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原田参考人 熊大の
原田です。
私、十年近く現地の
水俣に
患者さんを見ておりまして、それで、いま私感じておることを申し上げたいと思います。
一つは、今日正確には
患者の数がわかっていない、今後どれくらい出るのかほんとうに予想がつかないという
状況があるわけです。それは私たちも含めてですけれ
ども、十何年間、その
あと、取りまとめようとしなかった怠慢の結果だと思うわけですけれでも、よく何人ぐらい出るのかと予想を聞かれるのですけれ
ども、正直なところ、いまこれはわかりません。そういう今日の大きな問題になっている潜在性
患者がたくさん存在している
原因は、やはり私たちにもあるわけですけれ
ども、大きな
原因は行政にあると思います。
三十一年の十二月に、何か
物質はわからなかったけれ
ども、
工場排水が
原因でないかとわかった
時点で
工場排水をストップし、魚を食べることを直ちに禁止しておれば、今日の
患者は、問題になっている
患者の何分の一かは、大
部分は救われたんじゃないかと思います。もし三十四年、
メチル水銀というのがわかった
時点でもそれが行なわれたならば、今日問題になっている、その数がわからないというような
事態は予防できたのではないかと思うのです。その点、この
水俣のあやまちを再び繰り返さないように、私、
お願いしたいわけです。
それからもう
一つの問題は、
水俣の事情をあまり御存じない方は、最近になって何か急にたくさん
患者が出たような印象をお受けになるのではないかと思います。あるいは環境庁の裁決によって診断基準が何かゆがめられたために、あるいは広げられたために
患者がふえている。だから心の中では、前に認定された
患者さんと最近認定されている新しい
患者さんと何か違うのではないかというお疑いがあるのではないかと思います。それを少し説明しておきたいと思います。
私たち最初、この
水俣病というのは、御
承知のように非常にひどい
状態の
患者さんだけをピックアップして、その中から典型
症状をそろえて、それが
メチル水銀中毒だというふうに
熊本大学の
研究班が持っていったわけです。それは非常に高く評価されるのですけれ
ども、それが非常に固定的になったために、この
病気というのはすべて、そういう重症な典型例の底辺にはその何倍にも及ぶ
メチル水銀中毒、つまり
水俣病患者がいるのだということを失念しておったわけです。それで、そういう
一つの
水俣病の概念というものが広げられた段階でもう一ぺん見直してみる、あるいはほかの
病気として切り捨てられた
部分がいまやっと発掘されているわけです。
医学の
ことばで潜在何々病という
ことばがあります。しかしこれは決して、
症状があるかないかわからないくらいに軽いという
意味ではないのです。隠れていた
患者さんたちなんです。だから、いま新たに認定されている
患者さんの中にハンター・ラッセルという五つの
症状に限ってみても、全部そろえた
患者さんがたくさんいることを申し上げておきたいと思うのです。
三十五年に
水俣病が終わったというふうに考えたために、その後出てきた、その後
症状が悪くなった
患者さんたちはすべて
水俣病でないとされて、今日まで葬られていたということだと思います。
で、昭和三十四年に熊大の元教授の世良教授がやった
データがあるのですけれ
ども、これは熊本市内のネコを現地の
患者さんの家に預けますと、普通に飼っていて大体一カ月から二カ月の間にネコが
水俣病を発症して狂い死にしたわけです。で、今日実験室でそういうネコをつくろうとすると、大体体重一キロ当たり一ミリ前後の純粋な
メチル水銀が要るわけです。ということは、当時この
水俣のあの地区の住民がどんなにひどい
メチル水銀の中に住んでいたかということだと思うのです。ある地区の四分の一が
患者になったといって大騒ぎしているわけですけれ
ども、私たち
医学的な
立場から見れば、どうして四分の一にしか出ていないのだろうという気がするわけです。それくらいこの
メチル水銀、
水俣病の
汚染の
実態、そしてその根というのは深いわけです。
私たち、今日
一つの新しい
水俣病の診断基準というものをつくろうとして模索しているわけですけれ
ども、しかし実際はこの典型重症例、その下に不全型、軽い例、それはまあ当然なんですけれ
ども、もっと薄い場合にほかの
病気に隠されてわからない、たとえば
メチル水銀が肝臓に対してどういう影響があるのか、あるいは高血圧に対してどういう影響があるのかということはわかっていないし、それがもしわかったにしても、まだその底辺には、それこそほんとうの
医学的な
意味での潜在性
水俣病というのが存在すると思うのです。だから、今日私たちが、いまとらえている
水俣病の
患者の
実態なんて言っていることはほんの
氷山の
一角であるということを申し上げておきたいと思います。
もう
一つの点は、、
世界じゅうでいろいろ
水銀に対する安全基準というものをきめられておるようですけれ
ども、その基準は何かといいますと、
水俣病を下敷きにしていることは事実なんです。
水俣病というものを下敷きにしている以上、その
水俣病というものがいま非常に大きく変わろうとしているなら、当然その安全基準というか、
一つの基準というものは変わらなければいけないと思うのです。
で、最近になって、四十七年あるいは四十六年
症状が悪化ないしは発病した例が見つかっているわけです。ということは、いま私たちがばく然と安全基準というふうに考えている——確かに、
水俣の魚はその基準以下だということをいってみたところで、それが安全かどうかを確かめるのは
水俣しかないわけです。
世界じゅうが
一つの基準をつくるときに
