば授業はなくなる。それから今度七月になって、まだ小中学校は地方でやっておりますね。帰って、自分の郷里の中小学校へ二週間ぐらいですか、何にも大学のほうの指示もなければ指導もなければ、ただそこへ行って先生たちの仲間に入って二週間過ごせば、それが教育実習の時間に入れられて、それで資格の条件になるわけです。それを文部省はいままでほうっておいたわけなんです。それでも何でもそこを出てそして教員の資格をくれれば、そうすれば今度は現場へ行って、その中でもって何とか覚えるだろうというような無責任考え方でもっていままで行政指導をやっておったわけなんです。指導というのは、ほうっておいたわけですよ。だから実際、教育学部、そういうものがある学校を出た先生と、そしていまのような大学を出た先生と、内容においては全然異なるものがあったと私は思うのですが、やはりほんとうに教育充実させようとするならば、その大学で資格をくれるという学校であるなら、もっとやはり文部省がこの教育実習をするということについては厳格でなければならぬと思うのですが、これはきわめてずさんなものですよ。そんなものは、教育実習なんということはやらなくて資格を取っておるといっても差しつかえないと思うのです。そういうところを今後何とか検討し直さなければならぬじゃないかというならばあれですがね。  だから、これはもらった資料でありますが、短期大学を出て中学校免許証を持っておる、この人たちが一番多いわけですが、三万三千九吾人。ところが、実際教員に就職した者は五百人。実際この三万三千九百人が真剣な教育実習もやって、そして教員になろうという意欲を持って出るならば、そのうちの五百人だけが就職するなんということはあり得ないことなんです。これが実際に意欲を持って先生になろうという、そのためには相当厳格な課程を経てこなければならぬという、それもあえて勉強してくる生徒であるならば、いま文部省がこんな検定制度のことでもって、これは私は無意味であるとは申しません。無意味であるとは申しませんが、いま早急に人が必要であるという、そういうことが考えられるのならば、これがもっと生きてこなければならない。あるいは幼稚園の資格をもらう人が二万五千九百人ある。そのうちでもって、ことし実際就職した者は九千人である。いかに、資格を取っても、実際社会に出てその道に精進する人が少ないかということは、検討しなければならぬ問題がたくさんあると私は思うのです。こういう点を考えていくことも、私は文部大臣が盛んにおっしゃっておった人材確保とか、あるいはそういうせっかくの希望を持っておる人たちに何らかの道を与えなければいかぬじゃないかというものも、一面考えなければなりませんけれども、さしあたっての人材確保という面からすれば、こういうところに留意しなければならぬところがあるような気がいたします。  そこで、時間が延びて申しわけございませんが、一つ。  最近、過密地帯でもって便宜的にやっておるものは、中学校の——短期大学を出ておる、二年制度の大学を出ておる人たち中学校免許状を持っております、この人たちが試験を受けにいきまして、東京神奈川、埼玉というような過密地帯の多いところでは、この人たちに試験を受けさして、これは中学校の二級ですから中学校の試験しか受けられないのですが、それを便宜的に小学校のほうへ回して、そして六カ月ぐらいの講習か何かをやりまして、そうして小学校先生確保努力をしておる府県がたくさんあるのですが、これは違法だと思うのですがね。そういうことは文部省はいままで何にもお考えにならなかったのですか。
  36. 木田宏

    ○木田政府委員 現在、御指摘のような教員がかなりございまして、昭和四十七年度のデータでとってみましても、中学校等からの配置がえによる小学校就職者が五百人、あるいは助教諭等として採用された者が二千人等がございます。これは正規の小学校の資格をとってないために、他の中学校等免許資格を持っている者を小学校に受け入れるということが現に行なわれております。そのために、十一県市におきましては、中学校、高等学校教員の有資格者に小学校免許状をとらせるために、資格付与の特別の授業を実施して、通信教育で単位をとらせたり、あるいは大学で行なわれております認定講習に参加させたりいたしてございます。文部省におきましても、大体そういう対象者が千二百人ほどおるわけでございますが、これらの教師が認定講習を受けたり通信教育を受けたりするのを援助しております。県に対して補助金も四十六年度から計上いたしまして、すみやかに小学校の教師としての正規の資格を身につけさせるように進めてきたところでございます。
  37. 小林信一

    小林(信)委員 その六カ月の講習なり研究なりをすれば、小学校免許証が得られるという法律的な根拠というものはあるのですか。
  38. 阿部充夫

    ○阿部説明員 免許法の別表第一によりまして、ただいま御指摘のようなケースの場合には、すでにいずれかの大学でもって所要の単位をある程度とって卒業してまいった君たちということになるわけでございます。その者たちを通信教育の課程あるいは大学の正規の課程に再入学させる、そして一年程度、大体一年半以下でございます。私ども補助いたしまして、正規の学生として教育を受ける。それによりまして、従来から短大あるいは大学で修得してまいりました単位のほかに、小学校教員として必要な単位をプラスをしまして、正規の資格が取れるわけです。
  39. 小林信一

    小林(信)委員 そうすると、大体東京、それから神奈川、埼玉あたり中学校の二級免許証を持って小学校の正規の免許状をもらった先生たちは、これはみんな違法ですね。一年なんという、そんな期間をやってないですよ。みんな六カ月ぐらいでもって簡単に仕上げてあります。だから、いま課長が言った一カ年ということが法律的な根拠とすれば、これはみんな違法なんです。しかし、私はそれを責めようとしないのです。そういうことまでして確保しなければ過密地帯の先生たち充足できない、そして先生というものは、確かにこの教育実習という問題は、いま私が申し上げたような、教育学部のあるところの正規の手順を踏んだ先生、これを父兄は期待しておるのですよ。でなければ教育の重要性というものは要らないわけなんですが、しかし、あくまで、それだけでなく、現場に行って、そしてほんとうに先生方の中にまじって教育実習をする、これが大きな力になって一人前の先生になるということも私は認めているものですから、法律的には違法であっても、しかし実際においては、決してそれは大きなあやまちは犯しておらないと思いますが、そんな便宜的な方法でいま教員というものが確保されておる教育行政は、私は反省をしなければいけないと思うのです。  さしあたっての問題として、大体私の県あたりは、山梨大学ですが、卒業生が山梨県ではおそらく何分の一しか採用されないのです、過疎県でありますから。そして、ほかの県に卒業生というものが供給されていくわけなんです。先生の不足する県、余る県、そういうものの調整を文部省がやっておるかどうか、これを私は最後にお聞きしたいのです。
  40. 岩間英太郎

    岩間政府委員 ただいま御指摘のように、いわゆる過密県と過疎県との間で教員の採用の面に非常にアンバランスがあるということは申し上げました。そこで、一、二の県では、過疎県と過密県とが両方で話をいたしまして、試みに過疎県のほうから過密県のほうに先生を派遣をするということをやっている例がございます。そこで、私どものほうもそういう方向が望ましいというふうに考えまして、それを援助するための方策をいろいろ検討いたしましたけれども、なかなかむずかしい問題がございまして、この問題をすぐ全国的に実現に移すということがむずかしいものでございますから、四十八年度の予算でお願いをいたしまして、実は調査費を計上させていだだきまして、ことし一年かかりましてその点につきましては十分検討してまいりたいと考えております。一番むずかしいのは、たとえば住宅の確保、それから両県の間の給与のアンバランス、そういうような問題がございます。それから帰りました場合の身分の取り扱い、いろんな問題がございまして、この点につきましては、各県のいろんな御意見も伺いながら、今年一ぱい調査をしていきたいというふうに考えます。
  41. 木田宏

    ○木田政府委員 ちょっと補足をさせていただきます。先ほど御説明申し上げましたように、中学校、高等学校免許証を持って、小学校教員としての正規の免許証を持っていない者が、通信教育の課程あるいは認定講習等を受けて正規の小学校免許証をとるように努力をしております。これはいまの免許制度の上で認められた正規の手続でございまして、そして人によりましては一年程度で必要な単位数を充足する人もございますが、すでに持っております免許状の勉強のしかたによりましては、もっと短い期間の少ない単位の修得でもって必要単位が履修できる人もいるわけでございますから、中には早い期間に単位を修得し終わる人がございまして、そのこと自体が違法というわけではございません。都道府県の免許状の授与権者が、どれだけの単位をどのように修得したかということを確認の上でなければ免許状は発行していないのでございます。ですから、法の本則の養成課程とは違いますけれども、正規に認められた手続によって資格の水準を高めていく、こういうふうに御説明を申し上げたいと存じます。
  42. 小林信一

    小林(信)委員 初中局長の御答弁、ぜひこれは、せっかく教育学部という正規の勉強をしてきた者が、いまのような需給関係をうまく調整しないために、むざむざ資格を持ちながら眠っておる人たちもある。これは相当遠くから東京だとか横浜へ来なきゃならぬわけですから、そういう点にも非常に御配慮は必要だと思うのですが、調査費を設けてそれをまず調査する、これが手始めのようでありますが、ぜひその点を十分やっていただいて、そして需給関係を調整するということはしてもらいたいと思います。  それから、いまの大学局長の御答弁でございますが、いまの点はそういう、私が心配するようなことはないと言明されました。しかし、教育行政の中で、先ほど一般大学で教育実習をする事実がいかにでたらめなものであるかということは、私はいかに強弁しても否定できない問題だと思います。そういうふうに、教育行政の中では、いま人を確保するために相当無理をしている点がある。いま必ず正規の手続をとって資格を与えるようにしておりますと言いますけれども、実際過密県で先生確保するためにはそんなむずかしいことを言ったら来手がありませんよ。とにかく、あなたは中学校免許状を持っておるけれども、五カ月講習へ行けばりっぱに小学校の資格を与えるようにいたしますからという無理を言って人を誘致しているわけでしょう。だから、それが正規の資格になろうがなるまいが、大体五カ月ぐらいでもって便宜をはかるという措置をしているわけなんです。いまの事情からすれば無理からぬことであり、しかも実際教壇に立ってから勉強をして実質的な資格を確保するということも十分可能であるから、私は差しつかえないぐらいに考えておりますが、決してそんなことでもって自信を持ってはいけないと思うのです。  いろいろ御質問を申し上げましたが、結論的に申し上げれば、過密地帯の先生確保するために何かこういう措置をしなければというふうにもこの法案の性格から承れるし、また大臣が強調された、せっかくの人材を開拓してやらなければいけないという配慮もあるようにも承っておりますが、この答申の性格から見れば、何となく検定制度を拡充していくというふうな形でございますが、まず第一番に大事なことは、もっともっと正規の手続をとって養成機関を整備したりあるいは優遇したりする中でもって、定数法をもっと実情に沿ったように改正をして教員確保をはかるべきである。そして有無相通ずる、ないところとあるところがあるのですから、そういう調整をはかることも大事だと思うのです。私の県あたりは供給県ですが、先生方は、その県で先生をしたいというのが大学へ入ったときの目的なんです。だから、他府県へ出て教員をするということは自分の希望には沿わないことなんですが、いまの需給関係からしてやむなくやっております。  まだそのほかに問題点があるのですが、この際申し上げておきますが、実は大臣山梨県には都留市という小さな町がございます。人口二万以下です。そこで市立の大学を持っておりますが、これは文部省が認可をするときも、私自身に、そんなことをやったら無理ですからやめるように言ってくださいと頼まれたほどなんです。ところが、その当時の文化国家建設というようなかけ声のもとに市でもって大学をつくったわけです。都留文化大学ですね。これが最近、初等教育教員養成科を持ちましたが、これがまた全国的に人材が集まるのですね。この学校では、学生がほかの県へ行って試験を受けるんではなくて、神奈川県でも、東京はどうか知りませんが、とにかく他府県の教育委員会学校へ出向いていって採用試験をやるのです。それくらい教員の供給大学になっております。評判が非常にいいのですよ。ところが市としては、いつまでも年間五千万くらい、人口三万以下の、古い町ですが何も工業的なものなんかない町です。そこでもって、もう持ちこたえられなくなっているのです。ところが、いま東京でも神奈川でも、その大学の卒業生の先生というものを非常に期待しているわけです。しかし、市財政は非常に苦しい。こういう問題なんかはどうお考えになりますか。そういう趣旨でつくった学校ならばやっていきなさいということで、文部省では黙って見ておりますか。よけいなことですが、教員確保するという意味からして非常に重大な問題だと私は思うのですが、どうですか。
  43. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 一般的に申し上げまして、今後公立大学に相当依存して大学進学希望者の収容をはかっていかなければならないのじゃないか、こういう考え方でございます。いま御指摘の問題は、教員養成ということに重点を置いてお尋ねになっているわけでございますが、したがいまして公立大学に対しまして財政的に国がどう対処するか、ちょっと問題点だと思います。地方交付税制度を通じましてある程度の財政援助はいたしておるわけでありますけれども、国の財政から直接に何か配慮をすべきかどうか、一つの問題点でございます。四十八年度から公立の医科歯科大学につきましては経常費助成を始めたわけでございますが、これをさらにどう広げていくか、これは一つの問題点でございます。  第二に、いま教員養成ということをおっしゃいましたが、国として必要なものについては公立においても特別な役割りをになってもらう、それに対する国の援助をするということも一つの研究課題だと思うのです。同時に、御指摘の大学につきましては、地元のほうからそこに国の大学を置いてくれ、したがって市立の大学はその機会にやめたいのだ、こういうお話もございました。私のほうでも総合的に研究させていただきたいと思います。
  44. 小林信一

    小林(信)委員 局長はもっと事実についてお知りかと思うのですが、局長の見解をこの際承っておきたいと思います。  とにかく山梨県とか一つの市とかというだけの大学でなくて、過密府県の教員の養成になっているわけなんです。そして相当な市の財政というものをつぎ込んでいるわけなんです。いま大臣はいろいろな角度から、国立にするとかあるいは特別な財政的援助をするとかというお話があったのですが、いままでその実態というものはあまり重視されずに、一般公立大学としてただ置かれただけで、かわいそうだと思うのですが、局長もし御存じであったらひとつ御見解を願いたいと思います。
  45. 木田宏

    ○木田政府委員 大臣の御答弁がございましたように、私どもも、地元の方々から都留文化大学の実情と今後の持っていき方について、いろいろとお話を伺っております。しかし、これまた大臣の御答弁と同じことになるわけでございますが、今後日本の大学全体を考えてまいります場合に、公立大学というものの役割りをどう考えるかということにつきまして、私どももひとつ近々考え方をまとめたい。先般、高等教育懇談会におきましても、これからの日本の高等教育のあり方の中で、いままである意味では顧みられなかった公立大学の意義を考え直すようにという指摘がございます。その方向をどういうふうに実現するかという点について検討を進め、そうした一般的な考え方の中で、地元の都留大学の問題につきましても、どのようなあり方をとっていったがいいかという点について検討を加えていきたいというふうに考えております。
  46. 田中正巳

    田中委員長 午後一時に再開することとし、この際、休憩いたします。    午後零時九分休憩      ————◇—————    午後一時十分開議
  47. 田中正巳

    田中委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。  教育職員免許法等の一部を改正する法律案を議題とし、質疑を続行いたします。高橋繁君。
  48. 高橋繁

    高橋(繁)委員 この免許法の説明の要旨、あるいは提案理由の要旨、この中に、国際的にも高い水準の成果を見つつあるというように一応評価をいたしております。しかしながら、教育の成果というものは、究極のところ教員の資質のいかんによる、これはだれしも認めるところである。したがって、今回文部省人材確保するということでいろんな法案を出しております。人材確保法案は出ようとしておりますが、教員海外派遣、これは法案じゃありませんが、あるいは現場教員研修免許法改正もその一つの理由になっております。しかしながら、いろいろと審議の途上で聞いておりますと、どうも即席の教員づくりというような感がしないでもない。  そこで、「理由」にありますように、「最近における学校教育の実情にかんがみ、」これは前にいろいろ説明がありました。高校の特定分野を広げるとかあるいは小学校教員の不足を来たしておる、看護及び看護実習を設けるとか、各種学校の養護訓練等をやるとか、そういった教育界の実情にかんがみて、広く人材を求めて教員確保をはかるために新たな教員認定試験制度を設ける、これが理由になっているわけですね。  そこで私は、教員確保をはかるために文部省が、不足をしているということはおわかりでありますが、一体教員の不足をどのように現状をつかんでいらっしゃいますか。この点についてますお聞きいたしたい。
  49. 木田宏

    ○木田政府委員 現在小学校におきましては、教員の採用数は約一万七千人でございまして、このうち国立の教員養成大学学部の新規卒業者が七千人、それから小学校教員の養成について課程認定を受けた大学、短期大学の新規卒業者が約五千人、過年度の卒業者が約三千人ほどおるわけでございますが、あと二千人は中学校、高等学校教員免許状所有者あるいはそれ以外の人等が助教員、講師として採用されるという状態になっております。一応一万七千人の需給は、小学校教員についても充足しておるといえないことはございませんけれども、現在過密、過疎の人口移動が激しゅうございまして、また将来を考えてまいりますと、明年度以降昭和六十年度にかけまして毎年小学校の児童数が二十万人程度増加していくというふうな動き方になると思います。  小学校教員の需給につきましては、先般来御議論が出ておりますような五日制の問題であるとか、あるいは定年制をどうするかとか、基準をどうするかとか、そういう諸要素がいろいろからんでくることでございますけれども、一応今後毎年二十万人程度児童数がふえていくということに対しては、基本的な対応策考えておかなければならないのじゃなかろうかというふうに考えておる次第でございます。中学校、高等学校につきましては、免許資格をとっております者の数に比して教員に就職しております者の数がきわめて少ないと申しますか、需要者数に対して免許状をとっております者の数がかなりたくさんございますので、これは当面のところ格別の対応策考えなくてもよろしいのではないかというふうに思います。また、特殊教員の関係につきましては、今後の養護学校の拡充策等に対応いたしまして養護訓練等必要な領域の拡充に対処できるような教員の需給を考えなければならぬというふうに考えております。前後いたして恐縮でございますが、高等学校教員は全般的には一応数の上でそう不足というわけではございませんが、工業、商業関係の特殊の領域につきましては最近進んでまいりました新しい教育領域、すなわちインテリアデザインであるとかあるいはコンピューターの指導であるとか、そういう領域に対して必要な教職員を確保する必要があるというふうに考えておる次第でございます。
  50. 高橋繁

    高橋(繁)委員 児童数が二十万人ふえる、そういうことから体制をつくらなければならないいろんな条件が加味されてくると思うのです。たとえば先ほど来いろいろ意見が出ておりますように、将来定員、定数をどうするかという計画あるいは女子教員の育児休暇という問題、それから定年制の問題、先ほども意見に出ております過疎、過密のアンバランスということを考えまして、文部省としてそういう教員の将来を、五年なり十年までいかなくとも見通した需給体制計画といいますか、そういうものはおつくりになってはいないのですか。
  51. 木田宏

    ○木田政府委員 一番基本的に考えなければならないのは小学校教員のことだと思います。しかしこれはいま御指摘ございましたように、先々政策的に変動する要因がございますけれども、それを除外して考えてみましても、毎年二十万人程度の児童数の増がありまして、今日九百七十万人程度の児童数が昭和六十年には千百八十万人というふうに推定をされます。したがいまして、それに対応する基本的な教員の供給という点を考えますと、どうしても平均して二万三千人程度毎年の供給が可能であるようにする必要があろう。今日一万七千人程度の需要供給数になっておりますが、これが二万三千人程度に平均して高まっていくというのが基本的に考えておかなければならないことではなかろうかと思っております。いままで私ども過密地帯を中心にいたしまして、昭和四十五年から四十八年度まで二十二大学にわたって一千六十人の国立大学におきます小学校教員養成課程の増募を行なってまいりました。また急増地帯に対応いたします資格付与事業等を進めてまいったわけでございます。今後の動向といたしましては、小学校教員の養成課程そのものの拡充ということをやはり計画的にも考えなければならぬというふうに思いますが、教員の需給が年によって変動もあることでございますから、すべてを正規の教員養成だけでまかなっていくというわけにもまいりませんので、弾力的に対応できるような今回の教員資格認定試験のような制度もあわせて運用したいというふうに考えておるところでございます。
  52. 高橋繁

    高橋(繁)委員 現在やっていることはよくわかるわけですけれども小学校では教員がどう、中学がどう、高校ではどう、あるいは小学校の普通免許状を持っているのはどう、そういうような全体的な需給計画というものは、一応素案でも、あるいはそういうものを文部省としても考えてはいないかということを聞きたいのですが、現在やっているということよりも……。
  53. 木田宏

    ○木田政府委員 さきにお答え申し上げましたように、児童数の増に対応いたしまして教員の需要数というものを、退職補充も加えて、昭和四十九年から六十年までの一応の推計等はいたしておるわけでございまして、年によりまして二万一千、多い年に二万八千等の増減が予定されるというふうに考えております。現在、昭和四十七年度におきましては、冒頭に御説明申し上げましたように、一万七千人の供給になっておるわけでございますが、四十八年度以降のことを考えて、二万三千人程度の平均を確保いたしますためには、学生増募とそれから教員資格認定試験等の新たな要因によりまして、約四千人程度を考えなければならないだろう、こういうふうに考えておるところでございます。
  54. 高橋繁

    高橋(繁)委員 今回の免許法改正の問題が出てきたというところにも、ある程度将来を見通した教員の需給計画といいますか、体制といいますか、そういうものがないと、今後養成大学で何名つくるということも出てこないし、あるいは定年制の問題、そのほかいろいろ、定員、定数の将来見通した計画ということで、昭和何年ごろにはこれだけの教員が必要だ、だからいまから養成大学でこう養成しなければならないということが出てこないと思うのです。中教審の答申に需給計画というのがありますね。あれについてはどうお考えですか。
  55. 木田宏

    ○木田政府委員 いま御指摘のございました中央教育審議会の答申では、昭和四十七年から五十五年度までに年平均二万一千という総需要数をはじき出しておるのでございますが、先ほどちょっと御説明申し上げましたように、将来を考えますと、もう少し小学校で多くの数を考えておかなければなるまい。そしてその差増といたしまして四千人程度の増を毎年供給できるような方策も考えていかなければなるまいというふうに考えております。
  56. 高橋繁

    高橋(繁)委員 もう少し具体的に。現在教員が不足をいたしておる。先ほども意見が出ておりましたが、いわゆる過疎、過密、過疎県については、教員の需給はどのようになっておりますか。
  57. 岩間英太郎

    岩間政府委員 過疎県におきます教員養成大学と卒業生、それから実際に就職いたします教員との間にはかなりのアンバランスがあります。少ないところでは五、六十名しかとれないというふうな場合もあるわけでございます。  大学の考え方でございますけれども、これは全国各地からどこの県の大学へでも来てよろしいということではございますけれども、現実問題としては、その県の大学を御卒業になった方は、やはりその県で将来就職を希望するという方が多いわけであります。そういう意味の需給のバランスはとったほうが望ましいわけでございますが、しかしながら、その県の青年たちに大学に入学する機会を与えるという意味から申しますと、ある一定の定員は確保しなければいけない。しかし、卒業しても実際にその県での就職ができないというふうな、ちょっと矛盾した、非常に困ったことが起こっているわけでございます。その県で就職できればよろしいのでありますけれども過疎現象と申しますのは、文部省側から見ますと、われわれとしてはちょっと不可抗力な現象に伴ってそういう問題が起こっているわけでございますが、先ほどお答え申し上げましたように、各県の教員の交流ということを私どもとしては考えております。そういう面におきまして、各県の大学と就職先との調整をはかるということを考慮してまいりたいと考えております。
  58. 高橋繁

    高橋(繁)委員 各県の交流ということの前に、いまの大学の話がありましたが、現実にたとえば青森県の例をとりますと、専門教科の担任の先生がきわめて不足しております。しかも、中学校先生に例をとりますと、免許外授業を担当している先生が千八百五十五人おるという状況で、過疎県ではそういう現象が起きておるわけであります。これに対する対策というか、考えはお持ちになっておりますか。
  59. 岩間英太郎

    岩間政府委員 先ほどもそういう御指摘があったわけでございますけれども、特に僻地小規模学校あたりでは、ただいま御指摘になりましたような現象があるわけでございます。これは現実的に申しますと、御指摘のとおり好ましくない点でございますから解消しなければいけない。その解消いたします場合に、方法といたしましては二つあるわけでございまして、一つは、定数面でのめんどうを見てまいるということであろうと思います。それからもう一つは、各県におきまして人事管理を適切に行なうということもあろうと思います。人事管理でやれる限界というものは、もちろんあるわけでございますから、私どもといたしましては、そういう事態が生じないような定数上の配慮をするということは一つの方法であると考えております。
  60. 高橋繁

    高橋(繁)委員 過疎ではそういう現象、その反対に過密のところでは、先ほど来話してまいりましたように、仮免を持っている人がきわめて多い。例をとりますと、これは新聞のあれによりますと、神奈川が二百八十五人、大阪が二百十四人、埼玉が百四十九人、千葉が百四十六人、東京が百四十三人、こういうふうに非常に過疎と過密のアンバランスがある。  それで先ほど来出ておりましたが、過密の県から過疎の県へ教員を募集に行く。またアンバランスを解消するために調査費を計上したというけれども、千葉県でしたか、大分県へ募集に行ったところが、確かに三十名応募したが、その中で実際に就職したのはたった六名である。こういう現状で、そういうような調査費をつけて調査をやるけれども、なかなかこのアンバランスは解決できないということになると、もっと根本的な問題がありはしないか、こう思いますが、その根本的な問題を解決しない限り、この過疎、過密の教員の需給というものが解決できないのじゃないか。それについて、どちらでもけっこうですからお答え願いたい。
  61. 岩間英太郎

    岩間政府委員 御指摘になりました過密地帯の臨時免許状所有者の授業の担当でございますけれども、これも好ましいことではないのでございますが、また各県もこれは苦しまぎれにやっているところが確かにあると思います。しかし、いまは小学校のほうで教員足りませんが、これが中学校のほうに移っていくのかどうかということも見通しがなかなかむずかしいことでございますけれども、あるいは将来今度は中学校のほうが足りなくなった、そうすると仮免のほうが、本来中学校免許状を持っておる者を向こうに移せる可能性があるわけでございます。ちょっと将来の可能性でございますからなかなか見通しが立てにくいのでございますけれども、そういうこともあるいはお考えになってやっているんじゃないかというふうな感じもしないことではございません。これが将来どうなってまいりますか、ちょっとむずかしい問題でございますけれども、一応そういう形もあるのかなという感じもするわけでございます。  それから、確かにそういうふうなアンバランスがあるということにつきましては、基本的な問題があるとおっしゃいましたが、私どももそのとおりだと思います。しかし、教育上のとり得る措置というのはある程度限られておりまして、過密、過疎という現象そのものを、日本の社会が大きく動いている、そういうことを教育の面から根本的に解決するということは、事実上私どもとしましては不可能なわけでございます。そういう現象に対応いたしまして、できるだけ教育に被害が及ばないように私どもとしては最善を尽くす。その方法の一つとしては、各県の人事交流その他を、先生がおっしゃいましたのとある程度通ずるところがあるかもしれません、一年間調査をいたしまして、もし基本的に解決するようなもっといい案がございましたら、そういう方法で対処してまいりたいというふうに考えておるわけであります。
  62. 高橋繁

    高橋(繁)委員 過疎、過密ですね、一応私は申し上げたのですが、大体地方がきまっているのですね。たとえば東京中心とした、神奈川、埼玉、千葉、それから大阪、それから名古屋、この辺が大体教員でいえば百人以上仮免を持っている人というように、そうした過疎、過密の状況は大体わかるのですよ。したがって、私が先ほどから申し上げているように、やはり文部省として教員の需給体制、ある程度のものをつくっていかないと、じゃ、それに伴って免許法をどう改正するか、あるいは教員養成をどうしていくかということが立たないのじゃないか、こう思うのですよ。だから、そういうことを申し上げるので、先ほどの中教審なりにしても、あの計画は全くでたらめといえばでたらめな計画なんですよ。かりに昭和四十六年度の一応の幼稚園、小学校中学校の増加の必要数というものが出ておる。ところが計画は、小学校の場合二千九百人ですか、実際は四十六年度に六千五百人ふえておるわけですね。相当な開きがある。中学校のほうはマイナス三千八百人なんです。ところが、プラス千百人ふえている。こういうような状況で、この計画も当てにならないと思うわけですよ。したがって、需給計画が、そう正しくはいかなくても大まかなものに立っていかないと、将来の日本教員の需給というものはできないのじゃないか、こういうことを思うわけですが、そういうことについていままでつくれなかったのか、あるいはつくらなかったのか、あるいは将来はそうしたある程度のものをおつくりになる計画が、考えがありますか。
  63. 木田宏

