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1973-06-18 第71回国会 衆議院 社会労働委員会公聴会 第1号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十八年六月十八日(月曜日)     午前十時七分開議  出席委員    委員長 田川 誠一君    理事 塩谷 一夫君 理事 橋本龍太郎君    理事 山下 徳夫君 理事 川俣健二郎君       大橋 武夫君    加藤 紘一君       小林 正巳君    志賀  節君       住  栄作君    田中  覚君       羽生田 進君    増岡 博之君       粟山 ひで君    枝村 要作君       金子 みつ君    田口 一男君       田邊  誠君    多賀谷真稔君       村山 富市君    山本 政弘君       石母田 達君    田中美智子君       坂口  力君    和田 耕作君  出席公述人         横浜市立大学教         授       小山 路男君         東京大学教授  白木 博次君         社団法人東京社         会保険協会副会         長       松井 忠雄君         法政大学教授  吉田 秀夫君         健康保険組合連         合会常務理事  広瀬 治郎君         医事評論家   大熊房太郎君         東京機株式会         社取締役    成田 武夫君         全日通労働組合         中央執行委員  下徳新太郎君  委員外出席者         社会労働委員会         調査室長    濱中雄太郎君     ————————————— 本日の公聴会意見を聞いた案件  健康保険法等の一部を改正する法律案内閣提  出第四七号)      ————◇—————
  2. 田川誠一

    田川委員長 これより会議を開きます。  健康保険法等の一部を改正する法律案について公聴会に入ります。  本日御出席をお願いいたしました公述人方々は、横浜市立大学教授小山路男君、東京大学教授白木博次君、社団法人東京社会保険協会会長松井忠雄君、法政大学教授吉田秀夫君、健康保険組合連合会常務理事広瀬治郎君、医事評論家大熊房太郎君、東京機株式会社取締役成田武夫君、全日通労働組合中央執行委員下徳新太郎君、以上八名でございます。  この際、公述人方々に、当委員会を代表いたしまして一言ごあいさつ申し上げます。  本日は御多用中のところ御出席いただきまして、まことにありがとうございました。  御承知のとおり、本案はわが国医療保険制度にとりまして重要なる案件でありまして、当委員会といたしましても、慎重な審議を続けているところであります。したがいまして、この機会に広く各界からの御意見を拝聴いたしまして、審議の参考にいたしたいと存ずる次第であります。何とぞ、公述人方々におかれましては、それぞれのお立場から率直な御意見をお述べいただきたく存じます。  なお、議事の都合上、最初に御意見を十五分以内に要約してお述べいただき、そのあと委員からの質疑にもお答え願いたいと存じます。  念のため申し添えますが、議事規則の定めるところによりまして、発言の際はそのつど委員長の許可を得ることになっております。また公述人方々からは委員に対して質疑ができないことになっておりますので、あらかじめ御承知おき願いたいと存じます。  まず、小山公述人意見の開陳をお願いいたします。小山公述人
  3. 小山路男

    小山公述人 それでは、最初に私から意見を申させていただきます。  私ども属しております社会保険審議会は、政府が今回の健保法改正案を策定するに先立ちまして、昨年十二月に健康保険改正に関する建議を行なったものであります。この建議の基調をなしますものは、政府昭和三十七年度以降、政管健保財政収支逆調に転じて以来現在に至るまで、いわゆる抜本改正に腐心しながらも結局は赤字対策に終始する結果になっているということ、しかもこの高度成長の続く中で国民医療福祉に対する要望は日増しに高まっているので、従来の方策を大きく転換して、財政の安定と給付改善とを切り離すことなくこれを総合的に実施すべきであるという点にあったのでございます。今回の改正案は、この建議書に立脚しながら策定されたものと考えております。特に今回の改正案の中におきます家族医療給付改善につきましては、新聞の社説等でも一様に論じておりますように、ぜひとも今回実現をはかっていただきたい点であります。最近における目ざましい医学、薬学の進歩は、かつて不治の病いとされたものの多くを克服しつつあるわけでありますが、これに伴って高額な医療費負担という問題も切実になってまいっております。したがいまして、医療保険空洞化を避ける意味におきましても、家族医療給付の早急な改善国民的な大きな課題となっているところであります。  次に財政の安定についてでありますが、社会保障全般にわたる長期計画の策定が現在強く要望されておるところでありますが、医療保険の中核をなす政管健保財政上の安定を期しませんと、医療保障部門における次のステップを展望していくことが現実問題としてきわめて困難になると考えます。かかる意味におきましても、今回の改正案の中における財政安定等について、与野党問で十分御審議の上、できるだけ一致し得る線を見出していただきたいと考えているものでございます。  次に、改正事項について順次意見を申し述べます。  まず家族医療給付改善についてでございますが、赤字財政の中で、政府原案では家族給付率の六割への引き上げ——これは後ほど申し上げます。それから高額療養費払い制度の創設、さらには分娩費埋葬料現金給付改正という措置を今回とりましたことは、国民要望にこたえるという姿勢を示したものとして率直に評価していいものと考えます。しかしながら、家族給付率の七割への実現はもはや国民医療に対するミニマムな線でございまして、今回の改正案審議を通じて、できるだけ早くその実施の時期を国民の前に明確にしていただきたいと考えます。  次に国庫負担でございますが、政管健保の被保険者中小企業に働いている方々でございます。したがって賃金水準も低く、また組合健保等に比較して女子及び高齢者が多いことなどによりまして、構造的に赤字になる体質を持っているのであります。したがって、これを補強するために今回定率一〇%の国庫補助をとるというのは一歩前進したものであると評価したいと思います。しかしながら、政管健保財政基盤の弱さを今後どのようにして補強すべきなのであるか、政管健保の体質的な構造の検討ということを今後さらに行なっていかなければならないと考えております。  次に、標準報酬上限につきましては、保険料負担の公平をはかる見地から、標準報酬上限はできる限り賃金実態に見合うように改めらるべきでありまして、今回の改正案はおおむね妥当なものと考えております。ここで一言苦言を呈しますと、今日まで賃金実態に即応するように上限手直しをしないで一挙にその改正を行なうということは、理由はいかんともあれ急激な負担増を招くという印象を与えることとなりますので、この点については今後十分にくふうしていく必要があります。  また特別保険料については、原案のままですと千分の七十五という一挙に五も上げなければならないので、政府説明では特別保険料で千分の二程度、二百二十億程度財政効果があるということでこの案を出してきたのでありますが、どうもこの特別保険料現金給付について保険料引き上げ効果が反映しないという点からいきましても、これは極力避けていただきたいと考えるものであります。  また保険料率弾力条項については、特に議論の分かれるところでありますが、短期保険性格論からしては当然必要だ、こういう考え方でございます。しかしながらこの場合でも、国民の納得が得られるためには、これに連動する国庫補助が適正なものであるというようなこと、及びその発動にあたっては給付改善医療費引き上げ等、真にやむを得ない場合に限られる必要があることは申すまでもございません。なお、料率引き上げに連動する例の連動規定国庫補助率が〇・一%に対して〇・四%ということになっていて、これが橋本私案では〇・六%に変えられるということを伺っておりますが、それが適正なものであるかどうか、なお議論があるところだと思います。  以上、今回の改正案について申し上げますと、何と申しましても、今回の改正案が成立いたしませんと政府管掌健保赤字たれ流し状態が続きます。そのことはそのこととしましても、給付改善が行なえないということになりますと、現在すでに医療保険が役立たない、健康保険無力化形骸化ということがいわれておりますのがさらに進行するということになりますので、ぜひこの給付改善の問題は与野党間で合意点を見出して、その実現を期していただきたいものと考えております。  また政府も、今回の改正実現いたしましたら、次の赤字が出るまで一切手をこまねいて何もしないというような態度をとってはならないのでありまして、国民要望に即応できるように、引き続き漸進的に給付改善を手がけていくべきものだと考えております。  最後に、今日医療保険との接点で問題になっております例の差額ベッド付添看護の問題につきましては、いずれも診療報酬と関連を持つ問題でもありますので、近く予定されております医療費改定の際には、これらの問題についても十分配慮をしていただきたいし、また政府側としてもそのための努力を惜しむべきではないと思います。いわばこの条件整備と相まちまして、今後差額ベッド等の問題についても有効適切な解決の方策を見出していきたい、私はそのように考えるものでございます。  以上をもって公述を終わります。(拍手
  4. 田川誠一

    田川委員長 次に、白木公述人にお願いいたします。
  5. 白木博次

    白木公述人 私、臨床科医者ではございませんで、神経病理という基礎医学医者でございますが、しかし基礎医学に入ります前に、精神医学を十年以上やっております臨床医でもございましたので、ある程度臨床のことはわかります。  本日の公述人の中で、医者であるのは私だけのように思われます。したがいまして私は、健保の問題よりもむしろ、医者といいますか、あるいは教育者でもございますので、医療供給者という立場でこの問題をどんなふうに総論的にとらえて考えたほうがよろしいかという点について申し上げたいと思います。  その中で問題は二つございまして、一つ健保赤字、その財政が非常に苦しいというようなことが、実は基本的には今後一体病気というのは、どういう形で質、量的にふえていくのか、そうでないのか、その問題を基本的に考えておきませんと、ただ手直しだけではどうにもならないというのが第一点でございます。  それから第二点としましては、医療受益者立場はそれでいいとして、では供給者というものがそれを受けて立つことのできるような体制にいまあるかどうか。また、それがないとすれば、今後それをどうしたらいいかという問題を同時に考えませんことには問題は片づかない。その二点について申し上げたいと思います。  最初の、今後の見通しでございますけれども、今年度、私、二回ほど公害対策並びに環境保全特別委員会に呼ばれまして、そのつど申し上げてきたことが実はこの問題とからんでいると考えますので、繰り返しになるかもしれませんが、申し上げなければならないわけでございます。  昨今の第三水俣病あるいはPCB問題その他を通じまして、いま国民の健康がほんとうに守られているかどうかという点については、どなたも大きな疑問をお持ちであろうと考えますが、私は端的に申しまして、事公害汚染に関する限りは、ほとんど全国民がいま複合汚染状態におちいりつつあるということを申し上げられると思います。このことは、たびたび申し上げましたように、水銀という問題に関しましては、日本は最高の複合汚染状態にある。たとえば西ドイツの〇・一PPMという毛髪の水銀量に対しまして日本は六・五ないし七・五という、六十五倍ないし七十五倍の汚染度にあるわけでございます。これは世界の最高値を示しているわけでございますが、しかもそのうちの半分がメチル水銀に変わっている。メチル水銀というのは水俣病原因でございます。そういうような、もともとからだの中にあってはいけない毒物をすでに持っている。しかしながら、われわれ自身まだ水俣病にはなっていないわけでございますけれども、その影響がいつの時点でどのような形であらわれるかということは、だれも知らないわけであります。問題は単に水銀だけではなくて、PCBあるいはBHCあるいはカドミウムというような、世界の百倍近く汚染されているわが国においては、おそらくすべての国民複合汚染状態におちいっているということになりますと、発病はしていないけれども健康とはいえない。私は不健康あるいは非健康というようなことばで呼びますし、あるいはまたこれを学問的にいえば不顕性中毒つまり外にあらわれない中毒である。そういう汚染状況にあるといたしますと、国民は決していま健康ではないということを考えざるを得ないわけであります。  その論旨を推し進めていきますと、憲法二十五条に、国民は健康にして文化的な最低限の生活を送る権利があるということが書いてございますけれども、この健康にしてという地盤そのものが、少しシロアリが食っている。こういう見通しの中で、今後どういう問題が起こるであろうかということが、実は健保の問題と結局はからまってくる問題ではないか、そういうふうに考えるわけであります。  端的に申しますと、この問題に対して基本的な手が打たれない限り、次々に病気が発生してくる。そうしますと、幾ら金をつぎ込んでもそれには対応できないという明白な論理がそこから出てくるわけでありまして、したがって健保の問題というのは、そういう総論的な広い立場の中の一つ各論として考えていただかなければどうにもならなくなる時期が来るのではないかということを、私、医学者としてはまず申し上げなければならないと考えます。  第二点としまして、それでは医療供給者というものの立場がいまこういうような問題に対して対応できるかどうかということを、その次に述べなければならないわけであります。  私は、医学というのは五つあると考えます。第一は健康増進医学。第二が予防医学。第三が治療医学。第四は社会復帰医学あるいはリハビリテーション医学。そこまでは大体皆さまがおっしゃるのでございますが、私は、第五の医学として重症医学あるいは難病医学というものがある。この五つ医学というものに対して、一体健保というものはどういう形で対応しているのかという点もよく考えてみないといけないことではないかと思います。  健康増進医学につきましては、いま私が述べましたような、いわゆる国民複合汚染状況にあるという中で絵に書いたもちになりつつあるということは、特別詳しく申し上げなくてもおわかりのとおりだと思います。結局、健保は第三の治療医学というものに対して本質的には対応してきたのではないか。そうしますと、第二の予防医学あるいは第四の社会復帰医学、そして非常に社会復帰がむずかしい、あるいはほとんど困難な難病医学重症医学に対して、一体健保というものがほんとう対応してきたのかということを考えますと、私、医者立場としては、それはそうではないのではなかろうかと考えるわけでございます。つまり、健保というもの、あるいは治療というもの、そういうものにあまりにも費用が食われ過ぎている。あるいはまた実際問題として、ほんとう難病で困っておられる方のほうに対しての対応ということが、むしろあまりできていないのではないかというような矛盾もございます。そういう意味では、ともかく健保は第三の治療医学に対して重点的と申しますか、実体的にあまりにも対応し過ぎたために、ほかの医学がおろそかになってしまっている、アンバランスになっているという中で、医療供給者としてはやはりこの五つのものに対して基本的にきちっとした対応をしない限りにおいては、問題は絶対片づかないというふうに申し上げざるを得ないと思います。  特に第五の難病医学というような問題になりますと、これは去年のたしか四月十四日でございましたか、特殊疾患対策問題で、私ここの席に呼ばれまして申し上げたことでございますが、大体、国と申しますか厚生省の特殊疾患対策というのは、原因がわからない、治療法がない、そして長期の療養を必要とするというような、純医学的な発想から対応されているように思いますけれども、私は決してそう思わないのでありまして、原因がわかっておろうが、治療法があろうが、難病にはなるというふうに申し上げたいと思います。  たとえばその一例をあげますと、交通災害がある。そして頭をひどく打つ。これは原因がはっきりしているわけでございます。そしてその治療救急医療あるいは脳外科の治療という、治療も非常にはっきりしているわけであります。しかしながら、その治療の時期の適切を誤る、あるいはその治療が十分でなければ、そこで生けるしかばねである植物人間というものができた場合に、それをかかえた家族というものは必ず崩壊過程につながっていく。そして日本では、わが国の特殊の風土を考えまして、そういう人々に対する医療なり福祉なりの施設あるいは体系のなさがそこにあるわけでありますから、私は、難病というものは、そういう原因がわかっていようがいまいが、結局日本の現実を加味して起こってきております、医療福祉から疎外されているという、医学的な、社会的な、福祉的な総合概念として把握すべきであろうと思います。そうだといたしますと、これは四百四病あれば四百四病の難病があり得るわけであります。  ですから私は、たしか去年の国会では、健保改正と同時にその基本的な手直しがされなければならないということがあったと思うのでありますが、それが今度の国会で出ているかと思っておりますと、それが出ていなくて、健保手直しだけの問題に限られているように思う。このこと自体に私はやはり医療供給者と申しますか、そういう立場から申しまして、これでは対応できないというふうに考えるわけでありまして、基本的にはもっと医療あるいは医療とからんだ福祉法律用語を使わせていただくならば医療福祉基本法というようなものをここで思い切って設定していかないといけない。そういう中で健保の問題が各論として扱われるならば私はいいと思いますが、その総論問題がここではあまり取り上げられていないということについては、私非常に不満でございます。  その問題は、私が最初に申し上げました今後国民の健康がどうなるのかという問題を真剣に考えてみますと、憲法二十五条の、ほんとう国民生活の一番基本的な基盤であり、不変不同であるべき健康にしてという生活権利内容が変質してゆらいでいる。これでは日本がどのような経済成長をしても、一番の基本がゆらいで何になるのか、そういう点についてやはり真剣に考えていただかないとならない。そうだとすれば、問題は、私が申し上げましたような第一から第五の医学に対してほんとう基本的に対応していかなければならないということになるのではなかろうかと思います。  結局、難病につきましてもう一度申し上げたいと思うのですけれども、これは健康増進治療から始まって、第一の医学を通じて、その連続線として第五の難病医学というものが起こってくる、医学のあるいは医療終末点であるというようなとらえ方もございますけれども、事公害問題に関しまして、私第一から第四の医学を素通りする可能性があると思います。それはいまの汚染というものが次の世代というようなものに対して悪影響を及ぼすということが、これは十分考えられるわけでありまして、われわれおとな自身よりも次の世代というものがむしろ汚染物質に対して弱いわけでありますので、その世代人たちが生まれつきの奇形であるとか不具であるとか、あるいは精神、身体的な素質が低下しているというようなことがございますと、これはいきなり第五の医学に踏み込んでくるわけであります。つまり、第一から第四の医学を素通りして入ってくる、そういうことが十分考えられるわけです。いまその的確な証拠はございません。しかしながら、このまま放置するならばそのような事態が起こらないということはだれも断言できないし、私は医学者立場としてそれを非常におそれるわけであります。したがって、こういういきなり第五の医学に踏み込んでくるというような問題については、一体どのような対応をしたらいいかといえば、これは医学医療というものの第一から第五の医学だけでは対応できない。それ以前の問題であるというふうに考えざるを得ないのでありまして、それならそれでもう少し基本的に、国の政治なり行政のあり方というものをほんとうに真剣に考えないと、私は国民の健康は守れない、病気はやたらにふえてくる、しかも難病的なものがふえてくるというところで、どのように健保手直ししてもそれは対応できないということになるのではなかろうかと思います。  非常に総論的なことでございますが、私はそういう点についてやはり申し上げることが重要だと考えましたので申し上げますが、それをどんなふうに基本的に対応したらいいかということにつきましては、ある程度東京都あたりで実践しておりますので、御質問があればあとでお答えいたしたいと思います。(拍手
  6. 田川誠一

    田川委員長 次に、松井公述人にお願いいたします。
  7. 松井忠雄

    松井公述人 健康保険法改正につきまして、私の意見を申し上げます。  私は長年、中小企業経営の仕事に携っております。現在提案されております健康保険制度改正につきましては、細部については多少の問題点がありますが、基本的には賛成であります。これは一日も早く実施に移されるようにお願いをしたいと思うのであります。  今回の改正案は、約十年間における累積赤字がいまや三千億となりまして、このばく大な赤字をかかえている政府管掌保険財政の立て直しと給付内容を大きく改善していこうというものであります。政府管掌保険の対象は、中小企業零細企業の一部の働く者でございまして、これらの労働者は、大企業に比べまして低賃金であり、職場の環境も悪く、企業としても、被保険者みずからも、健康管理が適切でなく、これらの悪条件が重なりまして赤字の一因をなしたのであろうと思うのであります。  健康保険財政経営一つでありまして、収入と支出のバランスが絶対条件でございます。三千億赤字国庫負担によりたな上げにされるということでありますが、このようにきまりますなれば、政府管掌の被保険者、その家族を合わせまして約二千六百万人でございます。これらはひとしく喜ぶところでございましょう。しかしながら国の負担ということは、汗とあぶらでかせいで納めた税金の中から出されるものでありまして、このことを忘れてはならないのでございます。  私は、今回の改正の案を拝見いたしまして、被保険者プラスの面とマイナスの面を私なりに検討いたしてみました。  まず被保険者プラスの面で見ますと、昭和十八年以来三十年ぶりに家族給付が五〇%から六〇%に上げるようになっておりますが、私は六〇%では満足ができないのでございまして、これは少なくても最低七〇%の給付を願うものでございます。政府管掌保険を受けている者は、経済的に豊かな者は少ないのでございまして、病気の入院が長い期間続きますと、自己の負担に苦しみ、経済的に、精神的に大きなショックでございます。それが七〇%以上の給付となりますれば、ことに一カ月三万円以上の医療費をこえた場合は、三万円以上に対してはその額の全部給付ができるというようなことになりますれば、非常に精神的に、物質的にプラスになるであろうと思うのでございます。  第二のプラスといたしましては、本人及び配偶者が分べんいたしましたときに、本人は現在二万円でございますが、これが倍額の四万円となり、配偶者はいま一万円でございますが、これが四倍の四万円となりますので、かりに入院をいたしましてお産をしましても、約二分の一程度給付を受けられることになりますので、お産を安心してできるのではないかと思うのであります。  第三のプラスの面は、保険給付費の一〇%を国庫負担をされることでございますが、数多い人の中には、一〇%の国庫負担は少ないからもっとふやせということばがあるようでございます。何と申しましても、国の負担というものはすべて税金によるものでございまして、私は、たとえ一〇%でも進んだ考え方であろうと思うのでございます。  第四のプラスの面といたしましては、埋葬料でありますが、いままで家族は二千円であったものが、その十倍の二万円に大きく引き上げられたものでございます。  第五のプラスの面と申し上げますと、一カ月所得が五万円以下の場合には特別保険料を徴収しない。このあらためて徴収を受けない該当者が約二九%を占めていると言われております。  以上、プラスの面をあげてみますと、赤字のたな上げを合わせまして六つになると思うのでございます。  さらに、マイナスの面を申し上げてみたいと思います。  第一に、保険料の〇・三%の値上げでございます。これは、一カ月十万円に対しまして、三百円になろうかと思います。これを事業主と本人とが折半でございますので、百五十円、たばこにたとえて申し上げますれば、一箱半でございますので、それほど負担にはならないと思うのでございます。  第二といたしましては、昭和四十一年から続いてきた上限が、いままで十万四千円が今度の改正では二十万となります。数年にわたる物価の値上がり、所得の上昇等から見ましても、この程度のものなればがまんができるのではないかと思います。  第三のマイナス面といたしましては、ボーナスに新たに一%徴収するという御意向でございますが、この点につきましてはいささか異論がございます。それは、国庫負担で一〇%、保険料の値上げで〇・三%、五万円以下切り捨てるといたしましても、上限が二十万になりますので、この辺で収入、支出のバランスはとれないものであろうか。保険財政がバランスがとれなければやむを得ませんけれども、この特別保険料の徴収というような点はできるだけ避けていただきたい、このようにお願いしたいと思うのでございます。  第四といたしましては、これは弾力調整についてでございますけれども、これは流動性に対応できるように幅を持たせたいという意味のようでございますけれども、経営というものは、だれがやりましてもなかなか思ったとおりにいかないものでございます。多少はそこに弾力的な数字というものがなければ、なかなか経営はむずかしい。そこで私は、やむを得ない、これも認めざるを得ないのではないか、このように思うのでございます。  以上を申し上げまして、プラスとマイナスの面、これを比較いたします。そのうちで最も大きく取り上げるものは、プラスの面の家族の七〇%、これが大きく浮かび上がってくるわけでございます。これができますなれば、これを一日も早く実現に移してもらうなれば、少しの負担が増になりましても十分たえられるものではないか、このように私は思うのでございます。  この機会に、私が平素から考えておりますことを二、三申し上げてみたいと思います。  その一つといたしましては、被保険者に対するところの教育の必要性でございます。被保険者の中には、自分の健康の管理はみずからの自覚によってしなければならないのにもかかわらず、それを怠り、一たん病気になりますと医者に行き、むやみに注射とか、薬をもらってきまして、少しよくなりますとそれを飲まないで捨ててございます。これはごみ集めをしますところの、あのごみの状況の中を見ますと、たいてい毎朝のように私はそれを見かけるのでございます。このようなことでは困りますので、どうぞひとつ、これからはその教育というものに重点を置いていかなければならない、このように思います。それには保険証の乱用と申しましょうか、これは行き過ぎたことばかもしれませんけれども、これは防がなければならない。もちろん病気になりますならば医者にはかからなければいけませんけれども、その前に未然に防止をするとか、あるいは早期発見とかあるいは早期の治療とか、これをいたしますなれば、保険財政を軽くするためにも、国は事業主とかあるいは関係団体等に呼びかけられまして、指導要領というようなものをお示しになるべさではなかろうか、このように考えるのでございます。  最後に、現在の社会保険審議会委員方々は、おえらいりっぱな方だけでつくられております。中小企業零細企業の入っておりますところのいまの政府管掌の中からも、一人ぐらいは代表を出していただけますなれば、中小企業あるいは零細企業の実態とかあるいは実情がつぶさにわかりますので、かなりこの点プラスになるのではなかろうかと思うのでございます。  以上、私の公述を終わりといたします。(拍手
  8. 田川誠一

