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国務大臣(
増原恵吉君) 四次防の性格、位置づけ、これはいま御
質問にありました四次防原案、いわゆる中曽根案というものとの
関係において申し上げたほうがわかりいいように思うのでありまするが、
防衛庁原案は
昭和四十七年度を初年度といたしまして五
年間の計画でありまするが、これは十年後のいわゆる
防衛上の
状態を
想定をしこれに対処をする、これはもちろん背景に
日米安保条約というものがあるわけでありまするが、これに対処をするというこの
防衛力を一応
検討、
想定をいたし、その
防衛力と見合って五
年間の第四次
防衛力整備計画をつくったという性格のものであります。これが昨年来の原案作成以来の、いろいろの経過に基づきまして
一つの大きい経過は、ニクソン大統領の訪中すなわち極東における緊張の緩和、これはさらに訪中だけの問題でなく、極東における緊張の緩和、世界的にもほかの部面においても緊張緩和というような傾向も若干出ていることは御承知のとおりでございますが、そういうことと、いわゆるニクソン・ショック、ドル・ショックといいまするか、これに続く通貨不安、国際通貨不安、これによりまする
日本の経済財政の見積もりのダウンというふうなものが
一つのあれになったと思うのでございます。それと、手続上四次防策定ということが、いろいろの理由はありましたが順調に進みませんで、四十七年度を初年度として発足するということでございましたが、四十七年度に至る前に国防
会議で決定することができないということになりました。したがいまして、二月七日でありましたか、四次防の大綱、これは三次防の場合にも大綱というものをつくりましたが、四次防の大綱をつくるにとどまる、そうしてその大綱をつくりまする際には、原案にありました
構想、十年先の
一つの
防衛力を考えた上で四次防を策定するという
考え方は取りやめまして、いままで一次防、二次防、三次防と、三次防までの
日本国の持っておりまする国防の基本方針にのっとってまいりました
防衛力の整備、この三次防における整備の大綱その他に示しておりまする整備の方向に、それを踏襲をするといいますか、そういう方針で
防衛力を整備をしていくという形で四次防の大綱がきめられたということでございます。四次防を正式にきめるというのには、主要項目をいままでのそれによってきめなければならぬのでありますが、これがその後手順よくきまりませんで、二月七日に、夏以降四次防を決定する、策定するということでありましたが、六月三十日に、夏以降なるべくすみやかにということで、六月三十日にも決定できないという形でいまに及んでおるわけでございます。したがいまして、この中曽根
構想の際には、十年後の
一つの
防衛力というものが
想定をされておる。したがって、これは見方によりましては、
一つの限界というものが、十年後の
防衛力という形であった、そういうものはなくなったというふうな見方がされるわけでございまするが、その十年後の
防衛力というものが、
防衛力の限界という形で原案で示されたというものともちょっと違うと思うのでございます。しかし、それにしても、十年という相当の
長期にわたるめどというものがあったが、今度はそういうものがないんではないかという意見があるわけでございます。もともと
防衛力の限界ということは、本来理論的に考えまするとなかなかむずかしいものでございまして、私もなかなかそういうものは示しにくい、つくりにくいということを申し上げたことがあるわけでございまするが、しかし、中曽根原案においては、一応この
防衛力の限界等も考えられるようなものが出ておるということにもかんがみまして、私
どももいろいろ
状況の
前提というものをつくっていくならば、やはり
一つの
防衛力の限界といいまするか、そういう意味の
防衛力を
検討できるのではないかと考えまして、いまそういう意味のめどとなる
防衛力というものの策定に取りかかったところであります。これは取りかかったばかりでございます。年内にはそういうのをひとつお示しできるようにしたいというつもりで、そういうものを考えておるわけでございまして、そういうものを
一つ持って、そして現在の四次防というものは、三次防で考えておりましたような基本方針と同じような基本方針に基づいた
防衛力の整備計画、国力、国情に応じて効率的な
防衛力をつくっていくという国防の基本方針に基づいたものであるというたてまえでございます。