    ○木田政府委員 いま御指摘ございました中央教育審議会の試算は、あれを作成いたしましたときの一定の条件のもとでの試算でございまして、教員定数基準の改定その他いろいろな諸条件が加わってまいりますので、数字そのものは若干程度の増減が起こってまいります。しかし、先ほど来申し上げておりますように、今後これから先十年余り小学校児童の数が恒常的に拡大をしてまいりますので、今日の時点におきます一万七千人程度の需給というものが四千人程度ふえていく必要がある。年によりまして、試算の上ではある年に二万八千人要るというようなデータが出たり、ある年に二万というようなデータが出たりいたしますけれども、平均的なめどとして、現在よりも約四千人程度の増というものを考えていかなければなるまいという一応の目算は立てました。しかしこれにいたしましても、定年制延長等の施策が出たりしますと、また別の要因も動きます。さらに週休二日というような問題が加われば、またさらに増がふえるというような問題もございますので、それらは別途といたしまして、私どもといたしましては御指摘のありました過密県に対する教員養成大学の定員の増というものを過去五年間に一千人ほど加えてまいりました。これからも教員養成、特に小学校教員の養成につきましては、国立大学におきましてもかなりの増を計画的に考えてみたいというふうに思っておりますが、それとあわせまして今回のような資格認定事業というものも加えまして、弾力的に対応できるような措置にいたしたい、こう考えておる次第でございます。
  64. 高橋繁

    高橋(繁)委員 同じ答えなんですけれども……。  初中局長にお聞きしたいんですけれども、将来日本教育をどうしていくかということで先ほども話がありましたが、定員定数についても将来こうしていくという計画はおありでしょう。あるいは定年制の問題、週休二日制のいまお話の問題、あるいは女子教員の育児休暇という問題もいま盛り上がってきておりますから、そういう問題も考えて、将来を見通した定員定数の問題とか、そういう問題お考えになっておりますか。
  65. 岩間英太郎

    岩間政府委員 教員定数の問題につきましては、私ども将来こうありたいということはずっと考えてきておるわけでございます。先ほどもお話ございましたように、たとえば小規模学校の問題、それから先生も御指摘がございましたいわゆる無免許運転の解消の問題、それからたとえば過疎地帯の複式化等の問題、こういうものにつきましては、これは教育効果をあげますためにできるだけ解消方向努力をしていく。それから専科教員の問題等につきましても考えていきたいというふうな希望は持っております。しかしながら、別の要素としまして、先生指摘のように週休二日の問題、それからこれから二〇%ぐらい子供がまたふえてまいるというふうな問題が片一方ではあるわけです。したがいまして、私どもが希望しておりますことが一挙にできるかどうかという点では、いまこの先五年間くらいを考えました場合には、いろいろな問題があると思います。  それともう一つは、子供が将来どうなっていくかというのは、これは六歳で小学校に入るわけでございますから、それ以後になりますと、六年間以後になりますと子供が一体どういうふうに動いていくか、たとえばことしあたりのひのえうまというような突発的な事態は別にいたしましても、今後の傾向がどうなっていくのか、それを見通すというのはちょっとむずかしゅうございます。ところが大学の養成のほうは四年間かかる。結局四年後にならないと出てこない。つまり正確に把握できるのが二年間程度のところというふうな問題もございますので、なかなか定数にしましても予測はむずかしいのでございますけれども、まあできるだけ私どものほうは過去の経験に基づきまして、そういう予測を立てて御指摘のような計画的な養成というものをはかるべきであるということは、御指摘のとおりでございます。
  66. 高橋繁

    高橋(繁)委員 ひのえうまですか、突発的に起きたんじゃなくて六年前にもうわかっている問題なんですよ、そういう問題は。そういうことで、私はある程度やはりそうしたものを見通した教員の何回も言うのですけれども需給計画文部省考えなければ、これから出てくる法案がいつも行き当たりばったり的な法案になりかねないということを申し上げたいので、ほんとうに人材教育界に集めたいというならば、一体この教員養成大学の志望者の成績とかあるいは意識調査、ほんとうに養成大学に希望して教員になりたいという意識があるのかというようなものも、ある程度はマスコミ等で出ておりますけれども、そうしたところまで考えて、将来を見通した、教員人材を集めるということを考えなければならないと思うのですが、まあこれは需給計画を、文部省でつくるように綿密なものはできないと思うのですけれども、ある程度見通したものによって将来の教員需給、養成の計画を持たなければならないと思います。  次の問題に移りますが、今回の小学校教員資格認定試験は、豊富な経験と十分な指導体制を持つ大学のうちから地域的な配慮をして数校選ぶ。これは先ほどもありましたが、その数校というのは、地域的な配慮を加えたということでありますが、どこら辺をお考えになっておりますか、わかれば……。
  67. 木田宏

    ○木田政府委員 予算の積算といたしましては、八大学に委嘱するというような積算をいたしておるわけでございます。まあ常識的に考えてみまして教員養成の単科大学のあるブロック単位のところでしかるべき大学をお願いをしたいというふうに考えておりまして、まだ現在どこの大学というふうに決定はいたしてございません。
  68. 高橋繁

    高橋(繁)委員 先ほどから出ておるように、非常に教員の不足は過密のところに多いわけで、したがって、そういう配慮はなされませんでしたか。
  69. 木田宏

    ○木田政府委員 御指摘の点は、当然考慮に入れて考えなければならぬと思っております。
  70. 高橋繁

    高橋(繁)委員 それからこの広く人材を集めるということから考えますと、まあ地域的に八校くらいやりたいということになると、ブロック別に北海道だとか東北とか関東、中部になりますね。まあそれくらいの八校くらいで一体広く人材を求めるという——たとえば中部圏でいいますと、名古屋中心だから名古屋になるでしょう。するとそれを取り巻く数県からそういう小学校教員あるいはほかの教員等の広く人材を求めるということが、一体可能ですか、できますか。
  71. 木田宏

    ○木田政府委員 現在高等学校教員につきましては、第一次試験を全国四カ所で実施して、かなり幅広くいろいろな県からの志望者を得ておるわけでございます。小学校教員の場合に、やはり地域との関連をもう少し緊密なものとして考えたほうがいいということで、しかも認定試験の実施も、小学校教員の養成を担当している大学で実施していただいたほうがいいという考え方から、一応ブロック単位に八大学程度を積算をしておるわけでございますが、まあ実施いたしてみまして、その状況その他によってまた手直しをしなければならぬことがあれば、当然私どもも、個所数その他考え直してみたいと思っておりますが、まず第一の段階では、まあ予算の積算以内のところで手がたく実施をしてみたいというふうに考えております。その場合に、かなりの範囲からその応募者を求められるのではなかろうか。これは通信教育に対する受講者の動向等から考えてみましても、当該県だけに片寄るということにはならないであろうというふうに期待をいたしております。
  72. 高橋繁

    高橋(繁)委員 まあそれについてはかなりの宣伝啓蒙というものをしなければならないと思うのです。先ほど言いましたように、たとえば過疎、過密のアンバランスをなくするために、東北で採用された先生を関東圏へ持ってくるとかいう場合に、先ほど話したように、大分から持ってこようと思ったがたった六名しか来なかったということを考えますと、こういうことが一体、実際は受験するけれども、いざ就職になると神奈川へ行かなければならないとなると、非常にむずかしい問題がやっぱりあると思うのです。先ほど来申し上げたように、やっぱりこれについても根本的な対策といいますか、そういうものを考えなければならないと思うのですが、これは大臣にお聞きいたします。
  73. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 お話のとおり、関係者に広く知らせることが一番大切であります。ことに初めての場合にはその配慮が特段に必要じゃなかろうか、かように考えているわけでございます。広報関係の手段もかなり発達してまいってきているわけで、ラジオ、テレビの利用方法もあるわけでございますし、また一般の新聞その他の面におきましても、私は協力を期待できるんじゃないかと考えているわけでございます。もちろん文部省といたしましては、文部広報でありますとか、あるいは教育委員会を通じての伝達でありますとか、あるいは学校を通じての伝達でありますとか、そういう方法も持っているわけでございますので、特別な配慮をいたしまして関係者に周知徹底させるということについては、特段の努力を払っていきたいと思います。   〔委員長退席、内海(英)委員長代理着席〕
  74. 高橋繁

    高橋(繁)委員 それから、小学校の実際の場合に、もし認定試験を考えようとされて実施してやった場合に、「当分の間、二級普通免許状とする。」というふうにこの中間報告の中にありますが、当分の間というのは一体どれほどに考えておりますか。
  75. 木田宏

    ○木田政府委員 この教員資格認定制度の中間報告では、「当分の間」という書き方をいたしてございますが、今回御提案を申し上げております法律の上では、別に当分の間ということになっておるわけではございません。なぜこの間報告で「当分の間」というようなカッコ書きの表現をつけたかと申しますと、これは教員養成審議会の建議の中に、免許状の種類を、いまのような普通免許状一級、二級という区分でなくて、四年制の大学卒業者に対する普通免許状という制度にしてしまうほうがいいという基本線を打ち出しておるわけでございます。この協力者会議は、その基本線を受けて検定制度のことを論じたものでございますから、親審議会であります教員養成審議会のほうで提唱しております普通免許状の制度が改まったならばそれはまた別という意味で、この現在の免許状の制度が行なわれる間は二級普通免許状である、こういう意味でございます。
  76. 高橋繁

    高橋(繁)委員 そうしますと、将来またその免許法改正を意図しているということですね。
  77. 木田宏

    ○木田政府委員 免許制度につきましては、今回御提案申し上げておりますもののほかにも、免許状の種類、等級等についていろいろと御論議がございまして、なお検討を重ねておるところでございますから、そういう検討が済みまして、私どもの案もまたまとまった段階にはいずれ御審議をいただくこともあろうかと思いますけれども、現在それはいついつにどうなるというふうに予定をされたものではございません。建議を受けてさらに私どもも検討し、教員養成制度審議会も、普通免許状制度についての建議だけは出ましたけれども、あとの初級免許状と上級免許状につきましての検討はまだ今後に残されておりますので、そうした御論議がまとまった段階で私どもとしては次の手当てを考えたいというふうに思っております。
  78. 高橋繁

    高橋(繁)委員 さらにこの中間報告の実施方法についての中を読みますと、「音楽、図画工作、体育、家庭の四教科については、これらのうち二つを受験者に選択させ、実技試験を含めて行なうこと、」こうなっております。実際問題教員の経験のない人あるいは教職課程も修得していない人に「音楽、図画工作、体育、家庭の四教科については、これらのうち二つを受験者に選択させ、」ということになりますと、きわめて困難でありますね。もし局長でしたら、二つ、どの教科をお選びになりますか。
  79. 木田宏

    ○木田政府委員 いま御指摘の点は、小学校教員としての資格認定試験でございまして、小学校教員は全科担当になるわけでございますから、いまおあげになりました四つ全部でないまでも、少なくとも二科目程度につきましては、クラスを担任して指導していけるだけの力を持っている人でなければなるまいというのが御意見でございます。私はその適格性があるかどうかわかりませんが、その意味では小学校先生の資格というのもなかなか高いものだと考えます。
  80. 高橋繁

    高橋(繁)委員 これはやはりかなり検討しなければならない問題だと思うのですよ。もちろん全教科を担当するのがたてまえです。しかし、教員になられてから勉強する機会もありますしね。ほんとうに教員採用ということからいくと、ぼくも教員やっていたのですけれども、四教科のうち二教科を選ぶということはなかなか至難です。現職ですら至難です。しかも実技試験を含めて行なうということですから、これはなかなか容易なことではなかろうと思いますので、ひとつ検討をしていただきたいと思います。  次に進みますが、これは文部大臣が最近お話しになり、あるいはお考えを持っているようでありますが、これは最初の日にいろいろ論議をされた問題です。特殊学校の養護訓練、この問題についてさらに詳しく、もう少し詰めて質問をいたしたいと思うのです。  たとえば養護学校でもけっこうです。昭和四十七年度から養護訓練の指導要領が改定になっているでしょう。現状はどのように養護訓練を担当していらっしゃるのですか、その状況について。
  81. 岩間英太郎

    岩間政府委員 新しい学習指導要領によりまして、養護訓練という新しい領域を設けたわけでございます。そこで当然それに伴う担当の教員が必要なわけでございますけれども、いまそういう者を養成しているという機関はございません。したがいまして、私どものほうでは昭和四十三年以来それにかわるべき講習会をやりまして、大体最初は百六十名程度でございましたけれども、現在は五百名程度の者につきまして、その講習会によって担当の教員の養成と申しますか、そういうことをやっておるわけでございます。現状はそういうことでございますけれども、これは新しくできた領域で、これから本格的にそういうものを担当するような教員養成というものを考えていかなければならない、そういうふうに考えております。
  82. 高橋繁

    高橋(繁)要員 養成のことについてはまたあとからお聞きいたしますが、この養護訓練の指導要領を見ますと、「養護・訓練に関する指導は、養護・訓練の時間はもちろん、学校教育活動全体を通じて適切に行なうものとする。」こういうように一応明記されておりますね。そうしますと、養護訓練の指導は基礎免を持った教諭が当たることが理想であると私は解釈するわけですが、そのように解釈してよろしいか。
  83. 岩間英太郎

    岩間政府委員 こういう特殊学校におきます子供たちは、言ってみますと機能の回復と教育というものを両方あわせて行なわなければならないということでございますから、全部の先生方が機能訓練には御留意いただくということは、これはある意味では当然ではないかと思います。しかし、せっかくこういうふうな領域を設けまして、そちらのほうにも力を入れていこうというわけでございますから、ただいま先生指摘になりましたように、専門の者が中心になるということはどうしても必要であろう、そういうふうに考えております。
  84. 高橋繁

    高橋(繁)委員 養護学校などではやはり四六時中が養護訓練なんだ、一応こういうように解釈して現在担任の先生が当たっておるようです。  ところがもう一点、この学習指導要領の二三ページですが、養護訓練の時間の指導——いまのは養護訓練について国語の時間であっても、特活の時間であっても四六時中指導するわけです。ところが養護訓練の時間は、一週間に三単位ですか、やらなければならないとなると、この「時間の指導は、専門的な知識、技能を有する教師が中心となって担当し、」とこうなっているわけです。そうなってくると、この養護訓練の時間における指導は、先ほど申し上げた基礎免を有した全般的なそうした養護訓練の知識を得た者じゃなくて、この養護訓練の担当教諭はいわゆる専門的に養護訓練に当たるということになると、一応の技術を有しなければならないというように解釈をいたしますが、それでよろしいですか。
  85. 岩間英太郎

    岩間政府委員 おおむね私はそれでよろしいと思います。ただ、養護訓練と申しますのは、単に教えるあるいは訓練を施すということじゃなくて、子供たちもみずからがそういう機能を回復しようという意欲なりまた実際の行動なりというものをやらなければならない。つまり先生子供が一緒になって、特に子供たちのほうが主体的に意欲を持ってやらなければならないという面が、ほかのものと若干違う点であると思います。ただいま先生のおっしゃったとおりであると思います。
  86. 高橋繁

    高橋(繁)委員 そうしますと、この養護訓練の時間の指導は専門的な知識、技術を有した教師、この免許状は教養審の建議にある視覚訓練とか聴覚訓練とか言語訓練、養護活動あるいは生活訓練、心理治療ですか、こういう免許状を有した人が、実際技術を持った教諭として養護訓練の時間の指導に当たるということになりますか。
  87. 木田宏

    ○木田政府委員 そのように考えます。
  88. 高橋繁

    高橋(繁)委員 そうなりますと、この免許状は、先ほど来意見も出ておりましたが、たとえば聴覚訓練の免許状を持った人が盲学校の養護訓練もできるし、この教養審ではできることになっておりますね。あるいは特殊学校、養護学校に行ってもその指導ができるということになると思うのですが、それでよろしいですか。
  89. 岩間英太郎

    岩間政府委員 それでよろしいと思います。ただ、先生のお尋ねがもし、聴覚訓練をやっておる者が肢体不自由児の肢体の養護訓練をやるという、そういう意味でおっしゃるのでしたら、それは常識上もそれから技術上もあり得ないことだと思います。しかしながら、養護学校にも聴覚障害があって、しかも肢体不自由の者があるということ、それから特殊学級でもやはり聴覚機能の障害がある者がおるわけでございますから、そういう意味では両方で兼ねてやれるという原則を立てることはむだではないというふうに考えておる次第でございます。
  90. 高橋繁

    高橋(繁)委員 そういうことになりますと、実際養護訓練の時間の特別な指導を、そういう免許状を持った人がそういう指導に当たるということになると、なかなかむずかしいと思うのですね。特に特殊学校子供の病気というものは、耳が聞こえないおしの子もあれば、その子の病気の原因が違うのですね。それによっていろいろな子供があると思うのですね。盲学校のそうした二重の、めくらとおしというような方もありますし、足が悪くて耳も聞こえないということもあるし、そうなってくると、養護訓練の時間の指導を担当する教員が聴覚訓練だけの免許状でいずれの学校にも適用できるということになると、非常にむずかしい問題が起きてくると思うのですね。そういうことになるとたいへんに支障を来たすと思うのです。いま現場では、養護学校を例にとりますと、先ほど申し上げたように四六時中養護訓練をやるんだ。一番困っているのはそうした技術の面ですね。もしほんとうに養護学校で一人か二人専門の人がいらっしゃれば——足が悪い子について一体どういう養護訓練をしたらいいのかということが一番困る。その特別な時間を担当する専門の養護訓練の先生がほしいということをいま言っているわけです。その先生がただ単にどこの学校にも通用できるような免許状を持った先生だけであるとすると、非常に片寄ってくるし、また専門的にもなってこないというきらいがあるし、また間違えばたいへんなことにもなると考える。その辺の心配はないですか。
  91. 岩間英太郎

    岩間政府委員 先生の御指摘ないしは御心配というのは、当然そういうことがあり得るだろうと思います。しかしながら、肢体不自由の学校で、たとえば肢体不自由関係の養護訓練の専門家がおりました場合には、たとえば盲学校あるいはろう学校あるいは特殊学級でも同じような症状の者がかりにあるとしました場合、それに手伝いにいくと申しますか、非常勤講師というような形で、実際にそういう養護訓練を担当していただくということも可能であって、また現実にそういう必要性があるということであれば、またそれもけっこうなことじゃないかというふうに考えます。
  92. 木田宏

    ○木田政府委員 養護訓練の免許状の現実の扱いにつきましては、文部省令等でこまかくきめることになるわけでございますが、御心配のような点もあろうかと思いますので、養護訓練を担当いたします教員免許状につきましては、担当するその障害の種類等を注記するようなことを考えておくほうが、関係者の扱いにもよろしいのではないかというふうに思っております。おのずから視覚障害あるいは聴覚障害等に対応する聴覚訓練でありますとか、肢体不自由児を扱う養護訓練の場合のセラピストには、そのようなことが判明するような明記をいたしたいというふうに考えております。
  93. 高橋繁

    高橋(繁)委員 ぜひそうしていただきたいと思うし、私、一つの案ですけれども学校別にたとえば盲学校の養護訓練の先生、ろう学校の養護訓練の何を担当する先生あるいは養護学校というように、学校種別にしたらいいと思うのです。たとえばその養護訓練の先生は養護学校の養護訓練の先生である、あるいは盲学校の養護訓練の先生であるというようにしたほうがまだいいと思うのです。そういうふうにひとつお考えになっていただきたいと思うのです。  そこで、文部大臣が昭和五十四年までに養護学校の設置の義務化をはかる、精薄が百四十九校、肢体不自由児が四十六校、病弱が五十八校、それをやっていこう、また特殊学級ですか、一万三千の特殊学級を新設をしていこうというような六カ年についての計画ですか、というものをお持ちのようであります。そうなりますと、昭和五十四年にはかなりのそうした養護訓練の担当の先生あるいは特殊学校教員というものが明らかに足りないということがわかるし、必要だということもわかってくるけれども、一体その教員の養成はいまどのようにお考えになっておりますか。これは大臣にお聞きします。
  94. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 いまお話しになりましたように、五十四年度から府県が養護学校を設置しなければならない義務、父兄が心身障害の子供でありましても就学させなければならない義務、これを施行したい、こう考えているわけでございます。しかし、現実にそれだけの施設の整備をしてもらわなければならないわけでございますので、現在自治省と大蔵省と話し合いを済ませまして、各府県に照会をしているところでございます。この義務制を実施したい、それまでの間にどのような養護学校を何年にどの程度つくるかということでございます。その場合には、収容する児童を頭に置いて学校計画を立ててくれるわけでございますので、それとにらみ合わせましていまおっしゃいました教員の養成計画も進めていかなければならない、かように考えているわけでございます。施設先生方の養成、並行的にやっていきたい。しかし、そういたしましてもすでにそういうものを整備する方向で進んでいるわけでございますので、若干国立大学等におきましてもそういう養成課程等を充実しつつあるわけでございます。しかし、もっと具体的な両者合わせました計画は、いま申し上げましたような照会の回答を待って確実なものにしたい、かように考えております。
  95. 高橋繁

    高橋(繁)委員 大学局長にお聞きしますが、現在それぞれの既設の大学で特殊教員の養成の定員がございますね。この現状について、一体この定員どおり養成されているのかどうか。   〔内海(英)委員長代理退席、委員長着席〕
  96. 木田宏

    ○木田政府委員 現在養護学校で特殊な教育を担当いたします教員は、主として国立の教員養成大学の学部の養護学校教員養成課程で養成をされております。昭和四十七年度当初の特殊教育教員の採用者数は、新規卒業者のほか小中学校等からの異動を含めて約九百人程度でございます。現在養護学校関係の教員養成課程、四十八年度までのところを含めまして課程数で大体五十六課程、入学定員におきまして千百二十名ほどの定員を持っております。まあこの定員どおりというわけにはまいっておりませんけれども、かなりこの線に近いところまで養成数が進んでおるというふうに考えております。
  97. 高橋繁

    高橋(繁)委員 先ほどの大臣の説明にもありましたように、この調査でいくと、推定の心身障害児童数は現在五十四万人おります。その一〇〇%就学はなかなか困難だろうと思うのですが、かりにその人たちが就学できたといたしますと、定数八名ですか、ざっと単純な計算をしていくと六万七千学級というものが必要になってくる。ところが、現在の養護学校、特殊学校教員の数は、これで見ますと一万四千六百一名本務者がいる。兼務者を入れて一万五千一日人ですか。そうすると、約六倍ぐらいの教員養成をしないと昭和五十四年、約六万人の教員を必要とするから多少違うと思うのですが、それにしても三倍ないし四倍の教員を養成しなければ、文部大臣がせっかく言っている養護学校、特殊学校を含めまして教員不足がもう必ず来る、養護訓練という大事なものを受け持つ教員というものがいまでも不足しておりますから。そういう計画というものは実際ありますか。
  98. 木田宏

    ○木田政府委員 特殊学校の拡充に対応いたしまして、数の上で一番必要になるのはやはり基礎免を持っておる普通の教科の職員だろうと思います。いまのところ盲、ろう、養護学校等の教職員の過半の方々は、基礎免の所有者に対して特殊教育学校勤務のための特別の資格の付与その他の講習等を行なって、そこに勤務をしていただいている方が多いというふうに数字の上では承知をいたしております。それはやはり教職員の将来の異動等のこともありまして、基礎免資格者による幅広い教職員の層というものを考えておく必要があるからでございます。  それからもう一つ、特殊教育の諸学校におきます特殊教科の担当者につきましては、ただいま御審議をいただいておりますように、資格認定制度によりまして、その資質の適合した方を採用できるようにしたいということで御審議いただいておるわけでございます。これは現在の大学における養成の道がほとんど期待できない領域でございます。ですから、機能訓練士あるいは視覚訓練上等のそういう特別な人たちの養成課程はいろいろ特殊な養成機関によって養成をされておりますので、こういう方々に教員としての正規の就任ができるように免許資格を与えたい。このためには資格認定試験によって免許状を与えていくという以外にはございません。一般的にどれだけその教員が資格認定試験で得られるかという点は、確かに御指摘のように問題もあろうかと思います。これは日本のそういう福祉関係の特別な指導職員全体の養成を拡充していくというもっと幅広い施策の中から出てくることだとも思います。将来の課題といたしましては、特殊学級の適任者を、大学での養成ということで考えていかなければならぬ面も起こってくると思いますけれども、今日の段階では、需要に対応いたしますために資格認定試験の制度を開いておきまして、その養成にこたえるというふうにいたしたいと考える次第でございます。
  99. 高橋繁

    高橋(繁)委員 たいへんなことになってくると思うし、きわめてその中で特殊な教科、あるいは先ほどから言っておる養護訓練を担当する教員の養成あるいは研修を含めてやるというのですが、先ほど初中局長研修をやってやると言っておりますが、その研修はどこでどのようにおやりになっておりますか。
  100. 岩間英太郎

    岩間政府委員 昭和四十六年度につきまして申し上げますと、盲の部会は東京の国立教育会館、それからろうの部会は東京教育大学、それから精神薄弱の部会は東京学芸大学、肢体不自由の部会は東京学芸大学、病弱の部会が国立教育会館、各部会百名、合計五百名でございます。
  101. 高橋繁

    高橋(繁)委員 もしできた場合に、今後養護訓練を担当するそうした教員研修といいますか、それはどのようにお考えになっていますか。
  102. 岩間英太郎

    岩間政府委員 私どものほうも、従来のような形でもう少し規模も大きくいたしまして、実際にそういう教員の養成ができるようにしてまいりたいというふうに考えております。
  103. 高橋繁

    高橋(繁)委員 養護訓練の場合、それはどれくらいの期間を考えておりますか。
  104. 岩間英太郎

    岩間政府委員 幸いに国立の特殊教育研究所の新設を認めていただきましたので、そこには研修のためのスペースが二百四十人、それから百人を入れる教室が一つと五十人が二つ、三十人が四つというふうなものもございますし、それから宿泊施設も兼ねております。したがいまして、ここではかなり長期の研修ができるわけでございます。一年間の長期研修、それから半年の長期研修あるいは三カ月の長期研修というようなものを併用してやってまいりたいというふうに考えております。
  105. 高橋繁

    高橋(繁)委員 まさか半年やそこらで終わらないと思うのですけれども、そうした養護訓練の時間を担当する教員は、特別にかなりの技術的なものを修得しなければならないと思う。またそうでなければ、せっかく指導要領にもありますのに、その効果もないと思うのです。したがって、養護訓練についてはかなり問題もございますし、もしそうなった場合ですが、今後の研修の面でかなりのことをやらないとこの効果は期待できない、こう思うわけであります。  最後に、これも問題になりましたが、特殊学校の寮母は教諭にすべきじゃないかという意見もありました。確かにそのとおりですが、現在、特殊学校における寮母の資格の規定はありますか。
  106. 岩間英太郎

    岩間政府委員 寮母に関する規定は、現在、学校教育法の施行規則で、世話及び教育に当たる職員といたしまして規定がございます。さらに今度御提案を申し上げております学校教育法の一部改正におきまして、寮母につきましては正式に法律上の職名と、それから職務内容を規定いたしたいというふうに考えておるわけでございます。
  107. 高橋繁