    田川委員長 次に、吉田公述人にお願いいたします。
  9. 吉田秀夫

    吉田公述人 法政大学の吉田秀夫です。  健康保険赤字が公然化してから、三十九年以来から考えますと九年、国会の内外で非常に健保問題あるいは抜本問題が問題になりましてから、昭和四十二年以来から見ますと約七年余り、いろいろな紆余曲折があったにしましても、根本的な健康保険あるいは医療制度の抜本対策がいまだに一歩も前進しないということに対して、国民の大部分は非常に失望しているのではないかということを、まず冒頭に申し上げてみたいと思うのです。  今回の健康保険の一部改正法案についてはここ数日来一部修正の動きが出ているようでありますが、まだ私も十分聞いておるわけではありませんが、それを入れても、健康保険あるいは医療制度の抜本の方向から見ますと、非常にほど遠い感じがいたします。  そういうことを前提にしながら、私は次の四点について公述してみたいと思います。  まず第一に、社会保険医療保障に対する基本的な考え方の問題であります。政府の社会保障政策の基調は、高度経済成長の中で、あるいはそれを推進しながら、一貫して六〇年代の半ばごろから言われましたのは、高福祉・高負担あるいは受益者負担、あるいは保険主義ということでした。今回の健康保険改正法案を見ましても、このことは非常にはっきりあらわれていると思っております。実は高福祉・高負担ではなくて、低福祉・高負担、あるいは保険主義を一貫して貫こう、そういうかまえがうかがわれます。われわれ国民あるいは労働大衆は何も好んで病気になっているわけではありませんし、最近は病気にかかるということ自体が、いまの物価高、非常に深刻な住宅難さらに交通地獄に加えて、先ほど白木先生からお話がありましたような、激化の一途をたどっておりますありとあらゆる公害の脅威の中で、もはや個人的に個人の責任で病気を防止するというような、そういう段階ではなくなってきております。卑近な例でいいますと、たとえば国民が日々空気を吸いながら、その中から亜硫酸ガスやあるいはオキシダントを区分けしていい空気を吸うというわけにはいきません。また非常に有害な食品の中で、その食品から有害物を取り除くというようなことも、ほとんど国民はできそうもないわけであります。そういう状態の中で、周知のように、高度経済成長が始まった昭和三十年代以来十数年の間に、どの年間をとりましても、大体十年の間に病人が倍増したというようなデータ、これは厚生省のデータであります。こう考えますと、これこそ政治の貧困であり、あるいは国民全体が健康破壊の被害者であるというようなことからいいますと、実は患者、国民が影響を受ける——受益者負担ということば自体が誤りではないかと思っております。さらに先ほど白木先生から話がありましたように、第二次大戦後の近代的な医療の考え方は、少なくとも疾病予防あるいは治療、リハビリテーション、これが原則だった。その上に健康増進、さらに先ほど白木先生は難病まで加えました。こういった理解に立って、最近のたとえば国際保健会議あるいは人間環境国際会議などを見ましても、一体どうしたら人類の命を守りあるいは健康を守り、人類のあるいは各国の健康水準をもう一ぺんやり直すというような動きさえも出ている状態の中で、一体日本健康保険制度はこういったことに対応できるかどうかということが非常に心配であります。しかし、いままで数年来長いこともんできました、少なくとも国会に出ました健康保険改正法案なりあるいは抜本法案を見ますと、こういったことに対してはほとんどたな上げあるいは放任してきたというような感じであります。つまり、こういうふうに考えますと、国民の命あるいは健康に対する政府の責任、ひいては公害問題を考えますと大企業の責任が、いまほど一番きびしく問われなければならないときはないというふうに考えます。これが第一の問題点であります。第二番目は、先ほども小山先生からちょっと出ましたが、中小企業対象である政府管掌健康保険の体質とその保険主義の問題であります。保険主義というのは、年間の保険料収入で年間の支出をまかなうというやり方でありますが、言うまでもなく、政府管掌健康保険の対象である中小零細企業とその労働者、これは健保連の雑誌「健康保険」の今月号を見ますと、一年前の四十七年の六月で事業所が約六十七万、そこに千三百三十五万人の労働者が働いておりますが、うち女子は三十六%ということであります。ところが、従業員五人から十九人までというのがこういう零細企業の約五割六分を占めておりますし、それから四十九人以下という被保険者を見ますと、全体の五二%ということで、圧倒的多数の被保険者が実はきわめて零細な中小企業労働者であるということであります。この政府管掌健康保険労働者の平均標準報酬が、昨年の六月現在で、平均して五万六千三百三十円、うち男子が六万円台で女子は三万円台である。ところが組合管掌のほうはどうだといいますと、組合管掌のほうは、健保組合が千五百二十二で被保険者数が千三十七万人、うち女子が二八%ということですが、この標準報酬は、平均しますと六万八千四百七十九円、うち男子が七万七千円台で、女子は四万五千円台である。これだけを素朴に比較しますと、平均で月報酬の差が一万二千百四十九円という差が出ますが、これは御承知のように、健康保険には上限がありますから、上限を入れますと、これは実質的には大企業と中小零細企業賃金の差は非常にひどいということであります。だからといって、私は、大企業労働者賃金が非常に高いというようには考えません。これは国際的にも日本労働者階級の賃金はきわめて低賃金だというレッテルを張られておりますから、それを前提にしましても、やはり政府管掌健康保険労働者賃金が非常に低いということは明らかであります。こういう政府管掌労働者のほとんどは、実は労働組合さえもない、そういう企業が非常に多いし、したがって、毎年の春闘でやられるいわゆる賃上げには直接に関係できないというような労働者が多数であるということであります。ことしの春闘ではかなり膨大なベアという結果でありますが、たぶん、ことし以後もこういうことで賃金の格差が開いてまいるだろうということであります。  それからもう一つは、中小企業対象の社会保険保険料ということを考えますと、これはすべて折半負担を前提にして、男子でいいますと、健康保険は御承知のように千分の七十、厚生年金は千分の六十四、それから失業保険が千分の十三ということですから、合わせますと千分の百四十七、その半分であります千分の七十三・五が賃金から引かれる部分であります。ところが、今度の健康保険改正法案並びに厚生年金改正法案を見ますと、一挙にこれが労使負担分合わせますと千分の百六十五、さらに労働者負担分でいいますと八二・七%、大幅な負担増になるということであります。一体、ボーナスもまともに払えないような企業にとうてい——年間を通して給料の、企業からいっても約二カ月分近い保険料、さらに労働者にとってはまだまだ一カ月分近いようなそういう社会保険料の高さ、これがやはり問題だと思っております。  厚生大臣は、いろいろなテレビで、大体十万円の給料で、健康保険でいいますとたった百五十円だとしょっちゅう言っておりますが、大体十万円ならばいいほうでありまして、実際には三千三百万人の日本労働者の中で、労働省の発表でも、これは昨年ですが、月収六万円以下が半分だった。この辺の事実はあるいは厚生大臣はおわかりになってないんではないかと思っております。  さらに問題なのは、政府管掌健康保険の一人当たりの年間保険料では、保険給付はもちろんのこと、医療給付さえもまかなえないということであります。これも具体的な数字がありますが、時間もありませんから……。こういうふうに年間保険料収入で医療給付さえもまかなえなくなったのは、実は昭和三十七年以来であります。ですから、十一年もこういう状態が続いているということは、これはまさに政府管掌健康保険保険主義で自前でやれということ自体が絶対に不可能だ、そういう動向をたどってまいりました。  ところがもう一つ問題なのは、政府管掌健康保険の一人当たりの医療給付費が、実は組合管掌の一人当たりの医療給付費よりもはるかに高いということであります。これは数字を申し上げますと、たとえば政府管掌健康保険の一人当たりの医療給付費は、四十五年で三万九千七百八十六円だった。ところが組合管掌のほうは幾らかといいますと三万二千八百十五円ということですから、約六千九百七十一円政府管掌のほうが高いということであります。この辺はなぜかということはやはり究明されるべき問題ではないかと思っております。  さて、なぜこういう収支のバランスが完全につぶれたかということは、これはいろいろな要因がありますが、何といいましても病人が倍増したこと、さらに薬剤費用が全医療費の四割以上という国際的にも例のない医療費の増大にあることは言うまでもありません。したがって社会保険、社会保障のあり方からいっても、その累積赤字政府の責任であり、これは絶対に中小企業労働者の責任ではありません。  今次改定案による一つの目玉商品の医療給付国庫負担率一割というようなことは、政府管掌の体質からいっても非常に低いし、あるいは国民健康保険の四割五分という国庫負担からいっても問題になりませんし、当面二割以上、これは大体そういう国庫負担で国の責任を明らかにするということだろうと思うわけです。もちろん、こういうことで保険料率の大幅な引き上げや、あるいはボーナスの一部まで徴収することに対しては反対であります。  さらに、政府管掌健康保険中小企業には大企業の下請が非常に多いこと、あるいは定年退職でやめた連中が、かなりの部分が中小企業である政府管掌健康保険の被保険者になるという事実、これは総評や、あるいは労働省、厚生省、あるいは健保連の調査でもはっきりしております。たとえば健保連の四十三年の調査によりますと、千人以上の事業所で働いている人が定年でやめますと、大体六八%は政府管掌健康保険の事業所に働いている、こういう事実があります。したがって低賃金と労働強化、あるいは中高年ですから非常に病気が多いということを考えますと、私はこれまた大企業の責任だと思います。したがって国と大企業の責任と負担医療保障を確立するということは、決して単なるビジョンということではなくて、現実のこういう実態から出てくる当然の姿ではないかと思います。  なお、健康保険制度を採用しております資本主義国家の中で、健康保険の労使の保険料率の折半を行なっておるところは、西ドイツ、オーストラリアなど数カ国にすぎず、大部分の国は事業主のほうが負担が多いということを考えますと、わが国健康保険制度が、健保組合と船員保険を除いては、政管健保あるいはすべての共済組合あたりがすべて折半だということ、ここにも問題があります。  その三は、今次健康保険改正法案の中のいわゆる弾力条項についてであります。この弾力条項が昨年の国会で最大の焦点になったことは知られているとおりであります。しかし、多年にわたって健保問題あるいはそれに関連して日本医療制度の持ついろんな矛盾、不合理、こういったことが国会の非常に鋭い審議を通じて重要な焦点になって、そのこと自体が実は国民の非常に大きな関心を高め、あるいは理解を深めてきたと思っております。その一つの焦点は、やはり政管健保保険料率の引き上げということにあった。これは国民からいいますと、国鉄運賃引き上げや、あるいはその他公共料金の引き上げ、あるいはまさに異常だと思われるような諸物価の上昇のもとに、健保まで上がるということに対しては、国民は非常に大きな不安とあるいは抵抗を持っていることは当然のことであります。この事項が国会審議あるいは議決をやめて厚生大臣の専決事項というようなことになりますと、国会に対する国民の期待を裏切ることになるし、これは国会内部でもいわれますように、議会制民主主義を否定することにもなるというふうに考えます。社会保険審議会で議を尽くすといいますが、国会審議審議会の審議では比重にも大きな差があることは言うまでもありません。特に、千分の七十を七十三、さらに八十までという弾力条項は、これはいずれば診療報酬引き上げ必至だという状態の中で、あるいはその他いろんな諸要因を考えますと、私はあっという間に千分の八十くらいには引き上げることになるのではないかと思います。  さらに、弾力条項とともに重要なことで、案外無関心で——外には無関心のような状態にありますのは、今回厚生保険特別会計法の改正案が提案されていることであります。それによりますと、今後健康保険財政赤字を出した場合に、一年以内に保険料率の引き上げによって返済できることが明らかでなければ、借金することができないように会計法を改正しようというものですから、先ほど述べた保険主義の堅持であり、あるいは政府管掌という政府の責任を回避して、今次健康保険改正法案の成立を機会に、これまでなかった自前の方式を貫こうというねらいではないかと言わざるを得ません。  四番目が、今次健康保険改正法案の中の目玉商品ともいうべき一連の改善事項であります。  その一つは、家族給付率を五割から六割、また、伝えられる私案によりますと来年十月から七割にするということでありますが、これは何といいましても非常におそ過ぎたということであります。よく引き合いに出されます市町村国民健康保険でさえも、昭和四十三年一月にはオール七割給付になりました。国際的な社会保険、社会保障の歴史的な発展を見ましても、労働者あるいは労働者家族の社会保険は、農民や自営業者のそれよりもはるかに優先して今日まで来ております。これが日本の場合には無視されて、労働者家族政管健保では農民、市民、自営業者よりあと回しになったこと自体、これは非常に不合理な政策だったと思います。たぶん政治的ないろんな配慮、考慮のもとでなされたものであったと思いますが、七割は当然で、さらに当面は法定で八割給付の線まで上げるべきであろうと思います。さらに、先進諸国の多くは、これは一九六九年の調べでありますが、医療保険家族給付率は被保険者本人と同じであり、わが国のように家族給付率を引き下げている国はきわめてまれだということをつけ加えておきます。  二番目の、本人並びに配偶者分娩費または家族の埋葬費がそれぞれ引き上げられたことですが、これまた久しい間ほとんど改善されなかった。今回の引き上げ額をもってしても、先ほどちょっと公述にございましたが、実際にかかっている費用の半分、これはもう非常に格差があるということであります。それならば、正常分娩のもし額を上げるのならば、今回の改善を機会になぜILOの百二号条約あるいはILOの百三十号条約でいう、正常分娩を給付の対象にしたという、そういう姿勢に踏み切らなかったかということであります。  なお、ILO条約は予防給付を非常に重要視していることをつけ加えておきます。  その三つは、家族の高額医療費の問題であります。大体自己負担額が月に三万円以上をこえた場合、その分を保険でめんどうを見るということは、これは一般の外来の場合にはきわめてまれではないかと思います。ただ、入院の場合、特に非常に大きな手術をした場合には、これは該当いたします。これは確かに前向きの施策といえます。しかし問題は、現在の健康保険医療制度、特に病院の現状では、われわれ労働者本人でも安心して入院できない、そういう現状であります。これは言うまでもなく入院時に多額の保証金を取られ、安くとも一日千円あるいは数千円の部屋代を取られ、さらに添き添い料、こういうのはもうすべて保険給付の外であります。依然として圧倒的な看護婦の不足で、ベッドを閉鎖している国公立あるいは私立病院が最近は非常にふえてまいりました。つまり皆保険のもとで、保険あって医療なしといわれるような現象が、全国各地に非常に展開しているというような事実、かなり現金を持たなければ、家族はもちろん、労働者本人も入院できないという事実、この辺が問題であります。  そのほか医療制度のいろんな矛盾、不合理は一ぱい山積しております。  終わりに、これを見ますと、今次健康保険法改正法案は、若干の改正の方向があっても、これは中小企業とその労働者に対する負担を増大せしめて、これからは短期で、あるいは一年ごとに収支のバランスをとっていくんだという、そういう保険主義のもとの赤字対策と言わざるを得ません。いま労働者国民の大多数が望んでおりますのは、やはり安心していつでもどこでも良心的なかつ近代的な医療が受けられるというような、そういう根本的な改革を望んでいるわけでありまして、医療保険医療制度にはいろんな利害得失が一ぱいありますが、あるからといってこれを放任することは、先ほどの白木先生の話ではありませんが、あるいはこれは民族衰退の道をたどるような、そういう感じがいたします。したがって国会の場合には、現状に即して応急的な、あるいは恒久的なそういう改善、改革の道を審議して、その中で何から具体的にやるかというようなことを見出しながら、一歩一歩実施していくのが政治の責任であり、国会の義務ではないかと思います。  若干延長いたしましたが、以上で公述を終わります。(拍手
  10. 田川誠一

    田川委員長 次に、広瀬公述人にお願いいたします。
  11. 広瀬治郎

    広瀬公述人 ただいま国会審議されております健康保険法の一部改正案につきまして私の意見を申し述べます。  わが国国民保険実施いたしまして以来もうすでに十数年を経過しておるのでございますが、その間に国民がこの医療保険制度によって非常に大きな恩恵を受けていることは事実でございます。しかしながら、現在の状況を見まするに、医療保険制度及びそれに関連する諸制度におきまして非常に数多くの重要な問題が未解決のままになっておると思います。たとえば政府管掌健康保険が非常に巨額の赤字をかかえて、その運営にも渋滞を来たしておるということ、あるいは給付につきましては、本人には若干の一部負担がありますが、原則として十割給付、それに引きかえまして家族は、制度創設以来五割給付のままに据え置かれているという問題もございます。また一方、医療供給体制が非常に整備されていないという基本的な問題もございますし、また診療報酬のあり方や医療を担当する医師の教育の問題にもいろいろの問題がございます。まあこういうことで、皆保険とはいうものの、最近は医の倫理の低下とかあるいは医療の荒廃というようなことがいわれておりまして、次第に国民医療に対する不信の念が高まっているように思われますことは、非常に憂慮にたえないところでございます。  このような現状でございまして、今回の健康保険法の一部改正案は、これらの問題の一部につきまして対策を講じようとしておるのでございますが、昨年国会に出されましたような医療基本に関するような法案も提出されておりません。その他の諸問題につきましても、今回は何ら対策が出されていないことは非常に残念に思うわけでございます。  しかしながら、これらの医療保険に関するいろいろの基本的な諸問題につきまして抜本的な改正をすべきであるという意見が相当前から出されていたのでございますが、これがいろいろの状況でその解決の方法すら現在見出されていないのが現状であることは、私も承知しております。確かにこの医療保険の仕事に実際に私も携わっておるものでございますが、医療保険の諸問題の解決にはいろいろ関係者の間で利害が対立したり、錯綜したりする問題もございまして、これらの諸問題を一挙に解決するということは、口では言いやすいのでございますけれども、実際には非常にむずかしい問題であるということも承知しております。  そこで今回の改正案を考えますると、国民が久しく待望をしております家族給付改善すること、あるいは保険財政の健全化をはかること、特にわれわれ健保組合が多年にわたりまして強くその実現要望しておりますところの標準報酬の改定を行なうということが内容になっておるわけでございまして、この点はいずれも必要なことであると考えておりまして、私ども健康保険組合連合会といたしましては、今回の改正案は全般的に言って決して万全のものであるとは考えておりませんけれども、現状から見ますると、一歩ないし数歩前進であると評価しておるのでございます。  厚生大臣もこの法案の提案理由の説明の中に、実現可能なものから段階的に制度改善に着手していくという見地に立ってこの法案を出されたという、その考え方をお示しになっておられますが、私どももまずこの改正案を早急に実現をし、引き続いてその他の諸問題につきましてできるだけ早く解決するように努力していただきたいと思うわけでございます。  このような情勢を考えますときに、実現可能なものから段階的にやっていくという方法がきわめて現実的なものであり、かつ有効な方法であろうと考えております。  次に、本法案のおもな項目につきまして意見を申し上げます。  まず第一は、給付改善についてでございますが、この中で私は、家族に対する高額療養費制度を創設しようということにつきまして、高くこれを評価しておるものでございます。医療保険の目的は、申すまでもないことでございますけれども、医療費負担することによって家計が破壊される、これを保険的な方法で解決しようということでございまして、特にその必要の高いものは、高額の医療費を要するものについてでございます。特に最近医学、医術の進歩が著しく進みまして、一方それに対応してきわめて高額の医療費を要する疾病もふえてきておるわけでございます。一カ月に二十万円、三十万円はおろか、百万円をこえるような医療費を必要とする疾病も間々出てきております。このような場合に、現在家族がその五割を自己負担するというようなことでは、たちまち家計が破壊されるわけでございまして、こういう場合には保険があってもほとんど役に立たないのでございます。  このような観点から、家族に対する高額療養費制度をつくられるということは、まさにこの医療保険の目的にかなうものであると考えております。現にこのような高額の医療費を必要とする病人を家族にかかえておられる家庭では、一日も早くこの制度実現を望んでおるという切実なる意見が、新聞にも多く投書されておるのでございます。  次に、家族医療給付費の割合を現在の五割から六割に引き上げるという案になっておりますが、確かに一歩前進であることには間違いがございませんけれども、関係審議会の答申にもありますように、なぜこれを七割あるいはそれ以上にできないのか非常に疑問に思うわけでございます。少なくとも家族給付率を七割にすることについて、だれも異存がないと考えます。おそらく問題はその財源にあると思います。当然給付改善する以上はそれに必要な財源が必要でございまして、その財源としては通常、国庫負担あるいは保険料というものが考えられるわけでございますが、かりに、保険料もこれ以上上げるのは反対だ、国庫補助もこれ以上出せないということであれば、私は現状においては、本人のわずかな一部負担を引き上げてでも、その財源を家族給付の引き上げに回したほうがいいのではないか、このように考えております。現在皆保険とはいわれておりますけれども、このように本人と家族について非常に大きな給付割合の差があるということは、放置しておくことは何ら事由がないと思うわけでございます。したがいまして、できるだけ家族給付につきましても引き上げを実現していただきたいと思うわけでございます。  次に、現金給付も引き上げられることになっておりますが、まあこの程度の引き上げは現状から見ましてもう当然のことでありまして、むしろ従来のほうがあまりにも低かったのだといわざるを得ないと思います。  いずれにいたしましても、このような給付改善を行なうためにはそれ相当の財源が必要であることは申すまでもないわけでございます。この点につきまして今回の案は、体質の弱い政管健保につきまして国も補助金を増額し、一方保険料もある程度引き上げるということになっております。そういうことで関係者協力して財源を確保し、給付をよくしようという考え方は正しいと思います。特に国庫補助は、従来定額の二百二十五億円という、いわばつかみ金であったものが、今回の案では定率の一〇%ということになっておりますので、従来から比べれば国も相当責任を感じて思い切った措置をしておるというふうに考えるわけでございますが、やはりこの国庫負担というものはつかみの考え方ではいけないので、どういう考え方で国庫負担を出すか、どういう部面には保険料で負担するかという理論的な究明をさらにすべきであろうと考えるわけでございます。  その次に、保険料率のいわゆる弾力条項について申し上げます。私は、医療保険のような短期保険制度におきましては、制度上はこういう弾力条項というものがあるのは当然のことであろうと思います。現に健康保険組合におきましても、毎年予算をつくるにあたりまして、過去の実績あるいは今後の見通し等を勘案いたしまして、収入、支出をできるだけ正確に予想して予算をつくるわけでございますが、実際問題といたしまして、予想外のインフルエンザがはやるとか、あるいは先般のように思いがけず保険医の総辞退というようなことも行なわれまして、当初見込んだよりも予算が余ったり足りなくなったりするということが往々にしてあるわけでございます。このように前年度の実績を見ながら、明年度の予算を組む場合に、保険料率を上げたり下げたりして適正な予算を組む必要があるわけでございます。そういう意味におきまして、この短期保険にはやはりこの保険料率弾力条項というものが制度上は必要なものであると考えるわけでございます。  しかしながら、この弾力条項の運用につきましては十二分に留意しなければならないものであると考えるわけでございます。単に財政が苦しくなったから弾力条項を発動して収支を合わせるというような安易な考え方ではいけないと思います。保険財政を健全化するためにはやはり収入を確保し、不当あるいは不必要な支出をチェックし十分に経営努力をすることが第一でございまして、それでもなおかつどうしても収支が合わないというときに初めて保険料を引き上げるということになるわけでございます。そういう観点からいたしまして、私はこの弾力条項制度上は必要であるけれども、その運用につきましては十二分に慎重に行なうべきであるということを強く要望したいのでございます。  なお、ボーナスから保険料を取るという問題につきましては、このボーナスの性格から考えまして私は直ちには賛成しがたい点であることをつけ加えておきます。  また厚生保険特別会計法の改正によりまして、政管健保累積赤字をたな上げし、これを全部一般会計で補てんするということになっておりますが、これはまあいわば国の英断であると考えておりまして、その点大いに敬意を表するわけでございますが、実際問題は、過去の赤字の処理ということにつきましてはもうこういう方法しかないだろうと考えております。  最後に、標準報酬の等級の改定につきまして申し上げたいと思います。  これは特に健保組合の立場から考えましても、ぜひとも実現をしてほしいものの一つでございます。御承知のように現在の標準報酬上限十万四千円というふうになったのは昭和四十一年のことでございまして、その問今日まで約七年間も据え置きのままになっております。その間に大体賃金水準は約二倍に引き上げられております。その間、医療費の改定も数回行なわれておりまして、医療費の支出も相当ふえております。  一方、賃金はふえておりますけれども、保険料の算定の基礎になる標準報酬がただいま申しましたように十万四千円で頭打ちになっておるために、賃金がふえてもそれに見合って保険料収入がふえないということになっておりまして、健保組合も最近は一般的には非常に財政が苦しくなっておるのでございます。  このことは、単に財政問題だけではなしに、被保険者の問で、所得の高い者と低い者との間に保険料の負担の不公平という問題が起こっておるわけでございます。現在、健保組合におきましては平均してこの十万四千円の上限で頭打ちになっておる者が約三〇%おりますが、このまま放置いたしますと、おそらく本年度中には三七、八%になると思います。そのために、その所得が十万四千円以下の者も、あるいは十五万、二十万の者も十万四千円に対しての保険料を負担することになっておりますので、結果的に見れば、所得の低い者よりも所得の高い者のほうが実質的にその負担割合が低くなっておるという非常に矛盾した結果になっておるわけでございまして、この点は被保険者間の負担の均衡という点からも当然に改定すべきものであろうと思われます。  この点につきましては、先ほども御意見がありましたように、今回一挙に二十万円にするということになりますと、いかにも負担が急激にふえるような感じがするわけでございますが、これがもし過去におきまして賃金水準の上昇に見合って一年ないし二年ごとに改定されておればこういう問題がなかったわけでございまして、むしろ私どもといたしましては、こういう長期標準報酬の改定をそのままにしておかれたことは政府並びに関係者の怠慢ではないかとすら考えておるわけでございまして、この点は健保組合としても特に実現をお願いしたいと考えておるわけでございます。  以上が各項目についての概括的な意見でございますが、最初に申しましたように、この医療保険にはその他いろいろの重要な解決すべき問題がございます。しかし現実問題としてすべての問題を一挙に解決するということは実際上不可能であろうと思いますので、まず実現可能なもの、国民並びに関係者がぜひ実現を強く要望しているもの、そういうものから一歩ずつひとつ改善をしてもらって、さらに次々の問題に着手していただきたいと思うわけでございまして、本法案につきましてはひとつ早急に成立をお願いしたいと考えております。  しかしながら、今回の改正案につきましても、全般的には賛成でございますけれども、先ほど申しましたように、若干の項目につきましてはやや疑問の点もあり、あるいはさらに積極的な改善を願っている点もございますので、これらの点につきましては国会におかれまして十分御審議の上、国民のためによりよい改善案をつくられることを心から歓迎することを申し添えまして、私の意見を終わります。(拍手
  12. 田川誠一

