○美濃
委員 この問題で、いま
大臣のお話を聞いておって、なるほど
大臣のお考えもわからぬわけじゃないですけれ
ども、しかし、やはり相当勇気を持たぬと、たとえば私
どもがいま提起しておることは、その長い習慣なり実績が凶器に変わったわけですね。反社会的な凶器となっておるわけです。国民生活を苦しめる凶器なんですね。その凶器をもぎ取るときには、あるいはこちらはけがするかもしれません。凶器をもぎ取るときには多少の混乱もあるだろうし、けがするかもしれません。それから、もぎ取る時期も、確かに
大臣の言うようにありましょうけれ
ども、とにかく可能な限り、多少の混乱はあっても、こういうことが改まらぬ限り、逐次もぎ取っていく。もぎ取る過程で多少の混乱やあるいは、反社会的な狂人的な考え方に変わってしまっておるわけですから、狂人が持っておる刃物をもぎ取ろうとすれば、こちらがけがをするかもしれません。しかし、そこまでの勇気が要る段階になってきたと思うのです。もぎ取る時期やもぎ取り方や、それにはやはり一挙にもぎ取ってしまうことがいいのか、いろいろ物の流れとの
関係、現物との
関係もありますから、多少のいろいろ時期的な問題はあろうけれ
ども、原則としてはやはりそこまで行かぬければ、
日本の経済、流通、物価はこういう投機的行為というものがとまらない、こう思うわけです。これは御答弁要りませんから、もう少し前向きになって、
大臣もそれはひとつ検討しよう、やらなきゃならぬ、こう言っておるのですから、その時期なり方法なりにもうちょっと積極的な
——多少の混乱と多少のことはやむを得ない。やはり物の流れを変えるためには、一時的な混乱はつきまとう。その混乱が、とまってしまうような混乱ではいけませんが、多少の混乱はあってもあえてやらざるを得ないと私は思いますから、その点十分ひとつ検討の中で勇気を持っていただきたいと思います。
次に、
農協法の
関係について若干お尋ねしたいと思います。
農協といっても、時代の変遷で都市化地域のまん中に
農協というものが埋没してしまって、調べてみたら、定款の正
組合員要件に該当するものはほとん
どもう何人かになってしまって、結局は全部宅地になって、膨大な土地を売った金が、昔、
組合員ですから、やはり
農協に預金される。
農協といっても、その預金管理が主たる
業務で、販売物もなければ生産
指導も要らない。定款でいう正
組合員要件の者はもう何人しかいない。こういう
農協も、特殊な例ですけれ
ども、あるのです。大都市の中にある
農協は、もう
農協の周辺は全部宅地化してしまった。昔は畑だった。昔は練馬大根なんていうのもあったのですが、あの辺はどうですか。練馬
農協というのもあるでしょう。あの辺に行ってみると、そういう状況になってしまっている。
農協といっても生産
指導も要らない。
農業の生産資材の供給も要らない。スーパーをやれば消費物資は要りますね。やるならばスーパーと
資金管理、それ以外の
組合のためにやる事業というものは変化してしまっている。こういう
事態も出てくる。
それからまた、
資金運用といいますけれ
ども、今日、専業地帯の
農村は、米の
生産調整と物価の上昇に見合わない農産物価格というようなことで、専業農家の
組合員のおる地帯はいずれも
資金余裕はありませんね。オーバーローンですね。専業農家自体がオーバーローン。
組合員が全部オーバーローンになれば、その
組合自体もオーバーローンですね。集めておる金よりも借り入れ金が大きいということです。もちろん専業地帯ですから、構造改善もやれば、規模
拡大もやりますから、そういういわゆる構造改善投資等が加わり、
政府資金、近代化
資金、そういうものが重なって入ってきて、もう
資金運用どころか、やはり借り入れオーバーローンである。これが実態ではないでしょうか。そういう状態の中で、
農業協同
組合というものは、
農業なのですが、現実に
農業というものがなくなったところに
農協だけが実在しておるという面があります。私はこれを極端に非難しておるわけじゃないですよ。またお互い
農協人としてそれらの地域の人がやる、
農業生産物はなくなっても、預金だけでも預けて
農協をおやりになっておるのですから、それがいいとか悪いとか非難をしておるわけじゃないのです。
そういうふうに歴史の中で変わってきたということですね。たとえば宅地転用するにあたっても、
組合員要件というのはだんだんなくなっていくわけですね。今回の
法改正の宅地造成だとか、こういうことが
農協事業として行なわれるようになり、半面、従来の
組合員要件というものはなくなった。調べてみると、もう正
組合員要件に該当する者は何人しかいない。だけれ
ども、それじゃあまりさびしくなるから、定款上の
組合員要件は欠けておっても正
組合員として扱う、こういうことになっておるわけですね。そういう
農協と、ほんとうに国の食料、国民食料の生産をする専業農家をかかえて、それに対していわゆる
農業の生産
指導、集荷、生産資材の供給という形態の
農協、これを同一にして法律を
改正したりするので非常に無理ができてきたんじゃないかと私は思うのです。
そこで、
農業協同
組合の定義をどうするのか。従来の
農業協同
組合の定義といえば、やはり専業地帯での
農業生産
指導、できた農産物の集荷、販売、こういうことが定義となっておる。今度の
農業協同組合法の
改正を見て、宅地を造成するのは
農業でないと思うのです。住宅を建築するのは
農業じゃないと思います。これが
農業という定義になりますか。それはどうですか。
農協というものの定義はこれからどうするのか。そういう
農協の実在を無視するわけにはいかぬ。おかしいではないか、やめてしまえというわけにいかぬ。今度の
農協法の
改正の中の宅地造成は、こういうものがさらにやれるように大きく期待しておる。しかし、それは
農業ではないのだ。宅地造成をして家を建てるのは
農業とは言えないでしょう。言えますか。これからの定義はどうするのだということです。どうお考えになりますか。