○西宮
委員 それでよくわかりましたが、雑誌の中にも同じようなことを書いておるわけです。
そこで私は、この小佐野賢治さんが、いわばたいへんな犠牲を払って
田中さんの会社の株を買い取ったということを詳細に書いておるわけであります。これはあとでまた詳しく申し上げますが、私は、それはとてもそのまま信頼するわけにいかないと思います。これは少し何か
意味があるんではないかというふうに考えるわけであります。
なお、その前に、たとえばこれなどは私は明らかな間違いではないかと思うのでありますが、「私についていえば虎ノ門の土地問題にしても噴飯もので、元国有地であったあの土地をニューエンパイアという会社が払い下げを受けたのは
昭和二十二、三年ごろ、角さんが一年生代議士になりたてで、払い下げにはまったく
関係がない」こういうふうに書いてあるわけでありますが、これは
政府の記録によりましても、明らかにそうではなしに、
昭和三十八年に払い下げをしておるわけであります。そのときはすでに
田中さんは大蔵
大臣をしておられるわけでありまして、これを払い下げをいたしましたのは
昭和三十八年十月一日であります。したがって、そのときは
田中さんは大蔵
大臣をしておられたわけであります。それを、一年生代議士だなどというのは失礼千万だと思うのでありますが、まあこの点は明らかに間違っておると思います。
それから、私がここでぜひ解明をしなければならぬと考えますことは、「このころ角さんは第一次池田
内閣の大蔵
大臣という要職にあった。電建の株は角さん一人でもっていたし、社長でもあったから、赤旗をもった組合の代表が大蔵省へ押しかけてくる。これには流石の強気の角さんも参ったらしい。
昭和三十九年のある日、私のところへ電建を引受けてほしいと言ってきたのである。私の会社で調べてみたら、満期給付金と称する積立て金の返却金が七十二億円ある。そのほかに赤字が二十二億、経理上当然落すべき経費の未処理金が四十億」こう書いてあるわけですね。だから、とてもこんなものを引き受けたのでは——まだ続きます。「会社の内部では「電建を引受けたら肝心の国際興業」」これが小佐野さんの会社ですね。「「国際興業の大黒柱がガタガタになってしまう。引受けるべきではない」というのが全員の
意見で、私も事業と友情は別と割切って、この話を断る肚を固めた」。ところが、「角さんのほうから「のぶ中川」」これは赤坂の二丁目にありますが、「「のぶ中川」に来てくれ」と言われたので行ってみた。そうしたら、断わるつもりで重役連中を全部連れていったところが、いきなり頭から、いや、引き受けてもらってありがとう、私は大蔵省に
会議があるので失敬すると言って帰っちゃった。それで、「断りに行ったのに断るひまもない。皆んなあっ気にとられて主のいない座敷でお互い顔を見合せて苦笑するばかりであった。」それで、しかたがないから引き受けることにした、こういうことを言っておるのでありまするけれども、そこで十八億の金を出して引き受けたと書いてあるわけであります。
しかし私は、いまお話を伺うと、二十五年来のたいへんな親交のある方だそうでありまするけれども、どんなに親しい仲でありましょうとも、この人自身が指摘をしておりまするように、当時の
日本電建はたいへんな赤字会社であります。そのたいへんな赤字会社を、しかも額面五十円の会社を一株百六十円で買っているわけです。三倍以上の値段にして買っているわけです。そういうことが一体世の中にあるだろうか。小佐野賢治という方はたいへんな義侠心のある方かもしれませんけれども、私はとうていそうは思えない。したがいまして、その点が私がお尋ねをしたい要点なんでありますが、以下申し上げてまいります。私は、これは時間が非常に制限されておりますので一方的に申し上げますから、もし間違いがありましたら、途中で何どきでもけっこうですから、また
関係大臣の方から、どなたでもけっこうでありますから、御訂正をいただきたいと思います。
例の、前にも