    田川委員長 次に大熊公述人にお願いいたします。
  13. 大熊房太郎

    ○大熊公述人 大熊でございます。健康保険法等の一部を改正する法律案について私の意見を申し述べさせていただきます。  この法案は、要するに給付改善政府管掌健康保険の健全財政をはかるのが目的であるというのが提出の理由であるように拝見いたしますが、しかしこれをしさいに検討いたしまして、率直に私の意見を申し上げますと、この実体は、しょせんは政府管掌健康保険赤字解消のために被保険者に急激な負担の増加をしいる大幅な値上げ法案であるというのが私の印象でございます。それで、それと引きかえの給付改善にいたしましても、決して満足のできるものではないというのが私の結論でございます。以下簡単に、特に問題があると思われる項目につきまして私の意見を述べさせていただきます。  まず第一の家族医療給付改善という項目でございますが、その第一の家族療養費の給付率を五割から六割に引き上げるという条項について意見を申し上げますと、現在御存じのように国民健康保険ではすでに家族も七割の給付ということになっております。また組合管掌健康保険もその付加給付によりまして、すでに七割以上をこえております。こういう状況の現在、一割の引き上げでは決して私は改善という名に値しないのではないか、こう考える次第でございます。  私はかねがね考えていることでございますが、大体、本人と家族とで、たとえば十割と五割というふうに給付率が違うというのは非常におかしいことではないか、こういうふうに思っております。これは人間の生命とか健康の問題に関しまして、本人とか家族の差別というものは本来ないはずだ、私はこういうふうに考えるわけでございます。それで、これはだれでも平等にやはり進歩した医学医療の成果を与えられるべきだというのが私の考えでございます。それで、現にたとえば家族を構成する老人、子供は比較的有病率、病気のある率が高くなっております。でございますから、本来はこの年齢層にまず十割給付というのが妥当ではないか。それで働き盛りで、相対的に有病率の低い本人が十割、家族がやっと今度六割というのは論理的に非常におかしいのではないか。やはり将来は十割給付というのは私は家族にも及ぶべきであると考えておりまして、そういうようなことを考えましたら、現在この給付というのは六割ではなく、最低少なくとも七割以上にすべきであるというのが私の考えであります。  次の条項の家族の高額療養費の支給、この問題でございますが、一応の前進は私は認められると思いますが、家族十割であるべきであるという点からいたしますと、私はこれに満足できないのでございます。第一、この高額療養費の三万円という線でございます。ここはどのような根拠によってこの三万円という数字が出てきたのか、この辺に私は疑問を感じるのであります。たとえば、これはなぜそういうことを申し上げるかと申しますと、要するに付加給付のない政府管掌健康保険では、現実に五百円とか千円程度の自己負担にも苦しんでいるのが実情でございます。私はそういう点から考えまして、これは三万円よりもかなりはるかに下に線を引くべきであるというのが私の考えであります。  それから今回のこれは一部償還制を取り入れたことになると思うのでございますが、これが将来あるいは私は療養費払い制の突破口になるのではないかという懸念も持っているのでございます。これは私は現物支給にすべきではないだろうか、こう考えます。それからもう一つの懸念は、老人医療費のように現在公費で負担している医療費の一部を、この制度保険財政でまかなわせることになる、こういう点についても私は注目したいのであります。それからもう一つ問題がございます。たとえば現在かりに長期入院をいたしまして、毎月三万円ずつかかった者の救済措置はどうするのかということでございます。たとえば一カ月十八万円かかって、あとで十五万円返ってまいります。しかし、毎月三万円ずつ払いまして半年間かかった場合には、一銭の償還もない。この辺の救済措置をどうするのであろうか、こういうことを感ずるのであります。  その次に保険料率の改定というこの項目でございますが、私は保険財政において、支出の面についての対策がほとんど講じられていない現在、ただその収入増だけをはかる保険料率の引き上げには反対でございます。しかも弾力的調整によって八%まで引き上げられる可能性があるわけでございますし、さらに賞与から一%の特別保険料が徴収されるというのでは、あまりにも過酷であるというのが私の印象であります。したがって、この改定には私は反対でございます。  それから特別保険料の徴収、これは組合管掌健康保険では任意徴収であるにもかかわらず、政府管掌健康保険では強制徴収というのは第一社会的な公平を欠いておりまして、そういう意味からも私は反対でございます。大体ここに当分の間の措置としてと書いてございますが、こういう問題についてはやはり期間とか期限というものを明記すべきではないだろうか、こう考えます。これでは永久にくぎづけされるのではないだろうかという懸念があるからであります。  次に定率国庫補助の新設という項目でございますが、定額制から定率制への切りかえという点については私は一応評価いたします。しかし、元来政府管掌健康保険というのはその制度の構造からいって、脆弱な財政体質を持っているわけでございますから、ここは思い切った国庫補助が必要であると思います。現在国民健康保険の四〇%という数字を考えましたら、少なくともこれは二〇%以上が必要である、こう考えます。この辺でもうそろそろ、相互扶助を前提とする保険主義のワク内で医療保険というものを考える時代は過ぎたのではないか。もうすでに社会保障の観点に立ってこの医療保障を考える時代が来ているのだということをお考えいただきたいと思うのであります。  次に保険料率及び国庫補助の弾力的調整の問題でございますが、これは私はこの前の公聴会でも反対いたしましたように、今回も全面的に反対であります。こういう国民生活に重大な影響のある問題は主務大臣の所管に置くものではございません。やはり国会審議を経るべきであるというのが私の考えであります。それからもう一つ政府管掌健康保険赤字財政原因一つはいわゆる日の丸親方的経営にあると考えられるのに、これによって、ますます経営努力が安易になるおそれがありはしないかというのが私の考えでございます。  以上、特に問題があると思われる項目についてごく簡単に私の意見を述べましたが、ともかく無医地区があったり、救急医療体制が不備であったり、また入院すればベッドの差額料金や付添料を取られるというように、医療供給体制が非常に不備な状態に置かれている現在、そういう面への改善がほとんどなく、保険料だけはどんどん値上げしていこうというのでは、あまりにも片手落ちであると思います。しかも、今回のように個人負担による収入増のほうに政治の重点が置かれまして、たとえば不合理な診療報酬体系のあり方、これは薬剤乱費型の治療体系に最も典型的にあらわれていると思いますが、こういうことの是正なしに、いずるを制するというような問題についての努力がないということも片手落ちではないかと思います。  以上がこの改正案を拝見しての私の意見でございます。(拍手
  14. 田川誠一

    田川委員長 次に、成田公述人にお願いいたします。
  15. 成田武夫

    成田公述人 成田でございます。  健康保険制度につきましては、当面する政府管掌財政をどのようにするかをはじめといたしまして、多くの問題をかかえているように見受けられます。  これらの問題を早急に解決し、将来にわたって安定した制度として確立していただかないことには、われわれ国民医療の確保は非常におぼつかないと痛感いたしております。  いまや、健康保険制度は、国民生活に不可欠の制度でありまして、これを充実発展させていくことが国の責任となっており、国民の側から見ましても、その発展を強く要望するところであります。  日常生活におきまして、私どもにとって空気や水がどんなに大切であるかの気持ちが薄らぎ、ごくあたりまえのような感じで接しておりまして、そのありがたさがわからないのと同様に、国民全般にわたりまして健康保険制度の存在がごく当然で、あたりまえのようなもの、すなわち空気や水と同じ程度に必要欠くべからざるものになっていることを冒頭に強く指摘いたしたいのであります。  この制度を、よりよいものにしていくためには、まず給付の充実が切実な問題となっております。  今回の法律改正案を見ますと、給付面において久方ぶりの改善がはかられておりまして、この面では早急に実現させていただきたいと考えております。  特に、家族が重い病気にかかった場合に、三万円の負担を限度といたしまして、残りは健康保険給付するという案は、非常に画期的な前進と評価できます。  次に、家族給付率の引き上げにつきましては、五割を六割に改められるようでございますが、引き上げること自体は非常にけっこうであると思いますが、引き上げ幅につきまして希望を述べさせていただくならば、少なくとも現在の国民健康保険給付率並みの七割まで引き上げていただけないものかと思うものであります。と申しますのも、現在入院を必要とするような病気にかかりますと、五割の患者負担のほかに、差額ベッド料等相当多額の諸経費がかかるのが実情であります。したがいまして、まず給付率を七割に引き上げて患者負担を軽くしていただきたいと思います。そうして、この法案成立後は直ちに保険以外にかかる諸経費の軽減対策といったものも手がけていただきたいと希望するものであります。  次に保険料率の改定等、財政対策、すなわち私どもから見た場合は負担増となる一連の改正案についてでございますが、もちろん私ども中小企業にとりまして、保険料などの引き上げは少なければ少ないほうがよいにきまっているわけでありまして、現状でも相当な負担になっておることは事実でございます。したがって、御当局におかれましても、負担を低く押える最大の努力は払っていただきたいと思うものでありますが、しかし私は、保険制度を前進させ、また充実させるためには、国民も応分の負担はやむを得ないと思うものであります。苦しいながらも、冒頭申し上げましたこの制度を守っていただくための最小限の負担は、あえて反対すべきではないと思うのであります。  そういった観点に立って、改正案を見てみますと、保険料率の千分の三の引き上げは、政管健保の現状からしてやむを得ないのではないか、また標準報酬上限の引き上げは、現在の賃金額の実態から見まして、また負担の公平という観点から見まして、やむを得ないことだと思います。  すなわち一定の財源を確保する必要がある場合、料率のみを手直しして、標準報酬上限を据え置くという措置よりは、むしろ、標準報酬賃金の実態に合致させるほうを先行させるべきであると思うのであります。  なお、ボーナスよりの特別保険料の徴収につきましては、ボーナスが勤労者世帯の赤字補てんの役を果たしております意味合いから、どうしても勤労者の感情的反発は避けられないものと考えられます上に、特別保険料の分が給付にはね返らないという弱点があり、また一年に二回ないし三回支給するボーナスのたびに計算するという事業主の事務量の増加を考え合わせまして、でき得ればこれを避けるべく再考いただきたいと願うものであります。  次に、国庫補助金の定率化についてでございますが、先般来、私が応分の負担増加はつらいながらもやむを得ないと申しておりますのは、今回の改正案が大幅な保険給付改善を伴っていることが最大の理由でありますが、さらに国としても相当の負担増に応じている点も評価できるからであります。  改正案を拝見しますと、国庫補助金を一〇%の定率にしているようでございまして、現行の二百二十五億円の定額に比し、満年度で六百四十八億円の増額であり、総額では八百七十三億円と聞いております。  しかし、先ほども申し述べましたように、中小企業の脆弱な体質を十分に考慮していただき、給付改善に要する費用などが必要になった場合には、あたたかい考慮を払っていただき、さらに補助率を引き上げられることを希望するのはもちろんのことでございます。  以上、改正案のおもな事項につきまして、私の意見と、いささかの希望とを述べさせていただきました。  重ねて申し上げますが、私どもは負担増なしに制度改善されるのであれば、それにこしたことはないとの考え方ではありますが、保険制度のよさは、お互いが応分の負担をしながら、保険のよさを生かし、すばやく、かつ十分に充実した給付を受けられるところにあると信じております。またそれが本筋と思うものであります。  今回の改正案につきましては、われわれの負担増はあるものの、国も累積赤字をたな上げすると同時に、国庫補助金を増額して制度の安定と給付改善をはかりました点をより評価いたしまして将来のよりよい充実を期待して原則的に賛成すると同時に法案の早期成立を望むものであります。  以上をもちまして、私の公述を終わります。(拍手
  16. 田川誠一

    田川委員長 次に、下徳公述人にお願いいたします。
  17. 下徳新太郎

    ○下徳公述人 私は、現在、国会審議されております健康保険法などの一部改正案について、働く者の立場から、労働者立場から意見を申し上げたいと思います。  今日、医療に関する一番の問題点というのは、患者数が非常にふえるに応じた現状の中で、医療の供給体制というものが完全であるかどうかという問題と、医療費が高くつくことについての不安と疑問、こういったものが非常に大きな問題としてあるのではないかというふうに考えます。  私たちが加盟をしております総評が、ことしの二月に北海道、新潟など五つの都市で十九の国立、公立病院を対象にして医療に関する実態調査をいたしました。この中で明らかになったことは、やはり医療費が高くついているということ、しかもその内容は当初予想したよりはるかに高額であったという事実であります。たとえば家族五割給付による病院への治療費の支払いよりも、差額ベッド料の問題なりあるいは付き添い費の問題食事の補い費の問題、雑費の問題など、その他の費用というものが、この病院に支払う医療費よりは多くなっているという事実が明らかになってまいりました。特に差額ベッドの問題付き添いの問題あるいは食事の補いの問題については、今日の医療供給の実態をまさに如実に物語っているものではないかというふうに考えます。一番の問題は、差額ベッドについて厚生省の見解では、希望する人のみが入るということになっておりますけれども、実態は普通ベッドより差額部屋の多いのが今日の病院の実態であるかと思います。また、病院によりましては差額部屋が六〇ないし七〇%に達しており、いわゆる患者が選択の余地のない、まさに強制的に入らざるを得ないといったのが現状のようであります。  このことにつきましては、私ども調査をいたしました長野日赤病院のある患者は、保険で支払う部屋はほとんど空室にはなっておらず、どうしてもその部屋に入ろうと思えば一カ月も待機をしなければならない、自分たちの病状からいって待つわけにはいかないので、しかたなく差額部屋に入ったということを言っております。このことばが、今日の差額部屋の問題が個人の選択によらずして、まさしく強制的にその部屋に入らざるを得ないという実態を如実に物語っているのではないかというふうに考えます。またその差額ベッド料も、御存じのように一日五百円から千円あるいは二千円となっており、それだけ支払うだけの値打ちのある部屋になっているかと申し上げますと、ベッドとベッドの間はただカーテンで区切っておるだけであり、そのベッドは木でつくられており、ぎしぎしとして非常に病人にふさわしくないものになっており、あるいは、冷蔵庫なり自炊施設というものがほとんどないというのが今日の差額ベッド状態であるわけであります。  付き添いの問題にいたしましても、基準看護であれば付き添いをつけなくても行き届いた十分な看護が行なわれるのがたてまえになっておりますけれども、看護婦不足による看護体制の不十分から、軽い病気の人を除いて付添人をつけざるを得ないというのが今日の実態であります。その費用も一日千五百円から二千円、非常に大きくかさんでおります。  病院の給食につきましても、入院患者の九割の人たちが非常に不満を持っておりますし、そのため一日百円から二百円、自前でもって食事の足りない面を補っております。もちろん病院という特殊な環境の中で、それぞれの個人の好ききらいがある中で、病院給食のみをもって一〇〇%満足されるということはないと思いますけれども、その不満の原因が、病院経営の合理化や下請によって給食材料費を切り詰めたり、あるいは料理士、配ぜん婦、看護婦などの要員不足から来ているとすれば、大きな問題でなかろうかというふうに考えます。  このようにして医療費は、かりに本人が一日千円の差額ベッドに一カ月入院して治療を受けたといたしますと、食事の補い費、雑費を合わして大体四万円から五万円の費用がかかっているということであります。もちろんこれは治療費あるいは診療費とは別のものでありますし、これに付添人をつけるといたしますと、高額な費用がかかるということが明らかであります。  家族の場合はどうかと申し上げますと、それぞれの病気内容によって違いますけれども、治療費として毎月三万円から四万円、手術や検査の多い月は何と十万円から二十万円という高額医療費が必要となってきております。これでは、貧乏人は医者にかかれないという昔のことわざどおりの状態というものが、今日の実態というふうになっております。したがいまして、これら入院患者のほとんどがその費用の捻出に困っており、何とかならぬのかという訴えを私どもにしております。  しかもこの医療費問題は、単に治療費問題だけにとどまらず、ひいては家庭生活そのものを根底からくつがえし、あるいは夫婦離婚の問題にまで発展することを、この実態調査の中で入院患者が非常に心配をしているという事実を注視をしなければならないというふうに考えます。  なぜ、これだけ医療費が高くつくかということを考えますときに、その理由は厚生省当局も十分に承知のこととは存じますけれども、私なりに考えてみますと、今日の国民の健康状態、受診率の増加、すなわち医療の需要が拡大しているにもかかわらず、それに対応した十分な医療の供給体制というものが、あるいは医療保障というものがなされているかどうかということが大きな問題であろうかというように思います。  昭和四十六年、厚生省の国民健康調査によりますと、国民の有病率は人口千人当たりで百十・三と、昭和三十七年の五十三・七に比べましてまさに二倍強というように発表されております。これは国民十人当たり一人は病人かけが人だということであります。当然のこととして、年齢が高くなるにつれて急カーブにふえております。特に私どもが重視をしなければなりませんことは、一歳から四歳の乳幼児が昭和三十七年が三十・六であったものが、昭和四十六年では九十二・四、三倍強となっているこの事実は、次代をになう乳幼児の健康破壊がきわめて早いテンポで進んでいるという事実を私どもは見のがすわけにはいかないと思うわけであります。  また傷病の種類別を見てみましても、循環器系統あるいは呼吸器系統の患者が約三倍、消化器系統におきましても約二倍になっており、患者数も昭和三十五年に四百四十九万人、昭和四十年五百八十一万人、四十六年には七百二十四万人と著しくふえているという事実は、御承知のとおりかと思います。  このことは、大気汚染によって、せきやたんがとまらない、あるいはのどが痛い、鼻がただれるという病人がふえている事実を物語っているものでありますし、このことは明らかにもうけ第一主義の高度経済成長のひずみが、産業公害は日本列島をなめ尽くし、食品公害と薬の害などは人間のからだにまさしく赤信号を点滅させているという、環境と健康破壊の結果を生ぜしめたといっても、私は過言でないというふうに考えます。それだけに、政府と大企業の責任がきわめて大きいといわざるを得ないのであります。  先ほども吉田先生が申されましたように、私ども働く者は好きかってに病気になるわけではありません。病気やけががこうした社会的な要因から生じたものであるとするならば、これこそ政府と大企業の責任において十分なる保障をすることは当然であろうかと思います。  しかしながら、現在の政府医療行政を見てまいりますと、率直に申し上げまして、私先ほど申し上げましたように、高額医療費の例に見られますとおりに、これとは全く逆の方向に行政がなされていると言えます。たとえば国立、公立病院の社会性、公共性ということを忘れて、いわゆる独立採算制、企業化の方向に移行するというこのこと、安上がりの医療費政策による診療報酬制度の問題あるいは医師や看護婦不足の実態を放置をしていることなどなど、医療保障の抜本的な対策が全くなされていないという事実を私は指摘せざるを得ないと思うわけであります。  いま一番重要なことは、交通事故や公害などの生活環境、社会環境からいかにして国民の命と健康を守るかということであります。医療の社会化、公共性、こういうものが叫ばれている今日、病気やけがをした場合は、いつでもどこでも無料で医者にかかれるようにすることこそが、政府医療行政の中心でなければならないというふうに考えます。そのためには私は、これから幾つかの問題点について、特にこの機会に要請なりお願いをしたいというふうに思います。  その一つは、私も先ほど申し上げましたように、真の医療行政というもの、真の医療を保障させるためには、給付改善はもとより、当然にして家族を含めた十割給付というものを早急に確立をしてもらいたいというふうに考えております。家族の五割給付国民保険の七割給付では、もちろん給付がないよりはましだというふうなことはいえますけれども、多額の自己負担というものを余儀なくされている国民生活に大きな影響を与えている事実は今回の調査でも明らかになりましたけれども、政府の考えております家族六割給付と、高額医療負担については三万円の改善点を示しておりますけれども、この六割給付は五割に比較をして五十歩百歩というにすぎないのであります。しかもこの高額給付の問題については、一レセプトについて三万円をこえる給付では、第一には一カ月三万円の負担が可能な家庭というものは非常に少ない、あるいは第二には一レセプト三万円というのは一人一カ月三万円をこえる場合ということであり、家族一人一人が三万円をこえた場合にしか給付をされていないこと、あるいは第三には総合病院の外来ではいわゆる内科とか眼科とかあるいは外科とかいうように二つの科以上にまたがって診療を受けた場合でも、一科ごとに三万円をこえる給付をしなければならない、こういうことが事実であるとするならば、実際に考えているほど給付改善にはならないのではないかというふうに考えているわけであります。したがいまして私はこの機会に強く、家族を含めた医療費については十割給付というものを実現をしてもらいたいというふうに考えます。  その第二は、差額徴収の問題であります。あるいは患者負担による付き添いの廃止の問題、いわゆる診療報酬以外の負担を一切なくするということについて私は処置をしてもらいたいというふうに考えます。  先ほども申し上げましたように、現在家族給付五割による病院の診療費の支払いよりも、差額ベッドの問題あるいは付き添いの問題あるいは食事の補いの問題は、まさに診療費よりたくさん払われているという事実から考えまして、私はどうしてもこの問題についてメスを入れなければならないというふうに思います。したがって、 こういった問題について患者負担が増大をするというこのことについて、早急に是正をしてもらいたいというふうに考えます。  第三の問題といたしましては、病院給食の内容の貧弱と、あるいは給食時間というものが非常識に早いというこの苦情を、何とか患者の気持ちを率直に吸い上げる、そういった処置をしてもらいたいというふうに思います。  第四には医師並びに看護婦をはじめとする医療従事者の充足の問題であります。すでに御承知のとおりでありますけれども、日本病院管理学会が昭和四十二年に行なった世界病院管理専門調査報告によりますと、国際的な一般水準の医療従事者数は百ベッド当たり二百人から三百人と報告されているものに対しまして、わが国では同じ百ベッドで六十人程度になっているのが今日の実態であります。これは厚生省の調査でも明らかになっております。したがって、世界的な水準に比較をして三分の一から五分の一の人数では、とうてい医療内容の充足ということができないわけでありますから、こういった面につきまして、少なくとも医師並びに看護婦を含めた医療従事者の充足の問題について大きくメスを入れなければならないというふうに思います。少なくとも最低基準というものを設定をして現行医療法に基づくそういった基準を大幅に引き上げることが急務であろうというふうに考えます。     〔委員長退席、山下(徳)委員長代理着席〕  第五の問題といたしましては、今日のいわゆる政府の安上がり医療費の政策の問題であります。  現行の医療法は、御存じのように医療審議会におきまして医療機関と医療費の二点を審議するということになっておりますが、医療審議会では医療費問題を審議することなく、医療費決定にあたっては中医協すなわち中央社会保険医療協議会が大きな役割りを果たしておりますし、その中医協は医療費値上げに要する財源と保険財政との関係にとらわれざるを得ない性格を持っておりますし、したがって保険財政が先に立つ以上、必要な医療の確保より大企業中心の健保組合のふところぐあいと政府管掌健保における国の負担を少なくさせる傾向のもとでは、保険財政に従属をし、医療内容の充実を無視した診療報酬制度になっているというのが今日の実態であります。しかも日本の病院の八〇%は民間の病院によって占められ、しかも独立採算制というたてまえをとらざるを得ないという実態から、差額ベッドの徴収の問題その他雑費徴収の問題についてはどうしてもそのことを避けて通るということにはならないと思います。したがいまして私は、使用者と国の責任でまともな医療内容が保障できる診療報酬制度の確立を急ぐべきであろうというふうに考えます。     〔山下(徳)委員長代理退席、委員長着席〕  第六には、国立あるいは公立病院を大幅に増設をして、あるいはできるならば民間病院に対する公費補助をしてはどうかというふうに考えるものであります。教育問題などでもそうでありますように、医療は、先ほども申し上げましたように、いつでもだれでもがどこでも十分な医療を受けられる、こういうふうな権利としての医療保障が確立されなければなりませんが、そうした医療の公共性あるいは社会性に立つとするならば、日本の病院の八一%、診療所の九五%が独立採算制をとらざるを得ない私的医療機関に占められている現状から、国及び地方自治体が運営する国立、公立医療機関を大幅に増設をして、その国公立の病院が指導的な立場の中で医療機関配置を行なう必要があるのではないか。この際特別会計制や地方公営企業法による独立採算的な運営を排し、一般会計からの大幅な繰り入れによって医療サービスに徹することこそが、今日国民全体が望んでいることではないかというふうに考えます。したがって公共性の立場に立つならば、採算医療の弊害になっておりまする設備費の問題あるいは運営費の問題について大幅な公費補助というものを何とか考える中から、差額ベッドの徴収禁止の問題、付き添いの費用徴収の問題あるいは医療従事者充足の問題について義務づけを行なうことが、今日非常に重要な問題でなかろうかというふうに考えているところであります。  第七番目といたしましては、医療従事者の資格、教育体制の確立であります。  先ほども申し上げましたように、今日の医療供給体制から申し上げまして非常に看護婦不足は慢性化の傾向にありますし、そういった面から考えまして医学医療の進歩に即応した資格内容というものを持たせるとともに、その教育の面におきましても、充足の面におきましても、公費による体制というものがはかられなければならないというふうに考えているところであります。  こういったもろもろの問題について抜本的な対策を考えなければ、今日医療行政という問題、医療保障という問題が、先ほども申されましたように、保険あって医療なし、こういうことをいわれてもしかたがないのではないかというふうに思います。このようにして、今日早急に解決しなければならない医療制度の確立に目をそらしながら、ただ政府管掌健康保険赤字解消を保険料の値上げという勤労国民の犠牲と負担の増大によってなされようとする今回の健康保険改正案には、どうしても納得ができないものでありますし、反対をするものであります。  しかも、この赤字原因の問題は幾つかあげられますけれども、特に製薬単価と薬剤ウェートの高さにある事実に何らメスを入れることをせずして、抜本的な赤字解消にはならないと思うのであります。  いずれにいたしましても、政府は、今日の医療の現状から考えまして、医療の社会性、公共性に見合った医療供給の拡充をはかるとともに、医療費を軽減させるなど、医療保障制度抜本改正をはかりながら、国民要望にこたえていただきたいということを強く申し上げたいと思います。  最後に私は、わが国健康保険制度病気の予防、保健指導食餌療法、栄養指導などの対象になっていないという欠陥を持っておるということについてであります。疾病の発生原因にメスを入れ、非常に強い勢いで上昇しております有病率の問題あるいは患者数の増大に歯どめをかけるための処置というものを何らかの形でしなければならぬと思います。特にそのためには予防医療の確立についてぜひとも取り組んでいただきたいということを最後に申し上げまして、私の意見といたします。(拍手
  18. 田川誠一

