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美濃委員 私が申し上げておるのは、十つくって十の
需要といってみたって、
農産物は
豊凶があるわけでありますから、そこはなかなか簡単にはいかないと思います。ただ、申し上げておることは、いみじくも
大臣はモチ米の問題に触れましたが、米の統制を緩和して自主流通にしていると、モチ米は買い占めされる。モチ米の
需要と供給はそのわりに不足でないんだけれども、買い占めされると高値を呼ぶ。台湾からでもモチ米を
輸入して
需給を一〇%ぐらいだぶつかさなければ、とてもじゃないが、高い
価格になる。これが問題だと思うのですね。
ですから、私の申し上げていることは、
需要に見合う
生産、そしてその中から
生産者価値を維持し、消費者に不当な
価格にならないようにするためには、どうしても流通が簡素化される
——いま、自由主義国家における流通というのは二元性は避けられないと思うのです。つくったものを集荷する行為、それが消費者に届くという流通の二元性は避けることのできない
一つの窓口だと思います。それが三元になり、四元になり、あっちでひっかかり、こっちでひっかかりするところに問題がある。そこに買い占めが起きてくるわけです。
ですから、そういう点から流通改善を
——日本の流通の最も劣悪な
条件を放置しておいたところにいまの問題が発生してきたわけです。法律をつくって抑制せねばならぬというところまで問題が発展したわけであります。法律をつくって、法律の
手段で抑制しようとしても、野菜までそれが適用できるのかどうか。私に言わせるなら、法律よりもやはり
需要と供給がぴちっと結びつく契約
手段というものも一方あるではないか。
生産と
需要との間にできるだけ契約取引行為が行なわれれば、買い占めとか不当な問題は排除されるのじゃないか。進んだ国は、その
手段でりっぱな
効果をあげておるじゃないか。流通改善が行なわれた自由国家の中では、最近の
日本のようなこんないまわしい経済現象が起きないだけのことが、契約
手段という中で行なわれているではないか。その契約
手段については、やはりそれだけの契約ができるように、法律による指導と介入が行なわれておる、それでやれる、こう思うのですね。
この
需要に見合う
生産という中では、こういう問題が特に起きてきたわけでありますから、そういう点を新しい
方針として
農林省は真剣に
検討して、そういう
手段と
方針の中から、
生産と
国民生活を守るという行政の筋金が通ってこなければならぬのじゃないか。ただ、さっき
大臣が言われたように、アイデアで、長期
生産の
見通しで
需要の伸びるものは多くつくりましょうという、
需要に見合う
生産というのはそういうのですから、そんなアイデアだけでは済まされぬだろう。
需要に見合う
生産というのは、そんなアイデアでなしに、現実の経済行為として
国民に迷惑のかからない、そして再
生産が確実に行なわれ、つくられたものが中間
経費が最も安く消費者に届く
体制について、根本的な
対策をやらなければならぬ。
最近やっておるように、農協が直売りするマーケットをつくればいいのじゃないか
——私はあんなのはきらいですね。あんなものはばかな
政策だと私は見ております。
生産者みずから売ってみたって、そこに売り子を置けば人件費もかかるし、やはり中にはいままでまじめに流通をやってきた商店もあるのでしょうが、結局はそういうスーパーマーケットと小売り商とが結びついて、第三次産業の
生産人口は過大になる。その中から、どうしても生きていかなければならぬから高いマージンが出てきて、そのマージンというものが消費者の台所を脅かしておると思う。
農民が直接売ってみろ、それが近代的流通だ
——私は、流通というものはそういうものじゃないと思います。大きな間違いをおかしておるのじゃないか。
生産者みずから売るスーパーを拡大すれば、それで物価が下がるだろう
——少し変でないかと思うのです。流通局も設けたのでありますから、流通がふくそうをきわめて、それで消費者物価が安定すると思ったら大間違いですよ。いままでまじめに流通をやってきた人たちだって、やはり生活だし、それをやめてどこかに職を求めるといったって、中高年齢になれば、履歴書さげて歩いても生活に見合う賃金を払ってくれるところはない。結局、それにかじりついていくしかない。結局、流通が太って、水ぶくれで、高マージン。その中で生活しようとすると、ああでもない、こうでもないといって、やはり中間マージンの
増大になって、消費者に迷惑がかかる、一部
生産者が買いたたかれる、こういう
状況が出てきて、何らの役にも立たぬと思うのですね。流通というものはそういうものじゃないのではないか。
日本の場合、いまのところ自由国家であります。自由国家には自由国家なりの筋の通った流通の
方法と
手段はあるだろう。それすら真剣に
検討してやろうとしない。ただ小手先の、
生産者みずからがスーパーをつくって、連合会や農協がスーパーをつくって売り出す。この
手段というものは、私は流通を簡素化して消費者のためになっておるとはあまり思いません。私も農協の組合長です。おかしなことをやるものだと思って見ております。そういうものじゃないのではないか。
農業協同組合というものは、やはり
需要に対して
——私がほしいのはやはり契約ですよ。他の国の例をあげて申しわけございませんけれども、デンマークの共販がどういうことで一〇〇%共販になって、そして
農業は安定し、消費者に対してほんとうに流通が改善されて安く供給されておるか、どういう方式がとられているか、真剣に
検討してみてください。私がほしいのはやはり契約です。それで農協はいいと思うのです、
生産者団体なんだから。安定した
農業生産の確保ができて、それができるだけ安く消費者に渡っていくという方式を
考えなければ、
農民がつくった大根からゴボウ、何でもかんでも
農民みずからが売っていくというのでは、これは商店は全部首切りですよ。ほんとうの合理化といいますか流通というものは、
東京都の中に
農民が全部出てきて、
東京都の皆さんに野菜を全部直売りしていく、そういうものじゃないはずです。契約なんです。契約でできるだけ大量のものが安定的に供給されるように流通の改革をやらなければならぬ。それを意味しておるんだろうと思ったのですよ、
需要に見合う
生産というのは。それが、
大臣の答弁は、客観的なアイデアだという。客観的なアイデアでなしに、そこまで突っ込んでやってもらいたい、こう思います。