    高橋(繁)委員 採用の資格ですね、寮母になるための。たとえば高校卒業であるとかいうような資格はありませんか。
  108. 岩間英太郎

    岩間政府委員 現在のところはないわけでございますが、先ほども御説明申し上げましたように、約二千五百名のうちの千五百名程度が高等学校卒業で、そのほかが短大卒業、大学卒業、このうち大学卒業は五十四、五名ということになっております。
  109. 高橋繁

    高橋(繁)委員 これは教育の任に当たるというように記されております。ところがほかの例を申し上げると、児童福祉施設の場合の寮母の資格というのはちゃんとあるのですよ。たとえば「厚生大臣の指定する児童福祉施設の職員を養成する学校その他の養成施設を卒業した者」「保母の資格を有する者」「学校教育法の規定による高等学校を卒業した者」、こういうような寮母に対する資格が福祉法からいうとちゃんとあるわけです。特殊学校の寮母についてはこの前御意見が出ましたように、教育の任に当たるというような内容についてはきわめて高度なものを設けておる。ところがその寮母になる資格というものは何ら規定されていない。中学を卒業した者でもかまわない、こういうことですね。それではやっぱりいけないと思うので、今後、特殊学校についても寮母を採用する資格といいますか、条件というものは設けるべきだと思いますが、この点について伺いたいと思います。
  110. 岩間英太郎

    岩間政府委員 たいへんいい御意見だと思います。法律でもって内容がはっきり定まりました場合には、そういうものを考える必要は当然あろうかというふうに考えます。
  111. 高橋繁

    高橋(繁)委員 最後に、文部大臣にお聞きしたいんですけれども、一連のこうした免許法、その他人材確保法案も出てくるようでありますが、いずれにしても日本教育の将来を見通した教員の需給計画なり、あるいは文部大臣が言っているように、五十四年までには養護学校をつくっていこうというならば、いま少し将来を見通した教員の養成、需給計画というものをつくった上で免許法をどう改正すべきか。将来免許法をまた改正するというようなことを大学局長言っておったが、そういうつけ焼き刃的なものを一年、二年たたないうちに出さずに、人材を集めるのならばもっと根本的な教員の養成、もっと根本的な改革を手がけていかなければならないと思うのですが、その点についての文部大臣の見解をお願いします。
  112. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 全く同感でございます。そういう気持ちで小学校の教諭につきましても、児童数が毎年非常にふえていきますので、将来を見通した需給計画を立てなさい、こう言いつけてまいっておるわけでございます。そういう趣旨のもとに、今回また資格認定試験その他のことも配慮しているわけでございます。それ以外に養護学校の問題もございますし、また大学進学率が上がってくる。それに対応いたしまして国公立の大学を中心にして増設をしていかなきゃならない。その場合にも、どういう学科目を中心に増設するか。したがいまして、それを受けまして教員養成計画も具体的に変わってくるわけでございます。おっしゃっていること、そのとおりでございまして、そのような方向努力をしていきたい、かように考えております。
  113. 高橋繁

    高橋(繁)委員 以上で終わります。
  114. 田中正巳

  115. 山原健二郎

    ○山原委員 先ほど社会党の小林先生のほうから質問がありましたが、私もそれとほぼ性格の同じ質問になるかと思います。  今度の免許法によりまして資格認定試験をやるという理由の中に、一つ教員不足の問題、二つ目は大学の養成ではなじみにくい分野があるという問題、それから三番目には、教師になりたくとも免許状を取れない人に広く門戸をあけるという問題があると思うのです。この二番目と三番目につきましては私の党の栗田さんからも質問がありましたし、また他の委員の方からも質問がありましたので、私は教員不足の問題について質問をいたしたいと思います。  これは、大臣の法案趣旨説明の中にも、教育界に広く人材を求め、教員確保のために資格認定試験制度をつくる、こう申しておりまして、ここがこの法案の第一の特徴になっておると思うんです。  ところが現実は、私の県の例をちょっと申し上げてみますと、こういう状態にあります。免許外の担任の教員数を数えてみますと、中学校におきまして百七十七校中百三十七校、人員にいたしまして、二千四百八十四名中千六百二十八名が免許外教科を担任させられておるという状態です。それを科目別に調べてみますと、国語が九十九名、それから数学が百七十三名、社会が八十九名、さらに理科が八十二名、英語五十八名、音楽六十二名、技術が九十四名、体育が百二十二名、美術が百名、家庭科が十一名、こういう数字が県の調査によって出てきたわけです。そうしますと、全体の教員数の約半分以上の者が免許外教科を担任させられておるという、全くものすごい状態なんですね。これは御承知かと思います。  さらに、新卒の若い教員の場合ですが、ある女教師の場合、二十三歳、日本女子体育大卒の方でありますが、この方は、免許は体育の免許状を持っておるんですね。ところが担任は美術、体育、音楽、数学。これは例をあげれば切りがありませんけれども、まあ一例を申し上げたわけです。  大体、国語の免許状を持っておる方が社会、数学、体育、あるいは社会、数学、美術、体育というふうな、全く免許外教科を教えなければならぬという状態に置かれているわけですが、こういう実態は文部省として把握しておられますか。
  116. 岩間英太郎

    岩間政府委員 先ほどもお答え申し上げましたけれども小規模学校の場合には、たとえば中学校学級でございますと、教員が七人でございます。それより小さくなりますと、もっと教員の数が減るわけでございまして、そういう意味で、一人の先生が何教科かを持っていただくということになるわけでございます。   〔委員長退席、内海(英)委員長代理着席〕 これを解消する方向といたしましては、先ほども申し上げましたように、一つは人事管理の問題があると思います。一つ学校で国語の先生がたくさんおられるという場合には、国語の先生が社会を持つだとか音楽を持つだとか、そういうことがあるわけでございます。これは子供の学習という点から申しますと、きわめて不都合なことでございますから、そういうものは、私どもは、人事管理を適切にすることによって解消してもらいたいと考えておるわけでございます。しかしながら、たとえば中学校で三学級の場合、先生が七人でございますけれども、九教科でございますから、これはどうしても、少なくとも四人くらいの先生がほかの教科を持っていただくということになるわけでございまして、これをどう解消するかというのが、今後の私ども一つの課題であるというふうに考えております。
  117. 山原健二郎

    ○山原委員 教育を受ける国民の側、子供たちの側からするならば、全く異常な状態教育がなされておるということでございまして、こういう問題を正しく解決をしていくということが、私は必要だと思うのです。  次に、文部省の教職員養成課の出しておる四十七年度のこの資料ですね、先ほどちょうど小林先生が出された資料でございますが、これを見ますと、学校種類別免許状取得状況及び教員就職状況、免許状を持っておる者はたくさんおるわけですね。これも先ほど小林先生が出されたと思うのですが、たとえば昭和四十六年で、小学校免許状取得者が一万六千二百八十名、中学校の場合は九万六千百三十四名、高等学校の場合は六万八千三百六十六名、それからその他の場合三万一千六百十名。ところが、中学校の場合、九万六千百三十四名の免許状取得者がおりながら、教員として就職した者が五千二百三十二名、わずかに五・四%、高等学校の場合は、六万八千三百六十六名の免許所有者に対して四千六百八名、わずかに六・七%という状態ですね。そうすると、どうしてこういうことが起こるのか。免許状を持っておる者はたくさんいるわけですけれども、実際に教育の現場へはその方々が就職をしていない。どこにこういうたいへんな差が出てくるのか。これはどういうふうに把握されておりますか。
  118. 岩間英太郎

    岩間政府委員 先生も御案内のとおり、戦後の異常な混乱の時期に、先生方が、卑俗なことばでいえば食えないということでだいぶおやめになりまして、実際に退職率が七%をこえるというふうなことがございました。それからまた一方では、ああいう窮乏の時期にもかかわらず六・三制を実施するということになりまして、大量の教員が必要であったわけでございます。そういうことを背景にいたしまして、短期大学等におきましての教員養成というのが非常に流行したと申しますか、多くなったという事情がございます。その後そういう事態がなくなりまして、それを今度は整理することができるかと申しますと、これはなかなかむずかしい。結局、現在非常にたくさんの短期大学、大学におきまして教員の養成が行なわれている、またそういうところを志望される方々も、将来のことを考えまして、ある程度資格をほしいというふうな希望もある。そういうことで、結果的には免許状は取得するけれども直ちに教員につくという意思がない、あるいは将来に備えるというふうなことがございますために、ただいま先生の御指摘になりましたような事態が起こっておるというのが現状でございます。
  119. 山原健二郎

    ○山原委員 昭和二十四年に新しい教員養成制度が生まれまして、卒業生がそれから何年かたって卒業していくわけですね。その教員養成大学あるいは学部を卒業して免許状を取得しておる者は一体どれくらいおるのでしょう、わかりますか。
  120. 木田宏

    ○木田政府委員 いま御指摘がございましたように、単年度だけとりましても、中学校、高等学校免許状の取得者は相当の数になっておりますので、その累積はかなりの数ではなかろうかというふうに思いますが、いまちょっと手元に計算した数がございません。
  121. 山原健二郎

    ○山原委員 これはもう全く概算でございますけれども、年間十万人の免許状取得者が出ていけば、十年たてば二百万という計算になるわけですね。それと戦前において免許状を取得した方たちもたくさんおいでになりますから、そうすると約三百万くらいの免許状取得者がおる。ところが現実に、国公立の学校先生の数というのが八十万くらいと考えますと、私学その他がありますから、それにしましても、実際に教員をやっておられる方の倍以上の免許状取得者がこの日本にはおるのではなかろうか、こういうふうに思うわけです。ところが教員にならない、就職しないという方がおいでになるわけですが、それはどこに原因があるかといえば、私は、一つはその置かれておる状態というものが非常に低劣であるというふうに考えるわけです。たとえば教員養成大学及び学部への志願者というものは、入学定数と比較して倍率がどれくらいになっておるか。これは平均して一・六倍程度だといわれていますが、医学部、法学部、理学部なんかの入学希望者と定数との関係はどの程度の倍率になっておりますか。
  122. 木田宏

    ○木田政府委員 国立大学でございますが、教員養成大学・学部と他学部の応募の倍率をとってみますと、昭和四十七年度におきまして、教員養成大学・学部は四・五倍の応募者がございます。人文社会系の学部は五・八倍、理工系の学部は五・三倍、それから医歯学関係が十二・七倍、薬学が四・六倍という状況でございまして、ほかの学部に比しまして若干倍率は下がっておるかと思いますが、最近数年間の流れをとってみますと、教員養成大学学部の倍率は、ほかの学部ほど低下をいたしておりません。四十八年度も四・四倍程度の倍率を持っておるのが現状でございます。
  123. 山原健二郎

    ○山原委員 私の倍率計算とはちょっと違いますが、そうにいたしましても、非常に低いということがいえると思うのです。なぜ低いかということで、一つは大学の構成、これを見てみますと、たとえば昭和三十六年度に比べまして昭和四十六年、この十年間の教官定員は、教育学部の場合、昭和三十六年を一〇〇としますと、一〇〇で四千五百八十九名です。これが十年たちました四十六年は四千九百六十八名で、一〇八%という数字でございます。ところが、その他の科目、文学、理学、経済学、農学、これを見ますと、教官の伸び率は大体一一〇%、理学で一七三%、経済学で一四八%、こういうふうになっております。  それから、一学科目当たりの教官数、これは教育学が一・六人、文学が二・五人、理学が三・四人、経済学が二・四人、農学が三人、逆に一教官当たりの学生数を見てみますと、教育学が三・五人、経済学四・七人、あとは文学の二・〇、理学が一・五、農学が一・九、こういうような数字が出てまいります。そうすると、こういう一面から見ましても、教員養成大学あるいは学部というものがいろいろな面で低劣な条件に置かれているのではないかということを考えるわけです。  さらに教員養成大学並びに学部の場合、教育系の大学院を持つ大学も非常に少ない、十大学です。それから国立大学に付置研究所を持っておるのを調べてみますと、教育系の付置研究所というのは、七十研究所のうち教育系はゼロです。国立大学の付属研究施設を調べてみますと、二百十九施設の中で教育系の施設は十三施設、わずかに六%、教員配置状況あるいは研究機関の整備状況、こういう面から見ても、教員養成大学学部の条件というのは、非常に条件がよくないという状態に置かれているのではないか、こういうところに問題がありはしないかと私は思うのですが、そういうことをお調べになったことがありますか。
  124. 木田宏

    ○木田政府委員 先ほど、昭和三十九年の年度でございましたか、年度の比較を御指摘になりまして、教員養成大学の教官の拡充数に対して、他の専門分野のほうの拡大が大きいというような御指摘がございました。しかしこれは、学生の増募との関係等もございますので、同じ学生数に対して、片一方だけがふえて、片一方がふえてないというようなことにはなっていないと思っております。三十年代の後半から、理工系の拡充策ということで、理工系の教官定員の増は相当大幅に実施いたしてまいりました。それに対して教員の養成大学の場合には、一応養成数が比較的恒常的に維持されてきた等のこともございまして、また一面では、従来ありました二年課程の廃止等のこともございまして、学生定員の面から見た拡大ということはあまり起こっていなかったかと思います。しかし、昭和四十一年以降、教員養成大学・学部の充実整備計画というものを立てまして、教官数につきましては六百四十五名ほどの増をはかって、現在ほぼ四千九百名強の教員養成大学の教官を数えるところまで進んでまいりました。教官あたりの学生数等につきましても、大学院を持っておるところ、そうでないところ、いろいろと条件が異なりますので、単純な比較はいたしかねると思います。  しかし私ども教員養成大学につきましても、その教官当たりの積算校費でありますとか、教官研究費あるいは学生あたりの積算校費等につきましては、他の大学の場合とほとんど同じ積算をいたしておりますし、学生あたりの積算校費につきましては、一般の文科系の大学よりも——理科系と人文系の合わせたものの半分、ちょうど中間値をとりまして、教員養成大学の特質に対応するような整備をはかっておるのでございます。  ただ御指摘のありました中で、教員養成大学にはまだ大学院が十分に充実していないではないか。これはもう否定すべくもございません。私どもも、今後教員養成大学の教育研究体制の拡充をはかるという意味におきまして、教員養成学部におきます大学院のあり方をどうしたらいいかということは、今後真剣に取り組んでまいりたいと思います。教員養成大学が教員養成という現実の課題を持っております関係上、他の大学にありますような付置研究所あるいは研究施設等をたくさんに持っていないということは、これまた大学の性格上やむを得ざるところかと考えるのでございますが、今後の整備充実方向としては大学院の整備とともに考えてみたい課題だと思っております。
  125. 山原健二郎

    ○山原委員 私の先ほど出しました学科目教官数、教育学の場合一・六人というのは、これは国大協の昨年十一月に出しました教員養成制度に関する調査研究報告書に基づいたものなんです。  それで文部省は、学科目の省令を三十九年に出しておりますが、それによって学科目を細分化しましたけれども、それに見合う教員定数をふやしていないところにも問題があるのではないかと思っております。だから、学科目教官数も少ない。それから教官当たり積算校費も単価が低い。あるいは研究費が少ないというようなことから、国大協が出しておる資料を見ますと、こういうふうに述べております。研究体制及び後継者養成の点から見て貧困化の進行が起こっている。これは昨年十一月の国大協の出しております、先ほど申しました調査報告書の一六ページに出ております。さらに、しかも学生に対してもマスプロ教育の欠陥が教養部と並んで教育系大学・学部において最も大きいというふうに述べているわけです。  こういう点から見ましても、教員養成大学・学部における研究教育条件というものが貧困なのではないか、ここに先ほど言いました応募者の少ない原因の一つがあるのではないか、こういうふうに思いますが、この見解はどうでしょうか。
  126. 木田宏

    ○木田政府委員 いま御指摘がございました中で、教員養成大学は現在までのところ東京、大阪の二つを除きましては大学院を持っておりません。そのために教官の配置その他が他の大学院を持っておるものと比べますと違っておりますから、大学院を持った大学との比較においてはいま御指摘のような面もないわけではございません。しかし、教官一人当たり学生数を教員養成大学でとってみますと、昭和四十八年で大体三・七人というのが教員養成大学の実情になろうかと考えておりますが、人文関係で同じような積算をいたして計算をいたしますと、人文関係四・五人、経済関係で五・一人、工学で五・三人というような数にも相なってくるわけでございまして、学部レベルでの比較だけを考えてみました場合には教員養成大学の学部が不当に条件が劣悪である、こういうふうには考えておりません。むしろ教員養成大学は、学生数に対しましてかなり全教科にわたっての教官数をそろえるといったような特質がございますから、その関係から、むしろ教官数等が必要な数に対して配置されているというふうに考えておるものでございます。けれども、それじゃこれで十分かという点になりますと、現実に教員養成大学で学生を抱えておられる方々には、もっとという御不満もございましょうし、また大学院がないことからまいります条件の差というのも目につくところでございます。先ほどお答え申し上げましたように、今後教員養成大学の大学院のあり方ということについては早急に方策を講じたいというふうに考えております。
  127. 山原健二郎

    ○山原委員 国大協のいまの調査結果の発表でも、再度読み上げますけれども、「教育系大学・学部においてもっとも大きい」、こういうことをいっているわけですから、そういう点も考えておく必要があると思います。特に大学における教員養成が基本だという文部大臣のこの法案に対する質疑への答弁も、ずっと一貫しておりますから、そういう点では根本的に改革、改善をしていくという姿勢をとることがまず必要だと思っているのです。そういう意味でただいまの御質問を申し上げたわけです。  それからもう一つは、免許状の必修単位として出ております大学における教科教育法の問題でありますけれども、この教科教育法というあなた方が出されておるものの中で、どんなことがやられておるかということを私も調べてみたのです。そうすると、たとえば目玉焼きというのがあるのですね。これは二十歳をこした学生が目玉焼きの——これは必修科目ですから、目玉焼きをやる。サンドイッチをつくるというのもある。これはおそらく家庭科の教育法だと思います。それから美術では塗り絵、それからさらにこまのつくり方、こういうのがあるのですね。こんなことを大学でやらなければならぬものかと私はふき出したのですけれども小学校四年生日玉焼きをやりますよ。これは教員免許状取得の必修条件だということで、そういう指導をされておるわけですが、こんなものですか。
  128. 木田宏

    ○木田政府委員 免許法によります免許資格の上から、教職に必要な単位あるいは教科教育法を、家庭科であれば家庭科教育法等を指導するということが法律の要請でございまして、その内容をどのように行なうかというのは、大学がみずから責任をもって考えるところでございます。いま御指摘がありました料理に関連いたしますのは、おそらく家庭科の指導内容の一部になっておるのじゃないかと思いますが、私ども詳細は承知いたしておりません。
  129. 山原健二郎

    ○山原委員 大学というのは、私はこまかいこともやるときもあると思うのですけれども、これでは学校がおもしろくないということになるのもあたりまえで、どうしてこういうことが起こるかといえば、やはり指導要領の問題だろうと思うのです。ほんとうに教育者を育てていくという面では、たとえば基本的な教育哲学とか、あるいは教育学史、あるいは東西教育学の比較論などというものを、ほんとうに日本子供たちを、将来日本の国民にふさわしいものに育てていく教育というものが、じっくりせらるべきだと思うのです。そして初めて情熱を持って教育を語り、また教育者として従事をしていくという姿勢が生まれると思うわけですけれども、そういうことが必修科目として出てきておる。これでは全く学校にも魅力もないし、また学生諸君のいろいろな手記を見ましても、教員養成大学・学部というものが無味乾燥な感じがするとか、あるいは昔からの古いノートで教えられるというような不満も出てくるわけです。教育というものはもっと生きたものですから、いわばそこで育った教員が、ほんとうに子供たちと魂が触れ合うということがなければ教育の発展はないわけです。そういう面での教員養成大学の任務というものがはっきりしておるのかどうか、この点ちょっと伺ってみたいのです。
  130. 木田宏

    ○木田政府委員 昭和四十一年だったと思いますが、現在の教員養成大学が、教員の養成ということに主眼を置いた大学であるという方向国会での御審議もいただいて、名称も教育学部というふうに切りかえたのでございます。それを受けまして、私ども教科教育法の充実をはかるべく教職員の充実計画的に行なってまいりました。教員養成大学は、もとより幅広い教養、教育を身につけなければなりませんけれども教員としての資質を高める、また教員になる使命感を持った学生の養成ということで充実をはかってまいりまして今日に至っております。いま御指摘のような方向で、確かに教科自体が充実したいい教育活動をしてくださるということが願わしいことでございまするから、昭和四十一年以降の文部省教員養成学部に対する指導方針は、一貫して御指摘の線をたどってきたつもりであります。
  131. 山原健二郎

    ○山原委員 ちょっとS大学の教育学部のチー子さんという名前の方の作文を読んでみたいと思うのです。「期待に胸ふくらませて受けた授業は、高校の教科書の代りに学習指導要領の丸暗記であり、教授の色あせたノートの文字をそのまま写す作業であり、ぞうきん一枚を提出して単位がとれるといった授業でした。ある教授は「学習指導要領は採用試験に出るからよく暗記しておくように。教師のなり手は沢山いますからね。就職したいと思ったらよく勉強することですよ」と公然と言いました。私達はまたしても学問という名において何年後か先の採用試験めざしてつめ込み暗記の授業に朝九時より夕方五時まで毎日毎日おいまくられるのです。」一例ですけれども、まさに学習指導要領というものを背景にした無味乾燥な教育、それがいま文部省の指導のもとに教員養成大学・学部等において行なわれているのではないか。これではほんとうに情熱を持った教師は生まれてこないわけで、実際に教育学部などを受ける学生は、これは教師になりたいという情熱を持って行くわけですからね。その学生たちの情熱が受けとめられるような、またその中で先生方が創意性を発揮して教育できるような、そういう体質というものが、文部省のこの指導要領のもとで少なくとも相当な破壊をされているのではなかろうかということを感じますが、木田大学局長、どう思いますか。
  132. 木田宏

    ○木田政府委員 いまお読み上げになりましたような事例は、確かに率直なある一人の感想であろうと思いますから、そのこと自体は否定できないと思います。大学におきましては、これは一般的にでございますが、一般教育の科目につきましては、多少とも似たような趣旨の期待はずれがあるということは、私どもも十分に承知をし、一般教育充実をどういうふうにすればいいかということは、大学改革の大きな課題だというふうに考えております。教員養成の大学でございますから、教科教育法その他について指導すべき教育内容、学習指導要領の基本その他は、私は勉強してもらう必要があると思いまするけれども、それもやはり教官の指導能力によっては十分に意味深いものとして指導してもらえるものではなかろうかというふうに思います。その意味で、いま御指摘のような事例があるといたしますならば、われわれとしては、教員養成大学の教官にほんとうにもう一段と勉強していただく、そうして魅力のある講義をしてもらうように呼びかけなきゃならぬというふうに考える次第でございます。
  133. 山原健二郎

    ○山原委員 私は、先生方責任があるということを言っているわけではないので、やはりもっと生き生きとしたそういう教育条件というものがつくられる、それは予算の面でもそうですし、また研究機関の面でもそういうことが大事だ、それを整備していくのが文部省のお仕事ではなかろうかということで申し上げているわけです。何か硬直した形で、指導要領にとらわれて出てくる教員というのは、これは先生方も学生も努力はしておると思いますけれども、これではほんとうの教育は私はできないと思うのです。そういう意味でのほんとうに学内における先生方の創意性が発揮できるような、そういう体制というものを尊重していくべきだという意味で申し上げました。  次に、さらに、原因はまだあると思うのです。それは、現在の日本の教師が置かれている現状でございます。教師というものが一番情熱を教育に感じるときは、これはそうむずかしいことではないと思うのです。まず第一番に子供の顔を覚えるということですね。名前を覚えるということです。それから家庭の状態というものをよく知るということです。そういうこと。だから、同時に、子供たちの個性というものをしっかりつかむというときに、初めてこう情熱がわいてくるわけですね。私も教員をしておったわけですけれども、私の十六年間の経験でもそうですが、私はそういうことを感じてまいりました。それから同時に、きちんとその当日の授業をやる準備ができるということですね。この準備ができたときに、ほんとうに確信を持って子供たち教育授業ができるわけでございまして、そういうときに初めて子供たちが吸い取るように教師の授業に目を輝かすわけなんですよね。そこで、それが生涯、時には忘れられないところの先生のことばになったりするわけなんです。そこらの一番肝心のところが最近は抜けている。たとえば一学級当たりの生徒数が四十五名というところに問題があるわけです。いま新学期でございますから、先生方、いま何していると思いますか。いま一生懸命先生方は、自分の受け持った担任のクラスの生徒の名前と顔とを覚えておるのです。そうしてその子供の性格をつかもうとしている。家庭訪問に行くわけですね。まあ僻地などでありましたら、これはもう家庭訪問といっても八キロぐらいの道を歩かなければならない。そういう、いま苦闘が行なわれているのです。そうして、一クラス四十名とかあるいは四十五名近い子供たちを持って努力が続けられているのです。これがほんとうに三十名だったらどうだろうか。子供たちの個性をつかみ、子供たちの学力の進捗状況をしっかりつかめるわけですね。そういうときに、実際にこの情熱というものがわくわけです。そういう情熱がわくような教育体制というものをつくることが先決ですね。このことを抜きにしていろいろ改良、それは六・三制何とかかんとかということをいろいろ文部省言っておられますけれども、そこの一番肝心のところにいま手が差し伸べられていないわけです。だから第一、クラスの生徒数が多過ぎるのです。四十五名というと、私は小学生を教えたことがありますけれども、イモの子を洗うようなもんです。どうにもならぬ状態。だから現在出ておりますように、半分以上の子供たち教科を理解できないでいくという状態が出ています。お客さんということばがありますが、文部大臣承知ですか、お客さん。どなたか御存じですか。
  134. 木田宏

    ○木田政府委員 お客さんということばは、私どももときおり聞かされることがございます。
  135. 山原健二郎

    ○山原委員 ぽうっとしているのです。もうその教科についていけないわけですね。先生は一生懸命教えようとしていますけれども、何しろ四十名近い子供を持ち、現在の教科書はむずかしい。あとで教科書見せますけれども、むずかしいもんですから、理解させ得ない。しかし先生は、教科書を終わらさなければならないという任務も一面では持っているわけですね。したがって、もう理解できないままで、子供を捨てていかなければならない。だから、理解する子供だけをもう相手にしなければならないという状態です。そうすると、残された子供たちはどうかというと、教室の中で先生の顔をじっと見ておるか、あるいは机の下でトカゲなんか持ってきて遊ばしておるか、じっとしたりしているわけですよね。これがいま実態なんですよ。そして、その子供たちがあるいは小学校六年生になれば、進学組、就職組に分かれて、また中学に行けばそういう状態になってくる。ここに教育の荒廃の根源があるわけですね。私は、そういうことをほんとうに変えていくという、文部省自体が、単に行政官としてではなくして、そういう意味日本子供たちがいま置かれておる現状を見たときに、これでいいのか、これをどう解決したらいいんだという、その情熱を私は燃やしてもらわなければならぬと思うのです。その情熱がいま要求されておると私、思うのですよ。それがあるのかどうか、聞きたい。
  136. 木田宏

    ○木田政府委員 いま御指摘のございました基本的な教育論と申しますか、お述べになっていることは、私もよくわかると思いますが、それはやはり教壇に立つ教師自身の持ち味の問題と、その人の努力の問題ではないかと思います。私は、小学校の教壇に立った経験はございませんけれども、しかし、学校の教室へ参りまして、あの子供たちにものを言わされた経験を持っておりまして、とっても彼らにうまく話を聞いてもらえるような引きつけ方を私自身することができなかったという経験は持っております。どうしたら子供たちにその教師が自分の気持ちを通わせ得るかというのは、人がどうこうするということではなくて、教師自身が、ほんとうに、本質的に取り組まなければならない一番とうといものではないかというふうに考えております。私どもはそうした主体的な教師の方々に、できるだけ仕事をしやすくしてもらう、こういう立場に立って日々の仕事をしておるつもりでございます。
  137. 山原健二郎

