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1973-07-12 第71回国会 衆議院 公害対策並びに環境保全特別委員会 第37号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十八年七月十二日(木曜日)     午前十時十一分開議  出席委員    委員長 佐野 憲治君    理事 菅波  茂君 理事 登坂重次郎君    理事 林  義郎君 理事 渡部 恒三君    理事 小林 信一君 理事 島本 虎三君    理事 中島 武敏君       田中  覚君    羽田野忠文君       阿部未喜男君    岩垂寿喜男君       土井たか子君    木下 元二君       坂口  力君    小宮 武喜君  出席政府委員         環境庁長官官房         長       城戸 謙次君  委員外出席者         参  考  人         (東京大学名誉         教授)     笠松  章君         参  考  人         (東京工業大学         教授)     林 雄二郎君         参  考  人         (東京公害局         副主幹)    菱田 一雄君         参  考  人         (東京大学教         授)      白木 博次君         参  考  人         (新日本医師協         会全国幹事)  丸屋  博君         参  考  人         (東京薬科大学         助教授)    金谷 芳雄君         参  考  人         (三重県議会議         員)      豊田  稔君         特別委員会調査         室長      綿貫 敏行君     ————————————— 本日の会議に付した案件  委員派遣承認申請に関する件  公害健康被害補償法案内閣提出第一二三号)      ————◇—————
  2. 佐野憲治

    佐野委員長 これより会議を開きます。  委員派遣承認申請に関する件についておはかりいたします。  内閣提出富士地域環境保全整備特別措置法について委員派遣し、審査参考にいたしたいと存じます。つきましては、議長に対し委員派遣承認申請をいたしたいと存じますが、御異議ございませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  3. 佐野憲治

    佐野委員長 御異議なしと認めます。よって、さよう決定いたしました。  なお、派遣地派遣の日時、派遣委員等につきましては、委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ありませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  4. 佐野憲治

    佐野委員長 御異議なしと認めます。よって、さよう決定いたしました。     —————————————
  5. 佐野憲治

    佐野委員長 内閣提出公害健康被害補償法案を議題とし、審査を進めます。  本日は、参考人として東京大学名誉教授笠松章君、東京工業大学教授林雄二郎君、東京公害局主幹菱田一雄君、新日本医師協会全国幹事丸屋博君、東京薬科大学教授金谷芳雄君、三重県議会議員豊田稔君、以上の方々が現在御出席になっております。  また、東京大学教授白木博君は、都合により後ほど出席になります。  この際、委員会を代表いたしまして、参考人各位に一言ごあいさつを申し上げます。  本日は、御多用中のところ、また遠路にかかわらず本委員会に御出席いただきまして、まことにありがとうございました。厚く御礼を申し上げます。  御承知のとおり、本案は、わが国の公害による健康被害者救済する制度としてきわめて重要な案件でありまして、当委員会といたしましても慎重な審議を行なっているところであります。今回は、参考人の皆さんから貴重な御意見を承り、もって本案審議にあたり万全を期したい所存なのであります。何とぞ参考人各位におかれましては、それぞれのお立場からどうか忌憚のない御意見をお述べいただきたくお願いをいたします。なお、議事の整理上、笠松参考人林参考人菱田参考人丸屋参考人からまず御意見を承り、引き続き以上の方々に対し質疑に入ります。また、白木参考人金谷参考人豊田参考人につきましては、恐縮ながらその後に御意見を承り、質疑に入りたいと存じます。  なお、御意見の開陳は、おのおの二十分程度に要約してお述べいただき、その上委員質疑にお答えしていただくようお願いを申し上げます。  それでは笠松参考人からお願いいたします。
  6. 笠松章

    笠松参考人 私は医学をやっておるものですから医学立場からこの法案に対する意見を述べたいと存じます。  この問題は、環境人間病気ないし健康との関係を取り扱う医学をその基礎としておるように思うのでありますが、医学はどうしても環境から切り離した個人考えるという、こういう研究のほうに傾きましてそれは進んでおるのでありますが、この方面研究は残念ながら進んでおるとは申すことはできません。しかし細菌学なんかはこれと同じようなものでしょうが、これは過去百年ぐらいの間に大いに進歩しまして、お互いの寿命が十年ほど延びたということはこの医学の力に負うところが大きいと思うのであります。しかし環境汚染されたりあるいは自然が破壊されたり、それが人間の健康、病気にどんな影響を与えるか、こういう医学は残念ながらあまり進歩しておりません。それにもかかわらずこういう環境汚染だとかあるいは自然破壊だとかというようなのは猛烈な勢いで進んでおりまして、早く手をつけなければ重大な危機を招くというのが現状でございます。で、この法律につきましても、こういう法律が五年前にでももしかりにできておりますれば現在の公害疾患の様相はだいぶ違ってきただろうと思います。しかしこういう事情でたいへん急いでおるものだと考えますが、この法案の中に「政令で定める」というところがあまりに多い。私はこういう法律のほうはあまり知らないのですが、おそらくこんなに多い法律はそうたくさんないんじゃないかと思うほど未決定のものを残しておるという点が注目されるように思います。  さて、こういう立場から多少この法律についての私の意見を述べてみたいのでありますが、まずこの前の公害に係る健康被害救済に関する特別措置法というあの長い法律の中にもありますが、認定審査会であります、これに医者としては参加するわけでありますが、前の委員は全部医者で構成されておりましたが、今度は法律学専門にする方も入っておられるということは、これは私は非常に進歩だと思います。どうしても損害補償については法律関係するところがございます。  それからこの委員会の構成をどうするかということがここで重大な問題になってくるのだと思うのでありますが、何とかその患者立場を代表するような方が委員会の中に入ってくる方法がないだろうかというようなことは考えます。しかし患者全国に散らばっておったり組織を持っておりませんから、はたして適当な人がそれに得られるかどうか、こういう点が大切な問題ではないか、こう考えます。  さて、この初めに申請された患者認定するということがございますが、これは公害汚染とそれから患者病気との間に因果関係があるかどうかということが前提になると思うのでありますが、この因果関係はたいへんむずかしい問題がからんでおるのであります。医学から見た因果関係というのは私の考えでは次のような諸条件があると思うのであります。  まず環境的条件でありまして、患者を取り巻く生活環境から原因物質対照地に比較して多量に発見され、かつ患者がこれにある期間暴露されたことが認められる、それが環境条件であります。  それから疫学的条件としては、患者個人と見ても集団と見ても、原因物質に暴露されたあと問題症状が発呈し、また原因物質に暴露された経過及びその程度問題症状との間にはある程度平行関係が認められる、これが一であります。二に、患者生活をともにした家族あるいは居住地域内にそれぞれ対照と比較して問題症状出現頻度の高いことが認められる。この二つが疫学的条件でございます。  それから実験的な条件といたしましては、人体実験原則的に不可能でありますので動物実験が行なわれますが、実験動物人間問題症状に符合する症状が発現し、その際、生化学的、病体生理学的諸所見人体のそれと対応することが認められる。二、実験動物病理解剖所見患者のそれとが対応することが認められる。  それから臨床的条件としては、一、現症あるいは既往症に問題症状の存在が認められ、かつ患者の体内から原因物質を発見するなど、因果関係を裏書きするような諸知見が得られている。二は、上記の諸条件を踏まえ、患者の当面の症状とその経過医学的に矛盾なく説明される。  こういうような考え因果関係というものに医学は立ち向かっておると思うのでありますが、し  かしこれは一つ理想目標のようなものでありまして、その諸条件が満たされてはじめて因果関係があるといえるというわけのものではないわけであります。どの程度までこれが満たされているかということが専門のいろいろの立場によって意見が分かれるところであります。  ところで公害疾患関係しましては、疫学的条件というもの、これだけで十分ではないかという意見がございます。これは私も賛成するところでありますが、これは公害患者が、企業が発した汚染からどうしても逃げることができない立場に置かれておる。企業はこれによって利益を得るが、患者のほうはこれから利益を得るところがなく、一方的である。こういうような条件で、しかも前のような理想条件が十分満足されるまで公害患者救済がおくれてはならない。こういうようなために法的に割り切って、因果関係がここにあるとする、こういう前の立場医学的な因果関係努力目標であると考えますと、あとは法的に割り切った因果関係であるというような意味のものであろうと思うのであります。  こんなに因果関係が複雑な問題をはらんでおるのでございますから、認定審査会ではときどき混乱が起こるということは当然のことでございます。  ここで大切なことは、認定権を持っているのは知事であるということで、知事審査会意見を聞くだけのことであろうと思うのでありますが、したがって、この意見が分かれておる場合には少数意見と多数意見という形で報告をすることがあってもいいんではないか。もちろん審査会といたしましても意見が一致するように努力することは当然でありますが、どうも意見が一致しなければならないということになりますと、ますます混乱におとしいれることになる。私は、どうも行政の認定権者がこの責任を回避して審査会に押しつけているというような感じがしてならないのでございます。こういう関係がはっきりされなければ  いけないと思います。  それから私は、因果関係というものは、あるかなしか二者択一で割り切っていいものだろうかということにも疑問を持っております。わかりやすい例として、本法案に出ています遺族補償費というような問題について考えてみましても、患者さんが指定疾患にかかって、それが増悪してなくなった場合に、遺族補償費あるいは一時金の出ることは当然でありますが、その場合に審査会意見を聞いて、指定疾患に起因するものであるか、そうでないか答えてくれ、診断してくれ、こういう形で聞かれた場合にまことに困るような場合が起こってくると思うのであります。これはたとえば最近公害疾患が慢性化する傾向にございますが、そうしますと、八十、九十、ときにはこんなことありませんでしょうが、百歳まで生きたという場合に、はたしてこれが指定病に起因したものであるか、天寿を全うしてなくなられたものであるかということをきめろといったって、なかなか医学ではきめられない問題である。やむを得ず人間平均寿命を一回きめて、それを越えた者は自然の天寿を全うした、それ以下だったら全部指定疾患でなくなられた、こういうきめ方をせざるを得ないのであります。これはあまりに行き過ぎた割り切り方のように考えられてしかたがございません。そこでもちろん老化現象にかかりますと、原疾患があって、老化現象合併症としてあるいは続発症とか兼発症とかそういう名前のものもございますが、これらは全部証明されれば原疾患による死亡であるといってもいいのでありますが、これと並んで併存症、全然別の原因で起こった病気がある場合、これをどう扱っていいかということ。老化なんかもまずこれと考えれば非常に大きな問題が出てくるということでございます。しかしこの場合も併存症合併症ときれいに割り切れぬものと考えておるのでありますが、たとえ併存症であろうとこれに何らかの影響があった、百歳の人でも百十歳まで生きられたんじゃないかということを考えますと、どうしても割り切ることができないというように考えます。ここで割合的因果関係という考え方、あるいは割合的認定、これは法律ことばでありますから私はあまり深く触れるつもりはございませんが、まず七割くらいは指定疾患原因であろう、三割くらいは併存症原因であろう、こういうような割合的認定というような考え方を入れなければ、すなわち因果関係にも二者択一に割り切れるものではなくて、段階的な変化がある、段階的なものである、こういう考えを入れていかなければなかなか問題は解決しないと思われます。このことは法律でも補償給付の額についてその他の原因の参酌というのが法律の三九ページに出ておるようでありますが、これはほかの裁判なんかでもしんしゃくというようなことばで現に行なわれていることでございますが、こういうものをこの審査会でもう少し取り上げていくような方向がとれぬものかどうか、こういうところにも重大な問題がある。これは遺族補償についてばかりでなくて、認定の際にもその他すべての場合にこういうことが関係してくると思うのであります。  次に審査会の大きな問題といたしまして、障害程度、これが非常に大問題になると思います。障害者といえども症状に重い、軽いがある。これを一律に取り扱うということはやはり公正を欠くのではないか。これについては私も非常に注意深くこの問題に当たらなくてはならぬと思っております。この障害程度につきましては、いろいろの補償に関する法律、たとえば国民障害年金であるとか厚生障害年金あるいは自賠法そういった中に等級表というものがございます。これらは多くば労災法の十四級をもととしてできておるのであります。この労災等級は歴史も長く、それからよく研究されておると思うのであります。したがって、これを出発とすることはわれわれのこの法律でも当然のことと思います。ただ、この法律労働力を提供する側と受ける側との雇用関係の上に立って、そして失われた労働能力労働力の喪失と申しますが、これを金銭で換算して、その失われた分だけ補てんしようとする考え方の上に立っておるようであります。ところが公害で問題になるのは、こういう雇用関係の上にあらわれた労働力——労働時間を八時間とすれば、八時間の問題でなくて、三十四時間の問題である。そういうところで日常生活活動、あるいはもう少し進みますと、日常生活活動にどんな不便があるかということ。それがもう少し進みますと、もっと積極的に人間としては生活を楽しむ、レジャーを楽しむなんということでありますが、そういうことがもし失われておるとすれば、それも補償の対象になるのではないかという考えをいたしますと、労災考え方をそのまま入れていくことはとうていできないことではないかと思います。こういう大問題もいずれもこれから政令で定めます障害等級程度等級化という問題に全部譲られております。したがいまして、この法律ば今後詰めなければならない非常に大きな問題をかかえているということを指摘したいと思います。  もう少し話したいこともあるのですが、あまり時間もないようですから、このくらいにいたしたいと思います。(拍手)
  7. 佐野憲治

    佐野委員長 ありがとうございました。  次に、林参考人
  8. 林雄二郎

    林参考人 林でございます。  私は、中央公害審議会費用負担専門委員会というのがございますけれども、そこの委員長をやっておりますものですから、その関係からその方面に関しまして私の感じておりますことを申し上げようと思います。  この公害健康被害補償法と申しますのは、直接には公害によっていわゆる公害病になった人たち被害補償する、どういう手だてで補償するかということをきめた法律でございますが、このことは、理念的には公害が起こった場合に、その公害から起こるさまざまの好ましからざる影響をなくすためにいろいろの措置をしなければならないわけですけれども、そのための費用負担をどういうふうにやっていくかといういわゆる費用負担の問題の一面でございます。したがいまして、これはその費用負担のあり方という根本的な問題と非常に密接な関係を持っておるわけでございます。  御承知のように、この公害防除費用をどういうふうに負担するかということにつきましては、昨年のたしか五月ころであったかと思いますけれども、OECDPPP原則というのが全会一致で承認されておりまして、加盟各国はその原則に応じて適当な措置を講ずることになっておるわけです。このPPP原則というのは、御承知と思いますけれども、ポリューター・ペイズ・プリンシプルということばの頭文字を一つとりましてPPPと三つ並べたわけですが、つまり汚染を起こしたものが、その汚染をなくすための費用負担するという原則ということでございます。  もう少し砕いて申しますと、公害が発生した場合に、その公害をなくすためにいろいろの措置をしなければならないことは申すまでもないのですが、これはたいへん金がかかる。その金をだれがどういうふうに負担するかというと、これはやはり公害を起こしたものが自前で負担をするのが原則である。つまり第三者がわきからいろいろ突っかい棒をしてはいけないのだという原則でございます。むしろこれは原則でございますから、何が何でもそれ以外のことは絶対認めないというようなことではございません。それはいろいろ国柄も、状況の違いもございますし、いろいろのケースがございますから、原則原則で実際にはいろいろ弾力的な運用ができるようになっておることは申すまでもないのですが、しかしこの原則はやはりたいへん重要な原則であると思うのです。したがいまして、日本では公害の問題というと非常にすぐれて国内的な問題というふうに受け取られがちですけれども、とのPPP原則というようなことを考えますと、これは国内的な問題であると同時に、非常にすぐれて国際的な問題でもあるわけであります。  つまりこのOECDPPP原則というようなものをなぜ非常に重要視したかと申しますと、これは彼らの伝統的な考え方がございまして、いわゆる公正競争原則というのがございます。すべて経済的な競争というのはフェアでなければならない、公正でなければならない。言いかえますと、競争というものは常に裸の状態で行なわれなければならない。それによそからいろいろと突っかい棒を立ててはいけないのだ、こういうことでございます。したがいまして、日本もこれは公害問題が発生する前から、彼らの公正競争原則というのにはずいぶんいままで苦労させられております。終戦直後、たいへん苦労しながら今日まで経済発展をしてきたわけですが、その途中で輸出を盛んにしようということでいろいろと措置をいたしますと、すぐにヨーロッパやアメリカの国々が、日本輸出競争という名のもとに不公正競争をやっておるというので、いろいろと文句をつけるわけです。それはそうじゃないのだといろいろいうのですけれども、とにかくこの三十年近くの間、彼らの公正競争原則というのに日本はずいぶん苦労してきております。その同じ原則が、今度は公害という場で彼らが言い出したのでありまして、したがいましてこれは非常に根が深いといいますか、彼らの伝統的な考え方に根ざしておりますから、これを日本だけがその原則の外に立とうといたしましても、少なくとも日本OECDの一国である限りは、まずそういうことはできなかろうと私は思うわけであります。  同時に、この問題は、OECDといいますとこれは工業国だけの問題でございます。したがってPPP原則というのは、今日工業国の間で非常に問題になっておるのですけれども、より大きく地球的な規模でも、この費用負担の問題ということがいま非常に問題になっております。と申しますのは、ストックホルム環境会議がございましたことは申すまでもないのですが、あのストックホルム会議あと国連音頭とりになりましていろいろのアクションプログラム行動計画というものを、つまりあそこで決議したことを実際に具体化していくためのいろいろな具体的な行動を取りきめようというので、行動計画をいまいろいろ練っておるところでございます。先日もそのための会議がございまして、日本からも代表が行ったわけですけれども、さまざまの行動計画プログラムに載っておりますけれども、その中の一つに、これは主として南半球の発展途上国からいわれていることなのですが、工業国公害防除のためにいろいろの措置をする。そのために工業国工業製品コストが上がって、つまりコストがかさ上げされて、そうして輸出価格が上がるということは絶対に許せないと、こういうことなのであります。これは発展途上国の側から工業国の側にいわれている文句なのでありますが、むろん工業国がそれをそのまま一〇〇%受ける必要もないのでありまして、それはこれからの話ということになるわけですけれども、少なくとも発展途上国からいいますと、工業国公害防除をやるのはいいけれども、それでコストをかさ上げして輸出価格を上げるということは、これはあなた方のいう公正競争原則に反するではないか、あなた方がいっているPPP原則をみずから破るものではないか、こういうことで責めてまいりますから、そうなりますと、工業国の側もあながち発展途上国のエゴイズムだとばかりは言い切れないことになるわけであります。つまりこれは世界的な場でPPP原則をまず工業国がみずから発展途上国に対して範を示せと、こういっているようなことでありますから、これはこれからどういうことになりますかわかりませんが、要するに世界的な場で費用負担というのをどういうふうにやっていくか、これが問題になるかと思うのであります。こういうふうに考えてまいりますと、このPPP原則というのは、工業国の間に昔からありました伝統的な自由公正な競争原則ということのほかに、有限な地球の中で有限な資源を人類がどのようにうまく利用してわれわれの生活を向上するのに役立てていくかということの世界的なルールづくり一つの具体的な第一歩になるというふうに申しても過言ではないと思うのです。  もう少し具体的に申しますと、ローマクラブの提言ではございませんけれども、地球が有限である、地球資源は有限である、これはもうわかり切ったことでございます。しかしながら、われわれは好むと好まざるにかかわらずこの地球上の有限な資源を使いまして、そうしてそれからいろいろ役立つものをつくり出してわれわれの生活に役立てているということをやっておるわけですが、ところがその過程で必ずしも役立つものばかりではなくて、たいへんやっかいなものあるいはひょっとすると人間にとってたいへん有害なもの、有毒なもの、そういうものも同時に発生してしまう。一方においてはいろいろ有用なものを資源から引き出すのでありますけれども、一方においては同時にたいへん好ましからざるものを引き出してしまう、プラスマイナスとが、資源を利用していく過程でどうしても出てくるわけであります。そこで、その資源を利用する過程で発生してきたプラスの果実というものを、マイナスの要因をなくすためにうまく利用するという方策が別途どうしても講じられなければならなくなります。これがいってみればPPP原則の最も基本的な考え方ということにもなるかと思うのであります。このことはもう少しことばをかえて表現してみますと、資源を消費する場合のコストと便益との間の関係、これをうまく手だてをつけるということになるのではないかと思います。  先ほど笠松先生のお話に因果関係ということばが出てまいりましたが、マクロ的に申しましても、われわれが地球上の有限な資源を利用する場合に、そのために非常にコストがかかる、そしてそのコストをかけていろいろな便益を生み出すわけですが、その便益の中から同時に発生してきた便益と反対の害悪ですね、それをなくすためにそれを使うという、そういう手だて、これは一方においては公害をなくすためのいろいろな科学技術の発達が期待されるわけですけれども、同時にその費用負担をどういうふうにしていくかという、そういう手だてもその中の一つということになるかと思うのであります。したがいまして、これはちょっとかたい表現をいたしますと、地球というトータルシステムの中で資源を消費していく場合のコストと便益と害悪と、それをどういうふうに兼ね合わせるかという、そういうシステムをつくることである、まあこんな表現をすることができるかもしれないと思うのであります。  このような観点から、私たちは一つの新しい考え方をどうしても自覚していかなければならないということです。それは何といいますか、利用料率の逓増ということだと思うのですが、昔から一ダース買えば安くなるということばがございますけれども、逆に一ダース買えば高くなるという、そういう考え方ですね。特にそういう有限な資源を使うという場合には、その利用料率のレートの逓増ということを考えます。そうしてそれによって一方ではその資源の節約をはかると同時に、それによる上がりといいますか、それを利用してその害悪をなくすようなことにそれを使う、そういうことが考えられないかということでございます。  こういう考え方は、これは従来の考え方からいたしますとちょっと逆のような考え方になるので、いままではとにかくまとめて買えば安くなるのはあたりまえなことでありまして、それが逆になるのでありますから、国民感情からいたしますとそんなばかなことはないということで、非常に反発を買うおそれがあるのでありますけれども、しかしこれは何でもかんでもそうするということではありませんで、特にそういう資源を消費するということにかかわりの深いこと、そうして特にその資源を消費する結果非常に公害が起こるというようなことにかかわり合いの深いこと、そういう場合にのみ適用すればよろしいことなのですけれども、それにしても従来の考え方からすると当然抵抗を感ずるだろうと思うのであります。そんなばかなことをしているところは世界じゅうどこにもあるまい、こう考えられるのであります。ところがどっこいそうではないのでありまして、少なくともヨーロッパの国々ではある程度これに近い考え方がかなり前から一般化しておりまして、たとえば具体的な例を一つ申し上げますと、これは有名な事実なのですが、フランスの電気料金というのは、昔からピーク時になりますと電気料金が高くなる。メーターが二つございまして、片方は緑色をしているメーターなものですから、緑料金、こういっているのですが、ピーク時になりますとぱっとメーターが自動的に緑のほうのメーターにかわりまして、これはキロワット当たりの料金が非常に高いのです。普通利用者が、つまりお客さんがたくさん使う場合には割引されてしかるべきなのですが、彼らはその逆でありまして高くなるわけですね。つまり彼らの考え方からすれば、そういう公共料金ほど国民経済的な観点から考えなければならない。結局そういうことで、ピーク時にはそれだけよけい石炭もたかなければならない、石油もたかなければならない、それだけ人件費もかかるということで、非常にコストがかかるわけです。したがってそのコストに比例した料金をもらって、その結果電気の使用ということが非常に節約されれば、それだけ石炭の消費も少なくて済むし、石油の消費も少なくて済む、つまり国民経済的にはそれだけコストが安く済んだのだ、こういう考え方でありまして、したがいまして、公共料金だからそうするんだということを彼らは言うわけです。これはかなり前からやっておりまして、国民的にはもう十分理解をされているようで、だれもそれに対する文句を言う者はないようであります。私これは確認はしておりませんが、ヨーロッパのある国では、同じような考え方でラッシュアワーの時間になると鉄道の乗車料金が高くなるという制度を設けている国があるということをちょっと聞きましたが、これは私まだ確認をしておりませんので何とも申し上げかねますが、そういううわさをちょっと聞いたことがございます。  いずれにいたしましても日本では公害公害と非常に問題が多いのでありますが、よくヨーロッパ人が言うのですけれども、そのわりには電気にしても水道にしても日本人はたいへんふんだんに使い過ぎているではないか、われわれから見るとたいへんむだ使いをしているように見えるんだがということを言う人が多いのでありまして、これなどはやはり従来の資源の使い方の仕組みの中に問題があったのではなかろうかという気がいたします。  そこで、そういうような考え方から申しますと、公害健康被害補償法の中で特に費用負担という観点から賦課金を徴収するやり方でございますが、汚染負荷量に着目して賦課金を課す方式、それから汚染原因物質である原料、燃料等に着目して賦課金を課す方式、それから事業者の負担能力に応じて賦課金を課す方式の三つの考え方考え方としてはあり得るわけですが、そのうちの事業者の負担能力に応じて賦課金を課すというやり方はこれは直接公害との因果関係という点から申しましても非常に薄いことになりますし、それから事業者に公害をなくそうという意欲を起こさせることにも非常に欠けるところがあります。要するにPPP原則という点から申しますと、これはPPP原則にいささか反するという感じがいたしますので、これはやはりどうしても汚染負荷量に着目して賦課金を課す方式、それから汚染原因物質である原料燃料に着目して賦課金を課す方式、この二つのうちいずれかということになろうかと思うのであります。ただ、たとえばガソリン等にそういう新しい賦課金をつけて徴収するということなんですが、二番目の原料、燃料等に賦課金をつけるというやり方は、たいへんやり方は便利でよろしいのですけれども、ちょっと困ることがあります。たとえば無公害車なんというものを開発しているメーカーがあるわけですが、無公害車といえどもガソリンはたくわけです。むしろガソリンの消費は普通の有公害車よりも多いのですね。そういたしますとせっかく無公害車を開発したけれどもガソリンの消費が多いからよけい賦課金を徴収される。これじゃ何のために無公害車を開発したかわからぬということになるので、この点がちょっと問題なんですが、しかしこれは技術的に無公害車としてガソリンを使っているか、そうでない使い方をしているかということで、ちょっとめんどくさいですけれども、区別をするということも不可能ではないかとも思います。  そこで、先ほどのつまり料率の逓増という考え方をここで入れて考えてみますと、これは全く私の個人的な考え方でございますが、汚染負荷量に着目して賦課金を課す方式でもそれから汚染原因物質である原料、燃料に着目して賦課金を課す方式でもこれはいろいろ御審議いただいて最も妥当と思う方法をおきめ願いたいと思います。あるいはこの両者をミックスしたような新しい方式というものも考えられるかもしれませんが、いずれにいたしましても賦課金を徴収する場合に逓増という考え方をここに盛り込んだらどうだろう。つまりある程度以上よけい使ったところは一律に徴収するのじゃなくて、ちょうど税金を納める場合に高所得者はよけい税率が高くなるようにするということでございまして、そういう逓増方式というものをこの際盛り込んでいただくとどうだろうかというような感じもしておるわけであります。これは全く私の個人的な考え方でございますけれども、いろいろな場合にそういう新しい考え方というものを公害に関することのルールをきめる場合には導入していくということの必要性が強まっておるのではないかということを私は感ずる次第でございます。  時間も若干超過したようでございますので、私の陳述はこれで終わりにいたします。(拍手)
  9. 佐野憲治

