○久保(三)
委員 そこで、この赤字の見方でございますが、いま
お話がありましたように、損益勘定での赤字という御指摘がありました。これも
一つの赤字の見方であるようであります。それからもう
一つは、線区別計算というのをやりまして、黒字線、赤字線というものがある。結局赤字線のほうが多いから差し引き赤字であるという計算、それをもって赤字というのもある。それからもう
一つは、客貨別の原価計算からいって、いままでも話が出ましたとおり、
旅客では大体黒字がある、
貨物で赤字だ、だから差し引き赤字になっているという見方もある。そこで損益勘定のほうから申し上げますれば、御指摘のとおり
収支のアンバランス、それが赤字だ。アンバランスの原因は何だろうか。いままでお述べになっているところを見ますと、収入が伸びない点が
一つ、支出のほうでは人件費と利子が重なってきた。だから結局そこで赤字になった。特に収入の問題についてはあとから申し上げることにしまして、資本というか営業費のほうですね。支出のほうです。人件費は、人を使っていく限りは賃金を払わなければいけませんから払う。もう
一つは資本費、経費ですね。これは御
承知のとおり、金を借りれば利息を払う。もう
一つは、減価
償却をしていかなければならぬというようなことだろうと思います。
ところがここで特徴的なものは何かというと、
国鉄の減価
償却というものは非常に私は特徴的だろうと思います。何が特徴的かというと、減価
償却というのは投資に対して回収をしていって、さらにまた再び回転して投資をするわけですね。そうですね。ところが
国鉄の減価
償却というのは再び回転しないですね。これは借金の返済というか、そのほうに回っていく。そうでしょう。再び回収してそれを投下するというわけにはいかない。
昭和二十五年から四十七年までに、長期資金として
国鉄が借り入れているのは大体五兆一千億であります。もちろんそのうちから返しましたから、いま四十七年度末で三兆七千億ですか、これが長期債務の残高になるのですが、借りた金の累計は約五兆一千億ですね。それからまとまって投資をしてきたのは、御
承知のように
昭和三十二年以後、第一次五カ年
計画からであります。これは四十七年までの
長期計画で累計してみますと、四兆九千幾らで約五兆円。大体とんとんに近い。これを
一つ見ても、言うならば減価
償却をするということ自体は一般の会社、工場というような形とはずいぶん違うということですね。しかも設備投資は懐妊期間が非常に長い。そこで最近やや長期になりましたが、借り入れ金、特に自己調達資金は返済期限は七年かそこらで短い。そうなりますと、ここで乖離が出てくる。結局そこから赤字というか、いわゆる財政破綻の原因が
一つあると思うのです。独占時代には、御
承知のとおり運賃で大体カバーできていたから、まあまあこれは多少回転していた。ところが
昭和四十年度以降、大幅な借り入れ金にたよるようになってきました。三十九年度の財政悪化以来、金は借金であろうが何であろうが同じだという思想が一時
国鉄の中にありました。そういうせいかどうかわかりませんが、これは
政府の指導でありますが、大体四十年度以降長期借り入れ金というのが非常に多くなってきた。しかも自己調達資金というものが一時多くなってきたですね。
こういうことに留意せずして財政再建は、私は不可能だろうと思っているのです。いままさにやろうとすることは、なるほど十兆五千億の投資に対して一割五分に相当する一兆五千億の
政府の出資があります。これはいい。一割五分の出資ではたしていまのような性格から、構造から脱却できるかというと、私は非常にむずかしいだろうと思うのです。それを直すことがまず
一つではないのかということを言いたいのであります。しかも減価
償却も、御案内のとおり幾たびかの改正で、これはやはり一般企業と同様なかっこうでやっていこうということであります。もっと近代化を促進するためには、昔どおりのようななまぬるい手段では追いついていけないというので、減価