    田川委員長 以上で公述人意見の陳述は終わりました。  この際、午後一時まで休憩いたします。     午後零時十一分休憩      ————◇—————     午後一時三分開議
  19. 田川誠一

    田川委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。  公述人に対する質疑を行ないます。申し出がありますので順次これを許します。加藤紘一君。
  20. 加藤紘一

    ○加藤(紘)委員 公述人の午前中のいろいろな御意見、非常に貴重な御意見としてわれわれ伺わせていただきました。その中で医療体制の問題というのはほんとうに根本的な問題を多く含み、単なる保険財政の問題だけでは論じられないという側面は確かにあると思います。それでその関係からいろいろな質問を申し上げたいのですけれども、幾つかの点にしぼって質問させていただきたいと思います。  最初白木先生にお尋ねいたしたいと思うのですけれども、先生はいわゆる保険の問題を考える以前に、この社会においてなぜ病気が発生するか、その根本の問題を考えよというふうにおっしゃっていられたわけです。それでその専門的な立場からの御意見、確かにわれわれもよく胸に入れておかなければいけないし、先生は、保険の問題の公聴会であるけれども、しかしわれわれ政治家の発想というものをとにかく直させなければいかぬというような、そういう意味で特に保険には触れられないで根本的なことをわれわれに御意見くださったものと考えております。しかしそれと同時に、現実に病気が発生する。きょうもあしたも発生しているという事実、これはわれわれ否定できない。そして、確かに公害などによってわれわれの社会、いろいろな問題がありますけれども、この空気をあしたにでもきれいにするということは技術的に不可能でありまして、それとは逆に、あしたにまた病人が発生するということは現実に起こり得るわけです。  そういう意味において、われわれはやはり健康保険制度という問題の改善給付改善ということをやっておかなければならないという現実の使命に立たされているのではないかと考えております。その意味において、公害などによって難病が発生する。この難病なんかが発生した場合に、多くの患者は非常に高額な、長期の療養に立たされるわけであります。そういう意味からも今回の政府の案に出されております高額療養費の支給の問題、それから家族給付の率の引き上げの問題、これはある程度評価されてしかるべきであるし、またすぐあしたにでもやらなければいけない問題ではないか。確かに政治家は健保の問題、いろいろ論議しているらしいけれども、とにかく高額の支払いだけは困るし、入院中の問題は非常に困るんだから、早くやってくれという声があるのも現実だと思うのです。そういう意味において、確かに先生のおっしゃるような社会全体の問題として病気の発生しないようにということはわれわれも注意しなければいかぬと思いますけれども、制度改正給付改正という問題も考えなければいかぬと思いますけれども、この点について所見をお伺いいたしたいと思います。
  21. 白木博次

    白木公述人 お答えいたします。  確かにそのとおりでございまして、いまここでいろいろ審議になっておるものを前向きに積極的に進めていただきたい。それは賛成でございます。ただ、ずっといろいろな公述人のお話を伺っておりまして、私どうも、人の命ほど大事なものはないのだ、人の健康ほど大事なものはないのだという基本的なフィロソフィーと申しますか、そういうものをしっかり頭の中にたたき込んでからこの健保の問題の拡大といいますか、それを考えていただきたい。技術的にいろいろな、賞与から取るのはいかぬとか、あるいは家族給付を全額にしろとか、それもけっこうでございます。そのとおりだと思うし、そういう意味では政府の提案が十分でないような感じについ工も、私も同じでございますけれども、私はやはり二十五条、先ほど申し上げましたのですけれども、健康にして文化的生活を送る権利がある。文化的生活というのは、健康にしてという前提があっての話でございますね。ですから、何よりもがによりもともかく命が大事であり健康が大事であるという、そういう基本的な哲学の中で問題を考えていただかなければならないと思うわけです。  多少お答えがズレますけれども、たとえば地方自治体病院というようなものが公営企業法の中に入れられておりますね。この発想も私よく考えてみますと、いまの私のような考え方から言うとちょっとおかしいのじゃないか。つまり交通問題であるとかあるいは郵便問題と同じようなレベルで医学の問題、病院の問題が扱われている。あえて公共性という問題からいえば、確かに国鉄もあるいは私鉄も、都バスですか、それと医療の問題、公益という意味ではそうだと思うのですけれども、憲法二十五条に健康にしてという一番土台の問題がそこではっきりうたわれているわけでして、したがってそういう面から見た場合に、一体交通や郵便と病院というものの基本、公益性というものは、ぼくは質が違うと思うわけです。人間の命、人間の健康というもの、基本的には一番それがベースである以上は、公営企業法が実体的には収支バランスになっているというものの中では、ほんとう意味でまだ私には納得できない。そういう哲学の上に立って健保の問題というものをやはり基本的にもっと考えていただかなければならないと思うわけです。結局私的医療も公的医療も、私は患者を扱う以上は内容が変わってはいけないと思うわけですが、しかし公的医療というものに課せられている使命はやはりそれ以上のものを持っている。端的に言いますと、公的医療と申しますか医療それ自体は私は教育と同じだというふうに考えるわけです。一体、医療に投資された金が黒字になって返ってくることは何か。それは病院の収支がバランスをすることではなくて、早く病気が発見され、あるいは早く治療され、そして早く社会復帰できる、あるいはもうそういう社会復帰できない方は社会の連帯責任においてこれを守っていく、そのことが黒字だと思うのですね。そうだとすれば、そういう理論の上に立って、そういうものの考え方の上に立って、あらゆる健保の問題も拡大の問題も考えていただきたい。拡大すること自体は私は賛成でございます。現実に病気が発生していることも事実でございますから、当然それに対して対応しなければいかぬけれども、しかしそのものの考え方の基本がどうもまだ医療に関しては依然として収支バランスという考え方があるということ自体を私はもっと考えていただきたいという意味で、そういう制限つきで賛成でございます。
  22. 加藤紘一

    ○加藤(紘)委員 現実にこれから人間が社会の中でいろいろ活動していきますと、病気も多種多様になってふえていくだろうし、それからまた保険体制というものが整備し給付が非常に高まれば、やはりそれに伴って患者数、現実に病院に保険を使って行く人間、医療を受けようとする需要という問題もふえていくことは現実だと思うのです。それで白木先生とそれから小山先生のお二方にお伺いしたいと思うのですけれども、よく医療供給体制の根本問題を考えろという提言がございます。それで、きょう白木先生は公述人の方の中で唯一のドクターでもあらせられるし、いわゆる開業医制度の問題と、いまおっしゃった公的医療機関等の問題を将来どういうふうにして考えていったらいいのかという、ある意味では論議すべきではあるけれどもするのが非常にためらわれるような多くの根本問題があると思うのですね、その点に若干お触れいただけたらありがたいように思います。  白木先生からお願いしたいと思います。たとえば開業医制度というものとホームドクターとの関係とか、それからよくいわれますけれども、かぜ一つなおすために東大病院がわずらわされるとか、そういう問題についてであります。
  23. 白木博次

    白木公述人 お答えいたします。  先ほどもちょっとその点はもうすでに触れていたのですけれども、私は私的医療と公的医療と二つの医療というものをとらえます。その現実は一応認めた上での発言になりますが、これはおのずから機能分担がある、その機能分担の上で両方が連携すべきである。私は公的医療機関につとめる者でございますのでまず公的医療機関の立場から申しますと、公的医療機関というものがほんとう国民に対していい医療を提供するためには、単に病院が整備され、そしてそこに治療その他をやるというものが整備されているだけではだめなんであります。つまりいい医療を提供するためには必ずその裏に教育の問題とそれから研究の問題があるということをはっきり申し上げたいと思います。つまり教育というのは、新しいお医者さんが絶えず入ってこなければならない、古いお医者さんだけになるとその病院の質は低下いたします。新しいお医者さんが入ってくれば、当然それに対して教育しなければならない。それは医者だけではないのでありまして、看護婦さんをはじめもっとたくさんの職種がある。そういうものに対してやはり教育というものをやらなければ、質の向上は期待できないということでございます。それからもちろん研究しなければほんとう医学の実体はわかってこないという意味では、まあ私は教育、研究が先行して医療あとについてくるというんじゃなくて、いい医療を提供するためには必ずそういうものがある。そういたしますと、この健康保険制度の中でいまの教育とか研究という問題は絶対出てこない。その分だけは必ず赤字になるわけです。だが、そういう赤字を投資すること自体が、私がさっき申しましたような意味でそれが、教育予算と同じに考えていただくならば、それこそが黒字だ、そういう論理がはっきりいえるのではないか。  もう一つの不採算というのは、保険点数にのらない高度の医療をやはり公的医療機関が提供しなければならない、その分だけもう赤字になってくる、こういうことでございます。私的医療との関係はおのずからその機能分担があるということと、もし本質論をいえば、アメリカに一つのオープンシステムというのがございますね、つまり開業医も家庭医もその公的医療機関のスタッフとして、パートタイムスタッフと申しますか、そういう形で連携できれば一番いいわけですけれども、その連携をはばんでいるのが実は保険医療制度であるということを一言申し上げます。
  24. 小山路男

    小山公述人 お答えいたします。  開業医制度と公的医療機関との関係についてでございますが、大筋は白木先生と私も同意見でございまして、開業医さんをわれわれから考えてみますと、やはり地域に密着した、われわれの生活の中でしょっちゅうごやっかいになっている先生でして、この開業医制度の持つよさもそれなりに評価しなければいけない。ただそれが、その開業医を通じて公的医療機関の世話になる、つまり医療ネットワークのようなものが将来形成されてくる、そういうことを私どもは願っておるわけでして、地域医療の確立とか包括医療体制ということが口ではいわれておりましても現実はほとんど制度化されておらぬ、こういう点日本医療制度の持つ非常にむずかしい問題——これは利害関係もからみますので非常にむずかしい問題だと思いますが、しかし今後の包括医療あるいは健康管理体制というような問題を考えますと、開業医と公的医療機関との連携の強化というのは必至の趨勢だと考えております。
  25. 加藤紘一

    ○加藤(紘)委員 どうもありがとうございました。  次に、吉田先生にお伺いしたいと思うのですけれども、今回の健康保険法改正には確かにいわゆる保険料率の引き上げという問題もありますけれども、その以前に標準報酬の引き上げという問題が一つ財政対策として大きくあるわけですね。それで、これは確かに、何人かの公述人の先生からもいままで手をつけなかったのは怠慢であった、その怠慢のそしりも免れぬという御意見があったように思いますけれども、この標準報酬の引き上げという問題はやはり保険料の公平な負担、能力に応じた負担という面からいったらぜひやらなければならないことだと私は考えますし、また社会保険審議会の場においても労働者代表のほうもたしか賛成していたポイントであったように思うのです。それで、この点について吉田先生は特にお触れにならなかったように思いますけれども、この標準報酬つまりいま端的にいえば逆進的になっているこの点を改正するというこのポイントについては、賛成でございますか。その点についてお伺いいたします。
  26. 吉田秀夫

    吉田公述人 確かに私は公述の中ではそれは触れなかったわけですが、いままで私が書いたりあるいはしゃべったりしている態度は、やはり高い所得のある人は当然高い負担をすべきであるということで、いまの御質問には賛成でございます。
  27. 加藤紘一

    ○加藤(紘)委員 続いて吉田先生にお伺いいたしますけれども、保険料率を上げる、十万円で百五十円といっても、それはやはり上積みの百五十円なんであって、確かに負担は多いし、年金の問題もあるのだ、だから国と大企業負担においてこれが給付改善ができるようにしていかなければいけないという御意見であったように思います。それでもしこれをそのとおりいたしますと、具体的にどういうメカニズムでそういうことを実現していくかという点を考えるに及びますと、さっと出てまいりますのが、いわゆる組合健保とそれから政管健保という問題を調整したらどうか、そういう議論が必ずすぐ出てまいると思うのですけれども、この点について御所見をお伺いしたいと思います。
  28. 吉田秀夫

    吉田公述人 そうですね、昭和四十二年の厚生省の事務局案も含めて、昨年の健康保険の抜本改革の方向の中に、少なくとも政府あるいは与党側の一番の焦点は財政調整プールだと思うのですね。財政調整プールというのは、すべての使用者の医療保険をプール計算で特に黒字の健康保険赤字にその余剰金を回すということだったのですが、これは国会審議の中で、たぶん昨年の春国会に出す段階では撤回なさった。撤回なさったということは、やはり日本は資本主義社会ですから、したがって、かなり資本あるいは保険者団体あるいは一部労働組合からも抵抗があったと私は思っております。それほど実は非常に財政調整はむずかしい、もう資本主義自体の持つ体制があると思うのですね。それならば、政府管掌健康保険に対して、もっと質問を煮詰めますと、国が出すということは、たとえば一割あるいは一割五分、二割ということで出ます。じゃ大企業はどういう責任を持つかということになると思うのですが、これは非常にむずかしいと思うのですね。ストレートにいまの制度の仕組みの中では無理ですが、ただ先ほども公述の中で申し上げたように、賃金標準報酬等も非常に低い。そのくせ組合健保よりも非常に病気が多い。その辺の一番基礎に、経済的基盤は、これはまさに全体の政治の流れの中で出た中小企業のいわば経済の二重構造ともいわれるもろさですから、その辺の責任は、国の政治全体に大企業の発言が非常に強い現状ですから、まず言えるのは、やはりまともな賃金にするというために、まだ日本には十分に確立していないはずの全国一律の最低賃金制の確立が前提になります。さらに労働時間、労働基本権でも入りますと、やはり組合の団結権、団体交渉権あるいはストライキ権も含めたこの辺をヨーロッパ並みにするということは、全体の国の政治の問題だと思う。そういう当然前提としての政治全体の持つ社会的あるいは経済的条件の整備こそが、私は大資本の責任だと思う。ずっと詰めますと、結局はいまの税制の仕組みをかなり大きく切りかえるということなしには、大企業あるいは大資本が税の形で大幅に負担するということは不可能かもわかりません。この辺はこれからの非常に大きな問題ではないかと思うのです。  以上です。
  29. 加藤紘一

    ○加藤(紘)委員 そうすると、健康保険抜本改正のみではできなくて、やはり日本の産業構造の抜本改正までいかないとなかなかストレートには、先生おっしゃった国と大企業による負担ということはなかなかむずかしい、こういうことでございますね。
  30. 吉田秀夫

    吉田公述人 はい。
  31. 加藤紘一

    ○加藤(紘)委員 わかりました。  それから、これはきのうのNHKテレビの国会討論会でも長々とやられた問題点でありますけれども、いわゆる弾力条項でございますね。これは正直なところいって、私初めて国会に出てきた人間で、初めてこの案を見たら、まあこの程度なら当然であろうというふうに考えたものなんですけれども、確かに国会審議権に対する問題点というのはあるようにも思いますけれども、よく調べますと、失業保険にもあるし、それから労災にもたしかあったと思います。それから共済組合、ほかの健康保険組合の問題にも全部ある調整だと思うのです。吉田先生にお伺いしたいのですけれども、その弾力条項というものは、いわゆる根本的にどうにも認められないという筋合いのものなんでしょうか。
  32. 吉田秀夫

    吉田公述人 ちょっとむずかしい問題の御質問で弱っておるのですが、たとえば労災保険、失業保険については労働保険という名前にして、その保険料徴収その他新しい徴収方法をおつくりになったことがあるのですね。たぶん昭和四十四年の公布で実際には四十七年から施行になった。したがって労災保険、失業保険の場合には、その労働保険の徴収に関する法律という一種のワクがございますからね。だからそれがストレートに、弾力条項はどうかというようなことはたいへん問題だと思うのです。  それから、共済組合並びに健保組合の場合には、一つ健康保険法規という法律のワクの中で、組合のいろいろな規約で一応自主的な運営ということになっておりますね。そういう点から言いますと、政府管掌健康保険自体は、これは政府が一切保険料を徴収して、一切の給付を責任を持つということです。ですからちょっと他の保険、あるいは共済組合、健保組合とはかなりウエートが違う。それだけ政府は責任を持たなくちゃならぬし、そういう点から言いますと、やはり数の点からいっても政府管掌健康保険の持つウエートは、これは一切の医療保険に影響するようなウエートを持っているのですね。それだけの政府管掌健康保険です。ですから、その中で一番焦点の保険料率、それに他の保険が類似するような傾向があったとしても、これを弾力条項というかっこうで厚生大臣が専決するというようなことは、私はやはり反対せざるを得ないわけです。
  33. 加藤紘一

    ○加藤(紘)委員 それでは最後に大熊先生と、それから申しわけありませんけれども吉田さんにもう一度お伺いしたいと思うのですけれども、いわゆる政管健保赤字はなぜ起こるかという根本問題について、きょう午前中の公述で若干ニュアンスが違う御発言があったんではないかというふうに私は思うのです。それで、たしか大熊先生は、たとえば弾力条項などこれから認めると、親方日の丸的な経営態度たる現在の政管健保赤字は、ますますだらだらしたものになるというようなことをおっしゃったように思うのです。確かに末端のいろいろなこまかいところまで聞いたりすると、組合健保のほうは、その支払いに対してもう事こまかに請求書をチェックする。ところが政管のほうでは、回ってきたものを患者名と番号が合っていれば、それだけでもう済ましてしまうんだという、そういうような現実もあるように思いますし、この点は組合健保の方が強く主張されているところであるようにも思うのです。また同時に、まあ組合健保というのは労働者にしても、いわゆるホワイトカラーにしても、もう徹底的に優秀な、健康な、元気な人間だけを集めて、それで使い終わったら、政管のほうへどうぞという、そういう体質ということもよく言われておったし、午前中の公述でもかなり強く出ているように思うのですけれども、その政管の体質というもの、赤字の体質というものが、いわゆる体質自体からくるのか、その経営努力における若干の怠慢からくるのか、そういう点について御意見がちょっと違ったように思われますけれども、その点についてお二方にちょっと御所見をお願いしたいと思います。最初に大熊先生のほうからお願いいたします。
  34. 大熊房太郎

    ○大熊公述人 私は、こういうふうに考えております。  要するに弾力条項の件は、国民生活に重要なる影響を与える問題でございますから国会審議を経ていただきたい、それがあれでございまして、もう一つの場合は、こういうような制度が創設されますと、要するに、先ほど申しましたように、とかくやはりこの伝家の宝刀を抜けば何とかなるんではないかというために、その経営努力が安易な方向に流れるんではないだろうかと思う。そういうわけでございまして、基本はあくまでもやはり主務大臣の所管に置くべきではなく、つまり政府の権限においてではなく、国会審議を経ていただきたいということが基本でございます。かりにこういうようなものが創設された場合には、そういうような経営努力が安易に流れるんではないだろうかという懸念があると申し上げたわけでございます。
  35. 吉田秀夫

    吉田公述人 弾力条項ですか、恐縮ですが……。
  36. 田川誠一

    田川委員長 それじゃ、もう一度質問して……。
  37. 加藤紘一

    ○加藤(紘)委員 端的に申しますれば、政管健保赤字の中に、体質的なものもあるでしょうけれども、その経営努力を怠っている、つまり親方日の丸的な体質に赤字原因があるんではないかと、まあ大熊先生もちょっとおっしゃったように思ったものですから、その点について御所見いかがということなんです。
  38. 吉田秀夫

    吉田公述人 かつて昭和三十年に七人委員会という委員会がやはり健康保険の、特に政府管掌健康保険赤字対策で膨大な報告書を出したことがあるのです。その場合でもやはり、健保組合と違いまして、非常に膨大過ぎれば膨大過ぎるほどいろんなロスがある。したがって、いろいろな技術的な改善をすれば、ある程度赤字は若干克服できるというようなことも含めて報告書を出したことがあるのです。で私は、大体国際的に見ましても、まあ年金あるいは健康保険その他、一応第二次大戦後いろんな民主的な運営で、特に労働者代表が入って運営するというのは、これはここ戦後の傾向ですから、そういう点からいうと、政府管掌自体にそういう民主的な機構がないということは非常に残念だと思っているわけです。ただ、親方日の丸だからいろいろなロスがあるというそれだけでは、それだけでは現在のような赤字は絶対に克服はできない。これはまさに体制的、構造的問題だということは先ほども申し上げたとおりで、それに非常にウエートがあると私は思っておりません。
  39. 加藤紘一

    ○加藤(紘)委員 これで終わります。どうもありがとうございました。
  40. 田川誠一

  41. 川俣健二郎

    ○川俣委員 公述人の皆さんに賛成、反対、明確に率直に御意見を聞かしていただきまして、たいへん参考になりました。  そこで、ただ驚いたのは——驚いたというか、自分で反省したのは、賛成者、反対者ともに、家族給付が、給付家族と本人とで違っていいんだという考え方自体が非常におかしいという、これは非常に私たち、委員の一人として参考になりました。むしろこうやってみると、この間出た橋本私案の七割というのは、与野党の折衝の結果からあれは出たのではなくて、むしろあの辺が出発点で、こういうような、これは賛成者、反対者ともに御意見をいただきまして、私も非常に自分で恥じておる状態でございます。  そこで、非常に時間が制約されておりますので、端的にお伺いしたいのは、連動規定の問題ですが、〇・一に対して〇・四は、これは小山先生に伺いたいと思いますが、〇・一に対して〇・四というのは、厚生大臣の言う、よく癖のように言うのですが、三者三泣きということが前提であれば金額的に合わないのじゃないか、こういうことから〇・六というのが、これまた何とか私案で出てきたわけですが、ところがそれに対して、〇・六と出てきたのが妥当かどうかということは非常に疑問があるということで、時間切れで先生が発言をやめられたんですが、いま少しその辺を話していただきたいと思います。
  42. 小山路男