    佐野委員長 どうもありがとうございました。  次に、菱田参考人
  10. 菱田一雄

    菱田参考人 私は東京都の公害局におりまして大気汚染防止対策を担当しております菱田でございます。私は公害をやり始めましたのが昭和二十六年からでございまして、そしていままでどういうことをやってきたかといいますと、工場の設置されるときに事前に公害が出ないようなチェックばかりをやってまいりました。したがって、私はエンジニアの学校を出ておりますけれども、私は物をつくったことはございません。私がやりましたのは全部工場から出てまいりますそういうネガティブなフローばかりを追ってまいりました。そういうようなことから、実際に公害対策をする場合にどういうふうなことをやるかというようなことを、私たちが計画したり実施したりするわけでございます。そういう観点で、私はきょうそのことにつきまして、いろいろとお話をしたいと思うわけでございます。  大気汚染を見ます場合に、大気汚染というのは非常に複雑な機構を持っております。しかし、大気汚染を出すものはどこかに発生源がある。その発生源というのは固定の発生源であるか移動の発生源であるか、どちらかでございますけれども、どこかに発生源がある。そして汚染物質を必ず出すわけでございます。そういう汚染物質が出てまいりましてどうなるかといいますと、実はいままでみなやっておることは、全部空気で薄められてしまうであろうという非常に他力本願的なものの見方でやってきたわけです。そして空気というものは全く無限にあるのだというような考え方で大気拡散というようなことにのみ専念してやってまいりました。そして被害が出てきます。そうするとその被害というのは、人によっていろいろな個人差がございますし、また疲労度だとかいろいろなものがございまして必ずしも同じようなわけにはできませんが、いろいろな被害が出てきます。これは水の場合のいわゆる水俣病とかイタイイタイ病とか、そういうものとは明らかに違った性質でございます。しかし、その大気拡散等をやる場合に、大気拡散が起こる場合に、どういうような因子が含まれているかといいますと、いろいろな因子が含まれております。実は因果関係というのはその発生源と被害者との間に因果関係がはっきりしないとよくいわれます。なぜはっきりしないかというと、その中に含まれている大気拡散の因子があまりに多過ぎるからです。大気拡散の因子だけをあげてみましても風向があります。それから風速があります。それから大気の安定度というのがあります。そういうようなものがまず一番大きく働きまして、それから一次汚染物質であります。たとえば窒素酸化物とか、炭化水素というようなものが二次汚染物質になります。何になるかというとオキシダントになります。そうしてそのオキシダントになるための要因としてはまた別の因果関係があります。たとえば紫外線が強い。気温が高い。それから視程がひどい。湿度が高い。風の収斂域がある、というようなものがあります。そういうもののほかに今度は地形だとか、建物構造、道路構造、そういったものが入ってきます。そうやってきますと、汚染物質を出しているものと、それから被害を受けた者との間の因果関係というのはますますわからなくなってきます。したがって、汚染物質を出しているものにしてみますと、因果関係がわからないからわれわれは何もやらないのだというようなことをよく言います。またわれわれがこれから環境容量をきめて、絶対排出量を押えようとする、総量規制をやろうというような場合にも、そういうことについてデータが不足であるとか、いろいろと因果関係がわからないというようなことをよくおっしゃいます。しかし、私たちがそういうふうなことを現実にやってみました。特に東京のようなところはそういう点では非常にむずかしゅうございます。地方の産業都市でありますと、汚染物質を出す企業が数少なくて、そして限られております。そして被害を受ける方たちも地域的には非常に特定な限られた地域であります。ところが東京のようなところになりますと、固定のばい煙発生施設だけでも十一万一千施設あります。そして東京を走っている自動車は昭和四十八年で二百四十万台が登録してございます。そうなってきますと、一体固定発生源がほんとうに汚染の寄与が高いのか移動発生源の汚染の寄与が高いのかというようなことが非常に大きな問題になってまいります。地方の産業公害都市のようなものでございますと、企業から出てくるものの汚染量ははっきり出てまいります。たとえば川崎あたりを押えましても、川崎の工業地域にある、たとえば川崎、横浜工業地域にある大体八十から九十の工場を押えますと、もう神奈川県、川崎、横浜の約八〇%近いものが押えられるということになります。ところが東京はなかなかそうはまいりません。そうしますとますます原因物質が、また原因者が不明になってまいります。実はそういうところに非常に問題があるわけでございまして、私たちはそういうようなところをやるときに非常に苦労いたします。したがって私たちの感覚からいいますと、産業公害型を押えるということは非常にやさしいことでございます。数が少なくて、そして相手がはっきりしている、地域もはっきりしている。そういう点で非常にやさしい。しかし東京のように都市公害型のものを押えるということは非常にむずかしゅうございます。言うならば、これはもっとやさしいことばでいいますと、いままではマン・ツー・マンのディフェンスでよかった。しかしこれからはゾーンディフェンスでなければいかぬというふうになるわけです。したがって東京のようなところはいわゆるゾーンディフェンスでいかなければいけないということになってまいりますと、それらを一つ一つで押えるということよりも、マスで押えるというふうなものの考え方をしなければむずかしいわけでございます。  そうしますと、しかも東京のような場合にはいまどんな状況かといいますと、私たちはいままで煙突というのは全部空へ向いてあると思っています。たとえば三十メートルの煙突から出たり百メートルの煙突から出たり、そういうところから出てきたと思っておりました。ところがいまの東京の状況というのはそういう状況ではございませんで、煙突をちょっと横に倒したような形でございます。横に倒して上をそいだ形、要するに自動車がそれだけ全部汚染物質を置いて走っているという形であります。昔、といいましても昭和四十一、二年ごろは自動車排気ガス公害というと、ある交差点が非常に有名になりました。たとえば大原の交差点、それから三、四年前では柳町の交差点というのが有名になりましたけれども、ああいうものはほんとうに測定されたところの一角、一つものにしかすぎません。あれよりもひどいところはまだまだ東京にたくさんあります。実は私たちの東京都民というのはみなそういう煙突の先に鼻をつけて住んでいるようなものであります。ちょっと煙突がありますと、その煙突の先に鼻をつけて、そして生活しているという感じでございます。こういうような感じのところで、そしてそれでは自動車に対するものの考え方はどうかといいますと、いままでほとんどやられておりません。これは東京都だけではございませんが、ほかの大阪、横浜、やはり同じような悩みを持っているわけでございます。  しかもそれらに対するいわゆる規制というのは、やっと最近日本版マスキー法というものができまして、そしてやっと新車についてのものの考え方ができた。しかし中古車に対してはあまりやっていなかった。しかし中古車に対しても最近は点火時期制御装置とかいうようなものと触媒酸化装置というものをつけなさいということもやっと考えるようになってまいりました。しかしそういったようなものをつけたといたしましても、マスキー法におきますアメリカと、それから日本東京の状況を比べてみますとどうかといいますと、アメリカの平地面積当たりの自動車台数と、東京におきます自動車台数を比べてみますと、東京は約七十倍の密度であるわけでございます。日本はアメリカに比べまして、日本だけでも約八倍から九倍ございます。にもかかわらずアメリカが一九七〇年に対して七五年は十分の一にするんだということで、せっかく十分の一にされた。そうすると、それをそっくりそのまま日本はまねをして、それでよろしいんだというものの考え方をしておりました。確かによろしいかもしれません。そうしたらその汚染した分だけはやはり別の形で何かしてもらわなければいけない。先ほど林先生のおっしゃったように、PPP原則というのはやはり私はそういうところに出てくるんじゃないかと思うわけでございます。そして企業の方はおっしゃるでしょう。自動車をつくっている方はおっしゃるでしょう。われわれは法律に忠実にやっただけである、運輸省で道路運送車両法でそういうようなものをきめていなかったのだから、私たちは法律のとおりやっただけである。汚染されたのはわれわれの責任ではないというふうにおっしゃるかもしれません。しかし私たち地域住民の立場に立ってものを考える者といたしますと、全くそれは納得のいかないことであります。私たちはいままで固定発生源の企業とはいろいろなことでやってまいりました。たとえば協定を結ぶこととか、協定以外にも勧告をするというようなことでも、やはり固定発生源の方、一生懸命やってくれました。しかし移動発生源の方は一つもそういうことをやってくれませんでした。私たちが幾らどんなことを言っていても、それは汚染寄与率が問題である。われわれ自動車だけが汚染をしているわけではない。東京都の汚染というのは亜硫酸ガスは固定発生源から出てくるものである。一酸化炭素はわれわれが多いけれども、窒素酸化物についてはわれわれは三割五分、三五%程度で、あとの六五%程度は固定発生源である、したがって光化学スモッグについての原因はわれわれよりもむしろ固定発生源にあるというようなことを平気な顔をしていろいろなパンフレットをつくって出したりしております。またそういうものを企業の方が自分でパンフレットをつくって出しております。私はいままでいろいろな工場を見てまいりました。二十年間工場を見てまいりましたけれども、一つ企業の方が、おれよりも向こうが悪いからあいつをやっつけろといったようなパンフレットをつくったのを見たことは一回もございません。それほど実は自動車工業界というのは思い上がっていると私は思うわけでございます。そういうようなときに私は、今度の公害健康被害補償法、自動車についてのものの考え方をもう少し明確にしていきたいと思うわけでございます。  いままでの固定発生源に対して硫黄酸化物の排出量を押えるだけならば、これは非常にやさしいことでございます。固定発生源というのは逃げません。逃げようがございませんので、非常にやさしい。しかし移動発生源というのは個々を押えたのでは無理であります。個々を押えるということよりもむしろそれをつくる者のほうに責任があると私は思う。また使っている人たち自身では一生懸命何かをしようと思っていても、そういうような義務が命ぜられていないときにはやはりやろうとしません。したがってそういうふうなものの考え方をしたときには、そういうようなものをつくるほうにむしろ責任があると私は思うわけでございます。  私たちがそういったときに、それでは実際にそういう汚染寄与率をどうやって見つけるかといいますと、たとえば先ほど窒素酸化物について、自動車工業界はわれわれは三五%であるというようなことを言いました。しかし私たちが計算してみますと、とんでもない。少なくとも七〇%以上あります。しかもそういうようなものは全部私たちが一年以上かかって一生懸命自分たちで調べたものでございます。それは何かといいますと、エミッションファクターという概念であります。エミッションファクターという概念はどういう概念かといいますと、たとえば燃料ならば燃料一キロリ、トルを使ったときにどういう汚染物がどのくらい出るか、大気汚染物質放出係数といいます。そういうようなことを全部私たちは自分たちでつくってまいりました。たとえば固定発生源についていうならば、火力発電所で燃料を一キロリットル燃やしたら窒素酸化物が約四・五キログラムぐらい出ますよ。これはたしか原油でございます。そのほかにもございますけれども、ほかのボイラーで使った場合とか。それからSOxはこれだけ出る、アルデヒドはこれだけ出る、COはこれだけ出る、炭化水素はこれだけ出る、ばいじんはこれだけ出る、およそ六つの汚染物質について私たちは全部つくってまいりました。またそういったものは東京都のごみ焼却炉なんかについてもやはりつくっております。そしてごみを一トン燃やせばどのぐらいの汚染物質が出るということをやはりはっきり自分たちでつかまえております。それと同じように、自動車についても私たちはやっております。たとえば自動車は一キロメートル走ったら幾ら汚染物質を出すか、一秒間がたがたととまっていたらどのくらいの汚染物質を出すかというようなことも自分たちで計算しております。自分たちでまた測定しております。そしてそういうようなものを集めまして、そして東京都全体でどのぐらいの汚染物質の量があるかということを見ます。これは自動車の登録台数だけではなかなか出てまいりません。自動車がほんとうに走りました総走行台キロとわれわれ言いますが、ほんとうに自動車が走った台キロ、これを全部私たちはチェックいたしまして、そして四十七年ではこれだけ、四十八年ではこれだけというような形で出してまいります。実は汚染寄与率というのは、私はそういうようなもので出てくるのじゃないかと思うわけです。特に固定発生源の場合にはある程度高い煙突から出てまいります。しかし移動発生源の場合は、先ほど言いましたように、ほんとうに道路の上から出てまいります。全部拡散されるときには人の鼻の先を通って上へいくわけでございます。そういうようなことを考えたときに、汚染の寄与率ははるかに高いものがあるというふうにわれわれは感じるわけでございます。そういうようなことを実は今度のこれの中に特に取り入れていただきたいと思うわけでございます。  私は一応いまの話で時間が参りましたので終わらせていただきたいと思います。ありがとうございました。(拍手)
  11. 佐野憲治

    佐野委員長 どうもありがとうございました。  次に丸屋参考人
  12. 丸屋博

    丸屋参考人 私は岡山県倉敷市の水島工業地帯にある水島協同病院の内科の医者でございます。  一昨年、昭和四十六年三月二十四日夕方、私たちの病院の玄関口に、中学校一年生の少女がぜんそくの発作で窒息したままかつぎ込まれました。この少女に、とりあえず気管切開をし、人工呼吸したのですが、ついに命を取り戻すことはできませんでした。  この少女は、四歳のときに、おとうさんが水島工業地帯に職を得まして、山口県から水島にやってきております。当時、少女はまだ元気でありましたが、小学校四年生になったときにひどい気管支炎をやりまして、それ以後激しいぜんそく発作に悩まされるようになっております。小学校五年及び六年のときには、それぞれ四十五日と五十六日の欠席日数がありました。おかあさんに聞きますと、全部ぜんそくの発作で病欠になった、こう言っております。通信簿を見ますと、一年から三年まで一年間の病欠日数というのは二日ないし三日ぐらいが続いておりますから、もともとさして病身な少女であったわけではありません。小学校六年をやっと卒業して中学校に入りまして、三月二十四日、中学校の一年を終了するまぎわに絶命をした、こういうことでございます。  それまで水島の大気汚染が、昭和三十六年コンビナートが操業を開始し、増設、増産を繰り返していく中でだんだんとひどくなっていきました。昭和三十九年に化成水島というナフサの分解工程ができ上がりましてコンビナートが完成するわけでございますが、昭和四十年ごろから本格的に地域汚染が始まりまして、ぜんそく患者あるいは慢性気管支炎の患者がだんだんとふえてまいりました。  お手元に青焼きのリコピーの資料があると思うのですが、倉敷、水島地区における公害関連疾患調査というのがあると思います。これをごらんになりますと、昭和三十五年コンビナートが始まる前からぜんそく患者の急上昇ぶりがよくわかると思います。そのころでも実際に水島地区で公害によって被害を受ける患者が多いのは、これはどこの地区でも同じだと思うのですが、乳幼児あるいは学童あるいは高齢者、老人、こういうものが非常に大きなダメージを受けることがはっきりしております。  昭和四十六年に文部省が、全国の三十五都市の公害地帯に学童生徒の特別健康調査を指定したことがあります。これは第一次から第三次までの精密健康診断をすることになっておりまして、倉敷市もその一つになりましたが、第三次までの精密健康診断をしたのはおそらく全国で倉敷市だけではないかと思いますが、その報告書も特別健康調査報告書という形で、黄色いおもて表紙のが出ております。要約がまとめてありますけれども、児童生徒の健康被害というのは、水島地区の児童生徒がぜんそくを指向しつつあるということが指摘されております。  私たちは、中国山系の中央にあります有漢町という非常に空気のきれいなところで、水島地区学童と比較対照するために有漢町の全学童の健康調査をやりましたけれども、このときの比較によりましても、水島地区学童と有漢町の学童との健康は全く違う。せきやたんの症状をあらわす者が、学童の健康における質的な内容が全く違うのではないかと思われるほど相違しているのにびっくりいたしました。  さきに述べました、私たちの病院の玄関口でぜんそく窒息死しました少女の死亡のあと、おうちをたずねていって、どうしてもう少し早く病院へ来てもらえなかったのかということを聞いたわけですが、その少女のおかあさんは、先生そう言われるけれども、ぜんそくの発作が起こって病院へかけつけて注射をしてもらい吸入をしてもらい薬をもらうと、一回に大体千円から千五百円かかります。私のおとうさんは本給が大体六万円ぐらいで、残業して七万円ぐらいの手取りを持って帰ります。家族五人がこれだけのお金で生活をするのにやっとなので、この子はかわいそうだけれども、できるだけ病院に行かないでがまんするようにさせていた。一度病院に行って三日分なら三日分薬をもらって二、三回飲ませて、病気が少しおさまれば、あとの薬はたなにとっておいて、この次の発作のときに病院に行かせないで、その薬を飲ませる。それもできるだけがまんさせる、こういうことをしました。このたびも、チコちゃんという名前ですが、チコちゃんできるだけがまんしろ、そういうふうに言っていたんだそうです。その少女はぜんそくですから——ぜんそくというのは、皆さん方も御存じだと思うのですが、呼吸困難の発作が起こってひどく苦しむわけですけれども、なおってしまいますと、わりにけろりとします。このたびもそうなるのではないかと思って、がまんしろということで薬だけ飲ましてがまんさせた。ところが、どうもだんだん様子が変なので、たまりかねてタクシーを呼んで病院にかけつけている途中、タクシーの中で息が絶えた、こういうふうに言っております。  一昨年の三月そういう事件がありまして、それまでにもすでに水島では何名かのぜんそく患者が命を落としているわけですが、そういう事実が起こりまして、倉敷市は昨年八月一日から倉敷市独自の救済条例を施行いたしました。この救済条例は、公害四病いわゆる呼吸器疾患に関する四病について、医療費の自己負担部分のみを救済する、こういう制度であります。  倉敷市の認定患者の内訳がそこにもございますが、ことしの五月までに五百二名の認定があります。この年齢の内訳を見ますと、中学生までの年齢が五百人のうち三百人を占めておりまして、おとなは二百人でございます。健康保険の本人、生活保護、老人医療費の対象者は当然この条例の該当者になりません。そこに新聞のコピーが差し上げてあると思うのですが、本年五月八日、片岡穣太郎さんというおじいちゃんが気管支炎とぜんそくの両方の発作でなくなりました。この患者さんは、水島のコンビナートが始まって四十四年にひどい静穏時汚染が水島を三日間ぐらいおおったことがありますが、このときに生まれて初めて激しいぜんそく発作になりまして、このときに水島の公害ぜんそく第一号と騒がれた人ですが、そのために自分が働けなくなったものですから生活が非常に苦しくなって、生活保護世帯に転落をいたしました。当然奥さんは、したがって何とか生活をささえるために少しずつ働くということの無理が重なりましてことしになって奥さんも病気で倒れるということがあったわけですが、その片岡さんが五月八日に気管支炎とぜんそく発作で死亡するということが起こりましたが、患者生活保護法による医療券というもののせいですでに医療費が救済されているということから、当然公害認定患者となるべき者が公害認定のワク外になっております。  新聞のコピーには一緒にしてあると思うのですが、最近水島では小学生及び中学生の集団的なオキシダントの被害あるいは大気汚染被害というのが非常に報道をされております。一時に五百人あるいは三百人というふうな学童、生徒がその公害のために倒れるということが起こります。先ほど菱田参考人が述べられましたように、倉敷市の場合はほとんど固定発生源でして、私たちの計算によれば固定発生源のNOxの全水島に対する汚染率というのは大体八対一ぐらいで固定発生源のほうが多いことがわかりました。いま片岡さんという御老人が実際に公害で苦しめられながら家庭を破壊され、奥さんもそのために病気で入院をするというような状況になりながら、しかも公害認定を何も受けないで死亡するというような状況の第二例を報告しましたが、二人の具体的な患者についての意見を述べてみますと、少女の場合千円あるいは千五百円の医療救済が、医療費の負担が両親にかからなかったらあるいは診療を続けることができたかもしれません。しかしそれで少女のほんとうの意味での救済ができたであろうか。健康障害に非常に苦しみながら、年間四十何日あるいは五十何日という欠席を繰り返しながらの少女の苦痛あるいは家族の苦痛というのは絶大なものであったろうと私は思います。学業のおくれあるいは学業、自分たちの生活に対する破壊、そういうふうな深刻な度合いというのは少女の場合も家庭全体に対して非常に大きなものだったというふうに思います。  二番目のお年寄りの場合は、その片岡さんのぜんそくによる健康破壊が直接に生活の破壊につながり、家庭の破壊につながったといっていいと思います。その傷あとはいまもなお非常に深刻で、なお遺族の方が入院をつづけておられるというのが現状であります。  そこで私は、今回公害健康被害補償法案というのができることについての意見を二、三まとめて述べてみますと、第一に本年五月環境庁の出しました新しい汚染基準で公害地域の地域指定をもう一度洗い直していただきたい、こういうふうに思います。  現在国指定の地域が幾つかありますが、地方自治体で独自に指定している地域も幾つかあります。私の住んでおります水島の例でも、新しい環境基準によりますと水島全域がこの汚染地域に入ります。しかし古い環境基準によれば入りません。そういうふうな公害地域の矛盾、新しい環境基準によるものと古い基準によるものとの矛盾というのが全国的には各所に起こっておると思いますので、この法案ができますときにはぜひ地域指定の洗い直しをしていただきたい、こういうふうに思います。  それから二番目には、公害救済については病気を指定するのではなくて患者認定する方法をとっていただきたい。このことは、公害医療手帳というのが発行されるそうですが、たとえばぜんそくあるいは慢性気管支炎、肺気腫こういうような病気に苦しんでおる人のそのほかの病気が、その病気公害指定病と関連があるかないか、どれだけ関連があるか、あるいはもともとあった病気がどれだけ悪化したのか、こういうことば判定が非常に困難です。ですから、そういう公害にかかわる病気というふうに思われる患者さん、認定される患者さんについてはぜひ患者認定の方法をとっていただきたい。疾病認定でなくて患者自身を救済するという考え方に立っていただきたい、こう思います。  同じく死因の認定についても特別な方法、特別な事情の場合を除いては、患者救済するという、そういう観点から患者認定の方法に準拠して死因の場合にも考慮していただきたい、こう思います。  それから三番目には、審査会のあり方についていえば医師の診断書によってこれを認定をする、書類審査にとどめるべきだというふうに思います。これはそれぞれの患者審査会がいろいろ実際に審査をする、診察をするというのはなかなか困難でありましょうし、さらにまた公害四病というような病気は実際に主治医でなければわからないいろいろな実情というのがございます。長くその患者さんを担当している主治医が診断を下す、そしてそのことがその認定の最大の論拠になるようにしていただきたい、こういうふうに思います。  四番目には、先ほども少女の例を引きましたが、何といっても原状の回復が最大の基本である。健康についての被害の回復が一番緊急の課題であって、少女の場合も老人の場合も、すべて健康にできるだけ早く返りたいというのが最大の希望であるというふうに思います。学業あるいは体力のおくれ、あるいはそのほか生活被害、そういうようなものをじゃどれだけ補償し得るのか、ほんとうに健康になることができない場合にやむを得ないから補償するという考え方に立つわけでありますから、できるだけ十分な配慮を、先ほど言いました乳幼児、小中学校、そういう低年令層のものに配慮していただきたい、こういうふうに考えます。  五番目には、診療報酬について医師、臨床医の立場から一言だけ言わせていただきますと、現在の診療報酬が非常に強い低医療費政策の中で病院、医院というのが経営上も非常に苦しい立場に追い込まれている。そしてそれらの費用というのは主として患者に差額徴収という形でしわ寄せされておるというのは御存じのとおりだと思うのですが、こういった公害被害者の患者の医療費には差額徴収というようなことは全く発想の根拠から間違っておるというふうに思われますので、労災基準一点単価十五円以上にぜひしていただきたい、こういうふうに思います。  最後に、加害に関する企業の責任をやはり私は補償法案の中に明記していただきたい。これは四日市裁判ですでに明らかなように公害四病に対しても企業側の、汚染者側の責任というのは明らかになっていると思われますので、この企業の責任については十分に明らかにしていただきたいし、そしてこの法令の運用については常に被害者の立場に立って運用していただくということを心からお願いします。  以上で終わります。(拍手)
  13. 佐野憲治

    佐野委員長 どうもありがとうございました。  以上で笠松参考人林参考人菱田参考人及び丸屋参考人からの意見の陳述は終わりました。     —————————————
  14. 佐野憲治

    佐野委員長 引き続きまして、笠松参考人林参考人菱田参考人及び丸屋参考人に対する質疑を行ないます。  なお、林、菱田参考人は、都合により午前中でお帰りになる予定になっております。  質疑の申し出がありますので、順次これを許します。田中覚君。
  15. 田中覚

    ○田中(覚)委員 ただいま各参考人から伺いました御所見につきまして、若干の御質問をいたしたいと思います。  それぞれの先生に対する質問点だけを先に申し上げますので、御答弁は、ただいま委員長からの御発言もあり、林先生、菱田先生などから先に伺うことにいたしまして、もし場合によれば笠松先生の御答弁は午後に伺ってもけっこうでございますが、一応質問だけはやらしていただきたいと思います。——また笠松先生も午前中でお帰りのようでございますので、それでは簡単に申し上げたいと思います。  まず第一は、ただいま笠松先生の御意見の中に、公害患者認定にあたりまして因果関係二者択一で割り切ってよいものかどうか、むしろ実情に合わした認定をするためには割合的認定制度といったような考え方が必要なのではないか、こういうふうな御意見もございましたし、また丸屋参考人も、ただいま公害病を指定をするというようなやり方ではなくて、個々の患者認定制度に切りかえて患者自身の救済に徹底すべきである、こういう御意見もございました。この点は私どもも従来から、現在の制度が必ずしも実情に即しておらぬ、そういうことを実は感じておりましたので、たいへん有益な御意見として拝聴いたしたわけであります。そういう観点から、地域指定のあり方及び患者認定のしかたにつきまして、まず笠松先生にお伺いをいたしたいと思います。  第一はこの地域指定の問題でございますが、これも公害疾病の多発している地域を汚染の状況とかあるいは有症率などによりまして指定をいたします関係上、指定を受ける地域と指定されない地域との境界のところにある地域の問題が従来からあるわけでありまして、現在の制度では非常に不合理であるということを実は痛感をいたしております。端的に申しまして、指定地域と非指定地域というものを一線を引くことによりまして、白か黒か、イエスかノーか、こういうふうにまず地域指定で割り切られてしまう。そこで、その境界にある地域に生活をしておる住民で公害病にかかっておる者が救済を受けられないという問題が根本的にあるわけでありまして、この点につきまして私どもは、何かその白と黒の地域の間に灰色のゾーンというものが認められないか、灰色のゾーンを認めるためには疫学的なやはり調査をして、その疫学的な調査の結果に基づいて、灰色の地域については減額補償をするというような制度がとれないものかどうかということを実は考えておるわけでございますが、医学的な見地から見てこれが可能かどうか、これについての御意見をひとつ伺いたい。  それから次に、これは患者認定の問題でございますけれども、ただいま割合的認定制度といったような御発想がございました。いま提案されておりまするこの法案におきましても、公害病患者認定にあたりましては、公害健康被害認定審査会意見を聞かなければならないことになっておりますし、また補償給付の額につきましても、ほかに原因があれば減額給付をやる、あるいは補償金の制限をするというような規定も実はございますけれども、本来的にそういういろいろの原因が複合しておる患者に対しまして、これをいわゆる割合的な認定制度というようなものを採用するとすれば、はたして迅速、的確、円滑にそういった認定医学上可能かどうか。先ほど、公害病を指定する制度そのものをやめて、個々の公害患者認定制度そのものでいくべきじゃないかというような丸屋参考人の御意見がございましたけれども、こういったことについてのひとつ医学的な御所見を伺いたいと思います。  と同時に、また今度は逆の立場から伺うわけでございますが、公害問題が今日やかましい社会問題になってきておりまして、ことに住民の生命や健康を害するという問題は、ほかの生業被害とかあるいは財産被害といったものとは若干異なりまして、いわば政治の根本にかかわるこれは重大な問題でございます。そういう意味におきまして、健康被害損害補償にあたりましては、逆に疑わしいものはもう全部ひとつ認定していく、そして一たん補償の対象に取り上げる、そうしておいてあとから選別をいたしまして、もし便乗患者等があればこれをふるい分けていくというようなことは一体できないものかどうか。そういうことをかりにやることができれば、かなり社会不安を除去できるといったような感じもいたしますので、そういった逆の立場からのことが一つ考えられるかどうか、この点についてお伺いをいたしたいと思います。  まず、この点についてひとつ。
  16. 笠松章

    笠松参考人 いまのお話は、むしろ医学のほうから申しますと、こういう病気のことであろうと境界のことであろうと、境がない。自然現象には必ずこういう移行があるので、医学立場から移行があると申し上げますが、むしろ割り切るのは法律をもって割り切る必要がある。それは、医学から言うことではなくて、むしろ先生方がおやりになることであって、医学で聞かれるのはちょっとどうも方向が逆のような気がするのです。医学のほうは、その境がないということを申し上げるよりほかにしかたがないと思うのです。やはり割り切りということは、それは灰色は確かにありますが、今度は灰色と黒の境、灰色と白の境、また境があるわけで、そういうことをどう扱うか。やはりどうしても割り切りというものは、ある点では私は必要だ、これは法律に対するしろうとから考えましてですね、そういうように考えますけれども、そこはひとつ先生方がそれをどう割り切るか、そうして実際それを医者に割り切らそうとしておるところに私は——医学に割り切らそう、医者とは申しません、医学に割り切らそうとしておることは、それは非常に無理である。しかもその割り切る責任者は、それぞれ都道府県なら知事さんがそれをやることになっておるんだから、そういう割り切る材料になる資料はわれわれが提供する義務があると思いますけれども、割り切るところは皆さんがお考えくださいと申し上げるよりしかたがないと私は思います。  ほかに御質問ございましたでしょうか。
  17. 田中覚

