○斉藤(正)
委員 私は運輸
委員委員会に籍を置いて、橋本、丹羽それとあなたと三代の
大臣にそのつどこの種の要望をしてまいったわけであります。しかし私もいま、これだという総合交通システムの一つのきめ手を、半分でもいいからあなたやれと言ったのですよ。どういうものがありますか、私に聞かぬでも、あなたは専門家だから知っているはずだ。だけれ
ども、なかなかそれをやると言わないのですね。どの
大臣も言わない。善処いたしますとか、金が要れば出しますとか、努力をいたしますとかと言うだけです。
私がここで読み上げるまでもなく、先ほ
どもちょっと触れましたけれ
ども、レーバープランなるものがありまして、西ドイツにおいてはどうしたか。新聞記事でたいへん恐縮でありますけれ
ども、ちょっとひとつ読み上げてみましょう。「西ドイツの例をみると、一九三〇年代から鉄道と自動車の間の
貨物輸送における競争を規制するため、両者の
運賃を調整する政策がとられ、四九年からは
営業用長距離トラックの台数制限まで行なった。また、内陸水運との調整では、鉄道と競合する路線の鉄道
運賃は船舶
運賃を下回らないような措置も講じられた。ところが、これらの施策はいずれも期待はずれの効果しかあげられず、鉄道のシェアは
低下する一方であった。そこで、鉄道当局、学識経験者、産業界から種々の提案が寄せられ、政府は一九六一年、これまでの競争抑制を目的とした調整政策を一八〇度転換、競争促進政策を採用した。これによって、各
輸送機関は定額または最高最低制の
運賃によらなければならなくなり、必然的に
運賃の競争が行なわれた。この競争に勝つためには、各
輸送機関は、経営の合理化、
近代化などによって
経費の節減をはかるとともに、自分の技術的、経済的利点をもっとも効果的に発揮できる分野を担当しなければならなくなっている」こういうように書いてあります。西ドイツにおいても、先進であるかどうか、私はちょっと疑問に思いますけれ
ども、紆余曲折があり、いろいろやってみたのですよ。言うならば、この総合交通システムあるいは経済社会基本
計画においても、西ドイツ政府で言うならば、「政府は一九六一年、これまでの競争抑制を目的とした調整政策を一八〇度転換、競争促進政策を採用した。」などということになると、競争原理の導入なんというのはまさにいいじゃないかということにも自画自賛されるかもしらぬ。しかし、大陸続きのドイツ、そして内陸に運河の発展しておるドイツというような、地形あるいは風土、地勢等々とこの絶対の島国である日本とは、やはりそのままの適用はできない部面もあろうかと思うのです、総合的な交通システムということになれば。しかし、何かしらやらなければならぬ。そこで新聞の記事によれば、「今の日本には、総合交通政策らしきものもない。どこからどこまでが
国鉄担当分野なのか、バス、トラック、船舶、飛行機はどうなのか、ばらばらに進んでいるのである。できるだけ早く、将来の輸送量の伸びを中心に、それぞれの
輸送機関が持つべき分野を定めた交通政策をたてるべきではないだろうか。
国鉄自身「弁解と受け取られるかもしれないが」と前置きしながらも、「交通政策があればどんなに楽になるかわからない」といっている。これこそが
国鉄問題を含めた輸送問題打開の切札だ、との意見が、各方面に強い」ということが書いてあるわけであります。統制経済、
計画経済でないこの自由主義経済の日本において、できない、むずかしいというようなことを言っていれば、これは先ほ
ども触れましたけれ
ども、ますます迷惑するのは
国民だということになると思うのであります。
そこで
大臣、一つでも半分でもと私が言ったのは、先ほどの経済社会基本
計画の中で、たとえば乗用車が年率一〇%オーバーしてふえていくというようなことを、あなた主要交通閣僚としてメーカーにストップさせる
——できないと言うでしょう。きっとできないと言う。できないと言っていれば、どんどんふえる一方ではないですか。マイカーの生産の規制ができないというならば、せめてマイカーの乗り入れ等々に対する規制
——すぐあなたにもできることは、この間も問題になりましたけれ
ども、トラックの過積みの取り締まりでありますよ。あなた少なくとも交通閣僚としてはトップですよ、運輸
大臣。どうです、何か一つ、絶対やりますとここで言明できませんか。絶対やりますと言うまで私は
質問を続ける。