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1973-03-02 第71回国会 衆議院 文教委員会 第4号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十八年三月二日(金曜日)     午前十時九分開議  出席委員    委員長 田中 正巳君    理事 塩崎  潤君 理事 西岡 武夫君    理事 松永  光君 理事 森  喜朗君    理事 木島喜兵衞君 理事 長谷川正三君       有田 喜一君    上田 茂行君       大石 千八君    加藤 紘一君       染谷  誠君    中村 拓道君       中山 正暉君    野中 英二君       林  大幹君    山崎  拓君       小林 信一君    嶋崎  譲君       山中 吾郎君    栗田  翠君       有島 重武君    高橋  繁君  出席国務大臣         文 部 大 臣 奥野 誠亮君  出席政府委員         文部政務次官  河野 洋平君         文部大臣官房長 井内慶次郎君         文部大臣官房審         議官      奥田 真丈君         文部省初等中等         教育局長    岩間英太郎君         文部省大学学術         局長      木田  宏君         文部省体育局長 澁谷 敬三君  委員外出席者         文教委員会調査         室長      石田 幸男君     ————————————— 委員の異動 二月二十四日  辞任         補欠選任   勝澤 芳雄君     阿部 昭吾君   山口 鶴男君     細谷 治嘉君   栗田  翠君     中島 武敏君 同日  辞任         補欠選任   阿部 昭吾君     勝澤 芳雄君   細谷 治嘉君     山口 鶴男君   中島 武敏君     栗田  翠君 同月二十六日  辞任         補欠選任   勝澤 芳雄君     阿部 昭吾君   山口 鶴男君     田中 武夫君 同日  辞任         補欠選任   阿部 昭吾君     勝澤 芳雄君   田中 武夫君     山口 鶴男君 三月一日  辞任         補欠選任   山原健二郎君     松本 善明君 同日  辞任         補欠選任   松本 善明君     不破 哲三君 同月二日  辞任         補欠選任   高見 三郎君     加藤 紘一君   山崎  拓君     大石 千八君 同日  辞任         補欠選任   大石 千八君     山崎  拓君   加藤 紘一君     高見 三郎君     ————————————— 二月二十三日  私立学校に対する財政援助に関する請願梶山  静六紹介)(第二四八号)  小中学校における養護教諭及び事務職員の全校  配置に関する請願梶山静六紹介)(第二四  九号)  大学における実験等による学生災害者救済に関  する請願田澤吉郎紹介)(第二七四号)  史跡保護対策拡充に関する請願鈴木善幸君  紹介)(第三三五号)  私学に対する公費助成増額等に関する請願外一  件(井岡大治紹介)(第三八五号)  同(久保田鶴松紹介)(第三八六号)  同外三件(阪上安太郎紹介)(第三八七号)  同(和田貞夫紹介)(第三八八号)  同外二件(阪上安太郎紹介)(第三九四号)  同(加藤清政紹介)(第四〇四号)  同外二件(金子みつ紹介)(第四〇五号)  同外二件(高沢寅男紹介)(第四〇六号)  同外一件(勝澤芳雄紹介)(第四一三号)  同外二件(嶋崎譲紹介)(第四一四号)  同(安里積千代紹介)(第四一八号)  同外六件(大柴滋夫紹介)(第四二八号)  同(佐野進紹介)(第四二九号) 同月二十六日  私学に対する公費助成増額等に関する請願(有  島重武紹介)(第四四七号)  同(大野潔紹介)(第四四八号)  同外六件(小林信一紹介)(第四四九号)  同(松本忠助紹介)(第四五〇号)  同(有島重武紹介)(第五二三号)  同(竹入義勝君紹介)(第五二四号)  同(長谷川正三紹介)(第五二五号)  同外三件(山本政弘紹介)(第五二六号)  同(青柳盛雄紹介)(第六四一号)  同(石母田達紹介)(第六四二号)  同(浦井洋紹介)(第六四三号)  同(金子満広紹介)(第六四四号)  同(神崎敏雄紹介)(第六四五号)  同(木下元二紹介)(第六四六号)  同(小林政子紹介)(第六四七号)  同(紺野与次郎紹介)(第六四八号)  同(栗田翠紹介)(第六四九号)  同(柴田睦夫紹介)(第六五〇号)  同(庄司幸助紹介)(第六五一号)  同(瀬崎博義紹介)(第六五二号)  同(田中美智子紹介)(第六五三号)  同(田代文久紹介)(第六五四号)  同(多田光雄紹介)(第六五五号)  同(津金佑近君紹介)(第六五六号)  同(津川武一紹介)(第六五七号)  同(寺前巖紹介)(第六五八号)  同(土橋一吉紹介)(第六五九号)  同(中川利三郎紹介)(第六六〇号)  同(中路雅弘紹介)(第六六一号)  同(中島武敏紹介)(第六六二号)  同(野間友一紹介)(第六六三号)  同(林百郎君紹介)(第六六四号)  同(東中光雄紹介)(第六六五号)  同(平田藤吉紹介)(第六六六号)  同(不破哲三紹介)(第六六七号)  同(正森成二君紹介)(第六六八号)  同(松本善明紹介)(第六六九号)  同(三浦久紹介)(第六七〇号)  同(三谷秀治紹介)(第六七一号)  同(村上弘紹介)(第六七二号)  同(山原健二郎紹介)(第六七三号)  同(米原昶紹介)(第六七四号)  同外一件(山本政弘紹介)(第六七五号)  同外一件(和田耕作紹介)(第六七六号)  学校保健担当専門員文部省配置に関する請願  (羽生田進紹介)(第四八一号)  女子教職員育児休暇法制定に関する請願外二  件(勝澤芳雄紹介)(第六七七号)  同(小林信一紹介)(第六七八号)  同(山口鶴男紹介)(第六七九号)  同(山中吾郎紹介)(第六八〇号)三月一日  私学に対する公費助成増額等に関する請願外一  件(木島喜兵衞紹介)(第七二七号)  同(和田耕作紹介)(第七二八号)  女子教職員育児休暇法制定に関する請願(木  島喜兵衞紹介)(第七二九号)  同外一件(嶋崎譲紹介)(第八六六号)  同外一件(長谷川正三紹介)(第八六七号) は本委員会に付託された。     ————————————— 本日の会議に付した案件  文教行政基本施策に関する件      ————◇—————
  2. 田中正巳

    田中委員長 これより会議を開きます。  文教行政基本施策に関する件について調査を進めます。  質疑の申し出がありますので、順次これを許します。高橋繁君。
  3. 高橋繁

    高橋(繁)委員 きょうは文部大臣に、過日所信が述べられておりますので、その所信について御質問をいたしたいと思います。  最初に、基本的な問題で、義務教育無償制ということにつきまして、新しくなられました文部大臣に見解をお聞きいたしまして、私たち考えてまいりたいと思いますのでお願いをいたします。  終戦後新しい憲法が制定されまして、その二十六条に、国民教育を受ける権利、これがうたわれたことは申すまでもありません。その条文を受けて、教育基本法学校教育法が次々制定されて、この中で義務教育の性格がはっきりとなってまいりました。  さらに憲法二十六条の第一項に「すべて國民は、法律の定めるところにより、その能力に鷹じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。」この国民教育を受ける権利を国が保障すべき義務を負っているということが明らかになっておると思うのであります。したがって、私たち教育を受けさしてもらっているということではなくて、もともと持っておる権利を行使するのを政府や地方自治体の行政がサービスする、保障する義務を持っておる。  さらに第二項では、「すべて國民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。」このように憲法にはっきりとうたわれておりますが、その解釈について、まず最初大臣のお考えをお聞きいたしたいと思います。
  4. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 「義務教育は、これを無償とする。」という規定、これについての考え方は、授業料は徴収しないんだという趣旨だと考えておるわけであります。しかし、国としてはこれをさらにふえんをいたしまして、積極的にその考え方充実をはかっていくべきものだ、かように存じております。  そういう考え方のもとにいろいろな施策を進めておるわけでございまして、義務教育学校教科書無償給与を実施いたしておりますのも、その趣旨にのっとっているわけでございます。また、経済的に就学の困難な家庭の事情の生徒につきましては、学用品費給食費修学旅行費等無償となるような措置を講じてまいってきておるわけでございます。  なお、四十八年度の予算案におきましては、たとえば学用品費につきましては、新たにスキー用具柔道剣道用具についても購入できるように措置いたしますとともに、通学用品費修学旅行費学校給食費の単価の増額をはかり、また高度僻地、三級地以上でございますけれども、これの児童生徒全員修学旅行に参加できるよう新規の措置を講ずる等の拡充をはかっておるわけでございます。  このような考え方のもとに、憲法規定充実を期してまいりたいと存じておるのでございます。
  5. 高橋繁

    高橋(繁)委員 そうしますと、国民教育を受ける権利教育権というのは国民である、このように解釈してよろしいですか。
  6. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 どういう意味合いのお尋ねかちょっと理解しかねるのですけれども、当然国民教育を受ける権利を持っておるというふうに見るべきだと思います。それを保障する、拡充することを政治の面で進めていかなければならないと思います。
  7. 高橋繁

    高橋(繁)委員 そうしますと、その規定に従って無償制というものは、義務制とともに、この権利主体である子供に直接保障する、しかしながら、最終的には政府が、国が負うというように理解をしてよろしいですか。
  8. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 国民教育を受ける権利を持っている、それを保障していこうというのが国なり地方公共団体であろうと思います。
  9. 高橋繁

    高橋(繁)委員 そうしますと、先ほどおっしゃいました、授業料は徴収しないというようになっているが、順次これを保障する義務を国が負っているということになりますと、教育を受ける権利を積極的に保障するいろいろなあらゆる措置、その義務教育無償制拡大をはかるべきであるというように解釈してよろしいですか。
  10. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 憲法規定そのものは、授業料は徴収しないということだと考えられるわけでございます。その精神を普及、充実さしていきたい、こう考えるわけでございます。そういう意味において、国においても先ほど申し上げましたような措置をとってきておるわけでございます。その措置はさらに一そう充実発展させていかなければならない、こう存じております。
  11. 高橋繁

    高橋(繁)委員 従来の教科書無償配布になりました。いま申し上げましたように、あらゆる方面にわたってこれが無償化を推進しなければならないということになりますと、すべての児童に、貧富の差を問わず、あるいは身体的な条件、あるいは学校給食というような場面にまでこの無償制というものが拡大をすべき方向にいかなくちゃならない、このように思うわけであります。したがって、教育機会均等を進めるためにも、これは充実方向で進むべきである、このように考えてよろしいですね。
  12. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 いま給食などの問題を例にお出しになりましたが、経済的に困難な方々につきましては、現在無償になるような措置をしているということを先ほど申し上げましたが、全部に無償になるようにしろということになりますと、その金はやはり税金で出してもらうわけでございますので、みずから負担できる人についてまで一たん税金を取って、そしてそれをまた無償で返していくという仕組みをとらなくてもいいんじゃなかろうか、こう思うわけでございます。  いずれにしましても、憲法考えております精神充実させる方向において努力していく、そのことについては賛成でございます。
  13. 高橋繁

    高橋(繁)委員 先ほどの文部大臣の御意見とちょっと食い違うような感じがいたしますが、いわゆる教育権を保障する一つのあれとして無償制というものを拡大をしなければいけないというように先ほどおっしゃったと思うのです。その線に従って、国の保障する方向拡大をしなければいけない。ところが、実際問題、義務教育無償とするということから考えると、私は、給食も含めて将来無償になるべきであると思う。ところがいまのお話だと、給食などば貧しい生徒にはやる、全部にわたってやるということが困難だということは、先ほど申し上げた意見と反するような感じがしますが、その辺……。
  14. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 私たちの目ざしている社会は自由な社会でございまして、自分たち努力をした成果自分のものにする、自分のことは自分が責任を負っていくのだというたてまえをとっておると思うのでございます。社会主義社会にいたしまして、努力をしたその成果は一たん社会のものにする、国のものにする、そして分配をするんだというたてまえでございますと、お話はよくわかるわけでございます。私たちのような自由な社会をとっていこうとする場合には、経済的に十分力ある者についてまで全部無償にする行き方が望ましいかどうかということになりますと、すぐに賛成と言いかねる。そういう意味で、経済的に困難な方々については無償の線で進めていっているのです。こういう考え方をなお一そう充実さしていきたい、こう申し上げておるわけでございます。
  15. 高橋繁

    高橋(繁)委員 そうしますと、私は憲法教育基本法について言っているんであって、それが最も基本的な施策だと思うのです、方針だと思うのです。したがって、それによって教育は進めなくちゃならない、こう思うわけですが、いまの文部大臣意見だと先ほどと全然食い違った感じもいたします。考え方もおのずから違ってくるように思いますが、どうも義務教育無償制という問題で憲法あるいは教育基本法からはずれている感じがしますが、この点もう一度……。
  16. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 くどいようでございますけれども、憲法義務教育無償というのは、授業料は徴収しないということだ。しかし、その精神を一そうふえんさしていきたい。だからふえんする場合に、どこまでふえんするかということになりますと、すぐおっしゃるようなところへいくとは言い切れない。しかし、ふえんする努力充実する努力はしていきたい、こう申し上げておるわけでございまして、現在のところでは高橋さんのおっしゃいますようなところまで言い切る勇気は、いまのところは持っていないということでございます。
  17. 高橋繁

    高橋(繁)委員 そういう方向に行くべきである。私はすぐ来年度から給食無償にしろと言っているのではないのです。そういうものまで義務教育無償であるべきであると考えるわけです。したがって、大臣がそういうような考えがあるならば、私はやはり義務教育無償制という問題について、文部省が将来このようになって義務教育無償化していくんだという、やはり年次計画なりそういう計画があってしかるべきだと思うのです。そういうものは文部省にはいまのところあるのですか、ないのですか。
  18. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 先ほどもちょっと申し上げましたように、四十八年度におきましても柔道剣道用学用品についても補助対象にする、あるいはまた高度な僻地なところにつきましては修学旅行費、これはもう全員でございまして、全員について無償にするというようなところまで進めていっているわけでございます。やはりそのときの社会情勢経済情勢に応じた措置でこの精神ふえん充実をはかっていきたい、こう努力しているわけでございます。
  19. 高橋繁

    高橋(繁)委員 どうも答弁がうまくいかないけれども、いわゆる何もないということで理解をしてよろしいか、その点……。
  20. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 高橋さんが考えておられるように、全部、学用品から給食から無償にするんだという計画は持っていないわけでございます。
  21. 高橋繁

    高橋(繁)委員 しかしながら、先ほど言ったように、義務教育無償制拡大をしていくという考えがあるならば、来年度はこれぐらい、その次はこのように無償にしていくんだというものがあって私はしかるべきだと思うのです。それがあいまいなところに私は教育権の問題も出ていると思うし、そうした問題の根本的な、基本的な考えがないからそういう結果になっているんじゃないか、こういうふうに私は理解するのですが、この点もう一度…。
  22. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 いままで考えておりますのは、教科書は全部無償だ、それから高度な僻地なところの修学旅行費は全部無償だ、あとの問題につきましては、経済的に困難な方々について無償措置をとるということにしているわけでございます。今後また当委員会におきまして、この部分も無償であるべきじゃないかというような議論が煮詰まってまいりますと、積極的にその線が実現されるように私としては努力していきたい、こう思っております。
  23. 高橋繁

    高橋(繁)委員 文部省あるいは文部大臣として、このような計画があってしかるべきだと私は思うのです。この委員会のつどつど、希望があれば、また意見があればというような方針といいますか考えは、私はいけないと思うのですね。だから、どうかひとつ義務教育無償制の問題については、私はほんとうにここで年次計画、五カ年計画でけっこうです、この方向に向かって、この無償をすべきであるというふうに考えます。ですから、この方向に向かって努力をしていただきたい。  それと同時に、義務教育の現在における危機というもの、もう御承知のとおり、たいへんに義務教育危機にさらされているという問題は、いわゆる最も基本的な充実すべき条件整備あるいは施設がきわめて不備である、全く理想とかけ離れた現状であると思うのです。特に、過疎地にある小学校は、住民の反対を押し切って、財政的な理由、あるいは複式になると教育の程度が落ちるからという理由を押しつけて統合を進めておる。あるいは過疎地は一ぱいでプレハブの校舎ができておる。そういった問題を考えたときに、全く義務教育というものは現状危機にさらされていると思うのです。ところが、子供の欲求であるプールとか、あるいは体育館であるとか、緑の芝生であるとか、そういう問題はまことにほど遠いような感じもございます。したがって、そうした現状を踏まえて、私はもっと積極的に、この義務教育無償制という問題については真剣になって考えていくべきじゃないか、このように考えるわけであります。   〔委員長退席西岡委員長代理着席〕  で、問題を次に進めます。またあとでいろいろな問題につきましては、集中的に審議がなされるようでありますので、教育中立性につきまして文部大臣のお考えだけひとつお聞きをしておきたい、こう思うわけです。  政党出身文部大臣が歴代続いておるわけでありますが、いまの奥野文部大臣の先輩でいらっしゃる清瀬文部大臣とか、そういう方々大臣になられたときに、あるいは教育中立性の法案の出ていたときに、文部大臣は党派の政党出身であってはならないという意見も確かに出たはずであります。そのときに、そのときの文部大臣が、教育政策が党派的であるのは当然だ、政党内閣の一員である自分は、当然党の文教政策を推進するのだ。あるいは清瀬文部大臣は、党の番頭である、党の決定した文教政策を実施するのが自分の役目だ、このように当時発言をされておりますが、その後、歴代の自民党出身の方が文部大臣に就任をしておるわけであります。そう考えますと、奥野文部大臣も、この清瀬文部大臣と同じようなお考えをお持ちだと私は判断をしますが、その点についてお考えを聞きたい。
  24. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 文部大臣としては、国会でお示しいただきました法律に基づきまして、公正に職責を果たしていくべきだと思います。いまお話を伺いながら感じておったのでございますが、政党出身だから政党のために努力するということはあたりまえだということは、あるいはその法律制定過程において、それぞれの党が考えているような社会実現、それを法律に織り込む努力をするということでおっしゃっておったんじゃなかろうか、こう思います。そういう国会でお示しいただきましたものを離れて、政党のエゴで文教行政を推し進めるということは、これは当然慎まなければならないことだ、こう考えております。
  25. 高橋繁

    高橋(繁)委員 この問題は、それじゃあとでまた質疑をすることにいたします。  文部大臣所信の中に教育刷新充実に一段と努力を傾ける、こうありますが、その刷新充実、一体何を刷新するのか、何を充実をするのか。まあ充実をするという項目については、ここに何点か書いてありますけれども、その中で、刷新をするという、一体今回の四十八年度において、何を刷新なさいますか、そのことについて……。
  26. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 いまの教育界、いろいろな問題があろうと思うのでございますけれども、とにかく量的な拡大、非常に目ざましい発展を続けてきたと思うのでございますけれども、その過程にやはり質的な充実が欠けている面、いろいろあるんじゃないかと思うのでございます。特に社会かこれだけ急激に変化しているわけでございますので、それに対応できるような教育内容でなければなりませんし、また対応できるだけの先生でなければならない。そういう意味におきまして、学校制度の中でも、内容充実をはかっていく面がございましょうし、先生資質向上のために努力すべき面も多々あろうかと、かように考えているわけでございます。
  27. 高橋繁

