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上原委員 私は、ただ見解の相違で片づけていける問題ではないと思いますし、また、これだけ国論が分かれているということも理解をします。そのことは結びとしてあとで申し上げたいのですが、しかし、
沖繩が守れなかった、戦争の犠牲になったということは、これは万一局地戦争といってみたって、やっぱり被害を受けるのは住民なんですよ。
国民なんです。
国民大衆なんですよ。ベトナムがそのいい例でしょう。
政府軍の戦死者が四十万、大体
アメリカが五万、一般民衆が五百万でしょうが。いま報道されている中でもおおよそ五百万か六百万。軍人は死なない。死ぬのは人民なんです。
国民が被害を受けるのです。私はそういう話の原点が間違っていると思うのですよ。だからそもそもああいう平和
憲法が生まれたのだと私は思うのだ。しかし、それがいつの間にか、正義が力じゃなくして力が正義になってきているのだ。それじゃだめだということを申し上げておきたいのです。
沖繩戦争のことでもう一つ、これは
アメリカ陸軍省がつくった
沖繩の戦記なんですよ。お読みの方もたくさんいると思うのですが、これはたくさんいい例があるのですが、一つだけ引用しておきたいと思うのです。「慶良間列島——これは文字通りいえば“慶び”と“良いこと”のあいだにある列島なのだが——ここでは、山中に追いつめられた
日本の軍人や民間人がついに自決して、すさまじい最後をとげるという
日本人の伝統的行為が行なわれた。渡嘉敷島北端に野営していた第三〇六連隊の兵士
たちは三月二十八日の晩はるか遠くに何回となく爆発音や苦痛のうめき声を聞いた。翌朝小さな谷間に百五十人以上の死体が散乱し、また死に瀕しているのがいた。そのほとんどが住民であった。父親が家族のひとりびとりを殺し、さいごには短刀やもっている手投弾でわれとわが命を断ったのだ。この人
たちは、ほとんどそういう組織的な方法で自殺したのである。なかには一枚の毛布の下で、父親が幼い子供二人とおじいさん、おばあさん、それに
自分の身体をしっかり帯でくくりつけ、離れまいとして自殺しているのもあった」「
日本人で自決したのはごく一部で、ほとんどの民間人は、よろよろと
アメリカ側に投降してきた」。これは何も私が誇大に言っているわけじゃない。実際に
アメリカの陸軍省が編さんをした戦記なんですね。そしてこの中には、
沖繩住民がどれだけ戦死をしたかということもちゃんとつづられている。
アメリカがどんな損害を受けて、
日本軍がどうだったということ。ほかにも読みたいこともありますが、時間の
関係があります。
戦争というのはこういう
状態なんですね。だから、私
たちはこういういろいろな事実をもって
考えても、私は、
日本の
防衛のあり方というものがいま重大な局面にあると思うのです。
結びに入る前に一、二点お伺いしたいのですが、
自衛隊が今後
沖繩で共同使用する地域は、
一体どこなのかということをぜひ具体的に明らかにしていただきたいと思います。
それと長官、人口密度から
考えても、先ほど言いましたように、
基地の面積はいろいろな面があるわけですね。しかし、
本土の単純平均からいっても、五千名余りの
自衛隊は、百歩譲ったとしてもこれはあくまで大量配備なんです。その根拠というのは、先ほど
防衛局長はいろいろなことを言っていましたが、明らかに
日米共同声明であり、返還協定であり、そして
久保・カーチス取りきめというものが私は基本と思う。何も
自衛隊法もへったくれもあったものじゃない。
アメリカとの取りきめによってそういう配備になっている。そういうことを
考えた場合に、私がいまいろいろの例をあげて、いかに反
自衛隊、戦争に対するアレルギーというもの、ちょうど
国民が核に対するアレルギーを持っているように、私
たちは
自衛隊に対する異常なアレルギー、異常なと言うよりもこれがむしろ正常なんですよね。アレルギーを持っている。
そういう意味でも、
沖繩に対する
自衛隊配備は、もし、あなたがおっしゃるように、
国民のコンセンサスなり住民の理解を得たいというのであるならば、私は最低限度再検討すべきだと思うのですが、明らかにしていただきたいと思います。