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八木(一)
委員 この第四条については、非常に熱心な、老練な
厚生大臣ですから、内容は御存じですが、この問題については、いまあまりにも鬼やジャのような
法律でありますから、これは
厚生省が何とかあたたかい血を流し入れようということを一生懸命
努力をされて、この弊害は実際上ある程度なくした
運営が行なわれております。その点の
厚生省の
努力には一応敬意を払っておきたいと思います。
しかし、どんなに
努力をされても、
法律自体が鬼やジャのようでございますから、それを幾らやっても、
ほんとうにあたたかいものにはなり切れないわけであります、いろんな控除制度で実際上にはよくなるようにしておりますけれ
ども。ですから、それが
ほんとうにできるように
法律的に変えていただきたい。
たとえば、財産や収入のすべてを使った後でなければ、
生活保護法のあらゆる扶助の適用が受けられないということになっているわけであります。
法律だけの条文でいえば、病気で寝て一人しかいない寝たきり老人が、いま古道具屋に売れば五十円にも売れないような古い携帯ラジオ、それ
一つを病床で楽しみにしている、それでも、その五十円でたたき売ってコッペパンを買って、それで一食食べて、何もなくなってからでなければ
生活保護法の適用が受けられないという条文になっているわけです。
行政の運用はそんなきびしいことはしておりません。それはわかっております。わかっておりますけれ
ども、
法律はそういうたてまえになっておる。こんな鬼やジャのような
法律は直さなければ、
ほんとうに福祉国家ということをやったことにはならない。ですから、社会通念上必要なものは持っておっても、
生活保護法の適用を受けられるというふうに変えていかなければならない。それが
一つであります。
それからもう
一つは、
一定の収入に全部収入認定をしておりますが、第一条の自立助長と関連をして、いろいろなところで働いてある程度の収入を得ているときには、そのある程度までは収入認定しても、それを控除する。全部差し引かないという原則をそこに入れなければならないと思います。そうでなければ、たとえば一部の人たちだけが
生活保護法の適用になっているという場合に、年とった老人と孫か何かがいる。それと男の人が病気で寝ている。それでやや中年の奥さんだけが元気で、あとは小さい子供だというようなときに、そのときに奥さんのほうは働きに出て収入を得ても、それが幾ぶんの控除はありますけれ
ども、控除は本質的なものでありませんから、原則的にその収入認定で、それだけ
生活保護から差し引かれるということになれば、働いても実際の生活は同じということになります。
同じということならば、病人の看護をうちでしたほうがいい。小さい子供の相手をしてやったほうがいい。生活がふえないならば、せめて童謡でも歌って孫のことでも楽しませてやりたい。病気で寝ている御主人の腰をさすってやりたい。あんまさんに来てもらえる金はないのですから、奥さんがさすってあげたい。それのほうが、働きに行くよりは、実際上の生活をあたたかにするのです。働きに行けないのです。働きに行ったら、働きに行っただけのものが、
生活保護家庭でもそれだけ生活がよくなるということならば、そうしたら働きに行って、その問いろいろな子供の食べたがるお菓子を少しでも持って帰ろう、病人の栄養になるものを少しでも食べさせようということになれば、働きに行ったことが生きてくる。生きがいがあるということになります。そういうことでない。
法律がこういう自立助長を妨げているわけです。
一定の収入はそういうふうに引かないという制度をそこで立てていただきたい。
その次には、いまの世帯単位の原則を個人単位の方向に移していただきたいということであります。
この間、本
委員会で寺前
委員ですか、お取り上げになった問題があります。若い少年が自殺をされた。姉さんが保育園で一生懸命働いているけれ
ども、未成年控除も基礎控除も含めて、だいぶ引かれるために実際の収入が増加にならない。ほかの要因もあったでしょうけれ
ども、そういうような環境の中で若い、ひたむきに生きてきた少年が一緒に生きてきた姉さんを残して自殺をしたという事件がありました。
こういうことはずっとあるわけですが、そこの中には、世帯を
一つにして考えるという思想のために犠牲者がずいぶん出ているわけであります。夫婦は一体でありますから、それは一体と考えたらいいのですが、夫婦と未成熟の子供、これを一体として考えて、それ以外の者は別にして、この一体の者だけに
生活保護をかける。それ以外の者は、自分の働きで食べられる人が同じところに住んでいるからといって引かれないという方向にしなければいけないと思う。
ですから、全部個人単位にしたらいいと思いますが、夫婦あるいは未成熟の子供を個人単位にしないで、すべて一体になるという思想がありますから、それはそれとして御研究いただいたらいいと思うけれ
ども、若い青年男女が一緒にいても収入が全部入るということにしていただけば、その青年男女が自立のために一生懸命働く、また、その収入が実際にはおとうさんや弟妹の生活を潤すということになります。そういうふうに、いまの世帯単位の原則を個人単位の方向に変えていただきたいということが
一つであります。
それからもう
一つは、地域差の問題があります。健康で文化的な
最低生活というのに、東京と、あるいは宮崎県あたりとはずいぶんの違いがあります。いま地域差がどのくらいの差があるかというと、大体十対七くらいであろうと思う。健康で文化的な
最低生活がそんなに差があっていいものではありません。したがって地域差という、昔の間違った時代につけられたもの、これを縮小していく、修正していくということがなければならないと思う。
その次に、この
生活保護の適用の問題についてはいろいろの問題が起こりますから、その適用を受けたい人たちの不服審査の機構をもっと強めていただきたい。多く、病人があったりお年寄りがあったりしているところでありますから、県の中心部まで来いと言っても、なかなかできないことがあります。ですから、ごく近所の市町村でそれができるように、そういうふうな実際役立つような不服審査、そういうことができるような機構をつくっていただきたい、こういうようなことが骨子であります。
ほかにも
生活保護を熱心に推進をしておられる
議員の方、
委員の方がおられます。私の
意見を全部申し上げる時間がありませんから、簡単に申し上げましたけれ
ども、各
委員の熱意のある御
意見を、積極的な方の御
意見を全部取り入れて、非常に冷たい心を持った
議員の方、
委員の方はおられないと思いますが、もしあった場合に、消極的な
意見を吐くような、そのような
国民の意思に反する、福祉国家に反する
議員の
意見は一切これを粉砕しながら、そしてどんどんよいものをつくっていただく、そういうふうにしていただきたいと思います。
この
生活保護の問題についてたいへん大きな声で言って、同僚であり、また年齢はどちらが上か知りませんが、前から熱心な
齋藤さんに失礼なようなことを申し上げましたけれ
ども、これは
国民のために申し上げたとしてお受け取りをいただいて、先ほどから示された熱意を実際に具体的に推進をしていただくようにお願いをいたしたいと思います。ぜひそういうことについての御
決意のほどをひとつ伺っておきたいと思う。