    高橋(繁)委員 この所信の中と、いまおっしゃったこと、刷新充実という意味ですね。非常に混同しているようなところがあると思うのですよ。  それでは、刷新とは一体どういう意味を持ちますか、お聞きいたします。
  28. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 刷新充実、重複している面もあれば違った面もあろうかと思うわけでございます。たとえていえばでございますが、教育界に、教育意欲にあふれた空気をもっと満たすように努力していかなければならない。そのためには教育界にも人材を導入していくんだ、勉強するような気持ちをもっと強くさせていくんだということになりますと、これは刷新ということばのほうがあるいは強いのじゃなかろうかな、こういう気持ちもいたします。あるいはまた充実ということになってまいりますと、もっと学校をたくさんつくらなければならないじゃないか、お医者さんが足りなくなっているじゃないか、国立の医科大学をもっとつくりなさいという式のことは充実の面になってくるかと思うのでございますけれども、しかし、基本的にはやはり相関連していることではないだろうかな、こう思っているわけでございます。
  29. 高橋繁

    高橋(繁)委員 どうもはっきりしないのですけれども、刷新ということばの持つ意味、これはお聞きすればおそらく答えがないと思うのですが、弊害を除いて事態を全く新たにするという意味なんです。ということになりますと、所信の中に刷新充実をはかる、一段と努力を傾けると言っているけれども、一体いまの話だと何が充実か、刷新するのか、はっきりしない。そういたしますと、この文教政策の中であなたの考えている刷新は一体何であるか。
  30. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 いま一例をあげて、教育界に清新な空気をつくり上げていきたいということを申し上げたつもりでございますけれども、そういうことも刷新一つの例だと思っているわけであります。
  31. 高橋繁

    高橋(繁)委員 そういう抽象的な問題じゃなくて、いま現状にあるわけですから。先生も一生懸命やっている。それに対して新鮮な空気を送るというのは、これは全く事態を新たにするということじゃないと思うのですね。だから私はまだ理解しかねますけれども、今度の四十八年度のいろいろな施策がありますが、あるいは法案でもけっこうです、これが刷新をすることであり、これが充実をすることであるというように具体的にひとつ、たとえば初等教育の改善をはかるというのもあります。幼稚園の普及充実もありますよ。あるいは養護学校の整備充実僻地教育の振興、学校給食の普及充実とか、あるいは高等教育の普及充実大学の入学者の選抜法の改善、私立学校の振興、いろいろありますが、その中で一体刷新は何をあなたは考えているのか。これはほとんど充実ですよ。改善充実です。そのことをひとつ。
  32. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 たとえて申し上げますと、先生方の給与の抜本的な改善をはかって人材を教育界に導入していくのです。これも私は大きな刷新だと思います。あるいは五千人に海外に勉強に出てもらって世界に目を向ける先生になっていただく、あるいは研修も大いにやりますから、穴を埋めるために非常勤の講師の用意もいたしますよ、これは大きな刷新だと思うわけでございます。そのような気持ち教育界充実刷新をやっていきたいということでございまして、個々のことにつきましてはもう十分御承知でございますのであえて申し上げませんけれども、そのような心組みであるわけでございます。
  33. 高橋繁

    高橋(繁)委員 海外の視察とかはいままで全然なかったわけではないのですからね。これは確かに充実だと思うのです。事態を全く新しくするということとはちょっと私は理解しかねる。したがって、文部大臣がいまお考えになっておる中で、先ほど申したように海外研修に教員を出すということは、別に弊害があったわけではないでしょう。弊害を除いて事態を全く新たにするということから考えると、いいことをさらに五千人ふやした、充実したということになるんだ。ですから、弊害のあるものを全く新しくしたというものについて私はまだ理解しかねますけれども、ほかにどういうことがありますか。
  34. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 高橋さんと私との間で、ものの考え方にかなり開きがあると思うわけでございます。たとえば給与を計画的に引き上げていくのだ、四十八年度の予算も、これは初年度のことであって、計画的に改善をばかっていくのですというような、たいへん意欲ある姿勢を示しておるわけであります。これを受けまして、より人材が教育界に来てくださるような教育界になっていくのじゃないかということに大きな期待を抱いておるわけでございます。  同時にまた、日本が平和国家を目ざし、また国際協調を目ざしているといいながらも、世界の国々の日本を見る目は必ずしもそうなっていないわけでございます。そういうときに先生方に五千人も海外に出てもらうということは、やはり日本の空気をかなり変える力になっていくと私は思うのでございまして、この辺はものの見方、とり方の違いじゃないだろうか、こう思うわけでございます。
  35. 高橋繁

    高橋(繁)委員 私は、文部大臣といえども日本人でありますので、日本の辞典をもとにして聞いているわけです。見解の相違でも何でもないと思う。だから、そういう刷新するという意味ですね、弊害を除いて全く事態を新しくするということになると——この刷新の一言、これは日本の文部大臣所信表明ですよ。その中で「教育刷新充実に一段と努力を傾け、」と書いた以上は、四十八年度の文教政策の一体何を刷新するのか、何を充実するかということは、私は真剣になって所信表明に出すべきだと思うのですよ。それが聞いてもさっぱりはっきりしない。充実のようなことを刷新と言っているし、またさっぱり刷新ということが出てこないということになると、これは削除したらどうですか。
  36. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 私は刷新ということばを、向きを変えて流れを変えていく、その場合にも刷新というのじゃないだろうか、こう思うわけでございます。そういう意味で私どもは流れを変えていきたい。教育界にどんどん人材が入ってくださる、また教育界にいらっしゃる方々も大きな意欲を持ってくださる、こういう教育界をつくり上げていくのじゃないか。これはやはり刷新じゃないかと思うのでございまして、ことばの違いですから人によって若干違うかもしれません。意味もとりょうでございますので、いまお話しになりましたことば意味以上に、私のような若干広い意味刷新ということばを使う使い方もあるかと思います。
  37. 高橋繁

    高橋(繁)委員 これは文部大臣の文部行政に携わっていく姿勢の一環であろうと思います。それはそれで理解いたしますよ。しかしながら、文字として「教育刷新充実」、ここに活版で印刷をして議事録に残っていくということを考えると、私はもっとしっかりしなければいかぬなと思うわけです。刷新充実というのは、四十八年度の文教政策で何を刷新して何を充実していくかということははっきりしなければいけない、そう考えるわけです。そういう意味で、私は実際問題として刷新充実という面でどうもまだ納得できないのです。  さらにもう一度念を押しておくが、刷新充実というのは先ほど説明した程度なのか。刷新ということについてこういう点を考えているんだということをもっとはっきり出してください。
  38. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 刷新充実ということばの使い方はいろいろあろうかと思うのでありますけれども、どちらかといいますと、刷新という場合には流れをどうする、空気をどうするというようなときに使われることが多いものですから、私はそういう意味において教育界の中に清新な空気をさらに一そう持ち込むような施策を強くとっていきたいんですという意味合いで申し上げてまいっておるわけであります。
  39. 高橋繁

    高橋(繁)委員 どうもはっきりしないのですね。先ほど申し上げたように、もう一度だけ、いままでの文教政策文部大臣考えで何か弊害があったんですか、どういう点に弊害があったんですか。
  40. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 弊害という意味で言いますと、たとえば私は先ほど医科大学のことを例にあげたものですからそれに例をとりますと、あまりにも私学におぶさり過ぎている。やはり国が積極的に責任を負ってお医者さんの育成に当たっていくべきだ、そういう意味において医科大学をずいぶんたくさんつくってまいるわけであります。そういうのも一つの弊害といえば弊害かもしれません。それ以外にもいろんな問題がございますけれども、例をあげろとおっしゃればそういうことを申し上げることができると思います。
  41. 高橋繁

    高橋(繁)委員 例をあげるじゃなくて事実について、こういう点に弊害があったということがあればお答え願いたい。
  42. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 文部省が新しくとろうとしています施策は、とにかく欠けておった、弊害があった、そういうことを頭に置いて刷新充実を期していく施策を講じているわけでございますから、文部省が力を入れようとする問題につきましては、その裏において十分でない面があった。弊害ということばがいいかどうかは知りませんけれども、とにかく十分じゃない面があった、だから、それに力を入れていくということでございます。もう一々申し上げぬでも高橋さん十分御了解いただいているものですから、あえて一つ一つのことは申し上げないのですけれども、もし必要でございましたらあらためて申し上げさせていただいてもよかろうかと思います。
  43. 高橋繁

    高橋(繁)委員 先ほど大臣が、教育の流れを変えていくようにおっしゃいましたね。一体どういう方向で、どういうふうに流れを変えていくのか、その点について。
  44. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 いろいろな問題があろうかと思うのですけれども、私は今日の日本が個人主義を充実させる、そのことはいいんだけれども、利己主義におちいっているんじゃないか。社会に目を向ける人間に必ずしもなっていない。国ということを考えない。自然また、世界ということを考えない。世界が協調していく、世界の平和を目ざす、人類の福祉の増進をはかっていく。そうなってきますと、やはり教育界においても世界に目を向ける先生方、それが教育の上においても大きく響いてくるんじゃないか。日本のある意味においては流れを変えるというような趣旨にも合うんじゃないだろうかなという気持ちを持って、こんなことを申し上げているわけであります。
  45. 高橋繁

    高橋(繁)委員 またいずれあとの機会にいたしまして、次の問題に移らしていただきますが、やはり所信表明の中で、「りっぱな日本人の育成」を目ざすとか、あるいは「将来への洞察に立って真に国づくりの基礎をなす人づくりに最大の努力」をしてまいります、このようにおっしゃっておる。あなたが言う「人づくり」、「りっぱな日本人」、一体どういう人間像を考えているのかお聞きをいたしたい。
  46. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 いろんな問題の包含されたむずかしい問題だと思うのですけれども、文部省としては、教育にあたりましては知育、徳育、体育、調和のとれた人間をつくり上げていくのだ、こう申しておるわけでございまして、教育基本法に示しております、自主的精神に満ちた心身ともに健全な国民を育成していくのだ、こう示されているところに従って努力をしていかなければならないものだ、かように考えているわけです。
  47. 高橋繁

    高橋(繁)委員 いまのお話は、教育基本法に示す人間像というように理解をしてよろしいですか。
  48. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 そのように考えております。
  49. 西岡武夫

    西岡委員長代理 ちっと速記をとめて。   〔速記中止〕
  50. 西岡武夫

    西岡委員長代理 速記を起こしてください。
  51. 高橋繁

    高橋(繁)委員 中教審の「期待される人間像」というものが答申されていると思うのですよ。それについては大臣はどうお考えですか。
  52. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 どんな表現を使っておったかいまちょっと正確に思い出しませんで調べておりますので、すぐ見てお答えをしたいと思います。
  53. 高橋繁

    高橋(繁)委員 もう一つ、「国際社会において信頼され尊敬され活躍できるりっぱな日本人の育成」、こうありますが、信頼され尊敬される最大の理由といいますか、一体そういう日本人の育成という問題についてどうお考えですか。
  54. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 いま日本人について欠陥とされているような問題それを正していかなければならないと思うのですけれども、そういう意味においてやはり自由の思想が横溢した反面、責任感が乏しいじゃないかということが指摘されておりますが、やはりこれも大切なことだと思いますけれども、あるいはまた社会全体のことを考えることが少ない。したがって、また国を考え、国際社会考えるということが乏しくなってきた、こういわれておるわけでございますので、そういう点についても国際協調の上においては大切に考えていかなければならない面だと思います。同時にまた、私はやはりよいことと悪いことのけじめ、判断力、こういう点についても若干欠ける面があるんじゃないか、こう考えるわけでありまして、そういうことを自覚しながら教育基本法の示しておりますような世界の平和、人類の福祉をねらって努力していかなければならない。そういう自覚を持った人間が生まれてくる、それはやはり国際社会においては尊敬される人間になっていく基本ではなかろうか、こんな気持ちでおるわけであります。
  55. 高橋繁

    高橋(繁)委員 いま日本人が海外でいろいろな面でいい評判でないわけですね、実際問題、いまお話があったとおり。なぜ、そんなに信頼をされなくなってきたか、その理由というものは、どういうようにお考えですか。
  56. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 いろいろなことを考えられると思うのですけれども、やはり急成長してきた、したがって、またそれだけの国際社会についての理解がないままに国際社会へ飛躍しているところに基本的な原因といえば原因があるんじゃないかなと思います。しかし、私がいま申し上げましたようなもろもろの欠陥、自由のあまり責任感が欠けている面があるとか、あるいは自分のことが中心であって全体社会のことを考えないきらいがあるとかいったようなことも私は反省していい点だろう、こう思っておるわけです。
  57. 高橋繁

    高橋(繁)委員 いまお話しになったような理由、確かに一つだと思うのです。高度経済成長を遂げまして、そして不用意のまま海外へ出かけていった、理解をしないで。あるいは島国であったということもあるだろうと思うのです。やはりいろいろな行ってきた人の意見とか、あるいは書かれた書物等を見ますと、その一番大きな理由ばやはりことばのハンディキャップがあるということ、日本語というものが世界にそんなに使われていないし、通用されていないということで、またこっちも外国語を理解していない、そういう点かたいへんなハンディを起こしているということが大体書かれているわけですよね。そうしますと、今後大臣のおっしゃっておる尊敬され信頼される、国際社会においてそうしたりっぱな日本人を育成をしていくという観点からいたしまして、いまの日本人が尊敬されてない、信頼されてないという一つ理由ことばの問題があるということになりますと、私は文部省考え方、これはちょっとまだ確認はしてないのですが、中学校の英語の時間が来年度から少なくなる、このように理解をしておりますが、そういう点はありませんか。
  58. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 おっしゃるようなことは何ら問題として取り上げておりません。別に少なくするということは考えていないようであります。
  59. 高橋繁

    高橋(繁)委員 局長、そういうふうに理解してよろしいですか、時間数が少なくなるという点について。
  60. 岩間英太郎

    ○岩間政府委員 従来どおりではございますけれども、今度の新しい学習指導要領からは、標準というようなことで三時間というようにいわれておりますから、具体的には個々の学校でさらに余裕がある時間がとれるわけでございます。従来と方針は変わっておりません。
  61. 高橋繁

    高橋(繁)委員 方針が変わってない、それはおかしいと思うのですよ。実際問題現場ではそういうふうに理解をしているのです。それで英語の教師が余ってくる。その教師を一体どこへ充てていくかということで、すでにことしの異動で困っているはずだ。私はそういうことを考えますと、やはり国際社会で信頼され、尊敬されるりっぱな日本人をつくろう。その中で、外国で一番批判を受けておる最大の理由が、ことばによるハンディキャップがあるということから考えると、やはり英語の時間数を減らすということは、私はその所信方針と何かしら逆行しているような感じも、その点だけで考えると思うのです。そういう点について。
  62. 岩間英太郎

    ○岩間政府委員 先ほど申し上げましたように、いままでは最低三時間ということでございますが、これからは三時間を標準にするというふうなことに改めたわけでございます。実際は四時間ぐらいやっておったようでございまして、最低を、標準に改めたということは、学習指導要領全体の問題でございまして、とりわけ英語について時間を減らしたというものではございません。従来どおり行なわれるものというふうに私どもは理解しております。
  63. 高橋繁

    高橋(繁)委員 最低と、標準とは、ずいぶん意味が違ってくると思うのです。最低は三時間以上下がってはならない。三時間を標準とすると、二時間でも一時間でもいい、そういうふうに理解してよろしいのですか。
  64. 岩間英太郎

    ○岩間政府委員 そういうふうにも表現上は理解できるわけでございますけれども、実際問題としましては、いままでの三時間というものを四時間ぐらい平均やっておったわけでございます。この実態が変わるとは思いませんが、最低を、標準に改めましたのは、学習指導要領の全般の問題でございます。英語だけそういうふうにしたということではございません。したがいまして、実態といたしましては、先生の御心配になるようなことは起こらないというふうに考えておるわけでございます。
  65. 高橋繁

    高橋(繁)委員 しかし、現場では英語の時間数が減ってくるので、英語の教員が余ってその処遇に困っている、こういうことをぼくは聞いたわけです。そうなってくると、やはり現場の理解をされていないのじゃないかというふうに思うので、その点はもう一度ひとつ確認をして、私はやはりりっぱな日本人、国際社会において信頼される日本人をつくるということのために、その英語の時間数というものはふやすべきじゃないか、こう思うわけです。これはまたあと調査をしていただきたい、こう思います。  それに関連しまして、りっぱな日本人あるいは教育基本法憲法に示された人間像をおつくりになるという大臣のお考えでありますが、そこで、その子供に最も影響する教職、先生方、この教職に優秀な人材を集めるというようなことがありますが、優秀な人材とは一体何を基準にしているのですか。
  66. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 学校を出て社会のそれぞれの道についていかれます場合に、能力のすぐれた人たちがよりたくさん教育界に来てくださる、こういうことを考えておるわけでございます。もちろん、その人材が教師となっていきます場合には、また教師としての特別な資質が期待されるわけでございますけれども、とにかくすぐれた人たちが他の分野に働くよりも、すぐれた人たち教育界に入ってくださるという期待を込めておるわけでございます。
  67. 高橋繁

    高橋(繁)委員 そのすぐれた人材の基準をどこに置くかということです。
  68. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 おっしゃっているのは、教師にどういう人を期待しているのかという意味でお尋ねになっているのじゃないかと思うのですが、そう理解してよろしゅうございますか。——これはおのおの人によっていろいろ言い方、考え方はあるかと思いますけれども、私は、教育というものはものをつくるのではないので、人をつくるのだから、やはり魂の触れ合いが大切ではないかなということを常日ごろ考えている人間でございます。魂の触れ合いということになりますと、教育に熱情を持って、使命感を持ってもらう、深い愛情を持ってもらう、こういうことが大切だなということを考えているわけでございまして、同時に、教育でございますので、それだけに専門的な知識を持っている、教育上の技術を持っている、それも大切なことだ、こう存じておる者でございます。
  69. 高橋繁

    高橋(繁)委員 そういう優秀な教員がいま全国に一ぱいいるわけですよ。その中で、今度優秀な人材を確保するという意味でおっしゃっているわけですが、いまの先生方はみんなりっぱである、優秀である、こういうふうに理解してよろしいですね。
  70. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 皆さん優秀な方々ばかりでございますが、もっと優秀になってもらわなければ困るという気持ちを強く抱いております。
  71. 高橋繁