水俣を
参考にした。ところが、その
参考にした
患者というのは、いま申し上げたように非常に重症な典型例、急性発病だけを基準にしているんだということ。だから慢性に十年食い続けたらどうなるかということは、いまだにはっきりした答えが出ていないということを申し上げておきたいと思います。
さて、そういう
実態の上で、いま何を私たちするべきかという問題があると思うのです。そういうふうに申し上げていきますと、結局、
水俣病のほんとうの
実態というのはあまりわかられていないのではないかという気がしてしようがないわけです。いろんな
対策を立てる、早急な
対策が必要なわけですけれ
ども、特効薬はないと思います。いまこれをすれば、これ一発で
解決するという問題はないと思います。それから、こうしたらいいという手本にするような
対策もないと思います。というのは、これほどの広いところを住民ぐるみ健康を破壊した
実態というのは、
世界じゅうにも
日本じゅうにもほかにないわけですから、どこかを
参考にしようにもないと思うのです。したがって、何か
一つこれをやれば、これですべて
解決するということではない。やはり
水俣の問題と取り組む中でしか
一つの方法というのは出てこないのではないかというふうに考えております。そのためには、まず何をすべきかということを、ほんとうに
実態を知って、まずそこから始めなければいけないのではないか。
ちょっと変なたとえになりますけれ
ども、たとえば、
水俣病というのは
病気だから、では大きな病院を
一つどかんとまん中につくれば、それで
解決するかというと、決してそうじゃないと思います。というのは、
地域ぐるみの
健康破壊の、たとえば
水俣の
人たちを全部、大きなデラックスな病院をつくってその中に囲い込めば、それで問題は
解決するかというと、決してそうではないと思います。
地域の中でいろんな障害を持った多くの
人たちが、いかに人間として社会人らしく生活できるか、それをどう援助できるかということだと思うのです。
そういう
意味で、正直なところ、何をしたらいいかとよく聞かれるのですけれ
ども、私たち自身、いま申し上げたように、これが特効薬というものはないと申し上げざるを得ないのです。もちろん、私は医者ですから、医療の問題に限ってみても、いま申し上げたように特効薬はないわけです。一ぺん失われた神経細胞というものは回復しない。それはそうなんですけれ
ども、私たちも含めて、はたしてそこまで公言できるほど、いまの医療がこの公害病
患者に対して積極的に治療をしているだろうかということがあると思います。確かに、ある限界はあると思います。しかし、いま申し上げたように、その
実態、その個々の
症状のばらつき、ほかの
病気との関係、そういったことがわかっていない段階で、一ぺん失われた神経細胞はもう返ってこないということで、治療を放棄していいのだろうかという気がしているわけです。もっと個々についてこまかく検討していけば、まだまだ治療の方策はたくさんあると思います。
それと、いま申し上げたように、大きな設備を
一つぼかんとつくればいいということではないわけです。だから、たとえば
胎児性の
患者さんが熱が出たときに、引きつけが起こったときに、すぐ行ける病院がほしい。これは救急病院のことなんでしょうけれ
ども、しかし、これが非常に困難なことは、
地域ぐるみ
水俣病が発生したという特殊事情にかてて加えて、いま私たち、
日本じゅうで直面しているいろいろな医療の問題とからんでいるわけです。だから、どうしてもその壁はたいへんなことだと、さっき申し上げたようにいわざるを得ないわけです。
そういうことをいろいろ考えてみて、具体的には、認定とは別に、全地区の住民に対して安心して医療が受けられるような
体制、たとえば健康手帳など、原爆手帳でなされたようなことを考えるのも
一つの手ではないかと思います。というのは、いま申し上げたように、ここまでが
水俣病で、ここから先は
メチル水銀とは関係ないんだということは、
医学的にまだいえないわけです。だから、あの地区のすべての疾患に対して、最低医療の保障をできるように考えるべきだと思います。
さらに、それは急ぐわけです。いまいろんなことがいろいろいわれているわけですけれ
ども、現地の
患者さんは何も医療にかかるだけじゃないわけです。たとえば日常の生活や子供のめんどう、そういったことまで含めて、現地に保健婦だとかケースワーカーだとかいうような——医者ももちろんですけれ
ども、医者以外の手がたいへん足りない。そのことが、さっき申し上げたように、病院の中に入れるのではなくて、社会の中でどう適応していくように考えるかという
一つの手だてになるのではないかと思います。
そして最後に、やはり
研究をもっと続けなければいけない。その
研究は、いままだわからないことが多くて、
水俣病というのは、ほかの国やほかの実験や、そういうものの中にないことが多いわけです。この地区の
人たちがどのような経過をたどっていくか、さっき申し上げた
微量、長期の問題はどうなのかということは、いまからやらなければいけない問題です。そういう
意味で、この
研究に関するいろんな援助をしていただきたいと思います。
それから、その
地域の健康に責任を持っている市立病院や医師会、やはりそういうものと別個には考えられないわけで、そういうものとの連帯あるいは協力というようなことも今後必要になってくると思います。残念ながら私は、百キロ離れた大学にいて、ものを言っている
立場なんです。そういった現地の医療機関からそういうものまで含めてこの医療の問題は考えないと、単に何か国立の大きな病院を
一つでんとつくれば、それで
解決するということではないということを申し上げておきたいと思います。
ちょっと長くなりましたけれ
ども……。