○
鈴木参考人 鈴木でございます。
何か
地震学及び
地震予知について
お話をせよということでございまして、しかも、私個人の
研究と申しますよりは、
日本の
地震学界全体を見回していろいろ
お話をせよ、こういうことでございますので、私もそういったような観点で、なるべく公正を期したような
お話を申し上げたいと存じている次第でございます。
地震学万般と申しましても、
地震学全体をおしなべて
お話しいたしましてもあまり
意味がないのではないかと、これはかってな推測でございますが推測いたしまして、特に
災害とか
予知とかいう問題に
関係のありそうな点を拾って
お話し申し上げたいと存じます。その他の点につきましては、後ほど、御質問いただければ御返事させていただきたいと
考えております。
少し
順序が変わった
順序でございますが、
最初に
日本の
地震学というものが
世界的に見ましてどういったような地位にあるかとか、どういったような
特徴を持っているかというようなことを少し
お話し申し上げますと、
あとのことについていろいろ御理解いただきやすいのではないかと
考えましたので、その点をまず申し上げさせていただきます。
日本は、
地震学の面から申しますとしにせでございまして、非常に歴史も古うございます。それから
学者の数も非常に多うございます。したがいまして、
世界の
地震学におきましてナンバーワンだと申しますと、これはいろいろ御
議論のある点であろうかと思いますが、少なくとも
一流であるということでは、
世界のどこへ持ち出しても異存のないところではないかというふうに
考えております。その
程度の高い位置を持っているということが一点ございます。
もう
一つの点といたしましては、
日本は非常に古くから
地震の
資料が集まっております。さらに非常に
地震の数が多うございまして、後ほど申し上げますが、
世界で一番
棚密だと思います。非常に数が多うございますので
資料が非常にたくさんございます。
資料が多いということは、科学的に申しますとたいへんよろしいことでございますが、ある
意味では、
資料が多いということは、逆に非常に複雑なことをよく知っているということになります。したがいまして、たとえば
アメリカなどでございますと、比較的数の少ない
資料のもとに相当大胆な
仮説を立てて推し進んでいくというようなことがございますが、
日本の
学者の場合には、それを受けますとやはり一応疑ってみると申しますか、非常にたくさんの
資料を知っておりますので、それに合わないような面というのもよく知っております。したがって、かなり複雑で、よくいえば緻密な
特徴を持っております。そのかわり、悪くいたしますと、大胆に
仮説を立てて推し進めていくという点でやや弱い点があるというふうに
考えられると思います。この点はかなり
地震予知などの場合に大事なことではないかと思いますのは、たとえばある
仮説をだれかが立てます。それがかりに正しかったといたしました場合に、
日本に適用いたします場合には、複雑な
地質であるとか非常にいろいろ複雑な要素がございますので、すなおにそのままいつでも適用できるかということについては絶えず注意を払っていなければいけないことになると思います。その点が、たとえばよその国の、かなり
資料が少なくて、しかも
地質事情等も非常に簡単であるような国に比べますと、少し違っているのではないかというふうに
考えております。そういったことを頭に置いてお聞きいただきたいと思うわけでございます。
まず、
地震の起こる
場所でございますが、これはもうよく知られておりますように、決して
世界じゅう一様に起こっているわけではございません。特に非常に多いのは環太平洋、太平洋のまわりの地帯でございまして、その中でも
日本は非常に多うございます。たとえば
地震の数で申しますと、
世界じゅうの
地震の約一割五分ぐらいのものが
日本付近に集中している。面積をお
考えいただければわかるわけでございますが、これはたいへんな
棚密度でございまして、
世界一の
地震国ということは、決して誇張でも何でもございません。
さらに、
日本の中でそれではどうなっているかということになりますと、この
棚密な
地震、
日本の中でさえもやはり一様に起こっているわけではございません。
水平方向に見ましてもそういうことはございますが、一番
特徴的なことを申し上げますと、北海道から東北を通りまして小笠原のほうに行きます線がございますが、それに直角に切ってみますと非常に