    高橋(繁)委員 それと、やはり先生方がりっぱな教育をできるということが一番いいと思うのです。そこで、現場の先生方の声をどのようにお聞きになって、今後、人材確保あるいは技術水準向上のためになされようとしていくお考えか。現場の先生方の声といいますか、要望といいますか、期待といいますか、そういうものをどう受けとめていきますか。
  72. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 現場の先生たちのお考えはいろいろなルートを通じて文部省に上がってくるわけでございますし、また文部省考え方も現場の先生方にいろいろなルートを通じて、通じていっているわけでございます。いずれにいたしましても、教育の基本は現実に教育に携わっていただいております先生方でございますので、先生方と文部省がほんとうに手を握り合って教育の道に邁進していきたいものだ、そういう体制を一そう充実させていきたい、そういう方向はどうやればできるものだろうかということが、私が一番苦慮している点でございます。
  73. 高橋繁

    高橋(繁)委員 現場の先生方の声が文部省に上がってくる——一番期待されるものは一体何てしょう、現場の先生方の声の中で。
  74. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 これは行政の仕組みがございますから、その仕組みを通じまして、文部省、府県め教育委員会、市町村の教育委員会、それぞれの学校先生方、これが一つの道筋になっているわけでございますので、この道筋が一番そういう考え方を通じ合うパイプだろう、こう思っておるわけでございます。
  75. 高橋繁

    高橋(繁)委員 どういう声が上がってきておりますかと聞いているのです。道筋ではなくて、道筋を通して現場の先生方の声がどう反映されてきておりますかということです。
  76. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 いい声もあれば悪い声もあり、いろいろございます。これではもうたいへんだ、日本の将来が心配だと嘆かれる先生、きのうもそういう手紙を現場の先生から私いただきましたし、また、こうやっていろいろな研究をしているのですよという研究の成果を届けていただいたり、あるいは自分はこうやって指導している、これがこういう児童の作文になってあらわれておりますということで、作文集を届けていただいた先生もございます。いろいろでございますが、総じて私は安心はしていないわけでございまして、たいへん心配をいたしております。
  77. 高橋繁

    高橋(繁)委員 いいことも悪いことも伝わってくるとおっしゃるのですが、そんなことじゃなくて、りっぱな一国の文部大臣として、現場の先生方が何を一番期待しているかということは、やはりつかんでおくべきじゃないですか。それに対して、そうした条件整備をどうしていくかということが出てこなくちゃうそだと私は思うのです。ですから、それを聞いているのですよ。ただ、いいことも悪いことも、手紙がくるということじゃなくて、私たちが聞いていると、どうも文部大臣は思いつきのような答弁をしているみたいですけれども……。
  78. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 高橋さんが現場の声の何を中心にお尋ねになっておるのか、私はわからぬままに答えているものですから、あるいはすれ違いがあるのではないかと思うのであります。現場の声の場合にも、教育内容の問題もございましょう。あるいはまた先生の職場環境の問題もございましょう。あるいは教育施設の問題もございましょう。あるいは先生方と父兄の関係もございましょう。いろんな問題がございますので、ちょっとわかりかねるままお答えをいたしておりますので、お気に召さないようなお答えになったかもしれません。それはおわびを申し上げます。具体的に指摘しておっしゃっていただきますならば、私は率直にお答えしていきたいと思います。
  79. 高橋繁

    高橋(繁)委員 いまになってそういうものがはっきりしてないということは、私は非常にまずいと思うのですよ。これはこの前の委員会のどきも出ましたが、いま現場の先生方が一番期待し望んでいる問題は、定数の問題ですよ。これが解決すれば、極端な言い方をすればあの一〇%は要らない。ほんとうに安心して研修ができ、あるいは子供に対する愛情もわき、あるいはきめこまかいところまでめんどうが見れるというためには、どうしても定数をふやしてもらいたいという声が圧倒的に多いと私は思うのです。その問題を解決せずして、そういう文部大臣の突発的な考えで、と言ったらあれがあるかもしれませんけれども、私が言っているような問題が確かに期待をされ要望しておる問題ですが、それについて文部大臣のお考えを……。
  80. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 先生方の定数は、一定の計画に従いましてずっとふやしてきているわけでございます。いまの五カ年計画は、四十八年度で一応終わるわけでございまして、四十九年度からどういう計画を持つかということは、また別の問題だと思います。  学級編制基準のことをおっしゃっているとしますと、三十五年七月でしたでしょうか、編制基準がたしか一学級六十人であったのがいまは四十五人、これが最高でございますけれども、四十八年では四十五人をこえる学級はまずないということになるわけでございます。それだけ先生の人数もふやしてきているわけでございます。今後もなおふやしていきたい、こう思っております。
  81. 高橋繁

    高橋(繁)委員 私が言いたいことは、現場の先生方の声、あるいはこれは現実に社会全体がそうでありますが、先生方の中にも病人が非常に多くなってきております。それに対して補欠もできない。あるいは従来よりノイローゼの病気も多くなってきておるようです。あるいは働き盛りの四十代、五十代でなくなっていく先生方も多くなってきておる。あるいは雑務、そういったいろんな関係もありますので、どうか日本全国の現場の先生方が一体何を期待しているかということを大臣理解した上で、今後の文教政策先生方の環境整備というような点については考えていただきたいと思うのです。どうもまだそういうものが吸い上げられていないし、理解されていないと私は理解をいたします。  次に移りまして、何といっても文教の問題で大事なことば、やはり人間の命を大事にするということであると思うのです。最近、また委員会でも問題になりました子供の自殺であるとか、あるいは親の子供への愛情の欠如から、いろんなそうした生命軽視の問題が出てきております。この問題の中で二、三基本になるべき点を、若干こまかくなるかもしれませんがお聞きをいたしたいと思うのです。  まず第一に、学校給食の問題で、これもしばしば問題にされていることであろうと思うのですが、いま中学校給食がたいへんおくれておる。なかなか進まない。   〔西岡香貝長代理退席、委員長着席〕  その理由はもうおわかりのように、市町村の財政的な問題、あるいは先生方がたいへんさっきの問題、定数が少ない、雑務に追われて過重になる、そういう点でなかなか踏み切れないという問題があると思うのです。そういう具体的な中学校給食が進まない理由がはっきりわかっているのに対して、今年の所信の中にもありますが、どのようにさらに具体的にこの中学校給食の問題についてお考えを持っておりますか。
  82. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 御指摘のように中学校給食関係は、小学校がほとんど一〇〇%に近い完全実施になっておりますのに比べまして、五〇%余りではなかったかと思います。一そう充実していかなければならない、こう思います。そういう意味で、施設の面についての補助金の交付、これは従来どおりなお一そう推し進めてまいりますし、あるいはまた栄養士の定員をふやしまして、そういう面の人の充実も期してまいってきておりますし、また必要な経費の増額、そういう面についても配慮してまいってきておるわけでございまして、今後とも一そうお話趣旨の実りますように努力をしていきたいと思います。
  83. 高橋繁

    高橋(繁)委員 具体的には先生方のそうした過重を少なくしていくという面で、いろいろな一長一短があると思うのですが、地方自治体でいわゆる給食をまとめてやる給食センター、こういう施設を設立していく方向にある。ところが今回のこの所信の中で、給食の研究指定校をやっていくという場合に、単独で設置をしてある給食校が対象になっているようであります。そうしますと、一体文部省としては、そうした給食の今後の方向で、いわゆる給食センター的なものを考えているのか、あるいは単独で各学校に施設をされた給食校を推奨をしていくのか、その辺のお考えをお聞きをいたしたい。
  84. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 共同調理場もかなり普及してきていると思うのですが、現実にそういうことのできないところまで無理をしいるべきではないと思います。ただ御指摘になりました給食についての研究指定校十校予定しているその中には、米飯を使う場合の研究、そういう指定校もつくりたいということを考えているわけでございまして、あと細部の点につきましては政府委員から御答弁申し上げます。
  85. 澁谷敬三

    ○澁谷政府委員 研究指定校十校設けましたが、これは一応予算の積算上は単独校ということになっておりますが、実施上はやはり共同調理場も考えるべきではないか、そういうふうに思っております。  なお、共同調理場と単独校は、それぞれ長所、短所がございまして、共同調理場の場合でございますと、非常に一括して多量の物資を購入し、また人の面その他いろいろ合理的にできますが、学校の現場でないために、やはり子供とのつながりといいますか、そういう面の難点もございますので、文部省といたしましては単独校でやってほしい、あるいは共同調理場でやってほしい、そういう問題はそれぞれ市町村の実情におまかせをしているところでございます。
  86. 高橋繁

    高橋(繁)委員 それから給食物資につきまして、いままで、大体地方自治体でもそうですが、業者サイドの物資ですか、これがたいへん入ってきておる。やはり私は給食教育であるということから考えますと、最近消費者団体あるいは消費者センター等で食品の添加物等の問題を指摘をしておる。そういうことで、やはり給食教育であるという点からいくと、教育サイドに立った給食物資というものを私は考えていかなくちゃならないと思うのです。それが人命尊重の一つにもなりますし、教育の一環でもあると思うのです。そういう点、地方でもいまこういう問題で非常に悩んでおる。この点についてのお考えを伺いたい。
  87. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 おっしゃっていること、まことにごもっともなことでございます。そういうことのないように注意をしていかなければならない、こう考えているわけでございます。  文部省がいままで指導してまいりましたところを申し上げさせていただきますと、食品添加物についての御注意がございましたが、物資の購入にあたってはできるだけ良質なものを選択し、特に有害なもの、またはその疑いのあるものは避けるように留意しなさい。同時に、不必要な食品添加物が添加された食品、内容表示、製造業者等が明らかでない食品等については使用しないようにしなさいということを、文書で指導いたしているわけでございます。  さらにまた良質な給食用物資の選定や衛生管理については、関係保健所等の協力、助言、援助を求めるということも文書で指導いたしているわけでございます。  なお、食品の規格基準及び衛生検査に関する行政は、厚生省で行なわれているわけでございます。けれども、学校給食における食品の品質管理は重要視すべき問題でございますので、文部省としては昭和四十四年度から簡単な食品検査ができる栄養指導センターの設置を奨励する補助を行なっております。昭和四十六年度からは食品検査機能を持つ都道府県学校給食総合センターの設置についても補助を行なっております。さらに物資購入担当者を対象とする食品検査実技講習会を昭和四十四年度以降毎年開催いたしまして、関係者の技術の向上の注意の喚起を行なっているわけでございます。
  88. 高橋繁

    高橋(繁)委員 それでは次に進みまして、学童の身体検査の問題で、児童生徒の保健状況につきましては時代とともに非常に変わってきていることは御承知のとおりです。保健体育審議会から答申も出されております。いままで学童の身体検査の内容については明治以来ほとんど変わってない。ところが社会情勢の変化あるいは時代とともに子供の病気というものも変わってきております。しかしながら、人命を尊重しなければならないということが叫ばれておるにもかかわらず、いわゆる明治初年の学制発布以来この身体検査の内容、多少はツベルクリン反応検査というように変わってはまいりましたが、現状は、特に僻地の小学校等については、内科の先生が耳鼻から咽喉から眼科まで全部やる、こういう程度で、しかも、やり方についても何ら進歩もないし、形式だけの身体検査に終わってきておる。これでは私はいけないと思う。保健体育審議会の答申も私は必ずしも満足ではない、こう考えておるわけでありますが、そのことから考えて、将来の日本を背負って立つ、先ほどおっしゃったりっぱな日本人をつくるためにも、知育、徳育、体育、とおっしゃっておりましたが、その体育の向上のためにも、この学童の身体検査のあり方について、抜本的に早急に検討すべきじゃないか。所信の中にも項目及び方法の改善を行ないとありますが、もう少し具体的にそうした学童、生徒の身体検査のあり方について基本的な考えをひとつお聞きいたしたいと思います。
  89. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 児童生徒の健康診断の項目は、学校保健法に基づきまして、同法施行規則で定められているわけでございます。いまも御指摘になりましたように、近年におきます児童生徒を取り巻く環境の変化に伴いまして、児童生徒の疾病等の傾向についても変化してきておりますので、その改善等について、保健体育審議会に諮問し、昨年十二月に同審議会から児童生徒等の健康の保持増進に関する施策についての答申を受けました。文部省といたしましても、この答申の趣旨に基づきまして、近く学校保健法施行規則の改正を行ないまして、一つにはじん臓の疾患に関し尿の検査を行なうこととする、二つには心臓の疾患に関し胸部エックス線間接撮影を行なうこととする等、児童生徒らの健康診断の検査項目を適切なものに改善をいたします。一年間の準備期間を置きまして、四十九年度から実施していきたいと考えているわけでございます。  専門医を学校医として委嘱する必要性もお述べいただいたわけでございますが、文部省といたしましても同様に考えております。地方交付税法には市町村における所要経費の積算をいたしまして、学校関係の経費でございますれば、生徒一人当たりとか、学校当たりとかいうことで、単位当たりの金額を示しているわけでございます。その単位当たりの金額を示すもとになります所要経費の算定、幾ら金がかかるか、その中には一般学校医のほかに、歯科医、眼科医、耳鼻咽喉科医に対する報酬も積算しておるわけでございます。専門医が置かれるというたてまえで地方交付税法の基準財政需要額が算定されることになっておるわけでございます。したがいまして、これを基礎にして、もっと一般に専門医が置かれるように、文部省としても一そうの協力を求めていきたい、こういう考え方でおるわけでございます。
  90. 高橋繁

    高橋(繁)委員 四十九年度から尿の検査をやる、これはたいへんけっこうなことであると思います。私はさらに、最近心臓疾患、特に心電図の検査も将来は加えるべきである、このように考えるわけであります。そういう意味において、この点は要望として申し上げておきますので、ひとつ学童の身体検査のあり方というものについてもっと斬新的な、時代にマッチしたあり方というものをどうかひとつ積極的に実施をしていただきたい、このように思います。  それから特殊教育の問題で、各小学校に併設されておる特殊学級の学級編制の定数は十三人でありますが、これはやはり特殊学校と同じように八名にしていかないと、非常に現場で困っているようであります。その特殊学級の学級編制を十三人から八名、特殊学校と同じような編制にするお考えはありませんか。
  91. 岩間英太郎

    ○岩間政府委員 仰せのように、私どもも学級編制につきましてはこれを引き下げていくように努力をしていきたいと考えております。しかし、先ほど大臣から申し上げましたように、学級編制及び定数の問題は、これは年次計画をもって順次充実していくという方法でやってきておりますので、この次の機会にはさらに御趣旨のような点を十分考えながら、学級編制につきましては配慮したいと思っております。
  92. 高橋繁

    高橋(繁)委員 最後に国連大学につきまして、これは最初、冒頭に質問がありました。しかし、大臣のこの前の答弁でありますと、筑波へ研究学園都市を持っていくのだということは意思表示をした、このようにおっしゃっておりましたが、あの国連大学の設立準備調査会ですか、本年五月に回答をしなければならない。こういうような段階に来ていると私は理解をいたしますが、そうしますと、いま三月です。文部省としても、国連大学あるいはその本部というものを早急にどこに設置をするかということは、もう検討の段階なり決定する段階にきておると私は思う。ところが全国十六カ所ですか、あるいは個人でやっておるのもあります。陳情あるいは意見書等が非常に出されていると思うのですが、これはこのままほうっておくということは、全国十六カ所の都道府県でたいへん設置を要望するために、だんだん戦いというものがエスカレートしてくるんじゃないか、こう思うわけです。早く場所をきめてあげていくことが、私は大事な問題であると思うのです。したがって、本年の五月に国連本部に回答をしなければならない、こう理解しておりますと、おそくとも今月一ぱいあるいは四月一ぱいくらいには決定をしなければいけない、こう思うのですが、大臣のこの前おっしゃった国連の本部ですか、あるいは大学、候補地がきまっておればその候補地をあげていただきたいし、どういう考えでありますか、それをお聞きいたしたいと思います。
  93. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 お話のように、文部省は国連大学につきましての準備調査会を発足させております。これでいろいろな考え方を取りまとめてもらいまして、そして国連のほうに参考として意見を送ってあげたい、こんな気持ちを持っておるわけでございます。四月には国連のほうから日本に調査団が参ります。同時に、二十カ国から委員を出しまして、国連大学の憲章草案をいま作成中でございまして、九月にはまとまることになっておるわけでございます。その二十カ国の委員の中には、日本側からも委員を送っておるわけでございます。これがどういうような具体的な内容を持ってまいりますか、それらの進行とにらみ合わせながら、おっしゃっておりますように、早く具体的な場所をきめて積極的に働きかける必要があろう、こう思っております。  ただ、十六カ所から申し出をいただいておりますが、国連大学とあわせまして筑波学園都市のような、ああいう文化センターを、日本の国土全域にわたって均衡のとれる発展が営まれるようにしなければいけないという考え方のもとに、全国何カ所かにああいうものをつくりたいという考え方を持っておるわけでございまして、そういうセンターの中心にやはり国立大学がなってくるわけでございますので、申し出ていただいております十六カ所は、そういう意味におきましても非常に有力な候補地になっていくのじゃないだろうか、こう考えておるわけでございまして、全体的に私たち積極的に調査に当たらしていただきたい、こういう考え方をいたしております。
  94. 高橋繁

    高橋(繁)委員 四月ですか、その調査団が来るのは。そうしますと、そのときまでに大体の目安、日本におけるこういう場所がありますよと、十六カ所じゃなくて、二つか三つ限定をしてきめておくべきじゃないかと思いますが、その点の心配はないのですか。
  95. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 ある程度の腹案は、いままで申し上げましたようなものの進展とあわせながらつくっていくようにしなければならないと思います。
  96. 高橋繁

    高橋(繁)委員 候補地についての結論はいつごろお出しになりますか。
  97. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 基本的には、二十カ国から委員を出しておりますところで国連大学の憲章草案をまとめるわけでございますので、それが具体化した段階でありませんと、それに適応する候補地を決定できない、こういうことになるんじゃないかと思います。したがいまして、その憲章草案の具体化と並行してきめていくというふうに御理解をいただきたいものだと思います。
  98. 高橋繁

    高橋(繁)委員 以上で終わりますが、途中で、理解できない問題もありますので、また次回に御質問してまいりたいと思います。終わります。
  99. 田中正巳

    田中委員長 有島重武君から関連質疑の申し出があります。持ち時間の範囲内でこれを許します。
  100. 有島重武

    有島委員 いま高橋委員から所信表明について質問ございまして、私それに関連いたしまして、何といっても教育のかなめは教職員の問題であろうかと思います。そして、いまのお話を聞いておりますと、優秀な教職員をつくりたい、また現場からの声を十分に聞いていきたい、そのためのルートを持っておる、そういうようなお話がございましたけれども、きょう一点だけ、沖繩大学現状について、これは沖繩の復帰に伴いまして、私立沖繩大学とそれから私立国際大学、これは合同するということになっておりましたけれども、実際の現場のほうからは必ずしも合同することを喜んでおらない。しかも、沖繩大学は単独でもってやっていきたいというような強い要望があったようでございます。この点について、沖繩大学現状を報告していただきたいと思うのです。
  101. 木田宏

