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石神参考人 自然保護の
運動につきましてお答えいたします。
私どもが
自然保護の
運動を始めましたのは、
昭和二十四年、尾瀬ヶ原が水力電気の貯水池になるということから、
日本に残されましたる高層湿原を
保護したいという
運動でございます。次には
昭和二十六年に、阿寒
国立公園の雌阿寒岳の噴火口の硫黄採掘問題が起こりました。だんだんこれらの問題が起こりましたが、私どもの
自然保護運動の当初の目標は、
国立公園の中のすぐれたる
景観を
保護するということでございました。これは世界の
自然保護運動の趨勢でもありまして、すぐれた
景観を
保護するとかあるいは美術的に美しいところを
保護する。その次におそらく学術的にとうといところを
保護する。尾瀬ヶ原の場合も同様の
意味であります。
そういう
保護運動がだんだん拡充いたしておりまして、それから
産業によりまする自然
破壊が大きくなりまして、私どもの生活
環境の自然ファクターが乏しくなる。結局命を漸次むしばまれる強迫感によりまする
自然保護運動ということに進展してきておるわけでございます。
で、最初に申し上げましたように
日本の
国土はバラエティーに富み、非常に質のよい自然に囲まれておりました。したがいましてその自然に甘えまして、自然の価値をほとんど見失っております。そしてどのように
公害を出しても、自然の自浄作用によってきれいにしてもらえるというような甘えた感情で今日まできております。ところが今日の近代
産業の規模というものは、自然の復元作用や自然の自浄作用をはるかに越したきわめて悪質なものでございます。たとえば東京湾にいたしましても、私どもは隅田川で船をこぎ、水を飲み、東京湾で泳いだわけでございますが、いまの若い人は、隅田川でも東京湾でも泳ぐことはできません。すなわち、心身の錬成というものは東京湾からほうり出されたわけでございます。東京湾だけではございません。伊勢湾でも大阪湾でも瀬戸内海でも、
日本の
国民をはぐくんだ海岸
風景というものは、もうことごとくつぶされております。これらの
風景が私どもの
民族性をはぐくんできたということは、まぎれもない事実でございます。
ところが今日では、たとえば瀬戸内海におきましては、千数百万匹のハマチが死んでおります。骨の曲った魚、頭のでっかい魚、しっぽの欠けた魚というような憂うべき現象が魚にあらわれております。
私どもおとなは、すでに細胞分裂を終わっておりまして、
あとは新陳代謝だけでございますから、
公害の影響はそれほど急にはまいりません。しかし、私どもの次の人あるいはネクスト・ネクスト・ゼネレーションの細胞分裂にどのような悪い影響があるかということを考えましたときに、水俣病の例、イタイイタイ病の例、あるいはそのほかのいろいろな子供の成育に及ぼす悪い影響を考えましたときに、現在のような
日本のすぐれた大事な自然を惜しみもなく失ってしまって、はたして私どもの二世、三世が現代の私どもと同じような体力と知力と
能力と心がまえを持ち得るかどうかということが、非常に心配なのでございます。
私どもは明治維新以来富国強兵とか、あるいは終戦後は経済重点主義で、金もうけ、出世主義の教育を受けております。そして、私どもの命をはぐくんでくれた自然が大切であるというような教育は全然受けておりません。現在の憲法を見ましても、人権は守られなければいけないという規定はございます。
文化的な生活をしなければいけないという規定もございます。しかし、命を大事に守る、最も大事な
日本のすぐれた自然を守らなければいけないという根本的な問題には全然触れておりません。
ドイツのワイマール憲法には、すぐれた自然の
景観を守るのは国の責任であるという文章がございます。すなわち、私どものあらゆる生存と生活と
文化の
母体である自然というものをもう少し考え直さなければいけないということが、
自然保護運動の思想普及の一番大事な点でございます。
私どもは、
自然保護の思想普及
運動をやっております。これはいままでの文部省が教えてくださらなかった心がまえの問題でございます。