    小山公述人 お答えいたします。  連動規定につきましては、ただいま川俣先生御指摘のように、〇・一上げたのに対して〇・四という規定でございますと、保険料を〇・一上げますと百十一億の財源ができます。それに対しまして、〇・四でございますと三十五億、これは四十八年度の政府の出した数字から計算いたしますと、そういうことになります。そこでこれがかりに〇・六に上がりますと、その財政効果は五十二億と承知しております。そういたしますと、総医療費百六十三億の財源としますと、その中のほぼ三分の一程度にはなるか。ただし、検討を要するというのは、三分の一で泣くほうがいいのか、つまり三者三泣きということがよろしいのかどうかということであります。非常に達観論的にいえば、三分の一ずつ、政府も事業主も被保険者負担し合うというのは通りがいいようでありますけれども、さてそういうことと政管の体質的な弱さとの関連でどうかな、それが万全の案だというふうに私は言う自信がない。まして、それではどれだけ上げたらいいのかというような話になりますと、これは費用負担の問題というのはいつも政治問題でございまして、その辺は国会で御判断願うよりしかたがない、まあそう思っております。  以上でございます。
  43. 川俣健二郎

    ○川俣委員 たいへん参考になりました。それから先の論争が私も論議したいところでございますが、おそらく私と同じ考え方だろうと思いまして、これ以上質問いたしません。  白木先生に……。いろいろと先生は医療供給者の側から、現代の医学、特に最後の、われわれがあまり認識なかった難病医学、これと保険との関係で、私らも医療福祉基本法をあわせて検討しなければ、健保なんというのは、むしろ健保財政の問題はそれの一こまなんだということを長年主張してきたのも先生も御案内のとおりでございますが、たとえば今回の健保を一日も早く実現してほしいという松井公述人の、薬がくず箱に入っておるのがよく目に入ると、こうおっしゃることを一つ取り上げましても、これは何も患者本人がくれと言った薬じゃないのでございまして、その辺を、医薬分業その他基本的に、抜本的にしなければならぬのだという意味もあって、私もそのような考え方をしておりますが、ただ私は非常に疑問に思うのは、厚生省というのは医療供給者側、いわゆる医学生出身の約百人ぐらい、本省におられるわけです。したがって、そういう医師の集まりの行政機関がなぜそういう考え方にならないんだろうか。これはやっぱりいまの行政が機構が悪いのか、それとも厚生省に集まる医師がそういう考え方でわれわれと違うのか、その辺少し先生に教えていただきたいと思うわけです。というのは、このごろ趨勢として、厚生省に医学部卒業生が集まらないという傾向になっております。これはまあ初任給が非常に安い。待遇も悪い。特に国立療養所に比べても悪い。こういうようなあれが端的にいま問題になっておる時期でありますだけに、白木先生にその辺、非常に無理な注文かもしれませんが、少しずばりお聞かせ願いたいと思います。
  44. 白木博次

    白木公述人 お答えします。  厚生省に集まる医者が悪いのか、その質が悪いのか、その原因どこだということなんで、これは私、大学の教育者ですかち、教育者も悪いんだ、こういう点をまず申し上げなければならないだろうと思うのです。つまり日本医学校の教育というのが、最近どうも技術教育に走っている。ほんとうに人間教育といいますか、まあ人が人の命を預かるぐらいたいへんな商売はないわけでありますし、それから医者と患者の関係というのは、人が人をどうこうする商売の中では最も傾斜性の高い職業ではないのか。つまり知識という点からいいましたら、患者は少なくともその面では絶対の弱者であって、医師は絶対の強者である、こういうような非常に傾斜性のはっきりした職業はないと思うわけです。裁判の被告ですね、これは人権というのは、裁判、法廷で守られておりますし、弁護士もついておる。あるいは教育される側と教育する側からいえば、うるさいPTAなんかいましてチェックされている。だけれども、医者と患者の関係というのは、私は非常にその点がどの職業よりも傾斜性の大きな職業と思うんですけれども、そういったものに対する自覚というのは当然医学生になればいけないわけだし、と同時に、それを教育していかなければならない、そういう医学校の教育の悪さというものが一つはあると思うわけです。これは自己反省でございまして、それを一体どうしたらいいのかというのが非常に大きな問題ではないのか。この点はあとで御質問があればまたいたしますけれども、私は、せめて医者だけ、ではなくて、医療に携わるのは看護婦をはじめたくさんの別な協力者がいるわけです。そういう人たちに対して、まず人間が人間に接する以上はそういう教育をほんとうにやらなければいけないというような意味で、いま東京都のほうで保健大学という発想をして、それをいろいろ案を詰めているわけですが、肝心かなめのお医者さんがそういうような点が非常に反省がない。いま私立大学の医学校がどんどんできていますが、そこでそういうことができるとは思わぬわけです。その辺のところに、医療の一番の荒廃と申しますか危機がある。そういう点が自然に厚生省の医者出身の者にもあるのかもしれない、あるいは依然として行政の中では法科万能という明治以来のあれがまだ横行している可能性があるのではないか、それがなければけっこうでございますが、そういう面もあるのではないかというふうに思います。
  45. 川俣健二郎

    ○川俣委員 最後にもう一点成田公述人にお伺いしますが、成田公述人は一般公募からおいでになっていただいて、賛成側でございますが、その中で、いまの政管健保赤字を何とかせねばならぬのだということは、これはだれしも先刻御存じのとおりでございます。これはいままでの二百二十五億の定額がこうなさしたんであって、この問題を昨年の健保審議ではかなりの時間をとって、いわゆる弾力条項とたな上げとはセットかどうか、こういう論議を私の皮切りでだいぶ深めたんですが、当初は厚生省がお気づきになったのか気がつかないで言ったのか、セットじゃない、こういう論争があったわけです。ところがこの法案を見ると、たな上げするということが目的よりも、これからの収支は独自でやりなさいよという会計法の改正というところに重点があるわけでして、いままでの赤字を全部たな上げしてくれるんだという、皆さん方のいままでの苦心のあれがここでやっと解消するという喜びのあまり、これから先はもう単年度で借金も一切ご法度ですから、そういうあれをはめられるんだということを十分御認識で賛成されておられるのか。ただ、いままでの赤字をたな上げしてくれるんだからいいではないか、あとはわれわれで苦しければ苦しいように保険料を上げるなり、事業負担をふやすなり、そうやってやっていきますという、団体のそういう協議でもあったのかどうか、その辺いま少し聞かしていただきたいのです。
  46. 成田武夫

    成田公述人 お答えいたします。  中小企業といたしましては、健康保険料の負担、これは公述のときにも申し上げましたように、決して楽なものではございませんが、しかし赤字解消のためにはわれわれ中小企業の側も何らかの協力をしなくちゃならない。その形において、今回出ております保険料の引き上げとか、あるいは標準報酬の合理化、そのような面におきましても、非常に財政的につらい企業立場からいきましても、応じ得る範囲においては応じていかなければ健保そのものが成り立っていかないのではないか、そういう考え方に立って申し上げたので、私どもの企業立場からの意見を申し上げた、そういうところでございます。
  47. 川俣健二郎

    ○川俣委員 それではその問題はもう一点だけ伺いますと、そうしますと、赤字を三千億かかえるわけですから、これは当然まず赤字を何とかして対策をとらなければならぬということ、したがって成田さんは、赤字三千億たな上げということと会計法の改正とは、できれば別に切り離して審議していただけば幸いだ、こういうようにも思っておられるわけですね。
  48. 成田武夫

    成田公述人 ただいまの御質問に対してお答えいたしますが、赤字のたな上げ、それに伴って私どもも応分の負担負担いたしましょうというような考え方から御返事したわけでございます。
  49. 川俣健二郎

    ○川俣委員 終わります。
  50. 田川誠一

    田川委員長 金子みつ君。
  51. 金子みつ

    ○金子(み)委員 私は医療費、特に高額医療費の問題について少し質問をさせていただきたいと思っております。  まず最初に下徳公述人にお尋ねしたいと思うのでございますが、先ほど公述のときに実態調査をなさったことを御説明いただきました。それでいろいろの問題が出てきておったのでございますけれども、この実態調査の結果もしおわかりでしたら教えていただきたいのですが、現在は非常に高額な医療費、それはいわゆる医療費そのものだけではなくて、御説明にもありましたもろもろの差額徴収その他が加わっている問題でございましたけれども、実際問題としてその医療費を各家族たちはどのようにして負担をしているのであろうか、どんなに苦しんでいるのであろうかというような実情がもしおわかりでございましたら、まず聞かせていただきたいと思います。
  52. 下徳新太郎

    ○下徳公述人 お答えをいたします。  まだわれわれが調査をした内容は実は全部のアンケートも含めて集約ができておりませんし、私が引用した幾つかの内容は現在の段階では中間的な報告を採用しております。その中で幾つか特徴的に出されておりましたのは、私も意見の中で申し上げましたように、特にこの高額医療費負担の問題が、非常に自分たちの生活そのものを大きく圧迫しているという事実が幾つか出されております。  一つ二つ紹介をいたしますと、たとえば患者の中では、いわゆる企業における賃金の打ち切りあるいは家族のいわゆる高額負担を、いわば主人の借金、あるいは幸いにして貯金のある人は貯金をおろしておる、こういうことで出しておりますけれども、一様に申し上げておりますのは、やはりこの高額医療負担は、もはや主人の場合でありますと退職を余儀なくされ、しかも退職金をもってこの返済をしなければならない、こういうことが端的に申されておりましたし、あるいは奥さんの場合でありますと主人、その主人の借金も限界がきておる。したがって、親元から仕送りを受けておる、こういう中でいよいよその金額もかさんでまいりますから、この中でも発表がありましたけれども、もう夫婦生活そのものもいわゆる解消させられるのではないだろうかというふうな心配のものも幾つか出ておりますから、そういった点で、今日の医療問題というのは、高額医療給付の問題については一応の三万円という金額は出されておりますけれども、実態から見ますと、あるいは負担をする患者側から見ますと、まだまだほど遠いものではないかというふうに考えております。
  53. 金子みつ

    ○金子(み)委員 ありがとうございました。  厚生省、政府では今度のこの高額医療負担の問題について目玉商品として非常に宣伝しておられるわけでございます。三万円だけ用意してもらえばあとはすっかり国がめんどう見ますという言い方をなさるわけですけれども、そうでないという事実がだんだんと非常にはっきりとしてまいりましたが、まだ一般には非常にPRが不足で、確かに、三万円だけ払えばあとは全部国が見てくれる、こういうふうに思っている人たちが多いわけでございまして、もしもこれが実現したらたいへんな混乱が起こるだろうと私は思うのでございます。それでその混乱も防がなければいけないと思うわけでございますが、私は続いて二、三質問させていただきたいと思っておりますことは、御承知のように、高額医療費負担の問題ですが、これが一人一件そして一カ月で一診療科、こういうふうにたいへんな条件が一ぱいくっついているわけでございますから、一軒の家で二人、年寄りと子供が病気をすれば、二万五千円ずつかりにかかったとすれば五万円かかりますが、そうすればそのうち三万円は見てもらえると普通に考えてしまいますが、実はそうではなくて、五万円全部自分が払わなければならないというのが今度の実情でございますね。そういうようなことをいろいろ考え合わせてみますと、ただいま下徳公述人からその実態を聞かせていただいて、おとうさんですね、主人、世帯主が退職をしてその退職金でまかなっていかなきゃならないというような問題があるということはほんとうにたいへんな問題で、一家の破滅になる問題だと思います。ここで沖繩の例を引いては悪いかもしれませんが、沖繩の場合などでは母子家庭では、母親が医療費——御承知のように沖繩は医療費が復帰前は療養費払いでございましたから、お金をつくるために売春をするというようなことも事実としてございました。そのようなことが再び起こってはたいへんだと思いますから、この問題につきましては、今日私たちが保険料を支払っておりますのは、所得に応じた保険料を払っているかっこうでございますし、いわば税金に準ずるようなものだと思います。ですからその保険——すなわちこれは、ですから保険で支払うということよりも、むしろ国庫負担として高額医療費は支払うべきではないかという意見もあるようでございますけれども、この辺のお考えも聞かせていただきたい。  先ほど、いまはもう高額医療の問題は保険というよりもむしろ保障の形でなされるべきだということを大熊公述人もおっしゃっていらっしゃいましたが、そういうようなお立場から、大熊先生と吉田先生に、この問題についてどのようにお考えになっていらっしゃるのか。たとえばいま老人の医療費とかあるいは難病、奇病が一部国庫負担で見られておりますけれども、これのような形で見られるべきものであるのか、あるいはそうではなくて、かりに保険で見るといたしますならば、療養費払いが適正であるかどうか、その辺のお考えを聞かせていただければと思いますので、お願いいたしたいと思います。
  54. 大熊房太郎

    ○大熊公述人 お答えいたします。  私は金子先生のおっしゃいますように、大体高額医療費というのはやはり公費でまかなうべきだということを原則的に考えております。それで先ほどから再三おっしゃっておりますように、私の懸念いたしますことは、確実に今度一部償還制が取り入れられた。先ほど申し上げましたように、これが突破口になって将来療養費払い制になるのではないだろうかという懸念があると申し上げたわけでございます。あるいはこれは被害妄想かもしれませんけれども、これはもう当然受診制限につながることでございますので、やはりいまの趨勢といたしましては、高額医療費はやはり公費負担であるべきであるというふうに私は考えております。
  55. 吉田秀夫

    吉田公述人 大体いまの公述人と同じ意見ですが、ただ医療保険全体の体系からいいますと、目玉商品という名前のとおり、しばしば目玉商品として出るのはかなりその場で人気受けになるような、場当たり的なそういう政策が非常にいままで多かった。そういう点では厳密に言いますと、たとえば老人医療無料化にしましても無料ではございませんで、保険の一部を公費でめんどうを見るということ。この公費負担の問題がもしだんだん拡大しますと、この辺で、保険と公費の関係はどうだというようなことがどうもあまりはっきりした展望やあるいは方針なしに、いまどんどん進んでいるというような状態です。同じようなことが今度の家族の高額医療費の場合にもいえると思います。やはり御質問で心配しておられるように、私は療養費払いがかなり導入されるという傾向を非常に心配しております。これは沖繩の健康保険でかつて試験済みであって、もし徹底的な現金払いならば、沖繩の健康保険の実績が示すようにべらぼうに金が余ります。そういうことも含めて、それからいろいろなこまかい施行規則等がもし予定されるならば、そういったことはまだ国民の大部分はわかりませんから、その辺のことは時間もありませんが、なるべく早く国民にわかるようなかっこうでPRをぜひお願いしたいと思うわけです。
  56. 金子みつ

    ○金子(み)委員 最後に、同じ問題ですが、先ほど実例をお話しくださった下徳公述人からも伺わせていただきたい。
  57. 下徳新太郎

    ○下徳公述人 私は吉田先生が言われたことと大体同意見であります。特に私どもが考えますのは、その高額医療が療養費払いということになりますと、医療保障の制度の面からいくとやはり大きな問題が残ってくるのじゃないか、こういうふうに考えます。
  58. 金子みつ

    ○金子(み)委員 いま一番最後におっしゃった御発言ですけれども、ちょっと具体的によくわかりませんでしたけれども、おっしゃっていただけますか。
  59. 下徳新太郎

    ○下徳公述人 高額医療の関係は、いわば公費負担にする場合と療養費払い、いわゆる健康保険の範疇でやる場合との違いだと思うのですけれども。それでいいのですか。
  60. 金子みつ

    ○金子(み)委員 どうなったらどうですか。
  61. 下徳新太郎

    ○下徳公述人 いま言いましたように、吉田先生と大体同じ考え方です。
  62. 金子みつ

    ○金子(み)委員 質問を終わります。ありがとうございました。
  63. 田川誠一

    田川委員長 村山富市君。
  64. 村山富市

    ○村山(富)委員 時間も、ございませんから端的にお尋ねしたいと思うのですが、今度提出されました改正案は、先ほど来説明がありますように、いままでの赤字をたな上げをして健全基調で財政を維持していくというところにあると思うのです。しかし先ほど来お話がございますように、この保険財政がどうして赤字になっておるのかということが一つと、いまほど医療の荒廃がいろいろ叫ばれている時期はないと思うのです。そういう意味で二、三の点について質問したいと思うのです。  一つは、先ほどもお話がございましたが、いま被保険者、患者は保険料以外に、かりに病院に行った場合に、入院すれば差額ベッドあるいは付添料、こういったような保険以外の負担が多い。言うなれば医療に対して二重の負担をしているわけですね。こういう問題が解消されない限りは私は問題の解決にならないというふうに思うのですが、この問題につきましてもいろいろやかましくいわれておりますが、依然として解消されない。むしろ逆に差額ベッドなんかふえておる。こういう現状に対してどういうふうにお考えになっておるのか。これをまず小山先生と大熊先生にお尋ねしたいと思うのです。
  65. 小山路男

    小山公述人 お答えいたします。  保険赤字につきましては、先般申し上げましたように、政管健保独自の体質的な問題がございます。高年齢者が多い、女性が多い。あるいはそれにまた、中小企業独特の健康管理の不十分さというようなこともあろうかと思いますが、いずれにいたしましても、政府管掌健康保険というのは足の弱い制度でございまして、この足の弱い制度が被用者保険の中核になっておる。組合管掌健康保険は約一千万でございまして、政府管掌健康保険が一千三百万の被保険者をかかえておる、こういう現状でございますので、何とかこれに対しててこ入れをしていただきたいというのがわれわれの率直な願いであります。  次に、それとうらはらになりまして医療の荒廃の問題、先生も御指摘のとおりでございます。医療の荒廃の問題につきましては、実はこれはもはや国民全般の世論かと思います。しかしながら、この医療の荒廃のもとを尋ねますと、たとえば病院において十分な医療が提供されない。なぜかといえば、それは入院費の支払いのしかたが不十分だからという面がかなりあろうかと思います。つまり診療報酬支払い体系におきまして、看護料、入院料等の手当てが薄い。しからば、これを厚くすればどうなるか。その財源をどこから調達したらいいかという問題にまた相なるわけであります。もしこの問題を保険のワクで解決するとすれば、当然いま申しましたように入院医療費等の引き上げによって差額ベッドの解消をはかるという方向にいかざるを得ないと思います。それから、もし医療制度についてこの問題をどう考えるかといえば、それは病院に対する財政助成というような形をとらざるを得ないと思います。したがって、そのどちらが望ましいかという問題になりますと、現在日本の公的医療機関の占める比重が非常に低いというようなことも考えますと、当面は保険の中で処理せざるを得ないという非常につらい立場にございます。この問題を抜本的、それこそ根本にさかのぼれば、資本主義経済体制下における医療の公共性を国としてどう担保するか、こういう問題にかかわるわけでございまして、これは非常にむずかしい問題であると思います。ただ申し上げられますことは、保険のサイドで見るならば、いま申しましたような入院費等の大幅な引き上げをはからざるを得ない、それからそうではなくて医療制度自体に国が投資をするということになりますと、今度はその資源投入のしかたについて医療関係者の合意が得られるかどうか、こういう問題がございます。お答えにならないかもしれませんけれども、これが私の考えでございます。
  66. 大熊房太郎

    ○大熊公述人 お答えいたします。  医療の荒廃とおっしゃいましたけれども、この医療の荒廃を最も象徴的にあらわしているのがこの差額ベッド、それから付添料、補食代、ここに私は最も医療の荒廃があらわれていると思うのでございます。あるいは観念論と思われるかもしれませんが、本来医というものはやはり倫理性に立脚すべきものでございまして、商業性の上に立脚すべきものではない、私はそういう意味であえて荒廃と申し上げたわけでございます。現実に、たとえば国公立病院でもその日のうちにまず入院ベッドがあいているといたしましたら、これは何百万円かの宝くじに当たるような感じでございまして、それならば差額徴収をされて、いわゆる国鉄のグリーン車の料金のようなものを払いまして現実に入院した場合に、はたしてどれだけ——何千円かを一日に差額徴収されて払いましても、決して医療内容とか看護の内容というのは一般患者と変わらないのでございます。ここにも私は一つの大きな問題があるのではないかと思います。現に老人医療無料化ということがいわれておりますけれども、これはたしか医療費は無料化になったのでございますが、御承知のように老人というのは大体慢性疾患でございまして、在宅療養よりはむしろ入院して長期の療養が必要であるということになりますと、なかなかベッドがあかない。これはやはり老人医療無料化ということが非常に脚光を浴びておりますけれども、現実にその慢性疾患の入院治療ということになったら、結局は入院できないというようなのが現状であるというふうに私は見ております。
  67. 村山富市

    ○村山(富)委員 どうもありがとうございました。  引き続いて二点ほどまたお尋ねしたいのですが、一つはそうした医療の荒廃をはらんでおるいまの医療供給体制の整備をするために、いろいろな問題があると思うのです。たとえば医師に対する再教育とか、あるいはまた研究機関の整備とか、さらにはまた僻地医療に対する供給体制とか、いろいろな問題があると思うのですね。  そこでいまの医療供給体制の現状を見た場合に、私どもはどうしてもやはり地域医療の中核は公的病院がセンターとして当たる、そうして主として不採算部門を担当してその医療供給をやっていく、こういうことが何よりも必要ではないかと思うのです。そういう意味からしますと、医療機関を公的、私的を問わず独立採算にして、そうして縛り上げていくというところにも問題があるのではないか。ある意味からしますと、採算性を無視し、営利性を無視して公共優先で医療というものは考える必要があるのではないか。そうでないと、先ほどおっしゃった先生もございましたが、憲法二十五条で保障された国民の健康に対して国が責任を持つということにはならないのではないか、こういうように思うのですが、そういう公的病院に対して、地域医療のセンターとしてむしろ公費負担をうんとふやして整備していく、こういう考え方についてどういうようにお考えになっておるかということが一点。  それからもう一つは、医療従事者の問題がいろいろいわれております。この医療従事者も、いまは医師が医科大学で教育を受けるというだけで、看護婦さんやその他の医療従事者は各種学校で教育を受けて、そのように扱われておる。こういうところにやはり問題があるのではないか。そういうことから考えますと、そうした医療従事者の各部門における教育機関も、各種学校という扱いではなくて、学校法による近代的な学問を受ける、そうしてそれぞれ社会的資格を与えられて医療に従事してもらう、こういうことが大事ではないかというふうに考えるのですが、そういう医療従事者の教育に関する考え方等について白木先生にお尋ねしたいと思うのです。
  68. 白木博次

    白木公述人 お答えいたします。  いろいろ理屈を言ってもしようがないので、実際に実践してみたらどういうことになるのかというところからお話ししてみたほうが早いと思います。  私は東京都の美濃部知事の参与で、最近老人病院、それから老人問題研究所、それからそれの後衛部隊といいますか、ハーフウエーハウス、特別養護老人ホームというようなものの計画を担当させられてやってまいりました。七百九十床の老人病院が去年開設されたわけであります。まだその医療従事者が足りませんので、全部のベッドはまだ開設しておりませんが、これがフル回転いたしますと、一ベッドに対して医者その他のいろいろな協力者を含めて一対二になります。一ベッドに対して二人でございます。非常にデラックスな病院のように思っていらっしゃるかもしれませんが、決してそうではございませんで、アメリカあたりは大体一ベッドに対して六人、それからヨーロッパが一ベッドに対して二人ないし三人の従業員を確保しております。こういう問題があれば先ほどの付き添いの問題など解消するわけでございます。それからその財源の問題はともかくとして、もうわれわれは公的医療機関は差額ベッドをやらないのだと決議すればそれでよろしいわけであります。そういう点で老人病院をやってまいりますと、まだはっきりした計算はしておりませんが、年間大体十八億かかるはずでございます。それに対して医療保険からも入ってくることになると思います。これは収入といっていいのかどうかわかりませんが、五億でございますから、十三億の赤字を毎年毎年出していく。これだけのことをやれば、曲がりなりにも老人の医療というのは確保できる。しかし、もちろんその背景として福祉との関係というような問題をやりますと、もっと多額の投資をしなければならないということになると思います。それに対して国はどういう状況であるかということは、先ほど公述人の一人からお話がございましたように、東大が一番いいといわれておりますが、一対一・三八でございます。アメリカの一対六、ヨーロッパの一対二ないし三に比べればはるかに貧弱であるということがおわかりであるかと思います。しかも公務員の首切りがいま起こっておりますので、その人間はもっと数が減っていく。こういうような公的医療機関ではとうてい対応できない。こういうことをほんとうにやるためには、やはり国なり地方自治体が思い切って投資をしなければならぬということははっきりしていると私は思うわけでございます。  それからもう一つは、医者だけじゃなくて看護婦あるいはOT、PTその他の医療供給者の教育の問題をしっかりしろ、当然のことでございます。この場合の考え方は、医者だけが医療をするのではございませんで、われわれに協力する人たちが同じレベルで一つのチームを組むということが絶対必要でございます。医者がピラミッドの頂点にいるのではなくて、同じ円の中の同じ平面に位置すべきであります。医者は円の中心であるべきですが、ほかの医療協力者は同じ平面に並ばなければならない、そういうことが非常に大事でございます。その間に格差があるべき性格のものではない。同じ生命を預かる以上は同じレベルに並ぶべきであるということになりますと、それだけのきちっとした教育をしなければならぬということはすぐ出てくるわけでありまして、各種学校であるとかそういういいかげんな、小手先のことであってはならない。やはり四年制の大学、そしてその上に大学院までつくっていく。もちろんそれですべて量をまかなうというのではございません。質の高いそういう人たちをつくらなければならないということになってまいります。そういう意味で、東京都のほうでも保健大学をつくろうとして、五学部ですか、六学部ですか、いろいろな計画をずいぶん、百回以上委員会を開いて練ってきております。しかしこれをほんとうにやろうということになりますと、その指導者の養成だけでも数千億円の投資が東京都において必要だと思いますが、しかしそれはやらなければやはり医療の質は向上しない。指導者ができればその協力者というものは自然に広まっていく、これはもう断固としてやるべきであって、地方自治体のほうでそういうことを踏み切っている以上は、これは国もそのレベルでおやりいただければよろしいことです。たとえば東京都につくりました老人病院を全国レベルでつくるなら三兆円あれば足りるわけでありますから、四次防予算よりも少し少なくて済む、それくらいのことはおやりいただいたらけっこうだと思います。
  69. 村山富市