    ○田中(覚)委員 具体的に笠松先生のおっしゃったように、割合的な認定制度、つまりいろいろな原因が複合しておる、それをいわゆる指定した公害原因で何割というような割り切り方は、医学的には、ことに迅速、円滑、的確に認定をするという立場から見てやれるものかどうか、その点はいかがでございましょう。
  18. 笠松章

    笠松参考人 先ほど私は、医学における因果関係にいろいろ条件があるという話を申し上げました。これがしかも各立場によっていろいろ違っておるという話も申し上げました。個人個人が診断書を書くときなんかどこで割り切るかによって、割り切りを医学でもやらないわけではない、やっております。そのことは、たとえば審査会委員になれば各人がそれを持っておると思います。ただ、その審査会の中でなるべく統一した意見になるように努力することはしますけれども、一致できないときには、各人の意見を持ち寄って、最終的には認定権者である知事に、少数意見はこれ、多数意見はこれというように持っていって、あとは権限者に割り切ってもらうよりしかたがないと思います。もちろん裁判においてはこういうことをやっております、鑑定人というのから一人一人の意見を聞いて。ところが、行政のほうではその権限者がややそれを委員会に押しつけて、委員会できめてしまおうとするところに、私は委員会混乱が非常に起こっているのではないかというように考える。だからやれないことではないし、現に皆さんやっております。ただ、それをなるべく共通した意見になるようにするためには、先ほど申し上げたように、学識経験者ではなくて、やはり丸屋参考人の言われたように、私は主治医の意見というものが一番大事だと思う。医学の常識として長く患者を見てきた人の意見を無視して、書類審査だけでものを決することはとうていできませんから、そういう主治医の人にも来てもらって意見を聞く。それからほかの人の意見、ときには法律の人の意見も聞いて、いろいろの意見をまとめることには努力いたしましょうが、しかし割り切ることを義務とするというような考え方では落ちつかないのじゃないか。やはりものを正確にやろうとすることと迅速にやろうとすることはどこかで矛盾する面が出てまいります。しかしそういう態度で臨むならば解決の方法は自然にその中から生まれてくるであろうと私は思っております。
  19. 田中覚

    ○田中(覚)委員 現在の指定地域、指定疾病の制度のもとにおける認定のやり方では、指定地域における指定病患者というものは全部公害病患者になってしまうとか、あるいは一たん認定されればもう永久化するというようなことが一部にいわれておるわけでありますが、そういったことの懸念は一体除去できるのかどうか、その点についての御意見はいかがでしょう。
  20. 笠松章

    笠松参考人 そういう認定が永久化するということは、いろいろ病気の種類によって有期の認定というようなことがありますから、必ずしも固定するものではないと思いますが、その反面私が割合的認定ということを申し上げているのは、白か黒か割り切ってしまえば、一〇〇%黒でないものが黒であったり、逆に一〇〇%白でないものが白であったりする場合がある。したがって、割合的認定という考えを、審査会の各人が自分の考えによればこれは七割くらい白であり、三割くらい黒であるというような意見を持ち寄って、それをどうさばくかということはやはり認定権者がさばいていけばいいというので、そういう意味では認定権者割合的認定立場に立っていただければいいのじゃないか、こういう意味で申したのであります。
  21. 田中覚

    ○田中(覚)委員 法律の第七条に「認定は、指定疾病の種類に応じて政令で定める期間内に限り、その効力を有する。ただし、政令で定める指定疾病に係る認定については、この限りでない。」こういう規定が実はあるわけでございますが、認定のときに期間というものがあらかじめ予定され得るものでございましょうか。その点はいかがでしょう。
  22. 笠松章

    笠松参考人 病気の種類によっては予定されるものもあれば、それから予定が困難であるという場合もあると思います。そうしますと、必ずしもいまの御質問はどっちがどうかというのではないと思うのですが、いかがでしょう。
  23. 田中覚

    ○田中(覚)委員 先ほど私が申し上げましたように、いまは非常に便乗的な認定を排除するという立場からの御質問をいたしたわけでありますけれども、逆にいま公害によって健康被害を受けている者が救済を受けられないというようなことの不満なども一部あるものですから、先ほど申し上げたように、疑わしいのは一応全部救済の対象にするというようなかっこうにかりにしてしまうと、いま先生のお話のように認定期限などがはっきり切られるものであれば逐次整理はできていくというふうに思うわけですけれども、そういったことになると非常な乱用になりはしないかという意見も実はあるわけでありまして、これは地域指定のやり方いかんにもかかわってくる問題でありますが、そういった点についての御意見はいかがでございましょうか。
  24. 笠松章

    笠松参考人 質問の意味があまりはっきりわからなかったのですが、私割合的認定ということを申し上げるのは、一応全部因果関係があるとしてその上でしんしゃくするというかっこうで割合的認定をもっていこうとするのでありますから、私はその点を認定するかしないかで割り切って一〇〇%とゼロとになってしまうのは防ごうという意見においてはいまの御質問と同じであります。しかしそれをやるのはわれわれでなくて先生方ではないだろうか、こう考えるのであります。
  25. 丸屋博

    丸屋参考人 私の意見を述べさせていただきます。  疑わしきは認定をするということは、私はこの特定疾病の場合にはぜひ必要なことだというふうに思いますし、そしてその地域の境界域の問題については、私は境界域に住む人について主治医がそれが公害に起因する疾病であると診断をすれば、それによって認定をするというふうにしていただければいいのではないかというふうに思います。  それから一度認定をされればそれが永久化するのかどうかということについては、認定患者の治療継続の要否について毎年あるいは隔年ごとに主治医のその患者についての報告が審査委員会なりあるいはどこかの適当な機関にきちんと報告される。それで治療継続が必要でなくなった時点では、その認定が解除されるということで処理できるのではないか、そういうふうに思います。  あくまでも特定疾病の認定あるいは解除については主治医の意見を尊重していただきたい、こういうふうに思います。
  26. 田中覚

    ○田中(覚)委員 そういたしますと、いま丸屋参考人の御意見だと、指定地域外でも主治医の診断によって公害病患者であると認定される場合には、何か救済の道を開くべきじゃないか、こういうお考えですか、あるいは先ほどお話しのように、公害病の指定そのものもやめる、あるいは地域指定もむしろやめて、あくまでも公害患者個々の診断によって救済を徹底すべきだ、こういう御意見でございますか。
  27. 丸屋博

    丸屋参考人 新しい環境基準の中での地域指定の洗い直しということを申しましたが、地域指定というのは、公害が健康にかかわる範囲での地域指定というのはされるべきだというふうに思います。  それから、主治医が公害に起因する疾病であるというふうに診断をすればと申しましたのは、その地域外で近接地域、いわゆるいま指摘されました灰色の地帯というふうに言われましたけれども、その地域に居住する人についての疾病が公害に起因するというふうに主治医が判断をした場合にはそれによるということで、打開の道はあるのではないかというふうに思います。
  28. 田中覚

    ○田中(覚)委員 次に林参考人にちょっと伺いたいのでございますが、先ほどPPP原則考え方として、有限資源の使用、消費にあたって、その価格なりあるいは利用料金というものを逆に逓増させていくという考え方を持つことが必要じゃないかというお話がございましたが、もしそのお考えを実行に移すといたしますと、この健康被害損害補償の財源調達の方法として、何か具体的なお考えが別にあるのかどうか。いまは汚染負荷量賦課金だとかあるいは特別賦課金だとかいう制度になっておることは御承知のとおりですね。それ以外に何かもっといい、合理的な方法があるじゃないかという御提言でもあるのでございましょうか。
  29. 林雄二郎

    林参考人 私、この健康被害補償法案に関しましては、先ほど申し上げましたように、固定発生源、移動発生源、前者については賦課金、後者については何か新しいガソリン賦課金のような、そういうことになると思うのですが、いずれにしてもそれをある段階別に、量的にたくさん使うものはだんだん逓増させていくというような考え方はどうだろうかということを申し上げたわけでありますが、これはいわゆる費用負担全般の問題になりますと、たとえば水道料金とか何かそういうようないわゆる料金ということで、全般的にそういう考え方が適用できるかと思うのであります。ですから、いま私、この補償法案に関連して特に気のつきますのは、その賦課金のことでございますけれども、いまそれ以外に、私ちょっとまだ不勉強で思いついておりませんけれども、何かそういう新しい考え方で全部洗い直していただくと、あるいは別の考え方が出てくるかもしれぬということをちょっと申し上げたわけでございます。
  30. 田中覚

    ○田中(覚)委員 最後に菱田参考人に伺いたいと思います。  先ほど御指摘のように、産業公害よりはむしろ都市公害対策が非常にむずかしい、ことに大都市においてはそうだというお話はまことにそのとおりだと思いますが、そういう意味で、このいま提案されておりまする公害健康被害補償法案におきましても、固定発生源からの賦課金の調達はこれで具体的な法案になっておるわけでありますが、移動発生源の問題は引き続き検討することになっておるわけです。何か東京都として、特にそういう都市公害、ことに自動車などの移動発生源による窒素酸化物の被害等についての損害補償対策というものを何か具体的にお考えでございましたら、ひとりお聞きいたしたいと思います。
  31. 菱田一雄

    菱田参考人 固定発生源については非常に、私たちとしてみれば押えやすい。ですから、押えやすいところから金を取るという考え方はあります。またもう一方、こういう考え方もあります。たとえば燃料が一体どのくらい効率よく使われているかという問題があるわけです。たとえば火力発電所というところでは、燃料を使いますと、大体その四〇%が電気になって出てきます。しかし自動車の場合には、約一〇%から一五%しかエネルギーになって出ていかない。ということは、それだけよけいに燃料を使っているわけでございまして、まことにもうひどいものでございます。そのあとの八五%は何になって出ていくかといいますと、それはみな熱になって出ていったり、汚染物になって、出ていっている。ですから、そういうものの考え方をしますと、燃料で押えるほうが、押え方としては非常にやすうございますけれども、汚染物質として押えることは、非常に不確定のたくさんの要素がございますので、その点若干むずかしいということがございます。  東京都ではいまどういうようなことをやっているかといいますと、現実に被害者に対する救済の点については、まだはっきり具体的か考え方はできておりません。しかし、私たちがいま一生懸命やっているということは、現実に移動発生源から出てくるものがどういうものがあるかということをはっきり自分たちで確かめるということであります。実は、公害について一番大事なことはそこなんです。要するに、相手がわからなければ対策はできないということです。ですから、相手が何かよくわからないうちに対策をするということは非常にむずかしいことでございまして、私たちは固定発生源についてはある程度しっかりもうわかってきた。しかし移動発生源についてはまだなかなかわからないというところで、私たちは移動発生源自身について自分たちでそれらを測定し、そしてそれを計数化し、そして東京都でどのくらい出てくるかというようなこともやっております。そういうことをやってからの問題ではないかと思います。  それからもう一つは、そういった汚染物質の広がりだと思います。たとえば同じ東京都におきましても、東京都の中の城東、それから域北、それからまた城南地域——これは工業地域、しかし城西方面、たとえばこれは光化学スモッグの非常にたくさん出るところでございますけれども、そういうところでは固定発生源というのは全くない。そういうような地域的なばらつきというようなものもございます。したがって、両方含めてやはり考えなければいけないのではないかというふうに私たちは考えております。私たちはそれを見る場合にどうやってやるかといいますと、一平方キロごとのメッシュをつくります。東京都を全部一平方キロごとのメッシュをつくりまして、網の目の格子のようなものをつくりまして、そこで汚染物質が、何がどのくらいずつ出ているかということ、そしてそれの汚染の寄与度は何がどのくらいあるかということを一平方キロごとに一応つくっていく、そういうふうな作業を現在進めておりますし、近いうちに発表する予定でございます。
  32. 田中覚

    ○田中(覚)委員 時間が参りましたので、これで終わります。
  33. 佐野憲治

    佐野委員長 島本虎三君。
  34. 島本虎三

    ○島本委員 きょうはほんとうに御苦労さんでございますが、私も笠松参考人にまず一つ伺っておきたい。  労災法をこれに取り入れたということについては、私も感を同じくいたします。そして私自身もこの問題については、やはり労災法の中に精神的な損害だとか慰労、慰謝、こういうようなものも含まれているのか疑問でありますし、まあ六割という、それでは、平均賃金の中をとったというこの考え方、こういうようなことであります。なるほど労災の場合には契約関係がありますけれども、公害の場合は住んでいたというだけの被害であって一般の就労とは違うのでありまして、本人はこれによる利益一つもない状態でこれを根拠にしたということは、私はやはり疑問なんであります。それで先生のほうでも、歴史は長く、当然この問題については、労働力の提供側と労働力を受ける側の契約であって失なわれた労働力の金銭による補てんである、こういうふうに明快であります。そうすると、契約のないところにこれを適用したということはどうもおかしくなってくるわけです。先生は、これを今後詰めなければならない大きな問題であるということだけをおっしゃった。私も考えは同じくするのですが、今後どういうふうに詰めるのか、どういうふうにやらなければならないのか、その先の展望をひとつ展開してもらいたい、こういうように思うわけであります。
  35. 笠松章

    笠松参考人 いま言われましたとおり確かに労災は、肢体不自由児とか視力障害、聴力障害といったようないわゆる外部障害が主になって発生してきたという歴史的経過から考えましても、外部障害を基準にして十四級というように非常に細分化されております。手がどの関節からとれた場合というように関節によって、上へ上がっていくほどひどくなるからだんだん等級が重くなる、こういうようになっております。しかし、最近では労災のほうでも内部障害が入ってきまして、ところどころ胸部疾患とか腹部疾患という形で内部障害を入れておりますが、あれを私があるときに研究してみましたのですが、確かに目で見えない、客観的につかまえられないというだけに内部障害はどうも低く評価されておる。外部障害は高いところに位置しているというか、至当なところに位置されているのですが、内部障害、精神障害、内科的疾患、精神神経的な疾患は、どうしても低くランクされておるという実情は確かにあると思います。  そこで労災のほうでもそれを直さなければならぬという考えは起こってきております。まして今度の公害の問題は、そのものをどう評価するかということが非常に大事になってまいると思うのですが、まずそういう内部障害考えますと、とても十四級なんというふうに分けられるものではないので、ランクをもう少し少なくする必要があると思います。  それから先ほども申しましたように、日常生活——労働能力も含まれますが、それ以外に日常生活活動障害というもの、まあ起きてから顔を洗って、食事をしてというそういうもの、それから家族内での、団らんをするとかあるいはテレビを見たりラジオを聞いたりして人生を楽しむとか、休暇には映画でも見に行くとかというようなところまでを入れて、そしてランクづけをする必要がある。まあ二十四時間の人間として、労使関係で働いているときだけの人間でないという観点を入れてランクをつくるべきであろうと思っております。
  36. 島本虎三

    ○島本委員 そうしますと、これは笠松参考人にですが、これを取り入れたというその根拠については考えを同じくしますが、平均賃金と労災、この半ばをとって八〇%というそのやり方に対して、なぜこれを重要視せざるを得ないのかというのが疑問なんです。これを完全なものにするために一〇〇%以上にしてみるのもひとつの方法だと思いますが、八〇%という線を引くことに対しては私も疑問なんです。これを一〇〇%見て、むしろプラスアルファにしたらどうか、この考え方に対しては先生いかがなものでしょうか。
  37. 笠松章

    笠松参考人 八〇%にするかあるいは一二〇%にするかということは、それはやはり皆さんがおきめになることであって、とても私の範囲ではないと思うのですが、私としては少なくとも一〇〇%であろうと考えております。
  38. 島本虎三

    ○島本委員 ありがとうございました。  次に林参考人菱田参考人にお伺いします。  先ほどからいろいろ御高見を拝聴いたしまして大いに参考になったわけでありますが、費用汚染原因者の寄与の度合いに応じて分担させる、こういう方法の一つの合理性、こういうようなものをわれわれのほうとしてもいろいろ検討中なわけであります。またこの中にもそれが入っているようであります。したがって、菱田参考人のほうでは先ほどから東京都としてのやり方を出しているわけでありますが、おっしゃるとおり確かに業者側だけの資料では不分明な点が多いようであります。またそれをもとにしていろいろなことをやると現況に合わないような結果が出てくる。それを指摘していただきまして、この点私も肝に銘じておきます。  そうすると、前の質問とちょっとダブりますが、参考のために聞きますけれども、大都市の不特定多数の排出によるところの自動車なんかの排気ガスと、工場のような固定源から出す汚染の寄与率というようなものがはっきりわかるものかどうか、ひとつ直截簡明にお願いしたい。それと、この寄与率の算出の方法はどういうふうにしていなさるのか、これをひとつお伺いしておきたいと思います。
  39. 菱田一雄

    菱田参考人 大都市の汚染の寄与率を見る場合には、私たちはこうやって見るわけです。たとえば煙突がたくさんありますと、その煙突一本一本をやはりはかってみます。ところが東京のように一万一千もの施設がありますと全部はかるわけにいきませんから、大体その代表的なものをまずはかるわけです。そして火力発電所の場合ですと、私たちは三つの火力発電所がありますから、そのうちの二つをはかってみる。その二つをはかりますと汚染物質がどのくらい出ているかということがわかる。そうしますと燃料使用量当たり汚染物質の排出量が出てくるわけです。しかしそれは濃度というものを全然勘定いたしませんで、空気比は全部酸素濃度をゼロにして計算いたします。過剰空気係数をよけい入れて濃度を薄くするということは全くナンセンスでございますので、そういうようなことを全部排除いたしまして換算濃度ということで出しております。そしてまず換算濃度を出してから、汚染物質は燃料使用量一キロリットル当たり幾ら出すかということを統計学的な手法を用いて私たちはつくります。  また、小さいものについてもやはり同じようなことをやります。たとえば東京なんかの場合非常にこまかいたくさんの施設がございますが、大体同じような施設をたくさんグループ組みしまして、その中から代表施設をはかっていくということをやっております。そういうようなことを固定発生源についてはやります。  それから移動発生源については、東京都を走っております自動車は大体トヨタ、日産が多うございますが、いまやっておりますのは、トヨタ、日産系を主にしまして約三十三台の自動車をフォーモード、セブンモード、テンモード、東京モードに分けまして、東京モードというのはわれわれが実際に東京を走らせまして、一時間のうちに渋滞が幾らあって、加速が幾らあって、定速が幾らあって、そして減速が幾らあるというようなことを三カ月間ぶっ続けてやるわけです。それは三台ぐらいの自動車でやって、現実に東京を走るときには大体どのぐらいの速度で走れるか、平均はどのぐらいになっているんだろうか、アイドリングでどのぐらい、加速でどのぐらい、定速でどのぐらい、減速でどのぐらいということをやりまして東京独自のモードをつくります。テンモードというのは国のモードでありますけれども、国のモードは必ずしも東京モードに当てはまりません。したがって東京モードでやります。しかしテンモード、セブンモード、フォーモードについてもやはりそれも同じような形で、シャシーダイナモで走らせます。から運転で走って、うしろに全部袋をつけておりまして、その袋の中の汚染物質を取りまして自動車から出てくる汚染物質の量をはかる。そしてこういうモードのときには自動車一台当たり幾ら出すかということを統計的にやっております。そうやって調べましたのがここにあるパンフレットであります。大気汚染物質排出係数というものです。こういうものでございます。こういうようなことを自分たちで、私たちはやっています。そうして、実際に東京を走っている自動車の汚染というのがどういう状況にあるかということを自分たちで把握しなければだめなのであります。これが非常に私は大事なことだと思います。ところが、私たちがいままで参考にしておりましたのは、やはり同じように環境庁の大気保全局でつくったものでございますけれども、「大気汚染物質発生源別排出総量調査報告書」というのがございます。これは四十七年八月に出たものでございますが、これでございます。  そこで、それを見てまいりますと、いろいろと、東京だけではございませんで、一都三県で分けてあります。東京湾沿岸にしてしまうわけです。東京湾沿岸にしますと、固定発生源の量が非常に多うございます。川崎とか横浜あたりの固定発生源の量が非常に多いわけであります。それから、移動発生源の量は東京だけがほとんど多い。それから千葉、埼玉——千葉はこれはやはり固定発生源が多いというところから、固定発生源と移動発生源の比率というのがだんだん近くなっていきます。東京でいきますと、もう固定発生源より移動発生源のほうがはるかに多いために——実はこれは大気保全局の自動車課というところでおつくりになったのでございますけれども、自動車課というところで自分たちがそういうデータを持っておつくりになったのかと思って私はこれを見たわけでありますけれども、これを見ますとどういうことが書いてあるか。たとえばその十三ページのところではこういうふうに書いてあります。「現時点の排出係数は現在市場で使用されている機種の構成を考慮して選んだ十六機種各一台の排出係数の平均から求めた。」そしてカッコしてありまして「(社団法人日本自動車工業会資料)」と書いてあります。要するに、日本自動車工業会の資料を使って実はおやりになっているわけです。これは要するに、企業が出してきたデータでそういうふうなことをおやりになって計算されている。私はこれは正確だと思いません。企業が出してきたデータが正確か正確でないかということは自分たちが確かめるべきです。私はそのところをやはり強く言いたいわけです。企業が持ってきた自動車工業会のデータ、そのデータでやっているというところに基本的な考え方の大きな誤りがある。そういうふうなこと。そして、この汚染寄与率はこうであるというようなことを書いてあります。一都三県ではこうなるというふうに書いてあります。一都三県にいたしますと固定発生源が非常に多いから、自動車と固定発生源というのは寄与率が非常に近くなってまいります。東京でいけばもう自動車が圧倒的に多いにもかかわらず、こういうようなことを平気な顔をしておやりになる。私はそういうところにやはり考え方の相違があるんじゃないかと思っております。
  40. 島本虎三

    ○島本委員 ほんとうにありがとうございました。  そうすると、われわれも最も正確だと思われていたのが自動車工業会発行のデータであったといまわかりました。まことに不覚でございました。やはり今後は、いまのようにして自分で調べたものでなければならないという御指摘のようであります。それも十分私も肝に銘じておきたい、こういうふうに思います。  それと、次は林参考人でございます。なるほど先ほどから、この資源の消費の場合、コストと便益、それと害悪、この三つの相関関係で、それぞれ料率の逓増性という新たな発想をお示しになった。これはフランスの電気料金の点、またラッシュアワーの考え方、やり方など、これも大いに私ども啓蒙されました。啓発されました。それで、このうちでやはり移動発生源、ただいま申されました自動車の賦課方式あたりを見ますと、原燃料賦課方式というものと自動車の重量税引き当て方式があるようでございます。これに今度料率の逓増性をいろいろ入れて考える場合には、無公害車を開発する、これがいまの一つの至上命令のようであります。そのためには、これは逆にガソリンを多量に使うのである、そういうようなことのようであります。そうすると、料率の逓増をこれに入れるということはガソリンをよけい使う、よけい使って無公害車を出したものによけいかかるというような、こういうことになると、ちょっと矛盾じゃないかと考えられますが、逓増性とこの辺の関係をひとつ御解明願いたいと思います。
  41. 林雄二郎

    林参考人 御質問まことにごもっともだと思うのです。それで私もそう思いましたものですから、先ほど私の御説明の中でも同様趣旨のことをちょっと申し上げたわけなんでありますが、ただ、これも私の全く個人的な考え方でありますけれども、いま無公害車というものが開発されつつありますけれども、私は、非常に広い意味で考えた場合に、無公害車というものもはたしてほんとうにためになる技術開発であるのかどうかということについては、ちょっと疑問を感じておるのです。と申しますのは、最近テクノロジーアセスメントということが盛んに行なわれまして、あるいは新しい技術開発をする場合に、あらかじめその影響を十分に調べて、そしてその見きわめがつかないうちは技術開発をしないということが、そういうアセスメントのやり方なんかがいろいろと開発されつつありますけれども、どうも現実にはテクノロジーアセスメントのやり方がたいへん近視眼的でありまして、たとえばいい例がこの無公害車なんかの例なんですけれども、確かに排気ガスの中から有害なガスを出さないということだけについては無公害車は効果がある。ただこれはたいへんエンジン効率が悪くなりまして、結果としまして要するにガソリンをよけい食うのですな。そういたしますと、一方において有限な地球の中の資源の、つまり省資源技術の開発という点から申しましたら、無公害車の開発というのはむしろ有害なのでございまして、確かに排気ガスだけに着眼すればこれはいい技術開発なんですけれども、資源利用という観点から見ますと、むしろこれは有害な技術開発ということになるわけです。ですからこれを大局的に見た場合に、これをほんとうに好ましい技術開発とするかどうかということになりますと、私はいささか疑問があるのでありまして、ですから無公害車もそう必ずしもいい点ばかりはやれないのではないかと思うのです。  しかし、それはともかくとしまして、さしあたっては、いまのままの形で逓増性をやりますと、確かにおっしゃるような矛盾が起きます。ですからそこのところはそのガソリンをどういう車に使うかということで区別をするとか、まあ何か戦争中の切符制度を思い出してぐあいが悪いのですが、ガソリンをやるときには、無公害車のときには特別の券を持っていくと、そうすればそれだけ賦課金を免除されるとか、何かそういうようなやり方をすればその矛盾は避けられるものと思うのです。ですから、それはそう私はむずかしいことではないように思っております。
  42. 島本虎三

    ○島本委員 最後に一つだけでありますけれども、これはもう時間がないので、簡単にお願いします。と申しますのは、窒素酸化物、酸化水素、紫外線、こういうような一つの相関関係が光化学スモッグという現象になっておりますが、いま東京でこれがわりあいに緑の多い個所、石神井であるとか練馬のほうに起きている。それと南東の微風というときに起こる。その相関関係は川崎のあのコンビナートから来る、こういうような影響がこれにあるのかないのか、この辺をひとつお知らせ願いたいと思うのです。
  43. 菱田一雄

    菱田参考人 光化学スモッグというのはいろいろな原因があるわけでございますが、一応NOxとそれから炭化水素といわれております。そのほかにも硫黄酸化物の中のSO2が光化学反応を起こしてSO3になる。SO3というのは無水硫酸、これはすぐ水と反応いたしまして硫酸になります。そういうようなものになるのではないかといわれております。  で、東京工業大学の清浦先生が、川崎あたりの高い煙突から出てきたものが地上に落ちてくるまでの間に二時間から三時間、その間にSO2からSO3に転化していくのだというようなことを言っております。これは一昨々年ぐらいのたしか学会で発表されたと思いますが、そういうようなこともわれわれには考えられます。したがって、原因物質のオキシダントというものは、必ずしもNOxとあるいはHCだけでできたものではない、硫黄酸化物からできたものもあるというふうに考えられます。ですから、オキシダントの中にはオゾンだとかそれからいま言ったようなSO3、硫酸ミストだとか、それからアルデヒド、それからPAN、そんなものが、いろいろなものが含まれている。そういう二次汚染物質も含まれているかわりに、そのほかにもまた一次汚染物質としてのNOx、それからHC、そのほかにも燃料の燃焼で出てきましたアルデヒド、アルデヒドの中にはたとえばアクリルアルデヒドというのはアクロレインとして有名でございますけれども、そういうようなものもあるというふうに思っております。  以上でございます。
  44. 島本虎三

    ○島本委員 ありがとうございました。
  45. 佐野憲治

  46. 岩垂寿喜男

    ○岩垂委員 一番最初に笠松先生にお伺いをしたいと思うのですが、認定疾病のワクを呼吸器四病から耳鼻咽喉とかそういうものに広げる必要があるように思うのです。特に最近の、私川崎なんですけれども、川崎などの調査によりますとそういう傾向が非常に強まっていますけれども、それらの問題についての御見解をこの機会に承っておきたいと思います。
  47. 笠松章

    笠松参考人 私は、呼吸器疾患の専門ではないのであまり明確なことは答えられませんが、もっと概念的にいいますと、直接汚染物質に発した認定病ですね、それに合併症ということばにはいろいろ疑義がありまするが、続発症だとか兼発症だとかいう意味に解釈すれば、いま御指摘のような病気が続発症、兼発症に該当するものであれば当然そのワクを広げてもいいものだと思っております。
  48. 岩垂寿喜男