特徴的なことがございます。
一つは、
日本海溝の
付近から大体四十五度ぐらいの傾斜をもちまして
地面の中にもぐり込んでいる面がございます。その面の
付近に非常に集中して起こっている。もう
一つは、
地表付近に非常にたくさん起こっている。したがいまして、言ってみれば
くさび形とでも申しましょうか、
ちょうつがい形と申しますか、そういったような形のところに
地震が多くて、そしてそれ以外のところには非常に少ないという
特徴がございます。
この地理的な分布と申しますものは、やはりその
地震の
性質とか
被害の
性質にかなり
関係がございます。
たとえば、
三陸沖のような
日本海溝に近いところに起きます
地震というのは、非常に大きな
地震が起きます。
エネルギーにして非常に大きな、
世界で
一流の
地震が起きます。ただ、これは比較的
陸地から遠いものでございますので、これによる
被害と申しますのは
震動による
被害、たとえば山くずれであるとか建物の
破壊であるとかそういったものと加えまして、さらにもう
一つ津波の
被害がございます。したがいまして、そういったところに起きます大きな
地震は
津波と
震動、両方を
考えなければいけないような性格を持っております。
さらに、今度はもっと深い、四十五度の面でもぐり込んでおりますさらに深いところへ参りますと、これは比較的
地震の規模がやや小さくなります。それと深くなるということがございまして、
被害の
程度から申しますと、先ほど申し上げました
三陸沖あるいはこれから申し上げます
日本海側の
地震などに比べるとやや
被害は少ないというふうにお
考えいただいて、まず大体のところよろしいのではないかと思います。
次に、浅いほうの
地震でございますが、浅いほうの
地震は、大体大きなものとしましては、
三陸沖のよりは小さいわけでございますが、
日本海の
沿岸によく起こります。たとえば
新潟地震であるとか
鳥取地震であるとか、そういった
日本海沿岸によく起こります。これは
地震の柄の大きさといたしましては、
三陸沖などの
世界一流のものに比べますとやや小さいわけでございますが、非常に
陸地に近うございます。いわば真下に近いところで起きますので、特に
震動による
被害がたいへん大きいという
特徴がございます。そのほか、もう少し柄の小さいものでございますが、
内陸部に起こるものもございます。
日本の
陸地の中に非常に大きな、
世界一流クラスの
地震が起きたという例は、全然なくはございませんが、
かなり数が少ないというふうに
考えてよろしいと思います。
さらにもう
一つ、その地理的なことで申し上げておきたいことは、われわれの過去からの経験によりますと、過去に大
地震があった
場所というのは、必ずいつの日に
かまたもう一度大
地震を期待しなければいけない。少なくともわれわれの人間の
タイムスケールで申しますとそういうことになろうかと思います。これが、私
どもの
地震予知なんかを
考えておりますときの何本かの柱のうちの
一つとしてあるわけでございます。つまり、過去に大きな
地震があって
被害をこうむったところは、いつの日に
かまた大きな
地震が起きるということを
考えざるを得ないというわけでございます。つまり免疫にはならないということでございます。
それから次に、時間的にどういう起こり方をしているかということをちょっと申し上げますと、時間的には、大体におきましてでたらめに起こっているといってよろしいのではないかと思います。
たとえば、
周期性などをいろいろ御
議論なさった方がございます。これは昔から調べますと非常にたくさんの論文がございます。しかし、明白な
周期性というのはむしろまれな例でございまして、
一般には
周期性はあまり起きていないというふうに
考えられます。たとえば、最近有名になりました
河角先生の
周期説がございます。これはいろいろ
議論がございまして、その
議論は統計のほうの少し立ち入った
お話になりますので避けさせていただきますが、
河角先生御自身のおっしゃったことは、六十九年
プラスマイナス十三年の間にどのぐらいの
確率で
地震が起きているということをおっしゃったわけでございます。ということは、かなり幅の広いことをおっしゃっておられるので、ある種の
方々がお受け取りになったように、六十九年目とか何年目にぴちっと
地震があるということではなくて、かなり
