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石原慎太郎君 そこで、
中国が
一つである。
一つであるべきであるという
一つの認識あるいは願望と、
中国が
一つになるということと、これ、おのずと違う問題ですし、
一つであるべきだと望んでいる
中国自身にとっても、
一つになるということが当面の
情勢の中でむしろデメリットにつながるという認識もあるということを、当然
政府は御存じでしょうけれ
ども、そういった認識を
国民全体が持ってこの問題を
考えるべきだと思うのですが、そこでこれから種々
政府が直接
交渉されて、いろんな調整をされるのでしょうけれ
ども、
一つは、これはお願いを兼ねて申し上げたいのですが、さっき
不可侵条約云々という問題が出ましたけれ
ども、それは
大臣が直接そういう表現でされたのではないということはわかりましたが、
不可侵条約なんていうのは昔の女郎の起請文みたいなもので、それだけの価値しかないということは国際政治の歴史があかしているわけですが、それより非常に大事な問題があると思うのです。これは実は
大平大臣がかつてやはり
外務大臣をつとめられたころに誕生した問題なんですが、つまり
不可侵条約云々よりも非常に実質的に具体的に重要な効果のある問題であります。それは日中両国間の記者
交換の体制の問題であります。で、御記憶にもちろんあると思いますけれ
ども、
大臣は、かつて
外務大臣をしてらっしゃったころ、LT貿易の
交渉が始まり、そのためにいらっしゃる松村謙三氏に——これはオフレコかもしれませんが、しかし、
大臣もお話しになり、また、当時の当の局長が外務省の意向として、その随員
たちにも、記者
交換の体制というものはかくあるべきである、それでなければつまり非常に好ましくない。それは相互自由、政治的な干渉を一切排するということで、当初LT貿易間の日中記者
交換体制ができたわけでありますが、それが文革の
あと、いろんな政治家が介在することで非常に不健全なものに変わってきて、私も
国会でやりましたけれ
ども、北京の
日本の新聞に対する非常にマニピュレーションが強い、干渉が強いということは周知の事実になって、これは国際的にも
日本の新聞が置かれた、非常に政治的な追い詰められた状況に対する同情と懸念が自由国家圏の新聞からも集まっているわけですが、これはぜひ
政府がこれから
交渉される段階で、
政府が行なわれている
日中国交回復への努力というものが正常に
国民に理解され評価されるためにも、ひとつ新聞にいま加えられている
一つの足かせというものを、これはやはり対等の資格でそれを取っ払い、かつて
大平大臣が望まれた、そして一時はそうした形で実現した形に、日中記者
交換体制が戻るように——それは
国交が
正常化すれば機械的になるかもしれません、あるいはならないかもしれない。われわれと社会体制の全く違う国でありまして、新聞に対する認識、効用というものもおのずと違った
考え方があるわけでありまして、まあ違う国が私
たちの国の新聞に対してそういう規制をしてくることは、向こうの発想からすれば当然かもしれませんが、しかし、私
たちの
考え方ではそれがこういう形で実現するということは非常にやっかいですし、大きなものを失う
可能性になると思うのです。つまり新聞というものの
意味に対する認識が非常に違う国と国の
交渉だけに、むしろこういった問題が
不可侵条約云々よりも大きな
意味を持つのではないかという気がします。まあ、私もこの間の上海バレーなるものを見ましたが、
一つの芸術についても、社会的な効用に対する認識が明らかに違う。私はどうもああいうキツネつきの政治
外交というものを芸術と思いませんし、これに対して
政府の要人の三木、中曽根両氏が熱烈に
拍手されたようですが、まあジョン・ブレインのことばを借りますと、バレーとかオペラの
拍手というものはたいがい白痴的だそうですけれ
ども、たいへんあれも政治的な
拍手だったような気がしますが、やはり私も芸術家の一人として、芸術に対する認識がそういうふうに異なる国というものをどうも安心して評価するわけにいかない。ましてこれが新聞になりますと、非常に大きな国益につながる問題だと思いますので、これはたまたま
大平大臣がまた
外務大臣をつとめられることで、問題がキャッチボールして、戻ってきたわけでございます。ぜひこの問題にひとつ鋭意お取り組み願って、かつて
大平大臣が望まれ実現した形にひとつ新聞記者の
交換体制が戻るように御努力願いたいと思います。