国会で問題になったことがありまするけれども、大阪の光明池という三十一万坪の土地の問題であります。これは最初は民間人の共有でありましたのを、
昭和三十六年の一月十六日に神港建設というのが買い取りました。その神港建設は三十六年一月に買って、四月には東洋棉花に譲渡をしております。その年の八月に
日本電建が、つまり
田中さんが社長であり同時に株を全部持っているという
田中さんの
日本電建が、これをお買いになったわけであります。そこで、お買いになった
田中さんとしては、その会社の経営者としては、これを有効に使いたいと考えるのは当然だと思います。そこで、まず大阪府に折衝をいたしました。大阪では泉北丘陵開発計画というのがありますので、そこで買い取ってほしいということで折衝をいたしましたが、大阪府では、とうていそれは買えないということで断わってまいりました。
田中さんは、そのあくる年の
昭和三十七年七月十七日に大蔵
大臣におなりになりました。そこで直ちに、その翌日には社長は
辞任をいたしました。しかし、株は依然として全株
田中さんがお持ちになっておるわけであります。そこで、何とかしてこれを
日本住宅公団に買わせたい、こういうことでいろいろ折衝をされたようであります。もちろん、そのときの責任者は名前は変わっておりますけれども、これは、株は全部
田中さんの株でありますから、
田中さんの意図が十分反映していると想像するのは当然だと思うわけであります。−ところが住宅公団では、大阪支所で検討した結果、これはまずいといって断わってまいりました。しかしおそらく、住宅公団の幹部のほうには、相当な
政治的な圧力がかかったのではないかと想像いたします。
そこで問題は、支障になるのは大阪の支所だ、こういうことでねらわれましたのが、大阪の支所の宅地開発部の用地課長永田国善という人であります。この人のところに彼の先輩と称する柴山英二という者があらわれて、
昭和三十七年十月の三十一日に二十万円の金を渡しました。これは後に発覚をいたしまして起訴され、裁判になっておりますから、その事情は明らかでありますが、もちろん、その不適当だという証言を改めるようにということで二十万をもらったわけであります。
そこで、このもらった永田課長は、あくる三十八年の五月八日に、支所の
部長会議において、これは適地であるという説明をいたしました。そこで、これは住宅公団が買い取るということが決定されました。そこで決定されますると、五日後の五月の十三日には、住宅公団の
理事会で、本部で買収決定をいたしております。そして五月の十七日買収契約を結んでおります。まことに驚くべき電光石火の超スピードであります。
これに対して、実はあとで住宅公団の監事から監査の報告書が出ております。ちょっと読んでみたいと思います。「当地区ノ選定ニツイテハ種々問題ガアロウガ、スデニ地区決定ヲシ用地買収費ヲ支払済デアル現在、公団トシテハ事業ヲ遂行スル義務ガ課セラレタノデアル。水道、連絡道路、排水
関係特ニ光明池ニ対スル防災工事等問題ハ山積シテイル。又原価試算ヲミルト本地区ノ事業費ガ他地区ト比シテ高クモナッテイル。」さらに、「オッテ、本地区ハ前年度ニオイテ不適地トシタモノデアル。一年経過シテコレガ適地トナルコトハ先ズ常識デハ考エラレヌ事デモアリ、ソレダケ問題点ガアル」云々ということであります。これだけを見ても、私はこの土地がどんなに無理をして公団が買ったか、あるいは公団が買わされたかということが、よく想像できると思うのであります。
さらにふしぎなことは、これは三人の公団の監事が署名をいたしまして、ただいま朗読をしたような監査書が
昭和三十八年の七月二十日に提出をされたのであります。ところが同日付で、あとでこれが訂正をされまして、「オッテ、本地区ハ前年度ニオイテ不適地トシタモノデアル。一年経過シテコレガ適地トナルコトハ先ズ常識デハ考エラレヌ」。さらにずっと書いてまいりまして、この問題は、「二律背反ノ典型デアリ」というようなことまで、最初の監事の報告書にはうたってあったわけであります。その部分が削除をされてしまった、こういうふしぎなことがあるわけであります。一人の人が削除をしてしまったわけであります。
