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参考人(
田山輝明君) 私は
民法の中で、とりわけ
土地法を研究している者といたしまして、
民法六百四条の問題と
山梨県有地に関するいわゆる
暫定使用協定の問題につきまして、
法律的な
見解を申し上げることにいたします。
北富士演習場の沿革等につきましては、
足鹿先生が御指摘になりました点でもありますし、その御指摘になった
問題点につきまして
小林先生、畑
先生から御
見解がすでに述べられましたので、重複を避けまして、私は第二点のほうに限定いたしまして申し上げます。第一点のほうにつきましては両
先生の御
見解にほぼ賛成でございますので、それを前提にしていただいてけっこうでございます。
民法六百四条の問題ですが、この点につきましては、ことしの四月二十六日に
政府の
統一見解が発表されております。
内容の要点は、
米軍の用地
契約にも
民法六百四条が
適用される、したがって引き続き必要な場合には
契約の更新をする必要があるのだという
内容のものであります。
そこで、この
民法六百四条の立法
趣旨というものが、ないしは制度
趣旨というものがどういうところにあるのかということがたいへん重要な問題なんではないかと思うわけなんです。これは大きく分けまして
二つの点があると思うんです。第一点は、この本来の立法
趣旨を制定過程から調べてみますと、賃貸借の期間というものをあまり長くいたしますと、所有権の一部がはがれてしまうようなことになるので、相当な制限を加えなければならなかったということが当時の立法過程で明らかにされているわけであります。このことは一体何を
意味しているかといいますと、さらに
二つの
意味に分けて考えることができるように思います。その
一つは、法思想的といいますか、法イデオロギー的といったらいいでしょうか、そういった
意味合いのものであります。つまり所有権は、とりわけ
土地所有権は、いつかは絶対的な全面的な支配権に復し得るんだということが観念上必要とされる。これは近代法の原則からいって観念上必要とされるんだということであります。これは近代法が市民革命特に
土地革命、封建的な
土地所有権を崩壊するという過程における市民革命の最大の課題であったわけでありますから、近代社会が誕生する過程においてこうした法イデオロギーが確立してきたということは歴史的にもよくわかることであります。それからこまかい二番目の
意味といたしましては、経済的な
意味があったということです。つまり、あまり長い期間にわたりますと、
土地所有者もまた賃借り人も両方ともその
土地に関する改良を怠って、そのことが
一般経済上の不利益を招来するんだということを立法者が心配した結果であります。
それからこの
趣旨の大きな二番目といたしましては、立法者が賃借権の期間を二十年に限定いたしましたのは、居住用つまり宅地などにつきましては二十年をこえて必要とする場合もあるということは考えていたわけでありますが、その場合には別な制度、つまり物権としての地上権というものが利用されるということを想定していたわけであります。ところが立法者の意図に反しまして、現実には地上権の設定ということはほとんど行なわれなかったわけであります。その
意味においては、この六百四条という
規定を補うために、宅地の賃貸借については多かれ少なかれ、また、おそかれ早かれ特別法の制定というものが必要とされていたわけであります。これが
大正十年の
借地法の制定という形であらわれておるということは周知のところであります。
こうした立法過程ないしは立法
趣旨より見まして、当事者が二十年以上の期間を
契約によって合意しましても、これは二十年に短縮されるわけであります。これは
法律の
明文にもそう書いてございますし、
規定のしかたからしてそういうことになる。つまり
民法六百四条に違反する
契約というものば同条によって修正されるわけであります。
内容が修正されるわけであります。
一般的に申しますと、
民法の
契約法の分野におきましては
契約自由の原則が支配いたしますので、それに関連する法規も原則として当事者の意思を補充するためのもの、つまりいわゆる任意法規というふうに解される場合が多いわけでありますが、この
民法六百四条だけは当事者の意思を修正するという
内容を持った
規定でありますので、いわゆる強行
規定であります。つまり
一般の
規定と違いまして特に強い効力を認められているという、そういう
規定であるというふうに理解しなければならないものであります。ことしの四月二十六日の
政府統一見解は、このような
趣旨の
民法六百四条を
米軍用地
契約に