    ○村山(富)委員 どうもありがとうございました。  最後にもう一点お尋ねしたいのですが、いま診療報酬の改定をめぐって診療側と支払い側が対立するようなかっこうで中医協が分裂しておりますが、特にその診療報酬のあり方の中で一番大きく指摘されておるのは、私は薬剤の問題だと思うのです。総医療費の中で薬剤が五〇%近くを占めておる。しかも病院や診療所は、薬を患者に与えることによって三割くらいのマージンがある。しかも先ほど来お話がございましたように、患者はもらった薬を全部服用しなくて、半分くらい飲んで半分を捨てている、こういう医療費のたいへんなむだがあるわけです。そのむだがあることによって薬剤メーカーやら、あるいはまた医者もある意味ではもうけておる、こういうふうな現状になっておることについて、私はいろいろまたそれからメスを入れなければならない問題があると思うのですけれども、特に診療報酬を物と技術と分離するというふうな意見もありますし、不適正ないまの診療報酬のあり方を適正に変えていくというような意味でいろいろな意見が出ておりますが、私は端的に二つの問題についてお尋ねしたいと思うのです。  一つは、医薬分業に対してどういうふうにお考えになっておるかということが一つと、もう一つは、薬のこうした言うならば乱脈に対して、私はある意味では薬の供給については供給公団あるいは供給公社、こういった公的機関を設けて、そして医師に対していい薬を供給していくということが大事ではないかと思うのですけれども、そういり公団や公社を設けてはどうかという考え方に対してどういうふうにお考えになっておるか。この点につきましては、広瀬さんと白木先生と大熊先生のお三人にお尋ねしたいと思うのです。
  70. 広瀬治郎

    広瀬公述人 お答え申し上げます。  最初の医薬分業の問題でございますが、これは日本以外の外国の先進国ではもう医薬分業が常識でございます。私も本来医薬分業であるべきだと思っておりますが、ただ日本医療制度の発展の過程から申しまして、いま直ちに医薬分業を全部強制的にやることは、現実問題として非常にむずかしいのではないかと思います。そこで現実可能な地域から逐次医薬分業を進めていくのが、最も現実に即した方法であろうと私は考えております。  それから第二の薬剤の問題でございますが、ただいま御指摘のとおり、実際に医療機関が購入する薬の値段とそれが使われまして保険で支払われるいわゆる薬価基準との間には、ものにもよりますが、平均してかなりの利ざやがあるということは事実のようでございます。そういうことがやはり、わが国医療保険において非常に薬が乱用されておるという原因一つであろうかとも思われます。  そこで中央医療協議会におきましても、われわれ保険者代表も支払い側の一委員として、この薬価基準の適正化ということを実現してもらうように強く主張しておるわけでございます。ただ実際問題として地域によりまして、あるいは購入の単位によりまして、個々の医療機関が購入する薬の値段にはやはりかなり差があるようでございまして、薬価基準のバルクラインは現在九〇%になっておりますが、これをもう少し低くすべきであるという主張をしておりますが、実際問題は、必ずしも全部の医療機関が同じ値段で買っておられませんので、それだけでは完全には問題は解決しないのではないかと思います。そこでいま御提案の、薬につきましては、薬の配給公団というようなものをつくって、現物をお医者さんに必要なだけ支給するというようなことも一つの案であろうかと思いますけれども、これはやはり技術的には相当研究を要する問題であろうと思います。しかし、私は、御意見の趣旨には賛成でございます。
  71. 白木博次

    白木公述人 お答えいたします。  私、最近臨床をやっておりませんので、医薬分業のことはほんとうはよくわからないのですけれども、原則的にはもう分業にすべきだろうと思うのです。その一つの理由の中に、たとえば最近スモンの患者が、キノホルムという薬の過剰投与ということによってスモンという病気になるということがわかってきておるわけでありますが、これをいろいろ実際聞いてみますと、これは公的医療機関でもそうなんですけれども、お医者さんはこれくらいの薬を出せば、規定量以下の薬を出せば十分下痢がとまると思って処方いたしますと、それが薬局から返ってきて、これではかえって損をする、いろいろな計算をしますと、病院は収支バランスを要求されておるわけだから、とてもやっていけないのだから上積みをしてほしいというようなことがあるのです。この問題はやはり医薬分業なんかにつながっておる一つ問題点である。  それからもう一つは、そのうらはらには、じゃ技術料を認める、こういうものを一体どんなふうに評価し、それをどういうふうに点数化するかというような、そういう技術論が今度は出てくる。この二つを考えないと、薬だけの問題では片づかないと、こう思うわけです。  そうしますと、この医者の技術というものの評価は非常にむずかしいということになるわけでありまして、これを一体、公的、私的医療機関を含めてのお医者さんの中でどのように評価すべきであろうかというようなむずかしい問題が次に出てまいります。これはすぐには答えられないわけでありますけれども、かりに、たとえば開業医、家庭医というものの技術をどう評価するかというものの一つの評価としては、私は先ほど公的医療機関の中に教育ということが非常にあるということを申し上げましたが、そのときちょっと忘れたのは、家庭医なりあるいは私的医療人たちの教育の問題がございます。やはり日に日に医学は進歩するのですから、第一線の家庭医も開業医も常に勉強しなければならない。それを教育していく使命が公的医療機関にあるわけなんであって、したがってそういう家庭医が公的医療機関ときちっと連携していくということの中で連携のできるような家庭医であれば、またそれに対する一つの公的医療機関の評価があるならば、これはそういう意味一つの技術評価ができてくるのではないのかという感じがいたします。ただ、これをどんなふうに点数化するかという問題になりますと、これは非常にむずかしいことになってくるわけですけれども、私の申し上げたいことは、ただ医薬分業すればそれで済むという問題でなくて、技術料をどう評価するかという問題がうらはらにあるのだということだけは申し上げなければならない、そんなふうに考えます。  それから公団でやることはたいへんけっこうなことですが、現実的にどういうふうにそれをやるかということは、これはまたたいへんなことではないかと思います。
  72. 大熊房太郎

    ○大熊公述人 お答えをいたします。  医薬分業の件でございますが、これはやはり世界的傾向になっておりまして、当然その方向に進むべきであると私は考えます。ただ医薬分業につきましては、やはり利害のあるいろいろの団体もございますし、それにたとえば医師会、薬剤師会、そういう方面の声を聞いておりますと、これは一長一短と申しますか、なかなかその間の調整がむずかしいのではないかと思います。ただ、私のいままでの感じではどうもそういう関係団体方面の主張のみ多くて、実際の利用者である患者、この患者の声が意外に反映されていない。今後国会におきましてもしこういうようなことを議題にされます場合には、関係団体のほかに実際の患者がこの医薬分業というものをどのように考えているかということを、まず第一番にお聞きになっていただきたいと思います。  それからもう一つは、薬の問題でございますが、確かに現在の診療報酬体系と申しますのは、先ほど私が申し上げましたように、薬剤乱費型の治療体系と申して差しつかえございません。これはやはり薬害とか医原病の一つ原因になっておりますので、早急にこれは改めなければいけないと思います。ただし、その場合に医師の持つ技術料、この評価というものだけは正確にしなければいけないと思います。これは私が申し上げるまでもなく、六年間の医科大学を終えまして、医師の国家試験に合格してその日から一人前の医師として扱われます。ところが現実には虫垂炎の手術、これもできないわけでございます。中には包帯も巻けない医師がおります。やはり医学というものは経験医学でございますから、十年二十年の経験を積んだ医師と、それから医科大学を出て医師の国家試験を通ったばかりでまだ研修期間にあるような者と同じ技術料、これはおかしいと思います。それからやはり諸外国の技術料に比べましての国際価格でございますか、これに比べて医師の技術料というのが日本の場合には非常に低いのではないかと思いますので、やはり技術の評価、これをお考えの上で実行していただきたいと思います。  それから薬業の公営という問題でございますが、これはあるいは医療の公営、国営もしくは国家管理、これと何か同列の問題ではないかと思うのでございます。それで、資本主義体制下におきまして医療なり薬業だけを公営とか国営ということにしましてはたして合理的な運用ができるのであろうか。これは日本国有鉄道の例を見ますればよくわかることでございまして、これはやはり論議が必要ではないかと思います。  お答えを終わります。
  73. 村山富市

    ○村山(富)委員 どうもありがとうございました。
  74. 田川誠一

  75. 多賀谷真稔

    ○多賀谷委員 日本保険制度で一番問題になるのは定年後の医療で、一体どこの機関が見るか。これは先ほどから、大企業の場合は定年になったら中小企業へ行って、組合健保からこれは政管健保へ、そのあとには国民健保、こういう形をとっております。しかし、外国の事例を見ますると、五年以上その健康保険組合におれば、定年後もその健康保険組合が年金受給者の保険として非常に安い保険料で見ておる。また、最近はその保険料は無料になっておる。こういうことで一生その企業につとめたという場合には、健康体のときに保険料までとって維持、運営しているのですから、もとの健康保険が見るべきではないか、こういうように考えるのですけれども、そうするとだいぶん日本保険制度のいびつな点が解消されるのではないか、そういう意味におきますと、企業はその点において負担を免れておるということも逆に言えるわけですが、この点について小山先生、吉田先生、大熊先生から承りたい、かように思います。
  76. 小山路男

    小山公述人 お答えいたします。  ただいまの多賀谷先生おあげになったのは西ドイツの例であると思いますが、私ども思っておりますのに、退職者の継続療養給付というものを、老人医療は無料化になるとすれば、その中間の年齢層については何か実施していただきたい。これは今回の法改正以後の問題というか、段階的に考えるとそうせざるを得ないのかもしれませんが、しかしながら、御指摘のように長年大企業につとめていて、それが定年退職五十五歳ないしは六十歳、あと五年ないしは十年、これは政府管掌健康保険に加入するか、国民健康保険にいかざるを得ない。そうなりますと、若くて健康なときには保険料で財政に貢献していて、医療費のかかるころになると政府管掌健康保険なり国民健康保険に行ってしまう。給付が悪くなる。確かに御指摘のとおり矛盾でございます。したがいまして考えられる方向といたしましては、これは社会保険審議会でも事業主側が言い出したことでありますが、政府管掌健康保険に移った者だけについては、何か老人医療に至る間は見ていきたいというような意見もありましたが、ただこれは技術的に非常に問題なのと、もう一つ国民健康保険に移行した場合に保障する手だてをいまのところ事業主側は考えていないというようなこともございまして、これは宿題といいますか、私ども制度の仕組みの中でどういうぐあいにして定年医療を継続療養給付という形で安い保険料で——西ドイツの場合ですと、たしか平均保険料を納めればあとは年金のほうで出しまして、大体健康保険負担いたしますのは老人医療費の三分の一程度で、三分の二はたしか年金のほうでまかなっているというような形態もございますが、はたしてそういうことが日本の現状に即してよろしいのか、あるいは現在あります諸制度間の財政力格差の観点から、何らかの意味で共同的な医療給付実施、共同基金的なもので医療給付実現できないかというようなことを個人的には考えております。確かに御指摘の問題点は重要な課題だと私は考えております。
  77. 吉田秀夫

    吉田公述人 先進諸国の場合の老齢年金というのは文字どおり労働を終了して、いわば隠居というような段階で初めて老齢年金受給ということですから、これは国が、あるいは全体の仕組みがその老齢年金の受給者に対して医療の問題というものをめんどうを見るということは可能だと思うのです。イタリアの場合にはたぶん老齢年金受給者の保険料は、それまで働いていた事業所の事業主が全額プールで負担するというようなことをやっておると聞いております。ところが日本の場合は御承知のように、民間の場合にいままで大企業中心に定年五十五歳であった。五十五歳ということは決して労働というものをやめる年齢ということではないのですね。定年を過ぎたあとも六十になっても六十五になっても、あるいはひどい人は七十になっても働く、働かなければ食えないというような、先進諸国と日本とちょっとズレがあると思うのです。  もう一つ非常に心配なのは、資本主義社会ですから、労働するということは自分の労働力を売るわけですから、一応契約が切れて役に立たないという場合になりますと、企業は非常に冷酷ですから、したがって全然無関係なわけですね。やめたあとのそういう人たちのめんどうまで見れるかということになりますと、大体日本の事業主あるいは資本家団体の頭をよほど切りかえないと、そういう対応策は非常にむずかしいのじゃないかと思うのです。これが一つ。  もう一つは、文字どおりたとえば年齢六十五歳なら六十五歳以上になったら、その医療はどうするのだということになりますと、特別な老齢保険をつくるということはいままでの抜本の中ではございましたが、これはやめにして、現在のような公費でその保険の一部負担をめんどうを見るということになったわけですね。こうなりますと、私は六十五歳なら六十五歳に一応線を引きますと、六十五になった人たち医療はやはり過去の保険とかあるいはいろいろなことに拘泥しないで全額公費でめんどうを見るというようなことが一番望ましいわけで、その間のつなぎとしていまのような意見も当然方向として考えられますが、問題なのはその場合に、国なりあるいは自治体なりといういわゆる公費がどの程度それにバックアップするかということなしには、私は不可能だと思うのです。そういう意味では事業主団体の頭の切りかえの問題と、実際には国あるいは自治体がどの程度それをカバーするかという、その辺にかかっているような気がするわけです。
  78. 大熊房太郎

    ○大熊公述人 先生の御質問にお答えいたします。  実はこれは私ごとになりますが、払いままで二十年間、昭和二十三年から四十三年まで組合健康保険に入っておりました。その二十年間、健康保険組合に入っておりまして、そして五年前に、いわゆる自由業、フリーのジャーナリストとして仕事をするようになったのでございますが、先生の御指摘のとおり、その辺の矛盾というのを私は身をもって体験しておりまして、二十年間でやめましたときに一番最初に感じたことは、いままでほとんど病気をしなかった、これから自由職業になる、私のような職業の者は、きょうの保証はありましても、明日の保証はございません。非常に不安を覚えました。それで、そのときに思いましたことは、あるいはこれは欲ばりと思われるかもしれませんけれども、何か一時脱退手当金のようなものはないんだろうかとかいうようなことをまず感じました。現に、私いま歯の治療をしております。だいぶ歯を抜いておるのでございますが、国民健康保険というものに加入しましたら、その三割の負担というものがいかに大きなものか。歯の治療で、レントゲンを数枚とっただけで二千円、三千円という金が飛んでいくわけでございます。これは私のほうから先生にお願いをすることでございまして、どうぞそういうような点の矛盾をひとつ御解決をしていただきたい。
  79. 多賀谷真稔

    ○多賀谷委員 先ほど大熊公述人から、本人給付家族給付の区別があるのが本来おかしい、こういうお話がありました。私もそのとおりだと、つくづくいままでずっと考えておったのですが、一体外国で先進国、まあアメリカを除きまして、欧州などで差をつけておるところがありますか。あるいは差をつけるのが常道ですか、それとも同じようにするのが普通ですか。これをひとつお聞かせ願いたい。どの先生でもいいですが、調べられた方、ひとつお答え願いたいと思います。
  80. 吉田秀夫

    吉田公述人 私も必要に迫られて、本人と家族給付に一体差があるかどうかということを、各国の社会保障制度について一九六九年で調べてみたわけです。そうしまして非常にびっくりしたのは、大体、先進諸国の場合には、本人、家族、差はほとんどないということであります。  具体的に申し上げますと、大体その資本主義のランクでいいますと、大きな国からずっとランクをつけますと、二十五ぐらいまでがまあまあという国ということになりますと、私の調べでは五十四の国を対象にして、そのうち七つの社会主義国は除いたとしましても、大体本人と家族と全く同じだという国が何と二十五あるのですね。としますと、ほとんどヨーロッパの先進諸国の場合には何も変わりはないということですから、その点は、これはデモクラシーの差なのか、あるいは健康権、生存権の意識の差なのかどうかわかりませんが、日本のような、こういういままで何十年来五割給付だというようなことは、非常に恥ずかしい現状だということがわかりました。具体的に名をあげろというなら二十五全部あるのですが、これはひとつ割愛したいと思っております。
  81. 多賀谷真稔

    ○多賀谷委員 日本の場合は労働力確保という企業健康保険組合から出発したものですから、家族のことはどうでもよくて、本人の健康を保つというのが労務管理上必要であったというところに、ここに健康保険最初から家族と本人とを差をつけてきた原因があると思うのです。また日本の場合は、軽い病気でも本人はただだというこのシステムが、やはり保険料を徴収するのに非常に便利がいいというところから来ておる、こういうように私は感じておるのです。  そこで広瀬さんにお尋ねいたしますけれども、先ほどから標準報酬月額の上限をいままで上げなかったのは怠慢である、こういうようなことです。私も上限を上げるのはけっこうですが、さて今度は二十万円という上限がつくわけですね。法律改正をしなければ、これは上がらないわけですね。一方、弾力条項というものがあって、料金については、法律改正をしなくても、当分、実質上千分の八十までは上がっていく、こういうことですよ。  そこで、もしあなたのほうで上限を、賃金の上昇と同じように上げていく、こういうふうに考えますと、あなたのほうは弾力条項によって料金を上げるのがいいか、それとも上限をスライドして上げる道を選ばれるか。これは健康保険組合の場合は、かなり弾力性がありますけれども、組合としては、どういうふうにお考えであるか、お聞かせを願いたい。
  82. 広瀬治郎

    広瀬公述人 お答え申し上げます。  組合の立場を離れましても、賃金が上がっていく、そういう場合に、当然医療費もそれに相応して上がるのが普通でございます。その場合に、弾力条項保険料率を引き上げてこれをまかなうべきか、あるいは標準報酬を上げるべきか、どちらが先かという問題でございますけれども、かりに標準報酬を据え置きにして保険料率を上げた場合には、所得の低い者ももろに料率というものがかぶってくるわけです。千分の一上げれば、所得がいかに低くても千分の一ふえる。ところが標準報酬を上げてまかない得るとすれば、標準報酬の頭打ちになっている者だけ、いわば高額所得者の者だけが負担がふえるわけで、それ以下の者は負担がふえない。しかもそれは負担の均衡であるという意味から、まず第一は、標準報酬賃金に応じて上げるのが筋だと思います。それでなおかつまだ足りない場合には弾力条項を使う、そういうことが筋だと私は考えております。
  83. 多賀谷真稔

    ○多賀谷委員 どうもありがとうございました。
  84. 田川誠一

    田川委員長 石母田達君。
  85. 石母田達

    ○石母田委員 私は最初に、先ほど吉田公述人から公述されました内容の中で、いわゆる医療保障制度のたてまえという問題について保険主義というものが貫かれておるというお話がありました。政府国会答弁でも再三そういうことを申しておりますし、また、自民党の国民医療対策大綱の中でもそうしたことが述べられております。この保険主義について吉田公述人の見解と、これにかわるべきたてまえというものはどういうものであるか。これを簡潔にお話し願いたいと思います。
  86. 吉田秀夫

    吉田公述人 今日、社会保障制度といわれるまでの長い歴史の歩みの中では、戦前あまり社会保障ということばは使われなかった。当時は社会保険、すべて健康保険あるいは年金あるいは失業保険、労災保険ということで、戦後になってこれが社会保障になったということは、どういうことかと言いますと、ビバリッジのいろいろな影響もありますが、やはり労働者家族並びに国民に対して、従来労働者本位、あるいは労働者家族本位だった健康保険なり、あるいは年金なり、あるいは児童手当が全国に拡大したということが一つ。  それからもう一つは、国の責任が社会保障に対して非常に重くなった。これは物心両面とも重いという、これが大体第二次大戦後の傾向だと思うわけです。そういう意味で、保険主義ということば自体は、先ほど申し上げたように、一年間に集まった保険料の範囲内で給付をするという収支相等の原則ということなんで、このことは、もう現在においては、特に日本の場合には、どうしてもこれは当てはまらない。健康保険で言いますと、制度がかなりあります。たとえば先ほど言いましたように、政府管掌健康保険、さらに日雇健康保険、さらに国民健康保険、あるいはもっとこまかく言いますと、私学共済の短期、これはいま膨大な赤字です。だからそういうふうに、実際には、どうしても年間収入では支出をまかなえないというような状態を承知の上で、これを保険主義で強行するということ自体は、これは私は逆行だと思っているわけです。  まあそういう意味で、いまちょっとお話があった昭和四十四年の自民党の国民医療対策大綱を見ますと、前文の一番冒頭に、健康は人間活動の源泉だ、経済発展の原動力だということで、病気は、これは民族衰亡の原因になるという非常に格調の高い文句で始まっているのですが、ただ、これをずっと詰めていきますと、実際には社会保険方式をどうしても堅持していくというようなことで、たとえば、まず国民の一人一人が自分の健康は自分で守るという自己責任原則と、お互いに助け合いでやるんだ、こういうことですから、その格調高い前文はいいのですが、中身になりますと、これはあくまでも保険主義なんで、この辺はもういまの時代では、たとえば白木先生がずっと言われましたような、公害で民族全体が将来、前途が非常にあぶないというような状態を考えますと、この辺は切りかえていただきませんと、これからの政策は立たないのではないかと思うのです。  以上です。
  87. 石母田達

    ○石母田委員 もう一度お伺いしたいのですけれども、いまの政管健保は先ほどからのお話もありますように、赤字になるような仕組みになっている。先ほどのお話ですと、政管健保の一人当たりの年間保険料では、医療給付費も保険給付費もまかない切れない、こういうことについての、そうなる原因についていろいろお話がありましたけれども、最も大きな原因はどういうものであるかということを、端的にお答え願いたいと思うのです。
  88. 吉田秀夫

    吉田公述人 従来の赤字原因ではなくて、これからもおそらくやっていけないだろうというようなことを、先ほど公述申し上げたのですが、従来の医療費の増大が直接の原因だと思いますが、それはさておきまして、これからの問題としまして、何といいましても、先ほどもちょっと触れましたように、政管健保は、経済二重構造による中小企業立場、そこで働く労働者、これは先ほど小山先生からも話がありましたように、中高年が非常に多いことや、あるいは女子労働者健康管理体制が非常にまずいということ、またいろいろな諸条件、これが一番基底にあるということであります。この辺がやはり大幅に改善されるということが、一番基本だと思います。  それから、これから問題になる問題では、これまでの医療費の増加と考えられるいろいろな要因がありますが、それが大体そっくりそのまま当てはまる。なぜいままで国民医療費が激増したのかといいますと、大体私は六つあると思うのです。  一つは、給付改善をしますと、これは当然医療費の増大に影響する。二番目は、何といいましてもストレートに影響するのは、診療報酬の引き上げということであります。三番目は、いまの健康保険全体の仕組みなんですが、たとえば請求に対する審査あるいはその他、これを野放しにしますと当然ふくれ上がりますし、非常にきびしくしますと、それなりに抑制はありますが、これはたいした影響はない。四番目は、何といいましても、先ほどもちょっと公述に触れましたように、日本の薬の使用の多様性ということ、それからいろいろな諸検査が十年前と比べますと、もう問題にならないほど多くなったということ、この辺がやはり大きなウエート。五番目に、老人医療が示すように、人口の老齢化と、先ほど言いましたように、いろいろな公害に伴う乳幼児を含めた疾病の増大これが六番目。こういう要素が一番集中的に出るのが政府管掌健保ではないかと思うのです。そういう点で、これからおそらくは一番決定的な影響を持つのは、やはり何といっても診療報酬問題ではないかと思っています。  以上です。
  89. 石母田達

