○
寺前委員 先ほどからの質疑に引き続いて、私ちょっと、もう少し詰めて聞きたいということがありますので、二、三の点を
局長に聞いて、あと
大臣にちょっと聞きたいと思うのです。
一つは今回の
事件についてですが、
昭和三十四年の十二月に
死亡宣言をするということについて、その時期の問題がちょっと問題じゃないかというような話がさっきからいろいろあったと思うのです。さっき
局長さんは、こういうふうに言われましたね。この
死亡宣言をしてしまった
人たちに対しても、未
帰還者同様に
捜査をしてきたということをおっしゃった。ほんとうなんだろうか。私はいま問題はこれだけあると思うのですね。いろいろあるけれ
ども、たくさんの人が海外で死んだ。なくなった数は二百何十万とか言っておられましたね。二百四十万の人がなくなった。そのうち
遺骨を持って帰れたのは九十二万、いまだに百四十万人からの
遺骨が野ざらしになっておる。戦争が済んでから二十八年たった今日、依然として過半数が野ざらしだ。よくわからぬままにともかく
家族の了解も得て、そして死んだんだぞという宣言をやった人がざっと二万人近くおる。しかし、それもならぬ未
帰還者というのが三千五百人余りおる。その中で、
家族が絶対にそんなものの中に入れてもらっては困るという人も四百人からおる。これが事実だと思う。そうすると、未
帰還者についての
対策と同時に、
家族の了解を得て、もう見つからぬだろう、もう終わりだ、大体この人は死んだという宣言をされた
人たちが生きておるという事実が、今度の
ルバング島の問題だと思うのです。そうすると、ほんとうに総
点検をしなければならないということになったら、この
死亡宣言をした
人たち全体にわたって再
点検してもらわなければだめだと思うのです。いわゆる未
帰還者という問題だけじゃないと思う。ところが
局長さんはさっき、未
帰還者同様に
死亡宣言した
人たちも
捜査をやってきたと言った。それじゃほんとうに
ルバング島の問題というのが一番——三回にもわたって
捜査して
死亡宣言をした人なんだから、その後十二年間何もやらなかったということは事実じゃないか。はたしてほんとうに
死亡宣言をしてきた
人たちを
捜査してきておったのか、私は疑問に感じましたので、その点についてひとつ聞きたいと思うのです。
それから
死亡宣言をしたということが、今度の問題で十二年間放置された、さっそく
局長になって
情報を集めた、だけれ
ども、いままで
情報がなかったというお話だった。
死亡宣言したところから
情報の集め方の姿勢が変わっているのじゃないだろうか。十二年目に初めてあの兵隊さんがあらわれたということは私はなかろうと思いますよ。生きるためには十二年の間に出ておったはずですよ。現に、いろいろ
報道の中では、何人人を殺したとか、私は傷ついたとかテレビでもやっていますよ。十二年間何ら
情報が入らぬとなったら、
死亡宣言したために一切聞く耳なしということになってしまったのじゃないだろうか。この
死亡宣言をしたということ自体の中に持っている問題点があるのじゃないだろうか、その点を今回の問題としてどのように見られるのか、どのように反省されるのか、このことをはっきりしなければならないというのが
一つです。
ちょっと、ついでに聞くことを言ってしまいますから……。それから、それに関連してですけれ
ども、そうすると、
現地で十二年間もおそらく出たり入ったりいろいろあっただろうと思うのですが、一説によると、
日本は
降伏しているということを知っているというふうにいわれています。にもかかわらず、二十八年たってだけではなくして、この十二年間でも、何で戻ってくることができないのだろう。いろいろ想像つくことがあると思います。
一つは、
日本自身があの
フィリピンをめぐっての侵略行動を起こしたことは事実なんだから、その過程において果たした役割りが、
現地住民に対していい役割りをしたか、悪い役割りをしたか、いまさら論ずるまでもないことだと思う。だから、従来侵略戦争の過程で果たした役割りの問題に対する恐怖心。それから、その後生きるために略奪その他のことをやったでしょう。そのために住民から反発を受けるその恐怖心。したがって、どんなことを呼びかけようとも自分自身が懐疑心を持つのは当然です。そのことは、これはもうほんとうに、侵略戦争の果たした役割りがそういう人間にしてしまったという状態にあるだろうと思うのです。それを考えたら、その立場を変えるためには、
現地住民に対して
日本政府として、こういう悪いことをやった、それに対して私たちはこういうふうにあやまりますということを明確にしながら、その後起こした
事件についても全面的にわれわれが
責任を負うという処置をしなかったら、
現地住民の目は変わらぬだろうと思う。その内容をもってその隠れている
人たちに対処しなかったならば、私はその
人たちも救われないだろうというふうに思うのだけれ
ども、実際にその辺の問題を、たとえば
ルバング島の問題においてどのように処置してこられたのか、具体的にはっきり言うてもらわなかったら、私はおそらくこれはたいへんだろうというふうに思います。これが第二番目。
それから第三番目に、先ほど言った、
遺骨が圧倒的にまだ残っている、
死亡宣告した人が二万人からおる、未
帰還者というのがまだ三千何百名という登録がある。この
人たちを全面的に総
点検してもらえるのかどうか、はっきりしてもらわなければいかぬと思うのです。そうしたら、あと三年間にこれだけのことをやってしまうのだといって、機構の縮小まで問題にしているということを私は
報道で聞いたが、おかしいのじゃないだろうか。三年間でそれだけのことをやり切れるものだったら、いままで二十年の間にとうにやれたじゃないか。私はできるとは思われない。三年間に集中的に
予算をこうこうしてがんばりますというならわかるけれ
ども、もっともっと長期にわたって
責任を果たすということをやらなければだめなんじゃないだろうか。同時に、
民間団体の御
協力も得ましてという話で、助成金を出している。
協力を得るのはいいと思いますけれ
ども、
政府の
責任でやるべきものだと私は思いますよ、戦争という問題については。その
責任について少し・考え方が違うのじゃないかと思うのですが、一体この問題について三年間で打ち上げるということは可能なのかどうか。私はできないと思う。そういう問題。
最後に
大臣に聞きたいと思います。二十八年たった今日、いまだに
戦死者が出ている。私は侵略戦争の悲惨さというものをここに見ることができると思います。なかんずく中野のスパイ学校。おとうさんが言っておられます、あそこに入れなかったならばこうもならなかったものをと。侵略戦争について、
大臣はいまどういうふうにお考えになっているか。同時にまた、中野のスパイ学校についてどういうふうにお感じになっているか。
四点について聞きたいと思います。