    ○木田政府委員 すでに御存じのことと思いますけれども、復帰前におきましては沖繩大学、国際大学、それに短大が四校ございまして、復帰時点におきまして、沖繩、国際両大学の復帰後の取り扱いにつきまして、当時の琉球政府側と合意で第二次沖繩復帰対策要綱を決定いたしまして、両大学が統合した上で学校教育法大学としてその統合大学を受け入れるということに方針がきまったものでございます。  沖繩復帰に伴います文部省関係法令の適用の特別措置が定まりまして、それによります政令によって、統合によって新設されました沖繩国際大学学校教育法による大学になるものとなりました。沖繩、国際それぞれの大学におきましては、この統合大学に移転を希望しない学生がなお残るというような状態になりまして、実質的には国際大学のほうにはそういう学生等はほとんどいなかったわけでございますが、沖繩大学につきましては、新大学へ移籍しない学生が相当数出てまいりましたので、復帰直前の時点におきまして、学生が在籍している間に限り大学とみなすという経過措置を講じてまいったものでございます。復帰後今日に至っておるわけでございますが、沖繩大学はその意味におきまして、経過的に大学とみなされておるものでございまして、政令におきましても、正規の大学としての新たな学生募集等の行なうことのないようにという訓示規定も入っておるわけでございます。しかし、沖繩大学におきましては、その当時、この統合に関係をした人の一部が、関係をされた方々の中でなお統合しないで残るんだということで、従来ありました学部の中の一部を縮小した形で学生を募集する、また教育活動を続けるというような状態が続いて今日にきておるわけでございます。  私どもは、将来どうするかということは今後の課題として今日の時点で考えさせていただくにいたしましても、復帰時点の取り扱いにつきましては、法律、政令にきめられたとおりに扱うほかはございません。よって、四十八年度にまた新たに学生を募集するというようなことは、これは大学の学生として受け入れることにもなりませんし、それらがまた卒業まで勉強できるということにもなりません。事実上のものでしかないということになりますから、募集その他のことはおやめいただくようにということを再三御注意も申し上げてまいったのでございますが、なお事実上そういうことを続けるという強い御希望があるようでございまして、たいへん遺憾なことでございますけれども、法令の規定にも故意に違反した学生募集等のことが行なわれておるわけでございます。今日まで、大学当局からは聞くよしもないのでございますが、二回学生募集が行なわれて、約二百人が受験をしたという事実を承知をいたしております。
  102. 有島重武

    有島委員 大臣、お聞きのとおりの事件が起こっているわけでございます。先ほど教育者というものはまず魂の触れ合いが大切だ、使命感がほしい、あるいは教育技術が優秀であるということが望ましいというようなことを言われましたけれども、私はお目にかかった限りは、この方々、ある使命感に燃えていらっしゃるわけです。行政上の扱いからまいりますと、確かに一度きまったことを施行しないということになっておりますけれども、こうした問題をただ一片の行政上の処置としてだけ片づけてよいものかどうか。この問題はやはり日本の教育の将来、それから沖繩の復帰という歴史の上で沖繩に対するわれわれの理解のしかたというものが、先ほどから国際理解ということがございましたね、外国人に対しても理解が少ないということがありますけれども、沖繩の方々の思っておられることと、こちらがそれを理解して、じゃこう処置しようといったことの間に多少のそごが残っているということば、これは行政上の措置を越えた一つの政治的配慮としてお考えにならなくちゃいけない問題じゃないかと私は思います。  それで、沖繩大学の入学希望者は二百名あるんですね。現実にもうこれはそこでもって勉強したいという希望者が入学してしまったわけです。そこで、文部大臣としてこの問題、単に通知だけでもってこれをお済ましになってしまうかどうか、もう少し何か配慮をなさるかどうか、その点お答えいただきたい。
  103. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 私立の沖繩大学と国際大学、二つございましたのが、琉球政府も入り、この二大学も加わって、将来の沖繩のためにどうあるべきかということから、結論として、やはり不十分な学校二つあるよりも統合したほうが好ましいんだという結論を出されたわけであります。その結論に従いまして、四十七年度にも沖繩国際大学、統合される大学でございますけれども、これに五億円の助成を国会にお願いを申し上げました。四十八年の国の予算におきましても、五億円の助成をお願いしているところでございます。あくまでも沖繩国際大学は統合して充実した大学をつくっていくのだと努力されておるわけでございます。かつての沖繩大学先生方も、相当数は沖繩国際大学で、統合大学充実努力をしておられるわけであります。一部が反対して、やはり残していくんだと言っているわけでございます。内紛が続いておりまして、やはり沖繩大学で教べんをとっておられた方々も、半数以上の方が統合された沖繩国際大学、やはり統合の実を貫くべきだということで努力をされておりますし、また国会に対しまして、いま政府からさらに五億円の助成をさせてくださいとお願いしているわけです。統合の充実のお願いをしているわけです。その際に、内紛が起こっておりまして、いや続けていくのだ、学生を募集していくのだ、こういう態度をとっておられるところに対しまして、私が何か考えましょうというような態度をとれるものじゃないじゃないか、国会に対してとれるものじゃないじゃないですか、こんな感じを持っておるわけでございまして、いま大学局長から申し上げましたようなことで、沖繩大学にお願いをしている最中でございます。
  104. 有島重武

    有島委員 確かに統合してやっていくのが一番能率がよかろう、そういったことはだれしも考えることでございます。それからその中に立ってそのあっせんをなさった方も、非常に人望のある先生でいらっしゃったわけでございます。だからといってそれをうのみにしてしまうと、これはいつでもそういった問題は起こると思うのですけれども、大部分の方がこうだから文部省はこうだと言っておりますけれども、ほんとうの大部分がどうだということを現場の声をほんとうにお聞きになっていない面があって、結局は文部省の都合のいいような方向にどんどんゴリ押しをしてしまうというような印象を国民に与えてしまうということは、非常に残念であろうと思うのです。  それで、沖繩大学へ認可申請を示唆しているというような事実は全然ございませんか。それから特例措置として、本年十二月を待たないで沖繩大学が認可意思があれば直ちにこれを審議するというようなことを考えられますか。
  105. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 いまの沖繩大学も、また国際大学も本土の大学設置基準に照らして考えてみますと、基準に満たないわけであります。満たないわけでありますから、どうおっしゃろうとこのままで将来とも本土の大学として認めていくのです、学校教育法大学として認めていくのですということは、私はできないと思います。したがって、沖繩の将来を考えたら、四年制の私立の大学としては充実した大学が必要だ。そのためには統合という結論が出ているわけでございます。出ているわけでございますが、また皆さんが努力されて大学の設置基準に合うような大学をつくる、そして認可申請をされる。基準に合っているものまで、いやもう一つあるから二つは認めないのだという必要はないだろう、私たちはこう思っているわけでございます。それにいたしましても、これは四十九年度からのことでなければできないのじゃないか、こう思っておるわけでございます。そういうたてまえで、いまの沖繩大学につきまして政令を改正して認めるとか、いろいろな話がございますけれども、それは不可能な話だろう、こう思っておるわけでございます。
  106. 有島重武

    有島委員 この沖繩大学の存続につきましては、県民の非常に大多数の意思というものが背景にあろうかと思うのです。それからやはり本土の文化人や学者なんかの支持もあるわけであります。それは文部省のほうから見ると片寄った人だということになるかどうか知りませんけれども、とにかく沖繩の復帰に伴ってやったことは、かなりこちらは時間をかけてやったつもりなんで、一生懸命配慮したが、これ以上配慮できないぐらい一生懸命やったけれども、その間に、いざとなってみると沖繩の方々もこんなはずじゃなかったと思われるようなこともありますでしょうし、ほんとうに教育熱心な方々で、やっぱり一つ教育の伝統を残していきたい、そういった意思もあろうかと思うのですね。ですからもう一度だけ現場の声を大臣じきじきに聞くチャンスを与えてあげていただくように私は要望したい。いかがでしょうか。
  107. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 いつでもお話は承りたいと思います。同時にまた、大学の設置基準に合致した大学について申請が出てまいりました場合には、当然それを適正に審査して、認可すべきものは認可したらよろしい、こういう性格のものだろう、こう思っております。
  108. 有島重武

    有島委員 どうもありがとうございました。終わります。
  109. 田中正巳

    田中委員長 次に、山中吾郎君。
  110. 山中吾郎

    山中(吾)委員 時間がないようでありますが、大臣所信表明について、これからの奥野文教行政の基本的姿勢をお聞きしないと、具体的審議あるいは各論的な質問が十分に行なわれないのじゃないかと思いますので、率直にお聞きしたいと思います。  その前に、坂田文部大臣あと高見文部大臣、稲葉文部大臣、今度は奥野文部大臣ですが、通常国会を一回経験するとみな交代をする。教育は百年の大計といって、未来に連続性を持った責任のある一番大事な行政だと思うのですが、これではどうにもならないてすね。かつて——かつてとは言わないが、何か幾つかの放言をして、あと始末はないままに、まず国会の文教委員を惑わしめて去るというのが私の実感です。奥野文部大臣あとどのぐらいやるつもりですか。
  111. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 文教の責任者がたびたび更迭することは望ましいことではない、私もそう思っております。しかし、この文教委員会に出席をいたしておりまして、文教委員会にベテランがそろっておられるので、たいへん心強いなという気持ちもあるのであります。文教行政文部大臣だけが進めているわけじゃない。もっと大きな役割りを文教委員会に果たしていただいているわけでございますので、今後ともそういう意味で力になっていただきたいことだと念願をいたしております。
  112. 山中吾郎

    山中(吾)委員 変なことをお答えになったが、あなたは行政府の責任者です。私は立法府なんですよ。文部大臣、行政府は幾らかわってもいいが、立法府にエキスパートがおる、そんな非論理的なことはないでしょう。もう一ぺん答弁しなおしなさい。
  113. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 文部大臣がたびたびかわってもよろしいと申し上げたわけではございません。たいへん心強い感じを私はこの委員会感じさせていただいておるものですから、率直に申し上げたわけでございまして、そこまで言うべきでないとおっしゃればそのとおりかもしれません。
  114. 山中吾郎

    山中(吾)委員 おせじを言ったつもりだと思いますが、少しお門違いだ。行政の連続性、法案にしても何にしても、皆さんから原案を出される立場ですから、少なくともただ国会一回ごとに文部大臣がかわるということは悪弊だと思う。それだから教育行政教育基本法十条との関係からいろいろの不信感が出たりするのであって、奥野文部大臣も元文部大臣の閲歴だけつくってそれでいいのだというような無責任な考えでなしに、ひとつ文部大臣の職責を果たしていただきたい。  そういうことを考え文部大臣所信を一べつさしていただきました。歴代の文部大臣所信、大体五十歩百歩でありますけれども、今度の文部大臣趣旨は一番方向がわからない。最も抽象的であるという感じがするのです。それで私は、いまの文部大臣方向性というものを明確にしなければならぬ一番大事なときであると痛感をしておるのであって、その立場からいうと、あまりに方向のない最も抽象的な作文である。おそらく文教委員も、これから審議に入るのについてはとまどっておるのじゃないかと思うのであります。  きょう、私は朝こちらに来るときに毎日新聞しか見なかったのですが、文部大臣一つの識見を持って対処しなければならぬ問題がきょうの一日の記事の中に出ておる。一つは、これはわからぬですが、文部大臣の私的諮問機関である高等教育懇談会から答申、私的答申というんですか、そういうものが出ておる。大学の地方分散、これについてもやはり文部大臣大学はいかにあるべきかというような基本的な考えを持って対処しなければならぬ大きな問題だと思うのです。それから、社説を見ますと、「理念不明の教員人材確保法案」という見出しで、今度提案をしたんですか、されるんですか、毎日新聞の社説に出ておる。このことは、文部大臣は、教員給与に関する確固たる理念を発表していないのか、持っておられないのか。その点について、新聞のほうで一つの不信を責任のある社説として出しておられる。したがって、現在の文部大臣が教員の給与改善を行なうについては、教師に対する考え方教育観というものは確固たるものをお持ちにならなければ、おそらく努力した結果、教育界を混乱させるだけになるのではないか。これもきょうの新聞にある。そして、読者欄を見ますと、学制百年を迎えて原点に戻って教育委員の準公選制をしくべきだという「読者の広場」に声が大きく載っておる。これについても、憲法教育基本法についての確固たる文部大臣の識見がここで要求されておると思うのです。そういうことを考えるものですから、自治行政の中で長い経験をお持ちになり、地方の行政の中に文教行政もあり、間接的にはタッチをされておられる奥野文部大臣でありますが、何かそういう識見をお出しになる所信表明をされるべきときであったのではないかというふうに考えて、まことに遺憾だと思うのです。  そこで、二、三お聞きいたしたいのですが、まず第一に、識見というのが見られないことについて、この機会に発表されていただけばいいと思うのだが、「学制百年の歴史を通じて」という、ことし学制百年記念という、日本の教育史における一つの区切りをつけるというときであるので、そういう場合に、過去に対する反省が含まれて未来に対する教育行政への方針を出されるとすれば、私は現代に就任した文部大臣所信として非常にふさわしいと思うのですが、「学制百年の歴史を通じてめざましい発展」というだけで、ずっと連続しておるだけの学制百年間なのですか。   〔委員長退席西岡委員長代理着席〕 その中に大東亜戦争という日本民族のかつてない経験があり、戦前の教育に対する反省と戦後の教育に対する新しい出発点があったはずでありますが、学制百年ということばを使っておるこの時点に対して、文部大臣の学制百年観というんですか、それは、このことばを使った限りぜひお出し願っておく必要がある、どういうお考えですか。   〔西岡委員長代理退席、委員長着席〕
  115. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 明治五年の学制発布からちょうど百年を経過したわけでございます。これからまた新しい百年を目ざして進んでいかなければならない、そういう意味で、原点に立ち返って将来を展望しながら教育と取り組んでいかなければならない非常に重要な時期を迎えておるという気持ちを持っておるわけでございますので、いまいろいろ毎日新聞の記事をお取り上げいただきましたけれども、そういう意味では国民の中にも教育についての関心が非常に高まってきているよい時期だ、こういうふうにも思うわけでございまして、そういうよい時期に差しかかって、いままで量的な発展を遂げてきたが、さらに質的な充実を心がけていかなければならない、そういう意味でいろいろな問題を取り上げておりますために、御指摘のようなことにもなっているのではなかろうか、かように考えているわけでございます。
  116. 山中吾郎

    山中(吾)委員 それは私の質問を理解されておらないので、学制百年、明治五年に新しく学制をしいて、そしてずっと百年たってきた。そういう時点において、さらに将来の教育行政はこうあらねばならぬという所信なんです。最初に、「学制百年」と書いてあるわけです。あの太平洋戦争の敗北を迎えて、それ以前の日本の教育のあり方に対して、戦後教育のあり方がこうなっておる、そこに学制百年の意味づけをしない限りは、現在の憲法教育基本法のもとにおける文部大臣の資格がないと思うのです。何の御認識もないようですが、そうですか。
  117. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 いろいろな批判があってしかるべきでございますし、私も戦争中の日本の教育は超国家主義的な教育が行なわれてきた、こう考えておりますし、戦後の教育は、その反省に立って民主教育充実ということに非常に努力が傾けられたと思います。それなりにそれじゃ全部うまくいっていたかと申しますと、やはり一面的には、社会に目を向ける姿が十分でなかったということも言えないことはないと思います。これからの世界を考えてみました場合には、国際社会に生きていくには、国際社会で手をつなぎ合って人類の福祉の向上を目ざしていく日本人になっていかなければならない、またそういう日本人にふさわしいような教育が行なわれていかなければならない、こう考えております。
  118. 山中吾郎

    山中(吾)委員 何と質問すればいいのか。——現在の日本の教育行政の原理は、戦前の原理とどう違うのですか。
  119. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 教育基本法に示されている考え方を基本に踏まえて行なっていくべきだと、こう思っております。私は戦前は超国家主義的な教育と申し上げましたし、また教育勅語というものが一つの柱にもなっておったと思います。戦後教育勅語が廃されまして、それにかわるものというとことばが適当でないかもしれませんが、教育基本法が生まれてきた経過も持っておることを承知しておるわけでございます。
  120. 山中吾郎

    山中(吾)委員 非常に認識不足だと私は思うのです。戦前の旧憲法教育勅語体制の中に日本の教育行政が行なわれてきた。それはいろいろ批判があるが、あの超国家主義、軍国主義という思想と旧憲法教育勅語が合体をして、そしてあの戦争に追いやった一つの責任はわれわれ全部が持つべきであり、そしてそれに対する反省として、現代の憲法教育基本法体制ができた。教育勅語に対して、戦後の日本の教育綱領として、これは民主国家として国民の代表である国会の承認を得たという意味で法を使っておるのであって、教育勅語に対しては、いわゆる勅語、勅令に基づいた教育勅語という表現に対して、国会の承認を得た教育基本綱領と言っていいと思うのです。これをあなたお読みになりましたか。まあ教育勅語みたいな教育基本法に基づいてというような言い方をされておりますけれども、文部大臣に就任したら、その日に教育基本法は読んで国会に臨むべきだと思いますが、お読みになりましたか。
  121. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 山中さんほど深い学識は持っておりませんけれども……。
  122. 山中吾郎

    山中(吾)委員 私はそういうことを聞いておるのじゃなくて——あなたよく変なところにおせじを言われても困るので、教育基本法をお読みになったかと聞いておるのです。
  123. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 読みました。
  124. 山中吾郎

    山中(吾)委員 そこで、それならお聞きしたいのですが、この所信の中に憲法教育基本法との関係が少しも触れておらないので、そしてその書いておる文章の文脈をずっと見ますと、憲法教育基本法と日本の教育行政についての理解とか、関連とか、一つ感じないのですから私はいまお聞きしているわけなんです。これをお聞きしないと——通常国会ごとに文部大臣はかわる。個人的見解だけを述べて、そして現在の憲法教育基本法体制に基づいてあらゆる行政その他を進めていかなきゃならぬはずのものが、いつでもあいまいになって、憲法不在、教育基本法不在の教育行政をされることにいままでなっておるものですから、お聞きしておる。間違いなくお読みになりましたか。——読んでいなけりゃ読んでください。やはり読んでもらいたいと思うのです。きょうお答えになれなければ、なお研究して、ほんとうに読んでから他日お聞きしてけっこうで、無理をしてうそを言わないでいただきたいと思うのです。現在の憲法を——文部大臣として教育政策の立場あるいは国民形成の立場における憲法観、憲法に対する考え方文部大臣教育政策の立場における現在の憲法観をお聞きいたしたい。憲法と現在の日本の教育教育行政との関係ですね、どういう関係にありますか。
  125. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 おっしゃっていることを十分には理解していないわけでございますけれども、憲法は国の政治の大本を定めておるわけでございますし、教育基本法は今後の日本の教育のあるべき基本の姿を示しているものだ、こういうふうに理解をいたしているわけでございます。
  126. 山中吾郎