償却を早めにやっていく、定率法というものでやっていく、あるいは使用を開始したらすぐその月から減価
償却をやらせるというようなことで、非常にシビアな減価
償却をやっていく。そういうものがたまりたまってきて、今度は
償却はできなくなって、
償却前赤字になってきた。
償却前赤字の原因は何かといったら、長期債務に対するところの利子の増高であります。なるほど一般企業にとっては、普通の企業、会社、工場の利息から見れば、もちろん七分何厘だから安いかもしらぬ。ところが仕事の性質、企業の性質からいけば、当然これは高利につきます。そういうことを
考えてきてやっと投資ということになったのだろうと思うのでありますが、十兆五千億の投資に対して、出資が一割五分では残念ながら体質改善はできないと思います。運賃値上げという問題もありますが、運賃値上げで四回やれば、まるまるの自己資金でできるからいいじゃないかという話がありますが、これはそう簡単にはいかないと思いますね。
政府が総合交通体系に基づいての総合交通政策をいまや何にも打ち出していない。そういう中で、運賃値上げをしていけばどうなるかというと、これはいままで同僚諸君からいろいろ
お話があったとおりであります。これはそう簡単には体質改善には役に立たない。立たないばかりか、
国鉄はゆがんだ姿で持っていかれてしまうのじゃないかという感じがするわけであります。
それからもう
一つは、資本費のというか損益勘定のほうは、いま申し上げたようにどうしても出資は必要だ。それが証拠に
——きょうは大蔵省は来ていますか。これは言うならば
国鉄の
責任ばかりじゃない。いつも
国鉄総裁が表に立って悪者扱いされているようでございますが、経営の
責任者だから当然だと思いますけれども、実際は
政府自体の
責任なんです。
運輸省並びに大蔵省、こんなことを言ったらたいへん申しわけないのでありますが、私はあるものに書いておきましたが、実際の
責任者は財政当局である。大蔵省の財政当局が今日の
国鉄をゆがんだ姿にした元凶ではないか。これに拍車をかけたのは
運輸省の官僚である、無力な官僚がそうしたんだ。結局、当事者能力のない
国鉄総裁がどうがんばってみても、これは当然どうしようもないんですな。
いままで
政府出資を
要求しなかったかというと、
要求しているんです。四十三年度に九百億の
通勤輸送のための出資を
政府に
要求した。そのときに大蔵省は何と言っているか。それは構造的なものであるのか単なる
通勤輸送のペイしないものであるのか
検討しなければ、金は出すわけにいかぬと言っておる。そこでまた、四十四年ですか、これまたしつこく
要求をしたそうでありますが、これもはねられた。はねた理由は何かというと、総合交通体系が確立しない限りは財政硬直化を招くからだめだ、こう言っている。言うならば、無力なんですよ。大蔵省の前には無力なんだ。財政硬直化はだれがつくった。はっきり言って大蔵省がつくった。出すときに金を出さぬで、季節はずれの着物を持ってきても用は立たぬのです。夏になるのに綿入れを持ってきても、これはどうにもなりませんよ。いまやまさに
国鉄財政再建のために、一割五分の出資を十カ年間でやる。ところが、初年度は幾ら出すか。四十八年度でたった八百億でしょう。算術計算からいって、一割といったら千五百億でしょう。八百億しか出していない。それ
一つ見ても、財政硬直化にこりて、もはや手を出してはいかぬ、足もいかぬ、そろそろ行こうじゃないか、あわてちゃいかぬぞ、そういう態度では出す金も生きてはこないのであります。だから、出すのなら思い切って出すということで、十カ年じゃなくて、五カ年間に圧縮したらどうか。一割五分、一兆五千億出そうというのならば、五カ年間に出していけばいい。圧縮して、濃縮して出すことが国家のためにも、
国民大衆のためにもいいのです。そういう思い切った政策をやることが発想の転換というのですよ、はっきりいって。そういうものはちっともやらないで、去年と同じ
提案をしてきたんじゃ、これは幾ら政権がかわってもほめたものではないと私は思っているわけです。いかがです、
大臣。