自然保護とは思想であり、哲学であり、宗教に通ずるといわれております。すなわち、心がまえが一番大事なのであります。
ところが、二十年ほど
運動をやっておりますと、一応マスコミはじめ経済界もそのほかも、
自然保護ということは
皆さん旗じるしに使っていただいておりまして、昔に比べて実に感憾無量なものがございますが、ほんとうに
自然保護を了解していただいておるか。
光化学スモッグは依然としてたくましゅうしております。工場からは排水。
法律に規定してある規定以下のものを出せばよろしいという、
法律にはかかりませんが——たとえば先般も、鹿島灘には
公害がないと偉い方がおっしゃいましたが、現在の
法律にはかからないということでございます。
公害はあります。魚はたくさん死んでおります。この魚を食べた漁民はひっくり返っております。はっきりと
公害があるわけでございます。
公害というものは、
法律で
規制しただけではいけないのでございます。やはり私どもの命を守るというライフサイエンスはもっともっと勉強しなければいけないと思います。
したがいまして、
環境庁ができまして、
公害対策研究所はことしからおできのようでございます。しかし、
公害対策ということは対症療法でございます。うみをふくということでございます。そうでなくて、ほんとうの、
自然環境を守らなければいけないという学術的の論拠をつくり、これを
国民の納得するようなシステムをつくるための
自然保護研究所のようなものをどうしてもほしいのでございます。私どもは昨年、
日本にあります九百もの大学に
自然環境保全とか
自然保護とかいう学科は
一つもなかったわけでございます。それで、どうぞつくってくださいという
意見書をつくって出しました。そうしますと、そればかりではございませんが、農工大学に
環境保全科ができました。ここにおられます
宮脇さんのところにも
環境研究室ができました。長らく不運でおられました助
教授が、
日本の
自然環境のトップレベルの方が、ようやく
教授になられたというような現実でございます。これではいけません。やはり自然の問題とほんとうに取り組む——これはすぐそろばんに出てまいりませんから。
そこで、私どもは——
日本人の昔の心がまえというものは豊かでございました。たとえば明治維新前は、
日本は小鳥の天国でございました。ペルリが
日本に参りまして上陸いたしましたとき、たいへん鳥が多くおりました。連中は鉄砲を撃って喜んで船へ持ち帰りました。おこったのは農民でございまして、農民はあんなばち当たりのことをすると言って、幕府に異議を申し立てた。それが翌年の神奈川条約の付録に、
日本人は鉄砲を撃つなんというような残酷なことはしないから、アメリカ人もそういうことはやめてくれということがはっきりと出ております。国際条約におきまして、
自然保護の条約のおそらく最も古い問題だと思います。
日本人はそれほど優秀な
民族であったのでございます。
ところが、百年間そういう教育は受けておりません。したがいまして、エコノミックアニマルといたしまして、文明国において心がまえの最も悪らつな
国民は
日本人であると指摘されております。
私は、
日本人の心を昔のようなゆかしい心に取り戻したいということが
一つの念願でございます。そのためには、
自然保護憲章という
国民の心がまえをつくりたいということで、いま努力しております。三木長官にもお願いして、私ども
自然保護団体だけがきめた
自然保護憲章ではナンセンスだ、
国民全部が、敗戦後の混乱いたしましためいめいの心がまえを
一つにして、ほんとうに私どもの
民族を守るための自然に対する感謝の念、自然の恩恵を大切にする心がまえというようなものを
自然保護憲章に盛り上げたいということを
一つ念願しております。
いま
一つは、私どもの
国土は世界にすぐれた
景観でございます。すなわち自然ファクターがよかったのでございます。これを少なくとも昔の姿のような自然
条件に、豊かな国に戻したいのでございます。これはいまだ
日本の自然の復元力というものが豊かでございまして、たとえば明治以後を見ましても、私、学校を出て植えたこのくらいのクスノキは、実に一かかえも二かかえも大きくなっておりまして、自然の復元力は豊かでございますから、いまにして