    ○岩垂委員 特に耳鼻咽喉だけでなしに眼科がふえているわけですね。これらもやはり同じようにお考えでございますか。
  49. 笠松章

    笠松参考人 続発症であればもちろんそうなると思います。
  50. 岩垂寿喜男

    ○岩垂委員 同じくお伺いをしたいのですが、いまの地域指定の考え方なんですけれども、実は私の例をいいますと、線路一つ隔てて国の認定地域がありまして、片側は国ではないものですから市が独自に認定しているという形が生まれているわけです。現実に、たとえば煙突を高くすれば拡散が行なわれるわけですから、確かに濃度が薄くなることも事実です。そういうことを含めて、むしろ発生源の周辺地域のほうに被害が拡大しているという傾向が最近は顕著になっているわけであります。たとえば川崎で名前をいいますと、認定地域のところよりもそうでない幸区だとか、そうでないところのほうに最近いろいろ病気があらわれているわけですけれども、そういう意味から、もう一ぺん基本的にこの認定地域の考え方というものを洗い直す必要があると思うのですが、この辺について御意見を伺いたいと思います。
  51. 笠松章

    笠松参考人 元来大気というのは拡散性のあるもので、そこへ線を引くということ自体が非常にむずかしい、矛盾のあることなんで、したがって、私はワクを広げるということは必要なことだと思うのですが、やはりこれはしろうとの側から言うのですが、法律をつくって法的に規制する考えではどうしても線を引かなければ運営できないという面があると思うのですね。だからある規制を引いて、そして標準をつくって、そしてもちろんそのワク外に同じように患者が発生しているのなら、おそらく大気汚染もそごまでいっておるのですから、そういう基準でだんだん広げていくという方向はとるべきだと思います。
  52. 岩垂寿喜男

    ○岩垂委員 同じく笠松先生たいへん申しわけないのですけれども、この法律を見ますと、各種の給付というものが患者個々を対象にして考えられているわけです。ところが、御存じのとおりに公害被害というのはいわば家族全体を含めてはかり知れない影響をもたらしているわけです。つまり家庭破壊というような問題も深刻になっていると思うのです。そういう面からこの給付というものが考えられる必要がこの制度創設にあたってあるのではないだろうか。これらの点について一ぺんぜひ御意見を承っておきたいと思います。
  53. 笠松章

    笠松参考人 私も同じ意見でございます。決して患者というものは個人だけではなくて、家庭を持っておるということ——家庭のない人もいますが、そうしますと、介助が必要だとか、そういう考え方の中にそういうものが入ってくるのじゃないかと思っております。
  54. 岩垂寿喜男

    ○岩垂委員 これも笠松先生にお願いをしたいと思うのですが、七条の二項で、指定疾病についてなおる見込みがないと認めるときには審査会意見を聞いてその政令で定められた有効期間にかかわらず延長することができる、こうなっておるわけです。もともとなおる見込みのない病気なんですから、この委員会ではあるいは議論になったのかもしれませんけれども、永久にそれらの人たち救済という問題は考えられるべきではないか。それらに関連して延長期間のいわば判断基準みたいなものがどうしても必要な感じがするのですが、その点についての先生の御意見を承りたいと思います。
  55. 笠松章

    笠松参考人 御質問は、永久に補償が必要であるというものの認定基準でございますか。
  56. 岩垂寿喜男

    ○岩垂委員 そうです。判断の基準を示す必要があるんじゃないか……。
  57. 笠松章

    笠松参考人 判断の基準、もちろん必要ございましょう。しかし、まあ軽くなってくるほうは別として、重くなっていくということもあるわけですね。したがって、永久の認定というのはそう軽々しくやるべきではなくて、ある期限をおいて見て、重くなれば重くなったほうに認定を変えるということも必要なんですから、有期の認定ということも必要じゃないかと思うのです。だから軽々しく永久の認定はやるべきじゃないと思います。
  58. 岩垂寿喜男

    ○岩垂委員 これは菱田参考人に伺いたいのですが、いま島本さんも言われましたけれども、発生源の負担が、つまり原燃料方式、重量税方式、いろいろあるんです。答申の中でも二つを述べられているんですけれども、移動発生源に対するいわば賦課方式の中で、現実的、具体的にどんな方法が適当だと思われますか。いままで東京の問題をいろいろお考えになって御意見があるいはまとまっていれば、個人の見解でもけっこうですからお伺いいたしたいと思います。
  59. 菱田一雄

    菱田参考人 私たちが現場でからだで非常に感じるごとというのはどういうことかといいますと、やはりそういうものをつくる、またたくさん売った人に責任があるんじゃないかという気がいたします。私たちがたまたまそういうようなことをやっているたとえば運転手、ドライバー、そういう方を押えてみてもまあざこばかりでございまして、決してそういう方を押えることはない。それよりも、むしろやらなければいけないのは、自動車をつくった人たちであるというふうにわれわれは考えております。しかもそういうものをほんとうにつくらしておく者もまた悪いんじゃないか。  たとえばそういうふうに東京都に入ってまいります自動車というのは、大体一年間で一〇%ずつふえてまいります。いま二百四十万台、そして一〇%ずつふえていくことは、来年は二百七十一万台になるわけでして、再来年は三百万台になります。東京都の都民が一千百万人しかおりませんので、それに合わせて道路をつくれなんというようなことをいわれましたら、東京都はたいへんなことになるんじゃないかというわけでございます。したがって、私たちはむしろそういうようなことについてはもう逆につくらせぬか、つくったらそれだけよけいにそういったようなものをかけていただきたいと思うわけでございます。  これをほんとうに受け身でもしゃったとします。自動車が出てくるからそれを都市構造とか道路構造を改善してやったとしたら幾らかかるかといいますと、新宿の柳町一カ所を都市改造するのに百八十億の金がかかります。そして百八千億の金がかかって東京全体がよくなるかというと、決してよくなりません。東京都では新宿の柳町程度のものがあと百カ所くらいございます。そうしますと、自動車の伸びる量に合わせて道路をうまくつくっていけなんという論は、これは全くナンセンスな論でございまして、私はそういうところがやはり問題じゃないかと思うわけでございます。しかしこれはまだ公害局でオーソライズされた意見でございませんで、私個人の見解でございますので、つけ加えさしていただきます。
  60. 岩垂寿喜男

    ○岩垂委員 最後に一つだけ。  これは丸屋参考人に伺いたいのですけれども、生活保護を受けているいわば認定患者ですね、これが今度の法律生活保護上の認定、収入認定の対象に含まれるおそれがある。過去の旧法にあったわけですけれども、今度もその辺のところが整理されていない。この辺についてぜひ見解を承っておきたいと思います。収入認定とすべきでないという見解であります。
  61. 丸屋博

    丸屋参考人 生活保護法というのは制限がたくさんあるわけですが、公害被害を受けた患者については当然収入認定とすべきでないと私は思います。みずから好んでそういう病気になった患者さんはありませんし、むしろ補償される額よりもはるかに大きな被害を現実に受けているのが事実であろうというふうに思います。
  62. 岩垂寿喜男

    ○岩垂委員 どうもありがとうございます。時間でございますので……。
  63. 佐野憲治

    佐野委員長 木下元二君。
  64. 木下元二

    ○木下委員 菱田参考人にお尋ねしたいのですが、損害賠償の原則と申しますのは、第一に被害を完全かつすみやかに回復することであると思います。ただ単に金で済ますということではないと思うのでありますが、この点はいかがでしょうか。  まず第一には、公害問題というのは発生源できびしく規制をするということだと思いますが、損害賠償という面から申しますと、まず、被害者が失った健康と生活の原状回復のための万全な措置を講ずる、これが大事だと思います。そして、そういう方法でもってしても回復が不可能な場合に十分な金銭補償をするということになると思うのです。こういう原則から見ますと、この政府提出の法案でありますが、この点は非常に不十分な面があると思うのです。こうした点について御意見を聞かしてもらえればけっこうだと思うのです。
  65. 菱田一雄

    菱田参考人 私は経済学者でありませんので、あまりこまかい点については何ともいえないと思うのでございますが、大気汚染を担当しておりまして感じることは、いま汚染物質がたくさん出ているから、いま被害があったということではないということです。これは前からの長年の蓄積がそういうふうになったのであるというふうに考えるわけであります。ですから、いま汚染の寄与率はこうであった、しかし、これは五年前からのものかもしれませんし、十年前からのものかもしれない。ですから、われわれが被害考えるときには、大気汚染の場合の考え方被害というのは、暴露時間かける濃度というふうになる。濃度ということが非常にむずかしいとなりますと、暴露時間かける汚染強度と逆に直してもよろしいのではないかと思うわけでございます。  現実に私たちが硫黄酸化物でやったことがございます。硫黄酸化物の排出量を昭和四十五年で昭和三十九年まで下げてやろう、同じくらいに下げてやろうといいまして、昭和四十五年に約十五万トンほど出てくる亜硫酸ガスを八万トンまで下げました。そうしますと、環境濃度というのはほんとうによくなる。約半分に下がりました。因果関係がわからなくても、汚染の排出量を下げてしまえば環境濃度はそれほどよくなる。したがって、古い環境基準でございますけれども、国が約十年でやれといったことを東京都は二年半でやってしまいました。現実には、もう環境基準については、東京都は硫黄酸化物についてはほとんどスモッグ注意報を出したことはございません。四十六年には一回も出したことばありませんし、四十七年は十二月にちょっと出しただけでございます。それから四十八年は、まだ一回も出したことはございません。したがって、そういったものの長い蓄積というものが問題じゃないかと思うわけでございます。  ですから私は考える場合に、いまの時点だけで強度、寄与率を考えるだけでなくて、それが長いこと及ぼしていた被害というものを、要するにマスでものを考えることが大事ではないかというふうに考えるわけでございます。以上でございます。
  66. 木下元二

    ○木下委員 林参考人に伺いますが、先ほどPPP原則ということを言われたのですが、この補償給付費用につきましては、一応原因負担ということに本法案ではなっておりますけれども、四十六条にきめられております公害保健福祉事業、これは二分の一の公費負担、事務費は全額公費負担の上、企業から金を徴収する費用についてさえ公費負担ということになっております。この点についてはどのように考えられるでしょうか。
  67. 林雄二郎

    林参考人 先ほど私の御説明では公費のことにつきましてはちょっと申し上げなかったのですけれども、PPP原則というのは、原則どおりにやれば全部発生者が負担しろということになるわけですけれども、しかし先ほど申し上げましたように、そうかたくなにそればかりではできない面が一ぱいあります。  たとえば、いま菱田参考人のおっしゃいました過去からの蓄積のものなんかは、一体だれがどの程度それに寄与しているかということを認定することがほとんど不可能なものがたくさんございます。瀬戸内海の赤潮なんかにしても、どうも因果関係すらはっきりしないというものがたくさんあります。そういうものもございますし、それからこの第四十五条に書いてあることなんかも、これは発生源といっても、どうもはっきりその発生源を認定するというわけにもいかないことではないかと思いますので、その割合をどれくらいの割合というのは私もよくわかりません。  これはそれぞれ御専門方々の検討にまつ以外にないのでありますけれども、とにかくいずれにしましても、ある部分はどうしても公費負担でなければならないという分野が必ず出てくるのでありまして、これはこの健康被害補償法案だけではありませんで、費用負担全般にわたりまして当然公費負担のところが若干出てまいります。それは日本だけではありませんで、OECD諸国でも全く同じであります。ですから、PPP原則といっても公費負担を一切否定するというものではないわけでございます。この四十五条そのものはまだよく存じませんけれども、公費負担のところが出てくるのは当然のことではないかと私は思っております。
  68. 木下元二

    ○木下委員 公害保健福祉事業は被害の回復のための措置としてきわめて重要な事業であろうと思いますが、この事業の具体的な内容はすべて政令にまかせられておるということになっております。法案自体を見ましても不分明でありますが、この事業として最小限どのような事業が必要であると思われるか、この点についてどなたからでもけっこうでございますが……。
  69. 丸屋博

    丸屋参考人 公害保健福祉事業については「政令で定める公害保健福祉事業を行なうことができる。」というふうに書いてあるわけですが、これは私も医者ですからよくわかりませんが、行なわなくてもいいという一つの含みがこの中にあるのではないかと思います。先ほど指摘されましたように、原状に回復する、健康をもとどおりに返すということが至上の命令だ、任務だというふうに私は思うのですが、それができないからやむを得ない、補償する、賠償するという考え方に立てば、この保健福祉事業というのは徹底的にされるべきものだというふうに思います。たとえば私一番最初に言いました中学一年生の少女が死亡するという例を出しましたけれども、そのほかにも公害地域の児童生徒などがそのために学業を休み、体育がおくれ、学業自身がおくれというようなことがずいぶんあると思うのですけれども、そういうことについての、東京都で行なわれておりますグリーンスクール計画とか、そういう保健と教育とが密接不可分な状態で健康を回復するための適当な環境の中で行なわれるという事業が具体的にはあるのではないかというふうに思っております。
  70. 木下元二

    ○木下委員 けっこうです。終わります。
  71. 佐野憲治

    佐野委員長 坂口力君。
  72. 坂口力

    ○坂口委員 時間がないようでございますので、二問だけに限ってお聞きをさしていただきたいと思います。  一問は、菱田参考人にお伺いをいたします。先ほどゾーンディフェンスというお考えを示されまして、そして自動車による、いわゆる移動発生源による害がかなりなパーセントを占めるというお話がありました。この先生の御意見から察しますに、結局指定地域というものをきめるということが、いままで以上に、移動発生源が多くなればなるほどむずかしくなってくるという考え方を私は持つわけでございますし、私どもも、指定地域というものをいまのような考え方でいいかどうかということを非常に疑問に思ってきたわけでございます。そういう意味で、今後さらに移動発生源が多くなるという現実を踏まえて、指定地域というものに対してどう対処していったらいいかということに対する先生の御意見がありましたら、お聞かせをいただきたいと思います。
  73. 菱田一雄

    菱田参考人 私は、指定地域そのものが全部が悪いというわけではございませんで、たとえば産業公害型のものならば非常に特定な地域に限られることはできると思います。たとえば鹿島なら鹿島というところだとか大牟田なら大牟田というようなところに限られておりますものがございますけれども、たとえば東京と川崎と横浜とかたまっておるようなところで指定地域制度というのは非常にむずかしゅうございます。またそれからずっといきまして、千葉へ参りまして、市川とか船橋へいってそれからまたずっといきますと、非常にまたもっとむずかしくなってくる。  そこで私たちは、東京都のようなところではいろいろなことができます。さっき私が言ったようなことも自分たちでやってみて、そして汚染濃度がどのくらいあるのか、汚染の寄与率がどのくらいあるかということが目で見てわかるようになりますと、さっきどなたかの先生がおっしゃったように、黒か白かというようなことじゃなくて、ちゃんと強いところは黒くなるし、弱いところば薄くなって、ネズミ色になっていくわけでございます。そういう像を私たちは一平方キロメートルのメッシュでつくってみる。そうしますと、地域指定ということは非常にぼやけてまいります。その辺のところのいわゆるぼやけ方というのは、必ずしもはっきりぼやけるわけじゃなくて、非常にぼやけた形になるというふうに思うわけです。ですから私は、黒からネズミ、白になっていくところもあると思いますけれども、そういうところを含んで考えなければいけないと思います。特にその地域だけでなく、道路のすぐそばに住んでいる方たちというのは、そういう意味では、地域指定のあるなしにかかわらず、道路なら道路というものを見てほしい、いろいろな見方があると思います。都市と産業型とでは若干違うということを私は申し上げたいわけです。  以上です。
  74. 坂口力

    ○坂口委員 笠松参考人一つお伺いをしたいと思いますが、いわゆるもらい公害ということばがございます。先ほど出ました指定地域ですね、内ではなしにその周辺部で、指定外にはなっているけれども非常に公害がある、そういう問題がございます。そこから患者さんがたくさん出ている。ところが、いままではその人たちが救われなかったわけでございます。そこにもまた指定の問題が出てくるわけでございますが、地理的な線引きだけの問題ではなしに、もう一つ時間的な問題があるわけでございます。現時点で調べますと、公害というのはかなりなくなっているけれども、以前に非常に濃厚に暴露されたために患者さんが出た。いまは薄くなっているのですけれども、その人が依然として患者さんとして残っているというようなケースがございますが、私どもはそういうふうな人は何とかして救わなければならないというふうに思っているわけでございますが、なかなかその辺が行政上進まなくて、そのままで捨てられているわけでございます。こういったことに対する先生のお考え医学的な立場からお聞かせいただきたいと思います。
  75. 笠松章

    笠松参考人 いまの線引きという問題は、先ほども話したように矛盾を含んでおります。だからそれをなるべく広い範囲に広げるとか、あるいは道路にさらされたところを考えるとか、新しい考えを入れて、ワクをどんどん広げていくという点については同じでありますが、もしその地域指定を全部なくしてしまいますと、矛盾が起こってまいります。たとえばいま大気汚染で問題になっている呼吸器系の疾患、たとえばぜんそくなんかは、公害で起こったかそうでないかという区別は、医学的には、現時点では患者を前にして、これが大気汚染原因で起こったぜんそくかそうでないぜんそくかということが、区別できないわけです。だからぜんそくと診断がつけば、そしてそこのある線引きをした中に居住して、暴露条件、居住条件というようなものが満たされれば、これは全部認定するというかっこうにやらざるを得ない。これは医学が進歩してないかどうかは知りませんですが。そうしますと、線引きをもししないとなると、全国にあるぜんそく患者は全部補償の対象にしろということになりかねないので、それはもちろん、ぜんそくのようななおりにくい患者は全部何とか救ってやらなければいけないという問題は別にございますけれども、いまそれをある企業者に責任を負わして補償するというわけにはいかないというので、やはりどうしても線引きというものは必要になってくるのじゃないか。したがいまして私は、線引きは洗い直したり、それを新しい観点で線引きを考え直すということは必要だと思いますけれども、いまここで線引きを全部なくしてしまうというわけにはなかなかいかないんじゃないか、そう考えます。
  76. 坂口力

    ○坂口委員 もう一つだけつけ加えさせていただきますと、先ほどお伺いしました中の一つの問題、時間的な問題がございます。現在は濃度は薄くなっているけれども、以前に非常に濃厚に暴露された、いわゆる時間的な問題がございますが、そのときに線引きが非常にむずかしくなるわけでございます。いずれにしても、線引きをするといたしましても、現在の段階で線引きをするのか、以前にそういうふうなところもあったものも含めてするのか、たいへんむずかしくなるわけでございますが、私どもの立場としましては、たとえ過去のことであったとしても、明らかにそれが大気汚染によって起こった疾病であるならば線引きの中にそのものば含めるべきであるという考え方を持っております。その点についてもう一つ……。
  77. 笠松章

    笠松参考人 同感であります。私の線引きの洗い直すといううちには、そういうことも含めてできればけっこうだと思います。
  78. 坂口力

    ○坂口委員 丸屋先生にもお伺いしたいのですが、これはお昼からお伺いさせていただきます。  これで終わらせていただきます。
  79. 佐野憲治

    佐野委員長 この際、午後一時五十分まで休憩いたします。    午後零時四十九分休憩      ————◇—————    午後二時七分開議
  80. 佐野憲治

    佐野委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。  午前中に引き続き参考人から意見を聴取いたします。  それでは金谷参考人からお願いいたします。
  81. 金谷芳雄

    金谷参考人 東京薬大の金谷でございます。  今日相次いであらわれております公害問題によりまして、人間を取り巻く環境か——いろいろな化学物質の安定性につきまして、これほど大きな注目を浴びているのはいままでになかったのじゃないかと思います。それはいままでばく然とした概念で人間に無害だと考えられていた化学物質の濃度が増大いたしまして、人間を取り巻く環境汚染され、また徐々に体内に取り込まれて、本来無害と思われていたものが、ものによって障害が各所にあらわれた結果ではないかと考えられます。  そこで、人間障害をもたらす有害ないわゆる環境汚染物質というものはどういうふうに言えるかといいますと、一がいに言いかねる面もあろうかと思いますが、しいて申し上げるならば、微量であっても蓄積性が高くて、生物学的に有害な作用を及ぼす物質、または自然界の調和を乱して有害な作用を生ずる物質ということができるのではないかと思います。  ここで、時間の関係も多少ありますので、こちらでは、毎日の暴露量というものが非常に少ない場合でありましても、長期間経過することによりまして、体内に蓄積されて生体内に影響あるいは障害をもたらす慢性毒性というものについて二、三考えたものをお話しさしていただきたいと思います。  慢性毒性といいますのは——その慢性毒性の試験でありますけれども、二種類以上の動物をまず用意いたしまして、その動物にこれから試験をしようとする物質をいろいろな濃度の段階に分けまして、それをその実験動物に与えるわけでありますけれども、その与える期間も非常に長い期間、いわゆる生涯にわたって投与するというようなことを実験いたします。そのときにその実験動物の臓器にいろいろな障害が起こっているかどうかということを病理組織学的に検査を行ないまして、その検査の結果何の障害も認められないという最大無作用レベル、そういうものを判定する試験であるわけです。したがって、この慢性毒性試験は非常に多くの動物を要しますし、また期間的にも非常に、ものによっては二年、三年、もっと長くなる場合もあろうかと思いますが、非常に長期間やらなければならない。  そういうことで、非常に費用がかかるわりには、各段階で、こまかい段階で実験動物を使うことば非常に経済的にもむずかしいわけで、まあ非常にラフな段階になってしまうというようなことで、実験がたいへんなわりにはあまり絶対的なレベルというものが出てこないという場合があろうかと思います。  もう一つ、そこには問題がありまして、いわゆる毒性試験を行ないますときには、毒性試験をする物質がありますが、その物質は、いわゆるその試験をしようとする物質の純粋なものあるいは自然界で多少考えられるような化合物に変形したものということが考えられるわけでありますけれども、実際に自然の状態、いわゆる自然界からといいますか、汚染されたところから取り込まれるいわゆる蓄積されるという状態とは実は条件がかなり違うわけでございます。これは化学物質の性質によって起こるわけでありますけれども、一つ考えられますことは、たとえばPCBのようなものでありますと、非常に水に不溶性のものでありますけれども、いわゆる汚染水域の中にはいわゆる界面活性剤でありますとか、洗剤というものが流れてくるわけでありますが、そうしますと、その活性作用によりまして分散が行なわれる。いわゆる非常に溶けやすくなる状態になるわけでございます。分散が行なわれてくる。そういう状態で魚に吸収をされていきますと——魚自身に非常に吸収されやすい形で、また蓄積されやすい形になってくるということが考えられるわけで、ですから、実際に毒性実験をやる場合とはやや趣が異なっているということが言えるのじゃないかと思います。  そういうことから見ますと、この慢性毒性試験のことでありますけれども、これは何といいますか、絶対的な基準というよりは、これで絶対安全だというよりは、むしろ実験的にきめられた値であって、絶対量といいますか、安全許容限度ではないという、いわゆる個体差というものが考えられますので、そういうことが言えるのじゃないかと思います。  それからもう一つは、動物の生体内におきまして障害作用があらわれるという有害物質でありますけれども、取り込まれる量によりまして、量に比例して障害が起こるというものでは、実は生体の場合にはないわけであります。たとえば三〇%有害物質が吸収されたからといって、障害が三〇%残るということでは決してないわけでありまして、ある限界にきたときに障害があらわれるということは言えると思います。  それともう一つは、動物自体の個体差というものから、一がいに許容限界というものをきめるということは非常にむずかしいということが言えると思います。  それでもう一つ別な観点からしまして、その毒性を示す場合に、蓄積をされていって毒性を示すわけでありますけれども、その蓄積をされていく過程というものを考えてみたいと思います。  その一つの例といたしまして、有害性の金属というものがありますが、その場合にはどういう形で体内に蓄積されていくかということを考えますと、有害金属と言いましても周期率表には非常にたくさんの元素があるわけでありますけれども、その中で人間に必要だと言われている金属と言いますと、ナトリウムとか、カリとかあるいはカルシウムとか、鉄とか、銅とかあるいはマンガンというものがあるわけでありますけれども、そういう中で、マンガンのようなものでありましても、非常に多量になりますと害になるものがある。また場合によりまして砒素というものは非常に有毒な物質だというふうに言われておりますけれども、いわゆる日本薬局方にも亜砒酸という化合物がありますけれども、非常に微量であれば、それがむしろ効果があるというようなこともあります。ただそのことは、結局体内に蓄積されるか、そのまま排せつされるかというところが非常に問題になるわけで、一般にその毒性を調べようとするときには、その蓄積される度合いによって見ることができるのではないかと思います。  一つパターンを考えまして、まずその毒性が起こる場合の要素というものを考えますと、一つには溶解性、そのものが溶けなければならないということがあろうかと思います。一つの例をまたそこで持ちあげますと、たとえば造影剤として用いられております硫酸バリウムというものがあります。そのバリウムイオンというものは非常に有毒なわけでありますけれども、硫酸バリウムを飲みましてもこれは害がないわけであります。というのは、そのものが溶けないからということになろうと思います。  それでだいぶ以前の話でありますけれども、硫酸バリウムのかわりに——かわりにと言うよりも間違って炭酸バリウムを造影剤として与えたことがあるという例を聞いたことがありますけれども、炭酸バリウムそれ自身も水には不溶のものでありますけれども、胃の中には酸がありまして、いわゆる炭酸塩と塩酸と反応していわゆる塩化バリウムというようなものになって、それが結局バリウムイオンを出す、いわゆる溶けてしまうという原因になるわけです。そのために死んでしまったというようなことも聞いております。  たとえば試みにその量的なものを申し上げますと、いわゆるバリウムイオンの中毒症状を起こしますのは大体〇・二から〇・五グラムくらいで中毒症状を起こす。造影剤は二百グラムとかかなり多量のものを飲むわけでありますけれども、硫酸バリウム自身が溶けないということで、そのまま排せつされてしまうということで、害がないということになろうかと思います。そういうことで、毒性を示すためにはまずそのものが溶けるということが一つには必要になることだと思います。  それから溶けたものがその毒性を示すためには、それがそのまま吸収されなければならない。吸収されてその毒性を示している二番目の段階でありますが、吸収されるというのも、一つにはそのまま体内に取り込められるというようなこともありますし、もう一つは、体内のある組織と結合するというようなことも、科学的に結合するというようなこともあろうかと思います。  ここでは具体的な例といいますと特にないのですが、たとえば水酸化アルミニウムゲルというような、いわゆるよく胃の制酸剤として使われることがありますけれども、アルミニウムというのは非常に吸収されないということがよく言われております。ただ、吸収されないわけでありますけれども、水酸化アルミニウムは水にも溶けないものでありますし吸収もされないということですが、ただそこにキレート化合物といいますか、ある種の物質が入りますと、非常に吸収されやすいようないわゆる化合物に変わることがあります。そういう形で、もしアルミニウムのキレート化合物みたいなもので服用したとしますと、それは非常に吸収されてしまうというようなことから、アルミニウムによる中毒というのはいままで考えられておりませんけれども、新たな中毒というものが考えられるのじゃないかと思うわけです。そういうふうに吸収をされて毒性を示すということ。  それから三番目のパターンとしまして、いわゆる蓄積性と排せつということが言えるかと思います。単に飲んだものがそのまま出て排せつされてしまいましたらば、結局急性な毒性以外の場合には、いわゆる慢性毒性というものはあらわれないわけでありますけれども、いわゆる蓄積が行なわれるというところに、いままで、現在いろいろ公害問題ということで騒がれていることが多いのじゃないかと思います。カドミウム、イタイイタイ病のカドミウムなんかも、骨への蓄積ということが考えられています。それが排せつがされないということも、一つそこにあげられる例ではないかと思います。  このように溶解性とそれから吸収性とそれから蓄積と排せつのバランスといいますか、そういうパターンを経まして、生体内において害を示すか示さないかということが言えるわけでありますけれども、いまはたまたま有害金属ということで申し上げましたけれども、これはむしろ有機化合物でももちろんこのようなパターンで考えることができると思います。  また自然界におきましても、そういうこれに似たパターンを考えることができるのではないかと思います。  それでPCBにつきまして実験をやった例がありますので、一つ申し上げますと、PCBそれ自身というのは先ほども申し上げましたように水には不溶性のものでありますけれども、非常に油に溶けやすい。いわゆる脂溶性と申しますが、脂溶性であるということで、PCBを体内に投与いたしまして、それでそのPCBがどういう分布で存在するかということを調べる実験がございます。それはいわゆる全身オートラジオグラフィーというようなやり方でやるわけですが、それは結局PCB自身を、放射性を持ったPCBというものをつくります。その放射性を持ったPCBを実験動物、たとえばネズミにしますと、ネズミに投与するわけでありますけれども、ネズミに投与してから、アセトンドライアイスといいますか、非常に冷たい冷媒の中に入れてしまいます。そうしますと、またたく間に凍ってしまうわけでありますけれども、その凍ったものをかんなみたいなもので削るわけです。そうしますと、スライスされて、だんだん切片が出てくるわけでありますけれども、ところが放射性物質が入っているわけでありますので、放射性物質はむしろフィルムを感光するというような働きを持っております、そのために切片にフィルムを当てておきますと、いわゆる放射性を持っているところだけがフィルムに感光する。そうしますと、その感光したものを現像してみますと、いわゆる皮膚でありますとかあるいは脂肪が非常にたくさんあるところといいますか油脂性の部分、たとえば臓器で申し上げますと皮膚とか脂肪組織であるとかいわゆる肝臓とか副腎とか消化管というようなものに非常に蓄積をされているというのが写真で見ることができるということでも、いわゆるPCBそれ自身は非常に油溶性であるということになろうかと思います。  またPCBそれ自身は油溶性であるということは、逆に考えますと排せつが非常にされにくいということにもつながるわけであります。それはいわゆるわれわれ人間が排せつする過程考えますと、尿かあるいはふん便ということになるわけでありますけれども、いわゆる尿に油がまざってくるということはまずあまり考えられることではありませんので、PCBそれ自身の排せつの姿を見ますと、ほとんどが便であろうということが言えるのじゃないかと思います。そういうことで非常に排せつが緩慢であるということで、蓄積がどんどんされて、思わぬ障害が起こってくるということになろうと思います。  もう一つの実験例を申し上げますと、それは結局いまPCBという話を申し上げたわけでありますけれども、PCBでの実験では実はないわけで、DDTの実験でありますけれども、化合物それ自身というのはDDTとPCBというのは構造は多少違いますけれども、いわゆる有機塩素化合物ということでは類似をしているわけでありますけれども、その汚染の度合いについて将来の予測をしたある研究グループがあるわけであります。その報告によりますと、たとえば一九七〇年に世界におけるDDTの使用量を順次これから減少していくという過程考えますと、部分的には、その部分ではDDTの量というのは非常に少なくなるわけでありますけれども、いわゆる蓄積をされるということとそれから片方ではDDTの使用量が減少するということとは時間的なズレがあるわけでありまして、その時間的なズレが思わぬことを生ずるわけであります。それはDDTの使用を差しとめた状態におきましてもいわゆる魚介類なんかにおきましてのDDTというのはむしろふえてくるということがあるということであります。それは十一年ぐらいのあとがむしろピークになるのだ、だからDDTをとめてからむしろ十一年ぐらいあとにDDTの最高、マキシマムがくるんだということをいっております。その十一年ぐらいたってからは、ピークになってからはだんだん蓄積量というのは減少してくるわけでありますけれども、結局それがもとどおりに、一九七〇年の初めの状態に戻るのにはやはり二十年から三十年ぐらいかかるということが報告されております。現在PCBが非常に問題になって騒がれておりますけれども、化合物としては多少似ているという点、ただDDTのこの報告の条件とは一がいに同じとはいえないわけでありますけれども、こういう報告から考えますと、確かにそういうあとになってそのピークがあらわれるということが予測されるわけでありますので、そういう意味から、こういう対策といいますか、制度をしく場合には、かなり先を見越したあるいは十年とか二十年先を見越した対策が必要じゃないかと考える次第でございます。(拍手)
  82. 佐野憲治