    ○石母田委員 いま薬の問題も出ましたけれども、白木先生にお伺いしたいのですけれども、私たちが国会で明らかにしたところによりますと、独占薬価というもの、それに保障された大製薬会社の利益が非常に大きなものであるということが明らかになっております。先ほどのお話のように、四三%も占めるというこの薬剤費の中で、こうした財政立場からいっても、この独占薬価にメスを加えていかなければならぬじゃないかというのが、私どもの意見でございますけれども、こういう点についての、白木先生の専門家の立場からの御意見をお伺いしたい、こういうふうに思います。
  90. 白木博次

    白木公述人 お答えいたします。  先ほども一例をあげたのでございますけれども、スモンというものの原因がキノホルムである。それの大量連続使用というようなことが、実態的には外国に比べますと——外国にもスモンはあるのでございますが、キノホルムによって起こってきますが、それはいろいろな国で調べがございますけれども、十数名しかないのに、日本は一万名以上あるというふうなところが、薬害という形で出てきている以上は、それはお医者さんだけの責任ではなくて、やはり企業、製薬会社ということがあるのですから、これは基本的にメスが入れられなければ、国民の健康をどうにも守れないということが、一つはっきりあるわけでございます。  しかし、これはまだ科学的にもうひとつ証明されていないことなんですが、私たち非常に心配しますことは、製薬資本の問題や医者のほうの経済医療という問題だけでなしに、何か薬害が出やすくなっているような条件があるかもしれないという点について、私は非常に心配いたします。たとえばワクチンでございますね、これは年々改良されている。ワクチンそのものは副作用を起こさないような形のワクチンに切りかわっているはずなんでございますけれども、子供がワクチンを受けたときに依然として副作用は減っていない。これは受ける側のほうの個人のからだの変調子というようなことが、あるいはそのワクチンの副作用を促進している可能性がある。そういたしますと、たとえば薬害につきましても、薬害が起こりやすい底上げ状態というような意味での、じわじわとした健康破壊というものがありはしないかということを私たちは非常におそれるわけでございます。このことを証明するのは非常にむずかしいことでございまして、ある場合には不可能に近いことかもしれませんけれども、印象としてそういう感じを持っております。  ですから問題は、単純にただ薬、医者、経済医療、製薬会社の収奪というだけの問題でございましょうか。私はその点、非常に気になっております。つまり公害汚染というような問題が、何か薬害なり何なりを起こしやすい底上げをしていやしないかというおそれでございます。
  91. 石母田達

    ○石母田委員 この同じ問題での吉田公述人の御見解をお願いしたいと思います。
  92. 吉田秀夫

    吉田公述人 先ほども前の質問で、薬の問題の流通機構に対するいろいろな意見もあったようですが、率直に言いますと、約二千数百の製薬メーカーの中で実際に七割、八割を生産並びに流通関係で支配しているのは十幾つかの独占的製薬メーカーであります。この原価が全然わからないというのは、もう数年前からかなり大きな課題ですが、これはどうしてもわかりません。ただ一部、いろいろなことで発表になっているとおりなんで、私の記憶に間違いなければ、一九六〇年代にフランスの健康保険が非常に赤字になったときに、政府の専門委員会をつくってその赤字対策でどうしたらいいかという討論をした中で、やはり薬に徹底的にメスをふるうという結論を出したことがあると聞いております。フランスの製薬品というのは、たとえば新しい薬をつくりますと、その原価を出して、人件費をプラスして、一応工場の価格を出し、それに中間マージンを入れて、さらに小売りマージンを入れて、そういう手続を全部しないと、売れない。こういう仕組みなんです。  そういう点からいいますと、日本の薬だけは、生産も、流通も、あるいは広告も、全部野放しだ。この辺が、実は非常に重く、健康保険医療制度の中での盲点の一つになっているわけです。これは非常に困難だと思いますが、流通機構だけはどんなに合理化しても、問題なのは、独占的製薬資本の薬をどうして下げるかということが、私は一番焦点ではないかと思うのです。これは政治的に経済的に非常に困難でしょうが、どうしても、もう少し欧米諸国の製薬メーカーの現状並びに流通あるいは広告まで全部含めて、このような国会で十分いろいろな材料を整えられて対応していただきたいと思うのです。
  93. 石母田達

    ○石母田委員 それから先ほど労使の負担の割合のことについて述べられた中で、御承知のように政管健保では法律で労使折半がきめられております。また同じ健康保険法の第七十五条で、健保組合のほうは事業主の負担を増すこともできる、これも法律できめられております。そういうことで、戦前は労災が入っていましたから計算はなかなかむずかしいと思いますが、少なくとも戦後は、こうしたことが一貫して引き続いてこういう折半の制度がとられている。先ほどの話で国際的にもそういう国は少ないということでありましたけれども、事業主の負担労働者よりも多いという国は、具体的にどういうところがあるかお答え願いたいと思います。
  94. 吉田秀夫

    吉田公述人 現在国際的に、一九六九年で医療保障あるいは医療サービスをやっている国が九十七ということですが、医療サービスは除いて、社会保険方式をとっている国が圧倒的に多いわけです。その中で私が調べたところでは、文字どおり労使折半だという国が、先ほどもちょっと触れましたように西ドイツ、オーストリアそれからフィンランドぐらいで、あとはほとんどが事業主のほうが多いということであります。その中で典型的に事業主が多いという国を若干申し上げますと、一番多いのがイタリアで、労働者負担が給料の〇・一五%。ところが事業主負担が九%から一二%、これは資本主義ではちょっと例外のようです。それからフランスがその次で三・五%対一一・五%、メキシコが二・二五対五・六%、オランダが四・七五対一〇・六五%、スペインが三%対一二%、いずれも二倍というようなことではない、もっとはね上がった事業主負担だということをつけ加えておきます。以上です。
  95. 石母田達

    ○石母田委員 次に私は、先ほどから問題になっております弾力条項と厚生保険特別会計の今度の改正の問題、この問題についてお聞きしたいと思うのですが、先ほどの公述の中で、弾力条項の千分の八十まで短期間に上げられるだろうというような見通し吉田先生が言われましたけれども、その根拠はどういうものですか、具体的にお聞きしたいと思います。
  96. 吉田秀夫

    吉田公述人 先ほど政府管掌健康保険が構造的にあるいは体質的に非常にバランスがとれないだろう、これも将来の展望として言えるということを申し上げたわけで、それがどうしても前段に一つあります。そのあとは、先ほどもちょっと触れましたように、おそらく診療報酬の問題は、毎年のように、引き上げてほしいという運動は私は続行すると思います。その診療報酬の問題でいいますと、日本診療報酬は、御承知のように昭和二年から発足して、戦前は政府管掌だけで団体契約方式、ドイツをまねて始まったのですが、この段階では官公立病院は除外になっておりましたし、それから健保組合はかなり自由に医療費の支払いをやれた。戦後になって、昭和二十六年の改定までは零細な診療所を単位にして稼働人員を割り出して、それで零細な診療所を単位にいろいろな単価あるいは点数などを考えたというのが実績であります。ところが、いまは甲表、乙表と二本立てになっておりますが、甲表を見ましても、あるいは乙表を見ましても、医師以外の点数のあるのは、一番最後の入院料、その中でも看護料だけであります。その看護料金も御存じのように、大体最低二〇点、二百円から最高六百円台まで、これしか実は医師以外の医療従事者の労働に対する評価はない、こういう非常に不合理な診療報酬が四十何年も続いてきたということが私はおかしいと思っているわけです。  それで政府のいろいろな統計を見ますと、四十六年十二月末で病院従事者が六十三万、うち医者が二・二%、このうち常勤の医者が六割で非常勤が四割だ、こういわれています。それから診療所に働いている者が約三十六万、このうち医師が二四・三%、こういう状態ですから、合わせますと大体百万になりますが、したがって非常に圧倒的多数の医師以外の医療従事者、いわばパラメディカルの連中は、どんなに働いても自分の労働に対する対価としての点数は、病棟勤務の看護婦だけだということであります。これでいいかどうかということがたいへん問題なんで、今日のようにほとんど公立病院、公的病院が経営ができないというのも、この辺に一つ原因があるのではないかと思います。  したがって、いまこの辺まで問題をずっと視野を広げて取り組むかどうかわかりませんが、いわゆる診療報酬問題は、国民医療費は非常に膨大でも、個々の診療報酬点数自体は、甲表、乙表も私はたいした点数じゃないと思っている。だからこれをまともにしようという運動は当然これからも激化しますから、それに対応するということになりますと、私は今回の健康保険の法案をもってしても、やはり政府管掌健康保険の健全財政は、とてもじゃありませんが維持できないというのが私の見解であります。
  97. 石母田達

    ○石母田委員 先ほどからのお話、ずっと聞きますと、これは吉田先生だけじゃなくてすべての方がおっしゃられているように、政管健保の足が弱いというか、財政的な基盤が非常に弱くて赤字になるような仕組みになっているというようなお話、それからまた今後の診療報酬の引き上げあるいは給付改善に伴って当然赤字が出る。こういう中で今回の保険料率の引き上げということですが、特に厚生保険特別会計法の改正案というものがそういう点では非常に重大な問題だ。これによりますと、この会計からの、昭和四十九年以降のいわゆる年度末の赤字が出た場合に、これが保険料を引き上げても、つまり弾力条項保険料率を引き上げても一年以内に返済できないもの、明らかでないもの、そういうものについては貸し出さないということですから、当然これは弾力条項の発動が前提になっているわけです。こういう点について寺前議員の質問に対しまして、はっきりと政府側でもそういうふうに答弁しているわけです。つまり特別会計法の今度の改正によって、それが弾力条項の引き金的なものになってしまう、こういうふうに私ども考えているわけですが、組合側を代表しておる下徳公述人に、この問題についてどういうふうに考えておられるか、お話をお聞きしたいと思います。
  98. 下徳新太郎

    ○下徳公述人 私どもは、いまおっしゃられました弾力条項の問題については、やはり国民生活全体にきわめて大きな影響を持っておる。しかも赤字の問題は、いまも何人かの公述人方々がおっしゃられましたように、やはりよって来たる原因というものを明らかにしなければならない。こういった立場から申し上げますと、ただ単に赤字解消をもって弾力条項、あるいは給付改善という美名のもとで、いわゆる国会審議の場を経ずして大臣権限でやる、こういうことについてはきわめて問題が多いというふうに判断しております。  したがって、いずれにいたしましても、この弾力条項の問題は、結果的には労働者全体の負担というものが、今日医療費全体の負担が多い中でさらに非常に多くなっていくという問題については、健康保険全般の中で、特に政管健保における実態というものあるいは問題点というものを、もう少し、もっともっと議論をする中で、あるいは追及する中で改善をしていくことこそが、われわれいわゆる勤労国民全体が、負担というものを考える問題ではなかろうかというふうに考えまするから、いま先生方おっしゃられましたような考え方で、私自身もいわゆる勤労国民全体の負担というものから判断する場合、きわめて大きな問題ではなかろうか、こういうふうに考えます。
  99. 石母田達

    ○石母田委員 この問題でもう一つ吉田先生にお伺いしたいのですが、先ほどの御指摘のように、赤字が出るたびに、千分の八十まで弾力条項がどんどん使われていく。見通しではこれは短期間にそうなってしまうのじゃないか。千分の八十までこれを使い切ってしまったという場合に、今度の厚生保険特別会計法の改正案がもし通ったとすれば、また保険料率の引き上げという問題が起きるのじゃないか。そういう場合に、この弾力条項の率を引き上げていくのか、法律を改正してまたやるのか、これは、政府側じゃないからおわかりにならないでしょうけれども、一体どういうふうになるでしょうね。ちょっとそういう点について伺いたい。
  100. 吉田秀夫

    吉田公述人 経済の見通しが、五年先全然わからないと同じように、健康保険も、それを取り巻く医療制度その他いろいろな矛盾が非常に激化しておるものですから、この辺を一つ一つほぐすだけでもかなり勇気のある政策をもってしなければ、どうも日本民族全体がだめになりそうな気がするわけです。したがって、たとえば千分の八十をオーバーするような状態になりますと、おそらくは千分の八十五、あるいは九十まで伸ばす可能性は十分あります。というのは、地方公務員共済組合は、圧倒的多数は千分の八十五、九十。あるいは百というところもありますから、そういう点では決して安心できない。したがって、国あるいは大資本がどういうかっこうでこの崩壊する健康保険あるいはめちゃめちゃな医療制度を打開するかということに踏み切らなければ、私は日本の産業全体も維持できないようなそういう状態になりそうな気がするわけです。どうも的確な返事になりませんで、恐縮です。
  101. 石母田達

    ○石母田委員 そういうお話だけでも、今度の弾力条項とこの厚生保険特別会計法の改正案というのは何かセットみたいになって、そうしてそういう仕組みができると、先ほどの先生のお話のように、短期に、あるいは一年ごとに保険料率の引き上げが問題になってくるというような仕組みが、こういうものによってつくられていくことがわかりました。こういう点では非常に重大な問題だというふうに私は考えております。  最後に、先ほども問題になっておりました診療報酬の引き上げの問題について、白木先生と吉田先生にお伺いしたいと思います。  これも国会で質問したことでございますけれども、これまで、私どもも含めまして、診療報酬というと何かお医者さんの要求というふうに狭く考えておりましたですが、私も今回いろいろ勉強さしていただきまして、この診療報酬が低くきめられているということが、患者の立場といいますか国民医療立場からいっても非常に大きな障害になっているということを痛感いたしました。特に昨年二月の点数の改定によりまして、血圧がいままで点数があったのがなくなったとか、腕一本のマッサージが何点とか、あるいはまた夜間の場合の時間外の加算点が三点であるとか、そうしたことが老人医療をお医者の方が敬遠しがちになったり、夜間、休日の急患を見にくくするというようなことで、そういうものを経済的に保障する上で、低い診療報酬の体系、そういう制度の不合理さというものが大きな問題になっているということを感じまして、この点で政府を追及いたしました。その一つ一つの問題の不合理については政府自身も認めるのですけれども、昨年二月の点数の改定は、大きな新しい体系の中では合理的なんだ、こういうふうに言うわけですね。私ども、時間も足りませんで、その点を追及できなかったのですけれども、この点で、まず初めに白木先生、それに次いで吉田先生に、現在の診療報酬の不合理性、また昨年二月の改定の問題についてどう考えておられるか、御見解をお伺いしたいと思います。
  102. 白木博次

    白木公述人 お答えいたします。  医療のほうは、公的医療医者と私的医療医者と二つありまして、診療報酬の改定なんて、公的医療に働くお医者さん方は何にも関係ないです。それははっきり申します。ですから、ほんとうから申しますと興味も関心もない。それで何らわれわれは関係がない。公的医療機関はですね。したがって、私は開業医ではございませんので、その辺のところはお答えできないわけでございますけれども、公的医療機関のお医者さん方あるいはその看護婦さんたちの診療報酬といいますかね、その生活保障ということになりますか、そういうものを上げろということ、そして、それの私的医療との間の経済格差をなくせということは、私個人としてはあまり申し上げたくございません。公的医療機関に働く医者あるいはその協力者というのは、単にそれだけで働いているのではないのであって、やはりいい医療を提供したいわけです。したがって、いい医療を提供するためには、不採算医療でやってほしいという非常に強い希望を持っておる。われわれは教育をやりたい、研究もやりたい、そして国民のためにいい医療を提供したい。それを提供することができればよろしいのでありまして、別に診療報酬などはそれほど考えておりません。これは私個人の考え方でございます。
  103. 吉田秀夫

    吉田公述人 非常にむずかしい問題で、その国の医療制度の発達の歩みと、実際には病院と開業医がどういう状態なのか、あるいは病院の経営主体が、欧米のように圧倒的に公的あるいは国立病院が多いということ。ところが日本の場合には、病院の数で約八千、そのうち六四%ぐらいがかなり零細な個人病院である、そして開業医が圧倒的に医療をしている、こういう状態の中で健康保険が進んでいるわけです。ただ、われわれ、国民の一人として非常にがまんできないのは、甲表と乙表と二本立ての点数表がまかり通って今日まで来ているということ。これは一本化の世論もさっぱり出ないし、あるいは医療担当者からもそういう要求が出ないというのはどういうことだということが一つあります。  それから現在の診療報酬は、昭和二年発足以来、原則的に単価点数、現物給付はこのままであります。ただ、戦前は政府管掌健康保険だけが団体請負だったのが、戦後になって典型的な出来高払いに移行しました。それならばいまの点数の中に医者の技術料あるいは医療従事者の労働力に対する点数やいろいろなものに対する評価があるかといいますと、これは全部カクテルみたいにこん然一体になっているものですから分離できません。その辺が非常に問題。したがって、出来高払い制度といまの分離できない点数表、この辺の矛盾が実は非常に鋭く日本の場合には出ておるものですから、単純に診療報酬全部といいましても、その引き上げの中身が問題で、昨年二月の診療報酬改正はいわば点数改正だった。そういう点では、外来担当の医療機関に対してはかなり冷遇した扱いだったということは聞いております。病院は若干入院料が上がり、看護料金が新しくできたという、それだけであります。したがって、いまの物価騰貴の中ではとうてい人件費がまかなえないのはあたりまえということなんです。ただ、医療費全体が非常にふくれ上がっていますから、そういう状態の中で、個々の点数表は、確かに低いのが一ぱいあるんですが、その辺の矛盾を、さてこれからどうしたらいいかということなんですが、これは単に中医協だけの問題ではなくて、もっと世論化して、特に国会の場でもっと真剣に討論して、一体どうしたらいいか、いろいろな諸外国の例も引用しながら、ぜひこれから対応していただきたいと思うわけです。  以上です。
  104. 石母田達

    ○石母田委員 質問を終わります。
  105. 田川誠一

    田川委員長 坂口力君。
  106. 坂口力

    ○坂口委員 私は、この健保議論の中で常に主張し続けてきたことが二つございます。その一つは、先ほど白木先生のお話にもございましたが、疾病構造の変化に伴ってどのような医療の流れの中でこの健保というものを考えていくかということでございました。もう一つは、この健保改正されるならば、それは大きく分けて現在九種類にも分かれております保険を一本化していくような方向の中での改正でなければ意味がないということでございました。  まずその第一点についてお伺いしたいわけでございますが、大熊先生それから白木先生にこの点はお伺いしたいと思います。まず大熊先生には医事評論家として、現在の医療のひずみとして、せっかく保険料を支払いながら医療を受けられない無医療地帯、あるいはまた医療機関はありますけれども、時間的に受けられない無医療時間帯、こういうものが存在するわけでございますが、これを少しでも解消していくのにどういうふうな医療の場での改善をしていったらいいか、たいへん大きな問題でございますが、それに対するお考えがございましたら、ひとつまずお聞きをしたいと思います。白木先生には、医学教育者立場から同じような問題をどのようにお考えになっているか、それをひとつお聞かせいただきたいと思います。
  107. 大熊房太郎

    ○大熊公述人 お答えをいたします。  現在の日本医療の混乱というのは、私はこういうふうに考えております。これはしばしば言われることでございますが、医療の需要の側のほうは、医療費の価格、支払いの方法などにおきまして、共同化といいますか社会化といいますか、一応社会化が完成しております。ところが、医療を供給する側の医療制度のほうは、依然として明治以来の自由開業医制度である。とすると、日本医療体制というものを一つの車にたとえますと、片方は要するに社会化である、片方は一応自由放任のままである。要するに、車の両輪がいびつのような状態になっているために、医療体制という車が走らないのではないかと私は考えるわけでございます。そこに当然無医地区の問題なども起こってくるわけでございますが、その解決策としてよく言われますことは、それなら医療の国営、公営、国家管理、そういうようなことをしたらその解決ができるのではないかというあれもございます。だけれども、これは私が先ほど申し上げましたように、資本主義社会におきまして、はたして医療だけを国営、公営のようなものにしてうまくいくかどうかという疑問を非常に感じるのでございます。これも先ほど例をあげましたように、これは日本国有鉄道の例を見ればよくわかるわけでございます。  それでこの社会化という問題でございますが、要するに現在の自由開業医制度の中で社会的調整でもってやっていくか、それとも強引に資本主義社会の中において医療だけを国営とか公営というふうにしてやっていくか、この二つのあれがあるのでございますけれども、これはまたあらゆるところにおいて論議をされる問題じゃないかと思うのです。ただ、そういうようなあれを見まして、無医地区が生まれる、それから救急医療体制が非常に不備である、これは国営にしたらいいだろうとよくいわれるのでございますが、これは幻想ではないか。少なくとも現在の社会体制のもとでは、そういうふうにしたら何もかもうまくいくという期待はできないのじゃないか。これは幻想であろう。なぜならば、いまのように国が低医療費政策をとっている限りは、かりに国営というようなことをやりましても、状態は一向によくならない、かえって混乱するのではないか、私はこういうふうに考えております。
  108. 白木博次

    白木公述人 お答えいたします。  たいへん大きな問題で、とても一言で答えられないような気がするのですが、具体的な話からしますと、たとえばいま私東京都の医療というものに対して知事にアドバイスする立場から考えますと、東京都の中にも無医地区があるわけでございます。それは小笠原であるとか伊豆諸島であるとかあるいは檜原村、そういうものが現実にある。それから考えてみますと、都心というのは日夜リズムで、人口構成の影響がありまして、無医村とそうではない非常に大きな変動を繰り返す。都心は昼間は非常に過密人口になるけれども、夜になるとほとんど人がいないというような状況になる。居住地区はその逆のケースになる。そういうものに対して一体どういう医療の体制をしくのか。あるいはその途中の通勤の問題、それに起こってくる交通災害救急医療の問題、いろいろなものがあるのであって、いわば東京都なんというのは国みたいなものでございますから、その中でいろいろな問題を考えていきますときに、いつでも多くの矛盾にぶち当たりまして、どんなふうにしていいかわからないというような感じがいたしますけれども、この場合には国立とか大学病院というのもさることながら、地方自治体の病院というものを非常に私は重視するわけでございます。それは国立の病院あるいは大学病院は患者を待っておりまして、来るのは見るけれども、あとは知らない、そういう傾向があるわけです。しかし地方自治体病院は地域に密着しているということ、やはり保健所を通じて地域の健康をさぐっていく、それから対応する、それからそのあとをフォローしなければならない、そういう使命を持っているので、こういう地方自治体病院をもっと充実させないことにはほんとう意味では医療というのは私はできないように思うわけです。東大病院というのがございますけれども、かりにあれが大学が切り離されることによって、池之端中央病院と私はよく冗談を言うのですけれども、そういう形で地域にも対応するという責務を当然持つべきだと思うのですけれども、国立関係はそういう発想があまりございません。それでは私は地域医療というのはできないと思うわけです。たとえば小笠原だとか伊豆諸島、そういう無医村地区に対して地方自治体の病院としてどういうふうに考えるかと言えば、現場にきちっとしたものをつくることも重要ですけれども、やはりセンターである都心の一つの病院の中にそのような機能を大きく持たせるということによって、機動性を持たせて対応していくのが一つの大きなあれになってくると思います。しかし機動性を持たせる以上は、そこに相当の人間、予算というものを張りつけておかなければそのことができないわけでございまして、そういった点から、何度も繰り返して申しておりますように、一ベッドに対して一対一あるいはそれ以下というようなことでは、とうていできないのだ。そこに思い切った投資がされなければそういった問題は解決しない、そんなふうにいま考えるわけでございます。あとは実践だけでございまして、実際問題としてはなかなか国は重いおみこしを上げていただけません。ですから、やれるところがやっていく。どうせそれは完全なことはできないわけですから、それでも国のあり方よりもっといいものをつくっていく。そうすれば国もそれ以上のものをつくらなければいけないというようなところから、だんだん広がっていくんじゃないか、そんなふうに考えざるを得ないと思います。
  109. 坂口力

    ○坂口委員 続いて、白木先生にもう一つお聞きしたいことがございます。これは医学教育に関することでございますけれども、先日も「医学のあゆみ」をちょっと見ておりました。たしかアメリカだったと記憶しでおりますが、外国からレポートがございまして、それに医学教育のあり方について出ておりました。それを見ましたときに、私ども医学教育といいます場合には教育と研究と診療という三本柱をいつも考えておりましたけれども、そのレポートにはもう一つ地域医療というものが書いてございまして、四本柱に書いてあったわけでございます。いま先生のお話にも地域医療ということが出てまいりました。大学病院として非常に重要な問題ではないかというふうに思います。特に先ほどの無医地区等の問題がございますので、それを解決するのに、対応する大学病院という意味では日本も今後真剣に取り組まなければならない問題ではないかというふうに思ったわけでございますが、その辺のところの御所見を承りたいと思います。
  110. 白木博次

