○山田(耻)
委員 老後の年金問題を
物価スライドさせることは
政府としてたいへんな勇断であったというおっしゃり方、私、きのうも財投問題で、財投の二大財源は郵便貯金なり簡易保険なりあるいは厚生年金が軸になっておるわけですが、高福祉高
負担、千分の六十四を千分の七十九に
引き上げて五万円年金。五万円年金には、見せかけであるということは、もう、資料の上でも、現実の上でも、
国民もだまされたという気持ちを最近は持ってきておりますが、私はきょうはその中をここで論議をしようとは思いません。思いませんが、この年金が
物価スライドをなさったから年金の持つファンド、基金としての減価はあり得ないというふうにながめておられるとすれば、私はたいへんな間違いだと思う。だから、
日本の年金というのは、申し上げたように、千分の六十四労使折半で積み上げていって、そして大体——ちょっと私の申す数字は古いかもしれませんが、大体二千万人、
年間八千億、そうして約百万人の人に支払っておる
金額が一千三百億、脱退一時金など、死亡などで支払いますのが約七百億。ですから、八千億集めて二千億支払って、残り六千億が年金ファンドに積み立てられていきます。それを二十
年間そのように積み立てて貯金をして、二十年後にもらうわけです。この減価というものはとてつもない
一つの結果を招来している。
私は、ときどき、変なことを話すのですけれ
ども、財投に使われます簡易保険、私、十五歳のときに五百円入りました。
昭和十二年です。
昭和十二年のころの五百円ございましたら、私のいなかでは、三十坪の家ができて、たんぼが六反買えておった。それを私の母がずっとかけてくれて、そして三十年たってもらったのが
昭和四十二年、私がここに二度目の当選をしていたときです。五百円もらいました。二級酒一本買うたら終わりですよ。私は笑い話として言っておるわけではないのです。これが現実の保険システムなんです。
いまの厚生年金も、毎年、八千億積み立てて、二千億払い出しを受けて、六千億は年金ファンドに積み立てられていく、そうして二十年たってもらう。たいへんな減価です。金利分一〇%として見ていきますと、十五年たてば元はゼロになってくるはずです。だから、そういう
状態を、
物価調整
規定を挿入して
物価調整してやるのだ。それはそれなりにゼロではない。しかし、最近の
傾向は、御存じのように、たいへんな大幅賃上げが続くわけです。大幅賃上げがどこにはね返るかといえば、生活水準の変化にはね返ります。それがさっきの、経済研究所におられる古賀さんが出されたこの論文の中には、その生活様式の変化を一〇%と見ても、これも十五年たったら原価はゼロになるのです。掛け金がゼロになる。ところがこれを財投でどんどん使われていく、その過程ではたいへんな
一つの利潤を生み出していく。それを掛けていった
国民勤労者
階層は、年金を受け取る段階ではたいへんな貧しい年金に変わってしまう。この繰り返しの
根本にメスを入れませんと、あなたのおっしゃっているような、
政府は大勇断をふるって
物価を調整したのだ、それは最終的には全然
国民の
利益には還元されてこないですよ。
だから私は、こういう積み立て貯蓄方式という積み立てファンドのやり方をおやめになれぬだろうか、いま西欧諸国では、この積み立て貯蓄方式をとっておる国は一国もないですよ。みんな一時分配という近代経済の原理に立って、将来にわたって、過去にわたって分配のそういう論戦の段階を経て、一番インフレに強いこの賦課方式のやり方をやっておるのです。それをやりますと、将来老人がふえてきたときに困るからとか、いろいろ理由は言われておりますけれ
ども、そんなものとは違うのです。いまの若い者がいまの老人を救う、これは賦課方式です。いまの
日本の場合でも、八千億
年間集めるものを賦課方式で一時払いしてごらんなさい。年金は一挙に八倍にふくれあがります。いまの年金が二十年で一万六千円ぐらいですからね。そういう方法をなぜ
日本はとれないのであろうか。西欧先進国は一国残さずみなその賦課方式をとっている。そうして
国民福祉ということを着実に実行に移している。いまの積み立て貯蓄方式をとっているのは
日本と南米だけでございましょう。
大臣、いかがでございましょう。
そこらあたりをひとつ切りかえていくことこそがほんとうの福祉国家に衣がえしていく最も近い道であるというふうにお
考えになれないでございましょうか。