    山中(吾)委員 あなたやっぱり教育基本法をお読みになっておられないようなので、教育基本法の前文をお読みになりましたか。読んでおられないでしょう。それを読んでお答えください、憲法教育との関係を。
  127. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 いま申し上げたように理解しておるわけでございます。
  128. 山中吾郎

    山中(吾)委員 何だか、何を申されているのか聞こえなかったのですが、前文に、「われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。」そして最後に、「ここに、日本国憲法精神に則り、教育の目的を明示して、新しい日本の教育の基本を確立するため、この法律を制定」した。したがって、憲法の基本精神が具体的に日本の国民教育の目標として具体化して、この教育基本法を設定したのである。憲法教育基本法と別々でなくて、国民教育の目的は、憲法の国家理想の上に発展をしておることを明示されておるわけですね。そういう意味において、憲法が日本の国民教育の立場からどういう関係にあり、その内容について、国民形成の原理として憲法をどうお考えになっておるかということをお聞きしたいわけです。無関係のようなふうにお答えになっておるじゃないですか。
  129. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 先ほども申し上げましたように、憲法が国の政治の基本を示しておるわけでございます。それを教育の面につきまして、教育基本法が、基本的な、向かうべき筋道を明示しておるのだ、こう申し上げておるわけでございます。その点、いま前文を読みますと、その関係を前文にうたっておるようでございまして、その気持ちを申し上げたわけでございます。
  130. 山中吾郎

    山中(吾)委員 具体的に憲法の九条に出ておる、日本の絶対平和主義の思想ですね、それから人権、民主主義という憲法の国家理想といいますか、基本的理想、それを国民教育目標として、どういうことばで出ておりますか、その中に。
  131. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 教育基本法の前文に示されておるとおりだと思います。
  132. 山中吾郎

    山中(吾)委員 そこで、第二節に平和と真理を希求する国民形成と書いておるじゃないですか。「われらは、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期する」、憲法の平和主義というのは、絶対平和思想を形成するという国民教育目標を明示して、そして人権と民主主義というものは、憲法の前文において、人類の普遍的原理ということを明示をして、そのことを、いろいろな権力で支配されないように、学問の自由を憲法二十三条に保障しながら、この真理と平和を希求する人間形成ということを明文をもって書いてある。この人間像というものを文部大臣がきっちりと頭に入れて、立法府のこの文教委員会に出頭していただきたいと私は思うのです。前文全体に書いておりますと言ったって、ここに書いておりますというのは答弁にならぬじゃないですか。
  133. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 私は、ここに教育基本法を持ってお答えをしておるわけでございまして、お読みするのも失礼かと思ったものですから、あえて省略して申し上げたわけでございます。  この教育基本法の前文に書いてあることは、憲法を受けて、その思想を教育の面においてはこう実現していくのだ。その基本法だ。だから教育については、これは基本となるべき姿、これが明示されておる、こう心得ておるわけでございますから、そう答えたわけでございます。
  134. 山中吾郎

    山中(吾)委員 そうでなくて、この中にいろいろなことを書いておるじゃないですか、前文に。憲法に書いておる国家の基本的精神にのっとりということも書いておる。それが憲法教育基本法との関係であって、憲法から流れてくる国民教育目標は何かと聞いたら、前文に書いておる、のじゃなくて、やはり真理と平和を希求する人間像を明確にお答え願わないと、そんなことが頭に入らないでこれから指導されると、いわゆる教育課程とか、あるいは指導要領の改定の中に個人的な思いつきとか、あるいは政党的な偏見の中にいままでうしろ向きの人間像が出たりしてきておるから、私は聞いておるのです。もう少し——いま私、直ちに満足するような答弁はお聞きする気はないのですけれども、まじめに読んでいただいて、そしてこれで日本国民教育の目標を進めていくのだ。そしてあらゆる法令の改正その他はこれを逸脱しないという基本的な真理と平和を希求する人間の育成ということを肝に銘じて、教育行政を指導していただきたいと、私は要望しておきたいと思うのであります。  そこで、学制百年は、ただ山もなく谷もなく連続してずらっと書いた感じ所信でありますので、深刻に、憲法と基本法の設定以前というものに断絶があるということを自覚をして教育行政の任に当たっていただきたいということを要望しておくわけであります。  次に、先ほど教育刷新ということばが出て、用語の問題をかれこれ言っておりましたが、用語のことは別にしまして、ここに書いてある教育刷新と中教審の答申との関係はどういうふうにお考えになっておりますか。
  135. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 刷新の問題については、先ほど申し上げたとおりでございます。中教審の答申は日本の教育の直面しておりますいろいろな問題を取り上げていただいた、こう考えておるわけでございまして、そこに取り上げております問題は、できるだけ多くの方々の同意を得て実現するように努力していきたいと思っておりますけれども、そのほかにも問題がないわけじゃございませんので、積極的に各方面の御意見を聞きながら教育充実努力をしていかなければならない、こういう気持ちでおるわけでございます。
  136. 山中吾郎

    山中(吾)委員 大体文部大臣の答弁は、私の質問から少しみなずれるのですが、あなたの所信としての教育刷新と言われておることが、中教審の答申と同じなのか、違うのか、あるいは関連があるけれども少し違うのかということをお聞きしているのです。それは何となれば、文部省が中教審の答申を発表されるときに、この答申は第三の教育改革である、第一回は明治五年に発布した学制、その当時の改革、第二は戦後の改革、戦争直後の六・三制、今度は第三の教育改革だという大看板を掲げて国民に訴えたものなんです。その第三の教育改革と銘打っておる中教審の答申と、あなたがここで言われておる教育刷新と同じなのか、違うのか、中身の話ですよ。
  137. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 私たちも第三の教育改革という意気込みで努力していかなければならないという気持ちは持っておるわけでございますけれども、中教審の答申は答申でございます。忙しい方々にお願いをして御答申をいただいたわけでございますから、これを尊重していくことは当然でございますけれども、別に政府施策として決定したわけじゃございません。したがいまして、今後努力していく過程において、答申が一〇〇%そのまま実現されるという性格のものではないだろう。いろいろな御意見を伺いながら努力をしていかなければならない一つ方向を示されたものである、こう受け取っておるわけでございます。あくまでも政府施策の決定じゃございません。しかし、御答申いただいたわけでございますから、これは十分尊重していかなければならない性格のものだ、こう心得ておるわけでございます。
  138. 山中吾郎

    山中(吾)委員 中教審の答申は、文部大臣が何も拘束をされない、研究によって幾らでも修正もするし発展もさせるということですか。それを明確にお聞きしておきたいと思います。
  139. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 山中さんのような言い方をされるとちょっと中教審に失礼なことになるかというような感じがいたします。中教審の答申は、御努力をいただいたわけでございますからできる限り尊重してまいります、しかし、それに拘束されるものではない、こう考えておるわけでございます。
  140. 山中吾郎

    山中(吾)委員 拘束されるものじゃないということをお聞きしたものですから、われわれ、またもっと自由に論議ができると思うのでお聞きしておきたいと思います。   〔委員長退席、森(喜)委員長代理着席〕  私は、教育刷新とか教育の改革については、少なくとも具体的に一つの構想を練って初めて言えることばであると思うのです。そこで、私なりの一つの構想に立って基本的な考えをちょっと大臣にお聞きしたいのですが、私は教育刷新とか教育の改革ということについては大体四つぐらいの柱を立てて論議すべきだ。一つ教育の機会が現在より拡大されたかどうか。私は拡大されたら改革とか刷新と言えると思う。それから教育の機会の不均等を均等化したかどうか、それがやはり改革だと思うのです。それから第三に教育行政そのものが充実されたか、民主化されたか。第四に教育目標というのが、教育人間像が憲法教育基本法に照らし、あるいは現在の公害発生等に反省をして具体的な国民の要望にこたえる、あるいは日本の未来にこたえるぴったりした人間像が形成されたかどうか。この四つぐらいが教育刷新とか教育の改革を言うときの柱で、そのいずれかに当たらなければ私はこういうことばは使えないと思う。大臣のお答えは、そういう方向も何もお考えにならないで、ただ抽象的にそういう感じをいつも述べておるだけのようでありますが、その第一の教育の機会拡大という点について、中教審の中も、またその外における大臣所信の中に、教育機会の拡大について何か方針があってこういう所信を出しておられるのですか、いかがですか。
  141. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 教育の機会の拡大について、特別にそこで取り上げているわけじゃございませんけれども、その方向努力していくべきことは当然のことだと思っております。教育の機会の拡大の場合には、いろいろな面においてそういう問題があるのじゃないだろうかと思います。いままで心身障害などの方々につきましても、教育の機会を拡大していかなければならない問題もございましょうし、あるいはまた高等教育に進む方々につきましても、経済的な困難で教育の機会に恵まれない方々に対しましても、もっと機会を拡大していくという問題もございましょうし、あるいは施設そのものを充実させていかなければならない問題もございましょう。いろいろあろうかと思います。たくさんあろうと思いますが、ことさらそういう問題で刷新充実という、刷新ということばを掲げたつもりじゃございません。
  142. 山中吾郎

    山中(吾)委員 そうすると、教育の機会についての刷新考えていない。私は、根本的にはすべての国民教育を受けるという義務教育、九カ年の義務教育は、いま詰め込み主義でいろいろの論議がなされておるのですが、国民教育的要求が非常に多い。ところが、現実においては詰め込み教育で、教育がむしろ崩壊しつつあるような感じである。私の感じでは、現在の社会教育的需要を満たすのに九カ年が短過ぎるのじゃないか。一升のびんに一升五合ぐらいの教育を入れようとして騒いでいるのじゃないかという感じがしてきているのですが、文部大臣教育刷新の中には、義務教育の延長をお考えになっていないわけですか。
  143. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 現在幼児教育の問題は非常に重視されるようになってきておるわけでございますし、また私たちも、幼稚園に希望をされている方々全員入園させるように施設を整えていかなければならない、こう考えているわけでございます。同時にまた、五歳児と、それから就学義務のあります六歳児、この教育をつなげていったらどうかというような考え方も出てきたりしているわけでございまして、そういう問題については、なお一そう研究を続けていきたい、こう考えておるわけでございます。高等学校につきましてはすでに八七・二%という高い進学率を記録するようになってまいりましたし、今後なお一そう高まっていくだろう、こう考えておるわけでございます。したがいまして、この内容充実に一そうの努力を払っていかなければならない、一そうの努力を払っていかなければならないが、これを義務化することがすぐ必要だというふうには考えていないわけでございます。   〔森(喜)委員長代理退席、委員長着席〕 幼児教育の面からも、高等学校教育の面からも、内容充実により一そうの努力をはらっていきたい、こういう考え方を持っております。
  144. 山中吾郎

    山中(吾)委員 憲法二十六条の第二項に義務教育規定があるのですが、それには、すべての国民が保護する子女に対する普通教育義務教育にすると書いてあるのです。幼稚園は普通教育に入りますか。保護する子女というのは何歳までですか。憲法の予定する義務教育は一体どういう範囲をさしているのですか。
  145. 岩間英太郎

    ○岩間政府委員 これは具体的には法律で定めるということになっていまして、御案内のように教育基本法、それから学校教育法におきまして、九カ年の義務教育ということになっておるわけでございます。  なお、普通教育というのは国民全般が持つような教養も含めまして、国民の全般的な知的な水準あるいは知的なたくわえと申しますか、そういうふうに思っております。そういうものを高める、あるいは個人として、国民として備えておるべき程度の教育を保障する、そういうものが普通教育というふうに理解しておるわけであります。
  146. 山中吾郎

    山中(吾)委員 保護する子女は……。
  147. 岩間英太郎

    ○岩間政府委員 保護する子女はもちろん教育を行ない得る年齢からというふうに考えますから、ゼロ歳から教育が現実に可能であればゼロ歳から、こういうことだろうと思います。
  148. 山中吾郎

    山中(吾)委員 保護する子女だから、教育し得る子女ではないでしょう。憲法ことばを無視して、かってに言われては困るんです。民法上保護する子女というのは未成年じゃないでしょうか。したがって、憲法でいう義務教育の範囲は、全未成年を対象とした普通教育、こう解釈すべきではないのですか。
  149. 岩間英太郎

    ○岩間政府委員 その点はおっしゃるとおりだと思います。現在民法で定めております年齢の範囲ということでありますから、これもはっきり憲法上年齢がきまっているわけではないと思います。これは実情に即して具体的にきめていくということであろうと思います。
  150. 山中吾郎

    山中(吾)委員 基本だけはっきり問題にしておいて、教育政策を発想していただきたいために申し上げておるので、保護する子女に対する普通教育憲法としてはそこまでは義務教育として、終着駅としての思想が出ておる。ただし、財政的その他で——法律によりと書いておるのですから、現在の義務教育というのは憲法からいったら半分くらい到達した感じ普通教育としての高等教育、中等教育、後期中等教育はやはり憲法の二十六条二項からいえば義務教育が望ましいのだ。その中から義務教育充実とか計画文部大臣が発想して進めるべきではないか。所信憲法とか教育の根拠を離れて、教育一般論で、教育基本法憲法不在の所信のような感じがするので、それと結びつけて、具体的な刷新方針を出してもらいたい、私はそれを申し上げておるわけなのであります。こういうこともしておかないと、義務教育教職員の給与の一〇%の——今度どういう法律か出るか、私見ておりませんけれども、その辺、憲法との関係というものが非常に不明確なために、法律自身に矛盾のあるような法律の出し方をしておるのじゃないかと思うので申し上げておるわけであります。しかし、各論的なことはあとに回しまして、次の教育機会均等化についてはどういう刷新考えておられるか。拡大じゃなくて均等化です。
  151. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 拡大ではなしに、均等化ということ、おっしゃるのはその人の経済的な事情その他いろいろな事情のいかんにかかわらず教育施設に入っていける、こういう御趣旨でございましょうか。——先ほどもちょっと申し上げましたように、幼児につきましても希望する者が全部幼稚園に入園できるようにしなければならない。同時にまた、入園奨励金を交付することによって、経済的に困難な方々も幼稚園に通いやすいような仕組みを今度拡大しておるわけであります。同時にまた、高等学校につきましても、国公立ばかりではなしに、私立につきましても運営が円滑にいきますように私学助成をさらに拡充するというような道を講じておるわけでございますし、大学につきましても、その施設の拡充を国立大学についてもかなり行なってまいっておるわけでございます。お話趣旨があるいは理解しかねておるかもしれませんが、一応お答えさせていただきます。
  152. 山中吾郎

    山中(吾)委員 半分くらいは理解されておられるのですが、拡大じゃなくて、設置者によって、国立大学と私立大学で非常に格差がある。国民の立場からいったらこの均衡化は非常に重大でございます。あるいは都市に住んでおる子供僻地に住んでおる子供からいって、教育内容について、設備その他を含んで僻地教育と一般の地域の教育とが非常に格差がある。これの均衡化をばかるべきではないか。あるいは五体を備えた一般人に対する教育と、心身障害者に対する特殊教育の格差。地域における教育の格差とか、あるいは設置者による教育の格差、それから子供の身体状況からきた格差という三つくらい非常に不合理なものがある。この三つについて、教育の機会の均等化をはかる明確な政策がなければ刷新とはいえない。大臣は何かごつたにいろいろ話をされたようですが、この所信を出された限りは、明確な政策を出してもらわなければいかぬのじゃないかと思うのです。  それから教育行政についても何か刷新に値するような政策をお出しになるつもりですか。教育刷新という中には、別に教育行政については……。いまのままでいいのですか。
  153. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 教育行政ということでとりたてて考えておる問題はございませんけれども、それぞれの部門におきましては、教師が不足しておる、それに対応するようにその養成を充実していかなければならない、その補いをつけていくというような問題もあるわけでございます。御指摘になっておりますのがどの部門かわかりませんけれども、教育行政の組織の上で、今度特別に改めるという問題は別段持っていないわけでございます。ただ、年来議論になっております教頭の法制化というようなこと、あるいはそういう意味でお尋ねになっておるとしますならば……(発言する者あり)ちょっとおっしゃっておる趣旨がわかりませんが、教育行政組織を変えるというような式の問題ならば、別に特段のことは考えておりません。
  154. 山中吾郎

    山中(吾)委員 日本の教育行政の基本原則を立てておる法的根拠は教育基本法第十条ですね。ここに「教育行政」という表題を立てて教育行政というものを規定しておるわけですが、第一項にはその理念、「不当な支配に服することなく、」というやっと、第二項に「教育行政は、この自覚のもとに、教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備」、これは日本の法律規定しておるのですから、その諸条件の整備について何か刷新されておるからこの教育刷新ということばが出ておるのかどうか、これをお聞きしておる。
  155. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 わかりました。教育行政という場合には教職員の処遇の問題もございます。そういう点につきましては非常に熱意をもって取り組んでおるのでございまして、先ほど来申し上げておりますような給与の改善も行ないますし、あるいは研修の機会の増大とか、そういう意味では海外にたくさん出かけていってもらうとかというようなこともあわせ考えております。
  156. 山中吾郎

    山中(吾)委員 そこで、教育行政の定義をしっかり文部大臣がお考えになっておるかどうか聞かないと、これはかみ合わなくて、今度出てくるあらゆる法案に矛盾ができて、平行線で実のある審議ができないと思うのです。  この教育行政について、教育には外的条件と内的条件がある。憲法のもとにおける教育基本法で設定した教育行政は、そこにある諸条件の整備、外的な条件の整備が教育行政の任務である。教育内容に深く立ち入ることの内的条件は、この十条というのは教育行政の外にあって、教育の自主性というものを尊重する立場において、内容に入らないという定義であるということについての解釈が、あなたはどう解釈されますか。
  157. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 教育基本法第十条の第二項を見てまいりますと「必要な諸条件の整備確立を目標として行なわれなければならない。」と書いておるのでございまして、この諸条件が外的なものに限るとか内的なものに限るとか限定はしていないわけでございますので、包含しておるものだと理解しております。
  158. 山中吾郎

    山中(吾)委員 杉本判決に、これは一つの判決ですよ、判決も学説、学説としても裁判に採用された学説として、やはり文部大臣としては最初から政治家みたいに無視するわけにいかぬ、やはり慎重に考えて答弁すべきであると思うのですが、教育内容について少なくとも私は自制すべきという原則がなければいかぬと思う。だから文部省設置法の中に地方の教育行政に対しても指導、助言にとどめるという理念がある。これはもう法律に出ておるのですから、その辺を明確にしないと、これはここで論議したってかみ合わぬと思う。文部省設置法の精神にも出ておる、十条の精神が。監督ではなくて指導、助言に限るという理念のもとに設置法がある。これは自治省の専門家ですから十分御理解になっていると思うのですね。したがって、この条件整備ということについて、外的、内的ということばが学問的用語なら、それは使わなくてもいい。少なくとも教育内容について、命令、監督ではなくて、指導、助言が限界であるということについてこの十条の趣旨があると私は信じておるのだが、大臣はどう考えておられますか。
  159. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 私は、杉本判決のあることも承知しておりますが、同時にまた仙台高裁の判決もあることも御理解いただいておるところでございます。したがいまして、一般の教育水準を維持していく責任を国として持っております限りにおきまして、その限度において、教育内容についても国が示していくということは当然の責任だろう、こう理解しておるわけでございます。
  160. 山中吾郎