    佐野委員長 どうもありがとうございました。  次に、豊田参考人
  83. 豊田稔

    豊田参考人 一昨日こちらのほうから御連絡をいただきまして、さっそくにおじゃまをいたしました三重県議会に議席をいただいております豊田でございます。私は四日市に住まいをいたしておりまして、御承知のように、昭和三十五年以降四日市公害の問題がたいへん大きく喧伝をされるわけでありますが、ずっと住まいをしております関係で、若干経過をたどってみまして、気のつきました点を申し上げてみたいと思うわけであります。  たしか昭和二十四年ごろだったと思いますが、占領軍の政策から解放されまして、石油精製が自主的に手がけられるということになりましてから数年たちまして、昭和三十年代に入りましてから、旧四日市海軍燃料廠のあと地に石油コンビナートを形成をしようということが方針としてきめられました。四日市には御承知のように、南のほうに第一コンビナート、まん中に第二コンビナート、そして北側に第三コンビナートが形成をされて稼働しておるわけでありますが、昭和三十一年に三菱油化、昭和三十二年に四日市昭和石油が立地をいたしまして、すでに稼働しておりました三菱化成あるいは中部電力三重火力発電所等々と結合いたしまして、四日市の石油コンビナート、いわゆる第一コンビナートが形成をされていくわけでありまして、旧市街地域をまたいでコンビナートが西のほうに伸びていったわけであります。並行しまして、先ほど申し上げました第二コンビナートが、大協石油を中心にして形成をされてまいります。さらに霞ケ浦というところの地先の公有水面の埋め立てを行ないまして、第三コンビナートが立地稼働をしておるわけであります。  御承知のように昭和三十五年に東京築地の中央卸売市場におきまして、伊勢湾の魚はくさい、これから入る伊勢湾の魚については厳重に検査をする必要があるということが発表されました。県の水産課が調査をいたしました結果は、臨海工業地帯の周辺四キロにわたる地域でとれる魚についてはほとんど油のにおいがする、さらに周辺四キロの外周面でも七割程度の魚がくさい、こういうことが発表をされました。魚が買いたたかれるということになってまいりましてから問題がクローズアップされてきたわけであります。  私どもも地元におりましてよく海へ釣りに出かけたわけでありますが、そのころからくさくて食えない、釣ってまいりまして焼いておりますと変なにおいがする、さしみにいたしますと変な油のげっぷが出るというふうなことになってきたわけであります。そうしたして多量の排水中に含まれる油による魚の汚染から出発をいたしまして、騒音とガスの苦情、さらには刺激臭のガスが出る、小学校の休校を余儀なくされるというふうになってくるわけであります。  三十六年に入りますと、市の公害対策委員会が四日市の磯津地区の亜硫酸ガスをチェックいたしましたところ、他の地域の六倍近い数値が出たというふうに報告をしておるわけであります。そういうことで磯津における新しいタイプのぜんそくの問題が表面に出てまいります。  昭和三十七年に入りますと公立病院での無料診断、公害防止の市条例の早期制定、国に対する陳情、こういうことが議会で問題にされます。同年八月になりまして、県立の大学の塩浜病院で公害病患者の検診が開始をされることになります。十二月になりまして初めて亜硫酸ガスの測定器が関係地域に設置をされる。  三十八年に入りますと大量の降下ばいじんによる被害、刺激臭のガスの増大ということにだんだんとエスカレートをしていきます。そして磯津地区の漁民と公害企業との間に、排水口を土のうでふさぐというトラブルが起きてまいります。そしてこのころになりまして第二コンビナートが完成をしていくわけでありますが、ようやくにして政府の関係者が現地四日市を訪れて調査を始める、こういうふうな形になってきております。  昭和三十九年の十月、四日市市議会におきましては、公害原因と診断された患者の治療費の全額負担を早期に実施することを決定いたしまして、市長に要請をしておるわけでありますが、昭格四十年度より公害患者の医療費無料化が進むわけであります。四十年の五月になりますと、第一回公害認定患者十八名が決定をされる、認定が見られるということになります。  四十一年から御承知の昨年結審のありました公害裁判の準備が始まるわけでありまして、七年を経ましてやっと裁判の結果が出てくるということに相なります。そういたしまして、裁判をやったのは九名が五つの企業を相手どって七年越しにやったわけでありますが、そのあと磯津地区の住民百四十名の公害患者による企業を相手にした自主交渉が行なわれまして、裁判とほぼ同水準の補償が得られたというふうなことになります。  現在三重県では、御承知のように協力財団の設置をめぐりまして、先般来患者側と財団側との間にかなり激しいやりとりがありましたし、トラブルがございました。これは協力財団が設置をされましたときの補償の額が最終的に問題にされておるわけでございますが、その前提となる加害者が明らかにされ、当然のこととしてそれらが被害補償救済をするということが明確にならなければならないという前提があっての紛争でございますが、これが現在県、市が入って調整が進められておる、こういうことでございます。  そこで私どもは地方におりまして、まず発生源対策をきびしくやらなければならないということを早くから主張をしておりました。やればできるものをなぜやらないのだということを言っておったわけでありますが、なかなか規制が整ってまいりませんでした。とにかく発生源対策をきびしくやりませんと、公害被害はますます拡大をされていく。とどまるところを知らない。発生源対策をきびしく行ないながら当面被害者の救済に全力を注ぐべしということを主張しておったわけでありますけれども、なかなか市なり県なりという一地方公共団体の立場に立っての問題の取り上げとしては、問題が複雑でございましたし、非常に大きな問題であったわけであります。さらにまた、財政的にも地方自治体はたいへん弱いわけでありまして、十分な対応能力を持ち合わせてはいませんでした。私どもはそのように見ておるわけであります。一日も早く国のほうが発生源対策、環境基準をきびしく整えてもらいたい。そして明確に発生源等の対応ができるように整えたいと思っておりましたし、被害者に対する救済補償措置につきましても四日市が独自に手がけまして、かなりたってから昭和四十四年にそのための特別措置法ができたわけでありますけれども、こういった経過を見ておりますと、国のこの種の対応がきわめて手ぬるい、こういう感じを免れないのであります。たとえば排水中の油分、先ほど申し上げました伊勢湾の油のにおいがする魚を何とか始未をするとしますと、排水中の油分は一PPM以下に規制をしなければだめだというふうにはっきりしておるわけでございますけれども、経済企画庁によります実際の規制は暫定措置として昭和四十一年、異臭魚が出ましてから七年後のことでありますけれども、石油化学は三PPM、石油精製は四PPM、合成ゴムは九PPMというふうな段階にとどまっておったわけであります。これでは防ぎようがないという結果に相なります。昭和四十六年になりまして三重県の独自の条例規制ができました。活性汚泥法という方法を使っての、一PPM以下に規制をするということが出たわけでございまして、四日市で実施をされておるわけでございます。東京の異臭魚事件以来実に十二年目の話であります。このように公害対策が後手後手に回っておるということから、最近争われております、やまれない住民の気持ちとして四大公害裁判がその結論が逐次出てきておるわけであります。さらにまた亜硫酸ガス、ばい煙規制をとってみましても、国の規制値はたいへん手ぬるい数値でございます。しかし最近それらも逐次整備をされてきておりますので、さらに一段とこの規制がきびしく整備をされていきますことを心から期待したいというふうに考えるわけでございます。先ほど若干触れましたけれども、手ぬるい行政ベースではとても自分たちのみずからかかえる問題の始末ができないという公害患者の気持ちざらにまた、それでは拡大をされてくればどうにもならぬじゃないかという、地域住民の支援をする体制が逐次企業に対する抵抗の姿勢を高めてまいりまして、新潟、熊本の水俣病、富山のイタイイタイ病、四日市の公害裁判の結審、そういうことに進んできたのだと思います。結果は御承知のとおりでございますけれども、それぞれ地域ごとに、対象ごとに共通な点もございますけれども、特異点もそれぞれございまして、判決が示されました。将来公害にどう対応するかについて大きな示唆をしておるのだと思います。今日私どもがここに呼ばれまして、公害に係る健康被害救済に関する特別措置法を発展的に公害健康被害補償法に改めていこう、そのために意見を述べてもらいたいということでございまして、まかりこしたわけでありますが、このように新しく改善をされていく、従来は医療補償のみでとどまっておったのが、さらに拡大整備をされようということについては、大いに賛同をしたいところでございますけれども、繰り返すようでございますけれども、公害にかかるいろいろな規制とともに、なぜ救済のこの種の法案がもっと早く整備をされなかったのかというふうな感じがするわけであります。ここで今日皆さん方が御審査をなさっております法案につきましての意見を申し上げたいと思いますが、何せ先ほども申し上げましたように、一昨日の連絡で、きょう出てきて何か意見をというお話でございましたので、なかなか十分に資料を整えて記録を求めるというひまがございませんでした。思いつくままに申し上げますので、この点はひとつお許しを賜わりたいと存じます。  まず、被害者の迅速かつ公正な保護をはかるための諸条件を整備をしていただきたい。これはいろいろなことがあると思いますけれども、患者の側から申し上げますと、どうも市なり県なりへ行ってお願いをすると手続がうるさくてしょうがない、認定をされるまでたいへんいろいろ日数がかかるし、めんどうな手続が要る、こういうふうなことがございますし、さらにまた、かかる病院につきましても、近くにいい病院があります場合にはそう問題はないわけでありますけれども、四日市のぜんそく患者のような状態でありますと、空気清浄器がついてないといけませんし、暖冷房の設備もある程度整っておらないと困りますし、ベッドもきちんとしておらなければなりません。そういうふうな行政上の事務手続上の問題、それからあとで収容される、ないしは通院をする病院の内容整備の問題これは特にお願いを申し上げておきたいと存じます。内容整備と申しましても、器だけがりっぱでありましてもやはり看護婦さんなり担当のお医者さんなりがきちんとおっていただかぬと困るわけでありまして、案をみせていただきますと、病院がそれぞれ指定をされるようでありますけれども、特に公的な病院にはこの種の患者を収容する受け入れ態勢を十分に整えられるように、公的にひとつ御配慮をいただきたいと思う次第でございます。  それから、先ほども問題になっておりますけれども、地域及び疾病の指定の問題でございます。  四日市では、同じ四日市市内といいましても、道路一つ隔てて指定地域と指定外地域の境があります。線路一つ隔てて境がございます。しかも公害対策のための企業の側の投資ないしは公的ないろいろな条件の整備の関係で、地域指定のされておる中身を見てみますと、年次的にやはり変化がございます。先ほど坂口先生からもらい公害という話が出ておりますけれども、これは、四日市の南にあります楠町に隣接をして、公害裁判で有名になりました磯津地区があるわけであります。すぐ隣地でありながら、四日市のほうは地域指定がなされておる。楠は指定がなされていない。しかも第三コンビナートの隣接の地区である。わしらは四日市から公害をもらって、何もしてもらえぬということから、もらい公害の話が出ておるわけでありますけれども、地域指定をいたします際には、環境の変化に十分にそのつど対応ができるように、これはいろいろと変化をするわけでありますから、その変化に応じた判断が的確にそのつどできるという状態を整えていただきたい。これは国のほうでそういう御示唆をいただきますれば県のほうで十分に対応していくであろうというふうに思います。かつて公害激甚地であったところが、最近ではそうではなくなってきている。と同時に、たとえば煙突が高い煙突にかえられて拡散が行なわれ、範囲が拡大をされていく、こういうふうなことがあるわけであります。したがいまして、先ほど黒あるいは灰色、あるいは白というふうにおっしゃったわけでありますけれども、私は、まっ白だと確認できる地域は除外をされるのは当然でありますけれども、少なくとも影響があると思われる地域についてはすべて指定地域として認定をすべきではないか、このように考えるわけでございます。  それから、患者を一人一人お医者さんの診断に従って認定をしていかれるわけでありますけれども、患者個々人の体質にもいろいろと問題があるように思うわけであります。それからお医者さんの判断のしかたにも、お医者さんそれぞれによって判断があるのであろうというふうにも思うわけであります。したがいましてこれらを公平、厳格に、どう取り扱うのが適当なのかは、私は専門ではございませんのでよくわかりませんけれども、少なくともトラブルが起きないような方法をひとつぜひ見つけておいていただきたい、かように思うわけであります。  それから次に補償給付の問題でございますけれども、従来の医療給付からさらに各種拡大をされて給付をしよう、こういうふうになっておるわけでありますが、先ほど触れました四日市の協力基金財団がいま四日市公害患者と対応しております中で問題になっておりますのは、昨年の七月二十四日、公害裁判の結果として出されました給付ないしは補償の額、それから患者の自主交渉によって出てまいりましたその種の水準、これに水準を合わしてもらいたいという希望がたいへんに強いわけであります。県のほうも財団に対してできるだけ水準を合わせるようにという指導をしてきておるわけでありますけれども、各種の裁判でこの種の給付についての一応の水準がそれぞれに出ておるわけでありますから、これよりも見劣りがするということでは、せっかく法を制定をしていただきましても、なかなか住民に期待をされるものには結果としてならない。したがいまして、これらの公害裁判の結果出てまいりました給付の水準とのバランスをひとつ十分に御配慮をいただきたい、かように考える次第でございます。  さらにまた、原案を見せていただきますと、あと整備をしていかれる内容がたいへん多いわけであります。政令によって定めるというふうに記載をされておる部分が多いわけでありまして、中身はよくわかりませんけれども、四日市の県立大学塩浜病院の入院患者の事例を若干申し上げてみたいと思うわけでありますが、先ほど申し上げましたように、四日市が医療費だけをめんどう見ましょうということでスタートをさせました。そして生活のめんどうを見ようというところまでいっていなかったわけでありますが、そういうときの事情を見てみますと、一人前の漁師さんが公害患者として認定をされる。そしてしばしば発作を起こす。しかし、一家のにない手でありますから、そうそう病院に安心をして寝ておられない。かせがなきゃならぬ。漁ができるときにはこのときに魚をとって売っておかなければというせっぱ詰まった気持ちだと思いますけれども、行ってみますと、病院のベッドにいらっしゃらない。どうしたのだということを聞いてみますと、ここで寝ておったのでは生活ができませんという返事が返ってくるわけでありますので、そういうことがないように、公害患者が安心をしてベッドに寝ておれるような生活の補てんまでもやはりしてあげないと、公害患者に対応することがむずかしいのではないか、こういうふうに思うわけであります。  さらにまた財源の問題でございますけれども、発生源が中心的な役割りを果たす、そして国と地方公共団体がそれぞれの分に応じて負担をして事務経費を担当する、こういうことのようであります。しかしながら、公害発生源を持つところ、持たないところ、さらにまたその規模がきわめて大きいところ、小さいところ等、いろいろ状況が異なりますし、御承知のように三割自治といわれるほど地方の財政余力は十分ではございません。試算をする資料がございませんので見当がつかないわけでありますけれども、ところによってはかなり膨大な持ち出しが必要になるのではないか、こういうふうな気がするわけであります。常でさえ弱い地方財政を圧迫することのないように、国の交付金なり助成金なりの配慮をさらにお願いを申し上げておきたいと思う次第でございます。  最後に、昨今の世相にかんがみまして、昔のように食えないという時代ではございませんけれども、諸物価の高騰が相次いでおるわけでありますし、消費の高度化、多様化が進んでいる中にありまして、夫婦共かせぎというのが一般の庶民の生活の実態ではないかというふうに思います。そういう状況でありますから、必要経費は特別に制限をせずに支給されるという内容部分はよろしいわけでありますけれども、絶対額をきめるという部分につきましては年々歳々社会情勢が変化をしていく。勤労者の賃金を見ましても年額一万四千円をこえる賃上げが行なわれるというふうな御時世でございますので、この固定部分についていつまでも見直しをしないというふうなことではなしに、きめこまかく社会的に対応できる水準に常に配慮をしていく、こういうことを最後にお願いを申し上げたいと思う次第でございます。  冒頭申し上げましたように、十分にお話を申し上げる内容整備ができておりませんので、思いつくままに大きく五つほどの問題に区切りましてお願いを申し上げた次第でございますけれども、よろしくお願いを申し上げたいと存じます。以上でございます。(拍手)
  84. 佐野憲治

    佐野委員長 どうもありがとうございました。  次に、白木参考人
  85. 白木博次

    白木参考人 白木でございます。  この委員会に私、これで三度目なんでございますが、したがいまして、そこの総論的なことはもうお話申し上げないつもりで、問題を公害健康被害補償法でございますか、それに限って申し上げたいと思います。それと同時に、これは国民の健康に関する重大な問題でございますので、どうぞ今後委員会がございましたらいつでも呼んでいただきたいと思います。  私、これを拝見いたしまして、時間もないので十分隅から隅まで読むことができませんでしたけれども、ともかく民事裁判というのが非常に時間がかかる。それに対してできるだけ早く対応する、そういう意味でのこの補償法というのは、私は一歩あるいは二歩前進であるということは確かにそのとおりだと思います。しかしながら、私、二点についてやはり同時に考えて、それを同時に並行して進めていただくことをいたしませんと、この法案も結局は生きないのではないかということを感ずるわけでございます。この点につきましては、実は「青と緑」という環境問題を考える総合誌がございまして、私、その編集委員でございますが、その七月号で座談会をやりまして、「四大公害裁判の学際的検討」、何が解決され、どこに問題があるかということを、私が司会いたしまして、東大の刑法の藤木教授、それから都立大学の野村助教授、これは民法でございますが、そのお二人と、それから植物生態学をやっていらっしゃいます東京農工大学の本谷助教授と集まっていただきましてこの問題を検討したことがございます。その中に詳しいことが書いてございますので、御参考にしていただきたいと思うのですが、その中から私、問題点を二つ申し上げたいと思います。  一つは、確かに医療だけでなくて生活補償というような方向のお金が出るというようなことは大きな進歩だとは思っておりますけれども、しかし考えようによりますと、結局は国、地方自治体が半額を負担し、そしてまた企業もその半額を負担するということで、それは前進のように見えるわけでありますけれども、考え方によりますと、結局終身年金とかあるいはそういう生活補償費というものが被害者に得られるということはいいのですけれども、逆に考えますと、被害者が加害企業に一生まるがかえになってしまう、そういうようなことも考えられるわけでありまして、企業が繁栄する限りにおいてはその補償も十分行なわれるけれども、もし企業が繁栄しなければ、結局そういう終身年金というようなものも得られない、こういうようなことになりかねないわけであります。この点につきましては、私どうも疑問があるわけでありまして、うっかりしますと、企業というのはそういうお金を必要経費の中に組み入れてくるというようなことで、考え方によると、金さえ払えばそれで済むんだというようなことになりかねないと私思うわけであります。しかしながら人間の健康がそこなわれる、最悪の場合は死亡するあるいはもとに戻らないからだになってしまうということは、金銭では解決できない面があるわけでありまして、その問題については、やはり加害企業に対する制裁というものは金銭だけでは片づかない問題がある、私はそういうふうに考えるわけでございます。  したがってこの問題は、この補償法とそれから従来行なわれております裁判との関係がどういうふうになるかということについてのきちっとしたイメージなり対応があるかどうかという問題が一つと、私はこの座談会で民法と刑法のお二人にしろうとなりの質問をいたします。四大公害裁判は常に民事訴訟が行なわれてきたけれども、考えようによりますと、これは刑事事件ではないか。それが未必の故意であるにせよあるいはそうでない過失によるものであっても、殺人行為にはかわりはないわけでありますし、あるいはまた傷害罪にもかわりがない。刑事的な要素を持っておるわけでありますが、なぜ一体民事と刑事の合同裁判ができないのか。そうでなければ被害者また原告は、金だけで補償されたんではどうしても気持ちがおさまらないのではだいのかということを申し上げたわけです。ところがお二人の学者の話によりますと、戦争前の日本の裁判というのはむしろそれが合同して行なわれたような形のものであったけれども、戦後ドイツ法から英米法にかわってから二つが分離された。なかなか合同して行なわれない。それは技術的に非常にむずかしいという御発言がございました。  これは私たいへんしろうとでございますけれども、民事というのは疑わしきは罰するという方向でございますし、刑事というのは疑わしきは罰せず、こういう二律背反した思想で行なわれておるので、まずこういう二つのものが合同して行なわれ得ないということになってくるわけでありますが、私は医者と申しますよりも国民の一人として、どうもそれでは納得できないわけであります。どうしても刑事的な責任というもの、これはどんなに補償法がありましても、やはり企業というものに課せられなければ本質的には問題は片づかないのではないのかという気がいたしましてなりません。  ところがいまの刑事裁判ですと、これはまず検察官がそれを取り上げなければならないというようなこと、それから企業というもの全体としてこれを刑事事件に扱えない。刑事事件はあくまで個人であるというようなことと、それからその責任というものを立証していくのに非常に時間がかかって、結局時効になってしまうというようなことから刑事事件になかなかなりにくいということがあるわけでありますが、考えてみますと、法律人間を規制しているというのはおかしな話であって、やはり人間があって法律があるべき性格のものであるといたしますと、こういう矛盾を何とか、法務省かどこか知りませんけれども、同時にこの問題を考えていっていただきたい。そして公害健康被害補償法が進むと同時に——こういうことをやったんでは金だけでは片づかないんだぞ、やはり刑事的な責任を企業に課するんだ、そういう強い姿勢がありませんとまずいんではないか。したがってそういう観点から申しまして、こういう健康被害補償法が進むと同時に、民事と刑事がなぜ一緒にできないのか、そういった問題についての基本的な研究と申しますかあるいは法律改正と申しますか、つまり人間を中心とした法律というものの方向に持っていっていただきたい。そのことを同時に並行して進めていただかなければ、ほんとうの意味で被害者は救われないという気がいたしてなりません。それが一つの柱でございます。  もう一つの問題点は、ここでは確かに前進がありまして、公害保健福祉事業を行なうということになっておりますけれども、今度はそれを供給する立場の医療機関あるいは医療システムあるいは福祉の施設あるいは福祉の方向の対応と申しますか、システムの対応ということを充実しておかなければこの問題は本質的に片づかない。先ほどの参考人からもそういうお話がございましたけれども、やはり病院というものをきちっと整備しなければ対応できない。そこには機械だけでなくてマンパワーも張りつけなければできないんだというお話がございましたが、全くそのとおりであると私は思うわけでございます。  この問題に関しましては、私この前の社労委員会の健保のときにも申し上げたことでございますが、健康保険だけでは問題は片づかない。つまり医学には五つの医学があるということを申し上げました。健康増進、予防医学、それから治療医学、社会復帰医学、まあリハビリテーション医学でございますが、それから社会復帰できない非常に困難な病気医学の終末点と申しますか、そういう難病というものがあるわけでございます。そういう五つの医学に対応できるだけの、あるいは特に難病というような問題になりますと、そこに医学だけでなくて福祉の問題がどうしてもからまってくるわけでありまして、したがって、健保をやるくらいならば医療福祉の基本的な抜本改正ということをもっとやらなければ問題は決して片づかないんだということを申しましたけれども、公害病に対する医療と福祉の対応というものは、当然その中に組み入れて考えていただかなければならない問題でありまして、本質的には医療福祉の基本法というようなものをぜひ内閣なりあるいは政府なりで提案していただいて、そういう大きな受け皿の中でこの問題を考えていくということにしていただきたいとほんとに心から思うわけでございます。  結局、公害病患者さんを医学あるいは福祉の立場から見た場合は、公害で起こってきた医療福祉の状態も公害と無関係に起こってきたいろんな難病的な状態も、その状態図は全く同じでございます。ただそこまでのプロセスが違うわけでありまして、一方では企業によって被害を受けた、そういう終末像は全く同じですが、そのプロセスが違うわけであります。ですから全体としての対応というのは、やはりそういう大きな受け皿の中で対応するという形でないとまずいんではないかと私は思います。そういうものに対しては、ただ企業だけの責任ではない、やはり国なり地方自治体というものがそういう大きな受け皿で対応するということが絶対必要になるわけでありまして、そういうことを考えますと、基本的には医療福祉というものを根本から改正していって、その中で公害方々も大きく受けとめていくという姿勢が絶対必要だろう、そういうふうに私は考えるわけでございます。そういう中で初めて福祉なり病院なりあるいは医療システムなり福祉のシステムなりがこういう公害方々の福祉と医療というものに対して基本的に対応できるわけでございますから、やはりそういう二つの大きな柱ですね。つまり企業の責任というものは刑事責任という立場で追及するということが、どうしてもたれ流しの企業というものを本質的にとめることになるわけですから、金だけの問題ではないという一つの柱と、それからこれは供給者の立場考えまして、基本的にこれを受けとめるそういう福祉と医療の体制というものを同時に進めていく。その中にこの補償法というものをサンドイッチのように間にはさみながら進んでいくということがあって初めてこの法律が意味を持ってくる、そう考えざるを得ないわけでありますので、何とかそういう方向で進めていただきたい。そういう前提、二つの大きな柱の中にはさまれてこの法案が進むということなら私は賛成でございますが、これだけが先行いたしますと、どうもおかしな話だと私思わざると得ないということでございます。  以上簡単でございますが……。(拍手)
  86. 佐野憲治