    ○山原委員 私はこの問題はほんとうに、われわれが文教委員会に席を同じくしまして、そして政府と私たち議員との関係もあるわけですけれども、ここのところを一番大事にしてもらいたいと私は思うのです。これができなければほんとうの教育——幾ら管理体制をつくりましても、それはむしろそういうことを破壊する要因になることが多いわけです。ほんとうにこの子供たちがいま半分もわからないというのが、これは権威ある件数が出てきているわけですから、半分もわからない子供日本子供たちは半分も義務教育がわからぬまま捨てていっていいのかと問われたら、これはだれが答弁するのですか。実際ほんとうにこれに対して答えるという姿勢がまず必要だと私は思います。それで、これは繰り返して申し上げませんけれども、私はこのことについてはもう自分で、ときには憤りを感じますし、ときには責任を感じておるわけです。私は現場の学校を知っていますから、どんなに先生方がいま苦労しておるか知っているのです。この間も、私の家内も小学校教員をしているのですけれども、現在もやっておりますが、この間ちょっと土曜日に帰りましたが、私が帰ったのは夜中の二時です。これは自動車がおそくなりまして——まだ子供の名前を覚えるのに必死になってやっておるのですね。個人的なことを申して恐縮ですけれども、これが現実の小学校先生方の実態ですよ。それで、ほんとうにその中でみんなからだがあちらこちらが痛くなったり、そして異常妊娠をしたり異常出産をしたりするような状態に置かれている。こういう現場の実態というものを私はぜひとも文部大臣に一これはそういう姿勢にならなければそれはつかめないのです。ほんとうのところはわからないのです。大臣であるとか議員だとかいうことでいばった方たちではこの実態はつかめないわけでして、そういう現場の苦しみというものはほんとうに私はつかんでいただきたい。それを解決する道をお互いに今後研究していく必要があると思います。  朝日新聞に、「いま学校で」という記事がずっと連載されておりますが、これはお読みになっておりますか。
  138. 木田宏

    ○木田政府委員 通読しておるわけではございませんで、見落としているかと思います。
  139. 山原健二郎

    ○山原委員 やはりこれは読むべきですね。新聞の宣伝をここでするわけではないけれども、私はずっと切り抜きを持って読んでいるわけですけれども、たとえば五段階の評価の問題です。いま通信簿がずっと出ているわけですが、この中に、幾つかの例をあげたらいいわけですけれども、この五段階評価についても非常に含蓄に富んだ現場の実態が多く出されておるわけです。教師は、ときには二重人格にならざるを得ないという悲痛な声もこの中に出てまいります。これは特殊な例ではなくして、おそらく全国一般的な状態だと思います。また1をつけた場合、もうある女教師が生徒から恨まれるのですね。これなんか読んでおりましてもちょっとつらいわけですけれども、非常にその先生を慕っておるマー坊という子供がこう言ったというのですね。「マー坊はいった。「やい、なんで、1をつけた。ボク、一生懸命やったんだぞ」先生は答えた。「だって、授業中にやかましくするからよ。おとなしくすれば今度はあがるわよ」」こう言ってごまかしておる、こういうわけです。さらにまたこの1をつけた場合、説明をしておるのですね。どうして1をつけたかということについて家庭に説明をしなければならぬ。たとえば「秋田県の辺地校、D小学校では最近、学校通信にこう書いた。「1は何%、5は何%と決っているので、自分がだいぶいい点数をとっても、ほかの人がよくなれば成績はあがりません。ご了承ください」」、通信簿でこういうことを書いて家庭に渡さなければならない、先生もつらいことだと思うのです。そういう説明書きをしなければならないような状態、五段階評価は、教育学的にいっても教育評価の方法として適切でないという、これはほぼ通説にもなっているわけです。だから、こんな正しくない五段階評価で生徒の学力能力を評定しなければならぬとすると、これもまた教師の一つの大きな苦しみになっているわけです。教師というのは子供との関係で精神的にも大きな悩みが生じてくるわけですから、そういうやり方の中で教師はまたときには二重人格にならなければならぬとか、あるいは妙な説明をしなければならぬとかいうことが、教育者の良心にかげりを生じているわけですね。こういうこともまた教師になり手が少ない一つの精神的な部面になっているのではなかろうか、こう私は思いますが、この点について見解を伺っておきたいのです。
  140. 岩間英太郎

    岩間政府委員 児童生徒の学習の到達度ということではなくて、現在五段階給与という……(発言する者あり)五段階評価というものをしておるわけであります。というのは、これは教育学者、心理学者も入れました皆さま方の御意見を伺って、現在のところ最も合理的な最も正しい評価であるというふうに考えておるわけでございます。しかしながら、小学校中学校の場合には、それぞれの学校にはその学校の学区内に住んでおる方が入ってこられる。いわば無作為抽出みたいなかっこうになっておるわけでありますが、これは五段階評価というのが正しい評価のしかたであろうというふうに考えておるわけでございます。また、たとえば入学試験の場合に、入学試験の労力を軽減いたしますために五段階評価をつけておる。これは都会の子供でございましたら、農漁村の子供に比べましてあるいは学習の能力がすぐれておるかもしれませんけれども、たとえば高等学校で学習するというような将来の問題を考えました場合に、到達度ということではなくて、これからの可能性も含めて考えました場合には、やはり五段階の評価ということで判断をすることが、これが正しい見方ではないかというふうに考えておるわけでございます。しかしながら、もちろん評価という問題は、教育的な配慮ということを抜きにしては考えられない。したがって、私どものほうで実際に通信簿というふうな形でこれを親とか子供に知らせる場合には、そこには当然教育的な配慮があってしかるべきである、何も五段階の評価というものを唯一無二のものとして扱う必要はない、そういうふうな考え方でおります。これはそれぞれ先生方も御苦心なさいまして、それぞれの教育環境に適したような評価のしかたをするということはけっこうであるというふうに考えます。
  141. 山原健二郎

    ○山原委員 こういうような五段階の問題については、いまここで論争することはおきたいと思いますが、ともかく先生方がいろいろな面で、養成期間のときからもまた教師になりましてからも、現在の定数の問題その他を含めていろいろな制約の中で仕事をしておる、こういう状態です。  さらに特殊教育、障害児教育ですね。障害児教育についても大体同じと申しましょうか、もっとひどい状態があるわけです。これは東京都の教育委員会調査によりますと、障害児教育に携わっておる先生方の三分の一が腰痛者である。そうしてその中で介助員に至っては七〇%以上が腰痛を訴えている、こういう状態が報告されています。そして、大体障害児教育に携わる方は三十五歳が限度だ、こう言うのです。少しお年をとりますと、もうとてもやっていけない。二十歳代の若い人が非常に多い。たとえばあるろう学校の場合の高等部では、免許状を持った人が三十八名中十二名でございます。非常にきびしい労働条件のもとで、全く教員になり手がいない、あるいはなってもやめなければならないというような状態、まじめにやればやるほど早く腰痛を訴えられる、こういう職場があるわけでございます。これは改善の方法は、私はあると思うのです。たとえばトイレに子供さんを連れていくという場合に、抱きかかえていくわけですから、車いすに少しのくふうをこらすとか、あるいはトイレをもっと子供たちが——私は見ましたけれども、ころがっていくわけですね。からだをころがしてトイレに行くわけですけれども、そのトイレが少し高いともう登れないわけですね。そういう実態を見ましたときに、くふうの方法もある。これは予算をつければ、緊急な問題として、そう多額な予算を必要としなくとも、こういうことを改善することができる。また、子供たちは介助員の方に抱きかかえられておしっこに行くよりも、自分でおしっこをするということが、この子供たちにとって一番大事なことなんで、そして人生に対する確信がそこから生まれてくるわけです。そういう問題を考えましたときに、ほんとうにこの障害児教育に対しては、相当の精力を注がなければならないと思うのでございます。ところが、介助員の問題にしましても、国の制度としてはあるのですか、ないのですか。私の聞きましたところでは、東京都あるいは大阪や京都の大都市において若干あるわけですが、一般には文部省としてはそういうことについてはどうお考えですか。
  142. 岩間英太郎

    岩間政府委員 介助員を含めまして、現在地方交付税の制度のもとで盲学校、ろう学校につきましては七名、養護学校につきまして八名の財源措置をしているわけでございます。しかしながら、実際には各学校でまだそこまで置いておらないようでございまして、平均いたしますと、盲学校で一校当たり六・三人、ろう学校で六・一人、養護学校で四・二人、そういうふうな介助員等の、学校の雇用人でございますか、そういうような配置でございまして、まだまだ不十分な点があると思います。先ほども先生からいすのお話、その他たいへん貴重なお話を承りましたのですが、そういうふうな特殊教育学校の内容の充実につきましては、まだ私どもは十分わからない点もございますので、いろいろお教えを願いながら、充実をしてまいりたいと考えております。
  143. 山原健二郎

    ○山原委員 東京都の場合は、一学級当たり二人の担任教員配置しておりますが、現在これが十分かどうか検討しておるような状態のようです。東京都の場合は、自前でそういうことをやって、なおかつそれでも足りないということで、国の努力を要請しておると思うのですが、これはもちろん東京都だけの問題ではなくして、私は障害児教育に対する国のもっと積極的な体制改善を要求したい。   〔内海(英)委員長代理退席、委員長着席〕 こういうふうに思うわけです。  ところが、一例をあげてみますと、広島大学の場合、盲学校教育生徒が十五名おります。ところが、教授は一名、助教授一名、講師一名、ここにはおります。これはろう学校十五名、盲学校十五名で、三十名の生徒数ですね。愛媛大学の場合は、ろう学校教育四十五名の定員でありますが、助教授が二名だけしかおりません。福岡教育大学の場合は、ろう学校教育定数十五名、肢体不自由児教育二十名に対して、ろう学校の場合は助教授が一名だけです。それから肢体不自由児の場合は、教授が一名だけ。こんな教員養成機関の貧弱な配置状況です。これは事実ですか。
  144. 阿部充夫

    ○阿部説明員 ただいま手元に各大学別の資料を持っておりませんけれども、大体その程度ではなかろうかと思っております。従来から既設のろう学校教員養成課程等におきましては、かなり古い歴史を持っておりますので、各大学の中でいろいろ定員のやりとりその他の結果がそういうふうになっておるのではなかろうかというふうに考えております。  それから最近の特殊教育大学の教員養成課程の新設にあたりましては、定員二十名に対して教授一名、助教授一名、計二名の専門の教官をつけております。
  145. 山原健二郎

    ○山原委員 これもたいへん貧弱な状態で、ろう学校、一大学に助教授一名などという体制では、もちろん私は満足してないと思います。これではいかぬわけです。  それから、ついででございますから申し上げますが、進行性筋ジストロフィー、これは徳島にあるわけですが、ここの教員の方から私はかつて手紙をいただいたことがあるのです。これはことしの一月でございますが、これを読んでみますと、進行性筋ジストロフィーの子供たち、次から次へと死んでいくわけですね。教えているうちに、なくなってしまうわけです。どうにもしようがない。全く悲痛な訴えがきておるわけです。その方は、そこへ転任して二年目になる方だそうですけれども、すでに四名の子供たちの死亡を目の前に見ておる。耐えられない。この進行性筋ジストロフィーについて、何か救済する方法はないのか。日本の医学でこれはできないのか。目の前で子供たちの死んでいくのを、われわれはみすみす見ておっていいのかという訴えをいただいたのであります。ちょうど厚生省からお見えになっておりますが、この進行性筋ジストロフィーについて国として総合的な研究体制があるのか、これを伺っておきたいのです。
  146. 島田晋

    ○島田説明員 お答え申し上げます。  現在、四十三年から四十七年の過去五年間に約一億八千万ほどの研究費で、臨床研究班と基礎研究班ということに大別して研究を続けております。  基礎研究班につきましては、大学の神経・筋専門家を中心にして研究をいたしております。臨床研究班につきましては、国立療養所を、ただいま先生指摘のたとえば徳島の療養所みたいに、筋ジス病棟を持っておるところが中心になって研究を続けております。それから基礎研究班につきましては、第一点が発生機序、この辺について神経因子に関する研究に取り組んでおります。また二点目としては治療でございますが、新薬の開発ということで、現在のところ動物実験ではある程度の成果を得ております。先生承知のように、筋ジスについてその成因、その治療ということになりますと、世界的にまだ解明されていない、非常に難病でございまして、その点、罹患した子供さんたちはまことにかわいそうなわけでございますので、何とか私どもも早急にその辺の原因、治療を解明いたしたいと考えておるわけでございます。  また臨床研究班につきましては、現在どのような補装具が最も適しておるかというような点の補装具の改善、それから新しい補装具の開発というような点、それからまた、筋ジスの子供たちは頭脳のほうは非常に明断といいますか、おかされることなく、その点がまた非常にかわいそうな点でございます。そういうふうな点を考慮いたしまして、特に思春期にある子供たちの心理面、さらには生活面等につきます生活訓練、そういうふうなものに重点を置いて研究をいたしておるところでございます。
  147. 山原健二郎

    ○山原委員 もう一言お答えいただきたいのですが、あまり時間はとれませんから……。  このような難病というものに対して、たとえば国立総合研究所というようなものを設置してもらいたいという要求あるいは署名運動が行なわれているそうです。もちろんまだそれはそう広がっているわけではないと思いますけれども、これはほんとうに切実な要求だと思います。そういうことについては厚生省として何かお考えになったことがございますか。
  148. 島田晋

    ○島田説明員 お答え申し上げます。  各療養所の患者さん、さらには先生方、また筋ジストロフィーにつきましては中央に協会がございます。各方面から研究所の設置の要望については十分承知をいたしております。私どもも、先ほど先生からお話ありましたように、そういう研究を最も効果があるような形で総合的に研究いたしたいというようなことから、それにふさわしい研究所の設置、どういうふうな形のものが一番いいかというようなことを、今後そういう総合的な研究所につきましての研究というふうなことを一応考えておるところでございます。
  149. 木田宏

    ○木田政府委員 いまの御質問に関連いたしまして私からも一言お答え申し上げます。  最近いろいろむずかしい難病、奇病というのがたくさん出てまいるものでございますから、今回国立大学におきましては東京医科歯科大学に難治疾患研究所という十七研究部門の比較的大きい研究所を創設したいと考えております。これらは従来ありましたいろいろな研究施設を総合して新しい難治疾患研究所としての整備をするものでございます。すべての難病をここで、十七部門で全部扱えるというものでもございませんけれども、いろいろと最近におけるむずかしい病気に取り組む研究所にしたいということで、四十八年度の設置を御検討いただいておるところでございます。
  150. 山原健二郎

    ○山原委員 厚生省の方けっこうです。  次に、この免許法によりますところの教員資格認定試験について伺います。  文部省並びに委嘱大学でこの教員資格認定試験を行なうということになっておりますが、この内容について伺うわけです。  最初に、私が文部省の試験を受けたいと思うのです。それで私の答えが正しいかどうか言っていただきたい。文部省が試験官で、私が答えをして、合格か不合格かきめてもらいたい。  まず第一審に、こういう質問を試験官の文部省が出されたといたします。中教審答申に対して国民からさまざまな批判が出ている、たとえば答申が国家の教育統制の強化をねらっているという意見がありますがどうですか。こう試験が出ます。私は、教育統制の強化をねらっております、と答案を出します。これは正しいですか。合格しますか。
  151. 木田宏

    ○木田政府委員 小学校教員の資格認定試験、高等学校教員の資格認定試験等につきまして、その試験のしかたでございますが、一般教養科目、教職専門科目、教科専門科目に分けて第一次試験を実施する予定でございます。大学で履修いたしますと同様の内容のものをこの試験によってチェックをしたいと考えております。文部省で一般教養科目等のことを考えます場合に、御指摘のような試験問題を考えることにはならないのではないかというふうに思っております。
  152. 山原健二郎

    ○山原委員 私が答弁を求めておるのは合格か不合格かです。どっちですか。順々に聞きますから……。理屈は要りません。
  153. 木田宏

    ○木田政府委員 誤解があるというふうな判定になると思います。
  154. 山原健二郎

    ○山原委員 これは認定試験ですから、合格者と不合格者を出すわけですから、誤解があるなどということをあなたが答弁されてもこれは試験にはならないんですね。  次に、あなたのほうがこういう問題を出してくれました。高校教育に多様なコースを設けるのは、いわゆる差別教育になったり個人の可能性の芽をつむことになったりするでしょうか。私は、します、こう答えるのです。これは間違いですか。
  155. 木田宏

    ○木田政府委員 ただいま御指摘のような試験問題等を、かりに一般教養科目あるいは教職専門科目として大学の教官が委嘱を受けて出したといたします。大学の教官がどういうふうにその評価をするかという点につきましては、決してそう単純なものではないと私は考えます。大学の教官が、自分の学説と違った学説に対して零点をつけるとは私は必ずしも考えません。ですから、その試験問題の書き方その他につきましての評価は、やはり大学の教官がその大学における評価の線に立って考えるべきであって、いまお尋ねの一問一答式のような、イエス・オア・ノーというような単純なことにはならないのではないかというふうに考えます。
  156. 山原健二郎

    ○山原委員 なぜこんなことをしつこく聞いておるかといいますと、これは文部省の出した「これからの学校教育中教審答申一問一答」というのがあるのです。これは文部省の見解を出されておる。これはおそらく全大学へも行っておるものだと思います。そうしますと、少なくとも教育問題についての一般教養の試験の問題が出されるといたしますと、いま局長は個人的な見解として出されましたけれども、この中から問題が出ないという保証はないわけですね。(「それは解説だよ」と呼ぶ者あり)しかも場合によってはマル・バツでそれに対して答えなければならない。私のほうの受験者としては、それに対していずれかへマルをしなければならない。文部省の言うことを聞こうとするならば、これに基づいて私は文部省の気に入るようなところへマルをつける場合もあるわけですよ。  それじゃ、解説だとおっしゃるお話もありますから、別の問題を出します。たとえば教育権の問題について、これは一般教養の中で出てくるわけですが、教育権の所在をめぐって教科書訴訟に見られるような文部省と裁判所の対立があるが、この際、受験者が地方裁判所の判決の立場で解答した場合はどうですか。これは文部省とはだいぶ違いますね。
  157. 木田宏

    ○木田政府委員 どういう見解をとって、どういうふうに答案がまとまってくるかということにつきまして、試験官は試験官としての十分な評価が私はできるものというふうに期待をいたしております。  私事にわたって恐縮でございますが、私も何年間か大学で学生の相手をした経験がございます。いろいろの学生からの、レポート、試験等をいたしました場合に、いま御指摘のような見解に立つ答案というものはたくさん出てまいります。その中には、その見解自体としてかなり勉強のできているものもございますが、中にはまた何か非常に無責任に人の意見だけ寄せ集めたような、不勉強だとしか思えないようなものもございます。ですから、おそらく大学の教官が大学で勉強したと相当程度の評価をするという試験におきましては、全体のそういう受験者のものの考え方、流れ、そういうものを通じて見た学力の水準というものについて、しっかりした評価をしてくれるものというふうに期待をいたします。
  158. 山原健二郎

    ○山原委員 それでは、もう一つ取り上げてみます。君が代の斉唱や日の丸の掲揚をめぐって、(イ)、学校で行なうべきもの、(ロ)、学校が自主的にきめたらよい、(ハ)、学校では行なわない、こういう三つの設問がなされたとしますと、これはどこへマルをしたら合格ですか。
  159. 木田宏

    ○木田政府委員 私は、その場合、個人的な見解でお答えを申し上げるほかはございませんが、国歌、国旗というものが教育の場で尊重されるということでなければ、教育としての基本は立たないというふうに考えます。
  160. 山原健二郎

    ○山原委員 こういうところに、この教員資格認定試験というものが、場合によっては教育内容や試験方法、試験内容によって、いわゆる国の統制というものが強化される可能性が私はあるのではないかということを心配しているわけです。だから、いま幾つか出しましたそういう問題だけでなくて、たとえば算数の中で集合の問題は、各学年にばらまいたような形でやられている。これが文部省の指導要領のやるところです。しかしこれに対しては、これを集中的に教えたほうがいいんだという批判的な意見もございますし、また理科の中での溶解のところにつきましても、二年生から五年生まで教えることになっていますけれども、結局溶解とはどういう現象か理解できないという批判も起こっている。こういう一般教養の面では、いわば教育学的にもまた学問的にも見解の違う問題がある場合にどうしたらいいのかということになってくると、結局受験者としては指導要領、あるいはたとえば中教審の問題なら「これからの学校教育」という文部省の出しておるこういうものに従わざるを得ないというようなところから、国家統制が生まれる可能性を持っているわけですね。これは厳重に戒めるべきことであると私は思うのでございますけれども、その辺の歯どめというのはどうなっているでしょうか。
  161. 木田宏

    ○木田政府委員 初等中等教育におきます教育の扱い方というのが学習指導要領の基本線に沿って行なわれるということは、これはゆるがせにできないことだと私は思います。ですから、所定の教育内容、所定の水準にまで教育できるように教師がその学習指導要領の内容を理解して、それに立って教壇に立つ心準備をしていただかなければならないというふうに思います。ことさらに学習指導要領と違った教育の指導を行なうということは、あっていいはずはございません。ですから指導すべき教育内容について、学習指導要領によった試験問題ということがあるいは出得るかもしれませんけれども、しかしそのことは、その学習指導要領のねらっている内容を、教師としては十分な理解を持って教壇に立っていただくということは必要なことではないかと思います。これは文部省の統制を強化するとかなんとかいうこととは別のことではなかろうかというふうに考えます。
  162. 山原健二郎

    ○山原委員 教科書との関係で、もう二点ばかり申し上げてみたいのですが、これは学校図書株式会社の高等学校の「倫理・社会」ですが、たとえばその一三四ページにレーニンのことを書いてあるのです。「レーニンはまた、将来、世界からブルジョア国家が一掃されるまで、共産党の一党独裁によるソ連のような国家が必要であるとした。」こういう記述になっています。それからこれは自由書房の「倫理社会」でございますが、これには「議会主義を日和見主義であるとして否定し、職業革命家を養成・組織し、目的のためには手段を選ばない暴力革命の立場をとった。」これもレーニンに対する記述であります。これはマルクス・レーニン主義に対する記述でございますけれども、こういう記述がなされているわけですね。こういう問題につきましても、実際にはマルクス・レーニン主義の立場というものはもちろんそういう単純なものではありませんし、これは国際的に論議もなされているところでございます。これはどこかで聞いたことがあると思ったら、連合赤軍がこんなことを言っているのでありますが、それが教科書に出ているわけですね。こういうものについても、実際にこの教科書の記述はきわめて不正確であるし……(「レーニンがそう言っているんだよ」と呼ぶ者あり)レーニンは違います。そういう簡単な一言半句をとってやるような勉強だからだめなんだ。そういう一方的な解釈、少なくともそうなんですよ。そういうものがこの教科書の中に出ている。このとおり書かなければ、合格、不合格の認定の基礎になるということは、これはたいへん問題があるわけです。だからそういうことが今度できるところの資格認定試験において行なわれるということになりますと、これはいわば国の統制あるいは思想調査、そういうものとも関連をしてくる可能性を持っている。これについてあなた方どういうふうに考えておりますか。
  163. 木田宏

    ○木田政府委員 たいへん失礼なことばになるかもしれませんけれども、それは思い過ごしということではないかと思います。大学の教官が中心になりまして、大学の教育内容と同様の水準を認定するという点は、私は十分適切に行なわれ得るものというふうに考えます。
  164. 山原健二郎

    ○山原委員 これは資格認定試験ではもちろんありませんが、ここに各県において行なわれている教員の採用試験の一例があります。これはその写しなんですけれども、これは新潟大学の場合です。教育学部長の出しておるところのものでございますけれども教員に就職する場合に人物調査表というのがあるんですね。これの備考の欄に、(1)、(2)、(3)とありまして、その三番目に「家庭状況、思想傾向等特記を要するものもその他の欄に」、こう書いて、記入する欄がつくられておるわけであります。こういうことを文部省は指導しているのですか。
  165. 木田宏

    ○木田政府委員 いま御指摘になりましたのはどういう場所のあれでございますか。ちょっと聞き取りがたい点がありましたので、もう一度お話ししていただけませんか。
  166. 山原健二郎

    ○山原委員 これは新潟大学の教育学部を卒業する生徒で、新潟県において学校先生になるその資料を大学側が出しているわけです。それによりますと、表題は、「教育学部卒業見込者人物調査表」こういうものが県の教育委員会に大学側から提出をされるわけですね。その中に「思想傾向等特記を要するもの」こうなっているわけですね。これは法のもとにおいて平等であるという憲法の規定からいってもあり得ないことだと思うのですが、現実にそういうことがあるからこそ、私は先ほど資格認定試験において、そういうことの歯どめというものを申し上げておるわけでありますけれども、そういうことを御存じありませんか。
  167. 木田宏

    ○木田政府委員 おそらく県の教育委員会からの要請によってそうした書類を大学側が作成しておるのではないかと思いますが、承知いたしておりません。
  168. 山原健二郎

    ○山原委員 これは正しいと思いますか。かりに県の教育委員会がそういう憲法のことも知らなくて、こういうものを要請したとした場合に、大学というものがそういうものに答えるような体制、様式をもってこれを提出をするということは正しいことでしょうか。
  169. 木田宏

    ○木田政府委員 人物につきましての照会と申しますか、そういうことをいたします場合に、それぞれの人がどういう性格であり、どういうものの考え方をする人であるかということを説明することは十分あり得ることだと考えます。
  170. 山原健二郎

    ○山原委員 これはどういうものの考え方、そんなことは、これは裁判にもなっておりますから文部省知らないはずないのですよ。ものの考え方というようなものは、これはずっとあるわけですよ。「教育的愛情にとんでおりますか」とか「責任感はありますか」「指導性はありますか」「研究心向上慾はありますか」とか、「協調性はありますか」「判断力はありますか」「行動性はありますか」「明朗ですか」「安定感がありますか」「規律正しいですか」「常識に富んでおりますか」「容姿服装に気品がありますか」「健康ですか」「学業成績はどうですか」というようなこともあるのですね。だからこの人の性格ということが、これにも私問題感じますけれども、出てくる。そのほかに「思想傾向等特記を要するもの」、こうなっているわけですね。これは明らかに憲法違反ですよ、こんなことをやるのは。こういうことで教員の採用というようなものが各地において、何といいましょうか、たとえば学生自治会の役員をしておったというような者はどんどん就職からはずされるというのは、これはどんなに否定したってそういうことが現実に行なわれてきたことは事実なのですね。これではほんとうに学問の自由というものもありませんし、憲法の保障するところに対しての大きな抵触であると私は思いますが、そういうことはあり得ざることとお思いなのですか。そういうことはしてもいいというお考えなのですか。
  171. 木田宏

    ○木田政府委員 あり得て悪いことではないと思います。これはそれぞれの人物についての評価、特質、特徴その他参考になると思われることにつきまして聞かれた場合に、どの範囲までをどうするかということの限度の問題はございましょうけれども、しかし、その人の人格的な人間的な特性ということを説明し得る——学生自治会のこともお話ございましたけれども、それはいい意味にも悪い意味にもいろいろとる人の立場はございましょうが、学生自治会の役員をしておったことは、むしろ人によってはプラスの面ととることはあり得るわけでございますから、そういう事実についての説明ということを求められて記入するということは、あり得ることではなかろうかというふうに私は考えます。
  172. 山原健二郎

    ○山原委員 思想傾向を——私が言っておるのは、自治会におったとかということは別の問題として、いままであったことを言っておるのですね。思想傾向を特記するということになりますと、就職の問題ですよ。法のもとにおいて思想、信条の自由は保障され、しかも法のもとにおいて個人が平等であるというこの新しい戦後の憲法の原則からいって、就職のとき、何で思想傾向が要るのですか。文部省はあり得る、それでもかまわないという考え方ですか。これは大問題ですよ。もう一回明確な返事を要求しておきます。
  173. 木田宏