融通性のある、幅の広い
周期性をおっしゃっておられるわけでございます。どの
程度までを
周期性と言っていいのか、その辺になりますといろいろ
議論のあるところで、六十九年
プラスマイナス三十五年と申しますと全部をカバーすることになりますから、これは
周期性がないということになります。どの辺までが
周期性と言えるのかということはいろいろ
考え方があろうかと思いますが、いずれにしましても、非常に明白な
周期性というのはないというふうに
考えていただいてよろしいと思います。
それからもう
一つ、時間的なことで申し上げたいことは、大きな
地震がございますと、その
あとに
余震というのが必ずございます。しからば、大きな
地震の前に
前震があるかということでございますが、これは必ずではございません。
前震のあった例は比較的少のうございます。
日本全体の例から申しますと少のうございます。ただし、
岩石破壊の
実験等によりますと、いろいろ
地面の中の不
均質性と申しますかそういったもの
——これは何もものが不均質でなくても、中の力のかかり方が不均質であっても同じことでございますが、
——によりましては
前震が起こり得る。しかも、その
前震というのは、
本震に比べますと非常に小さなものが起きる。したがって、われわれ、
前震があったなかったというのは過去の記録からいっている。過去と申しますのは数十年以上前の話でございますが、そのころには、感度の高い
地震計というものがそうたくさんあったわけではございません。したがって、今後
観測を続けていきました場合に、非常に小さな
前震がいつでもあるのかあるいはやはりない場合もあるのかということについては多少今後
問題点があろうかと思いますが、少なくとも現在までのところでは、
前震があった例のはうが少ないということでございます。
それからもう
一つ、同じぐらいの大きさの
地震が続いて起きるということ、これも決して全然ないわけではございません。やはり数としては少のうございますが、同じぐらいの大きさの
地震が数日なりあるいは場合によっては何時間なりという間隔で起きた例はございます。ただ、これは数から申しますと非常に少のうございますので、
一般的には、大きな
地震があれば、
余震があって徐々におさまっていくというふうに
考えてよろしいのではないかというふうに思われます。この点でも、先ほど申し上げましたように、
日本は非常に
資料が多いものでございますから、いろいろ例外的な場合あるいはそういったような場合の例を私
どもよく知っております。それで、なかなか一がいに、すべての
地震はこうだと断定して言いにくい面がございます。
さらにもう
一つ、あまり時間をとりましてもいけませんが、その
前震のことについて
一つだけ申し上げておきたいと思いますのは、
一般に
地震と申しますのは小さいものほど数が多いわけでございます。これは非常にきれいな
関係がございまして、
世界じゅう、どこでもいつでも、かなりきれいな
関係式が成り立っております。その小さいほうの多い
割合でございますが、大きいの
一つに対して小さいのがどのぐらい起きているか、この
割合が
前震と
余震では、あるいは普通の
本震では違うのだという説がございます。これはまだ万人が認めていると申し上げては言い過ぎであろうと思いますが、
一般に
前震では、小さい
地震の比率がほかの
地震に比べて少ないということを言っておられる方があります。もしもこれが事実だといたしますと、たとえば小さい
地震を観損いたしておりまして、こういったような大きい
地震と小さい
地震の
割合からいろいろと、これは
前震であろうとかいや
前震でないのであろうとかいうことが言えそうになるわけでございます。この点は、まだ今後
研究を続けていかなければいけない
種類の問題でございます。
時間の
関係で少しはしょらせていただきますが、大体以上のようなことを頭に置いていただきまして、
予知の問題に入っていきたいと思います。
実は、昨年の五月十一日の本
委員会の
議事録というのを拝見させていただいたわけでございますが、この際に
萩原名誉教授がいろいろ
地震予知のことに関して
お話なさっておられるようでございます。したがいまして、重複いたしますところはなるべく避けまして、最近の問題について少し
お話をさせていただきたいと存じます。
地震予知の
研究計画というものが、来年度から第三次