    白木公述人 お答えいたします。  先ほどの東大病院を池之端中央病院にしろというのは、一つのお答えではないかと思うわけです。たとえばその辺の文京区の保健所というものが、その地域のしっかりした公立であれ国立であれ都立であれ、やはり連携すればそういった問題は片づいてくるわけだと思うのですけれども、それに対して一体だれが財政投資をするのか。これが国と地方自治体とそれ以外の財団という三つのソースというものはどこの国でも行なわれているわけですけれども、その辺のところが十分にできていないのではないか。もし東京都に財政の余裕があるならば、たとえば文京区の保健所は東大と密着してやれ、それに対して財政の援助をしていくというような形を当然とらなければならないのではないか、そんな気がいたします。  それからもう一つ医学教育の中で非常に重要だと私最近思いだしておりますのは、医学というのは、いま技術教育的な面が非常にあるということと、それから自然科学、精密科学に近づくことがあたかも医学であるかのごとき教育があまりにも多く行なわれている。ですが、私たちは少なくともそうではなくて、医学というものは、自然科学的な側面もあるけれども、そうではなくて、ものすごく人間科学的などろくさい側面がある。それが医学ほんとうの実体ではないのかと思います。そういう意味では、医学と社会の関係とか、あるいは経済の関係とか、いろいろな問題が出てくるわけでありまして、そういう問題についての教育というようなものを実体的にどこでどういうふうにしたらいいのか。これはただ講義をするだけでは十分ではないわけであります。やはり実践というか、実地の場においてそういうものがほんとうの教育になるのではないかというようなことを考えておりまして、実は三木長官に呼ばれましたときに、水俣でどういうような医療体制をしいたらいいかというようなお話がございましたときに、一つの考え方として、地域にきちっとした地域病院をつくるならば、医学生というのは必ずそこに行って実習しなければならない、そしてそれを通ってこなければ単位をやらない、卒業させないというくらいでなければ、やはり実践の場で、どんなに水俣病の患者たちが苦しんでおるのか、その地域との対応関係においてもいろいろな疎外を受けているわけですけれども、その実地を見なければしかたがない、そういう実践の教育の場で教育をほんとうにしていくという形でなければならないとするならば、水俣地区あるいは四日市ぜんそくの地区あるいは富山のイタイイタイ病あるいは阿賀野というようなところに、やはりきちっとした地域病院をつくり、そこに実際医学生を派遣しなければならない、そこを回ってこなければ卒業させないくらいにしないことには、いま私が申しましたような社会と医学のかかわりという問題は決して出てこないのではないかというふうに私は考えるわけでございますが、私のような——教授がみなそうであるか、ほかの教授もそうかどうか、これは何とも言えませんので……。
  111. 坂口力

    ○坂口委員 次に、疾病構造の変化に伴いまして、やはりこれに伴ったと申しますか、見合った保険というものが今後できていかなければならないと思うわけでございますが、私はこの健保のいろいろの審議の中で、少なくとも年一回ぐらいの健康診断は保険で受けられるようにしなければならない、いわゆる予防給付の問題でございますが、これについて主張をしてまいりました。しかし、厚生大臣は、ひとつ今回の健保改正案が通ったらその次に考えよう、こういうことで、なかなか意見が一致しなかったわけでございますけれども、この予防給付の問題につきまして、小山先生それから大熊先生、ひとつ御意見を賜わりたいと思います。
  112. 小山路男

    小山公述人 お答えいたします。  健康保険のたてまえは、療養に要した費用を負担する、つまり私どものことばでいいますと、修復医療だけでして、要するに修繕、こわれたからだの修繕なので、修復医療であります。この修復医療だけでは保険が成り立たないという認識は、もうわれわれ共通に持っているところであります。したがって、何らかの意味健康管理なり予防あるいはリハビリテーションというものをドッキングさせるというか、システムとして確立させる必要がある。その場合に、予防給付健康保険というシステムでやったほうがよろしいのか、それとも、地域医療の確立というようなことからいえば、保健所、病院というような一つのネットワークを考えまして、その中で予防問題あるいはリハビリテーションの問題を考えるべきか。これは費用の出どころが違いますと、力の入れ方が違うのでして、保険局にそんな予算をやらしても——これは役人がいるのであれですけれども、保険サイドでやる仕事ではないように私は思うのです。むしろ公衆衛生なり、それから今後老人が非常にふえてまいりますと、老人福祉の一環として、地域福祉と地域医療を統一するものとしての地方自治体活動というものに私は多くを期待したい。保険給付という形での予防給付は、健康保険組合等でたとえば短期人間ドック等をやるとかいうふうな活動は間々見られますが、それは事業主側の健康管理の手段という面がかなり強いので、むしろ全国民を対象にするという立場に立ちますと、いま申し上げた観点のほうが望ましいように私は考えております。
  113. 大熊房太郎

    ○大熊公述人 お答えいたします。  現在の健康保険というのは、これは私は全く疾病保険、しかも重症ではなくて軽症の患者を対象にした軽症保険、こういうような名前で呼んだらいいのではないかと思うようなあり方をしております。やはりいまの時代は、予防、治療、リハビリテーションと、一貫した体系の中で取り上げられるべきであって、やはり保険の中から当然予防給付というものがあってもいいのではないかと思います。これはよくいわれることでございますが、予防にまさる治療なし、こういうスローガンがございます。ところが、いまのような予防給付を認めてない健康保険のあり方では、私は全くこれは死語になっているのではないかと思うわけでございます。それで、やはり保険の中から予防給付を認めるということは、結局は、たとえばガンならガンでけっこうでございますが、早期発見、早期治療ということになりまして、結果としては医療費の節約にもなるのではないかというふうに考えるのでございます。この予防給付も、できましたらたとえば特に主婦の層にまで及ぼして、年に二回ぐらいの人間ドックは無料でできるというような形にぜひすべきではないかと思います。
  114. 坂口力

    ○坂口委員 この問題は、ほんとうはもう少しお聞きをしたいわけでございますが、時間がございませんので、次の問題に移らせていただきます。  もう一点は、先ほど申しましたとおり、健康保険改正されるならばそれは一本化していく方向に改善をされるべきである、こういうことを私は主張してきたわけでございますが、今回の改正案を見ましても、たとえば組合保険政管健保とを比較いたしましても、けさからいろいろとお話がありましたように、たとえば給与ですとか年齢ですとか、あるいは性別、そういったいわゆる体質の違いもございますし、それにもかかわらず、たとえば特別保険料にいたしましても、弾力条項にいたしましても、政管健保にのみ強制をしている。こういうふうな形で改正が行なわれるならば、やはりこの格差が定着をする、あるいはまた大きくなっていくという方向になるのではないか。こういうふうな意味での健保の改革というものに対しては私は反対であるということを言ってきたわけでございますが、この点につきまして、小山先生もう一度お願いをしたいと思います。     〔委員長退席、山下(徳)委員長代理着席〕
  115. 小山路男

    小山公述人 お答え申し上げます。  確かに今回のような改正をいたしますと、たとえば標準報酬上限を二十万に上げるということになりますと、平均標準報酬の現在の差、約一万円ちょっとだと思いますが、それがさらに拡大することは事実であります。したがいまして、制度の一本化がよろしいのか——かつていわれた一本化論というのと、それから財政調整論、この二つございまして、そして現実にはどういうことかといえば、制度の一本化論が支配的だった時期があり、それからそれがいろいろ利害関係等がございまして事実上不可能だということから、財政調整論という考え方が出ました。これが私の属しております社会保険審議会等でもずいぶん議論の対象になりました。しかし、この場合でも、資本家も労働者もこぞって反対でありました。既存の利害の壁というのは非常に厚いというのと、それから、考えてみますと、一方、大企業の組合健保の被保険者が受けているレベルが、世界的というか、医療保障の理想から見てよ過ぎるのかというと、それはよ過ぎるとはいえないので、まあその程度ぐらいはあたりまえだろう。こういうことになりますと、その制度の一本化あるいは財政調整論という考え方がデッドロックに乗り上げると、今度は、それならばせめて給付面ででも政管健保のほうを引き上げていって、そして給付格差をなくそうじゃないかというのが、今回の案のバックグラウンドになるわけです。つまり家族給付について申しますと、健康保険組合等の現在の家族給付給付率は大体七割二分ぐらいになります、家族療養費の償還をしておりますので。そうなりますと、これを七割に引き上げる、政府管掌健康保険が七割に引き上げるということになりますと、他の保険制度も一斉に七割に引き上げざるを得ないということになります。それから高額医療費、これも他の諸制度は見習うと思います。こういうことで、給付面におきましては格差是正の見通しといいますか、ワンステップが今回踏まれることになるだろうと思います。ただしその場合に、御指摘になりましたように、保険料負担の問題、あるいは弾力条項等の問題、非常に費用負担の問題がむずかしくなりまして、国庫補助をどれだけ投入したらいいのか、あるいは被保険者負担というものはどのくらいまでがまんしなきゃいけないのか、あるいは給付改善をやるなら本人の一部負担を若干は引き上げてもいいじゃないかという議論もあったことは事実であります。したがいまして、この財源問題について非常にむずかしいし、それから組合管掌健康保険との差が広がることは事実だろうと思います。そこで、そういうことを前提に置いて考えてみますと、実は健康保険組合の中でも財政力の弱い組合は今回の改正でかなり財政的に圧迫を受ける。大企業等で余力のあるところはどうということはないと思いますが、組合間でまず格差が出ると思います。  それからもう一つは、政府管掌健康保険と組合管掌健康保険財政力格差の問題がございます。私個人といたしましては、財政調整的な方向で問題の解決をはかるという従来の主張を変えておりません。ただ現実の利害関係からしてそれが不可能である。これは理論の問題ではなくて力の問題でございまして、実に残念といえば残念でありますが、ともかくそういうことでありますので、何か、たとえば先ほど申し上げました退職者の継続療養給付を共同でやるとか、国民のためにひとつ共同で各保険集団が力を合わせようじゃないかというようなことになってくれれば、先生のおっしゃるような制度の一本化への方向が半歩でも動くんじゃないかと思っておりますが、現在のところまだそこまで機が熟してないといいますか、はなはだ私としては残念に思っているのであります。
  116. 坂口力

    ○坂口委員 ありがとうございます。これで終わります。
  117. 山下徳夫

    ○山下(徳)委員長代理 和田耕作君。
  118. 和田耕作

    ○和田(耕)委員 私は、一番小さな政党で時間が二十分しかないわけでございまして、ただ一点だけを専門家の皆さま方にお伺いしたいと思います。  今度の橋本私案というあの提案の中に、弾力条項についての修正の意見がございます。それについて診療報酬を引き上げるとか、あるいは給付改善をするとか、その他緊急の事態に対して対処するためだという説明がございました。  そこでお伺いしたいのは、診療報酬の引き上げという問題、これは非常にむずかしい問題だと思うのですけれども、この診療報酬の引き上げという問題について、公述人方々の端的な御意見をお伺いしたいと思うのですが、たとえば診療報酬の引き上げにしても、私はこれは公私の全国の病院の代表の方々からは、即刻やってもらわなければ困るのだ、看護婦の問題にしても、差額ベッドの問題にしても、この問題を何とかしてもらわなければ困るのだという強い要望も受けておる。また薬剤師さんの方々は、いまの医薬分業という問題を実行するためには、お医者さんの診療報酬というものを引き上げるという形でこの問題を解決する以外に方法はないんだというような御意見もあって、もしこの診療報酬の引き上げということが、いまの医療保険問題の周辺にある重要問題を解決をする糸口になるような心がまえであれば、私は、やってもいいじゃないかという感じを持っておるのですけれども、そういうふうな問題についての保証なしには、なかなかこれは利害関係の結びつく問題で、困難だという感じを持つのですが、この問題について特に小山先生と白木先生と吉田先生と大熊先生の端的な御意見をお伺いしたいと思うのです。
  119. 小山路男

    小山公述人 お答えいたします。  まず一つ申し上げられますことは、わが国国民医療費でございますね、これが対国民所得比で四・何%、これが昭和四十年度からほぼ横ばいだという事実でございます。つまり医療費は、二年に一度ぐらいの割りで診療報酬の改定をいたしますが、国民医療費に反映される限りでは、医療費の引き上げの有無にかかわらず、一応の横ばい状態で推移してまいったという事実がございます。それ以前、三十六年から四十年ぐらいまでは医療費の増加が国民所得の増加率を上回りまして、そうして大体三十六年から四十六年ぐらいの間に国民医療費は一ポイント上がっております。これが現在の健康保険財政難の最たるものでございます。これがまず一つあると思います。  それから、さてそれならば今後そういう情勢が推移するかといいますと、これはコストプッシュの要因が病院側にかなりあるというのが事実でございます。診療報酬と申しますのは、これは非常に精密にできているようでありながら、かなり弾力的な要素がありまして、物価、賃金等が上がりますと医療費も、医療費を改定しなくてもある程度は上がる。これを役人たちは自然増と申しておりますが、実は点数表の、まあ何といいますか、医療のビヘービアと私呼んでおるのですけれども、医療のビヘービアというものは所得に対してわりとコンスタントなものであります。で、国民所得の伸びに対してコンスタントであろう。しかしながら、他方におきまして病院等は、これは最近非常に労働力不足、それからもう一つは、かなり高額な医療機械等が使われるようになりまして、コストプッシュの要因は今後かなり強くなるだろう。それが一つの、医療費引き上げといいますか、この圧力になる。この面の費用引き上げは、われわれとしては当然のこととしてがまんせざるを得ないだろう。つまり安い医療費でいい医療にかかりたいという、だれもそう思うわけでありますけれども、現実には日本医療資本に対する投下率といいますか、まだまだ低い。ことに白木先生先ほどおっしゃっているように、医師対パラメディカルの割合というものはまことにおさみしいような状態でございますので、その面を改善するための費用負担、これはわれわれとしては甘んじなければならない。そうでないと医療がますます荒廃するだろう、こういうことでございます。そういう点から申しますと、診療報酬の引き上げに伴って何らかの財政対策を講ぜざるを得ない。つまり保険というものは一つの収支バランスのシステムでございますから、これを無視して運営をやられたのでは、これは制度全体の安定的な発展ということを不可能にするだろう、私はそういう意見でございます。ただ、問題といたしまして先ほど先生御指摘のように、医薬分業の場合、診療報酬を引き上げることで医薬分業を可能とするような基盤をつくってくれ、薬剤師会の言い分もよくわかります。そういうこともあるのですけれども、しかし、医薬分業につきましては、一つは患者側が二重の手間になると言って反対した例もございます。それから医薬分業が必ずしも万能薬ではないので、医薬分業をすることで調剤費によるコストプッシュという面もこれは否定できないと思います。ですから、結局われわれの考えとしては、医薬分業に適したところから、まあ試行錯誤的に制度の合理化をはかっていく以外に方法はなかろう、こういうのが率直な印象でございます。こういうことで、お答えになったかどうかわかりませんが、診療報酬の引き上げが医療の正常化の方向で進められるならば、国民としてはそういう方向で協力すべきだ。保険料としてでも税金の形でもけっこうでございますけれども、ともかくわれわれとしては、やはり国民にいい医療を提供できるような保険制度なり医療保障の制度をつくっていく義務がある、このように私は考えております。
  120. 白木博次

    白木公述人 お答えいたします。  先ほどの石母田議員に対するお答えとほとんど同じことになるのですが、つまり診療報酬の引き上げで医療がよくなるかという端的な御質問だと思いますが、私はやはり公的医療と私的医療をはっきり分けて考えました場合には、公的医療診療報酬が引き上げられるということは、回り回って結局は医師並びに看護婦の待遇改善ということだけにはつながると思います。ですが私的医療との格差はそんなものではとうてい格差は是正されないということは非常にはっきりしておりますし、それからほかの職種に比べて医療関係の人たちだけの報酬を引き上げるということが論理的に正しいか、あるいはそういうことが許されるかというような問題もございます。私はやはり少なくとも公的医療関係、公的医療がよくなるということは、別な財源から別な考え方に基づいての、先ほどから私が申し上げてきましたような面について財政投資が行なわれるのでなければ、少なくとも公的医療はよくならないということははっきりしていると思います。ですから、結論としては診療報酬だけではだめだということでございます。
  121. 吉田秀夫

    吉田公述人 先ほども申し上げましたように、大体医療保障制度実施している諸外国の例を見ましても、日進月歩の医学技術あるいは薬学の進歩等々で、医療費の増大はこれは当然なことであります。その増大する医療費、あるいは日本の場合で言いますと診療報酬に対してどう対応するかというのが、実はいままでたいへん問題になってきたことなんですが、ただ、いままでのいきさつをずっと見ますと、単価点数、現物給付、もう一つ出来高払いという、この諸前提を簡単にくずすということは非常にむずかしいようです。     〔山下(徳)委員長代理退席、委員長着席〕 そういう点から言いますと、良心的な医療、診療を保障してもらうために適正な診療報酬でなければならぬということは、これは当然なことなんですが、ただ、これはもう毎年の、あるいは長年のいきさつでもわかりますように、中医協をめぐって非常に対立激化があります。現在も中医協は中断の状態なんですが、ただ、いまのような諸物価の高騰の中でやはり人件費も非常に不十分、あるいは賃上げもボーナスもほとんど支給できないという、そういう大小の公私病院がたくさんあることは事実ですから、応急的にいまの諸物価に合わしてどの程度の全面的な医療費診療報酬を上げるかというような、そういう要求と、それに対する対応策、それから今度の日本医師会が出しておりますように、スライド制を導入しろということ、中身は何だといいますと医師の技術料と人件費と物価だ、この三つの要素は先ほども言いましたように、いまの個々の点数では分離できないものです。したがって、もしスライド制を導入することになりますと、私はかなり長期の時間がかからなければ、まあ議会の先生方も、あるいはわれわれ外にいる国民も納得するような、そういう方式はなかなか見出せないのではないかと思うのです。その辺の非常にむずかしいのが、いま中医協の場合には激突の状態でありますから、私はこれからどうしたらいいかということに対しては、ちょっと判断に苦しみます。ただ非常に切実な要求が医療担当者から出ているということは事実ですから、それにこたえる道はやはり応急的に、いまの諸物価に合わせて、どう診療報酬を上げるかということにもし妥協するならば、その道は私はそんなにむずかしいことではないと思っています。  それから医薬分業の問題につきましては、もしも医薬分業をすることによって医療費の増大を押えたりあるいは薬の使用を押えるということになりますと、これはかなり一面的ではないかと思うのです。なぜなら病院の場合には医局と薬局と分業してますから、それならば病院と開業医と薬の使いようが、開業医の場合には圧倒的に多いかというと決してそうではないのですね。だから医療費の増大を押えるために、あるいは薬剤師を押えるためにというようなことですと、私はかなり問題があるかと思います。  それからもう一つは、いままでのいろいろな公述人の御意見のように、何といいましても医師と薬剤師の不信感が前提にあるという条件の中では、医薬分業は私は簡単に実施できないのではないかと思うのです。したがって、やはり医薬分業のためにいろいろな諸条件を整える。その整える一番むずかしい問題は、一体いまの診療報酬点数表の中から医者の技術料を分け出して、従来の収入をあまり減少しないようなかっこうで一体保障ができるかどうかという、これまた診療報酬の問題に関連する問題が出てまいります。薬剤師のほうはどうだというと、これは当然調剤技術料をまあ持ってくるに違いありませんから、その辺非常に問題があるのですが、しかし欧米諸国の大部分は実質的に医薬分業に踏み切っておりますから、それがなぜ日本の場合にはできないかということは、いつまでもこのままでは放任できない。だから、諸条件を整えれば私は医薬分業に賛成ということです。
  122. 大熊房太郎

    ○大熊公述人 実は私は診療報酬というものがよくわからないのでございます。これは医療の公共料金というふうに私解釈しておりますけれども、その中味が一体どんなものなんだろうかという点で、いつも疑問を持つのでございます。たとえば医者の場合には、外科の手術をしたとしますと、これはよく外科の医者に多いのでございますが、肝炎に感染して半年も一年も休むという例をよく見聞するのでございますが、こういう危険負担準備金のようなものも入っているのではないだろうか。それから当然、これは奥さん一人で内科の無床診療所を経営しているような開業医の場合でございますが、その家族労働力、それからその深夜労働、そういうもののほかに、まあいろいろなたとえば支払い基金にレセプトを出すときの事務労働、これはたいへんばかにならないものだと思います。最近のように特に公費医療、老人医療無料化のような問題が起こりますと、これは私はたいへんな事務労働だと思います。こういうようなものを全部含めて考えました場合には、私はやはりいまの診療報酬というものを引き上げることについて原則的に反対はいたしません。ただ、これは私、国民の側から考えますと、私などが講演会で接触しましたり、特に婦人会などの女性なんかと話したときによく出るのですが、多少診療報酬が高かろうと保険料が高かろうと、たとえば先ほども申し上げましたように医療の供給体制が整備され、これが強化拡充されて、付き添い医療もない、差額ベッドもない、それから補食代もない、救急医療体制なんかでもきちんと整備されている、それから、よく言われることでございますが、三時間待ちの三分診療でございますか、たとえば三分で一体どんな質の医療が行なわれるのだろうかということを私いつも感じるのでございますが、こういうようなものが整備されておりますれば、国民にしましても診療報酬が定期的に一年に一回ずつ多少上がっても私は耐えるんではないだろうか、こういうふうに考えております。
  123. 和田耕作

    ○和田(耕)委員 いま大熊さんが最後におっしゃられました点ですけれども、私もこの法案を審議する基本的な態度として、確かに保険制度のこまかな問題についていろいろ議論することも大事ですけれども、安かろう悪かろうという状態ではだめな段階にきているということだと思うのですね。やはり保険料が何ぼ上がるからといって反対だ、あるいは診療費が上がる、これもいかぬというふうなことを中心に議論するようなことでは、日本医療制度の現段階の問題点をついていないというように私は思うのですね。そういうふうな意味で、いま診療報酬といいましたのは医者の技術料、お医者さんというのはやはり非常に大切なお仕事ですから、技術料でもって生活できるようなことを考えるということをこの際徹底してやる必要があるんじゃないだろうかというふうな観点からいまの診療報酬の問題についての御意見をお伺いしておるのですけれども、私は医療の荒廃といわれる問題の一番焦点は、お医者さんの質の問題だと思うのです。いろいろな精神的な意味でも物質的な意味でも、この質の問題を解決することなしに現在保険制度のいろいろな問題をいじったところでたいしたことはないんだという感じを持っているわけなんです。それでこの前も武見さんともお目にかかって、端的に私その意見を申し上げたのですけれども、さすがに武見さんもいまのお医者さんの質の問題についてはたいへん心配しておられる。私は武見さんと意見の一致する点はその点だけなんですけれども、そういう問題を考えてみなければならないというふうに思います。いいお医者さんができて、私どもの生命を安心して預けるようなことになれば、かりに医療費が倍になったって国民は納得すると私は思いますよ。薬の問題との関連で考えますれば私はそうはならないと思いますけれども、かりに臨時的に医療費が上がっても、いいお医者さんといい看護婦さん、医療担当者のサービスが受けられるとすれば上がってもいいのだ、そういうような感じすら私は持っておるわけでございまして、ひとつ私どももこういう法案の審議と同時に——制度審議会、保険審議会の答申では周辺問題というような表現をしておるのだけれども、これは間違いだと私は思うのですね。まさに周辺ではなくて、これ自身が一番問題だというふうに思うわけで、そういう抜本をやれやれと言ったってしようがないことで、こういう問題を通じて、特にこの弾力条項では、齋藤さんもこれが認められれば診療費の引き上げをやって、あるいは病院の内容の充実をはかる、あるいは医薬分業の問題にしたって、そういう問題を考える取っかかりはできるのだというふうなことも主張されておる。もしほんとうに厚生省が弾力条項を発揮して、そういう基本問題に手をつけるようなことを確実にやれば、私はこういう問題は賛成してもいいと思うのですよ。しかしそういうことが全然信用できないし、やる気もなさそうだということになれば、これは賛成のしようがないという感じを持っておるわけでございまして、いま診療報酬の問題についての御意見を承ったわけでございます。  もう時間がなくなりましたので、どうもぶしつけな御質問をいたしまして失礼いたしました。
  124. 田川誠一

    田川委員長 以上で公述人に対する質疑は終わりました。  公述人方々におかれましては、長時間にわたり貴重な御意見をお述べいただき、まことにありがとうございました。厚くお礼を申し上げます。  これにて公聴会は散会いたします。     午後三時五十五分散会