    ○木田政府委員 そういう御要請に対して書けること、書けないこと、ございましょうけれども、そういう御要請があって、何かそれに該当し得るような事実があれば、そのことについて記入するということがあっても差しつかえないことではないかというふうに考えます。
  174. 山原健二郎

    ○山原委員 これは大臣にお答えを要求します。  思想というのはどう書くのですか。特記する思想とは何ですか、あるいはたとえば右翼だとか、あるいはそれはマルクス・レーニン主義者だとかいうようなことなんですか。思想というのを特記するというのは、教育上の問題で何があるのですか。
  175. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 具体の事実を私よく承知しませんけれども法律で思想、信条の内容を特記しろというている場合には、よくその事態を明確にしませんと間違いを起こしやすいのではないか、こう思うわけでございます。しかし、あるいは採用その他にあたりまして、思想等のことについて伺う。伺うこと自身は何ら批判すべきことでない、思想、信条の自由を保障しているわけでございますから。同時にまた、その思想がマルクス・レーニン主義を信奉されようと、いや自由主義を信奉する、民主主義を信奉するというような人たちがあるだろうと思うのでございますけれども、それは、だからいけないというわけのものじゃございませんので、それを就職等について知りたい、いろいろお尋ねをする、お尋ねをすることがけしからぬというわけのものではないんじゃないか、かように考えておるわけでございます。
  176. 山原健二郎

    ○山原委員 これは会社の就職試験と違いますよ。会社の就職試験だって、これは憲法上の問題が起こっているわけでありますけれども、これは教育行政機関ですよ。県の教育委員会、しかも大学が提出しているわけですよ。それに対して、いささかも問題を感じないということ自体、これはそんなことじゃお話にならぬと私は思うのです。思想傾向を出してきなさいといわれたら、そんなことはお断わりします、これが大学の立場でなければ、それじゃ全く憲法上の問題、たいへんな問題になると私は思うのです。もう一回はっきり聞いておきますが、これは問題によっては私は問題にしますけれども、もう一回はっきりお聞きしたいのですが、もう一回言いますが、県の教育委員会からこの就職について、卒業生の思想状況を聞きたいといったら、大学のほうは、はい書きます、こういうことをやれば、これは思想調査になるのですよ。それでいいですか。そんなことで正しいと思うのですか。
  177. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 あなたの思想はどういうことですかと尋ねることは、私は悪くないと思うのです。また尋ねられたからというて、その人が必ず答えなければならないそれは義務もないと思います。それはどちらも自由なことじゃないか、かように思います。
  178. 山原健二郎

    ○山原委員 これは本人にその場で聞いたり何かしているのじゃないのですね。これは文書で出ているわけですね。大学側から出されているわけなんですね。しかも、これは県の教育委員会も公的な機関ですね、大学もそうですね。その双方において、こういう印刷物をつくって、すべての卒業生の思想傾向を特記するという項目があるということ自体が、これは憲法上大問題ですよ。あなたはどういう思想をお持ちですか、そんなことを私は言っているのじゃないのですね。個人と個人の間でそういうことはあるでしょうし、そんなことを言っているのじゃないのです。しかしこういうふうに就職というもの、しかも学校教員として就職しようとする者、大学を卒業した者、それに対して一律に思想傾向を出してきなさい、出しますという、この公的機関同士のやりとりというものは、これが正しいということになったらたいへんなことですが、もう一回聞いておきます。
  179. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 尋ねる側も答える側も私は自由じゃないか、こう申し上げておるわけでございます。大学自身も学生一人一人についてどこまで知っているか、またなかなか自信も持てないのじゃないか、こう思うのでございまして、わからぬことまで無理に書かなければならないということもない、またわかっておっても書く必要がないと考えるなら、それも書く必要もないと私は思うのであります。全く自由な立場考えていただけばいいのじゃないか、こう思っておるわけであります。
  180. 山原健二郎

    ○山原委員 そういうあいまいな態度では憲法は守れませんね。私ははっきり言っておきます。戦前のあの暗い歴史は、そういうことからくずれていったのですよ。(「オーバーだ」と呼ぶ者あり)大げさな問題じゃないですよ。そういうことを大げさだと言うこの感覚に問題があるのだ。だから私は、そのことを指摘をいたしておきます。そうして、そういう文部省の態度が——私は、ついでに申し上げますけれども、先ほどから私が免許法の問題に関連をして言っておりますのは、教員養成大学あるいは学部等の低劣な条件というものを申し上げました。さらに、現実に置かれておる教育現場の実態というもの、定員の問題にしましても、あるいは障害児教育にしましても、これではほんとうに子供たちをすこやかに、行き届いた教育をすることができない状態に置かれておるということも、これは現実にあるわけですから、その問題を申し上げたわけです。そういう問題を解決をしなければならないということを申し上げたのです。  そのほかに、教員に対するいわゆる異常な配置転換というようなものがあるわけです。私の県などでも、足摺岬と室戸岬と、東と西に分かれているわけです。人事異動になったら室戸岬の先生を足摺岬へぱっと、ミサイル人事と呼んでおります。そして夫婦別居させるわけですね。全くいじましい、何ともいえないやり方なんですね。そういうことを平然として行なう人事異動というものも私たちもしばしば経験をしてまいりました。何でこんないやなことをするのかということを……。人の生活も何もあったものじゃないのですね。  そういう、いわば弾圧的な人事、さらにはもう一つ、たとえば今度の公務員のストライキに対するところの文部大臣の態度、私はこの間新聞で見たわけですけれども、閣議で特に文部大臣が発言を求めて、今度のストライキに対して厳重な処分をするとかなんとか言ったということが出ておったわけでありますけれども、国際的に見ましても、実際に日本の公務員労働者のストライキというものに対しては、これはドライヤー報告その他を見ましても、国際的な情勢が変わっているわけですね。さらにまた国内においても、私ども文部大臣も率直にたとえば日教組と話し合いをしたらどうですかというようなことも言ってきたのです。実際に現場におる先生方がいろいろな悩みを持っておる。賃金の問題だってそれもありますし、それから教育条件の問題だって、実際に教育をしながら、これではどうにもならないという要求を持っておる。そういう中で、このストライキを行なうということに対して、ただ一方的にこれを処分するという考え方、これは最高裁の東京都教組の判決を見ても、そういう態度に対する戒めというものが出ているわけです。実際にここに長谷川先生いらっしゃいますから恐縮でありますけれども、長谷川先生自身が経験されたところだと思いますが、最高裁判所の判決だって出ているわけですね。そういう中で、文部大臣になられてから、十二月かいつかなられたわけですけれども、それから日教組と話し合いをしたらどうですか。話し合いをすれば、その中で虚心たんかいな話も出てくると思うのです。そしてまた歴代の文部大臣は話し合いを必ずしも拒否した人ばかりじゃないわけですから、そういうこともしないで、いきなり処分するのだ、こういうあなたの姿勢というものに対して私は疑問を持っているのですよ。だから、教育条件もあまりよくしてはいない、そしてわからない子供たちもおる、そういうことに対して手を尽くしていくということなしに、ただ処分するのだというような言動に対しては、私は非常に疑問を持っているわけですが、あなたの見解を伺っておきたいと思います。
  181. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 私は、絶えず申し上げておりますように、教育の基本は教師にある、だから教育条件を整備する責任を持っております文部省は、教師と十分協力し合わなければならない、そういう体制をつくり上げたい、こう念願をしているものでございます。いまある組合におきましては、スト権奪回のためのストをやる、こういっておられるわけでございます。こういうことに対しまして、私はまず先生方がストに参加してくれないようにしたい、これを強く念願をいたしております。次には、私たち先生の処遇の改善をはかっていきたい、それには国民皆さん方の御理解がなければできないことでございますので、国民皆さん方の御理解を裏切るような行動を先生方がとらないように、これも期待しておるわけでございます。第三に、にもかかわらず秩序を破った場合には、やはりそれなりの処分がなければ秩序は維持できないのじゃないか、こう考えているわけでございます。  憲法を守る、憲法を守るとおっしゃるのですけれども、憲法を守るということは、憲法に基づいてつくられました法律も守ることでなければ憲法を守ることにはならないと私は思うのであります。憲法には、公務員は全体の奉仕者だ、積極的に国民に対しては奉仕していかなければならぬ、こう書いているわけでございます。それを受けまして公務員法では、国民全体に対して積極的に奉仕していかなければならない、同時にまた、積極的に奉仕していかなければならないのだから、使用者である住民に対してサボタージュする、怠業をする、それをしてはいけない、こう書いてあるわけであります。ことに職員組合の目的は、勤務条件改善としか響いていないのでございます。勤務条件改善をするためにストをやる、これもいけないわけでございますけれども、いわんや今度の場合には、まさに政治的な要素を多分に含んでいるわけでございます。  こういろいろ考えてまいりますと、一体これは憲法を守る行動であろうかどうであろうか。もし裁判所がいろいろな見解を持っておる、それなら法律を改めていくべきであります。法律はおれは気に食わないから、おれはこの法律を守らないのだ、それでは世の中の秩序は守れないのじゃないかと私は思うのでございます。三権分立、これはわれわれは最高裁の判決を尊重していかなければならないと思います。またそれが確定していきました場合には、立法府におきましてもそれなりに必要な立法の改正措置をとってやったらいいと思うのであります。しかし、一方立法の秩序があるわけでございますので、それはおれは気に食わないのだという、個人個人の考え方で守る守らないのだということをやられたのでは、私は秩序は守り抜けないと考えておるわけでございます。そういう意味で私はさきの閣議であのような発言をしたわけでございますので、ぜひ山原さんにも私の考え方を御理解賜わるようにお願い申し上げたいと思います。
  182. 山原健二郎

    ○山原委員 憲法のあなたのほうに都合のよいところだけをもって、それを基礎にしておっしゃっておるが、憲法には労働者の基本的な権利ははっきりと明示している。これは憲法の一番大事なところですけれども、そんな憲法をかってに解釈してもらったら困るのです。しかも、最高裁判所の都教組事件に対する判決を言うつもりはありませんでしたけれども、そこまで大臣が言うならば言いますが、「地方公務員の具体的な行為が禁止の対象たる争議行為に該当するかどうかは、争議行為を禁止することによって保護しようとする法益と、労働基本権を尊重し保障することによって実現しようとする法益との比較較量により、両者の要請を適切に調整する見地から判断することが必要である。」まさにこれが最高裁判所の判決文なんです。だから、大臣は政治ストだと簡単にきめておるけれども、日教組の教育者がいま立ち上がろうとしておるのは、実際に現場の教育をどうするかという問題が基礎になっているわけですよ。もちろん待遇の改善もあるでしょうし、教育条件改善もあるでしょう。年金の問題だって切実な労働者の生活条件の問題なんです。そういうことも考えないで、ただ一方的に政治ストライキだから処分すべきだというような見解よりも、むしろ、いままでの文部大臣もやったように、あなたも日教組との間に話し合いをされたらどうですか。時間がありさえすれば率直に会います、とあなたは答弁された。これは一月の段階だったと思います。努力すれば時間がないことは私はないと思う。そういう努力が必要なんです。そういうことなしにこういう見解を表明することに対しては、私はたいへん異議を持っているということを申し上げておきたいと思います。時間がもう……
  183. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 先ほども申し上げましたように、時間が許します限りは率直に話し合いをしてお互いに協力をし合う体制を確立したいものだ、こう念願しておるわけでございます。いま最高裁の判決のことをおっしゃいましたが、最高裁の判決は程度の問題について言及をしているわけでございます。最高裁の判決が、公務員のストライキが違法でないんだ、こういっておるわけではございません。憲法二十一条が公務員に適用があるかどうかということについて、公務員にも適用はあると考えるべきだという式の表現をしておるわけでございますけれども、どの範囲まで認めるかということは立法府の判断の問題だ、こうも書いておるわけであります。これらについてもいろいろ意見はございますが、ことにストライキの問題は、私は、片方はストライキをする、他方はロックアウトをする、そうして相互がお互いに同じ立場で話し合いをするということが基本だと、こう考えておるわけでございます。それに対しまして、公務員の場合にはこれは使用者は住民全体なんだ、その支払う給与も住民全体が出しておるんだ、だから住民の代表者で構成されておる議会が給与の問題はきめていくんだ、しかし、それだけでは問題があるから、第三者機関が勧告をしていくんだという仕組みをわが国がとっているわけでございまして、これは私は一つの見識ある行き方じゃないか、こう考えております。しかし、それが適当でないとするなら適当でないような、立法的な改正を行なった上で私は実力に訴えるならまた考えられようと思うのでございますけれども、いまの法秩序がそれを許していないのに、個人個人の考え方で、それはもう実力行使をするんだ、これでは秩序というものは維持できないんじゃないか、またそういう考え方は憲法を守る考え方ではないのではないかと私は申し上げたいのでございます。憲法を守るということを言っておる共産党のことでございますので、ぜひ私はこの考え方を支持していただきたい。憲法を守るということは、憲法を基礎にする法体系全体を守ることだ、かように考えておるのでございます。
  184. 田中正巳

    田中委員長 速記をとめて。   〔速記中止〕
  185. 田中正巳

    田中委員長 速記を始めて。山原君。
  186. 山原健二郎

    ○山原委員 この資格認定試験の問題とも関連がありますので、いまの問題に出たわけですが、私は関連して申し上げておる。これは教師の現場の実態との問題で申し上げておるわけですから、その点理解していただきたいと思います。  それで、この資格認定試験は公開されるのですか。
  187. 木田宏

    ○木田政府委員 大学に委嘱した場合、その大学の判断にゆだねたらいかがかと考えております。
  188. 山原健二郎

    ○山原委員 やはりこれは試験制度の公正を期する、そういう意味において公開されることが、これは単にこの問題だけではありませんが、たとえば各県における教員採用試験、そういう不純なものをなくするためには、やはり私は公開することが原則だと思うのです。そういう立場をとっていくべきだという原則論を申し上げておきたいと思います。  私はこう思うのです。実際に先ほどから申し上げましたように、クラス担任制というものを維持しながら、専科教員というものを、特に図工、音楽、体育等につきましては教員をふやすということが、これから日本義務教育を発展さすために、また高等学校教育を発展さすために非常に必要なことだと考えております。それからまた学級定員というものを、これは小林先生からも話がありましたが、少なくとも小学校中学校においては三十五名以下、高等学校四十名以下にいたしまして、ほんとうに一人一人の子供に行き届いた教育ができるということ、これがいま父母の一番の念願でもありますし、教師の願いでもあると思うのです。そういう点を改善をしていくという、ことを私どもも主張しておりますが、これは単に私どもの主張だけではなくて、きょう見てみますと、日本教育学会大学制度研究会なども、昭和四十六年の十二月に出しておりますのを見ますと、やはりそういう学科担任制度の問題が出ております。これはぜひ文部省としても考えていただきたいわけです。しかも教育学的にもそれは必要なことだと私は思います。そうして初めて教員養成制度が充実をされ、教育の質の向上ということもはかれるんではなかろうか。それと、今度出されております免許法はむしろそれに逆行する内容を持っておる、安上がりの教員づくりというようなことばもありますけれども、卑近な例ではなくして、やはりほんとうに教育を向上させていくという立場で取り組んでいただきたい、こういう要望を申し上げて、それについての文部大臣の見解を最後に伺いまして、私の質問を終わります。
  189. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 お話、そのとおりに思います。教員充実につきましては、基本的な教員充実の線、これは守っていかなければならないと考えております。同時にまた、需要を正確に把握しながら、必要な教員充足をはかっていくという計画的な運営もきわめて大事なことだ、かように存じております。
  190. 山原健二郎

    ○山原委員 終わります。      ————◇—————
  191. 田中正巳

    田中委員長 次に、文教行政基本施策に関する件について調査を進めます。  質疑の申し出がありますので、順次これを許します。木島喜兵衞君。
  192. 木島喜兵衞

    ○木島委員 私の質問に入る前に、先ほどの山原さんの質問の答弁に対して、わが党の長谷川さんから質問がされたいということでありますからお許しいただきたいと思います。
  193. 田中正巳

    田中委員長 関連。長谷川正三君。
  194. 長谷川正三

    ○長谷川(正)委員 文部大臣に簡単に質問いたします。  さっき山原委員の質問の中で、今回、日教組が賃金の引き上げ等の問題をめぐりましてストライキの方針を出したのに対して、大臣が閣議で発言して、きびしく取り締まるというようなことを言ったこと、あるいは日教組と話し合うという道をまだ開かないことに関連して質問申し上げたようでありますが、その際、私の名前が出ました。だからではありませんけれども、一言だけ聞いておきたいのは、私の出た問題は、昭和三十三年四月二十三日に、勤務評定の強行に反対をいたしまして、完全一日のストライキを東京都教職員組合が、当時一斉休暇闘争という名前でございましたけれども、まあ完全な一日ストライキ、これを決行したことに対しまして、当時私はそれを教唆扇動したというかどで刑事問題あるいは行政処分、こういったものに問われました。懲役一年の求刑も受けたわけでありますが、最終的に十一年目の四十四年四月二日に最高裁で判決が下り、これが確定いたしました。それは、私どもの一日ストライキは、大臣がおっしゃるとおり、地方公務員法等を見れば明らかに禁止規定があり、またこれをあおり、そそのかした者に対する処罰規定がございます。ですから、その面だけから見れば、これは当然有罪ということになるだろうと思います。しかし、最高裁がなぜ無罪の判決を下したかと申せば、憲法二十八条の勤労者に対する労働基本権というものは、これは決して公務員において特に除いておるものでない。そのことが根底にありまして、それとの、確かにあなたのおっしゃるとおり比較考量の上で判断すべきものである。その結果として、これは憲法二十八条に基づく行動であるという判断、それ以下の法律はでは違憲か、そこまでは言えないけれども、運用をよほど慎まないと違憲のおそれがあるということを指摘しているのです。それで無罪の判決が出ました。  なお、続いて四十六年の十月十五日に東京地裁では、当時受けました行政処分も全面取り消しの判決が出ております。これはまだ東京教育委員会が控訴中でありますから、最終的に最高裁の確定まではいっておりません。これは問題にいたしませんが、私がお聞きしたいのは、盛んに法律論を振りかざしまして憲法憲法とおっしゃるけれどもということばの中に、憲法軽視の大臣の姿勢を私は非常に強く感じますので、私のこの最高裁における判決、一日のストライキというものに対して無罪の判決をしたというこの判決は誤りであるとお考えなのかどうか、そこだけはっきりお聞きします。
  195. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 最高裁の判決につきましても人によってはいろいろな批判があるかもしれませんけれども、それはそれなりに尊重すべきだ、かように考えます。ここまで言えばよけいな発言になってしまうのですけれども、公務員は全体の奉仕者だということについての最高裁の考え方、若干私は早く明確になればいいがなと、こう念願をしている一人でございます。そうして、こういう問題については終止符が打てないものだろうか、これが私の念願でございます。
  196. 木島喜兵衞

    ○木島委員 私の一般質問は約二カ月前に前半を終わって、もう二カ月たっておりますので、多少一貫をしない後段に入るわけでありますけれども、前回私はこう申しました。   〔委員長退席、塩崎委員長代理着席〕 教育基本法の前文は、「われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。」と書かれておる。したがって、この理想の実現は根本において教育の力にまつべきものであるだけに、この教育の力というものが日本の未来、それは今日の延長線上の未来もあろうし、あるいは変革の、あるいは新しい創造の未来もあるであろう。したがって、その立場からするならば、教育基本法第十条の、教育は不当な支配に服することなく、真理を探求する自由を持たなければならない、そういう前提に憲法や基本法は立っておるけれども、しかし歴史的に見ても、世界の教育は常に政治的要因や経済的要因によって左右されてきたことはいなめないであろうという立場から、今日の日本教育は、政治的要因に左右されておらないかという立場でもって前段は御質問申し上げました。したがって、きょうは後段の、経済的要因によって日本教育は左右されていないだろうかということについてお伺いをしたいのであります。  そこで、大臣にお聞きしますけれども、率直にいって戦後の日本教育は、日本の経済界に多分に左右されてきたとお考えになりませんか。いい悪いはこれは別として、過去のことをとやかく言わないという立場をとってもいいですよ。けれども率直にいって、たとえば経済団体等の影響が、今日の学校教育の中に相当大きく入っておらないだろうかという反省は、私は、いま日本の大きな転換期の中でもって、あってしかるべきだと思うのでありますけれども大臣の御見解をまずお伺いしたいと思います。
  197. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 教育というものが孤立して行なわれるわけではございませんので、そのときどきのいろいろな問題の影響を受けると思います。御指摘のような経済の影響を受けなかったかとおっしゃいますと、それは多分に受けてきている、かように考えておるわけでございます。
  198. 木島喜兵衞

    ○木島委員 この多分に受けてきているということは、経済の影響は当然受ける。しかし、経済界が教育を左右しようとする、あるいは教育界に望むものというものが当然あろう。そういうものに左右をされてないだろうか。経済そのものじゃなくて経済界、財界に多分に影響を受けてきてはいないだろうかということをお聞きしているのです。
  199. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 経済界が直接教育界に影響を及ぼしているということにつきましては、私はそれほどのものとは考えません。ただ経済界が政治に影響を及ぼす。政治の面から考えまして、この際としては経済の復興、発展をはかっていくということが非常に大切だ、戦後はそう考えてきたところでございます。またそれは当然だったと思います。そういう場合には、経済界の意向というものが政治界にも入るかと思います。そういうことがまた教育の問題を考えます場合にも、そういう影響が出てきておる。ですから、経済の影響ということは私はわかるのですけれども、経済団体の影響ということになりますと、ちょっと私は木島さんの気持ちにすぐ沿っていけないような感じがいたします。
  200. 木島喜兵衞

    ○木島委員 あなたのお話ですと、経済界は日本の政治に直接的に要望をする。それまではわかります。だから政治が教育を左右をしたことが、先ほどあなたの御答弁になった経済の影響を受けたという御答弁だとすると、それでは経済界は直接教育に対して要望意見書を出したことがなかったとでもお考えになるのですか。
  201. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 影響は絶無だと申しておるわけではありません。ただ、おたくがおっしゃっておるように、政治が教育を左右するような影響を与え、あるいは経済が教育を左右するような影響を与えるというような意味合いでの議論である場合には、経済界あるいは経済団体が教育に大きな影響を与えてきた、こういうことになりますと、私はちょっと問題が別だな、かように考えております。
  202. 木島喜兵衞

    ○木島委員 経済団体が戦後日本教育に対して、どれくらいの報告書や意見書を出したか御存じですか。
  203. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 経済団体といたしましても、結局は人が経済を動かす。したがって、またその経済の面から、どういう人が望ましいというような意味合いで、いろいろな研究機関を持っておられますし、また研究も重ねてきておられる。そういう成果というものは各方面に出されておる。それはよく承知しております。
  204. 木島喜兵衞

    ○木島委員 だから、経済の発展のために、人間が必要であり労働者が必要である。その労働者というものが、教育というものと無関係でない。だから、そういう教育意見書や報告書を出しているわけでしょう。その影響を受けておらないかと私はさっきから聞いておるのです。
  205. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 経済による影響を受けておる、こう私は率直に申し上げたわけであります。経済界、経済団体の影響を受けてないと申すわけではないが、経済に受けていると言ったほうが、より私には私なりに表現が的確だと申し上げておるわけでありますから、いまあまり論争しても益のないことかもしれませんが、気持ちの上でそういう違いがあるんじゃないか、こう思っておる次第でございます。
  206. 木島喜兵衞

    ○木島委員 自由民主党の大臣とすればそれが限界でありましょうけれども、実質的には経済界の意見というものがやはり今日の教育に影響を与えたということは、これはあなたもいま言外にもおっしゃったことだと思います、首を立てていらっしゃいますからね。で、やはり私はそこだと思うのです。それはある意味では財界からすれば学校というものを安い労働力の生産工場あるいは便利な労働力の生産をする場所という、それだけじゃありませんけれども、そういう期待は、これは財界としては当然なんだろうと思いますよ。そしてそのことは逆に言うと、企業の要求に適しない者は、極端な言い方ですけれども採用されない。されないから、採用されるためには、企業の要求に合うような能力というものを身につけようと親も子供もするでありましょう。そしてまた学校も、子供の就職を考えれば、その企業に採用されるために要求に即した能力というものを身につけさせようとすることもまたいなめないことであろう。そして、そのためには、企業の要求するところの教育課程というものを文部省がつくらねばならないという一面も出てこよう。これは率直にいって、全部を否定することはできないけれども、そういうことに多分に影響された今日の教育という一面が、私はこれから質問するわけでありますけれども、多分にあったということをわれわれが反省をしあるいは認識をしなければ、いま日本は大きな曲がりかどだと私は思うのですね。そうでしょう。高度成長政策というものが今日非常に大きな変化、変えなければならぬときに来ておるのでしょう。そういうときに、あなたがさっきおっしゃった経済、社会の変化にあるというならば、そういう大きな政策の転換が迫られておるときに、日本教育をこれからどうしようとわれわれが考えるとき、私はそういう認識はまず必要だという意味で、いまお聞きしておるのです。よろしゅうございますね。その点は首を振っていらっしゃるから先に進めましょう。  そこで後日でも、経済団体からどういう報告が出て、たとえば中教審がそのことに基づいてどういう審議をしたり、そういう方向が出ると文部省の政策がすぐあらわれてきたということ、将来、いまでもいいのですが、時間がたちますから、大臣が認められたことでやめます。これでしまいにしますけれども、そこでいま一つ、その中のあらわれとして申し上げたいのは高校の多様化であります。岩間さん、この間あなただれかの質問に、高校の多様化が反省期に——どういう表現だか忘れましたが、反省期に来ておるというような御発言がちょっとございましたな。ちょっと整理しなければならぬじゃなかろうかというような御発言がございましたな。あったとすれば、その反省は一体どこから来たのか、これをちょっとお聞きしたい。
  207. 岩間英太郎

    岩間政府委員 高等学校、特に職業高校を出た方は、大体就職をされるというのが普通の段階でございます。その際に、高等学校で身につけた技術なり知識なりが短い間しか役に立たない、それ以後は役に立たなくなるというふうなことが、かりにあるといたしますと、これは学校教育意味というものは薄くなるわけでございます。そういう意味から申しまして、いま生涯教育ともいわれておりますように、社会の変化が非常に激しいわけでございます。また技術の変化も激しいわけでございます。そういう際に社会に出てその人が生活をし、さらに向上していくというためには、もう少し基礎的な知識なり技能なりを持って、それがしばらくの間で役に立たなくなっていくということではなくて、さらにその後の進歩が望めるような形で教育というものが行なわれる、そのことがその人の将来のためでもあり、また社会の発展のためでもあるというふうな基本的な考え方に立ちまして、いまの高等学校教育というのが、単に社会のこまかい分野に対応するように細分化されていくということは、これは考えなければならない、もう少し基礎的な知識なり技能なりというものを、しっかり身につけさせるような方向にいくべきではないか、そういうことを申し上げたのであります。
  208. 木島喜兵衞