研究計画のほうに入っていくわけでございますが、まず
最初に申し上げておきたいことは、私
ども考えておりますことは
地震予知という問題の現在の状態でございますが、これはたとえば、あるお金をたくさん出して、ある人をつくって、ある
現業機関をつくったらあしたからできるというところまで、残念ながらまだ行っておりません。現在、
地震予知研究計画には大学はたくさん参加しております。と申しますことは、まだ
研究段階であるということでございまして、御承知のように、私
ども研究者は、もうわかってしまったことは大体興味をなくしてしまいまして、わからないところがありますので
研究するわけでございます。したがいまして、いろいろとまだ
研究段階であるという点が非常に多うございまして、ある種の報道によりますと、いかにもあしたからできるようにとれるようなことが書いてある場合もございますが、私
どもはそうは
考えておりません。
第三次の
地震予知研究計画の、いろいろなことを
考えておりますが、大きな柱だけ申し上げさしていただきますと、
一つは
測地関係と申しまして、測量であるとかそういった
種類のもので、
地面の伸び縮み、
地面の動き、そういったものを調べたい、こういうことでございます。この点につきましては、昨年の
萩原先生の
お話の中にかなり出ているように思われますので、そういうことをいたしますと
地震の
予知というものに対して役に立つんではないかということが、過去幾つかの例で見当がついております。ただし、これもいつでもそうなのか、あるいは大体異常な
地域が大きければたまっている
エネルギーは大きいであろう、これは当然でございますが、そういう例がいつでもきちんと成り立っているのか、どういう
法則性がきちんとあるのかという点につきましては、まだ今後
研究をしていかなければいけない点が多々ございます。
それから、
地殻変動の
連続観測をいたしておりますと、
地震の直前にいろいろ異常な変化をした例がございます。ただ、これもあまり詳しくは申し上げられませんが、たとえばある場合には数時間前、ある場合には数日前、ある場合にはあったり、ある場合にはなかったりというような、かなり統一的な
法則性が見つけにくいのが現状ではなかろうかと思います。したがいまして、今後ますますそういった
資料をふやしてまいりまして、何か統一的な
法則はないものか、あるいはある場合には統一的な
法則に従い、ほかの場合には従わないとすれば、それは何がそういうものをきめているのかといったようなことを調べていかなければいけないというふうに
考えております。
地殻変動のことはこの
程度にいたしまして、もう一本の大きな柱として立てておりますのは
地震の
観測でございます。この点は、
萩原先生のときよりも少し
事情が進歩いたしました点がございますので、申し上げさせていただきますと、
一つは、過去に大
地震がありましたところに現在
地震が非常に少ないようなところがございます。これは現在気象庁が担当しております大
中小地震という、ある
程度大きなほうの
地震でございますと、数が少ないものでございますから、なかなか一年間でいろいろ言うことはできませんが、もっと小さい、
微小地震であるとか極
微小地震であるとかといったような非常に小さな
地震をはかりますと、数が多うございます。したがいまして、ある
場所にほんとうに小さい
地震があるのかないのかということもかなり確かめられるようになってまいりました。過去に大
地震があった
場所で現在
地震活動が非常に少ないということは、少なくとも異常であるということは申し上げられると思います。ですから、こういった面の
観測は非常に必要であるということになります。
それからもう
一つは、これはことしの初めごろから問題になったことでございますが、ある
アメリカの人が、
地震の前に
地震の波の速度が変わるということを言い出しました。これはかなりショッキングな話でございまして、現在、先月でございますか、
アメリカで
日本と
アメリカの
地震予知のシンポジウムがございましたが、その席でもかなり
賛否両論のようないろいろ問題のある点でございまして、非常に確立された
理論というわけにはいきませんが、とにかくそういう例があるということになります。そういたしますと、私
どもといたしましては、やはりそれを全部調べあげて、
ショルツという人の
理論でございますが、その
ショルツのダイラタンシー・モデル・セオリーというものがはたして