適用したわけであります。これにつきましては
一つの前提があります。つまり
政府は、従来の
土地建物等賃貸借
契約書の第五条において、
契約期間は一年というふうにはっきり書かれておりましたけれども、この
規定は財政法、会計法等との関連における便宜的な
規定であって、期間をきめたものではない。で、期間は、
先ほど畑
先生がお読みになった
契約書の目的とか、そういったものとの
関係から考えて、米駐留軍の必要性がなくなるときを期限とする不確定期限だといういわゆる不確定期限説をとってきたわけであります。ただ、不確定期限説につきましては、少なくとも
契約書の解釈、
法律解釈といたしましては私はたいへん無理な、もっとひどいことばを使えばむちゃな解釈だったというふうに考えておりますが、今回の
政府統一見解は、従来のそういうかなり無理な
見解を前提にしたものではありますけれども、従来のそういう無理な
見解を出していた態度に比べまして
法律的にもたいへんすっきりしておりまして、その
意味において今回の
政府の
統一見解を出された良識といいますか、そういうものに対しては私は敬意を表してまいったわけであります。
その敬意を表してきたということの
内容は、
政府統一見解が次のような三点にわたる意義を持っていたからであります。
その第一点は、
米軍用地
契約に国内法をはっきりと
適用したということであります。すなわち条約上の義務履行のために
国民の
権利義務を制限する場合には、国内法上の
手続が必要なんだという原則を確認し、それに従って国内法を明確に
適用したという、そういう先例といいますか、そういう
意味がはっきりあらわれておりましたことが第一点であります。それからこの
政府統一見解が発表されましたころの情勢から考えてみますと、いわゆる日米安保体制の再
検討ないしは解消もしくは破棄といいますか、そういった
見解が各方面から主張され、それがかなり世論の支持を受けていた。そういう状況において軍用地の
法律的な再
検討、再整備といったことが問題になった。そういうものを受けた形で、そういう客観的な
意味、
内容を持ったものとして
政府統一見解が位置づけられ得たという点が第二点であります。こうした世論等につきましては、五月四日付のたとえば朝日新聞の社説などが
一つの代表例としてあげられるのではないかと思います。それから第三番目には、これは地主のほうの
権利意識といいますか、受けとめ方の問題でもありますが、
昭和二十七年以来もう二十年もの長きにわたって
土地を、
先ほど畑
先生のお話にもありましたように、半強制的に賃貸させられてきた。そういう地主について考えてみますと、たとえば
昭和二十七年当時五十歳程度の方であった場合には、すでに現在七十歳をこえるという、そういう高齢になるわけであります。現在二十年目で自分の
土地を自分の手に返してもらえない場合には、もう自分の命のある間に自分の
土地が自分のものにはならないんだという、そういうたいへん素朴なといいますか、正直な感情というものにも
政府統一見解がぴったりしていたという点もあげられるのではなかろうかと思うわけです。
こうした
趣旨から考えますと、
政府といたしましては、在日
米軍基地を少なくとも思い切って縮小するという方針のもとにアメリカと交渉をし、そして従来の軍用地は原則として地主に返すべく努力をすべきであったというふうに思われるわけですけれども、遺憾ながらそうした努力は少なくとも外から見ている者にとっては見られなかったと言わざるを得ないわけであります。そうした
一般的な再
契約問題がありまして、その中で最後まで問題になってまいりましたのが、次に申し上げます
山梨県の
北富士演習場内の
県有地であったと思います。
そこで論点を次に移したいと思います。
山梨県有地につきましては、いわゆる
暫定使用協定というものが八月二十八日付で結ばれておりますが、
暫定使用協定という名前の協定は実はないわけでありまして、
政府と
山梨県との間の
覚え書きと、それから
使用許可処分を与えた文書と、それから賃貸借
契約書と、この三つを総称していわゆる
暫定使用協定というふうに呼んでいるわけであります。そこで、御
質問の中にもありましたが、
覚え書きの
法律的な性質についてということでしたけれども、この点につきましては、
覚え書きを取りかわしました両当事者ともが、つまり
政府の
見解は
国会で、県側の
見解は県議会で発表されておりまして、両方とも
紳士協定的なものであると主張しております以上、
法律的な
効果というものはないというふうに考えざるを得ないわけであります。したがって、かりに
政府が違反した場合でありましても、県側がこの
覚え書きをたてにとって
法律的な