    ○木島委員 よくわかりました。したがって、逆に言うならば、さっき申しましたように、高校の多様化は、すぐに役立つ労働者を高校多様化の中に資本が求めている、その要請にこたえる多様化であったということは、すべてであるかどうかは別として、いなめないことだろうと思う。したがって、いま局長がおっしゃることは、その反省の上に立っていらっしゃるという意味で、——私は多くを申しません。率直にいって、約二百四、五十、一時ありましたね。これはひどいですよ、大臣。たとえば塗装科、溶接科、電気工事科、自動車科、自動車整備科、馬蹄科、靴をつくる製靴科、理容科、秘書科、和裁科、印刷科、これはもう企業内訓練か職業訓練所ですな。そういう二百四、五十の、これはあまりにも私は資本に奉仕する教育に堕し過ぎたと思う。この反省はいま局長からおっしゃったから、もう追及しません。ことに、いま局長がおっしゃったように、技術革新が進むということは、すぐに役立つ技術はすぐに役立たない技術になります、すぐにスクラップになります。その人間はそれで終わりになります。教育は無意味になります。そういう反省から、技術革新がスピードが増せば増すほど、むしろ基礎教育というのでありましょうか、変化に適応できる能力こそ必要であれ、細分化されたところの技術は全く不要であろうと思うのです。そういう反省から、今後どうされるかは、また後にだんだん聞いていきます。ことに、そういう多様化というものは、一面において、いま申したようなところの弊害を持つと同時に、技術革新は、ある意味では、人間を、人間でなくてもできる仕事から解放するという一面がきっとあるだろうと思います。けれども、逆に言いますと、技術革新は、たいへん分業体制を進めますから、単純労働になります。たとえば、自動車なら自動車の組み立て、毎日毎日、朝から晩までコンベヤーで来たものに、何秒かの間にネジを巻く。それがおくれれば、その次の車はもうすぐに来るので、全体の工程がくずれる。そこにきわめて単純労働になっていくという傾向があります。そして、そのことは、しょせん人間疎外に追い込んでいきます。人間疎外の中に労働者は行ってしまいます。それだけに、労働者のその疎外を埋める教養教育というのでありましょうか、人間教育というのでありましょうか、そういうものがまた一面に、先ほど言ったように、技術革新に適応できる、変化に応ずることのできる基礎教育、そして人間疎外を埋めていくことのできる教養教育と申しましょうか、そういうものが、両面において要求されると思うのでありますけれども大臣、いかがでしょうか。
  209. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 全く同感でございます。表現は異なるかもしれませんけれども、私も、日ごろから学校教育の特色というもの、それはやはり力をつちかっていく、そして多方面に自分の力を応用できる、そういう資質がつちかわれる、そこが他の分野における教育との大きな違いである、かように考えておるわけでございます。同時に、人間性疎外、人間性喪失、これがいまの大きな問題でございますので、それだけ基礎的な教養、これを心がけていかなければならない、かように存じております。
  210. 木島喜兵衞

    ○木島委員 いま住民の運動のために、多分に修正いたしましたけれども、富山に三・七体制というのがありました。大臣、御存じですか。御存じなければいいです。説明します。  私、富山の調査に参りまして、その三・七のことを——三割は大学進学組、七割は職業組、たいへん分化しております。私、ある中学校の三年生の授業を一時間もらいました。私は、免許を持っていますからね。そこで、私は劈頭に、高校へ行きたい者は手をあげろと言ったら、みんな手をあげました。普通科に行きたい者は手をあげろと言ったら、みんな手をあげました。そこで私は、じゃ、行けると思う者、手をあげろと言ったら、三人手をあげて、あとはみんな手をおろした。あげなかった子供に、なぜ行きたいのに行けないのと聞いたら、あれは優等生で、大学進学組だから行ける、私は成績が悪いから行けないと言いました。その日の放課後、ある実業高校に参りました。放課後だったものですから、校長室でもって、校長以下職員の前に三年生の自治会の者が十数人集まって、聞いた。君、どうしてこの学校へ来たの、あなたはどうしてこの学校へ来たのと聞きました。そうしたら、一人を除いてあとは全部異口同音にこう答えました。私は、中学校を出たときに、自分の適性がどこにあるかわからなかった、先生にも相談したけれどもわからなかった、親にも相談したけれどもわからなかった、だけれども、普通科へ行って、そこで自分の適性に合うところの進路、職業というものを見つけたかったが、普通科は優等生で、大学進学組であって、自分の適性を見つけるところではない、だから、そのとき先生は、おまえの入れる学校はここしか入れないからといって、この学校に来ました、その瞬間に私の人生はきまりました、私の運命はきまりましたと言いました。終わったら、校長は汗をふきながら、いやこんなひどいことを言うとは思わなかったと言いましたけれども、私は、そういう実態が多様化だと思うのです。だから、その中からやはり無気力や無関心や無責任という、三無主義といわれるような子供ができてきたし、あるいはまた進学組は、大学への予備校でしょう。高校には高校の本来の教育がある。だのに、予備校化されておる。私、かつて高校反戦が盛んなりしころ、新潟県で高校反戦が出たところの原因を少し調べたことがあるのです。進学校で有名校ほど多かったのです。その反発は一体何か。高校は予備校でないということが一番基本になっておるのです。だから、そういう子供たちや青年の心の乱れというものが、単にそれが先生のあり方とか教育のあり方とか、よく言われます。自民党の方々は、言われるけれども、もっと学校教育なら学校教育の場でも、学校教育だけとは言わないけれども学校教育の場でも、そういう身の入れ方をしないのは、戦後の日教組の教育が悪いのだみたいなことで片づけられてしまうような単純なものではないと思うのです。そういうことが、また逆に言うと、学校格差を拡大していることでしょう。学校格差を拡大するから、ますます入学試験の競争が激化するわけでしょう。そこはちょっと飛躍ですか。(奥野国務大臣「飛躍ですな」と呼ぶ)じゃ、飛躍なら飛躍で、少し議論をしましょう。ぼくははしょって言おうと思ったのです。
  211. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 どうもだんだんよけいなことを言うものですから、たいへん恐縮です。  私は、大学への進学率が非常に高まってきているにもかかわらず、高校を出て、すぐ社会で働く、そういうことをねらいにしてつくられている職業科の課程のほうが非常に多い。これは社会の変化に対応できなかった面が多分にあるのじゃないかと思います。そういう面も、いまおっしゃったような例からかなり来ているのじゃないだろうか、かように考えるわけでございます。  格差のお話がありましたので、先に私の気持ちを申し上げさしていただくわけでございますけれども、やはり高校には、いろいろな型の高校があっていいのじゃないか、こう考えているわけでございまして、格差とは何かということから問題が始まるのかもしれませんけれども、私は、やはり何も学力をつけるのが能じゃない、人がらのよい人間が生まれてこなければならないだろうと思いますし、特定の職業にひいでた人間が育てられるのもけっこうでございますし、また学業を中心に大学に進んでいくような者が育てられやすいようなこと、そういうことがあってもいいのじゃないか、そう思うわけでございまして、多様なものを期待をしておるわけでございます。だから、基本的には、それぞれの学生に合った進路を選んでいく。何か学歴偏重の社会、それが有名校へ生徒をかり立てていく、そういうところに大きな問題があるのじゃないか。もっと自分を大切にして、自分の能力に向いたところへ将来の進路を求める。そういうような雰囲気というものは起こせないものであろうか。これを非常に希望しておるものですから、この格差のことについておしゃべりをしたわけでございます。
  212. 木島喜兵衞

    ○木島委員 多様化には二通りの理解があると思うのです。一つは、さっきから言っておるところの資本の要求にこたえる多様化と、もう一つは、能力の多様にこたえる教育と二つあります。だからこれは、私はさっきから峻別して、実は資本の要請にこたえる部分だけしかまだ言っていないわけです。ただ、そういうことが社会普通にいう学校格差に発展している。なぜならたとえば成績のいい大学へ行くについては普通高校、だから普通高校は高い者、成績の悪い者は実業高校、いまの富山で言えば。そこに学校のりっぱとか古いとかいうのじゃなくて、社会一般にいう有名校とかなんとかいう学校格差というものは、そういうところから生まれてくるわけでしょう。私それを言っているのです。そういう格差が出てくるでしょう。したがって、能力の多様に応ずるために、あるいは中学校三年では自分の一生の進路をきめられないから普通科に行こうとする。だけれども、その普通科は行けないという。したがって、少しでも成績がよくなろうとする。そしてまた先生もそこにふるい落とされることだから、なるたけふるい落とされないように成績よく入学競争に勝てるような子供をつくろうとする。ここに中学校が予備校化してくる。このことはいなめないでしょう。本来中学校には中学校の普通教育義務教育としての教育がなければならないのに、これが予備校化してくる。そこから子供たちの心が曲がってくる、ひがんでくるというものがあるわけでしょう。こういうものを直さなければならぬ。と同時にそういう準備教育は、私はたいへんはしょって言っているのですよ、今度テスト教育に多分につらなってくる。そうでしょう。テスト教育に対する大臣の御批判をいただきましょう。
  213. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 御指摘のとおりだと思っております。進学目的の教育、それがテスト教育につながっていくのだと思うわけでございますけれども、やはり人間を育てる、個人個人の持っている能力をできる限り伸ばしてあげるというようなところに教育の本質が向けられなければならない、それが進学目的の教育に堕している、こういう気配が多分にある。いま申し上げました問題は、普通科を多くして職業科を減らさなければならない。それができていないためにあるいは普通科へ行きたいけれども、結果的には狭い門だ。したがって、残っているところは職業科しかないわけだから職業科へ行っていろというようなところに原因があると思うのでありまして、そこの編制を改めなければならないのじゃないか。それがなかなか一挙にはいきにくいというところにいまの弊害が生まれているのだと、お話を伺いながら感じておったところでございます。
  214. 木島喜兵衞

    ○木島委員 大臣の普通科をふやさなければならぬという点は、たいへん前向きなお考えだと思います。その点はまた後ほどお伺いしますけれども、現在、そういうものですから勢い入試競争というものになり、そのために予備校化になり、そしてその予備校化はテスト主義になってくる。このテスト教育に対して、これは私、市販テスト等はまたあらためてお聞きするのですが、テスト一般で言うのですけれども、テストというのは、本来教育の課程の中で継続的に教育が進められる、その中でもって教育の活動がどの程度効果をあげておるかという測定のためにこそあれ、ことにペーパーテストのマル・バツでもって人間の価値を判断するような、人間の一生を格づけするようなものたり得るのかどうか、たいへん疑問に思うのですが、その辺はひとつ大臣、これからの、しかし、ではすぐにやめろといったって、さっきからいろいろ話がありますように、現場では定数がたいへん不足なものですから、自分でつくる時間があるかどうかいろいろ問題はあります。ありますけれども、すぐやめることはできないが、少なくとも文部省はそういうテスト中心的な、横行しておる今日のこの教育に対して、いますぐできなくても、徐々にであろうともどう持っていこうかという考え方がなければならないだろうという気がするのですが、いかがでしょう。
  215. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 いま顕著に出ている弊害だと私も思っているわけでございます。文部省もそういう意味では調和のとれた人間をつくっていかなければならないのだとか、あるいは知育、体育、徳育ともに考えていかなければならないという式にいろいろな注意の喚起をいたしてまいっているのでございます。同時にもう一つ、やはり入学試験のあり方にも原因があるのじゃないだろうか。難問、奇問を出しますものですから、たいへんテスト、テストでいろんな問題を体験させなければならぬという親心、それが受験地獄に追い込んでおる。だから、そこの改善もしなければならない、かように考えるわけでございまして、両面から改革をはかっていくべきものだ、かように存じております。
  216. 木島喜兵衞

    ○木島委員 ことに私そういう入試とか、そういうことだけでなくて、人間形成の上で、本来人間の能力をペーパーテストでもって、測定不可能な手段でもって人間を格づけする、そうしてその格づけが、たとえばいま入学試験のあり方ということで内申書中心になるとすれば、今度内申のいい者ということになりますから、したがって、人間的にはその子供は優等生になりたい、成績がよくなりたい、そういう方向をたどるだろうと思うのです。   〔塩崎委員長代理退席、委員長着席〕 優等生を、優劣をきめるということは、他よりもよくなるということ、したがって排他的になります。他よりもよくならなければいけない。極端にいえば、他を押しのけてもよくならなければいけない。そのことは逆にいうならば、非集団的になります。非集団的とは非社会的であります。これは社会要員の一員とする人間育成のための教育としては、私はたいへん問題があると思います。確かに優等生を指向するということは、何かよくなるということはいいようでありますけれども、私は人間本来の向上心と優等生を指向するということの中身は、やはり峻別して考えなければならぬだろうと思う。本来、人間本来の向上心というのは、他人に比較して優劣ではなくて、自分自身の向上が問題になる。向上したかしないかは、他に比較して向上したかしないかではなくて、自分自身の問題として向上したかしないかである。優等生指向は他人に比較してよくなる。本来の向上心は、自分自身に対して向上したかどうかというものの反省があるのですが、優等生の場合は自分じゃなくて、他人が、教師が優劣をきめるという違いがあるわけです。私はこういう点は人間育成という上においてはたいへん基本的なことになると思うのです。こういうことを踏まえながらこれからの教育をどうすべきかということを、いま私はそういうきわめて顕著に出ておる弊害というものだけをあげておるのでありますけれども、そういう点を自覚しながら、認識しながらこれからの教育というものを考えなければならぬのじゃなかろうかという気がするのです。そういう観点に立っての、先ほど大臣は入試のあり方ということも含められましたけれども、そのテストについても一定の御見解を示していただければたいへんありがたいと思うのです。
  217. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 おっしゃいましたように、人間性の豊かな人物を育てていく、ただ詰め込むだけじゃなくて、それぞれが持っておる個性をできる限り伸ばしていく、それの可能な先生、なかなか苦労の要る問題じゃないか、かようにも考えるわけでございまして、学習指導要領などのあり方につきましても、そういう趣旨の改正を行なってきているわけでございますけれども、あわせまして先生の資質もできる限り高くしたい、両面からいまの問題に向かって努力を続けているところでございます。
  218. 木島喜兵衞

    ○木島委員 わかりました。  そこで私、この間、大臣教育に対する基本姿勢を聞くという機会に、大臣に対して、高等学校も義務制にすべきではないかという憲法の発想からの御質問を申し上げました。大臣は最後に、高校九九%以上になれば改正しなければならぬのではないかという御発言をなさいました。私は、もちろんそのことは憲法二十六条の最後に、「義務教育は、これを無償とする。」ということは、これは生存権でありますから、九五%をこえたら、あるいは九九%と大臣はおっしゃったけれども、とすれば、高校に行くのが普通であり、普通でなければまともな就職ができない。まともな就職ができなければまともな生存ができないから、生存権という形で——わかります、大臣のおっしゃることは。同時に、あのとき申し上げたのは、憲法二十六条の第二項が「すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。」とある。その「保護する子女」は民法上満十八歳である。そういう立場でするならば、十八歳までが当然ではないか。そのことがまた、もし義務教育にするならば、これは中学校は全部高校に入るのですから、中学校の予備校化は防げるのです。全部入れるのです。そうして、それは普通教育でありますから、原則的には中学校小学校と同じ一般教養ですね。そのことが、あなたは憲法の「義務教育は、これを無償とする。」という生存権的立場から義務制というものに、そうなればとおっしゃいましたけれども、二項の前段のほうでは、あなたは明確なお考えがなかったようでございますけれども、その点はいかがでございましょう。
  219. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 国民の全部が高等学校まで進むというような時代の来ることは望ましいことだ、かように考えるわけでございます。全部が行きます場合には、その経費も小中学校についてとっておりますような仕組みを当然考えてしかるべきであろう、私はこう考えておるわけでございますけれども、いずれにしましても、そういう方向にいくこと、これは望ましいことには違いございません。
  220. 木島喜兵衞

    ○木島委員 局長に聞きますが、学校教育法の第七十五条に「小学校中学校及び高等学校には、次の各号の一に該当する児童及び生徒のために、特殊学級を置くことができる。」とあります。したがって、特殊学級小学校中学校と同じように置くことができるという条文であります。この思想は、いま私は高等学校を問題にしていますから、高等学校特殊学級を置くということはどういう思想なんでしょうか。
  221. 岩間英太郎

    岩間政府委員 それは、教育の機会を広げてやる、そういうふうなことだろうと思います。
  222. 木島喜兵衞

    ○木島委員 現在、高等学校特殊学級というのは、私寡聞にして知らないのですが、ありますか。
  223. 岩間英太郎

    岩間政府委員 現在は、高等学校にはないと思います。
  224. 木島喜兵衞

    ○木島委員 なぜないのですか。小中学校にはずいぶん文部省が推進してきました。同じく小学校中学校、高等学校と、並列してこの条文がありますね。高等学校だけ設置しておりません。小中学校には特殊学級文部省はずいぶん設置しておる、いま高等学校特殊学級はない。なぜでしょう。
  225. 岩間英太郎

    岩間政府委員 率直に申しまして、まだそこまで手が回らないということだろうと思います。小中学校義務教育でございますので、これについては特殊学級をこれから完全な形で置いていきたい。それから、高等学校にはやはり肢体不自由児の方、その他が入っておられますけれども、いまのところ、御案内のように進学率の上昇と申しますか、そういうふうな需要にこたえるのにせい一ぱいであるということであろうと思います。
  226. 木島喜兵衞

    ○木島委員 この七十五条の条文、高等学校に「特殊学級を置くことができる。」ということと、いま大臣がおっしゃったところの教育制度との関係はどうなっていますか。
  227. 岩間英太郎

    岩間政府委員 これは、入試というのは希望者が多ければそれを選抜をするということでございますから、いまのところ、たとえば定時制の課程におきましては、希望者よりも定員のほうが多いという場合もあるわけでございます。したがいまして、普通の高等学校教育にたえ得る者につきましては、これは選抜の結果、そういうふうな心身に障害を持っておられる方が入っておられる。それについて特殊学級を設けるということは別に差しつかえないのでございますが、高等学校にはないということでございます。
  228. 木島喜兵衞

    ○木島委員 現在ないのは違法だと言っているのじゃないのです。しかし、高等学校にも「特殊学級を置くことができる。」とあるのです。しかるに、中学校特殊学級の精薄の子供の場合——肢体不自由児なんかは入るかもしれません、特殊学級がないけれども中学校の精薄の子供は、高等学校に入れない。選抜があればですよ。入れないです。その関係を聞いているのです。
  229. 岩間英太郎

    岩間政府委員 この法文は、おそらく高等学校の現在の教育についていけない方々までは考えておらないものだ、そういうふうに思うわけでございます。将来の問題は別にいたしまして、現在のところは高等学校教育というものは、一定の水準があるわけでございますから、それに現実問題としてついていけないという場合のことまでこの法律で予想しておるということじゃないと思います。
  230. 木島喜兵衞

    ○木島委員 元来特殊学級というのは、標準的なことについていけないから特殊学級が小中学校にあるのでしょう。高等学校特殊学級を置くということは、ついていけない子供があることを前提にしなければこの条文は意味をなさないのじゃないですか。
  231. 岩間英太郎

    岩間政府委員 そうではないと思います。やはり高等学校の水準についていける者だけを現在の高等学校は養成しておる。したがって、肢体不自由児その他ついていける方もおられるわけでございますから、そういう方につきまして特殊学級を設けるということがあり得る、またそういうことがある意味では望ましいということをいっておると思います。
  232. 木島喜兵衞

    ○木島委員 これは少し詭弁です。小学校中学校、高等学校、並列しているのです。何も差別つけておりません。  したがって、大臣にお聞きします。高等学校特殊学級を置くということは、肢体不自由児、精薄でも特殊学級が存在するわけですね。すると、一体高等学校に入れないというのは、選抜試験の中でもって合格する者は入る。しかし、この条文は、本来ならば精薄でも入れ得る条文ですね。したがって、本来ならば、この条文からするならば、みんな入れてやりたいところですね。入れていいわけですね。そうすると、高等学校に行けない者は、経済的な理由がある者だけが高等学校に行けない、この条文をすなおに解釈すれば。高等学校は全員入れる、あるいは一〇〇%行くということが、すぐするかどうは別として、中学校特殊学級子供も、高等学校特殊学級にそのまま移行できる。そうすると、行けない者は経済的要因だけで行けないということになりはしないだろうか。
  233. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 高等学校特殊学級、なかなか理想どおりいっていないわけでございますけれども、少なくとも早く養護学校を整備したい、養護学校の高等部まで充実していきたい、こういうことで努力していきたい、かように考えておるわけでございます。
  234. 木島喜兵衞

    ○木島委員 これは理念上のことを言っているのです。それはすぐにそういかないこともわかっております。この条文の理念から言っているのです。すぐにやるかやらぬかということがなかなか困難なことは私もわかっております。わかるけれども、この条文の理念からするならば、憲法のこの思想はと言ったら局長は——「その能力に感じて、ひとしく教育を受ける權利を有する。」憲法上のことを言っておるのです。
  235. 岩間英太郎

    岩間政府委員 高等学校につきましては御案内のとおり高等学校の目的がございまして、そこでいまの高等学校教育というものはきまっておるわけでございます。したがいまして、高等学校教育にたえ得る者についてそういう特殊学級というものを高等学校については予想しておる、そういうふうに考えるのが適当だろうと思います。
  236. 木島喜兵衞

    ○木島委員 それなら小学校中学校の中に——学校教育法にちゃんとあります。それについていけないから特殊学級となっておる。それ以上答弁はいいです、たいへん苦しいでしょうから。  ただ、その思想の中にはなるたけ全部高等学校に入れてやりたい、精薄でも。そういう思想があるのです。だから、私はいま高等学校を義務制にしてはどうかということの中で言っているのです。こういうものがあるということは、少なくとも精薄も含めて特殊学級に入れるわけでしょう。となれば、現在入れない者は経済的要因の者が入れないことになるわけですね。もし高等学校にこの条文で特殊学級を置くとすれば、入れない者は経済的な者になる。もし経済的であるとなれば、これは教育基本法の第三条の「すべて国民は、ひとしく、その能力に応ずる教育を受ける機会を与えられなければならないものであって、人種、信条、性別、社会的身分、経済的地位又は門地によって、教育上差別されない。」二項は、「国及び地方公共団体は、能力があるにもかかわらず、経済的理由によって修学困難な者に対して、奨学の方法を講じなければならない。」このことを一貫して考えるならば、現在の法体系の中においても、高校は義務制的な、全員を入れるということを思想として持っておると思うのです。大臣からそれを先に聞きましょう。
  237. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 教育基本法の規定からいきまして、できる限り奨学の方法を講じて全員が入学するようにつとめていくという方向、それは私も賛成でございます。ただ、そういうこともあって、全日制の高校とか定時制の高校とか通信制の高校とか、いろいろな道を講ずるとともに、不十分ではございますけれども、奨学金の貸与というようなこともやっておるわけでございますが、漸次これを充実させながら理想に向かって進んでいくべきものだ、かように思います。
  238. 木島喜兵衞

    ○木島委員 私はそんなこと聞いてないのです。こういうことを通して、進学率の上昇と相まって、もはや高校を義務教育とせねばならない時期が来ておるし、法体系もそういうことを目ざしておる。進学率からそう言える。したがって、そういうことにいまするということじゃありませんよ、ありませんが、そういう時期に来ておるということをお認めになれば——お認めになるかならぬか聞かなければなりませんが、いますぐと言っていない、そうなればそれに対応する措置というものが、いまから研究なり調査なり準備なりが進められなければいかぬことだろうと思うのです。どうも文部省行政というのは、いつでも行き詰まってから隘路打開の行政ですね。坂田文部大臣のころは非常によかった。ですから、何か現象が起こってからその現象をどうするかということに追われるのじゃなしに、ちゃんと目標を持って、その目標に向かいつつ整備をしていくことが必要だと思うから、そういう目標を明確にしなさいということを言っているのですが、どうですか。
  239. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 おっしゃいますように、先駆をとって政策を行なっていかなければならない。その場合に、高等学校については国民全部が高校まで進める時代がやがて来るという前提で考えていかなければならない。賛成でございます。
  240. 木島喜兵衞

    ○木島委員 そこで当面、普通教育である。もちろん選択科目等の職業の関係がありますけれども、それは中学と同じではありませんが、普通教育であるから、さっき局長がおっしゃったように、技術革新によってすぐにスクラップになるような多様化を排し、普通科をふやしていく、あるいは技術革新からくる人間疎外を埋めるところの一般的な教養、そういうものに向かっていく目標、いまあなたは義務制に賛成だとおっしゃる。その方向に向かっていくとするならば、そういう指導というものが進められなければならないと思うが、大臣の御所見を承って、高校のこの問題についての質問は、答弁いかんでまた質問するかもしれぬけれども、大体賛成だと思うから、終わります。
  241. 岩間英太郎

    岩間政府委員 方向につきましては、ただいま大臣がお答えしたとおりでございますけれども、普通科に高等学校を全部するかどうかというのはちょっと別の問題でございまして、高等学校程度の子供たちにも、何らかの一つくらいの専門性を持たせるということを考えてもいいのじゃないかという気持ちも私持っておるわけでございます。  それから職業高校の問題につきましては、先ほど私から申し上げたとおりでございますが、そういうふうな問題もございますし、それから現在公立のほかに私立が三分の一を占めておるというような現状がございます。いろいろなむずかしい問題があるわけでございますが、ただいま私どものほうでは、生徒の心身の発達に応ずる学校の体系というものをどういうふうにしていくかということで、中学校、高等学校の関連等につきましても研究を進めておる段階でございます。  先生あるいは大臣からお答え申し上げましたような方向に向かって進みつつあるということでございますが、これにつきましてはやはりいろいろ検討すべき問題もあるわけでございまして、そういう点につきましては着実に検討を進めたいというふうに考えております。
  242. 木島喜兵衞

    ○木島委員 けっこうです。けっこうですが、ただ、さっき言ったように一つの目標に向かってということは何かと申しますと、皆さんの行政は現在の法律に即してということになるのです。しかし、もしも高等学校を義務制にしたら基本法から変えなければならないのです。当然学校教育法も変わってきますね。したがって目標というものは、基本法から変わってくるということですから、現行の学校教育法ということを前提に置けば、確かにあなたのおっしゃるように、学校教育法の四十一条の高等学校の目的ということがひっかかってきます。しかし、義務制というものを指向していけば、これは変わってくるのですから、そういうことを踏まえながらいかなければならないということを先ほど実は申し上げたつもりであります。局長もうなずいていらっしゃいますから……(発言する者あり)うなずいてなければ返事をもらおうよ。返事をください。
  243. 岩間英太郎

    岩間政府委員 もちろん高等学校をすべての人たちに開放するということにいたします場合には、これは法令の改正等も含めまして、全般的に検討しなければならないことであろうと思います。
  244. 木島喜兵衞

    ○木島委員 そこで、次に問題を移します。先ほど局長がおっしゃった能力に応じた教育という中で、最も端的にあらわれるものは心身障害児の教育であろうと思います。大臣、この間何か新聞に、卒業写真のアルバムに特殊学級子供を入れないというのがありましたね。大臣、御所見いかがですか。
  245. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 そういう新聞記事を読みまして、なかなか取り扱い方がむずかしいんだな、複雑なものだなということを深く感じたわけでございます。いろいろな配慮をお互いにしておる。それが他方にとってはとんでもないことにもなるし、また一方にとってはなるほどそういう考え方もあるのかなという、たいへん複雑なものであるということを教えられた感じがいたします。
  246. 木島喜兵衞

    ○木島委員 文部大臣として責任のような感じをお持ちになりませんか。
  247. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 どういう方法が一番好ましいのか、やはり皆さんで考えながら結論を出すべきことであろうということでございまして、責任というよりも非常にむずかしい、どういう指導が一番よいのか、やはり的確なものをつかまなければいかぬなという、そちらのほうの責任をむしろ強く感じるわけでございます。
  248. 木島喜兵衞