それを追及されました
国会の答弁では、「これは、地区決定もしたし、それから土地買収も行なえば、いまさらこれを引っ返すこともできない、どうしても事業は公団としてやらなければならないものになってくるのではないかということを、ここで強調しておることだろうと思います」。あるいはさらに続けて、「公団は土地も買い、場所もきめたんじゃないか、相手方に金も払ったんだ、それを元に戻すわけにいかないんだから、十分今後の開発に注意しなければならぬじゃないか、こういうような
意味だと私は解釈いたしております」と言っておるわけでございます。これを見ただけでも、私はこの土地がどんなに無理をして買わされたかがよくわかると思うのであります。
つまり、繰り返して申しますが、永田というさっき申しました課長が、これは適地だということを証言するために、三十七年の十月三十一日に二十万の金をもらっておるわけであります。そこで、もうこうなればだいじょうぶ、住宅公団は買えるんだ、こういう見当がつきましたので、三十八年の予算にこの金を計上いたしました。そこで三十八年の四月の一日には、
田中さんの会社でありまする
日本電建は東洋棉花にその土地を売却しているわけであります。東洋棉花から買った土地をまた東洋棉花に売却をする、ふしぎなことでありますが、とにかく売却をいたしました。さらに一月余りの後、五月十五日には東洋棉花から興亜建設にまた譲渡をいたしております。これは、興亜建設に譲渡をいたしましたときは、すでに住宅公団の
理事会ではこの土地を買収するということが決定された後であります。二日後であります。そこで興亜建設は、いま申しました五月の十五日に取得をいたしまして、そして二日後の五月の十七日には公団に売却をしているわけであります。だから、この興亜建設が持ったのはたった二日間でありますよ。最初は
田中さんの
日本電建が持っておった、それが東洋棉花に譲渡をされて、東洋棉花は一月半で興亜建設に売った、興亜建設はわずかに二日間で住宅公団に売ったわけであります。そのときの住宅公団に売った価格は、坪
当たり四千百円であります。これを最初に
日本電建がお買いになりましたときは、坪四百円であります。その間に、わずか一年数カ月でありますが、土地の価格は十倍になっておるわけであります。住宅公団が払いましたのは十二億何がしであります。正しく言うと、十一億二千四百九十八万四千八百円、こういう金であります。ちょうど一年数カ月で十倍になってしまったわけであります。
なぜこういうふうに、あるいは東洋棉花、さらにはまた興亜建設というふうに変わっていったのか。思うに、おそらくこの興亜建設という会社は、社長が大橋富重という人でありますけれども、この人の自由自在になる会社であります。したがって、この人ならば何をやらしてもだいじょうぶだ、こういうことで、わずか二日間でありますが、この会社をトンネルさせたんだと思います。この人は、詐欺、公文書偽造、印鑑偽造等で起訴をされている人でありまして、そういういわば札つきの人でありますから、この人ならそういうからくりは十分やってのける、こういうことでやったんではないかと思います。
まあこれが今日までの手続でありますが、大蔵
大臣にお尋ねをしたいと思いますが、おわかりでなかったら
お答えいただかなくてもけっこうです。
それは、この会社は約十億、先ほど決算
委員会での当局の説明だと九億九千三百万円だそうでありますが、約十億の金をそのときから今日まで滞納をしているわけです。
昭和三十八年の五月から始まって滞納をしているわけです。これはさっき向こうで報告があったわけですよ。大蔵省は一体何をしているのか。十億という金を滞納させてもうかれこれ十年近くにもなる。それを滞納させてほってある。こういうばかばかしいことが行なわれておるわけであります。おそらく大蔵
大臣も御答弁いただけないと思いますから、先へ進みます。