効果云々ということは言えない。そういう
意味で
効果はないというふうに考えざるを得ません。これは
覚え書きについてであります。
次に、具体的に
土地の使用に関する問題でありますが、この点について
民法六百四条の
適用を前提とした処理がなされておりますので、新旧
契約ですね、つまり六百四条が
適用されていた場合に、古い
契約とそれから新しく結ばれる
契約との間の新旧
契約について
法律的同一性があるかどうかという問題があります。
学説上は、六百四条が
適用された場合に、かつ更新された場合に同一性があるかにつきましては、肯定説、否定説両方がございます。しかし、
民法六百四条の
趣旨を
先ほど申し上げましたような形で理解いたします限りにおいては、
法律的同一性というものは否定するという
見解が正しいものと考えております。で、
山梨県有地の場合につきましては、こうした
学説上の問題とは一応別個に考えなければならない要素があります。と申しますのは、旧
契約は、かりに
政府の
見解に立つといたしましても、ことしの七月二十七日で失効しております。そして再
契約、これは
使用許可処分と賃貸借という
二つの法形式をとっておりますが、いずれとも八月二十八日付でなされておりますので、右の
学説上の差異に
関係なく、その間に空白もございますので、同一性というものははっきりと明確に否定されてしかるべきだと思います。
以上、述べたところからほぼ明らかになると思われますが、今回のいわゆる
暫定使用協定というものは、実質的にもまた形式的にも従来の
契約とは
法律的同一性を持たない全く新しいものだというふうに考えざるを得ません。したがって
政府及び
山梨県といたしましては、
北富士演習場について正式な、かつ完全な国内法的
手続を踏むべき地位にあったものというように考えるのが当然かと思います。
昭和二十七年の旧
契約によります提供
手続につきましても、
先ほど畑
先生のほうから御指摘になりましたような欠陥がたくさんあったわけでありますが、かりに、これらの欠陥は、占領終了直後であった、そういうような事情を考えまして、ある程度やむを得ない要素はあったといたしましても、現在の時点で全く新たな
手続をとるということが今回の
暫定使用協定の場合の前提でありますから、そういうことを考えますと、前回、つまり
昭和二十七年当時と同じような違法な
手続というものは絶対許されてはならなかったと考えるのが正論であろうと思います。
そこで再
契約をする場合に
政府、
山梨県がどういう法的
手続をとるべきであったかという
一つの例として、次のような考え方が成り立つと思います。
土地所有者である
山梨県と
政府との間におきましては、当然
契約もしくは
——かりに
行政財産であることを前提とすれば、要するに
土地所有者を一方の当事者とする、もう
一つ、
入り会い権者を一方の当事者として
政府は何らかの法的
関係を持つべきであった、少なくとも
契約関係を持つべきであったというように思います。これは
入り会い権といいますのは、
土地所有者との間で
契約的な媒介によって設定されるようなものではございませんで、沿革的に見まして、
民法上の法定では他物権ではございますが、
契約的媒介を持たない独立した他物権でありますので、当事者としても特別な扱いをなさるべきであったと思います。
借地権とか転借権につきましては、所有者との間の、つまり
山梨県との間の
契約の締結にあたって、
同意書を添付するというような方式をとるべきであったと思われます。で、
借地権についてはとったようでございますが、転借権についてとられていない。しかし、
北富士演習場内の転借権につきましては、
県有地となる前、つまり御料地であったころから転借権を持っていたというような場合も含まれておりますので、通常の転借権以上にたいへん重みのある
権利だというように考えざるを得ませんので、特にこの点の瑕疵は大きなものだと考えます。
それから次に、
北富士演習場内の特に梨ケ原の
入り会い慣習につきましては、
小林先生、畑
先生が言われましたとおり、
民法上は
入り会い権であると考えざるを得ないのでありますけれども、かりに、
政府の言われますように
入り会い権ではなく
入り会い慣行であるというような
見解に立ったといたしましても、戦後二十数年間の
入り会い闘争といいますか、そういうものとか、それから補償交渉の実態などの事情を総合してみただけでも、少なくとも
法律的保護に値する生活上の利益であるというふうに考えざるを得ないわけであります。この生活上の利益というものが
法律的な保護に値するという点につきましては、
学説をはじめ
大審院、最高裁とも認めているところであります。一番新しい例では日照権に関する最高裁の
