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中村(重)
委員 いずれにいたしましても、警防団員の
方々が任意でやっておったのではない。命令によって活動をしておったという事実は、間違いない。そしてその
指導を受けておった
方々は、総動員法に基づいて徴用され、あるいは動員学徒といったような形において、殉職をする形になってまいりました。これらの
方々は、この
対象とされたわけですね。警防団員は同じように命令によって行動をいたしておりました。そしてこれらの動員学徒等を
指導してきたわけであります。命令によりまして、自宅に帰ることもできませんでした。命令によって、あるときは学校へ、あるときは詰め所へ、この
方々は犠牲的に国難に殉じたということが私はいえると思います。これらの
方々は焼夷弾攻撃によって、あるいは
原爆によって生命を落とされました。
いま
大臣がお答えになりました基幹とか一般とかいうのは、どういうことを意味するのかよく理解できないわけでありますけれ
ども、いずれにいたしましても、ただいま私が申し上げましたような
方々が警防団員として二千六百数十名、これはやはり国が無視できないとして七万円の弔慰金をお出しになったわけであります。金額が七万円である、あるいは金額が百万円である、二百万円であるという、その額の問題ではないと思います。国民が納めた税金を弔慰金という形でお出しになったことだけは間違いございません。ならば、実態がどうであったのかということを十分把握をいたしまして、これに対して軍人や軍属、動員学徒、徴用工と同じような扱いをされる必要があるということを申し上げるわけであります。
長崎医大の学生の問題もしかりであります。徴用されておりました。しかし御承知のとおり、医者はどんどん第一線に召集されてまいりました。そして米軍の攻撃は非常にきびしくなってまいりました。それだけ
犠牲者がたいへん出てくることになりました。だからこれは放置できない、医者の卵を工場等で働かせておくことはいけないのだということで、大学に戻しまして、速成教育をやったわけであります。編成をいたしまして、ただ学校でそうした
医療に対するところの勉強をさせるだけではなくて、焼夷弾攻撃を受けたような場合は、班組織によって遠隔の地まで出動して救護作業に当たってまいりました。
これらのこと等々考えてみますと、夏休みを返上したということよりも、勅令によって夏休みはもう与えられないで、そういう速成教育を受けておった。そのことを考えますならば、長崎医大の学生あるいはその他もあろうかと思うのでありますけれ
ども、これに対して動員学徒と同じような扱いをされる必要が当然あるのではないだろうか。これに対しまして、事務当局は、教室に学生が入っておったか、入っていなかったかということが問題です、こう言うわけです。
ところが、
大臣もお聞きになって御承知になっていらっしゃると思うのでありますけれ
ども、
原子爆弾が投下されました際は、軍の間違いで警戒警報を発令したわけです。このこと自体が軍のたいへんな間違いを起こしたのであります。教室に入っておったか、あるいは外におったのか、これはすべて殉職をしてしまいましたから、わかりません。このことに対して、事務当局のほうは、勉強しておったのか、あるいは外におって待機をしておったのかわかりませんと。それに対しまして、さすがに政治家である当時の園田厚生
大臣は、私がこの問題を取り上げました際に「なくなった瞬間に従事しておろうが、勉強しておろうが、そういう業務に従事しておったということは事実であると思います。したがいまして、精神は総動員法に基づいてやるべきであるが、規定以外にいまのような
措置をしたものであると考えておりまするが、この問題についてはなお意見等がありますから、もう一ぺん研究してみたいと思います。」という答弁がなされております。
なくなられた斎藤厚生
大臣も大体園田元
大臣と同じような答弁、もっと前進した答弁がなされているわけであります。戦傷病者等
援護法により、防空監視員は軍属と同じくした、公務で死傷した者を
援護法の
対象とすべく検討中である、
原爆に限定しない、公務従事中による死傷者全部を含めるのだ、こうしたことをお答えになっている。私の、長崎医大の学生の問題あるいは警防団員の問題、看護学校の生徒の
問題等を取り上げて、これらの
人たちもそれに入るのかという問いに対しましては「そういう意味で検討をいたしたい、かようにお答えをいたしました。」と答えがなされているわけであります。
ですから、前向きで答弁している。これに抵抗しているのは、正直に申し上げまして私は事務当局であると考えます。たいへん窮屈にものを考えていらっしゃる。それほど窮屈にものごとをお考えになるのであるならば、大体七万円の弔慰金を
支給されたということ自体に問題があるのである。これは防空法に基づいて行動しておったという事実は、だれも否定する人はおりません。防空法によりますれば、当時なくなった
方々に対しましては一千円でございました。それから生命を落としておられないのだけれ
ども、その負傷の
程度が非常に重いという
方々に対しましては、千五百円というのがあるのです。二十一年に、この防空法は廃止されたのであります。貨幣価値から換算をいたしますと、七万円を
支給されました当時の貨幣価値では約四十万円でございます。何となく、これはそのまま放置できない、こういうことで七万円の弔慰金を
支給しているのであります。
ですから、事務当局が、教室に入っておったとか、入っていないとかいったことによって、このことをせんさくされることには、私は問題がある。どういう
状況に置かれても、一たん徴用されておった学生が大学に帰された。何の目的で帰され、どういうようなことをやっておったのか。速成教育をされたことも事実であります。焼夷弾攻撃を受けた。直ちに班組織によって遠いところに行って
援護活動をやっておったことも事実であります。長時間の
訓練をされておったことも事実であります。警戒警報発令、空襲警報発令、それに対して待機の姿勢をとっておったことも事実であります。
ならば、これらの学生に対して、ましてや、これらの学生、徴用工、動員学徒等を教育
訓練されて、自宅にも偏ることができない、詰め所におって
生活をしておられたこの警防団員等の
犠牲者に対して、軍人軍属、徴用工、動員学徒同等の扱いをされ、その遺族に対して遇していくということは当然ではなかろうか、私はそのように考えます。だから、ここらあたりで
齋藤厚生大臣は決着をおつけになる必要がある、このように考えますが、もう一度お答えをいただきたいと思う。