    ○木島委員 特殊教育ということばに代表されるように、特殊とは普通でないということであります。副次的、二義的、例外的、別なことばで言えば、余力があったらやろうかとでもいうような印象を特殊ということばの中から受けます。私は、特殊教育という、特殊という、そういうものの考え方文部省のことばとして使われているところに、特殊学級子供たちを他の子供たちと一緒にアルバムに入れないという問題が起こってきてはいないだろうか。そういう意味では、文部大臣としては何か胸にくるものがあることがほしかったものですから、何か責任めいたものがないかと実はお聞きしたわけです。まあいいです。  この心身障害児については、歴史的には、かつては嘲笑、虐待の時代がありました。だから心身障害者あるいは児は、放浪あるいはこじき、行路病者、座敷牢、そして死という、いわば動物と同一視された時代、その次代には保護の時代がありました。宗教的な慈善心から、あるいは権力者の慈恵心、たとえば徳川時代に、あんまはめくらの方々の特権として、職業を与えましたね。そういう時代もあった。けれども現在教育の時代になっておる。しかし、そういう歴史的なものというものが、いまの心身障害児なり心身障害者に対してまだ同情的、慈恵的な気持ちが、だから特殊ということば、二次的、副次的、余力があったらやるというものが、まだ特殊教育ということばの中に残っておるのじゃないかということを考えたくなるほどの気がするのです。いかがでしょうか。
  249. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 私も特殊教育ということばは適当でないと思うのですけれども、それじゃ、さてどういうことばがいいのだろうかということになりますと、なかなかむずかしいようでございます。いいことばができれば改めればいい、またそういうことを通じまして、いま木島さんが御心配になりましたような弊害が起こらないようにしたい。やはりそういう障害を持っている子供さんたちも、一般の子供さんたちの中にとけ込んで教育を受けるところに明るい性格がつちかわれるのじゃないか、かように考えるわけでございます。いずれにいたしましても教育に対する目ざめがかなり強くなってきたわけでございますから、障害児を持っている母親の方々も、いままでは隠そうとしておったのを、むしろ積極的に教育を受けさせたいという気持ちに変わってきたことも世の中の大きな進歩じゃないだろうかというふうに思っておるわけでございますが、これをさらに一般教育の中で取り上げていける体制をもっと強いものにしていきたい、さように念願しているわけでございます。
  250. 木島喜兵衞

    ○木島委員 たとえば盲学校に行くと、目の見えない子供たちが野球をやったり柔道をやったりするのです。大臣、ほうなんて言っていらっしゃるが、ろう学校へ行きますと、耳が聞こえないのに、レコードに合わせて舞踊あるいは口話劇をやっておりますね。耳が聞こえないのです。私それを見まして、むしろ教育の原点はここにあるのじゃないかという気がするのです。元来子供はあらゆる可能性を秘めておるのでありますけれども、心身の一部に障害があるために不可能の極限にある。その極限から可能を導き出す。だからめくらの中でも野球がやれる、柔道がやれる。不可能の極限にある中から可能を導き出すことができるならば、当然可能の中から可能を導き出すという普通の教育というものはよりやすき道でなければならない。むしろここに教育の原点があるのじゃないか。これを特殊といい、二次的副次的な印象を与えるようなことば、むしろ私は特殊教育といわれるものは、教育の原点だろうと思っているのです。不可能の極限の中から可能を導き出すことができるならば、可能性を秘めているものの中から可能性を引き出すことはより簡単である。そういう教育というものを考えたならば、特殊教育というようなことばは、いまあなたはあまりよくないから、何かいいことばがあるとするならば——それは心身障害児教育、いいじゃありませんか。少なくとも心身障害児教育は、それが最高であるかどうかは別としても、特殊教育ということばからくる意味合いは、歴史的にもあるいは教育の本来的な姿からいっても、私は決定的に適切でないと思う。時限を切って検討をお約束いただきたい。時限を切って、いつごろまでに……。
  251. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 教育そのものがそれぞれの個性において行なわれていくことが一番望ましい、いまおっしゃっておったこともそういう意味合いを込めておられると思うのですけれども、ですから、特殊教育ということばをどうみんなが受け取っているかということでございますが、お話のようなきらいも多分にあるわけでございます。そういうことで、じゃ、どういう用語がいいかということでございますけれども、時限を切ってとおっしゃいましても、なかなかむずかしい問題でございまして、まあみんなで考えていただいて、そしていい方向があれば、その合意に基づいて改めさしていただきたい、かように考えるわけでございます。いい考えができればあすにでも直したいという意味で、みんなでいいことを教えていただきたい。
  252. 木島喜兵衞

    ○木島委員 局長、どう。
  253. 岩間英太郎

    岩間政府委員 ことばの問題は、受け取る方々によってもかなり違うと思いますし、ただいま大臣から申し上げましたように、ほんとうに皆さま方が御納得いただけることばがございましたら、それに変えるということはよいことじゃないか、私はそういうふうに考えるわけでございます。ただ、法律の用語をどうするかという問題が基本的な問題だと思いますので、ここは立法府でございますから、立法府でそういうことばにお変えいただければ、私どもは少しも異存はございません。
  254. 木島喜兵衞

    ○木島委員 たまには考えておったらおれらに聞いたらどう。  そこで養護学校の設置義務の問題に移ります。  これはこの間も言ったとおり、学校教育法の二十三条の免除規定は憲法二十六条の第二項の親の義務を免除するものであるけれども、親の義務を免除しても第一項の子供教育権は残る。これをだれが保障するかとするならば、これは権利でありますから国が保障しなければならない。その権利を完全に保障するために政府の責任があり義務がある。この点では一致したわけであります。したがって、もしもいまこの権利を与えられてない者が、学校教育法の二十三条は第二項の親の義務を免除したのでありますからこれは直ちに憲法違反ということにならないだろう。しかし、第一項によって教育を受ける権利を受けることのできない者が、もしも行政違憲として訴訟を起こしたら、これは一体どうなるだろうかと私も考えるのです。起こす起こさぬは別として考えている。勝った負けたでいい問題じゃありませんけれども、詰めていえばそういうことになると思うのです。これはむしろ局長のほうがいいですかな。
  255. 岩間英太郎

    岩間政府委員 憲法には「法律の定めるところにより、」というふうなことばがございますので、憲法違反にはならないと思います。しかしながら、これはむしろ憲法違反であるかどうかというふうな問題以前と申しますか、憲法の精神から申しますと、そういうことがないということ、これが憲法の精神であることは間違いありません。
  256. 木島喜兵衞

    ○木島委員 したがって、私さっきから言っているように、その権利は保障されなければならない。憲法に与えられた権利は、たとえば制限されたり満足でない場合もあるけれども、この子供たちにとってはこの権利の保障はゼロです。ゼロという保障はこれはないだろうと思うのです。そういう意味で——もう時間もあれですからあまり深追いしません。いままでの責任も言いたいところだけれども、そこは言いませんが、せめていつから義務設置をするか、そのためにどういう計画をつくるかということが、さっきのようにやはり目標をきめないと、たとえば昨年は幾つかの学校予算をとったけれども、地方はやらなかったなんという、ことしも少しよけいにしたけれども地方はやらなかった、だからいつまでたってもできないのだということでは、国民の権利の問題でありますから許されない問題である。これは政府が、公が、地方公共団体も含めて権利を保障する義務があるわけであります。ただ、できないからというならば、率直に言って小学校中学校も金がないからできないで済むはずです。学校教育法二十二条は親が盲学校、ろう学校もしくは養護学校の小学部に就学させる義務を負っているんですよ。これは中学校も同じことです。同時に七十四条は「都道府県は、その区域内にある学齢児童及び学齢生徒のうち、盲者、聾者又は精神薄弱者、肢体不自由者若しくは病弱者で、その心身の故障が、第七十一条の二の政令で定める程度のものを就学させるに必要な盲学校、聾学校又は養護学校を設置しなければならない。」とある。これは小学校中学校を設置しなければならないと同じ条文であります。だから、自然にまかしておけば、いまの状態にまかしておけば、小学校も、金がないから小学校をつくらぬでもいいということになる。中学校をつくらなければ、それでもかまわぬということになる、養護学校をつくらぬでもかまわぬということになれば……。しかし、そのことを私は言おうとは思いませんけれども、少なくとも年次を切ってそのために計画的に地方財政も含めて考えなければいつまでたっても現状のままではだめだ。明確にいつまでにやるかということをきめなければならぬと思うのです。かつて坂田道太文部大臣のときに、四十九年に実施すると言明したこともあるはずである。大臣がかわるごとに行政が変わる、責任が変わるのだろうか。その辺をやはりはっきりしなければだめですよ。
  257. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 五十四年度から義務制を施行したいという考えのもとに、全都道府県にこれについての意見計画とを照会している最中でございます。そのまとまったところで決断をしたい、かように考えております。
  258. 木島喜兵衞

    ○木島委員 五十四年というのは文部省考えた七カ年計画の最終ですな。文部省考え計画というのはあまりきちっといきませんな。同時に七カ年計画というのは文部省だけの計画であって、政府全体の計画ではないところに財政上不測の問題が出てくるわけです。あなたは、五十四年ということは、五十三年までに設置するということですか。そのことは財政も含めて政府全体の方針としてきめられるというお考えですか。
  259. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 文部省から全都道府県に照会するにあたりましては、大蔵省、自治省と話し合った上照会をしておるわけでございます。したがいまして、まとまったところで決断をする。もしそれが可能になった場合には、その段階で五十四年から義務制を施行するのだということについての法的措置もとらせていただきたい、こういう気持ちでございます。
  260. 木島喜兵衞

    ○木島委員 ちょっと聞きたいのですが、学校教育法の七十二条の「盲学校、聾学校及び養護学校には、小学部及び中学部を置かなければならない。ただし、特別の必要のある場合においては、その一のみを置くことができる。」これは何ですかな。
  261. 岩間英太郎

    岩間政府委員 これは収容人員等の関係で、そういうものが一つ置ける。たとえば小学校中学校が分かれるように、小学校の年齢に該当するような子供だけを収容するそういう学校もつくることができる、そういうことでございます。
  262. 木島喜兵衞

    ○木島委員 七十四条は、都道府県は盲、ろう、養護の該当者を全部就学させなければならないことを規定している。そして二十二条は親にその義務を課しておる。そして七十二条は特別な必要がある場合には、というのはいま義務設置するかしないかは別ですよ、この条文はどうも私は義務制を否定しているような気がするのですがね。どうなんでしょう。
  263. 岩間英太郎

    岩間政府委員 そうではございませんで、小学部だけの学校を設けるとしますと、中学部だけの学校も設けなければならない、そういうことになるわけでございます。人数が多ければ小学部だけでもよい、あるいはほかに都合があれば小学部だけでもよいというだけの話であります。
  264. 木島喜兵衞

    ○木島委員 わかりました。五十四年からということをきょうお聞きしましたから、それについては将来また私もそれなりに考えます。  それからもう一つ、養護学校だけで身体障害児の教育を受ける権利が保障されるかというと、そうではないわけですね。さっき言った免除規定は別ですが、免除規定は早くおやめなさい。しかし、そのためにはどうしても養護施設の関係が出てくるのです。養護施設の中で、たとえば福祉施設、医療施設等の中に、一部のその施設の長は入所している子供に就学させる義務を持っておるけれども、全体にはないようですね。したがって、そういうところでは学校教育法二十三条の免除規定を適用しておるわけですね。ところが、確かに生存権という立場教育権という立場がありますから、一本にいかない面は別にしても、しかし、厚生省の福祉施設に入ったからといって、その子供たち教育権というものはあえて免除してしないでいいというわけにはいかない。一方養護学校もだんだんと重度のものを入れてきていますね。非常に共通の面が出てきておる。この辺を整理しませんと、文部省として憲法二十六条の精神を生かすことができないのじゃないか、この辺はどうお考えになりますか。
  265. 岩間英太郎

    岩間政府委員 養護施設と、それから教育施設との関係で一番違いのございますのは年齢であろうと思います。学校教育で扱う年齢と、それからその福祉施設で扱う年齢が違うという面があると思います。この面で私どものほうは学校に収容したほうがいいと思うものは、福祉施設のほうから私どものほうにお預かりをするということになろうかと思います。
  266. 木島喜兵衞

    ○木島委員 もう時間が過ぎたから急ぎますが、そこで学校教育法七十五条に派遣教師の規定がありますね。これはどのくらい活用されているのでしょうか。たとえばいまぼくが言いますのは、重度の施設に入っている子供でも、派遣教師があれば教育ができますね。在宅者も派遣教師があればできますね。それは学校教育法の小学校なら小学校の目的というものに、直ちに目標に行くかどうかは別としまして、それは遊びなら遊びの中であるわけですから、そういう意味では派遣教師というものをもっと多くすることによって、あるいは極端にいえば県、市町村各何名か配置することによって、この教育権というものはある程度在宅者も含めて保障できるわけですね。そういうことば文部省だけでできるわけですね。施設の中に訪問教師をやる、もちろんそれはその学校のあるいはその分室なり学籍簿その他いろいろ事務的なことはありますけれども、そういうことを一つ一つしながらやっていく、そういうことをきちっと私はやる必要があると思うのです。その辺どうです。
  267. 岩間英太郎

    岩間政府委員 現在のところ、訪問教師といわれておりますものが全国で二百五十名くらいあるという報告を受けております。いま先生がおっしゃいましたような形というものは、これは先ほど大臣が申し上げました義務制ということになりました場合には、どうしても活用しなければならない制度の一つではないかというふうに考えるわけでございます。しかしながら、訪問教師というのは、正規の学校教育する場合に比べますとやや難点があるわけでございまして、やはり正規の学校で収容の可能なものはそういう学校に収容する。それからそういうことよりはむしろ治療に重点を置いたほうがいい、教育のほうは訪問教師で補うというふうなお子さん方に対しましては、これはそういう制度を活用していくということはどうしても必要になってくるんじゃないかということを考えております。
  268. 木島喜兵衞

    ○木島委員 もちろん医療が中心なのか教育中心なのかというのは、それは重さによって違います。しかし、幾ら重くても、やはり教育を受ける権利はあるんだから、したがってそういう方針は、いま二百五十名とおっしゃったけれども、これは定員の標準法じゃないでしょう。算定基準の中にないですね。だから、そういう権利を守るとするならば、それは当然定数法の中に入れなければいかぬし、同時に、それは多分に、医学あるいは心理学等の関係がきわめて強いだけに、養成がまた問題になってきます。これは免許法にまたからんでくるけれども、この際免許法でない質問だから、免許法を少し……。ということも含めて、やはりやるならやるで憲法二十六条第一項の権利を守るために、絶対に保障するためにやらなければならぬとすれば、その養成なり標準法なりそのことは明確にすべきだと思うのですが、いかがですか。
  269. 岩間英太郎

    岩間政府委員 これから義務制を施行いたしますまでの間に、当然そういうことは検討しなければならぬというふうに考えます。
  270. 木島喜兵衞

    ○木島委員 あとちょっと、特殊学級で言いますと、心身障害児ということばを使うと、心身完全児というのがあるんだろうか。やはり一直線なんですよ。ただ、知能指数とかなんとか、何点何点で切っているんだけれども、一直線なんですね。ところが、これを私は否定するんじゃありません。否定するんじゃないのだけれども、実態から見ますと、たとえば特殊学級を設けないと学級が減になる、だから設けるなんというところさえ実は出てくる。それから元来社会というのは、それぞれみんなひとしい人間じゃないのですね。情緒障害なんというのは、これは大体みんな多かれ少なかれ持っているのだ。
  271. 田中正巳

    田中委員長 ちょっと速記をとめて。   〔速記中止〕
  272. 田中正巳

    田中委員長 速記をとって。
  273. 木島喜兵衞

    ○木島委員 やはりそういうものが一つの社会なんですよね。そしてまた一方にいくと、知能を中心でいきますから、知能はおくれているけれども体育がうまい。山下清みたいに絵がうまい。これは一つの社会の構成なんですね。知能だけでいっている。ところがその学級に入っていくと、将来、その村におれば村におる限り、あの人はあの学級の出身者だという一生のレッテルを張られていかなければならないという、差別された人生を送らなければならぬというものもある。この辺はもう一回特殊学級というものを考え直さなければならぬのじゃなかろうか。たとえば能力補正教師というようなことで、たとえば数学なり国語はたいへんいいけれども、体操はたいへん悪いというような場合は、その教師が体操を補完する、数学が悪いというものは、数学だけを補完するというものであれば、だれもが何らかの完全児でない限り、障害というか、不完全であれば、そういうことを持っていきながら、その子供が将来社会の中でもって差別されないということが、私は子供の人格という上からいって考えなければならぬではなかろうかということを実は私、あるいは新潟県だけかもしれませんけれども、現実の特殊学級というものを見ながらそう思うのです。この点、いかがですか。
  274. 岩間英太郎

    岩間政府委員 私ども特殊学級を初めつくります場合に、親御さんとか御本人がいやがるのじゃないかということを非常に心配したのでございますけれども、今日のように特殊教育が非常に普及してまいりまして御理解をいただいているという点は、たいへんありがたいと思っております。しかし、先生おっしゃいますような心配もあるわけでございますが、しょせん特殊教育というのは、やはり社会の方々の御理解と、あたたかい目で見ていただくということがなければ成り立たない分野でございまして、そういう意味におきましては、私どもは社会の方々がひとしくそういう方々にあたたかい目で見ていただくようにお願いをし、また学校教育の場でもやはり人権尊重と申しますか、人格の尊重と申しますか、そういう点につきまして力を入れていかなければいけない問題であろう、そういうように考えております。
  275. 木島喜兵衞

    ○木島委員 時間が来ましたから、委員長の目を見ればわかる、したがってやめますが、ことにそのうちの判定、測定機関というのですか、判定機関というのですか、これは市町村できめる、学校できめる、それほど権威があるのだろうか、その点が非常に問題だと思うのです。そういうようなことを踏まえて、だから特殊学級なら特殊学級、いまの方法でやるとするなら、これは一人の人間を、一生傷つけないような権威ある方法をどうするかということについては十分御検討いただくことを希望して、ちょっとまだほかの点ありますけれども、やめます。どうも……。
  276. 田中正巳

    田中委員長 次に、有島重武君。
  277. 有島重武

    有島委員 本国会における文部大臣の所信についての質疑を、やや日数がたちましたけれどもここでさしていただくわけでございます。   〔委員長退席、森(喜)委員長代理着席〕  この第一ページのところに、「特に国際化社会において、わが国が世界の進運に伍し、限りない未来にわたって発展を続けるとともに、世界の平和と繁栄に寄与していく」というようなことを書いてございます。言われたわけでございますけれども、この世界の進運というのが、進んでいる、おくれているということにつきまして、いまは経済力、軍事力ということでもってだけ判定するような世界ではないと私は思っているわけです。それから、この進む方向なんですけれども、これはいわゆる国家主義といいますか、力による統制強化の方向にどのくらい進んでおるかということでもって進み、おくれをはかるか、あるいは地域的な個別的な特色を生かした話し合いによる民主的運営の方向にどのくらい進んでおるかということが目安になるか、こうした問題が含まれていると思うのです。大臣の御所信を詳しくお話しいただきたい。
  278. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 お気持ちに私も賛成でございます。そういう意味で、日本も、経済大国といわれるよりも文化大国といわれるような国になりたいということを申し上げたことがございます。いずれにしましても、国際下におきまして、国際平和の確立、国際協力の体制の促進、そういうものに一そう努力を払いたいと考えているところでございます。
  279. 有島重武

    有島委員 国際的にいまそのような力による統制強化の方向ではなしに、話し合いによる運営の方向ということを、私、特に問題にしたいのですけれども、そうした国際下の情勢を踏まえながら、国内においても、その方向にいま進んでいくということが非常に肝要なことではなかろうかと、これは基本的なことでございますけれども私は思いますが、いかがでございますか。
  280. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 全く同感でございます。そういう意味におきましては、できる限りこういう議会制民主政治の中で十分な話し合いが行なわれて、よい方向がみんなの合意のもとに築き上げられていくということに対して、私たちも心から望んでおるところでございます。
  281. 有島重武

    有島委員 先般、奥野文部大臣の基本姿勢に対する質疑をさしていただきました際に、日教組との会談は現時点では意味がないような御発言がございました。高見文部大臣あるいは稻葉文部大臣は、就任と同時に公式な会談を実現さしていらっしゃったわけでございますけれども、いまの時点において会談を全く考えていらっしゃらないのかどうか、この辺、御見解を伺いたい。
  282. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 私は、就任いたしましてから、予算編成国会と続いてきているわけであります。きょうも、こうやって御審議いただいているわけでありまして、率直に申し上げまして、かなり多忙な生活を送っているわけでございます。組合の方々とも話し合いをしていく、それが、何かたいへんな行事のような見方、これも不自然だと思うのでありまして、絶えず特別なこともなしに話し合っていく、常時話し合っていくという姿、そういうところへぜひ持っていきたいものだ、こういう気持ちまで持っておるところでございます。
  283. 有島重武

    有島委員 今月の末に、日教組が半日ストを予定しておりますね。事態は非常に重大であると思いますけれども文部大臣の御所見はいかがですか。
  284. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 私は、いまもそういうことは起こらないようにぜひあってほしいと念願し続けているわけでして、先ほども一言申し上げましたように、いま国会教員の処遇改善についての法案まで用意しているわけでございます。しかも、教員の給与は一般の公務員に比較して優遇されなければならない、しかも、これは計画的に進めなければならない、こういうことを国権の最高機関できめてくださいと、こう申し上げているのでございます。でありますから、この気持ちはぜひ先生方にくみ取っていただきたい。くみ取っていただければ、スト参加ということはないんじゃないだろうか、こういう期待を持っているわけでございます。  もう一つは、私たちは、こういうことを進めていく場合には、私たちだけではなかなか十分でない。国民の皆さん方が、まさにそのとおりだと同感してくださらなければならぬわけでございますだけに、先生方に対する国民の気持ちを傷つけないようにしていただきたい、そういう要望を強くしていきたい。  この二つを中心にして、ぜひストに参加するということのないように期待をしておるところでございます。
  285. 有島重武

    有島委員 文部省では、この半日ストの参加についてはきびしい処分を各教育長に指示しておられるように伺いますけれども、詳しく御説明いただけますか。
  286. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 処分することが目的じゃございませんで、いま申し上げました二点が目的でございます。にもかかわらず、不幸にして法に触れるような行動をとった方があった場合には、それはやはり厳正に処分をしなければならない。そうでなければ法というものは守られないのだ、こういう気持ちを持っておるわけでございまして、そういう気持ちを都道府県の教育委員会を通じましてすべての先生方に徹底させたい、そうして先生方の御理解を求めたい、こういう気持ちでございます。決して処分が目的ではございませんで、前二項が基本でございます。
  287. 有島重武

    有島委員 それは、事態は私は非常に重大であろうと思うわけですね。それで、先ほど教員に対しての処遇改善の法案を計画的に推し進めようとしている際に、この気持ちをくみ取ってもらいたい、そう言われました。それで、教員側は、全部ではないかもしれませんけれども、その代表となっておる方々、少なくとも組織的には代表となっておられる方々がこれに反対していらっしゃるわけですね、反対の表示を見せておる。文部大臣の側から見れば、これは非常に残念なことであろうと思うのですね。どうかこちらの気持ちをほんとうにくんでもらいたいと思うと思うのですね。そうすると、相手方も、せっかくそうおっしゃっていただくにもかかわらず、反対せざるを得ないという何か根拠があって——なければそういうことにはなりませんね。しかも一、その根拠がかなり広範な共感を得ていなければストライキなんていうことは起こり得ない。ストライキというのは、大体みんな職場を放棄するということが本意ではなくて、一つの打ち出されたスローガンに共感するということが基本にあるわけでございますから、教員側としてはおそらくその反対せざるを得ないその気持ちをくみ取ってもらいたいと、そのように思っているはずだと私は思うのだけれども大臣は、御自分の気持ちをくみ取ってもらいたい、反対するほうの気持ちはわからぬ。だけれども、その反対するほうの気持ちもくみ取ってみるために、一歩近づいて、それでやはり会談をなさるべきだと私は思うのですけれども大臣のお考えはいかがでしょうか。
  288. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 たびたびこの問題については申し上げているわけでございまして、時間的余裕がございませんので、私から進んでぜひお目にかかりたいという考えはいまのところ持っておりません。しかし、必要があって会ったほうがいいという事態になった場合に、それを拒む意思は持っていない、そういうことでございます。
  289. 有島重武

    有島委員 いまの時点におきまして、今月の末には望ましくない事態が起ころうとしているわけです。そういった事態の中にあって、大臣は、自分の気持ちだけはわかってもらいたい、向こうの気持ちをくみ取ろうとする努力はしない。先ほど大臣は、民主的な話し合いによって合意のもとに進んでいきたい、そういった基本的姿勢だとおっしゃったはずなんですよ。外から見ますと、力によってそういうようなことをする者は厳罰に処する、これは大臣がさっきおっしゃったこととはずいぶん違うと思うのですね。ですから、大臣は一歩踏み出されるべきではないか、もう一ぺんお答えをいただきたいと思います。
  290. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 いい方法がございましたらお教えをいただきたいと思います。いま相互不信といいましょうか、そこから打開してかからなければならないのじゃないだろうか、ぜひ文部省先生方の組合のすべてと協力体制が樹立されるような教育界にしたいものだ、これは私の心からの念願でございますので、いい方法がありましたらぜひお教えをいただきたいと思います。ただ一緒に会ったらすぐあらゆる問題が解決する、そういうなまやさしい姿になっていないことはよく御理解になっていると思うのでございます。できる限りお互いの気持ちが通じ合うようにしていかなければならない。そこで、おととい私の机の上に、日教組の委員長から文部大臣あての活版刷りがございました。私は事務当局に、すぐにこれに対して返事を出しなさい、メモとして渡しておきなさい、すべての問題について、お互いの意見の違いは違いとして明らかにするように努力しなさい、こう申したところでございます。お互いに意思の通じ合うような教育界にぜひしたい、協力体制を確立したい、これは私の念願でございます。
  291. 有島重武

    有島委員 気持ちが通じ合うための一番いい方法はどういうことなんですか。
  292. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 お互いにこの議会制民主政治のもとで、自由な民主的な社会をつくり上げていこう、それには常にお互いの隔意のない意見の交換をし合っていく、法秩序を守り抜いていくという基本的な姿勢、言いかえれば憲法の明示しております、あるいは憲法に基づく法体制を一応は尊重してかかる姿勢、これがなければいけないじゃないかと思うのです。思うのですが、個々の団体がいろいろ主張しておられること、私がこれを批判していきますと、私の希望するような体制を早くつちかうことは困難じゃないかと思うのです。でありますから、言いたいことはたくさんあるのです。たくさんあるのですけれども、私は自分の気持ちを押えているのです。しかし、押えながらも、向こうのお考えが出てきているわけですから、それは文部省もこちらの考え方をはっきりしなさい、また間違っていれば指摘していただくだろう、いただいたらそれについて意見交換の共通の場を見つける努力をしていけばいいじゃないか、真剣に努力していきたい、こういう気持ちでございます。
  293. 有島重武

    有島委員 気持ちが通じ合うというそのためにはどうしたら一番いいのか、文書の交換が最良の方法なんですか。
  294. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 文書の交換も必要でございましょうし、お互いに話し合うことも必要でございます。私がいませんでも、文部省の諸君は日教組の人たちと絶えず話し合っているんですよ。なぜそれですべてが解決しないんですか。それはそれなりに問題があるでしょう。問題のあるところをお互いに深く見きわめながら、どうやって協力体制になるように努力していくかということになっていかなければならないと思うのです。私は言いたくなかったのですけれども、そこまで言われますと、あえて言うのですけれども、これだけ真剣に処遇の改善をやっているにかかわらず、なぜ反体制、反政府のストを打っていくのだろうか、組織の強化を求められておられるのではないか、組織の強化以外に教育界の振興をどこまで真剣に考えてくれているんだろうか、疑問に思っております。思っておりますが、そんなこと言いますと、またこわれると思うのです。こわれるにかかわらずあえて言わざるを得ないことになってしまった私の気持ちをぜひくんでいただきたいと思います。   〔森(喜)委員長代理退席、委員長着席〕
  295. 有島重武

    有島委員 それは大臣の気持ちを向こうにくんでくれという話……。
  296. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 あなたにくんでくれというのです。
  297. 有島重武

    有島委員 いまは日教組のお話をしているわけでございますけれども、それからもう一つは、お互いに気持ちが通じ合う最良の方法は、文書の交換をすることなんですか、そう聞いたわけです。
  298. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 それも一つだと思います。
  299. 有島重武

    有島委員 それも一つ——最良の方法なんですか。
  300. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 最良の方法を教えていただきたい、あらゆる手段を使っていきたいと思います。いまあなたは、日教組と会え、こうおっしゃっているんだろうと思います。文部省の諸君は、みんな会っているんですよ、そうお答えをしているわけであります。かりに国会が閉会になってしまって、私の時間的余裕が出れば、とことん、しょっちゅうでも話し合いをしていきたい気持ちを持っているのです。
  301. 有島重武