国民がほんとうに
日本民族を守るための自然を大切にするという心がまえを持つならば、
日本の
国土は昔のようなりっぱな
景観になる、
自然環境になると思います。
その二つ、
環境を昔に戻したいという問題と、心がまえもやはり
日本人らしい心がまえに戻したいということが、
自然保護運動の大きな目標でございます。
次に、
自然公園の中の
普通地域の問題でございます。
これは、終戦後に国破れてなお山河あり。山河しか残ってなかったわけでございます。
国民は、残されたこのすぐれたる山河を経済再建に
利用したいといいまして、当時私
国立公園部の計画課長をしておりましたものですから、
国立公園に
指定してくれという
地域は四十幾つに達しました。したがいまして、占領下でございますからGHQのオーケーを得て、なるべく
国民がすぐれたる自然に接して
日本人の心がまえをもう一度取り戻して、
日本の再建に資したいというのが私の
国立公園行政の方針でございました。したがって、少し乱発した傾向がございます。
また、
国定公園の
制度をつくったのも私でございますが、これなども少しあせりましたので、当時は学校でもそういう問題を研究してもらえませんでしたから、学術的研究の結果を得ずして、目見当で
特別保護地区とか
普通地域とかきめましたので、現在の
環境庁自然保護局に今日たいへん御迷惑をかけておりますが、当然現況に即しましてもう一度再検討をすべきものと考えます。
しかし、再検討いたしますにも、何ぶんにも
国立公園行政というものは新参者でございます。わずか三十億ぐらいの予算しかございません。先ほど
石破参考人も言われましたように、今日、
国立公園と
国定公園の
利用者は実に五億をこしております。先ほどのように百円ずつ負担をしてもらえば五百億以上の収入がございます。
国立公園にお行きになる方はレクリエーションとして楽しんでおられます。ただで楽しむレクリエーションというものはそうたくさんございません。マージャンをやろうとテニスをやろうと経費は要ります。したがいまして、レクリエーションに対する反対給付というものを当然負担してよろしかろうと思います。
もう
一つは、多くの人がオーバーユースで、
国立公園へ行きますと必ずくず物を一ぱい散らしてまいります。富士山の頂上であろうと剣の頂上であろうと、石の川原でなくてかん詰めの川原になっております。これを片づけて運ぶということは、剣の頂上なんかヘリコプターでなければ運べません。たいへん金が要ります。こういうような負担。すなわち行く人めいめいが
公害の原因者でございます。すなわち原因者負担は当然考えていいわけでございます。受益者負担と原因者負担を
利用する人が考えてよろしい。また、
国立公園の中におりまして営業している人、あるいは交通機関を動かしている人がそれぞれの受益者負担をしてよろしかろうと思います。これはレクリエーションの問題でございますから、この
人たちに負担をかけてもすぐ生活に関係する問題ではございません。
したがって、こういう問題は大蔵省と
環境庁とよく御検討くださいまして、受益者負担あるいは原因者負担のような特別の税金の形で取ることをぜひお考え願いたいのでございます。そうしない限りにおきましては、
国立公園の中の
施設整備というものはなかなか整いません。また、
管理機構というものはわずか八十人ぐらいしかおりませんが、アメリカのイエローストーン
国立公園なんかは、イエローストーン
国立公園の
管理者だけでも百数十人おります。
自然公園というものは最もすぐれた教科書でございます。また、最もすぐれた学校でもございます。私どもは、
自然公園をレクリエーションばかりでなくして、私どもの英知をはぐくむ大事な勉強の場所として、自然からあらゆるものを学び取らなければいけないと考えます。その
意味におきまして、いま少し
自然保護局の
自然公園行政あるいは
自然保護行政に対しまして、われわれ
国民がこぞってそれぞれ負担してよろしかろうと思います。先ほど申しましたように、
利用する方には特別の受益者負担、原因者負担をかけるような
制度をぜひお考え願いたいと考える次第でございます。