    佐野委員長 どうもありがとうございます。  以上で参考人からの意見の聴取は終了いたしました。     —————————————
  87. 佐野憲治

    佐野委員長 引き続きまして、参考人に対する質疑の申し出がありますので、順次これを許します。田中覚君。
  88. 田中覚

    ○田中(覚)委員 ただいま伺いました各参考人の御所見、たいへん有益に拝聴いたしたわけでございますが、特に四日市の問題については私もその間当事者の一人でございましたので、格別責任を痛感をいたしておるところでございます。  そこで、伺いたいと思いますことは、白木先生の御所見は過去二回にわたる当委員会での御発言の趣旨と全く同様でございまして、前々から主張しておられる基本がどこにあるかということは私どもにもよく理解できるのでございます。そういう意味から申しますと、この公害保健福祉事業というものがこの法律で予定をしておる事業というものと先生が指摘されるようなものとはだいぶ格差があるのではなかろうかというふうな感じがするわけでございます。この点につきましては、もちろんやり方としては法令の規定ば法令の規定といたしましても、予算上の措置である程度解決をできる問題ではないか、こう考えますが、白木先生はこれを何かこの法律それ自体の問題として修正を必要とするとかいったような趣旨の御発言であったのかどうか、この点をまず第一番にお伺いをいたしたいと思います。
  89. 白木博次

    白木参考人 お答えいたします。  実は時間がなくてすみからすみまで読んでおりませんので、修正を要するとか要しないとかということについては、私申し上げる資格はございません。これはこれなりに一歩も二歩も前進であるということは私認めますが、しかし先ほど申しましたように、二つの柱を同時に進めていただきたい、そういうことを私は強調したつもりでございますので、修正云々ということではないわけであります。ただ、これは少しマイナーなことになるかもしれませんけれども、こういうものに対してまたお金が支払われる場合に、たとえば医療機関、供給者の立場考えますと、おそらくまた書類が違ってくる、それからその金の出どころのフィロソフィーが少し違っているということの中で非常に繁雑なことになるのではなかろうか。事務処理をするだけでもまたたいへんなことになってくる。書類面でもみんな違う。健康保険といってもまたいろいろな種類があるし、それから公費扱いということもあるし、それからこの法案に基づく一つのペイのしかたがある。これが何かバラバラになって出てまいりますと、供給者はかなわぬと思うのです。そういう意味から申しますと、私は医療福祉基本法というものがあって、そういうものが全部ならされていくというような、そういう積極的な前向きの姿勢の中で哲学が一緒ならば、手続とか書類なんか当然同じであるはずだと私は思うわけです。ですから、そういうような点だけを考えましても、やはり医療と福祉の抜本的な改正というものの中でそういう複雑、繁雑な業務がおのずから解消されていくのではないか、そういったような感じがいたします。  それから、私先ほどちょっと申し落しましたことは特定地域指定でございますか、ああいう問題も考え方を——私ちょっと哲学的になりますけれども、人間を中心に考えていただきたいということを申し上げたいのです。特定地域の指定というのはやはり行政的な指定でございますけれども、どこの人間でも人間から発想するならば、その人間がともかく公害によって被害を受けるということであれば、指定地域なんというのはあまり問題にならないわけでありまして、人間からまず考えて、そうしてこの者はこういう病気であってそれはやはり公害関係があるのだということがまず優先してそれからその指定地域なんというものがあとから出てくるのだろうと思うのであります。どうもやはりいままでのものの考え方というのは、まず環境とか地域とか外部とか、そういうものを考えて、それから人間をきめていく。先ほど民事と刑事が同時に行なわれないというのは、人間を中心として考えればそれに対して法律が対応すべきなんですけれども、法律が先行して人間を規定していく、こういう姿勢の中にいままでのあらゆる矛盾が出てきているのではないか、そういうことをつけ加えて申し上げておきたいと思います。   〔委員長退席、小林(信)委員長代理着席〕
  90. 田中覚

    ○田中(覚)委員 いま私が公害保健福祉事業についてお尋ねいたしましたのは、この法案の四十六条の規定が、「都道府県知事又は第四条第三項の政令で定める市の長は、環境庁長官の承認を受けて、指定疾病によりそこなわれた被認定者の健康を回復させ、その回復した健康を保持させ、及び増進させる等被認定者の福祉を増進し、並びに第一種地域又は第二種地域における当該地域に係る指定疾病による被害を予防するために必要な政令で定める公害保健福祉事業を行なうことができる。」こうなっておりまして、白木先生の言われるいわゆる究極的に難病対策といったようなことをやるような施設というものはもっと大規模で、少なくとも国立でやるようなお仕事ではないのかというような感じをちょっと受けたものですから、いまのこの法律の規定でいいますと、なるほど財源調達は公害保健福祉事業については原因者が半分持つ、あとの半分は国と都道府県、こういうことになっておりますが、いま白木参考人のおっしゃったような、そういう大規模な対応施設をつくるということは、この規定による地方自治団体の財政能力ではとてもできないのではないのかというような感じがしたものですから、その辺のところをちょっと伺ったわけでございますけれども……。
  91. 白木博次

    白木参考人 確かにいまの現状の中で三割自治というものが当然のことだというふうに受けとめるならば、それはそれでしかないであろうと思います。しかし、これもやはりそういう意味ではこの法律を改正をしていくということはできないのかもしれませんけれども、三割自治ということ自体が私はいつでもおかしいと思うわけでありまして、外国の例を見ておりましても、常に地方自治体というものが中心であって、大体先進国であれば七割、八割の地方自治体が自治権を持っている、あるいは予算的に見ましても権限を持っている。ですから考えようによりますと「環境庁長官の承認を得て」云々というのはやはり地方自治体というものにベースがあって、それから積み上げていったものが国に行くのだという発想とは逆な感じがいたします。これはしかしそれをいますぐどうこうしろということは私申しませんけれども、ものの考え方の本質が三割だからできないということは、その現状を認めた上での発言になるわけですけれども、そうではなくて私は地方自治体というものが七割、八割の権限を持つことができるならば、そういうことはすべて解消していくわけなんであります。だけれども、それをいまこの法律改正の中でどうこうということは、私、意見としては申し上げられません。
  92. 田中覚

    ○田中(覚)委員 もう一つ伺いたいのですが、この公害病患者認定にあたりまして、午前中伺いましたところでは、主治医の診断というものを基礎にして、つまり主治医を信用してやるべきだ、こういうお話がございました。  この点については、この認定にあたりまして、そういうふうにつまり医師の主観的な判断というものにまつやり方が正しいのか、あるいは国のほうで、指定疾病によってもちろん違うと思いますが、具体的な基準といいますか、そういうようなものをかなり精細にきめてやらなければいけないことになるのか、その辺のところの御意見と、それからもう一つは、一たん認定をいたしましたあと、病状の進展に応じまして、再認定といいますか、そういったことがやはり疾病の実情に即した給付を続けていくという上において必要ではないかと思います。これも疾病によって違うわけでしょうが、どの程度のインターバルで診断、再認定というようなことをやるのが、一体医学的に適当なのか、その辺のところの御意見はいかがでしょう。
  93. 白木博次

    白木参考人 まず、疾病というものはやはり医師でなければ診断できないということははっきりしていると思います。しかしながら、その診断をする場合に、やはり個々の医師の力というものが違う場合があるわけですから、やはり正確な診断基準というものを出さなければならぬ、それに基づいての診断がまず疾病について医師のレベルで行なわれるということは、もう当然のことだろうと思います。  しかしながら、診断と認定ということは、私個人意見では、また別問題だと思っております。  医師は確かに診断できます。これは確実にいまの医学の知識の段階では、これは四日市ぜんそくである、あるいはこれは水俣病であるという診断をつけることはできると思いますけれども、しかし同時に、的確にこれは間違いのない診断だということができない、大いに疑わしいというようなことは、また診断の一つの基準としてあります。それから、どちらともいえないというような、あるいは全然関係ないという四段階くらいの診断はできる、私はこう思うわけです。したがって、それを参考にされて認定を下されるのは、私は行政であるというふうに考えるわけです。  確実な診断というものは、これは問題のない認定になると思います。大いに疑わしい、これもおそらく認定の場合にはそういう病気として扱っていくと思いますが、どちらともなかなか診断がつかないというようなものに対しては、これは医師が認定すべきことではなくてやはり行政が認定すべきことだ、そういうふうに思います。  これは私はかつて精神科の医者をしておりましたので申し上げますが、精神鑑定ということを、精神科の医者の場合よくやらされます。これはあくまで精神科の医師が、その被告がどういう精神状態にあるかということを診断して、裁判長の判断の資料として提供するわけでありまして、それをもとにして裁判官が判断されるわけです。  〔小林(信)委員長代理退席、委員長着席〕  ですから、認定と診断というのは非常によく似ているのではないでしょうか。医師が診断し、そして行政がそれを認定する、そこのところをはっきり分離しないと問題がややこしくなるということだと私は思います。  もう一つ医学というのは万能ではございませんので、やはり知識あるいは経験が重ってくればまたその診断基準を変えなければならない時点が起こってまいります。特に急性から今度は慢性というような問題に移っていって、病気がだんだん質が変わっていくときには、その時点ではその診断基準をやはり改定しなければならないということが起こってまいります。その場合にも、再診断ということになりますから、そしてそれに対して行政が再認定なさる、こういうことではないかと思います。
  94. 田中覚

    ○田中(覚)委員 終わります。
  95. 佐野憲治

    佐野委員長 島本虎三君。
  96. 島本虎三

    ○島本委員 まず、お忙しいのに参考人の皆さん御苦労さまでございました。  ちょっと素朴な質問になりますが、白木先生のほうからまずひとつ見解を承りたいと思います。  先ほど刑事的責任を企業に課することをしないではまずいんだというようないろいろな議論の展開がありまして、私も実はそういうように思うものなんです。先生はこれに対して、この公害健康被害補償法は一歩も二歩も前進した法律案である、そういうふうにおっしゃってもいるわけです。私も確かにそうでなければならないと思っているのです。  四大裁判では、企業の責任がきびしく追及されました。今度これが出ましたから、これは当然被害者を保護するというものでなければならないはずであります。しかしこれも、公害に対して汚染原因者同士で最大限の汚染防止の努力はしなければならない、前提条件としてあたりまえの話であります。それと今度、公害諸規制法がもうできておりますから、それが十分な措置と効果を求められるし、あげなければならない。これが並行してないといけないと思っているのです。しかしこのりっぱな、そして科学的な環境基準というものがぐっと達せられたら、こういう法律は要らないはずなんであります。しかし、もう公害をふやさないための裏打ちが当然必要である、それをまずやらなければならないのじゃなかろうかと思っているのです。それを犯す者はいまのようにして刑事罰が必要だというようなことに当然なりはせぬかと思うのです。  したがって本法は、公害の発生は容認するからその賠償はしなければならないとするならば、加害者保護の法律に転ずるおそれがあるのじゃないか、これを私は心配するわけなんです。先生は一歩も二歩も前進であるということをおっしゃいましたが、私は、これは前進のような装いをこらしながら、結局はその中には加害者の共同防衛的な性格がはっきり置かれるのじゃなかろうか、こういうことを憂えるものであります。  いま私も、思いつき的なことなんですけれども、この点はそうあってはならないことであります。これはあくまでも被害者を保護するためのものでなければならないはずです。これが加害者保護に転ずべきおそれのあるようなことであったら困ると思うのです。先生は何か奥歯にものがはさまったような言い方で、一歩も二歩も前進だと言うのですが、これは逆におそれがあるのじゃないかというように思いますが、この点ひとつ明確に解明してもらいたいと思います。
  97. 白木博次

    白木参考人 たいへんきびしいあれでございまして、私も理論的にはそのとおりだと思います。  しかし、私は医者をやっておりますので、ほんとうからいえば、病気というのはとにかくきちっと予防医学をやればそれは絶滅できるはずなんであります。そういう意味では医者は要らないわけであります。治療医学は要らないわけでありますけれども、私はどんなに厳重な規制法あるいは人知を尽くしてのいろいろな公害汚染防止をやりましても、やはり人知でございますので、必ず被害者は出ると見ているわけでございます。そういう前提に立っての話でございます。  確かにこの法律は、そういうものが出るという前提であるというふうな立場からいいますといまのお話のとおりでありますけれども、私は人間の知恵というものはあさはかであるということを前提に考えておりますので、どんなに汚染防止を厳重にしたとしても、やはり出るものは必ず少数であっても出るであろうというふうに考えざるを得ないわけでございます。そのときにこういう法律があるとないということを考えますと、やはり私はあったほうがいいという意味で申し上げたわけでございます。  それと、やはり過去の被害者もいるわけでございます。そういう者が、まだ認定されておらない者が何人かいるわけです。相当な数があると思います。そういうものはこういう法律によって救われる、そういう現実もひとつ考えなければならぬだろう。そういう意味で一歩でも前進だと申し上げたわけですけれども、本質的なお考えは、私は島本さんのあれに賛成いたします。
  98. 島本虎三

    ○島本委員 したがって、これはほんとうに重要な法律案でありまして、もろ刃の剣のような作用をすることがあってはならないと思います。  それで、地域指定の問題でもいろいろ意見の開陳がございましたが、その中で特に豊田参考人、これはいろいろと御苦労されており、また行政的にもこれらの問題を扱い、苦労もされておられたと承っております。この地域と疾病を指定するということは、線引き外の患者を放置することになることとつながるかどうか、この点経験者としてひとつ御見解を示してもらいたいと思います。
  99. 豊田稔

    豊田参考人 四日市で見ておりますと、地域指定が明確に行なわれております当該地域、それから影響があると思われながらも指定をされていない区域、それからさらに全く影響がないというふうに判断をされる区域の三通りに大別ができるだろうというふうに見ております。ここでまん中に申し上げたところを灰色の地域というふうに考えますならば、その地域も含めて指定をする。そして全く影響がない、白だというふうに明確に判断のできるところだけを除外するという、そういう扱い方をしませんと問題を残すと思います。これはいろいろ論議があるところでありますけれども、私がいままで対応して、いろいろと見せていただいた経過の中ではそのように判断をせざるを得まいというふうに考えております。灰色のところをほうっておきますと取り残される患者がかなりおるだろう、こういうふうに私は推察をしておるわけであります。
  100. 島本虎三

    ○島本委員 ことばが悪いのですが、いわゆる線引きということばを使ったのですが、疾病も地域も指定する。その場合には必ずそこからはずれるものがある。はずれるものは、まあ経験としてこれを拾うのはなかなか困難である。ことにいままで発生しておる地帯であるということが明確であっても、その地域が小さければ指定されないという結果も往々にあったわけです、一定の数にならないで小さければ。しかしその病人としても公害としてもそういうようなものは差別を受けるべき問題ではないと思っておりますが、依然として行政面ではそれがあったようであります。この線引きというもの、地域と病気を指定するという問題については、ほんとうにいままでの経験をもってしても相当これからも困難性が予測されると思うのです。それでいま言った灰色も救済する、そのためには行政的にはどういうふうにしてやったらいいものですか。灰色と思われたからみな救済する、これはことばではできます、簡単なんです。行政的にどういうふうにしたらいいのか、この際ですから、ひとつせっかくとうとい経験をお示し願いたいと思うわけです。
  101. 豊田稔

    豊田参考人 実際に患者がおるということが一つの判断要因にされてきたわけでありますけれども、環境が調査の結果——いわゆる十分な環境条件のチェックがなされないと判断がむずかしいわけでありますけれども、人の住む地域状況がまず判断の対象となって、たとえばSO2の濃度が、いろいろなものさしがあるわけでありますが、この水準以上というところは、もう患者が発生するしないにかかわらず、地域の指定に含めていく、このことが先行していくということであれば、かなり救済ができるんではないだろうか、そういうふうに考えております。患者がおらなければ、あるいは疑わしい人の状況が出なければ地域を指定しないんだということでは、これは救済ができぬだろう、そういうふうに思います。
  102. 島本虎三

    ○島本委員 次に金谷参考人にお伺いいたしますが、DDT、PCBともにピークは十一年後である、こういうような意見の開陳がございました。いろいろ条件は異なるでしょうけれども、対策や制度は先を見越して立てないとだめだというとうとい指示を得たわけでありまして、なるほどそうだということを私自身思います。この公害健康被害補償法というこの法律は、そういうようなものに対処するためにできたものなのでありますが、これだけで終わるものじゃなくて、それは暫定的なものであって、あとは司法裁判によってでも争えるんだ、こういうような方法もあるわけであります。  この十一年後がピークになる、その先を見通した対策ということを具体的に——ただ考えていいんです、これは法律用語がたくさんあってこめんどうくそうございますから考え方でいいんですが、本法に照らしてこういうような点が必要じゃないかというそういう感触でもいいんです、ちょっとお示し願いたいわけです。どうも私どもは活字になれているせいか、そういうような化学的な現象や見通しなんかについて不足なもんですから、この際思いつきでもけっこうですが、本法に照らして不足なものはこういう問題なんだというようなことをちょっとお示し願いたい、こう思います。
  103. 金谷芳雄

    金谷参考人 私も時間があまりありませんで、こまかく見てはおりませんので、一がいにいろいろなこと言えないと思いますけれども、ある面では非常に規制があるといいますか、いわゆる線引きのようなことで規制があるというようなこと自身が一つには問題じゃないのかということ、それは先ほどからいろいろ指摘がありましたので、特に名案というものは浮かびませんが……。  それともう一つは、水質汚染みたいなものというのは非常に複雑なものだろうと思いますし、線を引くこと自身が不可能ではないかというようなことで、そういう面で、何といいましょうか、いわゆる汚染されているもの自身は拡散をされていくわけですので、そういう点の考え方を盛り込まなければならないんじゃないかと私実は考えたわけであります。
  104. 島本虎三

    ○島本委員 この法律の中には四十六という政令委任事項があるんです。少なくとも本法があって、それから本法にきめないで他に法律をもってきめる、あるいは政令に委任する、こういうのがよけいあってはならないと思うのです。それだけに、何か圧力があり過ぎてきめれないからあとできめようとする待避行為にもなる、逃避行為にもなるんじゃなかろうかと思うのです。それと同時に、そういうようなものを残せば残すほど本案の性格が曲がったほうへ持っていかれるおそれがあるのじゃないか、こういうようなことを考えられるわけです。  私どもはそういうような見地から今後十分にこの内容等も注目しておかなければならないと思うのでありますけれども、こういうような四十五も六も別法や政令に委任しなければならないという法律の性格からして、何かこの際思い当たることがありましたら、参考人の皆さんから一言ずつでもけっこうでありますから、ひとつ御高示を賜わっておきたいと思います。まず白木参考人のほうからお願いいたします。
  105. 白木博次

    白木参考人 お答えしますというんですが、ちょっとお答えもできないのですが、やはり私は最初に申し上げたような方向の中で整理をする以外にはないだろう。つまり医療福祉基本法というようなものの中で大きくこの問題と対応していかなければならない。もしこれをどうしても通したいというおつもりなら、これはあくまでも暫定のものであって、やはり基本的には医療と福祉というものの抜本的な問題と、ほんとうにこれはたいへんなことですけれども、まともに取っ組まない限りにおいては、これは手直しではどうにもならない問題ではないか、私はそういうふうに申し上げてきたわけです。ですからそれが同時に並行されて行なわれるというよりもむしろこの問題をほんとうに取り上げればその中にこの問題がすべて解消していくという感じが私にはしているわけなんです。
  106. 豊田稔

    豊田参考人 先ほども申し上げましたように、公害の発生源に対する規制を特にきびしく整備をしていきませんと、基本的には問題を大きく残すと思います。それから、さらにまたそのことと関連をいたしまして、先ほどおっしゃいましたとおり本法の中にかなり明確にされなければならない問題が多いのではないか、こういうふうに思いますので、本席へ御出席の先生方のその点に対する特別の御配慮をお願いを申し上げたいと存ずる次第でございます。
  107. 金谷芳雄

    金谷参考人 まるっきりの専門外でありまして、私にはどうも答弁できないのであります。
  108. 丸屋博

    丸屋参考人 ちょっと話がさかのぼりますが、私は地域で実際に診療しております者として、先ほど来島本先生から線引きの問題が出ておりますので、一言だけ述べさせていただきます。  倉敷市の市独自の認定は医療費救済だけでございますが、水島地域を含めて倉敷全市を指定しております。医師の診断書によって認定をしておるわけでございますが、認定されております五百二名そこに表がございますけれども、五月の段階での五百二名の認定患者のうち、水島、倉敷以外の合併しました地域はたかだか十名ぐらいにしかすぎません。私は、灰色地帯というふうに考えられあるいはそうでないという白に近いというふうに考えられている場所の患者で、公害と関連ありと考えるかいなかということについての医師の良心的な診断に従ってこれは十分であろうというふうに私の経験から考えます。  それからこの法案自体について言いますと、四十二条に補償給付の制限の項がございます。患者の過失により云々は制限をするという項目がありますが、好んで被害を受ける患者はいないだろうと思いますので、こういう項目がこの条文になければいけないのかどうかというのに非常に大きな疑問を持ちます。それからさらに続いて八十七ページですか、「受診命令」というのが百三十七条にありますが、これも削除されてしかるべき項目ではないかというふうに思っております。
  109. 島本虎三

    ○島本委員 どうもありがとうございました。なるほど四十二条、四十三条、その辺には「重大な過失」とか「正当な理由」とかそういうのがございます。十分それを参考に今後検討いたします。どうもありがとうございました。
  110. 佐野憲治

  111. 土井たか子

    ○土井委員 まず長時間貴重なお時間をさいていろいろな御意見を賜わりました参考人の皆さんに御礼を申し上げて、さて、まず東京薬科大学金谷教授にお尋ねをしたいわけでございます。  特にPCBについて慢性毒性の問題などについての御説明を賜わったわけでございますが、私たち、PCBを現に使用しております工場について、数カ所問題になりまして以後も足を運んで実際の調査をいたしております。現にPCBについては使用を禁止いたしておりますといわれる工場に、それならばいまどうなすっていますかと聞きますと、すでに代替品を使っておりますということなんです。具体的に申しますと、山口県の東洋曹達では、KSKを当社では使っておりますというふうなお答えでありますし、また先日、これは世上たいへん問題になりました千葉の千葉ニッコー事件等々で出てまいりましたあの会社においてもダウサムAを使用しているというふうな事実も明るみに出ております。いまお尋ね申し上げたいのは、PCBにかわるところのこれらの代替品を使用している会社に、だいじょうぶだと思って使っていらっしゃるのですかとお伺いしますと、安全性は確認いたしておりますときっぱりお答えになるのですが、どのような方法で確認をなすっておりますかということをさらに追及しますと、その辺から私たち納得できるようなお答えが何らいただけないわけであります。そこでいま私たちとしましては通産省の——しかしこれに対しては許可ということではなしに半ば通産省のほうもよかろうというふうな態度で、これは非常にあいまいな態度なんですけれども、いられるようでありまして、ひとつこの代替品ということによってPCBと同じようなあるいはそれ以上の第二次公害が引き起こされるかもしれないというふうな可能性も考えておかなくてはいけないわけでありますから、少なくともこういう代替品を使用する以前にこれだけのことは必須要件として考えなければならないというところをお示しいただければ幸いだと思います。
  112. 金谷芳雄

    金谷参考人 やはり長い間に蓄積されるようなことが一番問題になろうと思いますし、そういうようなことから短期間にその毒性を云々ということは非常にむずかしいのじゃないかと思います。ですからまるきりないとも言えませんし、必ずあると言えるあれもないわけですけれども、そういういわゆる毒性試験あるいはそれによって起こる催奇性試験、また急性試験、いろいろありますが、そういう試験結果を提出させた上で許可すべきじゃないのかなというふうに私は考えます。
  113. 土井たか子

    ○土井委員 いま金谷先生は提出させた上でとおっしゃいますが、だれがだれに対して提出するのか、ここのところが非常に大事な問題であろうと思いますので、そこに先生なりのお考えがおありになればひとつ具体的にお聞かせいただきたいと思うのです。
  114. 金谷芳雄

    金谷参考人 そちらのほうの系統がどちらのところに行くのか私実はあまりわかりませんで申し上げたわけなんですが、私もばく然といまのことを申し上げましたのは、薬のほうの立場で申し上げたわけで、つまり医薬品の場合ですと厚生省ということになろうと思います。そういうときには、いわゆる医薬品の場合でありますけれども、膨大な資料を提出しなければならないということを聞いております。だからそういうようなところがあるのかどうかということさえ私知りませんので申し上げにくいのですが、先ほどの話は薬のことで申し上げたわけでございます。
  115. 土井たか子

    ○土井委員 同じ問題について白木教授にお考えがおありになれば、ひとつお聞かせいただきたいと思うのです。
  116. 白木博次

    白木参考人 いまの問題専門用語を使いますとテクノロジーアセスメントをやるかやらないかという問題だと思います。ある化学物質を発売するときには必ずテクノロジーアセスメントをやって、それが人体その他に被害を与えないということをやらなければ発売させないというシステムではないかと思いますが、それは日本ではどうなっているのでしょうか。私はそういうような法律がまだ施行されている段階ではないのではないかと思います。ただしこれは私は専門家でないのでわかりませんけれども、私の聞いた範囲では、たとえばアメリカあたりでも四百種類くらいの新しい化学物質が年々出てきそうでありますけれども、それに対して薬と同じような動物実験、急性、慢性毒性実験をやっていくという場合には、それに対応できるのは、アメリカですら十くらいしかないということを聞いております。ですから、日本ですとまあ一か二か三か、そこらであろう。日本のいまのいろいろな体制から申しまして、そういう動物実験をきちっとやっていくというような体制は、おそらくアメリカの十分の一くらいの能力しかないだろう。科学はものすごくどんどん進歩していく、そして新しいものを次々つくり出していく。しかし、それの人体に対するどうこうということをきちっとやるのは、ほんとうにわずかであるというのが現状だと思うのですね。ですから、テクノロジーアセスメントだけでは、私は問題は片づかないというふうに思わざるを得ない。そうしますと、一体どうしたらいいのかということになりますが、無限の進歩というものに歯どめをかける別な哲学がなければだめだということが一つと、それからもう一つの問題は、そういうものがかりに出されるとしてもこれを絶対外に出してはいけないというような、クローズドといいますか、そういうことをやる以外にない。クローズにやりましてもなおかつそのたまった物質をどこに捨てるのかというような問題が出てくる。ですから、非常に問題は深刻だと思うわけです。われわれ医学とか生物をやっておる連中からいわせますと、無限に出てくるものに対応し切れないというのが現実だと思います。
  117. 土井たか子

    ○土井委員 いまのお話、よくわかりましたが、そうむやみやたらにPCBに対しての代替品というふうなものについて、いま慢性毒性の安全性が確かめられないままに使っているということ自身、私はたいへんな問題だと思って考えているわけであります。何とかこれに対しても、いま先生のおっしゃいましたような中身を付加して対策をやはり考えていかなければならない。これは別の問題として、いずれそれは私たちの仕事の中身でひとつはっきりさしていかなければならないと考えております。  さて先ほどから、医師の診断によっての認定というふうなことで、認定の制度に対して基本的に考え直さなければならないというお話を午前中に引き続いて承ってきたわけですが、実は公害病認定申請をもはや臨床医学的にはしなければならないという段階でも、なかなか行政サイドからいうとそれを許してくれていないという事情があっちにもこっちにもございます。たとえば先日あの有明海沿岸の第二熊本研究班による研究報告の結果、あそこで問題になっている十名の方々について、武内教授は臨床医学的には申請をしてよいという段階だと思われるがとおっしゃるのですが、しかし熊本県当局に聞いてみますと、それは認定申請するという条件がない、なぜないかと聞いてみると、地域指定がないと言われる。地域指定になっていないという前提には、やはりあそこを汚染しているところの汚染発生者ですね、汚染を発生せしめている発生源者というものがはっきりまだ認識されていない限りは、あの場所についてこの人がこの汚染をもたらしたものだ、その汚染によってこういう被害が起こっているという因果関係がはっきりされない限りは、地域指定をするわけにはいかないから、したがって認定申請というものはこの場合には当たらないというような御説明を繰り返し繰り返し説明されたわけなんですが、しかしいま考えてみますと、先ほどの、これは医師の診断書によって認定申請をし、認定をしていってよいのじゃないかと言われるところからいうと、この問題はやはり医学的な部面から、あるいは臨床医学的な部面からそうでなければならないとお考えになっても、行政サイドでひっかかりが必ず出てくると思うのですね。したがいまして、その点については、特にやはり移動発生源ということを今回の法律案でも問題にしておりません。移動発生源については午前中いろいろ東京都の事情なんかも含めてお話を実は伺ったわけでありますが、移動発生源というのは、どうもこれはやはり固定していないためにこれが発生源であるというふうなことが言い切れないという特徴をまず持っておりますし、それからさらに具体的にその発生源自身が固定されておりましても、もう一つ申しますと、水質汚濁防止法の施行令なんかでは現に問題のPCBというのが抜けておりまして、これはPCBを対象として網かぶせてないわけですから、そういう点からしますと、法令上の欠陥というふうなことが当然あるというようなことも考えておかなきゃいけない。したがってそういうことも込めまして、今回この地域指定になかなかならないという事情のもとで、この公害病として認定をしなきゃもはや間に合わない、しなきゃならない、そうでないと救えないというふうな事情のときには、一体どうしたらよいかということをどのようにお考えでいらっしゃるかということをひとつお伺いしてみたい気がするんです。いかがでしょう。白木先生にまずお伺いをし、それから丸屋先生、それから経験の中からひとつ豊田議員にもその辺の感想でけっこうでございますから、お考えをお聞かせいただければけっこうだと存じます。
  118. 白木博次