    有島委員 お互いの気持ちが通じ合うというのは、文書の交換よりも会って話すということが、いかに意見の対立があろうと何であろうと、それが最良の方法だということをお認めになりますね。これはどんな場合でもそうじゃないですか。外交のトップ会談でもそうでしょう、あるいは恋人同士の場合でもそうでしょう。   〔発言する者あり〕
  302. 田中正巳

    田中委員長 静粛に願います。
  303. 有島重武

    有島委員 会うということが一番最良の方法じゃないでしょうか、いまの問題を切り離しても。だから、通信教育よりも、会って、対面の教育のほうがいいということにされておる。それはいま放送大学であろうと通信教育であろうとスクーリングをしなければだめだということは、会って話すということじゃないですか。その非常に基本的な話をしているわけです。だから、お互いに気持ちが通じ合うということは、通じ合わせるために最良の方法があったら教えてくれとおっしゃるけれども、そんなことお教えをするよりも、大臣はそういうふうに思っていらっしゃるのでしょうというのです。
  304. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 二十年来不幸な状態が続いているわけであります。その間にお互いに会われた時代もございますし、会われなかった時代もございます。それでは、会ったときには一ぺんによくなったか、必ずしもそう言えないわけでありまして、しかし会わないとは一つも言いませんし、そんな気持ちは持っておりません。いろいろな環境全体を考えて研究をしていきたい。私も、会えばすぐ片づく問題でしたら、何をおいても飛びついていきますよ。私もそれほど何もかも知らない人間でもないと思っておるのでございまして、いろいろな方法をさがし求めていきながら、手を握り合える教育界、これを確立していきたい、こう思って、真剣に考えているのです。そんな単純な問題ではないと思っております。真剣に考えていきたいと思いますが、こじれにこじれた二十年来ですよ。あなたがおっしゃるような簡単なことなら、もうとっくに片づいております。そこに私の苦労している根本の点があるわけでございます。
  305. 有島重武

    有島委員 この問題は、この前にもそういったことは言いました。いま半日ストを前にしてここに持ち出しているわけです。それで、ほんとうに原則的なこととして、いろいろな事情があろうとも、お互いに気持が通じ合わない、こっちの気持ちもわかってもらえない、いろいろあったときに、顔を合わして、それで話し合っていくということが、どういった事情があろうとも、これが最短距離になるということは、人間の世界なんですから、基本的なことであるということは、大臣もお認めになろうと思います。  続いて伺いますけれども、来たる二十一日に都道府県、それから指定都市の教育長の会議をお開きになるというふうに聞いておりますが、その目的と内容とを明らかにしてください。
  306. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 新年度に入ったわけでございますので、文部省がいま考えておりますことを都道府県の教育長によく理解してもらいたい、これが根本でございます。根本でございますが、私としては、特にスト問題を控えておりますので、このことに関連をして文部省考えている方法について理解を深めたいと思いますし、同時にまた、このことが達成できるように社会全体の協力も得たい、その協力が得にくくなるようなことは特に避けてもらうようにお願いをしたい、こういう気持ちを強く抱いております。
  307. 有島重武

    有島委員 ストの議題も出るのですか。
  308. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 議題は承知しておりませんけれども、私としては、いま申しましたように、そのことを強くお話をさせていただきたい、気持ちを理解してもらいたい、かように考えております。
  309. 有島重武

    有島委員 国鉄その他でもやはり双方の話し合いということをやっているわけです。教育の中では、とりわけそういうことは大切であろう。これはどの父兄の方々もそういうことを望んでいらっしゃると思うのですよ。ですから、くどいようだけれども、お考えください。  それから次に、公立文教施設の問題については、先般法案のおりにいろいろお話がありましたけれども高橋委員からこの件についての質問がございますが、いまここに挿入させていただきたいと思いますので、お願いいたします。
  310. 田中正巳

  311. 高橋繁

    高橋(繁)委員 実は、鹿児島県の桜島の火山爆発について、たいへん新聞紙上をにぎわしておるようであります。また大正三年のような大噴火があるかもしれない。また、連日のように灰が降ってきて、農作物にもたいへんな被害を与えている。その中で、一番関心を持っておりますのは小中学校の児童生徒の問題です。去る十二月二日にはかなりの噴石が三合目に落ちてきて火災を起こした。その切実な問題は、小学校中学校を鉄筋化にしてもらいたい。ところが、現実に島の中にある高免小学校はほとんど木造です。それから東桜島小学校もまだ一部木造です。その他ありますが、とりあえず重点の学校としてこの二校を早急に鉄筋化にして、急場の場合の被害に対するとりあえずの子供の救済策を考えていきたい、こういうふうに非常に強い希望がありますが、このことについては承知をしておりますか。また、それに対する対策をお考えになっておりますか。
  312. 安嶋彌

    ○安嶋政府委員 桜島の火山の爆発に関連する御質問でございますが、桜島には小学校が六校と中学校が三校、計九校ございます。このうち五校につきましては建物の鉄筋化をほとんど完了しておるわけでございますが、残る四校の東桜島小学校、改新小学校、高免小学校、それから東桜島中学校につきましてはまだ木造部分が残っております。特に高免小学校はまだ全部が木造であるというような状況でございます。  文部省といたしましては、従来から公立文教施設の整備につきましては、鉄筋鉄骨造を主体として整備を進めておるわけでございまして、本年度の予算におきましても九八%が鉄筋鉄骨造ということになっておるわけでございます。桜島におきます鉄筋鉄骨構造の占める割合は、四十八年度当初の保有面積のうち八五%でございます。全国平均が五四%でございますから、桜島における鉄筋鉄骨構造の占める割合は、全国平均に比べてかなり高いというような実情でございます。しかし、最近の爆発の実情にかんがみて、木造建築を早急に鉄筋化したいということでございますが、これは御承知のとおり第一次的には市町村が改築計画を立てるということでございまして、かつまたその改築の補助につきましては、御承知のとおり一般の原則でございますと四千五百点以下という制限があるわけでございますが、特殊な事情でもございますので、そこのところは弾力的に取り扱いまして、早急に地元の御意向も伺いながら鉄筋化という方向で検討いたしたいというふうに考えております。
  313. 高橋繁

    高橋(繁)委員 あわせて避難対策ですが、中央防災計画の中にも生徒児童の避難については計画があるようです。その中にひとつ盛り込んで万全の策を講じていただきたい。  それから、京都大学の火山観測所の件について、この観測所の人たちが少ない人数の中で最大限の働きをいましているわけです。ところが、この観測所は所長代理ということになっておるようでありますが、定員は九名、それで五十七台の計器を使ってやっているわけです。そこで、私の知っている範囲で申し上げてしまいますが、年間の予算が八百万です。ところが人員が非常に足りないので、二人の非常勤の職員を使っておる。九州全体、特に桜島の火山の予知というものについて最も基本の研究をしなければならないのに、その八百万の中で非常勤を二人使わなければどうしても処理できない。それが約二百万、それで維持費として電話代とか水道代とか通信代とかというものが約二百万、それで計四百万消えてしまうわけですね。そのほかに、観測材の修理であるとかいろんな器具が三百八十万くらいですか、あと残りを、研究の技官が四人おるのですが、二十万で一年間の地震の研究をしなければならない。こういう体制の中で、いまいつ爆発が起こるかというときにきていて、この観測所の人たちが夜も日も寝ずにというくらいに一生懸命にやっている中で人員が足りない、こういうような実態というものを文部省は御存じでございましょうか。
  314. 木田宏

    ○木田政府委員 いま御指摘ございましたように、桜島については京都大学の防災研究所の付属施設としての桜島火山観測所がございまして、定員としては六名を充てておるわけでございますが、研究上の必要から、いま御指摘になったような臨時の職員の増強等のことも行なわれておることと思います。国立大学の付属関係で各地に観測所等を設けておりまして、東京大学の地震研究所は浅間火山観測所、小諸火山化学研究施設、霧島火山研究所と、それぞれ三カ所持っておりますが、これらの定員配当は三名ないし四名でございまして、京都大学の防災研が持っております桜島の火山観測所は、この国立大学の持っております火山観測所としてはかなり定員の充実した内容の大きいものでございます。いま御指摘がございましたように、年間の事業費等は、教官当たりの積算校費あるいは付属施設の経費等合わせまして約一千万前後でございます。いろいろの考え方はあろうかと思いますけれども、一研究施設に対する正規の積算校費といたしまして、このワクの中でいずれの場合にも一応の運営をいたしていただいておるわけでございますから、当桜島火山観測所が特に少ないというようには考えておりません。  なお、このほか毎年防災関係の特別研究といたしまして、科学研究費によります研究活動の助成が行なわれております。そうした関係者の火山観測あるいは地震の予知等に対応いたします研究活動といたしまして、四十六年度はやはり数件科学研究費の補助も出し、四十七年度も四件ほど研究費を出して、一般の経常経費で足らない特別の研究に対する助成もいたしておるところでございますので、特別の事情等がまた起こりましたならば、それに対応する措置はまた考えなければなりませんが、今日の段階におきます経常的な、日常的な観測体制としては何とかこれでやっていただきたいものというふうに考えております。
  315. 高橋繁

    高橋(繁)委員 お説はよくわかりますけれども、事態が事態だけに、桜島の人あるいは鹿児島市内の人たちの不安というものは非常に大きなものがある。地震の予知ということで火山観測所の人たちがたいへん一生懸命やっておる。それに期待もいたしておるわけで、ここ三年間に、続いてこの観測所の所長が一人、技官が一人、それから非常勤の職員が一人、実際毎年一人ずつなくなっているのです。そのなくなった原因はガンであるとか高血圧ということになっておりますが、現在ここで働いておる人たちの声を聞きますと、忙しくて早期診断とかそういうことができなかった、こういうように言っているわけですね。だからそういうことを考え合わせて、非常に事務も多忙であるということと、常時火山が爆発をしておるということを考えての責任感を持った行動によってこういう結果になったとも言えると思うのです。しかも、ほとんど毎日といっていいくらい灰がおりてくる。それが健康に及ぼす影響、しかもあそこは簡易水道で、桜島の中腹にたった一件ぽっつりあるだけのところであって、そうしたことも考えたときに、やはりこの辺も考慮して、何人かの人たちがその予知によって救われるということになれば、そうたいした予算でもあるまいと思うのです。  もう一つは、観測所の本館と、黒神分室というのがある、この黒神分室とが、二つのデータをやっているわけですけれども、この黒神分室から本館までの連絡の方法がないわけですね。したがって、車を使って黒神分室のデータを本館に持ってくる。それを集計して記録をとるなり研究をやるということになると、そこにもうたいへんな時間の浪費がある。結果についてもあまり芳しくない。こうした記録というものは迅速を必要とする。したがって、黒神分室と本館との連絡を自動的に記録できるような装置にすれば、ある程度人員も省けるということも言っておりますが、そうしたことを考えておらないかどうか。
  316. 木田宏

    ○木田政府委員 桜島の火山観測所は観測点を二十一カ所に分散させて持っております。その中で、いま御指摘のありました本館と黒神の分室が一番大きな拠点といえるわけでありますが、観測点の情報の収集その他必要な改善方策というものは、御要請によってまた研究をしてみたいと思います。
  317. 高橋繁

    高橋(繁)委員 まだほかにもありますけれども、以上のような点が桜島の火山の爆発についての問題であろうと思うのです。  そのほか農作物の被害がたいへん出まして、キヌサヤエンドウなどは九割程度だめだ。そうなりますと、あの桜島の人たちの生活状態というものも苦しくなる。そうしたことを考えると、義務教育小学校における給食費の補助であるとか、そういう点についてもどうかひとつ万全の策を講じて、毎日不安な生活をしているこの人たちに対するもっと積極的な、思いやりのある施策を緊急に講じていただきたい。文部大臣のお考えを最後に聞きたいと思います。
  318. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 ごもっともなことでございますので、関係の方々が安心されるような方法は現地の要請にこたえまして万全の方途を講ずべきだ、かように考えます。
  319. 有島重武

    有島委員 次に、学校環境緑化の促進の問題につきまして、「積極的に進めてまいる所存であります。」と言っていらっしゃるわけでございますけれども、これにつきまして現在どのように進めていらっしゃるか、体育局長のほうから説明してください。
  320. 澁谷敬三

    ○澁谷政府委員 二月の中旬に主管課長会議を開きましたおりに、この趣旨につきまして詳しく説明をいたしました。その際、各県教育委員会におかれましては、学校環境緑化促進担当者をひとつおきめいただきたいとお願いをいたしまして、三月の下旬にその担当者の方々にお集まりいただきまして、二日間にわたりまして説明会及び実地調査の指導をいたしました。それからあわせましてその際、「学校環境緑化の植樹及び芝植えの手引き」、まだ若干未定稿がございますが、それによりまして説明をいたしました。この手引きは、ちゃんとした冊子にいたしまして配りたいと思います。それから無償で配れる分は予算にも限度がございますので、安く、実費に近く配れますように、現在大蔵省印刷局に印刷をお願いいたしております。近くでき上がることになっております。そういうような手だてを講じましてこの趣旨が有効適切に生かされますように、いろいろな方途を講じております。
  321. 有島重武

    有島委員 今年度の大学の競争率ですけれども、競争率だけは去年をやや下回った。ところが千葉大と東京農工大、この園芸農学関係については逆に競争率が高くなった、こういう報道でございますね。この中でもって、特に千葉大の造園学科、これが定員を十人ふやしたけれども応募者は十一倍近くなった、こういうことになっております。それで、農芸化学科、造園学科、園芸科ですか、この三つ、もう一つは、農業生産管理学科、合わせて四つの学科があるようでございますけれども、こうした応募学生が非常に多くふえておる。これは時代の進運であろうかと思うのです。こうした傾向について、文部大臣の御所見を最後に承るけれども、では大学局長から御説明いただきましょう。
  322. 木田宏

    ○木田政府委員 いま御指摘ございましたように、千葉大学の園芸学部、今回かなり競争率が高くて、応募者がふえたという記事が出ております。現在、一般的に申しまして、国立には園芸関係の学科、十大学で十二学科持っておりますし、公私立ではそれぞれ一大学ずつ、合わせて三学科ほど持っておるわけでございます。今後、人間の生活環境の改善ということを考えます場合に、新しい観点からライフサイエンスの充実ということを考えてみなければならないというふうに考えております。学科の増だけでございませんで、研究面におきましても、たとえば横浜国立大学に環境科学研究センターと申しますものを四十八年度からつくりまして、生物環境、特に植生の環境と一般的な公害関係の科学的な面と、両方から生物環境の改善考えてみようという研究施設をつくったりいたしました。また、広島大学の工学部には、内海水環境研究施設というのを昭和四十七年度に設けまして、今年度もまたその部門の増をいたしまして、瀬戸内海の環境、海の環境保全という点での研究体制を進めるようにいたしました。このようにいたしまして、国立大学も時代の要請に対応できますように、また学生の関心の高まりに対応できますように、新たな研究の体制、学科の体制というものをとりたいと思っております。  生物関係ではございませんが、今回、工学の関係では海洋環境工学科というのを東京水産大学に新設をしましたし、それから東京農工大学には環境保護学科というものを新設をいたしまして、いま御指摘がありましたようなものに教育面と研究面、両面あげて対応していくという体制をとりたいと思っております。これからのわれわれの自然環境をどういうふうにして守っていくかというのは、この生物関係だけでなくて、幅広い研究を進めていかなければなりませんので、そういう点では今後も力を入れていきたいと考えております。
  323. 有島重武

    有島委員 大臣から、先ほど学園緑化の話がございましたけれども、大学のほうの環境を、広く言ってその環境問題、それから新しい農学という見地ですね、そういうものが今後非常に重要になっていくと私は思いますし、これは一時の流行的なことではなくて、やはりかなり恒久的なことであろうかと思うのです。先ほどのお話では、時代の進運にやや逆行するかのようなお話がございましたけれども、この点については、大いに時代の進運の先がけを行くための一つの施策を今年非常に大幅に推進なさったつもりかもしれないけれども、まだまだ足りないという実情をよく御認識いただいて、来年度もまた大幅にこれを進めていくべきだと私は考えるわけでありますが、大臣の御所見を伺っておきたい。
  324. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 お話、ごもっともでございます。各大学におきましても、そういう気持ちで新しい学科を増設したいとか、あるいは付置研究所をつくりたいとか、いろいろ要請があろうかと存じますけれども、そういう要請に対しましては、全面的に協力をして、実現できるように文部省としてもお世話をしていくべきだ、かように考えております。
  325. 有島重武

    有島委員 二十二日に発表されました米中の共同声明では、政治や経済を離れた人の交流、つまり科学技術、文化、スポーツなどを促進する連絡事務所の役割りが特にあげられて、そうした交流が今後行なわれなければならない、いまそういう事態になっておるわけでございます。  先日、廖承志氏が日中友好協会を通じて訪日をしておられるわけでございますけれども、これは近年にない非常に明るいニュースの波紋を世界に投げかけているんじゃないかと私は思うのです。大臣は今度、訪日団がいま来ていることについて、どのような評価を持っていらっしゃるか承っておきたい。
  326. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 日本と中華人民共和国との間、さきには田中総理も中華人民共和国を訪れたわけでございまして、今回また廖承志氏一行がわが国に来ているわけでございます。やはり、先ほど日教組問題についてお話しになりましたように、できるだけ交流を重ねますことがお互いの意思を通じ合うことでございますから、たいへんけっこうなことだ、かように思っております。
  327. 有島重武

    有島委員 ユネスコの西田さんがお見えになっていらっしゃるので伺っておきたいと思いますが、大いに交流を重ねていきたい、向こうから来たわけですけれども、これは教育、学術、文化の交流について、予算とか、それから今後の中国を含めての交流についてお考えを御説明いただきたいと思います。
  328. 西田亀久夫

    ○西田政府委員 私に御指名でございますので、私の所管の範囲のことを申し上げます。  御承知のとおりに、中国は一昨年ユネスコの正式加盟国になりました。したがって、昨年のユネスコの総会にも代表団が出てこられまして、ユネスコ活動に積極的にこれから参加をされる準備をしておられるわけでございます。ただ、私ども国内委員会立場といたしましては、ユネスコ本部で立てました世界的な教育、科学、文化に関する事業計画に即しまして、日本としてこれにいかに協力し、参加するかという立場で仕事を進めております。したがって、日本でユネスコ関係の会合を持ちます場合には、従来とも、昨年から私どもは中国のほうには御案内を差し上げております。ただ、残念ながら、いままではそれに対して直接御返事はいただけませんでしたが、今後は近い機会に参加いただき、御一緒に仕事ができるようになるだろう、かように考えます。
  329. 有島重武

    有島委員 文化庁長官お見えになっておられますから、今後の教育、学術、文化の交流、特にこれは、中国に対してのこうした交流ということは、いままでたいへんおくれていたんではないかと思うのですが、現状並びに今後の御構想について承っておきたい。
  330. 安達健二

    ○安達政府委員 中国との文化交流に関連いたしまして、文化庁が関与いたしました、あるいは今後関与いたすことになっておりますことにつきまして二、三申し上げたいと思います。  一つは昨年の秋、高松塚古墳の総合学術調査を行なうにあたりまして、当時まだ国交が未回復でございましたけれども、韓国、北朝鮮、朝鮮民主主義人民共和国のほか中国の学者をも招待いたしまして、この東洋の共同の遺産であるところの高松塚古墳についての総合的な学術調査をお願いをしたのでございます。その際は、朝鮮のほうの二カ国からと、それからフランスから、総計十名の学者に来ていただいたわけでございますが、中国のほうからは日程の都合で来られないという丁重なお手紙をいただいたわけでございまして、私の念願といたしましては、こういう遺跡等の共同の遺産についてはアジアの国で共同的な調査の体制をつくる、そういう悲願も込めたつもりでございましたが、その当時はまだ実現ができなかったということが一つございます。  それから、今後のあれといたしましては、実は民間ベースで行なわれているものに対しまして、文化庁が積極的に協力するということでございます。  一つは朝日新聞社と中華人民共和国の中国人民対外友好協会等が中心になられまして、中華人民共和国の出土文物展というのを、この六月、七月、東京の国立博物館において、八月、九月、京都の国立博物館で開催することになっておるわけでございますが、東京国立博物館あるいは京都国立博物館は、これに積極的に協力をいたすことになっておるわけでございます。その際には、先般発見されました馬王堆の一号前漢墓の五十点を含む二百三十六点の出土文物が展覧されることになっておるわけでございます。  それから第二としましては、国際芸術見本市協会というところが中心になられまして、日本の伝統工芸の作品を中国に持っていく、こういうことでいま計画が進められておるわけでございまして、これは総点数が百五十点で、陶芸、漆芸、染織を含むわけでございまして、これらの持っていかれるところの作品の三分の二は、文化庁が従来伝統工芸で購入いたしましたところのものが中心でございます。  これに対しまして、その展示品を向こうに持っていっていただきますことに協力するほか、さらに文化庁の職員がこれに随伴をいたしましてその展覧会の意義を高めたい、こういうようなことで、本年度の計画といたしましては、民間ベースで行なわれるものに文化庁が積極的に協力をする、こういうことで進んでおるわけでございまして、今後はさらに積極的な方策等も検討してまいりたい、かように考えておるところでございます。
  331. 有島重武

    有島委員 さらに積極的な施策を考えていかなければならないということでございますけれども、この予算措置についてはどのようになっておりますか。
  332. 安達健二

    ○安達政府委員 文化庁関係で、国際文化交流に関する費用は約三億円を計上いたしておるわけでございますが、中国と特定したものはいまのところありません。
  333. 有島重武

    有島委員 文部大臣、いかがお考えでしょうか。ここは文部大臣というふうに限定しないで、閣僚の一人として、国際文化交流ということをうたわれておる、またこれから新しく日中の文化交流ということが行なわれていかなければならない、そのときに、いま言われた三億円、こうした予算規模で本気でもってやろうと思っているのかどうか、そう言われてもしかたがないと思うのですけれども大臣の御所見はいかがですか。
  334. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 機運が熟してまいりますれば、積極的な、文化交流に対しまして文部省がその音頭をとっていくということも必要になろうかと思います。相手方の考え方もございますし、また国内諸機関の考え方もあろうかと思うわけでございます。そういう機運がつかめますならば、積極的な役割りをしたい、予算が足りない場合には予備費の支出を求めるということも不可能ではない、かように考えるわけでございます。
  335. 有島重武

    有島委員 機運は熟しつつあると御判断になりますね。
  336. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 熟しつつあるとは思いますけれども、熟したということについては、やはり相手方の考え方その他も総合的に判断をしていきたい、こう思います。
  337. 有島重武

    有島委員 従来も、日中に限らずこの文化交流について、ことしの大臣の所信を拝見いたしますと、教育、学術、文化の国際交流について、この「国際交流を推進することはますます重要な課題となってまいりました。文部省におきましては、今日の国際化時代に対応し、抜本的施策を樹立する」、そういうようにここにおっしゃっておるわけですね。これがあまり羊頭狗肉にならぬようにしてもらいたい。これは国民だれしも思うと思ううのです。熟しつつあるのか、まだ何かそれは——熟し切ったということをいま言っているんじゃないですよ。いま熟しつつあるということをここではもう御宣言になっているわけでありますから、来年度の予算ということもありましょうけれども、今年、四十八年度の予算についても、やはり大いに努力していただいて、ひとつこの面では文化庁、ユネスコとともに、外務省にばかりおんぶしているんじゃなくて、文部省としても大いにがんばっていただきたい。もうその時が来ておると私は判断いたしますけれども、いかがですか。
  338. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 そこに述べておりますとおり努力しているわけでございまして、四十八年度も文部省全体としては五十九億円の予算を組んでおるわけでございます。相手国から人を迎え、日本側から研究員等を海外に出す、人数もかなり出しております。そういう問題等については積極的に取り組んでまいりたい、かように考えております。
  339. 有島重武

    有島委員 総合して五十九億円、それもいばれる予算とは思えません。今年のうちにも手当てできるところは、さらに閣僚の御一人として進言もなさり、そしてその面でもって大いにがんばっていただきたい。がんばっていただけますね。いまのところで十分だという話みたいなんでね。どうですか。
  340. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 先ほどそういう気持ちをもって、必要があれば予備費の支出ももとより求めることができる、こう申し上げたわけでございます。
  341. 有島重武

    有島委員 次に、国連大学を招致することについてお伺いいたします。  いまこの調査団が来日しておりますけれども、昨今の報道によりますと、この調査団が、日本の場合は土地問題が非常に大きい、それから国連大学への財政措置をどのくらいやるか、そういうことにかかっておるのだということを発言しておられるようでございますけれども、この点について西田さん、ちょっと御説明してもらいたいと思います。
  342. 西田亀久夫

    ○西田政府委員 今回国連のほうから来られました調査団が、日本側との自由な意見の交換の一つといたしまして、熱心な日本が国連大学の誘致についてどのような財政措置の可能性を持っておるかということを話し合いたいという希望を表明しておられます。これらの方々とのお話し合いはまだ済んでおりません。現在進行中でございます。したがって、これからの財政措置考えますについて、特にわがほうとしては、国連側が世界全体にまたがる国連大学の財政計画についてどういう見通しを持っておられるか、あるいは日本にその本部に相当する企画調整センターを誘致する場合に、国連としてはどの程度のものを考えておられるか、これらについて先方の率直な意見を伺いまして、これらを踏まえた上でわがほうとしての具体的なものを考えていきたい。その場合に、当然資本的投資として土地、建物等が入りますが、これらについて政府としての最終的な返事を出すのは五月末になっておりますので、それに間に合うように現在検討を進行しておるところでございます。
  343. 有島重武

    有島委員 大臣、いまの問題につきまして、いまのお話では五月末には一つの線が出るということでございますけれども大臣の御所見、御決意をお話しいただきたいと思います。
  344. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 昨年来日本政府側から国連側に申しておりますのは、国連の機関が日本に設置される場合、その資本的な経費は日本側で負担しますよ、経常的な経費につきましては応分の負担をしますよ、こう申してまいってきておるわけでございます。いま国連から調査団が参っておるわけでございまして、その団長が国連の事務局の次長をしておりますナラシマン氏でございます。ナラシマン氏は、国連大学をつくるにはやはり国連大学としての自治、オートノミーを確立していきたいのだ、そう考えると、やはりある程度のファンドを持って、このファンドで運営していくようにしたいと考えておるのだ、こういうことを言っておったわけでございます。そうしますと、ファンドのうち日本側が幾ら分担するかということになるわけでございますけれども、そういうこともあわせまして、まだ国連大学の憲章というものが、二十カ国から出されています委員によって審議されている最中でありまして、秋の国連総会ではそういう問題が全部きまってくるわけでございますけれども、その過程でも国連側の、あるいは二十カ国から出しております委員会考え方が固まってくるわけでございますので、それを受けて日本側の考え方も固めていくということでなければならないのじゃないか、こういう気持ちでおるわけでございます。一応の申し出は昨年、いま申し上げましたような形において先方側に意思表示しているわけでございます。  今後の問題といたしましては、これらの面の進行とにらみ合わせながら日本側の考え方を固めて、向こう側に連絡をしていきたい、こう存じておるわけであります。
  345. 有島重武

    有島委員 こうなってまいりますと、やはり今日の文教予算だけではどうにもならないと思いますね。これは特別な財政措置をおとりになる、その点はいまもうすでに検討していらっしゃいますでしょうか。
  346. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 国連大学に関係します予算は、いまの予算には計上してないわけでございます。これはもう追加してそれだけの財源は支出していただかなければならぬわけでございます。これがいつになるかは別にいたしまして、これはいままでの文部省系統の予算にプラスされるものだ、かように考えております。
  347. 有島重武

    有島委員 じゃ、本日の質問は、私はこれでもって打ち切らしていただきます。
  348. 田中正巳

    田中委員長 次回は来たる二十日開会することとし、本日はこれにて散会いたします。    午後六時五十六分散会