○八
十川睦夫君 八十川でございます。
結論を先に申し上げますと、先ほど来
反対の陳述の中に、三人の方すべて述べられてました
物価問題に関しましては、今度の法案でいささか疑問点が残りますけれども、今度の
国鉄の
再建についての
負担の問題、これは私から見てほぼ公正なものと思いますし、今度の
再建計画というものの積極的な意味というものを高く評価して、原案に
賛成したいと思います。
いままでの原案に対する
反対意見、私テレビも拝見さしていただきまして、要約しますと三点になるんじゃないだろうか。一つは、これが、
長期計画がはたして
長期計画たり得るのかどうか、
ほんとうに効果があるのか、実現可能性どうなんだ、そういうふうな批判。もう一つは、
旅客運賃の
黒字でもって
貨物運賃の
赤字を補てんしている、これが大
企業に奉仕するような運賃体系である、こういう批判。もう一つが
物価問題といいますか、インフレ抑制ということが強く要請されている時期において、四回もの
値上げを
計画の中に組み込むこと自体おかしいじゃないか、こういう御
意見、この三つだったと思います。その三点を中心にしながら、私の
賛成意見を述べさせていただきたいと思います。これ三点を個々に取り上げてというんじゃなくて、私の論述の間にまぜこんでいきますので、その点はちょっと未整理で申しわけないと思います。
まず、
国鉄のことに関しましてよくいわれるのは、
公共性ということと
企業性の問題なんですけれども、
国鉄の
公共性という意味がこれが非常にあいまいであって、ややもすると社会福祉的な要請も
公共性の中に混同されているんじゃないだろうかという気がします。社会福祉というのは、本来はこれは社会的に弱い
立場にある人、これを余裕のある人が助けると、そういうことが本来の趣旨なんです。そういう点の社会福祉と、それから、もっと別の、いま大きく問題になりますのは国土の
有効利用、こういうために
企業性をある
程度犠牲にしなきゃいけない。あるいは環境保全のために
採算制を度外視しなきゃいけない。あるいは、いま起こりつつあろうとしてます資源問題、これに日本の経済全体が対処するために、ある
程度国鉄が犠牲を払わなくちゃいけない、こういう面、これは社会福祉とちょっと次元が違います。私は、この点はっきり分けて考えていきたい。私は、後者のほうを
公共性と呼びたい。この
公共性があるがゆえに、
国鉄が
企業性と両方を追求していきながらも、どちらにも徹し得ない点があるのじゃないだろうか。社会福祉ということはあまり考えてはいけないと思います。というのは、あとで述べますけれども、
利用者負担の原則という一つの理念がありますが、
負担能力が十分ありと私は判定しております。むしろ私疑問に思っているのは、ちょっと話が横にそれますけれども、社会福祉ということ、これをもし表面に出すならば、
国鉄が今後老人とかあるいは身障者に対する何かの
割引を考えるとか、それから、いまの学割り制度なんかを
発想をかえまして年齢
割引にかえるとか、そういうことが必要じゃなかろうか。学生
割引なんですが、僕は学生
割引に
反対なんです。学生というのは、これはいわば特権階級でして、同年齢の経済的に恵まれない人、それから生まれつきの遺伝的素質に恵まれない人、そういった人が大学へ行けずに営々と働いている、片一方でそういった国の
費用によって勉強できている。しかも、それが将来社会の幹部になっていく、つまり将校、片一方は永久に下士官でとどまらなくちゃいけない人が営々と働いている。そういった将校になるその急行券を得ているものになおさら特権階級の特権を付与するなんてことは、これはちょっと話の筋が合わない。しかも、このために窓口業務がかなりふえてます。こういったところに何か
公共性というものの解釈があいまいであるばかりに妙な
発想が出てきているんで、この点ぜひ考え直していただきたい。
それで、今度
企業性なんですけれども、私の申します
企業性というのは、
国鉄の場合には決して片一方の私の申しますような
公共性との
関係において、完全な
独立採算ではこれは運営できないものです。
国鉄に要求される
企業性というのは
一体何なのかといいますと、ちょっと普通
企業の場合とは違いまして、いわばフィロソフィーみたいなもの。その一点は、民間
企業で働いている人の、
ほんとうにはだで感じているようなきびしさ、あるいは責任の重さというもの、これを
国鉄側が身につけることが一つ。
もう一つは、科学的な経営管理の姿勢、あるいは業務の遂行、