    白木参考人 お答えいたします。  これはもう再々私申し上げてきたとおり、医師がこれは水俣病であると診断したらそれでいいじゃないかと思うんです、どこの地域におろうと。私は、ですから人間から発想してくれということを再々申し上げてきたので、行政の地域とか線引きとか、そんなことは私にとってはどうでもいいことであって、医師が間違いなく水俣病であると診断したらそれでいいんじゃないでしょうか。ただ、その医師が不用意な知識で診断したら困るので、やはりそれは権威のある、ちゃんとした委員会にかけてそして診断したら、それでいいわけです。武内教授が診断されたらそれでいいんじゃないでしょうか。そんな線引きだの指定地域だのというのは、私たち人間の健康をあずかっている者からいえばそれで十分だ、そう思います。ですから、行政が人間を何か規制していくとか、法律人間を規制していくんじゃなくて、人間からすべてものを考えてもらえば、それで済むことだと私は思うんですがね。特に、汚染というものがいまほとんど日本列島全体に広がりつつある中では、日本全体を汚染地域に指定されればいいわけです。過疎地帯はそうではないかもしれませんけれども、私はそういうふうに思うわけですね。というのは、われわれ東京の都民だって、もうみなメチル水銀の髪の毛を持っているわけです。私自身が三PPMを持っております。ですから、これはすぐには出ませんでしょうけれども、いつかは出るかもしれない、そういう考え方に立っていただきたいと思うんですね。
  119. 丸屋博

    丸屋参考人 私は、医師の臨床的な診断で十分であるというふうに思います。認定が行政的な配慮で行なわれるということは、そのことによってふるい落とされる患者のほうがむしろ多くて、医師の過剰診断によって過誤が出るということのほうがはるかに少ないというふうに思います。だから、医師が関連ありと診断することが最重要で、それで十分な論拠だというふうに思います。たとえば水俣病についても同じで、水俣病の病像のわからない医者は、水俣病という診断を盲目的に下すことはありません。水俣病の病像のわかっている先生が水俣病の患者を見て、これは水俣病である、こういうふうに言うわけです。それで十分であると思います。
  120. 豊田稔

    豊田参考人 四日市の大気汚染と若干質的に違いますので、私、四日市におります大気汚染から推測をしてということではたいへん申しわけないと思いますけれども、関連をする事項としましては、やはりいまお二人の先生がおっしゃったように、権威ある先生ないしは先生の集団で判断をされれば、それで私はけっこうではないかというふうに思います。いたずらに、線引き外だから行政的な手が伸べられないということは、これはたいへんお粗末なことではないかと思います。
  121. 土井たか子

    ○土井委員 御意見のほど、よくわかりました。  最後に一問、これは白木先生にお尋ねをしたいわけですが、先ほど白木先生が御意見の中で、医療のみならず生活保障というのが問題になるのは、今回の法律案の中では一つの進歩と見られるけれども、しかしお金の問題で事は片づかない、お金さえ支払えばむしろ済むというふうな企業者の姿勢ですね、そういう加害企業に対して被害者がまるがかえになっていくというふうな状況も、これは懸念される部面であるんじゃなかろうかというふうな御趣旨の御説明がございました。私は、それはまことにそのとおりだと思うんです。実は、もうすでに認定患者さんの中で、そういうふうな今回の法案に対しての意見を出していらっしゃる方もあるわけでありますから、それはもうほんとうに私もそのとおりに思うわけですが、ただしかしそうなってまいりますと、金銭で片づかない部面をそれじゃどういうふうにしていくかというふうなことで、先生がお出しになりましたような従来のような裁判と今回の補償法との関連性というのを考えていって、そして刑事的な要素というものを一つ考えてみる必要があるのじゃなかろうかというふうな点をお出しになりました。  さてそこで、現に現行法としては人の健康に係る公害犯罪の処罰に関する法律というのがございますね。これは一般的にはいわゆる公害罪ということで問題にしていっている法律でありますが、この法律の中身をお考えいただいて、そしてこれじゃ不十分だ、あの法律自身を一つ考え直してみなければならないというふうにお考えになってこういうふうにきょうの御意見を賜わったのか、それともあの法律の活用をもっともっと考えなければならないというふうな意味でお考えをきょうはお述べになったのか、その辺いずれであるかをちょっとお聞かせいただきたいのです。
  122. 白木博次

    白木参考人 お答えしますが、私ここでたいへん申しわけないのですが、不勉強でございまして、その公害罪というのをよくまだ知らないわけなんですが、これは刑事的な意味合いを持っているのか持っていないのか。持っているのでございましょうか。——その場合に、刑事的な意味合いを持っているという場合に、やはり従来の刑事事件のように、法人組織とか会社とか、それをまるがかえで訴えられない。それを刑事事件の対象にすることができるのかできないのか、そこがポイントではないか。従来の刑事のあれでございましたら、個人しかないわけですね。それを立証することが非常にむずかしい。そういう条件がその公害罪の中で十分検討されていなければ、その点をもっと検討しなければならないということではないかと思います。  それと同時に公害罪という場合には、裁判官だけでは問題は片づかない。いろいろな専門家の知恵を動員しないとできないだろう。したがって、外国ではそういうような専門家が委員会の中に入って、その裁判に参画できるというようなことがあると思うのですが、日本ではそういうような法律があるとは思いますけれども、それが十分活用されていないのではないのかということと、それからそういう専門家が、たとえば地位が非常に低いというようなところから、結局発言も十分な資格でできないというような問題もあるのではないか。そういう点を全部含めて、公害罪というものがちゃんと整備されているなら私よろしいと思うのですが、そうでないとすればやはりそれを変えなければいかぬ、こういうことになるかと思います。
  123. 土井たか子

    ○土井委員 その御趣旨のほどは御意見の中にも述べられていたところでありますから、従来の刑法でいうところの犯罪とはこれは別にしまして、事業活動に伴って人の健康にかかわる公害を生じさせる行為に対しての処罰、それからさらに工場または事業場における事業活動に伴って人の健康を害する物質を排出するような行為等々についての問題になっているわけでございますから、したがいまして、先生がきょう個人を、すなわちそれは刑事罰の上では問題にしていかなければならない、個人を対象にするというのじゃだめだというふうな御趣旨のこれは御意見でいらっしゃいましたわけですから、この公害罪、現行法についてこれをしも改正をするという必要をなおかりお考えになっていらっしゃるかどうかというところをちょっとお尋ねしてみたかったわけです。  以上で終わります。
  124. 佐野憲治

    佐野委員長 木下元二君。
  125. 木下元二

    ○木下委員 丸屋参考人にお尋ねいたしますが、本法案におきます補償給付のうち、療養の給付、これは診療方針によりまして大きく左右されることになると思います。現行の公害被害救済法によりましても、健康保険制度におんぶをしておるために医療制度も多々制限を受けておるように聞いております。現行の診療制度の上で、いろいろな問題点があると思いますが、そういったことにつきまして具体的に指摘をしていただきたいと思います。
  126. 丸屋博

    丸屋参考人 現在の健康保険法というのが数多くの制限を持っておるのは御存じのとおりだと思います。実際に診療しておりまして、医師が必要と認めた診療行為に対して、あとでその診療行為が過剰診療であるとか必要でなかった診療であるということで減点をされるということはどこの医療機関でも非常に苦心しているところだと思いますが、今回の公害による健康被害救済というような特別な性格の医療行為については医師が必要と認める行為については全面的にこれを認めてもらいたい。しかも現行の健康保険法による診療報酬単価というのが不当に低くて、患者側からの差額あるいはベッド差額、そういうようなことで、その不当な医療単価を患者側へしわ寄せをしているという現状をこの公害補償法では全面的に改めてもらいたいというふうに思います。  以上です。
  127. 木下元二

    ○木下委員 よくわかりました。  それからこの法案によりますと、障害補償費の額はこれまた政令できめられるということになっておりますが、そのきめ方は、障害程度に応じまして三ないし四のランクに区分されるというようであります。このようなランクのきめ方についてどのように考えられるか、伺いたいと思います。
  128. 丸屋博

    丸屋参考人 私は、基本的には被害者のランクを分けるべきでないというふうに考えます。もしどうしても分けなければいけないことがあれば、できるだけ二つないし三つぐらい、数が少ないほうがいい。たとえば新潟水俣病の場合にはランク分けが死亡者とそれから介護を要する病状の人、そうでない人、こういう三つに分かれているそうですが、そういったこれまでの公害裁判の精神をこの中に織り込んでいただきたいということをお願い申し上げます。
  129. 木下元二

    ○木下委員 その介護を要する者につきましては介護費が加算されることになっておりますが、これは現行法では月額五千円ないし一万円ということのようでありますが、実際にはこの介護費というのはどの程度必要でしょうか。  また、児童補償手当というのがありますけれども、これは慰謝料的なものと考えられますが、この額もまた政令できめられることになっております。児童が健康を奪われるということがいかに重大なことであるかということは申すまでもありません。四日市判決におきます慰謝料は生存者に対しまして二百万ないし三百万でありましたが、これはあまりにも少ないと思うのでありますが、どうでしょう。
  130. 丸屋博

    丸屋参考人 介護費の問題ですが、実際に現行で、入院をして介助者をつける、看護人をつけるということにしますと、大体一日に三千円から四千円ぐらいだと思います。そうしますと、月に十万円ないし十三、三万の介護費が要るというのが市場で行なわれている入院介護の場合の金額であろうというふうに思います。五千円というふうな非常に低い額で、その介護費を払っているためにもう介護料が要らないということにもしこの法令がなるとすれば、島本先生が先ほど指摘されたように、この法案が逆に企業を免罪することになりかねないというふうに思います。  児童の児童手当につきましても同様に、私は、児童が公害疾病によって学業を休み、体育が低下する、あるいはときには進学さえも進級さえもどうなるかわからないというようなこと、相当の額を補償しなければならない、あるいは家庭教師が必要かもしれませんし、たいへんじゃないかというふうに思っております。
  131. 木下元二

    ○木下委員 それからもう一点お尋ねしますが、本法案で給付水準と並んで重要なのは対象地域の指定の問題であります。この本法案によりますと、結局現行の公害被害救済法の指定地域が引き継がれるようでありますが、あるいは若干変わるかもわかりませんけれども、現行の地域指定の問題点は何なのか。これはこれまでの御意見の中で幾らか出ておりますので、特にこの際この点をということがもしありましたらお述べいただきたいと思います。  それからこの地域指定の問題とあわせまして疾病を指定することになっておりますが、これも現行制度のそれが引き継がれるように聞いておりますが、現行のこの問題点はどういうことなのか伺いたいと思います。
  132. 丸屋博

    丸屋参考人 現行の地域指定というのは、大気汚染についていえばずっと以前に厚生省から出ました環境基準によって指定されておるというふうに思いますが、その厚生省から出ました環境基準が、不当に汚染基準濃度が高くて、閾値が高くて健康を害することがあまりにもひどいということが実ははっきりしております。本年五月に環境庁のほうから新しい環境基準が出ましたけれども、この法令が行なわれるときにそういう意味でもう一度、先ほど来各参考人の方の述べられておりますように、黒い地域だけでなくて灰色地域も全部そこに住んで公害に関連がある、あるいは公害によって健康がおかされているというふうに考えられる人を救済できる方法、その地域指定ということを具体的に考えていただきたいというふうに思います。全国的な汚染の洗い直しをなさっていただくか、でなければそれについて大幅な余白部分をできるだけ残して、それを次々にきめていただきたいというふうに思います。  それから指定疾病につきましては、いま第一種の指定については公害四病といわれるものがありますが、午前中の質問にありましたけれども、上気道の疾患について公害に関連のある疾患があらわれれば、これがこの指定の中につけ加わるという可能性を私は指摘したいというふうに思います。現に倉敷市では公害被害地域の小学校児童に結節性声帯炎が多発をしておりますけれども、こういった問題がもっと疫学的にわかれば、直ちにこれを認定の中に加えるという方法を考慮していただきたいというふうに思っております。
  133. 木下元二

    ○木下委員 最近よく起こっております光化学スモッグによる被害補償についてはどのようにお考えでしょうか。
  134. 丸屋博

    丸屋参考人 光化学スモッグの被害についても当然補償されるべきだというふうに思います。認定されるべきだというふうに思います。
  135. 木下元二

    ○木下委員 それから本法案によりますと、先ほど少し触れられたんですが、被害者らの重過失による場合の「補償給付の制限」、それから「補償給付の額についての他原因の参酌」、こういうことを規定いたしておりますが、こうしたことが実際にはあり得ることでしょうか。いかにも被害者の気持ちを踏みにじる規定ではないかと思うのですが、この点についての御意見を聞かしていただきたいと思います。
  136. 丸屋博

    丸屋参考人 私も木下先生と全く同意見で、好きこのんでこの病気になったわけではありません。この病気が、先ほど来指摘されておりますように健康破壊だけでなくて家庭の破壊、生活の破壊等深刻な打撃を及ぼしてくるのは皆さん御存じのとおりだと思います。そういうような中でいろいろな過失がありましたときに、それが補償給付の制限やそのほかの要件にかかわるとして行政側から切り取られるということは、被害者にとっても、私たち患者を見ている者にとってもたえがたいことであると思います。
  137. 木下元二

    ○木下委員 最後にお尋ねいたしますが、これは丸屋参考人だけではなくて、ほかの方々からももしお答えができればいただきたいと思います。  午前中に私は聞いたんですけれども、PPP原則ということを強調されるんですが、この法案によりますと、補償給付費用については一応原因負担ということになっておりますが、公害保健福祉事業、これは一つ救済措置としてつくられる制度だと思うのですが、これについては二分の一を公費負担にして、PPP原則がとられていないということであります。またその事務費は全額公費負担である上に、企業から金を徴収する費用についてさえ公費負担ということになっておるのであります。これについて私が午前中尋ねますと、PPP原則をとっておってもそれは認められるのだ、公費負担ということが認められるのだというお答えがあったのですが、これはPPP原則そのものではないと思うのです、原因負担ということではないわけでありますから。PPP原則の例外としてかな、そういう趣旨だと思うのですけれども、一体こういうような例外を設けるということがどうなのか。特に私は、公害保健福祉事業というものが新しい法案によりますと四十六条一カ条しかありませんけれども、これは非常に重要な役目を果たすべきものだと思うのです。そういたしますと、その費用の半額が公費負担ということになると、これはいかにもPPP原則からはずれておるように思います。そこでそういうことについての御意見を聞かしていただきたいと思います。
  138. 丸屋博

    丸屋参考人 ほかの参考人の先生方も御意見がおありでしょうが、当然この場合もPPP原則が当てはまってしかるべきだというふうに私は思います。すべてのその財源については加害企業負担として、それを地方自治体あるいは被害者から選出され、地方自治体が任命した委員が運営をするという形になるべきだろうと思います。
  139. 白木博次

    白木参考人 お答えいたしますが、PPP原則だけでいった場合に、じゃ国と地方自治体の責任が全くないのかということを考えますと、私は必ずしもそう思わないわけであります。企業だけにしますと、結局企業まるがかえというさっきの私の論理に抵触してくる。それに対しては刑事責任というようなものを同時に発動すれば、その辺は解決するかもしれません。しかしながら、企業だけの責任ではないのであって、その企業のもう一つの背景にあるのは国なり地方自治体でありますから、そういう意味では国あるいは地方自治体がその金額をどういうあれにするかということは別問題として、やはり責任がある以上は負担すべきであるということになるわけですが、逆に考えますと、企業負担ができないから国がそれを肩がわりするというような発想になりますと、これまたおかしいということになりますし、しかしながら、前に私が申し上げましたように、国にも地方自治体にも責任があるはずであるという原則からいえば、当然半額負担——半々がいいかどうかは知りませんけれども、やはり責任がある以上は負担すべきだという原則も出てくるということで、それはものの考え方の哲学の相違になってくるのではないかという感じがいたします。
  140. 佐野憲治

    佐野委員長 坂口力君。
  141. 坂口力

    ○坂口委員 まず丸屋先生にお伺いしたいと思います。  午前中のお話の中で私の聞き違いでなければ、公害地域の学童の健康度、そういったものを見られた場合に、健康度だとかあるいは症状などに質的に異なる点があるということをおっしゃったように思いましたが、もし質的に異なる点がありとすれば、医学上もあるいはまたそれを行政の場において反映させる面からいきましても、問題解決にたいへん大きな意味を持ってくると思うわけであります。その点ひとつもう少しお聞かせいただければと思います。
  142. 丸屋博

    丸屋参考人 実は倉敷の医師会で倉敷市の学童一万名の検診をやりまして、水島の学童が強い健康被害を受けているということがわかりました。倉敷市内のうんと工場から離れたところに比べると非常に病像が多彩で、その差があまりにも明らかであるというふうに思ったわけです。ところで、中国山系のちょうど中腹にあります小さな村で、そこの全学童二百五十名ばかりが健康診断をして、それとの比較をしてみたわけですが、せき、たんというものを主症状とする気管支炎の症状については二百五十名の中で一名しかおりませんでした。倉敷での一万名のうちで、水島の地域では大体一〇%近くの訴えがありました。これはもう推計学的に比較できる範囲の差でありません。この水島の子供たちとそこの中国山系の中腹にある子供たちの気管支の症状に対する訴え数というのは推計処理で処理できる範囲のものでなくて、集団の質がどうも違うのではないかという結論に倉敷医師会はなったわけです。それほどやはり水島あるいは工場をかかえている公害地帯の学童の健康が日常不断の形でおかされているのだということをあらためて思い知らされたということで、午前中に質的に異なっているというふうな発言をいたしました。
  143. 坂口力

    ○坂口委員 次に、金谷参考人にお伺いをしたいと思います。  一つは、きょう薬事的な面から先生いろいろとお話しになりましたが、結局今回のこの法律案の中には薬害あるいは食品公害、騒音、そういったものが対象として含まれていないわけです。これに対して先生はどうお考えになるかということが一点。  それからもう一点は、先ほどの先生のお話にもありましたが、薬というようなものにはいわゆる極量と申しますか、ここまでは限度として使ったらいいという量があります。われわれふだん考えますときにその極量以内だったらいいんじゃないかというように安易に考えがちになりますけれども、先ほどのお話じゃございませんが、積もり積もって使わなくなったDDTの場合なんかには十一年後くらいにそれがピークになってくるというようなことを考えますと、極量内で使っていればいいという考え方もこれは非常におそろしい考え方だというふうに思うわけでございますが、その辺のところのお考えをひとつお伺いをしたい。  この二点をお願いいたします。
  144. 金谷芳雄

    金谷参考人 最初の薬による公害というものも当然考えられるべき筋合いのものではないかと考えます。といいますのは、薬がいわゆる市販されるまでには非常にいろいろな過程を経まして市販されておるわけでありますけれども、製薬会社のお話なんか伺うところによりますと、一つの薬ができるまでに数億円を要するというようなことを聞いたことがありますが、そういう面からしましても、そこでいわゆる認定された状態で、かつまた薬の害があるというようなときには、当然薬の公害というものも認定しなければならないのではないかと私自身は考えます。  それから、その次の極量の問題でありますけれども、日本薬局方に各医薬品のマキシマムが規定されておりますけれども、実はちょっとその辺に問題がありまして、いわゆる単品の薬といいますか、一つだけ入っている薬というのは非常に少ないわけでありまして、多いのになれば十も二十も入っているというような薬が非常に多いかと思います。そういうような場合に、その個々のものの極量の範囲であれば一応よろしいことになるわけでありますけれども、薬同士の相互作用といいますか、相乗作用というようなものから当然薬の公害というものも起こってくるということは考えられるだろうと思います。
  145. 坂口力

    ○坂口委員 そういたしますと、たとえばPCBならPCBというものによる害がある、それ一つだけを追っておりますとさほどでもない結果が出たとしましても、他のもの、たとえば水銀なら水銀というようなものとの相乗作用ということを考えると、今後はさらにおそろしい結果を予想しなければならないということでございましょうか。
  146. 金谷芳雄

    金谷参考人 私もそのように考えます。
  147. 坂口力

    ○坂口委員 白木先生にお願いをしたいと思います。  白木先生のお話、何度か聞かせていただきまして、健康に対するお考え方等も前回お伺いをしたわけでございますが、きょういわゆる人間を中心に考えなければならないというお話を先ほど伺いました。私ども人間中心主義を唱えておるものといたしましてはたいへん感銘が深いお話であったわけでありますが、一つは先生の先ほどのお話の中で公害保健福祉事業のことがちょっと出てまいっております。私も実は先日の健保の討論の中で、単に治療だけに片寄った医学というものはもうそろそろ終止符を打たなければならない段階に来ているのではないか。どうしても先生のおっしゃる健康増進の医学まではいかなくても、もう一つ先の予防医学というものまではどうしても踏まえたものでなければならないのではないかという議論をやったわけでございますが、今回の場合にも、病気になった人だけを対象としてそれを救うという形ではなしに、やはりそれぞれの地域の健康診断等の中から健康被害が予測される者を早くキャッチをしていかなければならない。そういうシステムがやはりこの法律案の中には多少とも織り込まれてしかるべきだという考え方を私は持っておるわけでございますので、その辺のお考えをできましたらお聞かせをいただきたいと思います。
  148. 白木博次

    白木参考人 お答えいたします。  確かに法案提案の前段といいますか前文と申しますか、そういう前書きの項が、一応健康被害を受けて、それを医療と福祉でどう対応するかということだけに限られているという点については、私も確かにそのとおりであって、もっと総論的な哲学があった上でのその一部としての法案であるということを、はっきり提案理由の中に書いていただきたいという気持ちはございますし、坂口先生のお話のとおりだと思います。  私が深刻に考えますのは、いろいろな汚染物質、これは四大汚染物質を考えました。PCB、カドミウム、水銀、BHCというものがあるわけでございますし、それから相手方を考えますと、精子、卵子があって、胎児があって、子供があって、年寄りがいる。そして病気にかかっている人もいればいない人もいる。これの組み合わせを考えますと何千何万あるかわからないわけです。したがって、それの間の相乗作用とか相加作用とか、そういうものまで含めて考えますと、私ははっきり申しまして現在の医学では対応できないと思うわけでございます。われわれの医学というのは、病気から発想してそして健康というものを見ていくという方法論でいままでの医学は進んでまいりましたけれども、それではそういう微量な汚染物質が複合されて、相手側の個体の条件もいろいろ違う中で、その組み合わせでだんだん健康が破壊されて、そして病気になっていく、こういう不顕性医学はいまのところ世界じゅう見てもないわけでございます。ものすごい努力をして一生懸命やれば、百年ぐらいかかればわかると思うのでありますけれども、そういう医学をわれわれは持ち合わせていない。少なくとも私自身は医学者として自信がございません。ですから、そういう問題になりますと私は健康増進でも予防医学でもないと申し上げるので、しいて言えば政治的医学と申しますか、あるいは行政的医学と申しますか、それしかないのだ。それは結局は汚染源を断ってくれ、もうそれしかない。いまから医学が一生懸命努力しまして、健康から不健康へ行くという道筋をわれわれは一生懸命やりますけれども、それはまだまだ五十年、百年かかるわけなんです。ですから私はこの前、健保のときに申しました、第一から第五の医学でも対応できないのだ、だからやはりいまは健康というものから発想して、政治というものあるいは行政というものに変えてもらう以外にない、とりあえずの処置というのは汚染源をとめるしかないのだということを、この前の二回の委員会を通じて申し上げたのですが、そういう総論があった上でのこの法案にすぎないということは、いまここでもう一回はっきり確認しておきたいと思います。
  149. 坂口力

    ○坂口委員 ありがとうございました。  豊田参考人にひとつお願いをいたします。実は公害保健福祉事業に関係してのことでございますが、豊田先生おわかりいただいておればお答えをいただきたいと思うのですが、四日市の子供さんの場合にいわゆる小児ぜんそく、四日市ぜんそくと申しますか、それが非常に多い。そのお子さんを一カ所に集めて、そして治療と教育等を行なうために県立一志病院というのがございまして、そこに若アユ教室というものをやっておみえになると思うのですが、やはりそれもこの公害保健福祉事業というような範疇の中で考え得る一つのものだと思います。現在までの経過の中でうまくいきにくいというような点、あるいはいろいろ問題があるということも私は聞いておるわけでございますが、その点もしもわかっておりましたら、何かこういうふうな点ができにくい、こういうふうな点をこの法律の中に取り入れたらどうだろうかという点がありましたら、ひとつお教えをいただきたいと思います。
  150. 豊田稔

    豊田参考人 若アユ教室の一番問題になります点は、やはり医療の関係と同じように設備と人の問題がまだ不十分だという点に欠陥があると思います。御承知かもわかりませんが、入っております子供の数がかなり少ないという問題があります。そうしますと、きちんと整った教育を受けにくいという問題が出てまいります。教育と治療の両面にわたりまして内容が不十分だという問題が、まあかいつまんだ形で言われておるわけでありますが、その辺をどう充実をさせるかということになりますと、なかなかいろいろ論議がありましてむずかしいわけでありますけれども、親が安心してそこにゆだねられるという確信がつくまで、きちんとした整備を整えていきませんと、ほんとうに活用をしようという家庭の側の判断が整わないというふうに思います。その辺が一番問題ではないか、こういうふうに見ておるわけであります。
  151. 坂口力

    ○坂口委員 そういたしますと、公害保健福祉事業のような形でああいうふうな施設に対して手を差し伸べることができれば、もう少しみんなが安心をして子供を預けることができるものになり得る、こういうことでございますでしょうか。現在の段階は県の一つの施設としてすべてが行なわれているのでしょうか、それとも何かほかのもう少したとえば財団ですとかあるいは他の法人というようなところからの援助のもとに行なわれているものなんでしょうか。その辺のところもちょっとお伺いいたします。
  152. 豊田稔

    豊田参考人 私の記憶では県が全部持ちまして運営をしておるというふうに記憶しております。
  153. 坂口力

    ○坂口委員 それから先ほどの豊田参考人のお話の中に、四日市の場合にもいろいろの問題が起こってから国が手がけるまでにたいへん長い時間がかかったというお話がございました。これはなぜそんなにかかったかということについて、私のほうが聞くのはたいへんおかしな話で、そんなことを聞いたら、そちらがぼやぼやしているじゃないかと言われたらそれまでの話なんですけれども、私はまだこの委員会に属さしていただいてから半年しかたってないわけですが、非常に熱心にこの議論というのは繰り返されております。私もここに参りますまでは、こんなに熱心な場所であるとは思っていなかったんですが、たいへん熱心に議論が繰り返される。ところが実際の政治という場でそれだけ変化をしていくかといいますと、そうもなかなかいきにくい面が確かにございます。こちらはこちら側の体制の問題がございますが、公害をかかえた地域からごらんになって、特に国の側に、こういうところをもっと変えていかなければならないのじゃないか、こういう点がおそくしているおもな原因ではないかというふうな点で御指摘をいただくことがあれば、この際していただきたいと思います。
  154. 豊田稔