    山中(吾)委員 指導、助言ということばで答えてもらいたい。指導、助言の限界にとどめるべきものなのか、それ以上のものなのか。
  161. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 国の法律に基づきまして定められましたもの、それを守るように文部省としては指導、助言に当たっていかなければならない、こう思っております。
  162. 山中吾郎

    山中(吾)委員 そればそのとおりですね、国会で立法のもとにおいて。だから、あらゆるものは立法の範囲内において、日本の中における問題ですから。そうでなくて、法的根拠によらないで行政が、私は教育行政のことを言っているのですから、行政そのものが内容に立ち入ってまで入ることをこの教育行政としてはこれを自制しているのかどうかということを聞いているのです。もちろん、法律に従うことば全部そうですからね。その次に、いかなる法律が正しいかどうかということはこれは別問題として、法律の根拠によらないで行政において、何もこれは限界がない意味なのか。条件整備について行ない、この前の「自覚のもとに、」第一項のことを自覚をしてと書いてあるわけですが、指導、助言にとどめるべきものだというふうに、行政については明確になっていると思うのです。その意味においてどうも答弁があいまいなんです。私は法律に従うなんということを言っているのじゃない、行政の話ですよ。
  163. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 あるいは十分に理解していないかもしれませんけれども、憲法に基づきまして法律法律に基づきまして政令、政令に基づいて省令というような段階、あるいは省令に基づいて告示というような段階、こういう全体の体制のもとにおいて文部省行政を執行していかなければならぬ、こう申し上げているわけでございます。
  164. 山中吾郎

    山中(吾)委員 自治行政の専門家として少しごまかしたように思うのですが、省令なんかは、これは行政でしょう。私は、あくまでも国会かきめた法律、これには従うべきである、これは従う必要ないと一つも言ってない。そうでなくて、行政の中で、行政の権限で行なえる規則とか省令というもの、これは行政でしょう。何かそんなことを言ったら、みんな何でもできるという答弁になるのじゃないですか。省令とか何かというのは行政でしょう。行政令でしょう。だから、昔、戦前、勅令その他によって教育を支配したのはこれは弊害が多いから、戦後は全部立法によるという法律主義で新しい日本の教育体系ができた。したがって、教育基本綱領さえも、立法による国会の議決によった法形式で教育基本法ができておるはずですよ。
  165. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 戦前は、教育に関しますことは立法事項じゃございませんで、大権事項でございました。そういう姿が今日において許されないことは私は当然だと思います。ただ、たとえば憲法を守るという場合には、憲法の条文だけ守ればいいのかというと、憲法の条文に基づきまして法律に委任していることがたくさんあるわけであります。それも守らなければいけない。その法律に基づいて政令に委任していることがあれば、やはりその政令も守らなければならない。その政令に基づいて省令に委任する、あるいは告示に委任する、それも守らなければならない。それは私は、憲法体制を守らなければ憲法を守ることにならない。したがって私は、法律に基づく、こう申し上げております場合には、法律が政令に委任する、省令に委任する、それはやはり一連のものだ、こう理解しているわけでございます。
  166. 山中吾郎

    山中(吾)委員 憲法精神に基づくことに違反するいろいろな政令その他は、これは一方において、憲法の立場において最高裁判所もあり、違憲の法令は無効であるという、これが一つ憲法の体制でしょう。だから、国会の定めた立法によってのみ支配されるが、行政に支配されないというところに教育行政の特性があるのだ。それをいまのようにまた言ってくると、今度は政令その他で、憲法を無視するような政令その他も一向に差しつかえないと、だんだんなしくずしのかっこうになってくる。だから私はあくまでも——大学の自治だってそうだと思うのですよ。立法には従うが行政には従わないところに大学自治、憲法二十三条の学問の自由という保障があり、その憲法自身の規定しておる中に、憲法に基づいての立法の基準がそこにあると思うのですね。それをあなたのように、政令や何やかにや、みんな言ってしまえば、何もないことになってしまう。
  167. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 どうも山中さん大きな誤解があるのじゃないかと思うのですよ。やはり法律でも、自分が違憲だと言うて、それで通るものじゃなくて、裁判で違憲と決定されるまではそれを有効な法律として理解してかからなければ秩序は維持できない、また私は、そういう法解釈になっていると思います。ちょっとそこは山中さんと私の間に見解の相違があるように思います。
  168. 山中吾郎

    山中(吾)委員 少しも相違はないのです。それは手続上は、最高裁判所によってきめられなければ、現行違法な法律であってもそれに基づいて支配されていく、そのことが普通であるが、教育行政の特殊性からいって、特に教育基本法の十条、これはほかの行政部門にはない条文ですよ。私の言うのは、教育基本法十条で教育行政に特に定義を下しておるのは、これは経済行政その他の行政にはない特別の規定なんです。そこの考え方を私は言っておるので、あなたの言うことはあらゆる行政についての一般常識を言っているだけなんです。それじゃ教育基本法十条は一体何を定めたのか。こんなものはなくていいじゃないですか。  そこで、この十条の第一項「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである。」ということば  の中から、私らは終戦直後、教育行政の第一線におるときには、立法権、司法権、行政権、その行政権の一般行政のほかに、教育行政権は別途の機関によるべきだという四権分立の思想を唱道されてきたのでして、そこに教育基本法の十条という特殊性を考えて、真理と平和を追求する人間をつくるという任務からいっても、多数決できめたものでも必ずしも真理ではない、いろいろの問題があるから、せめて教育の自主性から、他の行政と違った意味において十条があるんだ。この特殊性を認めなければ何もないじゃないですか。あなたは行政一般論をずっと言われているが、それを明確にしないと、今度出てくる法案そのものについても、これは根本問題になると思うので私は申し上げているのですが、そうするとこれは何でもないんですか。
  169. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 教育基本法第十条第一項の解釈の問題でございますが、おっしゃられるように教育が立法、司法、行政に対応する第四権だといわれる方がいらっしゃることは伺いました。しかしながら、私はそうは理解できないのでございます。同時に、きのう私は、この立法に携わった者に事情を聞いてみました。そうしましたら、教育は、「国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである。」というのは、占領軍がくれたものを日本文に直したそうでございます。それは、戦前の日本の教育は大権事項であった、しかし、そういうことは許されないのだ、やはり国民主権の基本に立ち返って、国民全体に対して責任を負うて行なわれるべきものなのだという気持ちの宣言規定みたいなものだ、そういう経緯から私は一そうそういう感じを深くしたわけであります。「不当な支配に服することなく、」と書いてあるのですから、正当な支配には服するのだ。それは国民から負託されて国会がいろいろなことをおきめいただく、そのおきめいただいたことには従っていかなければならない。そして大権事項ではないのだということを強く表現するために「直接に責任を負って行われるべきものである。」こういう表現をしたのだ。明治憲法からこの憲法に移り変わりまして、そしてこの教育基本法をつくる、教育勅語というものを廃する、そういう経過をいろいろ考えてまいりますと、やはりそういう意味の宣言規定だろうこう私は理解いたしておるわけでございます。
  170. 山中吾郎

    山中(吾)委員 当時の国会における論議は私も読んであるのです。その全体のいろいろな意見の中でこの十条というものは生まれておる。少なくともこの点については戦前の超国家主義、軍国主義に支配されたことについての反省も一つであるでしょう。そういう関係から、少なくとも国会の立法以外のいろいろなものに支配をされないという大きな深い意味の警告があって、その延長線においてそれならどういう政策、制度が妥当かということが行政なんです。単なる宣言規定では何も意味がない。そういう意味じゃ、私はとんでもないことだと思うのです。だから、地方においては内務省行政のために教育行政が支配された、これは分離すべきである。横の関係と縦の関係から一番ここの趣旨に沿う行き方は教育委員会だ、現実に八年間実施した制度である。また政党的にくずされたけれども、この十条からの精神を制度化したものなんで、私は単なる宣言規定だから何の配慮も要らないという文部大臣の答弁はおかしいと思うのです。それに一番ふさわしい制度、政策を考えていくべきじゃないのですか。何か敬遠をするようなことばかり答弁をされておる。もっとすなおに十条を読んで、すなおにこの線に沿うように、制度も政策もその延長線上で考えていくという態度を明確にすべきじゃないですか。
  171. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 山中さんのお話が、教育は第四の権利だという式にこの第一項から解釈できるようなお話がございましたので、それに対して答えただけのことでございます。もちろん第十条の第一項がさらに充実されるように努力していかなければならないことはもう当然のことだと思います。宣言規定でありましても、そういう考え方から臨んでいくことは当然のことだと思います。
  172. 山中吾郎

    山中(吾)委員 四権分立の思想というのは、私はその学説に賛成しておるので言っただけのことで、あなたに押しつけているわけではない。ただ、この十条の精神に基づいていろいろの政策、制度というものを発展さすべきだ、これだけは行政の責任者は当然行政の心得として持つべきだ。それを持つ必要がないような答弁をされておるのでやっておるわけなんです。それはまた、もう少し具体的に論議しましょう。  そこで、今度は法案の中で、ここから発展する論議がずっと出てくると思いますが、この点についてこういう論議をする前に、奥野文部大臣教育に対する思想、教育観とか、学校とはどういうものであるかという学校観とか、そういうものを明確にしないと、おそらく実りのある審議はできないと思う。一〇%の給与についても、その前に学校というのは一体何だということをまずお聞きしないと、これはなかなか審議に入れないだろうと思うのです。この一〇%の問題についても、他の職域との関係において優遇すべきだということと、優遇するしかたを今度は教育界の中でどういうふうにこの給与を配分すべきかと、二つあると思うのですね。このあとのほうは、一体学校というものは何だということの識見をしっかり持っていない限りにおいては、結局教育界を撹乱さすだけの優遇になってしまう。他の職場との関係で優遇するだけで、決して教育振興にはならないし、教育の中においてはつらつたる意欲を起こす動機にもならない。むしろ、教育界の中で、その優遇された一〇%をどう使うかということが文部大臣の一番大切な問題だと思うのですよ。  そこで、学校観についてどうお考えですか。学校とはどういうところなんですか。
  173. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 学校というのは学校教育法学校をおっしゃっているんだろうと思います。その学校の中には幼稚園から大学までございますので、それぞれによりまして内容はずいぶん違っておりますし、あり方もずいぶん違ってくる。小中学校であります場合には、教育の自由というものを簡単に容認できないけれども、大学につきましては学問の自由と並行して、ある程度教育の自由も認めていかなければならないというような問題にもなってくるわけでございますので、御質問の趣旨をよく理解していないかもしれませんけれども、それぞれによってかなり違ってくるんじゃないだろうか、こう思っております。
  174. 山中吾郎

    山中(吾)委員 私はそういう御答弁を希望して聞いたのでなくて、学校というのは人間を育てる環境である。学校は一般の官庁と違うので、事務をとるところでもないし、そういうところではなくて、人間を育てる環境なんだ、人間を育てる社会だ。そういう社会は、人間が育つ条件はどういうものが必要なんだ。だから、学級編制するときも、本家の子供も分家の子供も金持ちの子供も貧乏の子供も、差別の地域社会から再編制して平等の社会をつくって、子供が育つ。その中に職員室もあるのです。職員室の教員自身も差別的なことが正しいと考えるような社会構造をとれば、教育環境としてはつぶれてしまうのだ。平等というものと自由というものが保障されながら、その子供に向かって人間を育てる人間愛というものがあってできるのですから、そういうものをつぶすような給与のつくり方をしたらだめなんだと思うのです。いま、幼稚園もあり、大学もある、そんな学校、目に見える、肉眼で見えることを聞いておるのではない。それではとても実りのある質問ができないから、もう一週間ぐらいひとつ考えあと、次の給与問題その他に間違いのないようにせっかく努力をして、何億という金を、国税を使っておるのですから、使ったために教育を破壊しないように、学校観についてもう一度大臣と論議をする機会を保留しまして、きょうは質問を終わります。
  175. 田中正巳

    田中委員長 午後三時三十分に再開することとし、この際休憩いたします。    午後零時五十三分休憩      ————◇—————    午後三時三十八分開議
  176. 田中正巳

    田中委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。  文教行政基本施策に関する件について質疑を続行いたします。木島喜兵衞君。
  177. 木島喜兵衞

    ○木島委員 先ほど、山中先生の御質問になって多いらっしゃった教育基本法の前文の、憲法の理想実現は、根本において教育の力にまつべきものである、したがって、そういう意味では、私は逆にいえば、教育の力が理想を実現するものである、教育の力が理想を実現するところの根本である、こうなりますね。そういう意味で、教育万能論ということばを実は使ったわけであります。現実的に、それでは現在の社会なり国なり日本なりというものがその理想であるかといえば、理想的な姿ではない。その過程にある。したがって、理想という未来は、一つには現在の延長線でもありましょう。しかし、理想に向かっての変革の要素もある。だから、そういう未来というものをつくる場合には、教育というものが根本の力になるわけでありますから、したがって、延長線上に順応するというものと、そして新しい創造というものが教育の中に入らなければならぬであろう。そういう意味では教育というものがきわめて理想主義的なものであって、他の行政とは多少異なる。他の行政は今日の問題を処理をしていくけれども、教育という仕事は未来をつくっていく、未来を準備する、そういう意味では違うのだという、その辺が大臣の御答弁をずっと聞いておりながら——大臣行政的にはたいへんたんのうでいらっしゃるようにお見受けいたしました。というのは、現実的な処理のお仕事をやっていらっしゃったものだから、たとえば地方行政なら地方行政、地方財政はどこがいま困るか、それをどう処理すればいいかという現実的なものに中心があったのじゃないだろうか、だから、実は質問と御答弁とがどうもかみ合わないような気がする。教育行政には未来あるいは理想というものがあるわけですから、ことに精神的なもの、内容的なものがあるだけに、それだけに教育行政をやるにあたっても、基本的な理念とか思想というものが、まずとらえられなければならないのじゃないかということあたりが、今回御質問をしながら感ずるところです。したがって、教育という仕事と他の行政の違いということが一応理解されませんと教育の仕事はできないのじゃなかろうか、その辺が実は大臣の御答弁を聞きながら、たとえば基本的な思想をお聞きしておっても、あなたの言うのはわからないのだ、何を聞きたいのだ、何を聞きたいというのは、何か現実的な問題があるのか、それを聞きたいというふうにとれるのです。しかし、教育というものはそうじゃないと思う。もっと理想に向かった、もっと長い未来に向かった、あるいは現実的なさっき言いましたように変革もある、新しい創造もあるのでありますから、新しい創造をも含めたその創造する主体をつくる。その教育というものの行政、こういう観点から承っているということが、ちょっと歯車が合わない一番基本なんじゃないだろうかという感じがするのですが、私の感じ、どうですか、誤りでしょうか。
  178. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 木島さんのおっしゃっていることはよくわかりました。ただ、私がいろいろな質問の過程で歯車が合わない、一体その話がどこに結びついていくのだろうかなという疑念があるものだから、ついこういうかみ合わないような議論になってきたようでございます。虚心に伺っておればそのとおりでございます。ただ、そのことが何に結びついていくのだろうかなという疑念が若干わいてくるものですから、御希望どおりの話し合いになっていなかったんじゃないかな、こう思います。できるだけ話が合うように、私自身も努力していきたいと思います。
  179. 木島喜兵衞

    ○木島委員 先回私の質問の中で、たとえば不当の支配という、不当とは一体何かという中で、あなたは不当はいけないのだ、正当はいいのだ。しかし、さっき山中さんが、教育基本法をお読みになったのですかというのは、たいへん失礼な言い方かもしれないけれども、少なくとも不当支配というものは、戦前のさっきあなたがおっしゃったそういうものに関しては——この前、あなたは戦前の教育はそのときそのときそれぞれにおいて価値があったんだ、評価があったのだというお話でございましたけれども、それはきょうの午前中の発言でもって訂正なさったものと考えます。——ふに落ちないような顔をしていらっしゃる。教育百年の目ざましい進展という中に、戦前の百年の間における反省がないですかと申しましたら、あなたはそれはそのときどきにおいて評価されるべきものであったとおっしゃった。しかし、それは先ほど午前中に、超国家主義だとか軍国主義の方向教育が進んだことに対する反省があるとおっしゃいました。それでもって実質的に訂正なさった。あなたが訂正したというと大臣のこけんにかかわるからというので、いい顔せぬけれども、実際そうなんでしょう。この前と違ったわけでしょう。そういうところからいまこの質問が始まったのですよ。一般質問しないで、大臣教育の基本的な理念を一体どうお持ちなのかということを集中的に議論しようということになったのは、そういうところがあるのですから、その点……。
  180. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 訂正したとか訂正しないとかいうことじゃなしに、戦前の教育は超国家主義的な教育であった、それは間違いである、こう考えています。間違いであると考えておりますが、そのときそのときに一生懸命教育の責務に当たられた方々はおやりになった。戦争をやっておったのだから、戦争という状態に追い込まれた場合には、やはりああいう姿にならざるを得なかったのじゃないだろうか。それをいまから批判すると間違いを大いに指摘できる。こういう意味で前回のお答えといまのお答えと違った形で申し上げておりますので、そこはやはり木島さんも御理解いただきまして、一面的にきめつけないでいただきたいなというお願いだけしておきます。
  181. 木島喜兵衞

    ○木島委員 訂正するとかしないということばのやりとりじゃないのです。実質的にあなたがそう思っていらっしゃる。しかし、前回私が質問したときには、あなたはそうおっしゃらなかった。当時は、超国家主義だとか軍国主義だとかということにならなかった、そのときそのときそれぞれにおいて評価さるべきものであったとおっしゃられたから、私は不当の支配ということに対してどうかと言ったら、あなたは正当だからいいのだとおっしゃった。正当とはだれが判断するのですか、東条さんですか。明治の初めからそのときどきの教育というものは、それぞれみんな正しいと思ってやったことが——戦争中とあなたはおっしゃったが、戦争中だけではなくて、教育がその戦争を引き起こすところの基礎であったかもしれない。そういうふうな理解が足らないところに一番基本があると思うのです。そういう訂正するしないじゃなくて、基本的にそういう御判断であるならば、そういうことばにとらわれないで、あなたの認識として理解したいと実は言っておるのであります。  そういう観点からきょうの午前中の山中さんの話を聞いておりますと、ちょっとなんですから少しお聞きしますけれども、憲法二十六条の「國民は、法律の定めるところにより、その能力に鷹じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。」「能力に鷹じて」とは、能力の有無によって教育を受ける権利が異なってくるのかどうか、能力が高い者は密度の高い、あるいは長期の教育を受ける権利を有する、能力の低い者は、低いのだからそれ相応の、あるいはない者は教育を受けられないというように理解すべきですか。
  182. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 能力に応じて教育を受ける権利を持っているという場合に、その能力に応じて高いという意味教育もございましょうし、また個人が持っている能力の可能性、それを引き出す努力教育の面においてもしていかなければならない、そういう意味も含まれているのじゃないかな、かように考えておるわけであります。
  183. 木島喜兵衞

