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河上小
委員 私もしばらく
外国へ行ったことがありまして、
子供を連れていったことがありますので、若干前から関心を持っていたことですが、あまり系統的に調べておりませんので、思いつくことを二、三
質問をさせていただきたいと思います。
外国へ行きましていろいろ聞く例ですが、やはり
子供は向こうの
ことばになれるのは一番早いわけでして、
アメリカの
ニューヨークなどで聞いた話では、要するに笑わせるようなおもしろい番組ですけれども、
最初に笑うのは
子供で、その次に笑うのは奥さんだったかだんなだったか忘れましたが、おそらくだんながその次に笑って、それからおくさんが一体どういう
意味で笑ったのかだんなに聞く、こういうような順序だそうですが、そういうふうに
外国の
ことばになれるのが非常に早い反面、
日本語教育という点で非常に問題があるんじゃないかと思うのです。
これは私が実際に聞いたことでありますけれども、ある大新聞の特派員の家庭をたずねたところ、その坊ちゃんは
日本語も自由にしゃべれるのですけれども、朝起きてその坊ちゃんの名前を呼んで、何とかちゃんいま何しているのとこう聞いたら、歯が洗っていると、こう言う。歯を洗っているということが言えないで歯が洗っている。まるで歯がにたにた笑い出したような感じがして身の毛がよだったということを聞いております。
これは単なるエピソードですけれども、非常に重大な問題でして、こういう問題は
制度としてどれだけ改善できるのか、非常に大きな問題だと思うんです。
先ほど加藤委員から、
外国で生活したことによる心理的な刻印ですね、あとというものの問題に触れられましたけれども、そういう
日本語教育というものが
補習教育その他ではたして十分に、完全にカバーできるのかどうか。カバーできる
程度であるならば、またその国の
ことばを十分にマスターできないのではないかというような気がするんです。そういう非常に深刻な問題を前提にしながらこの問題を討議すべきではないかということを私は
最初に申し上げたいのであります。
私などは三十をはるかにこえましてから向こうへ行きましたから、向こうの
ことばは全然うまく身につかないわけですけれども、若いうちはどうしても向こうにどっぷりつかっちゃう。異国の
文化、異なった
文化を批判するというか、距離を置いて見る目というものはまだできてないわけですね。そういう問題、非常にあると思います。したがって、これをどうやって克服するか、これは非常にむずかしい問題でして、一応その国の
ことばをしゃべれても、その国の映画、そしてまた
日本でいえばテレビなどで仁鶴とかああいう人がやるような番組を
ほんとうに笑えるようになるためには、かなり向こうの
文化につからなければいかぬ。つかったときには、今度はなかなか
日本人に戻り得ないという問題があるんじゃないかと思うのです。
それを前提としてひとつ伺いますが、
義務教育の
段階についてはというお話がありましたが、
義務教育の
日本人学校をつくる場合、これは国費である
程度やるということになると思うのですが、その場合に、在外公館の場合と民間の駐在者の場合とでは全く差別をつけないのかどうかですね。
義務教育の場合はともかくとして、
高等学校の
教育の場合に何らかの差別が全く生じないかどうかということです。まあ、こういうことが
一つでございます。
それからもう
一つは、向こうで全
日制の
学校を設置して、そこを出た者と、それから今度向こうの
学校で一定の
義務教育段階を終えた者あるいは
高等学校を終えた者との間に、
日本へ帰ってきた場合に資格の上で全く差別がないのかどうかですね。
それから
大学生の場合も当然あると思うのでありますけれども、あちらの
大学を出た人が
日本へ帰ってきた場合に、
社会通念として、
日本の国公立あるいは私立の
大学を出た人と必ずしも同じように取り扱われないという事実があるわけです。これは小さな
子女だけが問題になっているようですけれども、そのままずっと
大学を出る人もあると思うのですが、いまの
社会通念では、たとえばハーバードとかスタンフォードとか
日本でもかなり有名な
大学を出ましても、そういう人たちが
日本の会社なんかを受ける場合に
アメリカで評価されるようには評価されない。逆に言えば、
日本の非常に有名な
大学を出ても向こうの
社会ではあまり評価されないという問題がありますが、同じ
日本人でありながら向こうの
大学を出てもこちらでは必ずしも評価されないという事実があるようです。
そういうような問題について、今後どういうふうにしていったらいいかというようなことも当然ここで議論していただいてもいいんじゃないかと思うのであります。ほかに二、三考えることもありますけれども、とりあえずいまの三点ほど伺いたいと思うのです。