日本で成り立っているかいないか、あるいはどういう場合に成り立っていてどういう場合に成り立たないのかということをチェックしなければいけません。この点から申しましても、やはり
地震の
観測というのは非常に大事なことになっていくわけでございます。これは実はおそらく今度の
地震学会で非常に問題がたくさん出てくると想像しておりますが、私
ども東北大学でちょっといたしましたこと、まだ確定的なものではございませんが、やはりある場合にはかなりその
理論がよく当てはまる、ある場合には当てはまらないといったようなことは、どうもあるようでございます。
その他、
地震の
予知に関しましていろいろなことが行なわれておりまして、地磁気、
地電流であるとかあるいは
実験室の中の
実験であるとか、いろいろな問題が行なわれております。特に
東京方面に関しましては
東京観測ということが行なわれております。
それで、
一般的に申しまして、その
地震予知というものを
考えてみますと、
地震を
予知するためには
場所と
時刻と大きさが必要なわけでございますが、これをどの
程度精密に言うか、どの
程度ラフに言うかということによって、問題のむずかしさが非常に変わってまいります。一例をとりますと
場所でございますが、
世界じゅうのどこかでというのと、
日本じゅうのどこかでというのと、何々県でというのでは、これはむずかしさが格段に違います。これをどの辺で押えるべきかということによって、
地震予知がいまどの
程度まででき得るのか、でき得ないのかということの答えが出てくるのではないかというふうに思います。おそらく、これは、私
ども地震学者が
考えることよりも国民の皆さんがお
考えになることですが、どの
程度正確な
場所の
予測ができたならば役に立つのか。あるいはどの
程度時刻の正確な
予測ができれば役に立つのか、つまり秒のけたまで要るのかあるいはことしの春というようなことでよろしいのかといったような点。それから大きさもどの
程度正確ならばよろしいのか。たとえばマグニチュード六ないし六半くらいになりますと、
場所をかなりきちんといたしませんと、ある場合には、
地震はあったけれ
ども被害はそれほどなかった、あるいは思ったより
被害が大きかったというようなこともあり得るかと思います。こういったような面をどの
程度正確にしなければ
実用にならないのかという問題が残っております。
さらにもう
一つ大事なことは、
地震という
現象は、やはりある種の
破壊現象であると思います。したがいまして、非常に確定論的なことが言えない。つまり、何らかの形でフラクチュエーションと申しますか、ばらつきのある
確率的なものであろうと思います。非常に
地震予知というものが将来進歩いたしたといたしましても、この点はおそらく最後まで残る。しからば、どの
程度の
確率ならば
地震を
予知してよろしい、たとえば公にアナウンスするといたしました場合に、やるべきなのかやるべきでないのかという点もございます。この点につきましては、
地震学者の中でも個人的にいろいろなお
考えの方があるようでございますが、あまりいいかげんなことをやっておりますと、だれも信用しなくなりますし、役に立たなくなると思います。そうかといって、九九・九九九%わかるまではしないということになると、いつまでたってもできないということにもなりかねない。どの辺で押えるかという問題があるのではなかろうかと思います。
こういった
種類の問題を突き詰めていきませんと、私
ども、現在
地震予知の
実用化という
方向に向かって非常に努力しているわけでございますが、
実用化ということがどこでできるのか、あるいはできたのかということは、この辺の点をはっきりきめませんと水かけ論になるのではないかと思っております。その点が、このくらいまでなら
実用になる、このくらいならならないというようなことがございますれば、それはいまは無理だとかなんとかいうことが言えると思います。
いずれにいたしましても、こういったような
確率あるいは精度というものは、ある日突然よくなる、きのうまでできなかったものがきょうはできるようになるということは決してないと思います。自然科学というのはそういうものではないかと思います。つまり、毎日毎日連続的にこういうものがだんだんよくなっていくというのが、自然科学の本来の姿であろうかと思います。したがいまして、ある日突然、何かお金を出したらばんとできたというようなことではなくて、毎日毎日努力を積み重ねていくということによってこういうことがだんだんだんだん、徐々に徐々に達成されていくというのが、一番正直な申し上げ方ではなかろうかというふうに私は