    豊田参考人 私はよく申し上げるのでありますが、現在の日本の政治を担当する君たちが、きわめて保守的な姿勢が強過ぎるのではないかということをよく申し上げておるわけであります。戦後荒廃をした産業復興に急ぐあまり、経済が特に重視をされてきた。この中で地方公共団体あるいは地域住民の気持ちといたしましても、そのことにあまり急過ぎたという気持ちがあります。そして結果がどう出てくるのであろうかということを検討しておるひまもなかったのではないか、こういうふうに思うわけであります。四日市の場合を見ましても、企業を誘致をする段階では、全市あげて、さあ、どうぞということになっておりました。そして用地買収に特に功労のあった人については、その人を表彰までしたという経過がございます。しかし、今日では全くたいへんなことになってしまったという後悔が出てきておるわけでありますけれども、経済的なベースが先にどんどんと膨張をしていきまして、それに対して勤労者を中心として地域住民がようやく企業活動についていっている。たいへんおこがましい言い方を申し上げれば、そのあとを追って政治が動いているという印象が、四日市公害をずっと見てきた経験ではいたしてならないわけであります。この辺でやはり政治をつかさどる者たちの頭の切りかえがかなり急角度に行なわれませんと、この種の後悔はまだ続くのではないかというふうに私は皆さん方にお話を申し上げておるわけであります。そういうことで経済がとにもかくにもということが強過ぎました勢いがまだおさまっておらぬのではないか。  もう一つは、やはり行政の仕組みの問題があろうかと思います。国のほうで公害の問題に一々現場に出てタッチをしておられない。したがって、政府機関におきましては、現実の問題としてそれに直接的にかかわり合いをしておられない。それが対策が後手後手に回ったかっこうではないかというふうに思うわけであります。  端的に申し上げまして、医療給付の問題にいたしましても、四日市市が手がけて、そのかなりあとで国が制度をつくられる、こういうふうな形でございました。それから先ほども申し上げましたように、排水の油による汚染の問題につきましても、規制値はまだ県のほうが先行をしている。SO2といいますか、亜硫酸ガスの問題につきましても、三重県では〇・〇一七PPMにしようという計画がすでに終わっておるわけでありまして、当面〇・〇二ということでがんばっておるわけであります。ところが、全国規模ではそういうことがまだ進んでいない、こういう状況にございます。〇・〇一七PPMというのが閾濃度だというふうにいわれておりました。それ以下に下げなければ被害者はまだ出てくる、こういう判断から三重県としては鋭意努力をいたしておるところでございますし、線引きの問題に関連をいたしましても、やはりそういった数値が基本になりましての判断が出てくるということでなければ、なかなか適切な処置はむずかしいのではないか、こういうふうに判断をいたしておるわけでありまして、あらゆる面にわたりまして公害経過をずっと追って見ておりますと、やはり国における施策をもっと大胆に進めていただかなければならないのではないか、こういう気がいたします。
  155. 坂口力

    ○坂口委員 ありがとうございました。終わります。
  156. 佐野憲治

    佐野委員長 小宮武喜君。
  157. 小宮武喜

    ○小宮委員 参考人方々に、時間がございませんから一問ずついたします。  まず、白木参考人にお尋ねしますが、この被害補償法案によりますと、慰謝料に対する規定が全然ございません。特に水質系汚濁の場合は、汚染者がはっきりすればその汚染者との間の問題として解決できる道もありますけれども、大気汚染の場合は特に複合汚染というのが非常に強いわけですが、その意味でこの法案には慰謝料の規定というものは何ら明示されておりません。一応中公審の答申を見ますと、ある程度その要素を加味した、こういうふうにいっておりますけれども、どこにどれだけ加味したのか、これははっきりしておりません。したがいまして、私は慰謝料の問題をこの法案の中に明示すべきではないのかというふうに考えますが、先生のお考えはどうでしょうか。
  158. 白木博次

    白木参考人 ちょっと、よく考えがまとまらないのでございますけれども、これは健康被害補償費ということになりますが、その健康被害に関しての慰謝料ということでございましょうか。
  159. 小宮武喜

    ○小宮委員 精神的な損害に対するものですね。
  160. 白木博次

    白木参考人 そうですね。ほかの公害のいろいろな規定の中でそういう慰謝料を支払うというような問題が解決されているなら別問題として、それが全くないということであるならば、確かにその精神的な慰謝料と申しますかそういうものはどこかで入れられていいと思いますけれども、これがこの法案の中に入ったほうがいいかどうか、あるいはそのほかの法律の中に入れたほうがいいかどうか、その辺は、私、ちょっと何とも言えないわけですけれども、当然そういう面は考慮されていいのではないかと思います。
  161. 小宮武喜

    ○小宮委員 この問題は非常にあいまいもことされておりますので、たとえば行政訴訟を起こす場合にもやはりこの問題がいろいろな紛糾を巻き起こす原因になると思うのです。その意味では、これは健康被害補償法案ですから、精神的な損害も当然この中には入るべきだというように考えます。その意味では、私はやはりこの中に明らかに明記しておかなければ、かえっていろいろなトラブルが起きるのではないかというようにも考えますし、ただ補償費の中に、やれ、労災の六〇%を八〇%にした、その二〇%が慰謝料の要素だといってみても、やはりこれは、それでは慰謝料というものをどの程度、社会通念上考えておられるのかというふうないろいろな問題に発展します。そういうような意味で、私自身はこの法律の中にやはり被害者を救済するためには明記すべきだという考え方に立っております。  それについては、いま先生の御答弁で大体わかりましたけれども、一体慰謝料というのは、これは何もものさしもないし、ものさしではかることはなかなかむずかしいわけですけれども、社会通念上慰謝料というものは大体どういうような基準になっておるのか。そういうようなものさしは、皆さん方がいろいろな判例と、いろいろな、たとえば四日市公害判決あたりを見て、慰謝料というものの程度がどの程度なのか、そういった判例あたりによって、何かの、基準とまでいかなくても、社会通念上慰謝料というものはこれくらいだとか、この程度だとか、そういうようなものは何かないですか。その点、白木先生、どうですか。
  162. 白木博次

    白木参考人 私は神経病理という基礎医学をやっているものですから、その点になりますと、ちょっと何ともお答えできない。判例など見たことはございませんし、社会的通念としての慰謝料という問題についても全くわかりません。しかしながら、私、精神医学をやっていたことがございますので、肉体的な障害度ということだけでは問題は片づかない。つまり、病める者というのはいつでもやはり精神的な苦痛というものをそこに伴っているわけです。ノイローゼ的な要素は必ず持っている。それが別なことばでいえば精神身体医学というような問題ともからまる問題であって、決して精神的な問題と肉体的な問題と切り離せない。この障害度というものは主として身体的な方面からの障害度でございましょうけれども、精神的な——肉体的に病むということは精神を病むということの同意語であるとするならば、それは当然やはり、それが慰謝料という名前で呼ばるべきか、あるいは精神的な公害というような意味合いで含まれて呼ばるべきかは別問題として、そういうことは当然医者立場からいって入っていいことではないか。ただ、それをどういうふうな算定をするかという問題になりますと、これはちょっとむずかしくて私も何とも言えないと思いますが、理論的には当然そういうことはあってしかるべきであろうということは、精神医学をやった経験から申しますと言えることのように思います。
  163. 小宮武喜

    ○小宮委員 それでは、この財源負担について先ほど話が出ましたけれども、公害保健福祉事業に公費負担を半分導入したということについての供述は先ほどありましたから、これは省略しますが、この賦課金について、これは固定発生源の場合はわりあいとらまえやすいわけですが、これも移動発生源に対する賦課金の場合に、いま考えられておるのは、これはこの法律案にも「別に法律で定めるところにより」ということになっておりますが、その場合に自動車重量税の一部を充てるのか、それともいま言う原燃料賦課方式にするのか、いわゆる製油業者から賦課金をとるのか、この点はまだまだ、「別に法律で定める」ということになっておりますが、考え方としては、これは私ちょっと午前中質問をやめて向こうの社労の理事会へ行ったものですから、質問を残したのですが、この点についてどちらをとったほうが適確であり適正であり公平であるのか。その点、いろいろこれは今後の法律の中で定めますけれども、御参考までに、自動車重量税の一部を充てたほうがいいのか、それとも原燃料賦課方式を用いたほうがいいのか、もし御意見があれば、金谷参考人か、それとも皆さん方の中でお考えのある方からでけっこうですから、ひとつ参考意見を聞かしてください。
  164. 金谷芳雄

    金谷参考人 意見はありません。
  165. 小宮武喜

    ○小宮委員 ないようですな。いいです。  それでは、これは豊田参考人にお伺いします。この補償費について、いまの法律案によりますと、これは全労働者の性別、年齢別、階級別の平均賃金の八〇%というふうになっているんですね。そうしますと、これはもちろん八〇%というのはもうこれは大体問題になりませんし、これはやっぱり当然と思います。その場合、私、全労働者の性別、年齢別ということになりますと、大気汚染というのは、これは東京にしても川崎にしても水島にしても四日市にしても、かなりやはり大都市またはそれに準ずる都市で発生しておるのがもう特異的な現象なんですね。そうしますとこの平均というのは、そういった東京なら東京都の労働者の平均賃金をとった場合、川崎なら川崎の労働者の平均値をとった場合は、全労働者の平均ということになると、私は低下するのではないか、低くなってくるのではないかという心配をするのです。だから私の考え方は、こういうような被害者が出た場合には、たとえば東京にしても川崎にしても水島にしても、その個人個人の平均賃金の一〇〇%という算定をすべきではないのか。そうしなければ全労働者の平均賃金ということになると、たとえば高いところの人は平均値、下がってくる。そういうふうなことになりますと、これは非常に問題出てきますので、私はやはりたとえば川崎なら川崎、東京なら東京、横浜なら横浜のどこに住んでおろうと、その個人のいままで働いておる平均賃金というものの一〇〇%をすべきだという考え方を持つのですが、豊田参考人のひとつ御意見を聞きたいと思います。
  166. 豊田稔

    豊田参考人 将来のことを考えてみますと、たいへんむずかしいことだとは思いますけれども、私は基本的にはいま先生がおっしゃいましたことを基本にして考えなければならないと思います。
  167. 小宮武喜

    ○小宮委員 それではこれは現在でも各地方自治体でそれぞれ公害患者に対する救済事業を行なっているわけですね。もしこの法律が通ることになりますと、やはりこの制度の中に吸収されるようなことに、大体中公審の答申はそうなっているわけですから、そういうふうな意味では、もしこの制度と各地方自治体が現在行なっておる救済事業との間で、国の法律に吸収されることによってその条件が低下するということになるとたいへんだと思うのです。そういうような意味ではそれぞれの各地方自治体が持っておる特色というものはいろいろありますから、本法律の問題と各地方自治体がそれぞれ行なっておる救済事業との関係についてはどのように考えておられますか、これは丸屋先生からひとつ御答弁を願います。
  168. 丸屋博

    丸屋参考人 私はほかの地域の具体的な救済方法というものを実はよく知りません。たとえば倉敷におきましては医療費の自己負担部分を救済するということになっております。もし国の適用を受けて、倉敷で認定をされた患者が国の認定を受けられないということになりますと、非常に困ったことになるわけですが、そういう意味では各地方自治体の持っております救済方法を絶対に下回らないようにしていただきたい、こういうことをお願いしたいと思います。
  169. 小宮武喜

    ○小宮委員 これで終わります。
  170. 佐野憲治

    佐野委員長 小林信一君。
  171. 小林信一

    ○小林(信)委員 たいへんおそくなって申しわけありませんが、少しお願いしたいと思います。  白木参考人お願いいたしますが、第二十二条に「公害医療機関の診療方針及び診療報酬は、環境庁長官が中央公害対策審議会の意見をきいて定めるところによる。」診療方針とか診療報酬、こういうものは特にこの法案に該当するものに別に考慮されるような——いまから中央公害対策審議会の意見というのはどういうふうに出てくるかわかりませんが、それに対してわれわれはほんとうに無知なものですから、先生にまずこの点はこうでなければならぬという基本的なものがありましたら聞かしていただきたいと思います。
  172. 白木博次

    白木参考人 公害と申しましてもみないろいろな種類がございますし、地域によってみな状況が違うわけで、国がきめて、そしてその地域に流すというよりも、筋からいえば地域でこれが一番最善の医療である、最善の設備が必要であるというもの、そういうものを環境庁が無理の範囲でないものは全面的に認めるというのが筋だろうと思うのですね。こちらがきめて下に押しつけるという方式をとるべきではない。そういう二十何条でございますか、それが上から下へというような方向であったならばこれはおかしいので、下から上へという方向で、上がそれを認めていくという方向にぜひしていただかないと、みな地域によっての、その現場のお医者さんなり現場の福祉の方が一番それをよく知っておるはずでありますから、そういう方式をとっていただきたい、そういうふうに私は考えます。  その法律が、もしそれに適当でない字句があるならば、それは訂正すべきだろうと思います。
  173. 小林信一

    ○小林(信)委員 その方針のほうは私も理解できるのですが、その診療方針というものは、特に公害医療問題では問題になるのかどうか、その点をできたら……。
  174. 白木博次

    白木参考人 その診療方針をきめるときの委員会のその組み方だと思いますけれども、ぜひその現場のお医者さんとかそういう者を入れて、そしてそこできめていく、そういう方式をとっていただきたい。現場を知らないお医者さんがその委員になって、そこでものがきまるというのは実情に即さないだろう。ですから、きめるその委員会の方式の問題の中で、必ず現場の人をきちっと入れてやっていくのだという方針をとれば、そういう治療方針というものはおのずからきまってくるのではないかと思います。
  175. 小林信一

    ○小林(信)委員 逐条的にお伺いしたい点がたくさんあるのですが、時間がございませんから、この際少し法案からはずれるかもしれませんが、どなたでもけっこうですが、実は先日有明海の沿岸を視察をしましたときに、ある漁師が、私たちは熊本大学の武内教授のあの医療調査班、あの人たちに診察をさせなければよかったのだ、つまりそういうものが発見されなければおれたちの漁業というものは従来どおりにやれたんだ、全くいま後悔しております、これは生きるという面から出たことばだと思うのですが、そういう中でこの患者をさがして診察をしたということは、おそらく非常に至難なことだったと思います。しかしよくその点は、地域の人たちの最初協力が得られたから有明海沿岸の水俣病に類するものが発見をできたわけでありますが、私はそのときに、あの調査班が見つけた人たちが全部であるかどうか。きょうも午前中菱田参考人からですか、いま公害病にかかったからといって、その人がいまかかったんじゃない、ずいぶん前からそういう有毒物質がからだの中に入って蓄積をされて、一つの病状というものがあらわれたのだ、DDTがそのピークをあらわすときは大体十一年だというふうなお話がありましたね。OECDから公害局長が日本へ来ましたときに、この委員会でもそういう話を聞いたのですが、PCBは二十五年後が最もそのピーク時である。私どもこういう一応知識をもってあの有明海の問題を見たときに、あの周辺にある水銀を廃棄する工場のものが、あれだけの人たち被害を及ぼしておるのではなくて、あの人たちは相当以前から蓄積されたものが一つ症状としてあらわれたので、まだこれからあそこの魚を食べていく人たちにはどんどん蓄積をされて、同じような病状というものがこれから順次出てくるのじゃないか、私はこんな心配をしたわけです。だから熊本大学の医療調査班に発見をされた人たちだけではない。だからそこでも話が出ましたが、熊本としてはこの際この有明海沿岸全域の、健康な人でも身体検査を、健康診断をすることが最も急務であるというような話を聞いたのですが、私はあれだけが有明海から影響を受けた被害者ではないような気がするのですが、先生方はどういうふうにお考えになりますか。白木先生、そのほかの先生ずっとお願いしたいと思います。
  176. 白木博次

    白木参考人 この問題につきましては、私この前の委員会でだいぶ意見を述べておりますものの繰り返しになるかもしれませんけれども、私はこの前に申し上げた場合には、有明海はさておき水俣湾、あそこは非常に魚の汚染度が高いわけでありまして、マグロ並みの水銀を持っておるわけですが、武内教授もすでに指摘しておられますように、あの沿岸の中では新しい患者が少しずつぼつぼつ出ている、これは非常に重要視しなければならないのだということを申し上げたわけであります。同じようなことが有明海にあるかどうかということは、これはやはり調査しなければわからないことだと思います。  それから、武内教授があれを出したためにおれたちは被害を受けている、見てもらわないほうがよかったのだというような発言は、これは私こんなふうに受け取りたいと思うわけです。  武内教授はやはり一番漁師の健康を心配されたわけですね。ですからそういうのを発表し、そしてまず何かが起こるとすれば、そういう一番魚をたくさん食べる漁師に起こるわけであるから、したがってその健康をまずチェックしなければならないのだというお気持ちが強くあったわけですね。しかしああいう発表があった段階では、やはり魚が売れなくなる、そういう切実な漁師たちの気持ちがあるわけですから、それに対してはやはり行政なり政治がぴしっと対応していただかなければならないわけです。やはり売れなくなれば、それはそれだけの補償というものをびしっと出していただく。貸し付け金というのはちょっと私はおかしいと思うので、やはり即刻政府がそういうものに対して補償をするということがぴしっと出ておれば、今度は安んじて皆さんが身体検査を受けるという気持ちにもなると思うわけです。  私は数週間前にも水俣に参りましたけれども、熊本大学の先生方と水俣の家庭に行きますと、患者さんたちは非常に礼儀正しく、そしてすなおに見せていただけるわけです。それは長年かかって水俣地区で熊本大学の先生方が非常に献身的にやっておられる、そういうことが患者に通じておるわけなんで、そういうことが起こってくるわけです。それが有明の場合には、まだそこにいきますまでの段階を幾つか経ないとそういう状態が起こってこないのではないか、そう思うのです。この場合には、ですから武内教授もいつも、この前の委員会のときも強調しておられましたけれども、ぜひ行政がそういう意味での補償というものをぴしっと手を打っていただく、そうすれば、私たちは安んじてできるのだということを言っておられました。こういう問題については、ですから行政の迅速な手が打たれるということが非常に重要であるということです。  それからもちろんいま御指摘のように、健康な住民を含めて有明海沿岸を全部調べなければならないということは当然だし、熊本大学の先生方もそれを考えておられると思います。ですが、これはこの前の席上でも私申し上げましたけれども、そのマンパワーというものを確保することがどんなにたいへんなことか。つまり大学というものは何も水俣だけの研究をしているわけではございません。講義もしなければならぬ、それから教授会もやらなければいけない、それから日常の診療活動もしなければならない、研究もしなければならない、そのかたわらその調査をしなければならないわけですね。  それに対して、公的医療機関というものに対して十分な人員配置というものが日本は行なわれていないわけです。私はもう一回この数値をあげますけれども、アメリカであれば一ベッドに対する従業員というものは、医者を含めて六人確保されております。それに対してヨーロッパあたりでも一ベッドに対して三人ないし三人の従業員がおります。日本はどうかと申しますと、一番それでもいいといわれております東大が一対一・三でございます。しかも公務員の首切りが行なわれている段階では、いまもっとその数が減っているわけですね。熊本大学ですとおそらく一対一か一対一・〇を切っているのではないか。厚生省の病院にしましても〇・四である。こういうようなことで、その日常の診療、研究、教育等をやりながらなおかつこの問題をやっていかなければならない、その現場の人たちの、医療供給者の気持ちというものがどうも伝わらないわけですね。これは繰り返し私いろいろな委員会で申してまいりましたけれども、そういうことであります。  ですから、もちろん熊本大学だけではなくて、九州地区の四大学が、その専門家が全部集まってこの診断をしていく、健康チェックをやっていくという基本方針は出たと思います。でもこれは非常に苦痛ですね。日常活動もしなければいけないし、そういう問題もやらなければいけない。そういう苦しい実情にあるということをこの際ここではっきり確認していただきたい。ですから、私が冒頭に申し上げました医療福祉基本法というものをほんとうにやって、公的医療機関はどうあるべきかということをほんとうに基本的にやらないとこの問題は片づかないよということを申し上げたのは、そういう意味も含めてでございます。
  177. 小林信一

    ○小林(信)委員 ほかの先生にも同じような意見がお聞きできると思いますので、省略いたします。  いま白木先生から言われましたことは私もそのとき痛感したわけであります。しかし、私が申し上げたいのは、聞いていただきたいのは、こういう法案というものが逐次出てまいりますというと、公害問題はもう一切解決したんだ。これは日本人の悪いくせで、政治というものは何かつくってくれればそれでもってもう済んだんだというところに、先ほど来の、この法案が免罪符になりはしないかということばが出てくると思うのですよ。法律ができると、実際有明海沿岸、これは一つの例でありますから、日本国じゅうのそれに該当する人たちを実際見つけて、そしてこれに該当させなければならぬという仕事のほうは、どっちかというとおろそかになるのが通常だと思います。私はあえて一漁師のことばとして、患者を見せるんじゃなかった。これはもちろん、私は決して、ほんとうに武内教授を恨んでいるわけじゃない。あとのほんとうに悲惨な自分たちの生活事情というものを考えたときに、一人や二人死んだっていいんだ、それよりもおれたちは魚が取れて売れたほうがいいという、ほんとうに何か自分のすべてを放棄して、ただ魚を取るという漁師の使命感というふうなものが露骨にあらわれたものだと思うのですが、しかし、私はその陰に、そう言いながらも、その人たちが熊本大学の調査班の行動に対してはよく理解をもって協力をして調査に当たった。だから、武内教授も、私がこの仕事ができたのは、これはもう地域の人たちの理解と協力にあるんだということを言っておられます。私もそのとおりだと思うのです。そして、いまのように学者のこういう問題に当たる、白木先生のるる述べられました態度というものは、私は文教政策の中でも、文教委員会の中でも特に言ったわけです。武内教授があの仕事を完成したということは、なし遂げたということは学問の自由というものがあったからなんだ。そして学者として、これは必ず水銀による影響だという、そういう自分の良心からこの仕事をし終えたんだという、その良識の中に問題が解決されたわけなんです。そういう点、私は学問の自由という問題がいかにとうといかということを、この事実からも強調したほどなんです。しかし、そういうことから考えても、私はそのときに、これは医者の機動隊をつくって——おそらくそんなことはいまの医者の事情からしてできません。できませんけれども、医者の機動隊をつくって、あそこに公害が出た、ここに公害が出た、すべての人の健康診断をすべきである。そうでもしなきゃ、実際政治の責任というものは果たしていけないのだけれども、おそらくそんなことはできないだろう。それよりもこういう法律をつくって、そして何とかもう処理いたしましたというのがいまの日本の政治じゃないか、こんなふうに私は心配をするものなんです。  そこで、その地域の人たちからこういうことを言われてまいりました。水俣病というその病名を何とかなくなしてほしい。これはもう無理もないことなんですよ。自分たちのところでなくて、ほかのところへ出れば、第二水俣病、第三水俣病なんという、私どもは、自分たちの地名というものが一つの不名誉の代名詞になっているのだ、だからこの病名は、医者専門的に考えて、何とか変えてくれぬかという話を聞いたのですが、これはどうですかね。とにかくそういう要望を受けましたが、これは私たちの責任でもあるかもしれませんが、お医者さんの責任でもあると思うのです。  それからもう一つは、やはりあの状態になっておって、これはもう植物的な存在だと言われながらも、何とかもとのからだに返してほしい、海をきれいにしてほしいということばと同じように、もとのからだにしてほしいのだ、私たちは何千万という金よりもそのほうがほしいのだというように、少しでもよくなおる治療法を研究してほしいということを言っております。だからこの法律をつくるということよりも、まあつくることも大事ですが、それと同じように治療法というものが何らかの形で——何らかではない、懸命に努力をされなければならぬ問題だと思うのです。そこで、体内に入った水銀というものを、そのときにも武内教授からも聞きましたけれども、体外に排出するそういう治療方法はないものかどうか、そういうものに将来希望が持てるかどうかということも切々として訴えられたのでありますが、金谷先生どうですかね。
  178. 金谷芳雄

    金谷参考人 その新しい薬という意味でございましょうか。
  179. 小林信一

    ○小林(信)委員 薬ということに限定しませんね。
  180. 金谷芳雄

    金谷参考人 私にはいまそういうものは思い当たりませんが……。
  181. 小林信一

    ○小林(信)委員 はい、けっこうです。白木先生、豊田先生どうですか。
  182. 白木博次

    白木参考人 まあ私は、ここで申し上げていいかどうかわかりませんが、あえて申しますが、私は三木長官に呼ばれて、水俣はこういう非常に恥ずかしいことをしてしまったので、国際的なレベルの研究所なりあるいは病院なり福祉をやりたいということを、意見を聞かれたことがございます。ですから、そのときに私ははっきり申しまして、水俣の患者さんたちというのは、これはもう私の医学立場から申しますと難病であるということをはっきり申しました。難病というのは結局医学の終末点でありまして、社会復帰が極度に困難である、あるいはもうほとんど不可能であるという人たちです。しかしながら、医学はやはり、われわれはできるだけのことをする、つまり医学的なリハビリテーションという方法はまだある。しかしながら、脳というものはどう考えましても、神経細胞というものは一度消えますと決して再生するものではないのであって、そこには限度がある。限度がある以上は、やはりソシアルリハビリテーションということを考えなければならない、福祉ということを考えなければならない。ですから病院だけではだめなのである。やはり福祉というものを備えたそういう病院であり、研究所でなければならないわけです。そして、まあ病院だけつくればそれでいいのだ、施設だけつくればそれでいいのだということではなくて、やはり地域ぐるみの対応を考えなければならない。その場合には、患者というものはやはり家庭の中にいるのが一番幸福なのでございますが、したがって病院だけではだめだ、センターだけでもだめだ、しかしながらやはりきちっとした病院、きちっとした研究所をつくることによって、家庭の中にいてもどういうふうに患者のケアをしたらいいのか、どういう方針でやったらいいのか、それはそのセンターに非常にがっちりしたものをつくって、そこで一つの方針を出してそして家庭に帰してあげる、それに対してはホームヘルパーというようなものをつけてめんどうを見てやる。もしそういう患者の方の親がなくなったら、それはやはりセンターに引き取らざるを得ないのではないか、そういうものをきちっとつくるべきであるということを私申し上げました。そして、できるならばそこに学生の寮をつくってほしい。医学生がそこに行って現場を見る、そうすることによってやはりこういう難病というものの実態がわかるのだ、医学生はそういうところを経由してこなければ卒業させぬというくらいのことをしないと、この問題は片づきませんということを申しました。それだったらまあ一千億円ぐらい投資すればいいだろうということを申し上げたわけでございますが、その後それがどういう形で進行しておりますか、私はどうしてもそういうものができなければならない。こういうような法律だけをつくって済む問題では決してない。もしそういうものをつくるならば、何も水俣に限らない、四日市にもつくれ、富山にもつくれ、あるいは阿賀野川にもつくれ、そういうことを申し上げてまいりました。ですからそういったことがぜひ実現されなければこの法律だけでは決して片づかない、そういうふうに考えます。
  183. 小林信一

    ○小林(信)委員 ほかの先生にもお伺いしたいのですが、以上で終わらせていただきますが、私はこの法律をずっと——私のほうからこんなことを申し上げて失礼ですが、いかにこういう整備された法律が出ても、やはりこの際要求されるものは、もう日本人の良識というようなものだと思うのです。そういうものがこんな法律をつくったことで企業家にまたもっともうけようというような野心を起こさせるような、賦課金さえ出せばいいんだというようなことになったらたいへんだと思うのです。いまの先生方、これは委員長にかわって言うようなあれになりますが、全く使命感というものに燃えて、こういう時代にこういう問題に当たっていかなければならぬというそういうような方たちがたくさんに出ておりますが、発生源になる企業家にもしそういうふうな気持ちが片りんでもあれば、こういう法律をつくりましても意味があると思うのですが、やはりこの法律はそこまで要求していかなければ意味がないというような気持ちがいたします。そして、いま私申しました、植物的なからだになってもなお直してもらいたい、その人たちのことを申しましたが、あそこの人たちは、おれのからだはいま健康であるけれども、おれのからだの中に水銀が入っているかもしらぬ。そしてだんだん蓄積をしているかもしらぬ、それを治療するような方法を一日も早く発見をしてほしいと健康体の人が言われておるので、いまの白木先生のその熱意、決して最後までノーと言わずに、医学の道に精進される人たちの熱意というものはやはりこの人たちに希望を持たしていくものだと思うので、今後も御健闘をお願いいたしまして、私の質問を終わります。
  184. 佐野憲治

    佐野委員長 以上をもちまして参考人に対する質疑は終了いたしました。  この際一言ごあいさつを申し上げます。  参考人の各位には、御多用中のところ長時間にわたり貴重な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。厚くお礼を申し上げます。  次回は、明十三日金曜日、午前十時理事会、午前十時三十分委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。    午後五時二十三分散会