    ○木島委員 きょうはあまりこまかいところのやりとりはいたしません。それでは、いわゆる義務教育といわれる小中学校においては、能力に応じての権利の差はありますか。教育を受ける権利に関する差はありますか。
  184. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 「法律の定めるところにより、」とうたっておりますし、法律義務づけておるわけでございますので、特段にそういう差は生じてこないのじゃないかというふうに思います。
  185. 木島喜兵衞

    ○木島委員 そこで、これはさっき長谷川先生ですか、予算委員会でも御質問なさったとか聞いておりますし、きょうも高橋先生からも御質問ございましたけれども、いわゆる知恵おくれの子供たちがたとえば養護学校に入れないとか、これはずいぶん数がありますね。十五、六万いま放置されているのじゃないですか。きっと肢体不自由児も含めたらもっとある。そういう子供たちも能力に応じて教育を受ける権利がある。この権利をどう理解したらよろしゅうございましょうか。
  186. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 おっしゃっていますように、能力に非常な差があるわけでございまして、その能力に応じた教育が行なわれるように施策を講じていかなければならない、かように考えておるわけでございます。  いまのお話の人数は、精薄者も含めて五十四万だと記憶いたしております。
  187. 木島喜兵衞

    ○木島委員 御存じのとおり学校教育法の二十三条は、「病弱、発育不完全その他やむを得ない事由のため、就学困難と認められる者の保護者に対しては、市町村の教育委員会は、監督庁の定める規程により、」「義務を猶予又は免除することができる。」これはなぜこの規定があるのでしょうか。
  188. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 学校に通わせたくても学校の整備が行き届いていない面もあったりするのでございますので、現に二万一千人がその規定によりまして就学の猶予または免除を受けておるわけでございます。
  189. 木島喜兵衞

    ○木島委員 学校の整備がおくれておるために免除をしたわけですね。だれに免除したのでありますか。
  190. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 保護者に就学させる義務を負わせているわけでございます。その義務を免除したわけでございます。
  191. 木島喜兵衞

    ○木島委員 保護者の就学せしめる義務を免除したということは、確かにおっしゃるとおり憲法第二十六条第二項は、「國民は、法律の定めるところにより、その保護する子女を普通教育」させる義務を有する、その保護者の義務を免除しました。しかし、第一項によって、「國民は、法律の定めるところにより、その能力に鷹じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。」子供権利を持っております。すると親の義務を免除したということは、それによって子供が受けられないということになると、その子供権利は一体どうなりましょうか。
  192. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 国なり地方公共団体なりが、教育を受ける権利を全うするように施策を講じていかなければならない。からだの不自由な方については、からだの不自由ななりに教育を受けられるように学校施設を整備していかなければならない。それが必ずしも十分でないために問題が起こってきておるわけでございますので、今後ともさらに一段とその整備に力を尽くしていかなければならない、そして憲法精神充実させていかなければならない、こう考えております。
  193. 木島喜兵衞

    ○木島委員 したがって、私が先ほど、なぜこれを規定したかと言う中には、親の生存権を保障するという意味がありますね。心身の障害児を持った親、その子供を持っているために、親の生存にたいへん支障を来たす場合がある。そのために、親子心中なり子殺しというものがずいぶん行なわれておる。そういう親の生存権というものを含めて免除というものが学校教育法の二十三条で規定されておる。そして、いま大臣おっしゃったそれは、憲法二十六条第二項の免除であっても、それは親の免除であっても、第一項におけるところの子供権利は残る。その権利を保障するものは公であります。それが一体なぜできないのか。いま私はがちゃがちゃ言いません。今日までやらなかったということの国の怠慢この間も言いましたけれども、憲法が保障したものは、憲法が与えた権利というものは、それは国がやらねばならないところの義務を持っておる。それをやらなかった。義務教育を免除したことは、国の責任を、国の義務を免除したものじゃありません。それがなぜやれなかったのでしょうか。
  194. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 からだの不自由な方につきまして、盲学校、ろう学校、こういったものは戦前から促進されておりましたので、現在では整っておるわけでありますが、養護学校になりますと、戦後この設置を促進してまいりました。その結果、現在かなりできてはいますものの、肢体不自由児、精薄者、虚弱児、この三者につきまして完全に整っているとはいえない。いずれか欠けている県が延べで二十三県あるわけであります。四十八年度には欠けているところだけはとにかく全部補ってもらおうということで予算も計上し、補助率も三分の二に上げて努力しているわけであります。それが済めば、それじゃ必要な人員が全部確保できるかといいますと、それでもなお足りないわけであります。やはり施設をつくることとあわせて必要な人員を確保すること、両方進めていかなければなりませんから、地方団体でも苦慮していただいておるわけでございますけれども、一挙にはいかない、なお若干の年数をかけなければならない、そういう段階でございます。ぜひ、おしかりを受けないように、一そうの促進に国としても努力を傾けていかなければならないと思っております。
  195. 木島喜兵衞

    ○木島委員 おしかりを受けないようにと言っても、私はおしかりしなければならぬような気持ちなんです。いま大臣おっしゃったけれども、ちょっと違うのです。盲、ろうは一年おくれて二十三年四月一日から義務設置になって、一年ずつやって昭和三十一年四月一日に中学三年生まで義務になった。だから、もし財政的な事情があるならば、その翌年からたとえば養護学校義務設置というものをなぜやらなかったのか。やらなかったところに、私は国民教育を受ける権利というものに対する政府の認識が欠けておったと思うめです。たとえば、あなたは施設がないからとおっしゃった。もしも市町村が財政が苦しいからといって、小中学校をつくらなかったらどうなるでしょう。同じ権利を持っておるのです。だから私、最初憲法二十六条の「能力に鷹じて」という能力とは、一体子供によって差をつけるかと言ったのはそういうことであります。あなたは差をつけてないとおっしゃった。すると、小中学校に通っておる子供も、あるいは養護学校に行けない子供も、家にいる子供も、同じ二十六条第一項による権利を持っておる。財政的にそれを保障するのは公である。国であり、県であり、市町村である。だのに、それが金がないからといって心身障害児の教育権利が行使できないということは、まさに国の怠慢であり、国がその子供たち教育をせなければならない義務を免除されたがごとき立場に立っておったのではないのか。権利意識がなかったのじゃないのか。ここを突き詰めて考えなければならぬのではなかろうか。昭和三十一年四月一日に盲ろう学校義務設置になって——これだって十分だかどうか私調べたいと思うのです、全部入っているかどうか。入ってないはずですよ。適当にできたけれども、まだ盲ろう者全部が学校に入れるという状態でないはずです。しかし、義務設置になっております。そうしたら、その三十二年からなぜ、たとえばおくれてもやれなかったのか。この権利意識が問題だと思うのです。
  196. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 養護学校につきましては、現在二百数十校できておるわけでございますけれども、大体同じくらいの養護学校ができなければ、完全収容に持っていけないというようなことのようでございます。それどころじゃなくて二十三校くらいは全く欠けている県が延べではあるということでございまして、逐年努力はしているわけでございますけれども、一挙にはいかない。先ほどもちょっと申し上げましたように、施設の問題だけじゃなしに、人の問題もあるんじゃないだろうか、こう考えておるわけでございます。しかし、いずれにしても好ましいことではございませんので、二十三校の分は四十八年度で一挙に解消さしたい、さらに引き続いてふやしていきたい、そして義務制にもっていきたい、こういう順序を考えておるわけでございます。
  197. 木島喜兵衞

    ○木島委員 だから私さっき言ったように、同じ権利であるならば、たとえば中学校、いわゆるいまの学制ができたときに中学校はみななかったのです。どうしようもなかったのです。昭和二十二年、たいへん苦しい時期でした。だけれども、苦しくてもみな中学をつくったのです。それは憲法二十六条第一項によるところの教育を受ける権利というものを国が保障する立場からそれをやったのです、財政が苦しいのにもう二百何十校も。あの中学校をつくったときにはどの町村も全部つくったでしょう。私が権利意識を問題にするのはそこなんですよ。私はいま基本的な考え方、それはいまここでもってすぐ来年やれますとかなんとか言えるかどうかわかりません。そういう権利意識というものを明確にし、その責任を明確に感じて、憲法二十六条、それをもとにして政治をやっているのですから、これはどうしてもやらなければならぬという大臣みずからの権利意識というものがなければ、こういう人たちの——私はこの心身障害児については、こまかい点はまたあらためてお聞きするつもりであります。具体的に入りません。入りませんけれども、少なくとも出発の憲法の解釈というもの、あるいは憲法の理念を大臣がどれほど持っているか、こういうことだけは明確にしておきたいと思うのです。
  198. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 権利意識、また形をかえていえば責任意識ということになるのかもしれません。やはりこの責任意識も社会情勢経済情勢とともに発展さしていかなければならない、こう考えるわけでございます。いまもちょっと触れましたように、中学校義務制の問題と養護教育義務制の問題片一方のほうは、それぞれの児童に応じて教育をしていかなければならない。養護教諭を得るということにつきましても、相当な準備をしてかからなければならない問題もあったりするものでございますので、中学校義務制にしたと同じ形で養護学校義務制にできるじゃないかと私は簡単には言い切れないと思うのでございますが、いまも申し上げますように、教諭の養成、そうして施設の設置、その促進を積極的に進めていきたい。そうしておっしゃっるとおり、責任意識を私たち自身が兼ね備えていかなければならない性格の問題であろう、こう心得ているわけでございます。
  199. 木島喜兵衞

    ○木島委員 中学は昭和二十二年にできました。昭和二十三年から盲ろう学校義務設置になりました。いま大臣おっしゃったと同じようなことです。中学校は確かにできている。盲ろう学校先生方が十分に整ったとは思いません。不十分かもしれないけれども、子供たち権利というものはまず守っていかなければなりません。教師はあるいは不十分かもしれません。十全の力、指導力を持っているかどうかわかりません。だからといって、子供権利を無視していいと思いません。昭和二十二年に中学校ができた。金もない中でつくった。そしてその二十三年から盲学校、ろう学校義務設置になった。教師の問題も同じであります。理由になりません、いまの答弁は。
  200. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 できるだけ早い機会に義務制に持っていくように努力いたします。
  201. 木島喜兵衞

    ○木島委員 その次、これは簡単です。いまは大臣の基本的な解釈なりものの判断をお聞きする時間でありますから……。  「義務教育は、これを無償とする。」と書いてある。これは一つには、いわゆる子供の受ける権利、これには学説的には、この受ける権利とは一体何かというのが幾つかございます。たとえば公民権説もあれば生存権説もあれば学習権説もある。私は基本的には学習権だと思いますけれども、しかし生存権も否定するものではない。あるいは公民権、いわゆる主権者の養成というものもございましょう。しかし、この「義務教育は、これを無償」という限りにおいては、これはたいへん生存権の要素が強いと思うのですが、大臣いかがですか。
  202. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 いろいろな学説があるようでございますけれども、教育を受ける権利を持っているのだから、この権利を充足させるように社会的にもろもろの施策を整えていかなければならない責任を持っている。そこにウエートを置いて私は考えていきたい、かように存じておるわけでございます。
  203. 木島喜兵衞

    ○木島委員 教育基本法四条の二項に「義務教育については、授業料は、これを徴収しない。」と書いてありますね。憲法では「義務教育は、これを無償とする。」とある。この限りで見れば、授業料を取らないことをもって無償と、憲法と基本法だけでは言えますね。しかし、これは授業料に限定したものではなしに、最低限のものを言ったのであって、授業料を徴収しないというのは一つの例示的なもの、こう私は教育基本法四条二項を理解するのでありますが、大臣、それはよろしゅうございますか。
  204. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 義務教育無償とするという規定は、授業料は徴収しないのだということでございましょうが、その精神をさらに一そうふえん充実させていく、これがやはり教育に携わる者の大きな責任だろう、こう思っております。
  205. 木島喜兵衞

    ○木島委員 ですから、教育基本法の四条二項の「授業料」というものは、例示的なものであって、それをさらに拡大をしていかなければならないものと大臣理解しながら行政をする立場にある、こう理解しているわけですし、すべきだろうと私は思うのですよ。
  206. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 例示とかなんとか、ことばの使いようだろうと思うのですけれども、その精神は普及していかなければならぬ、こう思っております。
  207. 木島喜兵衞

    ○木島委員 非常に手がたいですね。  そこで朝、山中さんが高校の問題について触れられて、憲法二十六条第二項の「保護する子女」とは民法上は十八歳である、十八歳以下は未成年であるということは、これは教育の可能体であるということを意味すると岩間さんがお答えになったですね。したがって、十八歳まで普通教育を受けさせることが好ましいではないか。そこまでいくかどうかわかりませんが、そういう趣旨の御発言がありました。教育基本法では九年と書いておりますけれども、憲法は「その保護する子女」と規定する限り、十八歳までは保護する子女であり、普通教育を受けさせる義務を持つ。とすると、この限りでは、二十六条の二項だけ見れば、十八歳まで普通教育をする義務を親が持つべきだと理解されますね。その点をもうちょっと……。
  208. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 二十六条の二項に「すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。」こう書いているわけでございますので、社会情勢経済情勢、その他諸情勢を考えながら法律でその年齢を定めているということだと思います。
  209. 木島喜兵衞

    ○木島委員 法律で定めるというのは、この憲法精神をもとにして次々とわれわれは法律をつくります。したがって、法律を直すこともできるわけでしょう。だから法律を定めることはいま問題じゃないのです。この憲法趣旨は、「その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。」のだから、「その保護する子女」とは、先ほど岩間さんは十八歳までが至当であるとおっしゃった。教育可能体であるともおっしゃった。それをすなおに読めば——法律で定めてあるのは九年間としております。十五歳までとしておりますけれども、それは法律に定めることで、法律憲法をもとにしてつくるのだから、これからどうつくりかえてもいいわけでしょう。早くすべきかどうかということはあとにしますけれども、しかし、少なくともこれをすなおに読む限り、あるいはこの限り、「保護する子女」とは十八歳とさっき岩間さんはお答えになった。私もそれは同感なんです。である限り、未成年であるということは、まだ教育可能体であります。だから、できるならば十八歳までが普通教育を得させるところの義務を持つということが、一番この条文に合った好ましい体系ではないかと思うのですが、いかがですか。
  210. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 憲法はわざわざ「法律の定めるところにより、」と書いてあるわけでありますから、その法律教育を受ける権利、能力を規定する場合、それぞれによって異なっていってもいいのじゃないか、そういう精神憲法は書いているのではないだろうか、こう思うわけでございます。したがいまして、「法律に定めるところにより、」という表現をはずしてこれを読むというわけにはいかないのではないだろうか。やはり経済情勢社会情勢、いろいろなもろもろの情勢を考えながら就学の義務としては幾らぐらいだろうかということで規定していく。現在の九年に固定しているわけではもちろんございませんけれども、憲法は十八歳までを意図しているんだということも少し言い過ぎじゃないだろうか。みんなそういうことを「法律の定めるところにより、」に譲っているのだ、こう私は理解すべきではないか、こう思っているわけであります。
  211. 木島喜兵衞

    ○木島委員 だから、この憲法に基づいてだけれども、法律に定めるというのはこの憲法から出発して教育基本法ができ、教育基本法ができてから学校教育法その他出てくるわけでしょう。ですからそれはこれから変える、変えないはいいのです。しかし「保護する子女」だから、それは全部であるか、十八歳までであるか十二歳までか、いろいろあります。私はあなたの基本姿勢というか、一番好ましい理想像というものをどこに求めて、それに近づけるところの努力をするという意味で聞いておるのであって、あなたはさっきから——どうもやはり官僚出身というのはそうなんだな。何か落とし穴がないかなんて警戒して実に用心深く、用心深く……。だから、何回も同じことを繰り返さなければならぬということになるのです。だから「法律」を除けば、一番好ましいのは十八歳まで普通教育を受けさせる義務を負うということが一番好ましいでしょう。すぐやるとかなんとかいま言っているんじゃないんだけれども、いまこの条文をすなおに解釈すればそうなるじゃありませんか。
  212. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 社会の実態を無視して抽象的に考えていけば、そういうことになるのかもしれません。しかし、ものごとはそうでもないんだから、木島さんのおっしゃるとおりでございます、とこう言いたいのでありますけれども、言い切れないところは、やはり現実的にものごとを考え過ぎているのかもしれません。その点はひとつ御理解願いたいと思います。
  213. 木島喜兵衞

    ○木島委員 もろもろでもってわれわれの先輩が考えて、教育基本法でもって九年間ときめているのです。もろもろはいいです。しかし、教育の理想とすれば、この憲法規定からいって、理想的に考えればこの二とが一番望ましいと思わないか。しかし、あなたのおっしゃるもろもろの条件があろうから、それはできるかできないかはそれぞれ判断するけれども、少なくともこの憲法の条文からいうならば、それが憲法から出発する一番好ましい姿であると思わないかどうかと聞いているのです。
  214. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 いろんな経済事情、社会事情、みなはずしまして、できるだけ子供の将来を考えていきます場合には、少なくとも十八歳までくらいは学校教育を受けさせる、それが好ましい姿であることは申し上げるまでもございません。
  215. 木島喜兵衞

    ○木島委員 そこで、その次に義務教育無償と書いてありますね。義務教育無償だということは、一つには生存権的基本権であろうと思うと申し上げたのだが——あなた理解していらっしゃるか、いらっしゃらないか、首をかしげていますが、義務教育無償といえば、家が貧しいから小学校、中学校にはいれなかったらまともな就職ができない、まともな就職ができなければまともな生存ができない、だから義務教育はこれを無償として、生存権的基本権として一つ規定があると思いますが、どうですか。
  216. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 これは学説ですから、いろいろのことがあろうと思います。いま政府委員は、生存権ということも言うておりますと、私に耳打ちをしておったわけでございます。そういう考え方ももちろんあろうと思います。同時にまた、社会的な条件整備ということの責任を明確にしているのだということも言えるかと思います。
  217. 木島喜兵衞

    ○木島委員 そこで、教育基本法十条の二項の条件整備も含まれましょうけれども、権利に対応するものからすれば、生存権としての権利に対応して無償という原則をきめた、その点はお認め願えますね。
  218. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 教育を受ける権利ということに対応して定めている、おっしゃっているような考え方はできると思います。
  219. 木島喜兵衞