ほんとうの意味での科学的な、エモーショナルな面じゃなくて、科学的な思考ができるということ、これが
国鉄に要求される
企業性じゃなかろうか。この意味で、この
企業性というものを育成する意味で今度の
国鉄再建計画とのかかわりあいを見ますと、
反対意見の中でよくいろんな
政府側の補償というか、これはどんな形になるか、個別補償になるのか、あるいは
赤字の補てんか、いろいろありますけれども、すぐ
政府がめんどうをみるべきだ、国が何とかするべきだ、こういう
意見がすぐ出てくるわけです。多分にスタンドプレー的な面もありますが、これはまた日本人の精神構造に帰りますけれども、これも変なところがございまして、何でもお上が悪いという形の
発想、これが責任が
一体どこにあるか、責任の所在を不明確にしているという悪い現象をもたらしております。
それでこの際、
国鉄側がいま作成しております十年の
長期計画、これを一応実行していって、この
計画が私完全なものとは思っておりません。しかし、また
国鉄が積極的にこれを自分の都合のいいように数字をごまかしてつくったものとも思われない、一応妥当なものができているだろう、現在得られる情報の範囲内において。これは必ず将来、予測とそれから実績値の間にズレが起こります。そのズレがどういう形で起こるのかということを比較対照するちゃんとした
計画があるわけです。そこで原因を追求しながら、将来の交通体系の中において
国鉄がどうなくちゃいけないか、特に、国の補助なり形がどうあるべきかということを科学的に分析する材料がここに初めて整ったわけです。それでいままで非常に
国鉄は気の毒な
立場にありまして、
赤字だ、
赤字だ、立て直しをしろ、立て直しをしろと、だけれども、片一方の運賃をいつ上げてくれるのかという保証が全然ない。
国鉄のいら立ちがあるわけなんです。運賃問題は、いつも政争の具に使われていまして、あやふやな
立場においてしりをたたかれると、そのいら立ちが経営側にも、それから組合側にもあらわれてきて、いろんな問題が発生しております。いまだこういった十年という長期の
計画、しかも四回にわたるこういった運賃の
値上げという保証のついた
計画のもとに
国鉄が経営されたことがないわけなんです。行き
当たりばったりで、回りでわいわいつつくばかりで、非常にこれは気の毒な
立場にあったと思います。初めてこういうふうな
長期計画ができ上がった。それがまた政争の具に使われて袋だたきにあって一度流れたというところ、私は非常に同情的な
立場にあるわけなんです。とにかく一度やらしてみたい、やる過程において将来の国の補助というものを考えて、どれだけが
利用者が
負担すべきものか、国が補助すべきものか、それから
国鉄の努力によるべきものか。三本の柱といわれてますが、それを評価してみようじゃないか、評価のいい機会だと、こういう意味で一度実施したいということで原案に
賛成します。
と同時に、さっき言いかかったんですが、こういった
再建計画にわれわれ
国民が
利用者として運賃を
負担するという形で参加するということ自体、これ非常に大切なことなんです。すべて親方日の丸でお上がやっているということ、これでは戦後の日本というものが草の根民主主義ということを前提にしながら、精神構造の上ではそれが育ってない。何でも親方日の丸でやってきたと、エリート指導型というほめことばもありますけれども、
国鉄の問題に運賃という形でわれわれは参画するといろこと、これ自体かなり意義があると思うんです。これ一時、NHKの受信料の不払い運動なんていうのがありましたけれども、
一体NHKの経費を
政府からまるまる出すということになったら、どんなおそろしいことになるか。そういった問題に対する疑問というのは新聞なんかに出てこなかったです。ああいったところに日本人の
根本的な欠陥がある。
負担することについてわれわれは発言するんであって、積極的に意味があるじゃないか。私は、これも少し声を大きくして叫びたい。
しかも、この
負担なんですが、ちょっと
負担のほうにいきますけれども、大体過去の十年間の
国鉄運賃の動き、これは連続的じゃございませんで、段階的に
値上げされてきましたけれども、これを年率平均にしますと八%
程度です。これに対しまして
物価指数の動きは六%ぐらいの
値上がり、これは
消費者物価指数。それから、賃金係数のほうは大体一三%ぐらいで上がってます。そこに
物価六%で上がっているのに
国鉄の運賃が八%の率で上がっておる。これけしからぬじゃないか、こういう御
