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寺前委員 今日、
労働者の
労働災害がずいぶんふえているのです。この間うちから予算の分科会なんかを見ておっても、労災の認定問題をめぐっていろいろ意見も出ているようです。そういうことで、私は幾つかの点について労災の認定上の諸問題について
労働省当局の見解を聞きたいと思います。
第一番目の問題は、
労働者が災害にあって、そして労災の認定をしてくれという申請を出す。出すにあたっては、自分の主治医の人の意見もつけて出すわけですが、出したところがなかなか認定してくれない、こういうことで困っている人がたくさんおるのですよ、
労働大臣。何やかんや、いろいろの経過を経て労災の認定が出てくるわけですが、この出てきたときがおそいために、労災を出すときに、これこれのお金がかかりましたのでよろしくといって出すのだけれ
ども、あとの
指導が中断しておって、本人のほうも手続問題というのはやっかいな問題ですから、なかなか理解ができないということで、いよいよ認定がおくれて、出た段階になると、前に出したときの書類のやつは認定するからオーケーだ。しかし支給という段階になると、二年たつと時効だということになるのです。時効だということになると、途中、こういうところに金を出していますという手続をしていないと、認定がおりてから、あのときのお金を下さいと言ったって出ない。一番もよりの、認定がおりた次元のときのあれば、これは二年の以内だから支給の対象になるということが起こるのですね。
要するに、認定の時期が非常におくれるために、認定された前後の、その前の瞬間のやつは支給されるけれ
ども、二年以前の前になると、それは支給されない。しかし、それより前になると、そのときには手続があったから、これは支給になる。だから、中断という
事態が起こるのですよ。非常に不幸な
事態が起こるので、私はこれは一体どういうふうに
労働省として御
指導になっているのか、ちょっと聞きたい。
具体的な例がございますので、あまり時間がないのであれですが、ちょっと話をしてみたいと思うのですが、岩手県共同募金会、岩手県社会福祉協議会におつとめの照井さんという方なんです。四十四年の六月六日に診療所でいわゆるむち打ちですか、あれの病気と診断されて、企業に職業病としての補償を要求したが、そのときに企業のほうは認めてくれない。逆に退職を強制されている。拒否したところ、四十六年の四月一日より無給の休職になってしまう。社会福祉協議会との間にそういう
事態が起こっている。
四十六年の四月三十日に、それではというので労災の認定をしてくださいといって盛岡署に行くのですよ。本人と企業との従来の交渉過程で、企業は、うちは労災保険に加入していないと言明していたので、本人は
労基法八十五条に基づく審査申し立て書を提出した。労基署の担当者は、この申し立て書ではだめだから、この用紙に必要事項を記入して提出しなさいと、療養費
請求書を渡してきた。本人は診療所へ行って、あるいは東京へ出てきて、鉄砲洲診療所や東洋はり灸治療所などを回って、そして療養費の
請求書を受け取って、四十六年五月四日に署長に提出して、受理された。その後一年半にわたって調査らしい調査がなく放置されていたので、たまたま東京へ出てきて、四十七年の九月に
労働省へ行って、どうなっているんだということを申し出たというのです。ですから、その間長期にわたって
指導がないのですね。
労働省の労災補償課長補佐さんに会ったら、事実としたら申しわけない、直ちに早期認定を指示するという約束があって、その五日後の九月三十日に、照井さんの疾病を、
労基法八十五条に基づく
業務上疾病と認定して、認定書を送ってきた。
岩手県共同募金会というのは、四十三年五月以降、労災保険の強制加入
事業場となっており、署長は、
労基法八十五条に基づく
業務上外の審査ではなく、労災保険法に基づく療養及び休業給付の支給もしくは不支給案件として審査すべき
事件であったのです。この手続の誤りに気づいた署長は、あとから、四十七年十月三十日になって、盛岡署に出頭させて、さきに交付した認定書は手続上の誤りであったので返却してほしい。このことは他に言わないでくれと言って、認定書を取り上げるという
事件が起こっているのです。そして、早急に療養費及び休業補償の給付申請書を提出するよう命じた。しかも、四十五年十月以前の療養費及び休業補償については、すでに時効の満二年を経過しているので支給できない。と発言した。
そこで照井さんは、四十六年四月三十日の当初申請時に療養費給付の
請求書を提出してあること、その後何の指示もなく、いまになって時効だから満二年以前の給付は出せないというのは納得できないと主張した。十一月七日、署長さんは、照井さんの療養費の最初の
請求分である、四十四年六月六日から九日の三千二百六十八円の支給をした。しかし、東京へやってきての鉄砲州の診療所、東洋はり灸治療所分については、移送費及びはり、きゅう治療費は支給できないことになっているといって、支給を保留した。その後、四十八年二月二日に至るまで、署長は、照井さんの療養費、休業補償を一銭も支給しなかった。この間、社会保険事務所から照井さんに、療養費の返還督促状が送付されてきた。四十八年二月二日、また
労働省へ行ってこの話をしたら、申しわけない。直ちに盛岡署に指示するという約束があった。二月六日になって、署長さんが、休業補償五十万六千九百八十八円を支給した。しかし、療養費の
請求額約五十万円については、いまだに支払われないままである。
これが
事件の経過なんです。それで、私この手紙を受け取って、これは一体どんな
指導になっているんだ。早い時期にちゃんと申請書を添えて、こういうふうにお願いしますといって——あなた、本人は病人ですよ。だから、あちらのところへ行き、こちらのところへ行って、ほんとうに求め歩いている。自分は労災のあれだと思っていた。そうして、いよいよ本省へ来て、初めて指示がされて、盛岡署で取り上げた。取り上げた次元になって、そこの
事業所の性格も知らなかった。一体、
事業所が強制適用
事業所であるのか、何にも知らないまま、
指導もされないまま、本人が、もう二年の時効がたっているからといって、途中の間はほかされる。私は、
指導の問題とこの時効の問題について、これは一体どういうふうに考えているのか、疑問に思えてしかたがないです。
あくまでも労災というのは、本人の無
責任さによって生まれるんじゃなくて、その
事業所におけるところの仕事の面から被害を受けている
労働者の問題です。とすれば、その被害を受けた
労働者に対して全面的に補償するのは当然だと思うのです。それはこの労災補償法の
立場から見ても、きわめて明確だというふうに私は思うのです。
そこで、この労災補償法のあれを見ると、第一条にはっきりと迅速性を強調していますよ。迅速にやらなければならぬということをいっている。そうすると、この人の場合に、四十六年の四月に出して四十七年の十月の認定まで、その間に
労働省の上へ行って、初めて取り上げられたという
事態を考えるときに、一体迅速というのはどれだけの期間にやることを迅速というのか。あまりにも無
責任じゃないか。早くにこの認定が出されておったら、この人の問題の処理についても、時効という問題が生まれなかったであろう。だから、この間の問題においては、
一つは迅速というのを一体どのように考えているのか。その間の
指導上の
責任は一体どのように感じているのかという問題が
一つあると私は思う。
もう
一つの問題は、時効になったということで一方的に支給をいまだにしないという実情の問題について、これをどのように
指導しようと考えておられるのか。
私は、二点の問題についてはっきりと
指導方向と見解について聞かしていただきたい。