考えております。
最後に、こういった
地震予知研究計画というものについてのいろいろ
問題点があるわけでございます。その点につきましても一、二触れさせていただきたいと思います。
現在、
地震予知研究計画と申しますものは、比較的
——これは相対的な
お話でございます。つまり、
日本の自然科学
研究のためのお金が全体でどのぐらい要るのかということではございませんで、現在自然科学
研究の中で使われております中で、どちらかといえば
地震予知研究計画というのはお金の面では優遇されているというのが、おそらく
地震をやっていない
方々から見た御感想であろうと思いますし、それを私
ども否定することはできないと思います。これはいろいろ各
関係省庁その他の
方々の御努力によってそういうことになっているのだとは思いますが、しからば
問題点がないかと申しますと、これは、ないとは申し上げられません。
たとえば、これは予算というものの性格なのかもしれませんが、
一般に、事業的な要素のあるものというものは比較的お金がつきやすいのでありますが、非常にじみな、非常に基礎的な
研究というものは、あまりぱっといたしませんせいですか、どちらかといえばつい置いていかれそうになる可能性が、
地震予知研究計画でも、全然ないとは申せないと思います。先ほど申し上げましたように、
場所、
時刻、大きさ、
確率といったようなものを徐々に徐々に進めていく原動力は、やはり何といってもそういったじみな基礎
研究にあるのであろうと思います。
〔
委員長退席、金丸(徳)
委員長代理着席〕
したがって、こういう面がもう少し留意されるならばいいんではないかというふうに思います。
それからもう
一つ申し上げたいことは、現在お金の面でいろいろめんどうを見ていただいているわけでございますが、マンパワーの不足ということがやはり大きいのではないかと思います。マンパワーと申しましても、たとえば人手という、必ずしも人手という
意味だけではございません。人手の面では、たとえば第三次の計画などでは、たとえばテレメータリング方式によって省力化をはかるとか、そういったような
種類のことを
考えておりますし、われわれ、それが来年度予算化されるのを非常に期待しているわけでございます。しかし、やはり教官と申しますか頭脳と申しますか、そういったような面でどうしてもこれは、全部機械化してしまったら
研究が進むというわけではないのはおわかりいただけると思いますが、そういったような面でマンパワーというものが少し足りないのではないかというふうに私は感じております。これはあるいは総定員法のワクとかいろいろなことがあってなかなかむずかしいので、
関係省庁等が十分やってくださってもいろいろな制約があるんだろうとは思いますが、そういったような面が問題になるのではないかというふうに
考えております。
なおもう
一つ、ちょっとこれは見落としがちなところでございますが、こういった
研究をしてまいりますと、一種のビッグサイエンスでございますが、いま
研究者のことを申し上げましたが、
研究補助者という
方々がどうしても必要になります。これはたとえ機械化いたしましても、ある種の
研究補助者の
方々はどうしても必要でございます。この
方々が、現在ではございませんで、将来にわたって安心して働けるということは、現在のシステムでは少しむずかしい面がございます。と申しますのは、特にこれは大学の場合でございますが、官庁等ではいろいろございまますが、大学の場合には非常にユニットが小そうございまして、ある
一つの
観測所に技官の方がお一人ということになります。そうしますと、格上げをいたします場合などには、部下が何人いるかというようなことがかなり問題になる。いつまでたっても部下というのはできっこないわけでございまして、こういったような
研究補助者の
方々が将来とも優遇されていくような道というのは、今後できれば、私
ども大学におります者としましては、
考えていきたいというふうに思っております。
その他、まだいろいろ申し上げたいこともございますが、大体三十五分
程度でということでございますので、一応ここで打ち切らせていただきたいと思います。
ありがとうございました。(拍手)