    ○木島委員 そこで、先般以来話がございますように、高校進学率は昨年の春で八七・二%ですか、ことしはどのくらいになるかわからないけれども、もしも九九%行ったとしましょうか。九九%が高校に行くようになったとすると、行くのがあたりまえでありますから、高校に行かなければまともな就職はできない、まともな就職ができなければまともな生存が保障されないという生存権的立場に立って、前に言ったところの二項の「その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。」という十八歳までと、高校が普通教育とすれは、生存権と考えると——高校は十八歳てすね。ちょうど一緒になりますね。したがって、高校を普通教育として義務教育化することは——法律に定めておるわけですから、法律を直せばいいのですね。それはいまおっしゃるように、いろんな事情があるということは別個にしまして、生存権というものと、これを無償とするという考え方、生存権というのは、憲法二十六条第一項の「受ける権利」と対応する。その生存権と、二項の「その保護する子女」というものは十八歳まで、未成年、教育可能体と合わせると、いまいつからということは別にしまして、一つ条件として、九八%、九九%行ったときに当然そのことが問題になってくると思うのですが、その点はどうお考えになりますか。
  220. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 おっしゃっているとおりに九九%まで通うようになれば、もうはっきり割り切ったらいいのじゃないだろうか、こう思います。
  221. 木島喜兵衞

    ○木島委員 それは九九%になるか九七%で考えるかは別個ですし、そしていっその時期が来るかわからないけれども、文部大臣、そういう基本的なものの考え方、そういうものを指向しながら教育行政を進めていくという立場を明確に、いまの時間でございますので、お聞きしておきます。  それから次に「ひとしく教育を受ける権利を有する。」「ひとしく」は教育機会均等であります。さっき山中先生も国公私立の授業料の差とか、あるいは設備、施設等の差、これは教育機会均等でないということになるのじゃないかというお話がありました。これは設置者の違いだけでありますから、やはり教育の補助を進めていかなければならぬということは、この前栗田先生のあれにもございましたね。そこで、憲法の八十九条との関係というものをやはりここで明確にしておく必要があるだろうと思うのです。私立学校に対する補助は、もはやいま常識としてこれを増大せねばなりませんけれども、憲法八十九条は、「公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは團體の使用、便益若しくは維持のため、」ここまではいいです。「又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に射し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。」すなわち、教育だけでいうならば、公の支配に属しない教育の事業に対し公金を支出し、またはその利用に供してはならないとあるわけですね。  そこで、公の支配に属する教育の事業、公の支配に属しない教育の事業、これをどう区分するかということを、憲法の解釈からいって一応明確にしておかなければならないことだろうという気がします。
  222. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 公の支配に属するか属しないかは、国法に基づきまして何らか規制する措置があるかないか、この法律の定める内容に従ったものでなければならないとかいう式の何らかの定め、それが公の支配というふうに理解されて運用されてまいってきておるのでございます。
  223. 木島喜兵衞

    ○木島委員 この議論は少し、ある意味では意味のないことになるのかもしれないのですよ。ですけれども、私はこの規定があることをすなおに読めば、私立大学もある。たとえば私立学校というのは第一条に「私立学校の特性にかんがみ、その自主性を重んじ、」とあるわけですね。その特性にかんがみ、その自主性を重んずるということは、公が直接支配するものではないですね。だから、公の事業と私的な事業との区別は一体どうなんだ。たとえば旅館なら旅館はいろいろな法律でもって、建築基準法とか、公衆衛生法とか、何かいろんなことで規制されますね。その辺の区分というものはどう考えますか。
  224. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 私立学校につきましては私立学校法を定めまして、この法律に服した運営が求められておるわけでございますので、そういう意味で公の支配に服しているんだ、こう考えるわけでございます。学校教育法に基づく学校、それを私立で行なう。この場合においても私立学校法の定めるところによって設置、運営をしていかなければならない、そういう意味で公の支配に服しているんだというたてまえがとられてきているのだと理解しております。
  225. 木島喜兵衞

    ○木島委員 私もこの条文によって公金を支出してはならないという立場はとっておりません。ただ、この憲法がやはり学界でも問題になっております。(「やはり問題だな、その憲法は。解釈しにくくてしょうがない」と呼ぶ者あり)こういう弁護士もおるものだから、やはり明確にしなければならない。そうですね。だからここははっきりきちっと、憲法がある限り、この憲法をどう解釈しながら補助を出すかということを明確にしておかなければいかぬと思うのです。憲法をもとにしてやるのですから。だから公の支配に属しない教育の事業というのは、すべての私立学校というものは学校教育法とか、あるいは設置法だとか、いろんな法律で縛られておるから、それで支配しておるということだけをもってこの憲法を解釈して、そうして補助金を出すことは可能であるというように御理解なすっていらっしゃるのですか。
  226. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 公の支配に属しない事業に対しまして公金を支出する。その支出したことが支出の目的にかなわなければ、公の支配に服していくということにはならないのじゃないだろうかというふうに思います。実体規定に従って運営されることは大切なわけでございますけれども、いま私立学校の例をおとりになりましたので、私立学校のことで申し上げますと、私立学校法の第五十九条にそういう場合の規定を置いておるわけでございます。やはり少なくともこのような支配がありませんと、公金を使ってもそのとおり運用されるかどうかわからない。それでは支配に服さないじゃないかという議論が出てくるのではないか、こう思っております。
  227. 木島喜兵衞

    ○木島委員 学校教育法で確かにその目的どおりになっておるのかどうか。それに対していろいろな規定があります。あるけれども、それはこの憲法からいろいろ解釈していって学校教育法、基本法ができたわけですからね。だから、そのことが目的に合っているか合っていないかということが、公の支配に属するかしないかということとはまた逆だと私は思うのです。もし憲法の八十九条によって私立学校なら私立学校が公の支配に属しないというなら、もともと補助金は出せないですね。出せば問題が起こるのですから。だから、出すということ、この憲法との規定でどう理解していくかということは、きちっと必要だと思うのです。そういう立場で聞いているのです。文部大臣、また何かあげ足をとられるかなんて思わないで、率直にお聞きしておるのです。
  228. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 いまも申し上げますように、私立学校に例をとりますと、一連の法制で、五十九条のような規定を置いておる、そういうことが公の支配に属している、こう理解されていると思うのです。
  229. 木島喜兵衞

    ○木島委員 まあいいです。私、確かに文理解釈からいいますと非常にいろいろ問題があると思うのです。ただ、この条項だけで考えないで、憲法二十六条の教育機会均等とか、あるいは二十五条の生存権、「國民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」そういうものとあわせ考えたときに、併用して考えたときの解釈というものが、出してかまわないんだ。教育基本法第六条の公の教育、「法律に定める学校は、公の性質をもつものであって、」と書いてありますね。公の性質を持つものという、いわゆる公教育、設置者は違うかもしれない。国がっくり、あるいは地方公共団体がつくる、あるいは私立、設置者は違うかもしれないけれども、教育というものは憲法二十六条なり、あるいは生存権的に見るならば憲法二十五条なり、あるいは法のもとに平等なり、そういう憲法全体の精神の中でもってこの八十九条を把握する。こういうことでもって教育は公の性質を持ち、教育というものは公のものであるから、だから公費を出してもかまわないんだという解釈が、私もいろいろやってみましたけれども、そのことが一番妥当じゃないか。この八十九条だけを文理解釈していくと非常にいろいろ問題が出てくる。認可、許可、取り消しがある。そういうようなことだけでもっていくと、そういういろいろな事業もあります。だから学者によっては、直接国または地方公共団体が主体となるもの、あるいは全面的に監督行政ができる公社、公団等の事業というものと、公の事業というものと、私的の事業というものを峻別している学者もあります。しかし、私はそういう立場をとらない。そのためには、いま言いますような憲法解釈というものがなければ、この条文というものが、補助金を出すこともたいへん慎重になりはしないか。私はそういう解釈をとるのでありますけれども、その点どうですか。
  230. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 立論の基礎は違っているかもしれませんけれども、ねらっているところは木鳥さんと私と同じだと思います。というのは、私は国なり地方公共団体が国立学校なり公立学校なりに金を出して、それは自分が入っているから金を出すんじゃなくて、教育のために金を出すんだという考え方に立つべきだ。その金は納税者の拠出した金でございますので、納税者は国立や公立に子弟を通わせている人ばかりではない。私の学校にもたくさん通わしておるわけでございますので、国立、公立の学校に金を出すと同じような考え方で、私立の学校にも住民の納めました金を使っていくべきじゃないか、こういう考え方に立っておるわけであります。基本的にその間に大きな差を設けるといううことは、財政が許さなければそうもいきませんけれども、財政の許す限りはだんだんと同じような扱いをするように持っていくべきじゃないか。立論の基礎は違っているかもしれませんが、ねらっている方向はそう変わっていないような感じがいたします。
  231. 木島喜兵衞

    ○木島委員 そこで、この八十九条の精神をやはりわれわれは理解しなければならないと思います。補助金は出す。だから、もしも補助金を出して、いま大臣がおっしゃるように、国民税金を、公金を使うのでありますから、したがって金を出せば出すほど国の行政、国の干渉、そういうものが金とともに拡大をしていくとするならば、この八十九条が規定している精神をたいへんに逸脱することになる。この精神、この宗教なり、博愛なり、慈善なり、そういうことと含めて公の支配に属していない教育の事業というふうなものは、私立学校法第一条にいう特性にかんがみ、その自主性を重んずるという、それに公金を出すことによって、公権力がその自主性を失わせてはならないという立法の精神、八十九条の精神、これがどこかに保障されなければならぬと思うのです。補助金を出す。これは出した場合、私立学校法とかその他にもいろいろ規定がありますよ。しかし、どこかにそれは、いまあなたは答弁でもって金を出しても——金はだんだんよけいしなければならぬ。金はよけいしても口は出してません。私立というものの特性なり自主性は重んじて、口は出しませんとおっしゃるだろうと思うのです。けれども、口でおっしゃるということでなしに、法律的なことでもってどこかで保障しなければならぬだろうと思うのです。これをどうお考えになりますか。
  232. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 国が監督権限を行使する場合におきまして、法律の定めるところによって監督権限を行使するわけでございますので、その法律を定める場合に、あとう限り自主性を尊重する、それをそこなわないような配慮をしていく、これが一番大切なことではないだろうか。またそういう実定法を運用する場合にもそのような心がまえで運用する姿勢だと思います。根本は個々の規定のしかたにかかわってくるじゃないだろうか、こう思います。
  233. 木島喜兵衞

    ○木島委員 わかりました。いま私が繰り返して言っておることは、やはり大臣憲法を擁護する義務を持ちますし、われわれも憲法をもとにしながら教育行政というものは考えていかなければならない立場でございます。ところが、実態なりその他いろいろとそういう点は明確にして、基本的な理念を明確にしながら教育行政を行なっていくという点では問題が大きいという点を私は指摘しておきます。  あと教育基本法十条に入るのだけれども、これは……
  234. 田中正巳

    田中委員長 やれやれ。
  235. 木島喜兵衞

    ○木島委員 委員長がやれやれと言っておりますからやります。教唆扇動のうまい委員長です。  不当な支配でなくて、正当ならいいとおっしゃったけれども、少なくとも不当の支配というものは一体どんなものがあるのだとこの間聞いたら、あなたはお答えにならなかった。それで、正当ならいいとおっしゃった。だから私は岩間さんに聞いた。やはり公権力だけではなしに、政党とか、あるいは組合も入ります。ジャーナリズムも入りますし、財界も入るし、それから戦前のことからいうなら、やはり大権事項であり、勅令主義だから官僚も入ります。そういうものは、これは学説としても定説といってもいいでしょう。それは組合を入れる学者もあるし、入れない学者もあります。しかし、そういうものはみんな含めていいでしょう。  ただ、一つだけお聞きしたいと思いますが、そこで政党政治の中でもって、あなたは政党のエゴとかゴリ押しはいかぬとおっしゃった。みんな国会できめるのだから、しかしそのことは直接、法との関連でたいへん議論があるところです。それが最初に申しました他の行政教育行政の違うところですね。国民全体に対し責任を負うというのと、国民全体に対し直接責任を負うというものの違いを、私は一般の行政教育行政の違いということを言った。それは別といたしまして、政党も不当の支配の中に入るわけですね。議院内閣制の政党大臣は、いまあなたに、だからやめなさい、党籍を離脱しなさいとは言わないけれども、より好ましいのはどっちであろうか。党籍を持っていたほうがいいのだろうか、持っていないほうがいいのだろうか。これができたときにはずっと学者大臣が続きましたね。あれは岡野さんからだったろうか。岡野さんから大達、清瀬と政党大臣になって、現在あなたになっているわけですよ。だから、この教育基本法をつくったときにはそういう思想があったと思うのです。だから私はいまあなたにすぐやめなさいとか、党籍を離脱しなさい、参議院議長みたいなことまで言いませんけれども、どっちがよりこの条文からいったら好ましいだろうか。
  236. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 私は、議院内閣制のもとにおいては政党出身の国務大臣のほうがいいように思います。私はいろいろな角度から教育行政を推し進めていかなければならないので、よき教育者がよき文部大臣だとは理解いたしません。いろいろな方面に知識を持ち、いろいろなところに努力をし教育環境を整えていく、そしてはつらつとした教育が行なわれるような条件を整備していく、これが大切だと思います。  同時に、不当な支配ですか、これはどうも私は旧憲法から新憲法に移った、教育のあり方が基本的に変わってきたことを踏まえての規定じゃないだろうか、午前中にも申し上げましたけれども。ですから、あくまでも国民の負託に基づいて国会がいろいろなことをおきめになる。それに基づいて教育というものが行なわれるのであって、かつてのように、天皇の名のもとにいろいろなことがどんどん進められていく、そんなことがあってはいけないのだという気持ちを非常に強く意識しながら、きめられた規定、宣言じゃないだろうかと思っております。  それから、政党出身大臣がいいとか、政党出身でない大臣がいいとかいうふうな結論が、ここからすぐに導き出される性格のものじゃないだろうという感じがいたします。しかし、しいて尋ねられますれば、人によりましょう。政党出身でない大臣もいらっしゃいましたし、政党出身大臣もおりましたが、やはりいろいろな条件整備、それには幅広く努力のできる政党出身大臣のほうが私はいいような気がいたします。
  237. 木島喜兵衞

    ○木島委員 最初に申し上げたことに、またそこに行っちゃう。条件整備という現実的な問題だけでもって、あなたは政党大臣のほうが予算が一ぱい取れる、学者先生は予算が取れない、そう御理解じゃないですか。教育というものはそういうものじゃないということを最初に申し上げたのです。
  238. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 私は、政治家というのはそう単純なものじゃないと思うのでございまして、いろいろなことを勉強していかなければならない。おっしゃるように、政党のゴリ押しということを頭に置いてものを考えておられるようでございますけれども、私は政治家というものは国民全体を頭に置いて、国民全体の福祉の向上、世界の平和、いろいろな角度から絶えず勉強している、努力をしている、そういう人種じゃないだろうか、こう思っておるのでございまして、決して政党自身の利己的な立場に立ってものを考えていない。私は自民党員でございますけれども、同時に、日本国民の一人でございまして、日本国民のしあわせを考えながら努力を続けております。場合によっては自民党に不利になることがありましても努力してまいります。
  239. 木島喜兵衞

    ○木島委員 できれば、教育行政のことに関しましては、各党がみんな一致することが一番好ましいことですね。それがまさにいまあなたがおっしゃったことになりますね。もしも自民党だけが賛成で、他の党が全部反対するというようなものは、政党のゴリ押しになるような場合もあるかもしれないような気がするのですが、そんな場合どうお考えになります。
  240. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 議会制民主政治の本質に触れる問題じゃなかろうかと私は思うのであります。私は、やはり国民の間には多様な考え方がございます。いろいろな考え方がございますから、代表者を国会に送って、そこで代表者同士で合意の道をさがし求めてもらう、それが私は議会民主政治の本来の姿じゃないだろうかと思うのでございます。  その場合に、どうしても合意の道がお互い幾ら議論しても生まれてこない。そういう場合には、やむを得ず多数決できめていくのだ、こう思っておるものでございますので、最初から何でもかんでも多数決でいいわけのものでもない。しかし、多数が終始主張していろいろ論議をかわしていく、最後には少数が譲る、どっちも譲り合っていく姿が必要じゃないか、私はこう思っておりまして、教育の場合には特におっしゃるように、ゴリ押しばかりやっていくことが好ましくないことはおっしゃるとおりでございます。
  241. 木島喜兵衞

    ○木島委員 いままでも多数でもって強行採決なんかございましたね。しかも、国民全体に対し直接責任を負うものであるとするならば、たとえいまの自民党は議員はよけいでありますけれども、国民の支持率は前回の選挙では票数から見ると四七%であります。そういう点は直接というものとの関係をどうお考えになりますか。
  242. 奥野誠亮

    奥野国務大臣 私は、直接という表現は国民主権の立場を強く示す、そういう表現じゃないだろうかな、こう私自身は読んでおるわけでございます。同時にまた、国民全体でございますけれども、多様な考え方国民の間にあるわけでございますから、全部が完全に一致する、これはあり得ない。だから、議会制民主政治がとられている。そこで、国民の負託を受けて議会でいろいろ議論をする。そこできまったものは、国民はやはりそのとおり実行していかなければならぬ、受けて立たなければいけない、こういうことだろうと思うのであります。  国民全体に対しということは、やはり先ほどからたびたび申し上げますけれども、大権事項ではありませんよ、教育はそんなものではありませんよ。やはり国民のものですよ。国民のものですが、それをどうきめていくかということになると、やはり議会制民主政治の形で、そこでまとまったものは国民がそれを守っていかなければならないのだ、こういうことじゃなかろうかと思っております。
  243. 木島喜兵衞

    ○木島委員 主権在民の議会制民主主義をとっておる、一般行政と少し違うところは、さっき言った国民全体に対し責任を養うということと、直接責任を負うというところから、実は教育委員会というものが創定され、現在まであるわけです、公選制、任命制は別として。  この辺は、もうやめます。このことを突き詰めてまいりますと、家永裁判の論争にこの間も言ったようになってしまいますから、そこで実は、この場でやることはなじまないだろうと思うから、私の主張はなるたけ避けて、きわめて常識的みたいなことで私は遠慮しておるのです。この点は、しかし、たとえば先ほどもありましたけれども、いろんな学説がある。そういうことを知りながら行政大臣はやっていく。一つの立場だけではなしに、真理は一つという場合もあろう、しかしいろんなものの考え方、いろんな学説がある、学問的にコンセンサスができておらぬものがたくさんあります。それをその一つに立って、そして自民党はいまこういう立場をとっておる、そういう立場の大臣は、やはり自民党員であるから、その一つの学説の立場に立つということがもしありとするならば、これは不当な支配とか直接とかいうことにもからまり、そして公の教育ということばの中身ともいろいろかかわってくる、こう思うので、そういう点はいまこれからこれ以上議論いたしませんけれども、そういう点を十分に認識されながら、教育行政の最高の責任者としてお進みくださることをお願いしまして、私の質問を終わります。
  244. 田中正巳

    田中委員長 次回は公報をもってお知らせすることとし、本日はこれにて散会いたします。    午後四時四十三分散会