意見もあると思いますけれども、元来、交通産業というものは、これは労働集約的でありまして、急に
生産性をあげるというわけにいかない。一番極端な例をとりますと散髪屋さん、これ一時間に一人しか散髪できない。
国民の所得が倍になれば散髪の料金が倍になるのは、これは当然なんです。
物価の
値上がりの中で上がるのが当然だという
物価も、これもあるということを消費者の皆さんは知っていただかなくちゃいけない。それからいきますと、
物価六%の
値上がりに対して
国鉄八%の
値上がり、これ決して高いものじゃないということ。しかも、賃金指数のほうは一三%上がってきていると、五%分だけはこれは楽になっているわけです、
負担が。
これをまた別の面で、
家計支出の中で
国鉄旅客運賃にどれだけのものが支出されているかという
比率なんですが、過去十年間ばかりちょっと調べてみますと、大体八%前後のところ、
改定のたびにぽんと上がりまして、大体横ばいとみていい。だから家計の中での
国鉄運賃負担というのは大体横ばいなんです。横ばいであるにもかかわらず、
国鉄の運んだお客さんの人キロ、これは伸びてます。だから家計の中における
負担が同じであるにもかかわらず、たくさんの旅行ができているわけです。たくさんのトリップ、より長いトリップができているということは明らかにこれだけ
負担が軽くなっているという、これ数字的な事実なんで、これはどうもこうも批判の余地がないと思うんです。こういうことを考えてみますと、将来の十年間に二・二二倍ということ、四回もの
値上げで二・二二倍というと、何か大きいような感じがするんですけれども、これを複利の計算でいきますと八・三%、で、この間に
国鉄は大体一二・三%
程度の
人件費の
値上げを予定しておられる。そういったものに対して八・三というものが
ほんとうに不合理なものかどうかということを考えてみますと、これはほぼ妥当な線じゃなかろうかというように思われるわけです。
ただ、最初に申しましたように、
物価問題というのはきわめて心理的な要素を多く含んでおります。心理的な
影響が大きいし、また
便乗値上げの危険性、これも私否定できないと思います。こういう点で
政府側が慎重な態度をとってもらいたいのと同時に、消費者の側も
物価、
物価ということをあまりいら立たずに、所得政策との関連性のもとに、
ほんとうに科学的に経済をみてもらいたいわけです。今後、
物価が上がる、つまり普通インフレといってます。インフレかどうかわかりませんが、
物価が上がることはこれは避けられません。絶対に避けられない。どんなに国がりっぱな経済政策をやろうと、これは避けられないんです。この一つの徴候が資源問題にあらわれております。今後、原料高の製品安という形で日本の経済が圧迫される、これは明らかなことです。そうしますと、そこの日本全体の所得の伸び率の縮小がどんな形であらわれるかといいますと、コ
ストインフレといいますか、片一方の賃上げのプレッシャーが大きいと、賃上げ幅を同じに保つとすれば、片一方
物価のそれのほうでカバーして、実質所得の
上昇の幅が縮まってくるのはあたりまえのことです。これはもっとわれわれりこうになって、賃上げ幅のほうでわれわれが自粛するということできますけれども、これおそらくできないでしょう。そういうこと不可能だと、今後も
物価上がります。上がるけれども、所得政策との関連性において考えていただきたい。
それで、ここでちょっとまた話がそれますけれども、いまの所得政策をも含めた
物価問題で一番犠牲になっているのは年金生活者、それから、何というか、退職金なんかの定期預金で、そういったもので生活しておられる方、これは
物価値上がりのもろのあれをかぶっているわけです。被害をこうむっている。現に働いている者はそうじゃないんです。実際のところいえば、もろにかぶっているのはその階層、これに対する
政府側のいままでの施策というものは貧弱だった。これはっきり申し上げますと、老人というのは保守的でわれわれの味方なんだと、ちょっと甘く見過ぎていた。ところが、最近いろいろ年寄りの方と話しますと、背に腹かえられないと、私は保守的なんだけれども、どうもその点だけは、老人に対する所得政策の面だけは、
政府のやり方というものに納得しかねるという声がだんだん強くなっております。こういった意味で、そういった所得政策とからませて
物価問題を総合的に考えていただきたいということを条件にしまして、
賛成の
意見を陳述いたしました。