判決なども、これも一種の法的保護に値する生活上の利益という考え方を基礎に持っておるわけであります。そこで、かりに
入り会い権に関して
政府統一見解が立つといたしましても、
入り会い慣行というものは、
入り会い権に準じた物権的
内容を持った生活上の利益として処理すべきであったと考えられるわけであります。要するに
入り会い権、転借権等につきまして、法的
手続を終了しない限りは国内法上の提供
手続はまだ終了していないというように考えざるを得ません。
次に、今後
政府と
山梨県及び
関係権利者との間で右のような完全な正式な
手続が追加的に行なわれると仮定いたしましても、今回の
暫定使用協定につきましては、さらに重大な欠陥が
存在しているのではないかと思います。
政府と
山梨県との間の
覚え書きの第四に「
行政財産」という表示がございますが、この
行政財産は地方自治法二百三十八条に定められている
行政財産、すなわち公用財産、公共用財産及び、そういう目的に供されることが決定された財産には該当しないと考えざるを得ないからであります。
山梨県
恩賜県有財産管理条例第三条によりますと、国土保全または林業経営のために必要なものは
行政財産とするという
趣旨の
規定がございますが、国土保全のために必要とする県有林というのは、もしそうするために何らかの
規定が必要であるならば、森林法に基づく保安林指定をやるべきでありまして、この保安森指定をされるようなものの
法律的な性質は、いわゆる保存公物でありまして、公用財産もしくは公共用財産には該当しないのであります。第二に、林業経営のために必要なものはいわゆる営林財産でございまして、これは地方自治法上
行政財産から
明文でもって除外されております。この点は、国
有財産法第三条と地方自治法二百三十八条を比較してお読みになれば一見して明らかなところであります。で、このように地方自治法のワクを越えて、条例によって
行政財産の概念を拡張するということは、
法律と条例との
関係、特にその効力
関係というものから考えまして許されないことでありますから、右条例第三条の効力について有効、無効というのは、この際、言及は避けるといたしましても、同条にいう
行政財産は、少なくとも地方自治法二百三十八条にいう
行政財産ではないと言わざるを得ないわけです。
この
見解は私どもの思いつき的な
見解ということではございませんで、すでに
昭和三十九年当時、その直前まで
内閣法制局に勤務しておりました、現在も学習院大学教授であらせられます山内一夫
先生も明確に同様な
趣旨を述べられております。また
政府につきましても、甲府地裁に係属しております
北富士演習場内
山梨県有地に関する監査請求に基づく
行政訴訟において、これと同様な結論を主張しておられたのであります。もっとも、
暫定使用協定が締結されました後に、にわかに右
見解を将来に向かって撤回されたと聞いておりますけれども、これは
暫定使用協定という高度に政治的な協定が、いわゆるトップ会談において成立したために、
事務レベルでの
見解をこれに合わせたというふうに考えざるを得ないだろうと思います。そういうわけでありますから、私としましては、
法律論としては少なくとも
政府が主張しておられた旧
見解でありますところの、
先ほど申し上げた
見解が正しいと考えておるわけであります。したがって、地方自治法上の
行政財産でないものについて、地方自治法に基づいて
使用許可を与えたということになるんでありますから、これは
法律的に重大な瑕疵があると考えざるを得ないわけであります。
以上述べましたところを整理いたしますと、まず
北富士演習場内の
国有地につきましては
入り会い権の処理がなされていないということ、それから
県有地のうち
行政財産と称されている部分につきましては、いま申し上げましたように、
手続上重大な
法律的瑕疵があります。そのため、
使用許可処分が無効と解し得ること。かりに行政行為の公定力等により無効ではないという考え方が成り立つにしましても、違法な
手続であるということには変わりはありません。また、
許可にあたって
関係権利者の
同意がいまだ得られていないということも厳然たる違法な事実であります。それから普通財産についての賃貸借
契約につきましても、
関係権利者の
権利が処理されていないということになるわけであります。で、これらの点を総合いたしますと、現在の
北富士演習場は、いわゆる
暫定使用協定によっては国内法上正式かつ完全な
手続が完了しているとは言えないのでありまして、
法律的に見る限り、一種の欠陥演習場であるというふうに評価をせざるを得ないわけであります。以上であります。